年にな 久郷ポンナレットさんは、 1964年、東京 オリンピックの年に、カンボジアのプノンペ ンで生まれた。日本に来てちょうど る。ポル・ポト政権下の壮絶な体験を語りなが ら、地球の平和を願って講演活動をしたり、カ ンボジアの伝統文化を伝える活動をしている。 忘れられない1975年 ポンナレットは、﹁美しく輝く子ども﹂ という 意味だそうだ。その名には、父と母の願いが込 村 上 信 夫 ︵アナウンサー︶ ず、土 木 工 事 や 農 作 業 に 駆 後に、四つ葉の意味は、﹁希望﹂﹁信仰﹂﹁愛情﹂ ﹁幸福﹂と知る。 年のあいだにそのすべてを、 した。 長男、 長女に恵まれた。 通信販売 地図の専門店 決意の剃髪もした。カンボジアでは、近親者 の葬儀で、剃髪する習慣があるが、女性が剃る のは珍しい。頭を剃ってくれたのも、加害者の 立場だった年老いた女性だった。指先のぬく も り が 伝 わ り、﹁こ の 人 た ち も 同 じ 人 間 だ﹂と 初めて実感した。 母親が諭してくれた ﹁憎まない。仕返ししな い﹂という言葉が蘇った。赦す気持ちが湧いて きた。赦すということは、水に流すことではな い。真正面から真実に向き合ってこそ赦せる。 過去には、 たくさんの教訓がある。 1975年4月、ポル・ポト派による強制退 去が始まる直前に撮った家族写真がある。こ 歳。 こに亡くなった兄や姉妹も一緒に写ってい る。タル兄さんは、フランス留学を夢見る オーク姉さんは、スポーツ万能、何でも楽しめ 歳。マオ姉さんは、おしとやかな美人の こ の4 人の 笑 顔 は、もう 見 る こ と が 出 来 な い。だからこそ、世界中が笑顔で満ち溢れるよ る 年、難 民 を 助 け る 会 に 呼 ば れ、体 験 を ス ピ ー チ し た。人 前 で 体 験 を 語 る の は、初 め て うになることが、 ポンナレットさんの願いだ。 くなった年齢を超えた。 のことだった。これをきっかけに心の奥にし を本にしたいという願いが実を結んだ。 年、 処女作 ﹃色のない空﹄ が刊行される。 け﹂ 。 夫は7回、 長男は3回読んでくれた。 家 族 も こ の 本 で、体 験 を 知 る こ と に な る。 ﹁隠 し て い た わ け で は な い。言 わ な か っ た だ 必死に生き延びて幸せをつかみ、時間に余 裕ができたと感じたころ、母や姉妹が夢に出 という書き出しだった。辛抱強く、温かく支え た。﹁な ぜ 自 分 だ け 生 き 残 っ た の か﹂ ・・・そ れ を何度も見た。言葉にできない苦しさを感じ て き て 訴 え た。母 と 姉 妹 が ﹁助 け て﹂と 叫 ぶ 夢 続けてくれた。彼も、 4 歳で父を亡くし寂しい には意味があるはずだ。 トに2時間遅れても待ってくれていた﹂ 。やさ けしに行き、軽いやけどをしたそうだ﹂ 。﹁デー ようと決めた。 送った。思い詰めた末、失った家族の葬儀をし 憎しみは、膨大なエネルギーを消耗させる。 憎むのではない方法を探し自問自答の日々を 長い間文通を続けていた久郷正彦さんと結婚 も慰霊の儀式に加わってくれた。 込めた。重労働を強いた元ポル・ポト派の農民 たまたま掘り出された骨を、肉親として火 葬した。犠牲になったすべての人への祈りを 女が手をさすってくれた。 村へ続く門をくぐると、無数の死者が出迎 えているように見えた。涙があふれた。隣の長 7000人が虐殺されたとされる場所だ。 た。首 都 プ ノ ン ペ ン の 北130 キ ロ の 農 村。 踏み入れないと誓った村を 年ぶりに訪れ 年 秋、当 時 歳 の 娘 と 一 緒 に カ ン ボ ジ アに向かい慰霊の儀式を行った。二度と足を しくて、いじらしいところにほだされ、 年、 私との肌のバランスを取るため、前日に日焼 子ども時代を送っていた。﹁海水浴に行くとき、 ∼ 久郷ポンナレット さん ∼ な っ た。こ の と き 01 何か始めたいと 思っている貴女へ。 数年後、 素敵に フルートを奏でる姿が そこにあります。 楽しく個人レッスン 致します♪ 常滑屋 月二回 第二・第三金曜日 午後一時∼三時 一回 二、 二五〇円︵三ヶ月分前納制︶ ☎〇五六九︵三五︶〇四七〇 おとなの フルート教室 入会受付中 大人でも上達する! ところ と き 会 費 問合せ 俳画教室開講中 フルート奏者として活躍中。 俳画家。 絵画を幼少より日展画家の︵故︶川村行雄氏に師 事。俳画を華道彩生会家元︵故︶村松一平氏に師 事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさ しいタッチで描いている。 個展多数。 ■イネ・セイミプロフィール 長いまつげの8歳。 歳。末娘のナエットちゃんは、クリクリした目、 まっていたことがあふれ出した。ミレニアム 赦すということ ﹁愛情﹂ を今の家族に注ぎ、﹁幸福﹂ でいられる。 というタイミングもきっかけになった。体験 手にすることができた。﹁希望﹂を持って来日、 政権崩壊後、タイの難民キャ ﹁難民少女、小学校卒業﹂の新聞記事を見て、 一 人 の 日 本 人 男 性 か ら 手 紙 が 届 い た。﹁僕 は、 ﹁信仰﹂を持って亡くなった家族に想いを馳せ、 ンプに逃れ、日本に留学して 隣の座間市に住む 歳の久郷と申します・・・﹂ アにも罹り、瀬戸際で一命を 年、来日した。﹁生 兄二人と いた姉を頼って、生き延びた 取り留めた。 年、ポル・ポト り 出 さ れ た。炎 天 下、マ ラ リ 30 憎まない。仕返ししない きるだけで精いっぱい。 あっという間だった﹂ 目的ではない。今回は、その後の生き方を伝え 壮絶極まりない体験は、 このような短い文章 では伝えきれない。いや、それを伝えることが ぷり受けて育った。父は、国立図書館の館長を たい。 頃、 映画俳優にスカウトされたほどの2枚目だ。 生き残った兄弟は、 全員日本に在住している。 姉のセタリンさん ︵ ︶は、町田市でカンボジア 料理店を営んでいる。トー兄さん ︵ ︶は本厚木、 彼女は、﹁父のような人と結婚したかった﹂とい う。母は女学校の先生をしていた。﹁叱られた記 トラ兄さん ︵ ︶は綾瀬にいる。みんな両親の亡 歳と 歳 憶がない。いつも笑顔だった﹂ 。だが、その父も 母もこの世の人ではない。 それぞれ で亡くなった。 四つ葉のクローバーの教え 来日して、姉の家に身を寄せて、ポンナレッ ト さ ん は、海 老 名 小 学 校4 年3 組 の 児 童 に 立ち退きを命じられた。 途中、 父は連行された。 と勉強した。親友になった、まさみちゃんが大 歳、6 歳 年 下 の 仲 間 た ち 次姉は栄養失調で病死した。 長兄は行方不明に 幸運が訪れるんだヨ﹂ と教えてもらった。 ロ ー バ ー を 探 し、﹁四 つ 葉 を 見 つ け た 人 に は、 切なことを教えてくれた。一緒に四つ葉のク 1975年のポル・ポト派によるクーデター の数日後、 数百万人のプノンペンの市民全員が 17 136 18 79 していた。 温厚で、 責任感が強い人だった。 若い められている。 歳までは、両親の愛情をたっ 80 なった。母もどこかに連れ去られ、 人家族の うち、 6人を失った。 行き着いた農村では、 ろくに食事も与えられ 18 15 0569-89-7127 [email protected] 申込み お問合せ 13 企画・制作:株式会社 新聞ビル 講師 イネ・セイミ 30 50 好評 発売中 《フルート奏者 指導歴30年》 1レッスン・1時間5,000円(ティータイム付) 48 99 05 55 16 43 ■村上信夫プロフィ−ル NHKエグゼクティブアナウンサー 1953年、京都生まれ。 明治学院大学卒業後、 1977年、 NHK 入局。 富山、山口、 名古屋、 東京、大阪に勤務。 現在は、 『ラジオビタミン』担当。 (ラジオ 第一 8:30 ∼ 11:50) これまで、 『おはよう日本』 『 ニュース7』 「育児カレンダー」などを担当。 教育や育児に関する問題に関心を持ち 続け、横浜市で父親たちの社会活動グ ループ『おやじの腕まくり』を結成。 趣味は、将棋。 著書に『元気のでてくることばたち!』 (近 代文芸社) 『おやじの腕まくり』 (JULA出版局) 『いの ちの対話(共著)』 ( 集 英社) 『 いのちと ユーモア (共著)』 (集英社) 俳画/イネ・セイミ 30 44 10 88 10 <発行所>あかい新聞店 武豊店/ 知多郡武豊町字金下37番地 ☎<0569>72-0356 常滑店/常滑市市場町4丁目167番地 ☎<0569>35-2861 わが町、 わが店、 この道一筋。 出逢いとコミュニケーション あかい新聞店ホームページ http://www.akai-shinbunten.net 第 258 号 平成22年2月1日 ●地形図、空中写真、海図、 いたします 地質図の販売 ●特注地図、地図データベースの製作販売 国土交通省国土地理院特定販売店 名古屋市中区東桜二丁目21-11(CBC筋向) 電話 (052) 931-1005(代)FAX (052)932-1312 http://www.alpspublishing.co.jp/ 杉 本 武 之 す。これは今から 年前に行 次 に、 ﹁私の良寛さま﹂と 題された講演から引用しま す﹂ に注目すべきことでありま のが描けるということは、誠 も燃えれば、あのくらいのも すから。精神遅滞の山下君で 手 を 動 か し な さ い ﹄。 そ う い と 聞 い た と こ ろ が、﹃ 盛 ん に 書くには、 どうしたらいいか﹄ が 良 寛 に、 ﹃字を早く上手に にあるのであります。ある人 りますが、これも逸話のなか 書そのものは分からんのであ 私 は 今 も 申 し ま し た よ う に、 意的要素と不随意的要素の組 のようでありますが、実は随 路。骨格筋運動は全く随意的 間に世話をしてくれる錐体外 路、命令された運動を知らん ります。⋮命令を伝える錐体 意識的であり、不随意的であ 世話をすることで、これは無 ら盛んに手を動かしていた 紙 を 使 う 代 わ り に、 ひ た す 家 で あ っ た の は、 墨 や 筆 や 良 寛 が、 あ れ ほ ど 優 れ た 書 字用具を持っていなかった 寛。 身 近 に ち ゃ ん と し た 習 使って手習いをしていた良 て、 毎 朝 必 ず 千 字、 指 を 無限に広がる大空に向かっ 象しかありませんでした。丸 知らず、ただ入学式で見た印 学賞。昭和 学士院賞。昭和 年、武田医 錐体外路系の研究により日本 年、 医学部長を歴任。昭和 年∼ 大の私の研究室へも来て、3 のであります。山下清君は京 れば、あれだけの絵が描ける 清君でも、希望と喜びを与え す。その証拠には、あの山下 しつかえないと私は思いま ま全部天才の卵だと思ってさ 全く輝き、彼の態度は優秀な かって描き出すと、彼の目は かって写生しようと標本に向 ります。しかし、いよいよ分 何度も繰り返して聞くのであ 普通の話をすると、確かに 彼は精神遅滞で、同じことを 正7年で、私が 歳の年であ 高等学校1年の夏休みで、大 ﹁私が初めて相馬御風さん の﹃大愚良寛﹄を読んだのは、 を言ったということが書いて 書きなさい﹄ 。こういうこと を見ないで、手本の方を見て による不随意的要素を慣らす これは練習によって錐体外路 複雑な運動になればなるほ ど、 練習が必要になりますが、 返していたことは有名な話 や刀を使って素振りを繰り 来 る 日 も 来 る 日 も、 バ ッ ト ら考えると、若い人はそのま か ら な ん で す ね。 そ う い え その無限の可能性﹄︵上・下︶ 顔で、鼻の下にチャップリン 章。平成元年6月死去。 歳﹀ 和5年に新潟医大教授。昭和 み合わせによって初めて可能 が目に留まりました。平澤興 のようなちょび髭を生やした 眺めていたら、 平澤興﹃人間・ ないと思います。私自身、こ の本を読む前はほとんど何も 年、 京 大 総 長。 昭 和 です。大将と呼ぶのは、彼と は﹃大将﹄を連発して聞くの 同じことを聞き、 回くらい れ で ま た 5 分 く ら い 経 つ と、 食べてこなすところだ﹄ 。そ 袋だ﹄﹃何だ?﹄﹃これは物を は、﹃大将、これは何だ?﹄ ﹃胃 し、その対象が頭に入るまで ます。私は驚きました。しか いや、むしろそれ以上であり し も 変 わ ら ん の で あ り ま す。 まに魅せられるに至ったので 全く一目ぼれで、生涯良寛さ まに出会い、それ以来、私は ⋮その中で、たまたま良寛さ を む さ ぼ り 読 ん で い ま し た。 信仰、哲学などの初歩のもの う 方 面 の 書、 す な わ ち 宗 教、 をもちはじめまして、そうい というものにいろいろと疑問 年の憂鬱といいますか、人生 四高等学校の1年の頃から青 ございます。⋮私は金沢の第 から、ずいぶんと古いことで うという場合の意志で、この 第一の要素は確かに随意的 のもので、例えば手を動かそ す。 来ておる複雑なものでありま 実は二つの異なる要素から出 す。 ⋮それを詳しく見ますと、 運動と呼んでおるのでありま 思われますから、普通、随意 がままに出来る運動のように これは一見、みな自分で思う のは、 人間の筋肉運動ですね。 ます。大変なことと申します ことを言っておるわけであり あります。これは実は大変な ます。それを良寛は、字を早 かなければならないのであり よう関節や筋肉を慣らしてお の時自然に、その通りに動く える錐体路だけではなく、そ 上手に書こうという意志を伝 練習がいるのであります。⋮ 自 由 自 在 の も の に な る に は、 すけれど、それがのびのびと 下手な字ならある程度書けま も 一 種 の 骨 格 筋 運 動 で あ り、 ためであります。字を書くの ﹁良寛筆を使わず﹂といえ りに使っていたのですから こ ろ か、 自 分 の 手 を 筆 代 わ の 場 合 は、 筆 を 選 ば な い ど と い う 諺 が あ り ま す。 良 寛 で す。 ﹁弘法筆を選ばず﹂ の記録です。 しては最高の敬意を払ってい あります。そんなことで、最 は尊敬しないと、大将とは言 の一人であります﹂ まは私の最も優れた師匠さん 習った点においては、良寛さ のものを我々の知らぬ間に適 の要素は、運動を行う筋肉そ ります。今は 歳であります る時で、彼は、人の偉さを軍 年、勲一等瑞宝 われた新潟県良寛会での講演 という著者名を見て、私はそ 田舎のおっさんという感じの 年から京大教授。教養部長、 の本を手にしました。私が京 人でした。神経解剖学の権威 か。知っている人は、多分い 都大学に入学した時、大学の だということだが、医学関係 人の位で言う癖があるんだそ 命令は自由に出せます。第二 わんのだそうですから、私は、 は、手を動かせと事もなげに 1939 年 碧南市に生ま 言 っ て お る の で あ り ま す が、 れる。 京都大学文学部卒業。翻訳業 何と驚くべき第六感でありま を経て、小学校教師になるた しょう﹂ めに愛知教育大学に入学。 年間、西尾市の小中学校に勤 良 寛 は、 毎 朝、 空 中 に 手 務。定 年 退 職 後、名 古 屋 大 学 を 伸 ば し て﹁ 千 字 文 ﹂ を 書 教育学部の大学院で学ぶ。 い て い ま し た︵ 写 真 参 照 ︶ 。 ︿趣味﹀読書と競馬 ︿ 杉 本 武 之 プロフィー ル﹀ そうです。 時間半ばかりねばっていきま も基本的な人生の在り方を ば、 あ の 野 球 の 王 選 手 が、 総長が平澤興でした。 そし て 、 な研究をした学者だったの うことを言っております。そ なのです。 この本の﹁上﹂に、私も参列 の 人 だ し、 私 の 大 学 生 活 は 、 良寛と平澤興 し て、 ﹃人の手本を見て字を して聞いた入学式での総長告 この学者と何の交流も無く終 先 日、 碧 南 市 民 図 書 館 で、 エッセイが並んでいる本棚を 辞 が 載 っ て い た の で す。 あ わるだろうと思いました。そ し た。 ね ば っ た と い う の は、 うです。ですから、よほど彼 書く時は、自分の書く字の方 あ、なつかしい。そんな思い して、予想通り何事も無く 年の歳月が過ぎたのです。 初めに、あの放浪の画家・ 山下清が京大の解剖学研究室 初めは 分でいいというので 面会したのでありますが、解 その時、だいぶ彼には好感を 当 に 選 び 出 し て 組 み 合 わ せ、 剖標本の写生に熱心のあま 命令通りの運動が行えるよう り、ついに3時間半も研究室 ﹁そこで良寛の書について、 く上手に書けるようになるに を訪れた時のエピソードを紹 介します。ある講演会で、平 澤興はこう話しました。 大学院の学生と比べても、少 で﹁上﹂を借りることにしま した。 ことが書かれていました。い 借りてきて、 読 んでみると、 ﹁下﹂には﹁私の良寛さま﹂ この本にはいろいろ興味深い という文章が掲載されていま した。良寛と同じ新潟生まれ く つ か 紹 介 し ま す。 そ の 前 年︵1900︶新潟県味方村 の平澤興が新潟県良寛会で のことが書いてあるものなら に生まれる。金沢の第四高等 に、 平 澤 興 の 略 歴。︿ 明 治 何でも読んでみたい私は、勿 学校卒業後、京都帝国大学医 行った講演の記録です。良寛 論、この﹁下﹂も借りること 学部に入学。卒業後、解剖学 完全に冷ました野菜スープを入れて下さ ポイント ミキサーにかける場合、 い。あふれてヤケドの原因です。弱スイッチから、はじめるコト。 教室助手、助教授。新潟医大 持たれたようでした。大将で 作り方 にいたのであります。 ❶鍋に火をつけⒶを溶かし、Ⓑを加えて1∼2分炒めⒹのスープの半分 を加え、煮立たせる。 ❷①の野菜がやわらかくなったら火を止め→冷ます。 ❸②が完全に冷めたらミキサーにかける。 ❹③を鍋に戻し、残りのスープを加え、煮立たせⒸで味を整える。 ❺④の沸騰直前にⒺを加え火を止める。 ❻あらかじめあたためておいたスープ皿もしくはカップに⑤を注ぐ。 あればパセリやクルトンを浮かす。 ﹁誰にでも無限の可能性が 与えられているということか 材料(4人分) にしました。 17 78 Ⓐ バター又はマーガリン…大さじ1 米…洗って水気をきっておく…30g Ⓑ にんじん(うす切り) …150g 玉ねぎ(うす切り) ……70g Ⓒ 塩…少々 こしょう…少々 コンソメ固形スープのもと…2個 Ⓓ お湯…4カップ(800cc) あらかじめとかしておく Ⓔ 生クリーム又は牛乳…50cc 助教授を経て欧米に留学。昭 ケットボール大会・六日 ︵土︶ ▼全知多ダブルス卓球大会・七日 ︵日︶ ▼愛知県卓球中学生男子学年別大会・ ▼常滑おやこ劇場 低高合同例会 ﹃新 作アンディ先生のストリートマジッ ◎常滑市民文化会館 日 ︵土︶ ▼J Aソフトバレーボール大会・二十 ▼ 常 滑 市 小 学 生 バ ド ミ ン ト ン 大 会・ 十一日 ︵木・祝︶ ク + イ リ ュ ー ジ ョ ン﹄ ・六 日 ︵土︶午 後 ▼常滑ジュニア教室インドアソフト や バ ス タ オ ル 等︶、水 分 補 給 で き る も ︵金︶ の、タ オ ル 申 込 み 期 限 十 二 日 申込み先 生涯学習課☎代表 ︱ 5111 F A X ︱7227 中 央 公 民 館 ☎ ︱6311 F A X ︱3112 ▼平成二十一年度自主事業 大人の ど ろ だ ん ご 作 り 教 室・二 十 三 日 ︵火︶ 午後一時∼同三時 こどもが大好き などろだんご作り、大人だって楽しい ▼バドミントン知多南部大会・二十八 会・二十七日 ︵土︶ だんご作りの楽しさを味わってみま で 個 性 豊 か な 自 分 が 生 ま れ る。ど ろ す。子 ど も の 頃 の、無 邪 気 な こ こ ろ を 宝物として誕生させることができま じ ゃ ぁ な い。ど ろ だ ん ご を 輝 か せ て、 ▼自治労愛知県本部定期大会・二十六 ◎常滑市中央公民館 テニス大会・二十一日 ︵日︶ 十三日 ︵土︶ 六時∼同七時半 ▼ バ ス ケ ッ ト ボ ー ルJ B L 日 ︵金︶ 午前十時∼午後五時 ▼平成二十一年度生涯学習課自主事 毎日できる体操をマスターしましょ ︵ ページへ続く︶ ▼平成二十一年度自主事業 初心者 ◎青海公民館 課☎ X 思いだし、1 点を集中。土・どろんこ館 ▼第六回 日本カジノ創設サミット・ 二十七日 ︵土︶ 午後三時∼同六時 う!楽しいリズムに合わせて、ストレ 日 ︵日︶ ◎常滑市立図書館 ▼常滑市小中学校読書感想画展・十七 ▼ 油 絵 M I K K O 作 品 展・二 十 六 日 ◎常滑市民俗資料館 ︵金︶ ∼三月九日 ︵火︶ ▼第六回企画展 ﹁常滑焼の道具 型の い ろ い ろ﹂ ・六 日 ︵土︶∼ 三 月 二 十 一 日 ◎常滑市体育館 ︵日︶ ス を 解 消 し ま し ょ う! 内 容 ス ト レッチ体操と簡単なエアロビクス 講師 濱田隆儀さん ︵体 操 指 導 員︶ ・ 講師助手 ﹁健 康 を 守 る 会﹂会 員 場 所 市民文化会館リハーサル室 対象 四十歳以上の人 定員 二十名 受講料 無料 持ち物 運動のでき る 服 装、室 内 用 運 動 靴、敷 物 ︵マ ッ ト 日 ︵水︶ ∼二十五日 ︵木︶ ︵日︶ ▼ 虹 彩 会 油 絵 展・五 日 ︵金︶∼ 十 四 日 ▼神明書道会展・∼四日 ︵木︶ ︵月曜日、 月末最後の日は休館︶ 業 冬 の 運 動 不 足 解 消 教 室・二 十 一 日、二 十 八 日 ︵各 日︶ 午 前 十 時 ∼ 同 十一時半 無理なく自分のペースで、 体 調 を と と の え ま し ょ う! 室 内 で、 しょう 内容 光どろだんご作り 講 師 土・ど ろ ん こ 館 イ ン ス ト ラ ク タ ー さ ん 会 場 I N A X 土・ど ろ ん こ 館 対 象 常 滑 市 在 住・在 勤・在 学の人 定員 二十名 ※参加者多 数の場合は抽選となります 受講料 無料 材料費 八百円 持ち物 エプロン、タオル 申込み期限 六日 ︵土︶ 申 込 み 先 生 涯 学 習 課 又 は 中 央 公 民 館 ※ ☎ ︱6311 F A ︱3112 問 合 せ 生 涯 学 習 ︱5111︵代︶ 内線386 常滑大 ▼第五十四回 新入学を祝うよい子 のつどい・十日 ︵水︶ 午前十時∼正午 35 10 受験シーズン到来。腹もちがよいポタージュを夜食にいかがです か?我家はこの冬風邪を一度もひいてませんよ。おすすめです。 ところで、平澤興という人 はどんな人だったのか。どん この指とまれ 子どものころ、友達とど れくらい高い所から飛び下 お互い目を回して物に ぶつかったりするので りれるかを、坂道の勾配を 利用して下の道に﹁飛び下 ▼村上睦子杯争奪市民小学生バス 35 空中習字(安田靫彦画) 屋外で広い所でしたい ものです。 35 83 28 26 32 21 38 ③腰を下ろして、両ひじを 子どもは刺激の強いこと ついて﹁枕木で∼す﹂と が好きです。これは、一つ 氏 原 朝 信 幼児の上に少し体重をか の成長のバロメーターにな 乳幼児とあそぼ⑹ ける。 っているようです。 子どもはまた、木登り、 成長にともない遊びの活動も活発になってきます。昨 回せん塔 ジャングルジムなど、高い 日まで﹁こわいよう﹂と言って泣いていた幼児が、﹁や ①幼児の脇の下に両手を差 所がお好きです。でも、高 ってやって﹂と言ってせがむようになってきます。あせ し 込 み 、 両 手 首 を に ぎ る い所に登るだけでなく、高 らず、その子なりの成長に合わせた遊び﹁からだあそび﹂ か、両指をからめてはず いところから飛び下りるの も大好きです。 をしてやってください。一歩踏み出すためには、相当な れないようにする。 ②持ち上げて﹁グル、 グル﹂ 積み木の箱くらいの物か 勇気が必要になってきます。 と言いながら、速くした ら、ピョンと飛び下りては 鳥の巣立ちと同じような 背中の方からおろして腰 り、ゆっくりにしたり、 一人で手をたたいて自分を ものです。何回も何回も羽 あたりで両腕で抱え込む また、上げたり、下げた ほめているのをよく見かけ ばたきながら、親にうなが ようにして受けとめる。 りして体を回していく。 ます。それが、次第に階段 ②静かに﹁下がりま∼す、 *この遊びは、屋内だと の一段めやソファの上から 物に足をぶつけたり、 と高くなっていきます。 されながら、または、周り 長澤晶子の SPEED★COOKING! 50 33 2 30 りる遊び﹂をしたものです。 5 にんじんと米のポタージュ 栄養満点! ! 34 35 (167) の飛ぶ様子を見て勇気をふ 上がりま∼す﹂と言いな りしぼりながら、飛び立っ がら上下に屈んだりのび ていくのです。 たりする。また、 ﹁グ∼ ル、グ∼ル﹂と言いなが 肩車から枕木 ら、目が回らない程度に ①肩車をしておろすとき、 ゆっくり回していく。 35 35 30 (56) 45 家 研究 料理 25 平成22年2月1日 (2) 第 258 号 愛知県立大学名誉教授 山田正敏 鬱病をも癒した、 ││ 田舎の生活環境⑧ ││ 出に行く、所管の警察署の裏池に群 小 魚 を 捕 食 す る。 ス ズ メ よ り 大 形 で、 う に 飛 び、 水 面 に 飛 び 込 ん で 素 早 く と い う。 雌 雄 一 対 に な っ て、 矢 の よ 行く が、 わ が 家 の 池 に 降 り、 魚 を 啄 ん で 日 々 目 に し て 来 た。 そ の 鷺 の 何 匹 か 東に飛行 し、夕方西に飛来する姿は、 ︽ ﹁翡翠﹂も飛来する池︾ 尾 は 短 く、 く ち ば し は 鋭 く 長 大。 羽 に来たというのである。 と、 管 理 人 が 困 惑 顔 で 話 し し ば ら く す る と、 こ の 池 に 番 い の 翡 翠 が 訪 れ る と い う。 西 隣 の 椰 子 の 根 は 6 ∼ 7 セ ン チ。 体 の 上 面 は 緑 暗 │ 森に生息する翡翠のようである。 ﹁空飛ぶ宝石﹂とも言われ、 清流の﹁指 去らないらしい。 大 小 多 量 の 魚 を 捕 り、 簡 単 に は 立 ち 色、 腹 は 茶 が か っ た 橙 色、 背・ 腰 は 翡 翠 は、 素 早 く 魚 を 捕 食 す る が、 どうやら鷺は、長い足で、池に居座り、 路 が あ る。 さ ら に、 こ の 小 さ な 森 を 標 種 ﹂ と さ れ て い る ⋮⋮ と。 要 約 こ 光沢の強いコバルト、足は赤い⋮⋮。 挟 ん だ 西 側 に は、 綺 麗 な 砂 地 の 浅 い のような説明である。 屋 敷 と 森 と の 間 に は、 細 い 農 道 と 平 行 し て、 細 い が 深 い 水 田 灌 漑 用 水 谷川の清流もある。 す で に 知 っ て い た。 そ の 竹 薮 は 白 鷺 こ の 鷺 の 棲 は、 西 隣 の 部 落 の 竹 薮 で あ る こ と は、 管 理 人 の 案 内 で 私 は も達に掬ってくるようにたのもうと こ の 翡 翠 は、 ど う や ら こ の 森 と 谷 ど の 亊 典 に も カ ラ ー 写 真 ど こ ろ か、 川の水辺を棲息地にしている小鳥の 白 黒 の 写 真 も な い。 言 葉 の 説 明 の み。 の白い糞で、惨憺たるものであった。 して、あの管理人の喜びようと、池 生 す る 水 中 植 物。 あ つ か ま し く も、 思っていたのに⋮⋮。それはそれと 私 と 同 様 に、 そ の 素 早 さ ゆ え に、 カ 私が所望して頂戴してきたものであ 雌 雄 仲 好 く 行 動 し、﹁ 翡 翠 ﹂ の 漢 て い る と い う。 目 敏 い 管 理 人 の 娘 や 字 で 一 体 化 し、﹁ カ ワ セ ミ ﹂ と 命 名 じるし︶になる〝清潔 が泳ぎまわっている。水蓮の葉陰に 谷川や農水路で捕ってきた川魚たち めた緋鯉や真鯉、子ども達が近くの る。魚も大小さまざま。当初買い求 り、水蓮も増殖し、花を咲かせてい の 池 も 歳 月 を 経 て、 当 初 の 願 い 通 れも私と警察官 表して⋮⋮。こ と丁重に謝意を 変ありがとう︶ ﹂ カシ・バニャ︵大 で、 ﹁トゥリマ ンドネシア語〟 欲求不満はつのるばかり⋮⋮。 実像は淡く掻き消されるばかり⋮⋮。 像〟は見えず、飛び立つ羽根の動きで、 こ の 二 ∼ 三 年、﹁ カ ワセミ﹂の飛来の話し い。 実 物 の 鳥 を 見 な が ら、 そ の〝 実 しかし、私は本当の翡翠という﹁宝 石 ﹂ も、 見 た こ と も 触 っ た こ と も な 宝石の﹁翡翠﹂と同じ漢字である。 させられた。よい勉強 見紛う鳥〟の解説に えば﹁カワセミ﹂は、書いて字の如く、 文〝 ﹁空飛ぶ宝石﹂と になった。 は聞かないし、尋ねた こともない。 ◆ 迷惑そうに妻に語っ た と い う。 そ う い え ば、 も う 随 分 以 前 か ら、 早 朝 に 群 を な し て、 家 の 前 の 中 空 を なってきた。 て く れ る〝 思 い も か け な い 窓 口 〟 に 私 達 に、 地 域 の 自 然 界 の 様 子 を 教 え わが家の〝人工の自然である池〟も、 メラに写し取ることが出来なかった いつの間にか〝天然の自然〟に馴染み、 さ れ て い る〝 夫 婦 愛 の シ ン ボ ル の よ のだろうか││ 。 もっと欲しいか れ る が、 私 は、 素 早 い こ の 鳥 の 姿 を う な 鳥 〟。 多 様 な 色 彩 ようである。 る。警官も気易く池に入り、五∼六 の管理への意欲には、圧倒される思 森 に 沿 っ た 母 屋 の 裏 庭 の 木 々 に も、 この鳥はよく飛来し、枝に時々とまっ 株ビニールの袋 と、 ﹁ バ ニ ャ・ じ っ く り 眺 め た こ と は、 未 だ に 一 度 で 飾 ら れ た〝 華 麗 な に 入 れ て く れ た。 バ ニ ャ︵ 多 く ︶ 、 もない。 素 早 く 飛 び 立 つ、 一 瞬 の そ の 姿 は、 た び た び 目 に し た が、 そ の 飛 び 立 つ な鳥〟 。そして何より も、数え切れないほどたむろしてい との〝変形・ゴ 鳥〟 。 清 流 の 指 標︵ 目 姿は、きらびやかな、 色彩ゆたかな〝淡 も﹃ 広 辞 苑 ﹄ の 説 明 妻 が、 そ っ と 身 振 と 小 声 で 教 え て く マウ︵欲し︶? ⋮⋮﹂と言葉を 添えて⋮⋮。私 い 幻 の 宝 石 〟 に も 似 て い る。 そ う 言 る。メダカほどの誕生したばかりの ト ン・ ロ ヨ ン 〟 は、大きく共感・納得 小魚もいる。多分、水蓮や浮草のフ 私 の 場 合 は、 そ の 両 方 で あ ろ う。 時 カ ワ セ ミ の 雄 を﹁ 翡 ﹂、 雌 を﹁ 翠 ﹂ 来る││と、管理人が と も 過 去 の 職 業 病 の 名 残 な の か │ │。 その代わり、この池 に、白鷺が魚を捕りに ﹁ 知 り た い こ と ﹂ を﹁ わ か ら な い ま ま ﹂ 放 置 で き な い 性 分 な の か、 そ れ か?││。 いだった。 を、 他 の 魚 に は 目 も く れ ず に 掬 い 水量を調節し、餌をまいている。時 の魚一世〟たちだろう。 わずか十年ほどの歳月ながら、池 の囲いには苔が生し、まるで遺跡文 上げ、私に同意を求める仕種。よほ けない限り、こだわり続けている。 化財のような宇宙を、この庭に醸し も、大人たちも││。 ど欲しかったのだろう。さらに途中 池の魚は、近くの水路や小川で子ど 下車して、魚の餌も入手する。私は 出している。 この水蓮や浮草は、バリの家を訪 れるたびに、滯在届けと手数料を提 には村人も覗きに来ている。子ども 日 本 に 帰 り、 早 速 身 近 な 亊 典 類 で ﹁翡翠﹂を調べてみると││。 折﹁ こ だ わ り 過 ぎ ﹂ と 家 人 に な じ ら センチほどの緋鯉と真鯉五∼六匹 それからというもの、管理人は早 朝から池の辺りに佇んで、池を眺め、 れ る こ と も あ る が、 他 人 に 迷 惑 を か 帰 り 道、 管 理 魚の卵から孵化した〝純正のこの池 人は車を止めて、金魚屋の池で、十 サフサした根に、生み付けられた成 私の思いつきで、庭の一隅に池を も、聞き覚えの 掘 っ て も ら っ て、 は や 十 余 年。 こ 〝 カ タ コ ト・ イ ◆ ︽ゴ ト ン・ロ ヨ ン で、出 来 あ が っ た 池 で、〝喜 び も〟〝安 ら ぎ も〟〝き び し い 自 然 の 摂 理〟も知る︾ ⑬ バリの村に住む︾ ︽伝統的な ﹃バリ島 行ったり来たり﹄ 第 258 号 (3) 平成22年2月1日 第 258 号 平成22年2月1日 (4) 連載絵本 ﹃ユウちゃんのふしぎな国﹄第三回 ⑥ ⑧ ⑦ ㍍ほどの小枝をつけ、小枝の 奥 川 弘 成 岩橋さんの作品には、全国に熱狂的 ちょっとおじゃまします なファンがいると聞く。 岩 橋 さ んは 全 国 を 旅 して、全 国 伝統工芸士 岩橋眞悟さ ん 出 張 個 展を積 極 的に開く作 家とし て知 られている。旅は岩 橋さんの仕 事のエネルギーでもあるようだ。旅 先での巡り合いが楽しくて、時間を 見つけて、美 術 館に出 掛 ける。おい しいものに出あい、食べる。その土地 でしか味わえない美意識・心意気が、 日本中のどこにでもあるという。 ﹁岩 橋3 兄 弟は有 名 だよ﹂と言わ 岩 橋さんは結 晶 釉の窯 変 的なも れ、個 展 会 場へ訪 ねてみた。そこに のを得 意としている。窯を開けてみ 現われたのは、人の良さそうなおじ ないと、出来栄えがわからないスリ さん だった。ちょう ど、 数 年 ぶり ルを味わい、充実した気分で仕事を の個 展の最 中であった。﹁思 う よ う に売れないねぇ﹂と、ボヤいていたが、 しているようだ。淡いピンクの結 晶 陶芸教室Ⅱ﹁たたらの器づくり﹂ ・十二日 ︵金︶ 午 後 一 時 半 ∼ 同 三 時 半 土 に ふ れ、無 心 に 作 陶 す る っ て、い い じ ゃ な ぁ ∼い。たたら作りで素敵な器作品つくり を楽しみましょう 内容 陶芸体験教 室 講師 試作訓練所職員さん 会場 常滑市試作訓練所 対象 常滑市在 住・在 勤・在 学 の 人 定 員 二 十 名 ※ 参加者多数の場合は抽選となります 受講料 無料 材料費 千八百円 持 ち物 エプロン、タオル 申込み期限 六日 ︵土︶ 申 込 み 先 生 涯 学 習 課 又 は 青 海 公 民 館 ※ ☎ ︱6622 F A X ︱0115 問 合 せ 生 涯 学 習 課 ☎ ︱5111︵代︶ 内線386 ▼平成二十一年度 青海公民館 市民 講座 同朋大学 〝い の ち の 村〟出 張 講 義 講 座Ⅰ 講 話 内 容 人 間 が 育 つ と い う こ と ∼ 幼 児 か ら 高 齢 者 ま で ∼・二 日 ︵火︶ 午 後 一 時 半 ∼ 同 三 時 講 師 北 畠知量先生 ︵同 朋 大 学 社 会 福 祉 学 科 教 う 内容 小物づくり 講師 小久保 令子さん 会場 鬼崎公民館二階学習 室 対 象 常 滑 市 在 住・在 勤・在 学 の 人 定員 二十名 ※参加者多数の場 合は抽選となります 受講料 千六百 円 材料費 千円 持ち物 洋裁セッ ト 申 込 み 期 限 六 日︵土︶ 申 込 み 先 生涯学習課又は鬼崎公民館 ※電 話 申 込 み 可 ☎ ︱0660 F A X ︱0116 問 合 せ 生 涯 学 習 課 公 民 館 担 当 ☎ ︱5111︵代︶ 内 線 386・387 43 ▼平成二十一年度 自主事業 木の絵 画 教 室・二 十 六 日︵金︶ 午 後 一 時 半 ∼ 同四時 1 枚の絵画を細やかなパーツ に 分 け1 枚1 枚 木 材 を 切 り 抜 き 貼 り 絵 のように組み合わせて作る木の絵画。色 や木目の違いを利用して、奥行きや背景 の強弱を表現します。木の絵画を一緒に 他の2 色を混ぜ、いろいろな模様を付け て布を染めます 材料費 一枚二百円 円 工 作﹃お め ん で へ ん し ん﹄ ・二 日 ▼ 二十名 参加費 四千四百円︵桶持参 三千七百円︶ ◎武豊町民会館 ゆめたろうプラザ ▼科学レクチャー講座﹃行くぞ、宇宙﹄ど う や っ た ら 宇 宙 へ い け る の? 開 発 中 の 新 型 エ ン ジ ン っ て? 民 間 宇 宙 機 開 発 の 最前線を大公開!・六日 ︵土︶ 午 後 二 時 ∼同三時半 講師 緒川修治さん 対 象 小学四年生以上 ▼ 伝 統 文 化 子 ど も 教 室 発 表 会・十 四 日 ︵火︶∼ 二 十 八 日︵日︶ 午 前 九 時 ∼ 午 後 四時半 内容 楽しい変身お面を作り ます 材料費 一個五十円 ▼ファミリー劇場のお知らせ・二十一日 ︵日︶2 回 公 演 ① 午 前 十 時 半 ∼ ② 午 後一時半∼ 内容 劇団うりんこによ る﹃夏 の 夜 の 夢 の サ マ ー ス ク ー ル﹄の 公 ︵日︶ 午 後 二 時 開 演 ▼ゆめプラモーニングコンサート ♪ 楽 し い オ ペ ラ の 雰 囲 気 を﹁平 康 悦 子・永 ◎ ギャラリーCera︵常滑市観光プラザ︶ 午前十時半開演 プログラム 歌の 翼に ︵メ ン デ ル ス ゾ ー ン︶ ・ゆ め︵ト ス 井 秀 司 デ ュ オ リ サ イ タ ル﹂ ・十 七 日︵水︶ 演 入 場 料 五 百 円︵満2 歳 以 上・全 自 由席︶ チケットは、地域文化センター、 勤労文化会館、東部・岡田公民館、および ふ れ あ い プ ラ ザ に て、好 評 発 売 中︵電 話 予約はありません︶ ◎ギャラリー共栄窯 ▼鯉江良二陶展・六日 ︵土︶ ∼十六日︵火︶ ▼ 若 手 グ ル ー プ 展・二 十 日 ︵土︶ ∼三月二日︵火︶ テ ィ︶ ・幻 想 即 興 曲 ︵シ ョ パ ン︶な ど チ ケット 五百円︵一ドリンク付︶ ▼武豊町民劇団 T AKE TO YO 定 期 公 演﹃カ ザ ー ミ 村 と 青 い 竜﹄ ・ 二 十 日︵土︶ ① 午 後 一 時 半 開 演 ② 午 後七時開演・二十一日︵日︶ 午後一時半 時半 ▼絵画展・二十三日︵火︶∼二十八日︵日︶ 開演 ▼福永千秋 滝上真由美 二人展・五日 ︵金︶∼ 十 五 日 ︵月︶ 午 前 九 時 ∼ 午 後 五 ▼岡より子陶展・十九日 ︵金︶∼三月一日 ▼ 大 根 汁 を 作 っ て 食 べ よ う・六 日 ︵土︶ 午前十時半∼同十一時半 ▼ 手 話 ク ラ ブ・六 日 ︵土︶ 午 後 一 時 半 ∼同二時半 十三日 ︵土︶ 午後一時半∼同三時 ▼ちびっこクラブ・五日、十九日︵各金︶ 午前十時半∼午後一時 ▼ バ レ ン タ イ ン チ ョ コ レ ー ト 作 り・ ◎おおあし児童館 ︵月︶ 午前九時∼午後五時半 ◎常滑屋 ▼椿の頃に遊ぶ・二日 ︵火︶ ∼十四日︵日︶ ▼白老梅こだわりの梅酒展・十六日︵火︶ ∼二十一日︵日︶ ▼昭和の器展・二十三日 ︵火︶∼二十八日 ︵日︶ ◎陶芸サロン陶美園 ◎くすのき児童館 ▼ バ レ ン タ イ ン の チ ョ コ レ ー ト 作 り・ 六日 ︵土︶ 午後一時半∼同三時半 ▼ こ ん な こ と し て 遊 ぼ う・二 十 日 ︵土︶ 午後一時半∼同三時 ◎東大高児童館 ▼ 縄 跳 び を し よ う・二 日︵火︶∼ 十 六 日 ◎長尾児童館 ▼ 卓 球 を し よ う・六 日 ︵土︶ 午 後 一 時 半 ∼同三時 ◎ ギャラリーとこなめ︵常滑陶磁器会館内︶ ︵火︶ 午後二時∼同四時十五分 ▼ ひ な 祭 り の お 楽 し み 会・二 十 七 日 ︵土︶ ◎武豊町歴史民俗資料館 ▼書道展・十七日︵水︶∼三月三日︵水︶ 会︶ ・十四日︵日︶まで ▼知多地方教職員書道展 ︵知多書道研究 ◎武豊町立図書館 キ ャ ン デ ィ ー ド ッ ジ ボ ー ル な ど・十 四 日 など︶、バルーンアート、スタンプラリー、 ▼子どもフェスティバル二〇一〇 アニ メ 上 映︵ド ラ え も ん・ポ ケ モ ン・ハ ム 太 郎 ン・七日︵日︶ ▼第十一回ゆめたろうスマイルマラソ 午後一時半 ∼同三時 ◎武豊町総合体育館 ▼冬の菓子作り︵オヘギなど︶ ・七日︵日︶ ︵日︶ 午前九時四十五分∼午後三時 ▼ 第 二 十 三 回 ビ ー チ ボ ー ル 大 会・二 十 八 日︵日︶ ◎半田空の科学館 ▼二月の星見会 ﹃昼 の 星・太 陽﹄ ・十 四 日 ︵日︶ 午前十一時∼午後一時 時間内自 由参加 無料 天候不順時は中止 ▼二月の星見会 ﹃月・火星とカノープスを 伝えがあります。南の空低い所に﹁カノー ば﹁長生きできて幸せになれる﹂との言い 見よう!﹄ ・二十七日︵土︶ 午後七時∼同 八 時 こ の 時 季 だ け の 星 空 の 風 物 詩﹁カ ノ ー プ ス﹂は 中 国 で は ﹁南 極 老 人 星﹂と 呼 ば れ、こ の 星 を 見 る こ と が で き た な ら 日︵土︶ 午 後 一 時 半 ∼ 同 三 時 半 定 員 三十名 参加費 二百円 ▼家庭教育セミナー﹁努力する子どもに ・九 日︵火︶ 午 前 十 時 育 て る た め に﹂ プ ス﹂を 見 る こ と が で き る か な 時 間 内 自由参加 無料 天候不順時は中止 ◎半田市青山記念武道館 ん だ ろ う?﹂ ・九 日︵火︶ 午 前 十 時 ∼ 正 参加費 千百円 ▼シューフィッターから学ぶ ﹁体にやさ 午 しい靴選び﹂ ・九日、十六日︵各火︶ 午後 六時半∼同八時 定員 二十四名 参 加費 五百円 ▼親子ふれあい教室・十三日︵土︶ 午前 九時半∼正午 ①アクセサリー作り ②料理教室 ③親子で作るかんたん工 作 ④紙飛行機教室 ▼ タ ロ ッ ト 占 い 入 門 教 室・二 十 日 ∼ 三 月 六 日︵各 土・計 三 回︶ 午 後 一 時 半 ∼ 同三時半 定員 二十名 参加費 二千七百円︵タロットカード代込み︶ ▼ 手 作 り 白 み そ︵米 み そ︶作 り 教 室・ 二十八日 ︵日︶ 午 前 十 時 ∼ 正 午 定 員 平成 年 月 日号のちたろまん の﹁ ち ょ っ と お じ ゃ ま し ま す ﹂ に 誤 り が ご ざ い ま し た。 謹 ん で お 詫 びさせていただくとともに 左記 のように訂正をさせていただきま す。 よ ろ し く ご 理 解 の 程、 お 願 い 申し上げます。 ︻訂正文︼ 日︵水︶ ◎碧南 白竹木材︵株︶ ▼﹃漆﹄加 藤 敬 三 展・十 九 日︵金︶∼ 二 十 四 ∼午後〇時半 ▼ 子 育 て 支 援 事 業・二 日︵火︶ 午 前 九 時 ∼正午 参加費 無料 ▼親業体験!学習会 ﹁どうして怒ってる ▼子育てリフレッシュ講座 パステル アート教室・四日︵木︶ 午前十時∼正午 定員 二十名 参加費 五百円 ▼体調を整える教室︵ダイエット編︶ ・六 二十七日 ︵土︶ 午 前 九 時 ∼ 正 午 定 員 二十名 参加費 三百円 ◎武豊町中央公民館 午 前 九 時 ∼ 午 後 二 時 定 員 十名 ︵小 学生以上︶ 参加費 三百円 ▼ ひ な 菓 子﹁お こ し も の﹂作 り 教 室・ ︵水︶ ▼ 青 天 窯 展・二 十 四 日︵水︶∼ 三 月 十 日 く・十三日 ︵土︶ ∼二十一日︵日︶ ▼ 手 作 り 急 須 と 穴 窯 作 品 展︵株︶ま る ふ ▼青天窯展・∼十日 ︵水︶ ︵水︶ ▼村田益規展・二十六日 ︵金︶∼三月十日 ︵水︶ ▼ 山 本 一 圭 展・十 三 日︵土︶∼ 二 十 四 日 ◎方円館 ◎ギャラリーセピカ︵まるふく内︶ ▼春よぶとりどり展・∼二十八日︵日︶ ◎知多市地域文化センター 材料費 一個三百円 ▼ い ろ あ そ び﹃む ら さ き い ろ で そ め よ 二十八日 ︵日︶午 前 九 時 ∼ 午 後 四 時 半 内容 おだいりさまとおひなさまを作 り、日本の伝統文化にふれてみましょう ます 材料費 一個四十円 ▼ 季 節 工 作﹃お ひ な さ ま﹄ ・二 日︵火︶∼ ▼森遊子グループ 女子十七陶房・十二 日︵金︶∼二十八日︵日︶ 学びましょう 内容 木の絵画作り 講師 尾崎恵子さん 会場 鬼崎公民 館一階美術工芸室 対象 常滑市在住・ 在 勤・在 学 の 人 定 員 二 十 名 ※ 参 加者多数の場合は抽選となります 受 講料 四百円 材料費 五百円 持ち 物 ハ サ ミ、カ ッ タ ー ナ イ フ、ク リ ッ プ 申込み期限 六日 ︵土︶ 申 込 み 先 生涯学習課又は鬼崎公民館 ※☎ ︱ ︱0116 問 合 ︱5111︵代︶ 44 ▼創作クラブ﹃とばそう げんきくん﹄ ・ 二 日︵火︶∼ 二 十 八 日︵日︶ 午 前 九 時 ∼ 午後四時半 内容 飛ぶ種や花びらに 似たひこうきを作り、飛ぶ様子を楽しみ 0660 F A X せ 生涯学習課☎ 内線386 50 し、 ソシンロウバイは花の中 心 部 まで淡 黄 色となってい て、無 地︵ 素 心 ︶であること けられたということである。 から、 ソシンロウバイと名付 に楽しみにしているのはソシ 何れにしても、 ロウバイは、 江戸時代初期に中国から渡 出合いです。 ンロウバイの佳 麗 な 花 との 原 穣 知多の動植物雑記 ︵二五七︶ ながら、現実はまだ寒い。 二 月に入 れば、暦の上で は三日が節 分 、四日は立 春 香 り もよ く 、半 透 明に近い 中央部から先端にまで蕾を 古墳時代 (百四十八) o h ! 来 した もので、高 さ 二 ∼ 四 一般的には、 ロウバイの名 草 地 を 歩いても 、らしき で呼ばれており、早春の花で、 ㍍の落 葉 低 木 。根 本 か ら一 花は、真冬でも日当りのよい ところなら、ポツポツ程度な つけ、今やまっ盛り。 町の考古学 35 う﹄ ・二 十 日︵土︶∼ 二 十 八 日︵日︶ 午 前 九時∼午後四時半 内容 むらさきと 吉田ひろし 片岡 光子 青山 文代 竹内すゞ代 谷川と志江 加藤 久子 関 里美 塚本 千鶴 荒川 達雄 山中 博子 竹内ユミ子 佐藤 きぬ 杉江 ちゑ 諏訪 清子 竹内 きぬ 村井 範子 井野 洋子 高谷達之輔 林 京子 藤井 文月 河瀬四四子 浦崎ひとみ 冨田 悦子 谷川 利子 幾世八千代 磯村美耶子 杉山 和美 竹内三千彦 山下 悠児 岩田つま子 中村 洋子 伊奈 五郎 U 淡 黄 色の花 びらを 、や ゝ 下 く、長楕円形の先は次第に 赫容 授︶ 講座Ⅱ 講話内容 健康生活∼体 を動かすことと健康生活の関係やその 実 施 法 に つ い て ∼・二 十 五 日、三 月 四 日 ︵各 木︶ 午 前 十 時 ∼ 同 十 一 時 半 講 師 丹羽丈司先生︵同朋大学社会福祉学科 教授︶ 会 場 青 海 公 民 館 視 聴 覚 室 対 象 市内在住、在勤の方︵どなたでも︶ 定員 各二十名 受講料 無料 申込 み及び問合せ先 常滑市青海公民館☎ ︱6622 F A X ︱0115 生 涯 学 習 課 ☎ ︱5111︵代︶ F A ︱7227 X ◎鬼崎公民館 ▼平成二十一年度 文化教室 パッチ ワ ー ク 教 室・十 日、十 七 日、二 十 四 日、 三月三日 ︵各 水・全 四 回︶ 午 前 九 時 半 ∼ 正 午 ﹁布 の 組 み 合 わ せ を 楽 し も う﹂ 小さな布をつないで素敵な作品を作っ て み ま し ょ う。お し ゃ べ り し な が ら、 43 向きに咲かせた姿は、 まさに このよ う なこ と か ら 、庭 木 と と がっていく 。葉 そのもの 優雅そのもの。 して植 えられて は少し薄いがやゝ硬く、触 43 マイペースで作品作りを楽しみましょ 3544 ウタンポポ位のもの。 でも、私が毎年、冬の最中 お り 、切 花 と し るとザラザラした感じであ どで、花弁は十枚ほど。花弁 ︵赤井 伸衣︶ づかいを聴いてみた ら、作 品のもつ 魅力がより伝わってくると思う。 おしゃべりが苦 手の岩 橋さん。私 とのおしゃべりに、岩 橋さんの居 場 所 を 譲 り 渡 そ う と 営 業・接 客 担 当 の母親が気遣うのだが、どうも岩橋 さんのテンポの悪さ、リズム感のな さに、母親からのダメ出しが出てし ま う。お 母 様 も も う 少 し 辛 抱 して あげると、岩橋さんの心も少しばか り軽くなるのになぁ。 でも、 この親子 には、 このスタイルがベストなん だ ろ うなぁ。﹁黙って、作 品 を 見ていて くれればいい﹂と、岩 橋 さんの背 中 がそう言っているように思えた。 44 が ら 咲いているのはセイヨ て も 、そ の 価 値 るが、もめばいゝ香りがす のクリーム色と蝋︵ろう︶ の 釉に桜を連想させる鉢、純白の結晶 釉のお皿、 エメラルド グリーンの結 晶 釉の大皿、 コバルトブルーの結 晶 釉のオブジェ⋮⋮は、どれも宝 石 箱 に入 れた 宝 石のよ うに見 えてしま う。岩 橋 さんは﹁この結 晶 釉 は 僕の すべて﹂と、答えてくれた。今まで誰 も 見 たことのない側 面 と 作 品の息 り、骨壷を納める石塔の墓 35 春になって出る葉は、長 さ 十 ∼ 十 五 ㌢ とや ゝ 大 き は十分。 鈍感。 る、と言われるが私は嗅覚 この辺 りで目 にするのは、 ロウ バイ とソシンロ と に も 角 に も 、春 に 先 立って 、早 ければ 年の暮に その区 別 は 、 咲いた 花をのぞ ウバイの両者。 き込 めば一目 瞭 よ うな高 雅さは、ぜひ庭に も花を開き、花は径二㌢ほ 然 。ロ ウ バイ は と思う花である。 訂正 前号カワラタタケ はカワラタケの間違いです。 花びらの基部が 淡褐色に色どら れているのに 対 埋葬地があります。一般に 石が立ち並ぶ景色に変わり 古墳時代は、古墳の名の 墓に似たところがあります。 きました。ここ 年ほどの 間に火葬が推し進められた とおり、墳墓の成り立ちに 知多半島の海浜にある砂 ことで埋め墓は納骨場とな の丘には、江戸時代からの いわれる埋め墓です。それ ました。 よって弥生時代と区分けし らは各集落、宗派ごとに場 ています。 弥生時代を代表する墳墓 は、 方 形 周 溝 墓 で す。 お 死者を棺に納め、埋葬し 所を決め、死者を埋葬して よそ一〇㍍四方の区画の周 りに溝を掘り、土盛りをし た四角の丘を造っています。 丘の上面は平坦であったよ うで、ここに穴を掘り死者 を埋葬していたと考えられ ています。この穴は複数あ ることから、特定の個人の 墓でなく家族墓であったよ うです。 また、周りの溝からは、 高坏や壷などが出土してい ます。それは、死者を弔う なったものです。 ︽誤︾水野勝夫さん ︽正︾水上勝夫さん 1 儀式を執り行なった際の道 具だと考えられます。 方形周溝墓は、大きさや 形に違いはあるものの、集 落にほど近い場所に墓場を は、古墳時代初期に解体が 1 3544 43 34 10 ていた頃は、家ごとに細長 始まります。尾張平野の代 城山の松蒼蒼と初景色 凩や身の丈小さくなるばかり い砂の土盛りがあって遺体 表的な遺跡の朝日遺跡は、 七度の干支を迎へて年明くる を埋めた場所を示すかのよ この時期に急速に衰退し、 新札に折目を付けてお年玉 うにソフトボールほどの石 周りの小集落に分散したと 飛び出したみくじ大吉初詣 ぽんと割り平日もどる寒卵 が並び置かれていました。 いいます。また、知多半島 冬晴に旅立つ翼夢のせて それは、方形周溝墓に見ら 各地にあった高所性遺跡も さざんかの蜜吸うめじろ右左 れる溝はないにせよ、特定 同様に廃絶しています。 日忙しくシクラメンもがしみわたり と も に 死 者 を 埋 葬 す る 走る児を追いかけ凧が舞い上がる の区画の中に家族を埋葬し、 新札を孫に用意のお年玉 共同体による集団墓地を 一族もしくは、ムラの人々 初詣押されて上る車椅子 造 っ た 集 落 は、 武 力 や 冨 お正月歳はとってもうれしいな が同等に共有した墓場を設 の 蓄 積 を 背 景 に 地 域 一 帯 初詣熱田神宮大にぎわい ける共通点があります。 を 支 配 し た 首 長 が 現 れ た 初詣四時起きでゆき人出なし 江戸や明治時代、昭和に 寒卵こつんと朝のしじま割る こ と で 大 き な 転 機 を 迎 え 欲しいもの福か服かと福袋 かけての農村部は、家族や ました。 一族そして村や集落内での 元日や昨日と違う妻の顔 集 団 墓 地 と は 一 線 を 画 子の作る丸も四角も雑煮餅 相互扶助で成り立っていま 満月や見る人もなく大晦日 した。それは、日常の生活、 し た、 方 形 周 溝 墓 に ま つ 浴ぶ鳥と飲む猫のあり寒の水 り ご と を 行 な う 場 所 を 付 あるがまま自然に生きる去年今年 農耕、まつりごとなど家族 け 加 え た 前 方 後 方 形 の 墳 たつくりも数の子も抜く御節かな や家どうしが助け合う社会 生活がもとめられています。 丘 墓 が 弥 生 時 代 終 末 に 現 寒に入る危ぶむ歩み健忘症 床の間の鏡餅より罅走る れ ま し た。 こ の 墓 は、 後 湯上りの咽を潤す寒の水 それは、弥生時代の環濠集 に 犬 山 市 東 之 宮 に 代 表 さ 寒椿茶寿の媼の生きた道 落や高所性遺跡の人々の生 れ る 尾 張 や 三 河、 伊 勢、 冬夕日微かに浮かぶ鈴鹿峰 活にもあてはまります。 仕事より命大切去年今年 美 濃、 遠 江 な ど 初 期 古 墳 村で多数の人々を葬る習 就職の決まりし孫に破魔矢受く の 前 方 後 方 墓 の 母 体 と 初旅は伊勢の杜にて手を合わす 俗をもった弥生時代の集落 落葉焚き涙ちょっぴり孫の顔 廻間遺跡の前方後方形墳丘墓 (愛知県史より) ソシンロウバイ 造っていることから、埋め 22 50 第 258 号 (5) 平成22年2月1日 第 258 号 平成22年2月1日 (6) 石黒一帆(1才4ケ月)武豊町緑台 タオル・繊維製品 総 合 卸 名城商事 株式会社 名古屋市中川区松葉町4丁目57番地 TEL 〈052〉362-1531 (代) 伊奈鈴音(11ヶ月)京香(7才)常滑市かじま台
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