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巻頭言
プロゼライトとユダヤ人
―人間関係の接点を視る―
黒田 禎一郎
LCJE 日本支部コーディネイター イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。
「まことに、あなたがたに告げます。
わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。マタイ 8:10
◆プロゼライト
イエス時代のユダヤ人は、ローマ軍の支配下にありました。
ユダヤ人は当時も、各地に離散し異邦人社会で生活していま
した。彼らは常に、異邦人との接点がありました。イエスが
公生涯で活躍されたガリラヤ湖畔には、100 人のローマ兵
士がいた町カペナウムがありました。一般的に、ユダヤ人は
異邦人との交流は好まなかったはずでした。しかし、マタイ
福音書 8 章を開くと、百人隊長がイエスのもとに来て、中
風病みのしもべの癒しを懇願するストーリーが書かれていま
す。なぜ異邦人の百人隊長が、イエスに部下の癒しを求めた
のでしょうか。そこには、選民と異邦人の接点がありました。
それは異邦人であっても、創造神を信じていたからでした。
彼らのことを「プロゼライト」
(Proselyte)と呼びます。
かな。」
(メギラー 74a)、と言いました。このように異邦人
からの贈物を「ハラハー」は認めていました。ただ、神殿に
納める税金だけは、ユダヤ人以外から徴収することはありま
せんでした。
イスラエルの地に住むユダヤ人は、自分たちを取り囲む非
ユダヤ的な世界に対し全面的に抵抗していました。時として、
大小さまざまな暴動や反乱を引き起こしました。しかし、戦
時・平和を問わず、ローマ軍との間で激しい衝突が数多く起
こっていたにもかかわらず、ローマ軍の士官とユダヤ人市民と
の間に理解が深まり、時には友情さえ芽生えることもあった
ようです。ラビ文献には、異邦人と選民の親しい触れ合いを
例証する物語があります。カペナウムの百人隊長はじめ、ユ
ダヤ人のために犠牲や贈物をささげた人たちはいました。
◆ユダヤ法規
◆神のご計画
聖書をよく読むと、他にも「プロゼライト」がいたことが
分かります。たとえば、カイザリヤのコルネリオです。使徒
の働きには、次のように記録されています。
「さて、カイザリ
ヤにコルネリオという人がいて、イタリヤ隊という部隊の百
人隊長であった。彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐
れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神
に祈りをしていたが…」、
(使徒 10:1、2)。
神はいつの時代も、真理を求める人を備えておられます。
プロゼライトは、ユダヤ人と接点がありました。興味深いこ
とは、ユダヤ法規(ハラハー)はすでにその事にふれていた
ことです。ユダヤ教社会では、当時も異邦人の出入りがあり
ました。そればかりか彼らは、会堂やユダヤ社会に寄付行
為を行なっていました。たとえば、カペナウムの百人隊長は
ユダヤ人のために会堂を建てました。ハラハーは、彼らが自
発的に神殿のためにささげる犠牲や贈物を認めていました。
ここに、私たちは神のご計画を視ることができます。イエ
スは預言者イザヤの言葉、
「わたしの家は、すべての民の祈
りの家と呼ばれるからだ。
」
(イザヤ 56:7)引用されました。
神はすべての人を用いられます。その共通点は、創造神を信
じるという一点です。一般的に、ユダヤ人と異邦人との間に
は溝はありましたが、創造神につながれ「接点」が生まれま
した。ここが重要なポイントです。百人隊長の信仰は、イエ
スが「わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信
仰を見たことがありません。
」言われたように、異邦人クリ
スチャンに励ましを与えてくれます。
◆エルサレム・タルムード
エルサレム・タルムードは、ローマの皇帝アントニウスが、
ある会堂にメノラーを寄贈したことを語っています。ラビ・
ユダ・ハナスイはこれを聞いて、
「会堂のためにメノラーを作
らせようという考えを、彼に抱かせた給うた神は、ほむべき
神はご自身のご計画によって選民を選ばれましたが、異邦
人は除外されたわけではありません。神の愛は選民・異邦
人に等しく注がれてきました。プロゼライトは、自主的に贈
物や捧げ物をしました。神を敬い心から神に向かう人の姿で
す。神は「ハラハー」で、それを受け入れることをよしとされ
ました。イエスも「わたしの家は、すべての民の祈りの家
と呼ばれるからだ。
」
(イザヤ 56:7)というイザヤ預言を
引用されたように、神の国にはすべての民が迎え入れられま
す。私たちも御国建設のため、主に忠実にお従いしようで
はありませんか。
No.145 LCJE 日本支部発行
1
LCJE 本部ニュース 103 号より
チャレンジ
LCJEラテンアメリカ コーディネイター 責 任
神の約束
デイヴィッド・セダカ 翻訳
: 近藤宏子
しかし、ゼルバベルよ、今、強くあれ。…主の御告げ。…エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ。強くあれ。この国
のすべての民よ。強くあれ。…主の御告げ。…仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。…万
軍の主の御告げ…。あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの
霊があなたがたの間で働いている。恐れるな。
(ハガイ書 2 章 4-5 節)
この言葉が宣言された時、イスラエルの子らは約束の地
に帰り、町と神殿を再建し始めたが、妨害と彼ら自身の怠
慢のために再建への熱情は徐々に消え失せるようになって
いった。それで主は預言者ハガイをとおして仕事に取りか
かるように彼らを励まされたのである。エルサレムと神殿
再建の仕事は、私たちが新しい霊的イスラエルを再建する
ために受けた召命と似ている。ハガイの時代のように、今
日私たちはチャレンジと仕事を果たす責任と神からの約束
を受けている。
バビロニア帝国に住むユダヤ人のすべてがエルサレムに
帰還するようにという命令に従ったわけではなかった。今
日、神から与えられユダヤ人の心に記された新しい契約(エ
レミヤ 31 章 31 節)を受け入れているのは少数のユダヤ人
だけである。しかし受け入れ従う人々は心からそうしなけ
ればならない。それは指導者とすべての人々に対するチャ
レンジである。私たち皆が壊れたイスラエルの霊的神殿の
再建に果たすべき役割を持っている。ハガイはこのチャレ
ンジを 3 回繰り返すことにより、すべての人々に呼びかけ
ている。問題は、人々が一旦新しい家に落ち着き自分たち
の関心事にかまけはじめると、神のチャレンジはそれほど
緊急性があるようには思われなくなったことであった。私
たちはかつてイスラエルの救いに対して持っていたと同じ
切迫感を今も持っているだろうか?今の状況に満足して召
命を忘れてはいないだろうか?
今日もハガイの時代のように(エズラ記 4 章 1- 6 節)
外部からの妨害がある。伝統的ユダヤ教は私たちを受け入
れないし、受け入れようともしない。受け入れてもらえる
ように私たちは時々懸命に努力する。しかしイエスは私た
ちを証人として召したのであって、イエスの弁護士や擁護
者として召したのではないということを私たちは忘れてい
る!私たちは教会から妨害を受けることがあるかもしれな
い。私たちがしていることに対して歪曲した意見を持つ教
会があるかもしれない。しかし壁ではなく、橋を架けよう
ではないか。私たちはキリストのからだの手足である。私
たちは皆教会のそれぞれの部分である。私たちの役割は
孤立して働くことではなく、
神から受けた賜物と召命に立っ
て共に調和して働くことである。
2 LCJE 日本支部発行 No.145
ユダヤ人伝道の内部にも問題があるかもしれない。一旦
気楽に構えてしまえばビジョンも変わってくることに注意
をしたい。次に何が起きるか傍観しているだけの指導者も
いるかもしれない。今日私たちは奇妙な神学(エフライム
論、タルムード主義者、強力なカリスマ派、個人崇拝カルト)
に直面している。だから私たちが信じていることにしっか
り立たねばならない。さもなければ私たちの信仰は虚し
いものとなる。
ハガイが主から受けたメッセージは「強くあれ」であっ
た。これから先にある仕事を見れば勇気を失いそうにな
ることがあるが、失望は私たちが神の命令を充分に理解し
ていない時生じるものである。
「強くあれ」と主は言われ
る。これはいつの時代も主がその民に与えられた命令であ
る。クロス王もダリウス王も軍隊や働き手を約束しなかっ
た。仕事は召命を受けた人々によってなされなければなら
なかった。私たちの強さは神から来るのであって、私たち
自身から来るのではない。ハガイと同時代人のザカリヤも
主から同じメッセージを受け取っている。ゼカリヤ書 4 章
6 節には、
「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。
『権力
によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の
主は仰せられる」とある。
そして遂に「わたしがあなたがたとともにいるからだ」
という神からの約束が与えられる。私たちがやがて伝統的
ユダヤ人に受け入れられるようになるだろうから、あるい
は異邦人教会がユダヤ人の兄弟たちと妥協するようになる
だろうからから、そうなればすべての問題を解決するため
の知識を獲得できて、その結果ユダヤ人伝道は成功するよ
うになるというのでは決してない。
「わたしはある」と言
われる神が私たちとともにおられるという事実を理解した
時こそ、私たちが受けた召命を果たせるのだ。
神の約束は私たちを導くためだけでなく、私たちの手
を取って立ち上がらせるためでもある。神の約束は私たち
にアドバイスを与えるためでなく、私たちとともにあるため
である。この約束は常に現在形であることに心を留めて
ほしい。
「わたしがあなたがたとともにいるからだ。…と万軍の
主は言われる」。
第1回「ハーベスト再臨待望聖会」
イスラエル 教会 そして
神の世界救済計画(8)
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ 第 1 回「再臨待望聖会」のメッセージをお届けする連載
記事の最終回です。これまでおつき合いくださり、ありが
とうございました。
■セッション3
「メシアのからだ ― イスラエルと諸国に恵みを伝える
現在の器(後編)
」
○ III.メシアのからだに属するユダヤ人と異邦人は、
神の祝福の器として召されている。
メシアを信じたユダヤ人と異邦人は、共にメシアのから
だに入れられて「新しいひとりの人」となり、それぞれが
同じ恵みと特権にあずかっています。しかし、その中でユ
ダヤ人信者に与えられている役割と、異邦人信者に与えら
れている役割とは微妙に異なります。
○メシアニック・ジューは、今日のイスラエルの残れる者である。
メシアニック・ジューは、イスラエルに与えられた役割を
今の時代に果たしている「残れる者」
(レムナント)です。
神の計画の中でメシアニック・ジューに与えられている特別
な役割について、
パウロはローマ 11:1 ~ 5 で論じています。
第一に、メシアニック・ジューの存在は、イスラエルに対
する神の契約が今も有効であることを示しています。神は
イスラエルを見捨てたわけではありません。事実、どの時
代にも、イスラエルには神の恵みによって残された信仰者
がいました(イザ 10:20 ~ 23、6:13、エレ 30:11 参照)
。
第二に、メシアニック・ジューには、イスラエルの民に「悔
い改めて神に立ち返り、罪の赦しを受けよ」と呼びかける
預言的奉仕が与えられています。メシアご自身が「悔い改
めなさい。天の御国が近づいたから」と語ったように、メ
シアニック・ジューも、今の時代に福音を失われた羊であ
るユダヤ人に語る使命が与えられているのです(マタ 10:5
~ 7、ローマ 1:16 参照)
。
しかし、メシアニック・ジューの使命はそれだけではあり
ません。第三に、イスラエルの残れる者として、真のイス
ラエルを代表するという役割も担っています。福音を異邦
人に宣べ伝え、諸国民の光となるという使命です。しかし、
残念なことに、今日のメシアニック・ジュー運動にはこの部
分が欠落しています。イスラエルのゴールは、ユダヤ的に
生きることではなく、異邦人にイスラエルの神を宣べ伝え
ることです。
○異邦人信者は、
「メシアにあって」
、忠実なイスラエル
に「接ぎ木」された。
メシアのからだのもう一方、異邦人信者は、神がイスラ
エルを通して実現しようとされていた人類救済計画に、メ
シアにあって接ぎ木されました。そのため、異邦人信者は
同じメシアのからだにあって、イスラエルに与えられた使命
佐野 剛史
を全うするためのパートナーとなっています。
異邦人信者にも、特別な使命があります。それは、イス
ラエルに対して証し人となるという使命です。異邦人が救
われたのは、異邦人の使徒パウロや、大宣教命令に従った
十二使徒といったユダヤ人がいたからです。そのおかげで、
異邦人信者は第一義的にはイスラエルのものであった霊的
祝福にあずかるようになったのです。
パウロは、ローマ 1 章~ 8 章で、メシアによってもたら
される救いの祝福を記した後、ローマ 9:1 ~ 5 でユダヤ人
の不信仰を嘆いています。イスラエルはメシアを拒否した
ため、その祝福に預かることができなかったのです。しか
しパウロはローマ 11:11 でこう言っています。
「では、尋ねましょう。彼らがつまずいたのは倒れるため
なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえっ
て、彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。
それは、イスラエルにねたみを起こさせるためです。
」
イスラエルがメシアを拒否したのは、異邦人に救いの道
が開かれるためである。そして、異邦人が救われたのは、
ユダヤ人にねたみを起こさせるためだった、というのです。
ローマ 11:13 ~14 では、そのためにパウロは熱心に異邦
人伝道するのだと言っています。
このような使命が与えられている異邦人には、それに
ふさわしい態度が求められます。その第一は、ユダヤ人に
対する傲慢や反ユダヤ的姿勢と決別することです(ローマ
11:18a、19)
。しかし、過去二千年間の歴史を振り返る
と、教会はねたみを起こさせるどころか、ただユダヤ人を怒
らせるばかりでした。第二に、異邦人信者は謙遜になって、
イスラエルが苦難を通過することによって、自分たちがイス
ラエルに属する特権に預るようになったことに感謝すべき
です(ローマ 11:18b、28 ~ 29、15:27)
。そして第三
に、犠牲的愛をもってイスラエルを愛し、祈ることです(詩
篇 122:6 ~ 9 参照)
。実際に、今救われているユダヤ人
信者の大半は、異邦人信者の犠牲的な愛と祈り、証しによっ
て救われた人々です。
イスラエルの救いは、異邦人の時が満ちてから、つまり、
救いに予定されている異邦人がすべて救われた後に起こり
ます。そのため、われわれは異邦人伝道に熱心に取り組む
ようにも召されています。日本は伝道が難しい国だと言わ
れています。もしかすると、救いに予定されている最後の
日本人が救われたその時に、イスラエルの救いが来るのか
もしれません。
イスラエルは今も、その一部がかたくなになったままです
(ロマ 11:25)
。 われわれは、イスラエルに返すべき負債
を負っています。それゆえ、すべてのイスラエルが救われる
日が来るまで、あらゆる努力をする必要があります。イスラ
エルの救いのため、異邦人の救いのために、神が皆さんを
用い、大いに祝福してくださいますように。アーメン。
No.145 LCJE 日本支部発行
3
ローマ人への手紙 9 章 6 ~13 節
早川 衛
アルコ・イリスミニストリーズ (Arco Iris Ministries) 代表 前回解説した 9 章 1 ~ 5 節には、パウロの悲しみが記
されている。イスラエルの神である主が、同 4 ~ 5 節に書
かれた特権をユダヤ人に与えたにも拘わらず、彼らの多く
はイスラエルの救い主、イエス・キリストを拒否したからだ。
しかし、悲しみだけに終始するのではなく、パウロは主に
対する賛美をも記している。5 節後半のことばがそれだ。
パウロが主を賛美した、あるいは賛美できた理由は、6
節にあるとおり神のみことばが無効になったわけではな
かったからだ。これに関しパウロには大きな確信があった。
その根拠となる聖書的な事例がふたつ挙げられているが、
それを見る前に 6 節の後半のことば(なぜなら、イスラエ
ルから出る者がみな、イスラエルなのではなく)に言及し
ておきたい。
聖書的なイスラエルの意味に気づき、イスラエルを愛し
始める者の中に、イスラエルに関することなら何でも無条
件に受け入れてしまう傾向、すなわちイスラエル万能主義
とでも言えるような極端な思考が芽生えることがあるよう
に感じる。6 節の後半のことばを読むたびに、私は救いが
イエス・キリストを信じる信仰によるものであることを確認
させられる。事実、パウロもこの 9 章を信仰による義に
ついて書くことによって終えている。前回も触れたように、
この点に関し、パウロは実に注意深く、換言するならしつ
こいほどに記している。
さて、神のみことばが無効になったわけではないことに
関し、パウロが挙げた根拠は以下のとおりである。
(1) アブラハムとサラの例
人間的には、不可能な状況にあったアブラハムとサラか
らイサクが生まれた。それは、神が彼らを選び、約束した
から。神の選びと約束は確かなものだから。神のみこと
ばは決して無効にならないからである。
(2) リベカの例
リベカも不妊の女であったにも拘わらず二人の子ども
( エサウとヤコブ ) を産んだ。それは、なぜか。神の選び
と約束は確かなものだから。どんな状況の中でも、それ
は必ず実現するから。神のみことばは決して無効にならな
いからである。
周知のとおり、ヤコブは、父イサクの祝福を受けるため
に兄のエサウをだました。しかし、その悪にも拘わらず、
二人を出産する前のリベカに主が告げられたとおり、兄の
アルコ・イリスミニストリーズ主催 エサウが弟のヤコブに仕えるようになった。すなわち、イ
サクがアブラハムから継承した祝福は、エサウではなくヤ
コブに継承されたのである。
これは、神の選びの計画が、行いによっては左右され
ることのない確かなものであることを示す好例のひとつで
ある。
最後に 13 節のことば(「わたしはヤコブを愛し、エサウ
を憎んだ」と書いてあるとおりです)に触れておきたい。
これは、神のことばとして実にショッキングなものに聞こ
えるかもしれない。しかし、エサウが神の愛の外にあったの
でも、祝福されなかったのでもない。事実、私たちは、物
質的に祝福されたエサウの姿を創世記の中に確認できる。
憎むということに関し、イエス・キリストは次のように言
われた。
「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、
姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わた
しの弟子になることができません。」
(ルカ 14:26)この
ことばの前には、ひとつのたとえ話がある。それは、ある
人 ( 主人 ) が催す盛大な宴会のため、招待されていた大勢
の人たちがいたにも拘わらず、宴会の時刻になっても誰も
来なかった。すると、主人は、僕に「街道や垣根のところ
に出かけて行って、無理にでも人々を連れて来なさい」と
命じるものである。文脈的に見て、ここでの「招待されて
いた人たち」は、ユダヤ人である。彼らは、神の人類救済
計画のために選ばれた民、つまり神に愛された民であった。
それゆえ、神の目的を理解し、イスラエルの救い主イエス
・キリストに近づき、信じ、仕えるべきだった。しかし、神
の御心を理解しなかった結果、イエス・キリストを拒否して
しまった。
これと同じように、ヤコブは神の計画のために選ばれた。
それが「愛した」の意味である。また、
「憎んだ」は選ば
れなかったことを意味する。従って、この「憎む」を、文
字通りの意味で理解すべきではない。
私たち日本人もまた「憎まれた民」であった。しかし今、
誰でもがイエス・キリストを信じるだけで約束の神の子ども
となれる。またエサウの子孫も同様である。神に愛されて
いない民はない。神の愛は、イエス・キリストをとおして全
人類に示された。そのために、神はユダヤ人を選ばれたの
である。
聖地イスラエル旅行のご案内
日程:2012 年 2 月1日 ( 水 ) ~ 8 日 ( 水 ) 費用:258,000 円(航空運賃・現地交通費・ホテル代・入場料・食費代含む )
費用に含まれないもの:燃油代 ( 別途徴収)
・海外旅行傷害保険代 ( 加入者のみ )
申し込み締切日:2011 年 11 月 30 日 ( 水 )
連絡先:TEL 049-223-5159 もしくは [email protected] 早川 衛
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イスラエルが選ばれた目的(エゼキエル 36:25)
イスラエルへの祈りを受け継ぐ教会に生まれて
シオンとの架け橋 石井田 直二
大阪クリスチャンセンターで毎週開催されている「大阪朝祷会」で、10 月 3 日(月)に、私自身の証と共に、
アジア・メシアニック・フォーラム 2011 のビジョンについても語らせていただく機会が与えられました。
お話した内容を、以下に掲載させていただきます。
なお、草稿を元にして作成したものなので、実際に語った内容とは多少異なりますが、ご容赦ください。
中田重治師の教えを受け継ぎ、
イスラエルのために祈る「聖
書研究会」という教会に、私は生まれました。幼い頃から、
もうすぐユダヤ人が悔い改め、主がエルサレムに再臨される
と教えられて、育ちました。牧師だった祖父から「君たちは
幸いな子供たちだ。千年王国の国民になれる」と教えられ、
それを信じていたのです。
しかし、30 歳になっても 40 歳になっても何も起こりませ
ん。祖父も召されてしまいました。そして、いろいろ勉強す
るうちに「ユダヤ人は絶対にイエスを信じない」ということも、
わかって来たのです。ユダヤ人の悔い改めも再臨も、すぐに
起こることではなく、きっと、だいぶ先の話だろうと思うよ
うになりました。そんな時に、エルサレムを訪問し、ユダヤ
人ビリーバー(メシアニック・ジュー)のヨセフ・シュラム先生
に出会ったのです。これは衝撃の体験でした。そして私たち
の教会は、メシアニック・ジューの指導者を日本に招くよう
になりました。私は「通訳の賜物がある」と言われて、彼ら
の通訳をするようになったのです。
ユダヤ人と付き合うようになって、最初は喜んでいましたが、
なぜ同じ人間なのに彼らだけが神様の扱いが違うのかと、疑
問を感じるようになりました。メシアニック・ジューの先生
だというと、握手しただけで感動して、まるで神様のように
思う人々も多いのですが、一緒に仕事をしてみれば、ユダヤ
人も私たちと同じ、普通の人間です。だいたい、ユダヤ人は
ルールを守らないことでは有名ですが、時間もなかなか守り
ません。集会の開始時刻から半時間くらい経たないと集まっ
て来ません。イスラエルでは
「もしも日本人に律法を与えたら、
全部守ったに違いない」という冗談があるほどです。
実際、聖書はユダヤ人が神様の言うことを一度も聞かな
かった、という記録でもあります。ステパノが殉教の前にそ
う語っています。新約聖書の時代になっても、一部の人々を
除いて、ユダヤ人は神様の言うことを聞きませんでした。そし
て、今なおユダヤ民族の大半は神様の言うことを聞いていま
せん。
しかし、考えてみて下さい。もし、ユダヤ人たちがお行儀
の良い人々で、神様の命令を全て守っていたとしたら、どう
なったでしょうか。聖書は出エジプト記の途中までで終わっ
ていたはずです。
「神様が律法をお与えになると、彼らはそ
れを全て守りました。そして、いつまでも、いつまでも、幸
せに暮らしました」というわけです。すると、聖書は、誰に
も役立たない書になっていたでしょう。なぜなら、神様の言
うことを全部守れる人間なんか、
ほとんどいないからです。
「あ
んなに出来の良い人々なら、恵まれて当然だが、私達なんか、
とても神様に愛してもらえない」と誰もが思ってしまうことで
しょう。
しかし、聖書の主題は「人間がどれほど不従順でも、神は
忠実である」
。つまり「無条件の愛」なのです。それを全世
界に示そうとしたら、神様の言うことを聞かない、特に頑固
な人々を選ばなければなりません。それこそが、頑固なユダ
ヤ人が選ばれた理由なのです。
私たちもまた、日本人の中で、たった 1%のクリスチャンと
して選ばれました。でも、神様はどういう1%を選ばれたの
でしょうか。それはユダヤ人と同じです。
「取るに足らない、
力も知恵も無い人々を選んだ」
(Iコリント1:27)と聖書は
記しています。
そしてエゼキエル 36:25 では、世界各地で御名を汚して
回ったユダヤ人たちを、神様が超自然的な業によって、約束
の地に連れ戻すと記されています。彼らを罪から清める時
「諸
国民は主を知る」という、驚くべき計画が明らかにされてい
るのです。ユダヤ民族の歴史全体が、異邦人に主を知らせる
ための、壮大な神のドラマなのです。
そしてこの壮大なドラマは、
今や「最終回」を迎えています。
世界中からユダヤ人たちがイスラエルの国に集められて、さ
らにメシアニック・ジューが出現している。これは重大なニュー
スです。ところが、大半のクリスチャンは、まだそれを知りま
せん。
「あのイスラエルと聖書のイスラエルは関係ありません」
と、一生懸命、否定している人々もいます。だから、大きな
集会をして、クリスチャンの目を覚ます必要があります。それ
が、11月に私たちがアジア・メシアニック・フォーラムを開く
目的です。今回の大会は、不思議な導きで、韓国との共催に
なりました。前回以上のスケールの集会になると思います。
大阪、東京、ソウルで開催された集会は、次にシンガポー
ルの人々がバトンを引き継いで開催して下さることになりまし
た。そしてインド、フィリピン、香港…最後は、アジアの兄弟
が揃ってエルサレムに行き、再臨されたイエス様を出迎える
のです。このプロジェクトが、ここ大阪からスタートするとは、
何とすばらしいことではないでしょうか!
この集会のために。すばらしい会堂を貸して下さった大阪
クリスチャンセンター様に、深く感謝致します。ぜひとも、こ
の歴史的な集会に、友人や信徒を連れてご参加下さい!
アジア・メシアニック・フォーラム 2011
11月
● OSAKA
19 日 ( 土 ) ……大阪クリスチャンセンター(大阪市中央区)
● TOKYO
21日 ( 月 ) ~ 23 日 ( 祝・水 )……………………………
ウェスレアン・ホーリネス淀橋教会 ( 東京都新宿区 )
● SEOUL
24日(木)~ 26(土)…韓国教会100周年記念館 ( ソウル )
(入場無料・席上献金があります。
)
詳しくは特設サイトへ ht tp: //w w w.a m-for um.jp/
お問合せは/シオンとの架け橋 神戸市中央区中町通 2-2-18-4F
TEL 078-341-7501
No.145 LCJE 日本支部発行
5
◁◁
恵 み ▷▷
ハティクバ・ミニストリー代表 高瀬 真理
家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。こ
れは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことで
ある。これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ
喜ぼう。ああ、主よ。どうぞ救ってください。ああ、主よ。
どうぞ栄えさせてください。主の御名によって来る人に、
祝福があるように。私たちは主の家から、あなたがたを祝
福した。
主は神であられ、
私たちに光を与えられた。
枝をもっ
て、祭りの行列を組め。祭壇の角のところまで。あなたは、
私の神。私はあなたに感謝します。あなたは私の神、私は
あなたをあがめます。主に感謝せよ。主はまことにいつく
しみ深い。その恵みはとこしえまで。詩篇 118 編 23-29
トの生きた時代女流作曲家
には辛い時代でした。迫害
され譜面も破棄されたり、
盗まれたりしました。しか
し、モーツアルトはこの楽
譜をひそかに隠し、守ったのです。これこそ神様からのプレ
ゼントです。
今月はハテイクバ・ミニストリーが新しくリリースした讃美
アルバム CD について書き記したいと思っています。その CD
のタイトルは「恵み」というタイトルです。
ハテイクバ・ミニストリーは主の「恵み」で立てられている
ミニストリーです。ああ主よ。どうぞ救ってください。ああ、
主よ。どうぞ栄えさせてください。この祈りにお答えくださっ
た主のご愛と恵みに喜んで讃美させていただいている CD な
のであります。
第七曲目「ホ長調協奏曲第一楽章」J・S・バッハは 2 曲
のバイオリン協奏曲を残している。ホ長調は 2 番目の協奏
曲であります。バッハ敬虔なプロテスタントの信者でもあり、
多くのカンタータを書き残している。この作品を録音した訳
はこのようです。私の母が私を身ごもっている時、よく聞い
ていたレコードの旋律なのです。私は、楽譜を見ないでもこ
の曲を演奏することがなぜか出来ました。母の「愛」
主の「愛」
に感動し収録しました。
第一曲目「神の恵み」韓国の讃美曲をハテイクバ・ミニス
トリーが編曲しました。この作品は今回の録音の中で、もっ
とも主のみ名をあがめつつ準備し、録音に臨んだ作品です。
楽器を操ることも主のお赦しがなければ一音とも発音するこ
とが出来ないのです。
「恵み」以外の何物でもありません。
本来ならば讃美するに値のないものであったのです。
第八曲目「たとえば私が」2011 年 7 月に私は震災ボラン
テイアで宮城に入りました。その時目に飛び込んできた光景
は言葉に表すことが出来ません。むちゃくちゃになった港に
立ったときこの讃美は必ず収録しようと導かれました。主の
助けなしに霊・肉の復興はありえないからです。
第二曲目「バルハバ」この曲を韓国のクリスチャン若手ア
レンジャー、ディオン・リー兄にお願いし、救われた喜びを
そのヘブル讃美にのせて表現していただきました。ユダヤ人
の救いを覚え、心を込めて讃美させていただきました。
第三曲目「永遠の神の都」家を建てる者たちの捨てた石。
それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私の心
の深いところに、ご聖霊が働いてくださり「主の神殿」を建
ててくださいました。このことを心より喜び精一杯讃美させ
ていただきました。
第四曲目「輝く日を仰ぐとき」信仰なくして楽器を奏でて
いたとき、自分の事を光り輝く「ダイヤモンド」と自負してお
りました。しかし、それは日々の生活の中に「希望」のない
闇をさまよう張りぼてのようでした。恵みによって信仰を得
た現在、私は今「主のみ手にある粘土」と覚え、輝く希望に
上を向いて立ち上がり、歩めることに感謝しています。
第五曲目「シシリアーノ」パラディスという盲目の女流作曲
の唯一残っている作品。今から 250 年前 W・A・モーツアル
6 LCJE 日本支部発行 No.145
第六曲目「父の神の真実」主はまったき信頼をおける方。
裏切らないお方。その真実にハテイクバ・ミニストリーのアレ
ンジが応答しています。
第九曲目「すべてに勝って」神はひとり子イエス・キリスト
を十字架におつけになりました。その結果私は主の「愛」を
知りました。イエス様感謝します。
第十曲目「証」具体的な十字架の御愛を、旋律ではなく、
言葉で収録しました。
第十一曲目「主に栄光・永遠にあれ」主のみ名によってこ
られるかたに。私・私たちの
『肉』は本当に感情にゆすぶられ、
世の中でも主を簡単にそむく弱いものです。しかし、恵みに
よって救われた私・私たちは声高らかに主を讃美すべきです。
その讃美のすべては主のものです。この CD のすべての栄光
は主にお返しします。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
※ CD のお求めは、直接ハテイクバ・ミニストリーまでご注
文下さい。〈一枚 2 千円〉
※お電話か、E メールにてお願いいたします。
お 電 話の場合→ 072-867-6721
E メールの場合→ [email protected]
までよろしくお願いいたします。
これも祈 り ま し ょ う
LCJE日本支部 支部長 チャールズ・クリンゲンスミス
その 1
これから時々、LCJEニュー
スの愛 読 者の 皆 様に、世界 の
いたる所でユダヤ人宣教を励ん
でいるいろいろな思いがけな
いミニストリーや面白いミニス
トリーを紹介したいと思ってい
ます。このシリーズの目的は主
に 2 つ。1 つ の目 的 は、 記 事
で取り上げた働き人たちのためにぜひ祈っていただき
たいということです。もう 1 つは日本の教会にこのよ
うな福音宣教もあるという思いを起こしたいというこ
とです。ぜひ日本のキリスト者にもやってみていただ
きたいのです。
今回は、クリスチャン・ジュー・ファンデーション(C
JFM)の福音宣教部長であり、また
「セカンド・アダム
(第
2 のアダム)
」という演劇ミニストリーもされているロブ・
スタイラー先生にインタビューしました。ぜひロブ先生
のために祈りましょう。
No.145 LCJE 日本支部発行
7
次ページへ続く⇒
LCJE日本:ロブ先生はど
のようなミニストリーをし
ていらっしゃいますか。
ロブ先生:私は現在、CJ
FMの福音宣教部長であ
りながら、アリゾナ州に
あるメシアニック会衆や
異邦人の教会に仕えたり、
主に一人芝居をもって聖
書のそれぞれの物語を演
じてユダヤ人宣教を励ん
でいます。私はムーディー
聖書学院を卒業して福音
教会連合の按手を受けてからニューヨーク市とトロント
市で路傍伝道をしました。やがてメシアニック会衆の責
任者となり、どのようにして、より有効的にイエス様の
ことを伝えられるかと考えているとき、ふとわかりまし
た。イエス様ご自身は「ストーリー(物語)」をよく使っ
たということ。ご自分の友と敵にも、金持と貧乏人にも、
老人にも若者にも関係なく同じストーリーでした。その
ことに気付いてから、やがて自分が一人芝居という形
で旧新約聖書のそれぞれの物語からいろいろな芝居を
作ってイエス様のことを伝えるようになりました。
LCJE日本:どのように演劇が教会の礼拝の時間に貢献
するのでしょうか。
ロブ先生:演劇のメリットは、思いがけない視点から聖書
の話を鮮やかに描き出すことができます。
「セカンド・ア
ダム」が目指していることは、いつも同時に 3 つのこと
です。信仰の成熟した人々に新鮮な視点を与えること。
信仰生活の新しい人々によりしっかりした理解を与える
こと。そして、求道中の人々に励ましと好奇心を与える
ことです。
LCJE日本支部:未信者、特にユダヤ人に演劇はどのよ
うに福音をピンと来させることができますか。
ロブ先生:残念ながら、インターネットなどのバーチャル
世界の影響で聖書を読んだり説教を聞いたりすることが
多くの人にとって一段難しくなった気がします。演劇とは、
その「一段」を低くさせてくれるものだと思います。人
は誰でも物語を聞くことがまず好きです。そして、聖書
のほとんどの中身の文型は何かの物語の形です。何か
の聖書箇所を一人芝居に変えると、聴衆は中身にいろ
いろ関心を持ってくれます。その聖書箇所が教えている
真理を聞きたくて仕方がなくなります。そして、ユダヤ人
の場合、アブラハム、モーセなどを聞くとずっと馴染ん
でいた名前をリアルに再確認できます。自分自身の子供
のころ、ユダヤ教の流れとして聞いた話を思い出します。
場合によって子供の頃以来、そんな話を考えたことはな
いのです。演劇は音楽のようなものです。嫌いな人はほ
とんどないでしょう。
LCJE日本支部:この働きにはどのような困難がありま
すか。
ロブ先生:多くの牧師たちに演劇がまともな福音宣教だと
理解していただくことは難しいです。説教ではないから
教えが足りないと多くの牧師たちが勘違いしている気が
します。しかし、考えれば人類の長い歴史に渡って、そ
してあらゆる文化などを考えれば、人間が一番使ってい
る教え方は物語だと思います。しかも、多くの牧師は説
教の際、
「イラストレーション」などを使いますが、演劇
こそ生けるイラストレーションです。しかも脚本は御言
⇒前ページより
葉そのままです。もう一つの困難は、多くの人は物語と
いうものは子供のレベルだと思っていることです。自分
にはふさわしくないと。けれども考えれば、多くの人間
関係は「物語、つまり、その日、この人がああ言いまし
た。こうしました。」などの記憶などから成っているので
す。そして、
私たち一人一人自分の物語があります。しかし、
何より神様ご自身が物語という形を用いるように望んで
おられて、私たち自身もそれを尊重すべきだと思います。
LCJE日本支部:この働きにおいて、どのような喜びを
感じておられますか。
ロブ先生:聴衆たちが新たに御言葉が自分個人に語ってく
れるものだと悟るのが見えることは喜びです。しばしば、
演劇が終わって人々が興奮して言ってくれます。
「初めて
わかった気がする。」あるいは、
「今まで気づいたことが
なかったことを教えてくれてありがとう。」人が聖書のこ
とで盛り上がるとさらに聖書を読みたくなります。この
ことがうれしいです。もう一つのうれしいことは、時代
の流れにはいろいろな変化がありますが、神様の御言
葉は変わらないものです。人間にはいろいろな戦いと
疑問がありますが、神様は御言葉によって導きを与えて
くださいます。いつもそれを再確認できることがうれし
いです。
LCJE日本支部:最後にどのようにLCJE日本支部がロ
ブ先生のために祈ったらいいでしょうか。
ロブ先生:限りなく大きな課題ですね!ぜひ私自身が御言
葉において成長したり聖書をもっと知ることができます
ように、そして、私が御言葉に聞き従って行う者となり
ますように祈ってください。
LCJE日本支部:ありがとうございました。
LCJE日本支部事務局レター LCJE は、ユダヤ人伝道団体の情報交換ネットワークです。加盟しているユダヤ人伝道団体それぞれの
立場・活動を尊重して、機関紙などに情報を掲載しています。しかし特定の立場・教理などを、LCJE と
して支持するものではありません。読者におかれましては、個々の見識によって提供される情報を判断し
てくださいますよう、お願いいたします。
●大阪祈り会は 10 月より第三木曜日となります。ご注意ください。
編集後記
被災地の皆さま、また、ご親戚・ご友人が被害に遭われた皆さま、心か
らお見舞い申し上げます。
今月もコ・ワーカーの皆様のお祈りに支えられ、このニュースレターを
発刊できますこと感謝します。また日本国内外より献げられた尊い献金を
感謝いたします。今後もLCJE日本支部は、全力で情報の発信を続けて
行きたいと主にあって祈り、願っています。
EU の行方、米国の経済停滞、各地での洪水・大惨事、日本では原子力
発電所事故。一見最悪な状況ですが、神様の御旨がどこにあるのか「人」
が尋ね求めるときとなり、神様のご計画の一部がすすむ時かもしれません。
良いこともありました。長い年月誘拐され、苦しみ耐えた、イスラエルの
シャリート兵士が解放されました。今後もテロリズムはなくならないでしょ
うが、全てを主にお委ねし、イスラエルのために祈りたいと思います。
事務局では引き続き皆様のご意見・ご感想をお待ちしています。この働
きは LCJE コ・ワーカー、お一人お一人の祈りにより主が前進させてくだ
さいます。よろしくお願いします。住所・電話番号変更などは、お手数で
すがお電話か、E メールにて事務局までお知らせくださいますよう、よろし
くお願いいたします。 LCJE 日本支部事務局 高瀬真理
8 LCJE 日本支部発行 No.145