全文 - 聖マリアンナ医科大学 医学会

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聖マリアンナ医科大学雑誌
Vol. 30, pp.111–114, 2002
退職記念特集
私と研究生活
いい の
し ろう
飯野
四郎
Ⅰ.アルカリ・ホスファターゼの研究
室はその後拡大分散して第 13 研究室となり,私はそ
こで長年研究を行った。
昭和 39 年に東京大学医学部を卒業して,1 年間の
私に与えられた研究テーマは,電気泳動法で分離同
当時のインターン生活を送った後,昭和 40 年 4 月,
定されるアルカリ・ホスファターゼ(ALP)アイソザ
東京大学医学部第一内科に入局した。
イムが同一の基質に作用する分子構造が異なる蛋白で
あるかどうかを明らかにすることであった。この当
第一内科を選択した理由は,生命現象の根本をなす
時,電気泳動法によって分離される ALP アイソザイ
蛋白や酵素の研究をしたいということであった。
入局してからの 1 年間は研究室の配属は決まらな
ムの個々のアイソザイムの臨床的意義は,私の先生で
かった。しかし,最初の年に,多発性骨髄腫の患者を
ある前山梨医科大学学長の鈴木宏先生によってほぼ明
何人か受持った。この病気では,病的に多量の免疫グ
らかにされていた。
ロブリンが産生されることが特徴である(例外はある
まず文献検索を行い,それまでに知られていた方法
が)。免疫グロブリンと γ-グロブリンはよく相関する
を用いて,熱変性と各種の化学物質による酵素阻害を
といわれ,また,これらと血清膠質反応,とくに ZTT
組み合せて,個々のアイソザイムが化学的・物理的性
とよく相関するとされていた。ところが受持った患者
状が異なるものであることを示した。
ではいずれも γ-グロブリンが異常に高値であるにもか
次に,各アイソザイムの起源と推定される臓器から
かわらず,ZTT が異常に高値の人と異常に低値の人
ALP を抽出し,それぞれを 10 年以上かけて精製した。
がいることに気付いた。そこで,過去に遡って病歴を
これら精製 ALP が血清中の ALP と同様の化学的・物
調べてみると,IgG が増加した例では ZTT が高値であ
理的性状を示すことを証明した。また,精製 ALP を
ることが多く,IgA が増加した例では低値であること
用いて,各アイソザイムに対する特異抗体を作成し,
が多く,IgM が増加した場合にはいずれもあるという
これら抗体がそれぞれに各アイソザイムと特異的に反
ことがわかった。さらに,血清蛋白の電気泳動パター
応することを示し,抗体からみるとヒトの ALP は基
ンを調べると,増加した蛋白が陰極側にあるほど ZTT
本的には 3 つのアイソザイムからなることを示した。
を高値にする働きが強く,陽極側に泳動されるものほ
この間に,主として泌尿生殖器の癌で出現する胎盤
ど ZTT を低値化させることが明らかとなった。IgG 骨
ALP,肝細胞癌で特異的に出現する肝癌 ALP などの
髄腫でも,陽極側へ泳動される例では異常低値となり
研究も行った。
さらに,これら特異抗体を用いて RIA 法による各
得る。免疫グロブリンの荷電状態と ZTT の関係を示
アイソザイムの蛋白定量法を完成させた。その結果,
したのが,私の最初の研究である。
正常細胞および癌細胞が作る ALP は,蛋白量と酵素
1 年が経過して研究室の配属が血清蛋白や血清酵素
の研究を行っている第 1 研究室に決まった。第 1 研究
活性が相関することを示すことができた。
加えて,精製 ALP を用いて,蛋白を部分分解して,
各アイソザイムが異なるぺプタイドマップを作るこ
聖マリアンナ医科大学 内科学教室(消化器・肝臓内科)
教授
と,ALP の活性中心が同じぺプタイド上にあり,活
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飯野 四郎
性中心のアミノ酸配列が大腸菌からヒト細胞に至るま
系を工夫して,定量的な物質の動きと臨床の関係をみ
で同一であることを示した。
たくなる。
これらによって,与えられたテーマである ALP の
そこで,最初に HBe 抗原・HBe 抗体の量的変化と臨
各アイソザイムが異なる蛋白であるかどうかについて
床の関係を検討し,多くの新しい事実を発見し,臨床
は,異なるものであることを証明することができた。
応用もいくつか見い出した。昭和 54 ∼ 55 年頃,HB ワ
クチンが完成し,また,インターフェロンが(IFN)
これに続いて,ALP 発見以来,ALP の生理的機能
は知られていなかったが,ALP を中性の pH 領域でみ
が製品となった。
ると,酵素というより,リン酸結合蛋白として働いて
いることを示すことができた。
Ⅲ.肝炎研究班での仕事
次は各 ALP アイソザイムの遺伝子構造を明らかに
するという仕事が残されていた。米国留学中を含め
10 数年が経過していた。その時,大きな転機が来た。
昭和 54 年春から,肝炎研究班の事務の責任者をや
ることになったので,日本の肝炎研究をどうするか,
研究計画の策定に関与できる立場となった。研究の中
Ⅱ.ウイルス肝炎の研究
には HB ワクチンをどう使うか,IFN をどう使用すれ
ばよいかということも含まれていた。
昭和 52 年夏の終りに米国から帰国して,ALP を大
その後,20 数年間,肝炎研究を推し進める研究班
量に産生する細胞株を探していた頃,ある日,前述の
の中枢にいて,それぞれの時点で必要とされるデータ
鈴木先生に,ALP の構造を決定しても人の命は救え
を集め,それを元にどう応用していくのかの基本を決
ない,そろそろ人のためになる肝炎の予防や治療の研
める責任がある立場を続けてきた。日本の肝炎研究は
究をやらないかと言われた。これが決定的な言葉で,
国が支出した研究費の割には非常に成果が上がり,ほ
以後,私の 2 / 3 の研究生活の方向を決めることと
どんどムダなく,最短距離で目的達成がなされてきた
なってしまった。
と考えている。もちろん,これには日本各地の肝炎研
当時,B 型肝炎ウイルス(HBV)が発見されて 5
究者の協力と団結があったからこそである。
年,HBV 抗原の一つである HBs 抗原が発見され,肝
私自身の仕事としては,HB ワクチンの開発では,
炎との関係が明らかになって 7 ∼ 8 年が経過してお
最初に日本で作られた血漿由来ワクチンについて,通
り,HBe 抗原・HBe 抗体系と臨床,HBc 抗体の抗体価
常は企業が行う第Ⅰ相(安全性をみる)試験,第Ⅱ相
と臨床などがわかりかけた頃であった。母子感染につ
(規模を拡大して,安全性と使用法を調べる)試験を
いても解明が進んでいた。HBs 抗原発見の頃には私も
一人で行った。安全性が確認され,接種量や接種方法
多少の関係があったが,本来の私の仕事である ALP
がほぼ決定され,実際に使用された場合の安全性・有
の研究が忙しく,肝炎についてはかなりの空白があっ
効性を調べる第Ⅲ相試験からは企業の手で行われた。
たので,昭和 52 年の終りから 53 年の終りの頃まで約
私は HBs 抗体陽性であったので,多少の不安はあっ
1 年間,それまでの肝炎研究の成果を集中的に勉強し
たがワクチンを協力施設に送る前に自分で接種してみ
た。何が明らかにされ,何がわかっていないか,今,
て,少なくともワクチン接種そのものは安全であるこ
何が必要とされているのか,私にできることは何かを
とを確かめた。まったく新しいものをどう使うかは,
探すための勉強であった。初めから独創的な研究がで
外国のワクチンについての外国のデータは多少存在し
きるものではない。そこで,臨床例で,HBV に関連
たが,どんな量,どんなタイミングで,どんな経路で
する抗原・抗体の測定を行い,臨床経過との関係をみ
接種するかを決めることは大変な決断が必要であっ
るというこれまでの追試から仕事を始めた。実際に定
た。この血漿ワクチンは順調に開発が進み,昭和 61
性的な作業をしていると,元来が酵素の研究という定
年から,母子感染防止事業に用いられることとなった。
量的な仕事をしている人間にとっては,ただ単に陽
血漿ワクチンに続いて,遺伝子組み換え HB ワクチ
性・陰性の定性的な世界には満足できなくなる。測定
ンがいくつもの企業で開発され,そのヒトへの応用が
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私と研究生活
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行われた。最初の製品は米国のメルク社のもので,第
なって,GOT・GPT が正常化して持続する例では 80%
Ⅰ相試験から責任者として開発に参加した。これも最
以上で HCV が消失していることを示したことで証明
初に自分に接種した。遺伝子組み換え製品は初めての
し得た。
ものであったので,この時はかなり緊張した。これも
また,この判定基準を考える元となったデータか
第Ⅱ相,第Ⅲ相試験と順調に開発が進んだ。ミドリ十
ら作成した治験を行って,当時としては高率に GOT・
字以外のすべての HB ワクチンの開発に責任ある立場
GPT を正常化させ得る IFN 投与方法を探し出した。
で参加し,すべて製品として発売された。
この治験結果に基づいた C 型慢性肝炎に対する IFN
IFN については,日本で最初に作られた日本赤十字
療法が,これまで日本の標準的な方法として行われて
社の IFN-α,東レの IFN-β のヒトへの応用として最初
きた。日本の IFN 療法の効果は,IFN を欧米の 3 倍以
に行われた B 型慢性肝炎に対する第Ⅱ相試験から関
上使用するものであったが,約 5 倍の HCV 排除率で
与した。その後,多くの製薬会社で IFN の開発が進
あった。これは日本の C 型肝炎の IFN 療法の研究方
められたが,それらすべてに責任ある立場で参加し
向が正しかったためのものであり,欧米に 6 ∼ 7 年先
た。これもどう使えば効果的であるか,まったく
行することができた。
データはなく,とくに,動物モデルが使えないために
さらに,IFN 投与例の長期追跡結果を平成 8 年に行
ヒトでみるしかなく,IFN そのものに対して,ヒトが
い,IFN 投与例ではその後の肝発癌が大幅に減少する
どう反応するかから詳しく検討した。B 型肝炎例での
こと,この減少は GOT・GPT の改善例にみられること
詳細な分析結果が,その後の C 型慢性肝炎の治療を
を示すことができた。これらの成果は,日本の肝炎治
考える上で非常に参考になった。B 型慢性肝炎の IFN
療研究に携ってきた研究者の協力と団結によるもの
療法については,使用方法を細かく規定して許可され
で,世界に誇れる多くの業績が報告されている。
たために,その後の治療研究ができなくなり,B 型慢
性肝炎に対する効果的な IFN 療法を見い出すことが
Ⅳ.肝炎ウイルスマーカーの研究
できないまま終ってしまったことは非常に残念であっ
た。
B 型慢性肝炎に対する IFN 療法の各社の治験が進ん
HBe 抗原と HBe 抗体の定量的研究から B 型肝炎の
でいる頃から,現在の C 型肝炎である非 A 非 B 型慢
研究を始めたことは先に述べたが,この仕事の後,多
性肝炎に対する IFN 療法の研究が始った。初めて試
くの試薬メーカーから,ウイルス肝炎に関するほとん
みた時,IFN 使用中は GOT・GPT がよく低下すること
どの試薬の評価を依頼され,それらについて,特性,
はわかったが,中止すると元に戻る。しかし,B 型肝
有用性を検討した。B 型肝炎についていえば,HBs 抗
炎の研究から類推して,
いろいろの試みをしてみると,
原 , HBs 抗 体 , HBc 抗 体 , IgM・HBc 抗 体 , HBV DNA,
C 型肝炎では使用法によっては,IFN を中止しても
HBV 遺伝変異, HBs 亜型など,HCV についていえば,
GOT・GPT が正常になって続く例があることを見い出
第一世代 HCV 抗体, 第二・第三世代 HCV 抗体, HCV コ
した。
ア抗体, HCV RNA, HCV コア抗原, HCV 遺伝子型, HCV
セロタイプなど,デルタ(D 型)については HD 抗体,
タイミングよく,平成元年,厚生省の難治性の肝炎
研究班の治療分科会の会長に就任したので,その前の
E 型肝炎については HE 抗体,A 型肝炎については
数年,全国でありとあらゆる方法で C 型肝炎に対し
HA 抗体, IgM・HA 抗体, HAV RNA などである。
て使用されていた IFN について,その効果をどう判
これらウイルスマーカーについては,定性・定量的
断するかの診断基準を作成した。この診断基準は先に
な分析を行い,それぞれについて臨床的意義を明らか
述べた IFN 投与中止後の GOT・GPT の正常化持続を有
にした。その成果は肝炎ウイルスマーカーの臨床的意
効と判断したものであり,これが現在の効果判定の基
義として,多くの教科書に表として示されている。
本になったものである。この点で,欧米に 5 ∼ 6 年先
まとめてしまえば簡単であるが,各マーカーにいく
行したものであった。この判定基準の正しさは,その
つかの製品があり,検討したデータは膨大なものであ
後,C 型肝炎ウイルス(HCV)遺伝子検出が可能に
る。
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肝炎ウイルスマーカーは,診断から,病態分析,治
終的には国の C 型肝炎対策に至った。一つ一つみれ
療効果予測,治療効果判定,予後予測など,その臨床
ば何がここまで国を動かしたかわからないが,いろい
応用は広汎である。
ろな所に長い間働きかけてきた結果が,ここへ来て一
これらの仕事ができたことは非常に恵まれた立場に
つになったと思われる。C 型肝炎の治療についての国
あったことにもよるが,正確で厳しい評価を行い,
の対応も未だ多くの未解決の問題があるにしても,
メーカーに信頼されたことにあったと私なりに総括し
思ったより速く改善されてきている。これも少しは力
ているが,ここにも多くの協力者があったことに感謝
になれたものと満足している。
する必要がある。
Ⅶ.ここ数年と今後
Ⅴ.A 型肝炎(HA)ワクチン
ここ数年では私の研究という意味では大きな成果は
A 型肝炎はこの 10 年,日本では少なくなってきた
なかった。ただ,C 型肝炎の治療で欧米に一時的には
が,世界的にみれば日常的な疾患であり,日本人が海
IFN とリバビリンの併用療法で追い越されたが,再
外に出ればいつでも感染の可能性がある。
び,日本の治験デザインを作成し,その結果が得られ
HA ワクチンも第Ⅰ相試験から第Ⅲ相試験まで責任
て,また一歩先行することができた。HCV 排除率が
者として開発した。これも開発を始めた時には世界的
欧米の 30 数 % に対して, 日本では 40 数 % であり, IFN,
にデータはなく,どんな量,どんな間隔で接種するか
リバビリンともに減量することに成功し,昨年暮れに
わからなかった。一応,HB ワクチンに倣って行った
健保で認められ,広くこの治療が行われ始めている。
が,これでほぼ正解であった。HA ワクチンのほうが
これから私が新しい研究はできないが,C 型肝炎の
HB ワクチンに対するよりヒトでの反応は良好であ
治療法をよりよいものに改善することができる立場に
り,副反応も少ないと思われる。これも私は抗体を
あり,まだまだ貢献できるものと思う。
持っていたこともあり,最初に接種した。良いワクチ
今 40 年近い研究者としての生活を考えて,後 2 / 3
ンの割には広く使用されていない現状は,誠に残念で
は人のためになること,身近な臨床上の問題から出発
ある。
し,問題を解決するにはどんな方法があるか,どんな
データが必要か,どこにどう働きかけ,どう実用化す
るかなどを考えて,私にできる精一杯のことをやって
Ⅵ.社会への働きかけ
きたという満足感がある。
これも,多くの先輩,同輩,後輩に恵まれ,また,
医師以外の多くの協力者を得ることができたことによ
私が幸運だったのは,厚生省の肝炎研究班の関係,
るものと深く感謝している。
設立にあたって裏方を務めたウイルス研究財団の広報
担当であったこと,厚生省のいくつかの委員を務めて
研究者とは,研究室に閉じこもる人も必要である
いたこと,日本医師会のある委員であったことなどに
が,必要な時に必要な人を得て,それらの人々を繋
よって,厚生省の多くの官僚の人々,マスコミ関係者,
ぎ合わせて,一つの大きな仕事に作り上げることも研
国会議員の方々などと知り合い,意見を述べる機会が
究であると考えている。日常の臨床からいかに問題を
多くあったことである。
見い出し,解決策を考えるか,これが臨床研究の出発
日本では肝細胞癌死亡者数は昭和 50 年から増え始
点だと思う。
め,その主因は HCV であったが,このことに昭和 50
聖マリアンナ医科大学の若い方々に,日常の臨床を
年代半ばに気付き,前述したあらゆる機会に事の重大
大切にし,問題を発見し,それを解決していくために
さを説明してきた。これによって,平成元年からは非
は時間を忘れて努力する人々が多く輩出することを
A 非 B 型肝炎研究班が作られたし,新聞・テレビ・ラジ
願って,稿を閉じたい。
オなどでウイルス肝炎の問題が取り上げられたし,最
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