2667回 2016年 1月19日発行

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2667 回
2016 年 1 月 19 日発行
三原ロータリークラブ週報
事務所 / 〒723-0003
三原市中之町2丁目8番1号
創 立 / 昭和36年4月4日
例会場 / 〒723-0014
三原市城町1丁目2番1号
三原国際ホテル
TEL(0848)63-2111
例会日 / 毎週火曜日
しまなみ信用金庫中之町支店内
2015~2016 年度
国際ロータリーのテーマ
TEL(0848)62-1658
FAX(0848)62-1608
Email:[email protected]
URL : www.mihara-rotaty.com/
会 長
幹 事
SAA
会 計
藤井
勝村
金本
出雲
12:30~13:30
啓文
憲明
好男
智
副会長
副幹事
副 SAA
赤枝
田中
渡辺
俊郎
綜―
敏
四つのテスト
言行はこれに照らしてから
1
真実かどうか
2
みんなに公平か
3
好意と友情を
深めるか
4
みんなのために
なるかどうか
-2016年 1月 12日 例 会 記 録 -
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クラブニュース
点 鐘 藤井会長
ソ ン グ 奉仕の理想
会 員 数 62 名
出 席 者 53 名
欠席者
9 名 (出席規定免除 1 名)
出 席 率 86.89%
前々回訂正出席率
98.39%
Make up 三好さん
【会長報告】
皆様、明けましておめでとうございます。
会員の皆様には 2016 年の新春を、ご家族社員の
皆様と共にお元気に迎えられたことを、心よりお慶び
申し上げます。本年も会員並びにご家族の皆様にと
って輝かしい年になります様、年頭に当たり心よりお
祈り申し上げます。
さて、昨年 7 月に 2015-16 年度がスタートし、は
や半年が過ぎました。振り返りますと 7 月の「青少年
やはた川自然公園川開き」に始まり、9 月のプレ公式
訪問、東ガバナーの公式訪問、10 月の宇部での地
区大会等、皆様には大変ご協力いただき心より、感
謝申し上げます。
本年は、2 月 17 日に瀬戸田 RC 主催の 4 クラブ
合同例会、4 月 2 日に竹原 RC 主催の IM が開催
されます。更に 4 月 19 日には三原 RC 創立 55 周
年の記念行事が計画されておりまして、最終例会ま
で、多数事業が控えております。
また、地区におきましても 2016-17 年度に向けていく
つかの事業が計画されております。
本日より今年度の後半に入りますが、引き続き皆
様の暖かいご協力ご支援を、宜しくお願い申し上げ
ますとともに、ロータリーを十分楽しんでいただきます
よう心よりお願い申し上げます。
最後になりますが昨年、東日本豪雨災害義援金を
送りました真岡ロータリークラブより、義援金は堤防決
壊の大きな被害に遭われた地区の水海道ロータリー
クラブにお渡ししたとのことです。水海道ロータリーク
ラブよりお礼状を頂いております。
以上、簡単ではございますが年頭のご挨拶とさせ
ていただきます。どうぞ本年もよろしくお願い致しま
す。
スマイルボックス
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会員誕生 赤枝 さん・岡野 さん・亀井 さん・中川 さん
福島 さん・藤井 さん・宮武 さん
夫人誕生 荻路 さん・小野 さん・小林さん・中川さん
中間 さん・難波 さん・藤井 さん・三好さん
結婚記念 大目木 さん・藤原(聖)さん・松尾 さん
渡辺さん
創立記念 亀井 さん・永井 さん・中川 さん・中間 さん
宮武さん・保道さん
赤枝さん・亀井さん 古希御祝い。
橘 さん 「年男の弁」ということで、つまらない話を
させていただきます。
檜山さん 今年 1 月より、事務所を父親より引継
ぎ所長になりました。これからもよろしくお願
いします。
五藤さん 家族例会時の写真をいただきました。
勝村(善)さん 早退いたします。
赤石 さん・赤利 さん・出田 さん ・内海 さん・大枝 さん
大目木 さん・勝村(憲)さん・上田(嘉)さん・亀井 さん
桑原 さん ・小松 さん ・作田 さん ・武田 さん ・橘 さん
伊達(正)さん・田中さん・塚本さん・永井さん
難波さん・平野さん・藤井さん・藤原(聖)さん
宮本 さん・保道さん・吉永 さん
週報に写真が載りました。
1
御
【幹事報告】
【古希御祝】
<連絡事項>
・1/12→理事会 13:40~
・如水館インターアクトクラブよりご協力のお願い
書き損じはがき・未使用切手・プリペイドカードの回収
期間:1/5~26
・1 月ロータリーレート 120 円/㌦
【委員会報告】
<親睦活動委員会>
・忘年家族例会御礼
祝
大名委員長
亀井正さん S21.1.1 生 赤枝俊郎さん S21.1.1 生
前回のプログラム 1 月 12 日
私は当時のことは何も覚えておりませんが、北京に
いた時には片言の中国語をしゃべっていたようです。
三原に帰ってからはケンカした時だけ「アイヤー」と言
っていたそうです。
父母はそのような厳しい時代に大変苦労しながら、
私を大事に育ててくれました。
以上で「年男の弁」を、終わらせていただきます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします
「年男の弁」
三原ロータリークラブ
」
橘 伸和 会員
1944 年の申年生まれ、気持ちは 48 歳です。私
の生い立ちについてお話しさせて頂きます。
父は北京の紫禁城の中で仕事をしておりましたの
で、北京生まれです。父が 38 歳の時の子どもで生ま
れた時、大変喜んだと聞いております。名前は中国
のお坊さんに考えて頂きました。申年生まれなので、
人偏に申で「伸」、和やかに平和にということで「和」、
すくすくと伸びて平和に暮らそうということで、「伸和」
と名付けていただきました。
「年男の弁」
三原ロータリークラブ
」
松尾 恵輔 会員
明 け ま し て お め で と う ご ざ い ま す 。 昭 和 19 年
(1944 年)生れです。三原の東町で生れ、別子銅山
で有名な四国の新居浜で育ちました。
中学の夏休みの宿題に「生い立ち」の作文があり、
父の話を聞きながら原稿用紙に 20~30 枚書きました
が、その作文は残っておりませんので、思い出しなが
らお話しさせて頂きます。
父は内科医で今の十全総合病院(一般財団法人
積善会 十全総合病院)の基礎を作りました。小学校
は新居浜、中、高校は松山で、大学は岡山大学に行
きました。医者になったのが昭和 44 年(1969 年)で
すので、今年で 47 年になります。
今日は内科医が見た医学の進歩についてお話し
いたします。
この 50 年間で大きく進歩をしたのは、次の 4 つです。
①病原微生物に対する治療
②細菌、ウイルスに対する治療
③遺伝子レベルでの治療
④診断技術
昭和 19 年頃、日本国内はまだ勝利気分でした
が、北京では飛んでいる飛行機が米軍機ばかりにな
り、これはおかしいということで三原にいた母方の親
に国債を手放すよう勧めましたが・・・終戦を迎え紙屑
同然になりました。
2 歳の時に終戦になり、日本に引き揚げることにな
りました。引き揚げ時に許された荷物は写真、宝石等
だけで、妊婦は中国に残らないといけませんでした。
北京から貨車にぎゅうぎゅう詰になって大連まで行
き、大連から仙崎港まで船(タンカー)で引き揚げまし
た。船のトイレは船の外の海の上で、父は私をトイレ
に連れて行くのに大変苦労したようです。船の中で
も、私は他の子を泣かすほどの、やんちゃな子どもだ
ったそうです。仙崎に着いて金券の様なものをいただ
き、DDT を頭からかけられました。そうして列車で三
原に帰って来ました。
①病原微生物に関する治療は、寄生虫による感
染症の治療法発見で大村智さんがノーベル賞の医
学生理学賞を受賞されましたが、現在日本では寄生
虫感染はほとんどありません。数年前にマラリア治
療、30 年ほど前にサナダムシ治療がありました。日
本では、青魚等に寄生するアニサキスという寄生虫
治療が時々あります。
2
化学療法を通院で受け、今、その経過観察で月 1~
3 日程度は通院しています。
②細菌に対する抗生物質治療、ウイルスに対する
治療が劇的に進歩しています。
インフルエンザは以前は、医者、看護師にも感染
することもあり、また老人ホームで集団感染もありまし
たが、2000 年頃に新しい薬が出来、以前ほど流行し
なくなりました。
C 型肝炎は、昔は何年かかけて肝硬変、肝臓ガン
になり、亡くなる事が当然のような病気でしたが、今で
は 3~6 カ月の治療でウイルスがいなくなるという、信
じられないほどの進歩です。昭和 44 年頃には、肝臓
の権威の先生でも慢性肝臓の治療は治るとは言わな
かった病気です。
同じウイルスのエボラ出血熱も、終息出来るように
なっています。この様に、細菌、ウイルスに対する治
療は 50 年で驚くほど進歩しています。
一昨年末の送ってきた私の同窓会の名簿。昭和
30 年 3 月卒業、工学部土木工学科 25 名で死亡 6
名。昨年、死亡は無かったので現在は 76%の生存
率、この数字がどうこう言うのではないですが、殆どが
病院通い、痴呆症等で同級生ヨタヨタではないかと
思っています。
私、今年 84 歳になることを考えれば、よくもマーの感じ。
でも、気分・気力は 20 歳(ハタチ)。
学校を出る時担任の教授から、これからは「20 歳」
(ツネハタチ)の気持ちで何事にでもチャレンジをと言
われた言葉を今までも頭から離れず、歳を取るほどそ
の言葉の意味の深さ・大切さを実感しています。
③遺伝子治療についてですが、遺伝子操作の結
果はおそらく良い結果になると思いますが、先々どの
ようになるかは時間が必要と思われます。
私の学校を卒業した時代の事を思い出すと、昭和
30 年は不景気の最中、民間企業の採用も少なく、官
公庁の採用も試験を受け、合格し名簿に登録された
が何時採用されるか分からない時代、それで私は 4
月からは大学院の修士課程は無かったのですが、半
分の一年課程の専攻課程がありこれに入り勉強、と
はいっても遊んでばかりの日々。
8 月、9 月となると次年度 31 年採用の試験が始ま
るので、私は神戸市役所の試験を受けました。地元
の大学であるためか合格はしていたのですが。
そうこうしていると昭和 30 年 11 月 1 日で福岡県
職員に採用するとの通知。卒業後一年間の土木工
学専攻課程で勉学中であったのですが、教授と親父
の意見を入れて中途退学で福岡県庁にと就職をしま
した。
④診断技術の進歩では、画像診断では、レントゲ
ン、CT の精密化、ガン検診の PET。血液診断で
は、血液 1 滴でガンが診断できるようになりました。
血液検査でガンが発見されても、位置等確定のた
め、画像診断は重要です。また、画像診断の進歩は
外科医にも大変役立っています。
ガンに対しては、特に白血病、悪性リンパ腫に対し
ての治療、薬が進歩しています。昔は髪の毛が抜け
たり、すごく辛い治療でしたが、今はガン細胞だけを
狙うことができ、慢性の白血病の場合はガン化を予
防し、遺伝子異常の細胞が出来た時には、その細胞
だけを死滅させる薬が開発され、今ではガンになって
も助かり長生き出来ます。
所属は土木部港湾課(県内の港湾に関する諸々
の事をする課)です。庶務係・港湾係・海岸係があり
私は港湾係でした。港湾課では最年少で便利屋のよ
うに何でもさせられた思いです。港湾課長は運輸省
からの方で東大出、その他は熊本工専出身の方が
私の上司でした。
しかし、病気にならないよう、目標をもって予防する
努力もしなくてはなりません。ガン予防のために、煙
草は吸われないよう、お勧めいたします。
「年男の弁」
勤めだして半年くらいの頃、お前これを設計しろと
筑後川の河口で大川市(演歌歌手大川栄作の故郷)
の若 津港での-2.5 米桟 橋の設計 。事業費 800
万、当時私の初任給 8,300 円でしたから現在の金
額にすれば 20 倍として当時 800 万円は現在の 1
億 6 千万円でしょうか。現在にすれば 1 億円は超え
る施設の設計を学校出立ちの私に任せられた、と言
うことになります。当時は設計出来る方が居られなか
ったのか、そうでなく面倒だから私にと考えるのです。
でも、今、考えればそんな大切な施設の設計を学校
出て間なしの私によくも任せたもの。時代がそうであ
ったのか。それでも、私は一冊の参考書を頼りに設
三原ロータリークラブ
」
伏見 暁 会員
年男の弁と云うことで、何をと考えたのですが、私、
昭和7年(1932)7 月 22 日生まれ。次回の年男の弁
となると 96 歳の平成 40 年。到底出来るはずがな
い、いまでもアップアップしているのに。
それに私は悪性リンパ腫と診断(平成 20 年 7 月
13 日に広島平和クリニックでの診断)を受け、以後経
過を広島日赤病院で診て貰っていましたが、平成 25
年 11 月より平成 26 年 6 月まで広島日赤病院」で
3
計、延長 80 米で幅 20 米の基礎はコンクリート杭に
よる桟橋式物揚場です。構造は海中にコンクリー杭、
20 米くらいを打ち、その上に 5 米くらいの高さのコン
クリート構造物を作ったものです。大川市は広島の府
中のように家具の町で、桟橋から家具製作の材料の
木材を荷役するためです。
次年度は 1,200 万円の予算でしたから、前年の反
省を加え少しスマートな設計になったと考えます 。
120 米にして合計 200 米を 2 ヶ年で作りました。
設計には日時に追われ設計図から積算の資料、
それから補助事業ですから当時は運輸省に認可設
計の提出があり、終われば今度は入札の実施設計、
これは先輩の方の援助を頂きながら悪戦苦闘で何と
かこなしたことを思い出します。
うにもならず県単独費用をかけて予算の増額をして
貰いなんとかなりました。施工には現場事務所があり
担当者が居られたのですが、県庁から私が行き設計
と言うことで信用し切っておられたと感じます。地元の
建設業者での施工であったのですが出来上がるまで
気が付かなかったのにはノンビリしたもの。起点と終
点が分かっているのでそこまであるとの思い込みが間
違いの元だったのです。でも、当初の私の距離測定
が 20 回が 21 回であった事が元々の原因。
以後、私は長い距離をはかるには 100 米とか 200
米の計測縄で行うようにしていました。そして、構造物
を設計するには出来るだけ複雑な構造にしない、安
全には十分配慮をするように考えが変わりました。現
在ではコンピュターがあり距離測定機もあるので大丈
夫なのですが。
出来上がってからは一度チラッと見に行ったので
すが、私が設計した事が恥ずかしくて現場には行け
なかったです。
それでも、前々から気にしていたので、一昨年 10
月にこの物揚場がどうなっているか見に行ってきまし
た。付近の状況は大変な変わりようでしたが健存して
いました。60 年近く経過しているのに感無量のもの
を感じました。
思い出せば就職当初のこと、学校卒業 60 年多く
の経験をさせて頂ききました。福岡県と兵庫県庁で
16 年、民間会社で 40 年、その間に建設業界関係
に地域商工業関係にと携さわせて頂きました。
色々勉強させて頂いたこと深く感謝したいです。反
面、地域に商工会に建設業界に何の貢献も出来て
ない私に恥じています。
私のような土木技術者は自分で設計し構造物を作
る、それが残っている、この喜びは計りしれないもの
があります。この事、私の face book に写真と説明
文をいれました。それに学校で勉強をした事が直ぐ
に現物を作ることが経験出来、土木技術者としてスタ
ート出来と思います。
記述は私の就職当初の事で申し訳ないです。しか
し、今年 84 歳になって限界人間状態とは思います
が出来るだけ、若い気持ちを持ち続け物事に取り組
んでと考えています。今後ともご指導をよろしくお願
いします。
その他にも、海上に出した護岸工事ー方から 100
米、他方から 300 米の約 2 万 5 千平方米(7,500
坪)九州電力の焼却灰捨場工事を担当させて頂きま
したが、経験不足の失敗もあり、これの断りをいえば
「お前いい勉強をしたな」とすまされた時代、この事で
余分に 300 万円の特別支出があったこと、今の金額
にすると 5,000 万円。でも、事前に分かっていたら同
じくらい工事費をかける設計をしているはずで、丸々
損害が出たのでは無いのですが。でも配慮不足、経
験不足を、知識不足を思い知らされた事もありまし
た。
その他、失敗した事は 400 米のコンクリ-ト舗装道
路出来上がれば 420 米、これは当初 20 米のメジャ
ーでの計測で 20 回と思ったら 21 回であったからで
単純な回数間違い。公共事業であったので完成後ど
昭和 30 年~
政治家では総理大臣が、吉田茂(昭和 23~29 年)、
鳩山一郎(昭和 29~31 年)、石橋湛山(昭和 31
~32 年)、岸信介 (昭和 32~35 年)、池田勇人
(昭和 35~39 年)等の方々。
石橋湛山総理大臣が博多の街をオープンカーで紙吹雪
の中を回られるのを見ました。
電気洗濯機、電気冷蔵庫、テレビが「三種の神器」と
呼ばれる。日本初の「トランジスタラジオ」を発売。
美空ひばり・江利チエミ・雪村いずみ、三人娘ともて
はやされ、吉永小百合がデビューの時代。
本日のプログラム 1 月 19 日
「クラブ協議会」
次回のプログラム 1 月 26 日
「 成 ・)
果達成への取組みについて」
「今後の消費税について」
」
三原ロータリークラブ
」
」
檜 山 泰 三 会員
4
~新たな観光戦略~
広島県副知事 中 下 善 昭 様