新旧 3 つの家で知った暖かさの違い

事務局長のユーザー訪問
今、読者に伝えたい、すばらしい高断熱住宅が出来たお話
新旧 3 つの家で知った暖かさの違い
暖かい家が豊かな人生を後押し
〔群馬県妻恋村〕
5 年前にたてられた 3 の家
高原キャベツと大自然の中で生き生きと栽培を営む黒岩夫妻
■群馬県嬬恋村
目の前に広がる緑の丘陵が一面キャベツ畑である。
西の空に浅間山が悠然と立つ。ここは群馬県嬬恋村。
つまごいと読む。全国でも上位の難読町村名である。
嬬恋は知らなくても「愛してる~」の絶叫大会が行
われると聞けばテレビニュースを思い出す人もあろ
う。嬬は妻と同意なのだ。人口は約 1 万人。軽井沢
のすぐ北に位置する高地の村だ。産業は農業と観光。
そして農産物は 90%がキャベツ。高原キャベツの村
である。
■幸せを生む住まい
今から 25 年前、その嬬恋のキャベツ農家に
東京の町田から嫁いだ人がいる。黒岩晴美さん
がその人。夫の公宣さんとはスキーで知り合っ
た。嬬恋の冬はマイナス 15℃位まで冷える。―
7~8℃は普通なのだそうだ。いくらスキーで慣
れているからとはいえ、東京からそんな寒い所
に、しかも農家に嫁ぐには勇気も要ったのでは
ないかと思ってしまう。しかし、今、晴海さん
は幸せ、幸せというより充実した人生のまった
だ中にいる。その幸福を支えているのは高断熱
による住まい。その存在、貢献が大きいと聞いて、その家を建築した地元の(有)古澤建築
(社長 古澤謙一)と一緒に訪問した。2015 年 9 月のことである。
黒岩さんの暮らしを読者に紹介して本当の高断熱とはどんなものか、家を計画している
多くの人に知って欲しいと思ったからだ。
■新旧 3 つの家の暖かさの違い
高断熱住宅の威力を発揮するのはなんといっても冬であ
る。面白い話を聞いた。
晴美さん夫妻が今住んでいる家は、同じ場所で 3 つめ
の家である。古い順に 1、2,3 の家としよう。1 は両親
が住んでいた住宅で 50 年前に建てられた。2 の家は 20
年前 2 人が結婚したとき建てた離れ。そして 3 の家は 1
を解体して 5 年前新築された。当然のことだが断熱性能
がまるで違う。
1 の家はとても寒い。冬は家の中と外の気温が同じになった。前の晩食卓においた台布
巾が朝にはカチンカチンの氷の棒になる。嬬恋の多くの
家は今も変わらない。
2 の家は古澤建築が建てた。
「あの頃のことなので断熱
室内は開放感にあふれた空間
材が入っているとはいうもののちゃんとした断熱住宅で
はありません。」と古澤さんがいうように「そこそこに暖
かくなってはいますが玄関などは今でも寒く、暖かい家
ではなかった」と晴美さんがいう。
そして1の家を建て替えたのが 3 の家である。その時、住む家族が世代交代、新しい家
に晴美さん親子 5 人が来て親御さんが離れに移った。3 の家は「嬬恋のどんな寒さにもび
くともしない断熱性能になっている」(古澤建築)
壁の外にも断熱材
初めての冬、それぞれがこんな感想を言った。2 の家に
移った親御さん「1 の家よりずっと暖かいね、身体がとて
も楽になった」。3 の家に入居した晴美さん夫婦「2 の家よ
り格段に暖かいね。何かホンワリした柔らかさがあって、
暖かさが違う。こんなに違うものなの?」お互いに前の家
より暖かく、暖かさが違うという。
■超高断熱住宅 Q1.0(キューワン)住宅
今は、どこの住宅会社も我が社は高断熱住宅で冬暖かいと、当たり前のように宣伝する
が、実は暖かさに相当な違いがあることを多くの人は知らない。3 の家は最新の断熱技術
を駆使した高断熱住宅(新住協では Q1.0 住宅という)である。最新といっても機械設備を入
れたのではない。断熱材を厚くして窓の性能を上げたのだ。普通は壁の中に 10cmの断熱
材が入るがこの家は壁の外側にさらにもう一枚断熱材を付加され合計 17Cmの断熱材で
覆われている(付加断熱という)。厚いセーターの上にもう一枚羽毛入りのダウンを着たよ
うなものだ。その言い方をすれば 1 の家はシャツ 1 枚、2 の家はそれにセーターを着た程
度といえる。3 の家は外気温が-10℃位になっても家中寒い所ができない。室内を開放的に
開け放しておいても暖かいのだ。
■高断熱住宅のよさを伝えたい・・・
黒岩さんとこんな会話をした。
Q:「暮らしていて何がいいと感じていますか?マイナス 15 度位になると聞きましたが」
A:
「外がどんなに寒い日でも、家の中はどこも暖かく薄着で過ごせる。それが一番だと思
います。でも、それが普通なので、なんと言っていいか、説明するのが難しいですね。」
Q:奥様はいかがですか?
A:「昔はカチンカチンになった台布巾が今は寒い朝でもサラサラです。」「こんな暮らしに
なっても暖房費は以前の 1/3 位なんですよ」と屈託なく笑う。
■暖かい家には人が集まる
そんな話をしていたら、玄関から誰かが入ってきて
リビ ン グの 階 段を 登っ て行 く。す ると 吹 き抜 け の手
すりから顔を出して「長男で~す」と挨拶してくれ
た。東京の大学に行っている浩太君で夏休みの最後
を帰省している。普段は町田の晴美さんの実家で 1
人暮らしをしている。
「東京の家は寒い」といつも言
っているのだそうだ。
黒岩さんには他に高 3 と高 1 の子供がいて友達が
よく遊びに来る。特に冬はしょっちゅう来るらしい。
彼らは最初ダウンを着込んでくるのだがやがて一枚
ずつ脱ぎはじめ、その内「お前ん家ちは暑い」と言ってはしゃいでいる。少年達の姿が目
に浮かぶようだ。
そういえば、
「誰君や誰々君の家は昔のままだから寒そう」とか「誰々君の家はどうなっ
たかしら」とか晴美さん夫妻から子供の友達の名前がポンポンと自然に出てくることに気
がつく。どうやら、遊びに来る少年たちは大人との会話がちゃんとできる子供たちのよう
だ。晴美さん夫妻の顔を見ていればわかる。子供達が健やかに育っている。
■キャベツ農家の一年
家が暖かいと自然が美しい
キャベツ農家の一年は農繁期と農閑期があってそれが天と地
のように違う。一年の半分は重労働ですと晴美さんはいう。収
穫期になれば明け方三時にはもう畑に出ている。朝日が昇る前
に集荷所に行く日もある。一日その数およそ 500 ケース、重量に
して 5 トン、それがほぼ 100 日続くので 100 日戦争といってい
る。一年の半分は重労働という一端が窺える。
■夏は家の涼しさが元気づける
高原キャベツの仕事は真夏に行う。軽井沢に近い高原とは言え
日中は 30℃近くまで気温は上がる。その中での畑仕事だ。「こ
こだって暑いですよ」
「でも、家の中はとてもは涼しいので助か
ります。」私は、話を聞きながら茨城で農業をしている知人を思
い出していた。この夏茨城は猛暑続きで、朝の涼しい内にと朝早く畑に出るが、作業をし
ているとあっという間に 10 時 11 時になってしまう。炎天下は 40℃を超える。汗はまる
で水を浴びたように体中をびしょ濡れにする。楽しみは昼寝だと言っていた。汗を流し昼
食が済むと農作業の疲労からすぐ眠くなる。そんなとき、窓を開け放って畳の上で昼寝す
るのが一番の健康法で、元気が回復するという。その家も高断熱住宅で、冷房なしでも涼
しい家になっている。黒岩さん達夫婦もそうなのだろう。100 日戦争の名の通り、大変な
重労働の毎日だけど、ひんやりと涼しい家の中に入ると、その疲労が心地よい充実感とな
って気持ちが満たされるのかも知れない。家が人の体と心を癒やし、仕事の充足感を満た
してくれるのだ。働くことが愉しいと思えることほど幸せなことはない。
■冬、家が暖かいと厳寒の自然を楽しめる
こうしてキャベツに追われる繁忙期を過ぎると嬬恋高原に秋は
すぐやってくる。燃えるような錦秋もつかの間、秋は短く、長
く厳しい冬を迎える。-10℃の日々が1ヶ月を超える。何年か
前なら、震えながら冬ごもりに入るのだが、黒岩さん達は冬が
愉しいという。外がどんなに寒くとも、暖かい家があるからだ。
山に登りスキーを楽しみ、スケートも屋外で興じる。冬の高原
は晴れる日が多い。真っ青に澄み切った冬晴れの日は、山々の
冠雪がまぶしいほど白い。青空に煙がたなびく浅間山は冬空に
雄々しい。「家の中から見える冬景色がとてもきれいです」「2
階にあるお風呂から浅間が見えるようになっているんですよ」
とうれしそうに話す。こうして、仕事から離れて半年の間、家
族とおしゃべりし、テレビを観たり、ときには街まで出かけた
り、話を聞いていると、冬はリゾートしているかのようだ。
「家
にいるのが一番愉しく、どこかへ行きたいという気はあまり起
こらない」そうだ。この満たされ感はどこから来るのか。全て
は暖かい家から来るようだ。
■人生の豊かさとは
浴室から遠く浅間山
他から見たら過酷とも思える夏の仕事が、この人達にとって
は待ち遠しく思っているのではないかと感じる。それもこれも充実した冬を過ごしている
からだと思う。
働くときは精一杯働き、余暇を楽しむときは心ゆくまで楽しむ。そうして今日を生きる、
明日を迎える。子供が成長する。家族が歳月を重ねる。素晴らしい人生ではないか。それ
を支えているのは住まいだ。夏涼しい、冬暖かい、ただそれだけのことだが、それが出来
れば人生はもっと豊かに生きられる。そんなことを教えられた嬬恋訪問だった。
人が豊かに暮らすための家、その原点を見た想いがする。(終わり)