詳しくは… コムジン 検索 http://www.nttcom.co.jp/comzine/ 満足度の高い製品を目指し、進化するビゲンブランド 剤式液体の酸化染毛剤 りで使用説明を記載 ﹁ 二 羽 か ら す ﹂。 写 真 入 1 カラーリングに必要な設 備を全て備えた、オリジ ナルの「サロンカー」 ビゲン 72年にわたる大ロングセ 泡がクリーム状になる ラー商品「元禄」 (1993年 「ビゲン ヘアカラー DX ク まで販売) リーミーフォーム」 1957 年発売│ホーユー株式会社 しっかりキレイに白髪を染める、信頼のヘアカラーブランド たが、自然な黒褐色、濃いくり色と 万円もかかったという。 タイプの「ビゲン ヘアカラー DX ク 水で溶いて湯せんし、冷めたら、過 3色をラインアップし、商品名も「ビ 1990年代に入ると、ヘアカラー リーミーフォーム」は、髪にもみ込 酸化水素水を加えて染液を作る。過 ゲン A / B /C」に改称した。かつて 市場は右肩上がりで成長し、2001 むと泡がクリーム状に変化して髪に され、白髪染めは少しずつ進化を遂 酸化水素水という酸化剤の登場で、 白髪染めといえば黒だったのが、自 (平成13)年には総出荷額が1100億 密着し、根元や後ろの白髪もきれい げた。 放置時間は一挙に20分に短縮され 分に合った髪色を選べるようになっ 円※に達し、シャンプーを抜いて頭 に染めやすい。容器を工夫して両手 当時、名古屋で家庭薬製造販売業 た。1 剤に酸化染料、2 剤に酸化剤 たのだ。 「ビゲン」は水で溶いて使 髪化粧品の首位に立った。スポーツ を使えるようにし、使い勝手もさら 「水野甘苦堂」を営んでいた水野増 を用いるのは今も変わっていない。 うだけの手軽さと、小分けして使え 選手やタレントが髪色を明るくし、 に向上した。 次郎 (現ホーユー株式会社の創業者) 染毛剤の基本構造が大正時代にでき る自由度が好評で、ヒット商品とな は、東京で流行していた「千代ぬれ ていたというから驚きだ。 った。 羽」のような製品を作りたいと試行 高度経済成長期に突入した1957 らすの濡れ羽色」というた 錯誤の末、 「二羽からす」という染 (昭和32)年、ホーユーは新製品「ビ とえがあるように、美しい 毛剤を発売した。 「二羽からす」は ゲンホーユー」 を発売した。 「ビゲン」 黒髪は日本女性の理想であり、美人 染め上がるまでに6∼7時間かかる の由来には諸説ある。1つは美しさ の条件とされてきた。江戸時代には ものの、髪に塗るとすぐ乾く。朝塗 「美玄香(びげんこう) 」という黒い 元禄」を発売した。2種類の粉末を ろには、空気酸化によって髪を染め る酸化染毛剤「千代ぬれ羽」が発売 「茶髪」が市民権を得たことで、若 白髪を隠すことから始まった白髪 者を中心にカラーリングブームが起 用ヘアカラーは、使い勝手や髪色、 こったのだ。 放置時間、経済性、ニオイ、仕上が 一方、白髪用の市場も順調に成長 りなど、多様なユーザーニーズにき し、ユーザーの不満を解消する製品 め細やかに対応することで進化して ヘアカラーは、正しく使うことで が次々に登場した。 「ビゲン 香りの きた。毎年のように新製品が発売さ の源という意味での「美源」 、もう1 本来の効果を発揮する。そこでホー ヘアカラー」は、染めるときのツン れるが、ビゲンブランドには「ビゲ って仕事に出掛け、夕方帰って髪を つはパッケージの意匠である元禄美 ユーは1984年、販売促進のために としたニオイがせず、きれいな髪色 ン A/B/C」を筆頭に、30年以上続く 油で白髪を隠し、明治時代にはいわ 洗えばいいという使い勝手の良さで 人から取った「美元」である。 「ビゲ 「サロンカー」を導入した。車内で に染まる。現在、アロマの香りが楽 製品が存在する。長く使い続ける固 ゆる「お歯黒」で髪を染めた。しか 大ヒットした。 ンホーユー」は粉末1剤式の染毛剤 毛染めやシャンプーができる特注の しめる新色を加え、十数色のカラー 定ファンが多いのも、白髪用ヘアカ しお歯黒式染毛剤で染めるのは5∼ その後、増次郎は、1921(大正 で、粉末を瓶4杯分の水で溶くだけ バスで、カラーリングの講習会や店 バリエーションで展開されている。 ラーの代名詞・ビゲンならではとい 10時間もかかり、半日仕事だった 10)年に3剤式染毛剤「志らが赤毛染 で染液ができる。当初は黒1色だっ 頭販売を行った。改造費は1台2000 近年人気の剤型であるフォーム/泡 えるだろう。 「か 17 という。その後1907(明治40)年ご 豊富なカラーバリエーション! 進化を続ける白髪用ヘアカラー ※経済産業省生産動態統計 化学工業 化粧品より 18
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