2014 年 4 月 13 日 日曜集会(要旨) マルコによる福音書 6章1~29節 聖書研究会 神戸集会所 イ・ジェハ師 (要約 石井田直二) <朗読個所> 1 イエスはそこを去って、郷里に行かれたが、弟子たちも従って行った。2 そして、安息 日になったので、会堂で教えはじめられた。それを聞いた多くの人々は、驚いて言った、 「こ の人は、これらのことをどこで習ってきたのか。また、この人の授かった知恵はどうだろ う。このような力あるわざがその手で行われているのは、どうしてか。3 この人は大工で はないか。マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその 姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいるではないか」。こうして彼らはイエスにつまず いた。4 イエスは言われた、 「預言者は、自分の郷里、親族、家以外では、どこででも敬わ れないことはない」 。5 そして、そこでは力あるわざを一つもすることができず、ただ少数 の病人に手をおいていやされただけであった。6 そして、彼らの不信仰を驚き怪しまれた。 それからイエスは、附近の村々を巡りあるいて教えられた。 7 また十二弟子を呼び寄せ、ふたりずつつかわすことにして、彼らにけがれた霊を制する 権威を与え、8 また旅のために、つえ一本のほかには何も持たないように、パンも、袋も、 帯の中に銭も持たず、9 ただわらじをはくだけで、下着も二枚は着ないように命じられた。 10 そして彼らに言われた、 「どこへ行っても、家にはいったなら、その土地を去るまでは、 そこにとどまっていなさい。11 また、あなたがたを迎えず、あなたがたの話を聞きもしな い所があったなら、そこから出て行くとき、彼らに対する抗議のしるしに、足の裏のちり を払い落しなさい」 。12 そこで、彼らは出て行って、悔改めを宣べ伝え、13 多くの悪霊を 追い出し、大ぜいの病人に油をぬっていやした。 14 さて、イエスの名が知れわたって、ヘロデ王の耳にはいった。ある人々は「バプテスマ のヨハネが、死人の中からよみがえってきたのだ。それで、あのような力が彼のうちに働 いているのだ」と言い、15 他の人々は「彼はエリヤだ」と言い、また他の人々は「昔の預 言者のような預言者だ」と言った。16 ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首を 切ったあのヨハネがよみがえったのだ」と言った。 17 このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとったが、そのことで、人をつかわ し、ヨハネを捕えて獄につないだ。18 それは、ヨハネがヘロデに、「兄弟の妻をめとるの は、よろしくない」と言ったからである。19 そこで、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺そ うと思っていたが、できないでいた。20 それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人であ ることを知って、彼を恐れ、彼に保護を加え、またその教を聞いて非常に悩みながらも、 なお喜んで聞いていたからである。21 ところが、よい機会がきた。ヘロデは自分の誕生日 の祝に、高官や将校やガリラヤの重立った人たちを招いて宴会を催したが、22 そこへ、こ のヘロデヤの娘がはいってきて舞をまい、ヘロデをはじめ列座の人たちを喜ばせた。そこ で王はこの少女に「ほしいものはなんでも言いなさい。あなたにあげるから」と言い、23 さ らに「ほしければ、この国の半分でもあげよう」と誓って言った。24 そこで少女は座をは ずして、母に「何をお願いしましょうか」と尋ねると、母は「バプテスマのヨハネの首を」 と答えた。25 するとすぐ、少女は急いで王のところに行って願った、「今すぐに、バプテ スマのヨハネの首を盆にのせて、それをいただきとうございます」。26 王は非常に困った が、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、少女の願いを退けることを好まなか った。27 そこで、王はすぐに衛兵をつかわし、ヨハネの首を持って来るように命じた。衛 兵は出て行き、獄中でヨハネの首を切り、28 盆にのせて持ってきて少女に与え、少女はそ れを母にわたした。29 ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、その死体を引き取りにきて、 墓に納めた。 <講師紹介> 今回は、韓国からイ・ジェハ師が来日されたので、この箇所の解き明かしをしていただく ことになりました。私たちは、2011年に Asia Messianic Forum という集会を韓国と日本 で共同開催しましたが、その際に韓国側のパートナーになって下さった方です。今年、韓 国の名門大学である中央大学の教授を退職し、新たな神学校 Peacemakers School を設立さ れました。 <誰がバプテスマのヨハネを殺したのか> この箇所には3つの物語が記録されています。まず、最もよく知られているサロメの話か ら始めましょう。聖書にはサロメという名前は出てきませんが、ヘロデヤの娘の名前は一 般的にサロメだと考えられており、多くの芸術作品の主題になりました。一応、彼女の名 前はサロメだということにして、話を進めましょう。 この物語は、殉教の物語ではありますが、今日は初めて集会に参加された方もおられます ので、あまり重々しい話をするのではなく、女性の役割に焦点を当てて、この物語を読み 解いてみたいと思います。 これはヘロデの宮廷が舞台です。主な登場人物は、ヘロデ、ヘロデヤ、そしてサロメです。 このうちで、バプテスマのヨハネを殺したかったのは誰でしょうか。それは明らかにヘロ デヤですね。ヘロデはバプテスマのヨハネを尊敬しており、彼が正しい人だと知っていた ので、殺したくはなかったのです。サロメがどういう人かはわかりませんが、少なくとも バプテスマのヨハネの首を求めたのは彼女の考えではありませんでした。 <女たちは悪魔に使われた> ここで悪魔の視点から考えて見ると、彼の目的はバプテスマのヨハネの首でした。そして 彼は、ヘロデヤの美しい踊りを用いました。魅力的なものは、悪に用いられることもある ので注意が必要です。そして、女性たちがヘロデに働きかけ、結局、ヘロデはバプテスマ のヨハネを殺すことになりました。悪魔がいきなりヘロデに働きかけても、それは失敗に 終わったかもしれませんが、女性たちに働きかけたので、彼は目的を達したのです。 皆さんは、アダムとエバの話をご存知でしょうか。悪魔はまずエバを騙し、そして最終的 にはアダムに禁断の実を食べさせました。このように、男性は一見、強そうに見えるので すが、女性には弱いのです。だからまず、女性が悪魔に騙されないように注意しなければ なりません。女性はとても重要な役割を持っているのです。 ヘロデはバプテスマのヨハネを殺し、ピラトはイエスを殺しました。しかし、彼らが残し たものを考えてみてください。ヘロデとピラトは悪名によって記憶されましたが、ヨハネ とイエスは義人として覚えられています。人生は何を残すかが問題です。何も残せない人 は、人生を本当に生きているとは言えません。あなたはどんな名前を残すことが出来るで しょうか。子供たちにどんな人間だとして覚えて欲しいでしょうか。 「本物」の人生を生きるのは、容易なことではありません。それは、人間の努力だけでは できないことです。まず聖書の言葉を読んでください。そうすれば、「本物」の人生を生き るスタートラインに立つことができるでしょう。 <故郷のイエス> さて、最初の物語に戻りましょう。イエスは郷里に帰り、人々に話をしましたが、彼らは イエスの言葉を信じず、人間的なイエスを見てしまいました。人間は、あまり近くにいる 人の言葉は、逆に信じようとしない場合があります。私も牧師なので、メッセージを語り ますが、教会の人々が「良いメッセージでした」と感心しても、妻や子供はあまり感心し てくれません。イエスを信じない郷里の人々を見て、イエスはとても驚き、そして奇跡を 何も出来なかったと、聖書は記しています。 ここで、奇跡というものの性質について考える必要があります。それは、奇跡を受ける人 間の信仰が、重要な役割を果たしているということです。イエスはこの前の箇所では女性 に向かって「あなたの信仰があなたを救った」と語っておられます。 奇跡を見たいので、 「奇跡を起こしてください」と神に祈る人がいますが、それだけでは不 十分です。まず、奇跡を見るに足る信仰が与えられるように祈ってください。ナザレの人々 は、目の前にイエス・キリストがおられても、信仰が無かったので奇跡を見ることができ ませんでした。今、キリストは天におられて、この目で見ることはできませんが、信仰が あれば私たちも奇跡を見ることが出来ます。信仰があれば、奇跡はどこでも見ることがで きるのです。 <十二使徒の派遣> さて、時間の関係で、あまり長くは語れませんが、十二使徒の派遣について、少しだけふ れたいと思います。 イエスは十二使徒の派遣にともない、彼らに悪霊を支配する権威をお与えになりました。 日本には悪霊はいませんでしょうか。韓国人として申し訳ないと思いますが、韓国には多 くの悪霊(異端的カルト)がいて、日本に悪影響を与えているようです。これはとても難 しい問題です。しかし、イエスは使徒を派遣するに当たって、その悪の霊を支配する権威 をお与えになりました。 そしてイエスは、お金も、衣服も持って行くなとお命じになりました。なぜでしょうか。 これらは、活動をするために必要なものなのに。人間は、お金や物があると、どうしても それらに頼ってしまいます。すると、神に頼らなくなるのです。宣教は神の力によってす べきものですから、神に頼ることが重要な原則なのです。 最後に、聖書の言葉についてお話します。私は今、新しい神学校を始めていますが、そこ では聖書の一部分を暗誦することを学生に求めています。聖書の言葉は、サムライの刀と 同じで、いつも身につけていないと、急に敵が来たとき、戦いには役立ちません。それと 同様、聖書の言葉も暗誦していれば役に立ちます。信仰の姿勢が変わるのです。 聖書の言葉は、とても深いもので、読んですぐに意味がわかるわけではありません。しか し、時には何十年も後で意味を知らされることがあるのです。とにかく、聖書の言葉には 力があるのです。それを味わっていただくよう、お勧めします。
© Copyright 2024 Paperzz