『集団的自衛権ってなんですか?』【PDF:11743KB】

発 刊 に あ たって
和歌山弁護士会
会 長 小野原 聡史
このたび、和歌山弁護士会から、憲法委員会の編集により、2014(平成 26)年9月 16 日に開
催しました市民集会「集団的自衛権って何ですか?~憲法と集団的自衛権を考える~」の報告集
を発刊する運びとなりました。
この集会は、2014(平成 26)年7月1日に安倍内閣が閣議決定という内閣の決定で、集団的自
衛権の行使を認めるという決定をしたことから、集団的自衛権という聞き慣れない言葉がどういう内
容なのか、日本国憲法は集団的自衛権についてどのような態度をとっているのかということを学ぶ内
容としたものです。
もっとも、この集会自体は7月1日より前から計画されていたもので、安倍首相が憲法9条を変えて
日本も軍隊を持てる国にしたいとの意向を表明したり、それが難しいとなると今度は憲法改正の要
件を定めた憲法 96 条を改正するといい、96 条についても裏口入学などの批判を受けると、閣議
決定で集団的自衛権行使が認められないかを検討するなどの一連の動きに対して、憲法委員会
で憲法との関係で問題がないか検討してくる中でこの集会の開催に至ったものです。
講師の伊藤真弁護士は、司法試験受験生のための伊藤塾を経営されている方で、授業の経
験を生かしてわかりやすい話をしていただけたと感謝しています。
安倍首相は、今年の通常国会の中でも憲法改正に意欲を示していますが、その最終目標が憲
法9条の改正にあることは、これまでの一連の発言の中からも十分読みとれます。
日弁連と全国 52 の全弁護士会は、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定については、従
前の政府の解釈を根本から変えるものであり、立憲主義に反するという会長声明を出しています。
和歌山弁護士会でも、法律の専門家集団という立場から、憲法をめぐる問題について、国民
の皆さんが判断する上での参考となるような市民集会などを開催していきたいと考えています。
これをもちまして発刊にあたってのご挨拶とさせていただきます。
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第1部 講演
市民集会
「集団的自衛権って何ですか?〜憲法と集団的自衛権を考える〜」
2014 年9月 16 日
(火 )
○司会(吉田督) それでは、第1部、伊藤真弁護士による講演、「集団的自衛権とは何か~そ
の現状と問題点~」を始めさせていただきます。
伊藤弁護士は、伊藤塾塾長として司法試験の受験指導を幅広く展開しておられます。また、日
本弁護士連合会憲法問題対策本部副本部長をされており、日本国憲法の理念を伝えるべく各地
へ講演に奔走しておられます。また、「高校生からわかる日本国憲法の論点」など、数多くの著
作により、わかりやすく憲法を発信しておられます。なお、伊藤弁護士の御経歴については、受付
にて配付させていただきました資料に詳しく記載されておりますので、そちらもごらんください。
それでは、伊藤弁護士、どうぞよろしくお願いいたします。
はじめに…自己紹介等
○伊藤真 それでは、始めさせていただきます。
皆さん、こんばんは。お招きいただき、本当にあ
りがとうございます。また、大勢お集まりいただき、
ありがとうございます。
本日の集会は、憲法と集団的自衛権を考える市
民集会です。憲法の枠の中で私たちは日々生活を
していますが、これまでお話があったように、閣議
決定で、集団的自衛権が行使できるように憲法の解釈を変えることがなされました。
そもそも集団的自衛権って何なのでしょうか。これは、きょう、私に与えられたテーマであり、この
話ももちろん差し上げますが、それとともに、憲法の中で、この集団的自衛権がどういう意味を持
つかについてお話ししたく、まず、憲法9条の位置づけ、そして、集団的自衛権のお話、最後に、
そもそも憲法は何であるかについても少しお話をさせていただければと思っています。もうそんなこと
わかっているという方が大勢かと思いますが、確認の意味と、これから私たちが何をしなければな
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第1部 講演
らないのかも含めて少しお話しさせていただければと思っています。1時間弱お時間をいただいて
います。短い時間ではありますが、精一杯お話をしたく存じます。
自己紹介するような者でもありませんが、憲法の価値を実現することが法律家の仕事であると考
え、かれこれ30年ほど、憲法価値を実現できる法律家を1人でも多く世に送り出したいという思い
から法曹養成に携わってきました。
また、自分のことを憲法の伝道師と言うのもどうかと思いますが、多くの皆さんたちに憲法を知っ
ていただきたく、あちこち走り回って憲法の話をさせていただいています。
例年は120、130回ですが、去年、今年は150回ぐらいのペースで、あちこちでお話をさせて
いただいています。大きなところでは8,
000人ぐらいの集会から、小さなところは10人、20人の幼
稚園のお母さんたちの集まりまであります。呼んでいただければスケジュールが許す限り、どこへで
も飛んでいってお話をさせていただいています。
特に、子供たちに憲法を知っていただきたいという思いが強く、少し前に「中高生のための憲
法教室」という本を刊行させていただきました。タイトルとして「中高生のための」という名前をつ
けましたが、「生」にバッテンをつけ、「中高年のための」と書きかえていただいて構いませんとい
つも申し上げています。それから、1、2週間くらい前、一番新しい本として、「やっぱり九条が戦
争を止めていた」という本を出しました。弁護士としては大した活動もしていませんが、1人1票の
実現、世の中では、通常、1票の格差の是正という言葉で呼ばれていますが、この裁判と運動を
行なっています。住んでいる場所によって、誰もが同じ1票を持っていないのはおかしい、投票の
価値に差があるのはおかしい、政治に対する発言力、影響力は、男女の区別なく、年齢の区別
なく、住んでいる場所による区別もなく、皆同じ1票の価値を持ってないとおかしいということで、裁判、
運動を行なっています。 これは最高裁判所の前で撮った写真ですが、最高裁判所は、衆議院
も参議院も「違憲の状態の選挙である」という判断をしています。違憲の状態の選挙で選ばれた
人が、今、総理大臣をしています。憲法的に言えば、民主的な正統性が全くない人、正しい憲
法上の手続で選ばれたとは言えない人が総理大臣をしているのです。
私は、
にせ首相という言い方をよくします。にせ札、
にせ弁護士、
にせ医者などと同じように、です。
別に“ばか”や“あほ”と言いたいわけではないのです。そういう、人を侮辱する言葉ではなく、
にせものだということです。どんなに腕がよくても、医師の国家試験を通ってなければにせ医者です。
それと同じように、正統な選挙で選ばれてない人が総理大臣をやり、この国の権力を行使し、閣
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第1部 講演
議決定するなどおかしな話なので、それを裁判を通じて正そうということなのです。この写真は記
者会見の様子です。
明治憲法から日本国憲法へ
私たちの今の憲法は1946年11月3日にでき、半年後に施行されました。それ以前は、大日本
帝国憲法、明治憲法でした。私たちの今の憲法の特長を理解する上で、前の憲法と対比してみ
るとよいので、このようなものをつくってみました。
大日本帝国憲法、
明治憲法は1889年2月11日に発布されました。1889年は明治22年ですが、
その100年前にフランスではフランス革命、フランス人権宣言が出されました。さらにその100年前
にはイギリスで名誉革命、権利章典が生まれました。
もともと憲法や人権の考えはイギリスで生まれたそうです。それが100年たってヨーロッパ大陸へ
渡り、人は誰も生まれながらに自由かつ平等であるというフランス人権宣言の考えになり、さらにそ
の100年後、アジアで初めての立憲主義の憲法、明治憲法ができました。この憲法は2月11日発
布されましたが、皆さんもご存じのように、2月11日は紀元節、この国ができたとされる日です。神
話の中の日付ですが、その日にあわせて明治憲法を発布したわけです。
この憲法は、1889年2月11日に生まれ、実質的には1945年8月15日のポツダム宣言の受諾と
ともに終わりました。今申し上げましたように、その後、私たちの憲法は、1946年11月3日に公布
されましたが、当初、日本政府はこれを8月3日に公布しようと考えていたそうです。ところが、審議
が長引いてしまって11月3日公布になってしまいました。8月3日に公布し、その6カ月後の2月11日
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第1部 講演
を施行の日にしようと日本政府は考えていたのです。明治憲法との連続性を意識し、しかも紀元節
にあわせて私たちの新しい憲法を施行しようと考えていたのです。
若干審議が長引き、11月3日に公布、翌年の5月3日から施行になったのですが、それでも政府
は諦めませんでした。11月3日を憲法記念日にしようと主張したそうです。
11月3日は、戦前、明治節、明治天皇の誕生日でした。明治節というとても重要な祝日でした。
それにあわせて憲法記念日にしようとしましたが、GHQから反対されて、5月3日が憲法記念日にな
りました。
何が言いたいかというと、明治憲法と日本国憲法は全く違うにもかかわらず、当時、憲法をつく
ろうとしていた政府側の人たちは、明治憲法の時代はよかった、新憲法になったが、両者の連続
性をいろいろな形で持たせたいと考えていたことが、こういうことからもうかがえるということです。
新憲法は、明治憲法の天皇主権を国民主権に変えました。明治憲法のもとで71年間、この国
はアジアに向かって戦争し続けた国でした。明治政府ができた最初の頃、1874年の台湾出兵か
ら始まって、大きな戦争だけでも、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、太平洋
戦争と日本はアジアに向かって71年間戦争し続けた国でした。最後の 1 年ほどで、全国各地の
空襲や沖縄戦、広島と長崎の原爆と大きな被害を受けて敗戦を迎えることになりましたが、それま
での日本はアジアに向かってずっと戦争し続けた国だったのです。それを戦争のできない国に変え
ました。
また、当時は国民の人権という言葉がありませんでした。そもそも憲法には国民という言葉が登
場しません。臣民、
天皇の臣として人々は扱われていただけです。天皇の部下や天皇の家来といっ
た位置づけでした。天皇が恩恵としてありがたくも臣民に与えてくれた権利が保障されるだけの国
でした。天皇が法律の範囲内で恩恵として臣民に与えたものが保障されていただけだったのです。
例えば治安維持法のように、法律で天皇が与えてくれた範囲内でしか集会の自由や表現の自由が
なかったのです。それをやめて、天賦人権、誰もが人間である、そのことだけで当然に人権が保
障される国にしました。天賦人権というのは、もともと、西洋近代、キリスト教社会の言葉だったよう
ですが、今、もう宗教は一切関係ありません。人間である、そのことだけで当然、人権は保障さ
れるという考え方の国にしました。
ほかにも、以前は、教育勅語などで、国が教育内容に口を出していました。また、靖国神社を
はじめ、宗教にも口を出していました。それらやめようとしました。また、それまでは、障害者、女
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第1部 講演
性、子供等は、戦争が始まると、戦争の役に立たない、女は兵士を産み育てればいいといった大
きな差別のあった国でしたが、それもやめることにしました。また、貴族や財閥、大地主等が存在し、
大きな格差のあった国から、できるだけ格差を是正しようという国にしました。また、以前は、何か
あれば、家族で何とかしなさいと自己責任を強いられた国でしたが、お互いさまと、助け合い、福
祉を充実させる国にしました。また、徹底した中央集権の国から、地方自治をきちんと保障する国
になりました。そして、何よりもお国のため、国家のために命をささげることはすばらしいということを
強制された国から、一人ひとりの個人の幸せのために、国はあるという考え方に変わりました。
個人の尊重と三大原理
ここに、個人のための国家と書いておきましたが、個人の尊重や個人の尊厳と憲法では言いま
す。個人主義という言い方をすることもあります。この個人主義という考え方をいまだに誤解されて
いる方がいらっしゃいます。戦後日本をだめにしたのは、憲法の行き過ぎた個人主義が原因である
とおっしゃる方がかなりいらっしゃいます。しかし、この個人主義は、利己主義やわがまま、自分勝
手とは全く無縁です。誰をも人として、個人として大切にすることなので、自分も大切にするが、こ
の人も、あの人も誰をも大切にするということなのです。
戦前の国家主義や全体主義をやめて個人主義、一人ひとりの個人を大切にしましょうということ
であり、戦後はそのように変わりました。平たく言えば、国家や天皇を何よりも大切にした国から、
一人ひとりを大切にする国に大きくさま変わりをしたのです。
レジュメの右方に書いたのが戦後レジーム、戦後体制です。ここから脱却したいという人が、今、
総理大臣をしています。日本を取り戻したいと言っていますが、彼は、どうしたいのでしょうか。安
倍さんがおっしゃっていることをいろいろ聞いてみると、どうもこの反対側つまり左側の方にしたいの
ではないかと思います。昔はよかったと思われているような気がしてなりません。
ちなみに、この赤で書いた3つ、日本国憲法の三原則、三大原理、個人の尊重は、日本の目
新しい特長というよりは、近代国家憲法の共通の価値観、考え方です。つまり、私たちの憲法は、
近代国家共通の考え方や価値観を採用したということです。太平洋戦争で負け、突然日本で生み
出されたものではないのです。先ほど申し上げたとおり、1689年のイギリスの権利章典から始まり、
フランス革命、
アメリカの独立宣言等、
さまざまな近代国家の英知がここに入っています。そして、
「戦
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第1部 講演
争できない」、戦争しない国ではありません、「したくてもできない国」に大きく変えたのです。
日本国憲法の基本原理ですが、私たちは、小学校以来、国民主権、人権尊重、恒久平和主
義という3つの言葉、単語は覚えてきました。しかし、3つの言葉の意味や関係がどうなっているか
について考えたこともありませんでした。3つの言葉は確かに単語として覚えてきました。でも、それ
ぞれの意味などさっぱりわからなかったのです。
ふだんの生活で主権という言葉は使わないでしょう。日常的に全く使わない言葉を言われてもよく
わからないのが本当だと思います。国民が主人公であると言われても別に学芸会ではないし、主
人公ってどういうことなの?ということでしょう。何となくわかった気にはなっても、ほとんどわかってい
ません。また、どうして人権が大切なのでしょうか。
そもそも日本の憲法の平和主義はどういうものなのでしょうか。平和が大切であるのはわかります。
でも、どうして、平和のために日本は戦争しない、軍隊を持たないとしているのか考えたことがあり
ませんでした。誰もが平和を求めます。そして、世界中の多くの人たちは、平和のために戦争が
必要だと考えています。平和のために集団的自衛権が必要だと考えています。平和のために抑止
力という形で軍隊が必要だと考えているのです。平和のために戦争すると言っているのです。
イスラム国をほっといていいのか?大変なことになるということで、イラク、シリアにアメリカが空爆を
しました。戦争を始めました。あの地域を平和にするために空爆、爆弾を落として戦争をすると言っ
ているわけです。そして、多くの国もそれを求めています。アメリカ何やっているのだ、だらしない、
空爆をしっかりやれという話になり、EUは結束してNATO軍でどうするということになるわけです。
平和のために戦争をし、平和のために軍隊を持っているのです。
では、どうして、日本は平和を掲げて軍隊を持たないのか。戦争しないと言っているのか?考え
たことがありませんでした。何となく国民主権、人権、平和が大切であると、ただ言葉を覚えただ
けでした。何もわかってない自分に気づきました。
私は、この3本柱、3つの基本原理と言いますが、この3つの柱が立っている土台を知らなかっ
たのです。立憲主義のことです。すべての人々が個人として尊重される。そのために最高法規と
しての憲法が国家権力を制限して人権を保障するという考え方です。これが土台にあって、その
上に3本の柱、3つの基本原理が立っているのです。少なくとも私はこの立憲主義という考え方を
聞いたことがありませんでした。この言葉は、昔、日本史や世界史という歴史の中で出てきました。
ですから、歴史の中で出てきた古臭い、カビ臭い言葉のイメージしかありませんでした。しかし、
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第1部 講演
それはとんでもない間違いでした。今の日本ばかりでなく、今のアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス
等近代国家ならどこでも、この立憲主義という考えを土台にして国家が成り立ち、憲法ができ上がっ
ていますが、それを知らなかったのです。日本の憲法の本質を全然わかっていなかったと、あると
き気づきました。
日本国憲法は13条で、
「個人の尊重」を規定しています。すべて国民は、個人として尊重され、
一人ひとりが大切にされます。そして、幸福追求権という人権をその中で保障しています。
私は、この個人の尊重ということの意味を、いつも、「人は皆同じ」、「人は皆違う」という2つ
の言葉でお話をします。誰もが人間として生きる価値があるという点では、同じように大切にされな
ければならない。豊かな人も、貧しい人も、健康な人も、ハンディキャップを負っている人も、人種
も宗教も性別も一切関係なく、およそ人間として存在する限り、かけがえのない価値がある、その
ことを認め合う。そのことが個人の尊重の1つの意味です。この世の中に生まれてこなければよかっ
た子供なんてただの1人もいないことを認め合おう。そして、1人ひとりの幸せのためにあるという考
え方です。私はレジュメに包摂性と書いておきましたが、
抱きとめる懐の深さ、
包容力のイメージです。
そして、人は、みな違います。違って当たり前だし、むしろ人と違うからこそすばらしいのです。
自分は人と違っていいので、自分と違う他者の存在も認められるようになります。自分が人と違って
いいということになると、自己肯定感が生まれます。そして、自分が認められると、人を認める余裕
が生まれてき、自分と違う考えの人、自分と違う宗教の人、自分と違う民族や国籍の人の存在も認
め合えるようになります。そのように多様性を認め合う社会を憲法は目指しているのです。
日本国憲法の恒久平和主義
1人ひとりの個人としての尊厳を打ち砕いてしまうのが戦争です。ですから、私たちの憲法は、
9条をおいて戦争を放棄しているのです。永久にこれを放棄するとなっています。ただ、「国際紛
争を解決する手段としては」と、条件のようなものがついています。条件がついたような形で1項
ができ上がっています。そして2項では、戦力を保持しない。国の交戦権は認めないとありますが、
その最初に、
「前項の目的を達するため」という語句がくっついています。この前項の目的がどうい
うことかについて少し議論になっています。一番上の、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実
に希求する」目的のためであるという考えがあります。これとは別に、前項の目的とは、「国際紛
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第1部 講演
争を解決する手段としての目的」を指し、これを放棄するものであるという考えもあります。国際紛
争を解決するというのは、わかりやすく言えば、侵略戦争の手段としてという意味ですが。
このように、この前項の目的を達するためを「侵略戦争を放棄する」目的を達するためにと解釈
をする考えもあり、やや、この9条の読み方がわかりにくくなってしまっています。ただ、2項は、戦
力を保持しないし、交戦権は認めないと言っています。そして、もう1つ、前文で平和的生存権と
いう人権の形で平和を規定しました。この9条と平和的生存権は、アジアの皆さんたちから信頼を
得るための国際公約という重要な意味も持っていると思います。また、戦力の保持や交戦権の否
認を定めた9条2項は、国連憲章を超えた、先駆性を持った内容になっています。そして、今お話
をしたように、平和を人権という観点から規定した画期的な内容になっています。
この9条の構造ですが、今お話をしたように、
1項の国際紛争を解決する手段としてという箇所は、
通常は侵略戦争の手段としてと、読んでいます。そこで、9条の1項では、侵略戦争を放棄してい
るだけである、自衛戦争は認められるという考えと、1項で自衛戦争も放棄しているという考えに分
かれます。
そして、2項では、先ほど申し上げたように、前項の目的をどう見るかで、正義と秩序を基調と
するという1項の冒頭部分を指すのであるという考えと、そうではなく、侵略戦争放棄の目的を指す
のであるという2通りの考えに大きく分かれます。
1つは、自衛戦争は可能であるという考えであり、限定放棄説などと呼んでいます。また、これ
を芦田修正論などと呼ぶ人もいます。日本は自衛のための戦争は放棄していない、あくまでも侵略
戦争を放棄しただけであるという考えです。
もう1つは、憲法学の通説や政府の考え方と言われるものです。1項では侵略戦争を放棄しただ
けであるが、2項で自衛戦争も放棄しているので、結果的にすべての戦争が放棄されているという
考えであり、これは、これまでの一貫した政府の考えでした。日本の政府は、侵略戦争のみならず
自衛戦争も含めて一切の戦争を放棄しているとずっと考えてきたのです。9条2項により、一切の戦
争が放棄されているので、その結果、集団的自衛権は行使できないし、海外での武力行使もでき
ないという解釈をしてきました。
ただ、日本国民の、例えば幸福追求権などの人権を守るために、日本が攻撃されたときに国民
を守るための実力行使、個別的自衛権といいますが、
これだけは例外的に認められるとしてきました。
自衛戦争を含めたあらゆる戦争は放棄するが、例外的に、日本が攻撃されたときの日本国民を守
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第1部 講演
るための個別的自衛権だけは認められると言ってきたのです。
これまで、わが国の政府は、自衛戦争や自衛の名のもとでの武力行使、海外での武力行使は
認められない。しかし、日本が攻撃されたときの個別的自衛権だけは例外的に認められると言って
きたのです。何を言いたいのかというと、自衛戦争や自衛の名のもとでの武力行使と個別的自衛権
を区別してきたということです。どこの国でも自衛の名のもとで戦争をしてしまいます。日本もかつて
自衛の名のもとで戦争をしました。ヒトラーだって最後まで防衛戦争だ、自衛の戦争だと言い続けま
した。かつてのわが国は、満蒙は日本の生命線である、自衛のためであると言って出かけて行きま
した。そして戦ってしまったのです。過去にそのようなことをしたので、私たちは自衛の名のもとでも
海外で武力行使することは一切しませんとしたのです。しかし、日本が攻撃されたときに、日本国
民を守るためにぎりぎりの実力行使だけは認めることにしました。個別的自衛権を行使することと自
衛戦争は全く別のものです。自衛の措置として海外で武力行使することと個別的自衛権は全く別も
のである、と区別してきたのが日本政府のこれまでの解釈のポイント、肝だったのです。
繰り返しますが、自衛戦争や自衛の措置、自衛の名のもとでの武力行使を認めてしまうと、際限
がなくなってしまいます。自衛という名目で、いくらでも何でもできてしまいます。国民を守るため、自
衛のため必要であるといって、何でもできてしまうでしょう。戦前それをしてしまったので、わが国は
そういうことは一切しません、あくまでも日本が攻撃されたときに国民を守る、それがぎりぎりのライン
ですと今まで言ってきたわけです。日本が攻撃されたときでないと実力行使、武力行使できないの
です。今言ったように、海外に出かけていっていろいろな活動ができません。
しかし、世界中のほとんどの国は、海外に出かけていって、先ほど言った平和のための戦争を
しています。ほとんどの国は平和を構築する、平和を築くために武力行使をします。しかし、日本
はそれができません。国連軍に参加したり、PKO、PKFに参加したりもできません。もちろん集団
的自衛権を行使することができません。アメリカが、アフガニフスタンと戦争しているときに、NATO
軍はそれに参加し、兵たん活動を一生懸命やりました。でも、日本はそこに参加できませんでした。
外国が一生懸命戦っているときに、わが国はそこに出かけていけなかったのです。
自由民主党の憲法改正草案
それでは半人前以下である。それではまともな国ではない。どこの国だって自分の国を守ることは
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第1部 講演
当然であるし、海外で平和を築くために武力行使へ出かけていくのが普通の国である。そういう当
たり前の普通の国にならないといけない。これだけの経済大国になったにもかかわらず日本が一人
前扱いされないのはおかしいということで、自由民主党が2年前の4月27日に憲法改正草案を発表
しました。
その草案は、まず天賦人権に基づく規定を見直すと言っています。もう1つ、独立国家が軍隊
を保有することは、現代の世界では常識なので、その常識に合わせて国防軍という軍隊を持つこ
とを2012年4月27日に決定し、それをインターネットや新聞で発表し、テレビでも報道されました。
私たちは世界の普通の国と同じように軍隊を持って、当たり前に戦争ができる普通の国になる。今
までのように個別的自衛権しか行使できない国は一人前とは言えない。一人前の、当たり前の普
通の国、アメリカやイギリスやドイツやフランスと同じように、さまざまな世界で軍事行動に参加できる
国になる、そのために国防軍をつくると2年前の4月に自由民主党が発表をしています。
どうしてそういうふうに言うのか、私なりに考えてみました。勝手に私が想像したことですが…。
まずは、日本古来の伝統を踏まえた自主憲法を制定したい。日本の憲法は押しつけられたものであ
る。アメリカのマッカーサーから押しつけられた。だから、きちんとした、日本のよき伝統などを踏ま
えた日本らしい憲法をつくりたいのだと思います。
もう1つは、集団的自衛権の行使を容認して国防軍を創設、日米同盟を強化し、軍事力での国
際貢献をしたいのだと思います。これは今お話ししたとおりです。日本も当たり前の軍事的な貢献
ができる強い国にならないといけない、これだけの大国になったので、大国らしい振る舞いができる、
軍事的な貢献ができる普通の国にならないといけないということだと思います。お金だけの経済的
な国際貢献をするのではなく、軍事力での国際貢献をしたいのだということです。言うまでもありま
せんが、軍事力での国際貢献は、日本の若者の命と血を差し出すことです。世界の他の国はみ
なそうしているので、わが国もそうすべきだということなのでしょう。
アメリカがアフガニスタンと2001年に戦争を始めました。あのとき、NATO軍、例えばイギリス
などは、自国が攻撃されたわけではありませんが、集団的自衛権という名のもとでそこに参加し、
450人ぐらいのイギリスの若者が亡くなりました。カナダの若者も160人ぐらい亡くなりました。カナ
ダが攻撃されているわけでもないのにです。アメリカとアフガニスタンの戦争にはせ参じて、自分の
国の若者の命を差し出す。それが軍事力での国際貢献であり、それが一人前の、当たり前の国
ということなのです。日本がそのようなことをしないと、一人前扱いされない、まともな強い国とは認
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第1部 講演
めてもらえないということで、集団的自衛権も行使できる、戦争ができる当たり前の国にするというの
が2年前に発表された自民党の改憲案です。
その中身は、まず国民に国防の義務を課します。それから、今お話をした平和的生存権や交戦
権の否認条項などを削除して、国防軍を創設します。もちろん集団的自衛権を行使できるようにし、
国際協力や治安維持の名のもとで軍隊が活動できるようにします。当然、機密保持を図り、軍法
会議も使うようになります。また、いざとなったら緊急事態宣言を出して、政府の一片の命令によっ
て国民の人権を一時停止できるようにします。自民党は、こういう国にしたいと2年前の4月に発表
したのです。簡単に言えば、ゴールを明確に示しているわけです。
ゴールを明確にし、こういう国にする、こういう憲法に変えたいと宣言しました。そして、その歩
みを少しずつ進めています。まずは秘密保護法をつくりました、そして、集団的自衛権を行使でき
るようにしました。少しずつ進めています。震災が起こったとき、緊急事態条項がないと大変なこと
になるということで、そのうち、緊急事態条項を災害対策という名のもとで入れ込もうとするでしょう。
着々と一つひとつ進めているのです。 いきなり国防の義務というのはなかなか差しさわりがあるの
で、まず国民には国を愛する気持ち、愛国心を持ってもらわなければいけない、といったところから
だんだんと、少しずつ進めていくでしょう。
憲法改正と国民生活への影響
自民党の改正草案のように憲法が変わってしまったら、私たちの生活は、当たり前ですが、一
気に大きく変わります。市民社会が全く異質のものになるでしょう。レジュメにいろいろ書いておきま
したが、徴兵制が可能になるでしょう。また、軍事費増大のために増税され、一方においては、
社会保障の削減などが当然出てくるでしょう。
そして原発の問題です。わが国はどうして原発を持っているのでしょうか。いざとなったら日本は
原爆をつくれるだけの技術はあることを見せつけるために原発を維持する必要があるのです。潜在
的核保有、核抑止力、核の潜在的な抑止力のために原発は、なくせないのです。武器輸出は今
年4月1日の閣議決定で解禁になってしまいましたが、私たちの生活がまるで大きくさま変わりになる
でしょう。
しかし、急にこうなるわけでありません。第1次の安倍内閣は、1年ばかりの間でしたが、彼がお
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第1部 講演
なか痛くなってやめてしまったので、何となく情けない感じで終ったというイメージを持ってしまいがち
ですが、彼は、やるべきことはしっかりとやっているのです。教育基本法を改正し、愛国心規定を
入れました。また、防衛庁を防衛省に格上げをしました。 そして、憲法改正国民投票法をつくっ
て準備万端整えたわけです。
その後、民主党政権になった野党の時代に、先ほど申し上げた憲法改正草案を発表しました。
そして、第2次では、マイナンバー法を成立させ、国民のプライベートな情報を全部国が吸い上げ
るようにします。そして、制服組が安全保障の中核となって意思決定をします。次には秘密保護
法です。国民が必要な情報を国民が判断するのではなく、官僚が国民に与えていいと思った情報
しか国民に知らせないようにします。そして安全保障戦略をつくります。武器輸出については、先
ほど言ったように、武器と言うと少し国民に抵抗感があるので、武器という言葉を防衛装備に言い
かえ、原則、輸出オーケーにしました。そして7月1日の閣議決定となるわけです。もともとは、先ほ
どのように憲法を変えて、一気にこの国を変えたいと思っていたのでしょう。しかし、やはり憲法改
正はハードルが高いと去年あたりから感じたのだと思います。そこで、解釈の変更によって徐々に
変えていこうとしたわけです。
この国の形を変えてしまうので、本来なら、まずは憲法を変え、それから基本法でもつくり、自衛
隊法等の個別法を変え、解釈を変え、運用を変えていくというのが筋道だと思います。この国を戦
争できない国から戦争できる国にするので大転換です。本来ならば、国民的な議論をし、大もとか
ら変えていくべきでしょう。しかし、そうではなく、まずは日米軍事共同訓練のような運用を変え、そ
して、今回のように解釈を変え、そして、来年の3月あたりから自衛隊法等個別の法律を変えようと
しています。さらに、石破さんが提唱する国家安全保障基本法といった法律をつくり、最後の仕
上げとして憲法改正をしようとするのだと思います。
どうして、逆向きにやってしまうのか考えてみましたが、
1つには、憲法が変わったときにもう準備万端整っている
ことにしたいのだと思います。そして、もう1つには、国
民の気づかないうちに憲法が実質的に変わっていたナチ
スの手法をまねしたらという麻生さんが言ったとおりのこと
が今、着々と進んでいるのではないかということです。
15
第1部 講演
集団的自衛権について
集団的自衛権は、先ほども申し上げたとおり、自分の国が攻撃されてないにもかかわらず、他国
に対する武力攻撃が発生したときに日本は武力行使ができるというものです。その一番重要な要件
をここに書いておきました。「国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危
険のある」ときに日本が武力行使できることにしています。しかもこの明白な危険は時の政府が判
断します。時の政府が判断をするのを自衛の措置として認めたのです。 今回の閣議決定では、
これを自衛権の要件とはしていません。自衛の措置の要件として書いているのです。自衛の措置
という名目で、これらの要件を満たせば日本は海外で武力行使ができることにしてしまったのです。
先ほど言いましたように、戦前、自衛戦争の名のもとで海外へ出かけていき、ひどいことを行ないま
した。そこで、外へ出ていくことは一切しません、自衛戦争や自衛の名のもとで日本は海外で武力
行使しないと言ってきたのに、自衛の措置という名目で、海外で武力行使を自由にできるようにして
しまったのです。そこが根本の問題です。
集団的自衛権が行使できるようになっただけで大問題です。しかし、そんな話だけではないので
す。国連軍やPKO等、ありとあらゆるものを自衛の措置という名目でわが国は海外で武力行使が
できるのを憲法が認めていることにしてしまったのです。何の歯どめもありません。今までは自衛の
措置と自衛権を区別してきました。個別的自衛権を区別してきました。しかし、今や自衛の措置とし
て広くできてしまいます。
国民の幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険、一体それはどういうものでしょうか。実
際、そんなものないのではとも思えます。しかも、時の政府がそれを判断できることになっています。
この国は石油が入ってこなくなったら国民の生活、大変なことになってしまう。国民の幸福追求の
権利が根底から覆されてしまう。石油を確保するために外国に出かけていって攻撃しないといけな
いというのも一応理屈では可能です。かつて満蒙は日本の生命線だといって出かけていったのと同
じことが、この解釈によって可能になってしまいました。単に集団的自衛権の行使を認めただけで
はないということ、本質的にこの国の憲法の構造が変わってしまうことを意味します。集団安全保
障の名のもとで出ていく、国連軍に参加していく、そんなことだって場合によっては可能になってしまっ
たのです。
ここで、集団的自衛権と集団安全保障の違いを確認したいと思います。集団安全保障は国連
16
第1部 講演
の基本的な考え方です。集団安全保障は、多数の国が戦争の禁止、武力の不行使を約束し、
約束違反の不届き者がいるときに、残りのすべての国が当該不届き国に共同で制裁を加えて被害
国を守る制度です。集団的自衛権は、仲間の外に敵がいるのが前提です。仲間同士の信頼を
基礎にしている国連の集団安全保障と、同盟国だけ仲よくして、その外の敵を排除しようと外の敵
に対する不信を前提にする集団的自衛権では、根本的な発想の違いが見られます。
両者の違いを具体的な例で考えてみましょう。まず、集団安全保障です。みんなで仲よくしようと
約束しているのに、不届き者のX国がY国にちょっかいを出してしまいました。そのようなとき、
「X国、
だめだ、そんなことしては」といって、周りがいろいろな制裁を科していくのが集団安全保障です。
これに対し、集団的自衛権は、まずYとZだけ仲よくしましょう。この同盟の外にいるXは共通の敵だ
と認識して、XがYに対し攻撃してきたときに、ZがXに反撃できるというものです。このように、集
団的自衛権は外部の共通の敵の存在を前提にします。ですから、集団的自衛権の行使を認める
ことは、自分の敵でなくても、仲間の敵は自分の敵になります。向こうから見れば、あなたも敵です
と言われてしまうことになります。それが集団的自衛権の構造です。
集団的自衛権を今回の解釈の変更などで認めてしまうことになると、憲法で縛られる側の人たち
が勝手に、緩やかに、今までできなかったことをできるようにするので、立憲主義がとんでもないこと
になり、国民を危険にさらすことになります。
海外に出かけていっている日本の企業の皆さんたちや海外旅行されている方日本の国民等、さ
まざまな人たちが場合によってテロの標的になります。日本国内の日本国民もテロの標的になるかも
しれません。ちょっと前のボストンマラソンのときのテロ、アフガニスタン戦争、イラク戦争のときのイギ
リスの地下鉄テロ、スペインの列車テロ等と同じように、当然テロの標的になり得ます。イギリスが
武器を提供していることで、ああいうひどいことが実際に行われたわけです。武器の提供をやめな
さいということで……。テロというのは、とんでもないことです。でも、集団的自衛権を行使できるこ
とによって一気にその危険にさらされます。そして、軍備の拡張、安全保障のジレンマを招きます。
こちらが強くなれば相手ももっと強くならなければと考えます。こうして、憲法9条という、外交上極
めて有効なカードをみずから捨て去ってしまうことになります。外交上の自由度、外交の選択肢を
極めて狭めてしまいます。何よりも日本の国の平和国家というこれまで築いてきた価値あるブランド、
私はジャパンブランドだと思いますが、それをみずから投げ捨ててしまうのは本当にもったいないと思
います。このあたりの問題は、また2部でお話はさせていただく機会があると思います。
17
第1部 講演
最後に少しだけ、憲法とはどういうものかについてのお話をさせてください。
憲法とは何か
私たちは法律に従います。なぜでしょうか。法律が一応正しいと考えるからです。どうして法律
が正しいと私たちは考えるのでしょうか。今のわが国は民主主義の国であり、多くの国民の声に従っ
ているから正しいと考えるのです。では多数の意見は常に正しいのでしょうか。そんなことはありま
せん。情報操作に惑わされたり、ムード、雰囲気に流されたり、目先の利益に目を奪われてしまった
りし、残念ながら私たちの多数意見は正しい判断ができないときがあります。なぜでしょうか。簡単
な理由です、私たちが人間だからです。人間は不完全な生き物です。どんなすばらしい政治家で
も、どんな優秀な市民の方でも完璧ということはないでしょう。間違いを犯してしまうことがある不完
全な生き物です。不完全な人間の声をたくさん集めて政治をするので、その結果間違ってしまうこ
とは当然あり得ることです。
アメリカは、この映像の同時多発テロの後、アフガニスタンで戦争を始め、2003年にはイラクで
戦争を始めました。このイラク戦争のときにアメリカのブッシュ大統領は何と言っていましたか。皆さ
んもご記憶ですね。イラクには大量破壊兵器が隠されている、アルカイダ、テロリストと結びついて
いる、だから今のうちにフセインをたたき潰さないといけないと言って戦争を始めました。
しかし、それは全部間違いでした。故意にうその情報を流したかどうかは知りません。でも、み
んな間違いでした。アメリカ国民はその間違った情報を信じて、イラクとフセインをやっつけろと、盛
り上がってしまいました。その結果、4500人もの若者の命が奪われ、それと同じぐらいの帰還兵
が自殺をし、その何十倍もの若者たちが精神的な病、PTSDでいまだに苦しんでいます。また、
多数のイラクの罪もない市民が犠牲になりました。
このイラク戦争に、ドイツやフランスをはじめとした世界の142カ国が反対をし、当時の国連のア
ナン事務総長も国際法違反だと非難し、反対をしました。しかし、このイラク戦争にどこの誰よりも
先に手を挙げて、この武力行使を支持しますと言った人がいました。当時の小泉純一郎首相です。
日本もやはり国際貢献、復興支援しないといけないと言って陸上自衛隊、航空自衛隊を派遣しまし
た。
航空自衛隊がクエートからバクダッドに何を運んでいるか、国会で問題になりました。政府は、復
18
第1部 講演
興支援物資、国連職員を運んでいると答えましたが、もっと具体的に教えてくれと追求すると、軍
事機密に触れるので教えらないと答えてもらえませんでした。
そこで、市民団体の方が情報公開請求をしました。空輸をしていた現地の航空司令官が日本
の防衛庁に対して毎週「週間空輸実績」というレポートを提出していたので、その情報公開請求
したのです。自民党・公明党政権時代には、こんなものが公開されました。「航空幕僚長殿、現
地の航空支援集団司令官、週間空輸実績、この1週間でこんなの運びました」というもので、人員、
黒塗りです。2ページ目も貨物という1行とあとは黒塗りです。全くの黒塗りで、これでは何が記載さ
れているのかさっぱりわかりません。
その後民主党に政権交代しましたが、民主党は情報公開に積極的だったので、同じことを請求
すると、きれいなものが公開されました。武装したアメリカ軍兵士1万6000人ほどを日本の航空自
衛隊がクエートからバグダッドに運んでいたのです。その武装したアメリカ軍兵士がバグダッドで戦
闘行動し、近隣ファルージャで市民を虐殺していました。ですから、日本は完全に兵たん活動を担っ
ていたわけです。でも、国民はこんなことを知らされず、国連職員を運んでいます、復興支援物
資を運んでいますと政府はうそをついていました。
自民党がうそついたということを私は言いたいのではありません。政府は常にうそをつく、都合の
悪いことを隠すどころかうそをつくものであるということを言いたいのです。日本だけではありません、
どこの国でもそういうものであることを私たちは知っていないといけません。
もちろん、うそをつく政治家たちは悪気があってそうするのではないと思います。よかれと思って
うそをつくことがあります。よくわかりませんが、「いいうそ」というものがあるのではないでしょうか。
例えば、ちょっと前ならば、がんの告知の際、うそをついて別の病名を言ったりすることがあったじゃ
ないですか、あれと同じ感じです。もし本当のことを言ったらパニックになってしまう。だから、原発
の放射性物質がどこに飛んでいっているか知っているけど国民には知らせないことがあります。そ
のように、よかれと思って情報を隠したり、うそをついたりすることを国民は知っていなければなりま
せん。
でも、秘密保護法ができてしまいましたから、これからこういうのは出てこない可能性が極めて高
いです。そしたら私たちは判断できないことになります。武装した米軍兵士をせっせと運んでいるこ
とを国民が知ったら、それは、まずいという国民の声も上がってきたと思います。でも、国連職員、
復興支援物資を運んでいると言われてしまったら、やはり国際貢献は必要でしょうと多くの国民が
19
第1部 講演
思ってしまうのも仕方がないでしょう。情報統制されたら私たちは正しい判断が全くできなくなります。
秘密保護法の一番の問題点は、私たちが判断するのに必要な情報をコントロールされてしまうこと
です。それは、
イコール私たちが主権者として主体的に行動できなくなってしまうこと意味しています。
ヒトラー・ナチスの時代
一番有名なのはこの人の時代と思い、いつもこの写真を持ってきます。ヒトラーは政権をとった後、
こんな大判の写真集を発売しました。「Führer」(我が総統)というタイトルのもので、皆さんお金
を出して買い求めたそうです。こんな不気味な写真、形なので、よくこんなもの買うなと思いますが、
結構人気だったそうです。演説の写真から始まり、中をあけてみるとこういう写真が次々紹介され
ます。こういう写真は、女性や子供たちにとても優しく接している人だという印象を与えるものです。
こんな優しい、笑顔がすてきな、いい人なのです、いいおじさんなのです、我が総統は。そのよう
なことを印象づける写真を次々紹介しています。
高速道路もつくってくれた。公共事業を興して失業者を一気に解消してくれた。当時のドイツは
600万とも700万とも言われる失業者であふれ返っていたそうですが、それを彼は政権をとって数
年のうちにほぼ解消しました。経済を上向きにしてくれた、ハイルヒトラー、ハイルヒトラーと熱狂的
に市民は支持しました。
彼は1936年、ベルリンでオリンピックも開催します。彼はドイツ国の威信、国威発揚のためにス
ポーツ、オリンピックまで利用しました。経済を上向きにしてくれた、オリンピックまで開催してくれた。
どこかで聞いたことがある話ですけが、若者も熱狂的に彼に心酔してしまいました。
でも、
彼は、
裏でいろいろなことをやりました。一番有名なのはアウシュヴィッツだと思います。
アウシュ
ヴィッツは、ポーランドの南にありますが、ドイツ国内にもこういう強制収容所を随分つくりました。私
もアウシュヴィッツに10年以上前に行ってきましたが、立派なきれいな記念館になっていました。私
が行ったときにはドイツの若者がボランティアで掃除、ごみ拾いをやっており、本当に印象的でした。
いろいろなものが表示され、展示されて、資料も残っていました。
罪もない女の子がガス室に送られ殺されていきます。男は仕事をするからもう少し生かしておこう
ということですが、女性や子供は、貨車で連れてこられ、ガス室に送られました。裸にされ、指輪
等を外され、髪の毛を切られて送り込まれ殺されました。そして、切った髪の毛がまだ大量に保存
20
第1部 講演
されていました。本当にぞっとしました。殺すのに何のために髪の毛を切っていたのかと聞いてきま
した。すると、切った髪の毛で洋服の生地をつくっていたと言われました。これをドイツ本国に送っ
てオーバーコートにしていたそうです。人間を物として扱ってしまっています。
とんでもないことですが、
これが戦争の本質です。そんなことも知らされないドイツ国民は、熱狂的にハイルヒトラーと彼を支
持しました。
当時言われたことがあります。我々は戦争なんかしたくない。敵が一方的な戦争を望んだだけだ。
敵の指導者は悪魔のような人間だ。我々は偉大な使命のために戦う。敵はわざと残虐行為におよ
び、卑劣な兵器を用いている。敵に与えた被害が甚大だ。芸術家、知識人もこの正義の戦いを
続けている。我々の大義は神聖なものだ。この大義、
正義に疑問を投げかける者は裏切り者である。
戦争プロパガンダです。こんなプロパガンダで簡単に国民は戦争に駆り立てられてしまいます。
ヒトラーの片腕だった空軍の元帥に、ヘルマン・ゲーリングという人がいます。ゲシュタポをつくっ
た人です。彼はニュールンベルグ裁判で死刑判決を受けますが、その死刑執行の前に自殺してし
まいます。その前に取材を受けて、こんなことを言います。「もちろん、国民は戦争を望みませんよ。
運がよくてもせいぜい無傷で帰ってくるぐらいしかない戦争に、貧しい農民が命をかけようなんて思
うはずがありません。一般国民は戦争を望みません。ソ連、イギリス、ドイツ、どこでも同じことです。
しかし、政策を決めるのはそ国の指導者です。そして、国民は常にその指導者の言いなりになる
ように仕向けられます。国民に向かって、我々は攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に
対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。このやり方はどんな国でも有効です」と。
彼が言ったことは、いつの時代でも有効だということです。
尖閣諸島とられてしまう、北朝鮮がミサイル撃ち込んでくる、と国民を煽ればいいのです。簡単
なことです。日本を取り巻く安全保障環境が緊張を高め、以前と全く違っていると言って、赤ちゃん
を抱えたお母さんのパネル等を見せて国民を煽ればいいのです。簡単に国民は乗ります。「尖閣
の問題も一時棚上げという手もあるではないですか」なんて言おうものなら、「何言っているのだ。
愛国心が欠けている」と非難、攻撃されてしまいます。簡単なことです。戦争なんか誰もやりたい
と思わないです。でも、こうして煽られれば誰でも戦争に駆り立てられてしまうのです。
21
第1部 講演
憲法を味方に
だから、私たちが賢くならないといけないのです。私たちには憲法があります。多数意見が常に
正しいわけではありません。多数意見にも歯どめが必要だし、多数意見でも奪えない価値を人権
や平和として、あらかじめ頭が冷静なときに紙に書きとめておいたものが憲法です。人権や平和を
守るために国家権力を制限するのが憲法の役割になります。
近代憲法に共通な目的があります。人権保障です。日本の憲法はさらに戦争放棄も目的にしまし
た。憲法の前文はこんなふうに始まります。皆さんも読まれたと思いますが、「日本国民は、正当に
選挙された国会における代表者を通じて行動し」~「この憲法を確定する」となっています。主
語は「日本国民」で、最後の「この憲法を確定する」が述語になります。「制定」よりも意味が
強いときに「確定」という言葉を使います。要するに、
日本国民がこの憲法をつくったことをまずはっ
きりさせています。
何のために憲法をつくったか、法をつくった目的が書かれています。1つは、我が国全土にわたっ
て自由のもたらす恵沢を確保するためにこの憲法をつくったのです。自由は人権と置きかえて構い
ません。この国に人権や自由をもたらすために憲法をつくったのだと言っています。
もう1つの目的は、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにするためです。
政府に2度と戦争させないために憲法をつくったと言っているのです。憲法をつくった目的を2つはっ
きり掲げました。この国に自由と人権をもたらすためと、政府に2度と戦争させないためです。
では、その2つの目的をどうやって実現するかというと、その方法は、主権は国民に存する、国
民に主権を与える、国民が主権者として行動することによってです。このことによって、2つの目的
を実現するとしました。
国民が主権者である、主権が国民にあるというのは、国民が主体的に行動することにほかなり
ません。国民が自分の頭で考え、自分で行動して、この2つの目的を達成するとしたのです。自由・
人権の保障、戦争放棄、主権在民という日本国憲法の3原則、3大原理がここに登場しますが、
3つの原理原則は横並び、並列ではありません。人権保障と戦争放棄が目的で、それを実現す
る手段として国民主権という方法をとる、国民が主体となって行動し、この2つの目的を達成すると
したのです。
12条には、憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、国民のた
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第1部 講演
ゆまぬ努力で保持しなければ消えてなくなってしまうと規定されています。誰かに与えもらえるとか、
誰かに黙ってついていけば保障してもらえるとかいう話ではありません。戦前は、天皇及びその取
り巻きの軍部や官僚や政治家たちが、市民のためにいい国をつくるから黙ってついてきなさいと言っ
てくれました。黙ってついていけばいい、臣民として、天皇及びその取り巻きの人たちに任せとけ
ば何とかなると思って誰かに任せましたが、その結果、とんでもない方向に連れて行かれました。
その反省から、もう誰かに任せるとか、誰かにつき従っていればいいという考えはやめよう、あくま
でも私たちが主体となって行動してこの2つの目的を達成すると憲法は言っているのです。
そして、憲法で縛りをかけるのは、政治家、官僚、裁判官、自治体の首長、職員の皆さん等です。
彼らに、この憲法に従った仕事をしてくださいと命じています。私たちには憲法を守る義務なんかあ
りません。憲法99条にあえて国民を入れませんでした。国民には憲法を尊重し擁護する義務など
ないのです。私たちは守る側ではなく守らせる側にいます。
法律は国がつくって、国民の自由を制限し、社会の秩序を守ります。憲法は、国民が主体となっ
て国に押しつける、公務員の皆さんに守らせる命令書です。憲法に書いてあるとおり仕事しなさい
と、国民が主体となって政治家たちに押しつける命令書が憲法で、私たちは憲法を守る側ではなく、
彼らに押しつけて守らせる側だということ、それが、国民が主権者であるということの意味です。
憲法の教科書を見ると必ず、国民主権とは憲法制定権が国民にあることと書いてあります。国
民が憲法をつくることが国民主権であると書いてあります。どういう意味かというと、国民が憲法を
つくり、この憲法のとおりの仕事をしなさいと政治家や官僚たちに命令するのが国民主権だというこ
とです。国民が主体となって行動することが国民主権の本質です。
日本国憲法の特長
私たちの憲法は、個人の尊重のための立憲主義という考え方に立ちます。これは、近代国家の
どこの憲法でも同じです。他国と同じと言っていいです。そして、日本の憲法は、日本の先進性の
あらわれである積極的非暴力平和主義に立っています。これは他国と違うところです。個人のレベ
ルで、人と同じ、人と違うところがあっていいのと同じように、国のレベルでも、他国と同じ、他国と
違うところがあっていいと思います。私たちの憲法は、個人の尊重のための立憲主義に立っていま
す。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス等他の近代国家と同じところです。
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第1部 講演
そして、積極的非暴力平和主義は日本の憲法の独自性、他国と違うところです。日本だけが集団
的自衛権を行使できない、日本だけが正規の軍隊を持たない、そんなのおかしい、日本だけが国
連軍にも多国籍軍にも参加できないのはおかしいじゃない、非常識である、という方もいらっしゃい
ます。そらそうでしょう。わざと他国と変えたのですから。他国と違う、他人と違うところを情けない
と思うか、すばらしいと思うのか、評価が分かれるところですが……。他国と違う、日本だけ集団
的自衛権を行使できないのは情けないと思う人たちがいますが、日本がそれを行使しないのは、勇
気のあることで、すごいことであるという評価もまたあるわけです。私たちの憲法はあえて他国と違
う選択をしました、そこには価値があると考えたからです。
ところが、自民党の改憲案はこれを逆転させます。他国と同じであるべき個人の尊重と立憲主
義はやめてしまえとしています。逆に、他国と違っていいはずの9条はやめてしまえ、そして、常識
にあわせた普通の国になりましょう、としています。アメリカ、イギリス、
ドイツ、フランス等と同じように、
アメリカ等と一緒に軍事行動がとれる普通の国になろうとしています。
私たちに求められていること
最後に、「私たちに求められていること」について、お話をします。先ほど言いましたが、主体
的に生きることです。憲法は単純です。私たちはそろそろ主体的に生きる、主体的に行動する覚
悟を決めたらどうかと私たちに突きつけています。そして、何かおかしいと思ったときには声を上げ
ることが必要です。気づかないのはしようがないです。でも、気づいたら声をあげることです。
有名なナチス・ドイツのころのマルチン・ニーメラーという牧師の言葉があります。「初めにやつら
(ナチス)は共産主義者に襲いかかったが、私は共産主義者ではなかったから声をあげなかった。
次に、やつらは社会主義者、労働組合員に襲いかかったが、私はそのどちらでもなかったから声
をあげなかった。次に、やつらはユダヤ人に襲いかかったが、私はユダヤ人ではなかったから声を
あげなかった。そして、やつらが私に襲いかかったとき、私のために声をあげてくれる者はもう誰も
いなかった。」そういうことです。ですから、手おくれにならないうちに、気づいた者から声をあげる
ことが今の私たちに求められていると思います。
最後に生意気なことを言います。憲法は理想です。理想と現実が食い違うからこそ憲法の存在
意義があるのです。憲法の前文の最後に、「この崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」とあ
24
第1部 講演
ります。理想だということを憲法自身が認めています。そうです。憲法に書いてあることはほとんど
理想で、現実とかなり違うでしょう。
憲法14条は「法の下の平等」の規定です。しかし、世の中、全然平等ではありません。男
女平等でないことはたくさんあります。25条は生存権の規定で、「すべて国民は、健康で文化的
な最低限度の生活を営む権利を有する」と書いてあります。でも、実際は全然違います。まだま
だ日本には215万人以上も生活保護を受けておられる方がいますし、その何倍もの人が生活保護
を必要としています。25条は全然理想に近づいていません。9条だけが理想ではありません。憲
法はもともと理想を掲げ、それに向かって現実を少しでも前に進めるために存在するのです。
私たちのこの憲法は突然生まれたわけではありません。明治の自由民権運動のころの皆さんた
ちの民主主義や自由への考え、反戦運動、男女平等運動、婦人参政権運動等さまざまな運動を
してこられてきた市民、法律家等いろいろな人たちの英知がこの憲法の中に入り込んでいます。ま
た、世界の人権や自由をかち取るために闘った皆さんたちの、イギリス、フランス、アメリカをはじ
めとする近代国家の多くの人たちのその思いもここに結集しています。
過去の先輩たちに対して、今を生きる者としての責任があるのではないでしょうか。もちろん次の
世代に対する責任も、今を生きる者としてあります。そして、主体的に生きることが何よりも大切で
あると思います。
Festina Lente、私が好きなラテン語です。ゆっくり急げと訳してみました。焦らず、慌てず、諦
めずということです。慌てて転んでしまってもしようがないので、それぞれができる範囲で一歩一歩
前に進む地道な積み重ねがとても大切であると思います。少しばかり生意気なことを言いましたが、
時間になったので、終わります。ありがとうございました。
○司会 伊藤先生、ありがとうございました。
ここで5分ほど休憩時間をとりたいと思います。最初にアナウンスしましたように、参加者の皆さん
からも質問を募集いたします。回収係が会場を回りますので、質問のある方は回収係に質問票を
渡すようにしてください。それでは休憩してください。
25
26
第2部
○司会 それでは、第2部を始めさせていただきます。「先生、集団的自衛権について質問です!」
と題しまして、
伊藤先生に和歌山弁護士会の4人の若手弁護士が質問を投げかけます。それでは、
よろしくお願いします。
○伊藤真 それでは、始めたいと思います。この教室には、4人いらっしゃいますが、皆さんのご
質問に答えていきたいと思います。ご質問ある方いらっしゃいますか。では、河合さんどうぞ。
○河合佑香 今回、政府解釈が問題になっていると思うのですが、政府解釈はどのように位置づ
けたらよいでしょうか。
○伊藤 憲法の政府の解釈ですね。
○河合 はい。
○伊藤 行政権、政府は、そもそも、憲法という法に従って仕事をしなければなりませんが、憲法
という法を具体的に適用、執行していくには、その中身を具体的に解釈しなければなりません。で
すから、もともと政府には憲法の解釈をし、それを適用していく権限はあると思います。
ただ、政府が行う憲法の解釈は、もちろん憲法で許される範囲でなされなければいけません。
最終的な解釈が分かれるところは、憲法81条で、最高裁判所が判断する仕組みになっています。
○河合 ありがとうございます。あと、もう1ついいですか。
今の憲法のもとに、現に自衛隊がつくられて活動してると思うのですが、それはどのように理解し
たらよいでしょうか。
○伊藤 最初の講演でお話をいたしましたが、日本の憲法は、侵略戦争のみならず自衛戦争も放
棄しています。ただ、国民の生命、財産、幸福追求等の権利を守るために必要最小限度の実力
を行使することはできると考えています。これまでの政府の考え方は、憲法は、戦力は行使できな
いが、戦力に至らない最低限の実力、国民を守るために必要最小限度の実力の行使は許される
としていると考えてきました。その実力部隊として自衛隊は位置づけられるという説明の仕方を政府
はしてきています。
ただ、これについては、戦力と実力をそんなにきちんと区別できるのかという考えや、自衛隊は
憲法が禁止している戦力に当たる、だから自衛隊という組織自体が憲法違反だという考えもありま
す。たぶん憲法学者の多くは、自衛隊は憲法が禁止する戦力に当たるから違憲であると考えてい
るでしょう。政府は、戦力に至らない実力だから許されるという説明をしていますが、私は、条文
を素直に読めば、自衛隊は戦力に当たり憲法に違反するので、将来的に自衛隊は災害救助隊や
27
第2部
国境警備隊のようなものに変えていけたらと思っています。
ただ、自衛隊が正規の軍隊でないことも確かだと思います。少しわかりにくいところですが、軍隊
とは、外国の正規の軍隊のことですが、交戦権が認められ、交戦規定や軍法会議があって、戦
争を遂行する目的の組織のことを言います。
日本の自衛隊は、憲法9条の2項で交戦権が否定されています。9条2項が言う交戦権とは、国
の戦争する権限という意味ではなく、交戦当事国に認められている権限、具体的には敵の兵隊を
殺したり、敵の軍事施設を破壊したりする権限のことです。これが認められていないので、日本の
自衛隊は海外に出かけていって、原則、人殺しができません。原則、人殺しができない軍隊など
世界中どこにもにありません。例外的に自分の身が危ないときに正当防衛でピストルを撃てたりする
だけです。これが日本の自衛隊です。
もし自衛隊が軍隊だったら、原則、人殺し自由です。ただ、民間人を殺したり捕虜を殺したりは
できません。原則と例外が逆なのです。ですから、日本の自衛隊は正規の軍隊ではないというの
はたぶん共通の理解だと思いますが、憲法が禁止している戦力に当たるのか、戦力の手前の実
力だから許されるのか、そこは少し議論が分かれるところです。
○河合 私からは以上です。ありがとうございました。
○伊藤 はい、ありがとうございます。
ほかに何かご質問ありますか。じゃあ、浅野さん。
28
第2部
○浅野美穂 私には2歳になる男の子がいるんですけれど、その子供を戦争に送り出すのはもう
絶対に嫌だなと思うんです。集団的自衛権を認めると、やっぱり戦争に巻き込まれやすくなってしま
うんですか。
○伊藤 そうですね。集団的自衛権は、きょうお話をしたとおり、日本が攻撃されていないにもかか
わらず海外に出かけていって武力行使するものです。巻き込まれるというよりは、自分から戦争の
現場に出かけていってしまうのが集団的自衛権です。
集団的自衛権を行使できるようになれば、巻き込まれるどころか、みずから戦争に一歩踏み出す
ことになり、当然それは国民にとって相手の標的になることを意味します。普通に生活をしている私
たち国民が、敵の国、日本が敵とした相手の国から、軍事的な標的にされたりテロの標的にされ
たりする危険が一気に高まることになると思います。
こちらから出かけて行って先に手を出すので、当然、報復されるリスクは覚悟しなければなりま
せん。集団的自衛権を行使できることによって、軍事的な抑止力を高めるとよく言われますが、実
際に集団的自衛権を行使して戦いに出かけていかなかったとしても、こちら側が同盟国の仲間で、
相手の方はもっと頑張ろうということになり、より一層報復されたり攻撃されたりするリスクは高まると
思います。
○浅野 やっぱりそのためには軍隊が必要になってしまいますよね。先ほども国防軍をつくるとか、
国防の義務を課そうとしているとかというお話があったんですけれど、それはもう徴兵制になっていく
ということなんですか。
○伊藤 そうですね。徴兵制は、国民が義務として兵隊になるということですが、徴兵制は可能
になります。できるということと、実際にするかどうかは区別したほうがいいと思いますが、できるよう
にはなります。政治家は、ドイツも今年徴兵制はやめたし、徴兵制は今の時代古く、軍事的合理
性がないので、そんなものやりませんと言うでしょう。
でも、「できるけどしない」のと、「そもそもできない」のでは全く意味が違います。今の憲法のも
とでは徴兵制はできないという解釈をずっとしてきましたが、集団的自衛権を行使するとなれば、自
衛官や軍人は命の危険にさらされるので、志願してそのような道に進もうという人は、どんどん減っ
てくるでしょう。少子化のこともあり、徴兵制にしないとまずいという考えは当然に出てくると思います。
政府の人たちは、憲法18条が意に反する苦役を禁止しているから徴兵制などできないと言うで
しょうが、今までの政府の解釈で、できないと言っていただけです。政府解釈の変更という、彼ら
29
第2部
の得意なことで、徴兵制はできるという解釈の変更をいつでもする可能性は十分にあります。
また、徴兵制も、全員が前線に出かけていって戦闘に参加するのではなく、兵たんや通信業務
等の諸々の仕事に参加する形態もあり得ますし、国防意識や安全保障の意識を高める目的の徴兵
制というのも十分あり得ます。
○浅野 よくわかりました。ありがとうございました。
○伊藤 ほかにありますか。じゃあ、小泉さん、どうぞ。
○小泉真一 私からは他国との関係についてお聞きしたいと思います。日本が、今の国際情勢で、
ほかの国とすぐに全面的な戦争になることは余り考えにくいんですけれども、それでも今の内閣の
説明とかを聴き、日本を取り巻く環境を見ると、軍事力を背景に自分の勢力圏、自国の勢力圏を拡
大しようとするとか、あるいはおどしや挑発をするという国もあるように思えます。そういう国に対して、
集団的自衛権の行使を日本が認めることは有効ではないのかとか、あるいは本当に抑止力にならな
いのかという点についてはいかがでしょうか。
○伊藤 まず、日本が自国の領土を守ったり、国民の命や財産を守ったりするということであれば、
それは個別的自衛権のお話です。集団的自衛権とは、あくまで日本が攻撃されていないにもかか
わらず、他国が攻撃されたときに、そこに出かけていくということなので、例えば尖閣諸島の問題
等の近隣のトラブルで日本が攻撃されたということであれば、別に集団的自衛権関係なく個別的自
衛権で対応することができます。個別的自衛権として武力行使ができるかどうかについて、学説で
は一般に認められていませんが、今の日本の政府の考え方では、個別的自衛権の行使であれば、
何でもできることになっています。
歴代の政府は、個別的自衛権の行使、言いかえれば国民の生命、財産を守るために必要最
小限度の実力行使としては何でもできると言っています。小型の核爆弾すら日本は持てると言い続
けています。小型の核爆弾すら個別的自衛権行使のために持てるという解釈を今まで日本政府は
していたわけですから、日本の領土を守ったり、日本の安全保障環境云々と言ったりするためには、
集団的自衛権は関係なく、個別的自衛権で十分であることを1つ指摘しておきたいと思います。
それからもう1つ、日本を守るために、理屈の上では関係ありませんが、集団的自衛権を同盟国
と一緒に行使することが仮に抑止力を高めることになるとしたら、当然ですが、相手はもっと強い抑
止力、簡単に言えば、おどしですが、それをかけてくるでしょう。こちらがおどしをかければ、向こ
うはもっと強いおどしをかけてきます。こちらが軍備を増強すれば、向こうも負けないようにさらに増
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第2部
強するようになります。
安全保障のため、日本の国を守ろうとして抑止力を高めたら、逆にそれが相手の軍備増強を招
いてしまい、かえって国民を危険にさらしてしまうことになります。さっきの報復の危険も含めて、安
全保障のジレンマと言っていますが、抑止力に頼ってしまうとかえって国民が危険になるのです。
抑止力に頼るという安全保障のあり方は19世紀、20世紀の発想であって、今の時代において、
特に日本を取り巻く近隣諸国との関係では、そのような考えは間違いであると私は思います。
○小泉 そしたら、先生がおっしゃる集団的自衛権は、必ずしも抑止力にならないとすると、先ほ
どの先生の講演だと日本ブランドという言葉が出てきたと思うんですけれども、日本がほかの国と平
和を保つ、あるいは国際社会に平和のために貢献するためにはどういう具体的な方法や手段があ
ると考えられますか。
○伊藤 安全保障ということを考えたとき、安全保障には軍事力の面だけではないと思います。例
えば、食糧安全保障、エネルギー安全保障、環境の安全保障等さまざまな安全保障があります。
目的が国民の生命と財産を守ることだとしたなら、国民の生命と財産を守るための手段、方法は、
ほかにもさまざまなオプションがあるはずです。もちろん外交もそうでしょう。
軍事的な抑止力ということにウエートを置き過ぎてしまうと、先ほど言ったマイナス面が多過ぎるで
しょう。ですから、それ以外のさまざまな手段を考えなければいけません。具体的に中国との関係
を考えたとき、日本は中国とは永久に隣人です。好き嫌いは別にして、日本は引っ越すことができ
ないわけです。永久に隣人であることがはっきりしているので、長い目で見たときにうまくやっていく
しかありません。昔のように、豊かになるためには農地をたくさん獲得して、農業によって国の産業
を発展させようという時代ならば、領土を拡大することが国の発展につながったかもしれません。し
かし、今はそういう時代ではなく、さまざまな経済的な相互依存の関係ができています。
特にアジアの関係においては、相互依存関係をうまく利用しながら、簡単に言えば、相手が何
かの目的やメリットがあるから日本を攻撃するとしたら、そのメリットって何なのか、本当にそれがメリッ
トになるのか。メリットにならないということを相手にわかってもらう外交上、経済上、文化上等さま
ざまな面での交流を深め、相互依存関係を高めることによって、相手の国の繁栄が決して戦争で
は獲得できないことをお互いに理解していくことが必要だと思います。
ドイツとフランスは百何十年にわたって戦争し続けて憎しみ合った国です。でも、これから先、ド
イツとフランスが戦争するとはたぶん誰も思わないでしょう。去年、エリゼ条約50周年になりました。
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第2部
戦争し続けてきたドイツ、フランスが、少なくとも将来戦争だけはしないようにしようという1点で合意
をし、お互いに経済等で協力関係を少しずつ積み上げていこうと決めてから、去年が50周年です。
今はEUであり、国境を全く意識しないで、車に乗って、フランスへ入ってしまった、また知らない
うちにドイツへ戻ってきたということが自由にできます。通貨もそうです。ですから、国境や領土にこ
だわっていくのがお互いの繁栄につながる時代ではないと認識することが相互理解を深めていくこと
になります。つまり、奪い合う関係ではなく、分かち合うことをもっと進めていくが大切であると思い
ます。
クラウゼヴィッツの「戦争論」という本があります。国家が戦争する際、その国に必要なものは
国民と軍隊であると言っています。きょうも少しお話をしたとおり、戦争で一番重要なのは国民感情
を駆り立てることです。今、日本でも中国でも、そういう国民感情を駆り立てることを政府はやろうと
しています。そこを鎮静化させ、お互いの利益になること、共通の安全保障、共通の利益になる
ことを目指していくことを考えていかないといけないでしょう。
○小泉 ありがとうございます。
○伊藤 ほかにありますか。はい、どうぞ、北野さん。
○北野栄作 私はアメリカとの関係が気になるので、そのことについてお聞きしたいと思うんですが、
日本はアメリカに守ってもらうことになると思うんですけれども、一方で、日本がアメリカを守らないの
はフェアじゃないんじゃないかと思うんです。アメリカが日本を守ってくれるんだったら、同じように日
本もアメリカを守るために戦うべきじゃないでしょうか。そのためには、集団的自衛権をやっぱり認め
なきゃならないんじゃないでしょうか。
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第2部
○伊藤 先ほど、日本を守るために個別的自衛権で十分だという話をしましたが、集団的自衛権
が必要であると主張する人たちは、集団的自衛権を行使できるようにしなければ、いざというときに
アメリカに守ってもらえないということを1つの理由にあげています。そして、安保条約の5条では、
確かに共同防衛義務はアメリカにあることにはなっています。
しかし、アメリカが日本のために戦うかどうかは、アメリカの国益にかなうかどうかの1点にかかっ
ています。アメリカが中国や北朝鮮と戦うことがアメリカの国益にかなうならば戦うでしょう。アメリカ
は民主主義の国なので、国民から選ばれた代表である大統領が戦争を決断しますが、アメリカ国
民の利益になることしかアメリカはできません。日本のためではなく、アメリカ国民の利益になるため
なら戦争をします。
日本のためのように見えても、
最終的な決断はアメリカの国益になるかどうかです。
アメリカの税金を使って戦いをするわけですから。こればどこの国でも同じです。アメリカにおいて、
2001年には3000億ドルぐらいだった国防費が、2010年に7000億ドルぐらいになってしまいまし
た。アメリカを除く世界全体の国防費合わせて4500億ドルぐらいしかないのに、アメリカの国防費
は突出しているわけです。
このように、アメリカは国民の税金を使って戦争をします。それはアメリカ国民の利益になるから
であって、日本が集団的自衛権を行使できるので、いざというとき日本を助けてくださいとすり寄って
みても、アメリカの国益にかなうかどうかだけが判断基準です。それで助けてもらえるかどうかが決
まってしまうので、そんなものに期待しても仕方がありません。そんな甘い世界ではないというのが1
つ言いたいことです。
それからもう1つは、今、お話しいただいたように、もし守ってくれるのだったら、日本も守ってあ
げないとおかしいじゃないというご意見ですが、安保条約によって、日本は膨大な面積の基地を提
供しています。特に沖縄などがそうですが、また、いまだに1800億円ぐらいの思いやり予算を払っ
てあげています。このように、経済的に、また基地の提供という負担もしているわけで、決して日本
だけ“ただ乗り”しているわけではありません。
アメリカは自国の国益にかなうから、安保条約に署名しているのであり、日本がアメリカを守ってあ
げなければアメリカは日本を守ってくれないということは全くないと思います。世界で一番膨大な軍
事費を使って、世界で一番強い国のアメリカをどうして日本が守らなければいけないのでしょうか。
○北野 ありがとうございました。
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第2部
○伊藤 ほかに質問は。では河合さん。
○河合 追加で幾つか聞かせてもらいたいと思います。
国会でとめられないものを私たちはどのような手段で阻止できますか。
○伊藤 集団的自衛権についてですか。
○河合 はい、その解釈についてです。
○伊藤 解釈の変更を閣議決定でやってしまいましが、この閣議決定には法的には何の意味もな
いことです。この後、次の通常国会、3月の後ぐらいになると思いますが、個別の法律を具体的に
変えていく作業が必要になってきます。個別の、例えば、自衛隊法をはじめとしたさまざまな法律を
変えていく場面で、集団的自衛権を行使できるような法改正をさせないように声を国民が上げていく
ことが必要になってきます。
どういうことかというと、国会議員に対しての働きかけ、地元の国会議員の方も含め、ファクスを
流したりメールを出したりして、もしこれに賛成したら次の選挙では投票しないとおどしをかけるのが
まず1つの方法です。
それから、国民は黙っていないと声をあげることが必要です。先ほどスライドでお見せしたように、
政府側は、国民の知らないうちに憲法が変わっていたというナチスの手法をまねしたらどうだと思っ
ているわけで、安倍さんはこのテーマについて、今はあまり話をしていません。国民に話題にして
ほしくないわけです。だから、そうではない、国民はわかっている、意識している、反対の声を上
げ続けているということをアピールし続けることが重要なことだと思います。
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第2部
あれだけ反対の声を上げたのに閣議決定がなされてしまったとシュンとなる必要は全くありませ
ん。それで意気消沈してしまうのが一番まずいのです。何かの試験に落ちたときにがっくりしてしま
うのと同じであって、次があるのです。ある試験に落ちたとしても次に向かって何をするかが重要
です。それと同じように、閣議決定は大した意味がないので、次の法律の改正まで声を上げ続け
ることが大切です。
具体的には、パレードに参加したり、このような市民集会に参加したり、ビラをつくって配ってみた
りすることです。また、インターネットをやられる方はいろいろなもので発信をしてみたりすることもで
きるでしょう。それからメディアに対して声を上げるのも重要です。テレビ局や新聞社等に対して声
を上げるのです。テレビ欄のところにテレビ局の名前があり、その下に電話番号が書いてあります。
あの番号に電話をかけて、私、集団的自衛権に反対なので、そういう番組をつくってくれませんか、
ニュースで最近言ってないのはおかしいのではないですか等と、
しつこく電話をかけるのです。また、
集団的自衛権についていい番組をやったら褒めてあげるとか、とにかくメディアに連絡することです。
同じように、新聞社、地元の新聞社でもいいし、いろいろな新聞社に連絡をし、いい記事があった
らやはり褒めてあげるのです。褒めて育てるのは子供だけではありません。メディアも褒めてあげな
いといけません。朝日新聞何やっているのだと叱りつけ、たたくだけじゃなく、いい記事があったら
褒めてあげ、もっとこういう記事を書いてほしいと、国民の声をいろいろな形であげていくのです。
また、文房具屋を利用するのも1つの手です。東京に東急ハンズがありますが、このような文房
具屋でペン等を買うときに、
試し書きをする紙が置いてあったりします。
あそこに「集団的自衛権反対」
とか「戦争反対」と試し書きで、でっかく書いてくることもできます。
何でもいいのです。とにかく自分の意思を外へ出して、「国民は黙っていない!ふざけるな!怒って
いるぞ!戦争をする国にしてどうするの!自分の子供たちや孫が戦争に駆り立てられるのはとんでもな
い。絶対許さない!」という怒りの気持ちを素直にあらわし続けるのが一番大切だと思います。いろ
いろな方法で声を上げ続けることです。
私たち1人ひとりの声は小さいが、それはゼロではありません。よく言われるように、微力だけど
無力ではありません。ゼロはどんなに足し合ってもゼロですが、
1は足していけば膨大な力になります。
私たち1人ひとりがいろいろな方法で声を上げ続けることが何よりも大切です。
繰り返しますが、政治家に働きかけたり、メディアに働きかけたり、集会をしたり、パレードをしたり、
それをSNSでいろいろ発信したりし、「この問題が大変大切であることを忘れていない!絶対こんな
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第2部
の許さない!」という声をあげ続けること、それぞれの人がそれぞれできる範囲でベストを尽くせばい
いと思っています。
○河合 ありがとうございました。
○伊藤 チャイムが鳴ってしまいました。
時間ちょっと過ぎてしまいましたが、きょうはこれで終わりにさせていただきたいと思います。よろし
いでしょうか。
○司会 伊藤先生、4人の生徒の皆さん、ありがとうございました。
なお、会場の皆様から多数の御質問をいただきましたが、時間の関係でごく一部しか紹介でき
なかったことについて御了承いただきたいと思います。
本日のプラグラムにつきましては、これで終了とさせていただきます。閉会に当たりまして、和歌
山弁護士会憲法委員会委員長、金原徹雄より御挨拶をさせていただきます。
○金原徹雄 皆さん、本日は本当にありがとうございました。資料の残部を数えたらちょうど50部
でして、この県文小ホールの定員が324だったと思いますので、大体参加者数がわかるかなと思
います。
我々憲法委員会が本日の集会を企画した原点は、新聞の世論調査なんかで、集団的自衛権に
賛成の国民が何十パーセントで、反対の国民が何十パーセントとかよく見ますよね。でも、集団的
自衛権って何ですか?なかなか私も一言で答えるのは難しい。そういう難しい問題を賛成だとか反
対だとかどうやって判断してるのかな?というのがまず疑問でした。まずは知ることから始めて、その
上で自分なりの考えをまとめていってほしいということで本日の集会を企画いたしました。
本日、伊藤先生のほうから、国民の権利として日本国憲法は何を保障しているのか、それとの
関連で、集団的自衛権を容認することがどういうことを意味してるのかということについて非常にわ
かりやすく解説していただけたかと思います。
今後は、私たち主権者、国民がみずから1人1人この国の進路について判断し、それを国政の
上に反映していく「不断の努力」、憲法12条からの引用ですが、「不断の努力」が求められてい
ると思います。本日の集会が皆様のその判断に、あるいは「不断の努力」に少しでもお役に立て
れば、これにまさる幸せはございません。本日は本当にありがとうございました。
○司会 本日の市民集会をこれで閉会させていただきます。
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資料③
集団的自衛権の行使容認に反対する会長声明
2014年(平成26年)6月13日
和歌山弁護士会
会長 小野原 聡史
政府は、従前より、集団的自衛権を「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国
が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」とした上で、「我が国が、
国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲
法9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲
にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであっ
て、憲法上許されない」との憲法解釈を示し、国会答弁においても、その旨、繰り返し表明してきた。
上記の集団的自衛権の行使は憲法上容認されないとの政府解釈は、50年余の長期にわたり維
持され、規範として機能しており、自衛隊の組織・装備・活動等に制約を及ぼし、海外での武力
行使を抑制する根拠となってきた。
このように政府の従来からの憲法解釈によっても、憲法第9条のもとでは、集団的自衛権の行使
は容認されない以上、もし、仮に、集団的自衛権の行使が必要であるというならば、集団的自衛
権行使の容認の是非について、憲法改正手続により、正面から主権者たる国民の意思を問う必要
がある。
ところが、平成26年5月15日、安倍晋三首相の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の
再構築に関する懇談会」(安保法制懇、座長・柳井俊二元駐米大使)は、従来の憲法解釈を変
更し、集団的自衛権の行使を可能とする報告書を首相に提出し、これを受け、首相は「与党で憲
法解釈の変更が必要と判断されれば、
改正すべき法制の基本的方向を閣議決定する」と表明した。
これは、正面から憲法改正手続をとることなく、閣議決定をもとに政府の憲法解釈を変更し、我
が国の憲法の基本原理である恒久平和主義を実質的に変容させることとなる集団的自衛権の行使
への道を拓こうとするものである。
しかし、憲法前文及び憲法第9条に規定されている恒久平和主義は、憲法の根幹をなす基本
原理であり、時々の政府や政権与党の判断・政府解釈の変更により、これを変容することは、国務
大臣や国会議員の憲法尊重擁護義務(憲法第99条)
、憲法の最高法規性(憲法第98条)に反
し、厳格な改正要件を定めた憲法第96条を潜脱するものであり、立憲主義の観点から、決して許
されるものではない。
以上の次第であるから、当会は、政府解釈の変更により集団的自衛権の行使を容認しようとする
政府の行為に強く反対するものである。
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資料④
集団的自衛権の行使を容認する閣議決定に抗議する会長声明
2014年(平成26年)7月10日
和歌山弁護士会
会長 小野原 聡史
平成26年5月15日、安倍晋三首相の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に
関する懇談会」(安保法制懇)は、従来の憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を可能とす
る報告書を首相に提出し、これを受け、首相は「与党で憲法解釈の変更が必要と判断されれば、
改正すべき法制の基本的方向を閣議決定する」と表明した。
これに対し、当会は、憲法前文及び第9条に規定されている恒久平和主義は、憲法の根幹を
なす基本原理であり、時々の政府や政権与党の判断・政府解釈の変更により、これを変容するこ
とは、立憲主義の観点から決して許されるものではないとし、憲法解釈の変更により集団的自衛権
の行使を容認しようとする政府の行為に強く反対する会長声明を、6月13日付で発出した。
にもかかわらず、安倍内閣は、自公両党による与党協議を経ただけで、集団的自衛権の行使
の必要性に理解を得られたとして、7月1日付で「現在の安全保障環境に照らして慎重に検討し
た結果、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国
に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福
追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を
全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、
従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容される」「憲法
上許容される・・
『武力の行使』は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。」と
の閣議決定を行った。さらに、安倍内閣は、同決定に基づく関連法案を次期以降国会に提出し、
集団的自衛権の行使を可能とする法整備をはかろうとしている。
しかし、憲法第9条の下では、自国が武力攻撃を受けていない状況下で、我が国が同盟国等
のために武力を行使することは許されず、憲法解釈により、「自国と密接な関係にある他国に対す
る武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することができる
権利」とされる集団的自衛権の行使を認める余地など存在しない。これは、従来の政府解釈にお
いても繰り返し表明されてきており、それゆえ現行憲法下において、上記閣議決定は、到底是認
されるものではない。
よって、当会は、集団的自衛権の行使を可能とする上記閣議決定に強く抗議し、その撤回を求
めるとともに、集団的自衛権の行使を可能とするための関連法案の提出を断念することを強く求め
るものである。
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編 集 後 記
2014年(平成26年)9月16日、和歌山県民文化会館小ホールにおいて、市民集会「集団
的自衛権って何ですか?憲法と集団的自衛権を考える~」を開催したところ、約280人の方々にご
参加いただくことができました。
あらためて、和歌山弁護士会の呼びかけに応えてご参加いただいた皆様に心よりお礼申し上げ
ます。
本冊子は、市民集会の第1部(伊藤真弁護士による講演)及び第2部(伊藤弁護士と憲法委
員会若手委員による質疑応答)を完全文字化したものに、講演資料、当会会長声明等を添付し
た報告集です。
講演録及び講演資料の掲載を快くご了解くださった上に、丁寧に校正の労をとっていただいた
伊藤真先生に満腔の感謝の気持ちを表わしたいと思います。日弁連憲法問題対策本部副本部長、
伊藤塾塾長をはじめとする様々な激務を抱えながら、「憲法の伝道師」として全国どこにでもかけ
つけて日本国憲法の素晴らしさを訴え続ける伊藤弁護士の活躍が、今ほど求められている時はあ
りません。伊藤先生には、健康に留意され、ますますご活躍されますようお祈りします。
さて、和歌山弁護士会がこの報告集を(平成26)年度内に刊行しようと考えたのは、昨年7月
1日の閣議決定を具体化するための法案が5月連休明けにも国会に上程されるという状況の中、1
人でも多くの国民に、集団的自衛権を認めるとはどういうことなのか?憲法との関係でどう考えれば
良いのか?ということについて、この報告集が、正しい筋道を理解していただくための助けとなるは
ずだと確信したからにほかなりません。
県下各地で学習会をされる際のテキストなどとして、この報告集が様々な場面で活用されること
を願っています。
2015年(平成27年)3月
和歌山弁護士会
憲法委員会
委員長 金 原 徹 雄
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市民集会
集団的自衛権って何ですか?
~憲法と集団的自衛権を考える~
報告集
2015年(平成27年)
3月20日 発行
編集 和歌山弁護士会 憲法委員会 発行 和歌山弁護士会
和歌山市四番丁5番地