ロングセラー商品に関する考察

流通科学大学卒業論文
崔
相鐵ゼミ
ロングセラー商品に関する考察
-清涼飲料水業界について-
学籍番号
37991574
氏名
日置 雅嗣
提出日 平成14年12月19日
目次
はじめに
第1章
清涼飲料業界の概要
(1)
清涼飲料水の歴史
(2)
清涼飲料業界の動向と現状
(3)
清涼飲料業界の特徴
(4)
清涼飲料業界の展望
第2章
清涼飲料水におけるロングセラー商品の事例
(1)
飲料別のはじまり
(2)
ロングセラーの事例
①
UCCオリジナル
上島珈琲
②
ポカリスエット
大塚製薬
③
烏龍茶
サントリー
④
お~いお茶
伊藤園
第3章
ロングセラーの諸要因(清涼飲料水)
(1)
ロングセラー商品に見る共通項
(2)
「ロングセラー・ブランドに見る共通項」から見る事例の検討
(3)
清涼飲料水としてのロングセラーの要因とは
終わりに
はじめに
新商品は星の数ほど発売されても、ヒットする商品は少ない。しかも、ヒットしたから
と言って、その商品が売れ筋、ロングセラーと育っていくかと言うとそうではない。時代
が変遷しても、消費者の変わらぬ支持を受け続けている商品、ロングセラーになり得る商
品は本当にごくわずかしかない。このことは、ほとんどの業界、市場を考えても言えるこ
とである。
その中でも、同種の他社製品ばかりではなく、異種・姉妹種の商品が入り乱れ、競争が
激しい清涼飲料水業界を通して、厳しい生存競争に勝つために必要な要素は何か。いわゆ
るロングセラー商品は、他の商品とどのように異なるのか。と言うことをロングセラーの
事例を通して、共通する事柄を考察することで、ロングセラーとなり得る要因を考えてみ
たいと思う。
第1章
清涼飲料業界の概要
清涼飲料水の定義
清涼飲料水とは「清涼飲料水とは、乳酸菌飲料、乳または乳製品を除く酒成分1容量パ
ーセント未満を含有する飲料を言うものであること」(1957年9月18日厚発衛第4
13号の2)と規定されている。
一般には、「清涼飲料とは清涼感を与え、のどの渇きを癒すのに最も適した飲料で、甘
味と酸味とフレーバー(香り)があり、アルコール飲料を除いたもの」と解釈されている。
アルコール分は 1 パーセント未満となっているので、アルコール分が 1 パーセント以上は
全て「お酒」ということである。
また、清涼飲料水の中身により、11 の種類に分類されている。1.炭酸飲料、2.果実
飲料、3.コーヒー飲料、4.烏龍茶飲料、5.紅茶飲料、6.緑茶飲料、7.麦茶飲料、
8.ミネラルウォーター類、9.豆乳飲料、10.野菜飲料、11.ココア飲料
の分類
となっている。清涼飲料業界では、この他に次のような分類も行っている。1.スポーツ
ドリンク、2.乳性飲料、3.その他茶系飲料、4.その他飲料
の4つの分類である。
(1) 清涼飲料水の歴史
日本の清涼飲料は、バラエティーと製造技術において、世界で最も先進的と言って良い
だろう。日本の清涼飲料は多様なカテゴリーに細分化されており、飲用シーンや飲用目的、
嗜好性に応じた各種の商品が発売されている。そして、現在の清涼飲料の多様なバリエー
ションは、最近の20年で構築されたと言っても過言ではない。
日本の容器入り清涼飲料の歴史は1853年までさかのぼると言われており、その年に
ペリーが「ラムネ」を日本に持ち込んだのが始まりだと言われている。ラムネは1886
年にコレラが大流行した時に、「炭酸飲料を用いると、恐るべきコレラ病にかからない」
と言う噂と共にヒットしたと言うエピソードがあるほど、日本の清涼飲料の歴史において
は非常に重要な飲料であったと言える。また、これと同じ時期に「三ツ矢サイダー」の前
身、「一ツ矢サイダー」が明治屋から発売されたことも注目すべき点である。
1900年に清涼飲料水取締規則が発布され、これにともなって「清涼飲料」という名
称が日本でも使われるようになると、清涼飲料水の酒類も増えていった。しかし、清涼飲
料の主流は、1945年の終戦までは、透明炭酸飲料であることに変わりはなかった。こ
うした中、1949年に「バヤリースオレンジ」が発売され、果実飲料の生産が急増した
のである。これを契機に、戦後の日本は、経済の復興と共に、それまでの時代では考えら
れなかったほど多種多様の清涼飲料が登場し、急激に市場を拡大した。
そうした流れの中、1961年コーラの調合香料の輸入が自動承認制となったことは注
目すべき点である。コーラは戦後の進駐軍と共に上陸したが、現在のように、自由に製造
販売が出来るようになったのはこの年からで、以降、わずか数年の間に国民生活に浸透し
た。この急激な普及の背景には、コカ・コーラ、ペプシ・コーラの二大メーカーによる、
周到な販売戦略があったことも留意しておきたい。
東京オリンピックが開催された1964年には、コーラの販売網を通じて「ファンタ」、
「ミリンダ」というフレーバー飲料(果物に似た色と香りを付けた飲料)を発売し、たち
まち人気商品になった。そして、日本の清涼飲料業界の歴史で忘れてはならないのが、1
969年、UCC上島珈琲が缶コーヒーを世界で初めて開発に成功したことである。缶コ
ーヒーという現在では、清涼飲料水市場の5分の1から4分の1を占める商品の歴史は、
この時から始まったのである。
日本経済の発展と同じくして、缶入りのコーヒーや茶飲料など多様なカテゴリーの飲料
が誕生してするとともに、近年の清涼飲料の普及を一段と加速させたのが、自動販売機の
普及と缶入り飲料の伸長である。自動販売機は1972年頃までは瓶が主体であったが、
やがて缶の自動販売機に取って代わられた。それ以降、暖かい飲料も同時に発売できるホ
ット・アンド・コールド自販機も登場すると、清涼飲料は季節を問わず親しまれる飲料と
なったのである。
(2)清涼飲料業界の現状と動向
・飲料市場の動向
2002年の清涼飲料市場は、2001年を上回るペースで推移し、販売量対前年比か
ら推定した市場の伸び率は、前年比を超える見込みである。2001年の市場は生産ベー
スで対前年比2.4%増の1585万9千klであり、2000年を上回った。メーカー
の出荷額ベースでも辛うじて前年を上回ったが、スーパー・量販店の特売に拍車がかかり、
販売量が増えても利益が取れないことがメーカーの悩みとなっている。
(万KL)
1800
1600
1400
1200
1000
800
600
400
200
0
飲料市場規模推移
生産量
生産額
(兆円)
4
3.5
3
2.5
2
1.5
1
0.5
0
91年 92年 93年 94年 95年 96年 97年 98年 99年 00年 01年
(図‐1)
・飲用スタイルの変化
こうした業界ではあるが、その中身は、1997年に500mlPETボトルの登場を機
に清涼飲料の飲用スタイルが、従来(缶など)の「喉の渇きを癒すため一気にゴクゴク飲
む」というスタイルから、「携帯しながらチビチビ飲む」というリキャップ型の飲料スタ
イルに変わってしまった。それによって、求められる味覚、甘味や酸味の強いものや、時
間が立つと気が抜けてしまう炭酸飲料のようなものは、この飲用スタイルには合わず、「ぬ
るくなっても変化せず美味しく、断続的に飲んでも飽きない味」へと消費者ニーズは変化
し、当然のことながらそれにそぐわないものとして、飲用頻度の低下を招くことになった。
・流通ルートの変化に伴う市場の変化と対応
2002年は、年初めから大手を中心に大型の新製品、特に中国系の緑茶飲料が市場へ
投入され、話題を巻き起こした。そのため、清涼飲料に対する消費者の高い関心を集め、
販売量が増加したものと考えられる。加えて、増加する販売費に耐え、収益を確保しよう
としてシーズンインから強力な販売合戦が繰り広げられた。そのため、実売価格が下落し、
消費者にとってリーズナブルな価格で提供されていることも、販売増の要因といえよう。
この販売価格の下落は、飲料メーカーが一斉に量販店対策を強化し競争激化の拍車がかか
っていることが影響していると考えられる。
飲料市場伸長率推移
(%)
3.5
3
2.5
2
1.5
1
0.5
0
3.3
2.8
2.8
2.6
0.4
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
(図‐2)
これは自販機のパーマシンが低下し、CVSも既存店ベースの売上高が減少している中で、
これまで手薄であった量販店が注目されたからであろう。また、量販店では依然として、
特売が集客の目玉であるため、各社一斉強化によって、特売対応などの販促費が増大して
いるものと考えられる。さらに、コンビニや量販店では、棚効率の向上を狙って、採用す
るブランドを上位2~3ブランドに絞り込むか、話題性のあるブランドを採用する傾向に
ある。そのため、広告宣伝活動を減少するわけには行かず、新規参入ブランドだけではな
く上位定番ブランドでさえも、継続した広告などのマーケティング投資が必要になってい
る。このような背景から、飲料メーカーでは、短期集中的にブランドへも投資を行って定
着を図り、混迷する企業間・ブランド間競争から抜け出したい考えだ。それでも、どの企
業・ブランドも決定打を欠いており、飲料業界は総力戦から消耗戦の状態に陥っていると
考えられる。
・商品に対するメーカーと消費者の対応
近年の健康志向ブームもあり、茶系飲料市場は好調であり、各社から多彩な商品が提案
されているわけだが、新製品に大ヒットの様相はない。茶系飲料は急激に伸びてきた市場
だけに、商品が毎年のように入れ替わる「下克上」の世界であり、ビールでは飲むメーカ
ーを決めている消費者が多いのに対し、お茶の購買基準は「商品」がベースだ。飲料メー
カー各社にほぼ平等にチャンスが開かれていることが新商品の発売ラッシュに拍車をかけ
ていると言えそうである。主力販路であるCVSの棚のスペースは限られており、販売時
点情報管理(POS)システムで販売動向が明確にデータで表れるため、不振の商品はす
ぐに売り場からの退場を余儀なくされている。
その結果、多彩な新商品ではなく、むしろ、定番商品に集約される可能性が大きくなっ
てきている。これは、類似した商品が一斉に発売されてしまったことや、食品全般に対す
る不信感の高まりから、定番商品に対して信頼と安心感が高まっている、といった理由が
考えられる。
・商品の短命化
最近の清涼飲料市場は、年間1000点を超える新製品が市場に登場している。199
5年は785点であったので、それを考えると、新商品発売点数は約1.5倍増となって
いるのがわかる。
自販機中心であったチャネルから、コンビニや量販店を中心とする手売り市場を重視し
た商品施策を大手小売飲料メーカーが中心となって展開したため、商品寿命が相対的に短
くなり、新発売点数が増加したものと推測される。しかしながら、その結果、即効性のあ
るブランドだけが生き残り、中・長期的観点からブランドを育成するといった土壌が存在
出来ないことを意味していると考えられる。
中身別では、無糖飲料市場の拡大に合わせるように、無糖茶の新商品数が増加している。
しかし、「拡大する市場=新製品数の多い市場」ではない。特に、スポーツドリンクでは近
年成長基調にあるカテゴリーだが、ブランドが寡占しており、新製品数は少ない。果実飲
料は市場縮小傾向にあるものの、新製品数は多い。これは、果汁分は多少や季節の果実を
使用するといったバリエーション展開が比較的容易であり、多彩な商品を上市することで
市場の活性化を目指していると推測される。
(表‐1)
炭酸飲料
果実飲料
紅茶飲料
無糖茶系飲料
コーヒー系飲料
乳性飲料
スポーツドリンク
ミネラルウォーター
その他飲料
合計
新製品年別品種別発売点数推移
1995 年
74
188
73
87
104
110
13
15
121
785
1996 年
98
281
77
73
88
111
18
14
160
920
1997 年
87
265
74
77
89
148
10
14
185
949
1998 年
101
272
66
79
91
144
10
11
193
967
1999 年
102
243
103
100
101
236
26
16
239
1166
2000 年
124
221
62
106
108
139
29
16
229
1034
2001 年
92
262
84
146
129
173
53
12
205
1156
(3)清涼飲料業界の特徴
・ 第一の特徴は、商品開発が技術的に比較的容易であるという点である。このことが市場
の参入を容易にし、他業界から参入もあり、多くの企業がしのぎを削る業界を形成する
結果につながっている。アイディアを生み出し、資金さえあれば、外部委託によって簡
単に商品を市場に送り出せる市場形態により、現在、寡占化が進行している業界ではあ
るが、多くの企業が参入していくことであろう。
・ 第二の特徴は、清涼飲料という商品は計画購買をする比率が少ない商品であるというこ
とである。一説によると、計画購買する人の割合が20パーセントに対して、非計画購
買をする人の割合が80パーセントであると言われている。計画購買とは、買う商品を
前もって決めて買うことである。つまり、計画購買20パーセントという数字が表すの
は、清涼飲料を買う前にあらかじめ何を買うかを決めている人は少ないと言うことであ
る。これはタバコのような商品とは決定的に違う点である。同じ自動販売機で売られて
いるタバコであるが、タバコの計画購買の比率が清涼飲料に比べて圧倒的に高いことは
喫煙者ならば容易に想像がつくだろう。
・ 第三の特徴として、こうした要素を持つ商品を売るために、ブランド育成がキーポイン
トとなる点を挙げたい。ブランドを育成していくことで、コーヒーなら、お茶ならこの
商品と決めてくれる消費者の数を増やすことが出来る。つまり、計画購買者の数を増や
すことが出来るのである。ブランドの育成は、売上を上げるために、清涼飲料メーカー
に限らず、必ず行わければならないことである。
・ 第四の特徴として、消費者の嗜好の変化が激しいという点も挙げなければならない。ブ
ランド育成が大切なのはもちろんのことであるが、消費者はそれ以上に嗜好の変化が激
しい。例を挙げてみると、1999年度から2000年度にかけて、ニアウォーターと
いう新しいカテゴリーの商品が大ヒットしたが、現在、その勢いは見られない。このよ
うに消費者の嗜好は日々めまぐるしく変化し続けるので、清涼飲料メーカーはそれに敏
感に反応することも求められる。
・ 第五の特徴は、人間ではどうすることも出来ない、天候に大きく影響を受けるというこ
とである。特に夏季の気温は売上に非常に大きな影響をもたらす。夏季の気温が1℃違
うだけで、売上数量が約20万ケース違うといわれている。天候は対処のしようがない
ものであるが、メーカーは、そうした影響を少しでも少なくするために、研究開発、ブ
ランド育成する必要がある。
(4)清涼飲料業界の展望
人口はピークを迎え減少傾向に転じ、高齢化社会となってゆくために、飲料メーカーに
は、こうした高齢者をターゲットとした飲料の開発、消費者の取り込みが必要であると思
われる。現在の健康志向が要因とみられる茶系飲料など売上増も、その内、停滞すること
も考えられ、飲料メーカーによっては、早くも茶系飲料に見切りをつけて、新しい飲料カ
テゴリーへ進出しようとする動きもある。このような、出入りの激しい業界において、今
や、清涼飲料市場は先駆者利益を得る、つまり、新たな市場、カテゴリーを形成する商品
を発売しパイオニアとして、ロングセラー化を試みるか、強力な資本力、販売力で後発な
がらも市場を奪取することが出来ない限り、成功はないであろう。そのためには、一つの
カテゴリーに執着しないことも重要なのかもしれない、と考えざるを得ない。
第2章
清涼飲料水におけるロングセラー商品の事例
ここで挙げる事例は、現在の市場におけるシェアなどとは関係なく、「ロングセラー商品
である」と、誰もが認知している商品である。また、その商品はカテゴリー、つまり市場を
創造してきた商品、パイオニアと呼べるものを選んで、ロングセラーの事例として取り上
げることにする。そして、その商品は、現在形成されている多様な清涼飲料業界内のカテ
ゴリーの中でも、日本企業が創り上げてきたであろう、清涼飲料水のカテゴリーとして、
コーヒー飲料、スポーツドリンク、緑茶飲料、ウーロン茶飲料、について考えていこうと
思っている。
はじめに、飲料別の始まりを調べることで、そのカテゴリーを創造した商品とは、どの
ように生まれたのかを考えていくことにする。そして、上述したように、商品カテゴリー
のパイオニアであり、尚且つロングセラー商品を育ててきたメーカーのマーケティング、
製品誕生の逸話を中心に考察していくことにする。
(1) 飲料別はじまり
・コーヒー飲料
1919年に神奈川県の守山乳業(株)がミルクコーヒーの名称で、牛乳にコーヒーの
味をつけ菊型のびんに王冠打栓して、製造販売したもので、1920年には横浜駅構内で
販売を始めた。これを契機として各地の中小企業によるミルクコーヒー製造販売の勃興と
なった。しかし、当時はまだ殺菌技術が確立されておらず、長期保存できるものではなか
った。1933年頃ボイラーの一般化で殺菌効果があがり、変敗は減り製造業者は増えた。
当時はコーヒーにミルクを入れた製品であった。1947年に清涼飲料水取締規則が廃止
され、保存飲料の名称をもって区分された。1945年代後半になり、レトルトびんが開
発され、中小清涼飲料業者でレトルト殺菌によるびん詰コーヒー飲料の生産が増加した。
1951年に「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令」(乳等省令)が公布されて、コ
ーヒー飲料は乳飲料に規定された。ただし、営業許可権が各都道府県知事にあるために、
同一成分のミルクコーヒーでも都道府県によって異なり、乳飲料のミルクコーヒーと清涼
飲料水のミルクコーヒーができた。1955年頃より、乳業会社が紙栓による牛乳びんで
コーヒー牛乳、フルーツ牛乳の製造販売を開始したが、そのコーヒー牛乳はほとんど乳飲
料の範疇にはいるものであった。1966年頃から乳飲料などの表示問題が起こり、19
68年には「牛乳加工乳及び乳飲料の表示に関する公正競争規約」が制定され、乳飲料は
乳固形分3%以上と規定された。牛乳成分が一滴でもあれば乳等省令により規制されるこ
とになるが、それでは数多く生産されるようになった乳固形分3%未満の製品の内容構成
から適切でないので、乳製品からはずすとともにミルクの名称も使用できないようにした
ものである。
びん詰から脱却して缶入りコーヒー飲料として市場に登場したのは、1969年からレ
トルト飲料用缶詰が開発されたのに伴って、1970年に250グラム入り缶でダイアモ
ンド印が発売されたのが最初だが、やはり本格的になったのはUCC上島珈琲(株)が、
缶詰製造に制限のあった乳飲料のコーヒー飲料について特殊容器の認可を得て発売したか
らである。その後、缶詰清涼飲料コーヒー飲料として(株)ポッカコーポレーション、ダ
イドー(株)など相次いで製造販売され、さらに1975年には日本コカ・コーラ(株)
がジョージアブランドで参入して以来、ビール会社、食品会社等の大手企業製品が続々と
発売され、一時は100社を数えるまでになった。
1975年から始まった加温販売自動販売機と連動して、「つめたい」、「あったかい」
のオールシーズン商品として急速に伸びてきた。なお、1977年に「コーヒー飲料等の
表示に関する公正競争規約」が制定された。
・スポーツドリンク
米国フロリダ州においてアメリカンフットボールの選手の飲料として開発された。スポ
ーツをしたときに汗として失われた水分とナトリウムイオンやカリウムイオンなど電解質
をスムーズに補給するために、こうしたミネラル類を加えた体液の浸透圧と等しい(アイ
ソトニック)状態に調節した飲料水である。
1968年、米国においてスポーツ選手を対象とした飲料を作り販売を開始し、漸次普
及した。日本では1976年頃、米国から粉末タイプのゲータレードが輸入販売されたが、
当時は競技中に水分を摂取することは望ましくないとされているときでもあった。しかし、
スポーツ時に水分を適度に摂るのがよいとされ、1980年には液体タイプの飲料として
大塚製薬(株)からポカリスエット、1981年にはサントリーのNCAA、1983年
にはコカ・コーラからアクエリアスをはじめ、スポーツドリンク、アイソトニック飲料、
アルカリ・イオン飲料と呼んで健康性を強調し、イオンやエネルギー供給飲料として飲料・
ビール会社、食品・製薬会社等の製品が市場に出回って今日に至っている。スポーツマン
のための飲料として登場し、レジャースポーツの普及とともに活用されたが、各社から新
製品や新容器で発売されたことで、市場が活性化し、市場拡大に拍車をかけ、一般飲料の
1つとして広く飲用されるようになっている。
・ウーロン茶
ウーロン茶は、中国が原産で発祥地は福建省北部の武夷山といわれ、次いで広東省など
で作られている。製法による分類では半発酵茶といわれている。
烏龍茶(ウーロン茶)に代表される半発酵茶の第1次ブームは1978年に始まった。
当時の社会環境は健康、天然に関心が持たれはじめ、痩身、便秘止めなど効用についての
訴求がマスコミを通じ広く流れたこともあり、リーフティー(茶葉)を主体に爆発的に増
加したが、粗悪品の流通で下火となった。
第2時ブームはリーフティーではなく屋外消費をねらって缶入りウーロン茶を(株)伊
藤園が1981年12月にサントリー(株)によって市販された缶入り烏龍茶飲料は、洋
酒のウーロン割りの需要開発などで一気に消費が増え、折からのチューハイブームと重な
って1983年に兆しがみえ、1985年に人気が爆発した。
甘味がなく、あと味がさっぱり、無着色、天産物であるなど年齢を問わず幅広い消費者
のニーズと一致したこともある。次いで日本コカ・コーラ(株)、ビール会社、食品会社
等大手企業が参入し、缶入りによるアウトドア商品として、コールド、ホットものによる
自動販売機での展開などで需要がますます拡大した。その後、紙容器、家庭用を主力とし
たPETボトル、ガラスびん等、容器、流通のバラエティー化が行われ伸びは続いている。
なお、1987年には「半発酵茶等」(リーフ)、平成元年には「ウーロン茶飲料」の品
質表示ガイドラインが設定され表示の適正化が図られている。
・緑茶飲料
日本では、遣唐使たちによって茶の種子とともに作り方や喫茶法が伝えられたという。
もともと、日本にも山茶の自生があって当時これを利用した記録もみられる。緑茶は「日
本茶」ともいい、国民生活にとって不可欠の飲料として定着しており、緑茶を代表する普
通煎茶は生産量の80%を占めている。
近年、緑茶がドリンク飲料の形態に加工され、無甘味料で冷温共用で幅広く進出し成長
しているが、その始めは、1983年に(株)ポッカコーポレーションが「ほうじ茶」、
宇治の露製茶(株)が「ほうじ茶」を発売した。さらに1985年には製茶大手の(株)
伊藤園が缶入り緑茶を発売し市場拡大を図り、次いでキリンレモンサービス(株)(現キ
リンビバレッジ(株))等から「煎茶」を、1986年には国鉄高崎鉄道管理局から「大
清水茶」を、1988年には日本コカ・コーラ(株)から「神薬・お茶」などが発売され
るなど参入が相次いだ。大手食品メーカーの参入もあり、容器形態も、PETボトル、缶、
紙と多様化している。2002年には、ニュータイプ緑茶として、中国緑茶がアサヒ飲料
(株)、サントリー(株)、ネスレ日本(株)から発売された。お茶は熱い湯飲み茶碗で
飲んでいたものを缶入りにしてアウトドア志向にあわせたが、冷やして飲める清涼飲料と
しても、定着しつつある。ここ数年、急激な拡大をみせており、茶系飲料の中で、最大の
シェアを占めるまでに成長している。
(2) ロングセラーの事例
①
UCCオリジナル:上島珈琲
誕生
1964年(昭和44年)4月
発売
世界初の缶コーヒー開発のきっかけとなったのは、意外にも単純な出来事からだった。
全国を駆けまわっていた創業者・上島忠雄社長がある日、列車が停車した駅の売店でコー
ヒー牛乳を買って飲んでいた。しかし、列車が予想外に早く発車することになり、コーヒ
ーを飲み残したまま列車に飛び乗らなければならなかった。倹約家で物を粗末にしない上
島氏は、飲み残したコーヒーのことがいつまでも心に引っ掛かっていた。そしてある思い
がひらめいた。いつでも、どこでも、手軽に飲めて、しかも常温で流通できるようなコー
ヒーはできないだろうかと考えた。そこで「瓶を缶にしよう!」という発想が湧いてきた
のだった。そして、自らが先頭に立って「缶コーヒー開発プロジェクト」が発足。その開
発がスタートしたのだった。当時、ミルクなどの乳製品は高級品という考えがあり、また
甘味のある食品も贅沢品とされている時代だった。そこで缶コーヒーは、家庭用に普及し
ていた人工甘味料(サッカリンやチクロ)の使用は避けて砂糖だけを使い、ミルク分を多
くした乳飲料として開発する方針が決まった。しかし、予想以上に開発への道は困難だっ
た。
まず問題になったのはコーヒーとミルクが分離する問題だった。コーヒーの抽出液とミ
ルクを溶かして缶に入れると、缶の上部にミルク分だけが溜まったままになり、うまく溶
け込まなかったのだ。この問題については、乳飲料の技術を導入してクリアすることが出
来たのだった。次の問題は、殺菌処理による味の変化だった。缶コーヒーは乳飲料である
から、高温・高圧殺菌を行う必要があった。その際にどうしても加熱臭が出て、コーヒー
の風味がそこなわれてしまったのだ。この問題を解決するため、コーヒーのエキスを濃く
したり、ミルク分を少なくしたり、様々な実験が繰り返された。実験といっても専用の機
器があるわけでもなく、開発に当たっていた技術者が試作品を実際に飲んでみるという方
法だった。その結果、ミルク・砂糖とコーヒーの比率は、7対3ぐらいがちょうどいい味
になるという結論に達したのである。そしてもう一つは、化学反応の問題であった。缶の
なかにコーヒーエキスを長時間にわたって入れておくと、缶の鉄イオンとコーヒーの成分
のひとつであるタンニンが結合してミルクコーヒーが黒くなってしまったのだ。さすがの
技術陣たちもこのブラックコーヒーだけは口にできなかった。技術陣は缶製造の専門家の
意見を聞いてまわったり、技術書で調べたりすることで、特殊な内部コーティング技術の
開発に成功し、そして昭和44年(1969)4月、世界初の缶コーヒーが誕生したのだ
った。
マーケティング
赤、白、茶色でデザインされた世界初の缶コーヒーは、「UCC缶コーヒーオリジナル」
(通称「3色缶」)の名称で商品化されました。これまでにない飛躍的な販売実績につな
がると誰もが確信していた。しかし、コーヒー業界から「缶コーヒーは邪道だ」と非難さ
れ、無視されたのだった。
そこで、販売のチャネルとして、全国の鉄道弘済会や食料品店など、一般消費者向けの
販売ルートが選ばれた。それと同時に、営業社員達によるゲリラ的な宣伝方法も行われた。
営業マン自ら、売店などで大声を出して缶コーヒーを買ったり、電車に持ち込んで飲んで
缶を転がしたりもしたのだった。また、事務部門の社員は食料品店での缶コーヒー販売を
手伝うなど、販売活動が展開されたが、缶コーヒーの売上は伸びることはなかった。
そんな時、昭和45年の大阪万国博覧会が開催された。この万博を利用して缶コーヒー
売り込もうと積極的な営業活動が行われ、各パビリオンや飲食店に対しては、単に製品を
納めるだけでなく、使用する機器やスタッフまでも準備し、結果日本のパビリオンの80%、
海外パビリオンにいたっては100%を得意先とするに至ったのだった。それを契機に、
缶コーヒーは爆発的に売れはじめた。会場で缶コーヒーを飲んだ人からの返り注文が殺到
し、その中には、小売店、量販店だけでなく問屋団体まで現れたのだった。
そして、「心までホッとさせる飲み物」としてヒットし、現在まで親しまれるUCCオ
リジナルのパッケージも時代と共に多少の変更はあるものの、発売当初の3色缶のイメー
ジを崩さないように市場でも評価されていき、消費者には定番として浸透していった。
UCC缶コーヒー(オリジナル)の変遷
②
ポカリスエット:大塚製薬
誕生
1980年(昭和55年)
発売
ポカリスエットの発売開始は1980年(昭和55)である。それは、当時、ゲータレー
ドが考案された頃、日本ではスポ根ドラマの最盛期であり、ドラマ同様実際のスポーツ界
も精神力第一主義で、スポーツに科学を持ち込むなんてもっての他という状態であり、そ
んな状況を一変させたのが「ポカリスエット」だった。この頃は高度経済成長後のゆとり
時代となり、清涼飲料水についてもスポーツ時の水分補給、低カロリー指向による甘さ離
れ等が見受けられた。そこで、大塚製薬は健康維持・増進を目的とした栄養食品への本格
的アプローチとしてポカリスエットを発売することとなった。
「ポカリスエット」の開発は、既に1973年ごろには着手されたと言われている。発売
が80年であることからも、同社の開発おける多大な努力は容易に推測することが出来る
だろう。その契機となったのは、海外旅行中に大塚明夫社長が思いついた「汗みたいな飲
み物は出来ないものか」というアイディアであったという。
人間の体の仕組みとしては、発汗によって体液が失われると、生理的な欲求として口渇
が生じる。もし、この汗として失われる体液と非常に近い成分の飲料ができれば、水分の
補給という面ではこれ以上のものはない。そして、それが美味しければ申し分ないはずで
あると考えたのだった。しかし、普通の水と違って人間の体液には、いわゆる「電解質」
(ナトリウムやカリウム、等)が含まれているので故渇を止めるためには、成分と共に電
解質も補わなければならないと言うことだった。その点では、大塚製薬は医薬品、特に輸
液・点滴・注射液のトップメーカーとしての技術ノウハウの蓄積があった。中でも「点滴液」
(電解質輸液)についての自社技術の活用が可能であるということもあり、また、製品開
発における同社の思惑が重なりある意味では究極の止渇飲料とも言える「飲む点滴」という
ポカリスエットの基本コンセプトが形作られたのである。当時、大塚製薬のセールスマン
は「医薬品を飲料にしたもの」という触れ込みで問屋を回っていたという話を聞いたこと
があるほどである。
しかし、「飲む点滴」というコンセプトが明確であり、且つ、それを製造する技術があ
るからといって、そのベネフィットが消費者に対して十分に伝わらなければ売れようはず
もないのである。その当時は、加えて、既に「ゲータレード」など他社ブランドが市場に
は存在していた。これらに対して、どのように差別化し、自らのポジションニングを行っ
ていくのかと言うこと。更には、継続的に購入・飲用してもらうために、機能だけではな
く、美味しく飲めるための味作りや、どのように販売を行っていくのかのチャネル作りな
ど、市場に発売するにあたってはさまざまな課題が山積みされていたのである。
マーケティング
様々な課題を克服するために、ゲータレードなどの先行ブランドに対する価格やパッケ
ージ上の差別化を明確にすることから始まり、消費者の認知を促すためし、飲用経験を高
めるための大量のサンプリング、流通チャネルの整備など「ポカリスエット」の立ち上げ
において大塚製薬が用いた施策は多岐にわたり、また周到に行われたのであった。
既存のスポーツドリンクとは差別化を行う上で、敢えてスポーツドリンクという狭い枠
に押し込まず、スポーツドリンクではあるが、ゲータレードのように販路を運動具店だけ
に求めずに販売戦略を行った。そして、様々な場面での水分および電解質の補給飲料とし
てポジショニングしたことが功をそうしたのだった。
ネーミングは「汗」を意味する英語「Sweat」に語感の軽い明るい響きを持つ「ポカリ」
をかぶせたものである。「ポカリ」そのものには意味は無い。また、缶の「ポカリスエッ
ト」の左上に小さな文字で書かれている言葉も発売以来同じではなく、社会動向を考慮し、
数年おきに見直しを行っているとの事である。このように、このロングセラーで特質すべ
き点は、その後「ポカリスエット」が、そのポジショニングを次第に変化させながら、積
極的に市場拡大を図っていったことである
ポカリスエットはショルダーコピーに表されているように、自らポジションを変えるこ
とによって市場への訴求効果を図ってきたのであった。ショルダーコピーは上述している
通り社会動向を考慮し定期的ではなく変更している。ポカリスエットの製品機能を新しい
切り口で提案し続けるために変更されており、 因みに現在のショルダーコピーである「イ
オンサプライ」は、ポカリスエット=イオン飲料であることを広く再認識させるためにつけ
られている。
ポカリスエットのショルダーコピーの変遷
発売当初~84 年
84 年~86 年
86 年~92 年
92 年~98 年
98 年~02 年
02 年~現在(02 年 8 月)
アルカリイオン飲料
アイソトニックドリンク
イオンサプライ
リフレッュメントウォーター
BODY REQUEST(ボディリクエスト)
イオンサプライ
③
烏龍茶:サントリー
誕生
1981年(昭和56年)12月
発売
1980年当時といえば世の中は好景気であり、バブルが生んだ飽食の時代であった。
その反動からダイエットブームが生まれていた。そんな中、当時絶大な人気を誇っていた
アイドル「ピンクレディー」が1979年、歌番組に出演中のピンクレディーが、「ウー
ロン茶を飲んでダイエットしています」と発言したことが発端であり、女性誌などがこぞ
ってウーロン茶を特集した。その当時は、まだ、ほとんどの人に馴染みの薄かったウーロ
ン茶は、ダイエット、健康に良いと注目されたのが契機となり、サントリーは缶入り「烏
龍茶」を発売することとなった。そして、ウーロン茶の本場、中国は福建省の数万戸の農
家から茶葉を選りすぐり、数々の技術開発の後、サントリー烏龍茶が誕生した。
サントリー烏龍茶の誕生に欠かせない人物がいた。その人物とは、「茶師」。茶師とは 茶
葉の品質を見極め、茶葉のブレンドができる免許皆伝の人物を言う。ウーロン茶の本場中
国でも僅か20人、福建省から認定された世界に2人しかいない名誉茶師のうちの1人。
それがサントリー食品研究所の松井陽吉課長であり、サントリー烏龍茶を誕生から支えて
きたキーパーソンである。
サントリーウーロン茶は発売20周年を迎え、常に高い品質のウーロン茶づくりを続け
るとともに、ウーロン茶が健康に及ぼす効用の科学的解明に取り組んできた。これらの活
動がウーロン茶の本場中国福建省から評価され、中国以外では世界で2人だけの名誉茶師
が、ともにサントリーから選ばれている。独自のブレンドと抽出技術による高品質な味わ
いにより、サントリーのウーロン茶は年間5300万ケースを超えるトップブランドと成
り得た。そして、「ウーロン茶はサントリーのこと」と同社CMでも言われているとおり、
消費者からも定番商品として認知される事となった。
マーケティング
サントリー烏龍茶は発売当初、缶コーヒーやジュースなどの嗜好飲料が全盛の時代であ
ったため、当然出だしから順風満帆ではなく苦戦を強いられていた。当時、お茶は家で飲
むものという概念が一般的だったからである。そこで、サントリーがとった戦略は、「夜
の蝶作戦」とも言えるもので、80年当時、夜の繁華街では、ウィスキーを緑茶や麦茶で
割るのが流行していた。そこに目を付け、酒造メーカーである同社は自社ウィスキーと、
健康にもいい、ダイエットにもいい、と烏龍茶を店の女性達にアピールしたところ、これ
が同社の思惑通りの結果となった。メディアと口コミに乗り、84年より開始されたCM
作戦との相乗効果で、ヒット商品となったのである。
また、サントリー烏龍茶のネーミングはそのものズバリで、ネーミングの王道を行って
いる。業界のオピニョンリーダーを狙ったネーミングで、現実その通りになっていること
は同社の思惑通りである。サントリー烏龍茶は、カンヌ映画祭CM部門で数々のグランプ
リを受賞するほどのコマーシャルに定評があり、特に名曲の中国語シリーズを記憶されて
いる人も多いはずである。
現在、サントリーは「烏龍茶」が高水準の販売を維持しているが、それ以外の分野の商
品力は手薄な感が否めない。
サントリー烏龍茶にみる
ロングセラー要因
・ダイエットブームを読んだ先見の明があった
・酒造メーカーならではの販売戦略
・品質を支える匠の技
・歴史を生き抜いた商品の魅力
④
お~いお茶:伊藤園
誕生
1985年(昭和60年)
発売
飲料水としてのお茶市場が誕生したきっかけは、1981年に伊藤園が発売した缶入り
「烏龍茶」からだった。缶入り烏龍茶を開発するに至った次のような逸話がある。伊藤園
の現マーケティング部長が、ホステスたちが甘い飲み物ばかりで太ると聞き、無糖飲料水
の開発を考えたといわれている。確かに当時の飲み物はジュースのように甘いものが主流
だった。お茶は普通、自分で用意しないといけない手間がかかるものだったからだ。しか
しこの革命ともいえる出来事のおかげで、無糖茶飲料市場が確立し、飲料メーカーだけで
なく食品メーカーまでもがこの市場に参入するようになった。そして、世界初の缶烏龍茶
を作った伊藤園と、それを追うように発売を始めたサントリーが二大勢力として、9割の
シェアをもつようになった。
このような事が契機となり、伊藤園は、烏龍茶に次いで、缶入り緑茶の開発を行うこと
となった。リーフでは、お茶のトップメーカーであった同社は、それを形にするノウハウ
には自信を持っており、緑茶飲料では発売以来トップシェアを誇っている。
現在、伊藤園の売上の約3割を占める看板商品、「お~いお茶」にも緑茶、玄米茶、ほう
じ茶などの種類があり、商品の多様化が見られる。
マーケティング
清涼飲料メーカーの中で唯一、茶葉も生産している同社は、お茶のトップメーカーであ
り、原料・製法にこだわりを持っている。「お~いお茶」は同社の看板商品であり、特徴
としては、1.香料を一切使用せず、アミノ酸などの味付けもしていない、自然のままの
香りと味わい。2.原料の選択ブランド、抽出、殺菌に至るまで独自の方法。3.消費者
のニーズにあった容器・容量のバリエーションや味作りの差別化。
伊藤園ではこれらの特徴を最大限に引き出すためにマーケティングを行っている。同社
は、基本的には原料の調達、加工技術、製品企画、販売まで一貫して行っている。
例えば、茶葉の選定、緑茶は産地や天候、摘み採り時期によって品質が異なってしまう
ほどであるが「お~いお茶」は、産地や摘み採り時期を限定した高品質の国産茶葉を10
0%使用することが出来る。良質の原料茶葉を安定確保できるのも、同社ならではである。
また、春に摘まれる「一番茶」(新茶)、摘み採る前に一定期間覆いをして育てる「かぶ
せ茶」など、香りや味わいの異なる数種類の高品質原料茶葉を自社工場で「お~いお茶」
用にブレンドすることで、香料などの添加物にたよることなく、いつでもおいしい味わい
を可能にしている。それは、緑茶飲料のトップブランドである同社のスケールメリットを
生かして産地や摘み採り時期を限定した高品質の国産茶葉を安定確保を行っているからで
ある。
また、同社は社内提案制度「Voice」として、全社員が消費者の視点で観察した食に関す
る事柄を商品開発や販促に活用している。そのような事もあり、緑茶とは、本来、急須で
入れて飲むものであり、昔も今も余計な手を加えない自然の飲みもの、と言う消費者の心
理も正確に理解している。その結果、近年発売されている多くの商品は、香料や茶抽出物
といった添加物を加え、味や香りを調整したものが多い中、同社は、発売当初から緑茶本
来の自然なおいしさを、頑固に追求しており、香り付けのための香料、味付けのための添
加物を一切使わない無香料・無調味、自然のままの緑茶を提供している。家の急須で味わ
う緑茶のおいしさをいつでもどこでも楽しんで欲しいと言うことから、無香料・無調味で
自然のままのおいしさにこだわっている。
(表‐2)
緑茶飲料についてメーカーに期待することは
添加物は極力なくして
緑茶の美味しさを追求して
味や香り付けをしないで
品名や表示はわかりやすく
CMは商品内容がわかるものに
飲みやすさを追求して
景品キャンペーンを実施して
その他
59%
39%
22%
22%
16%
11%
6%
3%
(財)日本消費者協会調べ
第3章
ロングセラーの諸要因(清涼飲料水)
第2章でロングセラーの事例について歴史を中心に、戦略やマーケティングの特徴を考
察してきた。その結果、ロングセラー商品には共通する点が多く見られることがわかった。
そこで、清涼飲料水だけに関してではないが、広い範囲でのロングセラー・ブランドに
みる共通項(青木)を参考にして、それに、第2章の事例で上げた商品は、どのように当
てはまるのかを考え、また、清涼飲料ならではの共通点を考察することで、清涼飲料水に
ついてのロングセラーの諸要因として検討することにする。
(1) ロングセラー商品に見る共通項
ロングセラー・ブランドに見る共通項(青木)
① 確なコア・ベネフィットの存在
明確なコア・ベネフィットが規定されている
② 自技術を基盤とした優位性
いずれのブランドも独自技術による十分な裏付けを持ち、それが競争優位性の基
盤となっている点が挙げられる
③ 便益を伝える優れたコミニュケーション
コア・ベネフィットを明確に伝えるための優れた広告コミュニケーションとその
継続的な実施がいかに優れた技術が基盤としてあったとしても、それが商の品質・
特長として消費者に理解されなければ意味がない点
④ アイデンティファイアーの一貫性
消費者にとって、当該ブランドを識別・同定する手がかりとなる「ブランド識別
子」が意識的に保持されている点
⑤ 市場変化への積極的対応
コア・ベネフィットやブランド識別子とは対照的に、むしろブランドの周辺部分
においては、市場変化への積極的な対応する形で、様々な変更を行っている点
(2)「ロングセラー・ブランドに見る共通項」から見る事例の検討
・ 第一の共通点については、核となる顧客便益の規定は、ブランド構築の根幹部分をなす
ものであり、それが明確な形で行われ、その結果として、当該ブランドが製品カテゴリ
ー内に独自のポジションを確保しているか否かと言うことであり、ロングセラー化のた
めの重要な条件の一つであると考えられる。この点では、事例の商品は大まかには当て
はまると考える。缶入り飲料ということで、パイオニアと言うこともあり、その点でも
当てはまるが、商品独自としても、ポカリスエットの水分・電解質補給は該当するとこ
ろであろう。
・ 第二の共通点は、単に明確な形でコア・ベネフィットを持つだけでは事足りず、それが
独自技術によって十二分に裏付けられ、何らかの形で競争上の優位性が存在するか否か
も、ロングセラー化の重要な条件であると考えられる。この点は、主に市場創造商品、
カテゴリーのパイオニアとも呼ぶべき、先発商品が多く見られることからも、事例の商
品はパイオニアと呼べるものを選んでおり、また、世界初の缶コーヒーや飲む点滴と表
されるように当てはまると考えられる。
・ 第三の共通点は、コミュニケーションとしての努力が継続的に行われ、その結果として、
ブランドのアイデンティティの確立に役立っている点である。この点でも、事例の商品
は、CMやその他のメディアに働きかけも怠ってはいないであろう。
・ 第四の共通点は、ロングセラー化の条件としては、単に、ブランド識別子の一貫性を維
持するだけではなく、それを頂点とした強固なイメージ構造を作り上げる必要がある。
この点では、事例の商品は、発売当初から一貫したイメージ、容器の色やロゴ、デザイ
ンを大きく変更することなく、消費者にその商品を認識させることに成功している。
・ 第五の共通点としては、市場変化への積極的対応を怠らないと言う点もロングセラーか
のための重要な条件である。事例の商品で言えば、缶やPETボトルの導入、現在では
ホットPETボトルもそれに当たるだろう。また、CMやメディアへの広告表現の変更
などでも該当するであろう。
共通点にはどうしても、矛盾とも呼べる二面的な部分が生じているように思われる。
それは、当該ブランドのコア・アイデンティティを形成する諸要素の一貫性を頑ななま
でに維持しながら、他方では、使い勝手の面などで市場変化に積極的に対応していくと言
う二面性を併せ持っていること「変えざる部分」と「変えるべき部分」とを明確な形で切
り分け、ブランドとしての一貫性を保持しつつ市場変化に対応していくことこそが、ロン
グセラー・ブランドを構築・維持する上での最大の課題であると言えるだろう。
(3)清涼飲料水としてのロングセラーの要因とは
ロングセラーとなるには、事例から推測すると、多くが現在属しているカテゴリーを創
造した商品であり、食品のロングセラーの多くが、それらが誕生する以前にはなかった新
しい食品、即ちカテゴリーの創造者であり、その食品の味覚や便益・食べ方等を地道なコ
ミュニケーション活動などを通して普及・定着させ、カテゴリーの味覚典型となり、ブラ
ンドとして成り立っている。また、清涼飲料水は食品の一つであり、その特有の性質であ
る「習慣性」に大きく起因していると考えられる。即ち、個人の味覚の基準は、幼少期に
形成され習慣化されるため、ブランド・スイッチ、つまり、他の商品への移り気が容易に
起こりにくく消費者にとっては、この飲み物はこのブランドと言ったように、定番として
認知され信頼が寄せられることが多く、いったん確立されたブランドの優位性を継続的に
強化すると考えられる。
要するに強固なブランドを構築するためには、そのカテゴリーの代名詞になることが重
要であるとともに、清涼飲料のような食品の場合、それは単なる認知や知識の問題に止ま
らず、「味覚」という生理的・官能的な知覚において「典型」となってくることが重要の
である。
しかし、ロングセラー化には、適時適切なリニューアルやポジショニングの変更が必要
であり、特に飲料、食品の場合は、消費者の食に対する意識や嗜好等の変化が激しく常に
注意深く観察していかなければならないと思われる。
(2) のプラスαとして、特に飲料・食品のロングセラーに
重要であろう点について上げてことにする
・ その市場、カテゴリーの典型的な味覚となること
そのカテゴリーにおけるパイオニア的な商品となることが望ましい。市場創造の時期
に発売されたものであり、そのカテゴリーはこの商品と認知されることが重要である。
・ 従来にはない市場、カテゴリーを創造すること
今なでにはない消費者のニーズを掘り起こすような商品であり、新たにその商品郡へ
の他社の参入が考えられるものであること。他社の参入があるということは市場に魅
力があるということであり、先発商品としての優位性が生かせる。
・ 時代の変化や消費者のニーズを読み解き、それに対する何らかの対応をしたり提供を
したりすること
現在の市場を考えてみると、「健康志向」という消費者のライフスタイルの変化から
ニーズの変化に対応した商品の訴求提示の変化が求められる
終わりに
ロングセラーの要因について考えてきたわけだが、事例を商品の紹介が中心となってし
まった感が否めなく、もっと企業のマーケティングに深く観察出来れば良かったと思った。
至らないところも多いが、そんな中でも、「カテゴリー創造」の重要性は、ますます高
まっていることを感じた。というものも、第1章で市場の概要を調べた中で考えたことだ
が、1970年代くらいまでは、競争環境も比較的穏やかな時代であり、メーカー側にも
流通側にも、一旦、上市したブランドを手塩にかけてじっくり育てる余裕があった。とこ
ろが、80年代に入ると、フードシステムに限らず、日用品においては、POSデータ等
の情報力を武器として、組織小売業の支配が増大し、メーカーの戦略意図通りに、時間を
かけてブランドを育成することができにくくなってきている。特に、CVS等では、周知
のとおり、新発売後早期に一定の販売量を達成しない限り、即座に商品カットの憂き目に
あい、消費者の評価を待つまでもなく、市場から撤退を余儀なくされる。こうした流通の
強大な圧力に対抗し、ロングセラー化の素地を築く一つの有効な方法は「カテゴリー創造」
なのであろう。
参考文献
各社ホームページ
・大塚製薬(株)
・UCC上島珈琲(株)
・(株)伊藤園
http://www.ucc.co.jp/
http://www.itoen.co.jp/
・サントリー(株)
http://www.suntory.co.jp/
全国清涼飲料水協会ホームページ
「消費者マーケティング」
「酒類食品統計月報」
http://www.j-sda.or.jp/
日経消費経済フォーラム会報
日刊経済通信社
「2002年板市場規模&業界シェア」
「清涼飲料関係統計資料」
「清涼飲料総合調査」
http://www.otsuka-plus1.com/
http://www.otsuka.co.jp/
日本実業出版社
睦
全国清涼飲料工業会
全国清涼飲料工業会
「ブランド・マネジメント戦略」
実務教育出版
平林千春
「ブランド構築と広告戦略」
日経広告研究所
青木幸弘
「パワー・ブランドの本質」
ダイヤモンド社
片平秀貴
「ブランド」
松井
岩波新書
岸志津江
田中
洋
石井淳蔵
「21世紀型 ヒット商品の条件」 実務教育出版
平林千春
「ヒット商品を生み、ベストセラー、
ロングセラーにするための条件」 産能大学出版
西田
弘