「ひさしぶりだね、きみがあのテープをかけたの?」 「気がついてました?わたしが、どういうときに、あのテープをかけるか」 「それは、気づいていたよ。感じのいいひとがいるときにかぎって、きみがあのテープをかけるって いうことぐらい」 「気がついていながら、黙っていたんですか?意地悪!」 「だって、あらためて詮索するのも、野暮だろう?はなしたくなれば、はなしてくれるだろうと思っ ていたし」 「それはそうですけれど・・・」 「今夜は、もう看板にしようよ。こんな雨の夜では、もう客もないだろう。ご苦労さん、帰っていい よ」 「ええ・・・」 「どうしたの?」 「きいていただけます?わたしのはなしを?」 「よろこんできかせてもらうけれど、なんのことかな、あらたまって?」 「あのテープのことなんですけれど」 「よし、それでは、とっておきのウイスキーでもだしてくるとするか」 「でも、特にどうということもない、愚痴みたいなはなしなんですよ。期待しないでくださいね」 「いいから、はなしてごらんよ」 「あまり期待されると困っちゃうな、わたし」 「いや、期待しているわけでもないんだけれど、これまで、きみとろくにはなしもしていなかったし、 じっくりきかせてもらうよ、そのテープにまつわるきみのはなしというのを」 「あのテープをかけながらでもいいですか?」 彼女は、カウンターの横の棚におかれたテープデッキに、カセットテープをセットした。トロンボー ンのカーティス・フラーとテナー・サックスのベニー・ゴルソンの吹くブルーなテーマが、あかりを おとしたために親密な雰囲気をただよわせはじめた店内にながれた。 「実は、ぼく、この『ファイヴ・スポット・アフター・ダーク』がとても好きなんだよ」 「そうでしたか。ちっともしらなかったわ」 「それで?」 「ごめんなさい。気持を整理して、ゆっくりおはなししますから」 「いや、いそぐこともないよ。『ファイヴ・スポット・アフター・ダーク』は、こういう雰囲気にと てもよくあっていて、なんともいえずいい気分だし」 「ちょうど、今から一年前のことなんです」 「なにが?」 「わたしがこのテープをはじめてきいたのが」 「ああ、そうか、ごめん。出足をくじくようなことをいってしまって」 「そのとき、わたし、新幹線にのっていたんです」 「・・・」 「学生時代からつきあっていたひとがいて、そのひとの故郷を訪ねた後だったんです。そのひととは、 それまで、それなりの関係があって、なんとなく、ぼんやり、卒業したら結婚してもいいな、なんて 思っていました。彼は、熊本からほんのすこし奥にはいったところにある温泉町の旅館のあととり息 子でした。わたしは、できることなら多少勉強した英会話をいかして、東京で、キャリア・ウーマン をめざそう、なんて考えてもいたんですが、彼と結婚できるのなら、それはあきらめてもいいや、と 思っていました」 「それで?」 「それで、彼とは、クラスメートも公認の、同棲同然の生活をしていました。ところが、四年のとき の冬休みに帰郷してから後の彼は、わたしにたいする態度がそれまでとがらりとかわってしまったん です。なんとなく、おかしいぞ、と思ったのは、きっと、女の勘でしょうね。故郷に帰っていた彼を、 いきなり訪ねてみたんです。そのときの彼の、あわてふためいた様子をみていて、わたしは自分の思 いちがいに気づきました。彼の故郷では、つきあいはじめた頃から彼がなにかというと話題にしてい た遠縁の女の子が、しおらしく、っていうんですか、慎ましい物腰で、いつも、彼につきそっていま した。彼女は、生意気なところのない、とても可愛い女の子でした」 「わるいけれど、そういうはなしって、よくあるんだよ」 「そうみたいですね」 「わたしも、そこで目をつりあげてみてもはじまらないので、なにも気づかない鈍感な女の子を装っ て、そのまま帰ってきたんです」 「それで、テープは?」 「せかさないで下さい。順をおっておはなししますから」 「ごめん、ごめん」 「精一杯こらえてはいたんですが、わたし、なんだかとても悲しくなって・・・」 「それはそうだろう。ぼくには経験のないことだけれど、そのときのきみの気持はぼくにもわかるよ うな気がする」 「博多で新幹線にのりかえ、わたし、窓の外をとびすぎていく景色をぼんやりとながめていたんです。 そのときのわたしの気持は、なんだか、夢のなかの遊園地で観覧車にのっているような感じでした。 博多でのったときにには空席だった隣の席に、いつのまにか、だれか座っていました。わたしは、窓 の外の景色をみながら、無意識で泣いていたようでした。わたしが泣いていたことを隣のひとが気づ いたかどうかはわからないんですが、彼は、いきなり、テープをセットしたままのウォークマンをわ たしの膝において、こういったんです、この音楽をきいてごらんよ、きっと、気持がらくになるから、 っていったんです」 「それで、きみは?」 「あっけにとられているうちに、そのひとは、ぼくは食堂車でビールでも飲んでくるから、っていっ て、席をたっていってしまったんです。狐につままれたような気持でヘッドフォンを耳にあてました。 そのときのテープがこのテープなんです。テープの最初にはいっていた『ファイヴ・スポット・アフ ター・ダーク』をきいて、わたしは、わざとらしくなく、とても上手になぐさめられたような気持に なって、自分をとりもどしました」 「それは、よかった。それで、彼は、どうしたの?」 「そのまま、食堂車からもどってこなかったんです。わたし、そのひとに、もう一度会ってお礼をい いたいんですが、顔もおぼえていないし、てがかりといえばこのテープしかないんです。それで、こ こで働かせていただくようになってから、当たるはずもない宝くじを買うような気持で、もしかして、 このひとかな、と思うひとがいるときにこのテープをかけていたんです」 「多分、そんなことではないか、と思っていたよ」 「だって、わたしに残されたてがかりといえば、このテープしかなかったんですもの。それにしても、 このテープには、『ファイヴ・スポット・アフター・ダーク』からはじまって、すてきなジャズばか りはいっているんです」 「そうだね、ぼくも何度かきかせてもらっているから、しっているけれど」 「このテープのおかげで、ジャズを好きになれたし、ほんのすこし大人の女になれたような気もして いるんです。だから、どうしても、このテープをくれたひとに、会って、ひとことお礼がいいたいん です」 「きっと、その隣の男には、きみのそのときの気持がわかっていたんだと思うよ」 「そうでしょうか?」 「さもなければ、あのカーティス・フラーの『ブルースエット』のアルバムにおさめられてはいても、 『ファイヴ・スポット・アフター・ダーク』ほどにはよくしられていない『ラヴ・ユア・マジック・ スペル・イズ・エヴリホエア』のようなロマンティックな音楽のはいっているテープを、みずしらず のひとにあげたりしないんではないかな」 彼女はいきなり立ち上がり、彼の目をきっとみすえ、しばらく黙っていた後に、こういった。 「なんで、このテープのB面にはいっている『ラヴ・ユア・マジック』のことをしっているんですか? わたし、ここでは、A面しかかけたことがないから、このテープをつくったひと以外に、このテープ のB面に『ラヴ・ユア・マジック』のはいっていることをしっているひとはいないはずなのに!」 「ファイヴ・スポット・アフター・ダーク」 in 「キング/サヴォイ」 240E・6801)
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