第7号(平成26年度) - 皇學館大学教育学部のホームページ

体育授業でのいじめ発生要素を考える
叶
Ⅰ
俊
文
問題の所在
平成26年10月に文部科学省が発表した2013年度の問題行動調査において,学
校が把握したいじめの件数は18万 5 千件で,前年度よりも12000件減少したこ
とを示した.平成25年 9 月にいじめ防止対策推進法が施行されたことによる効
果の表れという見方がある一方で,学校に報告のあった自殺者が増加した点か
らいじめへの早期発見の努力が薄れているのではないかとの見方もある.学校
ではアンケートの実施や個別面談の実施,個人ノート等で実態把握に努めてい
るが,パソコンや携帯電話を使ったいじめも増加していることから,把握の難
しさも認められている.こうしたいじめは不安などによる情緒的混乱,友人関
係の問題につながり,不登校や自殺にもつながっていくことが考えられる.
いじめの概念は1970年代から80年にかけて発生し,この時期からいじめっ子,
いじめられっ子という表現があったことを中野(2012)は指摘している.いじ
めっ子といじめられっ子の関係を当時の子どもたちは,目の当たりで見ること
ができたことから,その関係を止めさせようとする子どもたちが存在したこと
も事実である.ターゲットにされた子どもを何とかしなければという思いを
もった子どもたちが存在したことになる.しかし,現在のいじめは見えないと
ころで進行することもあり,表面化しないところに解決の難しさが潜んでいる
ようにも思われる.
ターゲットにされる子どもには何かが上手く出来ない,何か特徴的なところ
があるなどのことが,他の子どもたちに認知されているという背景があるよう
―1―
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第7号
に思われる.藤井(2010)はいじめ概念の基本要件として「被害の発生」
「加害
者の優位性と被害者の劣位性」「被害者の苦痛」「同一集団内での発生」「反復
継続性」の 5 つを指摘しながらも,適合しない事例もみられるようになってい
ることを示している.「加害者の優位性と被害者の劣位性」や「同一集団内の
発生」という点では,そのきっかけを体育がもたらすこともあり得る.子ども
たちにとって,他の教科と異なって体育は特殊な空間になっていると思われる.
学校での体育の授業は,クラス全員で一斉に進められる.その場所が体育館で
あれ,グラウンドであれ,一斉に行われることでクラスの成員全員が相互に運
動しているところを見ることができる空間になる.相互に運動しているところ
を見ることができることは,誰が「逆上がり」ができているのか,誰ができな
いのかを成員全員が認識できることになってしまう.当事者からみれば,自分
が「逆上がり」ができないことをみんなに知られることになるという状況を生
み出す.子どもによっては屈辱的な場面に遭遇することにもなろう.波多野ら
(1981)は運動能力の低位に対する劣等感が運動嫌いの引き金になることを指摘
しているが,授業時間のクラス内ではできる者の優位性とできない者の劣位性
を生起させる空間になることも考えられる.これは運動が「できる」
,
「できな
い」による差別化が起こりやすい環境であることを物語っている.この差別化
がいじめへのきっかけになることも大いに考えられるであろう.そのために体
育授業において,どのような嫌な体験を受けたことがあるのか,あるいは嫌な
思いをさせてしまったことがあるのかを考えることは,いじめに繋がるような
事象を表面化させるために重要になると考える.
そこで,小学校,中学校の体育授業において,子どもたちがどのような嫌悪
体験をもっているのかを調査し,どのような行動が発生しているのか,どのよ
うな種目で発生しているのかを明らかにする.体育授業を介していじめを発生
させるような対人関係の危機を回避する方法を検討するための知見を得ること
を本研究の目的とした.
―2―
体育授業でのいじめ発生要素を考える
Ⅱ
方
法
1.調査対象者
大学生を本研究の対象とした.研究者がこれまでに担当した講義を受講して
きた学生を調査対象者とした.これは蓄積的なデータになるために,同一学年
ということではなく,数年にわたる異世代の対象者になる.大学生の総計は
262名である.
2.調査内容
小学校と中学校の頃を振り返ってもらい,
「体育の授業あるいは授業によっ
て,悪口を言われたり,無視されたり,嫌な思いをした経験」について自由に
記述してもらった.この嫌悪体験について,自分が受けた体験,相手にしてし
まった体験,そのような場面を見た体験に分けて記述するようにお願いした.
これは学生によって,受けた体験もあるであろうが,自分が相手に対して与え
てしまったという体験のある者も存在すると考えている.また,自分には降り
掛からなかったものの,場面を見ているという者も存在すると想定して,記述
するように伝えている.
この 3 種類の場面の中で自分がどの体験をしてきたのかをできるだけ具体的
に記述してもらうようにお願いした.その時の種目や状況などを含めてもらう
ように伝えている.
3.調査手続き
講義内で記述用紙を配布して,研究者が口頭で内容についての説明を行った.
自身が受けた体験,与えてしまった体験,見た体験を記述することを伝えた.
また,そのような体験がない人は記述する必要がないことを説明した.記述後
に研究者が回収を行った.
―3―
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Ⅲ
結
第7号
果
小学校の時の状況を記述してくれたのは148名であり,146の有効ケースが示
された.中学校の時の状況を記述してくれたのは145名であり,160の有効ケー
スを得ることができた.どちらにおいても,半数以上の学生が具体的な内容を
記述してくれたことになる.記述内容についても,嫌な思いを体験した学生,
嫌な思いをさせてしまった学生,状況を見ていた学生がみられたことから,記
述してくれた学生は体験を素直に記述してくれたのではないかと思われる.
分析にあたって,記述内容から嫌な思いを被った内容については被験群,嫌
な思いを授けた内容を授与群,そのような状況を見たという内容を傍観群とし
て群ごとに記述内容の分類を行った.また,記述内容は嫌悪体験の原因,嫌悪
体験の内容,そして授業内容によって分類した.
1.嫌悪体験の原因
記述内容について,次のような内容に分類した.これは被験群,授与群,傍
観群に共通した分類になる.ひとつは運動能力の低い者に対する状況というこ
とになる.運動が下手であったり,上手く運動ができない自分や生徒に対して
示された内容になることから「低運動能力」とした.上手くできないのでバス
ケットボールでパスが回ってこない,下手なのでのけものにされるなどの記述
がみられる.次に,個人を狙ったようにみられる行動が記述されているものを
分類した.これは運動の上手下手に関わらず,ターゲットにされているような
記述内容になることから「個人的状況」とした.ここでは個人的に狙われてい
るケースが多くなっている.もう一つ運動の上手下手に関わらず起こっている
現象として,運動中にミスした者に対する行動が記述されている.ミスしたこ
とを笑われたり,ミスを追求されるという記述が含まれることから「ミス行動」
として分類した.また,運動能力が高い故に嫌な経験をするという記述も認め
られた.ドリブルシュートを決めたことで無視されたなどという内容を含むこ
とから「高運動能力」とした.そして,勝ちにこだわることによって生じる状
況の記述が認められた.勝ちたいと思う意識が強すぎて上手な生徒たちでパス
―4―
体育授業でのいじめ発生要素を考える
をつないだりするなどの記述が含まれることから「仲間意識」とした.このよ
うに記述内容の嫌悪体験の原因について,「低運動能力」「個人的状況」「ミス
行動」「高運動能力」
「仲間意識」に分類し,これらに当てはまらない少数記述
を「その他」として分類して整理した.
図 1 には小学校での嫌悪体験の原因についてまとめたものを示している.嫌
悪体験を被ったという被験群では,自分の低運動能力に対して嫌悪体験が発生
している.この低運動能力によって個人的状況でのターゲットにされているこ
とも考えられる.嫌悪体験を授けてしまった授与群でも同じように考えられ
る.低運動能力の相手に対して,あるいは誰かをターゲットにして嫌な思いを
させていることになる.授与群ではミス行動に対する対応も多くなっている.
授与群は比較的運動能力が高い者が含まれていることが想定できるため,ミス
をした者に対して何らかの対応をしてしまうのかもしれない.被験群では高運
動能力が故に嫌悪体験を被ることも認められる.また,傍観群では仲間内だけ
で運動を進めている姿が印象に残っているようだ.
図 2 は中学校での嫌悪体験の原因についてまとめたものを示している.嫌悪
体験を被った被験群では自己の低運動能力に対する体験や個人的にターゲット
になる経験が多い.嫌悪体験を授けてしまった授与群では低運動能力の生徒に
対しての対応が多くなり,個人的状況への対応は減少している.各群で小学校
よりも多くなるのはミス行動への対応になっている.被る方も,授ける方も,
観ていてもミスをきっかけにして嫌悪体験が発生することがみうけられる.そ
して,観ている側では,仲間内だけで活動して周囲に嫌な思いをさせている場
―5―
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面が気になっているようである.
嫌悪体験の原因は小学校でも中学校でも児童や生徒の運動能力の低い児童や
生徒,個人的状況で嫌悪体験が発生する状況が多い.特に,個人的状況では,
「みんなに嫌われている子」
「体が大きい子」
「太っている子」
「おっとりした子」
などの記述表現が多く,既に特定化されている傾向があるように思われる.こ
れは小学校での記述に多く認められた.また,中学校ではミスに対する意識が
高くなり,仲間内で進めていく傾向になっているように思われる.
2.嫌悪行動の内容
嫌悪体験の原因に伴って,どのような行動が取られたのかを分類した.記述
内容においてパスを回してもらえなかった,打席が回ってこなかったなどの内
容を「のけもの行動」とした.次ぎに,からかわれたり,気になることや嫌な
ことを言われたなどの記述内容を「悪口・野次」として分類した.笑われたり,
笑ったりしたという記述内容については「嘲笑」として分類した.運動によっ
て責められたり,へたくそなどと言われたという記述内容は「暴言」とした.
いたぶられたり,いじられたり,狙われたという行動の記述内容については「狙
い行動」とした.これらに含まれない内容で,チーム分けやみんなの前で行う
ことへの苦痛などを記述したものを「その他」とし,少数内容の記述をまとめた.
図 3 は小学校での嫌悪行動の内容を示したものである.全体的にはのけもの
行動,悪口・野次,狙い行動が多くなっている.被験群ではのけもの行動をと
られたり,悪口・野次を言われたり,嘲笑されるということが多くなっている.
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体育授業でのいじめ発生要素を考える
授与群ではのけもの行動をしたり,悪口・野次を浴びせることもあるが,狙い
行動をすることが多くなっている.これは授与群に運動能力の高い人たちが多
いことの現れのようにも思われる.そして,傍観群ではのけもの行動と狙い行
動を観たことが多くなっている.小学校全体ではのけものにしてしまう行動や
ターゲットを集中的に狙ってしまうという行動がとられることが明らかであ
る.悪口・野次も多い内容であるが,中には暴言を吐かれることもあることか
ら注意も必要になるであろう.また,その他の中には教員側の対応も含まれて
いる.鉄棒で残されたり,チーム分けが偏っていることなども記述され,対児
童だけの状況だけではないことも認められる.
図 4 は中学校での嫌悪行動の内容を示したものである.小学校と大きく変化
するところは狙い行動が大きく減少し,のけもの行動,悪口・野次,嘲笑が多
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くなることであろう.被験群ではのけもの行動,悪口・野次が多く,嘲笑や暴
言を吐かれる体験もみられる.授与群ではのけもの行動,悪口・野次が多くなっ
ている.次に狙い行動となっているが,小学校に比べると大きく減少すること
になる.授与群は直ぐにのけものにしたり,悪口・野次を飛ばし,ターゲット
を決めていることにもなるように思われる.傍観群ではのけもの行動をしてい
る姿を多く観ていることになる.悪口・野次や狙い行動もあるが狙い行動の割
合は小学校よりも下がっている.
このように嫌悪行動の内容において,小学校と中学校ともにのけもの行動と
悪口・野次を飛ばしたり,飛ばされたりすることが認められる.そして,狙い
行動が小学校に多く発生していることが特徴になろう.特に,授与群が狙い行
動を取ってしまう傾向が強いようである.傍観する側でものけもの行動と狙い
行動を観ていることになる.
3.種目と嫌悪行動の関係
このような嫌悪行動はどのような授業内容のときに発生しているのであろう
か.記述内容を読んでいくと次のような種目が示されている.ひとつは「球
技・チーム」というものになる.次に,マット,跳び箱,鉄棒という「器械運
動」についての記述である.次に走ることを中心とした「競走」
,そしてプー
ルがあることから「水泳」という記述が認められた.他の種目に対する記述は
少なく,あるいは種目に触れることなく記述を進めている内容も多かったこと
から,この 4 種目と嫌悪行動の関係について明らかにしていく.
図 5 は小学校での運動種目と嫌悪行動について示したものである.球技・
チームでののけもの行動と狙い行動が圧倒的に多いことが認められる.小学校
の段階では球技に対するスキルの違いが大きくなる.この時期,子どもたちは
スポーツ少年団の野球やサッカーに所属することが多くなり,所属しない子ど
もは運動から遠ざかっていくという二極化現象の始まる時期でもある.そのた
めに球技やボールゲームができない子どもたちはのけものになり,できる子ど
もたちはのけものにする側に回るという構造になるのかもしれない.また,狙
い行動が多くなる背景にはドッジボールの存在が大きく関わっている.狙い行
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体育授業でのいじめ発生要素を考える
動の内容では「ドッジボールで狙われた」,
「ドッジボールで狙った」という内
容が多くなっている.ドッジボールは相手チームの誰かをボールで狙うという
種目であることから,ターゲットを設定しやすい種目になっていると考える.
器械運動では悪口・野次,嘲笑が発生している.器械運動はできる,できない
が明確になるために,できない子どもを野次ったり,笑ったりすることが多く
なるのであろう.また,水泳での悪口・野次がある.この内容は体型について
の記述がほとんどであった.本来なら隠していたい体型があからさまになるこ
とで,何かを言ったり,言われたりするという状況が発生しやすくなるのであ
ろう.この点については,注意すべきことのように考える.
図 6 は中学校での運動種目と嫌悪行動について示したものである.種目の記
述が明確でない内容が多かったことから,小学校と同じように 4 種目について
の嫌悪行動を明らかにしていく.中学校でも嫌悪行動の発生する種目は球技・
チームが一番となった.その中で,のけもの行動が多く発生していることにな
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る.ただ,小学校と相違がみられるのは狙い行動の減少と悪口・野次の増加と
いうことになる.中学校では小学校で行っていたドッジボールが影を潜めてい
く.つまり,中学校ではドッジボールを実施しなくなることに比例して狙い行
動も減少することになったと考える.器械運動での嫌悪行動も減少する.中学
校では実施する運動レベルも上がるために全体的に器械運動のできない内容が
多くなることが考えられる.自分ができないのに人を非難することはできない
という心理も働いているかもしれない.競走ではマラソンや持久走での嫌悪行
動が認められる.これも小学校ではみられなかった内容になる.中学校に上が
ることによって体験する種目による違いや運動レベルが異なってくることが影
響するのであろう.水泳の授業も中学校に上がることで減少することになる
が,ここでの悪口・野次はやはり体格についての内容であった.
このように嫌悪行動の内容は体育の授業で取り上げられる種目に関連するこ
とが明らかとなった.小学校ではドッジボールを通して狙い行動が多くなり,
球技やチーム種目でののけもの行動も多くみられる.中学校になるとドッジ
ボールという種目が行われなくなることで,狙い行動は減少し,のけもの行動,
悪口・野次が多くなるということになる.器械運動でのできない者,競走での
遅い者への悪口・野次,嘲笑が小学校でも中学校でもみられている.また,水
泳では体型についての悪口・野次や嘲笑が起きることも,小学校と中学校に共
通してみられる現象である.
Ⅳ
考
察
1.体育授業でのいじめ発生要素
小学校と中学校での嫌悪体験について,その原因と内容から分析を試みた.
小学校期は運動をたくさん実施している子どもとあまり実施しない子どもの二
極化現象の始まりの時期である.運動の好きな子どもはスポーツ少年団などに
所属して,スキルを高めていくことができる.しかし,運動を実施しない子ど
もは体育の授業だけで運動を経験していくことになる.そのために体育の授業
はスキルの違いが明らかにさせる場にもなることを理解しなければならない.
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体育授業でのいじめ発生要素を考える
子どもたちは体育の授業を嫌いになっているわけではなく,多くの子どもたち
が体育の授業を好きな教科に挙げている(叶,2014).しかし,体育の授業が好
きではない少数の子どもたちがターゲットになることが考えられる.そのため
に運動能力の低い子どもたちが,球技やチームゲームでのけもの行動を受けた
り,特徴的な子どもが狙われるという現象を被ることになる.また,器械運動
はクラス全員の前で子どもたち個々の運動をさらけ出すことになる.すべての
子どもが自己の運動の出来,不出来を認識する場になるために,器械運動では
悪口・野次,嘲笑がみられることになろう.これは競走でも同じことが言える.
走ることが遅い子どもが子どもたちの前で明確になることは,ターゲットにな
りやすいことを示している.また,水泳の授業では自分の体型を他の子どもた
ちの前にさらけ出すことになることから笑われたり,野次られることが多くな
ると思われる.
中学校期になると,ドッジボールを行わなくなることから狙い行動は減少す
るが,運動能力の低い生徒へののけもの行動やターゲットにしてしまうところ
がみられる.中学校で嫌悪体験を授けてしまったという授与群において,低運
動能力の生徒に対する対応が多くなっていることからも理解できる.中学生に
なると,体育授業において自分よりも能力の低い生徒への風当たりを強くして
しまうことが窺える.
体育授業での種目を通して,注意しなければならない側面がいくつか明らか
になってくる.球技やチームでの種目にはさまざまな要素が浮かんでいる点に
なる.チーム分けの時やゲーム中でののけもの行動や狙い行動である.対象と
なるのは運動能力の低い児童・生徒であり,クラスで特徴的な児童・生徒とい
うことになる.そのために,どのようにクラス運営や授業運営をしていくのか
再検討することが必要になる.器械運動や競走などの個人競技では,児童・生
徒の運動能力の高低が明確になっていく.その差が野次や嘲笑として表面化し
やすくなると思われる.できない児童・生徒をどのようにサポートするのか,
グループ学習での援助の仕方などを考えさせる機会が必要になろう.また,水
泳の授業では子どもたちの体型について理解させることが重要になる.中学校
では水泳の授業自体が減少すると思われるが,小学校では水泳の授業は現在も
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第7号
盛んに実施されている.高学年になると体型を気にする子どもたちも多くなる
と考えるが,教師側の心配りが必要になるであろう.加えて,運動が上手だか
らゆえにターゲットになるということがあることも理解しておく必要があろ
う.
体育授業で取り上げられる種目によって,のけもの行動や狙い行動などが発
生する要素が含まれている.こうした行動がいじめに発展しないとも限らない
のである.悪口・野次,嘲笑などはいじめの類型からみれば,あそび型になる
と考えるが,それがエスカレートしないとも限らない.体育授業での子どもた
ちの言動に注意を払うことも教師の重要な視点になると考える.
2.体育授業場面に含まれている背景
いじめについては,さまざまなアプローチからの研究が進められている(藤
井,2010).その中にヴァルネラビリティ論的アプローチがある.これは被害
者側に焦点をあてたもので,被害者にいじめを生じさせるような特徴があるこ
とを示している.ヴァルネラビリティとは潜在的挑発性という概念で,相手の
明らかな負性,他者への優越性や優れた面の目立ちやすさから生じるとされて
いる.これは運動が上手である子どもは優れた面が,下手である子どもは相手
よりも負性が目立つことになり,そのような特徴をもった子どもが対象となる
ことを示している.この状況が体育授業という過度に競争的な心理状態をもた
らすことによって,いじめを許す状況が許容されるようになる.
運動場面では,上手くない子どもに対しては,明らかな負性を感じたり,優
越感を得ることができる.そのために運動能力の低い児童・生徒をターゲット
にすることで優越性が得られることが考えられる.その場面が球技などの勝ち
負けにこだわるような競争場面では,ボールを回さなかったり,ミスした児童・
生徒に暴言を吐くことが起こるのであろう.器械運動,競走でも同じような感
覚を運動のできる児童・生徒は感じているのかもしれない.水泳では身体的な
特徴のある児童・生徒に嘲笑が起きるのも相手の負性,自己の優越感を感じ,
目立っていることによってターゲットにされることになる.目立っているとい
う点では,運動が上手すぎる児童・生徒も周囲の者からターゲットになると考
― 12 ―
体育授業でのいじめ発生要素を考える
える.
ヴァネルラビリティ論的アプローチでは,いじめる側,いじめられる側に限
らず,子どもたちが置かれている状況によってそうした特徴が目立ってくるこ
とを指摘している.体育授業場面という状況は,上手くできない子どもたち,
身体的に特徴的な子どもたちを浮き彫りにさせてしまう場面を含んでいること
になる.もちろん,嫌悪体験を授ける児童・生徒の背景も要因として考える必
要はあるが,体育授業場面にこのような背景が潜んでいることは理解しておく
必要があるだろう.
もう一つの体育授業場面の捉え方として,社会的な行為を動員し,駆り立て
るという場面にもなることが考えられる.これはスメルサーの集合行動理論か
らの捉え方になる(スメルサー,1973)
.集合行動とは社会的行為を再規定する
信念が人々のエネルギーを動員して駆り立てていく行動とし,いじめは周囲の
人々のエネルギーがターゲットに向かって駆り立てていく状況と考えられる.
集合行動を決定する要素の一つに構造的誘発性を指摘し,集合行動の発生を許
容しやすい構造的条件があることを示している.体育授業場面はできる,でき
ないが成員に認識される環境になり,嫌悪行動を授ける側の子どもたちがドッ
ジボールで誰かをターゲットにしたり,運動能力の低い人を無視するような構
造的条件が整っているように考えられる.子ども同士の運動の優劣が明らかに
なるという条件が嫌悪体験を誘発させることにもつながるのかもしれない.
体育授業場面において,小学校教諭や体育教員はすべてに眼が行き届くとい
うわけではない.その場面の中に,子どもたちが嫌な思いをする場面が存在し,
集合行動が引き起こされるような要因が潜んでいることも忘れてはならないこ
とになる.
Ⅴ
ま と め
体育授業場面における嫌悪体験の記述を分析して,内容について検討してき
た.嫌悪体験の原因としては運動能力の低いこと,個人的な特徴,ミスに対し
て発生している.行動の内容ではのけもの行動,悪口・野次,嘲笑などがみら
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第7号
れた.また,嫌悪体験を引き起こす傾向の強い種目は,球技が圧倒的に多く,
次ぎに器械運動や競走などの優劣が明らかになる種目であった.本研究で,記
述された内容がいじめに直結してるのかどうかは分からない.しかし,いじめ
を発生させるような要素になることがあるのではないかと考える.
嫌悪体験が誘発される理由として,体育授業場面の特異性が考えられる.競
争的な心理状態やできる子どもの優位性,できない子どもの劣位性を顕著にす
る環境であり,ターゲットに対して集合行動が発生しやすい環境であることを
理解しなければならない.嫌悪体験を引き起こすような構造的誘発性を潜んで
いる人的,物的な環境になっていることが指摘できることから,指導する側の
注意を喚起する必要があろう.
また,体育授業を行っているクラスの雰囲気が嫌悪体験を助長することも考
えられる.教師を含めた雰囲気という点からも今後検討を進めていきたい.
参考文献
1)藤井恭子(2010) 現代日本におけるいじめ過程の解明 - いじめに苦しむ子
どもたちの救済をめざして - ,皇學館大学出版部
2)波多野義郎・中村精男(1981) 「運動ぎらい」の生成機序に関する事例研
究,体育学研究 26:177-187.
3)叶
俊文(2014) 子どもたちは運動することが嫌いになっているのだろう
か - 体育への好意の違いと動機づけからの検討 -,体育の科学 64-1:
53-60.
4)文部科学省(2014) 平成25年度「児童生徒の問題行動等指導上の諸問題に
関する調査」について
5)中野真也(2012)「いじめ」概念といじめ問題への対応における変遷 - この
30年で「いじめ」がどのように語られてきたか -,日本教育心理学会第54
回総会発表論文集,p161
6)スメルサーJ.N.著
会田・木原訳(1973)集合行動の理論,誠信書房
― 14 ―
障害のある子どもの教育・発達支援に携わる人々
に求められる「向き合う姿勢」についての一考察
― 「臨床」という言葉の意味に関する考察
から示唆されたこと ―
栗
原
輝
要
旨
雄
障害のある子の教育においても発達支援においても,最も大切な基盤となる
のは,教師や専門家,保護者などが子どもと深いところで(人と人としての関
係において)
「向き合う姿勢」つまり「臨床」的関係を構築するということで
あるととらえ,前回報告した「『臨床』という言葉の意味に関する一考察」
(本
研究報告集第 6 号,2014年発行,所収)から示唆されたさまざまな事柄や諸文
献・エピソード等についての考察をもとにこの「向き合う姿勢」の諸相につい
て検討した.「向き合う姿勢」の諸相としてとりわけ重要であると考えられた
もののいくつかは以下のようである.(しかし,これらは障害のある子どもの
場合に限らず,基本的にはすべての子どもの場合に当てはまることであると考
えられる.)
①
子どもは自分にかかわる人たちの「向き合う姿勢」を「心の奥深くでき
ちんと感じ分けている」
.自分のことを大切に受けとめて自分に向き
合ってくれていることを子ども自身が強く感じ取れるような「向き合う
姿勢」を大切にすることが大事である.
②
子どもは自分の心の状態に寄り添って接してくれていると感じられる人
には「家」の扉を開いて自分の「家」に招じ入れてくれるようになる.
そうでない場合には,「家」の扉を閉じて身を引いてしまう.教師や専
門家,保護者等が「教育」
「支援」という名のもとに,子どもを無理や
り自分の方に引き寄せようとする「向き合う姿勢」は,子どもとの関係
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第7号
を悪化させたり,子どもとの関係それ自体を成り立たなくしてしまう.
③
子どもが「家」の扉を開けてくれるまでにはそれ相応の時間が必要であ
る.このことを十分に念頭に置いて子どもと「向き合う姿勢」を見つめ
直すことが重要である.
こうしたことを踏まえて,子どもと「向き合う姿勢」の基本について,さら
に「臨床」という視点から検討を深めていくことが必要であると考えられた.
そのさい,「障害」に目を奪われすぎず,一人の人間としてそれぞれの子ども
を受けとめつつ,自身を子どもの立場に置いて「向き合う姿勢」ということに
ついて想像してみると見えてくるものがより多くなってくるのではないかと考
えられた.
1.問題および目的
発達障害のある子どもの最も近くにいて,そうした子どもたちの心の動きを
日々肌を通して感じ取っている「当事者家族」の一人の方は,障害のある人々
の支援に携わる「臨床心理専門職にわかってほしいこと」として次のように述
べている.本論文のテーマ ― 障害のある子どもの教育・発達支援に携わる人々
は,子どもと向き合うさい,どのような姿勢で臨んだらよいかということ ―
について考えていくにあたり,大変重要なことを示唆してくれていると思われ
るので,最初にその一部を引用させてもらうことにする.
「子どもたちは周りの大人が自分の味方かどうかを瞬時に判断している
と思う.事務的に会っているだけなのか,くつろいで自分の側にいてくれ
る人なのか,何も言わないけれど正しく判断している.
(中略)彼らの周
りの保護者や療育関係者が,彼らの側にいて彼らが発する癒しのオーラを
感じられたら,双方にとってどれだけ幸せなことだろう.」(1)(注1)
また,発達障害のある子どもとその保護者の支援に長年携わってきた一人の
医師は,障害のある子どもの教育・発達支援に携わる人々の子どもと「向き合
う姿勢」の重要な意義について次のように指摘している.
― 16 ―
障害のある子どもの教育・発達支援に携わる人々に求められる「向き合う姿勢」についての一考察
「幼かったころの一つひとつの出来事は忘れてしまう日が来るかもしれ
ないけれど,愛された記憶や満ちたりた時間の感触は胸に残ります.そん
な子ども時代はふりかえるたびに私たちを静かな力で満たしてくれま
す.」(2)
長年,障害のある子どもたちに向き合い,子どもたちに温かい心で接してき
た人たちの言葉であるだけに,どちらの人の言葉も人々の心に強く訴えるもの
がある.そして,こうした言葉の中に,障害のある子どもの教育・発達支援に
携わる人々が子どもと「向き合う」さいに求められる大切な「姿勢」の核心部
分がいくつも示されているように思われる.
しかし,考えてみれば,これは障害のある子どもの場合に限ったことではな
く,すべての子どもと「向き合う」場合にも同様に大切な「姿勢」であろうと
思われる.障害のあるなし以前に,どの子も同じひとりの人間であるわけであ
り(注2),人間であれば誰しもが,自分が優しいまなざしを向けられていると感
じることができたときに,「愛され」
「満ちたりた」思いに心を温められ,それ
らが,やわらかな,そして確かな「感触」となって心に残り続けていくものな
のであろうから.(3)(4)
こうした「感触」の重要性は筆者も自身の体験を通じて感じているところで
ある.幼少時に家族や周囲の大人たちが筆者に向けてくれたたくさんの笑みや
親しみを込めた言葉の数々.これらは,それから長年月を経た今も,その時の
表情や,音声,香り,周囲の音さえもそのまま残し,筆者の体全体を温かく包
んでくれている.自分が確かに愛されているという思いをふくらませ,自分の
家族そして周囲の大人たちの中の大切な一員として自分を位置づけることがで
きたことは,思い出すたびに温かく,心が大きく膨らんでくる.そうした体験
は,現在の筆者にとってはまさに「生きる力」(5)そのものでさえある.
上に紹介した二人の人の言葉(メッセージ)を子どもの側から改めて捉えな
おしてみたときに,大人たちに求められる子どもに「向き合う姿勢」はどのよ
うなものであることが求められているかがよく示されているように思われる.
― 17 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
そしてさらに言えば,この大人たちの子どもに「向き合う姿勢」いかんによっ
て,それぞれの子どもたちが自身を大切にして自らの人生を生き生きと生きて
いくことができるかどうかが大きく左右されるのではないかと考えられ
る.(6)(7)(8)(9)そして,学校教育において重要な理念とされている「『生きる力』
をはぐくむ」ということ(文部科学省『特別支援学校学習指導要領解説・総則
等編(幼稚部・小学部・中学部))(10)について考えていく上でも大きな示唆を
与えてくれると思われる.(11)
上記『解説』においては,
「他者,社会,自然・環境とかかわる中でこれら
とともに生きる自分への自信をもたせる必要がある」(12)と言われているが,こ
の「自分への自信」をはぐくむということこそ「生きる力」について考えてい
くさいの中核をなす大切な事柄になってくるように思われる.(13) この意味で
も,障害のある子(広くはすべての子ども)の教育・発達支援においては,こ
れにかかわる教師,専門家,保護者等の「向き合う姿勢」は非常に重要な意味
をもってくると考えられる.
以上のようなことから,本稿では特に障害のある子どもたち一人ひとりが
「生
きる力」をより確かなかたちではぐくみ,自らの人生をよりいっそう生き生き
と生きていくことができるようになるために ― パール・バックの言葉を借り
れば,「 function できるようになる」(14) と言い換えることができると思われ
る ― ,こうした子どもたちの教育・発達支援に携わる人々が,子どもたち一
人ひとり(子どもたち一人ひとりのニーズということにとどまらず,子どもた
ちの存在それ自体)にどのような姿勢で,どのように向き合っていくことを求
められているかについて,筆者のこれまでの体験や考察,先学の諸知見・諸論
考等をもとに省察を深めていくことにしたい.
2.心に残る一人の教師の言葉
筆者が特別支援教育の学びの道に入った,今から四十数年前のことである.
(当時は特別支援教育とはまだ言わず,特殊教育と言っていた.)「重症心身障
害児」と呼ばれていた子どもたち,「自閉症児」あるいは「知的障害児」と呼
ばれていた子どもたちが学ぶ養護学校(現在の特別支援学校)に勤務する一人
― 18 ―
障害のある子どもの教育・発達支援に携わる人々に求められる「向き合う姿勢」についての一考察
の教師から,ある時,次のような話を聞かせてもらった.当時まだ学生だった
筆者にとって,その話はきわめて新鮮で,障害のある子どもの教育・発達支援
にとって非常に大切な宝物が詰まっている労作を贈呈されたような思いだっ
た.この教師の話は,その後の筆者の教育・研究・臨床活動の大きな導きとなっ
て今も心に生きている.その教師の話とは以下のようなものである.(ここで
は,この教師の語ってくれた言葉の一つひとつを大切にしつつも,要約したか
たちで記させてもらってある.本論文への引用にあたってはご本人の許諾を得
ていること,また,文章についてはご本人の校閲をいただいていることをお断
りしておくとともに,ご好意に対し,深謝の意を表したい.)
「どんなに対人関係が苦手であったり,言語による表現能力が乏しかっ
たりする子どもであっても,自分のことを相手の人が真剣に,大切に思っ
て接してくれているかどうかは心の奥深くできちんと感じ分けていると思
います.自分のことを真剣に,大切に思って接してくれていると感じる人
に対しては,時間はかかっても,いつかは自分の方から近づいてきて,接
触を求めてきてくれるようになると思います.」
3.この教師の話から筆者が受け取ったメッセージ
この教師の話は教師と子どもとの間の関係形成の基盤にかかわる重要な事柄
― 特に教師が子どもに「向き合う姿勢」― について,数々の貴重なメッセー
ジを筆者に届けてくれた.主だったメッセージのいくつかを次に記してみたい.
①
そのうちの一つは,「対人接触が苦手」であったり,「言語による表現能
力が乏しかったりする子どもであっても」,自分にかかわる人が「自分
のことを(中略)真剣に,大切に思って接してくれている」人であるか
どうかは,子どもが「心の奥深くできちんと感じ分けている」というこ
とである.この教師はたまたま自分がかかわった「障害のある子」につ
いて語っているわけであるが,この「感じ分け」の能力の存在は「障害」
の有無を超えて,子どもであれば(というよりも人間であれば)誰しも
が共通して備えているものだと考えるべきであろう.であるからこそ,
― 19 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
教師は子どもと接するさい,一人ひとりの子どもの外形的な部分に目を
奪われることなく,「心の奥深く」で「自分のことを(中略)真剣に,
大切に思って」相手の人が接してくれているかどうかを鋭い感覚で見事
なくらいに「感じ分け」をする一人ひとりの子どもと向き合っているの
だと考えて,子どもと向き合う自らの姿勢を正さなければならないであ
ろう.
②
人は誰でも「自分のことを(中略)真剣に,大切に思って」ほしいと願っ
ているものだということも,この教師の言葉から受け取ったメッセージ
の一つである.この点については,筆者自身の体験からも十分に納得で
きることである.幼い子どもであったり,
「対人関係が苦手であったり,
言語による表現能力が乏しかったりする子ども」
の場合であったりして,
自分が望まぬ事態に直面したときの対処法をまだあまり持ち合わせてい
ない状況の中にあったりすれば,事は容易ではなく,
「自分のことを(中
略)真剣に,大切に思って」くれない相手の人を,自分の思う方向に変
えることは難しいであろう.次善の対応策として,防護のためのさまざ
まな衣服をまとい,自分の身を守りながら,そうした人からみずから遠
ざかる.そして,そうした人たちに対しては「家」の扉を閉じてしま
う.(15)(16)
③
教師が子どもとの信頼関係を築いていくのは決して容易なこととは言え
ない.(教師と子どもとの間に限らず,人と人との関係自体,信頼関係
を築くのは簡単ではないと言うべきであろうか.)とは言うものの,教師
はこれまでの多くの子どもたちとのかかわりの経験 ― かかわった子ど
もたちとは,どの子との場合でも最初は初めての出会いであったが ―
を通じ,子どもとの関係作りの実践・方策等を少なからず持ち合わせて
いる.しかし,子どもの側から見たとき,例えば担任教師の場合であっ
ても,出会いは多くの場合初めてであり,かかわりの深さもまちまちで
あろう.ところが,同じ初めての出会いであっても,その意味は教師の
場合と子どもの場合とでは同じとは言えない.ここが,教師と子どもと
の関係作り(とくにそのスタート地点)において留意を要するところで
― 20 ―
障害のある子どもの教育・発達支援に携わる人々に求められる「向き合う姿勢」についての一考察
あり,特に教師は配慮を求められるところである.とりわけ「対人関係
が苦手であったり,言語による表現能力が乏しかったりする子ども」の
場合,教師が「真剣に,大切に」子どものことを考えるあまり,性急に
子どもの世界に踏み込みすぎてしまうと,当の子どもはそれを受け入れ
るには「時間」が不足していて,戸惑いを感じてしまい,その戸惑いへ
の対処として,とりあえずは「家」の中に退いて,振る舞い方を考える
ということも起こってくるであろう.(17)どの子どもの場合においてもと
いうわけではないであろうが,子どもによっては,教師に対して,「自
分のことを真剣に,大切に思って接してくれていると感じる」ことがで
きるようになるためには「時間」が大きな役割を果たすということを,
子どもと「向き合う姿勢」として教師は心に留めておくことが大切になっ
てくるということであろうか.(しかし,こうした姿勢は上記のような
子どもの場合に限らず,どの子にかかわる場合にも基本的には言えるこ
とだと思われる.)(注3)
④
子どもは大人(教師)心の動きを,自分に向けて発せられる言葉や目の
動き,表情,声の調子,しぐさなど,感覚によって把握しうるものから
瞬時に,驚くほど正確に捉えていると筆者は考えている.(注4)こうした
ものが子どもの心に心地よく感じられ迎え入れられた時,「家」の扉は
再び開かれ(18),子どもの心と体とが一歩また一歩と目の前の大人(教師)
に向かって引き寄せられ,あるいは自ら「近づいて」
「接触を求めて」
いくようになるのではなかろうか.(注5)
⑤
前記の教師の話の中には直接表面には出ていないが,子どもとの関係作
りがうまくいかず ― 子どもが教師である自分の存在を意識してくれな
かったり,語りかけてもまったく応答がなかったりすることで ― 時に
は被拒絶感や孤立感,焦り,無力感,自己否定感等々の思いに襲われた
ことも少なからずあったのではないかと想像される.しかし,そのよう
な中であればこそ,目の前の子どもを「真剣に,大切に思って接して」い
こうとする心がよりいっそう純粋なかたちで子どもに向けられていったの
ではなかろうか.個人としての感情に翻弄されて終わってしまうのではな
― 21 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
く,苦悩しつつも教師としての生き方を貫こうとしたこの教師の「誠実さ」
が偲ばれる.この教師と同じような状況の中にあって,
「この子たちを導
くには,この子たちの中へ入り,よく観察し,子どもたちの動きや心をつ
かまねばな」らないと考え,
「のんき・こんき・げんき」をモットーと
して実践を続けた先達教師の苦悩と熱いまなざしとを想い起させられ
た.(19)
⑥
「時間はかかっても」― この言葉にはこの言葉を語ったこの教師ならで
はの思いが込められているように思われる.人と人との関係が築かれる
ためには,本来,それ相応の「時間がかか」るものだと言うべきであろ
うが,その「時間」の流れの中で,目には見えなくても,何かが確実に
創り出され,両者の「関係」の基盤は徐々に徐々に形づくられていくも
のなのであろう.(20) 「時間」をかけて目の前の子どもとの「関係」を築
いていく.学校現場での子どものさまざまな面に関する支援においては,
こうした努力を教師は怠ることなく続けていくことを余儀なくされるこ
とも少なくないであろう.しかし,それは実際のところ,言葉で言うほ
ど簡単なことではない.悩みを打ち明け合い,希望を語り合うことので
きる同労者が身近なところにいてくれることがいかに大きな力となり支
えとなるものであるか,ということも忘れてはならないと思われる.(21)
4.教育・発達支援における子どもと「向き合う姿勢」
最初にひとつのエピソードを紹介させてもらうことにする.教育・発達支援
に携わる人々の「子どもと向き合う姿勢」について考えていくにあたり,もっ
とも基本的かつ大切と思われることを教えてくれていると思われる内容だと考
えられるからである.
それは,誕生後間もなくして母親のもとに連れてこられた赤ちゃんが見せた
行動を,その場に居合わせたこの母親の母親が大きな驚きをもって受けとめて
いる様子である.(引用にあたってはご本人の校閲・許諾を得ていることを記
し,あわせてご好意に深謝の意を表したい.)
― 22 ―
障害のある子どもの教育・発達支援に携わる人々に求められる「向き合う姿勢」についての一考察
「赤ちゃんは目を開けていました.しかし,まぶしかったのか,しばら
くの間,目を細めたりつぶったりしていました.しかし,この赤ちゃんは,
ベッドに寝かされた直後から,頭をゆっくりゆっくりと左右に動かしなが
ら,周囲のあちこちを実に不思議そうに眺めていました.今まで見たこと
もないものがあっちにもこっちにもある.一体ここはどこなのだろう?と
いうふうに.自分の居場所を一生懸命に探してでもいるかのように・・・.
そしてそのあと,疲れたのか,間もなくして,赤ちゃんは目をつぶって寝
てしまいました.
」
この赤ちゃんにとっては,今まで見たこともないまったく新しい世界との出
会いの瞬間であり,今まで見たこともない不思議な世界を発見したことへの大
きな驚きを物語っていると思われる.
しかし,こうした新しい世界との出会いは,母親というこれまで親しんでき
た人物 ― 正確に言えば,人物といっても外形的なものではなく,その体内に
おいて感じ取っていた「感覚」や「雰囲気」といったものと言ったほうが当たっ
ているかもしれないが ― が傍らにいてくれることを「空気」
として感じ取る
(呼
びかけ,愛撫等により)ことができていたからこそのことではなかったかと筆
者には想像された.(22)
ダニフら(1992)によれば,赤ちゃんは生まれて間もないころから,「慣れ
たものを覚えてそれを他の動きと結びつけるようになる」という.その意味で
は,こうした「機能」は人間に備わった一種の「能力」とも考えられるかもし
れないが,ダニフら(1992)はこの「機能」を「能力」という言葉で表わし,
「この能力によって赤ちゃんは,環境の安定性や持続性を発見する」と記して
いる.(23)「慣れたもの」にたびたび出会うことによって,赤ちゃんは「環境の
安定性や持続性」を感じ取ることが可能となり,これが,自分の置かれている
環境や目の前の人に対する安全感・安心感と世界の広がりを生み出すことにつ
ながっていくということなのであろう.(24)(注6)
とすれば,目の前の人が安定的で心地よいメッセージを送り届け続けること
によって,子どもは(広く言えば人は)みずからの「心の扉」(25) 「家」の扉(26)
― 23 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
を開くことがしやすくなるということであろう.「信頼」とか「愛着」とか「被
包感」とか呼ばれる感情はこういういった状態の中から形成されていくという
わけであろう.(27)(28)(29)
先に紹介させてもらった教師の言葉がここで改めて思い出される.
「どんな
に対人関係が苦手であったり,言語による表現能力が乏しかったりする子ども
であっても」
,そうした子どもに対しても,この教師が「真剣に,大切に思っ
て接し」続けたであろうからこそ,
「時間はかかっ」たであろうが,子どもた
ちは「心の扉」(30),「家」の扉(31)をこの教師に対して,開いてくれることになっ
たのであろう.この教師はこうして子どもたちに「まみえる」ことがかなった.
先に紹介させてもらったこの教師の言葉を再び借りて言うなら,子どもたちが
「自分の方から近づいてきて,接触を求めてきてくれるようになっ」たという
ことであろう.こうして,教師と子どもたちとは「臨床」的関係の中に身を置
くことができるようになったと言えるのではなかろうか.(32)
5.教育・発達支援における子どもと「向き合う姿勢」と「臨床」の
原点ということについて
目の前の子ども(人)に「まみえる」ことができるかどうか.これが,教師
や専門家,あるいは保護者が,教育・発達支援といったかたちでそれぞれのニー
ズを有する子ども(人)たちにかかわるさいの最も基本となる重要なポイント
である.なぜなら,「まみえる」ということはさまざまなニーズをもった目の
前の子ども(人)が「家」(自身の内面世界)に招き入れてくれるということ
に他ならないからである.「家」に招き入れてもらえることは,それぞれの子
ども(人)の素顔に触れることを許されるということであり,それはそうした
子ども(人)たちから見て,この人は人としての「礼儀作法」を心得ている,
安心してよい人だ,という心の状態になったということを意味しているという
ことなのだからである.(33)ここにおいてはじめて,教師や専門家,保護者など
周囲の人たちとそれぞれの子ども(人)との「出会い」が生まれ,教育・発達
支援といったことに対してのその子ども(人)との共同の取り組みが開始され
ていく.教育・発達支援において求められる「向き合う姿勢」
,「臨床」の原点
― 24 ―
障害のある子どもの教育・発達支援に携わる人々に求められる「向き合う姿勢」についての一考察
といったものはここにあると言ってよいであろう.(34)
先に紹介させてもらった教師の言葉をもう一度振り返ってみよう.(
「3.この
教師の言葉から筆者が受け取ったメッセージ」の項参照.
)この教師がかかわっ
てきた子どもたちとの間に関係を形成する基盤について,大切なさまざまなこ
とを伝えてくれていた.言い換えれば,
「臨床」の原点が簡潔な言葉で示されて
いると思われる.
一つは,子どもは目の前の教師が「自分のことを(中略)真剣に,大切に思っ
て接してくれている」かどうかを「心の奥深くできちんと感じ分けている」と
いう,子どもの「感じ分け」の力の存在ということである.この力の存在を深
く心に留めて,子ども― この教師が例に挙げた「対人接触が苦手であったり,
言語による表現能力が乏しかったりする子ども」に限らず,教師あるいは大人
に対して不信感ないしは恐れなどを体験として持っているような子どもも同様
であろうが ― との関係を築いていく努力が何をおいても大切になってくると
いうことである.
二つ目は,子どもは「自分のことを真剣に,大切に思って接してくれている
と感じる」ことができた人に対しては「自分の方から近づいてきて,接触を求
めてきてくれるようになる」ということに関してである.
これは,エリクソンの「基本的信頼」(35),ボウルビイの「セキュア・ベース」(36),
ボルノウの「被包感」(37)などの重要性を改めて想起させる言葉である.要する
に人は誰でも「あるがままの状態でいることができ,安心してみずからを生き
ていけるよう保護してくれる世界」(38),すなわち「その身を外的世界のさまざ
まな危険から守ってくれ,安全で,安心でき,かつ快適な生活を送れる」(39)と
ころを持ててこそ,周囲の人々や環境と距離を適度に保ちながら(調節しなが
ら),脅威を覚えることなく心地よい関係をもっていけるようになるというこ
とを示してくれていると思われる.言葉を換えれば,安心していられる「家」
こそ,まずは誰にとっても第一に保障されなければならないもの,必要不可欠
のものである.そして,その「家」の扉を開閉するのは他ならぬその人(子ど
も)自身である.教師や専門家や保護者など,子どもの教育・発達支援に携わ
る人々は,子どもがその「扉」を安心して開いてくれるのを「人に対する心配
― 25 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
りや姿勢(人としての礼儀や作法あるいは品性」(40)をもって静かに待つことが
求められよう.繰り返しになるが,子どもは目の前の教師(しかも,出会って
まだ間もない)に対し「信用の念を抱」かない限り,「家」の扉は開けてくれ
ないであろうことを常に深く胸に刻んで目の前の子ども一人ひとりに向き合っ
ていく姿勢をもつことが大切となってくるであろう.(41)(大人の場合でも,ま
だ会って間もない人に対しては同様であろうが.)その意味では,前記の教師
の言葉にあるように,子どもとの関係を形成していくことは「時間」のかかる
ことではある.
三つ目として,だからこそ,「いつかは自分の方から近づいてきて,接触を
求めてきてくれるようになる」であろうことに希望をもって,子どもの「潜在
的可能性をこころの底から信頼」し(42),「真剣に,大切に」向き合う姿勢を崩
さずに「時間」を共有することを大事にしていくことが求められるのであろう.
(子どもとの関係を早く築きたいと願うのは教師であれば誰でも同じであろう
が.)
6.障害のある子どもの教育・発達支援の目指すもの ― 結びに代えて
教育・発達支援は,どの子もが「潜在的にもっているパワーや個性をふたた
び生き生きと息吹かせる」(43)ためにあると理解することができる.とすれば,
それは本来,障害のあるなしにかかわらず,すべての子どもにとって大切な意
味をもった営みであると考えられる.そのような認識を基本としてもちながら
も,ここでは,筆者がこれまでかかわってきた特別支援教育の側面から,この
テーマについて,特に障害のある子の教育・発達支援に携わる人々に求められ
るこうした子どもたちと向き合う際の姿勢ということについて検討してきた.
そして,この「向き合う姿勢」として,教育・発達支援に携わる人々がどのよ
うなことを求められていると考えられるかを,子どもの立場から考えてみた.
その内容についてはこれまで随所に記してきた.
現在ますます,障害のある子それぞれのニーズに応じた「適切な教育や必要
な支援」の「充実」が求められてきている.(44)本論文の冒頭にも記したように,
筆者はこれまで特別支援教育のあり方・すすめ方を中心に教育・研究・臨床活
― 26 ―
障害のある子どもの教育・発達支援に携わる人々に求められる「向き合う姿勢」についての一考察
動に携わってきた.そして,筆者は特に「臨床」的立場からという意味合いで,
みずからの研究領域を「特別支援教育臨床」という呼称で位置づけ,その基盤
と目指すところ等についての考えの概略を『特別支援教育臨床をどうすすめて
いくか』に記した.(45)
しかし,そこでは「臨床」という言葉の意味については必ずしも十分に検討
しえたとは言い難かった.この点について考察したのが前回の報告(46)であっ
た.そして,そこで筆者なりに理解しえたのは,
「臨床」という言葉の意味す
るところは,
「人と人としての関わり合いの中で,手を携え合いながら(寄り添っ
て)必要な課題に取り組んでいく」ということであると考えるのが適切なので
はないかということであった.(47)とすれば,
「臨床」的であるためには,その
根底において「人としてのかかわり合い」の構築と「手を携え合う」という関
係の創出にこそ力が注がれなければならないということになるであろう.(48)
こうしたとらえ方からすれば,障害のある子(広く言えばすべての子ども)
の教育・発達支援は教師や専門家や保護者等の子どもにかかわる周囲の人たち
が「子どもに一方的に教え込むのではなく,子どもの学習や課題への取り組み
がより容易になり,成功感や自己肯定感などが一層高まるようにしていくこと
が求められる」.(49)そのために,「子どもの成長・発達の支援という共通の目標
に立」(50)って,「子どもによってつなぎ合わされたもの同士として」(51)連携を強
めながら,「合理的配慮およびその基盤としての環境整備」(52)にも十分に心を
配りつつ,
「ひとりひとりの『白い本』に明るい題が付けられる」(53)ことを目
指して子どもとともに歩み続けていくことが求められていると考えられる.
教育も発達支援も,あるいはエンパワメントといったことも,一言でいえば,
一人ひとりの子ども(人)の本来内側に有しているものが活発に働くようにす
る(なる)ということであろう.(54)∼(59)そのためには,
「他者・社会,自然・環境」
との「かかわり」(60)が重要な意味をもつ.ボルノウが言う「被包感」(61)をもた
らし,ボウルビイの強調する「セキュア・ベース」(62)などを形成する人の存在
は重要である.だからこそ,教育・発達支援においてはこのことに携わる人々
が上記のようなものを一人ひとりの子ども(人)との間に構築していくことが
大きな役割であると思われる.そして,このような役割を担い続けることので
― 27 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
きる「向き合う姿勢」を維持していくことができるかどうか.これこそが子ど
もの「生きる力」をはぐくむ大きなカギとなるのではないかと考えられる.(63)
(文献)
(1)星先
薫「当事者家族として臨床心理専門職にわかってほしいこと⑧」
臨床心理学,第14巻第 4 号,2014年,543−544ページ
(2)吉田友子著『高機能自閉症・アスペルガー症候群 ― 「その子らしさ」
を生かす子育て ―』中央法規出版,2003年,210ページ
(3)(1)に同じ
(4)(2)に同じ
(5)文部科学省『特別支援学校学習指導要領解説・総則等編(幼稚部・小学
部・中学部)
』教育出版,2009年,5 ページ
(6)Pearl S.Buck The Child Who Never Grew Woodbine House, 1992,
pp.25-89.
(7)栗原輝雄「子どもの『生きる力』と教師の『聴く力』― さらに求めら
れる『子どもの目線に立つ』ことと教師の『豊かな応答性』―」鈴鹿国
際大学紀要CAMPANA,16,2010,1−14ページ
(8)森田ゆり著『エンパワメントと人権 ― こころの力のみなもとへ ― 』解
放出版社,1998年
(9)久 木 田
純「エ ン パ ワ メ ン ト と は 何 か」現 代 の エ ス プ リ,No. 376,
1998年,10−34ページ
(10)(5)に同じ
(11)(7)に同じ
(12)(5)に同じ.4 ページ
(13)(7)に同じ
(14)(6)に同じ.P.62
(15)栗原輝雄「『臨床』という言葉の意味に関する一考察」皇學館大学教育
学部研究報告集,第 6 号,51−77ページ
(16)山本光雄訳『イソップ寓話集』岩波書店,1942年,78ページ
― 28 ―
障害のある子どもの教育・発達支援に携わる人々に求められる「向き合う姿勢」についての一考察
(17)(15)に同じ
(18)(15)に同じ
(19)近藤益雄・近藤原理著『道は遠けれど ― ともに特殊教育に携わる父と
子の記録 ―』麦書房,1958年,248−264ページ
(20)サン=テグジュペリ著(河野万里子訳)『星の王子さま』新潮文庫,
2006年,98−109ページ
(21)(19)に同じ
(22)ダニフ・マウラ/チャールズ・マウラ著(吉田利子訳)
『赤ちゃんには
世界がどう見えているか』草思社,1992年,25−26ページ
(23)(22)に同じ.266ページ
(24)(22)に同じ.266ページ
(25)椋鳩十著『感動は心の扉をひらく』あすなろ書房,1985年
(26)(15)に同じ
(27)ジョン・ボウルビイ著(二木武監訳)『母と子のアタッチメント ― 心の
安全基地 ―』医歯薬出版,1993年
(28)オットー・フリードリッヒ・ボルノー著(浜田正秀他訳)
『新しい教育
と哲学 ― ボルノー講演集 ―』玉川大学出版部,1968年,125−152ページ
(29)オットー・フリードリッヒ・ボルノウ著(森昭・岡田渥美訳)
『教育を
支えるもの』黎明書房,2006年,
(30)(25)に同じ
(31)(15)に同じ
(32)(15)に同じ
(33)(15)に同じ
(34)(15)に同じ
(35)R.I.エヴァンズ著(岡堂哲雄・中園正身訳)
『エリクソンは語る ― ア
イデンティティの心理学 ―』新曜社,1981年,12−19ページ
(36)
(27)に同じ
(37)
(29)に同じ)
(38)
(15)に同じ
― 29 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
(39)(15)に同じ
(40)(15)に同じ
(41)(15)に同じ
(42)栗原輝雄著『特別支援教育臨床をどうすすめていくか ― 学校臨床心理
学の新たな課題 ―』ナカニシヤ出版,2007年,79ページ
(43)( 8 )に同じ
(44)( 5 )に同じ.6 ページ
(45)(42)に同じ
(46)(15)に同じ
(47)(15)に同じ
(48)(15)に同じ
(49)(42)に同じ
(50)(42)に同じ
(51)(42)に同じ
(52)中央教育審議会初等中等教育分科会「共生社会の形成に向けたインク
ルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」2012
年 7 月(文 部 科 学 省 ホ ー ム ペ ー ジ http: //www. mext. go. jp/b_menu/
shingi/chukyo/chukyo3/044/attach/1321669.htm)
(53)(42)に同じ
(54)( 8 )に同じ
(55)中内敏夫著『教育学第一歩』岩波書店,1990年,4−5 ページ
(56)津守真著『子どもの世界をどうみるか』日本放送出版協会,1987年
(57)林竹二・安藤哲夫・斎藤時子「いのちを問いなおす」
「季刊・いま,人
間として ― 序巻・いのちを問いなおす」径書房,1982年
(58)( 6 )に同じ
(59)( 9 )に同じ
(60)( 5 )に同じ.4 ページ
(61)(29)に同じ
(62)(27)に同じ
― 30 ―
障害のある子どもの教育・発達支援に携わる人々に求められる「向き合う姿勢」についての一考察
(63)( 5 )に同じ.4 ページ
(注)
(注1)「癒しのオーラ」についてはさまざまなものが想起されるであろうが,
たとえば,鋭い感性,純粋さ,ひたむきさ等々を筆者は思わされた.い
ずれも人間として大切なこころの働きであると考えられる.あわせて,
こうしたものを周囲の人々が感じ取ることのできる「感性」を備えてい
れば,
「障害」の有無を超えたところの人間同士の深いコミュニケーショ
ンが本当の意味で構築される道が開かれていくということをもメッセー
ジとして送ってくれているように筆者としては感じられた.
(注2)当然といえば当然のことである.この当然であることを「原点」ある
いは「回帰点」として教育・発達支援は成り立っていることに,改めて
目を向けさせてくれるのが障害とさまざまなかたちで向き合っている人
たちの言葉である.そして,そうした人たちの言葉にはやはり重いもの
がある.ここでは二人の方の声を紹介させてもらうこととする.
一人の方は進行性筋ジストロフィー症と向き合い「生命の完全燃焼」
を目指して生きた一人の青年の母親である.この青年が記した著書の
「あとがき」の中で,彼女は次のように記している.
「生きる価値,生き
る権利とは,能力や障害の有無をこえ,社会的効用の度合いをこえ,生
命の長い短いをこえ,人間であるという事実だけにおいて,全く無差別
に認められなければならないのだと思います.」
(石川正一著『たとえぼ
くに明日はなくとも―車椅子の上の十七歳の青春―』立風書房,1973年,
223−230ページ)
また,障害のある子の保育に長年携わってきた津守真氏は,ご自身の
実践をもとに著書の中で次のように述べておられる.「障害をもった子
どもの場合も,保育においては,人間としてのその子どもとかかわる.
障害に注目するために,人間として充実する日々の生活がおろそかに
なってはいけないと私は思う.」
(津守真著『子どもの世界をどうみるか
― 行為とその意味 ―』NHKブックス(526)
,日本放送出版協会,1987,
― 31 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
113-115ページ)
なお,林竹二氏は「いのちを問いなおす」の中で「すべての子どもが
かけがえのないいのちを持っていて,それが成長するために必要なもの
を求めている」とし,
「それに答えることとして教育というものを考え」
ることが重要であるという主旨のことを述べておられることは本論文の
テーマに深くかかわる大切なとらえ方を提示してもらっていると思われ
る.(『季刊
いま,人間として―序巻
いのちを問いなおす―』径書房,
1982年,38ページ)教育も発達支援も「人として相手を尊重し心配りを
するといった精神に裏打ちされ」てこそ,真の意味を発揮するというこ
とであろうか.(栗原輝雄「『臨床』という言葉の意味に関する一考察」
皇學館大学教育学部研究報告集第 6 号」2014年,51-77ページ参照)
筆者はかつて拙著(
『生きることについて―さくらとはこべ,どちら
がきれい?―』近代文藝社,1991年)の中で,次のように記した.―「障
害をみるのでなく,その人のいのちと生き方に目を向け,それを本当に
大切に受けとめていこうとする社会の実現が,
障害をもつ子とその親が,
真に充実した人生を送っていくことのできる基盤として,今もっとも望
まれる.」(203ページ).上記の「障害をみるのでなく」とは,「障害」
を無視するという意味では,もちろんない.「障害」は「学習上又は生
活上の困難」を引き起こし得ることは否めない現実があるので,その「改
善・克服」への取り組みは教育・発達支援にとって大きな課題である.
(文部科学省『特別支援学校学習指導要領解説 ― 自立活動編(幼稚部・
小学部・中学部・高等部)―』海文堂,2009年,7 ページ)筆者が言い
たかったのは「障害」にのみ目を奪われすぎてしまうとその子の「包み
の中に隠されているもの」(栗原輝雄著『特別支援教育臨床をどうすす
めていくか ― 学校臨床心理学の新たな課題 ―』ナカニシヤ出版,2007
年,15ページ)が見失われてしまいかねない危険性をはらんでいるとい
うことなのであった.
(注3)たとえば,サン=テグジュペリ著(河野万里子訳)
『星の王子さま』
新潮文庫,2006年の中にある,王子さまがキツネと出会った場面(21)
― 32 ―
障害のある子どもの教育・発達支援に携わる人々に求められる「向き合う姿勢」についての一考察
(98−109ページ)での王子さまとキツネとの対話はこの②で記したこと
に対する傍証となりうると思われる.(なお,この『星の王子さま』の
日本語訳書には他に内藤濯訳(岩波書店,1962年刊)等がある.)また,
ポール・ムニエ著(藤野邦夫訳『
「星の王子さま」が教えてくれたこと』
(ランダムハウス講談社,2007年)の「21
キツネとの出会い」につい
ての解説内容は人と人との関係の成り立ちを哲学的視点から深く掘り下
げてあり,大いに示唆に富む.
(注4)本論文の最初に記した文献(1)からの引用部分は筆者自身の体験か
らもよく理解できたところである.
(注5)この点についても(注3)で記したことはよくあてはまると思われる.
(注6)赤ちゃんの,特に母親との情動的なつながりの学習(形成)について
は,たとえば,文献(22):ダニフ・マウラ/チャールズ・マウラ著(吉
田利子訳)『赤ちゃんには世界がどう見えるか』草思社,1992年,270−
296ページ,には多方面からの例があげられ詳細に解説されている.ま
た,本書は題名が『赤ちゃんには世界がどう見えるか』と付けられてい
る通り,「赤ちゃんの視点」(p.10),「赤ちゃんの立場になってみると」
(p.12)という本文の言葉と「訳者あとがき」(307−309ページ)からも
知られるように,内容全体が終始赤ちゃんの側からとらえられていて,
教えられるところが大変多い.
― 33 ―
柔道選手における「バネ」に関する意識調査
佐
藤
武
尊
キーワード:柔道,「バネ」,パワー
Ⅰ
諸
言
近年,柔道の技術解説書や実際のコーチング現場において,投技の説明およ
び評価がなされるときに「バネ」ということばが頻繁に使用されている6,7,8).
これは,柔道競技者の持つ感覚の中で,柔道の技術あるいは体力的要素として,
いわゆる「バネ」が重要視されており,競技者の運動感覚として「バネ」とい
うものが内在することは容易に推測できる.ところが,各表現の中には「バネ
をきかせるために」 8)や「ヒザのバネをためる」 7)などの様々な機能的表現がな
されることが殆どであり,それらの見解は一致したものではない.また,競技
レベルや指導力(指導歴等)によって,いわゆる「バネ」に関する見解が一致
しないことも考えられる.これは,競技中に様々な運動が繰り広げられている
中で,その運動を目視し評価する人には,自身の運動感覚を基に競技者が各技
を施すたびに「バネ」に対する概念に大きな差異が生じている可能性があると
いうことである.
一方,他競技においては単純な走運動の動作やジャンプ動作における「バネ」
に関して,ある程度の見解が一致されており,「バネ」に関して種々の研究が
進められている2,3,4,10).また,それらを元に考案されたトレーニングの方法も
確立されつつある5,9).柔道競技においても,それらの見解になぞられたかた
ちで競技者の体力的要素を評価している研究1)も散見するが,それが多くの柔
道競技者の運動感覚や経験知として捉えている「バネ」という概念と,一致す
― 35 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
るものであるかは不明である.
ところで,近年の柔道競技において,動的な筋出力発揮能力が重要視されて
いる11,12,13,14).佐藤ら14)は,独自の方法を用いて競技力を数値化し,実際の体力
データと競技力を比較した研究を行った.その結果,学生重量級柔道選手は高
速度領域における体幹伸展能力が重要であるとされ,一流重量級選手および一
流軽量級選手においては脚伸展パワーの向上が競技力向上には重要となってく
ると報告されている11,12,13).これらの研究は,単位時間内に発揮できる仕事量,
つまりパワーを測定し評価した研究であり,いわゆる「バネ」を測定・評価し
たものではない.しかし,筆者は自身の競技経験や,実際のコーチング現場で
の経験知を基に考えると,これらの測定データには,いわゆる「バネ」の要素
が含まれているのではないかと考えている.
そこで,本研究では,柔道競技者の経験的および運動感覚的に内在する「バ
ネ」に関する意識について明らかにすることを目的とした.
また,本研究を進めていくにあたり,柔道競技者の経験的および運動感覚的
に内在する「バネ」を明らかにすることができれば,それをコントロール・ト
レーニングすることができ,競技力の向上に貢献し実際のコーチング現場に還
元できるのではないかと考えた.
Ⅱ
方
1.対
法
象
調査対象者は現役柔道競技者と元柔道競技者の合計39名とした(Table 1).
本研究の対象者の中には,数多くの日本代表選手や元日本代表選手が含まれて
おり,まさに現在の日本柔道のトップ集団であるといえる.
Table 1
回答者身体特性等プロフィール
― 36 ―
柔道選手における「バネ」に関する意識調査
2.調
査
本研究の調査は,平成26年5月29日(木)に行った.調査には独自の設問構
成で作成した質問用紙を用い,〔はい,いいえ,わからない,その他〕で回答
する形式をとった.質問内容は主に柔道選手における「バネ」に対するイメー
ジに関した設問を8問用意した.
(Fig.1)
Fig.1 調査に実際に使用した質問紙
― 37 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
3.分析方法
本調査によって得られた回答をMicrosoft Office Excel 2013用いて,各項目
における回答の割合および数を算出し検討した.
Ⅲ
結果および考察
設問1【柔道の競技場面やコーチング場面において、「バネ」ということば
を見たり聞いたりしたことがある.】という問いに対しては,「はい」が97.4%
と大多数の回答者が「バネ」ということばを見たり聞いたりしたことがあるとい
う回答であった(Fig.2).これは,柔道の技術をコーチングしていく際に「バネ」
ということばが頻繁に使用されていることを裏付ける結果であると考えられる.
次に設問2【柔道の競技場面において、自分自身が「バネのある選手だ」と
表現されたことがある.
】という問いに対しては,
「はい」が23.7%,
「いいえ」
が63.2%,「わからない」が13.1%であった(Fig.3)
.また,設問3【自分自身
には「バネ」があると思う.】という問いに対しては,「はい」が15.8%と「い
Fig.2 設問1に関するグラフ
Fig.3 設問2に関するグラフ
Fig.4 設問3に関するグラフ
― 38 ―
柔道選手における「バネ」に関する意識調査
いえ」が50.0%,「わからない」が34.2%であった(Fig.4)
.そもそも,これま
でのコーチング現場において,経験的および感覚的に『
「バネ」は必要だ』と
されてきたなかで,日本のトップ集団に「バネ」を兼ね備えた選手が少ないと
いうことは考えにくく,このことからとからも,競技者はそもそも『
「バネ」
とはなにか』を把握できておらず,「いいえ」や「わからない」という回答が
多くなったのではないかと考えられる.この事については,今後,更に詳細な
検討が必要であると考える.
設問4【柔道競技者にとって「バネ」は重要な要素である.】という問いに
対しては,65.8%の人が「はい」と回答した(Fig.5)
.また,設問4において「は
い」と答えた人を対象に設問(複数回答による)を進めてみると,全回答者が,
柔道競技における「バネ」は柔道の投技を施す際に必要であると答えた(Fig.6)
.
その他の回答もあったが,少数であった.これらのことから,柔道競技におけ
る「バネ」とは,柔道の投技を施す際に必要な要素になることが考えられる.
Fig.5 設問4に関するグラフ
Fig.6
設問4−1に関するグラフ
― 39 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
設問5【柔道競技における「バネ」は天性のもの(遺伝的な身体要素の影響
が強い)と考えている.】という問いに対しては,
「はい」が68.4%と「いいえ」
が5.3%,「わからない」が26.3%であった(Fig.7)
.このことを,柔道競技に
おける「バネ」が身体的な要素であるという前提で考えてみると,なぜ回答に
ばらつきがでたのかは不明である.なぜなら,周知のとおり,身体的および身
体の機能的な素質は遺伝的要素に左右される15)といわれているためである.た
だし,「いいえ」や「わからない」という回答を肯定的に捉えて考えてみると,
柔道競技における「バネ」は後天的な要素も反映されている可能性があり,ト
レーニングによって改善することや,強くすることができる可能性があると考
えられる.この事については,今後,更に詳細な検討が必要であると考える.
Fig.7 設問5に関するグラフ
設問6【柔道競技における「バネ」は身体のどこに存在すると考えるか.】
という問いに対しては,
「下肢全体」が12人,
「膝関節」が23人,
「足関節」が
9人,
「体幹」が1人,
「股関節」が14人,
「全身」が2人,
「肩関節」が1人と,
ほとんどの回答者が「下肢および下肢中の関節」と「体幹下部」を指した(Fig.8)
.
このことから,競技者の考える柔道競技における「バネ」とは,主に膝関節,
足関節,股関節,腰部,つまり下肢と体幹下部を指していることが考えられた.
設問7【柔道競技における「バネ」とは、筋腱複合体による伸張-短縮サイ
クル運動の遂行能力であると考えている.】という問いに対しては,「はい」が
34.2%と「いいえ」が7.9%,
「わからない」が57.9%であった(Fig.9)
.この結
果から,なぜ34.2%の人が柔道競技における「バネ」に対してこのような結論
を得ているのかと考察を試みたものの,この結果は筆者がもつ,『柔道競技者
― 40 ―
柔道選手における「バネ」に関する意識調査
Fig.8
設問6に関するグラフ
が表現する「バネ」とは単なる伸張‐短縮サイクルによるものではない』とい
う仮説とは異なる結果であったため,詳細な考察にはいたらなかった.
Fig.9
設問7に関するグラフ
次に設問8【あなたの考える柔道競技における「バネ」とは何か、自由に記
述してください.】という問いに対しては,自由記述で回答を求めたため様々
な回答がみられた(Table 2).その中でも,体力的な要素に関連していると推
測できる回答を抽出してみると、柔道競技における「バネ」は「瞬発力」や「パ
ワー」,「力」,「力強さ」,「爆発力」,中には「柔軟性」や「しなやかさ」など
のキーワードを用いて答えてくれている回答者が多数存在した.これらの答え
をまとめてみると,柔道競技者の指す「バネ」とは,「一つの身体的な機能」
であり,その意識は「力強さ」や「パワー」,「柔軟性」に依存している可能性
が考えられた.
― 41 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
Table 2
Ⅳ
第7号
設問8記述内容一覧
ま と め
本研究によって得られた結果から考察をまとめると,以下のとおりとなる.
各競技者ともに柔道競技には「バネ」が存在することは運動感覚として共有
しているが,その実態や詳細な認識は不明確であることが考えられた.
― 42 ―
柔道選手における「バネ」に関する意識調査
柔道競技において「バネ」は重要な体力的要素であり,特に投技を施す際に
必要であることが考えられた.また,柔道競技者の指す柔道競技における「バ
ネ」とは,主に膝関節,足関節,股関節,腰部に存在し,つまり下肢と体幹下
部を指しており,その意識は「力強さ」や「パワー」,
「柔軟性」に依存してい
ることが考えられた.
これらのことから,柔道競技者における「バネ」は,その実態や詳細な認識
は不明確なものであるものの,競技者の感覚的に重要な体力要素であると捉え
られており,特に投技を施す際に重要である可能性が明らかとなった.また,
「バネ」は下肢と体幹下部に存在し,その意識は「力強さ」や「パワー」
,「柔
軟性」に依存している可能性が明らかとなった.
今後,柔道競技者の「バネ」を評価・検討する研究を進めていく上では,主
に下肢および体幹下部の「力強さ」や「パワー」,「柔軟性」に着目していく必
要性が示唆された.
引用文献
1)有賀誠司・山田佳奈・白瀬英春・生方謙:女子柔道選手における片脚4方
向ジャンプについて,東海大学スポーツ医科学雑誌,19,7-15,2007.
2)有賀誠司・積山和明・藤井壮浩・小山孟志・緒方博紀・生方謙:方向転換
動作のパフォーマンス改善のためのトレーニング方法に関する研究 ― 男
子バレーボール選手におけるリバウンドジャンプ能力と方向転換能力との
関連について ― ,東海大学スポーツ医科学雑誌,25,7-19,2013.
3)遠藤俊典・田内健二・長岡樹:疾走能力と垂直跳およびリバウンドジャン
プ能力の縦断的変化‐中学校1年生を対象とした1年間の追跡調査‐,陸
上競技研究,2012(1),21-27, 2012.
4)岩竹淳・鈴木朋美・中村夏実・小田宏行・永澤健・岩壁達男:陸上競技選
手のリバウンドジャンプにおける発揮パワーとスプリントパフォーマンス
との関係,体育学研究,47(3),253-261,2002.
5)岩竹淳・川原繁樹・北田耕司・図子浩二:伸張−短縮サイクル理論を応用
したプライオメトリックスが疾走能力に与える効果 ― 疾走能力と各種の
― 43 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
ジャンプ力および脚筋力との構造関係に着目して ― ,財団法人上月スポー
ツ・教育財団スポーツ研究助成事業報告書,4,1-21,2009.
6)河原月夫:柔道 ― 技の大百科 ― 第2巻,株式会社ベースボール・マガジ
ン社,130-131,初版,1999.
7)松岡義之:柔道 ― 技の大百科 ― 第1巻,株式会社ベースボール・マガジ
ン社,88-89,初版,1999.
8)松田博文:柔道 ― 技の大百科 ― 第1巻,株式会社ベースボール・マガジ
ン社,14-15,初版,1999.
9)佐伯徹郎:ランニングにおける ばね能力 の役割に関する研究 ― 一過性
のリバウンドジャンプ練習が呼吸循環機能に及ぼす影響に着目して ― ,
日本女子体育大学附属基礎体力研究所紀要,20,14-19,2010.
10)佐伯徹郎:大学女子中長距離走者の バネ能力 と走の経済性の関係,陸上
競技学会誌,9,1-5,2011 .
11)佐藤武尊:一流柔道選手における脚伸展パワーと競技力の関係,皇學館大
学教育学部研究報告集,5,35-42,2013.
12)佐藤武尊・秋本啓之・金丸雄介・鈴木桂治・小野卓志・増地克之・岡田弘
隆・射手矢 岬:一流重量級柔道選手における脚伸展パワー,柔道科学研究,
18,26-29,2013.
13)佐藤武尊・秋本啓之・竹澤稔裕・横山喬之・三宅恵介・増地克之・春日井
淳夫:アネロプレス3500を用いた柔道選手の脚伸展パワー評価 ― 一流柔
道選手と学生柔道選手の比較からの検討 ―:講道館柔道科学研究紀要,14,
81-87,2013.
14)佐藤武尊・増地克之・金野潤・佐藤伸一郎・衛藤友親・春日井淳夫・桑森
真介:学生柔道重量級選手における等速性体幹筋力と競技力の関係につい
て,武道学研究,44(2),93-99,2011.
15)徳山薫平・仲村織絵・奈良典子:運動能力の素質に関連する遺伝子 ― チャ
ンピオンの遺伝子 ― ,筑波大学体育科学系紀要,24,39-46,2001.
― 44 ―
19世紀後半アメリカ・マサチューセッツ州の
講演会活動における日本に関する講演
野 々 垣 明 子
1.問題の所在
本稿の目的は,19世紀後半のアメリカ・マサチューセッツ州で開催されてい
た市民対象の講演会における,日本に関する講演の実施状況を明らかにするこ
とである.
1854(嘉永 7 )年の日本の開国に伴い,アメリカには日本の文化・芸術に関
する情報や物品が数多くもたらされ,市民の間に日本に対する興味・関心が高
まっていた.赤堀によれば,こうした日本への関心の高まりを背景に,市民向
けに日本に関する講演が行われた1).
開国当時や明治期に日本を訪れたアメリカの旅行者や学者たちは,帰国時に
日本での体験を題材とした講演を実施し,日本の風土や風俗を市民に伝えた2).
本稿が研究の対象とする19世紀アメリカの地域社会における住民の学習運動,
すなわちライシーアム運動(Lyceum Movement)でも,日本に関する講演が
実施されていたことが先行研究で指摘されている.
筆者はすでに複数の別稿において,ライシーアム運動に関する一連の研究を
進めてきた.以下では,
筆者のこれまでの研究に関する最小限の要約に基づき,
ライシーアム運動について説明を試みる.ライシーアム運動とは,1826年に鉱
物学者のホルブルック(Josiah Holbrook, 1788-1854)によって創始された地
域住民の学習施設「ライシーアム」(lyceum)の設置運動である.ライシーア
ムは「実用知識」(useful knowledge)の普及と会員相互の向上を目的とした
施設であり,地域住民によって全米各地に設置された3).各地のライシーアム
― 45 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
では,市民向けの講演会や討論会が開催されていた.筆者は,別稿においてマ
サチューセッツ州のタウン,コンコードのライシーアムで実施されていた住民
相互の教え合い,学び合い活動である「相互教授」
(mutual instruction)の実
践的,思想的特徴を検討した4).また,ライシーアムでは講演会や出版物によっ
て,科学に関する知識や,家庭や学校における教育に関する情報が提供されて
きたことも明らかにした5).
ライト(Tom F. Wright)らの研究によれば,1850年代から70年代を中心に
ライシーアム運動の講演会では市民に対し,海外の出来事や風土が紹介され
た6).なかでも詩人のベイヤード・テイラー(Bayard Taylor, 1825-1878)によっ
て,外国旅行講演が頻繁に実施された7).テイラーはアフリカ,アジア,ヨー
ロッパ諸国を旅し,帰国後,旅行の体験を講演会の聴衆に伝えた.そのなかに
は1850年代の開国時の日本の状況を伝えた講演も含まれる.周知の通り,ペ
リー(Matthew Calbraith Perry, 1794-1858)は1853(嘉永 6 )年に日本を開
国させる目的を持って,艦隊を率いて浦賀に来航し,翌54年には江戸湾に再び
来航し,日米和親条約を結んだ.この時,テイラーはペリーに同行し日本を訪
れ,帰国後,その時の経験にもとづいて「日本と琉球」
(Japan and Loo Choo)
というタイトルの講演を行った8).テイラーは自らが立ち会った日本の開国と
いう最新情報をライシーアムの講演会で聴衆に伝えたのである.
このように,日本の開国の様子とアメリカとの関係について,テイラーがラ
イシーアムで講演したことが先行研究で明らかになっている.とはいえ,ライ
シーアムで日本に関する講演を実施したのはテイラーだけだったのだろうか.
明治初期にはアメリカから多くの学者が日本を訪れている.代表的な学者とし
て,動物学者のエドワード・モース(Edward Sylvester Morse, 1838-1925)
,
天文学者のパーシヴァル・ローエル(Percival Lowell, 1855-1916)を挙げるこ
とができる.モースやローエルは講演会や著書を通して日本の姿をアメリカの
市民に伝えたことで知られている9).アメリカ史研究者ローゼンストーンは
モースが「ライシーアムの講演者」として「名声を築き上げていた」ことを指
摘している10).しかし,モースがいつ,どのような背景で,どのようなタイト
ルで,ライシーアムにおいて日本に関する講演を実施していたのかは明確に示
― 46 ―
19世紀後半アメリカ・マサチューセッツ州の講演会活動における日本に関する講演
されていない.
そこで本稿では,マサチューセッツ州のタウン,コンコードおよびセイラム
におけるライシーアムの講演会活動に焦点をあて,日本に関する講演会の実施
状況を明らかにする.加えて,ライシーアム運動には含まれないが同時期のボ
ストンにおいて,活発な講演会活動を実施していたローエル協会(the Lowell
Institute)にも注目し,同協会の講座における日本に関する講演の実態を検討
する.本稿を通して,19世紀後半アメリカ・マサチューセッツ州において,市
民が日本に関する知識や情報をどのように得ていたのかを明らかにする.
以下では,アメリカ文学研究者キャメロン(Kenneth Cameron)によって
収集されたライシーアム運動の活動記録
『アメリカ・ルネサンス期のマサチュー
セッツ・ライシーアム』(
, 1969,以下『マサチューセッツ・ライシーアム』)を用いて11),
ライシーアムおよびローエル協会における日本に関する講演の実施状況を捉え
る.さらに,ライシーアムで講演を実施したとされるモースの著作や,モース
研究者による評伝をもとに,モースが日本に関する講演を実施した背景とその
取り組み方の特徴を考察する.
2.コンコード・ライシーアムにおける日本を題材とした講演
コンコードはマサチューセッツ州のタウンであり,19世紀アメリカを代表す
る 思 想 家 エ マ ソ ン(Ralph Waldo Emerson, 1803-1882)や ソ ロ ー(Henry
David Thoreau, 1817-1862)らが居住していたことで有名である.
キャメロンの『マサチューセッツ・ライシーアム』には,1829年から1881年
までの52年間にコンコード・ライシーアムで実施された講演会,討論会の記録
が掲載されている.記録には,講演会が実施された年月日,講演者氏名,講演
タイトルが含まれている.講演会で話された内容について言及されているケー
スは少ない.アメリカ文学研究者の小野は,キャメロン収集の資料を分析し,
コンコード・ライシーアムにおける講演会の実施状況を明らかにしている.小
野の分析によれば,コンコード・ライシーアムでは幅広い分野の講演が実施さ
れたが,最も多い分野は「自然科学」であり,次に多いのは「社会学」であっ
― 47 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
た.また,1850年代以降は,「地理」分野の講演が急増し,旅行者によって海
外の珍しい文化や習慣が紹介され,聴衆から歓迎されたという12).それでは,
そうした海外に関する講演の中に日本を題材とした講演は存在したのだろう
か.筆者はコンコード・ライシーアムの講演の全記録から,「日本」
,「日本人」
あるいは日本文化に関わる単語が含まれている演題の抜粋を試みた.すると,
一例の講演の記録を発見することができた.それは,1878年 2 月13日に実施さ
れた,モースによる「日本と日本人」(Japan and the Japanese)という講演
である13).
動物学者モースが日本を初めて訪れたのは1877(明治10)年 6 月である.当
初の来日目的は日本近海に生息する腕足類(シャミセンガイ)の研究であった.
モースが横浜から東京へ移動中の汽車の車窓から大森貝塚を発見し,発掘に携
わったことが有名である.モースは来日時にいわゆる「お雇い外国人教師」と
して東京大学理学部初代動物学教授に任命されている.このように,来日の当
初の目的は動物学研究であったが,モースは初来日を契機に,日本文化に強い
関心をもつようになった14).モースは著書『日本その日その日』
(
1917)において,日本の光景を初めて目にした時の感激を次のように
綴っている.「新しく珍しい景色を眺めた時,何という歓喜の世界が突然私の
前に展開されたことであろう」15),と.街の人びとの表情,服装,働きぶり,
ニコニコしている子どもたち,珍しい建築や生活道具,等々.著書にはモース
が観察した日本の光景が記されている.モースはその後,1878(明治11)年 4
月,1882(明治15)年 3 月と合計 3 回にわたり来日しているが,来日時には日
本各地をめぐり,日本の風景や日本人の生活ぶりを記録している.
モースは1877(明治10)年 6 月に横浜港に上陸し約 4 ヶ月半の滞在の後,11
月下旬にアメリカに一時帰国している16).つまり,コンコード・ライシーアム
における1878年 2 月13日の「日本と日本人」の講演は,帰国後それほど時間を
おかずに実施されたということが分かる.
記 録 に よ る と,も と も と こ の 日 に は,
「単 細 胞 生 物 か ら 人 間 へ」
(From
Monad to Man)という演題の講演が実施される予定であった.講演者はもち
ろんモースである.しかし,モース自身の希望によって,
「日本と日本人」の
― 48 ―
19世紀後半アメリカ・マサチューセッツ州の講演会活動における日本に関する講演
演題に変更されたのである.演題の変更に対する聴衆からの反対はなかったと
いう17).
この時の講演会で話された内容については記録されていない.したがって,
モースが日本についてどのような話をしたのかは不明である.とはいえ,モー
スが日本滞在時に実際に体験し記録した日本人の生活が,記憶と感動が新鮮な
うちに聴衆に届けられていたことは確かであろう.
なお,コンコード・ライシーアムにおいてモースは,来日以前にも「動物に
おける成長の不思議」
(the Wonders of Growth in Animals)18)という講演を
行った.
3.セイラム・ライシーアムにおける日本を題材とした講演
次に,マサチューセッツ州のタウンである,セイラムに設置されたライシー
アムに焦点を当てる.セイラムは18世紀末から栄えた港町である.モースは
1866年以降,生活と活動の拠点をセイラムに置き,この町から各地への講演旅
行に出かけていた19).また,モースはセイラムのピーボディ科学アカデミーの
館長を務めていた.アカデミーは現在のピーボディ・エセックス博物館の前身
である.ピーボティ・エセックス博物館には,モースが来日時に収集した日本
の民具資料のコレクションが所蔵されている20).キャメロンの『マサチュー
セ ッ ツ・ラ イ シ ー ア ム』に は セ イ ラ ム・ラ イ シ ー ア ム の 記 録( Historical
Sketch of the Salem Lyceum, with a list of the Officer and Lectures Since Its
Formation in 1830 ,1879.
)も収録されている.以下ではこの記録を主に使
用し,セイラム・ライシーアムにおける日本を題材とした講演の実態を検討する.
セイラム・ライシーアムは1830年 1 月に創設された.筆者が2006年12月 5 日
にセイラムを訪れ,ライシーアム跡地で収集した資料によれば,設立されたの
はセイラムの中心部のチャーチ街であった.劇場型の講堂を備えており,700
席を超える座席があったが,講演を聴こうとする住民で満員になり席が不足す
ることもあったという21).
1830年 2 月24日には第 1 回の講演会が開催された.セイラム・ライシーアム
の記録には,「講演会シラバス」として1830年から1879年の49年間にわたって
― 49 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
実施された講演のタイトル,講演者の氏名が収録されている.記録によると講
演会は,49年間に795回実施されている.年度ごとの回数は異なるが,平均す
ると毎年約16回の講演会が実施されている.初年度(1830年)には15回の講演
会が実施され,そのタイトルは以下の通りである22).
・「知識の役立ち」(Advantages of Knowledge)
・「古代の文書の信憑性」(Authenticity of Ancient Manuscripts)
・「蒸気機関」(Steam Engine)
・「生理学」(Physiology)
・「地質学」(Geology)
・「光学」(Optics)
・「神経系統」(Nervous System)
・「天文学」(Astronomy)
・「労働者の政党」(Workingmen s Party)
・「公教育,セイラムにおける公立学校の起源」
(Public Education, with a
sketch of the origin of public schools in Salem)
・「人間の知性」(Human Mind)
・「呼吸」(Respiration)
・「血液循環」(Circulation of the Blood)
・「消化作用」(Digestion)
このように,コンコード・ライシーアムと同様に,自然科学に関する講演が多
く実施されている.しかし,早くも翌年からは海外の諸地域に関する講演が
次々に実施されるようになった.それでは1830年代に実施された海外に関する
講演のうち,主なタイトルを以下に示す23).
・「ポーランドの歴史」
(History of Poland)
・「ギリシャの現状」
(Present state of Greece)
・「インドの歴史」
(History of India)
― 50 ―
19世紀後半アメリカ・マサチューセッツ州の講演会活動における日本に関する講演
・「トルコの歴史」
(History of Turkey)
・「中国」(China)
・「南太平洋の探検」
(South Sea Expedition)
・「ロシア」(Russia)
このように,多様な国や地域に関する講演が実施されている.ライシーアム
研究者であるレイ(Angela Gail Ray)は,セイラム・ライシーアムで実施さ
れた講演を例として,「ライシーアムでは,聴衆をとりこにする海外の歴史や
文化に関する豊富な話題が提供された」と述べている24).
それでは,日本に関する講演はセイラム・ライシーアムにおいて実施された
のだろうか.コンコード・ライシーアムの場合と同様に,「日本」
,「日本人」
,
あるいは日本文化と関わる単語が含まれるタイトルの抜粋を試みた.「講演会
シラバス」には,第47期(1877-78)にモースによって「日本」(Japan)とい
う演題の講演が実施されたことが記録されている25).
講演会が実施された日時,話された内容については記録がないため不明であ
る.コンコード・ライシーアムと同様に,モースは第 1 回目の来日から帰国後,
時間をおかずにセイラム・ライシーアムでも講演を行っていることが分かる.
ちなみに,モースはセイラムに移り住んだ1866年からほぼ毎年 1 回のペース
でセイラム・ライシーアムにおいて講演を行っているが,それは動物学,生物
学に関する内容のものであった26).
4.モースによる日本に関する講演とその背景
以上,マサチューセッツ州のコンコードおよびセイラムのライシーアムにお
ける日本を題材とした講演の実施状況を検討してきた.コンコード・ライシー
アムでは1878年 2 月13日に「日本と日本人」という講演が,一方,セイラム・
ライシーアムでは1877-78年期に「日本」という講演がそれぞれモースによっ
て 1 回実施された.
このモースによる講演以外に,「日本」や「日本人」,あるいは日本文化と関
わる単語が含まれる講演を発見することはできなかった.コンコード,セイラ
― 51 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
ムのライシーアムにおいて 1 回ずつという講演回数は非常に少ない印象を受け
る.当時のライシーアムでは,多種多様なテーマの講演が実施されていた.数
回の単位の講座を設定してじっくりと一つの内容を学ぶことよりも,住民の興
味・関心を満たすことを優先して多くのテーマの講演が実施されていた.した
がって,モースの講演のみならず,一人の講演者が一つのテーマの講演を単発
で実施することは,ライシーアムでは珍しいことではなかった27).
それでは,モースは第 1 回目の来日から帰国後,どのような状況で日本に関
する講演を行っていたのだろうか.以下では,帰国時のモースの動向と日本に
関する講演への取り組み方をみていく.
テレビやインターネットがない当時において,実際に諸国を旅した人物によ
る講演や著作物は,海外の珍しい風土や風習を知り,理解を深める絶好の機会
である.中西によると,モースが第 1 回目の来日を終えて帰国した後に実施し
た「日本の社会」という講演は聴衆から好評であったという28).
中西は著書『モースのスケッチブック』(2002年)において,モースによる
多数のスケッチ,書簡,著書に基づいて,その生涯を丹念に描き出している.
同書では,モースが1877年11月末にアメリカに帰国し,翌1787年 4 月中旬に再
び日本に向かうまでの 5 ヶ月間の動向が示されている.
中西によれば,モースは,1877年12月19日にボストン博物学協会で報告講演
を実施後,
「前年から約束の講演会に飛び歩いた」29).おそらく,コンコード
およびセイラムのライシーアムでの講演も事前に約束されていたものであろ
う.さらに,中西の著書で紹介されているモースの手紙には,コンコード・ラ
イシーアムで講演を行った同じ月(1878年 2 月)に,ペンシルヴァニア州フィ
ラデルフィア,さらにはモースの故郷であるメイン州ポートランドでも日本に
関する講演を実施していたことが記されている.ちなみに,このモースの手紙
はニューヨークで投函されたものである30).モースは帰国後の短い期間に,さ
まざまな土地をまわり,精力的に日本に関する講演を行っていたのである.コ
ンコードおよびセイラムのライシーアムにおける講演は,その回数だけに注目
すると,非常に少ないのは確かである.とはいえ,同時期のモースの動向と照
らし合わせると,一回という講演回数であったことにも納得ができる.
― 52 ―
19世紀後半アメリカ・マサチューセッツ州の講演会活動における日本に関する講演
それでは,モースが各地で日本に関する講演を実施していた背景にせまって
みたい.モースは著書『日本人の住まいとその周辺環境』(
, 1886)の冒頭において,日本を含む他国を研究する時,
他文化,他国民に対してとるべき態度について,つぎのような見解を示している.
「他国民を研究するにあたっては,可能ならば,無色の眼鏡をとおして観
察しなければならない.とはいえ,どうしても,この点での過ちを避けら
れないなら,せめて眼鏡の色はバラ色であるべきだ.そのほうが,偏見と
いう煤でよごれた眼鏡よりはましであろう.」31)
モースが初めて来日する前年(1876年)にフィラデルフィアで万国博覧会(独
立記念博覧会)が開催された.この万博では,日本から多くの美術工芸品が送
り込まれ展示されたほか,会場内に「日本館」と呼ばれる和風建築も建設され
た32).モースによれば,この万博を期に「日本ブーム」がわき起こり,日本や
日本の美術に関する書物が次々と出版された.「田舎」の雑貨店でも日本から
輸入された安価な工芸品が売られていたという.しかし,モースの目からする
と,それらは実際の日本人による芸術や日本人の性質とはかけ離れているばか
りか,誤って伝えられているものばかりであった33).また,ヘニングによれば,
日本の開国以降,アメリカ人の日本への関心が高まり,旅行者や学者によって
次々と日本人論が展開されていた.そのなかには,日本人や日本の文化・制度
を西洋文明と比較し「劣ったもの」として描写するもの,日本を「空想上の虚
構の世界」と捉え,好奇心をかきたてる「娯楽対象」として描くものが含まれ
ていた34).モースの「偏見という煤で汚れた眼鏡」という言葉は,当時のアメ
リカ人の日本に対する認識を表現していると考えられる.
後年,モースは日本に関する講演を実施するだけでなく,講演をもとに著書
を発表したが,斎藤はそうした行為の動機を次のように解釈している.「兎に
も角もありのままなる日本の生活文化を正しく観察=記述した科学的報告を提
出する義務に駆られないわけにはいかなかった,というふうに摘要できるかと
思う」35),と.
― 53 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
このようにアメリカにおいて日本への関心が高まり,日本に関する様々な言
説があらわれるなかで,モースは日本文化を解釈する際に客観的なアプローチ
を貫こうとした.コンコードおよびセイラムのライシーアムにおける日本を題
材とした講演は,こうした背景のもとで実施されていたのである.
5.ローエル協会における日本を題材とした講演
(1)1880年代から1890年代の講演
モースはその生涯で 3 回にわたり日本を訪れている.第 1 回目は1877年 6 月
から11月,第 2 回目は1878年 4 月から 9 月,第 3 回目は1882年 4 月から1883年
までである.すなわち,1878年のライシーアム講演は,モースによる日本研究
の初期に実施されたのである.それではその後,モースによる日本研究と講演
はどのように発展していったのであろうか.
第 2 回,第 3 回来日時,モースは東京を拠点に日本各地を旅行し,日本人の
生活を鋭く観察し記録に残したほか,多くの陶器や民具を収集した36).自らの
目で観察し,足で歩いて集めた日本に関する情報を,アメリカに帰国後,講演
や著書を通して発表した.モースの講演では黒板が用いられ,日本の光景が正
確なスケッチで表現され,好評であったという37).
モースが行った代表的な講演として,ボストンのローエル協会で1881年から
82年の冬に実施した12回の連続講演をあげることができる.モースは日本人の
生活や日本の文化を12の題材にわけて講演した38).この講演は満員の聴衆の前
で行われ,その中にパーシヴァル・ローエルが含まれていた.ローエルはモー
スの講演を聴いたことから日本に強い関心を持つことになり,後に日本を訪れ
日本人の精神文化や神道について研究することになった39).キャメロンの『マ
サチューセッツ・ライシーアム』には,ライシーアムの他にローエル協会の講
演の記録も収録されており,モースによる12回連続講演は1881年から82年の冬
期の他,1883年から84年の冬期にも実施されたという記録が残されている40).
なお,上述のローエルもローエル協会で,1893年から94年の冬期に「日本の精
神主義」(Japanese Occultism)と題した 6 回連続講演を行っている41).
中西によれば,モースの「日本」講演は「1877年の冬からそろそろ始まって
― 54 ―
19世紀後半アメリカ・マサチューセッツ州の講演会活動における日本に関する講演
おり,79年以降,動物学をさし置いた人気で,ボストンにいわばサロンを持つ
人びとにも大きな関心が持たれた」42)という.モースはローエル協会での講演
をもとに著書『日本人の住まいとその周辺環境』(1886年)を出版した43).
このように,1880年代から90年代にかけてモースやローエルは,ローエル協
会での講演や著書を通して日本文化を積極的に紹介したのである.
(2)日本人による講演 ― 動物学者・箕作佳吉の講演
これまで,ライシーアムおよびローエル協会における日本を題材とした講演
の実施状況を明らかにしてきた.明治初期に日本を訪れたモースやパーシヴァ
ル・ローエルが,体験を通して得た情報を提供していた.それでは,同時期に
日本人による日本に関する講演は行われていたのだろうか.宮本は19世紀後半
のアメリカにおいて,「日本人留学生のなかにも,時間講師として日本に関す
る講義をするものもあらわれた」44)と指摘している.そこで以下では,再びキャ
メロン『マサチューセッツ・ライシーアム』収録の記録から,日本人によって
行われた講演が実施されていたのかどうかを探っていく.
コンコード・ライシーアムおよびセイラム・ライシーアム,ローエル協会の
記録には,主に講演者の氏名,講演のタイトル,講演者の職業,居住地が記さ
れている.講演者の国籍は明記されていないため,その人物の氏名によって日
本人によるものかどうかを判断した.
コンコードおよびセイラムのライシーアムの記録では,日本人と推測される
人物の講演記録を探し出すことはできなかった.ローエル協会では1897−98年
期,箕 作 佳 吉(prof. Kakichi Mitsukuri, Ph. D)が「日 本 の 社 会 生 活」(the
Social Life of Japan)と題した 3 回連続講演を実施している.正確に言えば,
箕作は3回の連続講演を 2 度繰り返しているため,合計 6 回の講演を実施した
ということになる45).箕作は「日本動物学の父」と呼ばれる動物学者である46).
以下では,玉木存による箕作の伝記(『動物学者箕作佳吉とその時代 ― 明治人
は何を考えたか ― 』)に基づいて箕作の生涯と業績について概説する.
1858(安政 4 )年に津山藩(岡山県)に生まれた箕作は,幼少期に緒方洪庵,
保田東偕のもとで漢学を学んだ.さらに父親である箕作秋坪の三叉学舎で洋学
― 55 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
を学び,慶應義塾で英学を修めた.幼くして学問に志した箕作がアメリカに留
学したのは1873(明治 6 )年15歳のときである.アメリカに渡った箕作は,コ
ネチカット州ハートフォードの高等学校,トロイのレンサラー工科大学を経て,
エール大学に入学し動物学を専攻した.Ph.D の学位を取得後,ジョンズ・ホ
プキンス大学に入学して,軟体動物の斧足類の研究に取り組んだ.その後,
1881(明治14)年にアメリカを離れ,ヨーロッパ諸国を巡った後帰国し,翌年
には,東京大学理学部動物学担当教授に就任した47).箕作の研究は海外の雑誌
にも掲載され,動物学者としての名声は国内外に広く知られていた.箕作は動
物学者としてモースと交流があり,モースの著書『日本人の住まいとその周辺
環境』の冒頭では箕作佳吉の研究が紹介されている48).なお,箕作は御木本幸
吉に対して真珠の養殖が可能であると助言したことでも知られている49).
箕作は1897(明治31)年,ワシントンで開催されたオットセイ保護会議に出
席するために渡米した.会議後ボストン市の求めにより「日本の社会生活」の
講演を実施した.玉木によれば,箕作はこの講演において天皇制について語り,
欧米諸国とは異なる日本の歴史と文明の特性についての理解を求めたとい
う50).このように,ローエル協会はアメリカ人だけでなく,日本人の講演者に
も開かれ,箕作によって日本人の立場から日本に関する講演が実施されたので
ある.
6.結
論
以上,本稿では,19世紀後半のマサチューセッツ州のライシーアムおよびロー
エル協会における日本を題材とした講演の実施状況を検討した.1870年代後半
から1890年代にかけて,モースやローエルは,自らが獲得した日本に関する情
報を講演を通して市民に紹介した.また,動物学者の箕作佳吉はローエル協会
での講演を通して,日本人の立場から日本の歴史や文明について解説し,日本
に対する理解の促進を目指した.このように,19世紀マサチューセッツ州にお
ける講演活動は,市民が日本に関する情報を獲得し,日本という他文化につい
て学び,理解を深める機会となっていたのである.
しかしながら,本稿では,実際の講演で語られた内容について触れることが
― 56 ―
19世紀後半アメリカ・マサチューセッツ州の講演会活動における日本に関する講演
できなかった.また,日本に関する講演によって,市民たちの日本に対する認
識に何らかの変化がもたらされたのかどうかについても,検討することができ
なかった.19世紀後半のマサチューセッツ州で実施された日本に関する講演の
内容とその影響については,今後の課題としたい.
註
1 )赤堀正宜『ボストン公共放送局と市民教育 ― マサチューセッツ州産業エ
リートと大学の連携 ― 』東信堂,2001年,32,46頁参照.
2 )宮本又次「アメリカにおける日本研究の発展」宮本又次編『アメリカの日
本研究』東洋経済新報社,1970年,3 頁.
3 )Josiah Holbrook,
Association of Adults for Mutual Education,
in:
(1826)
, pp.595-596. ライシーアム設置の
構想については,古川明子「教育復興期マサチューセッツ州におけるタウ
ン住民の学習運動 ― ライシーアムの設置と公教育制度化との接点 ― 」教
育史学会『日本の教育史学』第48集,2005年10月,3 頁を参照.
4 )古川明子「ライシーアム運動の再評価 ― 1830・40年代のコンコード・ラ
イシーアムにおける『相互教授』の思想と実践を中心に―」日本教育学会
『教育学研究』第69巻第 3 号,2002年 9 月,59-68頁参照.
5 )古川明子「ライシーアム運動における科学的知識普及の意義 ― ジョサイ
ア・ホルブルック編集『週間ファミリー・ライシーアム』を素材として ― 」
日本社会教育学会『日本社会教育学会紀要』No.39,2003年 6 月,97-106
頁参照.古川明子「ライシーアム運動における教授情報の普及とその理念
― 1830年代前半のマサチューセッツ州のタウンにおいて ― 」筑波大学教
育学会『筑波教育学研究』第3号,2005年 3 月,85-100頁参照.
6 )ライシーアム運動における海外の情報を題材とした講演については,以下
の研究で詳細に検討されている.Tom F. Wright ed.,
(Amherst & Boston: University of Massachusetts Press, 2013)
.
7 )Carl Bode,
― 57 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
(Carbondale and Edwardsville, Southern Illinois University Press, 1968)
,
pp,134-135.小野和人『ソローとライシーアム ― アメリカ・ルネサンス
期の講演文化 ― 』開文社出版,2000年,29頁.
Tom F. Wright, op.cit., p.12.
8 )Peter Gibian, The Lyceum as Contact Zone; Bayard Taylor s Lectures
on Foreign Travel, in: Tom F. Wright ed.,
(Amherst &
Boston: University of Massachusetts Press, 2013)
, p.174.
9 )ジョセフ・M・ヘニング(空井護訳)『アメリカ文化の日本経験 ― 人種・
宗教・文明と形成期米日関係 ― 』みすず書房,2005年,113頁参照.赤堀,
前掲書,46-47頁.
10)ロバート・A・ローゼンストーン(杉田英明・吉田和久訳)
『ハーン,モー
ス,グリフィスの日本』平凡社,1999年,106頁参照.
11)同書においてキャメロンは,コンコード,セイラム,リンカーンの各タウ
ンのライシーアム,及びローエル協会の講演会活動の記録を掲載している.
詳しくは,Kenneth Cameron ed.,
(Hartford: Transcendental Books, 1969)
.
日本のアメリカ文学研究者である小野和人はキャメロン収集の記録に基
づいて,コンコード・ライシーアムにおける1829年から81年の52年間の講
演活動の実態を詳細に分析している.とはいえ,小野の研究では「日本」
を題材とした講演について言及されていない.詳しくは,小野,前掲書参照.
また,筆者もキャメロンの記録を元にコンコード・ライシーアムにおけ
る「相互教授」の思想と実践を検討した.詳しくは,古川明子「ライシー
アム運動の再評価 ― 1830・40年代のコンコード・ライシーアムにおける
『相互教授』の思想と実践を中心に ― 」参照.
12)小野,前掲書,25-29頁参照.
13)Kenneth Cameron, op.cit., p.185.
14)落合知子「モース,エドワード・S」青木豊・矢島國雄編『博物館学人物
史上』雄山閣,2010年,71-77頁参照.
― 58 ―
19世紀後半アメリカ・マサチューセッツ州の講演会活動における日本に関する講演
15)エドワード・S・モース(石川欣一訳)
『日本その日その日 1 』平凡社,4 頁.
16)中西道子著/モース画『モースのスケッチブック』雄松堂出版,2002年,
287頁.
17)Kenneth Cameron, op.cit., p.185.
18)Ibid.
19)中西,前掲書,1,172,178頁.
20)中西,前掲書,382-383頁.落合,前掲論文,71,75頁.
21)セイラム・ライシーアムの跡地では,筆者が訪問当時,
「ライシーアムバー
&グリル」という名前のレストランが営業されていた.そこでは,セイラ
ム・ライシーアムの沿革と歴史を記したリーフレット「ライシーアムホー
ルの歴史」(The History of the Lyceum Hall)が配付されていた.本文中
のセイラム・ライシーアムの建築,講堂の形状の情報は,このリーフレッ
トに基づくものである.
22) Historical Sketch of the Salem Lyceum, with a list of the Officer and
Lectures Since Its Formation In 1830 in: Kenneth Cameron ed.,
(Hartford:
Transcendental Books, 1969)
, p.15.
23)Ibid., pp.15-17.
24)Angela G. Ray, How Cosmopolitan was the Lyceum, Anyway?, in: Tom
F. Wright ed.
(Amherst & Boston: University of Massachusetts Press, 2013)
, p.34.
25) Historical Sketch of the Salem Lyceum, with a list of the Officer and
Lectures Since Its Formation In 1830 in: Kenneth Cameron ed., The
(Hartford:
Transcendental Books, 1969)
, p.23.
26)モースがセイラム・ライシーアムで実施した講演は以下の通りである.
「動物の移動方法」
(Modes of Locomotion in Animal)
.
「人間の社会的
地位」
(Social Status of Man)
.「図解説明の技術」
(Art of Illustration)
.
― 59 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
「自然淘汰による進化」(Development by Natural Selection)
.
27)古川明子「教育復興期マサチューセッツ州におけるタウン住民の学習運動
― ライシーアムの設置と公教育制度化との接点 ― 」参照.
28)中西,前掲書,284頁.
29)中西,前掲書,287頁.
30)中西,前掲書,290頁.
31)Edward S. Morse,
(New York:
Dover Publications, Inc. 1961),p.xxxii.(斎藤正二・藤本周一訳『日本人の
住まい』八坂書房,2004年).
32)安高啓明『歴史のなかのミュージアム ― 驚異の部屋から大学博物館ま
で ― 』昭和堂,2014年,50-51頁.
33)Morse, op.cit., p.xxix.
34)ヘニング,前掲書,6-7頁,39-40頁.
35)斎藤正二「解説 ― 『日本人の住まい』の 民俗学的思考 について ― 」
モース著(斎藤正二・藤本周一訳)『日本人の住まい』八坂書房,2004年,
367-368頁.
36)落合,前掲論文,74-75頁.
37)中西,前掲書,5,290,360頁.
38)モースの著書『日本その日その日』の緒言には,ローエル協会での12回連
続講演で語られた内容が次のように示されている.「
(1)国土,国民,言語.
(2)国民性.(3)家庭,食物,化粧.(4)家庭及びその周囲.(5)子供,
玩具,遊戯.(6)寺院,劇場,音楽.(7)都会生活と保健事項.(8)田舎
の生活と自然の景色.(9)教育と学生.(10)産業的職業.(11)陶器及び
絵画芸術.(12)古物.」(モース『日本その日その日 1 』,22頁).
39)宮崎正明『知られざるジャパノロジスト ― ローエルの生涯 ― 』丸善,
1995年,10頁.ヘニング,前掲書,113頁参照.
40)Kenneth Cameron, op.cit., pp.55-56.
41)Ibid., p.58. ローエルはこの講演をもとに,著書
を
― 60 ―
19世紀後半アメリカ・マサチューセッツ州の講演会活動における日本に関する講演
出版した.ローエルのこの著書は平岡厚と上村和也によって翻訳されてい
る.詳しくは,パーシヴァル・ローエル(平岡厚・上村和也訳)
『神々へ
の道 ― 米国人天文学者の見た神秘の国・日本 ―』国書刊行会,2013年.
42)中西,前掲書,360-361頁.
43)Kenneth Cameron, op.cit., p.66.
44)宮本,前掲論文,3 頁.
45)Kenneth Cameron, op.cit., p.59.
46)下湯直樹「箕作佳吉」青木豊・矢島國雄編,前掲書,100頁.
47)玉木存『動物学者箕作佳吉とその時代 ― 明治人は何を考えたか ― 』三一
書房,1998年,16-19,23,36-38頁参照.
48)Morse, op.cit., p.viiii.(斎藤正二・藤本周一訳,前掲書,iii 頁.
)
49)下湯,前掲論文,107頁.
50)玉木,前掲書,260頁参照.
〔謝辞〕
本研究は MEXT 科研費18730488の助成を受けたものです.
― 61 ―
【調査研究】
子育て支援活動「ぴよぴよ」による学び
保育・教育実習の学びとの比較から
田
口
鉄
久
1.皇學館大学子育て支援活動「ぴよぴよ」について
(1)活動の概要
平成23年度にスタートした皇學館大学子育て支援活動「ぴよぴよ」は本年(平
成26年度)で 4 年を迎えた.活動は例年幼児教育コース有志 4 年生約30名が中
心に行なってきた(一部に 3 年生が担当する回もある).学生は主担当 3 人,
サポート 3 人の計 6 人でチームを組んで取り組む.年間の開催日数は実習,試
験期間等を除く24回前後で,毎週水曜日の10時から11時30分まで行う.未就園
の乳児・幼児とその保護者が対象で,一回あたりの参加組数は10∼20組である.
適正人数で実施するために隔週で乳児「たまご」
(0・1歳)
,幼児「こっこ」
( 2・
3 歳)のグループに分けて参加を求めているが,きょうだい関係,保護者相互
の関係もあり,厳密に分かれているわけではない.
(写真1)3年生の取り組み
(写真2)4年生の取り組み
― 63 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
参加者は限定せず,未就園児とその保護者であれば誰でも自由に参加できる.
保険に加入する関係で,サポート学生が参加者名簿を毎回確認して受付けを行
う.参加費用は無料であり,保険料等は大学の予算が充てられる.
運営の実質責任は幼児教育担当教授(平成26年度現在/筆者)であり,教職
支援担当助手(元公立幼稚園長)と子育て支援員(元公立保育所長/臨時職員)
が学生指導,保育実習室の管理・運営にあたる.
(2)活動の目的
子育て支援活動として保護者,地域に案内をする場合は,①子どもの遊び場,
②保護者の交流の場,③学生の実践的な学びの場として,参加を呼びかける.
しかし大学としてはさらに,④教育研究活動の場,⑤大学の地域貢献の場とし
ての目的もある. 4 年生,大学院生が卒業研究,修士論文作成のために観察・
聞き取りに入ったり,2・3 年生がゼミの時間に参観・参加して子育て支援の
意義や子ども理解,保育支援のあり方を学んだりすることもある.
(3)保育実習室の概要
保育実習室は平成22年10月に教育学部実験・実習棟の一階に設置された.保
育準備室(事務,会議,機器保管)
,テラス・手洗い場,約十坪の芝生園庭(ロ
グハウス・砂遊び場等設置),乳幼児用トイレ,教材戸棚,倉庫などを備える.
保育実習室は幼稚園・保育所の保育室を一回り程大きくした広さをもち,ピ
アノ,ままごと,絵本,積み木等のコーナーがある.実践を伴う授業等でも使
用することが多い.
(4)活動の概要
主担当学生 3 人は実施日に合わせて概ね前々週から活動の企画をし,前週に
は指導計画案の立案,活動に必要な制作等を行なう.前日には子育て支援員の
助言も得て,ほぼ準備を整える.
平成26年度の計画は(実施にあたって一部変更したところもあるが)以下の
通りである(表1).
― 64 ―
子育て支援活動「ぴよぴよ」による学び
(表1)平成26年度
回 月 日
①
4
②
5
内
容
子育て支援活動実施計画表
主担当 補助 回 月 日
16 学生企画(こっこ) A
b
23 学生企画(たまご) B
c
7
9
25
10
1
内
容
主担当 補助
⑭
8 学生企画(たまご) C
d
⑮
15 学生企画(こっこ) D
e
⑯
22 親子ふれ合い遊び
f
③
14 学生企画(こっこ) C
d
④
21 学生企画(たまご) D
e
⑤
28 学生企画(こっこ) E
f
⑰ 11 12 学生企画(こっこ) F
g
4 学生企画(たまご) F
g
⑱
19 学生企画(たまご) G
a
⑦
11 人形劇等の鑑賞
a
⑲
26 学生企画(こっこ) A
b
⑧
18 【 3 年生】企画
Ⅰグループ ⑳ 12
3 学生企画Xマス会
B
c
⑨
25 【 3 年生】企画
Ⅱグループ
10 学生企画Xマス会
C
d
2 【 3 年生】夏祭り
Ⅲグループ
17
⑪
9 【 3 年生】夏祭り
Ⅳグループ
⑫
16 学生企画
水遊び
A
b
14 学生企画(たまご) D
e
⑬
23 学生企画
水遊び
B
c
21 学生企画(こっこ) E
f
⑥
6
⑩
※
7
G
E
29
1
7
A∼G(a∼g)は担当学生グループ( 3 人)を示す.
子育て支援活動は10時から11時30分までである.前半は親子で,あるいは学
生と子どもが自由な遊びを行う.その後11時を目途に遊びの場を片付け,全体
活動に入る.活動内容はすべて担当学生の企画によるものであり手遊び,歌あ
そび,リズム遊び,パネルシアター,人形劇などを取り入れた 親子ふれ合い
遊び
季節をテーマにした遊び
行事に合わせた活動 を行うことが多い.
以下は大まかな日程である(表 2 ).
学生による活動が概ね終了する11時20分頃,子育て支援員が保護者へ数分間
まとめの話をする.その後学生は退室する親子を見送り,教員・支援員を交え
た反省会に臨む.
学生が企画した昨年度(平成25年度)の活動は以下の通りである(表 3 )
.
― 65 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
(表2)子育て支援活動
時
間
9 時∼
9 時30分
9 時30分∼
10時
10時∼
11時
第7号
日程表
11時∼
11時20分
保育実習室 駐車場案内 自由なあそ 親子ふれあ
準備
参 加 受 付 と び(ま ま ご い 遊 び(手
内
迎え入れ
と,積み木, 遊 び,歌 遊
ボ ー ル プ ー び,リ ズ ム
ル,滑り台, 遊 び,パ ネ
容
砂場など) ル シ ア タ ー
など)
(表3)平成25年度
11時20分
∼30分
11時30分
∼12時
子育て支援 担当学生と
員によるま 教員スタッ
と め の 話, フ と の 反 省
退 室 親 子 の 会,そ の 後
見送り
12 時 30 分 ご
ろ片付け終
了
子育て支援活動内容
回
月.日
主な活動内容(親子ふれ合い遊び,歌あそび,劇など)
1
4.17
2
4.24 「ころころたまご」「たまごマラカス」2年生の楽器遊び
3
5.15
しゅりけん忍者の劇,リズム遊び「しゅりけん忍者」
4
5.22
馬の親子の劇,歌あそび「おうまのおひざ」
5
5.29
パネルシアター「まねっこはみがき」「リズム遊び」
6
6. 5
かえるの合唱,カエルのふれあい遊び
7
6.12
手遊び「のねずみ」,人形劇「三匹のこぶた」他(外部講師)
8
6.19
創作劇「宇宙船にのって」,ふれあい遊び「宇宙船」
9
6.26
七夕飾り,パネルシアター「おすもうくまちゃん」
10
7. 3
手遊び「ぺろぺろアイス」夏祭り
11
7. 1
ふれあい遊び「大きなたいこ,小さなたいこ」夏祭り
12
7.17
ふれあい遊び「なみなみちゃぷーん」プール遊び
13
7.24
マジックショー「ジュース作り」他,プール遊び
14
10. 9
15
10.16
16
10.23
ビニール袋シアター「ポンタくん登場」,「さつまいも遊び」
17
10. 3
ハロウイン劇「まほうつかい」
,英語の歌「あたまかたひざポン」
18
11.13
ふれ合い遊び「もみもみもみじ」,バルーン遊び(外部講師)
19
11. 2
きのこの寸劇,ダンス「ドコノコキノコ」
20
11.27 「やきいもグーチーパー」の遊び,たき火に関した劇
21
12. 4 「あわてんぼうのサンタクロース」の楽器あそび
パネルシアター「約束のお花見」「バスにのって」
合奏遊び「虫の声」
,表現遊び「もぞもぞダンゴ虫」
(台風による休校)
― 66 ―
子育て支援活動「ぴよぴよ」による学び
22
12.11
23
1.15
ハンドベル「きよしこの夜」「ジングルベル」親子ふれ合い遊び
白雪姫の小人の劇,ハイホーの親子ダンス,サンタ登場
24
1.22
あんぱんまんの劇,手遊び
(5)実施後の反省会
実施後は 3 人の主担当学生, 3 人のサポート学生, 3 人の教員・支援員で,
約20分の反省会を行う.
学生は各自の取り組みを振り返り,感想を含め成果と課題を語り合う.また,
教員・支援員は当日の学生による支援内容,方法,子ども理解,保護者対応な
どについて指導・評価を行う.
学生は反省会の内容を備え付けのノートに記録すると共に一週間を目途に所
定の「振り返り記録」を提出する.今回の調査研究の基になったものは学生の
「振り返り記録」25年度・26年度( 4 ∼ 7 月)分である.
2.調査研究課題設定の理由
保育士,幼稚園教諭,認定こども園保育教諭を目指す学生は,大学において
専門の学びを修めて,資格・免許状を取得する.各学年平均60名の幼児教育コー
ス学生のほとんどは 4 年間で保育士資格・幼稚園教諭 1 種免許状,小学校教諭
1 種免許状を取得する.大学における学びは上記資格・免許状に必要な幅広い
教科目(講義・演習・実習)であり,履修すべき科目は多岐にわたる.実習は
5 実習(保育所 2 回,児童福祉施設等,幼稚園,小学校),トータル約12週に
及ぶ.
理論と実践の学びを融合させて晴れて幼児教育者として現場へ立つことにな
るが,実際には,大学の学びと保育・教育実習経験で現場へ位置づくのは学生
にとって不安が大きいと思われる.
今回取りあげる子育て支援活動「ぴよぴよ」は大学における学びに加えて,
学生に幅広い学びと自信を獲得させる活動であることを確認する.筆者はその
学びの特徴は①学びの多様性,②学びの協同性,③ゆとりのある取り組み期間
の 3 点であると考える.以下にそれぞれについての説明を記す.
― 67 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
(1)学びの多様性
保育・教育実習からの学びは 1.子どもからの学び,2.保育士・教諭等から
の学び,が主である(図 1 )
.一方大学で行う子育て支援活動では 1.子どもか
らの学び,2.保護者からの学び,3.仲間(学生)からの学び,4.教員・支援員
からの学びがある(図 2 ).子育て支援活動は学びに多様性がある.
学生
子ども
保護者
保育者
子ども
(図1)保育・教育実習の学び
教員
(図2)子育て支援活動の学び
(2)学びの協同性
保育・教育実習は指導担当保育士・教諭の指導の下,また各園の指導計画等
の制約を受けて,基本的には一人で取り組む.しかもそこは慣れない園である.
不安でありプレッシャーも大きい.
子育て支援活動の企画・立案・準備は学生チームの責任で行われる.企画・
実践は主担当 3 人(+サポート 3 人)のチームで協力して行う.仲間の支えが
ある心強さが学生の自信獲得にもつながっている.子育て支援活動の内容は
チーム学生による自由な自主企画である.安心の場(ホームグランド)で生き
生きと取り組むことができる.
(3)ゆとりのある取り組み期間
保育・教育実習では学生は期間を通して常時子ども支援に集中する.子ども
が帰った後も片付け,翌日の準備(環境構成)に追われ,自宅では日誌記入,
指導計画等の立案など多くの時間を必要とする.多忙な中で継続した学びを得
る.一方,子育て支援活動の主担当は 2 ヶ月に 1 回程度である.しかも,取り
組みはその日の 1 時間30分に限定される.学生はゆとりを持って準備に当た
り,新たな企画に思いをめぐらす.
― 68 ―
子育て支援活動「ぴよぴよ」による学び
筆者は上記のような学びの特徴をもった子育て支援活動を通して学生が通常
では得がたい学びと自信を獲得していると感じてきた.それを図示すれば以下
の通りである(図 3 ).
(図3)子育て支援の学びの特徴
今回学生の「振り返り記録」の調査研究に取り組むことを通して,これらの
学びを全体的に整理する.
3.調査研究の方法
「振り返り記録」はすべてデータ化し,分類に当っては各項目に数個の下位
カテゴリを置き,回答ごとに分類・整理した.
平成25年度子育て支援活動に取り組んだ主担当学生が提出した「振り返り記
録」は60人分である.なお学生は全項目に回答する必要はなく,選択して回答
する.
(1)指導計画案の立案について(26件)
(2)当日までの準備について(31件)
(3)当日の指導・支援について(24件)
(4)保護者との関係性について(31件)
平成26年度( 4 ∼ 7 月)子育て支援活動に取り組んだ主担当学生が提出した
「振り返り記録」は41人分である.ただし複数カテゴリにわたる回答があった
場合は分割して分類したものもある.一部に無記入項目もあった.
(1)子どもから学んだこと(44件)
(2)教員から学んだこと(37件)
― 69 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
上記合計193件を分類・整理することによって,保育・教育実習とは異なる「学
生による学内子育て支援活動の学び」の全体像を明らかにする.
4.結果と考察
(1)指導計画案の立案について
①指導計画案立案の負担感が少ない(10件中 3 件掲載)
ぴよぴよは一連の流れがある程度決まっているところがあり,何をするのか
考えやすいように思います.
実習のときより簡潔な指導案だった.全部指導案どおりにはいかなかった.
今までの先輩方の指導計画の記録から過去の活動内容を知ることができ,ま
た不明な点は参考にしながら計画を立てることができました.
②チームで立案できる( 7 件中 2 件掲載)
実習では自分ひとりで考えて指導計画案を立てなければならないから不安が
残るが,ぴよぴよでは他の二人の仲間と案を出して決めたから,最善と思える
計画になった.
実習では一人で立案していましたが,3人チームで行うことにより,自分だ
けでは思い浮かばないアイデアもあり,チームのよさを改めて知ることができ
ました.
③新たなことへ挑戦ができる( 5 件中 2 件掲載)
今回は水遊びの活動があったため,環境設定や保護者の方への声かけの部分
を事前によく考えました.特にプールはどこに配置すれば,保護者の方が周り
で見ていられるのかというところに気をつけ,プール後の着替えについてもど
れくらい必要か話し合いました.
子育て支援のよいところは自分のしたいことに迷わず挑戦できるところでは
ないかと思います.やはり実習だとどうしても「挑戦」より「確実」の道を選
んでしまうからです.
― 70 ―
子育て支援活動「ぴよぴよ」による学び
④困難なこと,その他( 4 件中 2 件掲載)
当日になってみないと誰が参加するのか分からないので,活動(内容)を決
めていくのが難しいと感じた.
実習では年齢が決まっていたがぴよぴよは年齢が多少異なるので,少し難し
いと感じた.
考
察(1)
1 時間30分という限定された場面における指導計画案を簡潔に立案するた
め,負担感が少ないことを述べる学生が多い.また実際の保育支援にあたって
は指導計画案の柔軟な運用が認められるために,伸び伸びと指導が行えること
を報告している.
指導計画立案に当って学生は相互に相談することによって自分には無い豊か
な着想を得ること,新たな保育に挑戦できることも報告している.学生の若い
感性を発揮した新しい保育を創造する場になっていることがわかる.
課題として,不特定子どもに対する支援の難しさをあげる.
(2)当日までの準備について
①ゆとりをもって準備・練習が出来る(14件中 3 件掲載)
実習と比較して,準備に使った時間は長かったように思います.また準備は
複数人でできるので,作るものなどは早くできました.また,飾りつけなども
考えを出し合って工夫することができました.
仲間と相談しながら一つのものを作り上げるので,よりよいものが作れたと
思います.
実習中は責任実習の準備や日誌などがあり,とても忙しくその合間をぬって
使う道具などを準備していましたが,今回(子育て支援活動)は時間がゆっく
り取れたので,納得がゆくまで取り組むことができました.
②チームで取り組むことができる( 8 件中 2 件掲載)
実習では一人で全部行っていたので,どうしても考えが固まり,行き詰って
― 71 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
しまうことがあった.ぴよぴよは 3 人でするのでより多くの案が出て,視野も
広がり,勉強になった.
実習のように一人ではなかったのでメンバーと協力・分担して準備すること
ができた.
③現場の仕事への気付きがある( 3 件中 2 件掲載)
幼稚園教育実習時に運動会の準備を手伝わせて頂く機会がありました.飾り
付けや当日の動き等,あらかじめ先生が詳しく教えてくださっていたためス
ムーズに動くことができましたが,それはあらかじめ先生方が話し合ったうえ
で,私たち実習生や保護者さんが動きやすいようにしていただいていたのだと
実感しました.
今回は練習時間が短く十分検討できないところもありました.しかし現場へ
出れば短い時間でクオリティの高いものを子どもに提供していかなければなら
ないので,短期集中でアイデアを出し,よりよい保育にしていけるように頑張
りたいです.
④困難なこと,その他( 6 件中 2 件掲載)
3 人グループで取り組むため,準備をするために集まる時間がなかなか合わ
ず難しかったです.
(夏祭り用の)作るものが多くて大変でした.
考
察(2)
保育・教育実習では学生は慣れない環境に入り不安な中,過密なスケジュー
ルに従って孤軍奮闘して成果をあげなければならない.それに比して本学子育
て支援活動は,主担当としては 2 ヶ月に 1 回程度,しかも 3 人のチームで取り
組む心強さがある.ここで生まれるゆとりが環境構成(保育のための準備)の
充実につながるとしていて,保育・幼児教育現場とは異なる学びと考えられる.
また,現場で必要とされる段取りの良い仕事の協働も学んでいることが分かる.
課題としてはチームとして足並みを揃えることの難しさを訴える一部学生が
― 72 ―
子育て支援活動「ぴよぴよ」による学び
いたが,これも一面では貴重な学びと考えることができる.
(3)当日の指導・支援について
①チームで指導・支援に臨むことができる(10件中 2 件掲載)
実習で部分保育や研究保育を行う場合,先生方に評価されるという緊張感・
不安感があるが,ぴよぴよは評価されるというよりは,先生方や保護者に見守
られているように感じた.そのためさほど緊張せず,ずっと笑顔で子どもとか
かわることができた.
指導・支援を一人でするわけではなく,何人かで補い合ってできるので,十
分に子どものことを見守ったり,関わったりすることができる.
②保護者の支えがある( 6 件中 2 件掲載)
子どもだけでなく,保護者もいるので,保護者に助けられることがある.
保護者の方が一緒にいたことから,言葉使いや説明の仕方など,実習では体
験したことのないものだった.
③困難なこと,その他( 8 件中 3 件掲載)
保護者が目の前にいるということから,どのように子どもたちに関わってい
くべきなのかとても悩みました.
実習であると子ども一人ひとりの性格や興味あることが分かってきます.
(ぴよぴよでは)名前と年齢しか分からないので,一人ひとりへの対応が難し
いと思いました.
実習ではある程度,数日関わったうえで,保育の実践をさせてもらいますが,
ぴよぴよでは当日参加する初めての子どもに対して保育するので,一人ひとり
と十分関わっていない分,指導するのは少し難しく思いました.
考
察(3)
当日の指導・支援をチームで行うという学生にとっての心強さが,保育・教
育実習のように過度の緊張感をもたなくてもよい安心感につながっている.共
― 73 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
に学ぶ仲間や教師の見守りがあることも心強いようである.これらに加え,保
護者に支えられ,保護者と共に子どもに楽しい遊びを経験させるという協同意
識が,学生の気持ちを楽にさせているようでもある.
一方で保護者と関係を築く難しさを感じる学生もいるが,これこそ保育・教
育実習では学ぶことの少ない領域であるので,貴重な実感だと考える.
また,不特定子どもの参加ゆえの子ども理解・支援の難しさを訴える学生も
いる.
(4)保護者との関係性について
①保護者と関わることができる(14件中 2 件掲載)
実習の時には保護者の方と話をすることが苦手だったのですが,ぴよぴよで
保護者の方と話をする機会が増えてくることで,少しずつ話ができるようにな
りました.何気ない会話から子どもさんのことまで,様々な話をすることで,
保護者の方との関係がよくなっていくのだと感じました.
実習では保護者の方と関わらせていただくことは少ないので,保護者の方に
積極的に関わりやすい環境にあるぴよぴよは,とてもよい経験になりました.
②保護者を通して学びがある( 6 件中 2 件掲載)
普段実習現場には保護者の方はいません.だから少し緊張してしまうことも
ありましたが,実際に保護者の方と話してみると楽しくお子さんの話を聞かせ
てもらうことができました.
子どもの見立て遊びが何を意味しているのか,どういったものが好きなのか
など教えていただき,子どもとの交流を助けていただいた.
③保護者を支え,励ますことの必要性を感じる( 6 件中 2 件掲載)
保護者の方も知らない人の多い環境で不安になっていると思うので,私たち
からお子さんについて何か伺ってみたりして話しかけていき,落ち着いて子育
て支援ぴよぴよの時間を楽しんでもらえるようにしていきたいと思いました.
実習時にはあまり保護者と関わる機会がなかったため,少し緊張しましたが,
― 74 ―
子育て支援活動「ぴよぴよ」による学び
幼児について普段どのような遊びをしているかや,発達状況等多くのことを教
えていただき嬉しく感じました.現場では幼児の様子を聞くだけではなく,不
安を打ち明けてもらう関係をつくりあげ,保護者にアドバイスしていかなけれ
ばならないのだと感じました.
④困難なこと,その他( 5 件中 2 件掲載)
実習でもぴよぴよでも保護者に気を遣いすぎてしまい,挨拶をしただけでう
まく会話をすることができなかった.
幼稚園実習は 1 ヶ月間だったので,お迎えに来てくれた親に「いつも○○先
生の話を聞きます」と声をかけてもらうことがたくさんありましたが,子育て
支援では初めて参加する親もいて,うまく関わることができませんでした.
考
察(4)
保育・教育実習では担任保育士・教諭が前面に立つ関係上,学生は保護者と
の関わりは控えなければならない立場になる.しかし,子育て支援活動では,
保護者と関わることが担当学生の役割であるため,学生は自然な形で保護者と
関わることになる.そこで保護者と関わるきっかけづくり,方法などを身につ
けると共に,保護者を通して子どもの育ちや遊びの意味などを学んでいる様子
がわかる.
中には,参加に不安をもつ保護者を支援する必要があることや将来保育士・
教諭になったときには保護者の不安をどのように受けとめればよいかと,思い
を馳せる学生もいる.
課題としては,保護者との関わりを持つことの難しさを訴える学生や,断続
的な子育て支援活動の取り組みの中では関係性を築くことの難しさを感じる学
生もいた.
(5)子どもからの学びについて
①遊びへの興味,遊び方への気付き( 8 件中 2 件掲載)
推定 3 歳の女児Hちゃんはウレタン積み木で遊ぶのが好きで,ずっと遊んで
― 75 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
いた.私は積み木というのは積んで遊ぶイメージがあったが,Hちゃんは運ぶ
遊びが好きで,運んできては私に「はいどうぞ」と置いていった.こういう遊び
方もあるのかと,自分の遊びに対する考え方が変った.子ども一人ひとりにそ
れぞれの遊び方があることを学んだ.
ままごとコーナーで遊んでいる姿から,子どもは親の姿をよく見ているのだ
なと感じました.テーブルの上にお皿を四つきれいに並べていて,並べ終わっ
たらお母さんに「ごはんできたよ」と話しかけていました.子どもは細かなと
ころまでよく見ているので保育者としても子どもの鏡になれるような行動をし
ていかなければならないと思いました.
②子どもの発達理解( 4 件中 2 件掲載)
今回は全員が 1 歳のお子さんだったが,同じ 1 歳でも月齢によって子どもの
姿が大きく違い,とても驚いた.一人歩きできる子も多かったが,まだハイハ
イでつかまり歩きが少しできるようになった子も中にはいた.また,言葉の発
達もまったく違った.この時期の子どもへは一人ひとりの対応がとても大切だ
と改めて思った.
2 歳の子でたくさん言葉を発する子もいれば人見知りする子もいた.同じ年
齢でも一人ひとりの発達に個人差が見られた.
③子どもが安心・安定できる支援( 4 件中 2 件掲載)
最初は母親のそばで遊んでいたが,環境に慣れたりこちら側から関わりを持
つようにしていくと自分から活発に行動したり,安心したかのように話をして
くれたりする姿が見られた.子どもにとっての安心できる空間が自己発揮や遊
びを通しての育ちの姿にもつながることを学びました.
親子ふれあい遊びでは母親に顔や身体を触れてもらうことで,子どもは笑顔
になっていて,スキンシップをはかることで子どもは喜びを感じ安心感を得ら
れると感じました.1歳の子なのに,集中して話を聞いてくれていて驚きまし
た.興味関心があることには子どもは集中することを学びました.
― 76 ―
子育て支援活動「ぴよぴよ」による学び
④子どもとのつながり方( 8 件中 2 件掲載)
まだ話すことができない子どもとふれ合う中で,表情や子どもの行動からそ
の子が今何を考え,感じているかを読み取らなければコミュニケーションでき
ない環境でした.「こうしたらこの子は喜ぶのかな」と手探りながらも子ども
の笑顔を引き出すためのふれ合いが少しでもできたかなと感じています.子ど
もの興味関心をつかみ取れる活動や自分の表情も身につけようと思いました.
どのような計画にすれば子どもたちが参加してくれるのかとても悩みまし
た.カエルになりきって遊ぶことで,とても元気に参加してくれました.子ど
もは,まず私たちが積極的にふれ合っていくことで心を開いてくれ,そこから
信用してくれるようになると思いました.
⑤遊び指導の方法(16件中 4 件掲載)
おもちゃで遊んでいた男児と関わっていたが,しばらくするとおもちゃに飽
きてくるのでそのおもちゃで違う遊び方を見せると,また興味をもって遊びを
楽しみ始めた.子どもの様子を見て,時に違う遊び方を提供してみると子ども
の興味は続くのだと学びました
前週の反省を踏まえて環境構成に配慮をしました.てるてる坊主を高いとこ
ろへ飾るのではなく机のところにつるしてみたり,ブロックやままごとを少し
出したりした状態にしました.子どもが一目散にその出ているものに触り,遊
びを展開していく姿を見て子どもの目線で環境を考えることの大切さを学びま
した.教具(遊具)でも反対側に付けてみたり,繰り返し何回もしたりする姿
を見て子どもの遊びには決まった型が無く自分なりの考えがあり楽しんでいる
のだと思いました.
始めの自由遊びのときに,お母さんにひっついてボーとしている子がたくさ
んいました.私が「おはよう.一緒に遊ぼ」と言うと うん とうなずき,ブ
ロック遊びに取り組みました.このとき声掛けってやっぱり大切だと改めて学
びました.保育士は子どもが遊びを行うきっかけを作ることを学ぶことができま
した.
今回はじめて水遊びの活動をしました.今までの室内での遊び方とは違い,
― 77 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
子どもの中には今日初めて水遊びをするという子もいて少し怖がっている様子
もありました.中には水に興味を示し,楽しんでいる子もいましたが不安を感
じている子にどのように関わっていくのがよいか難しいと思いました.
⑥安全への配慮( 4 件中 2 件掲載)
子どもは何でも口に入れてしまう.準備する物によく気をつけなければいけ
ないことを実感しました.今回は幸いけが等無く終われましたが,もしかした
らけがにつながってしまう危険もあったので,もっと子どもの目線から環境設
定をしていかなければならないと感じました.
私たちが考えた踊りは子どもたちも楽しそうに踊ってくれている子もいれ
ば,ほかの事をしている子どももいたりと様々でした.夏祭り中に廊下へ出て
行ってしまった子どもには気付くことができなかったので,周りをしっかりと
見渡すことが大切だと思いました.
考
察(5)
子どもからの学びは大きく分けると以下の二つである.子どもの遊ぶ姿,発
達の状況,親子関係など「子ども理解」に関する学びと,子どもとのつながり
方,遊び指導の方法,安全への配慮など「子ども支援の方法」に関する学びで
ある.これらは保育・教育実習と共通の学びといえる(1).
しかし,学びの具体的内容は保育・教育実習と子育て支援活動では異なる.
例えば 1 ∼ 2 人の乳幼児とじっくり関わることができること,保護者と乳幼児
の関係も含めて理解できること,その日の子育て支援活動全般に責任をもって
当ることなど,通常の保育・教育実習の学びとは異なる学びを得ていることが
分かる.
3 年生は(4)「子どもとのつながり方」に慣れていないためか手探り状態で
つながり方を試している様子が特徴的であった( 8 件すべて 3 年生の記述で
あった).また 4 年生を中心として(5)「遊び指導の方法」を 遊具
成
環境構
言葉かけ などを通して工夫しようとする姿もみられ,様々に模索・挑
戦している様子が伺えた.
― 78 ―
子育て支援活動「ぴよぴよ」による学び
(6)教員から学んだこと
①保育の方法・技術(14件中 2 件掲載)
先生方からは様々なアドバイスをいただきましたが,特に間の使い方や状況
に応じた保育をしていくことの重要性を学びました.次の活動へ進むタイミン
グや声の出し方,喋り方を工夫することで気持ちよく活動に移れると学びまし
た.またそのときの子どもの反応を見ながら内容を変更したり追加したりする
ことも必要だと学びました.間の使い方,臨機応変に対応することは,どちら
も子どもの興味をひきつけることに結びつくと思うので,指導案にとらわれす
ぎないように,来週からの実習でさっそく実行したいと思います.
保育者として保護者に関わる姿勢,保育を充実するための流れの作り方や演
じ方など様々なことを教えていただきました.これからの保育に活かしていけ
ることをたくさん学びました.現場で働くことの大変さや日常の子どもと保育
をするときのポイント(机の拭き方,荷物の置き方など)も教えていただき,
授業では学ぶことの出来ない貴重な学びをさせていただいています.
②保健衛生・安全に関する配慮(11件中 3 件掲載)
企画だけではなく始まる前の準備の大切さも改めて教えていただきました.
「おもちゃをなめる子への対策」や「この足場ではけがの恐れもある」など衛生・
安全への配慮もたくさん教えていただきました.
子どもの安全を第一に考えることの大切さです.今回ジュース屋さんをする
にあたって,先生方に指摘をいただくまでは,ストローが危険などということ
は考えもしていませんでした.保育をするにあたって,あらゆる可能性を考え
ることは大切だと思いました.
私たちは水遊びの活動は初めてでしたので,先生方に水の温度や環境の安全
性など様々なアドバイスをもらいました.それをこれからどのように活用して
いくかも考えさせられました.
― 79 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
③保護者との関わり( 3 件中 2 件掲載)
N先生と保護者さんとの関わり方がとても勉強になりました.先生のほうか
ら話しかけたり,時には子どもさんをお母さんの代わりに抱っこしてあげたり
と自然でさすがだなと思いました.本番までにリハーサルを見ていただき,注
意していただいたところを皆で話し合って改善したところ,本番ではスムーズ
に保育を進めることが出来,とても楽しかったです.
水遊びをしている際,水に入ることが怖くてお母さんにしがみついている女
の子がいました.私はいろいろな玩具を通して子どもが水に興味をもつように
働きかけていたのですが,T先生が保護者の方に「お風呂は誰と入っている
の?」と声をかけておられ「お父さんとです」と答えると,子どもに向かって
「お父さんとお風呂で遊んでいるかな?」と言葉がけをされていました.その
後保護者の方に対して「お風呂で遊んで慣れる子もいる」というように伝えら
れており,玩具だけでなく日常のことも取り入れた言葉がけをしていくことも
大切だと思いました.
④保育全般,その他( 9 件中 3 件掲載)
実際の現場経験のある先生方に指導していただき,保育者が一つの活動の中
にどれだけの思いを込めているか,子どもたちの安全面に対する配慮を行って
いるかが分かり,とても勉強になりました.私たちは 1・2 歳児だったらちぎ
り紙ができるというのを本で見て活動を行いましたが,まずは新聞紙をちぎり,
指先に力を入れることができるようになるという前段階があることや,のりの
使用についても様々な取り組みの上でできるようになることを知り,未就園児
に制作を行う難しさを学ぶことができました.
私には持っていない発想やアイデアがあり,新たな知識をたくさん教えてい
ただきました.また,子どもに対する思いや配慮などしっかりしていて,改め
てもっと子どもについて学びたいと思いました.また,グループで進めていく
にあたって,自分たちで考えるように指示を与えてくれたり,適切なアドバイ
スをしてくれたりと,とても勉強になりました.
先生方からは準備段階から相談を聞いていただき,アドバイスをたくさんも
― 80 ―
子育て支援活動「ぴよぴよ」による学び
らいました.保育者になる上で大切なこと,身だしなみや作法などといったこ
とから壁面などどのように工夫するのかを教えていただき,ためになりました.
反省会では先生方の視点からご指摘していただき,とても良い経験になりました.
考
察(6)
教員・支援員からの学びは主に以下の 5 場面で行われる.1.N支援員を中
心とした事前の相談,2.子育て支援活動中のN支援員の子ども・保護者への
自然な関わり,3.子育て支援活動を楽しみに参加するN栄養学教員の姿,4.
教員・支援員と共に行う実施直後の反省会,5.K教員が行う「振り返り記録」
に対する指導コメント記録渡しである.学生はこれら教員・支援員の指導・評
価を通して子ども理解の方法,保育の方法・技術,保護者支援のあり方などに
関する理解を深める.
中でも,長い保育経験をもつ 3 人の教員・支援員と共に行う 4.「反省会」で
学ぶことは大きいと思われる.筆者はここで教科の学びと実践の学びとの結合
を意図した指導に心掛ける.学生が教員・支援員から学んだとする(6)−①
∼④項目のすべては実践的な分野である. 4年生は大学での学びが最終段階に
入り,実践力をつける方向性を模索している時である.当日の活動を終えて反
省会へ臨む学生に対し,我々 3 人が行う助言は参考になっていることが確認で
きる.
5.結果のまとめ
学生の振り返り記録を基に子育て支援活動による学生の193件の学びを再度
整理すると大きく以下の 6 項目に分けることができる.
(1)仲間(学生)からの学び
総25件
(1)−②チームで立案できる
(2)−②チームで取り組むことができる
(3)−①チームで指導・支援に臨むことができる
(2)ゆとりから生まれる学び
総29件
(1)−①指導計画立案の負担感が少ない
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皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
(1)−③新たなことへ挑戦ができる
(2)−①ゆとりをもって準備・練習ができる
(3)保護者からの学び
総32件
(3)−②保護者の支えがある
(4)−①保護者の支えがある
(4)−②保護者を通しての学びがある
(4)−③保護者を支え,励ますことの必要性を感じる
(4)子どもからの学び
総44件
(5)−①遊びへの興味,遊び方への気付き
(5)−②子どもの発達理解
(5)−③子どもが安心・安定できる支援
(5)−④子どもとのつながり方
(5)−⑤遊び指導の方法
(5)−⑥安全への配慮
(5)教員からの学び
総37件
(6)−①保育の方法・技術
(6)−②保健衛生・安全に関する配慮
(6)−③保護者との関わり
(6)−④保育全般,その他
(6)その他の学び
総26件
(1)−④困難なこと,その他
(2)−③現場の仕事への気付き
(2)−④困難なこと,その他
(3)−③困難なこと,その他
(4)−④困難なこと,その他
子育て支援活動の学びの特徴は当初考えた①学びの多様性,
②学びの協同性,
③ゆとりのある取り組み期間にあることはいずれも学生による
「振り返り記録」
の分析・整理からも確かめることができた.子育て支援活動による学びを改め
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子育て支援活動「ぴよぴよ」による学び
て統合して整理するならば,以下のようになる.保育・教育実習では集中と継
続の場で子どもの学びと保育者からの学びを深化させる(図 4 ).子育て支援
活動ではゆとりと協働の場で保育の創造をめざす中で学生(仲間),保護者,
子ども,教員・支援員から多様な学びを得る(図 5 ).
学生
子ども
保護者
保育者
子ども
教員
集中と継続・深化の場
ゆとりと協働・創造の場
(図4)保育・教育実習の学び
(図5)子育て支援活動の学び
平成27年 4 月から施行される子ども・子育て支援制度の中で,新たな幼保連
携型認定こども園がスタートする.それに先立って告示された幼保連携型認定
こども園教育・保育要領(2)では「特に配慮する事項」の 6 項目めに①園児の
保護者に対する子育て支援,②地域における子育て家庭の保護者等に対する支
援,を実施するように努めることを掲げた.この点は保育所保育指針(3)にも
保育所の役割として示されているところである.
保育・幼児教育において園に通う子どもの保育の充実を図ることは園・保育
者の責務であるが,それと共に子育て支援に取り組むことも重要な役割になっ
ていることが分かる.
子育て支援の学びは保育士資格科目である「保育相談支援」「相談援助」な
どでも行われているが,実践の学びは子育て支援活動「ぴよぴよ」を通して得
ていると考えられる.本調査研究で確認した学生の学びを今後も子育て支援活
動を通して継続・発展させていく.これからの保育士,幼稚園教諭,保育教諭
養成にとって重要な学びである.
― 83 ―
皇學館大学教育学部研究報告集
第7号
6.今後の課題
今回は学生の学びを中心に調査研究した.子育て支援活動には多様な学びが
ある.学生の学びだけが大きいわけではなく,この活動が継続することによっ
て多様な人々の学び合いが生まれている(図 6 )
.今後はそれらの学びの内容
を総合的に明らかにしたいと考える.
(図6)子育て支援における多様な学びの関係図
終わりに
4 年生,3 年生の幼児教育コースを中心とした学生有志がチームを組んで本
子育て支援活動を担い続けている.学生の学びとは言え,よく努力をしている
と実感する.学生は必要に応じて保育実習室の壁面や周囲・天井などに季節に
合わせた作品を飾って保育実習室を楽しい雰囲気にする.その自覚的な姿を見
るとすでに 保育者 としての資質が備わっていると感じることがある.
子育て支援に関わる関係教員,支援員,参加協力教員に感謝する.教員・支
援員の見守りと支えの中で,学生の主体的な取り組みが促されている.併せて
教育学部,大学の変わらぬ支援に感謝する.学生の授業との調整,駐車場の確
保,運営費の助成,施設管理等細やかな配慮があって今日まで運営できている.
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子育て支援活動「ぴよぴよ」による学び
文
献
(1)田口鉄久『教育・保育実習による実習生・幼児・保育者の相互成長(2)
― 保育実習Ⅰ(保育所)実習日誌の読み取りから ―』
高田短期大学紀要
平成18年 3 月
第24号
(2)内閣府,文部科学省,厚生労働省『幼保連携型認定こども園教育・保育
要領』
平成26年 4 月30日
(3)厚生労働省『保育所保育指針』
平成20年 3 月28日
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皇學館大学教育学部研究報告集編集要項
教育学部研究報告集編集委員会
1.性
格
学術雑誌とし,研究論文,研究ノート,調査・実践報告,資料紹介,翻訳等
を掲載する.
2.編
集
教育学部研究報告集編集委員会(以下,編集委員会)がこれを担当する.
3.編集主任
編集委員会委員長がこれに当る.
4.編集方針
(1)投稿資格
執筆者は原則として教育学部専任教員および元教員とす
る.本学部教員(または元教員:以下において省略)以外の者の執筆は
本学部教員との連名の場合に限る.本学部教員以外の執筆者については
その所属,職名を記入する.
(2)募
集
年度初めの学科会議において執筆者を募る.
(3)発行回数
研究報告集の発行回数は原則として年1回とする.
(4)締 切 日
原稿締切は原則として10月末日とする.
(5)受
理
原稿は編集委員全委員に提出し編集主任が取りまとめる.
(6)掲 載 等
投稿原稿の掲載,分載,論文等の配列,書式その他の体裁
等,全般的編集に関しては,編集委員会に一任するものとする.印刷の
体裁は,A5版とする.
5.投稿原稿
(1)原稿は未発表のものに限る.ただし口頭発表の場合は,この限りでない.
(2)原稿の字数は,以下の通りとする.ただし,依頼原稿など,編集委員
会が特に指定した場合は,この限りではない.
①和文の場合は,40,000字(400字詰原稿用紙100枚)以内とする.
・横書き…35字×30行×約38枚(図表・注を含む)以内
・縦書き…52字×18行×約42枚(図表・注を含む)以内
②欧文の場合は,ダブルスペースで,原則として70字×20行とし28枚
以内を原則とする.
(3)原稿の提出は,論文データの入ったメディアを,教育学科研究室内の編
集委員会に提出するか,下記のアドレスに添付ファイルとして送付するも
のとする.ただし,丁寧に書かれた手書きの原稿によることも出来る.
<送付先アドレス:[email protected]>
(4)和文原稿題目には欧文訳を,欧文原稿題目には和文訳を必ず付記する
ものとする.
6.校
正
(1)執筆者による校正は期限内に限り最大四校までとする.
(2)第三校の段階では,誤植の訂正に限るものとし,原稿字句の修正,挿
入,削除等は最小限に留めることとする.
7.原稿の著作権について
(1)本論文誌に採録が決定された論文等の著作権は,本編集委員会に帰属
する.
(2)投稿に際し,採録された論文の著作権が本編集委員会に帰属すること
を同意しているものとする.
(3)採録後の掲載論文について,著者自身による学術教育目的(著者自身
による編集著作物への転載や掲載,複写による配布,Web上での公開
等を含む)で利用する場合,本編集委員会に許諾申請をすることなく使
用することができる.
(4)ただし,使用する場合,当該論文の初出が本集であることを明記する
ことが望ましい.
8.配
布
(1)執筆者には,各2部(ほかに抜刷50部−それ以上は執筆者負担),執
筆者以外の教育学部教員および名誉教授には各1部とする.
(2)彙報欄に略歴,研究業績等を記載された前年度退職教員には各1部と
する.
(3)特に配布を希望する教育学部以外の専任教員および事務職員には各1
部とする.
(4)学外への寄贈・交換その他の配布については別に定める.
9.保
管
(1)残部の保管は教育学科研究室がこれに当る.
(2)各号の永久保存はそれぞれ10部とし教育学科研究室がこれを保管する.
附
則
この編集要項は,平成20年6月5日から施行する.
附
則
この編集要項は,平成23年11月9日から施行する.
『皇學館大学教育学部研究報告集』 第7号編集後記
改めて1年がたつのは本当に速いものだと思う.もう本報告集の第7号を出
す時期になってしまった.今回はこれまでに比べて寄せられた論文・調査研究
は,併せて6本と若干少ない.日々の業務が大変忙しい中で,投稿していただ
いた諸氏には敬意を表するとともに心からお礼申し上げたい.
さて,近年文部科学省の働きかけもあって,大学で「グローバル人材」を育
成することが急務となってきた.私自身のことで恐縮だが,私の問題関心の一
つはグローバル化の中で歴史教育をどう捉えなおしたらよいかということで
あった.それで,本学へ赴任した30年前から「グローバル」を唱えていたが,
その時分にはほとんど反応がなく,わびしい思いをしていたものである.しか
し,時代が違ってきたなと思わざるを得ない.
だが,グローバル化だからといって,日本をいわゆる世界規準に合わせるべ
きだと主張したいわけではない.私は逆の現象が起きていると考えている.す
なわちグローバル化は世界の諸国・諸民族にアイデンティティクライシスを引
き起こし,それぞれに自己のもつ文化を呼び覚ます方向に作用しているのでは
ないであろうか.我が国に即して言えば,改めて日本とは何か,日本人とは何
かを問われているのではないだろうか.そのように思わざるを得ない.それは
さらに日本の諸地域においても,それぞれのもつ文化が問われているとも言え
る.愛知県と三重県では文化が違い,同じ三重県でも伊勢と四日市では違うと
いうように.私はそれを「内なる異文化」として捉える視角を提示してきた.
グローバル化というとすぐに英語が浮かんでくるし,実際今後数年後には小
学校でも3年生から英語学習が始まることになる.もちろん私はそのような方
向を否定するつもりは毛頭ないし,英語のもつ重要性については承知している
つもりである.しかし,先ほど述べた視点を軽視して英語学習を進めるなら
ば,それは大きな問題だと言わざるを得ないと思う.大切なことはまずもって
日本の文化をしっかり学び,自己のアイデンティティを確立し,その上で英語
を学ぶということである.
以上述べたことにそれほど大きな間違いがないとすれば,本学の建学の精神
はまさしくそれに合致しており,どの大学よりもグローバル時代に相応しい教
員を養成することができるのではないかと確信しているのである.6年間も学
部長をやらせていただいて,そうした人材を育てたのかと問われれば,はなは
だ心許なく忸怩たるものがあるが,しかしそのような心意気だけは今後も持ち
続けたいと思う.この6年間先生方に支えていただいたことを心より感謝し
て,擱筆したいと思う.
(教育学部長
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明
子
教
授
田
口
鉄
久
教
授
深
草
正
博
深草正博記)
平成27年3月31日
印刷
平成27年3月31日
発行
発行所
皇學館大学
代表者
教育学部
深草正博
〒516-8555 三重県伊勢市神田久志本町1704
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