トピックス NO13 - 芹沢光治良文学愛好会

〇5日:9/01(木)『フィレンツェ』から『アッシジ』
午前:バスでミケランジェロ広場に立ち寄り そして アッシジへ。
午後:アッシジ観光
【アッシジ泊】
〇8 時 15 分:バスで、フィレンツェを一望できる小高い丘にあるミケランジェロ広場に向かう。
この広場は先生の記念の場所でもある。先生が留学して日本に帰る際、1928年(昭和3年)にダビデ
像をバックにした記念写真が、今回の「旅のしおり」に載っている。 我々も同じアングルで写真を撮る。
広場から見下ろすフィレンツェの街並みは、街全体の建物が赤い屋根で覆われていて、街の風景と
アルノ川が美しい。 残念であるが、ルネッサンスを生んだ古都、フィレンツェともお別れである。
次の目的地「アッシジ」へとバスで向かう。
(芹沢光治良先生のスナップ(昭和3年)
)
(先生と同じダビデ像の前で)
(ベッキオ橋)
(アルノ川)
「ミケランジェロ広場からの展望」
(ドゥオーモ)
「アッシジ」は憧れの聖地である。
前回の「ルルド」に続く聖地「アッシジ」の訪問である。
芹沢光治良先生が父親は「アッシジの聖フランチェスコ」のように信仰に生きた人だと何かの本に書か
れていた。 その「アッシジ」が、今回の旅への参加を決定させた。
「父上と聖フランチェスコの共通点」
(帰国し感じた勝手な思いですが・・・)
『神を求め続け、神の存在を確信して厳しい信仰生活に入り神と供に生きた人である』
「父上の場合」
両親が厳しい信仰生活に入る決意する作品『懺悔紀』
『秘蹟』から覗いてみます。
「懺悔紀」(1999.9.25 メモより)
作品のテーマの一つである信仰生活を、キリスト教、天理教を対比させて書かれている。
・父親に対して、一生を神に捧げた信仰生活はアッシジの聖フランチェスコと同じであるが、聖フ
ランシスは庶民、民衆から尊敬され、愛されたが、天理教の父は、個人的にはお授けで病気が治
った人達には感謝されたかもしれないが、天理教であるために庶民からは愛されるというより嫌
われた。
しかし、父親を認めている。
「キリスト教と天理教の信者の生活の違い」
・天理教の信者の生活は先生をモデルに父親がすべての富を捨て親様の言われる雛型の生活に入
った悲惨な生活。
・キリスト教の信者の生活は「人間の運命」の「大塚」をモデルにした富を放棄するのではなく、
その富によって心に余裕を持ち家族を愛しお互いに尊敬しあい人格を認め合う生活が描かれて
いる。
このキリスト教の信者の生活が先生の望んでいる信仰生活ではないかと思われる。
「秘蹟」(2002/4/30 メモより)
・1941(S16)
(母(はる)が亡くなって 5 年目)に書かれた作品。
・両親が、自ら厳しい信仰生活に入っていく決心をした最大の理由は、
・神に予言された「甘露の水」を飲むことで、
「神を感じ・信じる」ことが出来た。
・生身の人間で、神が本当に存在する、ゆるぎない確証を得てから全財産を投出し、
谷底に落ちて神の使者になる決意をした。
・両親は、
「神に選ばれた人」ではなく、「神を求めた人」である。
「神を求め、我が目で神を確かめて、神の命令に服したい」と神を求めて、神の存在を確信した。
・母は、
「神を感じることができ」
、自分の右目を引き換えに、米川さんのお嬢さんの目を治す。
私のような凡人でも両親のように、一途に神を求めれば、神の存在を確証することができ、神に
守られていることに気付かせてくれることを感じさせる作品である。
「聖フランチェスコの場合」 (インターネット情報や映画より)
・青春時代は放蕩三昧であったが、戦争で身も心も傷つき、壊れかけていたサン・ダミアーノ教会で、
神の声「私の家を修復しなさい。
」を聞き、裕福な生活を捨て、神への信仰を一途に守る清貧の
生活に入る。
・再度、神を求め神の声を求め苦悩した。その結果、彼の肉体に十字架にかけられた際のキリストの
傷が刻みこまれる聖痕を得ることができた。 神の存在を再確認し、清貧の伝道生活にさらに進ん
でいく。
(旅行から帰って、映画「フランチェスコ」(1989 年
ミッキー・ローク主演)を見ました)
二人は、絶対な神の存在を求めた。
聖フランチェスコは「聖痕を得る」。
父上は 「甘露の水を得たる」。
これらの恩寵を得たことで神の存在を確信して厳しい信仰生活に入る。
聖人達さえ恩寵を得なければ安心できないのであろうか?
私のような凡人が聖人になることを望みもしないが、平和で豊かな人生を安心して生きる証として神を
求めることは自然なのかもしれません。 今回の旅で、何か素晴らしい気付きに出会えることを願って
いる。
(フランチェスコに語りかけた十字架)
「アッシジの一日」
フランチェスコが帰天したアッシジの駅の近くの「聖マリアの天使大聖堂」を訪れる。 この聖堂から「アッ
シジのピンク・ストーン」と呼ばれる、淡い白いレンガ色の城壁に囲まれた聖フランチェスコ大聖堂を見上
げることが出来る。 紺青の空に向かって両手を広げている金色に輝くマリア像が何か物憂げである。
ちょうどお昼の鐘が響いている我々を歓迎してくれるかのようである。 聖フランチェスコが最も愛した世に
も小さな「ポイツイウンコラ礼拝堂」で聖フランチェスコに思いを馳せた。
(聖マリアの天使大聖堂 (サンタ・マリア・デッリアンジェリ大聖堂))
アッシジの城門をくぐりぬけると、ふと、フランチェスコに出会いそうな中世の石畳、路地、外壁に囲ま
れた緩やかな坂道を散策しながらホテルに向かう。
昼食は、アッシジの中心にある市庁舎広場のレストランでパスタ、ワインをいただき、さらに娘がトイレに閉
じ込められるハプニングのおまけもあり楽しい昼食でした。
アッシジのガイドさんは年配の男性の方で、日本人の訪問者の多さを感じさせる使い古した日本語版の
パンフレットでの紹介でした。
(サン・フランチェスコ通り(中世の街並み))
(聖キアラ大聖堂)
聖フランチェスコの生家、聖キアラ大聖堂を見学する。聖キアラ大聖堂の白い壁の大きなバラ窓と正面
扉は印象深く、聖キアラ(クララ)を象徴しているかのように質素で落着きのある美しい大聖堂である。
キリストがフランチェスコに語りかけたという有名なサン・ダミアーノ教会の十字架磔を見ることができた。
聖フランチェスコ大聖堂に向うサン・フランチェスコ通りは、紀元前一世紀のミネルバ神殿の遺跡、現在
の市役所は十四世紀のブリオーリ宮殿など中世のままの外壁である。その中を歩いて行くと、待望の聖フ
ランチェスコ大聖堂が見えてくる。
(聖フランチェスコ大聖堂)
(聖フランチェスコ大聖堂の上階正面)
(帰国後このメモを書いている途中)
今、電車の中で、アッシジを思い出しこのメモを書いている。 ビルが燐立している横浜を窓越しに見ている。 あのアッシジや、
イタリアの旅が、一時の幻だったかのように感じられる。
アッシジでは、自然や歴史や季節の中で優しい風を感じ生きている人間。 自然や歴史や季節のない都会で生きている自分が
いる。 同じ人間でありながらこの生きている環境の違いの不思議さを感じる。
今の都会での生活を変えることは難しい。今の生活にしがみついて生きるしか能のない自分であることは分かっている。しかし、
アッシジで感じた、瑞々しい心を持ち続けるには、日々の生活で何かに気付く心と、素直に生きる力を養う努力をしなければと思
うのですが・・・・。
(さて話をアッシジに戻します。)
フレンツェで見た煌びやかな大聖堂とは違い、清楚で質素でシンプルな大きなバラ窓のある聖フラン
チェスコ大聖堂である。 上階聖堂には、聖フランシチェス生涯を描いたジオット作の 28 面の壁画があり、
下階聖堂には、聖フランチェスコの墓がある。
聖フランシチェスの生涯の壁画は、ウフィッツィ美術館で見るジョットの絵、ミケランジェロ、ラファエロの
描いた絵とは本質的に違うように感じた。 ミケランジェロ、ラファエロの絵画は、美を追求した芸術品であ
る。 しかし、聖フランチェスコ聖堂の壁画は、平面的で、質素で敬虔な信者に語りかけているように描か
れているためか、美しさではなく信仰の対象として何かを感じる。私が、一番見たかった「小鳥の説教」の
絵もある。 鳥、草木にも人間と同じように神の創造物であることを伝える姿の絵に釘付けになりました。
(小鳥の説教)
(泉の奇跡)
(聖痕を受ける)
(アッシジ 芸術と歴史 日本語版より)
聖フランチェスコの清貧な生き方には不似合いな大聖堂かもしれないが、この大聖堂があることによっ
て日本人の我々もフランチェスコの思いに触れることができる。
下階聖堂では、真摯な信者が聖フランチェスコの墓に跪いている。 私も自然に頭を垂れ、広場の回廊
を抜け城門を出てホテルに戻った。
ホテルの窓からは、糸杉の向うに、青銅の丸屋根の聖マリアの天使大聖堂と眼下に広がる畑、オリーブ
の木を眺めることができる。 ゆったりとした時間をゆったりとした気持ちで過すことができた。
(ホテルの窓からの糸杉)
(大聖堂から山頂の大要塞(ロッカ・マッジョ-レ))
朝4:30頃 月と星と沈黙の中を聖フランチェスコ大聖堂に一人向かう。
神を求め、神を得て貧しい人の為に生きた聖フランチェスコの思いを感じられることを期待しながら、
大聖堂の城門をくぐり、淡いオレンジ色の回廊、月の光り、少し傾斜した広場の中央をゆっくりと上階聖堂
へと静かに向かい星と月の光が降り注ぐ沈黙の大聖堂の前で瞑想。
なんとも素晴らしい時を与えられました。 そのとき心に浮かんだ思いをメモしました。
『 一人大聖堂で アッシジの麓からのやさしい風を感じる
人間の儚さ、素晴らしさに思いを馳せる
風は神の声
麓から大聖堂に向かって吹く風は、私に何を語りかけているのだろう
やさしい風が心と体と魂にそそぎ込んでくる
この静けさとやさしい風にフランチェスコの思いを感じられずにはいられない
静寂こと平和
風こそ平和
風の音、風の流れ、風のひろがり、心の響き
少年の頃の 心の安らぎが蘇る
月と星と静寂のアッシジ大聖堂に抱かれて・・・
』
(大聖堂と静寂な回廊)
(沈黙の大聖堂)
(月と星と大聖堂と・・・)
〇6日:9/02 (金) 『アッシジ』『カステル・ガンドルフォ』『ローマ』
午前:ローマ法王の避暑地として有名な「カステル・ガンドルフォ」
ローマへ。
途中:初期キリスト教徒の共同地下墓地「カタコンべ」
【ローマ泊】
今日は、先生がローマ法王と個人謁見した「カステル・ガンドルフォ」である。
「カステル・ガンドルフォ」は、歴代ローマ法王の夏の離宮がある避暑地である。
現在、ローマ法王が滞在中とのこと。 離宮の門には中世の服装をしたスイス衛兵が立っていました。
我々は、もちろん謁見することはできませんでした。 先生が、訪れた珍しい記念の場所である。
私は、先生がローマ法王との謁見はバチカンで行われたものと勘違いしていました。しかもこのような美しい
避暑地で行われたとは思いませんでした。
【ローマ法王のメダル】 (抜粋) (こころの波) 昭和26年)
・K 氏がホテルに私を訪ねて、法王がカステル・ガンドルフォの別荘でその日の巡礼団を祝福するから、
行かないかと誘った。…・そうして私は K 氏も予期しなかった法王との個人謁見の栄に浴したのだった。
・時の法王はピオ十二世で …
この世で私の会った人で、最も聖なるものを感じたひとである
昼食は、アルバーノ湖を眼下に望むレストランでした。 メニューに湖で獲れる「鯉」の料理が出ました。
少し骨が気になりましたが美味しくいただきました。 この地方は、白ワインが有名で、レストランの地下に
ワイン蔵があり10000本以上貯蔵されており見学もさせていただきました。皆さんお土産に購入していました。
(離宮 スイス衛兵)
(離宮 の裏門?)
(火山の跡のアルバーノ湖 レストランより撮影)
次に訪れたのは、「カタコンべ」である。
一般の観光ルートにはない、信仰の場所です。 地下に迷路のように洞窟を掘った地下墓地です。
たくさんの初期のクリスチャン達も葬られています。 無宗教の私には、あまりにもリアルでした。 初期
のキリスト教にも多くの弾圧があったことを知らされました。
(注)・カタコンベ(Catacombe)とは、もともと古代ローマの地下墓地を意味していました。しかし初期の
キリスト教徒がローマ帝国の迫害を逃れ、ここで信仰を守りつづけたことから、キリスト教信者の礼拝堂、
墓地等をさすようになっています。
(カタコンベ入口の糸杉の道)
(迷路のような地下墓地
インターネットより)
〇7日:9/03 (土) 『ローマ』 (ローマ市内観光)
・ 大闘技場「コロッセオ」「トレビの泉」
・ バチカン、「システィーナ礼拝堂」サンピエトロ寺院
・ 夕食さよならパーティ「最後の晩餐」
【ヨーロッパの表情 (四)】
【ローマ泊】
芹沢光治良文学館11より
・ローマのコンチリアチオーネの通りのキャフェであなた達のことを想っているところです。 …
テベレ湖畔からサンピエトロ聖堂に向かって、すばらしい道路がつくられたのです。
サンピエトロ聖堂というのはカトリック教の本山で、バチカン国の王城でもありましょう。…
道路は白い石をしきつめて、大理石の柱が両側にならんでいるが、家並みも美しい石造りで、紺青の空
にそびえています。 1 本の樹木もなく、石だけの街に強い光がそそいでいるのは、パリから来た私には
異様な光景です。
・ベルナンの造った有名な廻廊にかこまれて、中央にオベリクスがその左右に噴水があります。
広場の向こうにサンピエトロ聖堂がどっかり据わっているが、これはヨーロッパで見たたくさんの教会
うち最大のもので、いつまで仰ぎ見てもあきないほど美しい建物です。 広場の石畳の色といい、大理石
の廻廊といい、サンピエトロのくすんだ大理石といい、ローマの澄んだ空の色に見事に調和しているので
す。………
樹木を植えないで、石ばかりで街を建設するのが、二千年来ローマの伝統のようで、全く
ローマは石と噴水の都です。
・昨晩は11時近くに、バチカンから帰りにサンピエトロの広場を横切ったが、弓形の月の光のなかに
サンピエトロ聖堂の、ミケランジェロの円堂がにぶく光って、独りで仰ぐのには惜しいような美しさでした。
沈黙した広場に、二つの噴水が囁くような音をたてて、高く銀色の水を静かに上げていました。 …・
サンピエトロ聖堂の階段の方に、跪いて祈っている人影が見えました。その時ほど永遠ということを
思ったことはありません。
このようなに先生は、ローマについての感想を「石と噴水の都」と称してします。しかし、「システィーナ
礼拝堂」について先生が書かれた作品を私は読んだことがありません。
(どなたかご存知でしたらお知らせください。)
最終地のローマでは、映画「ローマ休日」で有名な「トレヴィの泉」「真実の口」や「凱旋門・コロッセオ」
などを楽しく見学した。
(真実の口(戸塚さんと現地ガイドさん))
(凱旋門)
(トレヴィの泉)
(コロッセオ)
しかし、今日の最大の目玉は、バチカン市国の、「システィーナ礼拝堂」と「サン・ピエトロ寺院」と「サン・
ピエトロ広場」である。 その中でシスティーナ礼拝堂の天上画、両壁の「モーゼ一生」「キリストの一生」の
壁画、祭壇の「ミケランジェロの『最後の審判』」の壁画は衝撃的で、圧倒な迫力で迫って来た。
「システィーナ礼拝堂の概要」
(天井画)
・光と闇の分離
・太陽と月の創造
・空と水の分離
・アダムの創造
・エヴァの創造
・堕落と楽園追放
・ノアの洪水
・ノアの番祭
(正面壁(最後の審判))
(左壁)
判)
「モーゼ一生」壁画
・若きモーゼ
・シナイからの下山
・ノアの泥酔
(右壁)
「キリスト一生」壁画
・キリストの洗礼
等
・山水の垂訓 等
ラファエロのタピストリ(1)
ラファエロのタピストリ(2)
・アテネで説教する聖パウロ等
・パウロの回心
等
等
最後の審判」
「最後の審判」
(ポスターより)
(システィーナ礼拝堂に向かう階段の天井画)
混んでいる礼拝堂の左側のベンチに腰掛ることができ、じっくりと集合時間まで眺めていました。
・青空の中で天国か地獄かの審判をしているイエスに向かって全体の絵が右回りの螺旋状に流れ込ん
でいる。ものすごい躍動感を感じる。
・天国へ登る雲で、ずり落ちそうな娘を力の限りに左で引き上げようとしている母親の目線はイエスであ
る。 哀願している目ではなく、怒りに似た目である。 (左横部分)
・地獄に落ちる人物が、方目をとじて、ロダンの考える人のような姿勢で、悪魔に下半身をつかまれて地
獄に引き込まれている。 人間の弱さと苦悩。 妥協を許さない厳しい裁きを感じる。
(右下方部分)
・笑顔の人間を探すことができない。 悪魔たちの生き生きとした姿には驚きである。
「神は決して目に見えないはずですが、ここに立つとまるで身近に見えるようです。」
と「教皇ヨハネ・パウロ 2 世」がシスティーナ礼拝堂を表現している。
この荘厳な「天井画」と「最後の審判」を眺めていて、
・「天地創造」「人間創造」した神がなぜ、人間を裁かなければならないのか?
・「人間は、いつから神に裁かれる存在になったのか?(エデンの園から追放されてからなのか)
・「天国に行くための人生とはどのような生き方すればいいのか」
なんて考えることを許さないほど、壁画の人物の表情は悲壮である。
そんな思いを引きずりながら、「サン・ピエトロ寺院」へと向かう。
サン・ピエトロ寺院にはミケランジェロの「嘆きのピエタ像」がある。 ガラスで防護されているため、写真
が鮮明でないのが残念であるが、本物はさすがに感動ものである。
キリストを抱きかかえる母マリアの
若さは現実的ではないが、若々しく美しくい神秘的な聖マリア像である。 フィレンツェのアカデミア美術
館で見た彫刻の「パレストリーナのピエタ像」のマリアとは別人である。 同じミケランジェロの作品とは思
えない。
(嘆きのピエタ)
(クーポラ(ドーム)の天井)
サン・ピエトロ広場は石畳で敷き詰められており、先生の書かれているとおり樹木が一本もありませんでした。
日本の神社仏閣などの土、木の自然の温もりを感じることが出来ない。人工的な石の文化である。
しかし、何か荘厳で人間の偉大さを感じさせるサン・ピエトロ広場である。
(サン・ピエトロ広場
(誰か一人・・・・?))
(テレヴェ川のサン・タンジェロ橋からの見るサンピエトロ寺院の景観
(バスより))
すべてのイタリアの観光が終了した。
最後は、レストランの一室を貸しきり、夕食さよならパーティーである。
20時から23時まで美味しいイタリア料理・ワイン、そして、マジシャン石川氏のマジックには
レストランのスタッフも全員集り大喝采でした。
今回の旅は、駆け足でなく、ゆったりと自分の足で歩く場所が多く、贅沢な時間を過ごしイタリア
を体感できた旅でした。 「ベネチアの『紺碧の空』
」「ウフィッツィ美術館の『宗教画』」「アッシジの『沈
黙の大聖堂』
」
「ミケランジェロの彫刻『奴隷』
」
「システィーナ礼拝堂の『最後の審判』
」など本物を体
験することが出来た。
今回の旅のテーマ『イタリア・美術と歴史の旅』でしたが、私にとっては
「イタリア・紺青の空と風と神の誘いの旅」でした。
またイタリアに行きたくなりました。
テレビに見たことのあるイタリアの風景が映ると、娘とあそこにも行ったね。すごかったね。娘と
イタリアの思い出を共有することのできた旅でした。
今回の旅に関する4つの思いを持って参加しましたが、この旅行記を書くことによりすべての思い
が実現したように思いました。 参加された皆様のやさしい思いやりで私と娘には心に残る素晴らし
い旅になりました。
感謝しております。
次回の旅行のため芹沢旅行積み立てを開始したいと思います。次回のよろしくお願いいたします
終了
(2004.11.12)