追加資料

2014 年度専門セミナー「国際経営」
A 班 発表資料
第1章
本研究の意義
末宗 隆志
私たちのチームは国際経営の研究テーマとして「総合商社」をその題材に取り上げるこ
ととした。本章では、「総合商社」を題材に取り上げる意義について述べる。
「商社」と言う業態には大きく分けて、
「専門商社」、
「総合商社」という区分がある。日
本にある専門商社と変わらぬ業務を行う業態は海外にも多く存在する一方で、総合商社は日
本に固有な業態であることが知られている。その固有性を裏付けるものとして英語圏でも総
合商社は”Sogo Shosha”として通用する。本研究の一つの意義は、日本に独特な総合商社
と言う業態がどういった過程で生じたものなのかを明らかにすることである。
また、総合商社は日本を代表する多国籍企業である。別途資料には、三井物産のおもな
エネルギーの上流権益を掲載したが、これだけを見ても世界的に広くビジネスを展開してい
る総合商社の姿が見て取れると思う。しかし、その一方で総合商社の経営手法は日本の他の
業界と同様に非常に「日本的」である。
(次章「日本的国際経営マネジメント」を参照)この
ような総合商社が日本を代表する多国籍企業になるに至った背景について明らかにすること
が、本研究のもう一つの意義である。
(参考文献)
岩谷昌樹、谷川達夫(2006)「総合商社―商社機能ライフサイクル」,税務経理協会
早稲田大学商学学術院、三菱商事(2011)「現代総合商社論」, 早稲田大学出版部
吉原英樹、星野裕志(2003)「総合商社 : 日本人が日本語で経営」, 國民經濟雜誌 187(3), 19-34,
2003-03
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2014 年度専門セミナー「国際経営」
第2章
A 班 発表資料
日本的国際経営マネジメント
末宗 隆志
日本の多くの企業は、日本的国際経営マネジメントと称される経営手法をとっている。
その大きな特徴は以下である。
・日本人が経営する
・日本語を使って経営する。
では日本を代表する多国籍企業である総合商社はどうであろうか。他の日本企業と
は大きく異なる国際経営手法をとっているのであろうか。答えは否である。総合商社も他の
多くの日本企業と同様に日本的国際経営マネジメントをとっている。むしろ他業種よりも「日
本的」だとされている。
多国籍企業でありながら、なぜこのような経営手法をとることが可能なのだろうか。
答えは単純である。総合商社の取引相手の大半は「日本企業」だからである。大手総合商社
9社平均取引高内訳(1993 年 3 月期)を見ると、国内取引、輸出、輸入、三国間取引のうち、
日本が関与する国内取引、輸出、輸入の割合は全体の 80%を占めている。また、各商社によ
り多少のばらつきはあるものの、9 社ともに取引高のうち最も大きな割合を占めるのは国内
取引高である。取引相手の大半が日本企業である以上、提供サービスを日本に適合的にする
のはごく自然なことである。
では、他業種の日本企業と変わらず日本的な国際経営手法をとる総合商社は日本を
代表する多国籍企業になっていったのだろうか。次章ではその背景を総合商社発生の起源か
ら考察する。
(参考文献)
岩谷昌樹、谷川達夫(2006)「総合商社―商社機能ライフサイクル」,税務経理協会
早稲田大学商学学術院、三菱商事(2011)「現代総合商社論」, 早稲田大学出版部
吉原英樹、星野裕志(2003)「総合商社 : 日本人が日本語で経営」, 國民經濟雜誌 187(3), 19-34, 2003-03
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第3章
総合商社の歴史
梶谷
良徳*
1. 総合商社の源流
総合商社の源流は、財閥系商社と非財閥系商社(関西五綿)に分類される。財閥系商社
の起源は、1874 年に 益田孝、井上馨によって設立された、先収会社という貿易会社である。
当時の日本は富国強兵や殖産興業によって近代化を推進し、欧米列強に追いつくことを目標
としていた。近代化には多額の外貨が必要とされる。しかし、当時の海外貿易は外国商館に
よって取り仕切られており、日本の商人は不利な立場に追いやられていた。その現状を克服
するために先収会社は設立されたのである。1876 年に井上の政界復帰によって先収会社は解
散となるものの、事業は三井組に引き継がれることとなり、1876 年に日本最初の総合商社と
して三井物産が設立された。三井物産は日本米の輸出を重要な任務として、三池炭鉱の払い
下げや紡績機械の輸入などによって規模を大きく拡大し、日本最大の貿易商社へと成長した。
同じく財閥系商社に分類される三菱商事は、1870 年に設立された九十九商会の流れを汲むも
ので、1918 年に設立されたものである。三菱商事は三菱財閥の貿易を担い、財閥の中心的企
業として成長した。
一方、財閥の存在をバックボーンとしない総合商社も存在した。例えば、伊藤忠商事が
それに該当する。伊藤忠商事は呉服屋が前身であり、1918 年に株式会社化した際に、伊藤忠
商事と伊藤忠商店に分離する。前者が現在の伊藤忠商事、後者が現在の丸紅の前身になって
いる。また、トーメン(2006 年、豊田通商との合併により会社消滅)は、1920 年に三井物
産の棉花部が分離独立して成立した、東洋棉花を前身としている。伊藤忠商事、丸紅、東洋
棉花など、繊維商社から発達した非財閥系商社 5 社は「関西五綿」と呼ばれている。
2. 第二次世界大戦前の総合商社
第一次世界大戦前に繁栄を遂げていた総合商社には、三井物産・三菱商事のほかに、日
商岩井(現双日)の前身とされる鈴木商店が挙げられる。鈴木商店は 1874 年に神戸で創業
*
大阪大学文学部
人文学科
人文地理学専修
2年
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され、洋糖の取引を営んでいた。洋糖の国内需要の増加や樟脳取引、神戸製鋼所の創設など
により、鈴木商店は大躍進を遂げ、第一次世界大戦の大戦景気と、積極経営・拡大戦略の成
功を背景に、1917 年には三井物産の年商をも抜き、日本一の総合商社の座に就くことになる。
しかし、第 1 次世界大戦後の反動恐や米騒動によって大打撃を受け、業績は下降線を辿って
いく。関東大震災後の不況により追い打ちを掛けられ、1929 年の金融恐慌によって鈴木商店
はついに倒産に追い込まれたのである。鈴木商店の倒産後は、第一次世界大戦後の景気縮小
を見越して、経営合理化を進めていた三井物産と三菱商事の 2 社による独占体制に移行する
ことになる。特に、1931 年の重要産業統制法の制定は 2 大商社の独占にいっそうの力を与え
るものとなった。
3. 第二次世界大戦中の総合商社
1937 年に日中戦争が勃発し、戦時体制に移行する中で貿易はいわゆる大東亜共栄圏内に
限定されてゆき、同時に、貿易の国家統制と貿易商社の整理が行われた。貿易商社の整理・
統合の過程の中で「交易営団」という国策会社が設立され、国家が少数の大貿易商社の貿易
独占をいっそう促進することとなったのである。交易営団の設立以降、貿易商社の業務は単
に輸出入手数料による売買を行うにすぎないものとなったが、もともと交易営団の役員は、
重要なポストを三井物産・三菱商事が占めており、両社の占める地位はますます拡大したの
である。戦局の悪化により貿易構造が崩壊した後は、両社は陸海軍に協力し、大東亜共栄圏
内における軍事物資の調達・輸送、軍占領地における資源開発に注力することとなる。すな
わち両社は、戦争を利用して自社の海外への進出機会を得ることに邁進していたのである。
4. 第二次世界大戦後の総合商社
4.1 二大商社の解体と復活
第二次世界大戦後、GHQ は経済面から戦争を支援していたとして、二大商社に対して解
散指令(総司令部指令 1741 号)を発令し、1947 年に三井物産、三菱商事を解体し、三菱商
事は約 120 社、三井物産は約 170 社の小規模な商社に分割された。その結果、非財閥系商社
である関西五綿が台頭することとなった。しかし、1951 年に財閥解体に関する諸法令が撤廃
され、翌 1952 年には講和条約の締結により GHQ が廃止されたことによって旧財閥の商号の
使用が解禁され、三井・三菱の再統合が進展していく。1954 年には、旧三菱商事系会社の大
合同により、新生「三菱商事」が発足する。当時は「神武景気」と呼ばれる好況期にあり、
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三菱商事の業績は順調に拡大していくことになる。三菱商事の大合同に遅れること 4 年、19
58 年に新生「三井物産」が誕生し、二大商社はついに復活を遂げることとなった。二大商社
に加え、終戦後の 1945 年に創立された住友商事をも含めて、財閥系商社は 3 社となる。一
方、朝鮮戦争特需により繁栄を極めていた関西五綿の地位は、戦後不況や二大商社の復活に
より次第に低下していく。その結果、関西五綿においても合併により企業基盤を強化すると
共に取扱品目を多様化させるなど、繊維系商社から総合商社への脱却が図られていくことに
なる。
総合商社の「冬の時代」
4.2
1950 年代後半より日本経済は急成長し、高度経済成長時代に突入した。経済の急成長に
より次第に力を付けてきたメーカーが自ら海外に進出して独自に販路を拡げるようになった
ことで、商社の存在意義が問われるようになり、
「商社斜陽論」が唱えられ始めた。厳しい情
勢の中、兼松と江商が合併して「兼松江商」、日商と岩井産業が合併して「日商岩井」が誕生
するなど、業界再編も進められた。しかし、海外から最新技術や設備機械の輸入を推進した
り、多くの企業が参画する巨大プロジェクトにおいて、各企業の牽引役としての役割を果た
したりするなど、商社が活躍する場はさらに広がり、寧ろ存在感を示すこととなった。
1970 年代には、
「いざなぎ景気」と呼ばれる好景気により商社の売り上げが拡大する中、
1973 年に第1次オイルショックが発生して石油製品の価格が高騰し、商社が売り惜しみ・買
占めを行って狂乱物価を招いていると噂され、
「商社買占め批判」が巻き起こる。この時期に
は商社が絡んでいる重大事件も数多く発生しており、さらに厳しい批判を受けることとなっ
た。
1980 年代には、オイルショック後の景気低迷や、「軽薄短小」産業への対応の遅れによ
り、
「商社冬の時代」と呼ばれる業績低迷期を経験する。
「冬の時代」からの脱出を図るため、
エレクトロニクス分野などの先端分野への進出を試みるものの、80 年代半ばにおいても世界
経済の低迷が続いており、商社は「冬の時代」を脱出できずにいた。
4.3
バブル景気と総合商社
転機が訪れたのは、1985 年の「プラザ合意」の発表である。この合意により、円高が急
速に進み、輸出企業は大きな打撃を受けることとなった。円高不況を防ぐために政府が低金
利政策を導入したことによって金融商品の運用が活発化し、日本は「バブル景気」に突入す
る。日本経済は大きく成長し、余剰資金が不動産投資や金融投資に向けられることとなった。
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また当時は日本の貿易黒字が大きく拡大しており、貿易摩擦が問題となっていた。特にアメ
リカとの貿易では、アメリカ側に大幅な赤字が発生しており、日本はこれ以上アメリカとの
貿易を拡大できない状態にあった。当時の日本では国内需要が拡大していたこともあり、内
需産業を成長させるために積極的に新規分野への進出を図っていく。バブル景気により総合
商社の業績は過去最高となり、「商社冬の時代」を脱出できたかのように見えた。その一方、
総合商社は依然として国内の産業構造の転換に取り残されたままであり、取引先の要求に適
合しないものであった。
4.4
バブル崩壊と収益構造の変化
1991 年にバブル景気が崩壊したことで不動産価格や株価が大幅に下落した結果、不動産
投資や金融投資を積極的に行っていた総合商社は膨大な不良債権を抱えることとなり、経営
を大幅に悪化させた。不良債権を解消するために、総合商社はリストラや事業再編といった
経営改革を実行する。その一環で商社同士の合併や吸収など大規模な業界再編が行われた。
その結果、バブル崩壊以降経営不振に陥っていた総合商社は次第に業績を回復し、過去最高
益を記録するなど、
「商社夏の時代」と呼ばれるほどの好調を達成することとなったのである。
* 本稿は筆者の責任において書かれたものであり、誤りがある場合には内容は全て筆者が負
うものである。
(参考文献)
坂本恒夫(2010)「日本総合商社の特質 : 英国多国籍商社と比較して」,立命館経営学 48(5),
1-15, 2010-01
JFTC きっずサイト「商社ものがたり」
http://www.jftc.or.jp/kids/kids_news/story/index.html (2014 年 7 月 16 日アクセス)
江藤裕史(2001)「総合商社の歴史と未来:果たして商社は生き残れるのか」
www.isc.senshu-u.ac.jp/~the0350/2001/paper/eto.pdf (2014 年 7 月 16 日アクセス)
梅津和郎(1976)「日本商社史」, 実教出版
吉原英樹(1987)「国際的にみた総合商社の経営史」, 國民經濟雜誌 156(6), 103-121, 1987-12
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2014 年度専門セミナー「国際経営」
第4章
A 班 発表資料
総合商社事業の変遷
脇阪
綾奈
総合商社の「総合」は、当初“商品”の多様性を意味していた。しかし、現在では、商
品はもちろん“機能・事業”の多様性をも示すものへと変容している。ここでは、総合商社
が現在のように様々な機能を併せ持つようになった要因、変遷を簡単に見ていくこととする。
1950 年代まで総合商社は物流・商取引、いわゆるトレーディングを行っていた。このころ、
取扱商品を多様化させ、その領域の広さは、時に「ラーメンからロケットまで」と形容され
るほどとなった。これは、現在の商社においても主な機能のひとつである。
1960 年代には、メーカー独自の流通網、海外拠点の発達による商社斜陽論の台頭し、1970
年代には、オイルショックに伴う日本経済の低迷、当時商品の買い占めを行ったことなどか
ら商社批判が起り、商社は「冬の時代」を迎えた。しかし、そのような厳しい状況の中で、
総合商社は、市場開拓機能、情報収集・発信機能、リスクマネジメント機能、金融機能など
を従来の商取引機能に付け加え、これらの困難を乗り越えてきた。
1990 年代以降、バブル崩壊など日本経済が低成長の時代に突入したことで、総合商社は
自らがもつ機能を組み合わせ、さらなる収益拡大を目指すようになった。現在の商社の機能
は大きく 3 つに分けられる。1つめは、商社の基本機能といえる、トレーディング機能、2
つめは、収益源の確保、経営基盤安定化を担う金融機能、そして 3 つめが、各種機能を組み
合わせプロジェクトを牽引する、オーガナイズ機能である。これは今や総合商社においても
っと重要な機能となっている。その代表的な例が、
「バリューチェーン」である。バリューチ
ェーンとは資材調達(川上)から販売(川下)までの全工程にかかわる業者、部門が協力し、
製品が届くまでの流れを効率化する経営手法であり、総合商社がもつ総合力を十分に発揮で
きる手法といえよう。
以上で述べたように、1950 年代までは、取引代行を主な業務としていたが、1960 年代
以降、次第に従来の商取引に機能を加えることで、取引仲介を中心に行うようになり、近年
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2014 年度専門セミナー「国際経営」
A 班 発表資料
では、情報、資源、カネなどを戦略的に扱うソリューションプロバイダーとしての役割をも
担っている。困難な状況にあっても、その中から商機を見つけ、柔軟に機能を付加すること
でそれらに対応してきたことが、総合商社がこれまで成功し続けることができたひとつの大
きな要因であるといえる。
(参考文献)
早稲田大学商学学術院、三菱商事(2011)「現代総合商社論」, 早稲田大学出版部
村井美恵ほか(2010)「図解入門業界研究 最新総合商社の動向とカラクリがよーくわかる本」, 秀
和システム
坂本恒夫(2010)「日本総合商社の特質―英国多国籍企業と比較して―」
,立命館経営学」第 48 巻 第 5 号,2010 年 1 月
浅野展正(2014)「総合商社の存在意義についての考察」,商大ビジネスレビュー第 3 巻第 2 号
日経ビジネス ONLINE スペシャル
http://special.nikkeibp.co.jp/as/mitsuibussan/epilogue/(2014 年 7 月アクセス)
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2014 年度専門セミナー「国際経営」
第5章
A 班 発表資料
三井物産への聞き取り調査のまとめ
井ノ口太一・川合健太
私たちは、文献等では把握することが難しい、総合商社に関する一次情報を入手するため
に、三井物産関西支社食糧事業部の F 様にご協力頂き、聞き取り調査を実施した、調査の際
に、主に以下の4つの質問にご回答頂いた。本章では、各質問に対する F 様のご回答を掲載
させて頂くこととする。
[質問項目]
(1)貴社は日本の企業の中でもいち早くビジネスのフィールドを世界に広げられ、現在では
世界中のあらゆる国と地域でビジネスを展開しておられます。日本とは言語や文化も大きく
異なる国々も多いですが、多様な国々に人材を派遣することを可能にしている貴社独自のシ
ステムがあるのでしたら、その概要をお教え願えますか。
(2)貴社には多くの営業本部がございますが、各本部とも各事業領域について非常に深い 専
門知識をお持ちであると存じます。F 様は食料部にお勤めされる中でどのような調査・研究
を行われましたか。
(3)これほど多くの国と地域においてビジネスを行うに当たって、全社的なリスクの管理は
非常に難しくなると存じます。貴社独自あるいは総合商社に共通のリスク管理手法が存在す
るのでしょうか。
(4)貴社は世界中に広がる情報・流通のネットワーク、蓄積されたノウハウ等を活かし、日 本
産業の牽引役としての役割を果たしておられると考えております。F 様が手掛けられたお仕
事の中で、顧客となった企業が抱えていた課題やそれをどのように解決されたのかお教え願
えますか。
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2014 年度専門セミナー「国際経営」
A 班 発表資料
[ご回答]
(1)総合商社は川上から川下まで、産業界全体を俯瞰できる立場にいるため、それを生かして
顧客が抱える問題を解決するという役割をもつ。それゆえ、総合商社は”Solution provider”
と呼ぶことができる。
(2)入社時点では特別求められないが、入社後に語学力やビジネススキルを習得することが望
まれる。自分で勉強しないと仕事が与えられないので勉強せざるをえない。会社として社員
の語学習得をサポートする制度として人事部による語学研修プログラムがある。これは勤務
3 年目から 8 年目の希望者を対象に、英語圏以外の国で、英語以外の言語(ポルトガル語、ベ
トナム語、中国語など)の習得を目指すものである。1 年目は語学を集中的に学び、2 年目に
実際に仕事で使うレベルにまでもっていく。勉強するだけではなく、時間を見つけて旅行、
ホームステイなどにより現地の文化、モノの考え方の吸収をも目指す。上記以外にも営業本
部による研修員プログラムなるものもあり、会社としての語学習得を助ける制度が整ってい
ることがわかる。ただ、言語はあくまでツールであるから、会社としては言語能力よりもそ
の人自身の能力に期待しているそうである。
(3)リスク管理を専門に扱う部署があり、大まかな division で管理している。例えば、アジア
→日本、ヨーロッパ→ロンドンなど。中でも営業マンからの生の情報は大変重要で、しばし
ば営業マンとともに現地に行き、リスク管理するうえでの情報を得ることもある。もともと
商社の仕事は大量の商品を買い、それを別のところに売る仕事であるから、売上高は高くな
るものの1つ1つの利幅は少ない。それゆえ、リスク管理がすべてともいえる。
(4)配属された部署でその分野の知識の習得に努める。クレームなどに的確に対応するために
も、プロになる必要はないがプロと対等に話せるようになるレベルにまでその分野の法律な
ども含んだ知識を持つ必要がある。なにより、知識不足によりビジネスチャンスを逃すこと
があってはもったいない。さらに、会社内でその分野の担当が自分しかおらず、自分の意見
がそのまま会社の意見となることもある。以上のようなプレッシャーを日々感じて、商社マ
ンは知識の習得に努めるのである。
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2014 年度専門セミナー「国際経営」
A 班 発表資料
上記の質問以外にご回答頂いた項目に関して、以下に掲載する。
Ⅰ.他部署とのかかわり
顧客が近い部署なら連携することもあり、他部署との交流のなかで自分の部署に応用できる
考え方を得る。これができるのは幅広く様々な総合商社ならではといえる。具体的に言えば、
コーヒー部門であれば、砂糖とミルクの部署など関連性が高いビジネスであればかかわる場
合もあるということで、いわゆる飲み二ケーションを図るために他部署の人と飲みに行く、
社内で開催されるアクティブトークウェンズデーという交流会などで情報交換をすることも
あるそうだ。
Ⅱ.進出先を決める基準
情報分析機関のレポートを参考に、産出量や世界でのシェアなどを検討して進出国を決めて
いるということだった。
Ⅲ.一日のスケジュール
日によって異なるが、毎日 3 つか 4 つの仕事を同時進行していかなくてはならない。
Ⅳ.海外赴任の苦労
とにかく言葉、考え方の違いと、日本人はまじめで、期限を守りクオリティを求めるが、海
外だとそううまくいかないことがある。
V. 日本の本社と赴任先の支社との違い
日本の企業の特徴は、期限に厳しい、クオリティーが高い、社員が真面目、ヒエラルキーが
ないなどがあげられる。海外では日本のように資料を作って説明するのではなく、口頭で説
明を終わらせる場合が多く、苦労することもある。
※本調査の実施にあたり、ご協力いただきました三井物産大阪支社食品事業部の F 様に心よ
り感謝を申し上げます。なお、内容は筆者の責任において書かれたものであり、誤りがある
場合には内容は全て筆者が負うものである。
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第6章
結
論
末宗 隆志
本稿では以上で述べた研究内容を踏まえ、本研究の結論を述べる。
本研究の目的は
・日本に特化した業態
・日本を代表する多国籍企業
といった一見相反するように思われる二つの特徴を持ち合わせる総合商社の特殊性を追究し、そ
の多国籍化の背景を明らかにすることにあった。
総合商社が日本独自の業態と化した背景について、まずその発祥の起源が一つ挙げられる。
戦前、国力増強のために日本企業には海外との取引が求められた。しかし、当時の多くの日本企
業は製品開発、製造などに注力し、海外でのマーケティング、取り付けの必要が生じても、その
急速な時代の変化に適応する能力を有さなかった。その結果、取引相手国が貿易を牛耳ることと
なり、日本経済にとって大きな不利益をもたらしていた。そのような時代背景の中で、政府から
の要請を受け、海外と日本の仲介のプロフェッショナルとしての役割を期待されて生じたのが総
合商社の起源である。
源流から日本の国益増加を目標とした総合商社はその後も日本企業の問題点を補強する形で業
務内容を拡大していった。ここで注目に値するのは、顧客を日本企業に限定した上で、業務内容
を非限定的に拡大していったという点である。その結果、総合商社は日本企業への顧客適合性を
高めるように成長を遂げ、日本産業全体に対する”Solution Provider”へと成長した。
現在においても、商社の掲げるミッションは日本の国益をイメージしたものであるといえる。
資源分野(エネルギー、鉄鋼等)においては、資源産出の少ない日本への資源安定供給化、非資
源分野においては、日本の産業界全体を俯瞰できる立場から収益性の悪い日本のサービス業の効
率化を図っている。
以上から結論付けられることとして、日本企業を顧客の中心とし、日本独自の業態と化したこ
とと国際的に展開していることは決して矛盾をはらむものではない。日本企業の国際展開能力が
未熟な段階から日本企業に欠けるそうした能力を補完する形で発達し、日本の国際化の牽引役と
しての役割を果たしてきたからこそ、現在の、国際的に幅広くビジネスを展開する総合商社の姿
があるといえる。
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