職業人の特性を生かす学習環境 ─ 外交官 ・ 公務員日本語研修スピーチクラスの検証 ─ 羽太 園 ・ 熊野 七絵 〔キーワード〕 職業人 なじみの分野 コミュニカティブ ・ ストレス 成功体験 相互交渉 〔目次〕 1. 先行研究からの示唆 1.1 ビジネス日本語教育から 1.2 第二言語習得研究から 1.3 職業人の特性を生かす学習環境とは 2. スピーチクラスのコースデザイン 2.1 対象 2.2 スピーチのニーズとクラスの目的 2.3 テキストの構成と難易度 2.4 活動の流れ 2.5 評価 3. 学習環境の分析 3.1 コミュニカティブ ・ ストレスの弱い環境 3.2 学習活動と相互交渉の機会 4. 考察と課題 おわりに はじめに 国際交流基金関西国際センターで実施されている外交官日本語研修、 公務員日本語研修 (以 下、 外交官 ・ 公務員日本語研修) (1) では、 ゼロ初級の職業人を対象に、 9 ヶ月間で職務に寄与 する日本語能力の習得が目指されている。 限られた期間中に多くの成果をあげるには、 職業人 の特性を生かし、 持てる能力を最大限に発揮できる学習環境が必要である。 岡崎 ・ 岡崎 (2001) は、 学習者のエネルギーを生かして、 自律的な学習者を育成するためには、 どのような学習の 場が提供できているのか、 学習者が経験している学習はどのようなものかを分析し、 学習の可 能性を広げていくことが大切であると主張している。 本稿の目的は、 外交官 ・ 公務員日本語研 修の選択科目の一つであるスピーチクラスを学習環境面から分析することによってコース評価 −47 − 日本語国際センター紀要 第 13 号 を行うことである。 第一章では先行研究より職業人が効率よく学べる学習環境について検討す る。 第二章ではスピーチクラスのコースデザインを紹介する。 第三章ではスピーチクラスが提 供している学習環境を分析し、 第四章でコース評価を行う。 1.先行研究からの示唆 1.1 ビジネス日本語教育から 職業人の学習環境を考える上でまず参考になるのは、 ビジネス日本語教育からの指摘であ る。 西尾 (1986) は、 ビジネス日本語を学ぶ学習者の特徴として 「必要最小限の時間で高度な 目 標 に 達 す る こ と を 希 望 し、 学 習 し た こ と が 実 務 に 役 立 つ こ と を 期 待 し て い る 」 と 述 べ て い る が、 これは職業人が語学学習に望む基本的な態度といえるだろう。 こうした要求に応えるため に、 田丸 (1994) は、 「初級では総合日本語の基礎力、 専門は中上級になってからという意識 を捨てるべきだ」 と主張している。 そして初級の段階から将来のニーズを考慮して学習内容を 取 捨 選 択 し、 「 こ れ は 役 に 立 つ 」 と 思 わ せ る こ と、 そ し て 選 択 し た 内 容 を 強 化 す る こ と に よ っ て短い時間で能力を高めることが必要だとしている。 また、 工藤 (1994) は、 ビジネス日本語教育を含め JSP (特殊目的別日本語教育) の立場か ら、 タ ス ク 中 心 の カ リ キ ュ ラ ム を 提 唱 し て い る。 職 業 上 の タ ス ク は 学 習 者 に と っ て イ メ ー ジ し やすい目標であり、 自己評価の指針となる。 また学習者の専門知識や社会経験の利用が学習意 欲をかきたて、 目標言語の内容を理解する上で大きな助けとなるという。 ビジネス日本語教育 の現場で強く意識されているのは、 意欲や動機付け、 達成感である。 そして、 初級の段階から 将来が見える目標、 学習者にとって理解しやすく主体的に活動できるタスクの設定、 知識や経 験が生かせる学習活動が、 そうした動機付けと深く関わっていると見られている。 1.2 1.2.1 第二言語習得研究から なじみの分野の利用 一方、 第二言語習得研究からも、 職業人の学習環境を考える上で役だつ多くの指摘がある。 ま ず、 学 習 者 が 既 に も っ て い る 知 識 が 言 語 習 得 を 促 進 す る 要 素 と な る と い う 指 摘 で あ る。 Levelt,W.J.M. (1989) は話し言葉の産出過程には①概念化②言語化③発音化の過程があると しているが、 Selinler,L.and D.Douglas (1985) は、 なじみの分野やトピックはよく話すことがで き、 知 っ て い る こ と な ら 概 念 化 に か け る 労 力 を 言 語 化 に 向 け ら れ る と い う。 ま た、 知 っ て い る トピックでは非母語話者もイニシアチブをとれる (Zuengler,J. and B.Bent 1991) との指摘もあ る。 つ ま り、 職 業 に 関 わ る 特 定 分 野 の ト ピ ッ ク に 焦 点 を 絞 る こ と で、 職 業 人 と し て の 特 性 を 生 かし、 効率よく言語習得を促進する環境作りにもつながるという示唆である。 −48 − 職業人の特性を生かす学習環境 1.2.2 コミュニカティブ・ストレスの弱い学習環境 岡崎 ・ 岡崎 (前掲) は、 話すことの指導の大前提は、 学習者が実際に話し手となる場を提供 して現実の会話を経験させることだとし、 学習者が主体的に試行錯誤を繰り返し、 その中から 意識的に学習ができるよう教師が学習をデザインする際には 「成功経験」 を重視すべきだと主 張 し て い る。 難 し す ぎ る 課 題 を 与 え た 場 合、 フ ラ ス ト レ ー シ ョ ン が た ま り、 学 習 意 欲 ま で そ い で し ま う 可 能 性 が あ る の で、 「 成 功 経 験 」 を 与 え ら れ る よ う 易 し い も の か ら 難 し い も の へ と 配 列するべきだというのである。 そして、 その配列を考える基準として、 Brown&Yule (1983) の 提 唱 す る 「 コ ミ ュ ニ カ テ ィ ブ ・ ス ト レ ス 」 と い う 概 念 が 利 用 で き る と い う。 「 コ ミ ュ ニ カ テ ィ ブ ・ ス ト レ ス 」 と い う の は、 あ る 状 況 で は 容 易 に 気 持 ち よ く 自 分 の 能 力 の 全 て を 出 し 切 っ て 話 せ る 一 方、 他 の 状 況 で は た だ た だ 話 し に く く、 自 分 の 能 力 を 全 く 出 し 切 れ ず に フ ラ ス ト レ ー シ ョ ン だ け が 残 る と い う 現 象 の ど ち ら に な る か を 決 め る も の で あ る。 つ ま り、 コ ミ ュ ニ カ テ ィ ブストレスが弱ければ話しやすく、 逆に強ければ話すのが難しくなる。 表 1 に 具 体 的 に ま と め た よ う に、 表 の 左 側 の 条 件 を 満 た し て い る と、 コ ミ ュ ニ カ テ ィ ブ ス ト レスが弱く、 学習者にとって能力を発揮しやすい話しやすい環境となる。 表 1 コミュニカティブ ・ ストレスの強弱と条件 コミュニカティブストレス 弱い 話者をとりまく状況 聞き手がもつ知識 タスクタイプ コミュニカティブストレス 強い 聞き手が同輩か後輩 聞き手が自分より目上 自分のよく知っているプライ ベートな状況 不慣れな状況、公的な状況 聞き手の言語能力が同等 聞き手の言語能力が異なる インフォメーションギャップが ある インフォメーションギャップが ない タスクに必要な知識や語彙に通 じている タスクに必要な知識や語彙がな い タスク自体が話の展開の構造を 含む タスク自体と話の展開の構造が 異なる 1.2.3 「相互交渉」の機会 言語習得を促進する要因については、 Krashen (1980) の 「インプット仮説」 に始まり、 Swain (1985) の 「アウトプット仮説」、 Long (1985) の 「相互交渉仮説」 とさまざまな仮説が提起さ れている。 まず、 Krashen (1980) の 「インプット仮説」 では、 理解可能なインプットが言語 習得を促進するとし、 インプットの重要性が指摘された。 それに対して、 Swain (1985) は、 理 解 可 能 な インプットへの接触に加えて、 理解 可 能 な ア ウ ト プ ッ ト に い た る 過 程 が 言 語 習 得 に は不可欠だと指摘した。 一方、 Long (1985) は、 学習者と母語話者の間におけるやりとり、 つ −49 − 日本語国際センター紀要 第 13 号 まり 「意味交渉」 自体を重視し、 意味交渉の過程で行われる 「発話の修正」 が言語習得を促進 する要因だと指摘している。 さらに、 Pica (1994) は、 言語習得を促進するためには理解可能 な イ ン プ ッ ト、 理 解 可 能 な ア ウ ト プ ッ ト に 加 え、 「 言 語 形 式 へ の 焦 点 化 」 も 必 要 だ と 指 摘 し て いる。 では、 これらの言語習得を促進する要因を満たすために、 教師はどのような形で学習を 提供していけばよいのだろうか。 Pica et.al. (1993) は、 「タスク」 においては、 目標を達成す る 過 程 で 意 味 交 渉 が 頻 繁 に 起 こ り、 イ ン プ ッ ト、 ア ウ ト プ ッ ト の 両 面 か ら 言 語 習 得 を 促 進 す る と 指 摘 し て い る。 つ ま り、 タ ス ク 達 成 に 向 け て 「 相 互 交 渉 」 の 機 会 を 増 や す こ と に よ っ て 「 発 話の修正」 「言語形式への焦点化」 が起こり、 学習者自身が意識的に学習することで言語習得 が促進されると考えられる。 1.3 職業人の特性を生かす学習環境とは これら先行研究から得られた示唆から、 職業人の特性を生かす学習環境の要件は以下のよ う にまとめられる。 ① 学習者の専門知識や経験を利用できるよう、 職業上のタスクを学習活動に取り入れる ② 成功経験が得られるようタスクが内包するコミュニカティブ ・ ストレスに留意する ③ タスクの中に相互交渉の場を取り入れ、 意識的な学習の機会を作る 2.スピーチクラスのコースデザイン 2.1 対象 外交官 ・ 公務員日本語研修は、 将来対日関係の職務に就く可能性の高い若手の外交官と公務 員を対象とした 9 ヶ月の集中日本語研修である。 1 学期 (10 月- 12 月) は基礎的な日本語能力 の養成に集中し、 2 学期 (1 - 3 月) ・ 3 学期 (4 - 6 月) には基礎の積み上げと並行してより専 門 性 に 配 慮 し た 選 択 科 目 を 実 施 し て い る (2)。 ス ピ ー チ ク ラ ス は、 選 択 科 目 の 一 つ と し て 平 成 10 年度に始まり、 平成 13 年度で 4 年目を迎えた。 実施期間は 2 ・ 3 学期で、 時間数は 1 週間に 2 時間、 2 期合わせて約 30 時間のコースである。 4 年間の平均履修率は 2 学期が全体の約 80%、 3 学期が約 30%と、 2 学期は履修率が高く、 3 学期には少なくなる傾向がある。 2.2 スピーチのニーズとクラスの目的 で は 外 交 官 ・ 公 務 員 に と っ て 必 要 な ス ピ ー チ と い う の は、 ど の よ う な も の だ ろ う か。 外 交 官 ・ 公務員日本語研修では、 研修中に学習者自身が大使館などに出向いて目標言語調査を行 い、 その結果をもとに学習者自身がニーズ分析を行っている。 表 2 は過去 5 年間の分析結果か ら、 スピーチの機会、 聴衆、 話題を抜粋しまとめたものである。 この結果から外交官 ・ 公務員 (3) にとって必要なスピーチは、 以下の 4 種類に分けることが −50 − 職業人の特性を生かす学習環境 できる。 ① パーティーやセレモニーでのあいさつとしてのスピーチ ② 友好団体や一般市民に対する観光、 歴史、 文化、 二国間関係の紹介 ③ 観光セミナーや投資セミナーなどでの業者への情報提供 ④ 記者会見 表 2 スピーチのニーズ 場面 聴衆 主なテーマ レセプション 政府の役人、外務省職員、 各国外交団 あいさつ、感謝の表明、二国間 関係、自国の簡単な歴史 文化的イベントやパー ティ ロータリークラブや友 好協会のイベント 文化団体の会員 政府の役人 二国間の友好関係、経済関係、 政治や文化 観光、歴史、伝統、一般情報 セミナー、フェアー、 ビジネスランチ ビジネスマン レポーター 社会・経済・政治状況、投資の 機会、教育システム、国際的イ ベント、観光資源 大学での講義 大学生 自国紹介 大使館訪問者への説明 見学者(小学生∼大学生) 食べ物や文化 テレビやラジオの取材 一般市民 女性の地位、祭りや食、宗教 記者会見 記者 地域の政治局面、友好関係、経 済関係、国際的イベント ①の場合は定型的なフォーマルスピーチであり、 日本人スタッフが書いた原稿を演じるだけ というケースもある。 ②では①より情報提供の要素が強いが、 場面は和やかで質疑応答も一般 的な内容と思われる。 ③はビジネスが目的であり、 質疑応答では正確さが要求されるため難易 度は高い。 これらのニーズを初級の日本語研修という枠で考えると、 本研修においては①と② が達成可能な目標と考えられる。 一方、 このニーズ調査ではスピーチの他、 会話や読解、 聴解のニーズも同時に調査 ・ 分析し ているが、 会話のニーズとしても、 文化イベントやパーティーで日本人と政治や経済、 文化や 観 光 情 報 な ど に つ い て 話 さ な け れ ば な ら な い と い う 記 述 が 多 く 見 ら れ る。 ス ピ ー チ と 会 話 の ニーズにおいて、 話題は共通しているといえよう。 学習者自身によるニーズ分析から、 外交官や公務員にとって必要かつ達成可能なスピーチ像を 絞り込むことができた。 また、 特定の話題をとりあげた話題中心の学習が会話のニーズにも答え −51 − 日本語国際センター紀要 第 13 号 る こ と が わ か っ た。 そ こ で、 ス ピ ー チ ク ラ ス の 目 的 を 次 の 2 点 と し、 コ ー ス デ ザ イ ン を 行 っ た。 目的 : ①一定の話題についてスピーチ原稿を書き、 それを口頭で発表する技術を身に付ける。 2.3 ②話題に沿って語彙 ・ 表現を習得し、 口頭運用能力を高める。 テキストの構成と難易度 スピーチの話題は、 前述のニーズ分析に現れる話題を中心に 12 の話題を選び、 難易度を考 慮して提出した (表 3、 表 4)。 また、 後半の 3 学期は文化 ・ 社会コースと経済 ・ 社会コースの 2 つのコースを設定し、 学習者の得意の分野を選べるようにした。 表 3 2 学期の話題 表 4 3 学期の話題 1. 祭り 文化 ・ 社会コース 経済 ・ 社会コース 2. 地理 ・ 民族 ・ 宗教 1. 結婚 1. 社会問題 3. 私と仕事 2. 教育 2. 経済と生活 4. 観光 3. 人間関係 3. 産業と貿易 5. 歴史 4. 二国間関係 4. 二国間関係 テキストの構成は以下のとおりである。 < 各課の構成 > ①モデルスピーチ (語彙対訳表) ②役に立つ文型と例文 ③関連語彙 ④質問 ⑤スピーチのテクニック (統計を使う、 クイズを出す、 コンセプト ・ マップを描くなど) はじめの数課では、 「モデルスピーチ」 の語句を入れ替えるだけで、 スピーチ原稿が書ける よ う に 構 成 さ れ て い る。 そ の 他 の 課 も、 設 定 さ れ た 「 質 問 」 に 答 え れ ば、 あ る 程 度 ま と ま っ た ス ピ ー チ が 書 け る よ う に 構 成 さ れ て い る。 こ れ は、 学 習 者 が ス ピ ー チ を 書 く 段 階 で 消 耗 し て し まわないようにという配慮による。 「 モ デ ル ス ピ ー チ 」 の 難 易 度 も、 同 じ く 理 解 に 負 担 が か か り す ぎ な い よ う に 配 慮 し て い る。 スピーチクラスが始まるのは、 研修開始 4 ヶ月目、 日本語学習時間 135 時間程度を終了した時 点 で あ る。 文 法 ク ラ ス で は 動 詞 の フ ォ ー ム が 入 り 始 め、 日 本 語 の 文 構 造 に 慣 れ て き た 頃 な の で、 新出文型は 2 - 3 項目にとどめ、 同時期の文法クラスの学習項目を意識的に使用している。 また、 語彙の負担を軽減するために語彙クラスとシラバスを連携させ、 同時期に同じ語彙を扱 うよう配慮している (4)。 −52 − 職業人の特性を生かす学習環境 2.4 活動の流れ スピーチクラスの活動は、 図 1 のような流れで行われる。 コース開始時 コースオリエンテーション 各課 ↓ 導入 ・ 質問⇒原稿作成⇒個人指導 (原稿 ・ 音声) ⇒個人練習⇒発表⇒質疑応答⇒フィードバック 学期末 ↓ 発表会⇒評価セッション 図 1 スピーチクラス活動の流れ 各課の導入では、 モデルスピーチを使ってスピーチの構成、 語彙と表現などを学んでいく。 次に 「質問」 に従って各人のスピーチ案を練っていく。 こうして、 実際に書く前にある程度内 容を考え、 教師から語彙を収集しておくことになる。 また発表前には、 担当の教師と 1 対 1 でスピーチ指導が行われる。 原稿チェックでは、 間違 いの訂正のほか、 学習者の表現意図に沿う日本語を教師と学習者が対話しながら探っていく。 原稿チェックが終わると、 必要に応じてスピーチ原稿を教師が録音しテープを作成、 練習用と して学習者に渡す。 初期には発音やポーズの位置など、 理解に関わるレベルで音声指導が必要 になるからである。 原稿チェックが終わると個人練習が行われる。 スピーチ原稿を覚えることは要求していない が、 ほ ぼ 暗 記 し て く る 学 習 者 も い る。 ま た ス ピ ー チ 用 の メ モ を 作 っ て く る 者、 難 し い 部 分 に ローマ字を併記してくるものなど、 学習者はそれぞれに弱点をカバーする工夫をしている。 発表は各人 2 週間に 1 回のペースで行われ、 1 回の発表時間は 5 分- 10 分、 その後 15 分程 質疑応答が行われる。 発表の様子はビデオで録画される。 クラスの最後にフィードバックの時 間があり、 ビデオを見ながら教師、 クラスメート、 発表者がそれぞれが口頭で評価を行う。 学期末には、 近隣の住民など一般の日本人を招いてスピーチ発表会が行われる。 発表会では 一度授業で発表済みのスピーチ、 あるいは授業で発表したスピーチをいくつか組み合わせたも のが使用される。 2.5 評価 評価はクラスと発表会のパフォーマンスを対象に、 ①内容 (構成、 情報量)、 ②発音、 ③話 し方 (スピード、 ポーズ)、 ④視覚情報 (写真や地図、 ハンドアウトの使用法)、 ⑤態度 (アイ コ ン タ ク ト、 身 振 り な ど )、 ⑥ や り と り ( 質 疑 応 答 の 内 容 の 適 切 さ ) の 各 観 点 か ら 教 師 が 採 点 し、 3 段階評価に記述評価を付する。 学習者には、 個別の評価セッションを行い、 発表会のビ −53 − 日本語国際センター紀要 第 13 号 デオを見ながら評価内容について説明する。 ビデオは自己評価の材料として学習者に渡され る。 研修終了後の最終評価表では、 スピーチが可能な話題や答えられる質問の程度などを、 記 述式で評価している。 3.学習環境の分析 では、 スピーチクラスではどのような学習環境が提供されているだろうか。 本章では先行研 究 か ら 得 ら れ た 示 唆 を ふ ま え、 ま ず 「 コ ミ ュ ニ カ テ ィ ブ ・ ス ト レ ス 」 と い う 観 点 か ら コ ー ス 分 析を行う。 次にスピーチを行うための一連の学習活動がどのような 「相互交渉」 の機会を提供 しているかを分析する。 3.1 コミュニカティブ・ストレスの弱い環境 こ こ で は、 「 コ ミ ュ ニ カ テ ィ ブ ・ ス ト レ ス 」 と い う 観 点 か ら ス ピ ー チ ク ラ ス の コ ー ス デ ザ イ ンを分析し、 学習者が力を発揮できるような話しやすい環境作りについて考える。 以下、 環境 要因、 聞き手、 タスクタイプの 3 つの点から分析する。 3.1.1 環境要因 コ ミ ュ ニ カ テ ィ ブ ・ ス ト レ ス は 多 人 数 よ り 一 人、 目 上 よ り 同 輩、 フ ォ ー マ ル よ り イ ン フ ォ ー マルのほうが弱い。 外交官 ・ 公務員の職務上の場面でのスピーチを考えると、 スピーチは通常 多人数の前で行われ、 イベントやセレモニーなどフォーマルな場面で目上の人々に対して行わ れるきわめてコミュニカティブ ・ ストレスの強い環境だといえる。 一 方 ス ピ ー チ ク ラ ス で は、 教 師 の ス ピ ー チ 添 削 や フ ィ ー ド バ ッ ク は マ ン ツ ー マ ン で 行 い、 ク ラ ス は 6 名 以 下 と 人 数 も 少 な く、 だ い た い 同 年 輩 の よ く 知 っ た 仲 間 で あ る。 ま た、 ク ラ ス で の ス ピ ー チ は 実 際 の ス ピ ー チ と は 異 な り、 フ ォ ー マ ル 度 は 高 く は な い。 た だ し、 ビ デ オ カ メ ラ を 意 識 し て か フ ォ ー マ ル な 服 装 で 臨 む 学 習 者 も お り、 や や フ ォ ー マ ル な 意 識 は 高 ま る。 し か し、 その後の質疑応答やフィードバックなどはややインフォーマルな雰囲気で行われ、 自由に発言 で き る 環 境 と な っ て い る。 つ ま り、 ク ラ ス 内 活 動 は、 か な り コ ミ ュ ニ カ テ ィ ブ ・ ス ト レ ス の 弱 い話しやすい環境が整備されているといえる。 しかし、 学期の終わりに行う発表会では、 20 名 以 上 の 日 本 人 の 聴 衆 ( 目 上 ) が 参 加 す る フ ォ ー マ ル な 状 況 で あ り、 コ ミ ュ ニ カ テ ィ ブ ・ ス ト レ ス は ぐ っ と 強 ま る。 ク ラ ス 内、 発 表 会、 実 際 の ス ピ ー チ と コ ミ ュ ニ カ テ ィ ブ ・ ス ト レ ス は 段 階 的に強まっていくと考えられる。 3.1.2 聞き手 コミュニカティブ ・ ストレスは、 聞き手の言語能力が話し手と同等で、 かつ聞き手が自分の −54 − 職業人の特性を生かす学習環境 知 ら な い 情 報 を も っ て い る な ど イ ン フ ォ メ ー シ ョ ン ギ ャ ッ プ が あ る ほ う が 弱 く な る と い う。 スピーチクラスでは、 学習者同士は同じ条件で日本語を学習してきており、 ほぼ言語能力が 同等であるため、 互いの使う日本語は非常に理解しやすく、 さらに、 教師も学習者の言語能力 を把握し、 レベルに合わせて調整している。 また、 発表者と他の学習者達との間にはインフォ メ ー シ ョ ン ギ ャ ッ プ が あ る た め、 互 い の ス ピ ー チ に 真 剣 に 耳 を か た む け る。 ま た、 質 疑 応 答 で は、 ス ピ ー チ に 対 し て、 本 当 に 自 分 が 知 り た い こ と や 確 認 し た い こ と に つ い て た ず ね る 実 際 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン に 非 常 に 近 い 学 習 活 動 が 行 わ れ て い る た め、 コ ミ ュ ニ カ テ ィ ブ ・ ス ト レ ス は弱く、 自ら積極的に話せる環境が保たれているといえる。 一方、 発表会では、 日本語母語話者が聴衆となるため、 一気に聞き手と話し手の言語能力レ ベ ル に 差 が 出 て、 コ ミ ュ ニ カ テ ィ ブ ・ ス ト レ ス は 強 く な る。 ク ラ ス 内 で の 質 疑 応 答 で 練 習 し て い る と は い え、 日 本 人 の 質 問 が わ か ら な か っ た り、 答 え に 窮 し た り と ク ラ ス 内 で は 見 ら れ な い コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 上 の 困 難 や 挫 折 を 味 わ う こ と も あ る。 ま た、 ス ピ ー チ は 教 師 の 添 削 が 加 え られているため、 母語話者は学習者の言語能力を高く予測する可能性も高い。 そこで母語話者 は専門的な内容について日本語特有の前置き表現や待遇表現を交えて質問をするので、 学習者 の 初 級 の 日 本 語 レ ベ ル と の 開 き は ま す ま す 広 が る こ と に な る。 発 表 会 は、 実 際 の 状 況 の シミュレーションとして、 うまくいった場合には 「成功体験」 となり、 さらなる動機付けとなるが、 う ま く い か な か っ た 場 合 に は 「 失 敗 体 験 」 と し て や る 気 を 失 う き っ か け に も な り か ね な い。 3.1.3 タスクタイプ タスクのタイプは、 タスクに必要な知識や語彙に通じていて、 タスクの構造が話の展開の構 造も含んでいるほうがコミュニカティブ ・ ストレスは弱い。 学 習 者 に と っ て、 ス ピ ー チ の 構 成 を 考 え る、 ス ピ ー チ を 作 成 す る、 実 際 に ス ピ ー チ を 行 う、 質疑応答を行うなどのタスクは職務経験上 「なじみのタスク」 である。 また、 スピーチの授業 自 体 が、 実 際 の ス ピ ー チ に お け る 準 備 か ら 発 表 ま で の 過 程 と い う 構 造 を 内 包 し た も の で あ り、 タ ス ク が ど の 段 階 に あ る の か、 何 を 目 指 し て い る の か も 把 握 し や す く、 タ ス ク に 必 要 な 知 識 や ス キ ル と い う 面 で の ス ト レ ス は 弱 い と い え る。 実 際 に、 ス ピ ー チ 原 稿 を 書 く と い う こ と に 対 す る抵抗感が低く、 スピーチに必要な非言語的表現 (アイコンタクトやポーズの効果的な利用、 視 覚 資 料 の 利 用 ) な ど は、 既 に ス キ ル と し て 身 に 付 け て い る 場 合 も 多 く、 そ こ に か け る 労 力 は軽減される。 ま た、 取 り 上 げ ら れ た ト ピ ッ ク に 関 す る 語 彙 は 概 念 と し て は 「 な じ み の 分 野 」 で あ る た め、 その概念を日本語に 「言語化」 する部分の手助けがあれば、 コミュニカティブ ・ ストレスは軽 減 さ れ る と 考 え ら れ る。 テ キ ス ト に は 必 要 語 彙 の リ ス ト を つ け、 モ デ ル ス ピ ー チ で 前 置 き 表 現 や 接 続 表 現 等 を 明 示 し、 日 本 語 に よ る 文 章 化 と い う タ ス ク へ の 手 助 け を し て い る。 こ の よ う −55 − 日本語国際センター紀要 第 13 号 に、 スピーチ発表までに段階的に配列された一連の活動 (導入→質問→原稿作成→個人指導→ 個人練習) は、 学習者の持つ概念の日本語による言語化への補助的役割を果たしている。 その た め、 ス ピ ー チ 発 表 と い う 一 見 難 し い タ ス ク を か な り ス ム ー ズ に 達 成 す る こ と が で き る よ う に なると考えられる。 しかし、 質疑応答ではスピーチの範囲を超えた知識や語彙力が必要となる 上、 時間的な制約の中で概念化、 言語化、 音声化を行わなければならず、 コミュニカティブ ・ ストレスがかなり強くなると推測される。 以 上、 コ ミ ュ ニ カ テ ィ ブ ・ ス ト レ ス と い う 観 点 か ら の ス ピ ー チ ク ラ ス の コ ー ス デ ザ イ ン の 分 析 を ま と め る と、 以 下 の よ う な 特 徴 が 浮 か び あ が っ て く る。 ス ピ ー チ ク ラ ス は コ ミ ュ ニ カ テ ィ ブ ・ ス ト レ ス の 弱 い、 つ ま り 学 習 者 に と っ て 話 し や す い 環 境 の 条 件 を 全 体 的 に は 満 た し て い る といえる。 テキスト、 学習活動の一連の流れが言語化の補助的役割を果たしていること、 同じ 職務上のニーズと知識、 経験を共有する同等の言語能力をもつ学習者同士活動ということが話 す こ と を 促 進 す る 環 境 づ く り に 寄 与 し て い る と い え る。 一 方、 ク ラ ス 発 表 → 発 表 会 と い う 順 で コ ミ ュ ニ カ テ ィ ブ ・ ス ト レ ス は 強 く な っ て い き、 ク ラ ス 活 動 も 教 師 の 補 助 の 大 き さ に よ っ て 導 入 → 発 表 → 質 疑 応 答 の 順 に コ ミ ュ ニ カ テ ィ ブ ・ ス ト レ ス が 強 く な る 活 動 と な っ て い る。 こ れ は、 実際にコミュニカティブ ・ ストレスが非常に強い職務上のスピーチのために段階的な環境 を 提 供 し て い る と い え る が、 発 表 会 の 質 疑 応 答 で は コ ミ ュ ニ カ テ ィ ブ ・ ス ト レ ス が 一 気 に 高 ま り 失 敗 体 験 に も つ な が り か ね な い た め、 ク ラ ス 活 動 と の ギ ャ ッ プ に つ い て 配 慮 が 必 要 で あ る。 3.2 学習活動と相互交渉の機会 では、 スピーチクラスで行われるさまざまな学習活動は、 学習者にどのような学習の機会を 与えているだろうか。 以下、 3 つの学習活動を取り上げ、 どのような相互交渉がおこなわれて い る か、 そ し て そ こ で 何 が 注 目 さ れ て い る か を 分 析 す る。 表 5 は ス ピ ー チ ク ラ ス に お け る 学 習 の流れを示したものである。 3.2.1 個人指導〜言語形式への焦点化を促す機会〜 コースデザインの中で学習者に 「言語形式への焦点化」 をもっとも促している活動は、 「個 人指導」 である。 学習者は教室内で導入された学習項目をもとに、 自分自身でスピーチを作成 する。 それを教師が 「修正」 する段階で、 学習者は自分自身の文法、 語彙、 表現、 接続表現、 談話構成などについて、 意識的にその誤りに注目する機会を得る。 また発音上の問題点も個別 に チ ェ ッ ク さ れ る こ と で 意 識 化 さ れ る。 実 際 に、 教 師 が 録 音 し た モ デ ル テ ー プ を 繰 り 返 し 聞 き、 自 分 な り に ア ク セ ン ト や イ ン ト ネ ー シ ョ ン を 意 識 化 し て 書 き 込 み、 繰 り 返 し 発 音 練 習 を し たことで、 発音が自然になった学習者も見られる。 こ う し た 修 正 の 段 階 も 教 師 か ら 学 習 者 へ 一 方 的 に イ ン プ ッ ト が 行 わ れ る の で は な く、 対 話 −56 − 職業人の特性を生かす学習環境 の中で進められる。 外交官 ・ 公務員にとって自国について語るという行為は国の尊厳に関わる こ と だ け に、 学 習 者 は ス ピ ー チ の 内 容 に 強 い こ だ わ り を 持 っ て い る。 そ こ で、 教 師 と 学 習 者 は 対話の中から学習者の意図に沿った表現を探していく。 そして対話の中で見つけられた語彙は 強 く 意 識 化 さ れ、 定 着 し て い く。 個 人 指 導 は、 学 習 者 の 意 図 を 日 本 語 で 適 切 に 表 現 す る という共通のタスクに向かって、 教師と学習者が相互交渉を行う場であり、 言語形式への注目が行わ れやすい環境といえる。 3.2.2 質疑応答〜現実の会話をする機会〜 次に、 質疑応答の学習環境を取り上げる。 表 5 を見ると、 スピーチクラスの活動において、 導 入 ( イ ン プ ッ ト ) さ れ た 学 習 項 目 は、 繰 り 返 し 使 用 ( ア ウ ト プ ッ ト ) さ れ、 教 師 や 他 の 学 習 者 と の さ ま ざ ま な や り と り ( 相 互 交 渉 ) の 中 で ス パ イ ラ ル 的 に 強 化 さ れ て い る こ と が わ か る。 その最終段階として質疑応答が行われる。 質疑応答では、 質問者も発表者も学習した項目を利 用 し な が ら 自 分 の 伝 え た い こ と を 表 出 す る。 発 言 は 自 由 で、 教 師 が 内 容 を コ ン ト ロ ー ル し た り 誘導したりすることはない。 現実の会話の機会であるために、 そこでは様々なタイプの相互交 渉が行われている。 そこで、 質疑応答での会話例から、 教師や他の学習者との間で何が行わ れ、 それがどのような役割を果たしているのかを分析する。 以下の例 1 - 3 は 3 学期中盤の経 済 ・ 社会コースのクラスで行われた質疑応答の一部である ( 部分は、 注目すべき修正や 援助の例)。 表 5 学習の流れ 導入 input 学習者 質問 input/output テキスト 原稿作成 個人指導 個人練習 output 相互交渉 input/output input/ output 学習者 教師 学習者 教師 発表 質疑応答 フィードバック output 相互交渉 input/output input テープ 他の学習者 他の学習者 学習者 学習者 教師 ビデオ 教師 −57 − 日本語国際センター紀要 第 13 号 例 1 教師による修正 テーマ 「A 国の経済と人々の生活」 (場面 L1: 発表者 T: 教師 L2: 他の学習者) L2 : EU に入りたいですから、 どんな問題を解決しますか。 T : EU に入りたかったらどんな問題を解決しなければなりませんか。 (修正 1) L1:実は、 A 国には大きい問題がありません。 一番大切な一番大きい問題は低い収入です。 経 済は問題がありませんが、 人々の生活はまだ大変です。 経済は問題がありません。 L2 : EU の人々の 率 Standard ? T : 生活水準 (修正 2) L1 : average 平均的な L2 : 平均的な . . どんなくらい 平均的な水準は . . . 人々の生活の収入は . . . . どんなぐらい、 水準は どんなぐらいなければなりませんか .... (ロシア語で話しはじめる) T : E U の国々と同じ生活水準になるためにどのぐらいでなければなりませんか . . . ですか? (修 正 3) L2 : うん。 L1 : 日 本 語 で 考 え て い ま す ...EU は 3major finance が あ り ま す。 し か し .... (?) environment は 人々の収入と con nect ed じゃありません。 They are not connected to sal a ries. T : 直接関係はありません。 (修正 4) L1 : 関係はありません。 そんなに大切じゃありません。 学習者間で、 内容を伝えようとする意味に注目したやりとりが行われている。 専門的な概念 を日本語で説明するのは難しく、 学習者同士の共通言語 (ロシア語、 英語) が交じることもあ る。 それでも学習者は懸命に日本語で伝えようとし、 時に他言語の補助を得ても日本語の構造 を 維 持 し よ う と し て い る。 こ こ で の 教 師 の 役 割 は、 伝 え た い こ と を 汲 み 取 り、 伝 わ る 日 本 語 に なるよう援助する形で修正することである。 しかし、 意味に集中する余り、 形式的な修正 1 は学 習者に注目されていない。 一方修正 2、 4 のように、 意味を通じさせるために絶対必要な表現は 繰り返され、 意識化されている。 修正にも効果的なものと効果の薄いものがあることがわかる。 例 2 学習者同士の修正や援助 テーマ 「B 国の産業と貿易」 (場面 L1: 発表者 T: 教師 L2. L3: 他の学習者) (発表後、 L2 がよくわからなかったというので、 L1 が発表を要約している) L1 : これは B 国の GDP です。 製造業は 25%を占めています。 次は 農業 agriculture です。 15 年 前には農業の position は 25% です。 すこし .... L2 : すくなくなりました。 −58 − 職業人の特性を生かす学習環境 L1 : なりました。 3 番目は貿易です 16%、 一番の貿易相手国はアメリカと日本です。 時々日本 (貿易相手国の表をさして) 日本ここです。 でも general ぜんぶ、 いつもアメリカ 1 番、 あ、 もしアジアン 10 国一つあつめます。 アジアンは 1 番、 たぶん 30% です。 (GDP の円グラフをさしながら) 去年一番成長のは telecommunication です。 L3 : せいちょう develop L1 : ふえています。 ... 小さいです。 でもこれ B 国の経済です。 ここでは、 発表者 (L1) も他の学習者 (L2,3) も互いの語彙 ・ 表現の不足を補い、 援助し あっている。 例えば、 L1 は他の学習者にわかるように 「農業」 を英訳して伝えているし、 L2 は 「 す く な く な り ま し た 」 と L1 を 援 助 し て い る。 ま た、 L3 は 「 せ い ち ょ う d e v e l o p」 と 自 己 確認しているが、 これは L1 の発言を機に既習語彙を思い出し、 定着していく過程を示したも の と も い え る。 さ ら に L1 は、 「 ふ え て い ま す 」 と 言 い 換 え、 L3 の 語 彙 理 解 を 助 け て い る。 学 習者は互いに修正や援助を行う中で協同的に語彙を効果的に学習していると考えられる。 例 3 教師による現実的な会話モデルの提供 テーマ 「C 国の産業と貿易」 (場面 L1: 発表者 T: 教師) T : 今一番成長しているのは運輸通信業といっていましたけど、 具体的にはどんな。 L1 : ぐた?はなんですか。 T : concretely L1 : たとえば経済では昔は 10 年前 C 国の電話会社一つだけ今は 3 つあります。 T : 昔はそれは国営でしたか、 それとも民営 L1 : いえ、 民営、 でもひとつだけ monopoly でした。 今たぶん 3 つ、 4 つあります。 携帯電話 も発展しました。 T : あ の 携 帯 電 話 の 普 及 率 は ど の く ら い で す か。 ど の く ら い の パ ー セ ン ト の 人 携 帯 電 話 を も っ ていますか。 L1 : あっちょっとわかりません。 でも、 私は読みました。 昔は C 国人ビールが大好きです。 今 ビ ー ル の お 金 携 帯 電 話 に 引 っ 越 し ま し た。 携 帯 電 話 ち ょ っ と 高 い。 田 舎 の 人 も っ て い ま せ ん。 携帯電話と IT 発展しました。 たぶん 6%から 25% ふえました。 T : すごい成長ですね。 教師は 「具体的に」 「普及率」 など、 実際には導入していない語彙も使い、 制限したティー チ ャ ー ト ー ク で は な く、 現 実 の 日 本 人 の 質 疑 応 答 に 近 い 形 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン を お こ な っ て い る。 L1 は わ か ら な い と き は 「 ぐ た? は な ん で す か。」 と 聞 き 返 し の ス ト ラ テ ジ ー を 使 っ て い −59 − 日本語国際センター紀要 第 13 号 る。 文脈に合った適切な質問であれば、 学習者は多少未習部分があっても既知の語彙をキャッ チし文脈から類推して適切に答えられることが多い。 教師はクラスで現実的な会話モデルを示 す こ と に よ っ て、 聞 き 取 り 能 力 や コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン ・ ス ト ラ テ ジ ー を 身 に 付 け る 機 会 を 提 供 しているといえる。 3.2.3 フィードバック〜日本語を意識的に学習し、内省する機会〜 学習者が意識的に学習し、 内省する機会としては、 発表に対する 「フィードバック」 がある。 前述のように、 フィードバックではビデオを見ながら教師、 他の学習者、 発表者の 3 者がそれぞ れ口頭で評価を行う。 教師は理解を妨げる要因すなわち発音や文法的な間違いなどを指摘する一 方、 少しでも良い点を見つけ励ます。 学習者はビデオで自己像を確認し、 自分の発表でよくでき たところについては自信を持つ。 また教師が指摘した部分を確認し、 客観的に内省する。 回を重 ねるにつれて、 話し方のくせなどは学習者自身で気付いて訂正できるようになる。 一方、 他の学 習者も良き評価者である。 彼らは、 発表者のいい点を見つけてほめ、 時に批判する。 特に話すス ピードや態度、 服装、 視覚情報の見せ方など職業的に経験のある分野に関しての指摘は厳しく教 師も参考になることがある。 こうした多方向からの評価によって、 発表者が自己評価能力を身に 付 け る 助 け と し て い る。 た だ し、 フ ィ ー ド バ ッ ク の 問 題 点 は 時 間 が 少 な い こ と で、 質 疑 応 答 時 の発話の修正は十分に行われていないのが現実である。 スピーチクラスでは、 学習者、 他の学習者、 教師の 3 者が一連の学習活動の中で修正者、 援 助者、 評価者など複合的な役割を担っている。 また個人指導では教師と学習者の対話の中で言 語形式が注目され、 質疑応答では意味に集中した現実に近い会話が行われ、 最後にフィード バックではまた言語形式への焦点化が行われる。 このようにスピーチクラスは目標を達成する プ ロ セ ス で 多 様 な 相 互 交 渉 の 機 会 を 提 供 し て い る と い え る だ ろ う。 た だ し、 フ ィ ー ド バ ッ ク に 十分に時間がかけられず、 特に質疑応答時に起こる相互交渉の経験が十分に生かせていないの ではないかという反省も残った。 4. 考察と課題 本稿では、 職業人の特性を生かした研修を行うために、 スピーチクラスが提供している学習 環境を分析した。 最後にコース終了後の学習の結果と学習環境について考察し、 コース評価と したい。 4.1 スピーチ能力と学習環境 コース修了時、 学習者は履修した範囲の話題について、 教師の助けを借りながらではあるが ス ピ ー チ を 書 き、 多 く の 日 本 人 の 前 で わ か り や す く 発 表 す る 能 力 を 身 に 付 け る よ う に な る。 こ −60 − 職業人の特性を生かす学習環境 れは、 スピーチが学習者にとって、 なじみのタスクであり、 学習者の知識や経験を利用できた こ と、 ま た 学 習 活 動 の 一 連 の 流 れ が 補 助 的 な 役 割 を 果 た し、 コ ミ ュ ニ カ テ ィ ブ ・ ス ト レ ス を 軽 減していることが一因であろう。 ス ピ ー チ が で き る と い う 自 信 は、 学 習 者 の 行 動 に も 影 響 を 与 え て い る。 研 修 後 半 に な る と、 地域の国際交流団体や学校などの招きで自国紹介のスピーチをする機会があるが、 その際ス ピーチクラス履修者は、 積極的に参加し、 クラスで使った原稿をつなぎあわせ自力で内容や長 さ を 調 整 し て ス ピ ー チ を 行 っ て い る。 こ こ で は、 教 師 の 手 は ほ と ん ど 入 ら な い。 ス ピ ー チ ク ラ スの成果が学習者の行動範囲を広げ、 またそれがさらなる自己評価の機会ともなっている。 こ れ は、 コ ミ ュ ニ カ テ ィ ブ ・ ス ト レ ス を 段 階 的 に 上 げ て い く コ ー ス デ ザ イ ン に よ っ て、 学 習 者 が 成 功 体 験 を 得 る こ と が で き、 そ の 結 果 学 習 者 が さ ら に ス ト レ ス の 強 い 環 境 に 出 て 行 く 力 を つ け たと見ることができるだろう。 4.2 話す力と学習環境 スピーチクラスの目的の一つは話す力の養成だが、 質疑応答時には学習者と教師、 また学習 者間で活発なやりとりが行われている。 その結果、 学習者は形式にこだわらず初級としてはか な り 高 度 な 内 容 に つ い て 表 現 で き る よ う に な っ て い る。 こ れ は タ ス ク の レ ベ ル が 学 習 者 の 日 本 語 力 よ り も 少 し 上 に 設 定 さ れ て い る こ と、 ま た タ ス ク の 内 容 が 職 業 人 と し て の 意 欲 と 興 味 を 引 き出し、 学習者が主体的に活動していることによって、 通常の文法クラスなどでは発揮されな い能力が引き出されていると考えられる。 また一連の活動の中で、 語彙 ・ 表現が繰り返し導入 され使用されていることが、 意味に集中したやりとりを支えているといえよう。 4.3 今後の課題 こ の よ う に、 ス ピ ー チ ク ラ ス の 活 動 に よ っ て、 学 習 者 の 話 す 力 は つ い て き て い る が、 伝 え た い こ と と 伝 わ っ て い る こ と の 間 に ギ ャ ッ プ が あ る こ と も 確 か で あ る。 学 習 者 も そ の ギ ャ ッ プ に 気 付 い て お り、 フ ラ ス ト レ ー シ ョ ン を 感 じ て い る は ず で あ る。 例 え ば 英 語 で 言 い 換 え て い る 語 彙は、 使いたかったが使えなかった語彙である。 また発表会での質疑応答の際には、 聞き取り が で き な か っ た り、 適 当 な 表 現 が 見 つ か ら ず に 答 を 単 純 化 し た り あ き ら め て し ま う ケ ー ス も し ばしば見られる。 工藤 (前掲) は、 「タスク達成のためには、 その前提として語彙や文法、 ディ ス コ ー ス な ど 形 に 関 す る 学 習 が 徹 底 的 に 行 わ れ る べ き で あ る 」 と 述 べ て い る が、 こ の ギ ャ ッ プ を 埋 め る の は、 ま さ し く そ う し た 総 合 的 な 日 本 語 力 で あ る。 こ れ は、 ス ピ ー チ ク ラ ス の み で 達 成 さ れ る も の で は な い が、 ス ピ ー チ ク ラ ス に お い て も、 い く つ か の 工 夫 に よ っ て、 学 習 者 の 表 現意欲を利用し、 さらなる学習の可能性を見出すことができる。 以下にその一例を述べる。 まず質疑応答では、 学習者が切実に語彙や表現を必要としている場面が観察されている。 そ −61 − 日本語国際センター紀要 第 13 号 れ を 教 師 が 見 逃 さ ず フ ィ ー ド バ ッ ク な ど で 意 識 化 し て い く こ と に よ っ て、 効 果 的 な イ ン プ ッ ト が 可 能 で あ る。 ま た 教 師 が テ ィ ー チ ャ ー ト ー ク を 避 け、 現 実 の 会 話 モ デ ル と の 橋 渡 し を 行 う ことによって、 発表会の質疑応答時のような 「失敗体験」 につながりかねない環境へ対応する力 をつけることができる。 また、 学習者が経験した質疑応答の記録は、 教師にとって最良のテキストである。 教師は学 習者の発話から、 ある話題について説明するだけではなく議論するために必要なディスコース も 語 彙 も 知 識 も 学 ぶ こ と が で き る。 ま た、 質 疑 応 答 の 記 録 か ら は、 学 習 者 の 思 考 過 程 を 追 う こともできる。 スピーチクラスで使用されている教材は、 こうした学習者の観察を土台として開 発されてきたものだが、 今後ともその努力を怠ってはならないと考える。 おわりに 外交官 ・ 公務員日本語研修も平成 13 年度で 5 年目を迎えた。 その間、 教材開発やカリキュ ラム改訂が積み重ねられ、 コース自体を評価する段階に入ってきている。 本稿ではスピーチク ラスについ て、 成績の良し悪しと い った数量的な評価ではなく、 どの ような学習の 場が 提供で き て い る か と い う 点 か ら 多 角 的 な 分 析 を 試 み た。 今 後 も 研 修 全 体 の プ ロ グ ラ ム デ ザ イ ン と と も に、 各 科 目 の コ ー ス デ ザ イ ン を 多 面 的 に 評 価 し 成 果 と 課 題 を 明 ら か に し て い く こ と が 必 要 で あ る。 【注】 (1) 外交官日本語研修は日本語国際センターでの研修を引き継ぎ、平成 9 年度より関西国際セ ンターで行われている。また平成 9 年度より新たに公務員日本語研修が始まり、外交官日本 語研修と合同で行われている。外交官は定員 30 名、公務員は定員 10 名である。 (2) 詳しくは、上田他(2001)参照 (3) ニーズ分析によると、外交官に比べて公務員はスピーチのニーズは少ない。ただし公務員 も大使館勤務の可能性があり、その場合は外交官と同じくスピーチも必要になるとの認識 が見られる。スピーチクラス履修率は外交官も公務員も差はなく、コース終了後のアンケー ト調査でも満足度は外交官と同様に高い。 (4) 詳しくは、羽太他(2002)参照 【参考文献】 上田和子 ・ 羽太園 ・ 和泉元千春 (2001) 「専門日本語教育のプログラム ・ デザイン-外交官 ・ 公 務員日本語研修における選択システムの実践-」 『日本語国際センター紀要』 第 11 号 国際 交流基金 pp.69-87 −62 − 職業人の特性を生かす学習環境 岡崎眸 ・ 岡崎敏雄 (2001) 『日本語教育における学習の分析とデザイン-言語習得過程の視点 から見た日本語教育-』 凡人社 工藤節子 (1994) 「JSP におけるタスク中心のカリキュラム」 『日本語学』 明治書院 13-12 pp.62-70 田丸淑子 (1994) 「ビジネス ・ スクールの日本語教育-コース ・ デザインの課題-」 『日本語学』 明治書院 13-12 pp.54-61 西尾珪子 (1995) 「ビジネス関係者への日本語教育-現状と展望-」 『日本語教育別冊』 86 号 日 本語教育学会 pp.108-118 羽太園 ・ 和泉元千春 ・ 上田和子 (2002) 「初級からの専門日本語教育のカリキュラム ・ デザイ ンー外交官 ・ 公務員日本語研修における専門語彙 ・ スピーチクラスの実践」 『日本語国際 センター紀要』 第 12 号 国際交流基金 pp.115-122 Brown,G.and G.Yule. (1983) Teaching Spoken Language. Cambridge University Press. Krashen,S. (1980) The input hypothesis. In Alatis,J (ed.) Current issues in bilingual education, Georgetown University Press pp.168-180 Levelt,W.J.M. (1989) Speaking: From Intention to articulation. Cambridge university press. Long,M. (1985) Input and second language acquisition theory. In Gass,S.M. and C.G.Madden (eds.) Input in Second Language Acquisition. pp.377-393 Pica et.al (1993) Choosing and using communication tasks for second language research and instruction. In S.Gass and G.Crookes (eds) Tasks and Language Learning: Integrating theory and Practice. London:Multilingual Matters. pp.9-34 Pica (1994) "The language educator at work in the learner-centered classroom: communicate, decision-make,and remember to apply the (educational) linguistics." In J.Alatis (eds) Georgetown University Round Table on Language and Linguistics. Selinker,L.and D.Douglas (1985) Wrestling with ' context ' in interlanguage theory. 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