ブルガリア(2005 年度下半期)

財団法人 国際金融情報センター
概要レポート
2006 年 2 月 8 日
ブルガリア(2005 年度下半期)
1. 政治・社会
(1)国土と民族
ブルガリアはヨーロッパ大陸の東南端、バルカン半島の東寄りに位置し、ヨーロッパと小アジア半島
および中央アジアの接点に位置する。北はドナウ川を挟んでルーマニア、南はギリシャおよびトルコ、
西は旧ユーゴスラビア連邦のセルビア・モンテネグロおよびマケドニアとそれぞれ国境を接しており、東
は黒海に面している。また、北緯 41 度から 44 度に位置し、北海道とほぼ同じ緯度上にある。総面積は
約 11 万平方キロメートルで、日本の 3 分の 1 弱、関東・東北両地方を合わせた面積よりやや広い程度
である。このうち、耕地が 38%、森林が 35%を占めている。なお、同国の国名は、1990 年 11 月に「ブル
ガリア人民共和国」(People's Republic of Bulgaria)から「ブルガリア共和国」(Republic of Bulgaria)へと変
更された。
人口の 80%が南スラブ族に属するブルガリア人であり、他にトルコ人(10%)、ロマ(3%)、また少数な
がらアルメニア人、ロシア人、ギリシャ人、ユダヤ人、ルーマニア人などが居住する。言語は住民の大部
分を占めるブルガリア人が使用するブルガリア語が中心であり、同言語はスロベニア語、セルボ・クロア
チア語とともに南スラブ語に属している。なお、ブルガリア語はロシア語同様、キリル文字を用いる。
かつてオスマン・トルコ帝国の支配下にあった経緯もあり、同国には約 70 万人程度のトルコ系住民が
存在する。同住民に対しては、70 年代にはトルコ語教育の廃止、84 年には強制的に改名を迫るなど、
同化政策が強化された時代があった。さらに、89 年にはトルコ系住民によるデモをきっかけに、政府は
約 30 万人を国外追放したため、国際的な批判を浴びるとともにトルコとの緊張が高まった。しかし、90
年以降はトルコ系住民との融和を図っており、90 年には、トルコ系住民を中心に「権利と自由のための
運動」(MRF)が結党され、彼らの意見が政治に反映される環境が整った。トルコ系住民への対応改善
に対しては、EU も一定の評価を示している。
(2)略史
395 年のローマ帝国分裂とその後の弱体化の結果、周辺の諸民族が次々とバルカン半島に進入し、
南スラブ族は 6~9 世紀にかけてドナウ川流域に定住するようになった。7 世紀には、中央アジアよりモ
ンゴル系の遊牧民族であるブルガル族が進入し、このブルガル族はスラブ族と連合してビザンチン軍
を破り、681 年にビザンチン帝国支配下のバルカン半島に、最初の民族国家である第一次ブルガリア
王国を建国した。その後、ブルガル族は圧倒的多数を占めるスラブ族に同化されていった。その後、ペ
ータルとアッセン兄弟によって建国された国が、1186 年、ローマ法王イノセント 3 世により承認され、第
二次ブルガリア王国が誕生した。最盛期にはアドリア海、エーゲ海、黒海にまたがる帝国であったもの
の、1330 年のセルビアとの争いと、1393 年のオスマン・トルコとの戦いに相次いで破れトルコの属州とな
り、約 500 年間はトルコの支配下に置かれることとなった。
18 世紀後半になるとトルコの勢力が衰退し、オーストリア、ロシアといったキリスト教国がバルカン半
島における勢力を拡大した。このような状況下で、ブルガリア人の民族意識は高まっていき、1876 年に
は、独立をめざした民衆による武装蜂起(四月蜂起)が起こった。この蜂起は、トルコにより鎮圧され、約
1 万 5,000 人もの住民が虐殺されたものの、再びブルガリア国家が誕生する契機となった。
バルカン南下を図る帝政ロシアは、トルコによるブルガリア人大量虐殺事件を機に、1877 年にトルコ
に対し宣戦布告を行い、露土戦争が勃発した。この戦争で勝利を収めたロシアは、ブルガリア王国を
約 500 年にわたるトルコ支配から解放した。ロシアの影響の下、設立された大ブルガリア国家は、サン・
ステファノ条約によりマケドニアを含む広大な領土を確保した。
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その後、西欧列強の圧力によりロシアは譲歩を余儀なくされ、1878 年のベルリン会議にて同国は領
土の縮小を迫られ、トルコに貢納する半独立のブルガリア公国として独立した。その後、青年トルコ党
による革命を機に、1908 年にフェルディナンド国王が同国の完全独立を宣言した。
1914 年に勃発した第一次世界大戦では、同国はドイツ、オーストリアの同盟国側に立ち参戦したが、
18 年に連合国側と休戦協定を締結するに至った。一方、国内では、農民の暴動が引き金となり、同年
にフェルディナンド国王が退位に追い込まれ、ボリス 3 世が即位した。ボリス帝の治世当初は、20~23
年の農民党政権、23 年の軍事クーデター、共産党蜂起、25 年のボリス帝暗殺未遂事件と動揺が続い
たが、ボリス 3 世は警察と官僚機構の支持を背景として、43 年に死去するまで政権を掌握した。
同国は、第二次世界大戦の開戦後、1 年を経て日独伊三国同盟に加盟したものの、44 年には同国
共産党を中心とする「祖国戦線」のクーデター(9 月 9 日蜂起)により、政権は同戦線側の手に帰し、同
年 10 月には連合国と休戦協定を調印した。戦後の 46 年 9 月には国民投票により王制を廃止し、「ブ
ルガリア人民共和国」の樹立を宣言し、共産党の強力な指導の下で社会主義国家の道を歩むこととな
った。共産党政権下では、56 年 4 月以降 89 年 11 月まで、ジフコフが共産党第一書記(81 年書記長に
呼称変更)として 33 年間にわたり君臨した。
89 年秋のベルリンの壁崩壊に端を発した民主化の波は同国にも及び、長期政権を維持してきたジ
フコフ共産党書記長は同年 11 月に辞任し、ムラデノフ外相が後任となった。90 年 4 月に開催された国
民議会では、共産党一党独裁は放棄され、党名は「共産党」から「社会党」に変更された。同時に、大
統領制が導入され、初代大統領にはムラデノフ氏が就任した。90 年 6 月には、初めての完全自由選挙
が実施され、社会党が過半数を制した。選挙から 5 か月後の 90 年 11 月には、国名も「ブルガリア共和
国」へと改められた。民主化、市場経済化への道はさらに進み、91 年 2 月に農地法、5 月には独禁法、
外国投資法、商法が相次いで制定され、91 年 7 月に現行憲法が公布された。
(3)政治
(イ)政治体制
同国の政治体制は共和制で、立法、行政、司法の三権分立制が採られている。元首は直接選挙で
選出される大統領で、任期は 5 年である。現在の大統領は、01 年 11 月に選出された「ブルガリア社会
党」(BSP)出身のゲオルギ・パルバノフ氏である。次期大統領選挙は 06 年 11 月に予定されている。
現内閣は、05 年 6 月の総選挙を経て 8 月に発足した。首相は、議会内の最大勢力となった左派政
党連合「ブルガリアのための連合」(CfB)の中核政党である BSP の議長、セルゲイ・スタニシェフ氏であ
る。改選まで、政権を担っていた「シメオン 2 世国民運動」(SNM、中道右派政党)と、「権利と自由のた
めの運動」(MRF、トルコ系少数民族政党)が、CfB と連立協定を結び、大連立政権の誕生となった。
(ロ)国民議会等
現行憲法下での議会は 1 院制で、国民議会(Narodno Sabranie)と呼ばれ国家権力の最高機関であ
る。定数は 240 議席で比例代表制を採用し、任期は 4 年、20 の常任委員会が設立されている。なお、
被選挙権は 21 歳以上、議長は 1 名、副議長は 2 名選定される。
また、国民議会とは別に、憲法改正などの審議案件ごとに大国民議会が設立される。設立にあたっ
ては、国民議会に属する全議員の 3 分の 2 の賛成により、大統領が 3 か月以内に選挙日程を決め、
選挙が実施される。議員定数は 400 人で、案件の採決後には同議会は解散される。
(ハ)内政
01 年 6 月に実施された総選挙では、SNM が 120 議席を獲得し、MRF との連立政権を発足させた。
シメオン政権は、「生活水準の劇的な改善」を公約に掲げ、発足当初こそ極めて高い支持率を集めて
いたが、その後は支持率の低落に悩まされた。政府は、IMF の指導に基づく緊縮財政を継続したため、
マクロ経済指標の多くは改善したが、国民の間では生活水準改善の実感は乏しかった。また、汚職・組
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織犯罪に関して有効な対策を打ち出せないなか、国営企業の民営化を巡り与党内部での不協和音が
表面化するなど、政府は求心力を失っていった。
05 年 6 月の総選挙では、幅広い層の国民の不満を背景に、BSP を中核政党とする CfBが議会内最
大勢力となった。パルバノフ大統領は、選挙後、第 1 回目の組閣を CfB に託し、議会は 7 月末にスタニ
シェフ氏を新首相として選出したが、CfB と MRF の 2 党による連立政権は、SNM の反対により議会で
信任を取り付けることができなかった。これを受けて、スタニシェフ氏は一時組閣を断念し、代わって
SNM が中心となって組閣作業が進められたが、これも不調に終わった。議会は、8 月に、CfB、MRF、
SNM の 3 党連立から成るスタニシェフ新内閣を賛成 169、反対 67 で承認し、政治空白に終止符が打
たれた。新首相は、内閣の目標として、①一層の経済発展、②所得水準の引き上げ、③07 年 1 月 1 日
の EU 加盟実現、④迅速な司法制度改革、を掲げている。
[図表 1]ブルガリア議会の勢力配分 (定数 240 議席)
05 年 6 月選挙
01 年 6 月選挙
後の議席数
後の議席数
ブルガリアのための連合(CfB)*
82
48
シメオン 2 世国民運動(SNM)*
53
120
権利と自由のための運動(MRF)*
34
21
攻撃(Ataka)**
21
-
民主勢力同盟(UDF)***
20
51
その他
30
0
240
240
合 計
(注)*:連立与党
**:05 年 6 月に発足した新政党
***:04 年 2 月に野党・統一民主勢力から分離
(出所)政府資料
(4)外交
シメオン前政権は、「欧州への統合」を最大の外交課題に掲げ、NATO 及び EU への加盟を重要視
してきた。また、同国は、バルカン地域の安定化を先導する役割を担うよう国際社会から期待されてお
り、スタニシェフ政権はこれらの課題を継承している。
EU については、05 年 4 月 25 日に加盟条約に署名し、07 年 1 月の加盟実現に向けて大きく前進し
た。2000 年 3 月から始まった欧州委員会との加盟交渉では、競争政策、農業などの分野の交渉が難
航したものの、04 年 6 月には全交渉が無事終了した。欧州委員会は、05 年 10 月公表の年次報告に
おいて、同国政府の改革努力を評価した上で、汚職・組織犯罪の撲滅、行政機構・司法制度改革など
の分野で一層の努力が必要である旨指摘した。
NATO については、02 年 11 月の NATO サミットにおいて、同国は他の 6 か国(エストニア、ラトビア、
リトアニア、スロベニア、スロバキア、ルーマニア)とともに加盟が承認され、04 年 3 月末に正式加盟を果
たした。同国は 02 年から 2 年間、国連安保理非常任理事国を務め、04 年は OSCE(欧州安全保障協
力機構)の議長国を務めるなど、国際機関において重要な役割を果たしている。
01 年 9 月の米国同時多発テロ後は、国際テロ対策を外交・安全保障政策上の重要な課題とし、米
国を中心とする対アフガニスタン軍事行動に参加、イラク戦争の際には米軍部隊を受け入れ、出撃拠
点を提供した。
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2.経済
(1)経済成長
ブルガリアは 91 年から市場経済化のための経済改革を開始したが、96 年の経済危機によるマイナ
ス成長、1,000%を超えるハイパー・インフレ等、大きな困難に直面した。97 年 7 月にカレンシーボード
を設置し、固定相場制の導入を柱とする安定化政策を採用してから、物価上昇が沈静化するとともに、
金利水準も低下し、国外からの資金が流入するようになった。政府は、現在も IMF の指導の下でマクロ
経済安定化に努めるとともに、構造改革を推進している。
近年では民間部門における投資活動が活発化し、固定資本形成が成長の牽引役となっている。民
間銀行の企業向け融資が拡大傾向にあり、投資の伸びを支えている。一方、産業部門別でみると、サ
ービス業部門の伸びが顕著である。同国への観光客やビジネス客の増加に伴い、ホテル・レストラン、
流通業などが活況を呈している上、携帯電話など情報通信関連分野も急速な伸びを示している。
03 年は猛暑により農作物の収穫が不振となったことが成長をやや下押し、実質 GDP 成長率は、政
府目標(前年比 5%)には及ばなかったものの、4.3%と順調な伸びを維持した。続く 04 年の GDP 成長
率は 5.4%へと加速した。04 年は農業生産が好調だったことに加え、夏季の観光シーズンに多くの旅
行者が訪れたことから、一部では雇用情勢にも明るさがみられた。05 年は、夏季に穀倉地帯が洪水に
見舞われた上、天候不順であったことなどから農業生産が打撃を受けた。しかし、製造業およびサービ
ス業部門がその落ち込みを補い、着実な成長を続けた。通年の実質 GDP 成長率は 5.3%程度となる
見通しである。
[図表 2]産業部門別 GDP 対前年(同期)比伸び率
2000
実質 GDP 成長率
01
02
(単位:%)
03
04
05/Q1*
05/Q2*
05/Q3*
5.4
4.1
4.9
4.3
5.4
6.0
6.4
4.6
-10.3
0.5
5.1
-1.3
2.2
-1.7
-5.2
-6.6
10.6
4.2
3.5
7.1
5.3
8.2
9.3
6.5
6.7
4.2
5.1
3.5
6.0
7.4
6.4
4.8
最終消費支出
5.7
4.4
3.6
6.6
5.0
7.3
5.9
9.2
家計部門
4.9
4.6
3.4
6.8
4.8
7.3
5.7
9.7
その他部門
13.3
2.9
6.0
4.9
5.8
7.3
7.4
5.2
固定資本形成
15.4
23.3
8.5
13.8
12.0
9.2
16.8
25.4
財・サービス輸出
16.6
10.0
7.0
8.0
13.1
8.8
12.0
0.9
財・サービス輸入
18.6
14.8
4.9
14.8
14.1
10.8
15.5
19.0
農林部門
鉱工業部門
サービス業部門
(注)*:暫定値、(出所)国家統計局
(2)物価動向
97 年 7 月のカレンシー・ボード制導入により、同国の激しい物価上昇は沈静化に向かい、CPI 上昇
率は 03 年まで低下傾向を辿った。しかし、03 年は夏の猛暑の影響で農作物の収穫が不振であったた
め、年後半には食料品価格の上昇が顕著となり、12 月時点の CPI 上昇率は対前年同月比 5.6%とな
った。04 年以降は、原油を始めとするエネルギー価格の上昇や、通信費・家賃などの統制価格の段階
的な引上げ、タバコ・アルコール類などの消費税率の引上げなどが、主な物価上昇圧力となっている。
05 年前半は、議会選挙を控えていたため予定されていた一部消費税率の引き上げは見送られたも
のの、05 年後半は農業生産の落ち込みから食料品価格が上昇し、インフレ率の上昇が加速した。なお、
同国の CPI バスケットの内訳は、現在、食品 38%、非食品 29%、サービス 28%、ケータリング 5%とな
っており、食料品のウェイトは依然として高い割合を占めている。
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(単位:%)
[図表 3]物価指数上昇率の推移
98
99
2000
01
02
03
04
05Q1
05Q2
05Q3
CPI 上昇率
18.7
2.6
10.3
7.4
5.8
2.1
6.4
3.8
4.9
4.8
PPI 上昇率
18.7
2.8
17.5
3.8
1.3
5.0
6.0
6.4
6.9
6.7
(出所)IMF IFS
(3)雇用動向
恒常的に高い失業率は、従来から同国が抱える深刻な構造問題の一つとされてきた。首都ソフィア
の失業率は 5%未満であるのに対し、地方部では 30%以上のところもあるなど、その地域間格差は依
然顕著である。
しかし、国家労働局の統計によれば、失業率(年平均)は 2000 年の 17.9%をピークに改善傾向を辿
っており、05 年 9 月末時点では同 9.2%へと低下した。こうした改善の背景には、①民間部門の経済活
動活発化に伴う雇用機会の拡大、②政府による職業訓練制度や雇用促進プログラムなどの雇用対策、
③失業給付受給資格の厳格化、といった諸要因が影響しているものと見られる。
もっとも、同国の賃金水準は、中東欧諸国のなかではルーマニアと並び、依然として最も低い水準に
ある。04 年の実質賃金上昇率は、公的部門で 0.7%、民間部門で 0.9%と、僅かな伸びにとどまった。
日本貿易振興機構(JETRO)の調査によると、04 年の月額平均賃金は、一般のワーカークラスで 155 ド
ルに過ぎず、エンジニアでも 311 ドル、中間管理職でも 466 ドルにとどまっている。チェコ、ポーランドな
ど近隣諸国に比べて低廉な労働コストは、投資誘致の上での優位性といえよう。しかし、国民の生活水
準向上に伴って、今後、賃金水準の上昇は不可避である。輸出競争力を維持しつつ賃金引上げの余
地を生み出すには労働生産性向上が不可欠なため、政府は外国直接投資の誘致を積極的に行う方
針である。
[図表 4]失業者数(年末)と失業率(平均)
(単位:千人、%)
96
97
98
99
雇用総数
3,286
3,157
3,153
3,088
失業者数
479
524
465
12.5
13.7
12.2
失業率
2000
01
02
03
04
05/9
2,980
2,968
2,979
2,834
2,922
3,098
611
683
662
603
449
400
313
16.0
17.9
17.3
16.3
13.7
12.0
9.2
(出所)国家統計局、国家労働局
(4)国際収支
経済が低迷した 96、97 年は、内需の落ち込みにより輸入が減少し、貿易収支、経常収支は一時的
に黒字化した。成長軌道に回帰した 98 年以降は、貿易赤字の拡大を主因として、経常収支も赤字基
調が続いている。同国の国際収支は、貿易収支および所得収支の赤字を、経常移転収支およびサー
ビス収支の黒字が一部相殺し、経常収支赤字は貿易赤字を下回るという構造が定着している。
03 年以降の同国では、貿易赤字の拡大が顕著である。これは、民間部門の経済活動の活発化に伴
い、資本財、中間財の輸入が拡大しているためである。03 年の鉱工業生産増加率は対前年比 23.5%
増、04 年も同 19.0%増と、高い伸びを記録した。他方、サービス収支は、観光収入の増加を背景に黒
字基調で推移している。また、経常移転収支の黒字は、海外からの送金、EU 加盟準備支援資金の流
入などにより増加傾向にある。
同国の場合、近年の経常収支赤字の拡大は、経済が好調な成長を遂げている証左とみることができ
よう。また、99 年以降 04 年まで、ほぼ一貫して、対内直接投資は経常収支赤字を上回っている。外貨
準備残高も 04 年末時点で 88 億ドルと、月間輸入額の約 8 か月分まで積み上がった。
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[図表 5]国際収支動向
(単位:百万ドル)
2000
経常収支
01
02
03
04
05/1-11
-704
-984
-827
-1,856
-1,806
-3,347
-1,176
-1,581
-1,594
-2,519
-3,353
-4,538
輸出(FOB)
4,825
5,113
5,692
7,541
9,859
10,722
輸入(FOB)
6,000
6,693
7,287
10,059
13,212
15,260
サービス収支
506
402
482
594
877
723
-323
-304
-261
-626
-424
-570
290
498
547
696
1,094
1,037
資本収支
806
663
1,750
2,641
3,349
3,597
投資収支
781
663
1,750
2,641
3,349
3,598
直接投資
998
803
876
2,070
2,031
1,847
証券投資
-179
82
-77
-213
-674
-882
その他投資
-38
-223
951
784
1,992
2,633
その他資本収支
25
0
0
0
0
-1
誤差脱漏
35
695
-208
-55
170
474
総合収支
137
373
715
729
1,713
724
貿易収支
所得収支
経常移転収支
(出所)中央銀行
(5)財政動向
体制移行後、90 年代半ばまでは、商業銀行の国営企業向け不良債権の政府債への切り替えなど
から政府債務が増加し、その金利支払負担などにより財政収支は恒常的に大幅な赤字であった。しか
し、90 年代後半からは、IMF とのスタンドバイ合意に基づき緊縮財政を継続し、国営企業への補助金
削減や統制価格の段階的引上げ、徴税率向上などに取り組んだ結果、同国の財政は顕著に健全化
しつつある。
04 年度は、シメオン前政権が、国民からの支持率回復を狙い、社会保障給付の拡充を盛り込んだ
赤字予算(財政赤字の対 GDP 比は 0.7%)を策定していたが、年初の予想を上回る高成長となった結
果、税収が拡大し、財政収支は黒字に転じた。黒字額は、対 GDP 比 1.8%と、同国としては過去最高
の規模であった。
[図表 6]一般政府財政収支動向
(単位:百万レフ、%)
01
02
03
04
05*
06**
歳
入
11,164
11,799
13,053
14,917
16,037
17,168
歳
出
11,423
12,009
13,197
14,243
15,621
16,928
財政収支
-259
-210
-145
673
417
240
847
503
579
1,371
1,122
946
財政収支
-259
-210
-145
673
417
240
金利支払
1,106
713
724
697
705
706
-0.9
-0.6
-0.4
1.8
1.0
0.5
プライマリーバランス
財政収支/GDP
(注) *:05 年は改定予算(IMF 承認済み)、**:06 年は IMF 予測、(出所)財務省、IMF
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05 年度は、当初、5.2%の実質 GDP 成長率、3.6%の CPI 上昇率(年平均)を前提とし、対 GDP 比
0.9%の財政黒字となる予算が策定された。その後の好調な経済実績を受け、政府は、実質 GDP 成長
率 5.5%、CPI 上昇率 4.0%へと見通しを改定し、通年の財政黒字も対 GDP 比 1.0%と修正した。実際、
05 年は付加価値税(VAT)、法人税などの税収が好調で、財政収支は 11 月末時点で 17.8 億レフ(9.1
億ユーロ)と、05 年の推定 GDP の 4.2%にあたる黒字を計上している。通年でも記録的な財政黒字とな
ることは確実とみられる。
なお、同国における闇経済は統計上の名目 GDP の約 3 割に上るといわれており、特に企業および
被雇用者の所得隠しが蔓延している模様である。政府は、公正かつ効率的な税徴収を目的に、03 年 1
月より全ての企業に対し雇用契約書の提出を義務付けるなどの対策を実施している。
(6)対外債務
政府は、公的部門の債務残高圧縮、特に外貨建て債務返済の負担軽減を優先課題として掲げて
いる。今後も債務返済負担の軽減を目的とした債務構造の変換を積極的に進めていくものと見られる。
対外債務残高は 04 年以降、拡大傾向を辿っており、05 年 9 月末時点では 138 億ユーロに上った。
対外債務全体に占める公的部門債務の割合は、着実に低下している。2000 年には、公的部門債務
は全体の 79%(94 億ユーロ)に上っていたが、05 年 9 月末時点では全体の 33%(46 億ユーロ)となっ
ている。背景として、財務省が 02 年以降、積極的にブレイディ債の切り換えを実施し、残高の圧縮を図
ったことを指摘できる。ブレイディ債の残高は、04 年末時点で 15.5 億ドル、05 年 7 月末時点では 6.1
億ドルへと減少した。また、過去に IMF によって供与されたスタンドバイ・クレジットについても、財務省
は積極的に繰上げ償還に努めている。
近年の債務残高の拡大は、民間部門の対外債務、すなわち企業のインターカンパニーローンや金
融機関の借入れの拡大によるところが大きい。経済活動の活発化に伴う民間部門の借入れの拡大は
今後も続くと予想されるが、短期債務の比率が拡大している点には注意が必要だろう。
主要格付け会社は、01 年 7 月のシメオン前政権発足後、順次、同国のソブリン格付けを引上げてい
る。カレンシー・ボード制の下で、緊縮的な財政運営を続け、戦略的な債務管理に成功していることが
評価され、S&P、Fitch Ratings による同国の外貨建て長期債格付けは、ともに投資適格級の「BBB」とな
った。他方、Moody’s は依然「Ba1」のまま据え置いている。
[図表 7]対外債務残高と借り手別内訳等の推移
2000
01
対外総債務残高
11,883
11,935
政府部門
9,250
9,143
短期
長期
9,250
9,143
中央銀行
110
74
短期
長期
110
74
金融機関
336
292
短期
300
242
長期
36
50
その他部門
1,732
1,762
短期
1,017
845
長期
715
917
インターカンパニーローン
455
663
短期債務比率(%)
11.1
9.1
02
12,129
9,308
9,308
71
71
254
202
52
1,831
872
959
664
03
10,639
6,624
6,624
0
790
602
188
1,871
923
948
1,354
8.9
14.3
(単位:百万ユーロ)
04
05/9
12,246
13,802
5,825
4,603
5,825
4,603
0
0
1,712
2,273
1,128
1,462
584
811
2,811
4,169
1,248
2,174
1,563
1,995
1,898
2,757
19.4
26.3
(出所)中央銀行
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7
2006 年 2 月 8 日
[図表 8]主要格付け会社による中東欧諸国等の格付け比較(06 年 1 月 30 日時点)
S&P
Moody's
Fitch Ratings
AAA
Aaa
AAA
AA+
Aa1
AA+
AA
Aa2
AA
AA-
スロベニア
A+
A
ABBB+
エストニア、リトアニア
チェコ、ハンガリー、
ラトビア、スロバキア
ポーランド
Aa3
スロベニア
AA-
A1
チェコ、ハンガリー、エストニア
A+
A2
スロバキア、ラトビア、ポーランド
A
A3
リトアニア
A-
Baa1
BBB クロアチア、ロシア、 ブルガリア Baa2
BBB-
ロシア
リトアニア、スロバキア
BBB
ブルガリア 、ロシア
クロアチア、ルーマニア
BBB-
BB+
Ba1
ブルガリア 、ルーマニア
BB+
BB
Ba2
BB
Ba3
トルコ
BB-
B+
B1
ウクライナ
B+
B
B2
B
B-
B3
B-
ウクライナ、トルコ
ラトビア、
ハンガリー、ポーランド
クロアチア
BB-
エストニア、チェコ
BBB+
Baa3
ルーマニア
スロベニア
ウクライナ、トルコ
(注)外貨建て長期債格付け、(出所)各社ホームページより JCIF 作成
(7)国際金融機関との関係
同国政府は、IMF、世銀および欧州復興開発銀行(EBRD)などといった国際機関と良好な関係を維
持し、積極的 な支援を取り付けてきた。このことが、同国の対外的な信用力 の維持・強化に繋がってい
ると考えられる。引き続き、国際機関との協力関係を維持することが肝要であろう。
97 年 4 月に発効した期間 14 か月、総額 3 億 7,190 万 SDR(約 5 億 1,000 万ドル)の IMF によるスタ
ンドバイ・クレジットは、98 年 5 月末に最終トランシェが実行され、同国としては初めて満額融資を受ける
ことができた。この後、拡大信用供与の交渉が行われ、98 年 9 月には、市場経済化を押し進めて構造
改革を断行するために、3 年間を期限とする総額 6 億 2,760 万 SDR(約 8 億 1,400 万ドル)の拡大信用
取極め(EFF)を IMF と締結した。この拡大信用供与は、計 12 回にわけて実施された。コストフ政権下の
01 年 6 月に最終トランシェが実行され、約定通りに完了した。
また、これに続く IMF 支援プログラムとして、02 年 2 月にはスタンドバイ・クレジット、期間 24 か月、総
額 2.4 億 SDR(約 3 億 1,200 万ドル)が発効した。政府は 04 年 3 月までに第 4 次トランシェまで全額を
引き出した。さらに、04 年 8 月には、IMF のプレコーショナリー・スタンドバイ・クレジットとして、期間 25
か月、総額 1 億 SDR(約 1 億 4,920 万ドル)が発効した。05 年 5 月に実施された IMF レビューでは、
同国は総じて堅調な経済パフォーマンスを維持していると、肯定的な評価を受けた。また、近年は、民
間部門の経済活動の活発化が著しく、直接投資の流入とともに、銀行与信の急増がこれを支えている
ことから、銀行システムの健全性維持の重要性が強調された。
(8)構造改革の進展
(イ)国営企業民営化の進展
97 年 5 月に誕生したコストフ政権は、01 年 6 月の総選挙後に退陣するまでの 4 年間、IMF を始めと
する国際金融機関の指導の下、国営企業の民営化を強力に推進した。政府は、国営企業の民営化を
通じて、コーポレートガバナンスの改善、資金・技術・経営ノウハウなどがもたらされると期待した。売却
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8
2006 年 2 月 8 日
先の選定にあたっては、将来の投資計画、経営方針を重視し、海外の戦略的投資家を模索した。民
営化は 99 年にピークを迎え、一年間で 1,225 社の国営企業が民営化された。2000 年についても、当
初目標の 9 割程度となる 589 件の国営企業の民営化が実施された。
01 年は、政権交代により大型国営企業の民営化案件は延期されたが、02 年には、シメオン政権が、
総資産規模で同国第 4 位のビオヒム銀行のほか、同国最大の保険会社 DZI の民営化を実施した。ま
た、03 年 5 月には、同国第 2 位の DSK 銀行の政府保有株式が、ハンガリーの大手銀行 OTP Bank へ
3 億 1,100 万ユーロで売却され民営化された。スタニシェフ政権は、シメオン政権下での民営化方針を
引き継ぎ、エネルギー部門、船舶部門、ガス供給部門などのインフラ関連の民営化を重要課題に掲げ
ている。
(ロ)金融システムの強化
97 年に発生した経済危機と、それに伴うカレンシー・ボード制導入を通じて、大方の商業銀行は民
間 企業への融資に極端に慎重になったため、中小企業を中心に多くの企業が資金難に陥った。しか
し、近年は、マクロ経済の安定化が図られると同時に、銀行部門の民営化と持続的な高成長を背景に、
民間部門への与信が急速に拡大している。
04 年末時点で、同国の
[図表9]与信増加率等の推移
(単位:%)
2000
銀行数(支店を含む)は、
合計 35、うち民間銀行は 与信増加率*
うち自国通貨建て
33、国営銀行は 2 であった。 うち外貨建て
民間銀行の内訳としては、 与信残高/GDP比**
うち自国通貨建て
自国資本が 9、外国資本 うち外貨建て
が 24(うち、外銀の支店が うち家計部門向け
うち民間企業向け
6)である。
うち国営企業向け
なお、銀 行部門の総資
産 は、対名目 GDP 比で
46%(04 年末)に上り、そ
01
02
4.5
26.3
37.2
11.9
26.6
23.7
-6.6
25.9
61.8
12.2
14.5
19.0
7.9
9.4
11.1
4.3
5.2
8.0
2.3
10.8
14.1
9.3
10.8
14.1
0.6
0.6
0.7
54.0
52.8
49.6
全預金に占める外貨建て預金の割合
35.5
35.4
41.8
全貸付に占める外貨建て貸付の割合
(注)*:対前年増加率、**:年末時点、(出所)中央銀行、IMF
03
04
39.5
37.7
42.1
26.3
15.1
11.2
18.4
18.4
0.7
48.0
42.5
40.4
27.9
57.3
35.4
18.5
16.9
23.2
23.2
0.7
43.1
47.6
の 78%が、上位 10 行によって占められていた。
(ハ)直接投資動向
外国投資庁(Invest Bulgaria Agency、IBA)によれば、04 年末時点の直接投資累計(92~04 年)は
総額 101 億ドル、国別の内訳は、オーストリア(16%)、ギリシャ(10%)、オランダ(9%)、ドイツ(9%)、イ
タリア(7%)、キプロス(5%)、米国(5%)の順となっていた。オーストリア、ギリシャは金融機関の買収に
伴う投資額が大きい。他方、業種別内訳(98~04 年)は、製造業(25%)、金融業(19%)、流通業(18%)、
通信業(12%)、観光・不動産(7%)となっていた。
国営企業の民営化が終了局面を迎えつつある同国にとって、今後、どのようにして継続的に新規投
資を誘致するかは大きな課 題である。同国の場合、近隣諸国に比べて投資環境の面で強くアピール
できる点はさほど多くないとみられるが、相対的に低賃金ながら良質な労働力が豊富であること、カレン
シー・ボード制により通貨がユーロにペッグしているため、ユーロ・エリアとの為替変動リスクがないこと、
07 年に EU 加盟を控えていることなどが利点といえる。
政府は、世銀、欧州委員会、EBRD を始めとする国際機関から支援を受けつつ、関税率引下げや投
資優遇税制の導入など、積極的な外資誘致に努めており、今後も、直接投資の増加が期待されている。
現在は、情報通信業、観光業、農業、エネルギー産業、運輸業が国家開発戦略上の重点分野と位置
付けられている。同国はコメコン時代に、コンピューターの生産・開発を担っていた経緯もあり、理数系
の分野で優秀な人材を多く輩出している。国内に有望な IT 企業を育成することにより、こうした人材の
国外流出に歯止めをかけることも緊要な課題といえるだろう。
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9
2006 年 2 月 8 日
(9)日本との関係
体制転換後、日本はブルガリアに対し、技術協力などの経済協力を開始した。これまでに 4 件の円
借款が供与されており、日本政府はインフラ整備を中心に支援を行っている。このうち、最大のものは
98 年より事業が開始されたブルガス港拡張事業で、約 143 億円が供与された。同事業については、05
年 6 月、ブルガス市にてシメオン首相らの立会いのもと、完工式が行われた。民間ベースでは、商社に
よる販売・調達が中心であり、製造業の進出は 1 件のみに過ぎない。
04 年の日本への輸出額は、前年比横這いの 30 億円で、主たる輸出品はワイン、魚介類、スキー用
具などであった。一方、04 年の日本からの輸入額も約 30 億円、主たる輸入品は、輸送機械、電子機器
などであった。
また、BIS 統計によれば、05 年 6 月末時点の同国向け銀行貸出債権総額 112 億ドルの内、邦銀融
資は 5,400 万ドルで、全体の 0.5%を占めるに留まっている。なお、94 年 7 月の債務削減時には邦銀も
大きな負担を余儀なくされた上、96 年 6 月には国内投資家が保有していた同国ミネラルバンクの私募
債 50 億円(興銀幹事)がデフォルトを起こしている。
[図表 10]対日貿易収支推移
98
99
2000
01
02
03
(単位:百万円)
04
05/1-11
対日輸出
5,440
3,847
2,688
2,088
2,589
2,950
2,978
4,286
対日輸入
2,348
2,045
4,684
2,664
1,415
1,905
3,021
3,281
貿易収支
3,092
1,802
-1,996
(出所)外国貿易概況、財務省貿易統計
-576
1,174
1,045
-43
1,005
3.概況表
(1)基礎項目
地
理
バルカン半島の東部に位置し、北はドナウ川を隔ててルーマニアと、西はセルビ
ア・モンテネグロと、南はギリシャおよびトルコと国境を接し、東は黒海に臨む。
欧州と小アジア、中近東を結ぶ陸路の要衝ともなっている。国土の三分の一を山
岳地帯が占め、バルカン半島の最高峰であるムサラ山(標高 2,925m)がある。
面積は 11.1 万平方キロメートル(日本の約 3 分の 1)。
気
候
全般的に温帯性気候、北部は大陸性、南部は地中海性気候
人
口
778 万人(04 年)、首都ソフィア人口 111 万人、
年平均増加率:-0.8%(90~03 年)
民
族
ブルガリア系(80%)、トルコ系(10%)、ロマ(3%)等
宗
教
ブルガリア正教(87%)、イスラム教(13%)等
言
語
ブルガリア語(公用語)
(2)政治・社会
独立年月日
1878 年 3 月 3 日
現 憲 法
1991 年 7 月公布
政
体
共和制
元
首
ゲオルギ・パルバノフ大統領(BSP)(02 年 1 月就任、任期 5 年)
行政責任者
セルゲイ・スタニシェフ首相(CfB)(05 年 8 月就任)
政
与党:ブルガリアのための連合(CfB)、シメオン 2 世国民運動(SNM)、権利と自由の
党
ための運動(MRF)
野党:民主勢力同盟(UDF)、攻撃(Ataka)、他
国
会
国民議会 240 議席(任期 4 年)
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2006 年 2 月 8 日
軍
事
外
交
教
育
総兵力 7.6 万人(陸軍 2.5 万人、海軍 0.4 万人、空軍 1.3 万人、その他 3.4 万人)
EU を軸とする欧州統合と、NATO を中心とする大西洋同盟との両立。近隣諸国と
の友好関係にも尽力
義務教育 11 年(6 歳~16 歳)、中等教育就学率 77%(97 年)
(3)経済(04 年数値)
〔カレンシー・ボード制、ユーロ・ペッグ〕公定レート 1 ユーロ=1.95583 レバ(99 年 1 月 1 日より)
名目 GDP
380.1 億レバ(241.3 億ドル)
1人当たり GDP
3,102 ドル
GDP 構成比
サービス業 59.1%、鉱工業 30.0%、農林業 10.9%
貿易額
輸出 98.6 億ドル、輸入 132.1 億ドル
輸出構造
衣服・履物 19.5%、金属・鉄鋼 10.1%、合金等 9.4%、化学品・プラスチック・ゴム 5.7%
主要輸出先
イタリア 13.1%、ドイツ 10.2%、トルコ 10.0%、ギリシャ 9.9%
輸入構造
原油・天然ガス 13.9%、織物 12.7%、機械機器 9.9%、化学品・プラスチック・ゴム 7.6%
主要輸入先
ドイツ 14.7%、ロシア 12.7%、イタリア 9.9%、ギリシャ 5.8%
(4)わが国との関係
貿易額
日本への輸出額 29.8 億円、日本からの輸入額 30.2 億円(04 年)
ODA 供与額
円借款 4 件 累計 401 億円(04 年末時点)
直接投資流入額
1,360 万ドル(02 年)、2,440 万ドル(95~02 年累積)
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