「だまし絵と立体イリュージョン」講義録

「だまし絵と立体イリュージョン」講義録
平成 15 年 12 月 12 日 10:00−12:00
講演:杉原 厚吉氏 (東京大学・数理情報)
(於
東京大学工学部6号館)
1.だまし絵とは
だまし絵は、立体感がある絵だけれども何だか変な絵のことです。私たちはよく
考えると、この絵は実際に存在しない、と思うでしょう。だまし絵は古くからあり
ます。例えば、エッシャーの無限階段が有名です。心理学の分野では、だまし絵が
よく使われていて、目の錯覚や脳の理解を調べるのに使われます。今日は、そのだ
まし絵を数理的に扱ってみましょう。
2.だまし絵の描き方
さて、だまし絵はどうやったら描けるのでしょうか。まず、この絵を見てくださ
い。
この絵がだまし絵であることを説明するには、
どうすればよいでしょうか。例えば、
紙の上の平面上にいる人が、立体の間を通って、いつの間にかに立体の上に行き着
けてしまいます。実際には、このようなことはあり得ませんから、これはだまし絵
ということになります。
では、もう一つの説明の仕方をご紹介しましょう。立体の全ての辺を3つのタイ
プに分けることを考えます。+は山になっている部分、−は谷になっている部分、
+
+
+ −
+
+
+
−
+
−
+
+
「→」は接する面が見えなくなっている稜線を指しています。紙の上に描いた立体
の線は、全てこの3つのタイプのどれかに分類することができます。これと同じこ
とを上のだまし絵にあてはめてみると、山と谷がいつの間にかに一致してしまう線
があります。これで、だまし絵であることが説明できるわけです。
人の目というのは、実際に存在しない立体の絵でも、立体感を感じてしまう性質
を持っています。ただ、だまし絵でも、部分的には正しい絵になっていることに注
目してください。
そこで、だまし絵の作り方をご説明しましょう。
①だまし絵の創り方
その1
部分的に正しい絵をでたらめにつなぎあわせる。
②だまし絵の創り方
その2
正しい複数の絵を、それぞれ手前と奥を逆転させて組み合わせる。
①の創り方は簡単です。正しい絵を描いて、いくつかに切り、それらをでたらめつ
なぎあわせて絵を創ります。また、②の方法は、手前が奥になるように、奥が手前
になるように絵を描けばいいのです。これは、絵だからできることですね。では、
実際にみなさんもだまし絵を創ってみましょう。[配られた正しい立体の絵を4つに切っ
て、①の方法で、でたらめにつなぎあわせてみる。]
実際に紙とハサミを使って試してみると、組み合わせてみた絵が、感覚的にだま
し絵であることは分かりますが、なぜそれがだまし絵なのか、そして、なぜそのだ
まし絵が実際に立体として作れないかを、人にきちんと説明することは難しいです。
みなさん、自分の創っただまし絵を実際に立体として作れるか作れないかを考えて
みてください。ただし、曲面を使えばたいていのものは作れてしまいますので、面
は全て平面だとします。
では、作っただまし絵をちょっと黒板に書いて、なぜ作れないか説明してみてもら
えませんか?
[彼の説明]
「この図の①と②の間には線があるので、同一平面上にはないはずだけど、矢印の
方に行けば、同一平面上にあることになるので、矛盾している。
」
そうですね。たいへん明解な説明だと思います。
①
②
3.だまし絵立体の作り方
さて、本当にだまし絵は、立体としては実際に作れないのでしょうか。
「奥行きに
ギャップを作る」というトリックを使えば、だまし絵立体を作ることはできます。
ただ、そのようなずるいトリックを使わないで作ることを考えてみましょう。
先に、こちらをお見せしましょう。実は、エッシャーのだまし絵は作れます。ま
[いろいろなだまし
た、様々なだまし絵を実際に立体として作ることができるのです。
絵を再現した先生の工作とイリュージョンのビデオ]
だまし絵の研究は、工学の分野でロボットの目の研究・開発と深く結びついてい
ます。組立作業用ロボットの目は制御されている動きの最後の微調整として使われ
ており、カメラをつけて画像処理を通して物体を解析しています。現場では、より
精密なロボットの目を作ることが求められているのです。一方、最近では、車や橋
などの様々な立体やその立体の構造や性質を、デザイナーが描いたデッサンをコン
ピュータに取り込むことで、いろいろな計算をしています。
この計算を行なうには、
立体認識の高度な技術が必要とされます。そこで、線から立体構造を取り出す研究
の一端として、だまし絵が出てくるわけです。
人間にとって、立体の絵は感覚的に立体だと理解できますが、コンピュータに取
り込むとすると、簡単に立体として認識させることはできません。2次元の座標デ
ータと、点と点の間の線のリストしかコンピュータにインプットすることができな
いのです。
コンピュータに立体を認識させる仕組みをご説明しましょう。まず、先ほどのよ
うに、描かれている立体の線にラベル付けをします。次に、各頂点のまわりの線の
タイプを考えます。
+ +
+
+
+
+ −
+
+
+
−
+
−
+
+
+
−
+
+
各頂点に3枚の面のみが接続していて、視点が一般の位置にあると仮定しますと、
次の頂点辞書というものができあがります。
−
+
+
−
−
−
−
+
+
+
+
−
+
+
+
−
−
−
仮定を置きましたが、この仮定の下では、頂点のまわりのタイプは、頂点辞書にあ
る12種類に限られることが分かっています。さらに、絵が紙からはみ出ていない
という仮定をおけば、この頂点辞書をコンピュータに覚えこませて、1つの絵から、
正しい頂点まわりのラベルをつけさせることができます。コンピュータがつけたラ
ベルは、人が感覚として見るものと同じラベルになります。コンピュータがラベル
付けできない絵は、実際に作れない立体です。ところが、ラベルを付けられるだま
し絵の立体もあります。
つまり、頂点辞書は実際に作れる立体の必要条件であって、
十分条件ではないのです。
少し数学的なお話をします。立体を数式で表わすには、次の基本方程式を使いま
す。
基本方程式
第i頂点の座標
(xi,yi,zi)
(高さ方向のzi は未知)
第j面の方程式
ajx+bjy+z+cj=0
(zの係数を1とする)
第i頂点が第j面に乗っているとき、
ajxi+bjyi+zi+cj=0
→未知数がaj、bj、cj、zi の1次式
→これをすべてまとめて、Aw=0とする
また、点と面の位置関係を表わす不等式を作ることができます。
遠近不等式
遠近関係を表わす不等式
ajxi+bjyi+zi+cj>0
→これをすべてまとめて、Bw>0とする
z
第i頂点
第j面
y
x
第i頂点
第j面
線画が正しく多面体を表わす必要十分条件は、次のようになることが証明されてい
ます。
正しい線画の判定条件
Aw=0
Bw>0
が解をもつこと
この線形方程式と線形不等式の解を調べることで、正しい立体のラベル付けかどう
かを判定することができます。
これで、数学的な解が得られたわけですが、工学的にはまだまだ解けていません。
例えば、次の図をコンピュータに判定させると、
作れないという答を出してきます。
なぜでしょうか。私たちには、円すい台に見えますよね。では、補助線を引くとど
うでしょう。
実はこの図形の斜めの3辺の延長線が1点で交わらないのです。つまり、実際に平
面だけでこの立体を実現することは不可能です。コンピュータは、きちんと正しい
答えを出してきていたのです。
ただ、実際の工学的な視点からすると、このことはかなり問題です。例えば、デ
ザイナーがデッサンを描くときに、上の図のようなことにならないように正確に描
くでしょうか。また、コンピュータに読み込ませるときに丸めの誤差が生じますの
で、そのようなことは、ほぼ無理なのです。
このように数学と工学には、大きなギャップがあります。数学的に解けるもので
も、工学ではさらに深くおもしろい問題が待ち受けていることがよくあります。
4.イリュージョンはなぜ生じるのか
マラソンの中継で、2人の選手を横から見るとすごく離れているのに、前から見
ると、ほとんど差がないように見えることがあります。これは、選手の邪魔になら
ないように、前にいるカメラが非常に遠くから望遠レンズを使って撮影しているの
で、そのような違いが生じます。立体を見るときに、この視点が重要になってきま
す。
それでは、だまし絵立体が作れるトリックを種明かししましょう。作れるだまし
絵を見てください。この絵では、3種類の方向線しか使っていません。人はなぜか
3種類の方向線のみしか使われていない立体の絵を見ると、全ての平面が直角に交
わっていると思い込んでしまいます。私の作っただまし絵立体は、面と面がいびつ
な角度で交わっているのです。[先生の作っただまし絵立体を実際に見たり触ったりしてみ
る]
人の勝手な思い込みが、実際にある立体をあり得ないものとして認識してしまい
ます。目でものを見るということは、非常にいいかげんな認識ですが、それだから
こそ、おもしろいのです。
(おわり)
[編注]杉原先生は、スライドを使って授業をしてくださいました。この講義録にある図は、編
者がノートに書き取ったものです。だまし絵立体の写真や、その展開図は先生のホームページ
www.simplex.t.u-tokyo.ac.jp/~sugiharaで見られます。また、だまし絵の詳しい作り方や
解説は、先生著の『だまし絵で遊ぼう』『不可能物体の数理』が参考になります。