グスタフ・マーラーにみる声楽とオーケストラの世界

グスタフ・マーラーにみる声楽とオーケストラの世界
―素材の共有から音楽の統合へ―
山本 まり子
はじめに
つのグループ,すなわち①交響曲楽章の土台としての歌
グスタフ・マーラー
(Gustav Mahler,1860-1911)
の作品で
曲,②エピソードとしての歌曲,③歌曲の類似および引用,
は,声楽とオーケストラによる演奏形態がほぼ全創作期に
に分類して個々の関係を整理した。①では,交響曲第1番
わたって選択されている。初期の歌曲小品群は声楽とピア
第1楽章と
《さすらう若人の歌》第2曲〈朝の野辺を歩けば〉
,
ノのために書かれているが,
《嘆きの歌 Das Klagende Lied》
が,②では交響曲第1番第3楽章に使われた《さすらう若人
歌曲集《さすらう若人の歌 Lieder eines fahrenden Gesellen》
,
の歌》第4曲の「菩提樹“Lindenbaum”
」のエピソード,交響
民謡詩集『少年の魔法の角笛 Des Knaben Wunderhorn』
に基
曲第3番第3楽章のポストホルンによるエピソード,および
づく歌曲群
(以下《角笛》歌曲群)
,F.リュッケルトの詩に
交響曲第5番スケルツォ楽章におけるホルンのエピソード
といった声
よる歌曲群,
《大地の歌 Das Lied von der Erde》
が,③ではリズムやメロディー・モティーフの類似例が数
楽を伴う主要作品のほとんどは,声楽とオーケストラのた
多く挙げられ,分析によってそれぞれの楽曲構造の対応関
めに,あるいは声楽とピアノ,声楽とオーケストラの両稿
係が検討される。
の形で書かれている。声楽は交響曲にも登場する。つまり,
また,渡辺裕は交響曲第9番を扱い,そこに交響曲第3番
マーラーにおいては声楽という表現手段によって,それ以
第4楽章
(ニーチェに基づく)
,
《さすらう若人の歌》第3曲,
前の音楽史を形づくってきたジャンル間の垣根が低くなっ
,さら
《大地の歌》
,
《亡き子をしのぶ歌 Kindertotenlieder》
た。そればかりか,ジャンルを超えた多くの作品には,音
が引用された
にベートーヴェンの《告別ソナタ》
( op. 81a)
楽素材の上で,あるいは歌詞テクストを介して生成される
意味を問いかけ,それらに共通する「死」
と
「別離」のイメ
意味の連関や文脈の上で共通性を見出すことができる。こ
ージを自作に取り込むことを目的とした
「伝統の受容行為
の事実は広く知られており,従来の研究においても扱われ
として作曲行為」が認められると結論づけている(渡辺
てきたが,この小論では,5つの観点から整理することに
1982)
。
より,マーラーの音楽の特質を再検討する。
さらに,コンスタンティン・フローロスはマーラーに関
する一連の大著のうち特に
『グスタフ・マーラーIII
1.柔軟に,そして相互に行き交う音楽テクスト
交響
曲群』
(Floros 1985)
において,標題や曲想表示を手がかり
音楽素材を共有する作品の作曲年代は重複している。
に,各交響曲に現れる歌曲の意味を見出している。
《さすらう若人の歌》
( 1883∼1885年作曲)と交響曲第1番
これらの研究に共通するのは,交響曲を中心に据えて検
(1884∼1888年作曲)
,
《角笛》歌曲群
(1887∼1901年)
と交
討しようとする基本姿勢である。言い換えると,巨大な規
響曲第2∼4番
(いわゆる
『角笛交響曲群』
,1888∼1900年)
が
究では,成立事情だけでなく,まずその素材が由来するジ
模を持ち,分析が困難なほど複雑な構造の交響曲を柱に,
.....
歌曲の全体もしくは一部がその中にどのように取り込まれ
....
ているかを探ろうとする立場である。確かに,多くの例に
ャンルが扱われている。素材が交響曲に含まれるのか,あ
おいて歌曲が交響曲の楽章そのものであったり,ある楽章
るいは歌曲の一部であるのか,という点である。それを踏
の中心主題として扱われていたりする。しかし,
〈3人の天
まえてマーラーの意図が解釈される。
使が甘美な歌を歌った Es sungen drei Engel einen süßen
その例である。このような関係を論じた従来のマーラー研
モニカ・ティベは
『グスタフ・マーラーの器楽による交
Gesang〉
と交響曲第3番第5楽章の関係のように,交響曲楽
響曲楽章における,リートあるいはリート要素の使用につ
章から独立して誕生した歌曲もあり,両者を単純に関連づ
いて』
(Tibbe 1971)
において,
「交響曲」
と
「歌曲」
の関係を3
けることはできない。
「交響曲に含まれる歌曲」
の意味を問
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山本 まり子
うことより,むしろ
「柔軟に,そして相互に行き交う音楽
つの形で書かれているが,どの曲においても両者の執筆プ
テクスト」
の実態を見て取ることが重要であろう。
ロセスは極めて錯綜している。確かに《角笛》歌曲群の多
くにおいて,ピアノ稿が先に出来上がり,数日ないし数週
2.
「リート」の語が導く誤解
間を経てオーケストラ稿が完成している。しかし,マーラ
ドイツ語の
「リート
“Lied”
」
は,語義的には歌われるため
ーはそれぞれを別の作品としてカウントしている事実
の韻律詩を指すと同時に,各詩節が同一の旋律の反復で歌
(Hilmar-Voit 1993: XIII)
や,オーケストラ稿に改める際は
われる有節形式の音楽を指す。マーラーの場合は,題材に
元から自由に作り直すことが重要であると彼自身が語って
した民謡詩が自由に改変されたうえ,後述するように,音
いること
(Killian 1984: 63-64)
から,ピアノ稿とオーケスト
楽的には常に発展性を伴う構成原理が支持されている。し
ラ稿が,いわば一卵性双生児であって,異なる個体である
たがって,
後期ロマン派の作曲家であるマーラーの歌曲は,
と考えていたことがわかる。
18世紀以来の
「リート」
と規模・編成・形式の点で大きな隔
たりがあると言える。
このように,交響曲と歌曲の垣根の低さ,音楽素材の共
有を促した要因には,声とオーケストラの組み合わせが,
ジャンルの扱いについてマーラーは明言していないが,
《大地の歌―アルト,テノール,大オーケストラのための
いずれのジャンルにおいても最初から構想されていたこと
が考えられる。
交響曲 Das Lied von der Erde: Symphonie für eine Alt- und
eine Tenorstimme und großes Orchester》のタイトルと音楽内
4.要としてのソナタ形式
容の検討を通じて,彼の姿勢をうかがい知ることができよ
マーラーの音楽の特性としてヴァリアンテ
(変形)が挙
を避けたという迷信めいた話を取り
う。意図的に
「第9番」
げられる。彼は単純な反復を排除し,自らの歌曲に「絶え
上げるまでもなく,
“Symphonie”
というサブ・タイトルか
間なく続く発展」
「永遠なる生成と永遠なる発展の法則」
ら,
一般には交響曲のカテゴリーで論じられることが多い。
(Killian 1984: 136)
を求めた。音楽の生成や発展において
しかしその一方で,
“Lied”のタイトルから
「オーケストラ
重要なことは,アドルノが「マーラーの場合には,音楽の
歌曲」
の延長線上に置かれることもあり,6曲から成る連作
ミクロな有機体が,主要なゲシュタルトの明白かつ大規模
歌曲集という解釈も成立する。この点に関しては,マーラ
な輪郭の只中で,ひっきりなしに変化してゆく」
(アドルノ
ー研究者の見解にも相違がある。国際グスタフ・マーラー
1999: 115)
と指摘しているように,単に音楽的要素が何ら
協会が出版を続けているマーラー全集の校訂者の一人ゾル
かの変化を続けることに意味があるのではなく,音楽全体
タン・ローマンはこの作品を歌曲に含めているが
(Roman
の大きな枠組みが明確な形で提示され,そのもとで変化・
1974)
,他の校訂者ペーター・レヴァースは歌曲のカテゴ
発展が継続する点であろう。ソナタ形式は,その大きな枠
リーから除外している
(Revers 2000)
。
《大地の歌》は交響
組みとして,ジャンルを問わず導入された点で特筆すべき
曲と歌曲の双方の要素を有し,そのどちらにも分類できな
形式である。それが特に顕著に認められるのが《角笛》歌
い独自の音楽であると説明しなければ,何が重要であるの
曲群で,ソナタ形式による作品が24曲中10曲ある。このう
かを見逃しかねない。
ち9つはピアノ稿とオーケストラ稿のある作品であるから,
上述のマーラーの発想に従えばソナタ形式によるものは10
3.ピアノ歌曲とオーケストラ歌曲
曲ではなく19曲と言い換えられるかもしれない。展開部は
教養ある市民層が音楽社会の担い手となった19世紀に
は,サロンや家庭のものであった歌曲小品がコンサートの
演目として挙がるようになった。ベルリオーズ,ブラーム
マーラー自身が民謡詩から改変した歌詞を含む場合と,
〈レヴェルゲ Revelge〉の例のように器楽だけで構成される
場合がある。
既に述べたように,
《角笛》歌曲群は交響曲第2∼4番と
ス,ヴォルフ,R.シュトラウス等は,声とピアノのために
作曲年代が重複しているだけでなく,音楽上も複雑に関係
書いた歌曲の多くをオーケストラ用に編曲した。
マーラーのオーケストラ歌曲が他の作品と異なるのは,
している。これらは完成年月日を根拠に,①歌曲が交響曲
少なくとも彼自身の意識の中ではピアノ歌曲を
「編曲」
した
楽章に引用されている例
(
〈夏の交代 Ablösung im Sommer〉
のではなく,ピアノ用とオーケストラ用の2つの異なる作
,②完成した歌曲を交響曲楽章と
と交響曲第3番第3楽章)
品を書いた点にある。初期の作品を除き,
《さすらう若人
してそのまま転用した例(〈天上の生活 Das himmlische
の歌》
をはじめ,
《角笛》歌曲群の14曲,リュッケルトによ
〈原光 Urlicht〉
と交響曲第2
Leben〉
と交響曲第4番第4楽章,
る歌曲群の9曲は,それぞれピアノとオーケストラによる2
番第4楽章)
,③交響曲と歌曲が同時進行で作曲された例
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グスタフ・マーラーにみる声楽とオーケストラの世界
(
〈魚に説教するパドヴァの聖アントニウス Des Antonius
や個々の作品を超えて様々な方向性をもった多次元的なネ
,④交響曲
von Padua Fisch Predigt〉
と交響曲第2番第3楽章)
ットワークを生成し,音楽の統合体を形づくっているので
楽章を歌曲として独立させた例
(
〈3人の天使が…〉
と交響曲
ある。
第3番第5楽章)
の4種類にまとめることができる。
この小論では声楽を伴う作品に焦点を当てたが,純器楽
それぞれの関係は個別的であるが,そこではソナタ形式
が器楽と声楽を連結させる要として機能している。マーラ
作品はこのネットワークの中にどのように位置づけること
ができるか,今後の検討課題としたい。
ーの音楽の発展性が大きな輪郭構造の中で実現されること
については,歌詞の有無,ジャンルや規模の如何を問わな
引用文献
いのである。
5.交響曲と交響曲,歌曲と歌曲,交響曲と歌曲
「柔軟に,そして相互に行き交う音楽テクスト」
はジャン
ルを超えて扱われるだけでなく,交響曲と交響曲,歌曲と
歌曲の間にも認められる。最も顕著な例は,交響曲第3番
と第4番の関係に現れている。交響曲第3番は構想の過程で
各楽章に標題がつけられていた。標題はわかっているだけ
でも7回の変更を経て,結果的に削除されている。当初は7
楽章構成であったが,そのうちの〈天上の生活〉が第4番に
移され,その第4楽章となった。音楽的には,既に挙げた
第3番第5楽章
(もしくは〈3人の天使が…〉
)
と第4番第4楽章
(もしくは〈天上の生活〉
)
に,同一のフレーズが使われて
いる。
このように,2つの交響曲楽章と2つの歌曲,すなわち4つ
の音楽テクストが,成立過程の上でも音楽素材の点でも連
鎖している。このことから明らかなように,音楽テクスト
の関係はジャンルや作品というカテゴリーを前提としない。
結びに―多次元的統合としての音楽
以上,マーラーにおけるジャンルの垣根は低い,という
特徴について5つの観点から論じてきた。同一の音楽素材
を整理・分類するだけにとどまっていては,音楽の本質を
見落とす恐れがある。素材の共有という事象は,ジャンル
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1982 「伝統の受容行為としての作曲―グスタフ・マーラー
における
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の考察」
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(やまもと まりこ 音楽学)
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