マルチエージェントシミュレータを用いたクチコミマーケティングガイドラインの 実効性の評価に関する研究 Research on evaluation of effectiveness of the word of mouth marketing guideline with multi agent simulator 吉見 憲二(早稲田大学大学院国際情報通信研究科) 樋口 清秀(早稲田大学国際教養学部教授) 要 旨 本稿では、ペニーオークションの問題点を指摘し、クチコミマーケティングにおけるガ イドラインの重要性について言及している。実際にガイドラインを変更した場合の影響を 測定することは容易ではないが、マルチエージェントシミュレータを用いることでクチコ ミマーケティングガイドラインの実効性について評価することが可能となる。その結果か ら、今後のガイドラインの在りようについて検討する。 ABSTRACT In the present study, the problem of the penny auction is pointed out, and the importance of the word of mouth marketing guideline is referred. It is not easy to know influence when the guideline is actually changed. But, it becomes possible to evaluate the effectiveness of the guideline with a multi agent simulator. From the result, the improvement of the guideline is examined. キーワード: ペニーオークション、クチコミ、クチコミマーケティングガイドライン、ステルスマーケ ティング、マルチエージェントシミュレータ Keyword; penny auction, Word of Mouth, The Word of Mouth Marketing Guideline, stealth marketing, multi agent simulator 1. はじめに 平成 23 年 3 月 31 日、消費者庁はペニーオークション運営事業者 3 社に対して、景品表 示法第 6 条に基づく措置命令を行った。ペニーオークションについては、かねてから多く の問題点が指摘されていたが、その中には著名人のブログなどにおけるクチコミマーケテ ィングの影響も含まれている。一方で、平成 22 年 3 月 12 日に「WOM マーケティングに 関するガイドライン」を発表した WOM マーケティング協議会は、この件に関しては特に 目立った動きを示していない。 2.「ペニーオークション」の概要と問題点 「ペニーオークション」とは、入札の度に小額の入札手数料を必要とするインターネッ ト・オークションの総称であり、一般的に入札開始価格や 1 回あたりの入札金額の単価が 低額であることから、安価に落札できることが魅力とされている。しかし、最終的に落札 できたとしても、入札を繰り返し行っていれば多額の入札手数料が必要となり、必ずしも 定額以下で購入できるわけではない。また、落札できない場合には手数料は返金されない。 通常のインターネット・オークションとペニーオークションの違いについては、財団法人 日本産業協会が詳しくまとめている(表 1) 。ペニーオークションの出品者(運営事業者) の収益は落札額ではなく入札件数に依存しており、オークションというよりも宝くじなど のギャンブルに近いサービスであるとの指摘もある 1。 ペニーオークションは 2005 年 9 月に開設されたドイツのSwoopo 2(旧名:Telebid)と いうサイトが発祥とされており、2007 年 12 月にイギリス、2008 年 9 月にアメリカに進出 している。日本では、2009 年 7 月 10 日に開設された格安オークションサイト「ヤスオク (後に「激安オク」と改称) 」が最初のペニーオークションサイトである 3。その後、大手 企業も参入するようになり、多くのペニーオークションサイトが乱立することとなった。 それと歩調を合わせて、ペニーオークションに関するトラブルが急増し、2009 年度には 19 件、2010 年度には 192 件の相談が独立行政法人国民生活センターに寄せられている 4。 ペニーオークションの主な問題点として、以下の 3 点が挙げられる。 1. 格安で商品を落札できることを売りにしているが、手数料が返金されない点などが十分 に周知されていない 2. サクラや bot が使用されている疑いがある 3. ステルスマーケティングの疑いがある 1 点目については、消費者庁による措置命令が出ており、運営事業者による改善が図られ ている。これは行政指導が効果を発揮した事例と言える。ただし、行政指導は被害がある 程度拡大してから実行されるケースが多いことには留意が必要である。 2 点目については、定額をはるかに超える価格でオークションが行われているという異常 1 「急増する「ペニーオークション」サイトの光と影 激安価格に惹かれてリスクを考えな いと痛い目に?」 (ダイヤモンド・オンライン)http://diamond.jp/articles/-/10974 2 http://www.swoopo.com/ 3 「激安オク」は 2011 年 2 月いっぱいでサービスを終了している。 4 「入札のたびに手数料が…!“ペニーオークション”のトラブルが急増」 (独立行政法人 国民生活センター)http://www.kokusen.go.jp/news/data/n-20110124_1.html な状況などが報告されている。Vickrey(1961)を代表とするオークション理論では、基本 的に参加者が自分の評価額を正直に申告することが最適な戦略であることが証明されてい る。仮に落札が叶わなかったとしても、参加者が自分の評価額以上を損することはない。 しかし、ペニーオークションでは落札額ではなく、入札件数(手数料)が重要となるため、 出品者(運営事業者)の側には不正を行うインセンティブが生じる。例えば、終了間際に 最高額を出品者(運営事業者)が提示するような仕組みを(自動であれ手動であれ)導入 している場合には、参加者が落札することは事実上不可能となり、手数料のみを負担する こととなる。もちろん、すべての事業者がこうした不正を行っているわけではないが、悪 質な業者は存在しており、消費者の側で判別することは困難である。こうした不正な事業 者を排除する仕組みとして評判メカニズムが挙げられる。結局のところ、ペニーオークシ ョンは参加者が集まらないと入札件数が増えないため、利益を上げることができない。そ のため、評判メカニズムが正常に働いた場合には、不正を行う事業者のサイトには参加者 が集まらなくなり、自然に淘汰されるものと考えられる。 3 点目のステルスマーケティングは、その評判メカニズムのインセンティブを歪ませる恐 れがあるものである。ステルスマーケティングとは、消費者に企業の宣伝であることを気 づかれないように行う宣伝行為のことである。ペニーオークションを巡っては、少なくと も 20 人程度の著名人がペニーオークションによって商品を落札していることを自分のブロ グに書き込んでいることが確認されている 5。これをステルスマーケティングと即断言する ことはできないが、こうした著名人による成功事例の報告がある種の信頼感をペニーオー クションに与えていたことは否めない。本質的な問題はステルスマーケティングが疑われ る事例において、現在は何らの対処ができない点にある。 3. e クチコミとクチコミマーケティングガイドライン クチコミマーケティングに関する代表的な先行研究には、Lazarsfeld ほか(1944)のオピ ニオンリーダー、Rogers(1983)のアーリーアダプターなどがある。これらはいずれも消費 者の購買における意思決定に、ある特定の人物の影響が大きく表れることを示している。 濱岡・里村(2009)はインターネット時代におけるクチコミを e クチコミとして再定義し ている(表 2) 。クチコミから e クチコミへの変遷は、ステルスマーケティングのような手 法においても親和性が高いものと考えられる。なぜなら、家族や友人に対しては、関係性 が続くため嘘をつくインセンティブが著しく抑えられるし、リアル(対面)でのコミュニ ケーションは多くの言語化できない情報を与えるため、消費者を騙すという行為を困難に するからである。しかし、e クチコミにおいては、見知らぬ人とのネット上におけるコミュ ニケーションが主となることから、情報の提供者と受容者との間で情報の非対称性が生じ やすくなる。 このようなeクチコミの特性によって、ステルスマーケティングが疑われる事例が近年増 えている。米国では、ステルスマーケティングを問題視する動きから、2009 年 12 月に「推 5 「アメブロ芸能人がペニーオークションで続々落札? サイバーエージェント「一切関与 していない」 」 (ITmedia News) http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1101/24/news077.html 奨広告と証言広告の利用に関する指針」が改定され、企業からの報酬や商品の提供につい て明示することが義務付けられた。日本でも、2010 年 3 月 12 日にWOM マーケティング 協議会によって口コミマーケティングガイドラインが発表された。当該のガイドラインは 以下の通りである 6。 1. (関係性明示の原則)WOM マーケティング事業者は、どのような関係性において、WOM マーケティングが成立しているかについて、消費者が理解できるようにしなければならな い。関係性とは、原則として金銭、物品、サービスの提供とする。 2. (社会啓発の原則)WOM マーケティング事業者は、1 が実現するように必要な啓発活 動を行うとする。 4.クチコミマーケティングガイドラインの実効性とシミュレーションによる分析 WOM マーケティング協議会は今回の「ペニーオークション」を巡る疑惑に対しては沈黙 を貫いている。1つの理由として、米国の規制では、違反者には最高で 1 万 1000 ドルの罰 金が科されるが、日本のガイドラインでは罰則は設けられておらず、あくまで努力規定と なっていることが考えられる。もちろん、罰則規定を設ければ単純にすべてがうまくいく わけではないが、インセンティブの構造がどのように変化するかを検討することは有意義 な試みである。 そうした仮定の状況によるパラメータの変化を把握するために、本研究ではマルチエー ジェントシミュレータ(MAS)を利用する。マルチエージェントシミュレータ(MAS)と は、各々のエージェントが相互に影響を及ぼす状況について分析するためのツールである。 クチコミマーケティングガイドラインの事例では、 「関係性明示の原則」と「罰則規定」の 違いが全体の情報の伝達にどのような影響が生じるかを、各エージェントのパラメータの 変化から推定することが可能となる。 5. まとめ 本稿では、ペニーオークションの事例を元に、クチコミマーケティングガイドラインの 実効性といった観点から、MAS を利用した分析を行う必要性について言及した。今後は、 実際に MAS でのシミュレーションを行い、その結果から「関係性明示の原則」と「罰則規 定」の違いについて明らかにする。 6 「WOM マーケティングに関するガイドラインを発表しました!」 (WOM マーケティン グ協議会)http://womj.jp/news/2010/03/wom-2.html 参考文献・URL 1. Lazarsfeld, Paul F., Bernard Berelson and Hazel Gaudet (1944), The People’s Choice: Thrid Edition, Columbia University Press (有吉広介監訳、 『ピープルズ・ チョイス』 、芦書房) 2. Rogers, Everett M. (1983) Diffusion of Innnovations: 3rd ed. Free press (青池慎一、 宇野善康訳 『イノベーション普及学』産能大学出版会) 3. Vicrey,W. (1961) Counterspeculation, auctions, and competitive sealed tenders. Journal of Finance,16. 4. 濱岡 豊, 里村 卓也 (2009)『消費者間の相互作用についての基礎研究―クチコミ、e クチコミを中心に』慶應義塾大学出版会 5. WOM マーケティング協議会(http://womj.jp/index.php) 表 1:メディア、送り手とクチコミ、e クチコミの定義 インターネット・オークション 特徴・宣伝文句 ペニーオークション 「誰もが簡単に参加できる!」 「最新の人気商品をありえない 「さまざまな商品がある!」 取引する相手 ほどの安値で購入できる!」 事業者、個人などさまざまな出 オークションを運営している事 入札手数料 品者 業者 無料 初心者限定入札無料オークショ ンを除いて 1 入札ごとに入札手 数料が必要 入札手数料の入手方法 - 事業者から仮想通貨として数回 分をセット購入 入札手数料の返品 - 不可 入札手数料の有効期限 - 設定されている 入札価格 自分で決めた価格で入札する 1 入札ごとにあらかじめ決めら れた価格幅だけ上昇する 価格幅は 1 円~15 円程度 商品を購入するために 落札価格+送料+その他手数 落札価格+入札手数料×入札回 支払う金額 料 数+送料+その他手数料 オークション終了時支 - 落札できてもできなくても 払った入札手数料は? 一切返金されない 出典:財団法人日本産業協会 表 2:メディア、送り手とクチコミ、e クチコミの定義 相手 家族、友人 メディア 見知らぬ人 リアル(対面) クチコミ クチコミ ネット クチコミ e クチコミ 出典:濱岡・里村(2009)p.5
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