ひめぎん情報 ■ 2016.秋 東南アジア各国の『ハラル』 事情とERIAの取り組みについて ERIA 上席政策顧問 (愛媛銀行より出向) 森 信之 1.ハラルについて 「ハラル」 (または「ハラール」 )という言 葉をご存知でしょうか。最近では、新聞や書 籍などでも取り上げられる機会が増えたので ご存知の方も多いかもしれません。ハラルと は、 「合法的なもの」とか「許されたもの」 を意味するアラビア語です。 イスラム教の信者(ムスリム)は、イスラ ム法に従って、日常生活の中で許されないこ と( 「ハラム」 ) 、許されること( 「ハラル」 ) が明確に定められています。例えば、精神を 乱すとされるアルコールや不浄な動物とされ る豚肉(豚肉由来の成分含む)が含まれた食 品を食べることは禁じられていますし、他の 食肉に関してもイスラム法にしたがって「と 畜」処理されたものしか許されません。それ はイスラム教の経典である「コーラン」の第 5章「食卓の章」に以下のような記述がある からです。「汝らが食べてならぬものは、死 獣の肉、血、豚肉、それからアッラーならぬ 邪神に捧げられたもの、絞め殺された動物、 打ち殺された動物、墜落死した動物、角で突 き殺された動物、 また他の猛獣の食ったもの、 ただしあなたがそのとどめを刺したものは別 である」 しかし、多種多様の加工品が流通している 現在では、それら加工品の「ハラル」性を確 保するためにはかなりの努力が必要となりま す。というのは、ハラルであるためには、原 材料・加工方法・包装・流通・貯蔵・物流・ 陳列等、全てのサプライチェーンでハラルで あることが求められるからです。例えば、原 28 材料については、豚由来の成分が入っている ことは許されません。しかし、現在、豚由来 の成分は、食品に限らず医薬品や日用品に多 く活用されているため、それらを使わないと なれば代替の原料を探すか、それらの原材料 が有する効能を断念するということにもなり かねません。加えて、豚由来の成分が入って いないことを証明する必要もあります。加工 段階においては、ハラル専用の製造ラインが 必要で、一度でも「ハラム」な製品を製造し たラインはハラルではないため、新規に製造 ラインを購入するか、当該製造ラインを宗教 洗浄ⅰした後にハラル専用ラインとしなけれ ばなりません。 また、ハラルはムスリムの生活全般を規定 し、サプライチェーン全般に及ぶことから、 その範囲は食品に限定されるものではなく、 飲食店、ホテル・旅館、医薬品、化粧品、ト イレタリー製品、ファッション等にも広がっ ● ● ● スーパーでは豚肉専用の売場が設けられている (インドネシアの高級スーパーFood Hall) ひめぎん情報 ■ 2016.秋 ています。 ハラルが注目されているのは、イスラム圏 市場の拡大が見込まれているからです。 現在、 世界のムスリム人口は約16億2千万人で、そ の60%強がアジア太平洋地域に集中していま す。2050年には世界の人口の約3割(現在2 割強)を占めるほどに増加すると予想されて いますⅱ。また、日本へのイスラム圏からの 観光客(インバウンド需要)も増加している ことも大きく影響していると思われます。例 えば、インドネシアからの訪日観光客は2010 年には約8万人だったのが、2015年には約20 万人と大幅に増加していますⅲ。2016年5月、 シンガポールのチャンギ空港でムスリムの空 港職員と話す機会がありました。彼は家族で 桜の季節の日本を旅行したようで、「美しい 国でとてもいい旅だった。ただ、食事がハラ ルのものが少ないし、ハラルかどうかも分か らなかったので、食事には苦労したよ」とい う感想を聞かせてくれました。ムスリムに とって、食事がいかに信仰と深く関わってい るのかを実感するいい機会となったのを覚え ています。 次に東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟 国のハラル制度をインドネシアとブルネイの 例を中心に概観してみたいと思います。 2.インドネシアのハラル制度について 私は現在、インドネシア共和国の首都ジャ カルタにある東アジア・ASEAN経済研究セ ンター(ERIA)に勤務しています。インド ネシアはイスラム教を国教にはしていないも のの、国民の90%以上(約2億人)がムスリ ムで、世界最大のムスリム人口を抱える国家 です。 インドネシアは世俗的なムスリム国家とい われており、インドネシアのムスリムの中に は、食事などのハラル性に関してあまり気を 使わない人も見かけます。インドネシアでも 日本食がブームで多くの日本食レストランが 存在しますが、ハラルでないにも関わらず、 数多くのムスリムが日本食を楽しんでいる姿 をよく目にします。 しかし、もちろん厳格にイスラム法を遵守 して食事にも気を遣っているムスリムはたく さんいます。それでは彼らはどのようにハラ MUIのハラル認証マーク MUIのハラル認証マーク例①(ティッシュペーパー) MUIのハラル認証マーク例②(ヤクルト) ルである食品を判別しているのでしょうか。 市場などで日常的に購入している食品など は、当然にハラルであるという感覚があるよ うですが、輸入品や加工品についてはハラル でない商品も多く流通しています。そのよう な商品の場合、 「ハラル認証」という認証マー クがあるかどうかでハラル性を判別していま す。 それでは、次に、インドネシアのハラル認 証制度について簡単にご説明しようと思いま す。ハラル認証とは、対象となるサービスや 商品が、イスラム法に従って生産・提供され 29 ひめぎん情報 ■ 2016.秋 たものであることをハラル認証機関が認証・ 監査し、一定の基準を満たしていると認める ことを意味します。聖典「コーラン」には、 具体的なハラルについての基準が記載されて いないため、ハラル認証にも統一された国際 的な基準がなく、各国で異なる認証制度を 持っています。 インドネシアの場合には、1989年に設立さ れたLPPOM MUIが認証機関となっていま す。本機関は、政府機関ではなく、宗教学者 機関である「インドネシア・ウラマ評議会 (MUI) 」 の 一 部 で す。 認 証 を 行 う 対 象 は、 食品、医薬品、化粧品で、認証機関による書 類審査、実地検査の二つに合格する必要があ ります。実地検査では、イスラム法学者を含 む監査人により、原料・プロセス・施設・保 管庫などがチェックされます。認証を受けた 製品は半年に一度、LPPOM MUIによる検査 を受ける必要があります。認証を取得するま での期間は最短2ヶ月程度、申請費用は中規 模の加工業で約2∼3万円程度といわれてい ますⅳ。 インドネシアの認証制度は、従来、ムスリ ム社会のルールにとどまり、ハラル認証取得 も任意だったのですが、2014年にハラル製品 保証法が制定され、国内で流通する商品のほ とんどにハラル認証取得を義務化する方針を 示すなど、認証制度への国家の関与を強めて います。 3.ブルネイのハラル制度について ハラル市場の拡大に伴って、ハラル産業の 振興を巡る各国の競争は激しくなっていま ERIA調査はThe Brunei Times, Borneo Bulletin, Media Permata等 現地メディアでも大きく扱われた (筆者:左写真中央) 30 ブルネイは東南アジアのハラル市場への アクセスが良い(円の中心がブルネイ) す。例えば、マレーシアは早くからハラル産 業の振興に取り組み、2008年には国家ハラル マスタープランを打ちたて、マレーシアをハ ラル産業の拠点にするべく、ハラル・パーク の設立やマレーシア国家ハラル見本市の定期 的な開催などハラル産業振興の取り組みを戦 略的に行っています。マレーシアのハラル認 証は、JAKIMという政府機関が認証を行う 点で信頼性が高く、投資環境も整備されてい ることから、ハラル産業ではASEAN諸国の 中で先行している印象です。 赤道直下のボルネオ島の北西に位置する人 口40万人ほどの小国ブルネイ王国でもハラル 産業振興への取り組みが進んでおり、現在、 ERIAではブルネイ王国のハラル産業振興に 協力すべく調査を行っています。 ブルネイは石油や天然ガスを多く産出する 資源国として知られており、1人あたりの名 目GDP(2014年)は4万1,344ドルと日本(3 ⅴ 万6,194ドル)を上回る豊かな国です 。一方 で、イスラム教を国教として定め、国民の約 ひめぎん情報 ■ 2016.秋 80%がムスリムである厳格なイスラム国家で す。そのブルネイですが、最近の資源価格の 下落により、原油・ガスの輸出額が目減りし、 国民総生産(GDP)の減少が続いています。 また、資源枯渇も懸念されており、石油ガス 埋蔵量は20年余りで尽きるという予測もされ ていますⅵ。そこでブルネイ政府は、経済の 多様化策の一環としてハラル関連産業の振興 に力を入れようとしています。 2016年5月、ERIAの調査団の一員として ブルネイに出張し、ブルネイのハラル制度・ 産業の調査を行いました。調査の結果、判明 したブルネイのハラル制度の特徴について概 観してみたいと思います。 まず、マレーシアなどと同様に、認証機関 が宗教省等の国家機関である点で信頼性が高 い点があげられます。また、ハラル概念が他 国よりも厳格であることも他国との特徴的な 違いです。例えば、食肉処理に関して、他国 では牛などをスタンガンなどで気絶させてか ら処理することも例外的に認められているよ うですが、ブルネイでは、イスラム法に基づ いてコーランの一節を実際に読みながら、ナ イフで喉を横に切断する方法しか認められて いません。また、アルコールに関しても、他 国では醸造過程などで生じた微量のアルコー ルは許容される例がほとんどですが、ブルネ イでは厳格にアルコールの含量が0%でない とハラルとは見なされません。 もともとイスラム圏ではブルネイのイスラ ム教の厳格さはよく知られていますが、それ とあいまって、上記のようなハラル認証制度 の厳格性は、敬虔なムスリムの消費者に「ブ ルネイハラル」をアピールする重要なポイン トになりうると思います。しかし、一方でこ のような厳格さにはコストを伴います。食肉 処理に関しても、コーランのテープを流しな がら、スタンガンで気絶させて処理すること も許容されている他国の方が効率よく食肉を 製造できるでしょう。そこで、ブルネイハラ ルの場合には、ブランド力向上のために宣伝 広告を行っていきながら、認証コストをどの ようにして下げていくことができるかがポイ ントだと思われます。 ブルネイは、 ハラル産業推進の一環として、 日本を含む外国企業の直接投資を増加させよ ブルネイのハラル認証マーク うとしています。そこで、投資環境について も調査しましたが、まず、人口が40万人あま りの小国で内需には期待できないため、最初 から第三国へ輸出することを念頭に置いてお く必要があります。次にコスト競争力につい てですが、一人当たりGDPが高いために各 種投資コストも高いと思われるかもしれませ んが、例えば労務コストは、外国人ワーカー を導入することによって隣国並みの水準です し、ガス産出国ですので電気代は安価で、工 業団地の賃料なども政策的に低く抑えられて います。税制優遇など各種投資優遇政策も整 備されており、それらを活用することによっ てマレーシアなど、先行している他国に劣ら ない投資環境を享受できることがわかりまし た。 以上に加えて、ASEANにおける主要なハ ラル市場であるマレーシア、インドネシア、 シンガポールへのアクセスのよさ(ブルネイ から概ね1,500km)や政治的安定性を考慮す ると、今後ASEAN諸国への進出を考えてい る日本企業が、ブルネイを進出先として選択 することも増えてくるのではないかと予想さ れます。 4.日本のハラル対応について 近年、訪日外国人観光客の増加に伴い、ホ テル業・観光業・食品業を中心にハラル対応 を行う企業が増加してきました。一方で、世 界での日本食ブームなどを背景に、海外のハ ラルマーケットに参入する日本の企業も増加 しています。 愛媛県内にも、数件ですがハラル認証を取 得している企業があります。最近では、大王 製紙がインドネシアでハラル認証を取得した 31 ひめぎん情報 ■ 2016.秋 「紙おむつ」を発売したという報道がありま ビジネスマッチング等を行う予定です。ハラ したⅶ。また、県内中小企業の中には、中東 ル市場の潜在的需要や日本製品への高い評価 などの富裕者層をターゲットに自社のプレミ と信頼を考えると、ハラル市場は県内企業に アム商品の輸出を計画されている食品加工業 とっても大きなチャンスであり、県内の高い 者もあるようです。しかし、ハラル認証を取 技術を持った企業が参入することで県内産業 得している(もしくは興味がある)県内企業 の活性化に繫がることを期待したいと思いま はまだまだ少数です。ハラル認証を取得して す。 いない数社をインタビューした結果、ハラル には関心があるものの、売れるかどうか分か らないのに高い認証・投資コストを払わなけ 【参考文献】 森下翠恵・武井泉『ハラル認証取得ガイド ればならないという考えから躊躇されている ブック』 (東洋経済) という実情が分かりました。 佐々木良昭『ハラルマーケット最前線』 (実 確かに、ハラル市場が拡大しているからと 業之日本社) いって、安易に参入しようとすることにはリ 公益社団法人中小企業研究センター『中小 スクが伴います。しかし、海外需要の取り込 企業のハラールへの取組』 みを考える時に、その潜在的成長性を考慮す ると、 ハラル市場は有望な選択肢の一つです。 (http://www.chukiken.or.jp/study/report/129.pdf) JETRO『主要国におけるハラール関連制 参入に際して注意すべきポイントとしては、 度・市場動向』 ①市場調査を十分行うこと(ハラル認証はあ (https://www.jetro.go.jp/ext_images/_ くまで付加価値をつけるものであり、認証が Reports/02/2016/bdf7fdcc48b9a4a7/ あるから売れるわけではない) 、②ハラル認 halal2015.pdf) 証には、世界で統一された基準がなく、国や 認証機関により制度や申請方法が異なること に注意すること。②トラブルを避け、最新情 ⅰ イスラム法に則って行われる洗浄作業。 報を入手するために当局、認証機関やサプラ 認証機関により方法は異なる。例えば、 「清 イヤーとの情報交換・関係強化を図ることな 浄な水(鉱物以外の匂い、味、色の無い) どが挙げられます。また、ハラル産業振興に で7回洗浄する。そのうち1回は土を混ぜ 対する行政のリーダーシップや支援制度の充 て洗浄する。 」 (NPO法人日本ハラール協 実も重要になってくるでしょう。 会)http://www.jhalal.com/halal ⅱ 日本経済新聞2016年7月2日付電子版 5.最後に 「ハラル=豚肉・アルコール禁止」 と聞くと、 ⅲ 日本政府観光局「統計データ(訪日外国 人・出国外国人) 」 「日本人には理解できない」 「あまり関わりた http://www.jnto.go.jp/jpn/statistics/ くない」と敬遠される方がいるかもしれませ since2003_tourists.pdf ん。しかし、ハラルには「許容された、合法 的」という意味に加えて、 「健康的、 安心安全、 ⅳ JETRO『主要国におけるハラール関連 制度・市場動向』p.10 衛生的」という意味も含まれており、現代の 食品衛生基準等にも親和性のある概念です。 ⅴ 外務省HP「目で見るASEAN」 実際、ハラル認証を取得している企業には、 http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000127169. pdf ISO基準HACCP、有機JAS認証等の各種認 ⅵ 日本経済新聞2015年4月20日付電子版 証を取得しているところが多いようです。ハ ⅶ 日本経済新聞2016年5月2日付朝刊 ラル市場への参入は、決して日本企業にとっ て高いハードルではありません。 ERIAでは、今後、上述したブルネイでの 調査結果に基づき、ハラルに関するセミナー を開催予定で、ブルネイ政府関係者を招いて 32
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