2013.10.15 村井純氏 DP - G-SEC

バブル後25年の検証
Discussion Paper
6
No.
2013 年 10 月
インターネット
村井 純
慶應義塾大学環境情報学部長・教授
慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所
この Discussion Paper は、慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所
(G-SEC)
、シティグループ証券株式会社、一般財団法人森記念財団都市戦
略研究所が共同で行なっている「バブル後 25 年の検証」の一環として、
G-SEC にて行なわれたセミナーの報告を暫定的に取りまとめたもので、講
演者の書き下ろしではなく、所属機関の公式見解を示すものではない。
バブル後25年の検証
Discussion Paper No.6
2013年10月
インターネット
村井 純
インターネット
村井 純
慶應義塾大学環境情報学部長・教授
〈概要〉
インターネットが一般的に使われはじめたのは、Internet Explorer がバンドルさ
れたウィンドウズ 95 が発売された 1995 年以降。アメリカの OS や UNIX などの
開発者のほぼ全員がビジネスの世界に移ってしまい、90 年の終わりにはアメリカ
の大学は留守状態で、私は慶應義塾大学で研究者として、世界の開発の中心的役割
を日本で担っていた。
2000 年以降、竹中平蔵教授からの素朴な疑問がきっかけになって、私は政府の
IT 政策策定に深くかかわるようになった。2013 年には、第二次安倍内閣の新たな
IT 戦略として「世界最先端 IT 国家創造」宣言が閣議決定され、各省庁が持ってい
る公共データの公開と横断的検索を可能にする「データカタログサイト」を立ち上
げて運用を行なうことになった。
インターネットの世界では、
「グローバル」は当たり前のことであり、インター
ネットで世界が繋がったのでグローバル社会が機能しはじめた。ところが、いまイ
ンターネットはいろいろな意味で
「ローカル」
の側面を持ちつつあり、「ソーシャル」
も欠かせない要素になっている。さらに、インターネットは「パーソナル」で、個
人でかなり大きな仕事ができるようになっている。「モバイル」は、当初ほとんど
予想しなかったことで、通信機とコンピュータが人間の体の一部のようになってい
る。このような時代が訪れたことはまさに驚きである。
2001 年には世界同時多発テロが起き、航空ネットワークが遮断されてアメリカ
は孤立化した。この事件を契機に、インターネットを規制する法律が続々と議会を
通過した。そのような動きに対して「インターネットの中立性」が重要視されるよ
うになった。2012 年には国連が、インターネットへのアクセスは「人間の権利」で
あるという議論を開始し、2013 年には、グローバルなインターネットの技術調整
を行なうすべての団体が共同で「モンテビデオ声明」を発表した。
2020 年に世界人口 80 億人の 80%がインターネットを使うようになる。インタ
ーネットが前提となり、
新しい重点要素は
「人」
「位置」
「時刻」
「実時間」
「開放」
「安
全」の 6 つとなる。これらのインターネットの要素に関わる課題を解決するために
は「北風」政策ではなく「太陽」政策が重要だ。もう一つのイソップ寓話、食べたい
一心で懸命に葡萄に飛びつくキツネのように、夢の実現と課題の解決をめざすすべ
ての人の足元の台となること、それがインターネットの役割である。
バブル後25年の検証 Discussion Paper No.6
これからは「インターネット」は前提である。いまの大学生が生まれた時からインター
ネットはすでに存在するものであり、世界がインターネットで繋がっていることが当然と
なった社会で彼らは生きている。だれでもどこでもインターネットを利用できる社会、そ
こから出発して何をするのかということ、すなわち「After Internet」の創造が重要になる。
インターネットの草創期
図 1 はインターネット利用者数の変化を示したものである。図が 2000 年から始まって
いるのは、それより前の数字を数えてもほとんど意味がないからである。
図 1 インターネット利用者数の変化
インターネットが一般的に使われはじめたのは 1995 年以降のことである。
1995 年 1 月に阪神・淡路大震災が起こり、同じ年にウィンドウズ 95 が発売された。
ウィンドウズ 95 は Internet Explorer がバンドルされていたので、つまり無料でインター
ネット機能が付いていたので、それ以降、普通の人のコンピュータでインターネットが使
えるようになった。阪神・淡路大震災は、多くの人々がインターネットを認識する一つの
きっかけになり、
「インターネット」という言葉は、「がんばろう、KOBE」が年間大賞に
なった 1995 年の流行語大賞でトップテンに選出された。
要するに、2000 年以前の 5 年間もインターネットが使われていたということである。
そもそもサービスプロバイダができてインターネットが使えるようになったのは 1993 年
であり、それからの 5 年間がいわゆる IT バブルの時代だった。
インターネット 村井 純
私は米国でもオペレーティング・システム(OS)やコンピュータの開発をしていたが、
そのころになると、OS や UNIX、インターネットなどの開発者のほぼ全員がビジネスの
世界に移ってしまった。ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズ、グーグル社長のエリック・
シュミット、サン・マイクロシステムズの共同創業者のビル・ジョイやアンディ・ベクト
ルシャイム、JAVA を作ったジェームズ・ゴスリンはすべて当時の同年代の仲間たちだった。
彼らがビジネスの世界に移ってしまったので、90 年の終わりにはアメリカの大学は留
守状態になった。私は慶應義塾大学で研究者として残っていたので、世界中の主要な開発
を日本で中心的に担っていた。90 年代後半は、日本は世界最高水準の技術を生み出して
いて、こうした日本の技術も使ってアメリカと日本のマーケット主導でインターネットは
動いていた。
「日本のインターネットは、どうしてこんなに遅れているのか」?
1999 年に、私は慶應義塾大学の同僚から「日本のインターネットは、どうしてこんな
に遅れているのか」という疑問を投げかけられた。私にとって、それは大きな衝撃だった。
なぜなら、インターネット技術は私たち日本勢が作っていたし、マーケットは日本とアメ
リカ中心であり、日本が世界をリードしていたからである。私にとってそれは最高の状態
だった。自信満々だった私に対して、
「日本のインターネットは遅れている」という素朴
な疑問を投げかけた同僚は、後に小泉内閣の経済財政担当大臣や総務大臣に就任した竹中
平蔵氏だった。
「いや、日本のインターネット技術は世界一だ」と答えた私に対して、「でも、行政もイ
ンターネットを使っていないし、金融や教育でも使われていない」と竹中氏は追い打ちを
かけてきた。私たちは一所懸命に技術を作り、サイエンティストを繋いで最高の高速ネッ
トワークを全国に作ったけれども、社会展開についての努力を十分にしていなかったこと
に目覚めた、というのが当時の私の本音だった。
確かに、インターネットを使った金融ビジネスやインターネットバンキングは進んでい
なかった。ただ、それは制度の問題であり、そもそも納税の申告をインターネットで行な
ってもたいしたトラフィックを生むわけではないので、インフラを構築していた私たちは
ほとんど関心がなかった。アメリカでは納税の前になると納税用ソフトがたくさん売れて
いることは知っていたが、日本では納税のためにインターネットが使われていないことの
危機感は理解していなかった。
「じゃあ、どうすればいい?」と聞くと、竹中氏は「私と一緒に総理のところに行って、
どういう進め方でインターネットが整備され利用するようになるかを議論してください」
と言う。正直言って、これには困ったが、どのようにしたらインターネットを使うように
できるのか、私なりに考えて、説明用のスライドセットを作った。アナログからデジタル
へ、そして、電話やテレビの基盤から、すべての分野で貢献するインターネットの基盤追
バブル後25年の検証 Discussion Paper No.6
伸の方法を IT 戦略会議で提言した。
地球人口 80 億人の 8 割がインターネットを使う時代
また、当時の安倍晋三・官房副長官から、インターネットを使うための日本での技術開
発は誰のために行なうのかと聞かれたときに、私は「中国のため」と答えたのを覚えている。
IPv6 という日本で中心的に開発をリードした技術標準は、爆発的に増加するインターネ
ット利用者を見据えて取り組んでいたことだ。ソフトウェアとしてもアップルの Mac OS
X などでも採用されている。2002 年には中国のインターネット利用者数が日本を抜き、
2007 年にはアメリカを抜いて世界一になった。結果として今日の規模の世界のインター
ネットを支えた技術は 10 年以上前からの日本の貢献によるところが大きい。
マーケットが技術選択の意思決定をするという仕組みは、2000 年ころは日米中心のマ
ーケットだったので健全に機能した。現在はマーケットのバランスが違う形になっている。
しかし、技術を最もよく知っている人間たちが、きちんと未来の技術をつくる責任がある
ことに変わりはない。インターネット技術の意思決定の方法も改善しながら進める必要が
ある。
図 2 インターネットユーザー比率
世界各国のインターネット利用率の推移を示した図 2 を見ると、各国ともインターネ
ット利用率が 8 割程度であることがわかる。先進諸国はほとんどインターネットでつな
がっているので、このような状況が生まれ、日本のインターネット利用率もすでに 8 割
に達している。
インターネット 村井 純
また、中国のインターネット利用率は図の一番下にある右上がりの線で示されているが、
現在では 40%を突破している。世界全体で見るとインターネット利用率は約 34%であり、
中国は世界の平均値を急速に突破した。
私たちの試算では、2020 年には地球人口 80 億人の 8 割がインターネットを使う時代
になる。現実にはその数字に届かないかもしれないが、いずれやってくるその時代に向け
た環境整備が着々と進められている。
「世界最先端 IT 国家創造」宣言
2000 年 7 月には「情報通信技術戦略本部」
(IT 戦略本部)と IT 戦略会議が内閣に設置
された。さらに、同年 11 月に成立した「高度情報通信ネットワーク社会形成基本法」
(IT
基本法)
に基づいて、翌 2001 年 1 月に
「高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部」(IT
戦略本部)が内閣に設置された。そしてそれ以降、民主党政権下の一時期を除いて約 13
年間にわたって、私は有識者の一人として政府の IT 政策策定に深くかかわってきた。
IT 戦略本部には担当大臣が定められている。初代担当大臣は竹中氏だった。総理が IT
戦略本部議長を務め、関係大臣が参加するという組織である。したがって、IT 戦略本部
決定の意味は大きい。総務大臣も構成メンバーだったので、インフラ整備はかなり進める
ことができたが、できなかったことも少なくない。例えば、医療の情報化は、厚生労働大
臣がその場にいないことも多かったため、あまり進んでいなかったのが現状である。
そして今年は、13 年目にして初めて、まったく新しいことを行なった。第二次安倍内
閣の新たな IT 戦略として「世界最先端 IT 国家創造」宣言を作成して閣議決定したのであ
る。閣議決定したということは、各省庁のトップである大臣全員がコミットしたことを意
味する。
「世界最先端 IT 国家創造」宣言は、
「世界最高水準の IT 利活用社会」を実現するために、
革新的な新産業・新サービスの創出と全産業の成長を促進するとして、公共データの民間
開放(オープンデータ)とビッグデータの活用を推進するとしている。具体的には、各省
庁が持っている公共データの公開と横断的検索を可能にする「データカタログサイト」の
試行版を 2013 年度中に立ち上げて 2014 年度から本格運用を行なうことになった。行政
の透明化が推進し、オープンな監査を誰もができる体制が整う。
また、IT を活用して日本の農業および周辺産業を高度化・知識産業化して、「Made in
Japan 農業」を展開することや、適切な地域医療・介護等の提供、健康増進等を通じて健
康長寿社会を実現するために、医療・健康情報等の各種データの活用を推進するとしてい
る。要するに、農業の IT 化と医療の IT 化を推進するということである。
バブル後25年の検証 Discussion Paper No.6
インターネットのビジネスリーダーが気にしているキーワード
いまインターネットのビジネスリーダーたちが気にしているキーワードは、「グローバ
ル」
「ローカル」
「ソーシャル」「パーソナル」「モバイル」である。
インターネットでは「グローバル」は当たり前のことであり、インターネットで世界が
繋がったので実質的にグローバル社会が機能しはじめた。以前に、福澤諭吉記念文明塾で
「国際社会とグローバル社会の違いを述べよ」という宿題を出したことがある。インター
ネット以前に国際社会はあったけれどもグローバルな社会が機能するための基盤はなかっ
た。インターネットは国境をいっさい考えずに、地球という惑星のうえに作った通信網な
ので、
「グローバル」を前提とする空間が初めて出来上がったことになる。
一方、技術の進歩でインターネットはいろいろな意味で「ローカル」の利点を使いつつ
ある。ビジネスで言えば、アメリカで人気のレストランレビューサイト「イエルプ」や日
本の同様サービス「食べログ」は、「ローカル」を正面で捉えたビジネスである。「ローカ
ル」には位置情報が必要であり、GPS などの技術の普及とインターネットとの組み合わせ
で正確な位置を利用したサービスが可能となった。2011 年の東日本大震災の時に調べた
ところ、日本の携帯すべてに GPS が入っていることがわかっている。
また、SNS という言葉からもわかるように、「ソーシャル」も欠かせない要素になって
いる。多くの人が利用している LINE は電話番号を登録した人の輪を利用して作るソーシ
ャルネットワークである。ネット上で自由なコミュニティを作るのが「ソーシャル」であり、
ゲームからビジネス用途まで、大きなイノベーションの要素になっている。
さらに、インターネットは「パーソナル」であり、個人の感性、創造性。能力がイン
パクトをもつようになっている。急激に発展しているパーソナルファブリケーションで、
3D プリンターとインターネットの組み合わせで、個人やソーシャルでのモノ作りが自由
にできるようになった。慶應 SFC の図書館では、開設当初から書物だけではなくコンピ
ュータを置くようにしてきたが、現在は 1 階に 3D プリンターや 3D スキャナー、デジタ
ルミシンやペーパーカッターなど、インターネットに接続されたデジタルファブリケータ
ーが設置され、学生が自由に利用できるようになっている。個人によるモノ作りの新しい
展開が期待される。なお、「アラブの春」で象徴的に見られたように、個人の意見が世界
の中で大きなインパクトを与えるようになったことも、インターネットの「パーソナル」
な側面の見える効果である。
「モバイル」は、私たちがインターネットの開発を始めた時にはほとんど予想しなかっ
た特徴である。Wi-Fi などの無線 LAN の発達と 3G や LTE などの無線通信技術の成果で
ある。この背景には洗練された公共空間での周波数割り当てが背景にある。
私たちがコンピュータを使い始めた当時の「スーパーコンピューター」より優れた性能
をもつ携帯電話を、ほとんどの人が毎日充電して、ポケットに入れて持ち歩いている。親
に言われても歯を磨かないような子どもたちが、携帯の充電だけは毎晩欠かさないのは驚
インターネット 村井 純
くべきことである。震災当時基地局には 3 時間の緊急用バッテリが整備されていた。そ
の後 24 時間バッテリバックアップ体制を進めている。つまり停電になったとしても携帯
電話はつながるライフラインとなっている。通信機とコンピュータがまさに人間の体の一
部のようになり、インターネットにつながっている。このような時代が訪れたことはまさ
に驚きである。
地球温暖化と遅延問題
近年、地球温暖化によって北極の氷が融けて、船が通る航路ができるようになった。私
は以前から、地球儀に糸を張って、日本とヨーロッパを最短距離で結ぶルートを探してい
た。伝搬遅延を考慮せず信頼性のある通信技術として設計されたインターネットが、やが
て遅延を小さくする使命を帯びてくると考えたからである。
当初は、ロシア大陸を横断してヨーロッパに直接繋ぐことを考えていた。北極海は氷で
覆われているため、氷を砕いて海底に光ファイバーケーブルを張ることはできないかとい
う議論が長い間なされてきたからである。しかし、いつの間にか砕氷しなくても通ること
ができるようになった。地球環境の面ではおおいに憂うべきことだが、日本からヨーロッ
パに向けてケーブルを真っすぐ張るという観点では新しい状況になっている。
光は理論的には 133msec で地球 1 周することができる。人間の脳で判断する反応速度
はおおよそ 400msec かかるので、200msec 程度で地球を一周できれば、人間はほぼ自然
な対話ができると考えて良い。つまり地球は地球上の人類が対話できる大きさだと言える。
それを実現するために、重要な対地と最短経路で光ファイバーケーブルを、可能であれば
冗長性を確保しつつ整備することが重要である。
「遅延」に厳しいのは、医者と金融関係者とゲーマーである。「インターネットが遅い」
と最初に文句をつけるのはゲーマーで、最近では金融関係のトレーダーからの要求も大き
い。さらに、最近は画面やデータを見ながら手術に参加する場面も増えているので、ネッ
トワークの遅延に対して医療関係者からの要求も高まっている。こうした新しい要求が発
生し、技術は格段に進歩することになる。
インターネットを支える光ファイバー
このようにして地球上に光ファイバーが張りめぐらされているが、一方で、日本は地震
から逃れることができないことも事実である。そして、地震が起こると海底に張られた光
ファイバーケーブルの切断の可能性が高まる。2011 年 3 月 11 日の東日本大震災の時も、
多くの太平洋ケーブルが切れてしまい、切れずに残ったわずかな光ファイバーケーブルで
かろうじてインターネットを使うことができる状況だった。一般的な利用者は迂回により
インターネットを順調に使えていたが、大手のグローバル金融企業など大口ユーザーは迂
バブル後25年の検証 Discussion Paper No.6
回できなかったので、結果として国外に移転した企業も少なくない。
地震による海底ケーブル切断に対しては、陸揚局を何カ所かに分散するということで対
応できる。いまは陸揚局が千葉や三重に集中している。北海道や日本海側の関西、九州に
も陸揚局をつくり分散すべきである。千葉(あるいは北海道)から真っすぐロンドンに向
かうためには、氷が溶けている北極海を通ればいい。ロンドンからニューヨークをつなぐ
ことができれば、地球を一周するケーブルが完成する。海底ケーブルは、大陸横断ケーブ
ルに比べて、通過大陸国との外交調整などが不要な部分でも安定している。そのためにか
かる資金は約 220 億円。北極の氷が融けている間に、日本がケーブルを敷かないという
選択肢はありえない。
インターネットの歴史
インターネット上で提供されるハイパーテキストシステムであるワールド・ワイド・ウ
ェブ(WWW)が普及しはじめたのは 1990 年であり、同じ年に慶應義塾大学湘南藤沢キ
ャンパスが開設された。このころすでにインターネット技術は完成し、大学ではインター
ネットを利用していた。
1993 年にはインターネットサービス・プロバイダー(ISP)によるサービスがスタート
したが、先述のように、当時は日本とアメリカが力を合わせてインターネット開発中であ
り、日本は最先端を走っていた。そして、阪神・淡路大震災が起きた 1995 年にウインド
ウズ 95 が発売される。
そのころから日本でも、インターネットを前提としてビジネスをする人が現れるように
なり、1996 年にはヤフージャパン、1997 年には楽天が営業を始めた。実は、開業当初の
楽天で買物をする人はあまり多くはなかった。楽天の社内の壁には「そのうち人はインタ
ーネットで買い物をするようになる」と書いた紙が貼られ、社員はその紙に目をやりなが
ら、一念発起して机に向かう毎日だったという。
アメリカで IT バブルが起きた 2000 年には、Y2K(2000 年)問題が起きた。Y2K の際
にインターネットがうまく作動するかどうかという疑問が、『ワシントン・ポスト』紙に
掲載された。これは「ルートサーバを 13 カ所壊せばインターネットは動作しない」とい
う趣旨の記事で、ルートサーバの運用グループの議長として私は対応に追われたことを鮮
明に記憶している。
さらに、2001 年には世界同時多発テロ(9.11)が起きた。航空ネットワークが遮断され
てアメリカは航空網で孤立化した。当時、ニューヨークの JFK 空港にいた私は、インタ
ーネットを遮断したら他の国は生きていけるのかという趣旨の質問をアメリカ政府から受
けた。
「インターネットを遮断して生きていけなくなるのはアメリカだ」というのが私の
答えだった。
この事件を契機に、当局がインターネットを遮断したり、電子メールの中身を検閲した
インターネット 村井 純
りすることが合法的にできると思わせるような法律が続々と米国議会を通過した。経済関
係者やインターネット関係者は大きな危機感を抱くようになった。
そして、
そのような動きに対して
「ネット・ニュートラリティ」
(インターネットの中立性)
が議論されるようになった。国の政治的干渉を否定し、人間は誰でも自由にインターネッ
トを使う権利があるという原則が米国 FCC などで採択された。一方で、2012 年には国
連が、インターネットへのアクセスは「人間の権利」(Human Right)であるとの議論を始
めた。
実は、
「人間の権利」という表現には 2 つの側面がある。一つは、インターネットの中
立性の原則の実現により、個人のインターネットへの自由なアクセスが担保されるという
側面。もう一つは、発展途上の国ではインターネットアクセスを国が提供しなければいけ
ないことになり、結果としてインターネットは国の強い干渉や支配を促進することにもな
るという側面である。
電子メールと「ローカライズ」
ところで、C 言語や UNIX のファイルシステムを開発した科学者として知られている
デニス・リッチーは、C 言語のなかで「char」という変数の型を定義している。「char」は
文字(character)を意味する名前である。しかし、この型は 8 ビットで、255 通りの文字
しか表わせない。つまり、C 言語は英語のアルファベットを想定して設計したことになる。
コンピュータが計算に使われている時には多言語が問われることはなかった。UNIX のよ
うにコンピュータの技術を人間のさまざまな活動に利用するようになると、多言語対応の
必要性が上がってきた。
インターネットの電子メールの標準 RFC822 には、電子メール本文は「イングリッシュ・
アスキー」
、つまり英文字で ASCII のコードを使うと書かれていて、電子メールで日本語
を使うことはできなかった。当初は、コンピュータサイエンティストは英語で会話してい
るので、それでもかまわないと思って日本で英語の電子メールを始めた。ところが、多く
の人たちは英語ではなく日本語をローマ字表記していた。これはまずいということになり、
日本語で電子メールができるようにした。
これが「ローカライズ」のきっかけになった。インターネットは国境を越えてグローバ
ルにつくっていたのに、国と国との関係というインターナショナルな匂いが立ち込めはじ
めたのである。言語の問題で多大な貢献をしたことが、結果として、国としてのプレゼン
スをインターネットの中に入れてしまったのである。インターネットは本来的にはグロー
バルなものを作りながら、アプリケーションでは国や文化への対応が必要となる。
バブル後25年の検証 Discussion Paper No.6
「モンテビデオ声明」
国連の母体である国際電気通信連合(International Telecommunication Union ; ITU)
は世界最古の国際機関であり、現在は国連の専門機関の一つとなっている。もともとの
ITU は通話の料金を双方の国に分配する機関で、国連はその仕組みを使って、富める国
から貧しい国への富の再分配を行なってきた。しかし、インターネットには、課金の仕組
みがないので、富の分配は機能しない。国による連携をインターネットの意思決定の主体
とするために ITU の場が検討されてきた。
この動きを警戒する既存のインターネット関連組織は、2013 年 10 月に、グローバルな
インターネットの技術調整を行なうすべての団体(IAB、ICANN、IETF、ISOC、W3C
および 5 つの地域インターネットレジストリの計 10 団体 ) が共同で、
「今後のインターネ
ット協力体制に関するモンテビデオ声明」と題した声明文を発表した。「モンテビデオ声
明」は、
「グローバルに調和の取れたインターネット運営」「インターネットガバナンス」
「ICANN と IANA 機能のグローバル化」「IPv6 移行」の 4 点に対する 10 団体共通の姿勢
の表明である。
まず、「グローバルに調和の取れたインターネット」の運営が重要であることをあらた
めて強調している。グローバルに意思決定するということであり、国連による国家レベル
でのインターネットの分断に警鐘を鳴らし、広範に浸透している監視活動により、インタ
ーネットに対する信頼と信任が損なわれていることに強い懸念を表明している。
また、インターネットガバナンスの諸課題に対処する努力を続ける必要性を確認すると
ともに、すべての政府を含むすべてのステークホルダーが対等の関係で参加する環境に向
けて ICANN
(The Internet Corporation for Assigned Names and Numbers)
と IANA
(Internet
Assigned Numbers Authority)機能のグローバル化の加速を呼びかけること、そして技術
的にはグローバルな最優先課題である IPv6 への移行を呼びかけるとしている。
これまで手をつけてこなかったこと
さて、2020 年に世界人口 80 億人の 80%がインターネットを使うようになるとしたら、
インターネットはどうなるだろうか。以下では、インターネットが前提となる社会におい
て、これから重要となる技術について触れておきたい。
第一は人間の抽象化である。コンピュータの利用者である人は、単純な識別子で識別さ
れてきた。電子メールアドレスもその識別子の一つであるが、人には性別、年齢から始ま
って、健康状態や経済状態まで限りないメタデータがある。これをどのような構造で表現
するかという課題を、プライバシーやセキュリティーを含め議論していくことが進められ
る。
第二は位置(Geo-location)。現在、すべての携帯電話には GPS が搭載されている。
インターネット 村井 純
GPS は経度と緯度を計算して位置を特定する。しかし、衛星からの測定による GPS では「高
さ」の精度は悪く、道路の段差を表現することもできない。
第三は時刻。4K テレビの次は 8K テレビで、これをインターネット上で送ると言われ
ている。8K の映像は膨大なデータであり、この連続データをインターネット上で流すこ
とになる。周知のように、デジタル放送になって以降、テレビは時報を行なわなくなった。
映像を圧縮するコンピュータ処理をして放送しているので、受信機によってはデコードに
時間がかかり、イメージが戻るまでに時間がかかってバラツキがでるので時報を送らない
ことにした。今後のメディア転送には、正確な到着時の時刻に同期し、8K のような膨大
なデータの転送も実現できる技術が必要となる。
第四は実時間(リアルタイム)
。最近、テレビ会議がよく使われるようになったが、医
学の現場では、顕微鏡を見ながら手術をするという要求を持っている人も多いので、より
正確で高精細の映像で対話をすることが重要になっている。対話のアプリケーションをイ
ンターネット上で展開するためには遅延を最小限に抑えるリアルタイム通信が必要となる。
第五は「開放」
。オープンにアクセスしてシェアできるプラットフォームは、ある意味
ではまだ完成していない。技術発展は、まず所有権のある技術ができて、それがある程度
一般化してくるとオープンになるというプロセスをとる。オープンなプラットフォームは
創造的な開発と健全な競争の基板となる。
第六は「安全」
。インターネットが必要なデータの保護と、安定した運用を持続できる
ものでなければいけない。
インターネットの役割と使命
以上のように、インターネットには多くの課題がある。そして、その課題を一つ一つ解
決していかなければならないが、その方法も考える必要がある。
インターネットが出現した当初、これは新しい技術であり、電話や放送があるのに何故
こんなことをやらなければいけないのかとの議論があった。その時に、「必要だからやり
ましょう」とか、
「いままでのやり方ではもう駄目です」とか、「電話としての技術はなく
なるので、先に進まないと駄目だ」という強行策はとらなかった。
それに対して、インターネットの有用性を実証し、ベストプラクティスによって発展が
牽引された。
インターネットによって放送のビジネスモデルも変わり、CM も変わる。先例を探すと、
昭和 3(1928)
年に相撲人気が下火になった時、
木戸銭を稼いで商売をしていた相撲協会は、
ラジオの実況中継に反対した。タダで相撲の実況中継を聞かせたら、会場に足を運ぶ客が
減ると考えたからである。しかし、相撲の取組をラジオ中継するために「制限時間」を設
けるなどしたこともあって、それ以降、相撲人気が盛り返したという。
インターネットはこれに似ていて、ヤフーにしてもグーグルにしても、すべて無料で説
バブル後25年の検証 Discussion Paper No.6
得力のあるサービスができ、回収は後からついてくるというビジネスモデルである。これ
はサービスの創出の範囲が、少ない投資で拡大できるソフトウェアとデータによって成立
しているからである。
最後にイソップ寓話の「キツネと葡萄」を紹介したい。たわわに実ったおいしそうな葡
萄を見つけたキツネは、食べようとして跳び上がるが、何度跳んでも高い所に実っている
葡萄に届かない。そこでキツネは、「どうせ、すっぱくてまずい葡萄だろう。食べてやる
ものか」と捨て台詞を残して去る。
葡萄を食べたい一心で懸命に飛びつくキツネの姿は、夢や課題に挑戦している人間たち
の姿とダブって見える。いろいろな夢があり、解決すべきさまざまな問題があるという意
味では、社会全体が葡萄に飛び付くキツネのようなものかもしれない。
インターネットの役割は、葡萄棚の下に台を置いて、キツネが葡萄に届きやすくするこ
とである。インターネットは、人類が今までできなかった課題を解き、叶えられなかった
夢を実現するためのテクノロジーの基盤である。わが国には最高水準の「台」と、挑戦す
る人間がいる。グローバル社会の今後の創造と発展の大きな使命と責任がある。
バブル後25年の検証
Discussion Paper No.6
発行日= 2013 年 11 月 15 日
発行人=竹中平蔵
発行所=慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所
〒 108-8345 東京都港区三田 2-15-45