ゴルフについて二言目 あれは2年前の8月の水曜日。しかも雨が降っていた。 その日私は上月カントリーでラウンドをしたが、アイアンの切 れが全く駄目で、スコアは兎も角内容がバラバラだった。慌ただ しく入浴をすませて帰路に着いた。その頃から降り出した雨は、 途中高速道路にさしかかると一段と雨脚が早くなった。自宅を通 り過ぎ、新光グループの一つが経営しているゴルフの練習場へ私 は直行した。百球ばかり打つと、自分で納得出来るショットが多 くなり始めた。センターハウスの中で少し休んだ後、打席の方に 目を遣ると友達が来ていたので、ひやかし気分も手伝って近づい て行った。 近づくにつれ、私の耳に今まで聞いた事もない心地よい打球音 が響いてきた。それはまるで鼓を打つ音に似ていた。ふと目を遣 ると、お世辞にも色白とは言えない、小柄な女の子が近寄り難い 雰囲気を醸し出しながら、一心不乱にボールを打っていた。それ でも私は、 「君は何処かの研修生か?」と尋ねると、その子は 「とんでもない」と、手振りも添えて答えた。 「じゃあプロか?」重ねて尋ねると、 「と、とんでもない」前よりもより一層大きなジェスチャーで答 えた。 鈴原玲美と私の最初の出会いだった。彼女はその年のプロテス トに見事合格し、(これは後から聞いた話だが5度目の挑戦だっ たらしい)色々と紆余曲折の後、現在上月カントリーからサンホ ーム兵庫の所属プロとして、今まさに飛び立とうとしている。主 な戦績としては‘98 年日本女子プロ選手権27位、くらいだが 私は近い将来必ずシード選手として活躍してくれると信じてい る。声にこそ出さないが私の身の回りにいる半数以上の人達は、 プロゴルファーとの契約を好しく思っていないだろう。彼女の頑 張りが全てを払拭してくれる。私は何もしてやれないが、ただひ たすらいつかは訪れるであろうレギュラーツアーでの彼女の初 優勝を待つのみである。私の父はゴルフ好きが高じてゴルフ場を 作った。私は所属プロと契約した。どちらも経営者としてはあま り誉められた行為ではないが、孤独な経営者の少しの我が侭と贅 沢だと思って許して欲しい。 ある百人ほどのゴルフコンペに参加した時の事である。表彰式 が執り行われ、私がべスグロ優勝(確か77だったと思う)をし、 賞品を貰い返ってくる背中で、『さすがやなァ』とか『立派なも んや77やで』と云う声を聞いた。その瞬間である、私は今日で 今までのゴルフと決別し、明日から全く新しいゴルフに取り組む 決断をした。つくづく限界を感じたのである。『このままならせ いぜい自分のゴルフもここまでだ。とても60台など望めそうも ない。やれる所までやってみよう。変えたからと云って必ず良く なり、60台が出ると云う保証はないが、今のゴルフを後生大事 に続けていては絶対一生かかっても60台は無理だ。これはゴル フのパラダイムチェンジである。企業なら一か八かの戦略など取 れないし、またやるべきではないが、これはゴルフだし所詮遊び である。仮に失敗したとしても自分だけの事ではないか、他人に 何一つ迷惑懸ける訳ではない』 次の日から自分で言うのもおこがましいが、涙ぐましい努力が 始まった。所謂‘ハンマー打法’がスタートしたのである。師匠 は本とビデオである。出来るだけラウンドは控え(その当時は年 間40ラウンド前後だった。今は多少反省しているが約倍の80 ラウンド位だと思う。《控えなければと思っている今日この頃で ある》何故ラウンド数を少なくしたかと云うと、コースに出ると どうしてもスコアに拘ってしまい、元のフォームやイメージに戻 ってしまうのである。また、これまでに数々の怨みを買っている ものだから、今更ハンディを甘くしてくれとは言えないし、また 仮に言ったとしても聞いてくれそうもない良い友達ばかりだか ら、当然の事ながらチョコレートを払う事になる。それも嫌で隠 れていたと云うのが本根である。その当時の事を今、「お前は2 年くらい逃げ回っていた」と指摘されている。どれくらい控えて いたかと云うと年間12∼3ラウンドで、どうしても断りきれな いコンペにしか参加せず、(時々試してみたくなって、本当に優 しい友達とこっそりコースに出かけていた)毎晩、しかも出来る だけゆっくりとしたスローモーションのような素振りと練習場 に通いつめる毎日だった。練習場も1ヶ所だけでは、「また来て いる」と思われるので、3ヶ所くらいの練習場へ交互に行ってい た。 そうこうしている内に1年が過ぎてしまった。が、いっこうに 当初描いていたゴルフに到達するどころか、一筋の光も出口も見 えて来なかった。私はさすがに焦り出した。もう一度本を読み直 したりビデオも何回も見直した。私は思い余って本の訳者(*ハ ンマー打法とはアメリカの物理学者が考えたゴルフ理論)に電話 をした。彼は大阪に住んでいる事が解かったので、「是非教えて もらいたい事があるのでそちらに行きたい」と言うと、運良く「近 日中に姫路の練習場へレッスンに行くのでよかったらそこで会 いましょう」と云う事になった。しかし、彼が説明する事柄は総 べて私が本やビデオで知っている事ばかりだった。私はがっかり し半ば諦めかけた。 「誠に申し訳ないが少しボールを打って見てくれませんか?」藁 をも掴む思いで頼んでみた。彼は「いいですよ」と気軽に打ち始 めた。私は全身に電流が流れるのを感じた。10球、20球と数 を重ねていくうちに、私のもやもやは完全に晴れて行った。 「もういいです。ありがとうございます。解かりました。自然で すね、ナチュラルなのですね。このゴルフの神髄は!」 私は今まで余りに理論に拘りすぎていたのである。理論を超越 した自然が最も大切だと云う事に気がついたのである。“在るが 侭に受け入れよ”なのである。ゴルフは全く人生そのものなので ある。それからの私は明るい光に向かって進みさえすれば良かっ た。半年ほど後に私の“ナチュラルゴルフ”は見事に完成したの である。 今私の JGA ハンディは『3』である。ハンマー打法導入以前 は『10』だったから格段の上達ではあるが、実はここまでの道 程について少しだけ話しておかねばならない事がある。私は、前 著にも書いていたと思うが、ゴルフは楽しめばいいと思っていた し、上手くはなりたいがとりわけハンディを上げたいなど思って もいなかった。むしろその逆で「そのハンディ嘘やろ」と言わせ て喜んでいたタイプだった。ゴルファーとして尊敬するある友人 に 「北見、その考え方はあかんで。もっと真面目に取り組んだらど うや」と忠告されたことと、鈴原玲美と出会ったのを契機に、本 気で極めてみようと思った結果、とんとん拍子にハンディが上が り『3』まで到達する事が出来た。因みに多少皮肉っぽい言い方 をすれば、忠告してくれた友人のハンディは『6』であり、追い 越してしまった。 しかしながら、今のところ大した戦績がないので余り偉そうな 事は言えない。『70』というスコアは出たが、60台は未だ出 していない。クラブチャンピオンにもなっていない。今年は密か に狙っているのだが、その前に大きく立ちはだかっている嫌な奴 がいる。名前を“金子敏郎”と言うハンディ『2』の男だ。どの 位嫌な奴かと言うと、先ずドライバーの飛距離と正確性がこの私 より遥かに優れている。フェアウェイのキープ率が85パーセン トを下らない。しかもアイアンの切れも抜群で、パーオン率はこ れも信じられないと思われるかもしれないが、80%は充分ある。 それでは全く勝ち目がないかと言うと、そこは彼も人間である、 泣き所がある。グリーン周り、特にパットに難点がある。私の付 入る隙はそこにしかないのだ。年間彼と40ラウンド位はしてい ると思う。比率から言えば 2 勝 3 敗で少々分が悪い。私と当る前 に誰かに早い段階で彼が負ける事を、毎日毎日祈っている今日こ の頃である。 最後に北見俊介作詞、北見あずさ作曲ハンマー打法の唄を記し てこの章を終わりとする。 【ハンマー打法の唄】 一、まずははじめに グリップだ 右手でハンマー 握るよう 指ではなくて 手のひらで 腕とクラブは 一直線 シングルプレーン シンプルに 21世紀の ゴルフだ ハンマー ハンマー ハンマー打法 二、次はアドレス しっかりと ワイドスタンス かまえたら 腰の回転 気にせずに ボール打たせりゃ 世界一 われらが神様 モーノーマン 21世紀の ゴルフだ ハンマー ハンマー ハンマー打法 三、今のゴルフは むずかしい 自然に帰れ ナチュラルに 潜在意識を 信じましょ 夢は大きく 60台 初心者ベテラン 皆おいで 21世紀の ゴルフだ ハンマー ハンマー ハンマー打法
© Copyright 2024 Paperzz