がんと一緒に生きていく。

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サンキュ ! 読モブロガー
井ノ浦香織さん(35歳)の闘病722日
2015 年8月
がんと
一緒に
生きていく。
子宮、
卵巣、
リンパ節摘出手術と
抗がん剤治療終了
治療はもう、やりきった。
不思議なくらいポジティブです。
34
歳の誕生日直後のがん宣告。長女を産んだときに産
けい
34歳の誕生日の直後に子宮頸がんの宣告。
婦人科のドクターから、子宮にがんになりやすい細
47㎜にまで拡大したがんを取り除く手術と抗がん剤治療ののち、再発。
胞があることを指摘され、毎年検査を受けていたのに……。円
錐切除術を受けて細胞を検査した結果、悪性と判明。今度は子
二度目の抗がん剤治療と放射線治療を経て
宮と卵巣のすべて、それからリンパ節の一部を取り除く手術を
現在は「再発なし」と診断されている井ノ浦香織さんの体験記。
受けました。がんは左右47㎜とかなり大きくなっていて、
「ほ
2人の子どものおかあさんでもある彼女が見たもの、考えたこと。
うっておいたら余命5年だった」とドクター。術後すぐに抗が
ん剤治療を始めました。思い出すだけで吐き気をもよおすほど
の、筆舌につくし難い気持ち悪さと倦怠感、激しい下痢と腹痛。
子宮頸がんとは
大人なのに泣いてしまうくらいの、注射の痛み。みるみるやせ
子宮の入り口にできるがん。20 ~ 30代の女性にみられるがんの中でもっとも多く、
発症のピークは30代後半。原因のほとんどは性交渉で感染するヒトパピローマウイル
ス(HPV)というウイルスであるため、性交渉の経験があるすべての女性にリスクがあ
るといえる。不正出血などの自覚症状がない場合も多く、年に一度の検診は必須。早期
発見すれば比較的治療しやすいがんとされている。
て40㎏台前半になり、髪もほとんど抜けました。
今は抗がん剤治療が終わって16日目。体調は不安定だけど、
心は元気です。
「治療をやりきった」という達成感と、子どもた
ちや両親、子どもの小学校や保育園の先生やママ友、がん病棟
での「がん友」
、そしてドクターをはじめ病院のスタッフの皆
さんなどまわりの人への感謝。そして今こうして生きていられ
井ノ浦香織 (35歳) いのうら・かおり
る喜びで心は満たされ、幸せな気持ちです。がんになったのに
サンキュ! 読モブロガー。1980年10月9日東京生まれ。小3の男の子、6歳の女の子を
育てるシングルマザー。外資系化粧品ブランドの美容部員を経て、現在は不動産会社で
事務を担当し5年目。趣味は読書と水泳、特技は書道
(8段)
。ブログ「しあわせ美肌道」
幸せなんて変かもしれないけど。
がんを宣告されてすぐ、ネットや本で、同じがんと闘った人
のブログや闘病記を探しました。でも私と同じ30代半ばの人
2006年
2009年
が書いたものはとても少なく、心細かった。私の体験が少しで
もだれかの励みや参考になったらいいな。そう考え、
『サンキ
ュ! 』で闘病記録を発表させていただくことにしました。
私はシングルマザー。事情があって別れた元の夫とは音信不
通です。がんになったのは彼にウイルスをうつされたからかも
しれない。でも、息子と娘は彼との関係があったから、私のも
とに生まれてきてくれた。消したい過去と、なによりも大切な
子どもたちという存在が離れがたくセットであることに運命の
皮肉を感じています。過ぎたことを悔やむのではなく、今とこ
れからを生きるしかない。ひたすら前を向き、
がんに必ず勝つ。
スーパーポジティブで頑張ります。
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入院していたのは乳がんや子宮、
卵巣など婦人科系のがん患者の病
棟で、まるで女子寮。香織さんは
最年少の患者だった。そこで知り
合った「がん友」に勧められた、
お手ごろ価格
(3000円台)
のウィッグ
(かつら)をつけて撮影。
「けっこう
似合ってませんか?」と香織さん
2010年
2014年10月
11月
12月
12月末
2015年 2月
3月
8月
10月
11月
12月
2016年 3月
5月
9月
結婚、長男出産
(26歳)
長女出産時に子宮頸部に異形成があることを指摘され、
子宮頸がん検診を1年に1回受けるようになる
(29歳)
離婚
(30歳)
地元の婦人科で子宮頸がん検診を受け、がんの疑いを指摘される
(34歳)
大学病院でがんを告知される
えんすい
がんの状態の診断のために子宮頸部の円錐切除術を受ける
知り合いの医師のセカンドオピニオンを受け、がん専門の病院に転院する
腹腔鏡下広汎子宮全摘術を受け、子宮、卵巣、リンパ節の一部を取り除く
抗がん剤治療を開始
(6カ月間)
抗がん剤治療終了
検査の結果、骨盤内のリンパ節への転移を告知される
(35歳)
入院。抗がん剤治療と放射線治療を開始
(2カ月間)
抗がん剤治療と放射線治療終了
精密検査の結果、再発なし
スポーツジムに入会し、水泳と筋トレを始める
復職
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2016/09/13 13:58
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がんと一緒に生きていく。
元気がなくなることを自分に許そう。頑張ることをやめてみよう。
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再
「大丈夫。今はがんではそう簡単に死なないから」
。私が信頼
する主治医にかけていただいた言葉です。先生が大事なことを
おっしゃっている!とスマホに録音させてもらい、お守りの1
て、抗がん剤でやっつけたはずなのに……。
「私は死ぬかもしれ
2
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左は近くに住む母・順子
さん
(60歳)
。
結婚生活が
壊れたとき、がんがわか
ったとき、そして再発。
どんな試練を打ち明けて
も、笑って「大丈夫! 」
と言い切り支えてくれた
発しました。骨盤の中に、9㎜と4㎜のがん。それか
ら小さな点みたいながんが1つ。手術で全部取り去っ
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ないんだ」と、初めて、本気で、思いました。家で夜、寝室で
つにしています。今回の再発でわかったのは、がんは甘くない
私の左右に寝ている息子と娘の寝顔を見ているうち涙が止まら
ということ。手術や抗がん剤治療で取り去っても再発する場合
なくなり、いつの間にか空が明るくなっている。再発の宣告を
もある。だけど今は、治す方法がある。だから私も簡単には死
受けてから、そんな日が続きました。そして、自分のお葬式の
なないし、死ねない。これからの人生は、ずっとがんと一緒な
夢をみました。今は再び入院生活。二度目の抗がん剤治療と、
んだ。それを少しずつ理解し、覚悟しつつあります。
初めての放射線治療を受けています。
入院生活の楽しみは、病棟の窓から外を眺めること。夜、西
生まれて初めて感じる、すさまじい恐怖と悲しみ。気を抜い
側の窓からは、ライトアップされた東京タワーが見えます。治
たらすぐに涙があふれてきます。もう、元気になれない。
「大丈
療が終わり、経過がよければ12月23日に退院。家族と一緒に
夫! 」なんて言えない。
「心が折れる」ってこういうことを指す
クリスマスを過ごすのが、今の私の最大の夢です。
「生きる」と
んだ……と、初めて知りました。
いうことについて人生でいちばん考えた、35歳のクリスマス・
治療中ドクターや看護師さんと話していても、すぐ涙が。笑
シーズン。このクリスマスは、たぶん一生忘れません。
顔になろうという気も起きません。私のようなケースは少なく
ないようで、
病院内でがん治療中の患者の心身のケアをする「緩
和ケアチーム」のスタッフのかたのカウンセリングを受けまし
2016年9月
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た。そこで言われたのが「頑張らない」こと。心と体が元気じ
ゃないときには無理をしない。落ち込んでいるときにはとこと
再発なし
ん落ち込み、だるいときには堂々と怠ける。樫や桜の巨木のよ
うに太く揺るがない心は、今は要らない。理想は柳の枝のよう
にしなやかな心。心も体も力を抜き、状況に心身をただゆだね
がんと生きる人生は、始まったばかり。まだ35歳。これからだ。
無
限に続く関門を1つずつ越える日々。がんは再発して
や掃除もしっかりできます。退院後、家でごはんを食べながら
いません。再発のリスクが高いのは発病から3年。今
おしゃべりをしていたとき、息子がぼそっと「俺がかあちゃん
はまだ「保護観察処分」のようで気は抜けませんが、心は久し
とみーちゃん
(妹)
を守るから」と。まだまだ子どもっぽくて忘
ぶりにおだやかです。がんを宣告されて以降、初めての平常心
れ物ばかりしていて、私に怒られっ放しの息子。でもうちでた
かもしれません。産毛のような髪が少しずつ生え、ウィッグを
だ1人の男でもある息子。そのときの表情は子どもではなく
はずして外出できるようになり、1年半ぶりにヘアサロンに行
「男」だったのにハッとしました。私ががんと闘っている間、
って髪をカットしたのが今年の5月。職場にも復帰。普通の暮
息子も、そして娘も闘い、成長していたのです。
らしが戻りつつあります。
「マイナスからのスタートで今やっとゼロ」ですね。だけどこ
シングルで、子どももいるのにがんになるなんて……と何人
の人生は、前とは違う。なぜならいつも隣に「がん」がいるか
かの人に言われました。私に何かあったら子どもは?という不
ら。うれしくはないけど、がんと一緒に生きています。
安はもちろんありましたが、息子と娘がいるから乗り越えられ
生きていることのありがたさ。子どもたちや両親、友達や職
てきたとも言えます。この子たちを一人前にして、結婚式を見
場の人、それから病院で知り合った人たちとの出会いのありが
届けて、孫の顔を見るまで死ねない! まさかこんなことを自
気づいたことでした。がんになるまでは「もう◉歳だよ〜」
「年
私の闘病中、息子は空手の大会で入賞したり、九九を覚えた
取ったな〜」などと言っていましたが、今は違う心境。
「もう」
り。娘は自転車に乗れるようになりました。お風呂だって子ど
ではなく「まだ」35歳。再発の不安を飼い慣らしながら、長
も2人だけで入って、髪も洗って乾かせるし、食器の上げ下げ
い道のりをゆっくり歩いていこうと思います。
娘ががんになるとい う こ と 話/井ノ浦順子 (香織さんのおかあさん)
「代わってあげたい」と、何度思ったか。がんの宣告を香織1人で聞いたと知ったとき。痛く苦しい治療。胸に抱いているであろう
思い。自分の子が苦しんでいることを想像するのは、親には耐え難いものです。それは子どもが小さいときだけでなく、大人にな
っても同じ。赤ちゃんのときも、35歳でも、私の可愛い娘ですから。子宮や卵巣を取ったときや、髪や眉がなくなってしまったとき、
折れそうなほどやせてしまったことに気づいたときは、身をえぐられる思いでした。
「香織は女の子なのに」と、何度も思いました。
子どもは親をみとる。それが道理で、子どもが先にいくなどということはあってはならないし、考えません。香織には「なんと
かなる! 」としか言わないし、実際そう信じています。私にできることは、信じること、そして祈ること。一生分の祈りを、香織
のこの闘病に捧げています。香織は絶対に、大丈夫です。
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2015 年12月
1. 香織さんの心身の状態に敏感な長
女・美玲ちゃん
(6歳)
は小さいおかあ
さん のようにお 手 伝 いしてくれ る 2. 香織さんの入院中、
いつの間にか
自分のことを「ぼく」ではなく「俺」
というようになった長男・隼 斗くん
(小3)
と 3. がんになってからは、
身
体によい食事を心がけている。
この日
のメニューは野菜たっぷりの玄米カ
レー 4. 最初の手術のとき、隼斗く
んと美玲ちゃんから贈られたクリス
マスカード 5. ママ友からは写真の
コラージュが。
近所の人たちからもた
くさん力をもらった 6. 隼斗くんが
今年の七夕の短冊に託した将来の夢
み れい
はや
リンパ節に再発し、
抗がん剤治療と放射線治療中
と
たさ。私の人生は「ありがとう」で満ちている。それも闘病で
分が思うようになるなんて、と笑ってしまいますが。
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て。そんなアドバイスをいただきました。
『サンキュ ! 』公式サイト
くち
「口コミサンキュ ! 」で
女性のがん特集を公開中
香織さんほか、
現在がんと闘っている
「サンキュ! 」
公式ブロガーのブログま
とめを「口コミサンキュ! 」
にて期間
限定公開中。おうちで、病院のベッド
で、
抗がん剤の点滴中に……さまざま
な場面でつづられた、
彼女たちの思い
の記録です。
公開は10月31日
(月)
まで
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http://5050
39.ne.jp/
cancer
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1. 病院の展望スペースから見える倉庫と「ゆりかもめ」の走行路、奥は
東京湾。毎日この景色を眺めながら考え事をしている。ずっと住んでい
る東京なのに、すごく遠くに来ているような感覚がある 2. 治療内容や
体調を記録するシート。余白にはその日の出来事や気持ちを一行日記のよ
うに書き込む。治療が進むにつれ体にダメージが蓄積し体調が悪化する
帽子もパーカーもパンツもベ
ビーピンク。
「女子っぽくて気持
ちが上がりそう」と思っていた
けど、折れてしまった心にはピ
ンクの 心 理 的 効 果 も 及 ば ず。
笑っていても心はうつろだった
2016/09/13 13:58