「ツーウェイシステム」 社長インタビュー

池銀キャピタルニュース
2007 年9月 10 日
an IkedaBank group company
投資先社長インタビュー
No.56
株式会社ツーウェイシステム
千田敏雄社長
会社経営は 10 年が一節です
千田
敏雄(1955 年生まれ
52 歳)
1978 年4月
株式会社ヒカリ洋品店
入社
1980 年4月
株式会社リレーホンシステム
1987 年1月
個人にてツーウェイシステムを創業
1988 年4月
株式会社ツーウェイシステムを設立
入社
代表取締役就任
ツーウェイシステムは、コールセンター業務を 24 時間 365 日対応で
行なっている。
千田社長は、手探りの状態で独立を果たした。薄利でもいいので毎日
お金が入ってくる商売を模索する中、通販会社においてテレビショッピ
ングのキャンセル伝票の山に出会った。そこからチャンスを掴み取り、
モノ売りからテレマーケティング事業への転身を図った。
一人で創業して以来、自転車操業の時期を経て、会社を安定させるべ
く契約先を徐々に増やしてきた。現在は、10 年後のリーダーとなる人材
の育成に努め、次の 10 年間を見据えた経営に取り組もうとしている。
50 歳までの人生に夢を抱けず、サラリーマンと決別
IGC:社会人になられた時は、今とは全く違うアパレル小売の世界に2年間ほど身を置いておられた
のですね。当時、何を切っ掛けとして、通信という新しい世界へ入って行こうと思われたので
すか?
千田:大学を卒業するにあたって、どこでもいいからとにかく就職しようと考えたんです。大志を抱
いて就職したのではなく、普通の学生が社会人になったというくらいのことでした。
IGC:アパレルの業界を志望していたわけではなかったんですね。
千田:最初の仕事に就いたのは全くの偶然です。結果的に、アパレル小売の会社には2年間在籍して
いました。この会社は船場の創業社長が始めた会社でして、
「丁稚奉公」と言いますか、社会人
としての基本を教えられた会社でした。
IGC:「丁稚奉公」と言いますと、仕事は店先の掃除から始まったのですか?
千田:そうです。掃除、接客、棚卸し、検品という基本的な仕事を身に付けました。
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IGC:商売の基本を叩き込んでもらえたのですね。
千田:私が就職した 1978 年当時でも、丁稚奉公的な仕事は嫌われていまして、きれいに、スマートに、
格好良く働けるイメージの仕事が好まれていた風潮でした。そんな中、足回りの雑用の基本を
教えてもらえたことが、私としては一番勉強になりました。
IGC:そこから、どうして通信機器の会社へ転職しようと思われたのですか?
千田:アパレルの店舗で勉強させて頂いて、将来は小売店を自分で経営したいという願望も一時期は
抱いていました。ですが、一方で、店舗を構えて商品を仕入れ、販売していくというのは非常
にお金がかかるのだなとも考えていたんです。一サラリーマンの稼ぎで始められるような商売
でもなさそうでしたから、そこでは基本だけを教えて頂いて、次へステップアップしたいと思
うに至ったんです。そんな訳で、できそうな事を考えた結果、通信という分野で営業を始めよ
うと考えたんです。通信機器の販売を行なっていたリレーホンシステムへ入社したのはそんな
思いからでした。
IGC:リレーホンシステムでは、具体的に何を販売していたのですか?
千田:ボタン電話、ファックス、コピー、転送電話等、通信に関わる全てのものを扱っていました。
IGC:アパレル小売の会社よりも長い間いらっしゃいましたが、何を学ぶことができましたか?
千田:通信の知識はよく勉強できました。携帯電話が出てくる以前の時代でして、NTT が民営化され
る直前の時期でした。丁度、時代の変更期でしたね。
IGC:丁稚奉公的な環境の中、いわゆる商売の基本をアパレルの業界で勉強されて、その次に新時代
の通信関係という新しい分野の営業を身につけられたという順番ですね。
千田:きれいに言いますと、そういうことですね。
IGC:この過程では心の葛藤としてはどうでしたか?ずっと給与所得者、いわゆるサラリーマンでや
っていってもいいという思いは残っていませんでしたか。
千田:27~28 歳くらいから、サラリーマンを一生やっていこうという気持ちは日増しに薄くなってき
ていました。というのも、月給を考えますと、毎年の上昇幅はせいぜいが手取りで6千円でし
た。単純に考えますと、10 年間勤めて月に6万円ですよ。20 年間勤めても 12 万円か、と。単
純に今の手取りに 12 万円を足しますと、47~48 歳になってしまうんですよ。給料は単純な掛
け算の世界でして、このままでいいのかと、働きながら疑問を持たざるを得ませんよね。そう
いう疑問を持つこと自体、サラリーマンという意識が薄れてきていたという事ですよねえ。
IGC:サラリーマンとは別に、何かやりたい事があったという訳ではなかったのですね。
千田:消去法として独立したいという気持ちの方が強かったんです。極論を言いますと、サラリーマ
ンではベンツに乗れませんし、いいお店へも飲みに行けません。10 年後、20 年後の将来が読め
てしまうわけです。ベンツに乗るというのは、あくまで例え話ですが、到底そういうことはで
きません。30 歳になった後、それが出来ない状況があと 20 年間続くわけです。今のままでは、
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50 歳迄の人生に何の夢も持てなくなったなと思うようになりました。そんな訳で、31 歳のとき
に独立を果たしたんです。
電話を売る仕事から、受ける仕事への転身を図る
IGC:サラリーマンを辞めるときに、こんなビジネスをやろうと思ってい
て今の仕事を始めたのですか?それとも、外部の方から「こんな話
があるよ」と聞いて、始めたのですか?
千田:サラリーマンを辞めたときは白紙の状況でした。とにかく日銭を稼
ぐのであれば、過去に行なっていた通信機器の販売を、明日の飯の
種にしようという気持ちでした。飯を食う為に、通信機器を前と同
じように売ろうと考えたんです。
IGC:リレーホンシステムでは、営業成績が良かったのでしょうか?
千田:営業には自信がありましたし、それなりのお客様も掴んでいました。
IGC:通信機器は、一回お客様へ販売しますと、更新需要が出るものなんですか?
千田:追加や移動等の需要がありますからね。
IGC:顔を売っておられたのは、一つの無形資産であったわけですね。
千田:当時、一人で食べていくくらいは、やれば出来ると思っていました。
IGC:それでなければ、なかなか会社を辞められないですね。
千田:独立はしましたが、気持ちの面で満たされてはいませんでした。それまで7年間ほどモノ売り
をやってきていましたが、
「この仕事は一生続けて行く仕事ではない」とも考えていましたから
ね。
「薄利でもいいので、毎日お金が入ってくるような仕事をやりたい」という思いをずっと抱
いていました。
IGC:新しい仕事を始める切っ掛けは、どのようして見つけたのですか?
千田:通信機器の販売をしていましたので、通信販売の会社へ出入りしていました。通信販売の会社
は、受注センターに電話機を何台も置いて頂けるので、いいお客さんだったんです。ファック
スも1台ではなく、3台、5台、10 台と買ってくれるんですから。ある時、先方へ行きまして、
「会社を辞めたのですが、何をしようか思いつかないんです」と、担当者と話をしていました。
すると、ずらっと 200 人ほどの女性が並んで、一生懸命電話を取っている風景が目に入ったん
です。会社勤めで通信機器の営業をやっていたときは、とにかく電話機を売らないといけない
としか考えていなかったので、そんなところは見えていなかったんです。
IGC:環境が変わって、モノの見方も変化したって訳ですね。
千田:200 人ほどの女性が並んで電話でどんどん注文を取っているのは壮観ですよ。いつ訪問しても
その風景でしたから、
「200 人ほどを毎日雇用して、毎日仕事をしているな、これは毎日仕事が
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あるな」と直感したんです。これはいいと思いまして、一列あたり 15 人から 20 人が並んで電
話を取っているうちの「一列を私に任せてもらえませんか」と、当時の先方の社長へ提案書を
出したんです。
キャンセル伝票に商機を見い出す
IGC:「それはいいな」という話にはなりましたか?
千田:先方の通販会社としては、電話が一本鳴るごとに、注文を受けて一万円が入ってくるんです。
注文の電話は、先方にとってはまさに「金券」ですよ。サラリーマンを辞めたような人間に、
自社の生命線を任せられないという理由で、その時は断られました。
IGC:それはそれで正論とも言えますね。
千田:当時、会社組織でもなかったですし、業歴もありませんでした。さっきサラリーマンを辞めた
人間に、そんな重要な仕事を任せてもらえる訳がありません。それで、4~5日後にまたその
会社へ行きまして、「断られました」と先方の担当者へ話していました。そうしたら、近くに輪
ゴムで留めた伝票が山積みにされていたんです。
「これは何ですか?」と尋ねましたら、キャン
セルになった伝票とのことでした。
「何でキャンセルになったんですか?」と尋ねましたら、テ
レビショッピングの番組では「2~3週間後にお届けします」と字幕スーパーに表記している
んですが、実は在庫がないという話でした。
IGC:キャンセルになったということは、在庫切れの状態で注文を一旦は受けてるんですね?
千田:そうです。電話が掛かってきてすぐに在庫切れの話をしますと、その時点で注文が終わりにな
ってしまいます。一回注文を一通り聞いてから、
最後に、
「2~3週間とご案内していましたが、
注文が殺到していまして、お客様の手元に届くまで実は1~2ヵ月掛かるのです」とオペレー
ターが伝えていました。すると、お客様は「どういうことだ」と怒り、
「それなら、もういらな
い」となった伝票が溜まっていたわけです。「この伝票をどうするんです?」と尋ねましたら、
「これはゴミ箱に捨てるんです」という返答でした。私は何とかして仕事をもらいたいと思っ
ていましたので、苦し紛れに、「この伝票を 100 枚ほど家に持って帰ってもいいですか?」と頼
んでみました。
IGC:捨てる伝票をどうしようと考えたんですか?
千田:その時には在庫があって、すぐに送れる状況ということでしたから、
「家に持ち帰って、もう一
度電話してみよう」と思ったんです。
お客様へ電話し、
「ご注文頂いたときには在庫切れでして、
お客様の手元にお届け出来るまで1~2ヵ月掛かる状況でキャンセルとなりましたが、このお
電話でご注文頂ければ、5日以内にお届けできます、どうかもう一度ご注文をお願いできませ
んでしょうか」と伝えました。そうしますと、実際に 100 人中、12 人が買ってくれました。全
体の 12%が再注文となったんです。翌日、先方の通販会社へ行きまして、「12 件、再注文にな
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りました」と伝えますと、先方は「うそつけ」といった具合でした。
「一旦怒って電話を切った
お客様が、再注文になるわけがない」と。そこで、12 枚の注文書をオペレーターに配って、事
実確認の電話を掛けさせたんです。
IGC:先方は全く信じていなかったんですね。
千田:そうです。オペレーターが再度電話を掛けま
すと、「昨日、千田さんという男性の方から電
話が掛かってきて、今なら5日以内に送れる
ということで注文したんです」という回答が
12 件から返ってきました。その途端、私は一
気に信用されました。先方はピタッと背筋を
伸ばして、
「この伝票は捨てるな」と、部下に
指示を出したんです。次に、私は 500 件を持って帰りました。500 件全てに電話を掛けるには
3~4日はかかります。注文があった分だけ先に、通販会社へファックスを流して発注を掛け
るというやり方をしていました。
IGC:コールセンターを一人でやっていたのですね。
千田:そうです。500 件、一人で3日間かけて電話しまして、再度 12%を成約できました。キャンセ
ル伝票は毎日 300~500 枚発生していましたので、それ以降、1,000 枚単位で持ち帰ることにな
りました。とは言え、1,000 枚単位になりますと、さすがに人を雇わないといけなくなります。
そういう訳で、独立して2ヵ月後に人を雇ったんです。事務所を借りて、電話をとりあえず 10
回線ほど引きまして、パートタイムの女性を雇いました。私の電話の声をテープに録りまして、
このように言ってくださいと教え、パートタイムの女性が電話を掛けていったんです。
文字通りの自転車操業を体験
IGC:独立された1月に先方へ出入りしていて、切っ掛けができて動き始めたのですね。パートタイ
マーを雇い入れたのは何月頃でしたか?
千田:2月の終わり頃でした。
IGC:独立後、ヒトを雇うまでの間、早かったですね。実績があれば1ヵ月くらいで信用を得ること
ができるということですね。
千田:たまたま、捨てる伝票がお金になったんです。それが先方にとっては驚異だったのでしょう。
常識が非常識に変わったわけです。
「捨てていた伝票の内、12%は売れる」と。伝票1枚あたり
1万円のお金になるわけで、先方にとってはびっくりするような事実だったんです。
IGC:最初に事務所を借りて、電話回線を何本か引いた時には、何かとお金が掛かったのではないで
すか?
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千田:サラリーマンを辞めた時に唯一保有していた、定期預金 200 万円の中から工面できました。商
売柄すぐにお金は要りませんし、電話回線にしましても、1回線あたり発着信で 72,800 円でし
たので、10 本引いても 70~80 万円の費用で済みました。通話料の請求は翌々月でしたし、事
務所は間借りでしたから、家賃を1~2ヵ月待ってもらえば良かったんです。ですから、最初
に必要だったのは電話回線代の 70~80 万円だけです。電話だけでしたが、最低限の設備を整え
てはいたんです。
IGC:1~2ヵ月やってみて、これはいけそうだと確信されましたか?
千田:いけそうだなというよりは、とにかくやっていこうと思っていました。クライアントの中へ入
り込んでいかないと次の仕事をもらえませんので、とにかくこれである程度の売上を作ろうと
思って仕事を続けていました。キャンセル伝票の再注文を取りながらも、やはり本来の毎日の
受注を取っていこうと思いまして、次の提案もしました。それは、ピーク時の受注電話を回し
てもらうという内容でした。
IGC: クライアントは応じてくれましたか?
千田:3ヵ月後には3回線を転送で飛ばしてもらい、3人で取っていました。次は5回線で5人でと
いうように、徐々に回線数を増やしていってもらいました。
IGC:その当時、利益面ではいかがでしたか?
千田:パーセンテージとしては算出していません。当時は、入ってきたお金があって、出ていくお金
があって、いくら残るのかというくらいのことしか考えてませんでした。帳面をきちんとつけ
出したのは後のことでして、キャッシュフローだけを見てたんですね。
IGC:キャッシュフローはプラスでしたか?
千田:最初の1年間は、毎月足りない状況が続いていまして、いわゆる自転車操業状態でした。本で
読んで、自転車操業という言葉自体は知っていたのですが、体験したのはその時が初めてでし
た。
IGC:自転車操業の意味が初めて良くわかったわけですね。 当時、1日に何時間くらい働いておられ
ました?
千田:夜中のテレビショッピング電話も受けていましたので、寝ない限りは仕事をしていました。
危機感こそが行動を生む
IGC:これでやっていけるなという見通しが立つまでは、どれくらい時間が掛かりましたか?
千田:今日は出来た、明日は出来るだろうと、2ヵ月先くらいまでは先行きが見通せたんですが、3
ヵ月先、半年先となりますと見通せないという意味で、明日どうなるか分からない状況が2年
間ほど続いていましたね。
IGC:その当時、千田社長は主に何をやっておられたのですか?数多くの女性を雇っていて、社長自
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ら電話を掛けていたということもなかったでしょうし。
千田:当時、私も電話を掛けていましたよ。掃除もしましたし、
通販会社へ伝票を持っていったりもしまして、何でもやっ
ていました。
IGC:職場環境をどうこうしようというよりも、会社を運営して
いく為に、手の足りないところについては全部何でもやっ
ていたのですね。
千田:その状態が2年以上続いていました。
IGC:その頃、契約先は何社くらいあったのですか?
千田:最初の1年半の間は1社だけでした。その内、もう1社から仕事が少し入るようになりました。
IGC:2社目の契約は、どのようにして取れたのですか?
千田:相手先へ行って、最初の契約先である通販会社と同じような展開を狙い、「キャンセル伝票は置
いていませんか?」と尋ねましたら、置いていないということでした。それならばと、受注を
やらしてくれるよう頼みました。
IGC:千田社長が営業をされていたのですね。
千田:そうです。
IGC:1~2社の契約先数では不安だったのではないですか?
千田:そりゃあ不安でした。いろいろな方からアドバイスを頂いて、売上分散によるリスク管理をし
ていく必要があると思うようにもなってましたから。4社が一度になくなることはないので、
4本の柱を作って、1本の柱が倒れても、3本の柱で支え、その間にもう1本の柱を作るべき
だという、実際の体験もありました。ですから、契約先が1社、2社、3社のうちは、早く次
の新規取引先が見つからないかと必死になっていました。そうしないと潰れるという思いでい
っぱいでして、考えよりも行動が先になっていました。
IGC:走りながら知恵を付けていかれたのですね。
千田:そうです。危機感が私の体を動かして、行動させていました。
狙いはコンタクトセンター
IGC:3社目、4社目の契約先も、千田社長が開拓されたのですか?
千田:そうです。10 年前くらいまで、社員として在籍していたのは私ともう一人だけでした。他は全
て女性のパートタイマーでした。
IGC:組織として整い出したのは、ここ数年間のことなのですね。
千田:そうです。基本的にはコールセンター代行として、これまでずっとやってきましたから。
IGC:将来プランを考えないといけないと思ったのは、いつ頃でしたか?
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千田:それについては、10 数年前から考え出しました。10 年間会社を続けてきますと、次は 20 年間
続く会社にしたいと思うものです。基本的に、
「クライアントから契約を頂戴して、それをきっ
ちりと履行し、新たな契約先を増やしていく中、売上を年々増やしていって、利益も増やし、
従業員も増やしていく」というように、成長する土壌を作っていく必要があります。創業から
10 年目までは息の続く限り進むといった具合でしたが、11 年目から 20 年目までの間にきっち
りと形を作って、30 年間続くような会社へしていきたいと考えました。
IGC:1990 年代半ば以降、ネット環境も随分と変わってきまして、可能性としてはネットで注文して
完結するネット通販という予兆もあったとは思うのです。それと、音声があって人間がやり取
りする電話とが競合していくということは考えていましたか?
千田:一部競合するとは思うのですが、全部が被るわけではありません。また、被っても、質問等は
すぐさま電話でヒトに答えて欲しいという要望もあるんです。メールで送りますと、返信まで
2~3日間ほど掛かりますから。電話には即時性があるわけです。受注部門はメールでも、問
合せ部門は私たちがやる等、ジャンル分けが出来るのではないかと、10 年前当時には考えてい
ました。
IGC:コールセンターそのものは無くならないという確信を持っていたのですね。
千田:コールセンターの中に、一部ネットが入ってくるであろうという予測を立てていました。今で
いうコンタクトセンターです。ネットでも、電話でも、郵便でも、ファックスでも、何からで
も受けますといった、お客様からのコンタクトを一元管理しますというコンタクトセンター運
営になっていくのではないかと。
目指しているのは、流通業界におけるコンビニエンス・ストア
IGC:資本金を増強して会社を大きくしていきたいと思われた時、最初に何をされたのですか?
千田:当時、会社の見てくれが問題でした。クライアントが来て、契約するか否かを決める場合、事
務所の見栄えを見るわけです。事前に競合他社を2社ほど訪問した後に、当社へやって来るん
です。私たちの事務所が、小さくて、狭くて、汚くて、「よくこんなところで仕事をしているな」
という相手の顔つきでしたから。よく考えてみますと、相手はサラリーマンなのです。私はオ
ーナーでして、「ボロは着てても心は錦」という心境だったのですが。
IGC:クライアントに安心してもらう為には、見栄えも必要だったのですね。
千田:普通のレベルの見栄えが必要でした。その当時、私たちの事務所は普通のレベルではなかった
わけです。その時に、契約してもらえるかと言いますと、サラリーマンの担当者は、並より上
の見栄えのする会社と契約するのではないかと考えました。立場が変わりますと、私もそうす
るでしょうし。それを考えますと、
「ボロは着てても心は錦」というのは自己満足に過ぎないわ
けです。事務所の見栄えも世間並にはしないといけないと思い、お金をかけることもしました。
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2007 年9月
IGC:上場を目指すことを決意された切っ掛けとなったのは何ですか?
千田:私と同い年の社長が経営している会
社がありましてね。当社よりも社歴は浅い
んですが、現在は主要クライアントの一社
です。通販会社なんですが、そこが上場を
果たしたんです。これに、大きく触発され
ました。もともとは外部の方から通販をや
っている会社があるという話を聞きまして、
私が営業に行った先なんです。先方の会社
はマンションの一室で、当時の当社といい
勝負でした。奥の方の部屋に通されたのですが、応接と言ってもパイプ椅子が置いてあるよう
な状況でした。本当にお金を払ってもらえるのかなと、私の方が心配したくらいの調度でした。
それでも、その通販会社は、上場を目指しているということでして、非常に前向きでした。
IGC:クライアントから刺激を受けたのですね。
千田:そうです。社歴も浅く、見てくれも私たちより悪い会社が、夢を持って上場を目指していて、
実際に上場を果たしたというわけです。それが最大の刺激になりました。
IGC:今となっては、既に上場している大手のテレマーケティング会社くらいの規模にはなってやる
というお気持ちですか?
千田:現在上場しているテレマーケティング会社は、総合的な百貨店型と言えます。当社と比べると
事業規模は月とすっぽんの関係でして、そんなところと勝負をしても負けるのは分かっていま
す。小売業で例えますと、私たちはコンビニエンス・ストアで良いと考えています。大きい流
通業界の中でトップへ行くというのではなく、百貨店、スーパー、コンビニエンス・ストアと
ジャンル分けした中で、コンビニエンス・ストアのリーディングカンパニーになろうと考えて
いるんです。
配置転換が会社成長の鍵となる
IGC:現在、従業員は何名くらいいらっしゃるのでしょうか?
千田:契約社員を含めますと 350 名くらいです。
IGC:千田社長の考えは、社員の方々へどのように伝えているのですか?
千田:
「ノーツ」というグループウェアを使っています。私がそこにメッセージを書いて、社員がそれ
に対して返答をするという形でコミュニケーションを図っているんですが、なかなか私の真意
が社員へ伝わらないのが現状です。
IGC:千田社長として、今、社員に一番訴えていることは何ですか?
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2007 年9月
千田:今 30 代の方が、10 年後は 40 代になり、次の時代の担い手となっていくんです。30 代前半から
リーダーシップを発揮していく必要があります。年齢層から言いますと、30~35 歳くらいの方
が、次の 10 年後には最前線に立って会社を引っ張っていかないと、そこから次の 10 年間の成
長は望めません。そういうことを自覚して、単なる毎日の流れの中で、流されて、時間だけが
経って内容が伴わないというのではなく、10 年後を見据えて貪欲に学んでいくべきと言えます。
その為には、いろんな人と交わって、いろんな仕事をして、いろんな経験をして、いろんな失
敗をしてもらう必要があります。それにも関わらず、最近の若い人は、自分はここだけしかや
らないということを言いがちなんです。
IGC:蛸壺の中に入りがちですね。
千田:蛸壺の中にいればいるほど、人生の時間を損していると思うんです。蛸壺の中に長い時間いれ
ばいるほど、10 年後には使い物にならない人材になるのだと、社員へはくどくどと伝えていま
す。
IGC:「社長、また言ってるな」という状況でしょうね。
千田:最近の若い人は、若年寄といいますか、一つのことに固執してしまって、これをやっていれば
安泰だと考えているんでしょう。私からしますと、やればやるほど将来はないと思うんです。
一つの部署で仕事をマスターしたのであれば、次は別の部署へという風に仕事をやっている人
の方が、将来は安定すると考えています。ですから、チャレンジをしていく気持ちは持ってほ
しいですし、決して忘れてほしくないんです。一昔前、私たちの若い時分でしたら、同じ部署
に3年間留まっていますと、上位職から信頼されていないのだと解釈していました。みんなは
将来を見込まれているから異動しているのだと。今の若い世代は、同じ部署に留まっているの
であれば、自分は評価されているのだと解釈しているんです。
IGC:それは大きなギャップですね。
千田:そうなんです。そこを真剣に言い聞かせ、時には無理やりにでも異動させ、2~3年後には、
ここの部署へ来て、こういう勉強をして良かったと感じてほしいんです。その為には、半分言
葉で納得させて、半分は強引にやっていく必要があります。
【語り手:千田 敏雄(せんだ としお)=ツーウェイシステム代表取締役、
訊き手:IGC 神保 敏明(じんぼう としあき)=池銀キャピタル代表取締役、
聞き書き:農山 佳那(のうやま かな)=池銀キャピタル投資部
池銀キャピタルの投資先社長インタビュー・シリーズ
はこちらから http://www.ikegin-c.jp
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2007 年7月 31 日】