秋葉区 【秋葉区】 自然・まちなみ ・・・・・・172 歴史・文化財 ・・・・・・178 まつり・イベント・地域伝統芸能・・・190 伝統工芸 ・・・・・・198 食 ・・・・・・198 施設 ・・・・・・199 その他 ・・・・・・201 171 秋葉区 【自然・まちなみ】 秋葉公園(あきはこうえん) 広い園内には、桜の名所である見晴らし公 園や閑静な日本庭園、牡丹園のほか、楽し くスポーツができるトリムコースなどさま ざまなレクリエーションゾーンが点在。秋 葉山頂の展望台から日本海や五頭連峰を望 む景色も素晴らしく、ハイキングにぴった りの公園です。 所在地:新潟市秋葉区秋葉3―7383― 4 犬四手叢林(いぬしでそうりん) 石崎家の紅梅(いしざきけのこうばい) 金津の滝(白玉の滝)の真上、約0.3h 石崎家の玄関脇に幹周り2.4m(直径7 aほどの地に樹齢約100∼200年とい 5cm)、樹齢約250年といわれている紅 われているイヌシデ50数本を主体とした 梅の古木があります。梅は年数を経るにし 林があります。イヌシデは温暖な気候を好 たがって腐りやすくなるため、支えなどを む落葉広葉樹で、新潟県では中越地方以南 ほどこしてやらないと雪や風で幹が折れた と佐渡にみられ、単木として他の樹林と交 り裂けたりして大半が100年足らずで朽 わる場合が多いですが、この林は佐久那殿 ち果てます。 神社(さくなでんじんじゃ)の社叢林とし この紅梅は軒のすぐ下にあるため雨に打た て維持されてきたもので、分布の北限に近 れて幹に若干の腐食部分がみられますが、 く県内でも希少なものであり、ひとたび消 樹勢は旺盛で、毎年うすべに色の美しい花 滅すれば復元はきわめて困難といわれてい をたくさん咲かせます。かつてこの紅梅は ます。 新発田藩主溝口家の家老屋敷にありました 新潟市指定文化財。 が、昭和初期にここに移植されました。 所在地:新潟市秋葉区金津 新潟市指定文化財。(個人蔵) 大沢森林公園(おおさわしんりんこうえん) 所在地:新潟市秋葉区新津本町2 豊かな緑に包まれた森林公園。園内を流れ る小川には吊り橋がかかり、アウトドアの ムードが漂います。かまどなど、炊事設備 も完備されておりバーベキューも楽しめま す。また、高立山や菩提寺山散策ルートの 玄関口としても賑わいを見せています。 172 秋葉区 所在地:新潟市秋葉区天ヶ沢197 のカエデは幹周りが3m(直径95cm) もあり、その大きさに圧倒されます。 新潟市指定文化財。(個人蔵) 所在地:新潟市秋葉区車場1 小須戸の歴史的町並み(こすどのれきして きまちなみ) 信濃川の川湊町としても栄えた在郷町。1 901(明治34)年の大火の後に再建さ れた町並みが、現在もそのままの姿を残し 雁巻緑地信濃川親水緑地公園(がんまきり ています。 ょくちしなのがわしんすいりょくちこうえ ん) 小戸の大裏白樫(こどのおおうらじろがし) 信濃川河川敷に設けられた河川公園。サッ 吉田家の水倉前に巨大な根を露出させ壁の カー、スケボーなどのスポーツのほか芝生 ように根を広げるその姿は、見る人を圧倒 広場、釣り場など遊びが楽しめる総合親水 します。幹周り4m(直径1.3m)、樹齢 ゾーンです。 約400年といわれているこの木は、幹部 所在地:新潟市秋葉区小須戸3793―5 分が空洞になっていますが樹勢は旺盛です。 また枝張りがあまりに大きく、台風による 北潟の大譲葉(きたがたのおおゆずりは) 倒壊を防ぐため上部の枝を剪定しています。 志田家のユズリハは幹周りが2.1m(直 新潟市指定文化財。(個人蔵) 径70cm)もある古木です。全体に枝葉 所在地:新潟市秋葉区小戸上組 がよく繁っているため若々しいものです。 ユズリハの多くは巨木になると幹が空洞に 小戸の大花梨(こどのおおかりん) なるものが多いのですが、樹齢250年以 大島家の前庭にあるカリンは幹周り1.8 上といわれるこのユズリハにはそれが見ら m(直径60cm)、樹齢150年以上とい れません。ユズリハは温暖な地でないと育 われている古木です。ですが樹勢は旺盛で、 たないので、寒い新潟県でこのような大木 今でも毎年5月にうすべに色の美しい花を はめずらしいとされています。 たくさん咲かせ、満開時はたいへん見事で 新潟市指定文化財。(個人蔵) す。カリンの巨木は県内でも数が少なく、 所在地:新潟市秋葉区北潟 確認している中ではこのカリンは県内屈指 の大きさです。 車場の大楓(くるまばのおおかえで) 新潟市指定文化財。(個人蔵) 楓は、古来より松とともに主要な庭木とし 所在地:新潟市秋葉区小戸下組 て親しまれどこの家庭でも植えられていま すが、樹齢350年といわれている布施家 173 秋葉区 子成場柿の古木(こなしばがきのこぼく) 幸清水(さきしみず) 天明・寛政年間(1781∼1800年) 新津は石油地帯のため、昔から飲み水に恵 の頃、子成場柿(別名、孫兵衛(まごべえ) まれませんでした。1807(文化4)年、 柿)が風味のよさでたちまち評判になりま 新津町の庄屋長井久左衛門は水脈を探して した。最初に栽培した人は不明ですが、一 いるうち、秋葉山のふもとで清泉を発見し、 説によると子成場の開拓者である長井孫兵 自費で設備を整えて町民に自由に利用させ 衛が偶然に栽培したといわれており、この ました。さらに、久左衛門は京都の公卿花 柿の木が原木ではないかとみられています。 山院愛徳(くぎょうかざんいんよりのり) この木は全体にやや小振りですが、幹部分 に清水の名と由来文を請い、清水は「幸清 には多くのこぶ状の突起が見られ古木の風 水」と命名されました。清水はその後も尽き 格をにじませています。幹周り1.7m(直 ることなくわき続け、1932(昭和7) 径55cm) 、樹齢は約240年といわれて 年、上水道が完成するまでおよそ130年 いますが、今なお毎年多くの実をつけます。 間、町民の命の泉となりました。当時、こ 新潟市指定文化財。(個人蔵) の清水前には朝夕水汲みの人びとの長い列 所在地:新潟市秋葉区浦興野 ができ、なかには運搬を請け負う人もいて 水桶を天びん棒でかついで行き交う水汲み 木もれ陽の遊歩道(こもれびのゆうほどう) 女衆の姿は新津独特の風物になっていまし 秋葉公園の奥にキャンプ場があります。こ た。水道が敷かれた当初、しばらくは汲ま こを起点とし、石油の里のある金津丘陵に れていましたが、次第に少なくなり、今は 至る緑の散歩道が「木もれ陽の遊歩道」で わずかにわき出る水に往時をしのぶことが す。石油の里公園まで、四季折々の自然を できます。 楽しみながら、森林浴もたっぷり満喫でき 所在地:新潟市秋葉区秋葉1 ます。 所在地:新潟市秋葉区秋葉3−7383− 4ほか 桜清水(さくらしみず) 1278(弘安元)年、鎮守様の再建のと き土取場から清水がわきました。飲み水が 不足していた村人は大変喜び、神のお授け の水として「禊(みそぎ)清水」と名づけ後 174 秋葉区 世まで大事に守り続けました。たまたま清 差約15mの雄滝、下流に落差約7m の雌 水の近くに桜の大木があって毎年春になる 滝があります。 と花が咲き乱れて風情を添えたので、いつ 所在地:新潟市秋葉区金津 とはなく「桜清水」とよばれるようになりま した。また、一説には、妙蓮寺(みょうれ んじ)の開祖日印上人(にちいんしょうに ん)がこの清水を発見して茶の湯に用いた ともいわれています。この清水は長い年月 にわたって住民の生活をささえ、道ゆく人 びとに潤いと憩いを与えました。 新潟市指定文化財。 所在地:新潟市秋葉区中村148 椿林(つばきばやし) 区内朝日の山居山の西斜面末端に小規模な 樹林が広がっています。林の広さは約0. 2haほどで、樹齢50年から300年と いわれているヤブツバキ50数本が密生し ています。花の色は赤で、満開時には林全 体がみごとに赤く染まります。ヤブツバキ は風の当たらない温暖な地でないと生育で きず、市内ではここに自生が見られるだけ さつき山公園(さつきやまこうえん) です。 県埋蔵文化財センター裏の開墾した山に、 新潟市指定文化財。(個人蔵) 約150種類、4万本のサツキやツツジが 所在地:新潟市秋葉区朝日 あります。毎年4月下旬∼6月下旬にかけ て、色鮮やかに咲く花を楽しむことができ ます。 所在地:新潟市秋葉区割町223―1 白玉の滝(しらたまのたき) 金津丘陵地にあるこの滝は、四季を通じて 人々に親しまれています。特に夏は涼味満 点で昔から避暑・納涼の地として利用され てきました。順徳天皇の時代(1210∼ 1221)から知られ、かつては山伏の修 行の地であったともいわれます。上流に落 175 秋葉区 つばき山公園(つばきやまこうえん) 花と遺跡のふるさと公園(はなといせきの 普談寺(ふだんじ)周辺に約170種、1 ふるさとこうえん) 万5千本の雪椿、香り椿、花椿、サザンカ 新津美術館、県立植物園、県埋蔵文化財セ 等があり、毎年3月∼5月にかけて色鮮や ンター、新津フラワーランド、八幡山遺跡、 かに咲く「つばき」が楽しめます。 花林館などがあり、さまざまな自然や文化 所在地:新潟市秋葉区朝日2539 に親しむことができる公園となっています。 所在地:新潟市秋葉区古津700―1 八珍柿原木(はっちんがきげんぼく) 1887(明治20)年頃、越後の行商人 花とみどりのシンボルゾーン(はなとみど から買った柿の苗木が旧鶴岡藩士らによっ りのしんぼるぞーん) て山形県庄内地方で栽培されていましたが、 小須戸特産の花や緑を一堂に集めて展示即 1909(同42)年、その優秀さが認め 売する「花ステーション」、木の温もりに包 られ「平核無(ひらたねなし)」と命名、公 まれる休憩施設のログハウス「花とみどり 表されました。庄内柿が有名になるとその 館」など人々の憩いの場になっています。 ルーツはどこかという本家争いが起き、新 また日本ボケ公園や市民農園も併設し園 潟県は原木の所在をつきとめるために調査 芸・農産業振興の拠点となっています。 研究した結果、1931(昭和6)年、川 所在地:新潟市秋葉区小須戸893―1 崎家の柿の木が接ぎ木によらない実生樹で あることから原木と認められました。種の ひさかき清水(ひさかきしみず) ない木で越後七不思議に次ぐ珍しい柿とい 妙本寺境内南端の田家集落と丘陵が接する うことから「八珍柿(はっちんがき) 」と呼 崖下にあるこの清水は、妙本寺の開山(1 び名がつけられました。 720年頃)以来、寺用として使用されて この八珍柿原木は、高さ16m、幹周り2 いましたが、田家地区の発展とともに人口 m、枝張りの面積2aという大きなもので、 が増加してきたために近隣住民の用水とし 推定樹齢およそ300年の老木ながら毎年 て使用され、以来生活用水として上水道が 多くの実をつけます。この柿は品種名が示 完備するまで使用されました。妙本寺の境 すように種のないのが特徴で、汁が多く肉 内には今でも多くのひさかきがおい繁って 質がやわらかく、柿のなかでももっとも甘 いますが、かつてこの清水の脇にもひさか いといわれています。この八珍柿を佐渡で きの老樹があり清水をおおっていたので、 は最初から商品として生産をはじめ、19 昔から「ひさかき清水」と呼ばれていました。 36(同11)年「おけさ柿」として北海 新潟市指定文化財。(個人蔵) 道へ出荷して以来、県特産品の名声を高め 所在地:新潟市秋葉区田家1 ています。 新潟県指定文化財。(個人蔵) 所在地:新潟市秋葉区古田 176 秋葉区 の人々から親しまれています。 新潟市指定文化財。 所在地:新潟市秋葉区朝日2560 へそ清水(へそしみず) 昔、親孝行の権九郎が観音様のお告げで発 見した湧き水。木もれ陽の遊歩道の菩提寺 山ルートの途中にあります。 所在地:新潟市秋葉区矢代田5895 福王寺の大赤樫(ふくおうじのおおあかが し) 菩提寺山(ぼだいじやま) 福王寺の本堂とその東側に連なる庫裏の北 弘法大師がここを訪れた際に菩提寺という 庭に築山があり、樹木がうっそうと繁って 寺を建立したことが名前の由来であると伝 います。その中で特に目を引くアカガシは わっています。秋葉区に位置。標高248. 風格のある巨木で、庭園の要の樹木になっ 4m。頂上まで約30分の手軽なハイキン ています。幹周りは2.85m(直径90 グコースがあります。頂上からは西に越後 cm)で、樹齢は300年といわれていま 平野、東に五泉市などを見ることができま す。特にみごとな根張りは長い間の風雪に す。 たえてきたことを物語っています。カシの 木は常緑広葉樹で温暖な気候を好み、新潟 真柄家の大欅(まがらけのおおけやき) 県が北限とされています。 真柄家の屋敷入口にあるけやきは幹周りが 新潟市指定文化財。 7.8m(直径2.5m)あり、樹齢約8 所在地:新潟市秋葉区山谷町1−5557 00年といわれている巨木です。幹の内部 は広い空洞になっており、樹高はやや低い 普談寺の大杉(ふだんじのおおすぎ) が樹勢は旺盛で、枝葉を四方に広げ、樹下 朝日川にかかる五明橋を渡ってまもなく、 は昼でも薄暗いほどです。かつては天をお 周囲を圧するように杉の巨木がそびえてい おうような巨大な樹木でしたが、新津の石 ます。普談寺の境内には他に何本かの大杉 油産業が最盛期であった頃、製油所から排 が成育していますが、この杉はそれらの中 出される亜硫酸ガスのために上部が枯れて でもっとも大きく幹周りは5.3m(直径 今の姿になりました。 1.7m)あり、樹齢は700年といわれ 新潟市指定文化財。(個人蔵) ています。杉は「まっすぐ木」が語源とさ 所在地:新潟市秋葉区柄目木 れ、天に向かってまっすぐに伸びます。そ のため落雷の被害にもあいやすく、この杉 も落雷により上部が若干破損していますが、 樹勢は旺盛で普談寺のシンボルとして多く 177 秋葉区 満願寺稲架木並木(まんがんじはさぎなみ 桂家5代目の成章(なりあき)が建てたも き) のです。文章は武蔵国吉見郷(むさしのく 稲架木は、稲架場にたも木やはんの木を植 によしみごう) (埼玉県)出身の名僧愚禅禅 えて、稲の乾燥に利用する新潟県特有のも 師(めいそうぐぜんぜんし)が、書は新発 のです。満願寺の稲架木並木は、1943 田藩の右筆尾本(大江)元遜(おもと<お (昭和18)年から1945(同20)年 おえ>げんそん)が書いたものです。碑文 にかけて同地区の水田約250haを区画 によれば、桂家3代目の誉春(たかはる) 整理したときに26軒の関係農家が協力し はここに観音堂を建て、朝夕参詣して子孫 て各地の稲架木をこの農道へ移植したもの の幸福を祈ったが、孫の成章がその意思を です。農業の機械化が進み、籾(もみ)の 継いでこの碑を建立したと記されています。 機械乾燥が広く普及して県内各地の稲架場 その後、観音堂は田家の大善庵に移された が次々と姿を消していく中で、同地区は種 ため、祈祥碑だけが山中に残される結果と 籾採取の指定を受け、良質の種籾を取るた なりました。この碑は、神社の境内に仏堂 めに自然乾燥に必要な稲架場として残され が混在した神仏習合の歴史を示す好資料で ました。指定が解除された後も、所有者と す。新潟市指定文化財。 農家組合が協力して稲架木の保存に努め、 所在地:新潟市秋葉区秋葉3−8 新津の風物詩として今日にいたっています。 新潟市指定文化財。 所在地:新潟市秋葉区満願寺 朝日本多家の双芳碑(あさひほんだけのそ 【歴史・文化財】 うほうひ) 朝日本多家の前庭にある双芳碑は、本多文 秋葉神社の祈祥碑(あきはじんじゃのきし 明・敬斎父子の功績をたたえる碑で、高さ ょうひ) 2.85m、幅1.34mのどっしりとし 秋葉神社の祈祥碑は、高さ2.6m、幅1. た仙台石でできています。 1mの大きさで、1799(寛政11)年、 この碑は、1907(明治40)年に中野 178 秋葉区 貫一をはじめとする47名の人たちによっ り使命を終えました。最後に残った三之堰 て建立されました。碑文によると文明父子 も、水害を機に能代川の分流工事が行われ は医業のかたわら実学館という私塾を開き、 ることになり、1975(同50)年に撤 子弟に学問を教えていたそうです。また、 去されました。 明治の初めには医学の普及を図るため医学 分流工事の完成を記念して作られた「分流 館を建設したい旨を水原の越後府へ願い出 記念公園」には、一之堰跡が残されていま ました。時の壬生(みぶ)知事も賛成し、 す。 自ら仁寿館と命名しましたが、不幸にも志 半ばにして子の敬斎が1869(同2)年 大鹿諏訪神社中世石仏(おおじかすわじん に、父の文明もその翌年に相次いで亡くな じゃちゅうせいせきぶつ) り、実現には至りませんでした。 大鹿諏訪神社の中世石仏は地蔵様石と呼ば 新潟市指定文化財。(個人蔵) れていますが、阿弥陀如来を刻んだもので、 所在地:新潟市秋葉区朝日 現在は地元の人達によって建立された新御 堂に安置されています。高さは地上33c m、幅26cmの御影石でできています。 この石仏が安置された由来は分かっていま せんが、年配者の話では若い頃よく力比べ の盤持石として遊んだ記憶があるというこ とです。この石仏は本町の中世石仏、盛岩 寺中世石仏とともに、当時の人々の精神(信 仰)生活を知る上で貴重な資料です。 新潟市指定文化財。 所在地:新潟市秋葉区大鹿 一之堰・二之堰(いちのせき・にのせき) 一之堰は1533(天文2)年、澤田半右 衛門が創始した新津で最も古い重要な用水 堰で、能代川をせき止め右岸村全体の耕地 に用水を取り入れるために設けられました。 初めは新津堰または草水堰といわれていま したが、下流にも堰ができるようになると 上流から順に一之堰、二之堰、三之堰と呼 ぶようになりました。一之堰、二之堰は1 967(昭和42)年の阿賀用水完成によ 179 諏訪神社前 秋葉区 桂家国学関係資料(かつらけこくがくかん 小泉蒼軒文庫(こいずみそうけんぶんこ) けいしりょう) 「小泉蒼軒文庫」は小泉蒼軒(1797∼ 桂家は初代誉秀(たかひで)以後次第に発 1873)が一生研究に励んだ膨大な越 展し、新発田藩新津組22ヵ村の大庄屋を 後・佐渡の地誌を中心にした書物を保存し 命じられました。敬神崇祖(けいしんすう たものです。内容は広い範囲にわたり、越 そ)、篤学(とくがく)の家系で四代誉章(た 佐の地理、歴史、国学、政治、測量学、治 かあき)は垂加神道(すいかしんとう)を 水、民俗等に及び、その天才ぶりが表れて 学び、万巻(まんがん)の書を蔵して、 「萬 います。江戸時代末の日記は何十年にもお 巻楼」 (まんがんろう)と名付け、六代誉正 よび、貴重な記録になっており、また「越 (たかまさ)は平田篤胤(ひらたあつたね) 後里程誌」「越佐地名表」「越後七不思議」 の門下で本居内遠(もとおりうちとお)、大 「北越古城考」等の著書があります。父の 国隆正と親交を持ちました。そして、七代 小泉其明も著名な地理学者で越後、佐渡の 誉重(たかしげ)も国学に傾倒し、鈴木重 実測による「越後全図」等多くの著書があ 胤(すずきしげたね)門下として庄内の大 ります。 滝光憲(おおたきみつのり)とともに、重 所在地:新潟市秋葉区日宝町 胤の大著「日本書紀伝」の刊行を手伝いな 内 新津図書館 がら、その校閲者になっています。 桂家の国学関係資料は、重胤から贈られた 子育延命地蔵尊(こそだてえんめいじぞう 「日本書紀伝」の浄書本148冊をはじめ、 そん) 重胤の著述、稿本、筆墨書簡(ひつぼくし 「子育延命地蔵尊」の由来は、亨保の頃、 ょかん)などを主とし、他にも本居宣長(も 小須戸の庄屋が大阪から海路地蔵を持ち帰 とおりのりなが)、賀茂真淵(かものまぶち)、 る際、嵐で船が転覆しかけたところを地蔵 平田篤胤などの遺墨246点を数えます。 尊の霊験で救われ、到着後も子宝に恵まれ これら資料は、江戸時代における原史料で たといわれています。 あるとともに、国学の地方伝播の実態を知 毎年5月7日・8日に大祭を執り行い、7 るうえでも大変貴重な資料となっています。 日夜に地蔵尊も御開帳され、子どもの健や 新潟県指定文化財。(個人蔵) かな成長を願う人々で賑わいます。 所在地:新潟市秋葉区中村 国指定文化財。 所在地:新潟市秋葉区小須戸3362 180 秋葉区 金剛力士像(小口) (こんごうりきしぞう< こぐち>) 小口の観音堂を護っている金剛力士像は、 1744(延享<えんきょう>元)年に作 られました。口を大きく開いた阿形(あぎ ょう)、きつく結んだ吽形(うんぎょう)と もに勇壮そのもので、胸厚く筋骨隆々、目 鼻立ち鋭く、実に堂々とした立派な姿をし ています。作者は不明ですが、51戸の村 民が厚い信仰を寄せていた観音様の守護と して勧請(かんじょう)したもので、この 年は珍しく豊作になったそうです。 金剛力士像(朝日) (こんごうりきしぞう< 左右の金剛力士像を納める仁王門は、その あさひ>) 3年後の1747(同4)年に建立され、 朝日の普談寺観音堂登り口に一対の金剛力 鉄くぎなどは1本も使われていません。 士像があります。寺に伝わる「大悲山殿堂 寺往昔之記(だいひざんでんどうじおうせ きのき)」によると、仁王門、両像とも16 18(元和4)年頃に作られたそうです。 大きく見開いた目や表情、姿態のバランス も他の金剛力士像とは違い、どこかユーモ ラスで庶民的です。明治時代より子供の健 康祈願の意味をこめた「股くぐり」が行わ れ、地元の人びとを守る仁王として親しま れています。 坂口家の墓所(さかぐちけのぼしょ) 新津は、安吾の父祖の地です。安吾の本籍 地は、中蒲原郡阿賀浦村大安寺(旧新津市) で、安吾が眠っている坂口家の墓も大安寺 にあります。毎年、安吾の命日にあたる2 月17日には新津安吾の会のメンバーが中 心となって墓前で「安吾忌」が行われてお り、市内外から熱心な安吾ファンが新津を 181 秋葉区 訪れ、安吾を偲んでいます。 所の裁定を裏書きしたものが裁定(裁許) 所在地:新潟市秋葉区大安寺 絵図です。1693(同6)年、幕府役人 の実地検分が行われて同年12月12日江 澤田家能代川堰関係資料(さわだけのうだ 戸の評定所において裁決が出され、金津側 いがわせきかんけいしりょう) の正当性が認められたかたちで1件は解決 澤田家能代川堰関係資料は、1580(天 をみました。その裁定絵図と交渉の経過を 正8)年、澤田家の祖である半右衛門から 示す関係記録には、当時の村民が命運をか 1941(昭和16)年、27代正一郎ま けて争った様子がよくうかがえます。 で、澤田家歴代にわたり能代川堰に関する 新潟市指定文化財。(個人蔵) 文書や絵画など26点を保存、収蔵してき 所在地:新潟市秋葉区金津 たものです。この古文書は、1533(天 文2)年の創設といわれる能代川堰の起源 獅子踊り歌詞秘書(ししおどりかしひめが とその変遷や堰守としての澤田家と領主層 き) との関連、村落の開発と耕地の拡大、堰の 獅子踊り歌詞秘書は1813(文化10) 造営技法と関係住民の負担、堰をめぐる上 年、小戸新田有志の望みによって当時の和 流と下流の住民の動静などが記載されてい 田村と庚村(現在、新潟市)から授与され ます。澤田家にある能代川堰関係資料は、 たものです。歌詞は5巻に分けて巻軸に表 戦国争乱期から江戸末期にわたる新津付近 装され、内容の全長は8.42mに及びま の水利および治水を知るうえで重要なもの す。歌詞は「花見の大歌」など13種の歌が といえます。 達筆に記され、最後に関係者44人の氏名 新潟市指定文化財。(個人蔵) が明記されています。民俗芸能や民謡など 所在地:新潟市秋葉区草水町3 無形のものは、その伝播経路や年代、歌詞 など来歴を知る史料にとぼしく、不明なも 山論裁定絵図及び山論関係記録(さんろん のが多いなかで、小戸下組に伝えられた獅 さいていえずおよびさんろんかんけいきろ 子踊りの歌詞秘書は貴重な民俗史料となっ く) ています。 1691(元禄4)年、護摩堂山(ごまど 新潟市指定文化財。 うやま)をめぐって起きた湯川村・田上村 所在地:新潟市秋葉区日宝町6−2 (現在、田上町)と橋田村・菅沢村(現在、 図書館内 新津 五泉市)の境界紛争が江戸の幕府での訴訟 で解決を見ると、つづいて翌年、1692 盛岩寺中世石仏(せいがんじちゅうせいせ (同5)年、金津村(現在、新潟市)と橋 きぶつ) 田村(現在、五泉市)との間で境界論争が 大安寺にあります盛岩寺境内の庚申搭前に、 起きました。このように、林野の境界・所 御影石に刻まれた3体の中世石仏が並んで 有権・入会用益権をめぐる紛争を山論とい います。 い、係争者の主張とこれに対する幕府評定 この石仏の由来は、はっきりしていません 182 秋葉区 が、言い伝えによると、新郷屋の人が川か 水簸(すいひ)された白色緻密(ちみつ) ら拾って来て、この寺に安置したものだそ な胎土で、表面は淡い橙色を帯び、焼き上 うです。 がりが良く、緑・黄褐・白の釉薬(ゆうや 新潟市指定文化財。 く)が光沢のある発色を見せています。な 所在地:新潟市秋葉区大安寺815 お、上浦遺跡からは奈良三彩のほかに、9 世紀中頃の大型掘立柱(ほったてばしら) 手掘石油井戸(てぼりせきゆいど) 建物や総柱(そうばしら)倉庫、井戸、畠 新津では石油の採掘が380年程前から行 などが検出され、当時の有力な豪族の屋敷 われ、その採掘技術は時代により手掘りか があったものと考えられます。 ら上総(かずさ)掘り、機械掘りへと進歩 していきました。手掘りによる石油の採掘 が盛んになったのは、明治時代に入ってか らで、近年まで167本の手掘り石油井戸 が新津丘陵にありました。しかし、山地に 入るときには、大変危険であることから、 国の指導に基づき井戸は埋め戻されていき ました。現在保存されている石油井戸(深 さ約27m)は、帝国石油株式会社から寄 贈されたものです。この井戸は、上総掘り や機械掘りが行われる以前の石油産業史の 資料としてはもとより新津油田の歴史を知 るうえでも大変貴重なものです。 新潟市指定文化財。 所在地:新潟市秋葉区田家字山親割757 8 奈良三彩(ならさんさい) 1992(平成4)年に発見された奈良三 彩は高さ4.9cm、口径4.5cm、胴 径8cm、底径5.2cmの小壺で、主に 祭祀や仏事に用いるために、平城京で作ら れたものといわれています。この壺は、上 浦遺跡(新津工業団地内)の発掘を行った とき、100mほど離れた2ヵ所から出土 し、全体の2分の1から3分の1ほど遺存 していたものを修復しました。壺の素地は 183 秋葉区 煮坪(にえつぼ) 日本チューリップ発祥の地記念碑(にほん 江戸時代の越後七不思議のひとつ。真柄家 ちゅーりっぷはっしょうのちきねんひ) (柄目木)の祖、仁兵衛が新発田藩の命を 初めてチューリップ球根の商業的栽培が始 受け、荒地の開墾にあたっていた1608 まったことを記念して、新潟市秋葉区川根 (慶長13)年頃、田家の山中で草水(く にある道の駅「花夢里にいつ」の構内には そうず)油(石油)を浮かべていた池を発 「日本チューリップ発祥の地記念碑」が1 見し、これが新津油田の始まりとなりまし 989(平成元)年に建立されした。 た。 所在地:新潟市秋葉区川根438 油井戸の全盛時代には、油と水と天然ガス とが黒い液体となって湧き上がり、その勢 農協石造倉庫(のうきょうせきぞうそうこ) いは1m余りにも激しく噴き上がったそう 1942(昭和17)年、日中戦争の長期 です。発する音は周辺の約800m四方ま 化によって食糧需給が悪化し、米が国家管 で聞こえ、沸々と物を煮ているかのようで 理下に置かれることになりました(食糧管 あったことから、油井戸は煮坪と呼ばれる 理法)。このため、米を1ヵ所に集積して管 ようになりました。この煮坪は「越後の七 理したり、貯蔵したりする必要が出てきま 不思議」の1つとして聞こえ、橘崑崙(こ したが、既存の東島倉庫では収容力が低く、 んろん)の「北越奇談」にも紹介されてい 建物も老朽化していることから、新しく朝 ます。明治以降石油の乱掘のため煮坪は自 日に石造倉庫が造られました。 噴する力が弱まり、現在は当時の面影をと この農協石造倉庫は、土台に荻野石を使用 どめていませんが、新津の石油の原点に変 し、その建築様式は風や湿気に強く、当時 わりはありません。 としては珍しい建物であることから、各地 新潟市指定文化財。(個人蔵) から多くの人が視察に訪れたそうです。倉 所在地:新潟市秋葉区草水町3 庫には5,300俵(規定量)の米を収容 することができ、1989(平成元)年度 まで現役として活躍しました。 現在は農機具などの保管倉庫となっていま す。 184 秋葉区 俳諧三祖塔(はいかいさんそとう) 跡(奈良・平安時代)などの遺跡からなり 桂家四代誉章(1734∼1796)は、 ます。中核となる八幡山遺跡は、全体が環 文学に大変造詣が深かった人です。文壇と 濠を伴う城砦(じょうさい)的集落で、遺 も盛んに交流し、新津近辺にとどまらず、 跡の主要部は何重かの環濠と棚により防備 都を含め全国から多くの客人が桂家を訪れ され、住居址は数十基を越えるものと推定 ました。また、新発田の俳人画一庵汻虹(か されます。 くいつあんここう)(1698∼1774) また、県内最大の八幡山古墳は、山稜北端 から俳諧を学び、遊字庵些兮(ゆうじあん の平野を見下ろすところに造営された古墳 さけい)と号し、1773(安永2)年に 時代前期の古墳です。直径56mと広い墳 は、京都の橘屋から「俳諧十論衆儀拾遺(は 頂平坦面を持つ円錐形の大円墳(最近の研 いかいじゅうろんしゅうぎしゅうい)」を刊 究では「帆立貝式古墳」説が有力)で、南 行しました。誉章は晩年の1794(寛政 面はその原形をよく留めています。一方、 6)年には、秋葉山円通閣の隣に「俳諧三 山麓には多数の製鉄跡が分布し、蒲原地方 祖塔」を建立しました。この三祖塔は「芭 に鉄を供給していた一大生産基地と推定さ 蕉翁(ばしょうおう)」「梅花仏(ばいかぶ れる多くの古代製鉄跡がみられます。 つ)」 「盧元法師(ろげんほうし)」と彫った 各種講演会や講座など考古学を学ぶ場とし 3基の石碑からなっていて、誉章の俳諧へ ても活用されています。 の思いが込められています。 新潟市指定文化財。 新潟市指定文化財。(個人蔵) 所在地:新潟市秋葉区古津字八幡腰ほか 所在地:新潟市秋葉区中村 八幡山遺跡群(はちまんやまいせきぐん) 弥生時代後期の日本海側北限の環濠をめぐ らせた高地性集落で、大和政権成立前夜を 解明するうえで大変貴重な遺跡です。 古津地内の八幡山遺跡群は、埋葬地遺跡(縄 文時代)、八幡山遺跡(弥生時代)、八幡山 古墳(古墳時代)、大入・古津初越A・B遺 185 秋葉区 伴百悦墓碑(ばんひゃくえつぼひ) 300mと細長く、東側は険しい崖で、西 会津藩士伴百悦は、明治戊辰の役(186 側は緩やかに傾斜しています。頂上から北 8)において越後口の戦いに参戦出陣しま 西へのびる尾根には主郭が構築され、その した。戦後、新政府軍の命令で戦死者の埋 先端は二の丸跡と思われます。さらに西側 葬もできず野ざらしにされた状況下で、士 の山腹から下方には、防御用の曲輪(くる 族の身分を捨てて遺体埋葬処理に奔走しま わ)と見られる根子屋がいくつも階段状に した。その後、民生部門の監察方を務めた 連なっています。山頂はおよそ10aほど 新政府軍の越前藩士の勝手気ままな取り締 の本丸跡で、北西方向が大きく開けて平野 まりや町民に対する残酷な仕打ちに怒った 部がみわたせ、南西側には土塁が認められ 百悦らは、越後街道の束松峠(たばねまつ ます。南東の尾根続きに深い空濠が二重に とうげ)でこの藩士を斬り、百悦は坂口津 連続しており、さらにその先にもう一条の 右衛門を頼りこの地にあった慶雲庵(けい 空濠が掘られていて、以前はこれに続いて うんあん)に身を寄せましたが、1870 なお二条の空濠が残っていました。この城 (明治3)年、追手に取り囲まれ自刃しま 跡については史料がないため不明ですが、 した。2001(平成13)年には、没後 新津氏が有事の際に備えた中世の要害と思 130年を記念して百悦の墓碑が郷里であ われます。 る会津若松市の菩提所墓地にも完成し、縁 新潟市指定文化財。 者によって鎮魂法要会が行われました。 所在地:新潟市秋葉区東島字城ヶ平104 所在地:新潟市秋葉区大安寺 3−5 普談寺絵馬(一対) (ふだんじえま<いっつ い>) 朝日の観音様で親しまれている普談寺に伝 わる絵馬一対は、室町幕府の御用絵師であ る狩野(かのう)元信の作と言われていま す。この絵馬を見ますと、馬は手綱でつな がれていて大変珍しいものとなっています。 これについては、奉納された絵馬に描かれ た馬が、夜な夜な抜け出て田畑を荒らし回 るため、地元の人達が大変困っていたとこ ろ、話を聞き付けた元信が馬に手綱を書き 加えたところ、馬が抜け出さなくなったと 東島城跡(ひがしじましろあと) いう言い伝えがあります。 東島集落の南東に「城ヶ平」または「要害山」 新津にある絵馬の大部分は、江戸時代末期 と呼ばれている標高107mの独立峰が東 のものであることから、普談寺の絵馬は戦 島城跡です。東西約1,000m、南北約 国時代の武人の手によって奉納されていた 186 秋葉区 という事実も考え合わせると、当時のこと 記念物(史跡)に指定するよう、中山文部 を知るうえで大変貴重な文化財です。 科学大臣に答申しました。そして、7月1 新潟市指定文化財。 4日の官報告示で正式に指定されました。 所在地:新潟市秋葉区朝日2560 本市の国指定の史跡としては、菖蒲塚古墳 (あやめつかこふん)、旧新潟税関に次いで 古津八幡山遺跡(ふるつはちまんやまいせ 3件目となります。 き) 国指定文化財。 八幡山遺跡群の中の1つで、2005(平 所在地:新潟市秋葉区(金津・古津・蒲ヶ 成17)年7月14日に国の指定文化財と 沢) して指定されました。 新潟市秋葉区(新津地区)の古津八幡山遺 本町中世石仏(ほんちょうちゅうせいせき 跡は、信濃川と阿賀野川に挟まれた丘陵上 ぶつ) に立地する、弥生時代後期の大規模な高地 新津本町2丁目の通称「小揚(こあげ)小 性環濠(かんごう)集落です。 路」の奥、新津川西堤防道路脇のお堂の中 環濠集落とは、周囲に濠をめぐらせて、外 に、この石仏が安置されています。地元で 敵などに備えた集落のことで、南北400 は、耳の不自由な人にご利益がある地蔵尊 m、東西150mの範囲から、環濠、竪穴 として、昔から厚い信仰を集めていますが、 住居、土坑、墓(方形周溝墓<ほうけいし 本来は阿弥陀如来を刻んだものです。現在 ゅうこうぼ>・土器棺墓(かんぼ) ・前方後 は福王寺の所有となっていて、地元の地蔵 方形周溝墓)が検出されました。 講の人たちによって大切に管理されていま 環濠は断続的に2重に配置され、深さは約 す。石仏がいつ頃からこの場所に安置され 2m。方形周溝墓は環濠の外側に位置し、 ているのかは、はっきり分かっていません 主体部から鹿角装鉄剣(鹿の角の柄が付い が、昔この付近の川岸は船着き場になって た鉄剣)や、石鏃(やじり)が出土しまし いて、古くは福王寺の大門にあたっていた た。 といわれています。 前方後方形周溝墓は内側の環濠に囲まれた 新潟市指定文化財。 丘陵頂部に位置します。出土した遺物は、 所在地:新潟市秋葉区新津本町2−291 北陸系、東北系、両者折衷の在地系の3系 7 統にわたり、日本海や阿賀野川を介して北 陸地方中西部、東北・会津地方とつながり があったことが分かります。 古津八幡山遺跡は、弥生時代から古墳時代 にかけての変遷や、他の地域との交流の実 態などを知る上で重要な遺跡として評価さ れており、2005(平成17)年5月2 0日に国の文化審議会は、この遺跡を国の 187 秋葉区 本間家懲震毖鑑/文政地震画帖(ほんまけ 真柄家石油関係資料(まがらけせきゆかん ちょうしんひかん/ぶんせいじしんがちょ けいしりょう) う) 真柄家に伝わる「真柄家石油関係資料」は、 市之瀬の本間さん宅にある絵画「本間家懲 1613(慶長18)年、真柄家の祖であ 震毖鑑(文政地震画帖) 」は、1828(文 り煮坪(にえつぼ)の発見者の仁兵衛貞賢 政11)年11月12日、現在の三条市を (にへえさだかた)から、1900(明治 中心に発生した大地震の情景を、当時今町 33)年、道三郎に至る真柄家歴代の石油 (現在の見附市)に住んでいた本間家の祖 に関する文書、絵画など70点の記録を保 にあたる小泉其明が、自分の目で見、耳で 全、収蔵してきたものです。新津油田(煮 聞いたことをそのまま写実的に描いたもの 坪)発見以来の真柄家と領主層との関連、 で、本間家が代々にわたり収蔵、保存して 油井の状況と採油の技法、産油量増減の推 います。 移などをこれらの資料から知ることができ この懲震毖鑑は、三条大地震の実態を知る ます。新津が石油産出のピ−クを迎える前 とともに、地震学全般にとっても極めて貴 にあたる江戸初期から明治中期に至る間の 重な資料です。なお、懲震毖鑑とは、其明 近代石油産業発生までの経緯全般を知るう が「地震の懲らしめに慎む鑑」と言う意味 えで、真柄家所有の煮坪とともに、学術的 で、後世の人々を戒めるために、画題にし にもきわめて価値の高いものとなっていま たのではないかと言われています。 す。 新潟市指定文化財。(個人蔵) 新潟市指定文化財。(個人蔵) 所在地:新潟市秋葉区市之瀬 所在地:新潟市秋葉区柄目木 萬巻楼の額、聯、萬巻楼記(まんがんろう のがく、れん、まんがんろうき) 桂家四代誉章は学芸を好み、邸内に万巻の 書を集めた書庫を建てました。書庫の入り 口には中国人顧子英(こしえい)が揮亳(き はく)した木額を掲げ、両側に聯(れん: 柱や壁などの左右に掛けて飾りとする細長 い板)をさげました。聯は朱熹(しゅき) 埋蔵文化財(遺跡) (まいぞうぶんかざい< の作で、右は「日月両輪天地眼(じつげつり いせき>) ょうりんてんちげん)」、左は「詩書萬巻聖 八幡山遺跡群(市指定)、古津八幡山遺跡(国 賢心(ししょまんがんせいけんしん)」と書 指定)沖ノ羽遺跡、細池寺道上遺跡、結七 かれています。萬巻楼記は1810(文化 島遺跡など。 7)年、桂家を訪れた江戸の儒学者亀田鵬 斎(かめだ ほうさい)が書いた巻物で、 萬巻楼が当時の風俗教化に大きく貢献した 188 秋葉区 ことをたたえています。この亀田鵬斎が名 吉田家住宅(吉田千秋生家) (よしだけじゅ づけた桂家の萬巻楼は、万巻の書を集めた うたく<よしだちあきせいか>) 書庫であるとともに、文化交流などを通じ 吉田家は大鹿村(現在、新潟市)の庄屋で、 て新津の文化に大きな影響を与えた桂家の 歴史地理学者吉田東伍(とうご)の養子先 文化を象徴するものです。 です。「琵琶湖周航の歌」の原曲である「ひ 新潟市指定文化財。(個人蔵) つじぐさ」を作曲した吉田千秋(ちあき) 所在地:新潟市秋葉区中村 は東伍の二男で、ここで生まれました。母 屋の部分は1883(明治16)年、東伍 妙蓮寺山門(みょうれんじさんもん) を養子に迎えるために新築したものと伝え 蒲原三大門のひとつ。この山門の様式は、 られています。木造平屋1部 2 階建で俗に 三間三戸二重門(さんげんさんこにじゅう アズマダチ風民家といわれるもので、切妻 もん)と呼ばれ、文政期の建物としては装 屋根を架けて平屋側に玄関を設けているの 飾が控え目で、下から見上げた軒まわりの が特徴です。付属している座敷棟は東伍の 構成は、あたかも中世の力強さを感じさせ 没後1924(大正13)年頃、妻が帰郷 るものになっています。 するにあたって改築したものです。切妻造、 東島の妙蓮寺は日蓮の法孫日印が開祖で、 瓦葺の平屋で端の小間に神壇をもうけてい 鎌倉時代の1288(正応元)年3月28 ます。土蔵は切妻造、瓦葺2階建の明治初 日に創建され、大変歴史のあるものです。 期の建築で、水害を防ぐため1mほどの土 今の山門は1826(文政9)年、26世 盛の上に建ち、当地域の土蔵にみられる「水 日感のとき、菅沢村(現在の五泉市)の伊 倉(みずくら)」と呼ばれるものです。 藤与左衛門が願主となり、同村の工匠飯利 国登録文化財。(個人蔵) 辰左衛門(いいり 新潟市秋葉区大鹿 たつざえもん)によっ て建造されたものです。 新潟市指定文化財。 所在地:新潟市秋葉区東島29−1 蓮徳寺一切経(れんとくじいっさいきょう) 蓮徳寺一切経は、学僧として知られた蓮徳 寺12世鳳冠から代々に伝わって収集され た経典で、そのうち3563巻(1,16 0冊)が山門を入った左側の経蔵に収めら 189 秋葉区 れています。この経典は、鉄眼道光(てつ 朝日神楽(あさひかぐら) げんどうこう)和尚の発願により、宇治黄 朝日青年会 檗(おうばく)山万福寺で、1669(寛 上演期日:8月24日∼25日 文9)年から1681(天和元)年までの 上演場所:旦飯野神社 13年間にわたって刻印された黄檗版一切 内容:獅子神楽 経(1,618部、7,334巻)の一部 演目は神楽舞(鈴舞・幕絞り・玉遊び・岡 となっています。一切経はわが国における 崎・天狗舞・天狗と神楽の立回) ・四方切り。 経典の普及版として、世間の需要に応えて 手踊・棒踊・刀踊・おかめ狂言・三公八公・ きたものですが、その半数が蓮徳寺に収蔵 漫才が、行われます。 されていることを考えると、仏教聖典とし て大変貴重なものといえます。 市之瀬神楽(いちのせかぐら) 新潟市指定文化財。 市之瀬神楽保存会 所在地:新潟市秋葉区西島143 上演期日:8月28日∼29日 上演場所:神明宮、伊豆神社、各戸 渡場町馬頭観音(わたりばちょうばとうか 内容:獅子神楽 んのん) 1日目は神明宮で①村の境界で悪魔祓い② 旧名「渡場町」に一体祀られています。天 宮上り③奉納舞、 保の頃、洪水の信濃川を無理に渡って、船 2日目は伊豆神社で①村の境界で悪魔祓い が覆り溺れ死んだ馬の供養として、馬宿、 ②宮上り③奉納舞。 尾崎屋円助と馬喰たちが建立したものとい 子どもたちによる神楽舞(刀舞・踊り)が われています。この観音さまは、お講はあ 特徴です。 りませんが、附近の人たちによって毎年1 0月17日に大祭が行われています。 梅ノ木神楽(うめのきかぐら) 神楽講 上演期日:8月5日∼6日 【まつり・イベント・地域伝統芸能】 上演場所:諏訪神社、各戸 内容:獅子神楽。伊勢参りに詣でた際に、 神楽舞の指導を受けたといわれます。 秋葉神社の太夫舞(あきはじんじゃのたゆ 演目:悪魔祓い・手踊・棒踊・剣舞・道切・ うまい) 麦蒔きじじ・狂言 北上の太々講 上演期日:4月24日∼25日 大鹿神楽(おおじかかぐら) 上演場所:秋葉神社 大鹿保存会 内容:採取神楽 上演期日:8月30日∼31日 演目:太夫之舞と太々舞(だいだいまい)。 上演場所:諏訪神社、各戸 4月25日は天八奉納が行われます。 内容:獅子神楽 190 秋葉区 加賀より伝わったといわれます。その後田 柄目木神楽(がらめきかぐら) 家の神楽を手本にしたといいます。 柄目木芸能保存会 演目:天狗舞・神楽舞・棒踊・四方舞 上演期日:8月21日∼22日 上演場所:八幡神社、各戸 荻島神楽(おぎじまかぐら) 演目:岡崎舞・手踊・新剣舞・榊舞・花献 荻島神楽保存会 舞・羽返の舞・蛭子舞・大国舞 上演期日:8月23日∼24日 以前は天狗舞・太夫舞がありました。 上演場所:諏訪神社 内容:獅子神楽 川口神楽(かわぐちかぐら) 演目:神楽舞(幕舞・天狗と神楽舞込) ・四 神楽保存会 方舞・手踊・花笠踊・団七踊 上演期日:8月26日∼27日 以前はさえ鳥さしがありました。 上演場所:諏訪神社、各戸 内容:獅子神楽 覚路津神楽(かくろづかぐら) 新津の大鹿より嘉永年間に習得したと伝え 覚道津・三枚潟集落 られます。 上演期日:8月26日∼27日 演目:獅子舞・天狗舞・手踊・棒踊・花笠 上演場所:八幡宮、各戸 踊・四方舞・鳥さし・麦蒔き 内容:獅子神楽 悪魔祓いの獅子神楽と花笠踊が奉納されま 蒲ヶ沢神楽(がわけさわかぐら) す。ここの獅子頭は覚路津・三枚潟(さん 蒲ヶ沢神楽保存会 まいがた)・三津屋(みつや)・長割(おさ 上演期日:8月25日∼26日 わり)4ヵ村の伊勢御礼を集め、これを固 上演場所:神明宮、諏訪神社、各戸 めて作ったといわれます。 内容:獅子神楽 神明宮と諏訪神社合同で実施されます。以 鎌倉の神楽(かまくらのかぐら) 前は神楽の玉遊びがありました。 鎌倉神楽連 上演期日:4月19日、8月19日 川根神楽(かわねかぐら) 上演場所:神明宮 川根神楽保存会 内容:獅子神楽 上演期日:8月21日∼22日 150年程前、コレラが流行した際に、信 上演場所:神明宮、各戸 州からやって来た神楽舞から獅子頭を譲り 内容:獅子神楽 受け、神明宮の祭礼を舞ったのが始まりと 明治初期、近郷より伝わったとされます。 いいます。 演目:神楽舞・手踊・刀舞・宮上り舞 演目:厄払舞(やくばらいまい) ・玉遊(た まあそび) ・神来舞(しぐるま) ・幣束舞(へ いそくまい) ・鈴舞(すずまい) 191 秋葉区 北上の太太講(きたかみのだいだいこう) 日の小須戸喧嘩燈籠まつりでお披露目して 北上の太々講 います。 上演期日:4月15日、8月24日 上演場所:日吉神社 小須戸喧嘩太鼓(こすどけんかだいこ) 上演期日:4月24日∼25日 1990(平成2)年に旧小須戸町の町制 上演場所:秋葉神社 100周年記念を記念して創設された和太 上演期日:9月24日 鼓。 上演場所:神明社 内容:採取神楽 小須戸喧嘩燈籠まつり(こすどけんかとう 演目:太夫之舞と太々舞 ろうまつり) その昔小須戸の豪商、米沢屋吉田家が京都 栗宮神楽(くりみやかぐら) へ商用に行く度に祇園祭の灯籠の美しさに 栗宮神楽保存会 魅せられ、 「小須戸にも灯籠を飾りたい」と 上演期日:8月30日∼31日 思い1639(寛永16)年に念願の灯籠 上演場所:神明宮、各戸 を京都から買って諏訪神社に飾ったのが小 内容:獅子神楽 須戸の灯籠の由来と云われています。 新潟市江南区両川地区の嘉瀬より伝承され 8月25日の午後5:30過ぎに、4基の たといわれます。 燈籠を抽選で2組に分け、ぶつけ合います。 演目:天狗の舞・神楽舞・棒踊・花笠踊・ 昔は、かついだままぶつけ合っていました 大鹿櫓櫂節(おおじかろかいぶし) が、怪我人が続出するので、現在では燈籠 を地面に置き、20mの間隔から一気に押 車場神楽(くるまばかぐら) してきて、ぶつけ合います。本来は、喧嘩 神楽保存会 はしないように各組で申し合わせを行って 上演期日:8月最終土日 いるのですが、どうしても血の気の多い若 上演場所:八幡宮、各戸 衆が燈籠の上や脇で掴み合い、喧嘩をしま 内容:獅子神楽 す。ケガをする人が必ず出るため近年はぶ 今からおよそ120年前に津川から伝えら つけあい、押し合う時間を比較的短めにし れたといわれます。 ています。 演目:神楽・花笠踊・手踊・団七踊・槍太 昔は屋根の上にあった石を投げあうことも 刀・二枚太刀 あったり、激しい喧嘩もありましたが死人 がでないのは神様のおかげではないかとも 小須戸神楽(こすどかぐら) 言われています。 1810(文化7)年、小須戸地内の若衆 が信州上田地方の神楽の技を伝授されたこ とがきっかけで始まりました。今日でも地 元の若衆がその技を継承し、毎年8月25 192 秋葉区 小戸上組神楽(こどかみぐみかぐら) 小戸上組青年会 上演期日:8月最終土日 上演場所:八幡宮、各戸 内容:悪魔祓いの神楽舞と四方舞、棒踊が 奉納されます。 小戸下組獅子踊り(こどしもぐみししおど り) 小須戸甚句(こすどじんく) 小戸下組に伝わる獅子踊りは、1813(文 旧小須戸町は1641(寛永18)年に2 化10)年に当時の和田村と庚村(現在、 2ヵ村をもって独立して小須戸組をつくり 新潟市)から、踊りの歌詞秘書を授与され ました。時の庄屋坂井与次兵衛氏はその組 たことに始まります。爺面(じいめん)、雄 の独立を喜び小踊りして甚句を唄い踊った 獅子(おじし)、雌獅子(めじし)、矢来獅 といいます。以来、お盆にお祭りに町に目 子(やらいじし)各1人ずつ4人、太鼓2 出度いことがあると踊り唄われてきたもの 人、笛2人の計8人が1組になっており、 です。徳川の末期より当町の物産である小 歌詞によって踊りが少しずつ変化し、全部 須戸縞の織物が盛んな頃は機織娘や花卉盆 で24の踊りからなっています。 栽に従事する若者たちの間に特に親しまれ 現在は「花見の舞い」「我妻下り」「宮上り てきました。その後こうした伝統をもった の舞い」の3つの踊りが、毎年8月の末に 唄も、古老がいなくなるにつれて、自然と 行われる八幡宮の祭礼に、保存会の人達に 忘れられるようになりました。そこでこう よって演じられています。雄獅子は源氏車、 した町の無形文化財を保存すべく、195 雌獅子は牡丹、矢来獅子は水車の模様を描 3(昭和28)年に発足した小須戸民謡保 いた垂れ幕を下げ、笛、太鼓による歌に合 存会が多少の整理修正を加え、伝統である わせて躍動的に踊ります。また、踊りに道 郷土民謡として普及に努めました。 化役の爺面が絡む場面もあります。 新潟市指定文化財。 古田神楽(こだかぐら) 所在地:新潟市秋葉区小戸下組 古田神楽保存会 上演期日:8月24日∼25日 上演場所:天満宮、各戸 内容:獅子神楽 演目:幕舞・剣舞・鈴舞・棒踊・天狗舞。 以前は四方舞、手踊り、花笠踊り、刀踊り がありました。 193 秋葉区 子成場の獅子舞(こなしばのししまい) 四季の新津(しきのにいつ) 子成場獅子舞保存会 作詞・作曲:箱岩周平 上演期日:8月30日、9月1日 この唄を作ったのは1939(昭和14) 上演場所:北山神社、各戸 年のこと、中国出征当時に湖北省を転戦中、 内容:三匹獅子 歩哨に立って望郷の念にかられ作詞・作曲 演目:花見の舞・東下りの舞・麦蒔き・ど したもので、故郷の新津に思いを馳せる情 じょうすくい・鯛釣り・大黒様 緒がたっぷりで、人の心をとらえました。 1955(同30)年にテイチクの歌手、 五番町神楽舞(ごばんちょうかぐらまい) 鈴木三重子さんを呼んでレコードを作り、 五番町神楽保存会 歌舞伎座で発表会を開きました。 上演期日:8月25日 また、1963(同38)年に島倉千代子 上演場所:住吉神社、出雲神社、小須戸橋 さんのレコードも全国発売されました。 内容:獅子神楽。1811(文化8)年、 本望家の三代条太郎が信州上田の神楽を習 下興野神楽(しもごやかぐら) い伝えます。 下興野青年会 演目:演舞・幣束舞・鈴舞。獅子神楽 上演期日:8月26日∼27日 上演場所:神明宮 小屋場の太夫舞(こやばのたゆうまい) 内容:獅子神楽 小屋場太夫舞保存会 演目:御拝舞・鈴舞・棒使い・四方舞・手 上演期日:8月25日∼26日 踊・棒踊・花笠踊・麦蒔き 上演場所:神明宮、街路 内容:採取神楽 神明宮の太夫舞(じんめいぐうのたゆうま 演目:榊舞・花献舞・村雲舞(むらくもま い) い)・鏡造舞(かがみづくりまい)・四方堅 北上の太々講 舞(しほうがためまい) ・小弓舞・羽返し舞・ 上演期日:9月24日 五つ太刀舞・恵比寿舞・地割舞・大黒舞 上演場所:神明社 内容:採取神楽 栄町神楽(さかえまちかぐら) 演目:太夫之舞と太々舞 栄町神楽 上演期日:8月19日、8月20日 石油の里もみじまつり(せきゆのさともみ 上演場所:堀出神社、各戸 じまつり) 内容:獅子神楽 10月下旬から11月上旬にかけて秋葉区 演目:本舞、剣と幕、鈴舞 の金津丘陵の紅葉を楽しめるまつり。なか にいつ夏まつりで堀出神社に奉納。宮上り でも中野邸美術館もみじ園では、約130 の神輿を守護・先導し、各町内をお祓いし 種 2,000本の紅葉や12,000坪の ながら神社に帰着するものです。 敷地に、灯篭が配置された庭園の紅葉が観 194 秋葉区 賞できます。石油の里を中心としてイベン 田家の太夫舞(たいのたゆうまい) トも行われます。 田家神楽保存会 所在地:新潟市秋葉区秋葉区金津1175 上演期日:8月27日∼28日 ―1 上演場所:神明宮、各戸 内容:採取神楽 善道神楽(ぜんどうかぐら) 演目:鏡造舞・恵比寿舞・大黒舞 善道神楽保存会 上演期日:8月21日∼22日 田島神楽(たじまかぐら) 上演場所:神明宮 田島神楽保存会 内容:獅子神楽 上演期日:8月19日、8月22日∼23 演目:幕舞・幣束舞・鈴舞・幕舞・四方舞 日 約300年前、東島から来たと言われてい 上演場所:堀出神社(19日)、神明宮(2 ます。 2日、23日) 内容:獅子神楽 大安寺神楽(たいあんじかぐら) 演目:天狗舞・神楽舞(前幕・鈴幕・後幕)・ 大安寺神楽保存会 棒使い 上演期日:8月23日∼24日 慶安年間の村開発後、始められたと伝えら 上演場所:神明宮 れています。一時中断していましたが、1 内容:獅子神楽 978(昭和53)年に復活しました。 演目:神楽舞(悪魔祓い・岡崎舞・四方舞)。 四剣舞・花笠踊・手踊・麦蒔き・オーサイ 中新田神楽(なかしんでんかぐら) ヤ・大安寺甚句 中新田神楽保存会 神楽とひょっとこが一緒に舞う芸能です。 上演期日:8月25日∼26日 上演場所:神明宮、各戸 田家神楽(たいかぐら) 内容:獅子神楽 田家神楽保存会 演目:神楽舞・手踊・花笠舞・太刀舞・四 上演期日:8月27日∼28日 剣舞 上演場所:豊受神社、各戸 以前は天狗舞がありました。 内容:獅子神楽 田家久昌寺再建の資金調達のため、寛政年 中野神楽(なかのかぐら) 間に始められました。 中野芸能保存会 演目:化粧舞・幕舞・剣舞・四方舞・棒踊・ 上演期日:8月26日∼27日 段玉舞・麦蒔きじじ・舞い込み 上演場所:諏訪神社、各戸 内容:獅子神楽 演目:神楽舞(幕舞・鈴舞・剣舞・天狗と 神楽舞込) ・四方舞・二枚太刀・手踊・花笠 195 秋葉区 踊・団七踊 もてはやされました。2003(平成15) 以前は神楽の玉遊びがありました。 年11月に保存会が設立され、現在はこの 唄と踊りの保存・普及に取り組み、各種イ 七日町神楽(なのかまちかぐら) ベントなどで市民に親しまれています。 祭礼時の実行委員会 上演期日:8月最終土日 新津夏まつり(にいつなつまつり) 上演場所:稲荷神社、各戸 「新津松阪流し」 「屋台まつり」などが行わ 内容:享保年間、村の鎮守再建に際し、京 れます。 都伏見より奉持しました。 新津の夏祭りのフィナーレを飾る屋台祭り 演目:悪魔祓い・岡崎舞・天狗舞・四ツ切 は8月19日・20日、新津の総鎮守堀出 舞・団七・追分・棒踊・総甚句・神楽甚句 神社の大祭に7つの絢爛豪華な屋台が一斉 に市内目抜き通りへ繰り出し、各屋台の若 新津小唄(にいつこうた) 衆が大通りせましと屋台を前後に引き回し、 作詞:野口雨情 あるいは轅(ながえ)を上下に振るなどの 作曲:藤井清水 熱気あふれる勇壮な祭りです。 振付:藤陰靜枝 また、約160店の露店が連なり新津の夏 1932(昭和7)年7月24日、新作童 の風物詩です。 謡の普及活動のため全国行脚していた野口 雨情氏が新津に来られた折、当時の三業組 合の主催で雨情氏の歓迎の宴席で町長の鈴 木寅五郎氏が町の活性化と振興を図る目的 で雨情氏に作歌を依頼しました。雨情氏は、 翌日から早速作歌のための材料収集に取り 組み、市内の名所、旧跡を訪ね歩き、イメ ージを膨らませ、翌月の8月14日には、 新津の風情を詩情豊かに詠み込んだ11節 の歌詞が完成したのです。 にいつ花ふるフェスタ(にいつはなふるふ 作曲は大阪北市民館の同人会時代からの親 ぇすた) 友である「藤井清水氏」に依頼し、同時に 毎年6月上旬、新津地域にある「里山」の 振り付けを当時、舞踊界の新星と騒がれた 良さと点在する観光・文化施設を広く知っ 藤陰靜枝氏に依頼し、9月には盛大な「新 てもらうために行われる、新潟県立植物園 町の歌舞伎座」で完成披露会が催されまし の園地を会場にした春の一大イベント。ス た。 テージショーや参加者による花ふるロール 歌と踊りは、花柳界を中心に広がり、鉄道 ケーキの作成、フリーマーケットなどが行 の分岐点でもあった新津では全国から集ま われます。 ってきた工員や石油業者等によって唄われ、 196 秋葉区 新津松坂(にいつまつさか) 内容:獅子神楽 新津松坂の由来についてはいくつかの説が 鎌倉時代以前からという伝承がありますが、 あります。最も伝えられているのは、今か 資料的な裏付けはありません。祭礼時、町 ら400年程前の天正年間の戦国時代、新 内の悪魔祓い・宮上り・奉納舞となります。 津丹波守勝資(にいつたんばのかみかつす 演目:神楽・鈴舞・古津甚句があります。 け)が伊勢松坂に優雅な踊りのあることを 耳にし、数名の男女を遣して修得させ、帰 満願寺獅子舞(まんがんじししまい) 国後これに改訂を加え領民の間に流布し後 満願寺獅子保存会 世に伝わり新津松坂となったという説です。 上演期日:8月27日∼28日 毎年8月に行われる「新津夏祭り」では「松 上演場所:神明宮、各戸 坂流し」を開催し、多くの踊り手たちが伝 内容:三匹獅子 統の松坂を優雅に舞います。 演目:悪魔祓い・角助・弓舞・綱舞・清滝・ 東下 西島神楽(にしじまかぐら) 以前は十二支舞がありました。 西島神楽保存会 上演期日:8月最終土日 万灯神輿(まんとうみこし) 上演場所:諏訪神社、各戸 8月20日、にいつ夏まつりに市民有志が 内容:獅子神楽 担ぐ神輿で、各町内が繰り出す7台の祭屋 天保年間、福島県会津から持ち帰ったとさ 台の先頭になって練り歩きます。 れます。 演目:神楽舞・四方舞・手踊舞・天狗舞・ 結神楽(むすぶかぐら) オカメ舞 結古典芸能保存会 上演期日:9月29日∼30日 東島神楽(ひがしじまかぐら) 上演場所:道祖神社、各戸 東島神楽保存会 演目:神楽・棒踊・手踊・伊勢踊・刀踊・ 上演期日:8月27日∼28日 剣節・花笠踊・化物踊・鳥刺し・四方舞・ 上演場所:八幡宮、各戸 団七踊・棒仕之・結甚句 内容:獅子神楽 約350年前に福島県いわき市から津川を 山谷神楽(やまやかぐら) 経て東島に伝わったとされます。 山谷保存会 演目:神楽舞・剣の舞・手踊 上演期日:2月26日、8月26日、27 日 古津神楽(ふるつかぐら) 上演場所:諏訪神社、各戸 古津青年会 内容:獅子神楽 上演期日:4月26日 演目:神楽舞(幕舞・剣舞・悪魔祓い・天 上演場所:諏訪神社、各戸 狗舞)・四方舞・刀踊 197 秋葉区 以前は玉遊び、棒使い、棒踊り、漫才があ 丸い形が自慢で、肉質は白く、独特のヌメ りました。 リがある上質のサトイモです。 プチヴェール クシュクシュとしたバラのような姿形と鮮 【伝統工芸】 やかな濃い緑黄色が特徴で、皆さんもご存 知の「青汁」の原料であるケールと芽キャ しのぶ細工(しのぶざいく) ベツを交配させて生まれた最高の栄養成分 夏に涼をとる飾り物。鶴や亀などをはじめ、 を持つといわれる健康野菜です。緑黄色野 さまざまな形があります。しのぶ細工は、 菜のなかでも特にカルシウムとカロテンが 針金を芯にして苔を巻き、しのぶ草を巻き 豊富で、ビタミンや鉄分もたっぷりです。 付けてつくります。しのぶ草とは、山中の 岩などに着生するシダ目ウラボシ科の多年 ○加工物 その他 草で、その名は水や土がなくなっても耐え 忍んで葉をつけ、また深い山の岩肌にへば あちらこちら命がけ(あちらこちらいのち りついて、寒い冬を耐え忍ぶ特徴があるこ がけ) とから名付けられたといいます。旧小須戸 坂口安吾の作品に由来するものは新津に多 町で、園芸農家の冬仕事として昭和の初め くあります。 「あちらこちら命がけ」は羽入 ごろから作られるようになりました。 のお菓子のこと。 清酒「いのちがけ」は、新津で唯一の酒蔵 が廃業したため生産中止となりました。 【食】 おか免菓子(おかめかし) おでことほおが盛り上がったにこやかな ○農水産物 「おかめ」の表情をかたどったお菓子。明 治初期に考案されたおかめ菓子は、砂糖と 里のいもこ(さとのいもこ) 水あめを混ぜた玄米の粉をこねて、木の型 JA新津さつき管内で生産されるサトイモ に詰め形を整えた後、へらで型をたたいて は、阿賀野川流域の肥沃で水はけの良い地 取り出し、乾燥させて出来上がりと、伝統 域を中心に、旧新津市、五泉市(一部)、旧 の製法を守りながら1つ1つ丁寧に手づく 小須戸町で栽培され、面積は、約10ha、 りをしています。独特の歯ごたえと味は、 出荷量は、県内トップ3に入る大産地です。 子供からお年寄りまでみんなの人気者です。 2003(平成15)年5月には、旧新津 旧町内では約15年前には6軒ほどがおか 市、旧小須戸町が国の指定産地となり、サ 免菓子を作っていましたが、後継者不足で トイモ産地として認められたところです。 次々やめ、現在の製造元は2軒だけとなっ 栽培されている品種の多くは、 「大和早生」。 ています。 198 秋葉区 からし茄子(からしなす) などの野菜を漬物にする工場が、船つき場 新潟唐辛子工房「からし屋 大祐」の製造。 の近くにできました。初めは購入した味 「こだわり唐辛子」と「天然からし粉」で 噌・醤油を漬物用に使用していましたが、 有名です。季節商品にからし茄子(樽入) 大量の漬物をつくるようになってからは、 があります。 味噌・醤油も自工場でつくるようになりま した。それが現在の小須戸産の天然醸造の 子育てもち(こそだてもち) 味噌・醤油です。 子育延命地蔵尊に由来し、茂林寺の承諾を 得て作られた、ゆべしに似たお菓子のこと。 現在は製造中止されています。 【施設】 三色団子(さんしょくだんご) 新津本町1丁目にある菓子店「羽入(はに 小須戸地区ふれあい会館(こすどちくふれ ゅう)」の調製によるもので、1916(大 あいかいかん) 正5)年に発売を開始しました。24個の 市民の生活及び福祉の向上並びに教育及び 白玉だんごの上に、こしあん・白あん・黒 文化の発展に寄与することを目的に設置。 ごまの3種類のあんこが、それぞれ8個分 多目的ホールのほか、調理実習室や研修室 ずつ載っています。 を備えています。 所在地:新潟市秋葉区矢代田35 新潟花茶漬け(にいがたはなちゃづけ) 新津商工会議所や新潟薬科大学が研究を進 石油の世界館(せきゆのせかいかん) める産学官連携開発商品。新潟の食材から 石油の里のメイン施設。資料展示室には石 生まれたお茶漬けで、食用菊の「かきのも 油の誕生から現在、そして未来まで、あら と」が使われています。 ゆる石油に関する資料がそろっています。 屋内中央には、上総掘り(かずさぼり)油 新津ものがたり(にいつものがたり) 井の3分の2の模型を展示しています。 越後七不思議の次に不思議なものとされた 所在地:新潟市秋葉区金津1172−1 「八珍柿」は「平種無柿」の学名で呼ばれ、 原木は秋葉区(新津地区)古田にあります。 その「八珍柿」を加工したお菓子が新津も のがたりです。 味噌・醤油(みそ・しょうゆ) 昭和初期の頃、旧小須戸町は信濃川に沿っ て栄えた町で、船で新潟や長岡との行き来 が盛んでした。その時に近くで採れた大根 199 秋葉区 中野邸美術館(なかのていびじゅつかん) 新潟県立植物園(にいがたけんりつしょく 中野貫一と長男忠太郎が築造した邸宅と庭 ぶつえん) を整備し、1997(平成9)年4月24 自然豊かな金津丘陵に作られた県内随一の 日に開館した美術館です。中野貫一は、1 県立植物園。眺望のよい敷地内には四季 874(明治7)年から油田採掘に着手し、 折々の花壇や、熱帯植物ドームや企画展示 29年目の1903(同36)年に商業規 ドームなど、1年を通じて花と緑を楽しみ 模の油田発掘に成功し、莫大な財を築き、 学ぶことができます。面積 19.8ha。 明治・大正時代に「日本の石油王」と呼ば 所在地:新潟市秋葉区金津186 れました。明治時代の貴重な木造建築と、 「もみじ園」の名で知られる4万㎡の庭園 とが見事に調和し、特に紅葉の時期は、そ の美しさで来館者を魅了しています。蔵を 改造した展示室では、古美術の優品や中野 家ゆかりの文書、石油発掘当時の写真、折 紙作家中野忠正の作品などを公開するほか、 企画展示も行っています。 所在地:新潟市秋葉区金津598 新津地域学園(にいつちいきがくえん) 市民の生涯学習、文化・スポーツ活動等の 自主活動を推進し、及び地域文化の振興を 図ることを通じ、市民福祉の向上に資する ための施設です。研修室・音楽練習室・工 作室・相撲場・陶芸室・体育館・弓道場を 備えています。新津鉄道資料館・エフエム 新津併設。 所在地:新潟市秋葉区新津東町2−5−6 新潟県埋蔵文化財センター(にいがたけん まいぞうぶんかざいせんたー) 新津地区市民会館(にいつちくしみんかい 埋蔵文化財の調査研究や保護思想の普及啓 かん) 発、埋蔵文化財に関する情報・資料の収集・ 市民生活向上と、教育、文化の発展に寄与 提供、出土遺物の保管展示などの業務を行 するための施設です。1973(昭和48) っています。 年10月開館。 所在地:新潟市秋葉区金津93−1 所在地:新潟市秋葉区程島2009 200 秋葉区 新津鉄道資料館(にいつてつどうしりょう 所在地:新潟市秋葉区蒲ヶ沢109−1(花 かん) と遺跡のふるさと公園内) 新津は、日本海側の鉄道の要所として発展 してきた歴史があります。旧国鉄の機関区 や、電務区、車両工場などの現場機関が多 く設置されていたこともあり、鉄道と市民 生活は深く関わっていました。最盛期には 客車400両、蒸気機関車60両を含む大 鉄道基地で、勤労者の 4 人に1人が鉄道関 係者だったとさえいわれます。新津鉄道資 料館では、秋葉区の文化に大きな影響を与 えた鉄道のさまざまな資料を保存・公開し ています。 【その他】 所在地:新潟市秋葉区新津東町2−5−6 アザレア 新津・小須戸・白根地域は古くから花き園 芸生産が盛んで、その歴史は江戸時代まで 遡ります。現在栽培されているアザレア(別 名西洋ツツジ)の多くは、アジア原産のツ ツジがヨーロッパで室内観賞用に品種改良 されたもので、新潟に入ってきたのは明治 後期。当時は輸入されたものをそのまま販 新津美術館(にいつびじゅつかん) 売して商業的な生産は行いませんでした。 新津美術館はさまざまなアートに出会える その後、大正後期に新潟が初めてアザレア 場所です。「アートに出会う はじめの一 の商業的な栽培に成功し、今では花色・花 歩。」をキャッチフレーズに、従来の美術の 型などバラエティに富んだ品種を数多く栽 枠にとらわれない展覧会や、コンサート、 培しています。本来の開花時期は 4 月∼5 パフォーマンス公演などを行っています。 月ですが、開花調整により秋から冬の室内 白い大理石の空間、アトリウムは、人々が を彩る鉢花として親しまれています。 集い、さまざまなアートが行き交う広場(フ ォーラム)としてデザインされています。 金津焼(かなづやき) また、新津美術館は、国内外の演奏家や現 石油の里もみじ園の近くに窯があり、 本物 代美術家による出前コンサートや出前授業 のもみじの葉を使ったもみじ柄の作品や、 を、地域の学校などに届ける活動も行って 薪の登り窯で焼いた自然釉の焼〆などが特 います。 色。陶芸家の押味修さんは、新津美術協会 201 秋葉区 副会長、新潟市美術展審査員など広く市内 また、性質も強健で若干夏の暑さに弱い所 外で活躍中です。 もありますが、鉢植え、露地植えにかかわ らず非常に育てやすい植物です。 花夢里にいつ(かむりにいつ) 道の駅でもある「花夢里にいつ」には、室 小須戸地区公民館報(こすどちくこうみん 内装飾用の花や花壇・庭園・観賞用の花と かんぽう) 緑・苗木、資材などが産地ならではの量・ 小須戸地区公民館報は1949(昭和24) 質で所狭しと展示され、多くの家族連れで 年10月に「公民館報こすど」のタイトル 賑わいをみせています。 で第1号を発行しました。創刊からしばら 所在地:新潟市秋葉区川根438 くは、町の予算や都市計画などが掲載され るなど町広報としての色合いが濃かったの クリスマスローズ ですが、1973(同48)年4月の町広 バルカン半島を中心として地中海沿岸原産 報が別に創刊されてからは文化活動の紹介 のクリスマスローズは雪割草とおなじキン が中心となりました。名称は4度変わり2 ポウゲ科の植物です。 005(平成17)年4月から現在の「こ 冬枯れのまだ寒さが残る 3 月、色とりどり すど地区公民館報」の名称を使っています。 の個性豊かなクリスマスローズの花々が一 A3判2ページで月1回同地区を全戸配布 足早く春の訪れを告げてくれます。近年最 しています。2001(同13)年には公 も人気の高いこの植物は、10数年前旧新 民館報を永久保存しようと縮刷版とCD− 津市の育種家と生産者がイギリスでキンポ ROMを製作しました。 ウゲ科の雪割草を紹介し、RHS(王立協 会)で日本初のゴールドメダルを授与され サツキ たことがきっかけで栽培されることとなり サツキはツツジ科の植物で、山奥の岩肌な ました。以降イギリスのクリスマスローズ どに自生しています。旧暦の5月(皐月) 育種家との交流が生まれ、イギリスから優 の頃に咲き揃うことからサツキツツジ(皐 良品種が導入され、さらに10数年の歳月 月躑躅)とも呼ばれ、盆栽などでも親しま をかけて、地元新潟秋葉区の生産者によっ れています。 て品種改良され日本人向きの多種多様な花 1955(昭和30)年頃から始まった高 色、花形の花が育種されています。タイプ 度経済成長の波にのり、1965(同40) はシングル・セミダブル・ダブル、色は白・ 年頃にさつきブームが到来しました。もと 黄色・みどり・ピンクや複色のものなど様々 もとこの地域はアザレアなどのツツジ類の で、それがまたクリスマスローズの1つの 生産により、高い挿し木技術を有していた 魅力となっています。 こともあり徐々に生産が増え、昭和40年 クリスマスローズは本来「萼(がく)」の部 代後半には年間生産量250万∼300万 分を「花」と呼んでいますが、開花期が長 本にまで増えていきました。 く長期に渡り花を楽しむことができます。 しかし、1973(同48)年のオイルシ 202 秋葉区 ョック以降、この煽りを受け、さつきブー 新津温泉(にいつおんせん) ムは去ってしまいましたが、まだまだ根強 含重曹食塩泉(緊張性高張高温泉)毎分1 い人気があり、毎年開催されるさつき祭り 9.8l、源泉の深度は933m。塩辛く には、県内外から多くのさつきファンで賑 アブラ臭がする、個性的なお湯です。 わいを見せています。 新津フラワーランド(にいつふらわーらん シャクナゲ ど) ツツジ科に属します。大正時代に西洋シャ 「花と緑と石油のまち」新津を象徴する新 クナゲが小合村(旧新津市)に導入されま 津フラワーランドは、花や緑に広く親しめ した。昭和に入ると、全国的に第1次ブー る花文化の情報発信基地で、年間35万人 ムになり、小合村の長尾草生園の長尾次太 が訪れます。年間50回の展示会や発表会 郎や、金沢の成瀬勝久、沼津の和田弘一郎 を通じ、潤いのある地域社会づくりを提案 によって輸入や生産が行われていました。 している花の総合展示販売所です。 長尾は交配により「流星」 「越路の雪」とい 所在地:新潟市秋葉区古津891−1 った品種を作出しました。昭和40年代に は台湾のアカボシシャクナゲを台木として ボケ 大量生産が可能となりました。 ボケは日本古来の野生品種(落葉低木)で、 観賞用となったのは大正時代からと言われ ツツジ ています。江戸時代中期には新潟でもボケ ツツジ属のなかで、基本的に落葉種または の栽培はされていたとされていますが、品 園芸品種の総称。日本ではツツジ属のなか 種数も少なく、園芸の主流にはなりません のツツジ、サツキ、シャクナゲなどを昔か でした。 ら分けてよんでいます。旧小須戸町の「町 その後昭和40年代後半に入り新品種が の花木」でしたが、新潟市合併後は小須戸 続々と発表され、また小須戸地域の生産者 地域の花木として継承されています。 により挿し木や接木の栽培技術が確立した ことから生産量が飛躍的に拡大され、小須 新津市場(にいついちば) 戸地域を中心に新津、白根の一帯で国内生 1726(享保11)年頃に開設されたと 産量の90%を生産し、質・量ともに全国 いわれます。定期市は現在、JR新津駅す 1位の生産地となっています。 ぐ隣の駐車場で毎月1日・6日・11日・ 毎年 3 月に小須戸地区で開催される日本ボ 16日・21日・26日(1月1日を除く) ケ展には県内外から多くの愛好家が訪れま の月6回行われます。 す。 旬の野菜や果物、漬物、鮮魚などを中心に、 ほかに衣料品やはき物なども並びます。 定期市のほか、8月13日には盆市、12 月30日には晦日市が行われます。 203 秋葉区 ボタン 新津地域はボタン苗の全国的特産地。19 02(明治35)年、小合地区の江川啓作 と四柳徳次郎がシャクヤクを台木にボタン を接ぐことに成功し、その後ボタンの生産 量が飛躍的に増加。新津の花の歴史も大き く開かれました。 水倉(みずくら) 当地区の土蔵建築にみられる様式であり、 水害を防ぐため1mほどの土盛の上に建て たもので、 「水倉」と呼ばれています(吉田 家の土蔵)。 ○伝説 河童の約束(かっぱのやくそく) 川で村人にいたずらをして困らせていた河 童を間家の主人がこらしめてやろうとした ら、必死に謝るので許してやりました。河 童はお礼に毎朝魚を届けにくるようになり ました。 共同墓地にある間家代々の墓は「河童の神 様」として讃えられ、盆の墓参りには地域 の人もおまいりします。 204
© Copyright 2026 Paperzz