人 生 を変 えた 5日 間 十 S氏 一一 夫妻 に捧 ぐ 松下 達 彦 て い た。初 めて降 り立 つた外国、上海 で僕 は 真夏 の空港 は独特 の蒸 し暑 さと挨 つぼ さに包 まれ 一 人 きりだつた。大学 に入 ってか ら 1年 あ ま り中国語 を勉強 した ものの 、その レベ ルは英語 で い ニ ー ヨンは身振 りと五感、 そ して辞書 だけが頼 り えば 日本 の 中学校 2年 程度 だろう。 コ ミュ ケ シ だった。 の を一銭 も持 つてい ない ことに気 づ 税関 を抜 け、 さて街 に出 ようと思 つた ところで、中国 通貨 ー ヨン ・カウ ンターがあ つたが、尋 ぃた。 はて外貨兌換 がで きるのは どこだろう。 イ ンフォメ シ 」 と作文 して書 き付け、 それを読 み上げ 兌換処 は どこです か。 ね方が わか らない。辞書 を引 いて 「 ー たばか りの税関の 向 こ う側 を指 さしなが なが らカウ ン タ の女性 に見せ た。彼 女 は僕 が通 つて き どうや ら通関 の前 に兌換 しなけれ ば ら何や ら早 回で ま くし立 てた。 さつば りわか らなか つたが、 ならなか つたらしい。 れが ないの だ。税関 を後戻 りす さて 、 どうした ものか。街へ 出るには中国通貨が必要 だが、そ てい た僕 にタクシーの客引 きらし るわけに もいかない。 しば らくベ ンチに座 り込 んで途方 に暮れ Bu yao(不要)。 」 と言 つて追 い払 う。そ うだ ! 再 び辞書 を引 き、 き男が何 人か声 をかけて きた。「 。 」 聞 いていた相場 の 和平飯店 まで い くらです か。」 「15.4元 作文 して客引 きに言 つてみた。「 人民元 を持 つてい ないか ら和平飯店 通 りだ。続 いて作文 の メモを見せ なが らそれを読 み上げる。「 と眺 めてか ら 「いい よ。」 で兌換 してか ら払 う とい うことで もいいです か。」男 は メモ をま じまじ の ろの ろと30分 ほ ど走 つて和平 と一言。無事 、商談 が成立 し、車 に乗 り込む。込 み 合 つた道 を の カウ ンター まで連 れていつて くれ、そ こで 飯店 の裏手 に着 いた。運転手 はホテ ル内 の 中国銀行 無事 に支払 い を済 ませた。 上海 の 黄昏 の数時 間 を楽 しんだ後、 その 日の 晩 の北京行 き特急 の二等寝台 の切符 を手 に入れ、 一 が当時 は 20万 円 ぐらいかか の 列車 に乗 り込 んだ。今 は 4∼ 6万 円程度 の東京 北京往復 航空券 の機会 を与 えて くれ た。 い った。 それ で上海経 由 に したのだが 、列車 の旅 は思 がけず 中国語練 習 一 の とちが つて開放的 だ。僕 はメモ帳 と 寝台 の客 は皆 ゆつた りとくつ ろいでいて 、 しか も 等 個室 た。竹 下査、 ベ ンを両手 に持 ち、辞書 を傍 らに置 いて周囲の客 に話 しかけ られるままに会話 を重ね つてい る。 日本 の政治 や文学、家族 の こと 松本清張 等 々、中国 の 人々は 日本 の ことを結構 よ く知 一 」 「もう少 しゆ ……向こ うのことばがわか らない ときは 「 す い ません、 もう 度言 つて ください。 」 「ちよつと ここに書いて ください。 っ くり言 つて ください。」 「どう書 きますか。すい ませ んが、 でにメモ帳 は 」 などを繰 り返 した。翌 日の午後 に北京に着 くま 待 つて ください。辞書 を引 きます。 ぃっばい になつた。 を楽 しむつ もりだつた。運良 く ( ? ) 当時、母が北京で働 いていたので、北京 を足場 にして中国 ことになつていて、僕 は母の宿舎の管理 人さんか 僕が北京 に着 く頃 に母 は職場 の団体旅行 に行 く 一 いた。 ところが何を しでかす ら鍵 を預 かつて 1 0 日 間ほど北京で 人暮 らしをす ることになつて -19- 子 を頼む と、 ことづ け S氏 夫妻 に、虐、 かわか らない息子 に不安 を抱 い たのか 、母が友人の 中国人 が入 つた。 S氏 夫妻 は 「こんにち ていった らしい。北京 に着 い た 日の午後 に S氏 か ら宿 舎 に電話 を引 きなが ら電話 で会話 した。何 しろ初 は」 「さような ら」 程度 の 日本語 しか知 らない。僕 は辞書 の 応 を確かめなが ら話 せ るが、電話 ではそ う 級程度 の 中国語 である。顔 の見 える相手 なら相手 反 ね て くる と言 つてい るらしt`ことはわか った。 もいかない。 それで も、相手 が今か らこち らを尋 か つたので 、電話 回で真 夏 なの に 謝謝」 よ りも程度 の高 い敬語 で感 謝 の意 を伝 えた 僕 は何 とか 「 づ い 」 と言 い、辞書 の表現 をつ ま を引 きます。 冷 や汗 をか きなが ら 「ち よつと待 つて くだ さ 、辞書 ` C;暑 あ 督 岳 釜 登 を it&士 号 猪 云 豊 各 曾 糧 程 ≧ 系 f綜 i屋 こ │:識 守 言 │:年 と 】 露 室 登 ;:程 是 程 れ、皆で大笑い したものだ。 S氏 が笑いをこらえていたことを、ず つと後 になつて開かさ の 旧跡 をくまな く回つて くれ た。僕 は その電話の 日か ら4日 間、 S氏 夫妻 は 自転車で北京 名所 は根 っか らの北京 っ子で、北京 に深 い愛着 夫妻の後 を、借 りた自転車で追 つかけて走 つた。夫妻 以前 ここには 」「 の 書 いた文字 だ。 とプライ ドを持 つてお り、「これは乾隆帝 (清朝最盛期 皇帝)の ー るまで、 こちらの中国語力 にはお構 い ……があつた。 」等 々、歴史解説か ら裏町のエピソ ドに至 一 その単語 はどう書 きま って ください。 」「 なしに、きれいな中国語で解説 して くれた。「もう 度言 ○○ はどうい 」「 」 「ちよつと待 つて ください。辞書 を引 きます。 すか。 」 「ここに書 いて ください。 」 に…… とい う言 い方はあ りますか。 」何度 これを繰 り返 したことだろう。「中国語 う意味ですか。 い 」 もよく使 つた。 メモに ……の場合 にヽ と言 えますか。 」 「(正しい中国語 に)な お して くださ 。 「 こんなふ うに覚 えた単語 は教室 で覚 えた たまった語句 は宿舎 に戻 つてか ら必ず辞書 で確かめた。 どこで覚えたかを覚 えている語句 や表現が もの とちが つて、いつ まで も忘 れない ものだ。今で も 少な くない。 った場所)や 香山公園 な どもS氏 夫妻 とともに 市郊外 の庭溝繕 (1937年 、 日中戦争が始 ま で信号待 ちの間に首か らかけていたバ ツ 片道 1時 間 ぐらい 自転車 をこいで行 つたのだが、交差点 S氏 夫妻 と会話が続け られなかつたので グか ら辞書 を取 り出 して単語 を調べ た。そうしなければ いつぱいになつたが、 この 4日 間 を過 ご モ あ る。 こうして北京の最初の 4日 間で 2冊 目のメ 帳 も ー 一 どんな相手で も 応の コミュニケ してか らは一 人で街へ 出ることに全 く不安 を感 じな くな り、 シ ョンがで きるとい う自信がついた。 トラテジー)の ポイントをまとめ さて、以上の体験 か ら、僕の使 つた外国語学習の 「わざ」 (ス ると、次のようになる。 ー い る表 ・ ・文法 の基本 を学ぶ と同時 に、以下の コミュニケー シヨン ス トラテジ (わざ)に 用 現 をマス ターす る。すなわち、 一 」等 ゆつくりお願い します。 」「 再生要求 「 もう 度言 つて ください。 ∼ … 」 言 い換 え 「 は とい うことですか。 確認 ○○ (って何 ですか)?」 おうむ返 し 「 」 字の確認 「∼はどう書 きますか。 」等 時間稼 ぎ 「ちよつと待 って ください。 (辞書 を引 きます)。 」 訂正求め 「 この言 い方でいいですか。 ―-20- だ さい。 」等 「もし私 の○○語 におか しな ところがあればなお して く マス ターす る つた ことを繰 り返せ るだけの聴解能力 と発音 を初級段階で ・相手 の言 。友 人 を作 り、話 さざるを得 ない状況 をつ くる (留学 や旅行 中は もちろん、 日本 で もで きる) ・外 で覚 えた語句 の意味 ・用法 を、その場 で 、 または帰 宅後 に辞書等 で調べ て確認す る。 ー の土地で生活 し、適応す る」 とい う学習 ニ ズ のが そ の 「 も ことだが、状況そ る てわか に し 今 し使用す るチ ヤ ンスがあ り、 よく定 に合致 して い たの で 、その状況 で覚 えた表現 を何度 も繰 り返 一 にもつ なが つた。それは教室 での 斉教授 着 した。そ して、その土地で暮 らす楽 しさや学習意欲 い えに よる確認 や、訂正 学習 の 自律性」 獲得 のプ ロセスだ つたのだ。 また、言 換 では得 が たい 「 文法 てい た こと もわか る。確認 や訂正求 めで 「 求めの過程 で 自分 な りに文構造 の認知 を繰 り返 し を教室 の 内外 で促 せ る ような の 習得」 も進 んで い たの であ る。僕 は今 、 この ような 自律 的学習 ー ー い 「 学習 プ ロデ ユ サ 」 にな りたい と思 つて る。 での列車 の旅 をあ わせ た計 5日 間 に、おそ ら 北京 での S氏 夫妻 との 4日 間 と、上海 か ら北京 ま は国語国文学 を専攻 してい た し、今 で く僕 は 日本 での半年分以上 に値 す る外 国語学 習 を した。僕 が後 の 中国留学 や、今 の 日本語 も日本語 を仕事 の種 に しているけれ ども、 この ときの中国語体験 つ なが つてい る ことを考 える と、 これは掛け値 教育 の仕事 や、中国 人のカ ミサ ンとの結婚 に深 く の メモ帳 は今 で も宝物 として僕 の部屋 に眠 な しに人生 を変 えた 5日 間 と言 つて よいだろ う。当時 ってい る。 (国際学 部専 任講 師 -21-一 。日本語担 当) 外 国語 に強 くな るため に 1999年 3月 18日 編集 桜 ー 美林大 学外 国語 教育 セ ンタ 発行 桜 美林 大学 T194± 0294 東 京都 町田市常 盤 町3758 TEL 042--797--2661G9 印刷 有 ー ー 限会社 テ イ デ イ エ ス 砥L 0466--46-6720 ( 非売 品 )
© Copyright 2024 Paperzz