1 ラマヌジャンの伝説その2(失われたノートブック)

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ラマヌジャンの伝説その2(失われたノートブック)
15 歳のときにジョージ・カー(George Shoobridge Carr)というイギリスの数学教師が著した『純粋数
学要覧』という受験用の数学公式集に出会ったことが彼の方向性を決めました.それは,公式や定理の羅列
で証明のないもので,ラマヌジャンは,その公式や定理に自己流の説明(他人が見てわかるように書く普通
の意味での証明ではない)を付けていくことに没頭します.貧しい暮らしではありましたが奨学金を得て,
インドの大学に入学しましたが,数学の研究に没頭するあまり授業に出席しなくなり,退学するはめになり
ます.港湾事務所の事務員の職を得ましたが,独学で続けた研究結果を何人かのイギリスの数学者に送って
最後にハーディ(Hardy) に認められて,彼が得た結果が世に出ることになりました.
ラマヌジャンが遺した定理・予想は,イギリスに渡ってから発表した40編程の公表論文を除くと3冊の
分厚いノートに書かれていますが,ほぼ 3300 個の公式が書かれていて証明は,殆ど付いていません.
ラマヌジャンの生存中から Hardy を始め多くの数学者がそれらの公式に証明を付けていきました.それ
でも多くの公式が手つかずのまま残っていました.1974 年イリノイ大学のバーント (Bernt) は,自分が考
えていた問題がラマヌジャンのノートに載っていることを知り,その章の公式をすべてて証明することに
取り組みました.そのために彼は1年を費やす羽目になり,ついに彼は自分の他のすべての作業を止めて,
1977 年からは,ラマヌジャンのノートに記載された全公式に証明を付けることに全力を傾けます.彼の努
力は 1998 年,バーント編集になる全5巻のラマヌジャンの Note Book として出版され実を結びました.ほ
とんどの公式が正しかったようで,現在はその意味や応用に関心が広がっています.
ところでオリジナルのノート3冊とはまた別に,彼がインドに帰国した後の病床で書き散らしていた紙片
が 138 枚あり,約 650 個の公式が記されていました。これらの紙片は長らく所在不明となっていましたが,
1976 年春に渡英したアンドリュース (Andrews) によって偶然発見されました.まずそれは「ラマヌジャン
の失われたノートブック」と題して写真製版 (つまり彼の筆跡そのまま) で 1988 年に出版されました.現在
この失われたノートブックの公式の解明作業が,引き続きバーントとアンドリュースによって続けられてい
ます.2012 年その第3巻が出てまだ解明作業が続行中(後 2 巻で終了予定)です.
ここでラマヌジャンの伝説と関係の深い次の孔子の言葉を引用しておきます.
「学びて思わざれば,即ち罔く 思いて学ばざれば即ち危うし」
まず問題を考えることから始める「数学の学びの手法」を,今回出席してくれた諸君には,触ってもらい,
味わってもらいたかった部分です.ただ何事も程度があって,ラマヌジャンのような危険な生き方をしなさ
いとはとても言えません.何の準備もせず考えることは,生産的ではありません.それでも単に受け身で学
ぶよりは,まず自分でも考えてみることが,物事を深く理解するために必要な場合があることを少し感じ
てもらえたら嬉しいことです.
ラマヌジャンの伝記については,ロバート カニーゲル (著)「無限の天才―夭逝の数学者・ラマヌジャン」
工作舎 (1994) が面白い読み物です.
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