カメルーン紹介(PDF)

カメルーン共和国
(Republic of Cameroon)
面積
475,442km2(日本の 1.26 倍)
人口
1,640 万人(2004 年)
首都
ヤウンデ(114 万人/97 年)
民族
ドゥアラ、バミレケ、バムン、フルベ他
言語
フランス語、英語(共に公用語)、その他各部族語
宗教
カトリック(25%)、プロテスタント(15%)、イスラム教(20%)、その他伝統宗教
略史
1960.1. 仏領カメルーン独立
1960.5. アヒジョ初代大統領就任
1961.2. 英信託統治地域の一部が人民投票により西カメルーンになる。
1961.10. 西カメルーン独立、旧仏領カメルーンとともにカメルーン連邦共和国成立。
1972.5. 連邦制を廃し、「カメルーン連合共和国」に。
1982.11. アヒジョ大統領辞任。ビヤ首相、大統領就任。
1984.1. ビヤ大統領再選。国名を「カメルーン共和国」に。
1988.4. ビヤ大統領再選
1990.12. 複数政党制導入
1992.10. ビヤ大統領再選
1996.1. 地方選挙で野党側が勝利
1997.5. 国民議会選挙
1997.10. ビヤ大統領再選
2002.6. 国民議会選挙及び地方議会選挙
2004.10. ビヤ大統領再選
内政
1982 年 11 月アヒジョ前大統領の辞任に伴い、憲法規定に則りビヤ首相が大統領に就任、単一政党たる「カメルーン人民
民主連合(RDPC)」を基盤とした堅実な経済運営により、内政の安定に努力。88 年 4 月、ビヤ大統領は大統領選挙において
再選を果たし、政権基盤を強化した。90 年に入り社会・経済開発に対する諸外国よりの支援の必要性及び国内の民主化要
求に応えるため、ビヤ大統領は同年 6 月複数政党制導入を含む民主化改革を実施する方針を示し、同年 12 月議会におい
て正式に決定。92 年 3 月、複数政党制下で初の国民議会選挙が実施されるとともに、10 月の大統領選挙ではビヤ大統領が
再選された。96 年 1 月、一連の選挙の皮切りとなる地方選挙が実施され、野党が大勝したが、97 年 5 月の国民議会選挙で
は与党 RDPC が過半数の議席を確保。又、同年 10 月の大統領選挙では、主要野党が右選挙をボイコットしたものの、大きな
混乱はなくビヤ大統領が再選(任期 7 年)を果たし、有力野党(UNDP)との連立政権を発足させ、その後の政局は安定してい
る。2002 年 6 月、国民議会及び地方議会選挙が実施され、与党が圧勝し民主的かつ透明な選挙実施を主眼に実施された
2004 年 10 月の大統領選挙でもビヤ大統領が圧倒的支持を得て再選された。
(外務省 Web サイト参照
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/cameroon/data.html)