11 年間のオランダ生活

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65 期 HP アクセス2万件突破記念寄稿
11 年間のオランダ生活
丸山 敏明(11 組)
オランダ勤務が決まり、1999 年 12 月 19 日、雪のオランダ・スキポール空港に降り立ちま
した。ここから私のオランダ生活が始まったのですが、この時はオランダ生活が 11 年に及ぼ
うとは思いもしませんでした。
オランダという国
オランダと聞いてまず皆さんの頭に浮かぶのは、チューリップ・風車・運河・チーズでは
ないでしょうか。オランダ国内には綺麗な自然が溢れていて、国中どこへ行っても町、村が
森や湖などの自然と見事に融和して配置されており、国中が国立公園のようです。
オランダは自転車王国としても有名です。歩道、自転車道、車道は独立し整備され、特に
自転車道はどこまでも続き、まさに自転車天国です。私もオランダに住んで、まず自転車を
購入しサイクリングを始めました。
また、スポーツではサッカーやスケートが有名ですが、どんな小さな町や村にも立派なサ
ッカーグランドがあり、テニスコートやスポーツジムも揃っています。私も地区のテニスク
ラブに入り活動を始めたのですが、持病の腰痛が悪化したためテニスは途中で断念し、その
後は体力維持のためにスポーツジムに通いました。
オランダの国土はほぼ九州と同じで人口は 1,600 万人。日本より人口密度は高いのですが、
国土が平坦でどこでも人が住めるため、全く混み入った感じを受けません。
緯度的には樺太と同位置ですが、メキシコ湾流の影響を受け冬季の気候もそれほど厳しい
ものではありません(東京より少し寒い、といった感じです)
。高緯度に位置するため冬場の
日照時間は短く、冬至の頃は日の出が 9 時頃になるため、朝は暗いうちに起き、会社に行っ
て暫くしてから明るくなる、という夜勤者のような生活になります。11 年間オランダに住ん
でも、この冬のパターンにはなかなか馴染めませんでした。
逆に夏は日が長く、夜 10 時過ぎまで明るいため、会社が終わってからサッカーやゴルフ等
の屋外スポーツを楽しむことができます。夏は日本のような蒸し暑さが無く、気温も 20~25
度と涼しく快適です。
単身赴任
海外勤務はこれが 2 回目です。
1 回目は 1985 年から 6 年間、アメリカ(テキサス州ヒューストン)に勤務しました。この
時は子供も小学生に入ったばかりであったため家族同伴で赴任し、子供も現地学校で学びま
した。
しかし、今回は子供も大きくなり教育の問題もありましたので単身赴任となりました。勤
務場所はロッテルダムで、この町には約 400 人の日本人がいますが、そのほとんどは北部の
日本人学校のある地区に住んでいます。私は子供の学校の問題もないので、日本人が全くい
ない南部の町に住みました。会社までは車で約 10 分。通勤の苦労はなく、オランダ人に合わ
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せ会社もほぼ定時で上がっていたため、多くの自由時間がありました。
赴任当初は物珍しさも手伝って、オランダ国内やヨーロッパ内の観光をして歩きましたが、
そのうちに自然と自分なりの生活パターンも出来上がってきました。会社を上がると、月・
水・金はスポーツジムに通い、火・木は散歩やサイクリングをしてから夕食を作るのが日課
となりました。土曜は午前中に買い物・洗濯・掃除を済ませ、午後はゴルフ(夏場のみ)。日
曜は店もすべて休みのため、家で読書や料理、そしてテレビを見ながらゆったりと過ごすの
が私の生活パターンでした。
これまで料理の経験もほとんどない状態で自炊生活が始まったため、最初は本を見ながら
の悪戦苦闘でした。それでも自炊生活も徐々に慣れ、数年もすると料理も生活の一部になり、
最後はストレスの解消にも役立つようになりました。近くでは日本の食材が手に入らないた
め、現地のもので何とか間にあわせることになるため、どうしても料理はワンパターンにな
ってしまいます。まともな日本食材を手に入れるためにはアムステルダムまで(約 80km)
買出しに行きました。
家族と会うのは年に 3 回ほどで、2 回は私が日本に帰り、夏は家族がオランダに来てヨー
ロッパ内を旅行するのが恒例となりました。明るい夏は単身赴任も楽しく過ごせますが、暗
い冬の一人暮らしは憂鬱なものです。
仕事
オランダでは工場管理が私の任務でした。初めのうちはオランダ人との交渉にも労力を要
したものでしたがお互いの信頼関係が築かれてからは仕事もスムーズに進みました。オラン
ダ人には残業という言葉がなく、仕事のペースの遅さにもイライラしたものでしたがオラン
ダの文化に逆らうことはできず、結局は私もそのスタイルに倣うことにしました。
3 年目からはポルトガルの子会社も任され、またヨーロッパ内の業界会議もあり頻繁な出
張が始まりました。多くのオランダ人やポルトガル人と仕事をしてきましたが、振り返って
みると現地の人達とも良好な関係が保て、大きな問題もなく順調なヨーロッパ勤務であった
ように思います。
オランダ人
私の読んだある本に次のような文がありました。
“国民的に似つかわしくない言葉を挙げるとすれば、ドイツ人は融通性、イタリア人の
几帳面さ、日本人の自主性、そしてオランダ人には責任感があたります”
オランダ人は小さいときから自由な教育を受けてきていますので、日本人とは感覚が異な
ります。例えば、役所等に行っても担当者によって言うことが違うことがあります。自分の
判断で仕事を進めることがよくあるのです。会社においても、たとえ上司の指示でも自分が
納得しないと動きませんし、何かミスをしても簡単には謝らず言い訳をすることが多いので
す。
オランダに暮らして、日本人の“協調性”
(妥協も含め)に対し、オランダ人の“自由”を
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強く感じました。(これは文化の違いで、どちらが良いとはいえませんね)
。これらの風潮か
ら、“オランダ人は責任感がない”と感じることがあるのでしょう。
ヨーロッパでは 7、8 月が夏の Holiday Season となり、オランダ人は普通 3 週間の休暇を
とります。
長い人は 4 週間の休暇をとる人もいますのでこの時期は 2 ヶ月も同僚と顔を会
わせないこともあります。Holiday Season に入るとヨーロッパ内では外部との会議は計画さ
れません。
また、平日は 5 時には家に帰り質素な夕食を済ませ、日が沈む 10 時過ぎまで外でサッカー
やサイクリングを楽しんだりします。庭や公園のベンチでリラックスしている人も大勢いま
す。全く羨ましい文化です。
オランダ生活終了
オランダ生活も 11 年目に入り定年も近付いてきました。
このままオランダ勤務を続ける選択肢もありましたが、これ以上の単身赴任も気が重く、
これを機に帰国することにしました。2010 年 12 月 15 日、スキポール空港を飛び立ち、11
年のオランダ生活は終了しました。
帰国後は家族との生活に戻り、日本の生活を満喫しています。
2011 年 1 月からは本社(東京)勤務が始まりましたが、すっかりオランダのペースに馴染
んでしまったため日本のペースに慣れるのに時間が必要です。
(2011 年 1 月記)
ロッテルダムの街の風景
チューリップの綺麗な
キューケンホフ公園
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アムステルダム北のアルクマールでのチーズ市
オランダの村
オランダの夏のオープンカフェ
運河と跳ね橋
キンデルダイクの風車
モン・サン・ミッシェル(仏)旅行での著者