平安京左京八条二坊十五町 平成 19 年 (2007) オムロン株式会社 株式会社日開調査設計コンサルタント 巻頭図版第一 1.調査地全景(東から) 巻頭図版第二 1.南調査区 園池(北から) 2.3次元レーザー測量点群データ(北調査区南東から) −例言− 1.本調査は,オムロン株式会社の新社屋建設(文化財保護法第 93 条 届出日平成 18 年 2 月 16 日 受理番号 05H608)にともない,株式会社日開調査設計コンサルタントが事業者負担金によって実 施したものである。 2.本書は,京都市下京区南不動堂町 11 に所在する平安京左京八条二坊十五町跡の発掘調査報告 書である。調査は, 京都府教育庁指導部文化財保護課ならびに京都市埋蔵文化財調査センター (現 京都市文化財保護課)の指導のもと株式会社日開調査設計コンサルタント辻広志を調査主任,同 坂本範基を調査員として現地調査をおこなった。調査期間は,平成 18 年(2006)2月 21 日から同 年5月30日まで約3ヶ月半を要した。なお, 現地調査に際し, 土地所有者であるオムロン株式会社, 工事施工者である株式会社竹中工務店より多大な御協力をえた。記して感謝申し上げます。 3.現地調査にあたっては,つぎの方々の協力をえた。 中井勝治,岡本沙千代,西澤昌樹,小池智美,宮本信幸,鈴木咲欧里 4.現場の写真撮影は主に坂本範基,中井勝治,安孫子雅史がおこなった。また,主な遺物の写真 撮影については中井勝治がおこなった。 5.作業は,有限会社サイト・ビジネス・サービス(大阪市西成区南津守 7−19−3)の作業員の方々 にお世話になり,とくに同社の安孫子雅史には数々の協力をえた。 6.報告書作成にあたっては,つぎの方々の協力をえた。 中井勝治,岡本沙千代,西澤昌樹,小池智美,宮本信幸,鈴木咲欧里,河合恭典,内田淳也 7.基準点・水準測量は,株式会社日開調査設計コンサルタント岡本 人がおこなった。 8.本書で扱う方位は,昭和 43 年建設省によって公示された平面直角座標第Ⅵ系にもとづき,座 標北を北として記述をおこなう。記載する座標数値は, 新座標系 (測地成果2000) には合致しない。 9.現地調査ならびに報告書作成の過程で,つぎの方々から多くの御教示と御助力を賜った。記し て感謝申し上げます。 (敬称略) 尼 博正,石田裕二,井上信一,今江秀史,宇野隆志,馬瀬智光,梶川敏夫,亀谷亜矢,北田栄造, 久保智康,鈴木久男,関口力,仲隆裕,西いおり,西良次,西山良平,長谷川行孝,堀大輔, 堀内明博,吉崎伸 10.本書の執筆分担は,つぎのとおりである。 第Ⅰ章 坂本範基 第Ⅱ章 辻広志,坂本範基 第Ⅲ章 坂本範基,小池智美,中井勝治,河合恭典 第Ⅳ章 辻広志,坂本範基,河合恭典 付 章 宮本信幸,岡本 人 −i− −目次− 例 言 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・i 第Ⅰ章 調査の経緯 第1節 調査に至る経緯 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 第2節 調査経過 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2 第3節 位置と環境 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4 第Ⅱ章 遺構 第1節 調査の概要 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7 第2節 室町時代以降 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8 第3節 平安時代後期から鎌倉時代 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10 第4節 平安時代中期以前 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 14 第Ⅲ章 遺物 第1節 遺物概要 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18 第2節 平安時代後期以降の遺物 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18 第3節 平安時代中期以前の遺物 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 36 第Ⅳ章 まとめ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 40 付 章 3次元レーザー測量による遺構測量の検討 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 46 付 表 図 版 − 図版目次 − 巻頭図版第一 1.調査地全景 (東から) 巻頭図版第二 1.南調査区 園池 (北から) 2.3次元レーザー測量点群データ (北調査区南東から) 図版第一 室町時代以降 遺構平面図 (1/100) 図版第二 平安時代後期から鎌倉時代 遺構平面図 (1/100) 図版第三 平安時代中期以前 遺構平面図 (1/100) 図版第四 遺構実測図① (1/50) 図版第五 遺構実測図② (1/50) 図版第六 室町時代出土土器 (1/4) 図版第七 鎌倉時代出土土器① (1/4) 図版第八 鎌倉時代出土土器② (1/4) 図版第九 園池出土土器 (1/4) 図版第一〇 軒平瓦 (1/4) 図版第一一 丸瓦・平瓦 (1/4) − ii − 図版第一二 鏡鋳型 (1/4) 図版第一三 鏡背面鋳型 (1/1) 仏具・器物鋳型 (1/4) 図版第一四 刀装具鋳型 (1/2) 鋳造関連道具 (1/4) 図版第一五 1.調査前全景 (南西から) 2.調査前全景 (北から) 図版第一六 1.南調査区全景 平安時代後期から室町時代 (南から) 2.南調査区全景 平安時代後期から室町時代 (西から) 図版第一七 1.北調査区全景 平安時代後期から室町時代 (東から) 2.北調査区全景 平安時代後期から室町時代 (北東から) 図版第一八 1.井戸 13 (北から) 2.井戸 14 (南東から) 3.井戸 16 (北から) 4.井戸 16 下層・井戸 29 (北から) 5.井戸 17 (南から) 6.井戸 21 (西から) 7.井戸 22 (北から) 8.井戸 31 (東から) 図版第一九 1.井戸 27 上層 (南から) 2.井戸 27 下層 (南から) 3.井戸 33 (南から) 4.井戸 35 (北西から) 5.井戸 34 上層 (東から) 6.井戸 34 下層 (北から) 7.井戸 36 (北から) 8.土壙3 (北から) 図版第二〇 1.北調査区 柱穴群 (西から) 2.土壙 13 (北から) 図版第二一 1.土壙 20 (西から) 2.炉1 (北から) 図版第二二 1.南調査区全景 平安時代中期 (東から) 2.南調査区 園池 (南から) 図版第二三 1.北調査区全景 平安時代中期 (東から) 2.北調査区 園池 (北東から) 図版第二四 1.南調査区 園池 (南西から) 2.集石土壙1 (北東から) 3.南調査区 園池 張り出し 土層断面 (北から) − iii − 4.北調査区 園池 西拡張部 (東から) 図版第二五 1.南調査区 流路1 断割 (南東から) 2.北調査区 流路1 土層断面 (北東から) 図版第二六 近世出土土器 図版第二七 室町時代出土土器 図版第二八 鎌倉時代出土土器① 図版第二九 鎌倉時代出土土器② 図版第三〇 平安時代後期から鎌倉時代出土土器 図版第三一 室町時代後期から近世出土土器 図版第三二 平安時代から室町時代出土土器 図版第三三 園池出土土器 図版第三四 流路1出土土器 図版第三五 軒丸瓦・軒平瓦 図版第三六 鏡鋳型 図版第三七 1.鏡背面鋳型 2.刀装具鋳型 図版第三八 仏具・器物鋳型 図版第三九 鋳造関連遺物 図版第四〇 1.石製品 2.鉄滓 3.刀子 4.斎串 5.松明 6.桃核 − 挿 図 − 第1図 条坊位置図 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 第2図 調査区配置図 (1/500)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2 第3図 調査風景 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 第4図 周辺既往調査区配置図 (1/2,000)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5 第5図 調査区土層断面図 (1/40)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7 第6図 井戸 12・14 遺構実測図 (1/50)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8 第7図 井戸 16・17 遺構実測図 (1/50)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9 第8図 井戸 25 遺構実測図 (1/50)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11 第9図 土壙 20 遺構実測図 (1/20)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 12 第 10 図 土壙 29・33,炉1 遺構実測図 (1/50)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 13 第 11 図 園池地形図 (1/200)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 14 第 12 図 園池 遺構実測図 (1/40)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 15 − iv − 第 13 図 流路1・2 土層断面図 (1/40) ,断面位置図 (1/200)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 16 第 14 図 集石土壙1 遺構実測図 (1/20)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17 第 15 図 近世遺構出土遺物 (1/4)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 19 第 16 図 土壙 16 出土土器 (1/8)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 21 第 17 図 包含層出土土器 (1/4)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22 第 18 図 井戸 34 出土土器 (1/4)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 24 第 19 図 井戸 36 出土土器 (1/4)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 25 第 20 図 軒丸瓦 (1/4)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 26 第 21 図 塼 (1/4)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 29 第 22 図 鏡鋳型狭面花文 (原寸)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 30 第 23 図 その他鋳造関連遺物 (61・62:1/4,63 ∼ 65:1/2)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 33 第 24 図 銭貨 (1/1)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 35 第 25 図 砥石・温石・巡方 (1 ∼ 5:1/4,6・7:1/2)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 36 第 26 図 斎串 (1/2)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 37 第 27 図 流路1出土土器 (1/4)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 37 第 28 図 鉄滓分析結果 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 38 第 29 図 八条二坊十五町既往調査区配置図 中世 (1/1,000)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 41 第 30 図 八条二坊十五町既往調査区配置図 平安時代 (1/1,000)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 43 第 31 図 土師器皿法量分布図 (平安時代後期∼室町時代)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 44 第 32 図 スキャナヘッドのレーザー照射範囲 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 46 第 33 図 計測地点配置図 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 47 第 34 図 取得点群データ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 47 第 35 図 点群データ (拡大)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 48 第 36 図 TIN メッシュを貼り付けた遺構面 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 48 第 37 図 3次元点群データと写真測量データ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 49 − 挿 表 − 第1表 周辺既往調査一覧表 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6 第2表 瓦塼出土地点表 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 39 第3表 鋳造関連遺物出土地点表 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 39 第4表 主要遺構概要表 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 40 第5表 HDS3000 仕様概要表 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 46 第6表 計測数値 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 48 − 付 表 − 遺物観察表 遺物概要表 −v− 第Ⅰ章 調査の経緯 第Ⅰ章 調査の経緯 第1節 調査に至る経緯 この発掘調査は,京都市下京区南不動堂町 11 におけるオムロン株式会社の新社屋建設にともな うものである。平成9年度に発掘調査1)が実施されたオムロン株式会社社屋に隣接する駐車場で新 たに社屋を建設することになったため,京都市埋蔵文化財調査センターの指示により発掘調査を実 施することとなった。 平成 18 年(2006)1月に本事業の設計・施工を担当する株式会社竹中工務店より,当該区の発掘 調査の依頼があり,株式会社日開調査設計コンサルタントは,京都市埋蔵文化財調査センターと協 議をおこない,この案件を引き受けることとした。調査期間中,定期的に京都府教育庁指導部文化 一条大路 土御門大路 近衛大路 平 安 宮 中御門大路 大炊御門大路 二条大路 朱 雀 大 路 神 泉 苑 三条大路 朱 雀 院 淳 和 院 四条大路 五条大路 六条大路 外町 外町 外 町 外 西市 町 西 鴻 臚 館 東 鴻 臚 館 外 町 東市 外 町 外町 外町 七条大路 調査地 八条坊門小路 八条大路 西 寺 西 京 極 大 路 木 辻 大 路 道 祖 大 路 西 大 宮 大 路 東 寺 羅城門 大 宮 大 路 第1図 条坊位置図 −1− 堀 油 西 川 小 洞 小 路 院 大 路 路 東 洞 院 大 路 九条大路 東 京 極 大 路 第Ⅰ章 調査の経緯 財保護課ならびに京都市埋蔵文化財調査センターの指導,検査を受け,重要な遺構や遺物の発見時 には,行政機関を含めた協議をその都度おこなうこととした。 当該地は JR 京都駅の西方約 350 m,堀川通と塩小路通の交差点南東側に位置する。周辺におけ るこれまでの発掘調査では,平安時代後期から室町時代にいたる八条院町や七条町に関連した鏡や 仏具,刀装具などの鋳造遺物や工房が確認されており,ここでも同様な遺構や遺物の検出が予想さ れた。東側に隣接する平成9年度の発掘調査では,同様に鋳造に関わるものや,墓,八条坊門小路 路面などが確認されている。 調査区は,行政指導に基づいて,隣地境界などを考慮し南北約 25 m,東西約 16 mの長方形を呈 した面積約 400 ㎡を対象とした。 第2節 調査経過 調査の実施に先立ち,開始前の全景写真撮影をおこなった。調査区は,排土置場の都合により一 度に全域にわたって調査することが容易でないことから,南北に2分割し,まず南調査区から開始 することにした。 平成 18 年(2006)2月 21 日に京都府教育庁指導部文化財保護課ならびに京都市埋蔵文化財調査セ ンターから,現地で設定した調査区の確認および作業手順について指導を受けた。その翌日から盛 塩小路通 調査地 北調査区 油 小 路 通 南調査区 平 成 9 年 度 調 査 地 0 30m 第2図 調査区配置図(1/500) −2− 第Ⅰ章 調査の経緯 土,旧耕作土を機械力によって排土する作業か ら開始した。掘削終了後の2月 23 日から,基 準点移設,遺構検出をおこなった。 2月 28 日には,国土座標に基づく4m方眼 の割付を調査範囲内に組んだ。また,同日に京 都市埋蔵文化財調査センターの検査を受けた。 そののち,順次遺構検出ならびに遺構実測を おこなった結果,中世の遺構面が良好に残存 し,遺構密度が非常に高いことが明らかになっ 第3図 調査風景 た。 また,調査区の西側を中心に多量の鋳型や坩堝など,鋳造に関連する遺物が出土した。 1回目の全景写真撮影と写真測量および3次元レーザー測量を3月 15 日におこない,翌日から は,柱穴群の完掘,ならびに個別遺構断面図の実測をおこない,20 日には井戸などの部分写真撮影, さらに下層遺構検出を開始した。その結果,主に平安時代後期の井戸,土壙が一部で確認されたに すぎず,全体への広がりがみられないことから,部分写真にとどめ,その遺構実測をおこなった。 3月 27 日からは,攪乱壁で確認されていた緑釉陶器や土師器を含む遺物包含層の掘り下げを開 始した。この結果,調査区のほぼ中央付近で,拳大よりやや小さい礫が密に分布しており,その範 囲がさらに西と北にも広がっていることを確認した。 このような状況から園池の可能性も考えられるため,4月4日以降,京都市埋蔵文化財調査セン ターに調査指導をあおぐとともに,京都造形芸術大学仲隆裕教授に助言をいただいた。このことを ふまえ,礫群の精査ならびに清掃作業の後,2回目の全景写真撮影は4月8日,写真測量は 10 日 におこなった。この石敷きは部分的に汀の補修と思われる箇所が認められ,東半を中心としてさら に調査をおこなった結果,部分的に下層にも同様な石敷きの存在が明らかとなった。 そして,4月 17 日に3回目の全景写真撮影,写真測量をおこなった。そののち石敷きを除去し, さらに下層遺構の検出をした。この結果石敷き西側で確認されていた平安時代前期の遺物を含む旧 流路の堆積層が,園池の底部を形成することを確認し,流路の方向ならびに礫のサンプルをえるた め部分的にこの掘り下げをおこなった。翌 18 日には,図面の補筆および旧流路の断面図実測など を開始した。さらに下層に遺構が確認されないことから,京都市埋蔵文化財調査センターに検査・ 指導を受けたのち,機械力により埋め戻しをし,引き続き北調査区へ移行した。 盛土,旧耕作土を機械力により掘削し,その終了後 24 日から,基準点移設,遺構検出を進めた。 その結果,南調査区と同様に,第一遺構面には遺構が非常に密に分布する状況を確認した。北調査 区の1回目の写真撮影は5月 12 日,写真測量は 14 日におこなった。 柱穴などの完掘や図面補筆終了後,遺物包含層掘り下げを5月 16 日より開始し,22 日に2回目 の全景写真撮影,写真測量および3次元レーザー測量をおこなった。また,24 日には,京都造形 芸術大学尼 博正教授,同仲隆裕教授から助言,指導を受けた。 −3− 第Ⅰ章 調査の経緯 こののち,南調査区と同様に石敷きの掘り下げおよび下層遺構を検出し,25 日に再度,3回目 の全景写真撮影,写真測量および3次元レーザー測量をおこなった。同日に,京都市埋蔵文化財調 査センターの最終検査を受け,図面の補筆,旧流路の掘り下げなど残る作業の確認と最終的な埋め 戻し日時の協議をおこなった。5月 30 日までに全ての調査作業が完了したため,埋め戻しをおこ ない,6月8日には機材を撤収した。 第3節 位置と環境 調査地は,JR 京都駅北側,塩小路通と油小路通の交差点の南東隅に位置する。直前までは駐車 場として利用され,それ以前は油小路に面して民家と塩小路側に低層の鉄筋コンクリート造の建物 があった。当地は,大正元年発行の京都地籍図2)によると鉄道用地とあり,調査地西向かいの明王 院不動堂南側に旧国鉄線路が記されている。 平安京の条坊復原3)によると,当地は左京八条二坊十五町の宅地南西隅,調査区南端が八条坊門 小路北築地心,西端が油小路東築地心にそれぞれ想定される位置に相当し,平安京遷都から経済活 動の中心であった官設の東市から南東に 300 mほどの距離にある。平安時代中頃になると右京の衰 退にともなって,西市の機能が低下したことから,東市での経済活動が中心になっていく4)。その のち,東市が平安時代後期頃から衰退していくと同時に,経済活動の場として七条大路と町小路を 中心とした七条町が発展していく。ここは,当地から北東約 300 mの距離にあり,文献によると 12 世紀には存在が認められ,鍛冶,鋳物師,金銀細工や借上などの金融関係者が数多く集まっていた とされる5)。その南側では,平安時代末頃に西八条第や暲子内親王の八条女院御所など,八条大路 に面して数多くの邸第が造営されるようになる。鎌倉時代から室町時代にかけて,高倉小路・堀川 大路・八条坊門小路・八条大路に囲まれた一帯に八条院町が形成され,様々な職能をもつ人々が集 住した地域となった。八条院領は代々皇室に伝領されてきたが,関連する敷地の大半が 14 世紀初 頭に東寺領となる。そののちも,様々な職人の活動が知られ,商工業における中心地として依然存 続していた。 これまで,この一帯では京都駅周辺の大規模再開発にともない,度重なる関連調査がおこなわれ てきた。その成果から,文献史料に記されるように活発な経済活動や職人らの工房に関連した遺跡 が数多く確認されている。 当調査地の東側でおこなわれた平成9年度調査6)で,八条坊門小路が平安時代後期から室町時代 初頭まで存続し,しかも路面は礫敷であることが判明した。このほか,十四・十五町では平安時代 後期の南北溝や井戸,鎌倉時代から室町時代にかけての土壙や多数の柱穴,井戸や炉が確認された。 また,この小路に面して炉が設置され,その奥に井戸や埋甕が配置されている。さらに,室町時代 前半以降には柱穴,土壙,井戸,木棺墓とともに,多量の鋳造関連の遺物が出土した。 また,当地の北側でおこなわれた平成 15 年度調査7)で,宅地内には油小路に面して鏡生産や刀 装具生産のための鋳造関連遺構や遺物をはじめ,中世における四行八門に規制された土地区画や辻 −4− 第Ⅰ章 調査の経緯 子が確認されている。なお,この調査において,北西から南東に流れる幅 10 m以上,深さ 0.8 mの 古墳時代の遺物を含む流路がみられ,かつ平安時代に整地され,埋め戻されたことが判明した。こ うした流路は,左京八条三坊二町8)でも確認され,ここから平安時代前期の土馬,墨書人面土器や 馬の骨なども出土している。さらに,左京八条二坊十町9)では平安時代から室町時代の油小路路面 や西側溝,平安時代の柱穴,土壙,東西柵列,平安時代後期から鎌倉時代前半の井戸,溝,土壙, 柱穴,室町時代の東西区画溝や土壙,柱穴なども数多く確認された。このうち室町時代の土壙から は,鋳型,坩堝などの鋳造関連遺物が出土している。 このように隣接地一帯からは,平安時代後期から室町時代にかけて数多くの遺構や遺物が確認さ れ,文献史料にみられる当時の調査地周辺の状況を裏付けるものといえる。こうしたことから,当 該地でもこれらに関連する遺構・遺物の発見が予想された。 西 洞 院 通 塩小 塩小路 堀 川 通 堀 川 通 8 6 塩小路 塩小路通 調査地 1 八条坊門小路 八条坊門小 3 2 9 5 4 7 梅小路 梅小 堀 川 小 路 0 100m 油 小 路 第4図 周辺既往調査区配置図(1/2,000) −5− JR京都 JR京都駅 京都駅 西 洞 院 大 路 第Ⅰ章 調査の経緯 註 左京八絛三坊二町』 平安京跡研究調査報告第 1)鈴木廣司「平安京左京八条二坊2」『平成9年 度 京都市埋蔵文化財調査概要』 (財)京都市 埋蔵文化財研究所,1999 年 6輯 財団法人古代学協会,1983 年 5)秋山國三・仲村研『京都「町」の研究』 法政大 2)稲津近太郎編『京都地籍図』 京都地籍図編纂 所,1912 年 学出版局,1975 年 6)註1前掲書 『京都地籍図』に関する研究については河原典 7)網伸也「平安京左京八条二坊十五町跡」『京都 史・井上 学・塚本章宏による「『京都地籍図』の 市埋蔵文化財研究所発掘調査概報 2003-17』 (財) 作成経緯をめぐる基礎的研究」2004 年度歴史地 京都市埋蔵文化財研究所,2004 年 理学会大会(島根県民会館,2004 年7月3日) 8)下條信行・川西宏幸『平安京左京八絛三坊二 がある。 町』平安京跡研究調査報告第6輯 財団法人古 3)平安京条坊復原は(財)京都市埋蔵文化財研究 代学協会,1983 年 所の成果 (Model60) に基づく造営尺 29.84708m, 9)堀内明博・百瀬正恒・吉村正親「左京八条二坊」 造営方位− 0 °14 ′03 ″による。 『平安京跡発掘調査概報』昭和 57 年度 京都市 4)朧谷寿「文献にみる遺跡周辺の様相」『平安京 No 条坊 八条 住所 / 期間 掲載誌 備考 下京区油小路通塩小路下 京都市埋蔵文化財研究所 二坊十四・ る南不動堂町地内 1 『平成9年度京都市埋蔵文 連遺構から鎌倉後半の鋳造関連遺物が多量に出土。 下京区油小路通塩小路下 京都市埋蔵文化財研究所 二坊十四町 る東油小路町 553-5・6 1997/9/8 ∼ 1998/2/10 『平成8年度京都市埋蔵文 『平成8年度京都市埋蔵文 平安後期の南北溝を検出。柱穴は未検出。鎌倉∼室町の土壙・井戸 等を多数検出。井戸・土壙から鋳造関連遺物(鏡鋳型・坩堝)が少 17 ∼ 18 頁 下京区油小路通塩小路下 京都市埋蔵文化財研究所 二坊十四町 る東油小路町地内 犬骨を含む室町前半の土壙 10 基。平安前期の東西溝・土壙、後期 『平成 11 年度京都市埋蔵文 の南北溝を検出。土壙等から鋳造関連遺物(鋳型、坩堝、砥石等) 化財調査概要』,2000 年, が出土。 1999/4/1 ∼ 6/18 22 ∼ 25 頁 八条 下京区木津屋橋下る北不 京都市埋蔵文化財研究所 平安∼室町の油小路路面・西側溝を検出。平安の柱穴・土壙・東西 二坊十町 動堂町 521-1 『京都市埋蔵文化財調査概 柵列、平安後期∼鎌倉前半の井戸・溝・土壙・柱穴を検出。室町の 報昭和 57 年度』,1982 年 東西区画溝・土壙・柱穴等を多数検出。室町の土壙から鋳造関連遺 物(鋳型・坩堝等)が出土。 1982/9/20 ∼ 10/9 八条 下京区油小路通塩小路下 京都市埋蔵文化財研究所 二坊十四町 る東油小路町 553-5・6 『平成7年度京都市埋蔵文 調査区東側は砂礫層の地山,平安後期から室町までの遺構を確認, 銅鏡の破片,鋳型,フイゴ羽口などが出土。 化財調査概要』,1996 年, 1995/5/16 ∼ 10/05 八条 8 柱穴・土壙・井戸等を多数検出。鎌倉の木棺墓を検出。土壙等から 化財調査概要』,1998 年, 量出土。 1997/1/16 ∼ 2/28 7 平安前期の池状遺構・後期の南北溝を検出。鎌倉∼室町の東西柵列・ 14 ∼ 16 頁 下京区油小路通塩小路下 京都市埋蔵文化財研究所 二坊十四町 る東油小路町 553-4 八条 6 穴・土壙・井戸・溝、室町前半の木棺墓を多数検出。 化財調査概要』,1998 年, 鋳造関連遺物が出土。 1996/9/5 ∼ 1996/11/15 5 平安後期の建物を検出。鎌倉の遺構は少ない。室町前半∼中頃の柱 54 ∼ 59 頁 下京区油小路通塩小路下 京都市埋蔵文化財研究所 二坊十四町 る東油小路町 553-4 八条 4 『平成9年度京都市埋蔵文 化財調査概要』,1999 年, 八条 3 戸等,鎌倉∼室町の土壙・柱穴・井戸・炉跡等を両町内で多数検出。 置する。室町前半以降の柱穴・土壙・井戸・木棺墓を検出。鋳造関 60 ∼ 65 頁 1997/2/18 ∼ 1998/2/28 2 平安後期∼室町初頭の八条坊門小路を検出。平安後期の南北溝・井 化財調査概要』,1999 年, 八条坊門小路に面して炉跡などが位置し、その奥に井戸・埋甕が位 十五町 八条 文化観光局,1983 年 23 ∼ 25 頁 下京区油小路通木津屋橋 京都市埋蔵文化財研究所 二坊十五町 下る北不動堂町 522-1 『平安京左京八条二坊十五 油小路に面して鏡生産や刀装具生産などの銅細工師の活動の痕跡な らびに,中世における四行八門に規制された土地区画や辻子を検出。 2003/11/10 ∼ 2004/2/19 町』2003 年 9 八条 下京区油小路通塩小路下 京都市埋蔵文化財研究所 平安前期∼後期の土壙・溝を検出したが少ない。鎌倉∼室町前半の 三坊三町 る東油小路町地内 井戸・溝・土壙・埋甕・柱穴等を多数検出。室町中頃には遺構が減 『平成9年度京都市埋蔵文 化財調査概要』,1999 年, 少し、後半には空閑地となる。その後,西洞院川が開削される。鎌 1997/3/3 ∼ 1998/3/3 66 ∼ 71 頁 倉∼室町の土壙・井戸等から鋳造関連遺物が出土。 第1表 周辺既往調査一覧表 −6− 第Ⅱ章 遺構 第Ⅱ章 遺構 第1節 調査の概要 確認された遺構は,平安時代中期以前,平安時代後期から鎌倉時代,室町時代の大きく3時期に 大別される。調査地の現況の標高は約 27 m で,一帯は北東が高く,南西方向にわずかに低くなる 地形を呈す。基本層序は,地表下1∼ 1.7 mが近現代の盛土で,北側に比べ南側がやや厚く堆積し, それにつぐ 20 ∼ 50 ㎝が江戸時代の耕作土である。なお,北調査区北東部は現代の攪乱により,こ Y=-22,208 Y=-22,204 27.0m 南調査区北壁 W E 盛土 26.0m 1 2 7 3 7 24 25.0m 26 25 27 Y=-22,196 27.0m Y=-22,200 南調査区南壁 E W 盛土 26.0m 1 9 5 10 11 20 21 25.0m 1 2 3 4 5 7 8 9 10 11 12 13 14 18 24 15 8 4 11 16 24 28 12 13 17 11 24 23 19 6 14 19 22 2m 0 10YR4/2 灰黄褐色砂泥,暗灰色シルトを斑状に少量含む(旧耕土) 10YR3/1 黒褐色シルト混じり砂泥,暗灰色のシルト質土を斑に少量含む(土壙) 10YR3/2 黒褐色微砂混じり砂泥,黄褐色土粒が斑に少量含む(土壙) 10YR3/2 黒褐色砂泥,径4㎝までの礫を少量含む(柱穴) 10YR3/1 黒褐色砂泥(柱穴) ,径5㎝までの礫を少量含む(柱穴) 10YR4/3 にぶい黄褐色シルト混じり砂泥,径3㎝までの礫を少量含む 10YR4/1 褐灰色泥砂,泥土を含む,5㎝までの礫を少量含む 10YR3/3 暗褐色砂泥 10YR5/3 にぶい黄褐色砂泥,径6㎝までの小礫を適量含む 2.5Y4/1 黄灰色砂泥 2.5Y4/2 暗灰黄色砂泥,径4㎝までの礫を少量含む(柱穴) 10YR3/2 黒褐色泥砂 2.5Y3/2 黒褐色砂泥 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 2.5Y4/2 暗灰黄色細砂∼粗砂(土壙) 2.5Y4/1 黄灰色砂泥径,3㎝までの礫を微量含む 2.5Y4/2 暗灰黄色砂泥 10YR4/2 灰黄褐色シルト混じり砂泥 2.5Y4/2 暗灰黄色砂泥,径2㎝までの礫を微量含む 10YR4/2 灰黄褐色シルト混じり砂泥(柱穴) 2.5Y4/2 暗灰黄色シルト混じり砂泥(柱穴) 2.5Y4/2 暗灰黄色砂泥 2.5Y4/2 暗灰黄色砂泥,細砂含む 10YR2/3 黒褐色シルト混じり砂泥,炭片を少量含む(整地土) 5Y3/2 オリーブ黒色シルト混じり泥砂 2.5Y4/2 暗灰黄色粗砂∼小礫 5Y3/2 オリーブ黒色シルト混じり泥砂,径9㎝までの礫(流路 1) 2.5Y3/3 暗オリーブ褐色砂泥,径2∼6㎝の礫を適量含む(流路 2) 第5図 調査区土層断面図(1/40) −7− 第Ⅱ章 遺構 の層は確認できなかった。この下で,一部鎌倉時代の遺構を含むが主に室町時代の遺構を確認した。 調査はこの上面から開始した。旧地形は全体に西が東に比べ5∼ 10 ㎝低く,現地形との差異はほ とんどみられない。ついで厚さ 10 ∼ 30 ㎝の 2.5Y3/2 黒褐色砂泥があり,平安時代後期から鎌倉時 代初頭の遺物を含む。この下で,平安時代中期以前の遺構を確認した。これらの遺構は基盤層であ る 2.5Y4/2 暗灰黄色粗砂ないし砂礫上にある。それらの層は旧流路による自然堆積と考えられる。 なお,井戸底を確認したものについてはその標高を記載する。 第2節 室町時代以降 柱穴群,井戸,土壙,溝など多数確認した。柱穴は油小路側にやや密に分布する。井戸は近世 から近代のものが南半中央部の近接するところに7基(井戸1∼5・9・14) ,北半中央部でも同様 に7基(井戸6∼8・10 ∼ 13)確認された。なかでも,16 世紀末から 17 世紀初頭にかけての井戸 12 ∼ 14 の3基は,いずれも石組み井戸である。室町時代の井戸 15・17・18 は東半に3基,西半には 井戸 16 が確認された。また,調査区北端で,東西と南北方向の溝1∼3を確認した。これらはい ずれも江戸時代末頃の遺物を含む。 柱穴群 調査区西端を中心に,多数確認された。柱穴はこのうち,油小路東築地心より東に9mまでの範 囲に密集し,とりわけ重複の著しい部分がいくつかみられ,それらは南北に 2.1 ∼3m間隔で東西 の柱穴列が南北に並んで数条想定できる。しかし,個々の建物規模を確定するにはいたらなかった。 掘形は 30 ㎝前後の小規模なものが多く,深さも 15 ㎝から 40 ㎝と一律でなく,柱穴底に根石を据え 井戸12 Y-22 206 Y-22 200 るものも認められる。このことから,路に面して小規模な掘立柱建物群があり,かつそれらは頻繁 井戸14 X-112 719.5 a' a a a' X-112 707 aL 0 aL a' 2m L=25.6m 第6図 井戸 12・14 遺構実測図(1/50) −8− a' 第Ⅱ章 遺構 に建て替えがおこなわれていたと考えられる。 井戸 12 (第6図) 北七・八門の境界線やや南,油小路東築地心から 9.5 m東へ位置する。掘形は 1.7 mの円形を呈 し,深さ 70 ㎝を測る。井戸枠は内径 60 ㎝の石組みで,石は人頭大よりも大きく 40 ∼ 50 ㎝大である。 石組み最下段より内寄りで曲物による水溜を確認した。底部の標高はおよそ 24.7 mである。 井戸 13 (図版 18) 調査区北端,油小路東築地心から東へ約9mに位置する。掘形は約 1.3 mの円形を呈し,深さ 80 ㎝以上を測る。井戸枠は内径 50 ㎝の石組みで,石は人頭大よりもやや小振りである。水溜施設 は確認されなかった。 井戸 14 (第6図,図版 18) 調査区南端の八条坊門小路付近に位置する。上半部は近代の攪乱を受けている。掘形は長軸 1.8 mの楕円形を呈し,深さ約 1.4 mを測る。井戸枠は内径 70 ㎝の石組みで,石は人頭大である。 井戸 12 と同様に,石組み最下段より内寄りで曲物による水溜を確認した。底部の標高はおよそ 24.1 mである。 井戸 16 (第7図,図版 18) 調査区の北半,油小路東築地心から東へ約 4.5 mに位置する。廃絶後に鏡鋳型が一括して大量に 廃棄されていた。掘形は東西 1.6 m,南北 1.4 mの方形を呈し,深さ 1.4 mを測る。井戸枠は多角形 Y-22 198 縦板組で2段のみをとどめ,上方は厚さ2∼3㎝,横 30 ㎝,高さ 50 ㎝の縦板を八角形,下方は厚 Y-22 206 井戸 16 a a' 井戸17 a a' X-112 701.5 aL X-112 713 aL a' 1 a' 1 2 2 2 2 1 1 2.5Y3/1黒褐色泥砂∼粗砂,径6㎝までの 礫を少量含む 2 2.5Y3/3暗オリーブ褐色細砂∼粗砂, 径10㎝の礫を多量に含む 1 2.5Y3/2黒褐色砂泥 2 2.5Y4/2 暗灰黄色砂泥 粗砂∼径 3 ㎝の礫 0 1 2m L=25.6m 第7図 井戸 16・17 遺構実測図(1/50) −9− 第Ⅱ章 遺構 さ 1 ∼ 2 ㎝,横 30 ㎝,高さ 20 ㎝の縦板を六角形に組んでいる。いずれも遺存状態は非常に悪い。 下方ものは,水溜の可能性も考えられる。底部の標高は 24.2 mである。 同様な構造を有する井戸は,周辺の調査1)でも多数確認されている。 井戸 17 (第7図,図版 18) 調査区南半の東壁付近に位置する。井戸枠など確認できず,素掘であったかどうかは不明である。 掘形は 1.7 mの方形を呈し,深さ約 1.3 mを測る。底には水溜と思われる径 40 ㎝の曲物が一部遺存 していた。底部の標高はおよそ 24.18 mである。 土壙3 (図版 19) 調査区南西の油小路東築地心から東に 1.5 mのところで確認された集石遺構である。掘形は長軸 1.4 m,短軸 1.1 mの楕円形を呈し,深さ約 10 ㎝を測る。掘形内には,拳大ほどの河原石や瓦片が敷 きつめられ,一部に被熱した石も認められた。 土壙8 (図版1) 北七・八門の境界線上,油小路東築地心から東へ 1.5 mに位置する。掘形は長軸 1.8 m,短軸 1.4 mの楕円形を呈し,深さ 70 ㎝を測る。これには,井戸枠,曲物などは確認されなかったが,形 状や深さから井戸の可能性も考えられる。鏡鋳型などの鋳造関連遺物がまとまって出土した。 第3節 平安時代後期から鎌倉時代 柱穴群,井戸,土壙,炉などがある。井戸は 18 基あり,密度が高く南半にやや集中する傾向にある。 それに対して,柱穴群は油小路に面して密に分布する。 柱穴群 掘形は,主に径 10 ∼ 30 ㎝前後の楕円形を呈し,深さ 10 ∼ 25 ㎝を測る。室町時代に比べその分 布は全体的に密である。重複関係が著しく,個々の建物を確定するにはいたらなかった。ただし, その重複が著しい部分をたどると,2∼3m間隔で南北に東西方向の柱穴列が数条想定できる。こ れは,油小路東築地心から東へ約9mの範囲におさまることから,そこで小規模な掘立柱建物群が あり,かつそれらは頻繁に建て替えられていたと考えられる。 井戸 19 (図版2) 調査区中央の油小路東築地心にほぼ接する位置にある。掘形は 1.7 mの方形を呈し,深さ約 1.1 m を測る。井戸枠は遺存していないが,径 50 ㎝の曲物による水溜を確認した。底部の標高は 24.1 m である。 井戸 20 (図版2) 調査区東端北七・八門境界に位置する。掘形は一辺 1.3 mの方形を呈し,深さ 1.1 mを測る。井戸 枠などは遺存していなかったが,曲物による水溜を確認した。底部の標高は 24.43 mである。 井戸 21 (図版4・18) 調査区南西隅,八条坊門小路築地心から北へ 1.5 mに位置する。東半は,井戸 14 に削平される。 − 10 − 第Ⅱ章 遺構 掘形は一辺約 1.1 mの方形を呈し,深さ約 1.1 mを測る。最下部の井戸枠がわずかに遺存し,方形縦 板横桟組と考えられる。底部の標高は 24.65 mである。井戸枠の傾きはほぼ正方位である。 井戸 22 (図版 4・18) 南調査区北壁で確認された。掘形は 1.8 mの方形を呈し,深さ1m以上を測る。井戸枠は,方形 縦板横桟組で下部で縦板の一部と横 85 ㎝,高さ 10 ㎝,幅3㎝の横桟が遺存していた。 井戸 23 (図版2) 井戸 19 に南側を削平され,西端は調査区外へつづき,一部を確認したにすぎない。わずかに縦 板が井戸枠として遺存していた。 井戸 24 (図版4) 南調査区の北東隅に位置する。北東部は調査区外にあたり全容は不明である。掘形は約2mの方 形を呈する。下部で一辺 80 ㎝の横板と径約 40 ㎝のわずかに残る曲物による水溜を確認した。掘形 埋土は,砂礫が主体に詰められ,井戸枠は脆弱な状態であった。井戸枠の傾きは北で西に7°振る。 井戸 25 (第8図) 調査区南端の八条坊門小路北築地心から北へ2mに位置する。北半を近代の遺構に削平される。 掘形は約 1.8 mの方形を呈し,深さ1m以上を測る。最下部で一辺 75 ㎝の方形横板組の井戸枠を確 認した。井戸枠の傾きは,ほぼ正方位である。 井戸 26 (図版2) X-112 718 井戸 19 の南東,油小路東築地心から東へ約2mに位 置する。掘形は東西 1.4 m,南北 1.2 mの方形を呈し,深 さ1.54mを測る。井戸枠や水溜施設は確認していないが, 底部がわずかに窪むことから水溜が設置されていた可 能性が考えられる。底部の標高は,24.04 mである。埋 a a' 土からはとくに鉄滓が多量に出土した。 Y-22 204.5 井戸 27 (図版4・19) 油小路東築地心から東へ約4mに位置する。掘形上部 は一部被熱により赤褐色に硬化し,埋土に多量の焼土塊 を含むことなどから,井戸廃絶後の窪みを利用して炉 aL a' に使用された可能性も考えられる。ここから,鏡鋳型が 多く出土した。掘形は,一辺 1.5 mの方形を呈し,深さ 1 4 1m以上を測る。井戸枠は一辺約 80 ㎝の方形縦板横桟 2 3 4 組で,一部縦板と横桟が遺存していた。井戸枠の傾きは 1 2 3 4 北で東に6°振る。 井戸 28 (図版4) 井 戸 17 の 西 に 位 置 す る。 掘 形 は 長 辺 1.8 m, 短 辺 1.4 m以上の方形を呈し,深さ 90 ㎝を測る。最下部とな − 11 − 2.5T2/1黒色砂泥,径8㎝までの礫,炭化物を少量含む 2.5Y3/1黒褐色微砂混じり砂泥,互層のように重なる 2.5Y2/1黒色泥砂,径5㎝までの礫を適量含む 5Y2/2オリーブ黒色シルト混じり泥砂,土器小片, 炭化物片を多量に含む 0 2m L=25.7m 第8図 井戸 25 遺構実測図(1/50) 第Ⅱ章 遺構 る井戸枠の縦板が一部遺存していたため,方形縦板横桟組と考えられる。井戸枠は,遺存する部分 から一辺約 80 ㎝と考えられる。底部は標高 24.5 mである。井戸枠の傾きは北で東に8°振る。 井戸 29 (図版4) 北半を井戸 16 に切られる。掘形は一辺 1.5 mの方形を呈し,深さ 1.2 mを測る。井戸枠は北半を 欠くが,方形縦板横桟組である。底部の標高は 24.3 mである。井戸枠の傾きは北で東に4°振る。 井戸 30 (図版5) 調査区中央付近の油小路東築地心から東へ7m,八条坊門小路北築地心からも北へ7mに位置す る。掘形は一辺約 1.5 mの方形を呈し,深さ1m以上を測る。井戸枠は,遺存する木片から方形縦 板組と考えられる。井戸枠の傾きは北で東に 11 °振る。 井戸 31 (図版 18) 調査区南半の井戸 30 の南に位置する。掘形は一辺約 1.1 mの方形を呈し,井戸枠などは確認して いないが,底に径 40 ㎝の曲物による水溜が遺存していた。曲物内底には,完形の土師器皿が2枚 ずつ重なり一組となって並列した状態で確認された。底部の標高は 24.36 mである。 井戸 32 (図版5) 井戸 30 の南に位置する。掘形は径 80 ㎝の円形を呈し,深さ約 60 ㎝を測る。板組による井戸枠な どはなかったが,掘形中位に曲物を一段確認した。それは径約 70 ㎝を測り,掘形にほぼおさまる 状態であることから,井戸枠とした可能性も考えられる。底部の標高は 24.8 mである。 井戸 33 (図版5・19) 井戸 20 から北へ1mに位置する。掘形は 1.8 mの楕円形を呈し,深さ 90 ㎝を測る。井戸枠はかろ うじて遺存しており,一辺 70 ㎝の方形縦板横桟組である。底部の標高は 24.6 mである。井戸枠の 傾きは北で東に2°振る。 Y-22 203.5 井戸 34 (図版5・19) 90 調査区南東隅,八条坊門小路北築地心から北へ 2.3 m X-112 719 に位置する。掘形は一辺 1.7 mの方形を呈し,深さ 85 ㎝ 91 92 a a' を測る。板が底に横たわっていることから井戸枠は横板 組の可能性も考えられる。なお,井戸廃絶後の窪みに土 器が一括して廃棄されていたほか,鏡鋳型も多数出土し 94 93 た。底部の標高は 24.65 mである。 井戸 35 (図版5・19) L=25.7m aL a' 1 1 1 2.5Y3/2黒色泥砂,炭粒,径5㎝の礫を少量含む 2桁の数字は遺物番号を示す。 0 50㎝ 第9図 土壙 20 遺構実測図(1/20) 井戸 30 の北側に位置する。掘形は周囲の遺構に切ら れるため全容は不明であるが,径1mほどの楕円形の可 能性が考えられる。井戸枠などは遺存しておらず,底に は二段積みの曲物を水溜としていた。それは,上段が径 42 ㎝,高さ 25 ㎝,下段が径 35 ㎝,高さ 25 ㎝と,全体で 深さ 80 ㎝を測る。なお,上段の周囲をめぐるように木 − 12 − 第Ⅱ章 遺構 片が遺存していることから,この上にさらに曲物がもう一段置かれた可能性も考えられる。底部の 標高は 24.25 mである。 井戸 36 (図版5・19) 前述した, 井戸 35 の南東に位置する。周囲をほかの遺構に切られるが, 掘形は 1.3 mの方形を呈し, 深さ 80 ㎝を測る。底で横木の一部と径 45 ㎝の曲物による水溜を確認した。底部の標高は 24.45 mで ある。埋土上層から仏具の鋳型が出土した。 土壙 20 (第9図,図版 21) 井戸 25 の南,八条坊門小路北築地心から北へ 1.2 mに位置する埋め甕である。掘形は,径約 70 ㎝ の円形を呈し,深さ 20 ㎝を測る。周囲には,関連する遺構がないことから単独で設置されていた と考えられる。 土壙 29 (第 10 図) 調査区北端,北東部を井戸 13 に切られる。掘形は一辺 1.5 mの方形を呈し,底は平坦で深さ 75 ㎝ を測る。 土壙 33 (第 10 図) 調査区西端の土壙3の下層で確認された。掘形は径約 90 ㎝の円形を呈し,深さ約 20 ㎝を測る。 木片が底部に遺存していた。 炉1 (第 10 図,図版 21) 調査区北半の中央付近に位置する。掘形は,東西 1.2 m以上,南北1m以上の楕円形を呈し,深 土壙 29 a' aL a' Y-22 206 Y-22 202 a 炉1 土壙 33 Y-22 209.5 X-112 701 さ 30 ㎝を測る。この掘形底において張り床などの跡は確認できなかった。また,その中央付近に a' X-112 a a 716 aL a' X-112 709 aL a' 2 1 2 a' 1 2 1 焼土 3 2 1 2.5Y3/2黒褐色細砂,径3㎝前後の 礫を少量含む 2 2.5Y4/2暗灰黄色シルト混じり細砂, 径3㎝前後の礫を少量含む 1 10YR4/3にぶい黄褐色微砂混じり砂泥 2 10TR5/2灰黄褐色砂質,暗オリーブ褐 色砂泥,土器片,炭化物を少量含む 3 2.5Y3/1暗褐色粘性の強いシルト混じり 砂泥,径2∼9㎝の礫をまばらに含み, 下層に木片が残存する 1 10YR32/2黒褐色(灰色がかる)細 砂含む,炭化粒を少量含む 2 2.5Y5/2暗灰黄色砂泥 炭,焼土塊 を多量に含む 0 L=26.0m 第 10 図 土壙 29・33,炉1 遺構実測図(1/50) − 13 − 2m 第Ⅱ章 遺構 径 30 ㎝の円形を呈した掘り込みが2ヶ所ある。掘形から刀装具の鋳型が出土した。 第4節 平安時代中期以前 平安時代中期の園池と,前期の遺物を含む流路を2条確認した。それ以外の遺構は希薄で,園池 に関連する明確な施設も確認できなかった。流路は,調査区のほぼ中央を北東から南西へ繰り返し 流れることから,周囲でも低く,これらは最終的に埋まりきらず氾濫源における窪地として残存し ており,それが中期になって一部園池として利用されたと考えられる。 園池 (第 11・12 図,図版 22 ∼ 24) 園池の一部をなす洲浜を,調査区の西半を中心に南北約 20 m,東西 13 mにわたって確認した。 この全体の標高は,25.00 ∼ 25.40 mの範囲にある。調査区東半は,上面が削平されているところ もあり当初の肩部標高はさらに高くなる可能性もある。 北半西肩付近の 25.20 ∼ 25.25 mの等高線は,西から東へゆるやかに張り出す。その東で 25.12 m と一旦低くなり,それから東へゆるやかに 高くなり 25.35 mを測る。また,西端の一部 を拡張した結果,油小路東築地付近で西肩は 20 ㎝ほど急激に高くなり,25.47 mを測るこ とから,残存した築地基底部の可能性も考え られる。 一方,南半の東肩は逆に 25.20 ∼ 25.25 m の等高線が,東から西へゆるやかに張り出す。 その張り出しの西でわずかに 25.20 mと一旦 園池 低くなり,さらに西端では再び 25.30 mと高 くなる。これらの標高から園池はこの張り出 しにより南肩をなしている可能性もある。た だし,この南側で 25.15 ∼ 25.20 mとやや低 くなる部分も認められることから,この張り 出し西端のわずかに低くなる部分を通じて園 池がさらに南に広がることも考えられる。 なお,盛土などによって張り出し部を形成 0 10m ∼25.10m 25.25m∼25.30m 25.10m∼25.15m 25.30m∼25.35m 25.15m∼25.20m 25.35m∼25.40m 25.20m∼25.25m 25.40m∼ するような明確な痕跡は認められなかった。 洲浜は拳大からそれよりやや小さめの河原 石で,汀と池底の一部に敷きつめられている。 敷石を貼り付けるための施設や,明確な導水 施設は確認できなかった。池の底面はもっと 第 11 図 園池地形図(1/200) − 14 − 第Ⅱ章 遺構 Y=-222 210 1 2 206 25.11 a aL 10YR2/3黒褐色シルト混じり砂泥炭片を少量含む 5Y3/2オリーブ黒色シルト混じり泥砂 .20 25 25.15 X=-112 710 0 25.1 25.0 5 25.00 1 24.95 2 b 25.15 25.2 0 L=25.4m 25.25 0 a' a' 25 25.3 .3 0 張り出し 0 25.2 25.2 5 5 716 25. 20 2m b' bL 2 張り出し 1 b' 1 2 第 12 図 園池 遺構実測図(1/40) − 15 − 2.5Y4/2暗灰黄色泥砂 10YR5/2灰黄褐色泥砂 6 10m 3 図版二四 1 7 図版二五 1 − 16 − 7a 7b 6 断面位置図 5a 1 1 6 5 5a 7a d' 第 13 図 流路1・2 土層断面図(1/40),断面位置図(1/200) 8 2 d' 5b 2 716 3 流路2 7 4 図版二四 2 8 図版二五 2 8 2 流路 1 9 8 4 c' 200 Y=-22 208 0 2m 7.5YR2/2黒褐色泥砂,径8㎝までの礫を微量に含む 2.5Y5/2暗灰黄色細砂∼10YR3/2黒褐色細砂 2.5Y5/2 暗灰黄色泥砂 2.5Y5/2 暗灰黄色シルト 2.5Y3/2 黒褐色シルト 植物遺体を含む 木片を少量含む径9㎝までの礫を少量含む(腐植土層) 10YR3/2 黒褐色細砂混じりシルト(腐植土層) 2.5Y3/1 黒褐色シルト,径0.1∼1.5㎝までの礫を適量含む 2.5Y4/3 オリーブ褐色微砂 5Y4/2 灰オリーブ色細砂 2.5Y4/1 黄灰色粗砂 径7㎝までの礫を中量含む 5Y5/2 灰オリーブ色細砂と2.5Y4/2暗灰黄色粗砂の互層 2.5Y3/3暗オリーブ褐色シルト 2.5Y4/2暗灰黄色砂礫,径1㎝の礫を主体に径5㎝の礫を少量含む 2.5Y4/2暗灰黄色細砂,径1㎝の礫を少量含む 2.5Y4/1黄灰色細砂 3 L=25.5m 5b 6 7a 7b 8 9 10 11 12 13 1 2 3 4 5a 4 708 流路1 南調査区土層断面図 2 【図中矢印番号】 1 図版二二 2 2 図版二三 2 5 図版二四 3 6 図版二四 4 10 園池 11 流路 1 c' 13 0 12 e' c 流路1 北調査区土層断面図 1 e d 2.5Y3/3暗オリーブ褐色砂泥,径2∼6㎝の礫を中量含む X=-112 700 dL cL 1 1 a' b' e' 4 eL a b 流路2 土層断面図 6 第Ⅱ章 遺構 第Ⅱ章 遺構 2 Y-2 2 20 も低いところが調査区の中央付近で標高 25.00 m前後,調査 12 X-1 .5 701 a 区東の高い部分で約 25.35 mを測ることから,深さは 35 ㎝前 a' 後である。また,一部で洲浜の石の張り直し部分も認められ たが,部分的な補修と考えられる。 また,園池北東で確認された集石土壙1(第 14 図)は,景 aL a' 1 石据え付け穴の可能性がある。掘形は 50 ㎝の楕円形を呈し, 2 1 2.5Y5/2暗灰黄色砂泥,径2㎝までの礫を少量含む 2 2.5Y4/2暗灰黄色泥砂,径7㎝までの礫を多量に含む 0 50㎝ L=25.3m 第 14 図 集石土壙1 遺構実測図(1/20) 深さ 15 ㎝を測る。掘形内から,洲浜のものよりやや大振り な径 20 ㎝大の河原石が数個確認された。ただし,景石を据 えていたかどうかは調査区の状況からは確定できない。 確認された園池は,油小路と八条坊門小路の想定される各 築地心と非常に近接する位置関係にある。そのため,調査の 所見から,西肩は少なくともさらに数m西にずれる可能性があり,当該期に路そのものが存在した か否か考える必要があろう。 なお,洲浜の範囲が後述する流路上に位置し,池のもっとも深い地点には,この堆積層である腐 植土や砂礫が一部露出している。確認された園池は,こうした流路の窪地を利用した可能性が高い。 流路1 (第 13 図,図版 25) 池の下層に位置する北東から南西方向の流路である。このうち,腐植土を埋土とする時期がある。 この層は断面観察の結果,流路上層に幅約6mにわたって堆積層をなしている。さらに,東肩と 推定される部分は砂礫と粗砂の互層によって形成されることから,それ以前の流路はさらに広がり 幅 10 m以上であったと考えられる。流れの方向は上部同様に,北東から南西へ流れる。なお,確 認した上層の埋土は,5Y3/2 オリーブ黒色泥砂の腐植土で平安時代前期の遺物を含み,その上部に 2.5Y4/2 暗灰黄色砂層があり,洲浜の石はこの直上に葺かれている。 流路2 (第 13 図) 調査区の南東隅で確認された。北肩を確認しているが流路1との切り合いは確認できない。南側 へゆるやかに傾斜する堆積を確認したのみで,遺物もわずかに小片が出土したにすぎず時期の特定 までにはいたらなかった。 註 1)平安京左京八条三坊二町における2度の調査 から,六,七,八,十角形の各種の井戸が,多角 形竪板側式井戸として報告されている。 下条信行他『平安京左京八条三坊二町』平安京 跡研究調査報告第6輯,財団法人古代学協会, 1983 年 定森秀夫他『平安京左京八絛三坊二町第2次調 査』平安京跡研究調査報告第 16 輯 財団法人古 代学協会,1985 年 − 17 − 第Ⅲ章 遺物 第Ⅲ章 遺物 第1節 遺物概要 遺物は整理コンテナにして 122 箱 1)分出土した。うちわけは土器類 83 箱,瓦塼類 14 箱,鋳造関連 遺物 20 箱,石製品2箱,金属製品2箱,木製品1箱である。土器全体では , 土師器皿がかなりの割 合を占めるが,瓦器煮沸具も,土師器皿と共伴して廃棄されることも多い。時代ごとに,焼締め陶 器や須恵器貯蔵具,緑釉陶器供膳具なども目立つ。また,輸入陶磁器は平安時代後期以降の各時代 にわたり,遺構から一定量出土する傾向がある。瓦塼類の大部分は,井戸からの出土である。鋳造 に関連する鏡,刀装具,器物,仏具などの鋳型や,坩堝,鞴の羽口など関連道具類が整理コンテナ 20 箱分出土し,遺物全体からみてもかなり大きな割合を占める。これらは,調査区全体から出土 しているが,とりわけ調査区北半の平安時代後期から室町時代中期にかけての井戸や土壙からの出 土が目立つ。そのほか,砥石や銭貨なども多く,なかでも特筆すべきものとして,一分判金が1点 出土した。 時代ごとの遺物の出土量の比率は,平安時代中期のものは園池に関連するものが比較的まとまっ て出土したがそれ以外では少量で,平安時代後期から鎌倉時代前半と,南北朝時代から室町時代中 期にかけての時期に多くなり,その後は遺構と共に減少傾向にある。なお,出土遺物の詳細は,遺 物観察表にゆだねる。 第2節 平安時代後期以降の遺物 1) 土器類 近世の遺物 (第 15 図,図版第 26・31) 土壙1∼3,井戸 10・12 ∼ 14 からは,土師器皿(1∼4・6∼8・11 ∼ 14)や椀,瀬戸・美濃 系施釉陶器(152) ,唐津系施釉陶器(9・10) ,京・信楽系施釉陶器,肥前系染付,肥前系青磁,土 師質焙烙 (5) ,ミニチュア土製品などが出土した。 土師器皿 (1) は,見込み中央と上下左右の5ヶ所に梵字が墨書されている。上と左右の梵字は判 読できないが,中央は胎蔵大日如来を表す 「 」 (ア) ,下は 「 」 (ビ) である。井戸 10 出土。 (153・154) は,瀬戸・美濃系の天目茶椀である。それぞれ井戸 12,土壙3出土。 また,土壙3には,底部外面に墨書のある平安時代後期から鎌倉時代前半の白磁壷(15)が混入し ていた。中央に人偏と,その上に文字あるいは文様状の墨痕が認められる。 (152)は瀬戸・美濃系 の灰釉陶器皿で,見込みには陰刻文様がみられる。井戸 13 出土。 (16)は古瀬戸の施釉陶器おろし 皿である。包含層に混入。 − 18 − 第Ⅲ章 遺物 室町時代の遺物 (図版第6・27・31・32) 土壙6・8・14・17 ∼ 19 から,土師器 (17 ∼ 24) ,瓦器 (25・26) ,須恵器,焼締め陶器,輸入陶磁器, 土師質小鉢,瓦質火鉢などが出土した。 (155)は土師器皿の口縁部を円形に打ち欠き,角を丸めた もので,おはじきとして使用されていた可能性が考えられる。土壙6出土。 (167)は瓦質火鉢で, 体部に菊花紋が捺されている。土壙8出土。ほぼ完形の土師器皿(21・22・24)は,土壙 17 出土。 遺物の器種構成は,鎌倉時代に比べ,瓦器の数が減少し,焼締め陶器の数が増加する傾向にある。 土壙7 (図版第6・27・31) 総重量は6,149gで, うちわけは土師器3,714g (60.4%) , 瓦器345g (5.6%) , 須恵器686g (11.2%) , 焼締め陶器555g (9.0%) , 輸入陶磁器166g (2.7%) , 土師質小鉢278g (4.5%) , 瓦質火鉢155g (2.5%) , 灰釉陶器 78 g (1.3 %) ,緑釉陶器 172 g (2.8 %) である。 土師器皿は,灰白色で底部が内側へ窪む 「へそ皿」 と,口径 7.5 ㎝前後,器高 1.5 ㎝前後の小型 (27) , 口径 9.5 ∼ 11 ㎝,器高 2.7 ㎝前後の中型 (28・29) ,口径 16 ㎝前後,器高 3.5 ㎝前後の大型 (30) に分け られる。小型,中型,大型のいずれも浅黄橙,またはにぶい橙色を呈す。 小型の皿は,口縁部外面下半に成形時のオサエの跡が残り,内面底部隅にやや強いヨコナデを施 す。底部中心付近が内側へ反る傾向がある。中型のものは,口縁部外面下半には成形時の強いオサ エの跡が残り,器壁が内側へ窪んでいる。大型のものは,器壁が薄く,底部はわずかに丸みをもち, 口縁部は外反気味に開き,口縁端部はより外傾する。 (31・160) は,土師質丸底小鉢である。形状は砲弾型で,口縁部先端にわずかに外傾する面をもつ。 内面,外面共に煤が吸着している。外面には不定方向のハケを施し,内面は平滑である。 これらの土器は室町時代中期のものと考えられる。 土壙9 (図版第6・27) 総重量は 13,295 gで,土師器皿 9,150 g(68.8 %) ,土師器煮沸具 1,525 g(11.5 %) ,瓦器 1,790 g 11 6 9 12 7 13 1 8 14 10 16 2 3 4 15 0 20㎝ 5 第 15 図 近世遺構出土遺物(1/4) 井戸 10(1),土壙1(2∼5),土壙2(6∼ 10),井戸 12(11・12),井戸 13(13・14),土壙3(15),包含層(16) − 19 − 第Ⅲ章 遺物 (13.5 %) ,須恵器 605 g (4.6 %) ,輸入陶磁器 145 g (1.1 %) ,緑釉陶器 80 g (0.6 %) である。 土師器皿には,口径 6.7 ㎝前後,器高 1.8 ㎝前後で,底部が内側へ窪む 「へそ皿」 (32・33)と,口 径 7.3 ∼ 9.7 ㎝,器高 1.5 ∼2㎝でにぶい淡黄色またはにぶい橙色を呈す小型(34 ∼ 38) ,口径 12 ㎝ 前後,器高3㎝前後で灰白色の中型(39) ,口径 15.5 ㎝前後で灰白色の大型(40)がある。 「へそ皿」と 中型,大型の皿は小型のものに比べて数が非常に少ない。 「へそ皿」は,底部の窪みはあまり深くな く,口縁部は斜め上方に直線的に開く。小型のものは,底部内面の隅に強いヨコナデを施し,口縁 部外面下半には成形時のオサエの跡が残る。中型,大型のものは,いずれも口縁部内面全体にヨコ ナデを施し,底部から口縁部にかけて少し丸みをもって立ち上がる。 土師器皿に次いで,瓦器鍋も 1,755 gと多く出土した。 (41・42)は,丸底の底部と体部との境に 稜をもち,斜め上方に立ち上がり,頸部が外折し口縁部を形成する。口縁部先端に外傾する面をも ち,その内側がつまみあげられ突出する。また,頸部の外折部の内側も突出する。体部外面には成 形時のオサエの跡があり,内面にはハケを施す。底部外面は炭が剥落している。 これらの土器は室町時代中期のものと考えられる。 土壙 10 (図版第6・31) 総重量は 3,648 gで,土師器 877 g(24.0 %) ,瓦器 382 g(10.5 %) ,須恵器 754 g(20.7 %) ,焼締 め陶器 1,211 g (33.2 %) ,輸入陶磁器 158 g (4.3 %) ,土師質小鉢 78 g (2.1 %) ,瓦質火鉢 188 g (5.2 %) である。 土師器皿は,口径 9.5 ㎝前後,器高 1.7 ㎝前後の小型,口径 11.5 ㎝前後,器高 2.6 ㎝前後の中型, 口径 13 ㎝を超す大型に分けられる。小型,中型のものはいずれも器壁が薄く,底部内面の隅に強 いヨコナデを施す。口縁部外面下半には,成形時の強いオサエの跡が残り,器壁が内側へ窪んでい る。小型,中型共に浅黄橙色,またはにぶい橙色を呈す。大型の皿は口縁部外面下半にはわずかに 張りがあり,口縁部はやや外反気味である。口縁部内面全体にヨコナデを施す。胎土は精良で灰白 色を呈す。 (161 ∼ 163) は, 土師質丸底小鉢である。形状は砲弾型で口縁部先端はわずかに外傾する面をもつ。 体部外面と内面の口縁部付近に煤が吸着している。体部外面は非常に丁寧にナデを施し,一部にハ ケによる調整がみられる。内面は平滑で,放射状に細い線状痕が認められる。そのほか,焼締め陶 器の貯蔵具も目立つが,ほとんどが破片である。 (43) は信楽産の鉢底部である。 これらの土器は室町時代中期のものと考えられる。 柱穴1 (図版第6・27) 土師器と須恵器の小片が少量と,ほぼ完形の土師器皿(44・45)が2点出土した。2点とも口縁部 の同じような場所に煤が吸着していることなどから,重ねて灯明皿として使用していた可能性が考 えられる。 井戸 16 (図版第6・27・31・32) 総重量は 7,178 gで,土師器 2,622 g(36.5 %) ,瓦器 606 g(8.4 %) ,須恵器 1,185 g(16.5 %) ,輸入 陶磁器199g (2.8%) , 焼締め陶器1,898g (26.4%) , 土師質小鉢103g (1.4%) , 瓦質火鉢547g (7.6%) , − 20 − 第Ⅲ章 遺物 ミニチュア土器 13 g (0.2 %) ,緑釉陶器5g (0.1 %) である。 土師器皿は大きく2種類に分けられる。橙色または浅黄橙色で,底部内面の隅に強いヨコナデを 施し,口縁部外面下半に成形時のオサエの跡が残るもの,灰白色で底部から口縁部にかけてゆるや かに立ち上がり,口縁端部が内湾気味のものがある。さらに,前者は法量から,口径 7.2 ∼8㎝, 器高 1.6 ㎝前後の (46・47)と,口径 9.5 ㎝前後,器高2㎝前後の (48・49)に分けられる。また,後者 も法量から,口径 12 ㎝前後,器高 2.8 ㎝前後の器壁の薄いもの (50)と,口径 14 ㎝前後の器壁のやや 厚いものに分けられる。 (51) は円面三脚盤のミニチュア施釉陶器である。口縁部内面にうすい灰オリーブ色の釉がかかる。 底部外面は未調整で,粗雑な作りの脚が貼り付く。 (158)は土師質丸底小鉢である。体部外面にはハケ,口縁端部付近にはヨコナデを施し,内面は 平滑に削られる。 (168・169) は,瓦質火鉢の脚部である。 これらは南北朝時代のものと考えられる。 土壙 13 (図版第6・27・31) 総重量は 2,800 gで,土師器 2,341 g(83.6 %) ,瓦器 35 g(1.3 %) ,須恵器 180 g(6.4 %) ,焼締め 陶器 168 g (6.0 %) ,輸入陶磁器 18 g (0.6 %) ,土師質小鉢 18 g (0.6 %) ,瓦質火鉢 40 g (1.4 %) である。 土師器皿は,灰白色で口径 6.8 ㎝前後,器高2㎝前後の底部が内側へ窪む 「へそ皿」 (52)と,灰 白色で口径 7.5 ㎝前後の小型,にぶい橙色で口径 11.3 ㎝前後,器高 2.2 ㎝前後の中型,灰白色で口径 12 ㎝前後,器高3㎝前後と器高が高く,形状が椀に近いもの (53)に分けられる。 「へそ皿」は,底 部の窪みは浅く,口縁端部がわずかに外反する。小型のものは,底部から口縁部にかけてゆるやか に立ち上がる。中型のものには,口縁端部が薄くややとがるものと,肥厚するものがある。器高の 高い皿は,器壁が薄く,底部から口縁部にかけて丸みをもって立ち上がる。 このうち (156・157)は,直径3∼ 5㎜の穿孔がある口縁部と底部の 破片である。 (157)は,少なくとも 6ヶ所の穴が認められる。 (159)は土師質丸底小鉢である。 表面全体が煤により黒く変色し, 内面には不定方向の擦痕が認めら れる。 これらの土器は南北朝時代のも のと考えられる。 土壙 16 (第 16 図) 54 焼締め陶器甕(54)は常滑産であ る。掘形内に正置した状態で出土 50㎝ 0 した。平底で肩が張り,口縁部縁帯 第 16 図 土壙 16 出土土器(1/8) − 21 − 第Ⅲ章 遺物 は下方に垂下し,4㎝を超す。また,土師器,須恵器, 輸入磁器,瓦質火鉢などの小片が,甕の内側および掘形 150 151 0 10㎝ 第 17 図 包含層出土土器(1/4) から少量出土した。室町時代前半のものと考えられる。 井戸 15・17・19・21・22・24 (図版第6・7・28・32) 土師器(55・59・60) ,瓦器(61・62) ,須恵器(64) ,焼 締め陶器(56 ∼ 58) ,輸入磁器(63) ,土師質小鉢,瓦質 火鉢などが出土した。 (55)は土師器皿で,口縁部外面に墨書をとどめる。井戸 17 出土。 (164)は輸 入青磁椀で,見込みに 「福」の文字が彫られる。井戸 22 出土。また,内面に漆の付着した瓦器椀の 小片もみられる。井戸 24 出土。 いずれも鎌倉時代末期から南北朝時代のものである。 平安時代後期∼鎌倉時代の遺物 (第 17 図,図版第7・8・28・32) 土壙 21 ∼ 23・26・28・29,井戸 26 ∼ 31,炉1から,土師器(65・66・68 ∼ 70・73・75 ∼ 77・ 81・82・87 ∼ 89) ,瓦器 (67・71・74・78) ,須恵器,焼締め陶器 (80・85) ,輸入陶磁器,土師質小鉢, 瓦質火鉢(72・79)など鎌倉時代の遺物が出土した。土壙 26 には,瓦器煮沸具が比較的まとまって 認められるが, いずれも破片である。 (166) は, 瓦質脚付き釜のミニチュア製品である。土壙28出土。 また,井戸 26 には,緑釉陶器や黒色土器,須恵器転用硯 (165) など平安時代の遺物が,井戸 27 には, 下層遺構のものとみられる土師器皿や高杯,ロクロ成形の土師器杯(83) ,緑釉陶器(84)など平安時 代の遺物に加え,弥生土器(86)が混入していた。そのほか,土師質小鉢(150)と瓦質脚付き釜のミ ニチュア(151)が包含層から出土した。遺物の器種構成は,平安時代後期に比べ,瓦器や焼締め陶 器の数が急激に増加する傾向にある。 土師器 (124 ∼ 127) ,瓦器,須恵器,輸入陶磁器など,平安時代後期の遺物のほか,緑釉陶器などが, 土壙 27・32・33,井戸 32・33・35 から出土した。 土壙 20 (第9図,図版第8・28・29) 焼締め陶器甕(94)は常滑産で,掘形内に正置した状態で出土した。平底で体部外面には押印文を 施す。中から完形の土師器皿(90 ∼ 92)と土師質小鉢(93)のほか,土師器と土師質丸底小鉢の小片 も少量出土した。 (93)は粘土紐輪積み成形で,底部外面と口縁部の中位に簡易なナデ,口縁部上部 にヨコナデを施す。口縁端部は断面三角形を呈し,内側には反りをもつ。口縁部内面中位には横方 向のハケを施す。底部内面は未調整である。 土師器皿の形態から,これらは鎌倉時代末のものと考えられる。 井戸 25 (図版第8・29) 総重量は11,830gで, 土師器皿4,364g (36.9%) , 土師器煮沸具1,174g (9.9%) , 瓦器3,785g (32.0%) , 須恵器 1,884 g (15.9 %) ,輸入陶磁器 465 g (3.9 %) , 土師質小鉢 158 g (1.3 %) である。 土師器皿は,口径 8.5 ㎝前後,器高 1.4 ㎝前後でにぶい黄橙色を呈す小型(95 ∼ 99)と,口径 11.5 ㎝前後,器高 2.8 ㎝前後で灰白色の中型(100) ,口径 12.5 ㎝前後,器高 2.2 ㎝前後でにぶい橙色 を呈す大型(101 ∼ 103)に分けられる。中型のものは,小型,大型のものに比べ出土数が非常に少 − 22 − 第Ⅲ章 遺物 ない。小型,大型のものは,いずれも底部が平坦で器高が低く,口縁端部断面は三角形を呈す。中 型のものは,全容の判明するものは1点のみで,口縁部は内湾しながらゆるやかに立ち上がり,椀 に近い形状を呈す。 土師器皿に次いで,瓦器煮沸具も 3,180 gと多く出土した。釜の破片が少量含まれるのみで,ほ とんどが鍋の破片である。口縁が五分の一以上残っている鍋に関しては,口径 20.5 ㎝の小型(104) 1点を除き, 口径 26 ㎝∼ 33 ㎝の中に集約される。とくに口径 29 ㎝∼ 31 ㎝の鍋の占める割合が高い。 形状は,丸みをもった体部から頸部が外折し口縁部を形成する。口縁部先端にわずかに外傾する面 をもつ。口縁部にはヨコナデ,内面にはハケによる調整が,体部外面には成形時のオサエの跡が残 り,被熱して煤が吸着している (105) 。 実測可能な釜は (106)のみで,口縁部がわずかに内傾し,端部にやや内傾する面をもつ。鍔は短 くやや上向きに貼り付く。口縁部と鍔にはヨコナデ,内面には横方向のハケを施し,体部外面には 成形時のオサエの跡が残る。体部外面と鍔の裏側は被熱して煤が吸着している。口径 21.4 ㎝。 (107)は粘土紐輪積み成形で,底部外面と口縁部外面中位には簡易なナデ,口縁部上部にはヨコ ナデを施す。口縁端部は断面三角形を呈し,内側に反りをもつ。口縁部内面中位には縦方向,底部 付近には横方向のハケを施し,底部は未調整である。 これらの土器は鎌倉時代中期のものと考えられる。 土壙 24 (図版第8・29) 総重量は 2,781 gで,土師器が 2,110 g(75.9 %) ,瓦器 143 g(5.1 %) ,須恵器 522 g(18.8 %) ,輸 入陶磁器6g (0.2 %) である。 土師器皿は口径 8.7 ㎝前後,器高 1.3 ㎝前後の小型(108・109)と,口径 13.5 ㎝前後,器高 2.2 ㎝前 後の大型(110)に分けられる。いずれもにぶい黄橙色を呈し,底部は平坦で口縁部は短く,端部断 面は三角形を呈す。 青白磁合子の蓋 (111) は,頂部外面に草花文が型押しされる。 これらの土器は鎌倉時代前半のものと考えられる。 土壙 25 (図版第8・29) 総重量は 3,204 gで,土師器が 2,609 g(81.4 %) ,瓦器が 280 g(8.7 %) ,須恵器 133 g(4.2 %) ,焼 締め陶器 81 g (2.5 %) ,輸入陶磁器 62 g (1.9 %) ,瓦質の火鉢 39 g (1.2 %) である。 土師器皿は,口径 8.7 ㎝前後,器高 1.3 ㎝前後の小型(112・113)と,口径 13.5 ㎝前後,器高 2.3 ㎝ 前後の大型(114)に分けられる。いずれもにぶい橙色を呈す。小型,大型のものはいずれも,底部 は平坦で口縁部は短く,端部断面は三角形を呈す。 (115)は,瓦器椀である。底部から口縁部先端にかけて器壁が徐々に厚くなり,端部は丸くおさ まる。底部には低い三角高台が貼り付く。ミガキを施さず,内面が黒色化していないものもある。 これらの土器は鎌倉時代前半のものと考えられる。 土壙 30 (図版第8・30) 総重量は 6,343 gで,土師器皿は,口径 9.5 ㎝前後,器高 1.7 ㎝前後の小型(116 ∼ 118)と,口径 − 23 − 第Ⅲ章 遺物 14.5 ㎝前後,器高 2.7 ㎝前後の大型(119 ∼ 122)に分けることができる。小型のものは,口縁部が肥 厚し,端部がつまみあげられ,やや内傾する。大型のものは,底部から口縁部にかけてゆるやかに 立ち上がり,口縁端部が肥厚する。いずれも浅い黄橙色,もしくはにぶい黄橙色を呈す。(123)は, 輸入白磁の口縁部片で,口縁部先端が外折している。 これらの土器は鎌倉時代前期のものと考えられる。 井戸 34 (第 18 図,図版第 30) 総重量は 12,337 gで,土師器皿 10,733 g(87.0 %) ,瓦器 100 g(0.8 %) ,須恵器 1,268 g(10.3 %) , 輸入陶磁器 203 g (1.6 %) ,緑釉陶器 33 g (0.3 %) である。 土師器皿は,口径 9.2 ㎝前後,器高 1.6 ㎝前後の小型(128 ∼ 131)と,口径 15 ㎝前後,器高3㎝前 後の大型(132 ∼ 134)に分けられる。小型のものは,口縁端部がやや直立気味で,底部中心付近が 内側へ反り返る傾向がある。大型のものは,口縁部外面に二段に分けてヨコナデを施す。口縁はわ ずかに内湾しながら立ち上がり,端部はやや直立気味である。 (135) は須恵器甕である。体部と頸部,口縁部外面に叩きを施す。 埋土上層には,多くの土師器皿が一括廃棄されるが,それらは下層のものと比べ,法量,型式に 差は認められず,いずれも平安時代末のものと考えられる。 井戸 36 (第 19 図,図版第 30) 総重量は4,569gで, 土師器皿4,005g (87.1%) , 土師器煮沸具95g (2.1%) , 輸入陶磁器393g (8.6%) , 須恵器 65 g (1.4 %) ,緑釉陶器 13 g (0.3 %) ,灰釉陶器8g (0.2 %) ,土製品 17 g (0.4 %) である。 土師器皿には,口径 10.5 ㎝前後,器高 1.8 ㎝前後の小型,口径 11.5 ㎝前後,器高2㎝前後の中型, 口径 15.5 ㎝前後,器高 2.7 ㎝前後の大型がある。小型のものには,底部が平坦で,口縁が内側に折 れ曲がるもの (136・137)と,口縁上半が大きく屈曲して端部が肥厚する,いわゆる 「て」の字状口 縁の様相を残すもの (138 ∼ 141)がある。前者の出土数は少ない。中型(142)と大型(143 ∼ 146)は, いずれも淡橙色もしくはにぶい橙色を呈し,口縁部に強いヨコナデを二段に分けて施す。 (143)は 底部に一ヶ所穴があけられる。 白磁(147 ∼ 149)は,北宋時代のものとみられる。いずれもオリーブ色がかった灰白色の釉がか かり,削り出し高台部は未施釉である。これらの土器は平安時代後期のものと考えられる。 128 132 129 133 130 135 131 134 0 第 18 図 井戸 34 出土土器(1/4) − 24 − 20㎝ 第Ⅲ章 遺物 140 136 144 147 141 137 145 148 138 142 146 149 0 139 20㎝ 143 第 19 図 井戸 36 出土土器(1/4) 2) 瓦塼類 出土した瓦類には,軒丸瓦6点,軒平瓦 10 点と多数の丸瓦,平瓦がある。これらの大多数は破 片であり,全容が判明するものはほとんどない。これらは,調査区全域に分布するが,とりわけ井 戸から比較的まとまって出土した。なお軒瓦については,同笵資料が特定できるものは,それらを 参考に記述する。出土地点の詳細は瓦塼出土地点表 (第2表) に記載する。 軒丸瓦 (第 20 図,図版第 35) 栗栖野瓦窯産2点(2・4) ,山城産2点 (3・6) ,産地不明のもの2点(1・5) がある。いずれ も瓦当径は小さく小型瓦類に属す。 複弁四葉蓮華文(1) 中房径は小さく,圏線が巡る。蓮子は不明であるが1+4と思われる。蓮 弁は平坦な子葉があり,間弁は撥形を呈す。外区に珠文がまばらに巡る。界線はやや太く蓮弁に対 応して内側に突出する。瓦当は平坦で成形台による一本造り技法。瓦当裏面は布目痕をとどめ,下 端 20 ㎜程度をヨコケズリし,瓦当側面は上半タテケズリ,下半ヨコケズリを施す。胎土はやや粗 く長石,石英,チャート,雲母,黒色粒,白色粒などの砂粒をやや多く含む。表面は黄灰色,断面 は灰白色を呈しやや軟質である。栗栖野瓦窯産に酷似。平安時代中期。 複弁六葉蓮華文 (2) 中房は大きく平坦で,圏線が巡り,蓮子は1+6と思われ,少しふくらむ。 蓮弁・間弁は凸線で表される。界線の外側を珠文がやや密に巡る。瓦当下部に笵傷がみられる。瓦 当部裏面上方に溝をつけ,丸瓦を挿入して粘土を付け加えて接合するためオサエののちナデを施す。 瓦当側面は上半が摩滅のため不明瞭であるが,下半はヨコケズリを施す。胎土はやや精良で長石, 石英,チャート,雲母を少し含む。灰白色を呈し,やや軟質である。栗栖野瓦窯産2)。平安時代後期。 三巴文(3) 右巻きの巴文を配し,頭部は離れ,尾部は細長く互いに接し界線となる。外区は珠 文がやや密に巡る。瓦当裏面はオサエ,瓦当側面にナデを施す。胎土はやや粗く長石,黒色粒,白 色粒を少し含む。表面は灰色,断面は灰白色と一部暗灰色を呈し,やや軟質である。平安時代後期。 単弁十葉蓮華文(4) 瓦当面は横長の楕円形を呈す。中房は小さく平坦で圏線が巡る。蓮子の有 無は不明。蓮弁には子葉がある。間弁はほぼ三角形で,隣り合う頂点がつながり内外区を画し,界 線状になる。珠文はややまばらに巡る。また,瓦当部裏面上端に丸瓦部を付け足すための溝があり, − 25 − 第Ⅲ章 遺物 粘土を多く付け接合する。瓦当裏面はオサエののちナデ,下半の外周のみ幅 15 ㎜程度ヨコケズリ を施す。瓦当側面は上半タテケズリ,下半ヨコケズリを施す。胎土はやや粗く長石,石英,黒色粒, 白色粒を少し含む。灰白色を呈し軟質である。栗栖野瓦窯産3)。平安時代後期。 複弁八葉蓮華文(5) 中房はやや小さく平坦で,圏線が巡る。蓮子は1+6。蓮弁・間弁は凸線 で表現されるが盛り上がりは小さい。珠文は周縁に接し蓮弁中央と間弁に対応する形で巡る。瓦当 部裏面上端に溝を付け丸瓦をあて粘土で接合する。瓦当裏面と丸瓦接合部凹面はオサエののちナデ, 瓦当側面は上半タテナデ,下半にもナデを施す。胎土はやや粗く長石,そのほか砂粒をやや多く含 む。表面は灰色で,断面は灰白色を呈し,やや軟質である。平安時代後期か。 単弁八葉蓮華文(6) 中房径,蓮子数ともに不明。蓮弁はほぼ方形で,子葉がある。間弁は凸線 となる。界線の外側を珠文が巡る。瓦当裏面はナデ,丸瓦接合部凹面には布目痕をとどめる。瓦当 側面や丸瓦接合部凸面にもナデを施す。胎土はやや精良で長石,石英,赤色粒,黒色粒,雲母を少 し含む。表面は灰色,断面は灰白色を呈し,やや軟質である。平安時代後期。 軒平瓦 (図版第 10・35) 栗栖野瓦窯産6点(8・10・12・13・15・16) ,山城産1点(11) ,搬入品では讃岐系1点(7) ,産 地が特定できないもの2点 (9・14) がある。 1 2 3 4 5 6 0 第 20 図 軒丸瓦(1/4) − 26 − 20㎝ 第Ⅲ章 遺物 唐草文(7) 主葉は大きく反転し,支葉はゆるやかに巻き込む。曲線顎で,瓦当部の成形は平瓦 の先を凸面側に少し折曲げその下に粘土を付け足し顎部を成形する,いわゆる半折曲げ技法である。 平瓦部凹面で部分的に瓦当より25㎜程度ヨコナデ, それ以外は布目痕をとどめる。顎部はヨコナデ, 平瓦部凸面には縄叩きを施す。胎土はやや精良で長石,石英,雲母,そのほかの砂粒を少し含む。 灰白色を呈し,やや軟質である。平安時代後期。 偏行唐草文(8・15・16) 唐草は左から右へ偏行する。主葉は連続して大きく反転し,支葉は 「C」字状に強く巻き込み先端がとがる。左右には界線状のものがみられる。いずれも曲線顎で瓦当 部成形は半折曲げ技法である。 (8)は平瓦部凹面で瓦当面より5㎜のところに幅5㎜の沈線があ り,布目端のマツリと思われる。それ以外は糸切り痕を残す。顎部はヨコケズリを施すが,端部か ら1.5㎜程度のところに幅1.5㎜の沈線があり瓦当面に平行する。胎土はやや粗く長石, 石英, 黒色粒, 白色粒を少し含む。表面は灰色から灰白色で,断面は灰白色を呈し,やや軟質である。(15)は瓦当 上端を斜めにケズリ落とす。平瓦部凹面は布目痕をとどめ,側縁部を斜めにケズリ落とす。顎部は ヨコケズリ,瓦当裏面はヨコナデ,平瓦部凸面はナデを施す。胎土はやや粗く長石,石英,黒色粒, 白色粒をやや多く含む。灰白色から浅黄橙色を呈しやや軟質である。 (16)は (15)と同様,瓦当上端 を斜めにケズリ落とし,平瓦部凹面に布目痕をとどめる。顎部はヨコケズリ,瓦当裏面はヨコナデ, 平瓦部凸面はタテナデを施す。胎土はやや粗く長石,石英,黒色粒を中量,径7∼9㎜の礫粒を少 し含む。表面は暗灰色から灰白色で,断面は灰白色を呈し,やや軟質である。これらは,同文同笵4) が平安京域で多くみられる栗栖野瓦窯産である。平安時代後期。 唐草文(9) 主葉は連続してゆるやかに反転し,支葉の巻き込みはやや多い。唐草文の周りを界 線が巡る。曲線顎で,瓦当部を成形したのち平瓦凸面を粘土で貼り付ける,いわゆる包込み技法で ある。平瓦部凹面で瓦当より 13 ㎜程度ヨコケズリを施し,それ以外は不明瞭であるが布目痕をと どめる。顎端部ヨコケズリ,瓦当裏面と平瓦部凸面ではタテケズリ,凸面と顎部の屈曲部はヨコナ デを施す。胎土はやや粗く長石,石英,黒色粒をやや多く含む。表面は灰色で,断面は黄灰色を呈 し硬質である。平安時代後期から鎌倉時代。 半截宝相華文(10) 同文瓦によると,半截宝相華文が隣り合うように上下に配される。平瓦部凹 面で瓦当面より6㎜のところから幅7㎜の沈線があり,布目端のマツリと思われる。粗い布目痕を とどめる。顎端部はヨコケズリ,瓦当裏面はヨコナデを施し,平瓦部凸面には粘土を継ぎ足した際 のオサエやナデがみられる。曲線顎で瓦当部成形は半折曲げ技法である。胎土はやや粗く長石,石 英,黒色粒,白色粒,チャートをやや多く含む。灰白色を呈し,やや軟質である。平安時代後期。 剣頭文(11) 7剣頭を配していたと思われ,左端が半截する。段顎で,瓦当部の成形は平瓦の先 を完全に折曲げる,折曲げ技法である。平瓦部凹面は糸切り痕と布目痕をとどめる。顎端部ヨコケ ズリ,瓦当裏面と平瓦部凸面にはナデを施す。胎土はやや精良で長石,黒色粒,白色粒を少し含む。 表面は暗灰色から灰色で,断面は灰色から灰白色を呈し,やや硬質である。山城産5)と思われる。 平安時代後期。 唐草文(12) 主葉は連続してゆるやかに反転し,支葉は巻き込む。界線外区に珠文がまばらに巡 − 27 − 第Ⅲ章 遺物 る。曲線顎で瓦当部成形は半折曲げ技法である。平瓦部凹面で瓦当より9㎜程度ヨコケズリ,それ 以外はナデ。顎端部はヨコケズリ,瓦当裏面と平瓦部凸面ではヨコナデを施す。胎土はやや粗く長 石,石英,チャート,黒色粒,白色粒をやや多く含む。表面は灰色と灰白色で,断面は灰白色を呈 し,やや硬質である。平安時代後期。 唐草文(13) 主葉は連続してゆるやかに反転し,支葉は巻き込み先端がとがる。外区に界線や珠 文はみられない。顎部欠損するが曲線顎で,瓦当部成形は折曲げ技法である。平瓦部凹面は糸切り 痕と細かい布目痕を残し,凸面はナデを施す。胎土はやや粗く長石,石英,チャート,黒色粒,白 色粒をやや多く含む。表面は灰色から灰白色で,断面は灰白色を呈し,やや硬質である。この形式 の笵6)は少なくとも3種類確認されている。栗栖野瓦窯産。平安時代後期。 唐草文(14) 主葉は連続してゆるやかに反転し,支葉は短くわずかに巻き込む。外区は界線が巡 り,珠文を配する。曲線顎で,瓦当部成形は包込み技法である。平瓦部凹面では瓦当より7㎜程度 ヨコケズリ,側縁も幅 15 ㎜程度タテケズリ,顎部と平瓦部凸面には格子叩きを施す。瓦当裏面は ナデを施す。胎土はやや精良で長石,石英,黒色粒を少し含む。表面は灰色から暗灰色で,断面は 灰白色を呈し硬質である。平安時代後期から鎌倉時代。 丸瓦 (図版第 11) (17)筒部凸面は縄叩き,玉縁部はヨコナデを施す。凹面は糸切り痕をとどめ,玉縁部はナデをお こなう。両側面はほぼ平坦であるが,一部内方に斜めにケズリ落としている。胎土はやや精良で長 石,雲母,そのほか砂粒を少し含む。黄灰色を呈し硬質である。 平瓦 (図版第 11) (18) 凹面は布目痕を,凸面は格子叩き,側端面は垂直で,ヨコナデを施す。胎土はやや粗く長石, 石英,黒色粒,赤色粒,そのほか砂粒を多く含む。灰白色を呈しやや軟質である。 (19・21)凹面は布目痕を,凸面は縄叩き,側端面は垂直でヨコナデを施す。 (19)の胎土はやや精 良で長石,石英,そのほか砂粒を少し含む。表面は灰色で,断面は灰白色を呈し硬質である。 (21) の胎土はやや粗く長石を多く,石英,雲母を少し含む。表面は灰白色で,断面は灰色を呈しやや軟 質である。 (21) は (19) に比べ縄叩きが粗い。 (20)凹面は狭端から6㎜程度斜めにヨコケズリを施す。それ以外は粗いナデを施し,布目痕をわ ずかに残す。凸面は7条線1単位の平行叩きがあり,部分的に交差する。側端面が凹面に向かって 斜めであることから桶巻き作りの可能性がある。胎土はやや精良で長石を多く,石英,雲母,黒色 粒を少し含む。灰色を呈し硬質である。 塼 (第 21 図) 出土総数は 32 点で,全てが破片であり全容が判明するものはない。1つの遺構からのまとまっ た出土例はなく,調査区の全体から出土しているが,調査区南西部の柱穴群からの出土数が比較的 多い。これらの柱穴から,土器類はあまり共伴していない。包含層からのものを除くと,全て中世 から江戸時代にかけての遺構からの出土である。 − 28 − 第Ⅲ章 遺物 塼は,破片の小さなものを除くと3つのタイプに分類される。 A類 (22・23) 厚さ 4.5 ∼5㎝,幅8∼ 10 ㎝の小型のもの。表裏両面が型により深く窪み,縄目痕が残る。側面 のナデは,丁寧なもの,簡易なものなど様々である。 (22)は,胎土に石英,長石,黒色粒などが多 く含まれる。 B類 (24 ∼ 26) 厚さ4∼5㎝,幅 13 ∼ 16 ㎝のもの。表裏両面中ほどが型により窪んでおり縄目痕が残る。窪み の深さや,側面のナデの粗密度は様々である。胎土は粗いものが多く,石英,長石,黒色粒などが 含まれる。 (24)の側面には,ナデの上から格子状の叩きを施す。 (25)の側面には,スタンプ状の刻 印が捺されている。B類が全点数の7割を占める。 C類 (27 ∼ 29) 厚さ 3.5 ∼5㎝,幅 15 ∼ 18 ㎝のもの。表裏,側面共にナデを施し,縄目痕はみられない。胎土 は比較的緻密で,混入物は少ない。片側面に砂が付着しているが,これは,焼成の際に窯床との癒 着を防ぐために敷かれた離れ砂とみられる。このことから,これらの塼は,片側面を床に立てて焼 25 22 28 26 23 27 29 24 0 第 21 図 塼(1/4) − 29 − 20㎝ 第Ⅲ章 遺物 かれたと考えられる。 (27・29)の側面にはスタンプ状の刻印が捺されている。また, (27・29)は, 表面に砥石として転用された研ぎ痕がみられる。C類の中には,ほかにも砥石として転用されたと みられるものが数点ある。 3) 鋳造関連遺物 遺物は,主に平安時代後期から室町時代にかけての遺構から多く出土した。これらは,鏡,仏具, 器物,刀装具などの鋳型や鞴,屏風7),坩堝,トリベなどがある。このほか,鉄滓なども出土して いることから,銅細工だけでなく,鋳鉄をおこなっていた可能性も考えられる。出土地点の詳細は 鋳造関連遺物出土地点表 (第3表) に記載する。 鏡鋳型 (第 22 図,図版第 12・13・36・37) これは,まず断面台形で円盤状の粘土中心に穿孔を施し一度焼成したのち,真土と呼ばれる微細 な砂を多く含む土を塗り込み,上面に箆や型押しによって文様を施し成形したものである。粗型は, 狭面と側面は平滑であるのに対し広面は凹凸があり,籾殻などの痕跡を明瞭にとどめる。これは, 広面に真土を塗る際に接着性をよくするためであるとされる8)。 鏡粗型は,井戸 16(1∼7) ,井戸 27(10 ∼ 12)などからまとまって出土する以外は,いずれも破 片が数点出土しただけにすぎない。 (1∼7)は径 14 ㎝前後,厚さ 2.6 ㎝前後のものが多い。 (6)は径 16 ㎝,厚さ 2.8 ㎝とほかに比べ て一回り大きい。 (1)は,広面に鏡面側の真土が一部残存する。真土の厚みは 1.5 ㎜と薄い。 (3・ 4)は,鋳型狭面と側面に灰白色の薄い真土をとどめ,狭面の一部に花文が箆押し (第 22 図)されて いる。このような文様のありかたから,これらは施文が未完成におわったものか,あるいは練習で 篦押しした文様とも考えられる。 (7)は,小片であるが残存する2辺が直線で,その内角は鈍角を なす。狭面と広面の判別はつけがたい。両面に灰白色の薄い真土をとどめ,片面には一部褐色の真 土が付着する。その形状から柄鏡鋳型9)の可能性もあるが,一般的にこれにみられる篦で斜格子状 に条線を入れたものは認められない。 (8)は,広面に真土が3㎜ほど残存し,外側面には被熱痕が認められる。 (9)は,広面には縁部 の立ち上がりに真土が残存する。 3 (10 ∼ 12)は,径 14.5 ㎝前後,厚さ 2.1 ㎝のものが多い。 (10・ 11)は広面および外側面に一部真土が残存するものもある。この ほかに粗型の破片が多量に出土した。 (13) は,ほぼ完形の粗型である。広面にはわずかに真土が残存 し,一部縁部の立ち上がりが認められる。それから復原される鏡 の径はおよそ 10.8 ㎝である。 このほか, (14・15) は広面に篦で斜格子状に条線を入れたもの 第 22 図 鏡鋳型狭面花文 (原寸) である。こうした条線は,真土と粗型の付きをよくするための方 法で,近世になるとほぼ均等な幅の格子目が基本となる 10)。 − 30 − 第Ⅲ章 遺物 (16)は,縁をともなわない破片で,厚さは粗型 2 ㎝,真土7㎜ほど認められる。真土をとどめる 面には,同心円状の幅2㎜の溝が2条認められる。これを複圏とも考えられるが,他に明確な文様 もなく全容が判明しないため不明である。 鏡背面の文様を一部分残すものは,14 点ある。いずれも粗型から外れている。厚さ 1.1 ㎝前後の ものが中心であるが, (17)は,1.6 ㎝ともっとも厚い。これらのうち,紐座の一部をとどめた内区 (18) 文様を残すものとして (17・18)がある。これらはいずれも花蕊座紐で, (17)は菊花双鳥鏡 11), は,ススキなどの植物文様が部分的に残る。そのほか, (19)には鳥文, (20 ∼ 22)には菊花状の花 文をとどめるものも認められる。 仏具・器物鋳型 (図版第 13・38) (23・24)は,蓮座の鋳型の中子である。鏡鋳型と同様の,籾殻やスサを混ぜ込んだ土の上に,雲 母粒を含むきめ細かい真土を貼り付け,蓮の花弁を成形している。真土表面には所々剥離している が,黒い炭化物のようなものが塗りつけられている。これは鋳型から製品を外しやすくするために 塗られたと考えられる。これらは,井戸 36 からのみ6点出土した。 椀状不明鋳型 (25・26) である。法量から小,中,大型の3種類に分けられる。中型のもの (25) は, 口径 10.6 ㎝で,体部に一段の稜をもち,口縁端部の内側角が直角に段を付ける。大型のもの (26) は, 口径 11 ㎝,器高4㎝で,体部に二段の稜をもつ。小型のものは,小片のため口径,器高共に判明 しなかったが,口縁端部の内側角が直角に段を付ける。いずれも,粗型の上に雲母粒を含む真土を 貼り付け,挽き型によって成形している。底部中心には,穴が穿たれるが,これは,挽き型を固定 するための道具の軸を差し込むためと考えられる。これらは唄金具などの飾り金具の鋳型とも考え られるが,特定はできない。いずれにしても,形状からみて,3個体で1組の製品となる可能性が 高い。 (27) は蓋の鋳型である。粗型の上に雲母粒を含む真土を貼り付け,挽き型によって成形している。 また,外面には粗型と同じ土がもう一層塗られているが,これは補強のためか,再利用の際の修復 によるものと考えられる。底部中央には穴を穿つ。 (28・29)は器物鋳型の中子である。真土の内側に籾殻やスサを混ぜ込んだ土を貼り付け,挽き型 によって真土を成形している。厚さは 1.5 ㎝程度であり,内面は未調整で起伏が目立つ。 製品不明の中子(30・31)である。雲母粒を含む真土の塊を成形している。裏側にはわずかに籾殻 やスサを混ぜ込んだ土が付着している。断面は半円柱状を呈す。 製品不明の鋳型(32)である。上面は内傾し,半円柱状に窪んでいる。窪みの部分には雲母粒を含 む真土が薄く残っている。外面はナデを施す。 (30 ∼ 32)は,ヒサゲの注ぎ口部分の鋳型の可能性 が考えられる。 器物の鋳型は,底部から口縁部にかけてゆるやかに立ち上がるもの (36 ∼ 38)と,口縁部がほぼ 垂直に立ち上がり,器壁内面の上方が外折するのもの (35)に分けられる。前者は,鋳型の口縁端部 上面が水平なもの (37) と,口縁端部内側角が直角に段を付けるもの (36・38) の2種類に分けられる。 なお,注ぎ口が認められるものについてはヒサゲとする。ヒサゲは,製品の注ぎ口の形状が半円柱 − 31 − 第Ⅲ章 遺物 状のもの (33)と,半円錐台状のもの (34・38)に分けられる。いずれも粗型の上に雲母粒を含む真土 を貼り付け,挽き型によって成形している。外面に粗型と同じ土が塗られ,さらにその上にもう一 層きめ細かい粘土が塗られているものもある。 (34)は,注ぎ口部周辺に炭化物のようなものが塗り つけられている。 (36・38)には,底部の穴を塞いだ真土が残っており, (38)は,穴が真土で塞がれ たままになっている。 刀装具鋳型 (図版第 14・37) これらは,いずれも小片で赤褐色を呈し,型内表面は一部黒色を呈するほか,雲母粒が認められ る。スサなどを多く含む本体とは一体のものと考えられる。また,鋳型側面には真土が残り,雄型 と雌型を合わせた後に隙間を埋めるために塗り込めた可能性がある。 調査区北半を中心に炉1から鞘尻金物 (39) , 座金具は, (40) と (41) がそれぞれ土壙25, 柱穴11から, 土壙 24 からは比較的まとまって,足金物(42 ∼ 45) ,兜金(46)が出土した。このうち,型の合わせ 目として,雄型(42・44・45)には突起があり,雌型(43)には対応する同位置に凹みがある。 (47)は 小片であるが足金物と考えられる。 とくに,土壙 24 とその付近から顕著に出土することから,分布に片寄りがみられる。 鋳造関連道具 (図版第 14・39) 調査区全体から坩堝(トリベ)12),土師器皿を転用した坩堝,鞴の羽口,屏風など鋳造に関連する 道具類が出土した。ほとんどが破片で,全容が判明するものは少ない。鋳型同様,籾殻やスサを混 ぜ込んだ土で作られている。 坩堝(トリベ)は,3種類に分けられる。1類は,注ぎ口をもち,器厚 1.3 ㎝前後の小型の皿形 のもので,小片のため法量・口径は不明である。2類は,注ぎ口をもち,口径 12 ㎝前後で,器高 5㎝前後,器厚2∼ 2.5 ㎝の中型の皿状のもの,3類は,口径 16 ∼ 19 ㎝で器厚2㎝前後の半球体 のものである。小型の坩堝(トリベ) (51)は,底部から口縁部にかけ,やや折れ曲がる様に立ち上 がり,口縁端部は丸くおさまる。中型の坩堝(トリベ) (52・53)は,底部から口縁部にかけて浅く 立ち上がり,口縁端部は丸くおさまる。小型,中型共に,少なくとも一ヶ所以上の注ぎ口をもつと 考えられる。いずれも内面と口縁部付近に銅滓が付着する。 (53)には,注ぎ口と対称側の口縁に窪 みがみられるが,これは注ぎ口とは形状が異なり,別の機能を果たしていた可能性も考えられる。 半球体の坩堝(54・55)は,底部から口縁部にかけて深く立ち上がり,口縁端部は平坦である。内面 には鉱滓が多く付着している。外面には,灰白色のきめ細かい粘土や,鋳型を作る際に用いられる 真土が薄く塗られ,その上からナデを施す。口縁端部付近や内面の一部にこの粘土が剥がれている ものが多くみられる。これは,使用後の坩堝(トリベ) に癒着している銅を,器壁から剥がしやすく するために塗られた可能性が考えられる。 坩堝(トリベ)に転用したとみられる土師器皿(48 ∼ 50)である。いずれも室町時代中期のもので ある。2枚を重ねて使用していたものも多くみられる。これらは,熱により融解状態となって灰色 に変色し,須恵器のように硬質化している。口縁部付近と内面に銅滓が付着している。土壙7から 多く出土した。 − 32 − 第Ⅲ章 遺物 鞴の羽口は,個体数が少なく,全容が判明するものがないため,細かな分類にはいたらなかった が,内径 2.5 ㎝で,火口から徐々に体部にかけ広がるもの (56)と,内径3㎝で,火口から釣り鐘状 に広がる器壁の厚いもの (57) ,内径3∼ 3.5 ㎝で,火口から体部の途中まで円柱型にまっすぐ伸び るもの (58)の3種類が確認できた。いずれも棒に巻き付けて成形したとみられる。火口部はガラス 化して鉱滓が付着している。また,ガラス化した部分が削り取られたようなものも数点みられる。 (58・59) は接合はしないが,出土遺構も同じことなどから,同一個体の可能性がある。 そのほか,溶解炉の壁を形成するための部材である屏風が出土した。厚さ2∼3㎝の湾曲した 平瓦状の形を呈し,上端は丸くおさまるものもある。全容が判明するものはない。(60)は,径が約 1㎝の穴があいており,底辺の一部には,径が2㎝ほどの半円状の切り込みがある。凸面側には穿 孔途中の穴がみられる。内面凹面側全面に鉱滓が付着している。側面には,隣に並べられた別の屏 風の一部が剥がれて癒着している。またこれら以外に,溶解炉壁の一部とみられる破片なども出土 した。 その他 (第 23 図,図版第 39) ここでは用途不明な鋳型類や鋳造道具と思われるものを扱う。これらは,鋳型,鋳造道具と同様, 籾殻やスサを混ぜ込んだ土を使用する。 (61)は,手捻りにより成形された小型の坩堝状のものであ る。形状や胎土は半球体の坩堝に非常によく似ている。銅滓などの付着物はなく,使用痕もみられ ないためここに分類する。 (62)は,鋳型の一種の可能性が考えられるが,用途,形状の全容などは不明である。表面と側面 61 63 64 62 65 0 20㎝ 0 第 23 図 その他鋳造関連遺物(61・62:1/4,63 ∼ 65:1/2) − 33 − 10㎝ 第Ⅲ章 遺物 の一方が成形され,一部に真土が付着している。表面に浅い溝状の窪みがみられる。先端部がガラ ス化しており,鉱滓が付着している。 (63)は,表面に何かの型が成形される不明品である。中心部の穴はわずかに貫通している。硬質 である。 (64・65)は,板状の破片で,いずれも厚さが8㎜前後である。このほかにも小片が多く出土して いる。外面には,籾殻の痕跡が明瞭に残っており,その反対側は,表面を整えてある。器物鋳型な どにみられるナデによる同心円状の調整の痕跡が残る。 また,調査区の全体から鉱滓が出土した。とくに,井戸 26 からは鉄滓が多量に出土し,その重 量は約 4,700 gにのぼる。これらの中には,直径5∼ 10 ㎝大で底部が椀形 (椀形滓) を呈すもの (66・ 67)も多くみられる。このうち (67)の分析結果(第 28 図)から第二酸化鉄(FeO2) が 75.03%,砂鉄特 有元素である二酸化チタン (TiO2) 0.18 %などを含むことが判明した 13)。 4) 金属製品(第 24 図,図版 40) 銭貨や刀子などがある。銭貨は総枚数 26 点で,銅銭は 25 点あり,うち寛永通寶5点,中国銭 14 点, それ以外は判読できなかった。 年代別にみると北宋(1∼ 12)が 12 点,南宋(13) ,明(14)がそれぞれ1点出土した。北宋のうち 篆書 (2・4∼9・11) ,真書 (1・3) ,行書 (10) である。また南宋 (13) ,明 (14) はともに真書である。 また,一分判金(15)は,縦 1.75 ㎝,横 1.05 ㎝,厚さ 1.8 ㎜の縦長の長方形で,重さ 4.4 gである。 表面上部に扇型の枠に桐,中央に一分の文字,下部に桐が刻まれる。鋳造時期をしめす文字はなかっ た。裏面には 「光次」の文字と花押が刻まれ,これは鋳造を請け負っていた後藤光次の印である。こ の一分判金4枚で一両とした。 (16)は,腐食が進み全体が錆に覆われているが,形状や大きさなどから刀子と考えられる。井 戸 19 の底から刀が鞘におさまった状態で出土した。鞘,刃,柄の一部がかろうじて残存していた。 残存する全長約 31 ㎝,幅約5㎝,刃長は約 22 ㎝,茎に径約5㎜の目釘穴が認められる。刃の厚み や幅は確定できない。 5) 石製品(第 25 図,図版第 40) 砥石は調査区全体でみられるが,とりわけ鋳造関連遺構から 20 点出土した。 (1・2)は,溝状 に深く削られた痕がみられる。包含層出土。 (3)は,片面が無整形で赤褐色に変色している。土壙 12 出土。 (4)は,滑石製品を砥石に転用したもので,幅5㎜弱,長さ 1.5 ㎝∼2㎝の研ぎ痕が二列 に分かれ連続して並ぶ。表面には煤が吸着している。土壙8出土。(5)は,井戸 16 から出土した。 (6)は,滑石製の温石で,表面に線刻で絵が描かれている。包含層出土。 (7)は,長さ 4.2 ㎝,厚 さ 0.7 ㎝,重さ 19 gの巡方である。上辺寄りの左右に横並行の潜り穴があけられる。垂孔部分の上 辺だけが残り,それより下は欠損している。また,垂孔部はほかの面に比べやや研磨が荒い。色調 は淡緑色で白色の斑が入る。包含層出土。 − 34 − 第Ⅲ章 遺物 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 初鋳年 2㎝ 0 15 外縁径 内郭径 (㎜) (㎜) 真書 25.1 6.0 土壙8 1023 篆書 24.8 6.2 井戸16 北宋 1034 真書 25.5 7.3 土壙28 嘉祐元寶 北宋 1056 篆書 25.4 7.5 炉1 5 嘉祐通寶 北宋 1063 篆書 24.9 7.1 土壙18 6 治平元寶 北宋 1064 篆書 24.6 6.7 土壙34 7 治平通寶 北宋 1064 篆書 24.7 7.4 井戸13 8 元豊通寶 北宋 1078 篆書 25.7 6.7 土壙36 No. 種類 年代 1 祥符元寶 北宋 1009 2 天聖元寶 北宋 3 景祐元寶 4 (西暦) 字体 出土地 9 元豊通寶 北宋 1078 篆書 24.4 6.9 柱穴13 10 元豊通寶 北宋 1078 行書 23.9 6.3 柱穴14 11 元祐通寶 北宋 1086 篆書 25.0 5.8 土壙6 12 紹聖元寶 北宋 1094 真書 24.2 5.8 柱穴3 13 嘉定通寶 南宋 1208 真書 24.8 5.9 土壙8 14 永楽通寶 明 1408 真書 24.7 5.9 包含層 15 一分判金 江戸 − − − − 包含層 第 24 図 銭貨(1/1) − 35 − 第Ⅲ章 遺物 1 4 6 2 5 7 0 10㎝ 0 10㎝ 3 第 25 図 砥石・温石・巡方(1 ∼ 5:1/4,6・7:1/2) 第3節 平安時代中期以前の遺物 1) 土器類・獣骨・木製品・種子 (第 26 図,図版第9・32・33・40) 園池 土師器(170 ∼ 178) ,須恵器(188 ∼ 195) ,須恵硯(196) ,黒色土器(179・180) ,緑釉陶器(181 ∼ 184) ,灰釉陶器(185 ∼ 187) ,輸入磁器などが大量に出土した。総重量 54,307 gで,うちわけは, 器種,器形別に,土師器供膳具が 15,048 g(27.7 %) ,土師器煮沸具が 7,703 g(14.2 %) ,須恵器供膳 具が 3,346 g(6.2 %) ,須恵器貯蔵具が 15,518 g(28.6 %) ,須恵器調理具が 2,704 g(5.0 %) ,黒色土 器供膳具が 2,579 g(4.7 %) ,黒色土器煮沸具が 334 g(0.6 %) ,緑釉陶器供膳具が 3,384 g(6.2 %) , 灰釉陶器供膳具が 1,076 g (2.0 %) , 灰釉陶器貯蔵具が 2,240 g (4.1 %) , 輸入磁器 375 g (0.7 %) である。 これらは園池の整地土からの出土である。 池の底の洲浜の中からは,平安時代中期の土師器と須恵器の小片が少量出土した。 (172)は土師 器皿で,砥の粉を溶く際に使用したとみられる。 (208・209) は須恵器蓋で,口縁部先端の外面のみ灰釉がかかっている。これは重ね焼きをした際, その部分だけが露出したためと考えられる。整地土出土。 そのほか,土器以外に獣骨,斎串(211) ,松明(212)や桃核(213)などとともに植物遺体が少量出 土した。 流路1 (第 27 図,図版第 32・34) 土師器椀 (197) ,皿 (198・199) ,高杯 (200 ∼ 202) ,甕,土馬 (207) や, 黒色土器椀,甕,須恵器蓋(203) ,杯(204・205) ,壷(206) ,甕(210) などがある。なお,これらの表面および破断面にあまり摩滅した様 子はみられない。このうち内面に漆の付着している土師器椀(197)や, 墨書のある土師器高杯(200・202)と須恵器蓋(203) ,杯(205)なども含 − 36 − 第Ⅲ章 遺物 まれる。 (200)は,高杯の杯部内面に墨書をとどめる。字体は墨が薄く 判読しにくいが,数行にわたる文字と,墨書人面土器などにみられる, 人の顔が描かれている 14)。 (202) は,判読しがたい。 土師器高杯の脚部 (201) は,裾部先端の表裏に煤が吸着している。 須恵器甕の胴部(210)は,肩部付近の器壁が大きく歪んでおり,その 部分に須恵器蓋と壁土が癒着している。内面にはあて具の跡がみられ, 211 外面には格子状櫛叩きを丁寧に施す。 これらの土器は平安時代前期のものと考えられる。 0 5㎝ 第 26 図 斎串(1/2) 207 203 197 204 198 200 199 205 201 0 202 第 27 図 流路1出土土器(1/4) − 37 − 206 20㎝ 第Ⅲ章 遺物 鉄滓分析結果 測定サンプル:鉄滓(67)計1検体 使用機種:MESA-500W《堀場製作所製》 測定条件:X線照射径:φ5㎜ , 管電圧:15 および 50kV 自動切換 , 管電流:自動 , 試料室:真空, 測定時間:200 秒,定量補正法:FPM- スタンダードレス(酸化物指定) 測定結果 MESA-500Wの検出可能元素は、Na ∼ Uである。定量計算には、FPM(ファンダメンタルパラメーター 法)を用いた。FPMでは、検出された元素について、含有量を100%に規格化して定量計算をおこなう。 化学式(酸化物形態)が既知であれば、O(酸素量)を補正し、定量計算を行うことも可能である。 定量データでは、濃度の右隣に標準偏差(2σ)が示されている。定量値は3σのばらつきをもっ ている。MESA-500W の X 線照射径はφ5㎜である。サンプルが、このエリア内および深さ方向に おいて均一であると仮定して定量計算をおこなっている。MESA-500W は、下面照射タイプの蛍光 X線分析装置である。 67 計測ポイント 鉄滓 断面写真 測定機器:MESA-500W,定量補正法 : スタンダードレス 元素 13 14 15 19 20 22 26 29 Al Si P K Ca Ti Fe Cu アルミニウム けい素 りん カリウム カルシウム チタン 鉄 銅 ライン 質量濃度 [%] K K K K K K K K 3.33 11.35 0.40 1.06 0.97 0.15 82.67 0.05 2σ[%] 0.31 0.28 0.07 0.09 0.07 0.05 0.40 0.03 強度[cps/μA] 0.070 0.580 0.042 0.320 0.382 0.333 262.552 0.109 【化合物(酸化物)指定を行い再定量計算】 元素 13 14 15 19 20 22 26 29 8 Al Si P K Ca Ti Fe Cu O アルミニウム けい素 りん カリウム カルシウム チタン 鉄 銅 酸素 ライン 質量濃度 [%] 2σ[%] K K K K K K K K 2.435 8.247 0.289 0.746 0.677 0.108 52.479 0.029 34.989 0.225 0.192 0.050 0.062 0.052 0.037 0.363 0.018 0.343 強度[cps/μA] 0.070 0.580 0.042 0.320 0.382 0.333 262.552 0.109 第 28 図 鉄滓分析結果 − 38 − 化学式 質量濃度[%] Al2O3 SiO2 P2O5 K2O CaO TiO2 Fe2O3 CuO 4.602 17.643 0.663 0.899 0.947 0.180 75.030 0.037 第Ⅲ章 遺物 第2表 瓦塼出土地点表 瓦塼番号 種 類 出土地点 瓦塼番号 1 複弁四葉蓮華文軒丸瓦 2 複弁六葉蓮華文軒丸瓦 土壙 27 12 唐草文軒平瓦 井戸 29 22 塼 土壙7 3 三巴文軒丸瓦 井戸 34 13 唐草文軒平瓦 井戸 20 23 塼 柱穴9 4 単弁十葉蓮華文軒丸瓦 柱穴6 14 唐草文軒平瓦 井戸 31 24 塼 土壙9 5 複弁八葉蓮華文軒丸瓦 柱穴 15 15 偏行唐草文軒平瓦 井戸 27 25 塼 井戸 16 6 単弁八葉蓮華文軒丸瓦 園池整地土 16 偏行唐草文軒平瓦 井戸 35 26 塼 土壙4 7 唐草文軒平瓦 柱穴4 17 丸瓦 井戸 25 27 塼 井戸 16 8 偏行唐草文軒平瓦 柱穴5 18 平瓦 土壙 19 28 塼 柱穴7 9 唐草文軒平瓦 土壙3 19 平瓦 柱穴 16 29 塼 柱穴8 10 半截宝相華文軒平瓦 井戸 18 20 平瓦 土壙 25 土壙9 11 種 類 出土地点 剣頭文軒平瓦 井戸 19 瓦塼番号 21 種 類 平瓦 出土地点 包含層 第3表 鋳造関連遺物出土地点表 鋳造番号 種 類 出土地点 鋳造番号 種 類 出土地点 鋳造番号 種 類 出土地点 1 鏡粗型 井戸 16 24 連座鋳型中子 井戸 36 47 足金物鋳型 柱穴 10 2 鏡粗型 井戸 16 25 椀状鋳型 中型 井戸 34 48 転用土師器皿 土壙7 3 鏡粗型 井戸 16 26 椀状鋳型 大型 井戸 34 49 転用土師器皿 土壙7 4 鏡粗型 井戸 16 27 蓋鋳型 井戸 15 50 転用土師器皿 土壙7 5 鏡粗型 井戸 16 28 器物鋳型中子 井戸 36 51 小型坩堝(トリベ) 井戸 16 6 鏡粗型 井戸 16 29 器物鋳型中子 井戸 34 52 中型坩堝(トリベ) 井戸 19 7 鏡粗型 井戸 16 30 不明鋳型中子 柱穴1 53 中型坩堝(トリベ) 土壙 35 8 鏡粗型 土壙8 31 不明鋳型中子 包含層 54 坩堝 井戸 16 9 鏡粗型 炉1 32 不明鋳型 井戸 36 55 坩堝 土壙5 10 鏡粗型 井戸 27 33 ヒサゲ鋳型 土壙 21 56 鞴の羽口 井戸 19 11 鏡粗型 井戸 27 34 ヒサゲ鋳型 井戸9 57 鞴の羽口 包含層 12 鏡粗型 井戸 27 35 器物鋳型 土壙7 58 鞴の羽口 井戸 16 13 鏡粗型 井戸 34 36 器物鋳型 井戸 17 59 鞴の羽口 井戸 16 14 鏡粗型 包含層 37 器物鋳型 井戸 36 60 屏風 包含層 15 鏡粗型 包含層 38 ヒサゲ鋳型 柱穴 12 61 坩堝 土壙 28 16 鏡粗型 土壙 18 39 鞘尻金物鋳型 炉1 62 不明品 井戸 27 17 鏡背面真土 井戸 27 40 座金具鋳型 土壙 25 63 粗真土塊 井戸 16 18 鏡背面真土 包含層 41 座金具鋳型 柱穴 11 64 鋳型真土片 土壙 15 19 鏡背面真土 土壙 17 42 足金物鋳型 土壙 24 65 鋳型真土片 井戸 15 20 鏡背面真土 土壙 31 43 足金物鋳型 土壙 24 66 鉄滓 井戸 26 21 鏡背面真土 土壙 11 44 足金物鋳型 土壙 24 67 鉄滓 井戸 26 22 鏡背面真土 柱穴2 45 足金物鋳型 土壙 24 23 連座鋳型中子 井戸 36 46 兜金鋳型 土壙 24 註 1)出土遺物の主要なうちわけは,付表遺物概要 六町出土例を中心に』 『研究紀要』第3号(財)京 表に記載する。 都市埋蔵文化財研究所,1996 年を参考にした。 2)(財)京都市埋蔵文化財研究所編『木村捷三郎 9)柄鏡は 16 世紀以降にその存在が知られる。 収集瓦図録』(財)京都市埋蔵文化財研究所, この鋳型は,共伴する遺物の年代から南北朝時 1996 年,106 頁,掲載番号 49 代のものと考えられ,時代も大きく異なり,別 3)前掲註2) 104 頁,掲載番号 27 の鋳型の可能性も十分に考えられる。 4)平安博物館『平安京古瓦図録』雄山閣出版, 10)前掲註8) 網論文 1977 年,406 頁,掲載番号 464・465 11)京都国立博物館学芸室長久保智康氏の御教示 5)前掲註2)186 頁,掲載番号 1108 による。 6)前掲註2)413 頁,掲載番号 525 12)坩堝とトリベは転用や併用する例もあること 7)坩堝の上に立てて,小型の溶解炉の壁を形成 から,特定できないものに関しては併記する。 13)鉄滓の分析は,株式会社堀場製作所分析セン するためのものと考えられる。 ター亀谷亜矢氏による。(第 28 図)鉄滓分析結果 五十川伸矢『Ⅳ銅と鉄の鋳造』(佐々木稔編『鉄 は参考値として記載する。 と 銅 の 生 産 の 歴 史 』所 収, 雄 山 閣,2002 年 ), 14)文字資料の釈読は,元財団法人古代学研究所 194 頁 8)鏡鋳型の名称は,久保智康『中世・近世の鏡』 日本の美術 394 至文堂,1999 年および網伸也 『和鏡鋳型の復原的考察 左京八条三坊三町・ − 39 − 教授関口力氏の御教示による。また,赤外線写 真撮影は株式会社京都科学に依頼した。 第Ⅳ章 まとめ 第Ⅳ章 まとめ 今回の調査では,これまで周辺の調査で確認されていた中世における鋳造関連の遺構や遺物のほ か,具体的な遺構があまり確認されていなかった平安時代中期にさかのぼる園池を確認した。 当地周辺では京都駅周辺の再開発によって,平安京内でも比較的まとまった調査がおこなわれて おり,それらの成果から左京八条三坊周辺では,主に平安時代後期から開発がおこなわれ,鎌倉時 代から室町時代にかけて遺構,遺物ともに増加することが判明している。 隣接する平成9年度調査1)では路に面して炉や柱穴群が確認されるなど,周囲で調査がおこなわ れていることもあり,遺構がある程度想定されている中での調査であった。 しかし,事前に予想された遺構のほかに,調査が進展していく中で平安時代中期にさかのぼる遺 物がまとまって出土するにいたり,下層遺構の存在の可能性が高まった。調査の結果はこれまでに 述べてきたところである。ここでは遺構,遺物についての調査所見を述べ,問題点を記しまとめと したい。 遺構の変遷 平安時代前期にさかのぼる遺構は明確なものは認められないが,流路1出土の漆付着土器や土馬, 墨書のある高杯などから平安時代前期に周辺でなんらかの施設が存在した可能性が考えられる。 この流路は,当地の北東に位置する左京八条三坊二町2)で確認されている流路と時期的にも近く, 流れの方向も類似する。こうした流路は周辺3)の調査において多数確認され,その方向は条坊に規 制されることなく地勢にそったものである。 その後,流路の窪地を踏襲する位置に,園池がつくられる。出土遺物からは平安時代中期のもの が出土し,後期には整地されることが判明している。この園池の関連施設は調査区内や同宅地内の 既往調査からも確認されていない。この廃絶後の遺構としては,仏具の蓮座鋳型が出土した平安時 代後期の井戸 36 があるが,園池の廃絶からこの間における明確な遺構は認められない。こののち, 年代 遺構 近世 室町時代 鎌倉時代∼ 井戸1∼ 14,土壙1∼3,溝1∼3 南北朝時代∼ 鎌倉時代末期 柱穴 1 ∼ 9, 井戸 15・16・18,土壙 4 ∼ 19 井戸 17・19・21・22・24 柱穴 10 ∼ 16,井戸 20・23・25 ∼ 36,土 平安時代後期 壙 20 ∼ 36,炉1 平安時代中期以前 園池,流路1・2 第4表 主要遺構概要表 − 40 − 第Ⅳ章 まとめ 平安時代末頃の鏡鋳型が多量に出土した井戸 34 をはじめとして遺構数が大幅に増加していく。平 安時代後期から鎌倉時代にかけての井戸は 18 基を数え,土壙,柱穴なども多く認められる。この 時期の遺構は複雑な切り合い関係にあり,遺物の年代観から厳密な分類はしがたい。 また,柱穴は小規模なものが中心で,その分布は主に油小路東築地心から東へ9m,八条坊門小 路北築地心からも北に約9mの範囲に集中し,油小路や八条坊門小路に面して複数時期にわたる小 規模の建物が存在し,その裏手には井戸が設置されていたと考えられる。ただし,井戸 19・21 な どのように,路に面して設置されるものもあり,こうした位置関係における宅地内部の井戸と路に 西一行 西二行 100 150 Y=-22 200 面した井戸とでは,その利用目的が異なる可能性も考えられる。 西四行 西三行 X=-112 600 北 一 門 北 二 門 平成15年度調査 油 小 路 北 三 門 北 四 門 650 昭和57年度調査 北 五 門 北 六 門 調査地 平成9年度調査 北 七 門 700 北 八 門 八条坊門小路 750 0 第 29 図 八条二坊十五町既往調査区配置図 中世(1/1,000) − 41 − 50m 第Ⅳ章 まとめ また,鋳造に関連する遺構として炉1が確認されている。これは油小路東築地心から4m東に位 置し,平成 15 年度調査で確認されている炉群と同様に油小路に面して工房が営まれていたものと 考えられる。 そののち,南北朝時代を境に遺構数は減少に転じ,室町時代の井戸は4基と鎌倉時代のものに比 べ大幅に減少する。そして室町時代後期以降には遺構はほとんどみられなくなる。これは,周囲の 調査成果と同様に当地も耕地化していくことによるものであろう。こののち, 近世から近代にいたっ ては 14 基の井戸が確認され再び遺構が散見されるようになる。こうした土地利用の状況は明治の 初め頃までつづくものと考えられる。 園池と条坊 確認された園池は宅地内でも南西隅に位置し,洲浜は想定される油小路東築地心付近にまでおよ ぶことから宅地がさらに西へ広がる可能性が高く,南についても八条坊門小路北築地心付近にまで 洲浜がおよぶことが判明した。 八条坊門小路については,平成9年度調査で想定位置付近で平安時代後期の路面と側溝が確認さ れていることから,その段階には確実に路が設置されていたと考えられる。このことから,園池の 南限と想定される八条坊門小路北築地心が近接するため,路は平安時代中期にはさらに南にずれて いたか,整備されていなかった可能性も考えられる。これについては,これまでの調査成果からは 確定できないが,今後の重要な問題である。 なお,八条坊門小路に関連する左京八条三坊七町4)では平安時代後期に新たに路と側溝が確認 され,それらが想定される条坊の位置から南に約 10 mずれて設置された可能性が指摘されている。 東西路である八条坊門小路が,町小路ないしは西洞院大路を境に東と西でずれて設置されていた とみられ条坊の施工と宅地のありかたを検討する上で重要なものと考えられる。 油小路については昭和 57 年度調査5)において,想定される西築地付近で,西側溝とみられる南 北溝を確認している。出土遺物からは,上層には9世紀中葉から 10 世紀前半の遺物を含み,下層 は9世紀前半から中葉の遺物が確認されている。また,興味深いことに室町時代になるとこの西側 溝は西側の十町宅地内へ設けられる。こうした路の変更も,当地周辺の経済活動の一端をしめすも のと考えられる。 これらのことから条坊と園池が,その成立時期にどのように区画されていたかが問題となる。油 小路については平安時代前期には路が設置されていたと考えられることから園池の西端が路に極め て隣接した位置にあった可能性が高いと考えられる。 園池は,洲浜敷きで拳大からやや小さめの石を池底付近から汀にかけてゆるやかな勾配で敷きつ めている。導水施設などは確認できなかったが,旧流路上に位置することから,その湧水を一部で 利用していた可能性も指摘6)されている。また,出土遺物から平安時代中期のものと考えられ,同 時期の園池をともなう邸宅としては,一町占地規模の可能性が考えられるが明確な遺構が確認され ていないことから,その規模については現段階では確定できない。しかし,今回の北側でおこなわ − 42 − 第Ⅳ章 まとめ れた平成 15 年度調査7)では,同宅地の北三・四門付近で平安時代に整地される流路跡が確認され, 宅地が一町占地であればこれとの関連も考えられる。また,園池に関連する建物などの諸施設につ いてもこれまでのところ明らかでない,今後の調査をふまえ検討するべきものと考える。 これまで,平安時代中期以前の明確な遺構が確認されていないことから,当地周辺8)では平安時 代後期以降になって七条町や八条院町に関連して開発が進むものと考えられてきたが,今回確認し た平安時代中期にさかのぼる園池は,当地において宅地利用がされていたことをしめす一つの重要 な資料といえる。また,流路から出土した遺物から,平安時代前期にも周辺でなんらかの施設が存 西二行 西一行 100 150 Y=-22 200 在していた可能性が考えられる。 西三行 西四行 X=-112 600 北 一 門 北 二 門 平成15年度調査 油 小 路 北 三 門 旧流路 北 四 門 650 昭和57年度調査 北 五 門 北 六 門 調査地 平成9年度調査 北 七 門 700 北 八 門 八条坊門小路 750 0 第 30 図 八条二坊十五町既往調査区配置図 平安時代(1/1,000) − 43 − 50m 第Ⅳ章 まとめ 出土遺物 調査区北辺に位置する井戸や土壙から , 平安時代後期から室町時代にかけてのまとまった遺物が 出土した。いずれの遺構からも,多量の土師器皿が出土し,ついで瓦器煮沸具,焼締め陶器貯蔵具・ 調理具が多く,瓦は少ない。また,これらに共伴して多くの鋳造関連遺物が出土した。こうした遺 物の出土傾向は同町での既往調査9)と同様のものである。 土師器皿の法量は,平安時代後期に主に口径 10 ㎝前後,器高 1.7 ㎝前後の小型と,口径 15 ㎝前後, 器高 2.8 ㎝前後の大型の2種類が認められ,これらは,室町時代にかけ,徐々に器形が変化しながら, 法量は縮小化していく。南北朝時代になると,椀状の皿や,底部が内側へ窪む 「へそ皿」 ,口径 16.0 ㎝, 器高 3.5 ㎝を超す大型の皿など多様な器形の皿が出現する。 そのほかの器種構成では,平安時代後期から鎌倉時代にかけて瓦器煮沸具と焼締め陶器貯蔵具の 増加が顕著で,鎌倉時代中期の遺構である土壙 26,井戸 25 からは,多量の瓦器煮沸具が出土した。 なお,室町時代になると,瓦器の数は徐々に減少し,焼締め陶器の数はさらに増加する傾向にある。 鋳造関連遺物としては,多量の鏡や刀装具, 器物, 仏具など様々な鋳型や鋳造関連道具が出土した。 平安時代末頃の井戸 36 から仏具の鋳型が出土し,これが調査区内で確認される鋳造関連遺物の初 見である。そののち, 鎌倉時代前半の井戸27や南北朝時代の井戸16の埋土からは, 鏡鋳型がまとまっ て出土し, ほかの土壙や井戸からも少量出土している。これらのうち文様を残すものは極小片であっ たが,花蕊座紐の文様をもつ鋳型は,平成9年度調査でも出土しているものと同様のもので,当地 の特徴10)をしめすものの一つといえる。このほか, 土壙7からは坩堝に転用した土師器皿がまとまっ て出土した。これらは,共伴する遺物の様相から室町時代中期のものと考えられ,調査区で確認さ れる鋳造関連遺物としては,最終段階のものである。こうしたことから,断続的に当地で鋳造生産 (㎝) 土 壙 7 土 壙 8 土 壙 9 土 壙 10 柱 穴 1 土 壙 13 土 壙 14 土 壙 17 井 戸 16 井 戸 19 井 戸 21 土 壙 22 井 戸 25 土 壙 24 土 壙 25 土 壙 26 井 戸 26 井 戸 27 土 壙 30 井 戸 32 井 戸 35 井 戸 31 土 壙 32 井 戸 34 6.0 8.0 10.0 12.0 14.0 16.0 (室町時代∼南北朝時代) (鎌倉時代) 第 31 図 土師器皿法量分布図(平安時代後期∼室町時代) − 44 − (平安時代後期) 井 戸 36 第Ⅳ章 まとめ がおこなわれていたと考えられる。また,少数ではあるが一つの遺構内から異なる種類の鋳型が出 土する例があり,調査区において異なる製品が同時期に生産されていた可能性も考えられる。 謝辞 本書の作成にあたり発掘調査から報告書作成まで実に多くの方々の御協力,御指導を賜りま した。厳寒の中での作業にもかかわらず,調査のため御協力いただいた作業員,補助員の方々には 誠に頭の下がる思いです。 とくに以下の方々と関係機関から数多くの有益な御教示・御指摘を賜りました。末筆ながらあら ためて記して御礼申し上げます。 堀内明博,関口力,久保智康,馬瀬智光,堀大輔,宇野隆志,京都市文化財保護課,京都府教育庁 指導部文化財保護課 註 1)鈴木廣司「平安京左京八条二坊2」『平成9年 8)なお,当地の一町北側の左京八条二坊十六町 度 京都市埋蔵文化財調査概要』 (財)京都市 において詳細は不明であるが平安時代の池状 埋蔵文化財研究所,1999 年 の落ち込みや石敷きが確認されている。時期の 2)下条信行,川西宏幸『平安京左京八条三坊二 問題はあるが,当地周辺における宅地利用の一 町』 『平安京跡研究調査報告』第6輯 財団法人 古代学協会,1983 年 端をしめす資料といえる。 木下保明「平安京左京八条二坊」『昭和 62 年度 3)左京八条三坊二・三・六・七・十一町におい 京都市埋蔵文化財調査概要』(財)京都市埋蔵 て北東から南西方向の自然流路が確認されて いる。 文化財研究所,1991 年 9)前掲註1)・7)による。 4)山本雅和「平安京左京八条三坊1」『平成8年 10)京都国立博物館久保智康氏は,今回の調査で 度 京都市埋蔵文化財調査概要』(財)京都市 確認された鏡背面真土(17)にみられる鏡鋳型 埋蔵文化財研究所,1998 年 の文様と隣接する平成9年度調査で確認され 1区で確認された平安時代後期の八条坊門小路 たものとの共通点を指摘された。この平成9年 路面と北側溝が平安京条坊の復原案よりも南 度調査の鏡鋳型の分析から,13 世紀後半から へ約 10 mずれている可能性が指摘されている。 14 世紀前半まで一貫して一重界圏で花蕊座紐 5)堀内明博・百瀬正恒・吉村正親「左京八条二坊」 の鏡ばかり生産されるが,左京八条三坊六町の 『平安京跡発掘調査概報』昭和 57 年度 京都市 調査で確認されている同時代の擬漢式鏡では, 文化観光局,1983 年 14 世紀の早い段階では亀形紐,少し遅れて花 6)池底で流路の堆積層である礫が露出している 蕊座紐の鏡が生産される。同時代でありながら 部分が認められることから,この層からの湧水 も,異なる工房では,その文様のモチーフも異 も利用して水の供給がおこなわれていた可能 なる可能性がある。 性も考えられる。京都造形芸術大学仲教授の御 教示による。 7)網伸也「平安京左京八条二坊十五町跡」『京 都市埋蔵文化財研究所発掘調査概報 2003-17』 (財)京都市埋蔵文化財研究所,2004 年 − 45 − 付章 3次元レーザー測量による遺構測量の検討 付章 3次元レーザー測量による遺構測量の検討 はじめに 発掘調査では,確認される遺構は立体的であるが,形状を手測りや写真測量により,2次元の図 面に記録保存する。2次元の情報では,遺構の状態を視覚的にわかりやすく伝えることは非常に困 難であり,その形状を把握するために3次元計測は有用な手段であるといえる。今回の調査では, 従来の写真測量に加え,近年進歩の著しい測量機器のなかでも3次元レーザー測量器を使用し,遺 構の測量をおこなった。使用した機器は従来の3次元情報に加え,色情報が取得可能であることが 特徴の一つであり,本章では,その精度や遺構の再現性などについて検討を加えるものである。 (1) 使用機器の概要 使用した3次元レーザー計測システムは Leica Geosystems 社の HDS3000 である。同システムの 構成は大まかにスキャナヘッド(本体) ,そのインターフェースとなるパソコン(付属のソフトウェ ア 「Cyclone」 を使用) ,取得データを統合する際に指標となるターゲットからなる。スキャナヘッド の仕様は第5表のとおりである。 HDS3000 のスキャナヘッドが採用するタイムオブフライト方式とは,照射したレーザー光線が 計測対象物に当たり,その反射光が戻ってくるまでの時間を測定して距離を算出するものである。 スキャナヘッドの精度については,レーザー単発での距離精度が,本体より 50 m地点において 4㎜, 座標精度が同じく50m地点で6㎜である。こうしたレーザーを1.2㎜間隔以上で照射できる (ス キャニングピッチ) 。レーザー照射範囲は水平方向に 360 °,鉛直方向に 270 °である (第 32 図) 。 概要 測定原理 タイムオブフライト法 ユーザーインターフェース ノートパソコン スキャナー駆動 サーボモーター レーザータイプ 半導体レーザー,波長 532nm(緑) レーザークラス Class 3R(IEC 60825-1) 光学ビューワー 内蔵 CCD ビデオカメラ(静止画) 内蔵カメラ解像度 100 万画素/ショット 最大 111 ショット 360° 270° 単発測定精度 距離精度 4㎜(@ 50 m) 座標精度 6㎜(@ 50 m) ターゲット測定精度 2㎜(標準偏差) モデリング精度 2㎜ 角度精度(鉛直) 60 μ rad(12 秒) 角度精度(水平) 60 μ rad(12 秒) スキャン分解能 測定距離 300 m(@反射率 90%) ,134 m(@反射率 18%) スキャニングスピード 約 1,800 点/秒 スポット径 0-50 m:4 ㎜(FWHM) ,6 ㎜(1/e2) 計測密度 1.2 ㎜以上で設定可能(水平・鉛直とも) 視野(スキャニング範囲) 水平方向 360°,鉛直方向 270° スキャニングレート 約 1,800 点/秒 第5表 HDS3000 仕様概要表 第 32 図 スキャナヘッドのレーザー照射範囲 − 46 − 付章 3次元レーザー測量による遺構測量の検討 (2) 発掘現場での測量作業 測量にあたっては,2∼3人の人員で,以下の手順で行った。実際の作業としては,機材の設置, 計測を数回繰り返すことで, 全体の測量をおこなう。今回の調査では,写真測量後に3次元レーザー 測量をおこなったため,非常に限られた時間のなかでの計測であったことを記しておく。 ①対象遺構面の確認 スキャナヘッドの設置場所,計測回数を決定。 ターゲットの測量に必要な基準点の確認。 ⑤3次元計測終了後,ターゲットの測量 ②ターゲットの設置 スキャナヘッドから視準できる場所に設置する。 ④次の計測地点に移動 ③スキャナヘッドの設置・計測 計測範囲やスキャニングピッチ(走査密度)など を決定する。 スキャナヘッドの配置と配置順序は第 33 図にしめす。 1回の計測の所要時間は 40 分から1時間半となった。所要時間の差は照射するレーザーの密度 の差によるものである。 (3) 取得データ 各測量でえられたデータの詳細を第6表と第 34 図にしめす。 1 1 回目 2 回目 3 回目 1 1 3 2 2 2 第 33 図 計測地点配置図( はターゲットをしめす) 1 回目 2 回目 第 34 図 取得点群データ − 47 − 3 回目 付章 3次元レーザー測量による遺構測量の検討 第6表 計測数値 今回の測量では,非常に限られ 測 量 遺構面 面 積* 1回目 3 月 15 日 南調査区 1面目 213.977 ㎡ 2回 5,133,325 ポイント 361,379KB 2回目 5 月 22 日 北調査区 2面目 202.3087 ㎡ 2回 2,341,069 ポイント 155,710KB 3回目 5 月 25 日 北調査区 3面目 183,7448 ㎡ 3回 6,142,059 ポイント 439,115KB た時間内での計測であったため, 計測回数が少なく,データを取得 できない箇所も認められた。計測 したデータ量の多少は計測地点 測量日 の数のほか,計測回数,計測密度 計測 回数 測 点 データ量** * 遺構面の表面積ではなく,第 34 図にしめす平面積 データ量は各計測データを統合した後,dxf 2)データに書き出したもの ** の違いによるものである。計測密 度について,石が多い状態や平坦面が多い遺構などその状況に応じて変更することで,より作業効 率と精密性のバランスのとれたデータが取得できる 1)。 遺構の深い部分で計測できていないのは,レーザーが届かなかった部分である (第 35 図) 。井戸 や土壙など,高低差が激しい遺構の場合,近接する高い部分にレーザーが阻まれ,底部まで届かな いことがある。こうした計測もれは計測回数やスキャナヘッドの設置場所を,現地の状況に応じて 検討することで解消できる問題である。 また,取得した遺構面に色のむらが認められるものは,計測時に測点の色情報を取得しており, 遺構面の土色や影のためである。色情報はスキャナヘッドに内蔵されるカメラで撮影したものであ る。そのため,3次元レーザー計測には直接関わらないが,計測時に天候や影の差し具合を考慮す ることで鮮明な色情報がえられる。また,レーザーという特性から,3次元情報のみを取得する場 合,夜間にも計測が可能である。そして,別途写真撮影をおこないその画像を点群データにテクス チャーマッピングすることも可能である。 (4) 図化作業 えられた3次元データから2次元の平面図を作成するには,Cyclone,あるいは CAD ソフトウェ ア上でトレースをおこなう。こうした作業は,写真測量でも同様なものであるが3次元データの確 認のしやすさに加え,測点に色情報があるため,モニター上での視認性は非常に優れていた (巻頭 図版二 2) 。切り合いの少ない遺構は写真をトレースしている感覚である。参照する写真が不鮮明 な部分は曖昧にならざるをえない写真測量による図化に比べ,3次元データと色情報を検討するこ 第 35 図 点群データ(拡大) 第 36 図 TIN メッシュを貼り付けた遺構面 − 48 − 付章 3次元レーザー測量による遺構測量の検討 とで,より正確な図化が可能である。これは、本調査で検出した園池の石敷きなどの細かい部分を 図化する際に明確な違いがあった。 (第 36 図) ,横断図や標高の確認を また,取得した3次元データは TIN メッシュ 3)を張ることで 容易におこなうことが可能である。こうした作業は,今回の調査で検出された園池の深度と汀の検 討にも有用であった。 おわりに 今回の3次元レーザーによる測量の検討は,計測回数・スキャナヘッドの設置場所の設定など, 作業の経験的な問題点がみられたものの,えられた結果は良好で,3次元データと色情報の組み合 わせによる,再現性・確認性の良さは図化作業をおこなう上で大変有用であった。 発掘調査における3次元情報の活用する利点は,現地で計測後すぐに計測データを確認できるた め,遺構の考察をおこなうに際し,掘削土量や想定される水量などを簡単に計測できるという点に ある。また,こうした特徴から古墳など地上にある遺構の測量においても,取得されたデジタル情 報を,GIS(地理情報システム)に取り込むといったことや遺跡の復原モデル作成など,その利用方 法は広範なものといえる。 今回は写真測量との比較(第 37 図)のため,3次元データを利用して2次元の図化をおこなうと いう,既存手法の代替としての利用が主だったが,遺跡の保存性・再現性という点では,3次元情 報そのものが従来の2次元の図面や写真よりも優れている側面もある。 問題点としてあがったレーザーの届かない地点への対応などは,計測事例を増やしていくことで, 特性を把握し対象物の特徴に応じた計測が可能であると考える。 今回の検討によって3次元レーザー測量は,写真による測量に加え対象物の状況によっては一つ の測量方法としてその精度,再現性について非常に有効であるといえる。 註 1)平坦面が多い部分については,粗く(ピッチを 広く)することでデータ量を軽減し,計測時間の 短縮化をはかることができる。 2)Autodesk 社が策定したファイル形式。内部の 仕様が公開されており,CAD においてはもっと も標準的である。 3)近接する測点を三角形に結び,その面の集合と して対象を表現する3次元データのひとつ。三角 網ともいう。 第 37 図 3次元点群データと写真測量データ − 49 − 付 表 (付表) 遺物観察表 遺物 遺構 番号 番号 種別 1 井戸 土師器 10 2 土壙 土師器 1 3 土壙 土師器 1 4 土壙 土師器 1 5 土壙 土師器 1 6 7 8 土壙 土師器 2 土壙 土師器 2 土壙 土師器 2 9 土壙 2 施釉 陶器 10 土壙 2 施釉 陶器 11 井戸 土師器 12 12 井戸 土師器 12 13 井戸 土師器 13 14 井戸 土師器 13 15 土壙 3 輸入 磁器 16 包含 層 施釉 陶器 土壙 土師器 8 土壙 18 土師器 8 17 19 土壙 土師器 14 20 土壙 土師器 14 21 土壙 土師器 17 22 土壙 土師器 17 23 土壙 土師器 17 24 土壙 土師器 17 器形 口径 器高 形態・特徴 胎土・色調 焼成 備考 内面の底部から口縁部の境に,圏線状の沈線を 良 良 内面に墨書梵字あり。 もつ。口縁部は外反し,口縁端部はつまみ上げ 7.5YR7/4 にぶい橙色 る。 良 6.6 底部から口縁部へ丸みをもって立ち上がる。外 表面:10YR8/4 浅黄橙色 良 皿 1.4 面はオサエ,内面はナデ調整。 断面:7.5YR7/4 にぶい橙色 良 9.0 口縁部は直線的で,口縁端部は肥厚し先端は尖 皿 10YR8/2 灰白色∼ 10YR8/4 良 (1.7) り気味におさまる。 浅黄橙色 良 9.0 底部から口縁部へ丸みをもって立ち上がる。口 皿 10YR7/3 にぶい黄橙色, 良 2.3 縁部は肥厚する。 2.5Y8/2 灰白色 丸みのある体部で,外方に屈曲して口縁部とな 良 26.6 良 外面全体に煤吸着。 る。口縁部は直線的で,口縁端部は外傾する面 焙烙 10YR8/3 浅黄橙色 (5.45) をもつ。 良 9.0 良 底部から口縁部へ丸みをもって立ち上がる。 皿 10YR7/2 にぶい黄橙色 2.25 9.0 良 口縁端部全体に煤吸 皿 底部から口縁部へ丸みをもって立ち上がる。 良 1.9 10YR8/3 浅黄橙色 着。 9.8 良 皿 口縁部は直線的に開き,上部で外反する。 良 1.9 7.5YR8/4 浅黄橙色 良 内面:5YR5/4 にぶい赤褐色 底部内面にトチン跡あ 9.0 低い削り出し輪高台。体部がほぼ垂直に屈曲し, 皿 外面:7.5YR7/4 にぶい橙色 良好 り。唐津産。 3.2 口縁部はやや外反する。 断面:2.5Y7/1 灰白色 釉:7.5Y5/2 灰オリーブ色 良 外面:10YR7/4 にぶい黄橙 9.0 削り出し輪高台。体部はやや丸みをもち,上方 色 良好 唐津産。 皿 内面:5YR6/6 橙色 3.65 へ屈曲して口縁部となる。 断面:2.5Y8/2 灰白色 釉:5Y6/2 灰オリーブ色 底部中央付近が内側へやや反り返る。底部から 6.0 口縁部へ丸みをもって立ち上がる。口縁端部は 良 皿 良 1.1 ややつまみ上げる。外面はオサエ,内面は一定 10YR8/4 浅黄橙色 方向のナデ調整。 10.2 内面の底部から口縁部の境に圏線状の沈線をも 良 良 皿 2.2 つ。口縁部は直線的に開く。 7.5YR7/4 にぶい橙色 底部中央付近が内側へ反り返る。底部から口縁 良 7.6 良 部へ丸みをもって立ち上がる。外面はオサエ, 皿 10YR7/3 にぶい黄橙色 1.4 内面は一定方向のナデ調整。 10.1 内面の底部から口縁部の境が圏線状に窪む。口 良 良 皿 2.1 縁部は直線的に開き,上部が肥厚する。 10YR7/4 にぶい黄橙色 精良 底部外面に墨書あり。 高台 底径 7.2 白磁。外傾する面をもつ方形輪高台。底部内面 表面:5Y8/2 灰白色 良好 壷の可能性がある。 部 (2.6) 全体と高台外面に部分的に施釉。 断面:N8/0 灰白色 釉:10Y8/1 灰白色 口縁部は内湾して立ち上がり,口縁端部は内外 良 おろ 13.8 両側に突出しやや窪む面をもつ。底部に糸切り 表面:10YR7/3 にぶい黄橙 良好 瀬戸産。 し皿 3.75 痕を残す。見込みに斜格子状の筋目を刻む。口 色 縁部の両面にまだらに施釉。 断面:10YR8/2 灰白色 9.8 口縁部外面下半に強いオサエを施し,器壁が内 良 皿 良 1.9 側へ窪む。口縁端部はわずかにつまみ上げる。 5YR6/6 橙色 11.8 口縁部は直線的に立ち上がる。口縁端部でやや 良 皿 良 (2.7) 肥厚する。 10YR8/2 灰白色 良 7.3 底部中心付近が内側へ反り返る。短い口縁部は 表面:10YR6/2 灰黄褐色 良 皿 1.6 外反する。 断面:10YR7/2 にぶい黄橙 色 やや精良 11.8 器壁が薄く,椀状。底部は平坦で,口縁部がわ 表面:2.5Y8/1 灰白色 良 皿 2.7 ずかに内湾して立ち上がる。 断面:10YR7/2 にぶい黄橙 色 8.1 口縁部はやや外反して開き,端部は肥厚する。 良 良 皿 1.7 内面底部隅に強いヨコナデを施す。 10YR7/4 にぶい黄橙色 良 内面:10YR6/4 にぶい黄橙 11.2 口縁部は直線的に立ち上がり,上半部が肥厚す 色 良 皿 2.0 る。口縁端部内面に1条の沈線あり。 外面:10YR5/3 にぶい黄褐 色 断面:2.5Y4/1 黄灰色 10.9 底部から口縁部は丸みをもって立ち上がる。口 良 良 皿 3.1 縁端部は上方につまみ上げる。 10YR8/2 灰白色 底部から口縁部はやや丸みをもって立ち上がる。 11.3 精良 皿 良 口縁部上部でわずかに外反し,端部は上方につ 3.2 2.5Y8/1 ∼ 8/2 灰白色 まみ上げる。 皿 9.6 1.8 〔凡例〕法量の単位は㎝,( )は現存の計測値をしめす。 (1) (付表) 遺物 遺構 番号 番号 種別 25 土壙 18 瓦器 26 土壙 18 瓦器 27 土壙 土師器 7 土壙 土師器 7 土壙 29 土師器 7 28 30 土壙 土師器 7 31 土壙 土師質 7 土器 32 土壙 土師器 9 33 土壙 土師器 9 34 土壙 土師器 9 35 土壙 土師器 9 36 土壙 土師器 9 37 土壙 土師器 9 土壙 土師器 9 土壙 土師器 39 9 土壙 土師器 40 9 38 41 土壙 9 瓦器 42 土壙 9 瓦器 43 土壙 焼締め 10 陶器 土壙 土師器 10 土壙 観察 土師器 10 観察 観察 土壙 土師器 10 162 土壙 土師質 10 土器 163 土壙 土師質 10 土器 44 柱穴 土師器 1 45 柱穴 土師器 1 46 井戸 土師器 16 器形 口径 器高 形態・特徴 胎土・色調 焼成 備考 やや精良 8.7 平坦な底部で口縁部は外反して立ち上がる。底 表面:N4/0 灰色 良好 (1.7) 部内面にわずかにミガキが残る。 断面:N8/0 灰白色 精良 口縁部から体部の外面 19.7 体部は直線的で口縁部は「L」字形を呈す。口縁 表面:N4/0 灰色 良好 鍋 に煤吸着。 (2.8) 端部は水平な面をもち,外側にやや突出する。 断面:2.5Y8/1 灰白色 良 被熱により赤色化する 口縁部外面下半にオサエの跡が残り,内面底部 表面:10YR6/4 にぶい黄橙 7.4 良 部分と煤が吸着する部 皿 隅にやや強いヨコナデを施す。底部中心付近が 色 1.5 分がある。 内側へ反る。 断面:N2/0 黒色 9.3 口縁部外面下半に強いオサエを施し,器壁が内 良 皿 良 2.2 側へ窪む。 10YR7/3 にぶい黄橙色 11.2 口縁部外面下半に強いオサエを施し,器壁が内 良 皿 良 2.6 側へ窪む。 7.5YR7/4 にぶい橙色 良 16.4 器壁が薄く底部はわずかに丸みをもつ。口縁部 表面:10YR8/3 浅黄橙色 良好 皿 3.7 は外反気味に開き,口縁端部はより外傾する。 断面:10YR7/2 にぶい黄橙 色 精良 丸底 9.4 砲弾型で,口縁部先端にわずかに外傾する面を 表面:7.5YR6/6 橙色 良好 内外両面に煤吸着。 小鉢 7.7 もつ。外面に不定方向のハケ調整。内面は平滑。 断面:5Y6/1 灰色 良 6.6 へそ皿。底部の窪みはあまり深くなく,口縁部 底部外面の窪み内に爪 皿 表面:10YR8/2 灰白色 良 1.7 は直線的に開く。 痕が残る。 断面:10YR8/3 浅黄橙色 良 底部外面の窪み内に爪 6.8 へそ皿。底部の窪みが小さい。口縁部は直線的 表面:10YR8/3 浅黄橙色 良 皿 痕が残る。 1.9 に開き,端部をつまみ上げる。 断面:10YR8/1 灰白色 良 7.3 内面底部隅に強いヨコナデを施し,口縁部外面 皿 表面:10YR8/4 浅黄橙色 良 1.4 下半にオサエの跡が残る。 断面:5Y6/2 灰オリーブ色 8.0 内面底部隅に強いヨコナデを施し,口縁部外面 良 良 皿 1.8 下半にオサエの跡が残る。 10YR7/3 にぶい黄橙色 良 8.9 内面底部隅に強いヨコナデを施し,口縁部外面 表面:10YR7/4 にぶい黄橙 良 皿 1.9 下半にオサエの跡が残る。 色 良 9.1 内面底部隅に強いヨコナデを施し,口縁部外面 内面:10YR6/4 にぶい黄橙 良 皿 1.6 下半にオサエの跡が残る。 色 外面:10YR8/3 浅黄橙色 9.7 内面底部隅に強いヨコナデを施し,口縁部外面 良 良 皿 2.0 下半にオサエの跡が残る。 7.5YR6/4 にぶい橙色 12.6 口縁部の内面全体にヨコナデを施し,底部から 良 良 皿 3.0 口縁部にかけて , 少し丸みをもって立ち上がる。10YR8/2 灰白色 15.4 口縁部は直線的に開き,端部がやや外反し先端 やや精良 良 皿 (3.5) をつまみ上げる。 10YR8/2 灰白色 丸底の底部と体部との境に稜をもち,斜め上方 良 体部外面は被熱して煤 に立ち上がり,頸部が外折し口縁部となす。口 33.3 外面:10YR4/2 灰黄褐色 鍋 良 が吸着。底部外面は炭 縁部先端に外傾する面をもち,面の内側がつま 内面:2.5Y7/1 灰白色 (12.8) が剥落。 み上げられ突出する。頸部の外折部の内側もや 断面:N2/0 黒色 や突出する。 丸底の底部と体部との境に稜をもち,斜め上方 良 体部外面は被熱して煤 に立ち上がり,頸部が外折し口縁部となす。口 外面:10YR4/2 灰黄褐色 35.5 良 が吸着。底部外面は炭 縁部先端に外傾する面をもち,面の内側がつま 鍋 内面:2.5Y6/1 黄灰色 (13.4) が剥落。 み上げられ突出する。頸部の外折部の内側も突 断面:2.5Y5/1 黄灰色 出する。 精良 信楽産。焼成により胎 底径 平坦な底部で,体部は下部でやや外反し直線的 表面:7.5YR6/4 にぶい橙色 良好 土内の石英がガラス質 鉢 17.5 に開く。 断面:2.5Y7/1 灰白色 化する。 (4.9) 9.5 内面底部隅に強いヨコナデを施し,口縁部外面 良 良 皿 10YR8/3 浅黄橙色 1.75 下半にオサエの跡が残る。 11.5 口縁部外面下半が強いオサエとヨコナデにより 良 皿 良 (2.4) 窪む。口縁部先端はやや尖る。 7.5YR7/4 にぶい橙色 良 口縁 口縁部はやや外反して開き,先端は少しつまみ 10YR8/2 灰白色∼ 良 皿 部片 上げる。 10YR8/3 浅黄橙色 精良 丸底 10.4 口縁部先端にわずかに外傾する面をもつ。外面 表面:7.5YR7/6 橙色 良好 小鉢 (5.4) の一部にハケ調整。内面は平滑。 断面:2.5Y5/1 黄灰色 精良 外面と口縁部内面に煤 丸底 10.5 砲弾型で,口縁部先端にわずかに外傾する面を 表面:7.5YR7/4 にぶい橙色 良好 吸着。 小鉢 (7.1) もつ。外面の一部にハケ調整。内面は平滑。 断面:10YR6/2 灰黄褐色 良 口縁端部の広範囲に煤 10.0 内面底部隅に強いヨコナデを施し,口縁部外面 10YR8/2 灰白色∼ 10YR8/4 良 皿 吸着。 2.3 下半にオサエの跡が残る。 浅黄橙色 口縁端部の広範囲に煤 10.6 内面底部隅に強いヨコナデを施し,口縁部外面 良 良 皿 吸着。 2.5 下半にオサエの跡が残る。 10YR8/3 浅黄橙色 内面底部隅に強いヨコナデを施し,口縁部外面 良 7.8 良 底部付近外面に煤吸着。 下半にオサエの跡が残る。底部中心付近が内側 皿 10YR8/3 浅黄橙色 1.8 へ反り返る。 皿 (2) (付表) 遺物 遺構 番号 番号 種別 器形 口径 器高 47 井戸 土師器 16 皿 8.4 1.4 48 井戸 土師器 16 皿 9.2 1.85 49 井戸 土師器 16 皿 9.8 2.4 50 井戸 土師器 16 皿 12.2 3.0 51 井戸 16 土壙 13 土壙 13 土壙 13 土壙 13 土壙 13 ミニチュア 円面 施釉 三脚 盤 陶器 3.8 1.4 6.5 1.8 11.4 2.9 7.3 1.5 11.5 2.0 11.9 2.9 土師器 皿 土師器 皿 土師器 皿 土師器 皿 土師器 皿 54 土壙 焼締め 16 陶器 甕 口径 47.0 底径 21.0 55 井戸 土師器 17 皿 口縁部 片 56 井戸 焼締め 17 陶器 甕 口縁部 片 57 井戸 焼締め 17 陶器 甕 体部片 甕 体部片 52 53 観察 観察 観察 井戸 焼締め 17 陶器 井戸 土師器 59 19 井戸 土師器 60 19 58 皿 皿 8.6 1.6 9.0 1.7 61 井戸 19 瓦器 釜 16.6 (4.2) 62 井戸 19 瓦器 鍋 26.1 (8.5) 63 井戸 19 輸入 磁器 64 井戸 須恵器 19 鉢 28.6 (6.2) 65 土壙 土師器 21 皿 7.9 1.6 66 土壙 土師器 21 皿 11.5 (2.5) 67 土壙 21 釜 21.0 (7.7) 瓦器 土壙 土師器 22 土壙 土師器 69 22 68 70 土壙 土師器 22 10.4 四耳 (5.8) 壷 皿 皿 皿 9.0 1.85 9.3 1.6 12.3 (2.7) 形態・特徴 胎土・色調 内面底部隅に強いヨコナデを施し,口縁部外面 良 下半にオサエの跡が残る。口縁部ひずみあり。 10YR7/3 にぶい黄橙色 内面底部隅に強いヨコナデを施し,口縁部外面 良 下半にオサエの跡が残る。 10YR8/3 浅黄橙色 良 口縁部外面下半にオサエの跡が残る。 表面:7.5YR7/6 橙色 断面:5YR6/6 橙色 底部から口縁部にかけてゆるやかに立ち上がり,精良 口縁端部は内湾気味。器壁が薄い。 10YR8/2 灰白色 短い口縁部が直線的に立ち上がる。底部外面に 精良 糸切り痕が残る。脚部は粘土塊をつぶして貼り 10YR7/4 にぶい黄橙色 付ける。 へそ皿。底部の窪みは浅く,口縁端部はわずか に外反し,肥厚する。 器壁が薄く,底部から口縁部にかけて丸みをも って立ち上がる。 焼成 備考 口縁部内面の一部に煤 良 吸着。口縁部の一部被 熱により赤色化。 良 良 良 口縁端部がやや赤色化。 良好 やや精良 良好 2.5Y8/1 灰白色 良 良 2.5Y8/2 ∼ 8/1 灰白色 良 良 底部から口縁部にかけゆるやかに立ち上がる。 2.5Y8/1 ∼ 8/2 灰白色 口縁部下半に張りをもち,外面にオサエの跡が 良 良 残る。器高がやや低い。 7.5YR7/4 にぶい橙色 口縁端部外面に擦痕あ 良 良好 器壁が薄く椀状。 り。 2.5Y8/1 ∼ 8/2 灰白色 良 外面:7.5YR4/2 灰褐色 口縁部は外反し,幅広い縁帯をもつ。平底で体 良好 常滑産。 内面:5YR3/1 黒褐色 部は直線的に立ち上がる。 断面:10YR5/1 褐灰色∼ 7.5YR6/3 にぶい褐色 精良 ― 表面:2.5Y8/1 灰白色 良好 口縁部外面に墨書あり。 断面:5Y5/1 灰色 粗 表面:7.5YR4/4 褐色 良好 常滑産。 口縁部は外反し,幅広い縁帯をもつ。 断面:N4/0 灰色,2.5Y8/1 灰白色 良 外面:5YR5/4 にぶい赤褐色 良好 常滑産。 外面に縦線文に十文字が組み合う押印文を施す。 内面:10YR5/2 灰黄褐色 断面:2.5Y7/1 灰白色 良 良好 常滑産。 外面に縦線文に十文字が組み合う押印文を施す。 7.5YR5/1 褐灰色 短い口縁部が直線的に立ち上がり,口縁端部断 良 やや 面は三角形を呈す。 10YR7/3 にぶい黄橙色 不良 短い口縁部が直線的に立ち上がり,口縁端部断 良 良 面は三角形を呈す。 10YR7/4 にぶい黄橙色 良 口縁部は内傾し,口縁端部に内傾する面をもつ。 表面:N4/0 灰色 良好 鍔は短くほぼ水平に貼り付ける。 断面:2.5Y8/1 灰白色 丸みをもった体部から頸部が断面「L」字状に外 良 良好 折し口縁部となす。口縁部先端にわずかに外傾 2.5Y6/1 黄灰色 する面をもつ。 やや精良 青磁。丸みのある体部でほぼ垂直方向に折れ, 胎土:N8/0 灰色 良好 頸部は中程でわずかに屈曲し,口縁部は大きく 釉:10Y8/1 灰白色∼ 外反する。把手は3条の凸線をもつ。 10Y6/2 オリーブ灰色 良 体部は直線的に開く。口縁端部は外傾する面を 表面:5Y5/1 灰色∼ 良好 2.5Y4/1 黄灰色 なし,外側に突出する。 断面:2.5Y4/1 黄灰色 良 表面:10YR7/4 にぶい黄橙 良 短い口縁部がわずかに外反する。 色 断面:7.5YR7/4 にぶい橙色 口縁部は直線的に立ち上がり,上半部でわずか 良 良 に外反する。口縁端部断面は部分的に三角形を 10YR7/3 にぶい黄橙色 呈す。 やや精良 やや丸みのある体部で,口縁端部は水平な面を 外面鍔部裏側から体部 外面:N4/0 灰色 良好 もち内側に突出する。鍔部はやや上向きに貼り に煤吸着。 内面・断面:2.5Y8/2 灰白 付ける。 色 口縁部が直線的に立ち上がり,口縁端部断面は 良 良 丸みのある三角形を呈す。 7.5YR7/4 にぶい橙色 短い口縁部が直線的に立ち上がり,口縁端部断 良 良 面は丸みのある三角形を呈す。 10YR8/3 浅黄橙色 良 口縁部が直線的に立ち上がり,口縁端部断面は 表面:10YR7/3 にぶい黄橙 良 色 丸みのある三角形を呈す。 断面:10YR7/1 灰白色 (3) (付表) 遺物 遺構 番号 番号 種別 71 土壙 22 瓦器 72 土壙 23 瓦質 土器 73 土壙 土師器 26 74 土壙 26 75 土壙 土師器 28 76 井戸 土師器 26 77 井戸 土師器 26 78 井戸 26 瓦器 79 井戸 26 瓦質 土器 80 井戸 焼締め 26 陶器 81 井戸 土師器 27 82 井戸 土師器 27 83 井戸 ロクロ 27 土師器 84 井戸 27 85 井戸 焼締め 27 陶器 86 井戸 27 瓦器 緑釉 陶器 弥生 土器 井戸 土師器 31 井戸 88 土師器 31 井戸 土師器 89 31 87 観察 炉 1 観察 炉 1 土壙 90 20 土壙 91 20 土壙 92 20 93 土壙 20 94 土壙 20 瓦器 器形 口径 器高 形態・特徴 胎土・色調 良 丸い体部で,口縁端部は内傾する面をなす。鍔 表面:10YR8/2 灰白色, 脚付 17.3 部は短くやや上向きに貼り付ける。体部の中程 N3/0 暗灰色 釜 (13.3) に脚部を貼り付ける。 断面:7.5YR7/4 にぶい橙色 良 36.9 体部は直線的に立ち上がる。口縁部で肥厚し, 表面:2.5Y3/1 黒褐色 火鉢 (8.1) 口縁端部は外傾する面をもち,内側に突出する。断面:10YR6/4 にぶい黄橙 色 良 表面:10YR7/4 にぶい黄橙 8.3 底部中心付近が内側へやや反り返る。短い口縁 皿 色 1.3 部は直線的に立ち上がる。 断面:10YR6/3 にぶい黄橙 色 精良 12.7 口縁部は肥厚し,内湾して立ち上がる。口縁端 椀 表面:5Y3/1 オリーブ黒色 4.1 部内面に1条の沈線あり。 断面:5Y8/1 灰白色 良 壷頸 4.2 頸部は上部がすぼまり,口縁部は外反する。 外面:5YR6/6 橙色 部 (6.4) 内面:7.5YR7/4 にぶい橙色 9.8 良 皿 底部から口縁部はゆるやかに立ち上がる。 1.8 10YR7/3 にぶい黄橙色 良 13.6 平坦な底部から口縁部がやや内湾して立ち上が 表面:10YR7/4 にぶい黄橙 皿 2.9 る。 色 断面:2.5Y6/1 黄灰色 体部は直線的に立ち上がり,外折して断面が「L」良 31.9 鍋 字状に近い口縁部をなす。口縁端部は水平な面 表面:N5/0 灰色 (14.6) をもつ。 断面:2.5Y8/1 灰白色 良 体部はやや外反し,口縁部は直線的に開き端部 40.4 表面:2.5Y4/1 黄灰色 火鉢 に向かって徐々に肥厚する。口縁端部はほぼ水 断面:2.5Y7/2 灰黄色, (8.1) 平な面をもつ。内面に横方向のミガキを施す。 2.5Y5/1 黄灰色 良 外面に縦線文に十文字が組み合う押印文を施 甕 体部片 表面:10YR4/1 褐灰色 す。 断面:10YR5/1 褐灰色 口縁部はやや内湾して立ち上がり,口縁端部断 良 8.9 皿 面は三角形を呈す。ヨコナデとオサエの境には 1.7 10YR6/3 にぶい黄橙色 段が付く。 口縁部は内湾して立ち上がり,口縁端部断面は 9.3 良 丸みのある三角形を呈す。ヨコナデとオサエの 皿 1.8 10YR6/3 にぶい黄橙色 境には段が付く。器壁が厚い。 14.5 平底で口縁部は直線的に立ち上がる。口縁端部 やや粗 杯 3.8 が肥厚する。 10YR8/2 灰白色 器高が低い。中央の削りが浅い蛇の目高台。口 やや精良 底径 6.0 縁部は内湾して立ち上がり,口縁端部はわずか 胎土:N6/0 灰色 椀 3.3 に内側に突出する。見込みに浅い沈線あり。 釉:やや淡い灰緑色 甕 底径 良 平底で体部は直線的に開き,上部ではやや内湾 14.4 2.5Y7/1 灰白色∼ 2.5Y6/1 する。外面に格子状の叩きを施す。 (13.6) 黄灰色 平底で体部は直線的に立ち上がる。内外両面ハ 底径 4.3 ケ調整。底部中央に外側から径7㎜の穿孔を施 (2.6) す。 9.3 口縁部が直線的に立ち上がり,口縁端部断面は 皿 1.5 三角形を呈す。 14.2 皿 平坦な底部で口縁部は直線的に立ち上がる。 2.5 14.8 二段ナデ。平坦な底部で口縁部は直線的に立ち 皿 2.5 上がり,口縁端部はやや直立気味。 甕 鍋 口縁部 体部はやや直線的で口縁部断面が「L」字状を呈 片 す。口縁端部はほぼ水平な面をもつ。 土師質 丸底 口縁部 口縁部先端にわずかに外傾する面をもつ。外面 土器 小鉢 片 に不定方向のハケ調整。内面は平滑。 6.7 口縁部はヨコナデによりやや外反し,口縁端部 土師器 皿 1.8 はつまみ上げる。 7.4 口縁部はヨコナデによりやや外反し,口縁端部 土師器 皿 1.9 はつまみ上げる。 7.5 底部中央がやや厚く,口縁部は直線的に開き口 土師器 皿 1.6 縁端部は丸みをもつ。 内外両面に輪積み痕が明瞭に残る。口縁部は直 土師質 7.2 線的に立ち上がる。口縁部上部はヨコナデによ 小鉢 土器 7.6 りやや外反し,口縁端部は断面三角形を呈し, 内側には反りをもつ。 平底で体部はやや内湾して立ち上がる。底部付 底径 焼締め 近にタテ方向のナデ跡が明瞭に残る。体部外面 甕 19.8 陶器 に格子文に斜線文が組み合う押印文を帯状に施 (26.0) す。 (4) 良 7.5YR7/4 にぶい橙色 良 2.5Y7/3 浅黄色 良 7.5YR7/4 にぶい橙色 良 10YR7/4 にぶい黄橙色 良 表面:5Y4/1 ∼ N4/0 灰色 断面:N8/0 灰白色 良 5YR6/6 橙色 良 2.5Y8/2 灰白色 良 10YR7/4 にぶい黄橙色 良 7.5YR6/4 にぶい橙色 良 7.5YR6/4 にぶい橙色 焼成 備考 良好 底部外面に植物の繊維 良好 痕が残る。外面全体に 煤吸着。 内外両面が部分的に燻 良 されて黒褐色化。内面 に煤吸着。 良 やや 外面に部分的に煤吸着。 不良 良 良 口縁部内面に煤吸着。 良好 外面全体に煤吸着。 良好 底部外面に植物の繊維 痕が残る。 良好 常滑産。 良 良 良 ロクロ右回転。 良好 硬陶。見込みにトチン 跡あり。 良好 接合部分で体部上部が 破損し,破損部が口縁 のように残る。内面全 体に自然釉がかかる。 良 良 良 良 良 口縁部から体部の外面 に煤吸着。 良好 良 口縁部の一部が被熱に より赤色化。 良 底部に擦痕あり。 良 良 やや精良 5Y6/1 灰色∼ 2.5Y5/1 黄灰 良好 常滑産。 色 (付表) 遺物 遺構 番号 番号 口径 器高 種別 器形 土師器 皿 土師器 皿 土師器 皿 土師器 皿 土師器 皿 土師器 皿 土師器 皿 102 井戸 土師器 25 皿 103 井戸 土師器 25 皿 12.7 二段ナデ。口縁部は外反し,口縁端部断面は三 (2.5) 角形を呈す。 104 井戸 25 瓦器 鍋 丸みをもった体部から頸部が断面「L」字状に外 20.5 折し口縁部となす。口縁部先端にわずかに外傾 (8.9) する面をもつ。 105 井戸 25 瓦器 鍋 丸みをもった体部から頸部が断面「L」字状に外 26.0 折し口縁部となす。口縁部先端に外傾する面を (9.3) もつ。 106 井戸 25 瓦器 釜 21.4 口縁部がわずかに内傾し,端部にやや内傾する (9.2) 面をもつ。鍔は短くやや上向きに貼り付ける。 107 井戸 土師質 小鉢 25 土器 108 土壙 土師器 24 皿 109 土壙 土師器 24 皿 110 土壙 土師器 24 皿 111 土壙 24 112 土壙 土師器 25 皿 113 土壙 土師器 25 皿 114 土壙 土師器 25 皿 115 土壙 25 椀 116 土壙 土師器 30 95 96 97 98 99 100 101 117 118 井戸 25 井戸 25 井戸 25 井戸 25 井戸 25 井戸 25 井戸 25 土壙 30 土壙 30 土壙 30 土壙 30 土壙 30 輸入 磁器 瓦器 土師器 合子 蓋 皿 皿 土師器 皿 土師器 皿 土師器 皿 土師器 皿 122 土壙 土師器 30 皿 123 土壙 30 椀 119 120 121 輸入 磁器 8.1 1.5 8.2 1.4 8.4 1.5 8.4 1.5 8.9 1.6 11.0 3.0 12.0 2.4 12.2 2.2 13.4 11.9 形態・特徴 胎土・色調 短い口縁部が直線的に立ち上がり,口縁端部断 面は三角形を呈す。 短い口縁部が直線的に立ち上がり,口縁端部断 面は三角形を呈す。 短い口縁部が直線的に立ち上がり,口縁端部断 面は三角形を呈す。 短い口縁部が直線的に立ち上がり,口縁端部断 面はやや丸みをもつ三角形を呈す。 短い口縁部が直線的に立ち上がり,口縁端部は やや丸みをもつ。 口縁部は内湾しながらゆるやかに立ち上がり, 椀に近い形状。 口縁部が短く,口縁端部断面は三角形を呈す。 口縁部が短く,口縁端部断面は三角形を呈す。 輪積み痕が明瞭に残る。口縁部上部はヨコナデ により外反。口縁端部は断面三角形を呈し,内 側には反りをもつ。 8.5 1.4 備考 良 良 10YR7/3 にぶい黄橙色 良 良 7.5YR7/6 橙色 良 良 10YR7/4 にぶい黄橙色 良 良 10YR7/3 にぶい黄橙色 良 良 全体が燻されて黒色化。 N3/0 暗灰色,N5/0 灰色 良 良 2.5Y8/2 灰白色 良 良好 内面の一部に煤が吸着。 7.5YR6/4 ∼ 7/4 にぶい橙色 良 10YR7/3 にぶい黄橙色∼ 良 2.5Y7/3 浅黄色 良 良 7.5YR6/4 にぶい橙色 精良 外面:2.5Y5/1 黄灰色 体部外面は被熱して煤 良好 内面:N5/0 灰色 吸着。 断面:2.5Y8/1 灰白色 良 表面:2.5Y5/1 黄灰色∼ 体部外面は被熱して煤 良好 N5/0 灰色 吸着。 断面:2.5Y8/1 灰白色 良 体部外面と鍔の裏側は 表面:N4/0 灰色 良 被熱して煤吸着。 断面:10YR8/1 灰白色 良 表面:10YR7/4 にぶい黄橙 良好 色 断面:2.5Y5/1 黄灰色 良 良 10YR7/3 にぶい黄橙色 平坦な底部から短い口縁部が立ち上がり,口縁 端部断面は三角形を呈す。 平坦な底部から短い口縁部が立ち上がり,口縁 8.5 良 端部断面は三角形を呈す。ヨコナデとオサエの 1.5 10YR7/4 にぶい黄橙色 境に段ができる。 良 13.2 表面:10YR7/3 にぶい黄橙 口縁部が短く,口縁端部断面は三角形を呈す。 2.2 色 断面:5Y5/1 灰色 青白磁。平坦な頂部で縁部は丸みをもって折れ 精良 底径 7.0 る。縁部端部でわずかに肥厚し内傾する面をも 胎土:白色 2.05 つ。頂部外面に草花文を型押しする。縁部の内 釉:7.5GY7/1 明緑灰色 面と端部以外に施釉。 平坦な底部から短い口縁部立ち上がり,口縁端 8.5 良 部断面は三角形を呈す。ヨコナデとオサエの境 1.4 10YR7/3 にぶい黄橙色 に段ができる。 良 8.6 平坦な底部から短い口縁部が立ち上がり,口縁 表面:7.5YR6/4 にぶい橙色 1.6 端部は丸みをもつ。 断面:7.5YR7/3 にぶい橙色 良 12.8 口縁部は直線的に立ち上がり,中程で肥厚する。 表面:10YR8/4 浅黄橙色 2.4 口縁端部断面は三角形を呈す。 断面:10YR8/3 浅黄橙色 底部から口縁部先端にかけて器壁が徐々に厚く 精良 8.0 なり,先端部は丸くおさまる。逆三角形の小さ 表面:N4/0 ∼ 5/0 灰色 2.7 い高台が付く。ヨコナデとオサエで仕上げる。 断面:N8/0 灰白色 良 8.8 口縁部が肥厚し,端部がつまみあげられやや内 表面:10YR8/4 浅黄橙色 1.7 傾する。 断面:2.5Y5/1 黄灰色 9.0 口縁部が肥厚し,端部がつまみあげられやや内 良 1.8 傾する。 10YR7/3 にぶい黄橙色 9.1 口縁部が肥厚し,端部がつまみあげられやや内 良 10YR7/2 にぶい黄橙色 1.7 傾する。 13.5 二段ナデ。底部から口縁部にかけてゆるやかに 良 2.7 立ち上がり口縁端部が肥厚する。 10YR6/3 にぶい黄橙色 14.0 底部から口縁部にかけてゆるやかに立ち上がり 良 2.8 口縁端部が肥厚する。 10YR7/3 にぶい黄橙色 14.3 底部から口縁部にかけてゆるやかに立ち上が 良 2.7 り,口縁端部断面は三角形を呈す。 10YR8/3 浅黄橙色 良 14.6 二段ナデ。底部から口縁部にかけてゆるやかに 表面:10YR7/2 にぶい黄橙 2.7 立ち上がり口縁端部が肥厚する。 色 断面:2.5Y5/1 黄灰色 良 16.2 白磁。口縁部はやや内湾し,先端が外折する。 胎土:N8/0 灰白色 (3.7) 釉:10YR8/1 灰白色 (5) 焼成 良 良 底部の両面と口縁部外 面の一部に煤吸着。 良好 良 良 底部内面の一部が被熱 により赤色化。 やや 不良 良好 良 良 やや 不良 良 良 良 底部外面に擦痕あり。 良 良好 (付表) 遺物 遺構 番号 番号 種別 器形 124 土壙 土師器 32 皿 125 土壙 土師器 32 皿 126 井戸 土師器 32 皿 127 井戸 35 井戸 34 井戸 34 井戸 34 井戸 34 井戸 34 土師器 皿 土師器 皿 土師器 皿 土師器 皿 土師器 皿 土師器 皿 133 井戸 土師器 34 皿 134 井戸 土師器 34 皿 135 井戸 須恵器 34 甕 136 井戸 土師器 36 皿 128 129 130 131 132 井戸 36 井戸 138 36 井戸 139 36 井戸 140 36 137 口径 器高 胎土・色調 良 13.7 二段ナデ。口縁部はヨコナデとオサエの境でわ 表面:10YR7/4 にぶい黄橙 (2.2) ずかに屈曲する。 色 断面:7.5YR5/6 明褐色 良 14.3 二段ナデ。底部は中央がやや肥厚する。口縁部 表面:10YR6/2 灰黄褐色 2.9 は内湾して立ち上がる。 断面:7.5YR6/4 にぶい橙色 良 9.2 平坦な底部から口縁部は内湾して立ち上がる。 表面:7.5YR7/4 にぶい橙色 1.7 口縁部外面下半はヨコナデによりやや窪む。 断面:7.5YR7/1 明褐灰色 9.4 良 平坦な底部から口縁部は内湾して立ち上がる。 1.8 10YR8/2 灰白色 8.0 口縁端部はやや直立気味。底部中心付近が内側 良 1.7 へわずかに反り返る。 10YR8/2 灰白色 9.0 口縁端部断面は三角形を呈す。底部中心付近が 良 1.8 内側へわずかに反り返る。 7.5YR7/4 にぶい橙色 9.4 良 口縁端部はやや直立気味。 1.6 10YR8/3 浅黄橙色 9.7 口縁端部はやや直立気味。底部中心付近が内側 良 1.6 へ反り返る。 10YR7/4 にぶい黄橙色 13.8 口縁部はわずかに内湾しながら立ち上がり,口 良 2.7 縁端部はやや直立気味。 10YR7/3 にぶい黄橙色 二段ナデ。口縁部はわずかに内湾しながら立ち 良 14.0 上がり,口縁端部はやや直立気味で断面は三角 表面:10YR8/3 浅黄橙色 3.0 形を呈す。 断面:7.5YR7/4 にぶい橙色 良 14.2 二段ナデ。口縁部はわずかに内湾しながら立ち 7.5YR7/6 橙色∼ 10YR7/6 3.2 上がり,口縁端部はやや直立気味。 明黄褐色 丸みのある体部で頸部で「く」の字に折れ曲がり,良 22.0 口縁端部は外傾する面をもつ。外面に平行状叩 外面:N5/0 灰色 (10.4) き目。 内面・断面:5Y7/1 灰白色 口縁部が内側へ折れ曲がる平たい皿。口縁部付 良 8.8 近の底部に強いヨコナデを施しており,「て」の 10YR8/2 灰白色∼ 1.1 字状口縁の名残がみられる。 7.5YR7/6 橙色 10.2 口縁部が内側へ折れ曲がる平たい皿。口縁先端 良 1.35 は丸くおさまる。 2.5Y8/2 灰白色 9.4 「て」の字状口縁。器高が低い。口縁端部は厚い 良 1.6 部分と薄い部分がある。 10YR7/3 にぶい黄橙色 9.6 「て」の字状口縁。器高が低い。口縁部は肥厚し,良 1.8 端部は垂直気味につまみ上げる。 7.5YR7/4 にぶい橙色 9.6 「て」の字状口縁。器高が低い。口縁端部は肥厚 良 2.1 し先端は丸くおさまる。 7.5YR8/6 浅黄橙色 良 10.2 「て」の字状口縁。器高が低い。口縁部は肥厚し, 10YR8/2 灰白色∼ 1.75 端部は垂直気味につまみ上げられる。 7.5YR8/4 浅黄橙色 10.7 二段ナデ。器高が低い。口縁端部はわずかに外 良 2.0 反し,先端は丸くおさまる。 7.5YR7/4 にぶい橙色 二段ナデ。底部から口縁部にかけゆるやかに立 14.2 良 ち上がる。口縁端部はやや外反し,先端は丸く 7.5YR7/6 ∼ 6/6 橙色 3.2 おさまる。 土師器 皿 土師器 皿 土師器 皿 土師器 皿 141 井戸 土師器 36 皿 142 井戸 土師器 36 皿 143 井戸 土師器 36 皿 144 井戸 土師器 36 皿 15.2 2.7 145 井戸 土師器 36 皿 15.0 3.4 146 井戸 土師器 36 皿 15.0 3.4 147 井戸 36 椀 15.0 6.5 輸入 磁器 形態・特徴 二段ナデ。やや器高が低い。口縁端部は丸くお 良 さまる。 7.5YR8/2 灰白色 二段ナデ。底部から口縁部にかけてゆるやかに 立ち上がる。口縁端部はやや外反し,先端は丸 くおさまる。口縁のひずみが大きい。 二段ナデ。底部から口縁部にかけゆるやかに立 ち上がる。口縁端部はまっすぐで,先端は丸く おさまる。口縁のひずみが大きい。 白磁。高台から口縁部にかけてやや内湾しなが ら立ち上がる。口縁端部は外反気味で先端は丸 くおさまる。削り出し高台。高台全体と付近の 所々は無釉。見込みに沈線あり。 井戸 36 輸入 磁器 (6) 備考 良 口縁部から底部の外面 の一部に煤吸着。 良 全面が燻されて黒褐色 化。 やや 不良 良 良 良 良 良 良 良 良 不良 良 良 良 良 良 良 底部外面の一部が被熱 により黒褐色化。 良 良 底部に焼成後直径 6 ㎜ 程の穴があけられる。 外面底部から口縁部の 良 一部が被熱により黒褐 色化。 良 7.5YR8/4 浅黄橙色∼ 7.5YR7/4 にぶい橙色 良 良 7.5YR8/4 浅黄橙色 良 精良 胎土:5Y8/1 灰白色 釉:5YR7/2 灰白色 良 精良 高台 底径 5.0 白磁。削り出し高台。内面と高台部外面の所々 胎土:灰白色 部 (2.0) に釉がかかる。 釉:10Y8/1 灰白色 精良 井戸 輸入 高台 底径 6.4 白磁。削り出し高台。内面の釉は薄くかけられ 胎土:ややくすんだ灰白色 149 36 磁器 部 (1.5) る。高台部外面の所々にも釉がかかる。 釉:5Y8/2 灰白色 良 内外両面に輪積み痕が明瞭に残る。平底で口縁 包含 土師質 7.0 表面:10YR6/4 にぶい黄橙 150 小鉢 部は直線的に立ち上がる。口縁端部はつまみ上 層 土器 7.0 色 げる。 断面:7.5YR6/4 にぶい橙色 平坦な底部で体部は丸みをもつ。口縁部は直線 精良 的で内傾し,口縁端部にわずかに外傾する面を 4.0 表面:N7/0 灰白色∼ N4/0 包含 ミニチュア 脚付 もつ。鍔部はほぼ水平に貼り付ける。脚部は体 151 瓦器 釜 (4.6) 灰色 層 部の下部に貼り付ける。口縁部外面にミガキを 断面:N8/0 灰白色 施す。口縁部のひずみが大きい。 10.2 良 170 園池 土師器 皿 二段ナデ。口縁部は内湾して立ち上がる。 2.0 10YR7/3 にぶい黄橙色 148 焼成 良 良 良 良好 良 口縁端部全体と底部の 一部に煤吸着。 (付表) 遺物 遺構 番号 番号 種別 171 園池 土師器 172 園池 土師器 173 園池 土師器 174 園池 土師器 175 園池 土師器 176 園池 土師器 177 園池 土師器 178 園池 土師器 179 園池 黒色 土器 180 園池 黒色 土器 181 園池 緑釉 陶器 182 園池 緑釉 陶器 183 園池 緑釉 陶器 184 園池 緑釉 陶器 185 園池 灰釉 陶器 186 園池 灰釉 陶器 187 園池 灰釉 陶器 188 園池 須恵器 189 園池 須恵器 190 園池 須恵器 191 園池 須恵器 192 園池 須恵器 193 園池 須恵器 194 園池 須恵器 器形 口径 器高 形態・特徴 胎土・色調 焼成 備考 良 11.0 「て」の字状口縁。器高が低く円盤状に近い。器 表面:10YR7/3 にぶい黄橙 底部内面の一部に煤吸 良 0.7 壁が薄い。 色 着。 断面:7.5YR7/4 にぶい橙色 良 内面全体に砥の粉が付 11.4 「て」の字状口縁。器高が低く,器壁が薄い。口 皿 表面:7.5YR7/4 にぶい橙色 良 着し,ハケの跡がみら 1.5 縁端部はつまみ上げる。 断面:10YR8/2 灰白色 れる。 14.3 底部から口縁部へゆるやかに立ち上がり,口縁 良 皿 良 2.8 部で外反し口縁端部はつまみ上げる。 10YR7/3 にぶい黄橙色 良 15.0 「て」の字状口縁。底部から口縁部への立ち上が やや 皿 表面:10YR8/2 灰白色 (2.8) りはゆるやかで,口縁端部は上方へ突出する。 不良 断面:5YR7/6 橙色 良 16.4 平坦な底部から口縁部はわずかに内湾して立ち 内面:7.5YR7/4 にぶい橙色 底部外面に十字のヘラ 皿 良 2.6 上がる。 記号あり。 外面・断面:10YR8/3 浅黄 橙色 良 外面:10YR6/2 灰黄褐色 皿底 外面に墨書文字「越」 ― ― 内面:10YR7/3 にぶい黄橙 良 部 あり。 色 断面:7.5YR6/4 にぶい橙色 底径 やや外傾する方形の高台が付く。口縁部は内湾 良 良 皿 20.8 して立ち上がる。外面はミガキ調整。 10YR8/2 灰白色 (3.0) 良 体部は直線的で口縁端部は外傾する窪んだ面を 21.6 表面:10YR7/4 にぶい黄橙 外面鍔部裏側から体部 釜 もつ。鍔部はほぼ水平に貼り付けられ,端面は 良好 (6.9) 色 にかけて煤吸着。 窪みをもち上方に突出する。 断面:10YR8/3 浅黄橙色 13.3 口縁部はやや内湾して立ち上がる。口縁端部内 精良 椀 良好 B 類。 (3.8) 面に1条の沈線あり。内外両面ミガキ調整。 N3/0 暗灰色 底部から口縁部へ丸みをもって立ち上がる。口 良 13.2 縁部上部で肥厚し,口縁端部はつまみ上げる。 表面:7.5YR7/4 にぶい橙色, 良好 A 類。 椀 (5.0) 底部に高台の貼り付け跡が残る。内面はミガキ 5Y2/1 黒色 調整。 断面:10YR8/3 浅黄橙色 外反するやや高い輪高台が付く。口縁部の立ち やや精良 硬陶。底部外面にトチ 底径 4.8 椀 上がりは丸みをもち,口縁部は直線的に開き端 胎土:5Y6/1 灰色 良 ン跡あり。口縁部内面 4.3 部でわずかに外反する。全面施釉。 釉:7.5Y6/3 オリーブ黄色 に重ね焼き跡あり。 精良 やや高い逆三角形の貼り付け輪高台。口縁部は 表面:10YR8/4 浅黄橙色 軟陶。見込みにトチン 底径 6.8 内湾し,口縁端部は外反する。見込みに1条の 椀 断面:10YR7/3 にぶい黄橙 良 跡あり。口縁端部外面 5.4 沈線あり。底部に糸切り痕が残る。高台内以外 色 と破断面に煤吸着。 施釉。高台内面にも部分的に釉がかかる。 釉:濃緑色 軟陶。見込みにトチン 良 底径 7.0 有段輪高台が付く。見込みに1条の沈線あり。 跡あり。底部外面に線 椀 胎土:2.5Y8/2 灰白色 良好 (1.8) 高台内以外施釉。 刻あり。焼成時に高台 釉:暗緑色 の一部がはがれる。 良 底径 5.5 椀 円盤状高台。口縁部は内湾する。全面施釉。 胎土:N6/0 灰色 良好 硬陶。 (2.1) 釉:10Y6/2 オリーブ灰色 精良 底径 頂部がやや盛り上がり,縁部は垂直に折れる。 蓋 11.1 胎土:2.5Y7/1 灰白色 良好 頂部全体に施釉。 2.7 釉:7.5Y6/2 灰オリーブ色 精良 やや外傾する高台が付く。口縁部はやや内湾し 表面:5Y7/1 灰白色 9.9 良好 て立ち上がり,口縁端部はわずかに外反する。 椀 断面:5Y8/1 灰白色 3.3 内面全体と口縁部外面の一部に薄く釉がかかる。 釉:5Y5/3 灰オリーブ色 精良 底径 8.8 やや外反する細い高台が付く。口縁部は内湾し, 椀 表面:2.5Y7/2 灰黄色 良好 6.7 上部で外反する。口縁端部から中程まで施釉。 断面:2.5Y8/1 灰白色 底径 平坦な頂部で縁部は屈曲する。縁部は下方に突 やや精良 蓋 16.3 良好 出する。 5Y7/1 灰白色 3.1 やや精良 底径 8.6 底部外端に台形の高台が付く。口縁部は直線的 底部外面に墨痕あり。 杯 表面:7.5Y5/1 灰色 良 4.3 に立ち上がる。 硯として転用。 断面:7.5Y6/1 灰色 15.0 底部外端より少し内側に台形の高台が付く。口 精良 杯 良好 底部外面に墨痕か。 5.5 縁部は直線的に立ち上がる。 N6/0 灰色 丸みのある体部で頸部で外反する。口縁端部は やや肥厚し,やや窪む面をもつ。頸部と体部の 良 16.0 体部外面と口縁部内外 甕 境には段ができる。口縁部のひずみが大きい。 表面:N5/0 灰色 良好 (10.0) 両面に灰がかぶる。 体部外面は格子状叩き目,内面は平行状の当て 断面:5YR5/3 にぶい赤褐色 具痕。 精良 体部はわずかに内湾して立ち上がる。口縁部で 20.8 表面:5Y7/1 灰白色∼ 鉢 内湾が強くなり,口縁端部は内側と外側に突出 良好 (9.5) 5Y6/1 灰色 して玉縁状となる。 断面:2.5Y7/1 灰白色 9.3 頸部はゆるやかに外反する。口縁部で上方に屈 精良 壷 良好 頸部内面に煤吸着。 (6.2) 曲し,口縁端部はつまみ上げる。 5Y7/1 灰白色 皿 壷 底径 4.4 やや粗 平底で胴部は細長く底部に向かってすぼまる。 (11.4) N6/0 灰色 (7) 良 (付表) 遺物 遺構 番号 番号 種別 195 園池 須恵器 器形 壷 風字 196 園池 須恵器 硯 197 流路 土師器 1 198 流路 土師器 1 199 流路 土師器 1 200 流路 土師器 1 201 流路 土師器 1 202 流路 土師器 1 203 流路 須恵器 1 204 流路 須恵器 1 205 流路 須恵器 1 206 流路 須恵器 1 207 流路 土製品 1 口径 器高 形態・特徴 胎土・色調 良 頸部径 体部は下方に向かってすぼまり,肩部は丸みを 胎土:10YR7/1 灰白色 10.8 もつ。頸部は外反して開く。 釉:7.5Y6/2 灰オリーブ色 (28.3) ― 11.8 3.6 備考 良好 外面頸部∼体部中程に 自然釉がかかる。 底部内面全体と外堤部 外面の一部に灰がかぶ 良好 る。底部内面は摩滅に より平滑。 精良 丸みのある方形の海部。外堤部外面と端部はケ 表面:N4/0 灰色 ズリ,他はナデ調整。 断面:5YR5/2 灰褐色 良 平坦な底部で口縁部が内湾して立ち上がる。外 表面:10YR7/4 にぶい黄橙 面に丁寧なケズリを施す。 色 断面:5YR6/6 橙色 良 16.2 底部から口縁部へゆるやかに立ち上がる。外面 皿 表面:5YR7/6 ∼ 6/6 橙色 2.8 全体にケズリを施す。 断面:10YR8/3 浅黄橙色 平坦な底部で口縁部は直線的に開く。口縁端部 良 18.8 皿 は内側にわずかに突出する。外面にケズリを施 10YR8/3 ∼ 7.5YR8/3 浅黄 (1.9) すが,一部をケズリ残す。 橙色 良 外面:5YR6/6 橙色 高杯 杯部片 ― 内面:7.5YR7/4 にぶい橙色 断面:2.5Y5/1 黄灰色 良 底径 脚部は縦方向のケズリにより断面7角形を呈す。表面:5YR6/6 橙色 高杯 12.4 杯部と裾部の外面にはミガキを施す。 断面:10YR6/3 にぶい黄橙 (16.8) 色 底径 裾部は外反して開く。裾部端部は外傾する面を 良 高杯 16.0 もち,下方に突出する。 2.5Y7/2 黄灰色 (5.0) 精良 底径 頂部はやや窪む。縁部は屈曲し,下方に突出す 外面:2.5Y7/1 灰白色 蓋 14.9 る。 内面:10YR4/1 褐灰色 (1.1) 断面:N7/0 灰白色 14.5 方形の高台が底部外端に付く。口縁部は直線的 精良 杯 5.4 に立ち上がる。 2.5Y7/1 灰白色 精良 底径 7.8 平坦な底部で口縁部がわずかに内湾して立ち上 杯 表面:5Y7/1 灰白色 (1.4) がる。 断面:N7/0 灰白色 良 底径 4.9 平底で胴部は細長く,口縁部はラッパ状に外反 壷 表面:N4/0 ∼ N5/0 灰色 19.4 して開く。 断面:5Y7/1 灰白色 体部 良 土馬 脚は八の字状に開く。 後半分 5YR7/6 橙色 椀 焼成 内面に漆が付着し,そ 良好 れを掻き取った跡が残 る。口縁端部に煤吸着。 良好 良 良好 内面に墨書文字および 人面あり。 良好 裾部内面,破断面に煤 吸着。 良 内面に墨書あり。裾部 端部の一部に煤吸着。 良好 頂部外面に墨書あり。 良好 破損した後に内面に煤 吸着。 良好 底部の内外両面に墨書 あり。 良好 良 遺物概要表 時代 近世 内容 A ランク点数 土師器・施釉陶器・染付・磁器・ 土師質土器・土製品・瓦塼・石製 土師器 12 点・施釉陶器6点・銭1点・ 品・銭・一分判金・鉄製品・銅製品・ 一分判金1点 木製品 A ランク 箱数 B ランク 箱数 C ランク 箱数 コンテナ 総箱数 3箱 1箱 17 箱 21 箱 土 師 器・ 瓦 器・ 須 恵 器・ 焼 締 め 陶器・輸入陶磁器・土師質土器・ 室町時代 瓦 質 土 器・ 瓦 塼・ 鋳 造 遺 物・ 鉄 (南北朝時代) 滓・炉壁・石製品・鉄製品・銅製品・ 木製品・銭 土師器 36 点・瓦器6点・焼締め陶器 5点・ミニチュア施釉陶器1点・土 師質土器 7 点・瓦質土器3点・瓦8点・ 塼8点・鋳造遺物 39 点・石製品6点・ 銭8点・刀子1点 5箱 15 箱 17 箱 37 箱 土師器・瓦器・須恵器・焼締め陶器・ 輸入陶磁器・土師質土器・瓦質土 器・瓦磚・鋳造遺物・鉱滓・炉壁・ 石製品・鉄製品・銅製品・木製品・ 銭 土師器 62 点・瓦器8点・須恵器3点・ 焼締め陶器3点・輸入陶磁器8点・ 土師質土器3点・瓦質土器2点・ミ ニチュア瓦器2点・鋳造遺物 26 点・ 瓦 12 点・銭5点・鉄滓2点 7箱 16 箱 23 箱 46 箱 土師器 15 点・須恵器 15 点・黒色土器 土師器・須恵器・黒色土器・緑釉 2点・緑釉陶器5点・灰釉陶器3点・ 陶器・灰釉陶器・輸入磁器・須恵 須恵質風字硯1点・土製品1点・瓦 器転用硯・桃核 1点・巡方1点・斎串1点・弥生土 器1点・桃核 11 点・松明4点 2箱 3箱 13 箱 18 箱 17 箱 35 箱 70 箱 122 箱 平安時代後期 ∼鎌倉時代 平安時代 中期以前 合計 345 点 (8)
© Copyright 2024 Paperzz