2015.05.17 聖書 ヨハネの福音書14章12~21節 「あなたは独りではない」

2015 年 5 月 17 日
礼拝
ヨハネ14:12-21
○
就活?
いえ終活で
先日、インターホンが鳴ったのででると、向こうで女性の声がし
ました。
「・・・就活セミナーのご案内です。○○セレモニーで
友引の日にあります。無料で
すからいらっしゃいませんか」
就活、就職活動?なぜ友引に?
理解の遅い私は、「一体何ですか?」と聞くと「それ
ではポストに案内をいれておきます」と仰り、後でポストにいって手にしたチラシ。
終活、終わりの活動
と書いてありました。
相続、遺言、葬儀、
そこで理解の遅い私も初めてわかりました。
これって葬儀屋さんの案内だったのでした。
終活、エンディングノート、相続、遺言、葬儀も大切ですが、もっとも大切なことが落
ちていました。
それって天国行けますか?
わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通して父の所にゆける。父の所とは天国です。
イエス様は私たちの為に天国に家を用意していてくださいます。
○
19 才の冬、道を行きあぐねて、自分で自分の生命を断とうとしていたとき、駅の看板
に「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。イエス・キリスト」と書いてある
のを見た。何とも言えない安らぎ、干した、太陽を一杯浴びた布団に
疲れた体を横たえ
たような思い。ダメ元と思って教会に。
その教会に行き、礼拝、水曜日の祈祷会にでるようになり、聖書を読むようになった。
とても飽きっぽいし、厚い本などは途中で止めてしまうことがおおいのに、神さまが助け
てくださって聖書を読んでいけるようになった。そして心の中に光が。心の中がとても醜
い、汚れたもので一杯。神さまへの罪、その罪の為にイエス様が十字架に。
教会に行って 1 ヶ月ぐらいでイエス様が私を救いに招いて下さっている事を知って、応
答してクリスチャンに。
それまでの私、死に対する恐怖。暗い世界に引き込まれてしまう。
人は 1 人で生まれ、そして独りでどこかに引き込まれて行ってしまう。死が恐かった。
小学生の時、夜何かが出てきて死の世界に引き込まれてしまうのではと、天狗と鈴のつ
いた通行証を持って 2 階から一段一段と降りていったことがありました。(笑い)
クリスチャンになってから、死の恐れはいつの間にかなくなりました。
讃美歌に
死の恐れはもはや消えぬ
イエスを信ぜしより、よろこびにあふれ、
-1-
イエスを信ぜしより。
(これは私の葬儀に歌って欲しい愛唱歌です)
*1
今日のタイトルは「あなたは独りではない。」です。イエス・キリストを信じると、イ
エス様が私達の内に入って下さり、聖霊は私たちが神の子であるという確証をあたえてく
ださいます。生きているときもイエス様がともにいてくださり、私たちの地上での生涯を
終わったその瞬間に、天国の世界が開かれます。この地上の生涯は永遠というストーリー、
ものがたりの本の序章にすぎないといっているのは、CS ルイスです。
「あなたは独りではない」今このメッセージを求めている人が、多くいます。自分は独
りだ。天涯孤独だと思う時、どんなに富みがあっても、どんなに豪邸に住もうと、どんな
においしいものを食べたとしても、空しいすきま風が心の中を通っていくことでしょう。
皆さんは決して独りではありません。
そしてイエス・キリストを信じるならば、誰でもイエス様が道となってくださり、天国
に導かれます。
今日の聖書の箇所
・どのような背景
弟子達の前でイエス様がもうすぐ十字架にかかり、弟子達と離れて父のところに行
くことを語り始めておられるところ。
・父の所に行くには
父なる神様のことを弟子達は知りませんでした。どうして父の所に行けましょう。
そこでイエス様は、こんなに長く一緒にいたのに分からないのですか。わたしを
見たものはすでに父を見たのです。わたしと父とは一つです。と仰いました。
イエス様を通してのみ
わたしが道
父のみもとに行くことができる。6 節
定冠詞がある
へー
ホドス
父の所、天国に行ける道がいくつもあって、宗教もいくつもあるけれど、行き付く
ところは同じ?その道は これこそ天国の、the way では無い。イエス様だけが天国
への道となってくださったのです。
私たちにできること、神さまを信頼すること。
*1 インマヌエル讃美歌
214
我が生涯は改まりぬ
一、我が生涯は改まりぬ
イエスを信ぜしより
我が旅路の御光なる
イエスを信ぜしより
(折り返し)
イエスを信ぜしより
イエスを信ぜしより
喜びにて胸は溢る
イエスを信ぜしより
二、もはや悩むことはあらじ
イエスを信ぜしより
咎を洗い潔めたもう
イエスを信ぜしより
三、迷いの雲いつか去れり
永遠に変わりまさぬ
イエスを信ぜしより
イエスを信ぜしより
四、死の恐れは全く消えぬ
イエスを信ぜしより
天つ住まい備えたもう
イエスを信ぜしより
-2-
さて、今日のところでイエス様は約束をしてくださったことが4つ記されています。
1,イエス様の業、それよりも大いなることをする
12
聖霊によって大いなること・・
全世界に出て行ってすべてのものに福音を、力を得、伝道。
2,求めるものがかなえられる
14
求めるべきは聖霊
3,助け主を与えてくださる。父に願う
もう一人の助け主
聖霊による刷新
いつまでもとおにおられる。アッロス
全く同質だが別のご人格をもった
パラクレートス
助け主、(呼ばれて、あなたのすぐそばに来
て下さったと言う意味)
真理の御霊
ともに住み、あなたがたの内におられる
無くてはならないお方
4,捨てて孤児としない
聖霊による確信と希望
→戻ってくる。
どれも聖霊に集中しています。言い換えるなら聖霊を待ち望むようと語っていてくだ
さるのです。
○
求めなさい、そうすれば与えられます。求めよ。さらばあたえられん。
この言葉は多くの日本人に親しまれている聖書のことばです。
求めなさい、そうすれば与えられます。
探しなさい、そうすれば見つかります。
叩きなさい、そうすれば開かれます。
マタイの福音書7章とルカの福音書 11 章に記されています。
ルカの福音書はマタイの福音書よりもさらに詳しく、弟子達に本当に求めてほしい
方のことをしるしています。
11:9 わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれま
す。
11:10 だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開
かれます。
11:11 あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を
与えるような父親が、いったいいるでしょうか。
11:12 卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。
11:13 してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い
物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求
める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」
さらにイエス様は
-3-
求めるべきものとして、神の国とその義とを先ず第一としなさい。
*1
と仰っていま
す。
求めるとき→
与えられる
求めるべき方→
聖霊
何はともあれ神の国とその義とを求めるように
なる
自己中心的な求め
→
神中心的な求め
への変化
ある人がクリスチャンになった。貧しい学生で、その日の夕食がなかった。
「そうだ、求めなさい、そうすれば与えられると書いてあるから
うどんが与えられる様に祈ろう。」と思ってお祈りした。
すると、祈って間もなく、執事さんが訪問、なんと手にはお盆が、そしてその上に
はもちろん「うどん」が載っていた。
彼は後に牧師になるのですが、
クリスチャンになったばかりのとき、神さまは祈ったらすぐにかなえてくださるこ
とによって励ましてくださったけれど、信仰が深くなってくると、すぐにかなえられ
ず、忍耐を持って祈り続けて、与えられる祈りを教え、訓練してくださいます。
イエス様はわたしの名によって求めるものは何でも与えられます。と約束してくださ
いました。その中には、あの青年のように、お腹がすいているという切実な祈りもあるで
しょう。祈りには浄化作用がありますので、祈っているうちに、あの人が変わるようにで
はなく、自分が神さまによって変わるように示され、祈ることもあります。また自己中心
的な祈りだったと言う事を教えられて、神中心の祈りに変えられることもあります。
私たちが求めるべきお方、そのお方は
「聖霊」なる神様です。
永遠の先から
父、子、聖霊はいらっしゃいました。そしてそれぞれのご人格を持って
おられますが、父、子、聖霊の唯一の神様です。父の所からイエス様が人としてこの世に
きてくださいました。イエス様を見た者は、すでに父を見たのです。そしてイエス様が父
に願って送ってくださる、全く同質の聖霊は、すでに弟子達のところにおられるのですが、
はっきりとさせてくださり、神の子どもとなったという確証を、そして神の子ですから、
*1 マタイ
6:33
33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、こ
れらのものはすべて与えられます。
ルカ 12:31
何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに
加えて与えられます。ルカ 12:31 何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そ
うすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。
-4-
永遠の生命が与えられ、やがて天の御国に行くことができるという深い納得を与えてくだ
さいます。
弟子達をご覧下さい。イエス様が十字架にかかる前日も、弟子達が集まって論じ合って
いたのは、誰が一番偉いかということです。これはやがてイエス様が神の国の王座に座ら
れたときに、誰が一番偉いポストにつけるか、あらかじめ談合しようとしていたのです。
イエス様は、誰かの上に立とうとするものは、皆に仕える者となりなさい。
そして自分は他の人より偉いとおもうのではなく、イエス様が愛されたように、互いに
愛し愛なさい。と仰いました。
しかし、自己中心な弟子達にはさっぱりわかりませんでしがが、来週お話しするペンテコ
ステ、五旬節、それはイエス様が十字架に架けられ、三日目によみがえられ、その後 40
日弟子達の前に現れます。それから 7 日、丁度 50 日目にユダヤのお祭りである 50 を意味
するペンテコステの日に聖霊が弟子達にくだります。その間弟子達は集まって求めました。
それは「聖霊」を求めていたのです。そう、求めなさいそうすれば与えられますとイエス
様が仰った中のもっとも弟子達に求めて欲しかった方を求めたのです。
そして聖霊がでした下ったときに、弟子達は、聖霊に満たされ、自己中心な信仰から神
中心の信仰になって、聖霊に力を受けて、エルサレム、ユダヤ、サマリヤの全土および地
の果てまで福音を宣べ伝えてきたので、今私たちにも福音が伝えられているのです。
神さまは私たちにも語りかけてくださいます。
あなたは決して独りではない。と
見よ、わたしは世の終わりまでいつもあなたがたとともにいます。
わたしは決してあなたを離れず、またあなたを捨てない。
今日は 5 月 17 日
*1
インマヌエル聖宣神学院の創立記念日であります。(家内の誕生日で
もあります)私たちは聖書が言っているように、イエス様があなたの罪の為に十字架に死
なれ、三日目によみがえってくださった、まことの神であり、救い主として信じる誰でも
救われ、そして聖霊によって神の子どもとしての確証を得ることができる。そして聖霊に
よって心が聖められて、神の国とその義を先ず第一に求め、神の愛に満たされていきるこ
とができることを信じています。
聖宣神学院は牧師を養成する神学校です。横浜の緑区にあります。13 人の学生が今学
んでいます。私もその神学校の教師です。
この神学校の働きが祝され、全国、海外からも牧師を目指して入学する方が興されるよ
うに、また神学生の霊的、知的な訓練が祝されるように、また院長の河村先生、スタッフ、
ボランティア、全国のサポーターが祝されるようにお祈りしましょう。
聖霊によって私たちは神の子として確証を持ち、神の愛に満たされ、神を愛し人を愛し、
*1 ヨハネ28:20
見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
ヘブル13:5
「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
-5-
福音を宣べ伝えることができるのです。
そして神様がいつもともにいてくださいますから、あなたは独りではないのです。
○
最初に
終活の話をしました。何かのときに残る方が困らないように、エンディングノ
ートを書くのも良いでしょう。しかし、いくらエンディングノートを書いたとして、それ
で天国に行けるのではありません。
イエス様はあなたの罪の為に十字架に架かり、助け主聖霊が今送られてきています。
罪の赦しと神の子としての確証が与えられたら、イエス様によってやがての日に天国に
行けるという確信をもって、今日を行き、明日を生きていくことができます。
あなたは独りではありません。
私たちができること、
イエス様を信じること
そこから信仰が始まります。
アメリカにマーガレット・パワーズという女性がいます。
彼女が
あしあと
という詩を書いています。
One night a man had a dream. He dreamed he was walking along the
beach with the Lord. Across the sky flashed scenes from his life. For
each scenes he noticed two sets of footprints in the sand; one belonged to
him, and the other to the Lord.
When the last scene of his life flashed before him, he looked back at the
footprints in the sand. He noticed that many times along the path of his
life there was only one set of footprints. He also noticed that it
happened at the very lowest and saddest times in his life.
This really bothered him and he questioned the Lord about it. "Lord, you
said that once I decided to follow you, you'd walk with me all the way.
But I noticed that during the most troublesome times in my life there was
only one set of footprints. I don't understand why when I needed you
most you would leave me."
The Lord replied, "my precious, precious child. I love you and I would
never leave you. During your times of trial and suffering. When you see
only one set of footprint, it was then I carried you."
ある夜、ひとりの人が夢を見た。彼の夢は主イエス様といっしょに海岸を歩いていると
いうものでした。雲がスクリーンのようになって、彼の生涯が映し出されました。どのシ
-6-
ーンにも砂浜に二つの足跡があります、一つは自分の足跡、そしてもう一つはイエス様の
ものでした。
人生の最後のシーンが映し出され、彼が砂浜の足跡を振り返ると、あるところには一つ
の足跡しかありませんでした。思えばそのときが人生で最悪で、もっとも悲しい時だった
のです。
このことに失望してイエス様に質問するのです。「主よあなたは、私があなたを信じ、
お従いすると決心したときに、いつも一緒に歩いて下さると約束してくださったではあり
ませんか。それなのに主よ、人生でもっとも暗く悲しいところを歩いているときに、あの
海岸の足跡は一つしかありませんでした。もっとも、私があなたを必要だったとき、どう
してあなたは私をお見捨てになって離れてしまったのですか。私にはどうしても分かりま
せん」
すると主はお応えになりました。「わたしの大好きな、愛する子よ、私はあなたを愛し
ているし、決して独りぼっちなんかしなかったよ。あなたの人生でもっとも苦しいときも。
そう、あの時、海岸に1人分の足跡しかなかったのはね、私があなたをおんぶしていたか
らだよ」
お祈りしましょう。
父なる神様、御名を讃美します。イエス様が私達を救って下さるために十字架に架かっ
て下さり、約束の聖霊を送って下さった事を感謝します。聖霊によって、神の子としての
確信と、天国の希望をもって、主と共に歩める幸いをありがとうございます。私たちは決
して1人ではありません。人生の最悪と思えるときにも、主はともにいてくださり、歩け
ないほど疲れているときには背負ってくださいます。すべての真理に導いてくださる聖霊
に身を委ね、神さまとともに、一歩一歩歩んで参ります。主イエス様の御名によってお祈
りします。アーメン
先程の
あしあと
という詩を讃美歌にしたものを讃美しましょう。
-7-