非戦・平和、ヤスクニ∼広島からの提言

基調講演 「非戦・平和、ヤスクニ∼広島からの提言∼」
浄土真宗本願寺派 西法寺住職 吉崎 哲真 師
こんにちは。みなさん、遠方よりようこそ広島へお越しくださいました。ただいまご紹介をいただ
きました吉崎でございます。
ほんとうは、私のあとにお話くださる先生方のほうが先輩でもありますし、私を導いてくださった
方なのですが、本願寺派安芸教区に二十数年前に平和部会が創設され、こんにちでは平和環境部会に
名称変更されています。現在では私が部長をさせていただいておりますので、講師のご指名をいただ
きました。教団連合の過去の研修会の記録を見せていただきますと、私がこれまで教えていただいた
先生方がもうすでに講師として招かれておりますが、平和の問題についてみなさん方が、この広島の
地を訪れてくださって、ここで研修をしてくださることをたいへんうれしく思っております。
私は専門的に教学を学んでおりませんので、あちこちに話が飛ぶかと思いますが、この広島の地で
の活動を基本として、思いつくままにお話をさせていただければと思っております。
一時間半という時間の中で私自身の思いとして平和の問題、そしてその根源にある差別の問題につ
いてお話したいと思います。戦争はさまざまな角度から論議をされますけれども、その問題点を宗教
者が指摘するならば、人が人を人として見ないという問題が根源にあります。必ず差別も戦争も差異
を利用します。
大谷派は「バラバラでいっしょ∼差異を認める世界の発見∼」というテーマを掲げて運動が進めら
れていますけれども、ばらばらである、違っているということが認められるのではなくて、逆に利用
されていきます。それは紛争であれ、差別であれ、その利用されている側にいるということに、なか
なか気付けないという問題があろうと思っております。そのことをいろいろお話できたらなと思って
おります。
この広島の地を訪れていただく大きな意味合いは、こんにちでも小泉首相が靖国神社に慰霊と感謝
というかたちで参拝をする。しかし、広島の平和公園でおこなわれる八月六日の式典の主催者は広島
市で、広島市の市長宣言がおこなわれる。式典には首相もまいりますけれども、なぜ首相が来るのか。
そこになぜ出席するのかと言ったときに、慰霊と感謝という言葉は絶対に使えないですね。
なぜ使えないかということになると、それは原爆で亡くなられた方々に対しては、原爆犠牲者とい
う言葉を当然のように使うことができます。しかし、さまざまな追悼法要にしろ、安芸教区の行事で
すらも、そのことが議論の対象になるのですけれども、戦争犠牲者という「犠牲者」という言葉を使
うことに対しては、必ず抵抗が示されます。
そこで、
「戦没者」という少しニュアンスをごまかした方法がとられるわけですが、原爆の場合に犠
牲者という言葉を使うことには、さほどためらいがございません。そしてまた、同じように広島は多
くの人が亡くなったその祈念の場であるとしましても、そこで「感謝申しあげる」という言い方は成
立しないと思うのです。ですから、靖国の問題ということを通って行くときに、そのことは非常に大
きなひとつの意味合いを持つと思います。
この広島の地は、たしかに被爆によってたいへんな惨状を被ったわけでありますが、ただ、被爆の
みがあるわけではなくて、特に靖国神社の歴史、そして戦争へ歩んで行くときに、その戦争を遂行す
る非常に大きな役割を果たした地でもございます。
明日、平和記念資料館を訪れられると、書籍が販売されていて、さまざまな原爆関係の書籍があり
ますが、この本、
「図録 ヒロシマを世界に」はそのひとつで展示紹介です。
その最初の段階の「近代広島の発展」というところに、明治二十七年に広島に大本営が置かれ、日
清戦争で広島入りした明治天皇が描かれたものが展示されております。当時それが全国に流され、天
皇が自らが先陣、先頭に立ってこの戦争を遂行するという映像の果たした役割は、たいへん大きいと
思っています。
ですから広島の歩みは、軍都として果たした役割がたいへん大きいわけです。また、二○三高地、
旅順戦のときにも検討されたという毒ガスの製造の島があります。大久野島と言います。こんにちで
も汚染された地域、あるいは土壌というものがあるわけであります。またそれ以来、後遺症の問題等
も語られているのですが、その毒ガス製造の場所があったのも広島であります。
そういう意味で、広島は単純に被爆のみにおいて語ることはできない地であるということを、私は
深く思うのであります。
しかし、現実に一九四五年に原爆の惨禍に遭い、多くの人々が亡くなり、またそののち、原爆の放
射能障害の後遺症によって苦しむという事態が起こりました。私の母親も市内、中心部に近いあたり
で被爆し、たまたま地下室にいたということで身体の傷は受けませんでしたけれども、広島から山奥
の実家に逃げて帰り、その後数カ月は床について、すべての髪が抜けていきました。
そういう状況のなかで、やがて体調もある程度持ち直して、結婚して私をもうけてくれたわけで、
たいへんありがたいと思っておりますが、子どもを授かることひとつにしましても、はたして我が子
が無事に生まれるのだろうかというようなことが、非常に大きな苦悩であったということを聞いてお
ります。私は、その苦悩をずっと聞いて育ちました。
同時に、今日の参加者の方には北海道の方が多いのですね。北海道の方でも戦後、広島に来ておら
れた方もあるのでしょうし、逆に戦後、広島から北海道に渡られた方もあるでしょう。北海道で被爆
者に会ったときには、まったく今度は別のことを聞きました。被爆者であるということは、絶対みん
なに知れないように、自分が被爆したという事実は、ひた隠しに隠してきたというのです。
だから、さまざまな医療保障が受けられる手帳を取得できることは知っていたけれども、それを取
るということは、
自分が被爆者であるということを認知する。
周囲の人にも知られていくことになる。
そうなったときに、我が子の結婚問題における差別が生ずる。そういうことが恐ろしくて、自分が被
爆者であることをずっと伏せて生きてきましたという方のお話をうかがったこともございます。
そういう問題がさまざまに起こってくるかと思いますが、被爆者の方々が、被爆の事実を直接すっ
と語れるようになったというのは、初期の段階からではありません。そのように結婚の問題もありま
すけれども、それ以外にも理由があるかと思います。
たまたま昨日、一昨日でしたか。テレビのニュースを見ておりましたら、スマトラ沖地震の津波で
生き残った杉本遼平君という方のインタビューがテレビで流されていました。彼が、自分は死のうと
思ったんだ。お父さんも死んだと思った。だから、たまたま自分は助かったんだけれども、死のうと
思って水のなかに潜った。つまり、溺死しようと。自らそうしようとした。でも身体が浮き上がって、
またそうしているうちに恐くなって死ねなかった。いまは生きていこうと思う、というように語って
いるインタビューが放映されていました。
その状況というのは、戦争状況のなかでも同じように体験されたことだと思うのですね。広島で生
き残った人々が、生き残ったということをたいへん辛く思う。私の母にしましても、逃げて帰るとき
に多くの人が助けてくれと言っていた、水をくれと言っていた。うめき声を上げていた。それを見な
いようにして、
自分は一人で鉄橋を這うように渡って逃げて帰ったんだ。
あの人はどうしただろうと。
それはずっと心の重荷になりますね。
同時にそれが直接の家族であると、もっと悲惨であります。助けようとしても助けられなかった。
その思いというものがたいへん重くのしかかっていて、被爆者の方々はなかなかその事実、具体的に
どうであったのか、自分はそれをどう思ったのか。語ることができないままに生きてきた人々も、た
いへんたくさんあると思います。
しかし、いままた、具体的な体験を持っている人々が、どんどんいなくなるこの時点で必死に話そ
うと、いま話しておかなければ、いま伝えておかなければという人々もまた出てきました。
阪神淡路大震災から十年でありますが、神戸市の住民が、もうすでに二十五パーセントは、震災以
後に神戸に来た人々だと言われます。それが広島においては、当然もっと顕著でありますし、あるい
は戦前、戦後で分けるならば、当然、戦後生まれの人々のほうがもう大多数を占めます。
そのような状況を見るにつけても、いま私がこのことを語っておかなければならないと考える人々
がたくさん出てきました。
そうしたなかで真宗の教えに遇った者が、そのことにどうかかわっていくのかということが常に語
られていいはずであります。しかし、この安芸の地でありましても、広島の地でありましても、ずっ
と初期の段階から平和の問題が宗門のなかで語られてきたのか、あるいは教区のなかで活動されてき
たのかといえば、そういうわけではありません。
現実に大きな盛り上がりを見せたのは、ひとつには私たち本願寺派の場合においては、いまのご門
主さまがご門主になられて、教書を発布された。その教書のなかに、社会問題ということが大きくク
ローズアップされていました。そのことに啓発を受けたことは大きいことでありました。
同時に、国連で第二回国連軍縮特別総会が開催されました。当時はまだ東西冷戦構造のなかにあり
ましたけれども、その構造のなかで、この広島の地にいる者が黙っていていいのか。特に核兵器の問
題に対して、もう少し自分たちなりの活動をしていかなければならないのではないかということが言
われてきました。
安芸教区では、教書と国連の第二回軍縮特別総会を契機に署名運動、そして平和活動の部会の立ち
上げ、そのことを全体の決意にしようということで、ご門主さまをお招きして大会を開きました。あ
るいは、平和を願う言葉を発布していただいて、それをいつも根底に置きながら活動しようという運
動が起こってきたのは、みなさん方にお配りしている資料(
「資料集」浄土真宗本願寺派 安芸教区教
務所 http://www.aki.or.jp)の一番最初のところあたりです。
こういう資料集を、みなさん方にお配りをさせていただきました。教区のホームページ・アドレス
が書いてございますから、パソコンを使われる方は、帰られてからゆっくりとインターネットでアク
セスしていただければ、これに載っている資料のみならず、写真等さまざまなものが取り出せますの
で、ぜひアクセスしてほしいと思います。
「資料集」の4ページ、
「平和運動の歩み」のなかで一九八二年、いまから二十三年前で、実際には、
その前から少し活動ははじまっているのですが、記載されているのがそういうことであります。
そして、いったん運動をはじめていくと、さまざまなことが明らかになってくる部分もあります。
ニューヨークに国連本部がありますので、集まった三十数万の署名を届けようというときに、広島市
で原爆が落とされたときに立っていた親鸞聖人像が戦後、広島からニューヨークに送られて、ニュー
ヨークの仏教会にあります。私は存じませんでしたけれども、そういうことも明らかになり、やがて、
そのこともやはり伝えていこうということも大きな広がりをみせました。そのことが何ら検証されて
いない、知られていないというならば、少しでも知っていただこうということです。
それ以後、こんにちに至るまで、
「平和を願う念仏者の集い」というかたちで毎年シンポジウムを開
催し、さまざまな先生方にもお越しをいただいて、多くの方々に呼びかけ、平和の学習を深めてまい
りました。ちょうど真宗教団連合で、これまでに研修された先生方のなかでも何人かは安芸教区での
研修会にもお招きをし、お話をしていただいたことでございます。
「資料集」は、この安芸教区での活動として、なるほどそういうことをやっていたことがあるんだ
なというぐらいのご認識をいただければと思っております。
いま、もうひとつは、私自身がさまざまなものをみなさん方に、ご紹介をしながらお話をしたいと
思います。今日お話をさせていただくそのひとつが、やはり教団連合という組織体のなかで何かをし
ようとしたときに、こうしたこともできるのではないかと思っております。
『それでも私は戦争に反対します』
(平凡社)という、日本ペンクラブの編集した本があります。こ
れはアフガン、イラクの問題が起こっていったときに、自分たち作家は黙っていてもいいのか。この
問題をただ黙って見ていくのか。あるいは、個人個人がばらばらのかたちでしかものが言えないのか
というので、会員になっておられる方々に全部通知を出して、いついつまでに自分の意見を提出して
ほしい。それを早急に本にして出版しますというので、多くの方が書いていらっしゃるのです。
そうして返ってきたものをアイウエオ順にまとめていらっしゃる。
それぞれの立ち位置というのは、
当然違いますけれども、それをまた一冊の本にして、しかもできる限りタイミングを逃さずに出版し
ようとして、出版されたわけです。
そのなかで、ひとつだけ紹介をさせていただこうかなと思うのは、戦争というものが、どういうか
たちで企画されていくのか。それをやはり、きちんと学ぶ必要があるのではないか。私たちは、どち
らかというと理念性に流されやすい。
その問題に対してひとつの見解を述べられたのが、山中恒さんという方ですね。この方が『すっき
りわかる靖国神社問題』
(小学館)という本を出版されました。
この方は戦争の問題については、さまざまな本を書かれておりますが、この本は、一昨年の秋ごろ
に出版されました。この方は、靖国神社というものがトラブルを起こすのは当然であり、またそれに
込められる根拠の希薄さというのを、この本で書いていらっしゃっるのです。
しかし、あらためてどこに視点を置かれたかというと、日本が明治以降、戦争に至っていく経緯と
いうものを検証して非常にきちんとわかりやすく書かれた。学術的なというよりも、高校生にわかる
ということを、まず基本において、小学館から依頼されて書かれた本です。
それを読んだときに、なぜ中国、あるいは韓国が、首相が靖国神社に参拝することに反対するのか。
なぜ反対するのかというのをひとことではなくて、ずっと歴史があってできごとがあって、そのでき
ごとが日本から見ると、こうである、でも、朝鮮から見るとこうであり、中国から見るとこうである
ということを非常に細かく、ずっとわかりやすく書いてくれたと思います。
それを読んでいくと、ひとつ明確になってくるのが、戦争というものは企画されたものである。偶
発的ではないということです。ではこんにち、例えば、さまざまな戦争状況のところに取材に行かれ
たりとか、あるいはボランティアで行かれたりとか、そういう方々も明確におっしゃることでありま
すが、イラクの戦争はアメリカが石油がほしいからだとか、あるいは、湾岸戦争も実は戦争をするよ
うにしかけられていった。あくまでも企画されたものだという。
いま海の向こう側の問題ではなくて、我が身の問題としてとらえるときに、日本が朝鮮半島を侵略
し、やがて中国に権益を伸ばそうとし、欧米列強等とぶつかり、どうそれを自分の側に取り込んでい
こうとするか。そのための手段として戦争、紛争をどう引き起こしていったかということを書いてい
ます。
あくまでも、それらは偶発的ではない。必ず意図され企画されている。では、なぜ戦争というもの
は、わざわざ企画されるかということですが、企画される根拠として、戦争というものを定義すると
きに、戦争は大きく分けて二種類なのだということを多くの方は書いているわけです。侵略の戦争と
自衛の戦争と、戦争を分けるとしたらこの二つであろう。
こちら側から最初にしかけていくと侵略と言われる。だから、必ず向こう側からしかけてもらわな
ければならない。向こう側からしかけるときに、こちら側の被害はできる限り少ないほうがいい。わ
ざわざ企画するわけですから、企画する以上は、こちら側の被害が最小限である方がいい。
現実に朝鮮半島に入り、韓国を併合していく過程にしろ、あるいは事変という名称を使いながら、
次々と戦争を拡大していくなかにおいても、日本側の被害というのは、たいへん小規模です。
いま本願寺派のご門主さまが九月十八日に千鳥ヶ淵法要をはじめられて、二十年以上の時が過ぎま
した。この千鳥ヶ淵法要でのご法話にも、教区の運動はたいへん大きな啓発を受けましたけれども、
なぜこんなお彼岸に近いときに、全国の人に参れと言っても難しいときに、なぜこんな日にするのと
思いましたけれども、どうしても柳条湖事件にこだわられる。柳条湖事件というのは、べつに死者も
いるわけでもないですし、関東軍が一時、ほんとうに少量の爆弾をしかけて、それを口実に攻め入っ
ていくわけです。
そこにもう、最初に目的があって、その目的をこちら側が先に手を出すと、どうしても侵略という、
悪の戦争になってしまうので、善という体制をとるために必ず企画をしていくのだ。企画していった
ことが、あとになってどんどんわかってきます。わかってくるのですけれども、もう終わったあとと
いうかたちで、多くの方に響かない。
たとえば、イラクがクェートに攻め入った時にもいろいろな裏話がございます。そのときにアメリ
カでそれを正当化する論理として使われたのは、駐アメリカのクェート大使の娘さんです。CMの広
告マーケティング会社がうまく利用して、クェートの病院にイラク軍が攻め入ってきて、そこの赤ん
坊を放り投げて殺したという証言をテレビの前でさせる。
そうすると、イラク軍は非常に非道である。つまり向こうが悪い。そういう企画された戦争という
ものは、いつも裏で練られているわけですけれども、それになかなか気付けない。ざっと押し流され
て、気付いてそれが明るみに出るときというのは、もう五年後とか十年後とかいうことになります。
あるいは、いま情報公開と言われますけれども、数十年経ってやっとさまざまなものが表に出てき
ますが、それでは、いまさらどうするのといったときに、ほとんどの場合は、ほんとうかどうかわか
らないとか、もういまさらしかたがないというかたちで過ぎ去っていくのでしょう。
みなさん方も特に靖国問題というのは、ご門徒の方と、どうお話をしていくかというときに苦慮さ
れていると思いますけれども、苦慮されている現実に対して、靖国神社に参っていいとかいけないと
かという、いま目の前の現象のみを論ずるよりは、戦争ってなんだろう。日本の歴史とはなんだろう。
そこをきちんと学び合っていけるかどうかが重要なのではないかと思っています。
実際に首相の靖国神社参拝の問題ひとつにしましても、あるいはそこに祀られるのがいいかどうか
にしましても、この前三十人ほどの六十歳以下の方々とお話し合いをしたのですけれども、どっちと
いうように定義をしていくと、だんだんわかってくるみたいです。
たとえば、
「戦争で亡くなった人は功労者ですかね」とか「犠牲者ですかね」とか問いかけていく。
そうすると、
「そうね、どっちだろうね」と考えはじめる。あるいはその人に対しては、感謝するのが
妥当なのか、慚愧するのが妥当なのか。その人々にありがとうと言うのか、ごめんなさいと言うのか。
あるいは、それは国のためなのか国のせいなのかという、言葉を出しては、
「どっちなんでしょうね」
としばらくお話をしていく。
そうすると、ひとつの意見として、
「あの時代は」とか「そういう教育だから」とか「いまさら」と
言われます。
「では、あなたは」というように問いかけると、そのときは六十歳以下でありましたけれ
ども、百パーセントの人々が、
「いや、私は祀ってほしくない」とおっしゃるわけです。
「自分はして
ほしくないけれども、あの人はしてもいいのですかね」という話をすると、少し糸口が見えてきて「そ
りゃそうだなと」と。自分は嫌だと思う、してほしくないと思うのに、自分の親がされていてもいい
と言えるのかどうなのか。
私は私の友人といっしょに取り下げに行って、靖国神社の宮司さんともお会いしました。遺族が靖
国神社に祀られるは嫌なのだから取り下げてくださいというお願いに行くと、宮司さんは、祀る自由
があると言われるのですね。
「あなたたちは嫌なので、嫌だったら参ってもらわなくていい。私のとこ
ろは祀る自由があるんです」とおっしゃっているのです。
それでは、まだみんなはぴんとこないから、
「あなたのお父さんが亡くなったときに、創価学会の方
があなたのお父さんを勝手に祀って、そのことがわかって、うちはやめてくれないか、うちは浄土真
宗だから」と言ったときに、
「じゃあ、浄土真宗の人に参ってもらわなくてもいいけど、あなたのお父
さんを祀るのは、祀るほうの勝手だからいいでしょう」と言われたらどうですかと言うと、
「それは嫌
だ」と言われます。
なぜ戦争を企画するかと言えば、必ずそこに利益というものが存在する。通常は、国益という言葉
で語られますけれども。国益が国益であったためしはないですね。どうも国益という名を使う個人的
な利益です。
日中戦争を拡大していく場合においても、
満鉄に対して莫大な投資をしていく。
せっかくつくって、
これから資金を回収しようと思ったら、別の線路をつくるなんていう話があると、それを潰さないと
利益は半分になってしまうならば、それを潰すためにはどうするか。つまり、資本投下に対して、そ
の資本はどう回収していくのかということのほうが目的なのですけれども、そこは絶対、誰も語らな
いというやり方で戦争が進められているのです。
先ほど紹介しました「それでも私は戦争に反対します」の中で江川紹子さんが引用しておられる「戦
争プロパガンダ10の法則」
(アンヌ・モレリ著)に非常におもしろく、法則という言葉を使いながら、
このように書いてあります。
第一の法則
「我々は戦争をしたくない」
。
戦争をしたいと誰も言わない。
みんな戦争はしたくないと、
当然みんなそうだと言うのだ。
第二の法則「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
。企画して起こすのですけれども、敵側が一方的
に戦争を望んでいる。
これはさまざまな歴史というものを少し検証したり、
何冊かの本を用意すれば、
どの戦争の場合でも充分に指摘できると思います。
第三の法則「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
。敵も味方も、ほんとうは一人の人間です。しかし、
そこに敵とか味方という表現が使われる。敵という言葉を付けただけでは、まだもう少し正当化でき
ないので、悪いやつだというのに悪魔のような人間である。悪魔であると言います。日本の場合も、
鬼畜米英という言葉を使ったわけでありますから。
つまり、人間ではないと思い込ませることによって、人を殺していくということを正当化させてい
こうとします。
「人間が人間を殺すのですよ」と言われると、それは誰でも抵抗しますから、どうして
も「いや、あれは人間ではない。人間のかたちはしているけれども、心は人間ではない」とか、
「もと
は人間であったかもしれないけれども、いまは人間ではない」とか。あらゆる方法で人間ではないと
いう根拠を、成立させようとします。それが湾岸戦争のときの、子ども殺しのようになるのです。
それが一歩変われば、今度はヒーローになる。どの程度の論証かというのは、これも南京大虐殺と
同じように議論されることですけれども、日本軍が上海から上陸して行くときに百人斬りとか言われ
て、それは武勲として新聞報道されていくわけです。そうすると同じひとつのことが、こちら側から
見ると残虐行為だと言われ、あちら側では英雄である、ヒーローである、武勲であるということにな
るのです。
南京虐殺は、人数の問題が議論されますが、それは当然だろうと思います。私が一度お話をうかがっ
たのが、
絶対に名前を出していただいては困ると言われているので、
申しあげることができませんし、
そのことはご了解いただきたいのですが、本願寺派の上海別院に大谷光瑞さんがいらっしゃった。日
本軍が南京へ侵攻していくという作戦がおこなわれますけれども、
上海別院は、
負傷者の救護所になっ
ていくわけです。そこで身の回りのお世話をなさっていた女性の方がいらっしゃって、それは悲惨な
状況であったとおっしゃいます。
その悲惨さは何において成立するかというと、日本は最後まで補給、つまり後方支援というものを
確保しないで戦争をする。
最初の悲惨さというのは、台湾だったわけでしょう。台湾を取ろうとして攻めていきますが、実際、
戦死した人が千数百人であって、それに対して病死した人が数万人と言われます。多くの人々は、上
陸してもう間もなしにマラリアとか赤痢とかで病死していくわけです。病死していく状況がなぜ起こ
るかと言えば、食料、医薬とか、後方支援というものが確保されていないからです。
ある意味では、日本は過去に学ばないのかもしれません。南京虐殺記念館には「前事不忘、後事之
師」という看板が掲げられている。前のことを忘れることなく、あとのことの師としようということ
ですが、日本は学ばないものですから、上海事変で上陸していくときも、補給路がないから略奪を繰
り返していく。そのさまは、多くの人々が、自分で自分の食料を略奪しながら確保する。そして南京
へ進んで行ったわけです。
その状況から見れば、そこにおいて、人を人として見ないという行為がおこなわれたであろうとい
うことは想像できる。なぜか。人を人として見るということは、教育されていないからだと思います。
どちらにしても、敵の指導者は悪魔のようだというのは、戦意高揚の方法としては常にとられている
ことです。
第四の法則「我々は領土や発展のためではなく、偉大な使命のために戦う」
。これも日本軍が最初か
ら言っていたわけではないのですけれども、次々と戦死者も増えてくるし、病死者も増えてくるし、
その割には豊かになっていかないしという状況のなかでは、厭戦気分が起こります。権益がほんとう
は目的なのですけれども、
みんなを納得させられるだけの権益が手には入っていない段階においては、
使命というものを表に出す。すなわち、我々は領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う
というのです。
こんにち、イラク戦争は石油のためだと語りますけれども、アメリカの中枢にいる人が石油のため
ですよと言うかというと絶対に言いませんね。国内においてはうまく情報操作のなかで、敵は悪魔の
ような人間であり、この人間を除かない限り、自分たちの身の安全はないし、自分たちは正義の側に
立つということをコマーシャルとして流し続けます。
第五の法則「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
。
味方の犠牲がまったくないとは言えません。たしかに一般市民も数人巻き込まれることはあるが、そ
れは誤ってである。そして、向こうがもしそれをおこなえば、それはわざと残虐行為に及んでいると
いう言い方をします。
いま自爆テロと呼んでいるのは、世界のなかでも数カ国だと言われています。日本では、車に爆弾
を積んで突っ込んでいって何人死んだという報道のときに必ず、
「また自爆テロが」と言います。けれ
ども、テロという文言は、そんなに安易に使われる言葉ではないのでないか。私たちはそれだけ聞い
ていると、それが共通認識のように思ってしまう。それもある意味での情報操作だと思います。常に
テロという言葉を使うのも、そういうことでしょう。
そして第六の法則「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
。敵は、大量破壊兵器とか毒ガスを持って
いる。向こうは非常に卑劣である。こちらが使っている兵器は、卑劣ではないという語り方をするの
でしょう。日本も毒ガスを使用したり実験したり、現実には当然、製造もしていた。早い段階から、
使用は考慮のなかに入っていたようでありますが、自分では卑劣な兵器とは言わないですが、相手方
が使えば卑劣と言います。
こんにちでは、特にクラスター爆弾、劣化ウラン弾の問題もたいへん大きいと思います。みなさん
方もちょっと気付かれたかと思いますが、私はバッジを付けております。これは、安芸教区の平和環
境部会でつくりました。
「兵戈無用」と真ん中には書いてあります。上には「私はいかなる戦争にも反
対します。安芸本願寺」と入れて、教区で制作をして、これを三百円で販売しています。
制作経費は百円ちょっとですが、三百円で販売して、その利潤分を劣化ウラン弾の被害の子どもた
ちに送ります。広島ではセイブ・ザ・イラクチルドレン広島という団体があります。セイブ・ザ・イ
ラクチルドレンの中心は名古屋のようでありますが、広島でも支部を結成して活動しておられます。
アフガニスタンもクローズアップされませんが、現実にはクラスター爆弾がたくさん使われて、そ
の被害に苦しんでいる方がたくさんいる。アフガニスタンはNGO活動がなかなか入りにくい状況が
ありますが、アフガニスタンで井戸を掘る活動をしておられるペシャワール会という会があります。
これは福岡が本部でして、そちらと両方に資金を提供しようというようにしています。
みなさん方にもぜひ買ってほしいと思います。差し上げてもよかったのですけれども、これはやは
り買ってもらおうと思いました。事務局のほうで取り扱ってくれていますので。一個でなくてもいい
ですから、買っていただくとうれしいですね。
私は布教使ですから、毎月何カ所かいろいろなお寺にお説教に行くのですけれども、そのとき必ず
そのバッジをたくさん持ってまいります。初日は言わないのです。初日に言わないと、お参りの方は
バッジが気になってしようがないのです。離れていると、なんと書いてあるか見えませんしね。
「今度のご講師さんは、なんか袈裟にバッジが付いている。あれは何か位が上なんだろうか」とか、
みんなが考えているわけです。二日目に「実は、これはこうなんですよ」と話すと、
「ああ、そうだっ
たんですか」と。
「実は、これを買ってほしいんですけどね」と言うと、百個ぐらいはすぐ売れますね。
「恥ずかしいだろうから、無理に付けてくれなくていいよ」と言うのです。
でも、バッジをせっかく買ったら、持って帰って家族で話の材料にしてほしい。
「今日、こういうの
を買って来たよ」
「それ、おばあちゃんなんて書いてあるの」と孫が必ず聞くから、そうすると「兵戈
無用と書いてある」
「どういう意味」
「兵はね、刀みたいな短い武器のことよ。戈は槍、矛と言うんだ
けど、長い武器のことよ。短い武器も長い武器も用いない。武器を使わない。そういう意味があるん
だよ。お経のなかにあるんだ」と、それぐらいは話してみてと。子どもがそのバッジをちょうだいと、
小学生だと言うかもしれないから、
「あんたにあげよう」と言って、渡してくれないかと言うのです。
友だちがバッジを付けていると、
子ども同士はもっと素直に聞きますからね。
「それ何」
「これはね」
っ
て、言われたとおり言うはずですよ。
「こう読むんだよ、こうだよ、お経の言葉だよ」って。そのこと
がいいじゃない。だから、どうか買ってくださいね、なんてよく言っています。
どうしても敵の兵器だけが卑劣である。自分たちが使う兵器は正当であるという二重の構造になり
ます。
第七の法則「我々の受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
。昔、大本営発表と言って、ぜん
ぜん真実ではないと言われていましたけれども、六十年経ってもやはり状況は変わっていないです。
必ずアメリカ軍が被害を発表するときには、絶対に正直に言わないじゃないですか。たぶん亡くなっ
たとわかっていても、現実はまだわからないから調査中と言って、時間がずっと過ぎると、いつの間
にか何人亡くなったかも実にうやむやにしていく。
逆に敵の被害については、非常に早い段階で甚大であるという。情報戦と言われるのは、結局、正
しいことを伝えるわけではなくて、情報を操作する。操作して、さまざまなことを思い込ませていく。
あるいは敵と同時に、見方をだましていく。それが第七の法則。
第八の法則「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
。ここに宗教家も入るのだと思います。
いま音楽家というものは、若い人々に対してたいへん影響が大きくて、そういう意味では反戦活動の
ときに大きな力を発揮するのも、著名なミュージシャンが反対ということを表明して、そのことをア
ピールしたりコンサートを開催してくれると、たいへん大きな力になります。
同時に、選挙戦でブッシュ陣営というかたちで、そういう著名な音楽家、芸術家というものが参画
しますと、大きく寄与していく。
ですから、どちら側の陣営にしましても、ミュージシャンというものをどう取り込んでいくかとい
うことは、たいへん強い意識を持っているのではないか。そのためにどういう方法を使って取り込む
か。日本では、あまりそういう方法をうまく使っている教団があるとは言えませんね。創価学会を除
いては、日本の宗教教団はそういった方法は苦手なのだろうと思います。
次に第九の法則「われわれの大儀は神聖なものである」
。これは正しいという論理でしょう。正義と
いう言葉で使われます。正義という文言に対して、これはいま京都女子大学の先生であります徳永道
雄先生が、昨年広島にお越しいただいたときにお話をしてくださって、ああ、そうかと思ったことが
あります。
徳永先生は、仏教では正義という言葉は、経典には出てこないとおっしゃる。その言葉が出てきた
ときには、正義(しょうぎ)と読む。それは、ほとけさまの教えに添っているかどうかという問題で
あって、添っていれば正義(しょうぎ)であり、背いていれば邪気である。
ブッシュ大統領の口から正義、正義という言葉が盛んに出ますね。最近の演説では、今度は自由、
自由という言葉が連呼されます。私たちが、正義というものが成り立つというものの見方をするのか
どうかです。正しい戦争があるというような言動を受け入れるのかどうか。それに対しては、やはり
仏教徒は仏教徒として明確に、正しい戦争はないなら、ないと答えるべきだと思います。
アメリカのご門徒さんが本願寺へ参拝されると、徳永先生はよく引っ張り出されて、あなたは英語
も話せるからと、お話をしなさいと言われるのだそうです。そういうときに、たまたま質問を受けた
とおっしゃるのです。
徳永先生がアメリカのご門徒さんへ、正義ということはないのだ。いつも正義と言うけれども、実
は「神の祝福を」と言おうが、
「アッラー・アクバル」と言おうが、それぞれが神の名のもとに正義を
主張し合う。正義を主張し合うがゆえに争いが起こるのだ。正義を立てるから争いが起こるのだ。仏
教は正義を立てないというような話をすると、たいがい反発が起こるとおっしゃいます。
そういう話をいろいろしたときに、終わって質問が出た。どういう質問が出たかというと、いま、
アメリカではこの戦争を遂行するにあたって、ひとつの理念が提示されている。それは、一人の犠牲
が出たとしても、それで五百人が助かるならいいではないかという論理だ。一人の犠牲が出ても五百
人が助かるならば、それは正義であると。
しかし、その理念は、正義というよりは、有効性と言った方がいいでしょう。自国民にもたしかに
犠牲者は出る。でも自国の犠牲は少ないのだ。敵国の被害は甚大である。同時に、戦争によって解放
され自由を得る人々がたくさんいる。つまり、戦争によって救われる人がたくさんいる。
犠牲者に比例して何十倍も救われる人がいるならば、それは正しいのだという論調にアメリカ国民
のだいたい七、八割の人々はうなずくと言う。そういう人々に対して、どう言えばいいのだという質
問を受けたのだそうです。
そのとき、徳永先生は、ひとつの例を出しました。一人というのは数字ではなくて、仏教徒ならば、
その一人は私なのだ。私ならどうするという問題ではないのですかと言われたそうです。徳永先生が
例え話として引用されたのが、二十数年前のことであるけれども、京都女子大で勤めておられた事務
長さんが生徒の前で、私は一生涯で一度だけこの話をしますと言って話されたお話です。
その事務長さんは、戦中、南方戦線にいて、輸送船でより前線に送られて行くときに、その輸送船
が攻撃を受けて撃沈された。それでみんな逃げ出して救命ボートに乗るのだけれども、救命ボートは
輸送船に乗っている人の数だけはなかった。
全員がその救命ボートに乗ることはできない。
一艘のボー
トに四、五十人、もうぎゅうぎゅう詰めに乗っている。あともう一人でも乗ったら、この船は沈んで
しまう、ひっくり返ってしまう。喫水線がもうそこまで来ている状況のなかで身動きがとれない。で
も、まだ海のなかでは泳いでいる人々はたくさんいたのだと。
そうすると、その事務長さんが「どうかこっちの船に来るな。もうぎりぎりだ。ただの一人も無理
だ。向こうに行ってくれ」と思っているのだけれども、一人来たんだと。ずっと泳いで来てやっと船
縁に手をかけたそのときに、そこに乗っていた士官が刀を抜いて、その兵隊の手をぐさっと突き刺し
た。抜いたとたんに、その船縁に手をかけた人は沈んでいったという。みなさんなら、そのときどう
しますかと言って、涙を流しながら女子大生に話されたことがあるそうです。
もし、一人が犠牲になっても五百人が助かる。それでいいではないかと言うならば、この士官のし
たことは正しいということになります。
みなさんはどう思われますかと徳永先生は話されたそうです。
そしてそのときに、では、それはよいおこないなのだから、代わりに私が飛び込みましょうと、みな
さんは言えますか。その一人を助けるために、私が飛び込むと言えるでしょうか。仏教徒の課題はそ
ういう問題でしょうと話すのですということを広島でお話くださいました。
これは原爆投下を正当化しようとするときに使われる論理でもあります。広島、長崎の原爆投下に
よって、日本はポツダム宣言を受諾する決心をしたのだという論理に使われます。もし、あの原爆の
投下がなければ、戦争はもっと長引いて、もっと犠牲者が出た。そのことを思えば、たしかに原爆の
投下でたくさんの人が亡くなったけれども、戦争が長引けばもっとたくさんの人が死んだのだ。原爆
投下は戦争を早く止める効果があったのだから、アメリカの選択は正しかったのだというのが、アメ
リカ側の論理です。
犠牲を少なくして、多数を助けるという論理に組するならば、原爆投下を肯定するこの論理も認め
ることになる。広島の人たちにとって、それは絶対に受け入れられないでしょう。
「あなたたちが原爆
で死んでくださったことに感謝申しあげます。あなたがたのおかげで戦争が終わって、それ以上の犠
牲者を出さずにすみました。あなたがたのおかげです」と小泉さんが広島に来て言ったら、何を言う
かと、それはみんな石を投げますよ。
そのようなことを言えるのは、人を道具としか見ていない施政者の側でしょう。人を人として見な
いからそう結論付けできる、そういう論理性に対して、やはり私たちはノーと言わなければならない
のではないでしょうか。
そして、最後に第十の法則「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」という論理が展開
される。自由の国アメリカと言っても、決して自由が続いているわけではなくて、アフガン、イラク
の戦争の後、アメリカでは学校教育というのが著しく変出したと言われます。
私たちは漠然と国旗掲揚に対して、すなわち国旗に対して敬意を表するのに胸に手を当てる。その
姿勢というものを当然のように思いがちであります。しかし、アメリカでこれが盛んに宣伝され強要
され、そのことがいいことだというように使われたのはベトナム戦争のときだと言われます。ベトナ
ム戦争で厭戦気分がたいへん強くなって、戦争遂行というものがだんだん困難になっていくなかで、
もっと国家に対する忠誠が必要である。そのために国旗を使い、国歌を使い、そして胸に手を当てる
ようになった。
しかし、ベトナム戦争が終息し、それ以後だんだんそれは弱まっていて、学校の現場ではほとんど
おこなわれていなかった。ところが、おこなわれていなかったものが、このたび一気にまた復活した。
あらゆる学校で授業の前に起立して国歌を歌い、そのとき胸に手を当てて。そのことがあらゆる学校
の現場で強要されていく。
いま、日本でも「国旗国歌法」に基づいて、学校の現場というものはさまざまに強要されていきま
すし、
「教育基本法」の改正もありますけれども、それ以前に必ず少し緩やかに見える、ルールとして
は強制していないですよと言いながら、それをしない生徒というものはどうなるかというと、疑問を
投げかけるものは、それはもうその時点で間違いであるとされます。
そのようなことが進めば、平和という言葉も口にできない。アメリカの小学校でピースと書いてあ
るTシャツを着て来たら、そんなTシャツを着て来るな、と先生から言われたというようなことも言
われています。それはなぜか。ほんのちょっとのことが、疑問と受け取られている。疑問と受け取ら
れれば、そのものは排除される。
そういうことを十に分けて、説明しておられます。そのほかの方々も、それぞれの立場で書いてい
らっしゃる。これがその一冊でありました。
こうしたものもそう大量に売れる本とは思いませんけれども、私たちがこうした一冊の本を表すと
いうことも必要なのではなかろうかというようなことは強く思います。
また、皆様にお配りしている資料の中に『現代に非暴力の可能性を問う。仏教・キリスト教の現場
より』
(編集発行:小森龍邦さんの対談を聞く会)という一冊が入っているかと思います。これは昨年、
ちょうどこの広島別院で開催されたシンポジウムの記録です。
一ページを開けてもらうとわかるのですけれども、対談相手は木村公一さんという福岡の方で、バ
プテスト教会の牧師さん、イラク戦争で人間の盾となった方です。
元龍谷大学の学長の信楽峻麿さん。そして部落解放同盟の小森龍邦さん。戦争、非戦と差別の問題
で言えば、みなさん方もこのお二方の名前はご存じだろうと思います。
この対談がちょうど今年になって本となってできあがったものですから、今日みなさん方にお渡し
をいたしました。必ず参考になろうかと思います。
そのなかで木村公一さんという方は、インドネシアにずいぶん長く行ってらっしゃいまして、戦争
が企画されていく状況を書いていらっしゃるのです。
インドネシアで紛争が起こる。その紛争のなかで、キリスト教とイスラム教が六対四の割合の地域
があって、その地域で紛争が起こったのですけれども、紛争というものがどのように起こされていく
かということをお話してくださいました。
どのように紛争が起こされるかというと、紛争を起こす目的の人たちがいる。それは多くは、やは
り軍隊だとおっしゃいます。軍隊のなかのアメリカで言えばCIAのような人たちをそこに送るのだ
と言います。つまり、軍服を着て送るのではなくて、まったく住民と同じような装いで送って、片一
方側に爆弾を投げる。爆弾を投げておいて煽るのだそうですね。
イスラム教のモスクに行って爆弾を投げる。
「あれをやったのを俺は見たぞ。キリスト教徒が向こう
に逃げて行った」と、実際にその場を見たと言うのです。そしてわっと怒りに燃えて、その村のイス
ラム教徒がざっとキリスト教のほうへ押しかけて行くと、実に途中に都合よく、棒とか石とか爆弾が
置いてあると言います。怒りに燃えて走って行くところですから、
「ここにあるぞ」と言って、棒を持っ
てしまう。さらに、そこに火炎瓶が用意してある。誰が渡してくれたかがあとになるとわからないの
だけれども、ちゃんと誰かが火炎瓶を渡してくれている。
聴き取り調査しても、
「あんた自分の家から持ってきたの」
、
「いや違う違う。途中にあった」と言う。
「途中にあったって、じゃあ誰が用意したの」と言うと、その村の者は誰も用意していないのに、行っ
ている途中でちゃんと自分たちの手に爆弾や火炎瓶があって、それを投げる。それを相互に繰り返さ
せていく。
そこにはやはり、必ず何かの目的が存在するし企画がされている。じゃあそれをどうやって、なん
とか解消していく方法があるのかといったときに、それは非暴力の可能性だと思う。つまり、武器を
持ったのでは対話は成立しない。
木村さんはイラクでは拉致されておられませんけれども、
インドネシアでは拉致されているのです。
拉致されているけれども、そのときにキリスト教とイスラム教の対立の構造を利用されているわけで
す。こっちはイスラム教、こっちはキリスト教で、それまでべつに殺し合いなんかしていないのに、
そういう違いがあるということを利用して紛争を起こす目的に使われる。
現実には、表にはどう映るかというと、イスラム教とキリスト教が対立し合って、相互に憎み合っ
ているというように報道される。なぜ憎み合っているか。こっちのモスクを焼いているし、それで何
人死んだ。こっちの教会も焼かれて何人死んだ。それがまた仕返しに行ったらこうなった、だからイ
スラム教とキリスト教は憎み合っていると、もう当然のことのように報道されるけれども、実際はそ
こにちゃんと糸を引いている人がいる。
その紛争の解決の努力をしたのは、キリスト教の牧師さんとイスラム教の牧師さん。その方々が双
方でチームを組んだとおっしゃいます。双方が五人なら五人ずつ出て、二班ぐらいに分かれて、行っ
て対話する。
ところが突然来るわけですから、敵の回し者だろうと当然疑うわけですね。疑われて三日間拉致さ
れたけれどもと、でも、それは拉致と言うといけない。三日間の話し合いのチャンスをくれたと、木
村さんはおっしゃるのです。
相手方の宗教者と「いけないよね」という折り合いさえつけば、そこに、私たちが行こうじゃない
かと直接出かけて行って、三日間対話をしていく。そうすると、対話が成立していって、激情に駆ら
れていたときには見えなかった情報が外から見ているとこうだよと見えてくる。実はそこにはこうい
う権益があってとか、実はこの村を潰してあとを立ち退かせてダムをつくろとしているとか、いろい
ろなことが分かってくる。
そういうことに紛争が利用されて、軍隊がそこに入る口実をつくって、軍隊が入ると、一気にそこ
が制圧されて追い出されて、たとえば新しいショッピングセンターができたりするように、さまざま
なことに利用されている。
あるいは、日本のODAもそうですね。ODAを実施するといってもそう簡単にいかないし、住民
全体に金を分けるというコストを惜しむ。じゃあそれをもっと低コストでできないかといえば、住民
が紛争を起こして死んでくれたほうが低コストでできると、ざまざまな利権がそこに渦巻いてくる。
「それは恐いですよ」とおっしゃいますけどね。
「恐いですよ」とおっしゃりながら、しかし、私た
ちがほんとうに暴力を用いないで、人々がお互い一人の人間だよということを伝え合っていこうとす
るならば、それ以外にどんな方法があるだろうか。
お三方とも、そのことをいろいろなかたちで言葉を変えながらお話くださっています。これ自体が
三時間近くあったものですから、多少カットされている部分もありますが、お読みいただければ、そ
れなりに示唆に富んだものはあると思います。
「憲法」九条について、あるいは、いま北朝鮮攻めて来たらどうするのだといったときに、私が一
念仏者としてどういう根拠を持って、それに対して答えていくのか。答える根拠のなかに、それでも
九条は守り、あるいは自衛隊を持たずに生きて行く道があるということは、やはり確信を持って語れ
ないといけないと思います。
「そうよね。そうなったら困るよね」というようなあいまいな答え方では、相手に対してより不安
を煽るだけでありますから、明確な論理をもって、非暴力ということがほんとうは一番強いのだとい
うことを言わなければいけないと思います。
当然、現実のものも挙げる必要があります。たとえば昨年でしたか、日本にみえたウガンダのアチョ
リ地域の紛争を解決した宗教者のNGOの会がありますが、
その会の人も、
とにかく武器を持たない。
相手を信頼する、あきらめない。寛容と非暴力と対話、これが基本ですとおっしゃってました。
いかにも表から見ると、
民族間紛争とか宗教紛争のように言われるけれども、
宗教者が手を取り合っ
て、寛容と非暴力と対話。その三つで生きていくのだ。非暴力はどの武器よりも強いという信念を基
本に据えることが大事です。
つまり、
非暴力はひとつの選択肢としてあるというとらえ方ではなくて、
これが最も強いのだ。その強いということを私たちが、
「そうだね。どうしようもないよね」というよ
うな弱気な発言として使うのではなく、これが最も強い方法なのだと言えるかどうかだろうかと思い
ます。
今後、教団連合の課題としては、この本に挙げられているもうひとつの課題を、やはりある程度考
えておかなければならないのではないかと思うのです。この「現代に非暴力の可能性を問う」の四ペー
ジに出ております。
上に写真がありますけれども、
「円瑛法師」と書かれてあります。その下に書いてあるのが一九三一
年、中国仏教会からの手紙です。これは中国仏教会のほうに十通残っているそうです。日本が戦争を
しかけていって、その後、中国仏教会が日本の仏教会に対して、なんとか同じ仏教徒なんだから、あ
なた方が訴えてくれと。仏教徒には殺生がないではないのかと、争いをしないのではないのか。同じ
仏教徒じゃないかということを切々と訴えられた文章であります。
「日本仏教会各宗管長、各布教師、各寺住職の皆様に謹んで申し上げる。我が仏釈迦牟尼仏は慈
悲平等をもって世を救うを主義となし我ら仏教徒は共に仏の素懐を体し、仏の教えを宣揚すべき
であります。世界の仏教国は、貴国とタイを冠たる仏教国と考えております。貴国は仏教を信奉
する国として国際的にも慈悲平等主義を施行し、東アジアに平和をもたらし、世界平和をすすめ
るよう尽力すべきでありましょう。
しかしながら、このたび貴国の軍閥が侵略政策をもって中国領土を占領し、中国人民を殺戮す
るということはどういう事でしょうか。我が国仏教徒は、仏教主義、および大乗行願を本とし、
貴国仏教会に書簡をいたします。
皆様が各々出広舌相して共に無畏の精神を奮って全国民衆に覚醒せしむるよう努力し、貴国政
府に陳情書を提出して、中国における軍閥の暴行をやめさせ、国連の議案を遵守し、即日撤退さ
れるよう切に望むものであります。
」
例えば、こんにち、こういう手紙が日本仏教会各宗管長というかたちで届けられたとき、私たちは
どう答えうるのか。そのことをやはり考えておくべきではないか。
木村さんという方がイラクに人間の盾と行き、これをとにかく日本の方に伝えてくれとイスラム教
の聖職者の方に託された手紙というものも、ある意味では、向こうの宗教者から私たちに願われたも
のが、後半部分(
『現代に非暴力の可能性を問う。仏教・キリスト教の現場より』52頁)に載ってお
ります。
その手紙には、宛先に私の名前が書いていないから、私はそれに答える必要がないと考えるのか。
それとも、これは私に宛てられた手紙であるととらえるのか。それがいつのときも問われるように思
います。
私に言われてもわからないから、教区に言ってくださいよとか。教区も答えは一人ではできません
から、御本山に行ってください。御本山といっても、うちだけで決まられませんから、真宗十派で相
談をしてと言っているうちに、どこに行ったかわかならないようになるので、できれば、真っ先に教
団連合で対応いただければと思うのです。
教団連合には、首相の靖国神社参拝問題等、たいへん素早い対応をしていただき、そのつど声明を
出していただくことをたいへん心強く思いますし、ああいう声明が出ると、門徒さんとの接点が出て
いいのです。
それを読まれたご門徒さんが、
「ご住職さん、これは浄土真宗が反対したと書いてあるが、なんであ
りますか」と聞いて来ますから、あれは実にいいですね。聞いてもらうと、
「実はこうなんだよ」と言
う、
「はあはあ、こりゃいけませんね」ということになります。ただし時間はちょっとかかりますよ。
そのことがきっかけにお話ができるし、そのように個別に話をすれば、決して感情的に突っぱねられ
るということはないかと思います。
私も三十代のころは、少し性急に正しいか間違いかという論理で語っていましたから、ご門徒さん
方が「うちの御院さんは赤じゃ。あれには言わんほうがええ。どう言っても聞きはしない」と言われ
た時期もあるのですが、最近は少し気が長くなりましたから、かなり遠回りしながらでも話を聞きな
がら、
「これはどうかね」と逆に質問をして、返った答えをもとにしてまた質問をするということを繰
り返していくと、だんだん相手にとって我が身の問題になるものですから、
「ああ、そう言われればそ
うだったね」ということになると思います。
つまり、自分の考えていることが整理できない状況というのは、誰にもあると思います。それが話
をして、疑問をぶつけたことが、なぜ自分はそれを疑問に思ったのだろうとか、どうしてそれが嫌な
のとか、どうしてそれに怒っているのとか言うと、それを「それはだってこうだから」と文言化しな
ければいけません。
「みんながと言うけど、どれぐらいのみんななの」とか言うと、
「いや、聞いたこ
とはないけど」
「聞いたことがないということは、みんなじゃないかもしれないね」とか。柔らかく柔
らかくしゃべっていくと、
「よく、わかりました。そう言われたらそうですね」という落ち着きが、ちゃ
んと出てくると思いますから、そういう対話をきちんとしていただくといいかと思います。
もうひとつは、教団連合の課題になっているのかどうか存じませんが、これは私のほうからお願い
をしておきたいと思います。現在では穏やかにはなっているというか、とりあえず予算の問題や政治
情勢で沈んでいますが、新しい追悼施設をつくる。この問題は、たとえば靖国問題にかかわっている
人のなかでも議論が分かれるところですね。新しくつくったほうがいいという人がいますし、千鳥ヶ
淵をもうちょっと宣伝したほうがいいという人もいるし、一切つくらないほうがいいという人もいる
し。
こういう追悼施設とはいったい何を意味するのかということを問う意味でも、明日、平和公園のさ
まざまな場所を歩いていただくし、資料館も見学していただきますが。いったい広島のこの碑のもつ
意味はなんなのか。新しくそういう施設をつくるというのは、いったいどういうことなのかというこ
とを、問うきっかけにしていただければなと思います。この本、
『戦争と追悼―靖国問題への提言』は、
基本的には新しい施設をつくるべきだという主張ですけれども、
新聞記者の方とキリスト者、
大谷派、
本願寺派、そういう人々をうまくチョイスして書いていらっしゃいます。
「そうは売れない本でしょう
ね」と書いた人に言ったのですけれどもね。ただ、いま治まっているから放っておいたらいいという
わけではないでしょうね。そして、この平和靖国の問題は当然、
「教育基本法」の改正問題にもかかわっ
てまいります。全日仏がわざわざ先がけて、改正をしてくださいというお願いをしましたけれども、
そのことに対しては、ほんとうはきちんともっともっと議論していくべきですし、教育が悪くなった
からおかしくなったのではなくて、教育をするようになったからおかしくなったぐらいの論理は言っ
てほしいなと思うのです。
国家が国民を教育するときに、必ず一定の方向性があるわけですから。そして、資本投下に対して
有益性を問います。どういう人間を目的として教育が構築されているのかということは、いつも問う
ていかないと。しかも、統一された教育がおこなわれると批判が生まれないという恐ろしさが強く出
ます。まだアメリカのように各州で、それぞれある程度勝手な教育がおこなわれているほうが、あな
たの州はこうなのか、うちの州ではこうだという、同じ国と言われるなかで違う教育がおこなわれる
ことによって、異論が生ずるということがあります。
いまは宗門教育ですらも、非常に画一化されているように思いますので、この「教育基本法」改正
の問題も、ぜひこの部会で議題として取りあげていただいて。いま現在の基本法の文言をただ吟味す
るというだけではなくて、おざなりにしてきた教育とはなんなのかという問題を宗教者としてかか
わっていただく。このことも、平和の問題と決して無関係ではないのではないかと認識をしておりま
す。
一応これで休憩とさせていただきます。
(以上)