大学時代の三人だけのクラス会 (H27.7.13) 我々3人は4年間の大学生活を通し親友として54年間もお付き合いしているが、人生観 や世界観もバラバラである。諺のように「合縁奇縁」というべきか、三人はどことなく「気 が合うスポーツマン」の一言に尽きる。今はみんな定年退職して年金生活者で我孫子市、流 山市、さいたま市に住んでいるが、それぞれが自分の描いた人生を歩んでいる。年一度、ク ラス会を開くのを常としてきた。定年退職後はクラス会の場所を有楽町から柏駅ビル内に代 えて開いてきた。私は東武野田線を使って一時間の距離である。毎回、5時から4時間の懇 親会となる。 ★今年は流山市の友から緊急にクラス会をいつもの場所で開きたいと電話がかかってきたの で、何かあるなと思いつつ話をしてみると、8月に流山市を引き上げて、長女の住む札幌に 引っ越しするのでみんな話したいというのにはびっくりした。我孫子市の友が体調不良で少 し待ってくれてというので1ケ月遅れて7月13日に久しぶりのクラス会となった。私は午 後5時に待合せ場所の柏駅に着くや、友の顔を見て顔の皺が増えたり、頭が禿げたり、髪の 毛は白くなった、背丈は縮んだり、お互いに年を取ったなあと実感せずにはいられなかった。 懇親会の場所はお気に入りのいつものお店と決まっているからまっしぐらに向かうも、1 年もたつと場所を忘れてしまい探し回る始末。エスカレーターのところの案内板を見て、お 店の位置を確認してお店にたどり着いたのである。これも老化現象かなとみんなで大笑いし てしまった。私を除いて他の二人はお酒大好き人間であるが、飲めない私のために最後は私 の大好きなものに付き合ってくれるのが常である。まずはビールで乾杯。外は猛暑とあって か、冷えたビールの喉越しの通過は本当に美味しい。飲めない私でも中ジョッキー一杯は飲 んでしまうか、それから先は苦味に代わり、お酒には手を付けず食べることとお話に専念す るのがいつものパターンである。 ★まずは流山市の友の話を聞くと、老後を考えて札幌市にマンションを買ったが、娘さんが 何年も前に先に引っ越して住んでいるので、そこへ同居するわけにもいかぬことや、40数 年流山市で過ごしてきたシガラミを断ち切りたい思いもあって、札幌の娘と奥さんが物件を 探し、藻岩山の山麓に中古の一軒屋を契約してしまったという。友は結婚して町田市鶴川団 地に住み、ここの野球部のエースだったことや、流山市ではテニスやマラソンクラブで活躍 した有名人でもあるように、それぞれの地域では地元に溶けこんで人生を謳歌する達人でも ある。この北海道でもサロマ湖百キロマラソンには 10 回完走してサロマンブルーというメ ンバーに 登録され、足型のレリーフがフィニッシュ地点に刻まれているランナーでもある。 我々は年老いてからの引っ越しはしんどいので考えもしないが、友は開拓精神旺盛でその 楽しみがあるから、残りの人生10年を札幌で過ごすことにしたという。その心意気には心 から頭が下がる。昨日、札幌から帰ってきたが、向こうの夏は日射しは強いものの湿気がな いので昼間でも家の中は涼しくクーラーなど必要ないとのこと。ただ冬は暖房用の灯油タン ク400リットルということや、床暖房なしには過ごせない程冷え込むという。自宅近くの までのバスは一時間に一本で、やはり車なしでは不便だという。その友が使っている軽自動 車で仙台まで行き、そこからへりーで北海道に渡り帰ってきたというから驚きである。 ★仙台まで行くときに常磐道を通ったが福島県の放射能汚染地域を通過する時に道路の表示 計をみると通常より16倍の放射能汚染状況が示されているのにはショックを受けたと語っ ていた。何故オリンピックに膨大な予算を使うの、その予算を国土再生のために使うべきだ と憤っていた。このような政治の話になると我々3人は安保闘争にも参加しているのですぐ に話が広がってしまう。現政権の安倍首相の右傾化にも話が及び、戦争知らない世代は、日 本は立憲主義国であることすら忘れてか憲法で禁じられている集団自衛権なるものを推進さ せている。これまでの自民党政権の長老たちは戦争を体験した世代なので、集団自衛権は憲 法違反として守ってきた。「安保法制」の前に憲法改正をして「安保法制」を作るのが筋で ある。今回のような強行採決は本末転倒です。民主主義とは多数決で物事を決めるのではな く、少数派の意見も尊重し、それをも取り入れてお互いに合意の上で決めていくことだ。私 と流山市の友は、学生時代は安保闘争に参加した。当時は総評の太田薫議長と岩井章 事務局 長のコンビで日本の労働界をひっぱり社会党共に自民党に睨みをきかせていたが、今日の連 合は右傾化してしまい、国民の苦しみや平和に対する思いを自民党と渡り合う気力もないの にあきれ返っているというのも共通認識であった。 ★クラス会は思い出を語る場所でもあり、今回も我孫子市の友は卒業試験の「英米法」が不 合格になってしまい、卒業が3ヶ月遅れてしまったこと、私は第二外国語にドイツを履修し たので、日本でも有名な登張先生やドイツ文学者高橋憲治先生から教えていただいたが、単 語を覚えるのが追いつかなくて、ドイツ語の小説を訳す試験なので、最初にこの単語が出た センテンスの場合は、こう訳すと日本語を覚えてしまい、優を取ったことを披瀝した。流山 市の友は大学の図書館に勤めてから、大学の恩師である雄弁家で有名な小松春雄先生と各大 学図書館会議の時にお会いし、初めて言葉を交わした時の感動を披瀝してくれた。また、私 の従兄が早稲田大学図書館の課長をしていたので友とのそのつながりで、音信不通の従兄が 亡くなった事を知り、従兄の母に連絡したことなども話に出た。全てが遠い昔のことである。 ★最後は家族の話題へと移っていく。私と流山市の友は現役時代から家族同士で何回も行き 来したこともあって、相手の家庭のことも知っているが、二人の共通点は家族を顧みず自分 の世界に打ち込んでしまったので、定年後は奥さんに言われっぱなしで小さくなっている。 それに引き換え我孫子市の友の奥さんはおおらかで、お父さん外へどんどん遊びにいってと、 お小遣いを持たせて送り出してくれるという。今では孫が5人という。何と我々にとっては 羨ましい限りである。今でもお酒を飲んだ後の仕上がりは甘味類で終わることは続いており、 最後は「奥さんによろしく」でお開きとなった。今度は札幌での再会を約束して別れた。 (郷土の会 岡村)
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