25.中世ヨーロッパ世界の成立 □1. 【①】沿岸を原住地とするゲルマン人は先住民の【②】を圧迫し、紀元前後にはライン川から黒海沿岸にいた る広範な地域に拡大した。大移動前のゲルマンについてはカエサルの『 【③】』やタキトゥスの『 【④】 』に記される。 部族ごとに王や数名の首長が統率し、戦士でもある自由民(貴族・平民)による【⑤】が政治の最高機関であった。 大移動前にもローマ帝国内に傭兵や下級官吏やコロヌスとして平和的に移動する者もいた。 □2 フン人は 4 世紀にヨーロッパに入りゲルマン人一派の【⑥】を征服、さらに【⑦】を圧迫した。 【⑦】が 376 年 に【⑧】川を渡ってローマ帝国内に移動すると他のゲルマン部族も大移動を開始した。フン人は 5 世紀【⑨】王が パンノニア(現ハンガリー)に大帝国を建てたが、451 年【⑩】で敗れ、 【⑨】が没すると崩壊した。 □3. 8 世紀後半に即位したフランク王国のカール大帝は西ヨーロッパに領土を拡大した。北イタリアでは【⑪】王 国を滅ぼし、北ドイツでは【⑫】人を征服し、東では侵入してきたアジア系遊牧民の【⑬】人を撃退した。国内で は全土を州に分け地方有力者を州長官の【⑭】に任命し、また【⑮】に【⑭】を監視させるなど中央集権体制を確 立させた。 □4. 800 年、教皇【⑯】はカールに西ローマ皇帝の冠を授与した。このカールの戴冠は、①西ローマ帝国滅亡後の 西欧が一つの政治勢力に統合された。②ローマ的要素やキリスト教的要素にゲルマン的要素を融合した新たな文化 圏が成立した。③新しい政治的保護者を得たことでローマ教会がビザンツ帝国から独立した。など重要な意義をも つ。このカールの帝国は 843 年の【⑰】条約と 870 年の【⑱】条約により 3 分割された。 □5. 西フランク(フランス)では 987 年にカロリング家が断絶し、パリ伯の【⑲】が王位について【⑳】朝を開い た。しかし、王領は極めて狭く、諸侯が多数分立していたため王権は弱体であった。 21 】家の【○ 22 】は、マジ □6. 東フランク(ドイツ)では 911 年にカロリング家が断絶し、選挙王政に移行した。【○ 23 】が成立し ャール人をレヒフェルトの戦いで破り、また、イタリア遠征で教皇を救援すると 962 年に戴冠され【○ た。しかし、歴代の皇帝はイタリア政策に熱中して国内統治を怠ったため国内の不統一を招いた。 □7. イタリアでは 875 年にカロリング家が断絶すると、神聖ローマ皇帝やイスラーム勢力の進出などで、小国家の 分立が続いた。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ ⑳ ㉑ ㉒ ㉓ 26.封建社会の成立 □1. 【①】 (入江の民)とも称されるノルマン人は【②】半島やユトランド半島を原住地とする。造船や航海にす ぐれ漁業や商業、略奪などを生業とした。8 世紀末より移動を開始し、族長【③】のもとでルーシはロシアに侵入し、 【④】ついで【⑤】を、首長ロロに率いられた一派は北仏に【⑥】を建てた。イングランドにはノルマン人の一派 デーン人が侵入したが、9 世紀にアングロ=サクソンの【⑦】に撃退された。しかし、1016 年に【⑧】のもとでイン グランドを征服し、1066 年に【⑨】がノルマン朝を開いた。また南伊には【⑥】の騎士が【⑩】を建てた。原住地 の北欧ではノルマン人の統合が進み、 【⑪】王国、ノルウェー王国、スウェーデン王国が成立した。 □2. ヨーロッパの封建制度は、ローマ末期の【⑫】制とゲルマン人の従士制が融合して成立した。外敵の侵入など から自衛のために有力者との結びつきを強める必要があったからである。 □3. 王や諸侯・騎士の所領を荘園とよぶ。内部には領主の【⑬】 、農民の【⑭】、森や牧地などの【⑮】があり自給 自足の現物(自然)経済が営まれた。耕作者は【⑯】とよばれ移動や職業選択の自由はなかったが、家族・住居・ 財産の所有は認められた。 【⑯】は【⑬】での労働提供である【⑰】や【⑭】での生産物を納める【⑱】のほか、 【⑲】 や死亡税を負担し領主裁判権に服する義務もあった。また教会に【⑳】を払った。10~12 世紀には耕地を春耕地・ 21 】や、深耕可能な【○ 22 】 秋耕地・休耕地に 3 分し、3 年で一巡する【○ 、水車の普及で生産量が増した。領主は王の 23 】を有したため、中世西欧各国は王権が弱く分権的だった。 役人の立入りや課税を拒む【○ □4. カールの戴冠で事実上ギリシア正教会と分離したローマ=カトリック教会は、教皇を頂点に階層制(ヒエラル キー)をつくり、西欧に精神的権威を確立した。有力な教会は土地を寄進されて領主化し、支配階級を形成した。 24 】などの腐敗が進んだ。 しかし、国王などの世俗権力は俗人を聖職者に任命するなど教会に介入し、 【○ 25 】がイタリアの【○ 26 】に設立したほか、フランスに【○ 27 】やシトー修 □5. 教会の腐敗刷新を担った修道院は、 【○ 28 】は俗人による聖職者叙任禁止などを断行し、反発したドイツの皇帝【○ 29 】を屈 道会なども設立された。教皇【○ 30 】 31 】で教皇の叙任権が確立されると、教皇権は 13 世紀初めの【○ 32 】のもとで絶頂期 服させた( 【○ ) 。1122 年の【○ を迎えた。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ ⑳ ㉑ ㉒ ㉓ ㉔ ㉕ ㉖ ㉗ ㉘ ㉙ ㉚ 31 ○ 32 ○ 27.中世ヨーロッパ世界の発展 □1. 農業生産力の上昇で人口が増すと、西欧の人々は新開拓地を求めて周辺へ膨張を始めた。イベリア半島での【①】 や、エルベ川以東への【②】 、西アジアへの十字軍などである。 □2. 十字軍は修道院改革で宗教熱が高揚していたことも背景に、 【③】の圧迫からビザンツ皇帝が教皇へ救援を求 めたことが原因で始まった。教皇【④】は 1095 年【⑤】を開催し、十字軍の派遣を決定した。 □3. 十字軍は 1291 年、 【⑥】の陥落をもって終了した。一時的な聖地【⑦】の回復はあったが、十字軍は失敗に終 わった。その結果、①自費で参加していた諸侯や騎士は財政的圧迫などから没落し、指揮者として活躍した国王は 戦死した諸侯などの土地を没収して王権を強化させた。②教皇は十字軍の失敗で教皇権を衰退させた。③東方貿易 の発展により都市や商業が発達した。④ビザンツ帝国やイスラームの文物が流入し、中世西欧の文化に影響を与え た。 □4. 十字軍は宗教騎士団を誕生させた。聖地防衛や巡礼者保護を任務とする宗教騎士団には、マルタ島などにも本 部を置き、後にレパントの海戦で活躍した【⑧】や、のちにフランス王フィリップ 4 世の弾圧を受けた【⑨】 、13 世紀以降【②】の先頭に立った【⑩】などがある。 □5. 中世農業革命により余剰生産物が発生すると、各地で定期市が開催され、また、ノルマン人やイスラーム商人 の活動に影響され貨幣経済が復活した。これを【⑪】という。商人は市場に定住し、ここに中世都市が成立した。 都市に住む市民(商人・手工業者)は国王や諸侯から自治権を獲得した。イタリアでは周辺の農村も支配する完全 独立の【⑫】 、ドイツでは皇帝直属の【⑬】が誕生した。都市には競争排除と生産の独占などを目的とする同業組合 の【⑭】が存在し、 【⑮】や【⑯】で市政参加を実現した【⑰】(手工業者)があった。また、都市は自治権や商業 利益を守るため都市同盟を結成した。北イタリア都市を中心とする【⑱】や、北ドイツ都市を中心とする【⑲】な どが名高い。 □6. 【⑪】は広大な商業圏を出現させた。北欧商業圏では北ドイツ都市を中心に、北欧やロシア産の毛皮や海産物 など日用品が輸入された。地中海商業圏では北イタリア都市中心の東方貿易により、アジアの【⑳】や中国の絹な 21 】や南ドイツの【○ 22 】などと交換された。 どの奢侈品が輸入され、フィレンツェなどの【○ ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ ⑳ ㉑ ㉒
© Copyright 2024 Paperzz