コンピュータ、人とふれあう

知能システム科学専攻 長谷川 晶一 研究室
コンピュータ、 人とふれあう
知能システム科学専攻
長谷川 晶一 研究室
長谷川 晶一 准教授 1974 年神奈川県生まれ。東京工業
大学大学院知能システム科学専攻にて博士(工学)を取
得。2010 年より、東京工業大学精密工学研究所准教授。
近年、コンピュータは私たちの生活に必要不可欠なものになりつつある。また、コンピュータは日々進
歩しており、人がコンピュータに入力してプログラムを実行させる時代から、コンピュータが人の行動を
読み取って自動的にプログラムを実行する時代へと変化している。長谷川先生は、このような時代の最先
端のコンピュータの使い方について研究している。見たことのないコンピュータの世界が、ここにある。
HCIとは
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取りを、ヒューマン・コンピュータ・インタラク
ション(以下 HCI )と呼ぶ。先生はこの HCI につ
現在、私たちの身の回りではさまざまなところ
いてさまざまな研究をしている。
にコンピュータが使われている。身近なものでい
HCI に関する技術は、大きく分けると 2 つに
えば、パソコンやスマートフォンなどだ。
分けることができる。ひとつはヒューマンイン
コンピュータの使い方は場面によって異なって
ターフェース技術と呼ばれ、HCI に使われる道
いる。例えば、パソコンは主に机の上で使い、大
具に関する技術である。もうひとつは、ソフトウェ
きなディスプレイやキーボード、マウスなどを
ア技術と呼ばれるもので、コンピュータの処理に
使って操作する。一方、スマートフォンは主に外
関するものである。パソコンでいうと、キーボー
出中に使い、片手に収まる大きさのタッチパネル
ドやマウス、ディスプレイなどの、入力や出力に
を指で操作する。このように、私たちは場面に合
使われる機器に用いられる技術がヒューマンイン
わせてコンピュータを使っているのだ。
ターフェース技術にあたり、人の入力を受けて映
場面によって使い方が異なっているといって
像や音声などで出力するまでの処理に関する技術
も、パソコンもスマートフォンも人の入力を処理
がソフトウェア技術にあたる。
し、その結果を画面に出力して、それを受けて人
先生は、私たちの生活にはコンピュータを活用
が新たな入力をするという点は変わらない。人が
する余地が残されていると考えており、これまで
コンピュータを使うときには、人とコンピュータ
にない場面でもコンピュータを使えるようにする
の間で情報のやり取りが繰り返されているのだ。
ための新たな HCI を設計している。その際用い
このような人とコンピュータの間の情報のやり
られるヒューマンインターフェース技術とソフト
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ウェア技術は、他の HCI と同じものを使うこと
バーチャル世界では物理シミュレータによって
もあれば、その HCI に適した技術を新たに開発
物理法則が再現されるが、すべての物理法則が再
することもある。
現されるわけではない。すべてを再現しようとす
また、先生は HCI の一部の技術に着目し、そ
ると、物理シミュレータに計算させる量が多くな
の原理の探究にも取り組んでいる。このような研
りすぎるためである。そこで、数ある物理法則の
究によって、その HCI の質を高めたり他の HCI
中から、そのときの必要に応じたものだけがバー
にその技術を応用したりすることができるように
チャル世界に再現される。例えば、物体にかかる
なる。このように、先生は HCI について工学的
重力は再現するが、物体を剛体と考えることで変
な面からだけでなく理学的な面からも研究を進め
形は再現しない、などである。
ている。
バーチャル世界で必要になる物理法則は HCI
では、先生が具体的にどのような HCI の研究
ごとに異なる。先生は、どの物理法則を再現する
や開発をしているのかについて紹介していこう。
べきか試行錯誤しながら、それぞれの HCI に最
適なバーチャル世界を作り上げているのだ。
バーチャル世界を用いた HCI
SPIDAR
先生は、バーチャル世界を用いた HCI におい
物理シミュレータ
て SPIDARというヒューマンインターフェースを
先ほど述べたように、先生は HCI についてさ
使うことがある。SPIDAR は先生が学生のときに
まざまな面から研究をしている。そのひとつに
所属していた、東京工業大学知能システム科学専
バーチャル世界を用いた HCI の研究がある。先
攻の佐藤誠研究室で開発されたものだ。
生の研究しているバーチャル世界とは、現実世界
SPIDAR はバーチャル世界の物体を直感的に動
の物理法則をコンピュータの中に再現した世界の
かすことのできるヒューマンインターフェース
ことである。
で、バーチャル世界で生じた力を、SPIDAR を操
例えば、ゲームの世界ではブロックが空中に浮
作している人に伝えることができる(図1)。
いていることがあるが、バーチャル世界では空中
SPIDAR は 1 つのボールと 8 つのモーターがひ
にあるブロックは現実世界と同じように重力を受
もでつながれていて、人がボールを動かすと、ボー
けて落下する。このようなバーチャル世界を作る
ルの動作にあわせてモーターに巻かれているひも
ときに用いられるソフトウェアを物理シミュレー
の長さが変わる( 図1 中央)。これにより、人
タと呼ぶ。
がボールを動かすと、どのくらいの距離をどのく
現実世界
モーター
バーチャル世界
図1 SPIDAR
SPIDARを使うとバーチャル世界の物体を直感的に操作でき、操作している人にバーチャル世界で生じた力を伝えることもできる。
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らいの速度や力で動かしたのかをコンピュータが
ものである。バーチャル世界のキャラクターのこ
認識し、バーチャル世界の物体に反映される。さ
とをバーチャルクリーチャと呼ぶ。現在の先生の
らに、SPIDAR で動かしている物体がバーチャル
研究では座った状態のクマをモデルにバーチャル
世界で他の物体とぶつかると、動かしている物体
クリーチャを作っている。
にかかる力が計算される。その力は、モーターが
キャラクターは、動作によって意図や感情など
ひもを引っ張ることによって現実世界のボールに
を表現することができる。例えば、演劇で演者が
伝えられる(図1 右)。このような機能をもつ
意図や感情を表現するときは、セリフだけではな
ため、SPIDAR を使うとバーチャル世界の物体を
く動作でも表現している。そこで先生は、人に意
実際に触って動かしているような感覚を体験する
図を伝えることのできるバーチャルクリーチャの
ことができるのだ。
動作を作ろうと考えたのである。
先生は SPIDAR を使って人に物体の硬さを伝え
先生は、これまでとは違う手法を用いてバー
るため、人が硬さを感じる原理から研究を進めた。
チャルクリーチャの動作を作成しようと考えた。
先生はまず、人はどのようなときに硬さを感じ
これまでのキャラクターの動作のほとんどは、想
るのかを考えた。そして、物体が力を受けると変
定されるすべての動作が事前に用意されており、
形したあと元に戻ろうとするという、ばねのよう
それらの動作をもとにキャラクターの動作を作成
な性質に着目し、物体のばね係数の違いで硬さの
していた。一方で先生は、人の動作のプロセスを
違いを伝えることができるのではないかという発
再現したプログラムを一つだけ作っておくこと
想に至った。これをバーチャル世界で再現したと
で、キャラクターの動作を実際に動くときに作成
ころ、確かに硬さを伝えることができたが、ばね
するようにしようとしたのだ。
係数の値が大きくなると SPIDAR を制御すること
人に限らず、動物は現実世界を感覚で捉え、捉
が難しくなってしまうという問題が生じた。
えた情報をもとに行動を決定し、実際に動く、と
そこで、SPIDAR を制御できる範囲で硬さを再
いうことを繰り返している。先生は人が動くプロ
現するために、どのような物理現象を追加して再
セスをそのままプログラムで再現しようとした
現すればいいのかを調べた。その結果、物体がぶ
(図2)
。現実世界の認識と、行動するときの動き
つかったときに発生する振動を再現すると、ばね
方については、他の分野の研究結果を参考にして
係数の値を大きくし過ぎずに人に硬さを伝えられ
再現することができた。しかし、人が感覚でとら
ることを発見したのである。
えた情報をもとに、脳がどのように判断し行動を
先生はさらに研究を進め、反発する力で伝えら
決定しているのかは、脳科学の分野の研究でもわ
れる硬さと、振動で伝えられる硬さは別の種類の
かっていないため、再現することができなかった。
ものであることを発見した。これは、物理的な硬
そこで、感覚で捉えた情報から行動を決定する
さと、人が感じる硬さが違うことを示している。
過程については、先生が独自にルールを作った。
バーチャル世界をより現実世界に近づけるために
バーチャルクリーチャは最も興味のあるものの方
はこのような人の知覚の研究も必要であり、先生
に顔を向け、興味がさらに強くなるとそれに手を
は現在もこの研究を進めている。
伸ばすというルールである。そうすることで、人
キャラクターモーション
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の動作のプロセスを再現するプログラムを作った
のである。
SPIDAR は、バーチャル世界を用いた HCI の
先生はキャラクターの動作をプログラムで作成
ヒューマンインターフェースであった。一方で、
したが、初めからうまくいったわけではない。バー
先生はキャラクターモーションという、バーチャ
チャルクリーチャの興味の対象がすぐに変わって
ル世界のソフトウェア技術に関する研究も行なっ
ずっときょろきょろしていたり、逆に、どんなに
ている。これは人が感情移入できる動作をする
物体を動かしても反応がなかったり、物体にまっ
キャラクターを、バーチャル世界に作ろうとする
たく手を伸ばそうとしなかったりすることがあっ
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た。そこで先生は、バーチャルクリーチャの動作
を試行錯誤しながら調整し、人が感情移入できる
動作を作り上げたのである。
バーチャルクリーチャとの触れ合いは、SPIDAR
現実世界でのHCI
ぬいぐるみロボット
を使ってバーチャル世界の物体を動かすことで行
バーチャルクリーチャの研究では、人と触れ合
われる。バーチャルクリーチャは SPIDARで動か
う対象をバーチャル世界に作っていた。一方、触
した物体を見つめたり、それに手を伸ばしてきた
れ合う対象を現実世界に作る研究として、先生は
りする。また、バーチャル世界で落ちてきた物体
ぬいぐるみロボットの製作も行なっている。
がバーチャルクリーチャの視界に入ったりバー
ぬいぐるみロボットはバーチャルクリーチャと
チャルクリーチャに当たったりした場合には、
は違い、人が直接触る。先生は、ロボットと触れ
バーチャルクリーチャは興味をそちらに移し、落
合うときにはさわり心地が大事だと考え、柔らか
ちてきた物体に顔を向けたり、手を伸ばしたりす
いぬいぐるみロボットを作った。
ることもある(図2 右)。
ぬいぐるみロボットの腕には綿が詰まってお
先生はこれからの研究で、バーチャルクリー
り、柔らかく作られているが、外部から力を受け
チャの動作を多彩にしようと考えている。具体的
ずとも自ら腕を動かしたり、曲げたりすることが
には、ルールを増やすことで、座ってできる動作
できる。腕の表面に 3 本の糸が縫い目のように
だけでなく寝転がってから起き上がるなどといっ
通っているので、それらの糸をモーターで引っ張
た動作を追加しようとしている。
ることによって腕を動かしたり、曲げたりするこ
とができるのだ(図3)。
現在、ぬいぐるみロボットは四足歩行や、腕の
届く範囲で好きな場所に腕を動かすなどの運動が
できる。しかし、人との握手のような人の動きに
x=2.3
y=1.7
z=4.7
合わせる運動はまだ上手にできない。人との握手
は、四足歩行や腕を動かすなどといった運動より
ボールとの距離やボール
の軌道などの情報を得る
バーチャルクリーチャの腕の位置、
物体の位置などの情報を得る
難しい。腕を握られたとき人の力がどの方向にど
れだけかかっているかを感知し、人の動作に合わ
せて腕を動かす必要があるからだ。
人との握手の際は相手の動作にあわせて瞬時に
動作を算出しなければならないので、性能の良い
コンピュータが必要となるが、ぬいぐるみロボッ
得た情報からどこに移動
すればいいのかを判断する
得た情報からどの方向にどのぐらい
の速さで腕を伸ばすかを計算する
ひもを引く
ボールの落下点に入り
ボールをとる
物体に腕を伸ばす
図2 人とバーチャルクリーチャの動きのプロセス
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図3 ぬいぐるみロボットの腕の仕組み
腕の表面に通っている 3 本のひもの長さを変えることで、腕を自
在に動かすことができる。
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トの内部は狭いため、性能の良いコンピュータを
ホンの音量の大きさに対応させ、重心が寄ってい
内蔵することはできない。そこで先生は、ぬいぐ
る方の音量が大きくなるようにした。また、前後
るみロボットの内部ではできない難しい処理を、
にかかる力の大きさを、音の高低に対応させ、重
無線で接続した外部のコンピュータにさせる方法
心が前にいくほど音が低くなり、重心が後ろにい
を考案した。
くほど音が高くなるようにした(図4)。
現在は無線の通信速度が遅いため、ぬいぐるみ
スキー初心者にこの装置をつけて実際に滑って
ロボットの動作に遅延が発生し、ぎこちない握手
もらったところ、初心者でも重心の位置を調整す
しかできない。先生は、ぬいぐるみロボットが人
ることができた。先生は、スキーの指導者がこの
とスムーズに握手できるようにするため、外部と
装置の仕組みを理解すれば、これを使って初心者
の通信速度を速くすることや、人がぬいぐるみロ
の指導が効率的にできると考えている。また、先
ボットの腕を動かしたときの力を測るセンサーの
生は現在この装置の製品化を目指しており、ス
性能を良くすることを目指して、さらなる研究を
マートフォンにつなげるようにするために改良を
重ねている。
重ねている。
スキーの可聴化
これまでは HCI の 2 つの技術である、ヒュー
マンインターフェース技術とソフトウェア技術そ
れぞれに着目した研究を紹介してきた。しかし、
先生はどちらか一方に着目した研究だけでなく、
音が
高くなる
まったく新しい HCI の設計も手掛けている。そ
の一つに、スキーの補助のための HCI がある。
スキーでターンをする際、重心を前にしないと
うまくターンできない。しかし、初心者はスキー
をしているとき、重心が後ろになってしまうこと
が多い。そこで先生は、スキーをしているときに
右の音量
が上昇
左の音量
が上昇
音が
低くなる
図4 スキーの可聴化
重心の位置を音の高低と左右の音量の違いで人に伝えている。
重心の位置を伝えることができる HCI を設計す
コンピュータは歴史が浅く、まだまだ多くの可
れば上達が速くなると考えた。
能性を秘めている道具である。これからの時代で
まず先生は、スキーをしている人の重心の位置
はコンピュータが発展し、より多くの場面で、よ
を測る方法を考え、力を感じ取るセンサーを、両
り深く人と関わることが予想される。そのとき先
足のつま先とかかとに当たるように、スキー板と
生の研究が、人とコンピュータの歩み寄りに大き
靴の間に取り付けることにした。こうすることで、
く貢献することになるだろう。
足の裏にかかっている力の前後左右の偏りから、
重心の位置を測ることができる。
次に、重心の位置をどのようにして伝えればい
執筆者より
いかを考えた。スキーをしている人の重心の位置
取材では、 興味深い話をして頂いただけでな
は刻一刻と変わるので、素早く、かつわかりやす
く、研究を実際に体験させて頂きました。長谷川
く重心の位置を伝える必要がある。そこで先生は、
研究室では人とコンピュータについて幅広く研究
反応が速く、精度の良い聴覚を利用するのがいい
を行なっており、紙面の都合上そのすべてを紹介
という考えに至った。
できなかったことが残念でなりません。最後にな
この方法では、イヤホンからの音でスキーをし
りますが、度重なる取材などに快く応じて下さっ
ている人に重心の位置を伝えている。 具体的に
た長谷川先生に心より御礼申し上げます。
は、左右の足にかかる力の大きさを、左右のイヤ
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(竹村 慧)
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