日本人は「におい」に対する関心が薄いか?-自然の影響と人間の特有

日本人は「におい」に対する関心が薄いか?-自然の影響と人間の特有
理科一類
D.T.H(ベトナム)
要旨:
私たち人類は、自然界から誕生した。他の生物と同様に、周りの環境に適するように
進化し、長い年月をかけて特有の文化を育ててきた。ある場所の自然を知ることは、その
地域の文化理解の第一歩である。本論では、日本人のにおいに対する関心を日本の自然と
の関わりにおいて考える。
キーワード:におい、サクラ、香水、気候風土、香道
1.はじめに
日本に来てからもう二年間たった。春になると、大阪でも、東京でも、人々は花見に
行く。秋、人々は山に登って、紅葉の山を楽しむ。紅葉は葉のことであるが日本人にとっ
て花の一種のように考えられる。日本人は自然が好きだと私は感じている。私も桜は三回、
紅葉は二回見に行った。東京では、上野公園そして新宿御苑などは桜の名所である。紅葉
を見に行った所の中で、京都の清水寺は一番印象が残っている。しかし、花見の時、ある
いは紅葉を見に行く時、私は何か「足りないこと」があると感じている。今年の三月、私
は初めて梅の花を見に行った。そして、その「足りないこと」に気がついた。それは「花
の香り」である。私の国では、花という言葉は美しさとともに、いい香りも意味している。
それに、食品に使う植物の種類が多いので、区別する時、目で見るより鼻でにおいを嗅ぐ
方が簡単である。日本人はにおいの関心が薄いと感じている。
2.桜か、梅か歴史の疑問
サクラは中国やヒマラヤ地方にも同じ種類のサクラサクラ属があり、日本だけに自生
しているものではないが、日本ではこのサクラ属がもっとも多く自生する。また花も美し
いので、日本の代表的な花になった。「サクラという語が日本の文献に見える最初は『古事
こ の は な の さ く や ひ め
記』で、アマツヒコヒコホノニニギノミコトの大后の名が、「木花之佐久夜姫」(富士山の
このはな
浅間神社の祭神とある)の木花 はサクラを意味するものであるというのが古来国学者の説
である。」 ① つまり、単に花というものも古くはこのサクラを指している。このようなこと
松田修.『花の文化』.東書選書.1977 年.140 ページ
①
1
から、古来の日本人にとってサクラは特別な花であった。
奈良時代ごろ、中国から日本に渡来してきたウメという花はだんだん日本全国に広が
っていった。ウメは中国ではもっとも古い果樹の一つである。ウメの花も中国文学に主要
な位置を占めているものであるし、果実はまた中国では食用と薬用面で重要なものであっ
た。奈良時代と同じ時代の中国でも、ウメの観賞のもっとも盛んな時代であった。その影
響で日本でもこの時代には、花といえばウメを指すと言われた。その証拠は『万葉集』に
あった。『万葉集』とは、7 世紀後半から8 世紀後半頃にかけて編まれた、日本に現存する
最古の歌集である(成立 759 年)。
『万葉集』の中には、ウメの歌数は 118 に対してサクラ
は 42 であった。「花の愛好はその歌数だけ判定できないが、ある程度万葉人の花の愛好度
を示す」 ① と言われている。
「花」といってサクラの花を指すようになったのは、おそらく平安時代初期のころか
らであろう。
「「左近の桜」、は「右近の橘」と並び称せられるが、もともとは梅の木であっ
たと『古事談』
(1212-1215 年成立)に見える。」② 。ウメはサクラよりいい香りをしている
のにこの時代、日本ではウメからサクラへの主役交代が行われたのは、日本人の花の香り
に対する関心と関係がないか疑問を持っている。
3.日本人のにおい識別能力
Dotyら ③ は、ブラックアメリカン(438 名)、ホワイトアメリカン 1559 名コーリアンア
メリカン 106 名並び日本人 308 名についてUPSIT(The University of Pennsylvania Smell
Identification Test)と呼ばれるにおいの識別テストを用いて調査を行った。実験参加者が
別々のにおいを識別できるかどうかのテストである。
表 1.におい識別テストの結果
男性
女性
合計
生 得 標 準 補正値
生 得 標 準 補正値
生 得 標準点
補 正
点
点
点
点
点
値
日本人
31.8
3.52
29.5
33.5
3.18
31.8
32.9
3.41
31.0
ブラックアメリカン
33.6
5.53
32.4
34.7
5.61
34.0
34.1
5.59
32.2
ホワイトアメリカン
33.2
5.53
33.6
34.9
6.32
35.8
34.2
6.85
34.9
コーリアンアメリカン
37.2
2.14
36.6
38.6
1.21
38.0
37.9
1.86
37.3
表1はその調査の結果である。補正値の結果を見れば分かるように、日本人の識別能力
がもっとも劣っていたという。例えば、不正解の多い項目を見ると、
「サクランボ」不正解
松田修.『花の文化』.東書選書.1977 年、13 ページ
牧野和春.『桜の精神史』
.中公叢書.2002 年.24 ページ
③佐藤方彦.
『日本人の事典』.朝倉書店.2003 年.579 ページ
①
②
2
率はほかのグループが 8-11%であるのに対し日本人のグループは 66%、
「キュウリのディ
ルの酢付け」18-25%に対して日本人は 33%であった。その実験から、日本人は嗅覚が弱
いという結論には納得できない人々が多いかもしれないが、日本人は他の民族とくらべて、
なじみの薄いにおいが多いのは事実である。日本人はにおいに対する関心が薄いか、そし
て、現代日本人だけなのか、あるいは、昔からそうであったのか、また、もしそうならそ
の理由はなんだろうか。以下で、考察する。
4.言語から分かること
英語の「smell」は日本語の「匂」の漢字に対応している。「「匂」という字は日本で作ら
いん
れた字で、元字は中国の文字「匀」からつくられた。
「匀」は「韵」を省略した文字で、
「韵」
の意味は「響、趣、風雅、映える」などである」 ① 。つまり、「におい」のもともとの意味
は嗅覚に使う言葉ではなく、聴覚や視覚の言葉である。辞書の中に「朝日に匂う山桜」と
いう例がある。それは色の美しい趣を表現したもので桜の花の芳香を意味するものではな
い。現在の日本語には嗅覚の言葉として「香る、匂う、臭い」などの言葉がある。和英辞
典には、「aroma, flavor, perfume, smell, fragrance, odor, scent」など沢山の言葉が出て、
それが使い分けられる。ベトナム語でも、「mùi, thơm, hương, thối, thúi」などの基本的な嗅
覚の言葉がある。「mùi」の意味は英語の「smell」と同じ意味である。「thơm, hương」の意
味のもともとは花の香り、つまりいいにおいの意味である。「thối, thúi」はいやなにおいの
意味である。しかし、ベトナム語では、そのような基本的な言葉は他の意味のない加重音
節などと結合して新しい言葉ができる。「thơm」を例として考えると、
「thơm」+「ngào ngạt 」→「 thơm ngào ngạt」:強くて、よく広がるにおい
「 thơm 」 + 「 (phưng) phức 」→「 thơm (phưng) phức」食べ物のいいにおい
「 thơm 」 + 「 nồng (nàn) 」→「 thơm nồng (nàn)」
:強くていいにおい
「 thơm 」 + 「 tho 」→「 thơm tho」:清潔で、いいにおい
「 thơm 」 + 「 ngát 」→「 thơm ngát」:四方に広がるいいにおい
「 thơm 」 + 「 nức 」→「 thơm nức」:とてもいいにおい
などのような言葉ができる。日本語には、普段の会話では、いいにおいの時:「いいにおい
をしているね!」、よくないにおいのとき:「くさい!」といわれ、言葉が少ないと思う。
語彙の面から考えると、昔から日本人のにおいに対する関心があまりないことの一つの証
拠であろう。
5.日本人と香水
日本は世界の化粧品売上げの 15%を占める大市場である。資生堂、カネボウ、コーセー、
アルビオン、花王など、日本だけでなく世界でも有名なブランドである。しかし、香水類
①
荘司菊雄.『においのはなし』.技報堂出版.2001 年.7 ページ
3
だけは極端に小さな市場である。表2は日本、米国、フランスの化粧品市場の調査である ① 。
表 2.日本、米国、フランスにおける化粧品市場
日本
米国
フランス
出荷格 1995 年
総売上高 1995 年
国内市場規模 1995 年
全体
1 兆 4.284 億円
2 兆 2898 億円
6600 億円
年間平均化
一人:11427 円
一人:8702 円
一人:11352 円
皮膚用
36.5%
20%
23.5%
製品
頭髪用
36.3%
22%
25%
目別
仕上用
22.6%
18%
11.5%
シエア
香水
1.3%
14%
21.0%
その他
3.3%
26%
19.0%
粧品の金閣
表 2 を見れば分かるように、年間平均化粧品の金額はほぼ同じであるが、フランスで
は香水は化粧品全体売り上げの 21.0%、米国では 14%に対して日本ではわずか 1.3%(185
億円ぐらい)しかない。日本国内では香水の輸入は 1995 年 9673 万ドル(105 億円ぐらい)
であった。つまり、ほとんどの香水は外国から輸入してきた。なぜ香水が日本で売れない
かというと、色々な議論がある。例えば「満員電車で香は不快」とか「日本人は風呂に入
るから香水はいらない」と言った色々な意見もあるが、私は日本人の腋臭体質が低いから
だと思う。
表 3.黒人,白人,日本人,中国人の腋臭体質率 ②
表3は黒人、白人、日本人、中国人の腋
臭体質率を示す。日本人は黒人や白人と比較
すると腋臭体質が少ないので香料を用いて体
質を抑え込む必要はないだろう。このような
黒人
腋 臭 体 100%
白人
日本人
中国人
80%
10%
2-3%
質率
ことから、太古の日本人は香りに関心が薄かったのだろう。腋臭体質率が低いのは日本の
環境と関係もあるだろう。しかし、同じ東洋の中国人や他のアジア人も腋臭が少ないが香
料の売上げは化粧品全体の 10%ぐらいであった ③ 。そのため、腋臭の他に、理由もあると思
う。
6.自然の影響-なぜ桜は香りがないか
にほんぼうえきしんこうかい
日本貿易振興会(JETRO)の調査の結果http://www.jetro.go.jp/jpn/reports/05000668
② http://www.wakiga.jp/OandS.html
③ http://www.keio-j.com/interview/42menter.html
①
4
サクラ (桜、櫻、学名: Prunus) は、バラ科サクラ属の植物のうち、ウメ、モモ、ア
ンズなどを除いた総称であり、一般にはサクラ亜属に属するものを指す。一般のバラ科の
植物の花は芳香がある。サクラ属でも、ウメ、アンズやモモの花には香りがあるがサクラ
は香りがほとんどない。サクラだけでなく、芳香が薄いのは日本の植物の特徴だろう。梅
は奈良時代、菊は平安時代、沈丁花や金木犀は江戸時代に中国から渡来していた。日本原
産の木で芳香を発するものは梔子、辛夷、藤、朴などあまり多くない。芳香のない理由は、
日本の気候風土の影響だと考えられる。以下サクラを例として考えたい。
花が種子を残すためには昆虫を誘引して花粉を運んで来てもらわなければならない。そ
こで、少しでも多くの昆虫に集まってもらうために、花はより美しくなるように進化して
来た。つまり、花の香り、そして色の役割は昆虫を誘引することである。昆虫は送粉者と
も言われる。そのため、植物は大きく三つのグループに分けられる。つまり、A:花の色で
昆虫を誘引、B:花のにおいで昆虫を誘引、C:色とにおいの両方である。熱帯の森林では高
い植物が多くて、湿地の植物は光が余り届かないのでA型よりB型とC型の方が多い。それに
対して温帯の植物は主にA型とC型である。つまり、熱帯植物の特徴はにおいなのである。
昔の欧州の人々が香料を探しにインドや中国などに行ったのはそのためだろう。日本の植
物は温帯気候の植物の特徴を持っている。さらに、「日本では暴風や豪雨に見舞われるこ
とが多く、その上、高温多湿であるので花のにおいを濃縮することはできない。においを
出しても、すぐに風雨に吹き飛ばされる」 ① 。つまり、日本では主にA型の植物である。
また、サクラの一つの特徴に「自家不和合性」という性質がある。「自家不和合性」と
いうのは自分の花の花粉がかかっても実がならない性質である。そのため、種子から生ま
れたサクラは両親の形質の混じったものとなり、変異はますます著しいものになってゆく。
それに、「花粉化石の研究結果からいうと、日本ではおよそ 3000 万年前という太古の地質
時代からすでにサクラが咲いていた」② 。この長い年月をかけ、サクラは多様化し、日本の
気候風土に適合したサクラになってきた。さらに、江戸時代から美しい園芸品種がどんど
ん開発され、改良された、今日のサクラの種類は数百種にも至る。そのうち、芳香のある
サクラはわずか数種しかない。例えば、晩咲の香桜(里桜の一種)である。そのような自
然の中に育った日本人は、においより色に対して関心が高いと思われる。
7.歴史の理解‐香道はなぜなくなってきたのか
日本文化のなかで「芸の道」は、伝統を継承している伝統的な「芸事」である。茶道、
華道、書道などは最初中国などの影響を受けたが、日本人はだんだん色々な体験をするう
ちに、自分の独自の文化、「芸の道」に変えつつである。現在、このような「芸の道」の伝
統は、継承されている。しかし、香道の場合は特別である。
荘司菊雄.『においのはなし』.技報堂出版.2001 年.ページ
斎藤正二.『日本人とサクラ』.講談社.昭和 55 年.306 ページ
①
②
5
「香道とは、香りを楽しみ、日常を離れた集中と静寂の世界に遊ぶことを目的とした
た
芸道で、一定の作法のもとに香木を炷き、立ち上る香りを鑑賞するものである。香道は、香
木が推古天皇3 年(595 年)に淡路島に漂着してから、宗教的(主として仏教)に利用され
てきた香木を、炷き、香りを聞いて鑑賞するものとして利用するようになり、結果として
日本独自の芸道として発展した。」 ① しかし、現在では香道は限られた伝承となっている。
なぜ香道、元々は日本独自の芸道のひとつであるのに、ほとんどなくなってきたのだろう。
「権力者がそれを削り取ったという伝説もある」② という意見があるが、私は日本人のにお
いに対する関心に答えがあると思う。
仏教の伝来とともに、香木は日本に伝わり、仏教儀式には欠かせないものとして、香
木は発達した。8 世紀ごろ上流階級の貴族の間で自分の部屋や衣服などに香を炊き込める
「空薫物」の風習が生まれた。14 世紀に興味の焦点が文学にも移ってきた。15 世紀の終わ
り頃になると、香木で香合といわれた薫物合(たきものあわせ)が行われていた。香合は
主にとして公家や大名や隠士たちを中心として、一般文人の間に進展していった。つまり、
「香合は文人たちの支援を得て、かつてない広範囲の人々に受けいれられた」 ③ 。17-18
世紀、香道は普及していたが 19 世紀、20 世紀になると香道はだんだん日本人の生活から消
えていった。このように、香道は昔から文人たちを維持し、発展し、日本の一つの「芸の
道」になった。しかし、上の議論から日本人はにおいに対する興味は薄いので、香道は一
般の日本人に対してあまりあわない「芸の道」であろう。つまり、17-18 世紀、香道が普
及したのはただ一時的な風潮であった。時間がたつとともに香道は「あわないファッショ
ン」のように消滅していったのである。
8.結論
このように、日本の植物は長い間、日本の気候風土に適合するように進化してきた。そ
の結果、日本特有の植物になってきた。サクラはその一つの種類である。その自然の中に
育った日本人自分の習慣や文化ができてきた。日本人のにおいの関心が薄いのはその長い
年月の自然の影響があるからに違いない。日本人のにおいに対する関心の低さをテーマに
考察してきたが、国や地域の習慣や文化の特徴を理解するためには、自然の影響を理解す
る必要があるということを強調したい。
参考文献:
1.相川圭之.体の匂い研究会. http://www.wakiga.jp/OandS.html.2006 年 7 月 1 日
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E9%81%93
佐藤方彦.『日本人の事典』.朝倉書店.2003 年.666 ページ
③ 三条西公正著.
『香道歴史と文学』.淡交社刊.昭和 59 年.37 ページ
①
②
6
2.慶應ジャーナル編集部.2003 年 5 月 12 日.慶應ジャーナル
http://www.keio-j.com/interview/42menter.html.2006 年 6 月 20 日
3.牧野和春.『桜の精神史』.中公叢書.2002 年
4.松田修.『花の文化』
.東書選書.1977 年
にほんぼうえきしんこうかい
5.日本貿易振興会(JETRO).対日アクセス実態調査報告書:化粧品.
http://www.jetro.go.jp/jpn/reports/050006682006 年 6 月 25日
6.斎藤正二.『日本人とサクラ』.講談社.昭和 55 年
7.佐藤方彦.『日本人の事典』.朝倉書店.2003 年
8.三条西公正著.『香道歴史と文学』
.淡交社刊.昭和 59 年
9.荘司菊雄.『においのはなし』.技報堂出版.2001 年
10.Wikipeda フリー百科辞典.香道
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E9%81%93.2006 年 6 月 25 日
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