平成 23 年度社会福祉法人中央共同募金会助成事業 NPO 法人運転免許取得支援センター「被災地の福祉作業所を 利用する生涯のある人の生活支援活動」委員会 平成 23 年度社会福祉法人共同募金会助成事業 「被災地の福祉作業所を利用する障害のある人の生活支援活動」 宮城県福祉作業所・共同作業所の被災後の 復興活動実態調査報告書 平成 24 年 9 月 30 日 特定非営利活動法人運転免許取得支援センター「被災地の福祉作業所を利用す る障害のある人の生活支援活動」委員会 -1- 平成 23 年度社会福祉法人中央共同募金会助成事業 NPO 法人運転免許取得支援センター「被災地の福祉作業所を 利用する生涯のある人の生活支援活動」委員会 頁 表紙 1 目次 2 1.社会福祉法人栗原秀峰会「かんなりの丘」(総称) 3 1-1. 法人事務局 1-2. 知的障碍者通所授産所 パン工房いそっぷ 2.社会福祉法人石巻祥心会 6 2-1. 法人本部事務局 2-2. サンセットなごみ 2-3. かなん 8 3.社会福祉法人みんなの輪 10 3-1. わ・は・わ宮城野 4. 特定非営利活動法人きらら女川 4-1. きらら女川 13 5. 社会福祉法人洗心会 17 5-1 のぞみ福祉作業所 1.社会福祉法人栗原秀峰会 1-1. 法人事務局 a)法人設立の背景 ①設立当時の宮城県知事であった浅野史郎は1993年に厚生省生活衛生局企画課課長 から宮城県知事に就任し、官僚時代から、知的障害者を施設ではなく地域で受け入れてい くという「施設解体」に取り組んでおり、1996年には知事の知人であった人物を宮城県福 祉事業団の副理事長に据えて、平成14年11月23日、船形コロニーを2010年までに解体し、 入所者全員を地域生活に移行させるという、「施設解体みやぎ宣言」を発している。 ②解体の対象となっていた舟形コロニーを支援する入所者と親が支援する団体「船 形コロニー育成会」の会長が理事となっていた栗原市に社会福祉法人「プロメッサ」を平 成10年11月に設立し、運営理念に「障害児者の尊厳を尊重し、質の高い生活・活動を提供 し「自立」を目標として支援します」を掲げて平成13年 4 月 1 日から事業を開始してい る。 b)発達障害者への先端的取り組み ①セミナー活動 栗原秀峰会の職員は精神科医(児童精神科医)の指導の下、発達障害児者の日常生活、 昼間の作業からレジャー活動まで彼らの尊厳を重視しながら彼らの自立を目的に指導する -2- 平成 23 年度社会福祉法人中央共同募金会助成事業 NPO 法人運転免許取得支援センター「被災地の福祉作業所を 利用する生涯のある人の生活支援活動」委員会 中で科学的にその支援法を研究している。そこから得られた支援法の蓄積を地域に普及さ せるためにセミナーを開催している。例えば、平成18年10月13日(金)、14日(土)には 「第 1 回 自閉症と関わる方が学びあうセミナー 自閉症の方が豊かに生活していくため には ~みんなでチカラをつけよう~」を宮城県大崎合同庁舎で主催している。そこでの 講師と共に栗原秀峰会の主任である和泉氏は「事例発表2 成人施設での支援について」 を報告している。震災のあった2011年10月には「自閉症支援連続講座2011」をAASEM(宮 城ASD支援者を育成・研修する会 ) 主催で栗原秀峰会が共催している。 c)スウェーデンの方式を取り入れた生活空間 同じ敷地内には知的障害児施設「ステップ」(定員10名)と知的障害者更生施設 「ほっとさわべ」(定員30名)の居住する建物がある。知的障害者更生施設の 1 棟を見学 したが、基本は入居者 7 名に 1 名の指導員が付き寝食を共にしている。ただし、居住スペ ースの配置はスウェーデンをモデルにしており、居室は全て個室からなっている。 この建物は株式会社東北設計計画研究所が結成し平成14年 4 月24日に宮城県保健福祉部 夢プラン推進室が主催する委員会から選考理由「知的障害者が利用する施設として,安全 に利用できるように利用者の特性をよく考慮し,設計されているとともに,公益的施設の バリアフリー化も同時に追求し,今後の知的障害者の施設のバリアフリー化を促進するた めの参考となり,評価できる。」で第 3 回だれもが住みよい福祉のまちづくり賞を受賞し ている。 d)震災による被災状況 ①地震災害の歴史 今回の大震災以前には2005年 8 月16日(火)午前11時46分ごろに宮城県沖でマグ ニチュード 7.2 の地震が発生し、当該施設がある金成地区の震度は 5 弱であった。この地 震による人的被害は軽傷者 2 名だけであった。 その後、2008年 6 月14日(土)午前 8 時43分ころに岩手県内陸南部でマグニチュード 7.2 の地震が発生し、金成地区の震度は 6 弱であった。この地震による人的被害は死亡者 13人、行方不明は 4 人、負傷棟が 180 名の合計で 197 人であった。こらの震災の体験から も毎年 1 回の避難訓練は欠かしていない。 ②今回の震災 2011年 3 月11日(金)午後 2 時46分ころ三陸沖で発生した地震はマグニチュード 9.0 であったが、金成地区の震度は 6 弱で2008年と同程度の震度であった。 この後、 4 月 7 日(木)午後11時32分ころに起きた地震は震源地が宮城県沖でマグニチ ュード 7.1 で金成地区の震度は 6 強で最大の震度を体験していた。これらの地震による人 的被害は、重傷者 6 人、軽傷者 544 人で住宅の被災は全壊が55棟、大規模半壊が27棟、半 壊が 317 棟、一部損壊が 4,571 棟、床下浸水が 3 棟という状況であった。(栗原市ホーム ページから) 当該施設も 3 月11日の地震により建物の被害、石垣が崩れる棟の被害が多数出た。しか し、その後の 4 月 7 日の地震による被害は大きく、法人事務局がある建物の支柱パイプが 折れ曲がる、スプリンクラーの配管が破損して事務所内と居室等が水浸しになるという甚 大な被害を被る。このため、居室が使用できないため中庭にテントを張る。 e)発達障害者の状況 -3- 平成 23 年度社会福祉法人中央共同募金会助成事業 NPO 法人運転免許取得支援センター「被災地の福祉作業所を 利用する生涯のある人の生活支援活動」委員会 毎年 1 回の避難訓練を実施してきたが、入所者らは真剣に取り組む様子はほとんど なかったが、 3 月11日と 4 月 7 日の地震時の避難は混乱は少なく、発達障害者は個別にテ ントで過ごせたため、夜間暗い中でテント内で過ごしたが騒ぐものは出なかった。これら の対策は日常的に本間先生を中心に進めてきた発達障害者の支援研究の積み重ねが生きて いたと考えられた。 f)他施設からの応援 3 月と 4 月に地震による被災により食料等の確保が大きな課題であったが、備蓄で 過ごした後、行政、近隣の他福祉施設と業者からの支援が多くあり、救援物資の余剰を他 施設と沿岸地域に配布している。 日頃、セミナーなどを通して、発達障害者の支援方法等について研究成果を他の福祉施 設職員との接触があったことが災害時の支援を円滑に得られたものと考えられる。 g)生活グループ毎の外出 地域に分散している作業所へは 1 台のマイクロバスを利用して通所している。それ 以外の目的で外出するときにはケアユニット毎(各 7 名単位)に12~13台あるワゴン車を 利用している。 h)仙台からの急行バスの利用 東日本急行 ( 株 ) が仙台駅西口のバスプールから東北自動車道を走行し、築舘イン ターを降りて栗原市役所前から栗原市金成庁舎前までを片道 1 時間30分で 1 日に往復20便 の高速バスを運行している。しかし、この高速バスを利用している乗客が少ないことを理 事長が目撃し、入所者が栗原市金成庁舎前まで 1 区間乗車出来るようにバス停を増設する ようバス会社に交渉しバス停「梨崎」を増設させ、現在は20名がゴミ袋製造作業の現場へ の通勤に利用している。 1-2. 知的障碍者通所授産所 パン工房いそっぷ a)防災用品としての缶入りパンの由来 社会福祉法人江差福祉会のホームページによると「平成 11年江差町内障害者の生 きがい作業とし通所作業所をスタートする。平成13年、当法人念願の新製品開発「南西沖 地震」の教訓による、災害時手軽に食べられ長期保存できるパンに、総合施設長を先頭に 着手する。平成15年、試行錯誤の末、5年間保存でき従来のパンには考えられない柔らか な、おいしい缶入りパンが開発される。平成18年春、製造法特許出願を行い、平成21年12 月特許取得 ( 特許 4430039 号 ) し平成22年春、出荷数 600 万缶突破のヒット商品とな る。」 栗原秀峰会は江差福祉会が開発した製法特許と巻締機械 1 台を導入して平成18年 8 月 1 日にパン工房いそっぷの事業開始している。場所は本部事務局から南西方向に車で30分離 れた一迫地区にある。 b)パン工房いそっぷの被災状況 建物はひび割れは見られたが大きな被害はなかった。被災して 1 ヶ月後の 5 月連休 明けには事業を再開した。 c)通所の状況 自宅からの通所は徒歩で可能な半径3Km以内にあるので問題はなかった。 d)震災時の材料の調達 -4- 平成 23 年度社会福祉法人中央共同募金会助成事業 NPO 法人運転免許取得支援センター「被災地の福祉作業所を 利用する生涯のある人の生活支援活動」委員会 パンの材料は職員が手分けして小売店からかき集めた。被災後は地元の小企業から 購入している。 e)製品の取引状況 被災後、災害備蓄用パンの製造は増加したが、通常のパンの売り上げは震災前と同 じ水準である。 -5- 平成 23 年度社会福祉法人中央共同募金会助成事業 NPO 法人運転免許取得支援センター「被災地の福祉作業所を 利用する生涯のある人の生活支援活動」委員会 2.社会福祉法人石巻祥心会 2-1. 法人本部事務局 a)被災の状況 法人本部とひたかみ園は地震の後襲来した津波の被災地区内にありながら、津波 は施設の海側にあった北上運河の土手で行く手を阻まれたため、施設への津波による被害 はなかった。しかし、地震発生後ひたかみ園利用者は公用車でサンセットなごみまで避難 した。避難先のサンセットなごみは津波からの被災を免れていた。 3 月11日の次の日、12日には石巻市役所から救援物資が届いている。また津波で被災 した建物で救援では、ヘリコプターが救援に当たり、救援された人はひたかみ園まえの広 場に運ばれ、法人事務局の会議室等は地域住民らの避難所として解放している。避難所は 4 月20日で活動を終了している。 b)ケア付き避難所 日本財団ROADプロジェクトの支援によりケア付仮設住宅をサンセットなごみ付 近に建設し、 6 月20日に完成し、 6 月24日に開所式が行われた。仮設住宅は 7 棟で、障害 を持った方とその家族が入居できる世帯用が40戸で単身の障害者向けのグループホーム 2 棟、14戸が建設された。 b)法人方針 石巻祥心会の現理事長は、「サンセットなごみ」の施設長など現場をよく知り、約 20 年前、助成金・補助金などが主体だった福祉作業所で、地場でいち早く企業との製 品づくりのコラボレーションを行った。そのノウハウや方針が今回の震災後の施設の自主 生産品販売の建て直しに大きく影響している。 2-2. サンセットなごみ a)被災の状況 厨房の機械、壁の破損と亀裂が入り、アスファルトの一部が地盤沈下したが、48名 の利用者と19名の職員(産休 2 名)は無事であった。津波による浸水被害はなかったが、 施設から南方角にある田畑の約 500 m付近まで津波の被害があったと国土地理院の被災地 図から判断される。 ただし、 3 月11日より 4 月 7 日夜11時に起きた余震の方が激しかった。 b)震災の避難場所 施設付近から避難してきた住民は50名おり、サンセットなごみの職員19名と近所に 展開している第二なごみ園とコスモスのスタッフが避難住民に対応した。提供した食事は 1 回で最大 310 食に達し、食事の提供は 250 食を 7 日間提供した。ただし、食材のストッ クが無かったが、給食の食材をやり繰りして 3 日間は過ごした。その後食材が届くように なった。 職員にとって、一般市民への対応では、普段とは違った役割を分担しそれなりに勉強に なった。また、施設利用者の保護者( 4-5 名)も手伝っている。 施設利用者で自宅から徒歩で来ることができた利用者の中に食事等の準備を手伝ってい る。 -6- 平成 23 年度社会福祉法人中央共同募金会助成事業 NPO 法人運転免許取得支援センター「被災地の福祉作業所を 利用する生涯のある人の生活支援活動」委員会 c)利用者の安否確認 被災時、利用者は家族に返したが、 1 名だけは施設に残る。 d)利用者の精神的影響 利用者への影響は各自違っていたが、自閉症者に影響し、 2 名が現時点でおむつを 付けた状態である。 知的障害の、ある利用者は自宅が津波により破壊してしまっており、震災前はバスで自 宅から通っていたが、この事実をしきりに知りたがり、職員が時期を見て、職員が付き添 って破壊された自宅を見に行った。その後本人は、自宅を見たいとの訴えは無くなってい る。 e)震災による移動環境への影響 ①自宅から街に出て自由な買い物が出来ていたが、震災後は道路環境、販売店(例 えば、ゲームソフト)の被災により不可能な状況下にある。 ②道路、特に鉄道が被災したため通所に影響が出た。現在、石巻周辺に施設のバス (なごみバス)を運行してサンセットなごみに集結するルート(約 1 時間)とそこから各 事業所へバスでの送迎を実施している。ただし、サンセットなごみまで数名は自転車、2 名が徒歩で通所している。現在10名が施設から 500 m程度の所に設置したケア付き仮設住 宅「日本財団ホーム 小国の郷」とアパートから通所している。 ③震災でガソリンの入手が困難になったため、公用車(大型 1 台、ハイエース 1 台)はガソリンが半分になると給油する習慣が定着している。 ④運転手には、ラジオからのニュースを常時聞くように指導し、携帯電話を車両に 装備している。また、非常用の食料と水を載せている。 f)作業への影響 ①老人ホームの清掃作業:前理事長が高齢者とのつながりを求めて開始した事業 ②焼き肉店の「網」の清掃作業:被災後停止している。 ③コラーゲン入り黒酢の製造と販売:国の障害者福祉における重点政策の一つに 「工賃倍増計画」があり、この政策を県内で実施するために宮城県は各作業所を支援する 目的で特定非営利活動法人みやぎセルプ協働受注センターを支援している。このセンター の事業の一つで、施設製品の品質向上や販売の方法等、商品開発も視野に入れたアドバイ スを行う「アドバイザー派遣」を行っている。サンセットなごみでの黒酢製造には企業に よるコンサルタントを受けている。 受注生産で 2,000 本/月であるが、県からの 100 %補助により工場を増設して 5,000 本 の水準を計画している。 ④工賃の水準 平均は 12,000 円で、最高は 20,000 円出している。目標の平均工賃は 15,000 円 老人ホームの工賃は 1,600 円/日である。 g)職員の勤務 作業の指導体制は出来るだけ変えないでいる。そして適正のある職員を優先して配 置している。今年の 3 月に人事交流を予定しているが、各職員には現在の仕事に関するレ ポートの提出が予定されている。 h)その他 -7- 平成 23 年度社会福祉法人中央共同募金会助成事業 NPO 法人運転免許取得支援センター「被災地の福祉作業所を 利用する生涯のある人の生活支援活動」委員会 ①利用者の薬の把握はしていた。 ②家族会は無いが、年 1 回の契約更改時に保護者が集まるので相談する機会を設定 している。 ③地域との交流は積極的に行っている。例えば講演会の開催。 ④作業場が狭い ⑤利用者の高齢化による作業の適正化が課題である。 2-3. かなん a)施設の概況 ①通所者は30名であるが、法的定員は20名で10名オーバーとなっている。 ②職員は 8 名(管理者 1 名、指導員 5 名、パートタイム 2 名) ③特別支援校の新規卒業生が27から28名いる。そのほとんどが地元を離れたがら ないので当法人が卒後の行き場となっている。 ④平成23年度には 6 名入所している。 ⑤利用者の平均年齢は25歳(女子は平均20代で支援校の卒業生、男子は年齢が40 代/50代が多い。) b)被災状況 ① 3 月11日は打ち上げに全員で東松島でカラオケ大会に参加していた。ラジオで 津波の来襲を知り、10名はかなん方面に、20名はサンネットなごみに自動車で戻った。 ②職員 1 名が通勤途中で津波に遭い死亡している。 ③作業所内は震災で室内は散乱状態であった。 ④利用者 7-8 名と職員 6 名は 3 日間施設内に泊まった。その後なごみに移った。 ⑤製造していたシュークリーム( 5,000 個)は避難所に配布した。 c)作業種目 ①シュークリーム ②クッキー ③バイオ燃料 バイオ燃料を製造するために、各家庭から出る廃油を収集している。その方法 は、 (1) 浄化槽清掃業者に各家庭から廃油を回収、 (2) 小学校と居酒屋を職員+利用者 2 名で自動車 1 台を使って回収している。 今回の震災により、回収先が1/2に減少してしまった。製品の売り先は、前田道路株 式会社には月/3,000Lの供給を行ない他に高速道路のネクスコ、災害復興支援団体などに 供給をしている。 ④定員20名の所を30名の利用者が居るため工賃は 8,000-9,000円になっている。 d)しいたけ栽培 ① 2 月に福島のグリーンシステムの特許ベストカップルハウスというハウスで中 に空気層をもつ椎茸ハウスは 4 月18日に完成し、菌床を 200 個仕入れて 4 月21日から栽培 を開始した。そして、 5 月11日に卒業生 6 名が加わり本格的に作業が開始された。 ② 1 袋(120-150g )を 126 円で下ろしているが今年からは 200 円に値上げする。 -8- 平成 23 年度社会福祉法人中央共同募金会助成事業 NPO 法人運転免許取得支援センター「被災地の福祉作業所を 利用する生涯のある人の生活支援活動」委員会 ③日本財団様の取り計らいにより東京の社会福祉法人翠生会様と静岡の社会福祉 法人聖家族の園様より移動入浴車の提供を受けて、石巻市千石町の旧北川小児科医院跡地 において「ひたかみの湯」を無料提供していた。この跡地に店舗を建設して椎茸を販売す る計画がある。 ④椎茸ハウスの床は下肢障害者と車いす利用者を考慮してユニバーサルデザイン にするためコンクリートり床にした。このため、床は常時湿潤状態に保つ必要性から地下 水をくみ上げて利用者が床に水を散布している。また、ハウス内で使用している電源をま かなうために太陽光発電を行っている。これらへの資本は法人の自己資本で 1,000 万円か かった。 e)通所の状況 ① 4 月21日から「なごみバス」が運行再開した。 ②被災前は女川地域から 2 名、石巻市内から 5 名が鉄道を利用して佳景山駅から 直線距離約 800m の距離を徒歩で通っていた。しかし、鉄道が津波で被災し使用できなく なったため、サンネットなごみから「なごみバス」によるバス通所に変えざるを得なかっ た。しかし鉄道の一部復旧があったが、バスによる通所は維持されている。 施設所有の「なごみバス」はサンネットなごみのバス停を朝 7 時30分に出て、石巻市 内を運行して再び 8 時30分になごみのバス停に戻るその後10名の利用者を乗せて 9 時にか なんに到着する。帰りは、この逆を運行してなごみバス停に到着し、それぞれの自宅に帰 ることになる。 -9- 平成 23 年度社会福祉法人中央共同募金会助成事業 NPO 法人運転免許取得支援センター「被災地の福祉作業所を 利用する生涯のある人の生活支援活動」委員会 3.社会福祉法人みんなの輪 3-1. わ・は・わ宮城野 a)施設の基本情報 通所者は25名、職員は隣のグループホームの職員とあわせて 6 名。 年齢は20代から60代後半までいる。 b)震災による被害状況 ①染色作業の染料であるマリーゴールドを栽培していた畑は海から車で30分の場 所にあったが津波で被災した。 ②作業所本体の建物は和服販売店を改装したものであるが、震災により室内の壁 に日々が何カ所も入った。しかし、その後の調査では本体構造には影響していないと確認 した。隣の敷地にあるグループホームの土壁が落ちた。 ③仙台市内の利用者( 1 名)とその家族が亡くなった。 ④職員 1 名も亡くなっている。 c)避難行動 ①避難訓練で避難場所としていた 400 m離れた小学校に避難した。避難住民は 100 名以上で、椅子に座って寝る状況を 2 日間過ごした。ただし、帰宅できる人は自宅に 帰っていた。車が必要な人は職員が送った。 グループホームの 5 名とアパートに一人暮らしの10名が避難所に泊まった。 ②作業所の責任者は当日東京に出張していて作業所には居なかった。 13日に戻 り、その後泊まり込んだ。その間家族は親戚と過ごす。 ③作業所は倒壊の恐れがあったが通所者等の障害者が安心できるフリースペース として活用した。また、帰るところがない 5 名の宿泊場所としても活用された。 d)事業の再開 作業所の建物が安全であると確認した後、 4 月 1 日に事業(生協の仕分け作業、お 手玉作り)を再開した。流された畑の近隣にあった農家の畑の復興を毎日20名の通所者と 職員がボランティアで手伝った。10年前に借りていた畑で作業していたときからの付き合 いで、恩返しとして実施した。 震災後は通所者間のチームワークが育ったこと、近所のスーパーで買い物のために並ん だ近所の住民との会話が促進し、地域との結びつきが出来た。 e)4 月 7 日の余震の影響 4 月 7 日夜に起きた余震により、整理し終えた事務所内部など再び散乱してしまっ た。近所ではガス漏れ、水道水漏れがあったが、グループホームは住める状態であった。 施設長は自宅にいたが車で施設に駆けつけた。 後片付けは通所者と一緒に行ったが、 2 度目の散乱に職員の受けた心的ショックは大き かったが、通所者に励まされる場面があった。 4 月 9 日には開所した。 f)通所と公共交通機関の状況 ①通所者は徒歩、自転車、バイクと路線バス(ふれあい乗車証※1)で通所してい る。震災後はガソリン不足のためバス本数が減少した。 - 10 - 平成 23 年度社会福祉法人中央共同募金会助成事業 NPO 法人運転免許取得支援センター「被災地の福祉作業所を 利用する生涯のある人の生活支援活動」委員会 ※1:障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳をお持ちの方は市営バス、宮 城交通バス、地下鉄の市内区間を無料で利用できる乗車証を交付します。 ②地下鉄と路線バスとを乗り継いで通所していた障害者が 1 名いたが、震災でス トップしたため通所できなくなってしまった。その後開通したが、現在も通所 できないでいる。 ③道路の状況は、でこぼこでマンホールが飛び出した。 ④バス営業所が事業所の近くにある。その営業所の事務員には利用者の理解と利用 する時刻とを知らせている。しかし、運転手の障害理解と接遇教育には関与して いない。 ⑤利用者からはバス運転手の扱いが悪いとの苦情が多くある。 g)被災後の障害者の状況 ①アパートで暮らしていた障害者が避難所に半年間過ごした例がある。これは避難 所で食事が無料で出てきたためであった。 ②通所者はボランティアで配食を手伝っていた。 ③ 6 ヶ月間の避難所暮らしで、パニック障害になり、医師が駆けつけた事例もあっ た。 1 回の薬の処方量が制限されたため、通常は 1 ヶ月分出ていた薬が 1 週間にな ④ った。 ⑤余暇の過ごし方として行っていたパチンコ店が津波で閉店したため、行くところ が無くなってしまったが、その状況に適応している。 h)請負作業への影響 ①箱作り作業は、発注元事業所が海沿いにあったため、発注量が減少した。しか し、 9 月頃から元に戻ってきた。 ②香典返しの作業が新たに事業者から持ち込まれた。以前、地元の事業者が作業を 発注して社会貢献しようとしたが、その時は十分な作業量で対応出来なかっ た。 ③生協の分別作業は元に戻っている。 ④午前中に染料のマリーゴールドを栽培していたが、津波による土の塩害と津波へ の安全対策が未解決なので畑の再開は検討中である。ただし、烏骨鶏を飼育し ていた小屋は住宅地では無理がある。 ⑤ 3 月から民生委員の紹介で近くの畑を借りている。 ⑥工賃の UP のために新たな作業を考えている。 i) 工賃 震災前の平均工賃は 10,000 円で最高額は 35,000 円出していたが、現在は平均額が 8,000 円に下がってしまった。 ①自主生産の状況 (1) 手工芸品の染め物の製作が中断しているため、工賃の平均を大幅に下げた。 (2) お手玉は老人の配食サービスで飾り付けに使用されている。 ②被災後、県外の施設で自主生産品を積極適に販売してくれている。 - 11 - 平成 23 年度社会福祉法人中央共同募金会助成事業 NPO 法人運転免許取得支援センター「被災地の福祉作業所を 利用する生涯のある人の生活支援活動」委員会 j) 他施設からの支援 大きい法人施設には早くから支援物資が集まっていたが、小さい法人にはほとんど 届かなかった。しかし、当事業所は日常的に大きい法人との付き合いがあったため、支援 物資のお裾分けが回ってきた。 k)地域とのつながり 積極的に町内会、運動会と掃除とに参加している。 l) 災害の対策 ①事業所では給食を出しているが、食材の備蓄はしていなかった。今後は食料の備 蓄を考えている。 ②救急処置について学習している。 ③防災と避難訓練は年に 1 回実施してきた。 m) 職員の状況 ①職員にも精神的ダメージにより職場に来られない人がいる。 ②法人では職員のメンタルヘルス講習会を開催している。 ③法人全体の職員( 55名)の平均年齢は30代 ④職員の募集に対して、泊まり込みが必要なグループホーム職は応募が少ない。 一方、通所施設職員には応募がある。 ⑤職員の職場配転は 3 年に 1 回が基本である。 ⑥新規就労者は法人で 10名、当事業所では 1 から 2 名である。 - 12 - 平成 23 年度社会福祉法人中央共同募金会助成事業 NPO 法人運転免許取得支援センター「被災地の福祉作業所を 利用する生涯のある人の生活支援活動」委員会 4. 特定非営利活動法人きらら女川 4-1 きらら女川 対象出席者:(元)松原施設長、 JDF 宮城支部 株木(役員)、池田 *株木氏は現在社会福祉法人はらから福祉会役員で以前よりきら ら女川の松原施設長をご存知です *鳥取県より今回の調査のために仙台にお越しいただきました 1. 3 月11日の行動と被災状況 ①きらら女川の設立と新作業所への移転 平成22年10月にきらら女川の設立準備が始まり、平成22年12月 1 日に開所した。 精神障害者が働き自立することへの地元理解はなかなかされなかったが、在宅の精神 障害者 4 名が作業所で働き、前向きに働く姿勢を地元住民が見て、その重要性に気づいて いった。そして20名定員で開始した作業所は11名まで増加し狭くなったので、新しい場所 を探し出し、改修して 3 月11日に引っ越した。また職員は松原氏以外に 3 名(常勤職員 1 名、パート 2 名)であった。 ②震災当日の行動 引っ越しは午前中で済み、午後は作業を休んだ。しかし、施設外就労に午後3 時まで の予定で 2 名の通所者と職員が出ていた。 新作業所の外で松原氏 1 人が後片付けを行ってい他時( 2 時46分)に大きな揺れを体 験した。動転していて作業所の 2 階の窓を閉めたりしたが、戸締まりをしてから以前の作 業所の近所に行ったところ住民から「津波が来るから速く逃げなさい」との警告を受け る。松原氏は鳥取から来たばかりなので地震の後に津波が来ることは思い至らなかった し、前日にも地震があり津波は来なかった。また女川町の広報も「津波襲来警報」を出し ていなかった。 施設外就労に行っていた通所者が避難したかを確認に行ったが、全員働いていた。 そこで、 2 階に就労先の経営者夫妻が居残り、付き添いの職員と共に高台にあった女川町 立病院に避難した。しかし、その後 2 名が来ないので車で迎えに行った。その途中で出会 ったが、病院に戻るルートが車で渋滞していたため、別ルートで避難した。しかし、津波 が迫ってきており車から降りて徒歩で避難した。幸運なことに前日女川町が崖に設置した 梯子で崖を登った。 ③通所者らの被災状況 死亡した利用者は 2 名いた。 ・ 1 名は 3 月11日の引っ越しを午前中に終了した後自宅に戻った。自宅で 2 名の家 族 とともに公民館に避難したがそこが被災して 3 名とも死亡した。 3 週間後に安否 確 認をしたが遺体は発見できていない。 ・施設外就労で出ていた 2 名の内の 1 名(30歳代の男性)で、町立病院に職員と避難 - 13 - 平成 23 年度社会福祉法人中央共同募金会助成事業 NPO 法人運転免許取得支援センター「被災地の福祉作業所を 利用する生涯のある人の生活支援活動」委員会 していたが、町立病院のすぐそばに母親とおばあさんとが自宅におり、本人は 「おっぴー(母親)が心配だ」と言い残して、町立病院を出てしまった。多分、 津波第 1 波で流されてしまったと推定している。母親とおばあさんは自宅跡から 遺体で発見されたが、本人の遺体は発見されていない。この利用者は業務中に死 亡したので、保険会社に掛け合ったが地震災害中であったため補償はされなかっ た。 ④施設外就労先であった夢食研 ( 株 ) の職員には犠牲者は出ていない。きらら女川の職 員の家と家族も無事であった。 ⑤現在もきらら女川に通っていた利用者3名が通う施設が見つからない。定員などの理由 で受け入れ施設がなく、また働く場所もない状態が続いている。 2.就労先であった夢食研 ( 株 ) の歴史 ①夢食研 ( 株 ) を立ち上げた阿部氏の経歴 阿部は学校を卒業するとパン屋になるため、県内のパン屋で製造技術を学び、女川町 で母親と2人でパン屋を始めた。パン屋を始めたものの、「まだ技術が完全ではない」と して、パン粉のメーカーの支援で4年間、アメリカやカナダでパンの製造技術を学んだ。 学校給食が始まり、設備を導入して女川町や周辺の市町村の学校給食のパンを受注した。 しかし、給食米飯の日が入り、給食を中心とした経営が難しくなった。「パンより日持ち がする」と、平成 17 年にかりんとうの製造に乗り出した。 パンの酵母菌研究で開発した食品保存酵母を使い、かりんとうの製造に乗り出す。従来 のかりんとうは、油で揚げてから砂糖をまぶすための専用の機械が必要だったが、パンの 酵母菌研究の中から開発した食品保存酵母「夢21」を使い、砂糖をまぶさない「素材を大 事にする」かりんとうを開発した。しかも低温で揚げても油を吸わない。これまでのかり んとうのイメージとは異なり、せんべいやクッキーのような感覚のかりんとうで、小麦粉 とおからをベースに、魚や野菜、果物など地元の特産品を混ぜたものだ。「クッキーかり んとう」と呼ぶ人もいるという。 阿部はパンの製法をかりんとうづくりにも生かし、「お客さんが喜んでくれるかりんと うづくり」を心掛け、特産品が入ったかりんとうを次々と製造している。カニやウニなど の魚介類、ブロッコリーやレンコン、生姜、長芋などの野菜、スイカ、柿、梅などの果物 やみそなど、その数は100種類にも及ぶ。現在の工場が、ドジョウで有名な安来市に近 いことから、ドジョウ入りのかりんとうも開発、発売している。 阿部は、かりんとうの製造を手掛ける一方で、数十年前から障害者の自立支援や障害者 施設の支援などにも取り組んでいる。工場で障害者を雇用すると同時に、全国の障害者施 設にかりんとうの生地や製品を卸している。障害者施設では、阿部の工場から生地や製品 の提供を受け、かりんとうの製造や販売を行い、障害者の自立支援に役立てている。生地 や製品を卸している障害者施設の数は、全国 40 ヵ所を超える。 「障害者の自立を支援するには、精神的なフォローが必要」として、平成 22 年にはN PO法人「きらら女川」を立ち上げた。鳥取県伯耆町で障害者施設の運営にかかわってい た松原千晶の協力を得て開設したもので、その施設が軌道に乗った矢先の3月 11 日、東 北地方を襲った大震災で阿部の自宅と工場は津波ですべて流出してしまった。 - 14 - 平成 23 年度社会福祉法人中央共同募金会助成事業 NPO 法人運転免許取得支援センター「被災地の福祉作業所を 利用する生涯のある人の生活支援活動」委員会 3.鳥取県での活動 ①被災現場 震災から2週間後、自宅と工場の状況を確認するため被災現場を訪れた。自宅も工場 も跡形もなくなっている状況にがれきから顔を出していたパンやかりんとうの粉を練るの に使っていた3台のミキサーだった。阿部は機械業者を呼んで、機械の状況を点検しても らった。一通り点検した後、機械業者はこう言った。「何とかなります」。その言葉に、 阿部は我に返った。「この機械があれば、工場を再開して施設にかりんとうの生地を送る ことができる。負けてはいられない」。しかし、復興が進んでいない女川町での再開は不 可能だった。 ②鳥取県で再興 阿部に決意させたのは、一緒に避難をしていた松原は広島県の施設が 4 月に開設するこ とを思い出し、かりんとうの材料を供給しなくてはならないと決意し「鳥取でしたら、い くらでも工場をつくれる場所がありますよ」。この言葉で、阿部は故郷を離れ、新たな土 地で工場を再開することを決めた。 震災から1ヵ月も経たない4月4日には、松原の出身地である鳥取県伯耆町に出向き、 松原と一緒に工場に活用できる物件探しに奔走した。JAの空き店舗を借りることがで き、6月初めには残ったミキサーのうちの2台をオーバーホールして修理をし、伯耆町の 工場に運びこみ、かりんとう工場の再開にこぎつけた。地元で従業員 10 名と障害者 15 名を作業員として迎え、「夢工房21」を立ち上げた。松原も所長として、阿部を支えてい る。 阿部は平成7年に、「ゆめ21」という独自の食品保存酵母を開発している。この酵 素は、パンの酵母菌研究の中から生まれたもので、9年かけて開発し、特許も取得してい る。「ゆめ21」を使うことで、これまでとは異なるサクサクした食感のかりんとう製造を 行っている。この酵素を使うことで、冷凍食品の品質低下を抑えることができる。「2年 以上冷凍した魚でも、解凍して刺身として食べられ、焼いても柔らかく、味が落ちない」 という。阿部は「ゆめ21」を使い、 23 年4月から宮城県産わかめの冷凍加工の生産体制 に入る予定だったが、震災で実現できなかった。伯耆町の工場ではサンマやアジ、イワ シ、わかめなどの魚介類や牛タンなどの冷凍加工食品製造にも乗り出すため、工場を増設 して製造の準備に入っている。女川町で開設する工場でも、魚介類や牛タンなどの冷凍加 工品の製造を行う計画だ。 4.女川での復興活動 ①鳥取県での活動 鳥取県西伯郡伯耆町に。 4 月上旬に借りた建物を改装して新工房「ゆめ工房21」を 開設した。6月1日に工場と就労継続支援B型事業所「ひかり」作業所「ひかり」を職員 数 5 名で知的障がい者( 4 名)、身体障がい者( 3 名)、精神障がい者( 5 名)の利用者 とともに食品酵素「夢21」を使用した「おからかりんとう」製造作業を開始している。 ②女川町の動きにのれず - 15 - 平成 23 年度社会福祉法人中央共同募金会助成事業 NPO 法人運転免許取得支援センター「被災地の福祉作業所を 利用する生涯のある人の生活支援活動」委員会 女川で再興するために 1 ヶ月に 1 回程度女川町に来ていたが、 1 年が経過してしまっ た。 精神的なショックが大きく立ち上げが困難であったが、 8 月ごろその気になった。 津波により女川町立病院の 1 階部分は被災している。その 1 階部分にあった地域活動支 援センター(うみねこ園)も被災したが女川町は 4 月13日から町立病院と同じ高台にあっ た地域福祉センターの復旧工事に取り掛かり、 7 月 1 日に地域福祉センター2 階において 地域活動支援センター(うみねこ園)機能の応急運用開始された。この復旧事業にきらら 女川も参加する計画があったが参加できなかった。 ③利用者の処遇 通所者は在宅のままであったが、 2 名は石巻の施設に通所、 1 名はがれき処理の手伝 い、 1 名は危険な魚の水揚げ作業についている。 ④立ち上げに対する行政の姿勢 きらら女川がなかなか立ちあがらなかったので、特に行政から批判が出てきた。しか し、立ち上げ時に女川町からの財源的支援は全くなかった。そして女川町の復興計画は未 だ完成しておらず、計画が完成するのに 3 ~ 5 年以上かかると予想される。それを待って からきらら女川を立ち上げるには地元に作業所事態の存在が忘れ去られるのではないかと 危惧していた。 小さなNPO法人では災害時の復興は 1 人の施設長の双肩に重く負担がかかる。 ⑤立ち上げの具体化 女川高校グラウンドに建設を進めていた仮設商店街が 4 月29日(日)完成した。この 商店街は、女川町商工会が30店舗、(独)中小企業基盤整備機構が20店舗をそれぞれ設置 し、被災前に町内各所で営業していた事業者や関係団体が入居した。そのため、それまで 使用していた仮設商店が 4 個分空くことになり事業者に交渉して、女川町にも相談し て、 2 年間は頑張るとの条件で地主とも交渉を開始した。しかし、仮設商店は県道の上に 立っていたので、宮城県庁に相談したところ、 2 年間限定なら許可するとの返事であった が、復興計画を早めるため、道路上の利用許可が却下されてしまった。 しかし、 5 月25日(金)に津波の被害の無かった雛段の上段で鶏小屋のあった土地の売 却の話が出たので 5 月30日(火)に契約する予定である。土地の購入が決まれば、設商店 を土地まで運搬して、設置することになる。 土地の購入と仮設住宅のアクセシブル化工事費(2000万円)は夢食研 ( 株 ) が購入して NPO法人きらら女川に貸す形態になる。 ⑥今後の方針 再建するきらら女川にはかりんとう工場の製造ラインを組み込み、さらに食堂店舗 を併設する計画であるが、資金的には店舗まで届かない。食堂店舗ではかりんとうの販売 と鉄板のお好み焼きを食する場所にして地域コミュニティのたまり場としたい。 かりんとうは東北地方の施設に原料を供給したり、販売店舗への販売など現在供給され ていない市場がある。 ⑦女川の公共交通と通所 利用者の送迎は職員の自家用車で実施する予定である。ただし、被災前の作業所には - 16 - 平成 23 年度社会福祉法人中央共同募金会助成事業 NPO 法人運転免許取得支援センター「被災地の福祉作業所を 利用する生涯のある人の生活支援活動」委員会 女川駅から町民バス「シーパル号」を利用していた利用者が 1 名いた。路線バスは撤退し てしまい、町民バスは本数が少ないため利用できない。 - 17 - 平成 23 年度社会福祉法人中央共同募金会助成事業 NPO 法人運転免許取得支援センター「被災地の福祉作業所を 利用する生涯のある人の生活支援活動」委員会 5.社会福祉法人洗心会 5-1 のぞみ福祉作業所 1.のぞみ福祉作業所の沿革 資料1)「沿革」参照 ・平成22年 4 月に経営が社会福祉法人洗心会に移管されたとき、畠山所長と森主 任は気仙沼から転勤してきた。自宅は気仙沼で現在も自動車で通勤している。 ・震災直後から気仙沼から片道 2 時間かけて各避難所にいる利用者の安否確認のた め 1 日に 1 件~ 2 件程度回った。 2.被災状況 資料1)「のぞみ福祉作業所被災状況」参照 ・ 3 月11日に 2 名の利用者が亡くなっているが、当日の津波情報は6mであった ので、高台にあるのぞみ福祉作業所内に居れば安全であるとの判断であった。 ・今回の津波規模( 10m 以上)が当時聞かされていれば、より高台で隣接する宮 城県立志津川高校に避難していれば全員無事であったと考えている。 ・避難した志津川高校では、特別に教室1つを割り当てられ、ストーブも優先的に 割り当てられた。 ・特養老人ホーム職員の調理師、看護師等がよく面倒をみてくれた。 ・のぞみ福祉作業所が親の会、住民と社会福祉協議会とて立ち上げてきた経緯か ら、 非難した利用者への処遇はよかった。 ・利用者はパニックにならなかった。 ・利用者の多くの自宅が全壊し、避難所に避難した。 1 名は最後まで避難所にい た。 その理由は、近所の人たちと一緒で処遇も良く、恵まれていた。 ・津波で全壊となった地域活動支援センター「風の里」を利用していた 2 名が 6 月 1 日からのぞみ福祉作業所の利用者となった。 3.再開への足取り 資料1)「被災後の活動状況」参照 ・仮設トイレが利用できなかった。このため全国の仮設トイレ業者に電話をかけて 調査したが利用できるものは無かった。 ・臨時の催事で利用している仮設トイレでは汚物タンク容量が 1 ヶ月以上利用でき るものがない。 ・利用者の自宅で災害にあわなかった庭にプレハブで作業所を仮設したときは、利 用者宅の外に設置されたトイレを祖父が利用できるように洋式便器にしてあり、 トイレには手すりは無いが面積が広かったため利用できた。そして、浄化槽が 1 年分入る容量であったため、これを利用した。 ・障害者が避難所を利用できない大きな理由の1つがトイレ問題と考えている。 ・JFDが窓口となって、 1 人平均10日間のボランティア活動があったので、 大変助かった。 - 18 - 平成 23 年度社会福祉法人中央共同募金会助成事業 NPO 法人運転免許取得支援センター「被災地の福祉作業所を 利用する生涯のある人の生活支援活動」委員会 ・特に滋賀県からは紙漉の仕事を持ってきてくれた。 ①利用者への外出支援の状況 ・職員の自宅が南三陸町から遠方( 2 名は地元)であるため、土日祭日に外出支援を したいが、休みに活動が出来ない状況である。 ・作業所の日中活動のついでに買い物などで外出させている。 ・ボランティアによる福祉有償運送による外出支援を「CILたすけっと」にお願い している。 ②公共交通の利用状況 ・JR線を利用して 1 名が通所していた。 ・自転車を利用して 3 名が通所していた。 ・平成18年 9 月30日で ( 株 ) 宮交登米バスが南三陸町内のバス路線運行を全て廃止し たため、平成18年10月 2 日(月)から町民バスと乗合タクシーの運行を開始した。 ・ 1 日4~6便で土・日・祭日は運行していないため利用は不便であった。 ・現在、破壊された鉄道軌道を利用したBRTによる復興が計画されているが、一 般 道路を50%使用した路線なので定時性が確保できないと考えている。 4.外部からの支援状況 ①JDF(日本障害者フォーラム) ・5月13日に南三陸町仮庁舎において「東日本大震災 南三陸町 障害者の支援体制 打合せ会議」が開催された。南三陸町において多くの障害者支援団体が現地に入って支援 を行っている。地元の関係者にとっては各団体の違いが判らず、「同じ話を何回もしない といけない」「支援がダブって、もったいない」など意見から、各団体の支援のあり方を 調整してほしいとの要望から開催された。 参加者は、南三陸町から行政関係者、福祉事業所、関係する法人、相談事業所などが参 加し、各支援団体においては「JDFみやぎ支援センター」「被災地障害者センターみや ぎ」「難民を助ける会」「障害児、知的障害・発達障害者関係団体災害対策連絡協議会」 など主要団体が参加した。 会議では、支援に関わる問い合わせ等の窓口を一本化していくべきで、併せて地元の行 政が窓口になる方がわかりやすいとの意見が出された。結果、仮庁舎横に併設している 「相談事業所 風の里」のコンテナのなかに固定電話回線を設置、スタッフを常駐させる ことで窓口をつくり支援を一本化していくが確認された。スタッフ派遣については各団体 との連携が作りやすいとの観点から「JDFみやぎ支援センター」から派遣することにな った。 ・この時に参加したメンバーの一部は南三陸町の「(仮称)志津川地区まちづくり協議 会」に参加することになっており、まちづくりに障害当事者の意見を反映できる環境が整 っている。 ・地元企業から作業仕事を得ていたが、災害により全てを失ってしまった。そこにJD Fから育成会支援派遣により、滋賀県の支援員が紙漉の作業を機器と共に持ち込んでくれ た。 ほか、「自立生活センター」などの支援があった。 - 19 - 平成 23 年度社会福祉法人中央共同募金会助成事業 NPO 法人運転免許取得支援センター「被災地の福祉作業所を 利用する生涯のある人の生活支援活動」委員会 5.災害時の行政等による支援体制 6.現状の課題 ①作業種目の開拓 ②南三陸町復興への協力体制 ③利用者の外出手段 以上をもって、現地実態調査報告とする。 - 20 -
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