78. 唯敬寺 たつみざん ゆいきょう じ 巽山 唯敬寺 宗派 浄土真宗大谷派 茨木市別院町1番11号 山号の巽山に関しては詳しい資料は存在しないが、 『巽』という字から推定して方位を示 すと考えられる。巽は東南の方向であり茨木城からの方位とも考えられる。 旧茨木村には、中世期の頃、寺院として次の五ケ寺があったと、歴史書《よみがえれ茨 木城》に述べられている。梅林寺(浄土宗、片桐町)【創建大永 2 年(1522 年)】 、当山唯敬寺(真 宗大谷派)【創建永正年中(1504~21 年)】 、称名寺(浄土真宗本願寺派 主原町)【創建永正 17 年(1520 年)】 、浄教寺(真宗大谷派 宮元町)【創建天文 15 年(1546 年)】と他にもう一ケ寺、 安養寺(真言宗)が存在していた。しかし、安養寺は室町時代に退廃し詳細は不明である。こ れら寺院は茨木城(正長元年(1428 年)~元和 3 年(1617 年)廃城)と歴史的に何らかの関係が あったと推定されるが、これらの寺院で寺史に関しての資料は現在のところ見つかってい ない。 前記で、当唯敬寺の創建は永正年中(1504~21 年)とあるが、根拠が不詳。寺伝によれば、 元亀元年(1570 年)、蓮如上人に帰依した当地の住人である本多佐衛門尉が開祖であるとの こと。その後、年月は不詳だが火災で本堂を焼失。そこで、当時の住職・門徒が、地元は 言うに及ばず、高槻など、遠い土地まで赴き、勧進行脚を重ね、辛苦のすえ再建した。こ の火災でそれまでの什物や過去帖などを焼失したという。 ◎ 本尊『阿弥陀如来立像』 ◎ 『蓮如上人六字名號御真筆』 ◎ 延宝 9 年(1681 年)に本山からの下附書が添えられた『親鸞聖人御影』 ◎ 『聖徳太子御影』 ◎ 『浄土七高僧真如上人御影(宝暦元年真如上人御下附の裏書き)』 等は、現在も寺宝として大切に引き継がれている(火災の際、無事に持ち出された) 。 明和 7 年(1770 年)に総欅で建てられた山門が、平成 7 年の神戸淡路大震災で大きな損傷 を受け危険な状態になり、平成 15 年(2003 年)に修復再建された。その再建では、ご先祖達 が、総欅にこだわり山門を建てたというその心を大切に相続するとの門徒衆の思いから、 総欅で再建された。 一般的に、寺院は西方浄土に向かって手を合わせ礼拝するように東向きに本堂は建てら れている。しかし、当唯敬寺はその逆で西向になっている。これは、礼拝する門徒衆を正 面に迎えるように配慮し、西側にある道路に向けて建てられた。以前の本堂は、境内の真 ん中で南向きに建っていた。 寺院創建 寺伝では、元亀元年(1570 年)、蓮如上人に帰依した本地の住人であった本 多佐衛門尉が開祖。《よみがえる茨木城》の記述によれば、永正年間(1504 ~21 年)創建となっている。 本 尊 阿弥陀如来立像 木造 像高 59.3cm 江戸時代作 主たる什物 ◎ 親鸞聖人像 絹本著色 ◎ 蓮如上人像 絹本著色 92.1cm×39.3cm 江戸時代作 ◎ 浄土七高僧像 絹本著色 104.3cm×46.8cm 江戸時代作 ◎ 聖徳太子像 絹本著色 104.3cm×46.8cm 江戸時代作 ◎ 六字名号 紙本墨書 室町時代作 蓮如筆 ◎ 親鸞聖人御影下付状 建 造 物 法要・ 法要 ・行事 江戸時代作 90.3cm×32.8cm 紙本墨書 27.2cm×66.4cm 江戸時代作 本堂 昭和 54 年大修理。 山門は平成 15 年に再建 修正会(1 月 1 日)、永代経勤修(5 月中旬)、盂蘭盆会(8 月 15 日)、報恩講(11 月上旬) 住 職 本多丕壽(ほんだ ひとし)住職。府立高等学校を退職の昭和 62 年、第十六 世住職に就任。 元亀元年(1570 年)本多佐衛門尉の開基以来、家督は世襲(せしゅう) 制度で行 われ、現在に至っている。
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