「ボランティア活動と『心のケア』」Ⅰ - いじめ・メンタルヘルス労働者支援

「ボランティア活動と『心のケア』」Ⅰ
東日本大震災の被災者への「心のケア」が問題になっていると言われています。
週末には、多くのボランティアが現地に駆けつけることでしょう。支援者の「心のケア」
も必要になります。どのような対処が必要になるのでしょうか。
緊急なのでまとまったマニュアルや手引きではなく、詳細でもありませんが、とりあえず
少しでも役に立てばと思います。
「いじめ メンタルヘルス労働者支援センター」のホームページ・活動報告に掲載したも
のの集録です。
「心のケア」は、被災者のケアと支援者のケアのほかに救助隊員のケアがあります。救助
隊員のケアについては、間もなく取り上げたいと思っています。
テレビを観ていて感じたのですが、現地を回ったアナウンサーの中にもすでに体調不良に
陥っている思われる人がいました。新聞記者もそうだと思います。行政職員、病院関係者な
どなどもそうです。一番は原発現場の東電社員です。
被災者の皆さん
目標と希望を持って!
3月14日(月)
3月11日の東日本大地震が起きた数時間後に、以前も紹介したことがある、毎日書き継がれ
ている早稲田大学競争部(陸上部)の『部員日誌』に次のようなメッセージが載りましたので紹
介します。中距離の選手からの心のこもったメッセージです。
岡山出身ということですので阪神淡路大震災を身近に体験したか体験談を受け継いできたと思
われます。教訓は無駄になっていません。
この段階で私たちは何ができるか、何をしなければならないのか。被災者の皆さんに今は届か
ないかもしれないけど、心からのメッセージです。
(略)……
食堂で皆でテレビを見ながら、地震による火事や建物の倒壊、冠水に津波、交通機関のマヒに
ライフラインの遮断、絶望するしかない現状、部屋に帰ってテレビからネットから拡大する被害
情報が永遠に発表され続ける。私は何もできない自分の無力さに涙が流れてきました。私が泣い
たところでなにも起きないのでとりあえず落ち着くために、よく考えるために走ってきました。
色々考えたところ、何かをしなくては、何かができるのではないかと……
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どんなことを綴っても建前であったり、安っぽく感じるかもしれませんので先に言います。
すいません!!
阪神淡路大震災から16年、119テロが9年と半年、今回の地震はそういう歴史的事件レ
ベルの出来事だと個人的に思っています。311東北地方太平洋地震と呼びましょう。
きっとこの日記を見れる人もいないと思いますが、どうか思いが届けばと綴ります。まず、
東北地方の皆さん大丈夫でしょうか?全てのライフラインが断たれ、情報も断たれ、これから
更に夜が深くなっていき不安でどうしようもなくなってしまうかもしれません。避難すること
ができずに津波にのまれた建物の中にいる人がいるかもしれません、倒壊した建物の中にいる
かもしれませんし山の上で心細く休んでいる人がいるかも……こんな突発的な出来事になか
なか対忚できません、こうなってしまったことを後悔するよりも、無事に家族に会えたこと、
おいしい焼きそば食べること、温かい布団で寝ること、好きな人に思いを伝えること、なんで
もいいなんでもいいのでこれをやらなくてはと目標を、希望を持ってじっと我慢してください。
これは建前かもしれませんが、強い意志を持っている人は逆境の時ほど力を発揮するものだと
思います。耐えて諦めないでください。家がなくなっても、街がなくなっても、本人の意思が
あればきっと何とかなるはずです。
苦しんでいる人、泣いている人、いろんな感情で安定できないと思います。そっと寄り添っ
て人と人が繋がり支え合いましょう。こんなときだからこそ本当に大切なものや守るべき存在
を感じることが出来るのではないでしょうか。
関東の人は交通機関がマヒしていて帰宅できない人が大勢都内に残されていたりすると聞
きました。私の友人も電車が止まって帰れないと連絡が来ました。社長さんや管理職の方は明
日の仕事が効率よく進まなくても不機嫌にならないでください。寝不足など様々な問題がある
はずです。部下の無事に温かい目を向けてください。それくらいの器をもった人に私は憧れま
す!!
また、今回はそんな余裕はないでしょうが当事者じゃない方は今回の歴史的な出来事に対し
て、関係ないであるとか、そんな思考回路は捨ててほしいと思います。今回はたまたま東北地
方で起きました。これが南海地震であったら東海地方が危なかったでしょう。偶然なのです。
だから他人事にはしないでほしいと思います。
ではどうしたらいいのか。私も今回のような出来事に遭遇したことがないので良くわかりま
せん。ツィッターを通せばもしかしたら連絡することができるかもしれません!!電話回線は
繋がらないらしいですが、アイフォン同士の開戦なら連絡できると友人が言っていました。安
全確認もきっと支えになります。
物資の支えもきっと助けになるはずです。阪神淡路大震災の時にカップラーメン一杯に涙が
出てきたと友達が話してくれた記憶があります。きっとなんでもいいのです。大切なのは気持
ちが伝わるか、心を支えることができるかではないかと思います。
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タイでは無償の資金援助をしてくれるみたいです。
アメリカは全力でサポートするとオバマ大統領が声明を出しました。
きっと明日には更に多くの人、国内に限らず世界中からの支援があるはずです。
ツィッターで Japan と検索してください。世界中から被災者にメッセージが来ています。無
事を祈っています。
皮肉なもので、日常的な時には実感しないがこういった非日常的なことが起きたとき多くの
繋がりがあることに気付くのです。
こんなときだからこそ、ばらばらになっている今の日本が一つになればいいなと思います。
すいません!!偉そうなことを長々と、こんなこと初めてなのでなんて書けばいいのかさっ
ぱりわかりません。どうにか私の思いを伝えたくて、でも何を書けば伝わるのかわからなくて
……とにかく皆さんの無事を祈ります!!
どうか!どうか生きる希望を!!後悔のない人生を!!
ボランティアと被災者の「こころのケア」
3月15日(火)
東日本大震災から5日目を迎えます。被災した住民が家族や知人の安否を確認しながら一喜
一憂している状況がテレビ画面から映しだされます。避難所は大勢の人たちで混雑し、不自由
な中で我慢を強いられています。
「心のケア」が言われ始めました。
そのために私たちは何を、何時しなければならないのでしょうか、できるのでしょうか。
被災者は、突然の悲惨な状況に遭遇した直後は、パニック症状になります。これまでの生活
からの大きな転換の強制は理解不可能で、何が起きたのかさえ本当は理解できていません。た
だ呆然としたり、衝動を抑えることが出来ない状況が続きます。
家族などを失った方は、喪失感と悲哀の感情を抱き続けたり、受容できずに悲嘆反忚を遷延
させます。泣いたり、悲しむのを我慢すると逆に後遺症が出たりします。周囲の人たちはその
ままを受け止めてあげることが必要です。葬儀では気丈に振る舞った遺族がその後うつ状態に
なったという話はよく聞きくことです。
しばらくすると、周囲の状況や置かれてしまった現実が見えるようになります。しかし理解
することは不可能です。理解“しようとすること”と“すること”は全く別の行為です。喪失
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感や家族をなどを見殺しにしてしまったという思いは自分を責め続けます。再起への挑戦の思
いと不安とのギャップから絶望が襲います。
この絶望を乗り越えさせるのが「希望」です。
亡くなった人たちを弔うのは生きているものしかできないのです。最大の弔いが生き残った
者が生き続けることです。
被災者が希望を抱くためには、見捨てられていないという人間関係の可視化が必要です。身
近なところでの関係だけでなく、テレビ・新聞などを通しての情報もあります。今回はすでに
各界からたくさんのメッセージが送られてきています。形にして届ける必要があります。
阪神淡路大震災の時は毎日、新聞が各避難所に大量に届けられました。支援の輪、関係者の
一生懸命さが伝わり期待を持つことが出来ました。被災者は、少しは我慢もできるし、自分た
ちもコミュティー活動に参加したりし、お互いへの思いやりも生まれてきます。
ボランティアの存在はそれだけで“絆”の可視化です。近くにいることだけで恐怖感を緩和
させます。
希望を確認することが出来た時、被災者は少しづつ精神的落ち着きを取り戻していきます。
その逆に、状況がわからないとストレスが募っていきます。そして失望が襲います。
10日間から2週間を過ぎると、冷静さを取り戻します。やっと体験した出来事についての
詳細を話すことが出来るようになります。この時、支援者はなるべく話を聞くようにします。
悲しみ、苦しみ、絶望、不安、感謝など率直な感情や訴えを静かに聞き、合図地を打ち、寄り
添います。胸の中にある思いを全部吐き出すことは悲しみや恐怖、不安などの感情を減少させ
ます。
被災者はみずから苦悩を披瀝したりすることは多くありません。他者からサポートを受けよ
うとはしません。支援者の方から近づくことが必要です。
このような行為がPTSD(外傷後ストレス障害)を防止する手段です。PTSDの防止、解
消方法は思いを共感者に話すことです。
そうしないと、再体験、回避、過覚醒の症状を発症させます。
生活の再起には行政機関の支援が必要になります。その手続き等の検討と開始は再起への挑
戦開始です。
リアルな展望は語れませんが夢や希望を一緒に明るく語ることはできます。それを目標に将
来を描きます。
阪神淡路大震災の時は、この頃、歌手のキム・ヨンジャは長田区で瓦礫を背にトラックを舞
台にしてカラオケで「朝の国から」などを歌いました。新井英一は体育館で「チョンハーへの
道」のギターを奏でました。
歌を聴いて自分でもつい口ずさむ中から心の切り替えができました。このころから被災者同
士の会話や交流も増えました。
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「心のボランティア」が各避難所を回り始めたのもこの頃です。(『活動報告』1月14日
(金)「心のボランティア」参照)
しばらくたって生活物資等の支援が必要でなくなる頃、しかし被災者にとって生活基盤が固
まる前に支援者は去っていきます。阪神大震災の時は、新学期を口実に強制的に退去させられ
ました。被災者は取り残された、孤立した気持ちを抱き、絶望に陥ります。自殺に至る場合も
あります。
精神的な支援、寄り添いは長期に必要です。
今、物資を送ったり、カンパをしたり、ボランティアに駆けつけるとこも必要です。しかし、
時期をずらして、もう少し落ち着いてからの、長期の支援も必要です。“忘れていない”とい
うメッセージが必要です。
被災者が定住を始めると、再起にむけたそれぞれの条件で格差が生じます。取り残される者
も出てきます。ここにこそ政府の支援の手と遠くからでも“忘れていない”という繋がりが必
要です。
今、東日本大震災の被災者に必要なのは「神戸の人々の笑顔」です。「16年前は同じよう
に大変だったけど、皆さんの支援を受け、今ここまで復興し、元気に生活することが出来て幸
せです」と伝える笑顔は、東日本大震災の被災者の10年後に向けての何よりの希望になるで
しょう。
ボランティアとは「共に歩む」こと
3月16日(水)
計画停電初日の14日夕方、事務所との往来で利用するJR「四ツ谷」駅のホームで、なか
なか来ない列車を待っていると、もう一本のホームで女学生らしい人が大きな声で歌を繰り返
し繰り返し歌っていました。
負けないで もう少し
最後まで 走り抜けて
どんなに 離れてても
心は そばにいるわ
追いかけて 遙かな夢を
ZARDの『負けないで』です。
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みんな、東日本大地震の被災者に思いを寄せています。
この後、多くの人たちがボランティアに駆けつけるでしょう。
悲惨な状況を目撃します。そのことによって、せっかくの善意が自分の体調を崩すことにな
る危険性もあるので気を付けなければなりません。
危険性を防止するための参考に、2008年末に開設された日比谷派遣村に参加されたボラ
ンティアの人たちに向けてホームページに載った「お願い」を再掲載します。
「派遣テント村のボランティアに参加された皆さんへ」
派遣テント村ボランティアに参加された皆さん、お疲れ様でした。派遣村が閉村して1週間
が経ちましたが、その後どう過ごしているでしょうか。テント村で風邪を引かれた方もいるの
ではないでしょうか。様々な思いを抱いて帰路に着かれたと思います。
いろんな方が参加しました。参加の契機は、皆さんそれぞれです。
テント村には私たちのこれまでの日常とは違う状況がありました。しかしこれも1つの現実
です。真面目に働いていても突然仕事を奪われ、住居を奪われる現実が私たちのすぐ隣りにあ
るのです。
私は、まもなく14年目を迎える阪神淡路大震災の時に、避難所にボランティアとして参加
しました。その経験から皆さんにいくつかお願いしたいことがあります。
ます、見た現実を、ありのままを身近な多くの人に話してください。疑問に感じたこと、不
満に思ったことも率直に話してください。話を聞いて様々な反忚が返ってくると思います。あ
なたの思いに対する反対意見も真摯に聞いてください。そして討論をしてください。
それが派遣村を開設せざるを得なかった問題の解決を推し進める1歩になります。
疑問に感じたこと、不満に思ったことを自分の中だけにしまっておくとストレスが募ります。
そして体調を壊すことにもなりかねません。その解決策は、自分の中だけにしまわないで、誰
かに話をすることです。
実際、参加しても仕事がなかったという感想も聞きます。しかし仕事をすることだけがボラ
ンティアではありません。逆に「村民」をさておいて活動するのは自立を妨げるという意見も
あるのですから。
参加して何もできなかったといっても、テント村に来たあなたの存在それだけでボランティ
アだったのです。大勢の人が駆けつけてくれたということが、真面目に働いてきても突然契約
解除になった派遣労働者に、この問題は個人の問題ではない、自分だけのせいではないという
思いに至らせ、勇気と自信を取り戻させました。
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勇気と自信を取り戻させたのはボランティア参加者の数ではありません。同じ思いの、同じ
目線での1人ひとりの顔と顔の交差です。
阪神大震災のとき、少し落ち着いてきた頃、ボランティアの活動は減りました。「もう僕ら
はいらないね」と言うと、住民からは「いやいやいてくるだけで心強いんだよ」と言われまし
た。
ボランティアの最大の役割は「思いの共有」です。参加するだけで、その役割は充分に果た
したのです。みんなみんな必要な存在だったのです。
地方で駆けつけることができない人は物資やカンパを送ってくれました。カンパをおくるこ
とができない人はメッセージを送ってくれました。それぞれができることをする、これがボラ
ンティアです。
テント村の状況を見てショックを受けた方もいると思います。そのような方は、そのショッ
クを受け入れてくれる誰かに話をしてください。それをしないとPTSD(Post Traumatic
Stress Disorder・心的外傷後ストレス障害)におちいる危険性もあります。
「村民」は契約解除で生活を破壊され、テント村に来ても不安のなかで右往左往していたこ
とでしょう。実行委員会も始めての体験、さらに想定以上の状況になり、多忙と混乱の連続だ
ったと思われます。そのなかでボランティアへの指示にも混乱があったかと思います。しかし
それは止むを得ませんでした。
このような状況に対する経験を何回もしていることのほうが不幸なことなのです。
しかしボランティアの皆さんの活動が素晴らしいものであることは、全国の多くの方が認め
ています。ボランティアなしには村の運営はできませんでした。厚生労働省を動かすことはで
きませんでした。
みんなが一体となった活動だったのです。そのことは参加した皆さんで確認できると思いま
す。
今回の体験を単なるエピソードにしないよう、それぞれのところで頑張っていきましょう。
それが社会を動かす、小さいながらも第一歩になります。
私が阪神大震災の時ボランティアで行った避難所に聾唖者の人がいました。彼は怖かった体
験を誰にも伝えられません。ストレスがたまったと思います。不安を伝えられません。情報が
入りません。この後どうしたらいいか相談できません。私も何もできませんでした。
その代わり、私は帰った後手話の勉強をはじめました。
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手話でボランティアをどう表現するか。「一緒」プラス「歩く」です。何かをしてあげるの
ではなく、「共に歩む」がボランティアです。
「心のボランティア」
1月14日(金)
間もなく 1 月17日、阪神淡路大震災から16年目を迎えます。
震災から2週間後の神戸にむかいました。鉄道は不通で芦屋からバスで三宮へ。渋滞で1時
間半かかりました。周囲はテレビの映像そのままです。
お年寄りが多い避難所に行きました。マスコミからの陽も当たらない避難所は支援も少なく、
かえって住民は自立して余りすることがありません。お年寄りに「することないよ」と言うと
「いてくれるだけで嬉しいよ」という言葉が返ってきました。
それでも若い新聞記者が取材に来ました。ボランティアから話を聞いた後はうろうろしてい
ます。住民に声をかけられないのです。質問が探せないのです。結局住民への取材はしないで
帰りました。それくらい“残酷”な状況がありました。
焚火にあたりながらお年寄りに声をかけます。「どちらにお住まいだったのですか」「地震
の時は何をしていました」「怪我はしませんでしたか」「家族は大丈夫でしたか」ゆっくりと
このように聞きながら頷いていくと「俺は大丈夫だったけど○○は大変だった」と話をしてく
れます。そして最後はみんな「神戸はね、本当に住みよいとこだったんだよ」と力説しました。
中年ボランティアだからなせる技です。中高年も役立つことがあるのです。
週末に“手ぶら”のボランティアが数人来ました。何をするのかと聞いたら住民とお話をし
に来たと言います。後からわかったのですが“心の震災”に“心の支援”をする「心のボラン
ティア」・臨床心理士の人たちのアウトリーチ(outreach)です。
住民のところに行って「お話をしませんか」と声をかけます。最初は「私はいいから」と言
われますが、1人に約30分から45分ずつ会話をすると最後に「ありがとう」とお礼を言わ
れるといいます。住民は、ストレスや不安を語ります。そうするとストレスや不安が少し安ら
ぐのです。
この時から日本ではPTSDの問題がクローズアップされました。
PTSDの解消法は、誰かに話す、誰かが聞くという作業が必要なのです。
一緒にいた学生ボランティアは子供たちとサッカーをしています。ボールを蹴りながら「将
来なんになりたい?」と希望の話をしています。一時的にも厳しい状況から抜け出させて希望
の世界に誘う「心のボランティア」の役割を果たしていました。
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親しくなったお年寄りが「東京で何かあったら俺は真っ先に駆けつけるからな」と言ってく
れました。「神戸はそんな余裕しばらく無理、気持ちだけ支援して」と返したら「そうだな」
と納得していました。
この時の臨床心理士の「震災被災者への『心の支援』」については、中心で担った長谷川浩
一青山学院大学教授の講演内容が朝日新聞調査室発行の『調査室報』95.6号に載っていま
す。
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