イタリア・スロ lフlド その後 リズム )、ワイナ リl、 加 工 特 産 品 、 町 の 景 観 、 学 校 アグリツ lリズモ U日本ではグリ ー ンツ l 農家の施設 ( 教 育 、 農業 政 策 、 食 のイベントとい ったものが、密 接に連携したなかで進められているのが理解できた 。 E U諸 国 で イ タ リ ア が ワ イ ン を 筆 頭 に 農産 物加工 1ド は 非 常 に 品の輸出がダントツであるというのがすんなりうな ブラ市の役場を訪ねたら﹁スロープ ずけた 。 大 き な 存 在。 ブ ラ の 名 前 を 世 界 に 運 ん だ 。 ブ ラ 市 も スロープ 1ド は 、 イ タ リ ア に 本 部 を 置 くN P O法 ん と 、 ス ロ ー プ │ ド 協 会 会 長の カ ル ロ ・ ペ ト リ l ニ チlズ の イ ベ ン ト は 、 前 市 長 の ブ ラ ン コ ・ グ イ ド さ る (笑)。市はお金の 面 で も 人 材 面 で も 貢献している。 金丸弘美 人の団体名であり、地域の農業や地域の特産物を中 さんと、 協 力 し て 二 年 に 一度 チ lズ の 展 示 会 を 町 を 開 放 し て 行っている 。市も市民も巻き込まれて協力してい 心にそのブランド化を行い、地域経済のシステムを を訪ねるのは四度目となる。一度目はトリノで偶数 ロープl ド 協 会 国 際 本 部 を 再 訪 し た 。 スロ ー プ1ド の別会社があり、スロープ 1ドと密接にかかわり、多 出 す 二十五名の出版部、 二十 名 の コ ン サ ル タ ン ト 部 連の N P Oである 。 組 織 内 に は 経 済 的 な 基 盤 を 生 み あり、 専 従 者 百 二 十 名 を 抱 え る イ タ リ ア 最 大 の 食 関 ち な み に ス ロ ー プ lド 協 会 は ブ ラ 市 内 に 事 務 局 が よ ﹂ と の こ と だ った。 一緒 に ア イ デ ア を 出 し 合 っ て 生 ま れ た ん だ 作り上げた事業体である。 *** 年におこなわれている小さな生産者や加工業者を一 昨 年 十 一月 、 北 イ タ リ ア ピ エ モ ン テ 州 に あ る ス 堂 に 集 め て 大 々 的 な 展 示 会 と プ ロ モ ー シ ョンが 行 わ 雇用と新しい活動 の投資を生んでい 大 な 利 益 を 生 み 出 し 、 そ れ がN P O活 動 の 従 事 者 の る。さらに加えて れる﹁サロ lネ・デル・グスト﹂。 二 度 目 は 協 会 本 部 度 を 集 め た ﹁ チ lズ ﹂ の イ ベ ン ト で あ る 。 そ し て =一 イタリア国内で 三 を得て行われる。イベントは各地からの伝統的な農 いずれも 州 政 府 、 市 か ら の 援 助 、 企 業 ス ポ ン サ ー され、 会 の 支 部 活 営資金として活用 費収入も大きな運 織があり、その会 出版物 の あ る ブ ラ 市 で 奇 数 年 に 開 催 さ れ る チlズ の 生 産 者 た持続的な農業を話し合うための世界生産者会議 目 は 、 ト リ ノ で 二 O O六 年 か ら 行 わ れ る よ う に な っ 産物や加工品を集め展示即売がされ、マスコミやバ 動を通して地域に 万五千名の 会 員 組 イヤーも各国から集まる。観光局と連携し、歴史的 ﹁テッラ ・マ lド レ ﹂ で あ る 。 建造物の観光、レストランでのディナーなどの連携 広 が り を も た らし ている 。 もっとも関心を な ど が さ れ て 、 観光 事業 に も つ な が り 地 域 経 済 を 生 み出す周到な仕組みになっている 。 何度か訪れるなかで、周辺の 農業、宿泊ができる 1 8 たのである 。 さ ら に 大 き な 利 益 を 生 み 出 し 、 そ の 収 ローカルなものからインターナショナルに押し上げ ストになり、伝統的な食文化をイタリア全土に広げ、 工品 や レ ス ト ラ ン を 紹 介 し 、 ま た 学 校 の 食 育 の テ キ たわけだ 。 これらの出版物が、イタリアの農業や加 ジャーナリストだったというから、得意の分野だっ ともとスロープ lド 協 会 の 設 立 メ ン バ ー の 中 心 が も っ た の が 出 版 部 だ 。 書 籍 が 百 点 以 上 も 出 て い る 。も それがスロープ│ドのガイドで紹介されることで世 農 村 の 景 観 が 美 し く 、 農 家 で 泊 ま っ た り 食事 を す る 。 な補助をすることで農業の存続を支えているのだ。 配慮した農業にも補助金が出ている。つまり間接的 また農村の 景観 を 守 る こ と や 有 機 農 業 を 始 め 環 境 を どを奨励しており、それらに補助金が出されている 。 家 に 泊 ま る ア グ リ ツl リ ズ ム や 農 家 の レ ス ト ラ ン な E Uで は 小 さ な 農 家 の 経 済 を 向 上 さ せ る た め に 農 界から人が食べにやってきて、観光につながり、農 ロ・ロッソ社との共同出版)。これは毎年協会関係者の の ガ イ ド ブ ッ ク ﹁ ヴ ィ l ニ・デ・イタリア﹂(ガンベ 出版物のなかでも秀逸だと感心したのは、ワイン に建てられたカルロ・アベルト王が建てた広い中庭 の あ る 壮 大 な ネ オ ・ ゴ シ ッ ク の 建 築 物。 イ タ リ ア 政 のスロープ lド の 大 学 を 訪 れ た 。 校 舎 は 一八 三三 年 さ て 協 会 の あ る ブ ラ か ら 二十 分 ほ ど の ポ レ ン ツ オ 家の所得にも直結するという仕組みなのである。 ソ ム リ エ が 厳 選 し た ワ イ ン が 紹 介 さ れ る 。 これに 府が管轄していたものを州政府の後押しで修復した 益がさまざまな活動に再投資される仕組みになって いる 。 し か も デ ザ イ ン が 素 晴 ら し い 。 よってイタリアのワインを世界に知らしめた。いま と い う。 大 学 、 ホ テ ル 、 レ ス ト ラ ン が あ る 。 こ の 建 レ ス ト ラ ン は 一ツ星のGUID、 ホ テ ル も 広 々 と や日本のイタリア料理庖でも常備されるほどに広 して快適である 。 地下には、イタリア全土から集め 築物を含む周辺が世界遺産になっている。 それと農村などに点在する郷土の料理を出してく がった 。 発 行 部 数 は 毎 年 十 八 万 部 に も な る 。 れるレストランを招介する﹁オステリア﹂だ。イタ たびたび日本に来ていた大学理事のジヤコモ・モ られたワインが並ぶ 。 1ド協会のメン リア全土千七百庖以上が紹介される 。毎年八万部が 出ている 。 この本の掲載はスロープ て こ こ で は 世 界 各 国 か ら 人 が き て 会 議 を す る 。 だか ヨl リさんに再会した。﹁食の国際大学を目指してい 一九 五二 年 佐 賀 県 唐 津 市 生 ま れ 。 食 環 境 ジ ャ ー 物 を 伝 え る 日 本 の ス ロ ー プ l ド ﹂ な と 。 日 本 ペ ン ク ラ ブ 環 境委員。 著書に ﹁ 給 食 で 育つ 賢い 子 ども﹂﹁子どもに伝えたい本物の食﹂﹁本 ナ リ ス ト 食 総合プ ロデ ュー サ ー 。 総 務 省 地 域 力 創 造 ア ド バ イ ザ ー 。 かなまる・ひろみ と力にはただただ驚くばかりである 。 し 、 教 育 分 野 ま で 広 げ た ス ロ ー プ 1ド の 壮 大 な 構 想 動を始めている 。 それにしても大学運営までのりだ た 。 そ し て 現 場 で 、 ス ロ ー プ lド の 理 念 に そ った 活 学生は世界各国から集まり、すでにご一百名が卒業し ジ ャ ー ナ リ ス ト や プ ロ デ ュ ー サ ー を 育 て る と い う。 学では現場で農業の生産や流通などを学び、食の ら す べ て が 一流 で あ る 必 要 が あ る ん だ ﹂ と い う 。 大 バーがこ っそ り 食 べ に 行 っ て よ け れ ば 推 薦 す る と い 大学のレストラン う 形 に な って い て 、 推 奨 庖 に は 協 会 の カ タ ツ ム リ の マl クが屈に贈られる。 スロフドの大学 1 9
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