「WB」vol.01(全ページ)

を
設計
人生 まま、
しない を獲って
賞
芥川 た男の
しまっ の小説
年初
スローガン
モブ・ノリオ
ぼんやり映す自分の視線を振り払うこともなく置き去りにして、そ
素振りをなるだけぶっきらぼうに装っているようだと、自らの内を
の腹に人任せの綱が固く結わえられるのを屈託なく面白がる、その
な笑みを匿うこともできず、糸巻きの芯みたくぐるぐる回って自分
ゆえの身の置き場のなさを気にし過ぎた、薄い緊張の貼り付く曖昧
ごとをかすかに懐かしませる雰囲気に和みつつ、かと言って他所者
の自分も土地の子になった気分で、幼かりし日の地蔵盆や村の行事
れるがまま、胴体に綱を巻きつけてもらう。その時ばかりは旅行者
商工会議所に集まり、着付けを手伝う世話役らの手によって、言わ
回して締めるために、氏子らは、祭りの当日、昼のうちから地元の
でもが氏子と呼ばれた。白い装束の上から藁縄を腰に五重六重にも
その祭りに参加する男らは、自分のような遠くから来た部外者ま
まだ傍にあることが疎ましい。
だまりの温みに溶けて消えた方が自然な記憶が、たぐり寄せずとも
もう随分遠い、戻ることのできない昔日のようで、しかし一方、日
参加した││そんなことがあったのは去年の出来事に過ぎないのに、
一〇年近くも付き合うことになった友人に誘われ、約一〇年ぶりに
田 舎の祭りに、その作 家 ゆかりの市 民 文 学 講 座で知り合い、 後に
火まつりと呼び慣らわされる、物故した小説家が名を知らしめた
MOB Norio
の場をやり過ごした。子供時分に、市の小学生相撲大会で褌まがい
01
’05
た帯を引っ張り上げる最後の仕上げは、男の体育教師が両の手で力
のまわしを締めた時も、前から後ろに、尻の下から腰の上へと通し
なことを言うとは。
部の最 初の項 目と、︿しょくへん﹀の冒 頭、︿ 食 ﹀が頭につくすべて
の中で車を止めて、エンジンをかけっぱなしで漢 和 辞 典の
︿ 肉 ﹀の
のだった。
のまま持ち上げられてカニのような動きを見せるまで吊り上げたも
祭りになど来なければいいのだが││ともかく、未だ出会わぬなに
││と、そこまで言うのなら、燃え盛る棒切れを振り回す野蛮人の
は神から最も 遠い、 神なる概 念を無 化する崇 高な自 由に向かって
或いは己自身を超えたところに在る、非存在としての自己に、或い
私は友人を観察しながら肝に銘じた。
﹁
︿弱肉強食﹀の︿肉﹀も︿食﹀も、
︿焼肉定食﹀の︿肉﹀と︿食﹀
なければならない、やがては彼のようになってしまうのだから、と
求する携帯電話の病んだニュースサービスには、くれぐれも用心し
彼に二〇分おきに蓋を開けさせ、液晶画面に走る文字列の確認を要
れたりしても平気なように、鎧の役目を果たす、と聞いたが、初参
文字熟語﹀を探すように
︿小説﹀を書こうとしていたり、それを書
ようなものを 書 き 始めた自 分は既に知っていた。 だが友 人は、︿ 四
字熟語﹀などが存在しないことを、中年に差しかかってから小説の
は関わりがなかった。したがって、火まつりの松明に書く言葉を巡
らしく、 宿 舎でひとり 読 書 をしていたので、︿ 四 文 字 熟 語 ﹀の件に
を酒に酔った男らが大声で掲げるホモ的祝祭には端から興味がない
を意識しながら
︿焼肉定食﹀を食ったことがないのだろう?﹂
友 人が週に何 度かは行 列に並んでまで食べるというラーメンや、
前屈するのも厳しい絞まりで腹巻上に巻き上げられた藁縄の、巻
ものかに向けて自らの言葉を差し出すこの行為と、気乗りしない課
と同じに決まっているじゃないか。君は、︿弱肉強食﹀の漢字の意味
の語を引き合った方がよかったのだろうか?
き余りが鎌の刃で落とされ、床に敷いたビニールシートの上でばら
題提出を目前に控えた学生じみた要領で、物理的署名に近い感覚の
言葉を、神という非存在を通して、究極はその果てには己自身に、
ばらの藁に戻って散らばると、これもどこか、すっかり自分とは縁
︿ 四 文 字 熟 語 ﹀を書き付けるのとでは訳が違う。 現 実 界には
︿四文
を絞って、痩せた小力士の足が踏ん張りを保てず一瞬宙に浮き、そ
きを思い出した。この綱が、祭りの最中には、腹を殴られたり突か
がなくなってしまった、祖父が元気な頃は親族総出で駆り出された
加した一〇年前も二度目のこの日も、自分は殴られることも殴るこ
けないと悩んでいたりしたのかもしれなかった。自分は、彼がろく
そこに、この地に縁のある友人のお蔭で自分は割り込ませてもらう
がめいめい長 机の上に荷 物を置き、 着 替えの場 所を確 保している。
それが動かしようもなく在るのならば、その日、その場所で書かれ
とと同 義である。もし、 求めた言 葉が四つの漢 字で綴られずとも、
を表すに相応しい言葉を探り求める生命が、自身に欠如しているこ
書くべき言葉が書き手の内部にないという事実は、書き手の現実
った。
ところが事態は、我々素人間の問題だけでは済まなくなってしま
但し、友人の妻・美里さんは、祭りのその日は、火の点いた松明
ともなかった。
な小説を書けずにいるのだろうと確信した。
世話役らが綱の支度に追われる同じ大会議室には、長机が何列に
のだが、毎年この時期に東京から祭りのために訪れる、生前の地元
なければならない言葉を、多くの氏子らが四文字の漢字で記して来
もなって並べられ、地元の子供から数少ない年寄りまで、男ばかり
作 家と親 交のあった俳 優の名や、︿ 出 版 社 関 係 ﹀の文 字を簡 易に印
た歴史や流儀に反してでも、書かないのなら祭りに臨む意味などな
ませようと努めた。ここで身に着けるすべてを白一色に統一して、一
が誰のものでもなくなり、参詣を禁じられた、男らを見守る女らの
││どうせ、炎を宿し灰に化けて散り散りと舞い上がって、どの灰
い、たとえ杉の棒切れが耳なし芳一みたく墨で真っ黒になろうとも
関係﹀の人間の、着替え終わった衣服や私物が松明と一緒に雑然と
際に近づいてみると、 窓のすぐ傍の机には、 東 京から来た
︿出版社
││それが私である。
N T T に停められるから、 と忠 告を 受 けている男 が見 えるだろう
道に停めた車を動かした方がいい、祭りの終わりまでなら向かいの
話は再び先の商工会議所へと戻る。すると、世話人の年長者らに、
っての問題は、彼と私との間だけのことなのであった。
横目にも気になるのを、頭から払うように、そそくさと着替えを済
刷して貼った一角もあり、人数の割に広く占められた特別の空間が
旦綱を締めてしまえば、後はもう、夕暮れ前には酒を呷って松明を
願いや祈りをも乗せて運び、灰になった松明は早春の夜空に吸い込
会議所の二階の窓から外を見下ろそうと彼が︵つまり、私が︶窓
担ぎ、擦れ違いざまに無数の氏子らと松明を搗ち合わせて、神山の
まれてなくなるのだから。
極端に先の尖った二等辺三角形の杉板を六枚か七枚、それぞれ先
頂を目指すばかりだ。
嘘臭かった。しかし、よく見れば、その周りで祭りの本番を控える
運隆盛﹀と墨書きの字が浮いているのを見て、彼は目を逸らした。
真実を表象せよと無理に迫られる時、人は、己の、表象しようとす
他の
︿出版社関係﹀者らの松明、三本か四本のどれもに、筆の巧拙
固められていた。何気なく目を留めた一本の松明の白い木地に、︿文
る意思の不在、或いは、自己の空虚さを見つめられなければ、慣例
と墨の濃淡以外に差のない四つの漢字のセットが、それぞれ一枚の
心の内実とでも言おうか、その要請や必然がないのに、心の内を、
神からの火を継いで授かり、山の下まで届けるための、また、氏子
だ、長い角錐の松明を氏子らは専門の店で買う。頂上の社の前で、
や体裁に気を奪われ、その虜となる。そうして、現実が一回限りだ
端の頂点同士、それに二つの等辺同士を接して合わせるように組ん
同士の諍いの道具にもなる松明の側面には、各自が年毎の祈念の言
信奉しよう。
出版物に頼って日本語を読み、書き、考える数多の人々にとっての
運隆盛﹀が、︿出版社関係﹀者らと生きた言葉との距離を、つまりは、
運隆盛﹀という言葉であることへの違和を、微塵も覚えておらぬ麻
シールのように、恥ずかしげもなく並んでいたのであった、それが
︿文
﹁
︿弱肉強食﹀の︿肉﹀と︿食﹀は、
︿焼肉定食﹀の︿肉﹀と︿食﹀
か?
友人の妻でもある美里さんと友人と、三人で山腹のトンネル
も し や、 車 の 中 で こ ん な 風 に 怒 号 し た 方 が よ かった の だ ろ う
で書かれていると睨んで間違いない他人事が、成就するはずがなか
︿文運﹀の悲しき未来の一端を明示していた。おそらく、毎年惰性
痺した不貞不貞しさで。そして、その四つか五つの、死体化した
︿文
とどこがどう違う、はっきり言ってみろ!﹂
現実が一度限りでないのならば、自分は、喜んで現代の奴隷制を
ということを忘れてしまう。
それを、
葉を筆で記すことになっている。
と、同行の、青年期から始めて、中年になってからも小説を書き
﹁いい四文字熟語ないかなあ﹂
続けている友人が無邪気に尋ねた。
彼 が 火 まつりの 松 明 に 書 かんと す るのは、︿ 言 葉 ﹀ ではな く
︿四
文字熟語﹀なのであった。自らが小説を書く者のはずなのに、書く
べき言 葉がないどころか、それが
︿ 熟 語 ﹀などと、 試 験 勉 強みたい
02
っており、それがいけしゃあしゃあと、︿世界人類が平和であります
その杭を発案した宗教団体とは無関係の寺社仏閣の境内に突き刺さ
った。 独 特の毛 筆 書 体で言 葉を印 刷したプラスチックの白い杭が、
こともないほど、永遠に終わらない無駄な罪滅ぼしの、生きる苦痛
の中にいる時には、他の人生を夢見るというその行為自体を夢見た
過ぎて、少なくとも、優に一〇年は繰り返し収監され続けたその夢
る状態が、人生への冒瀆じみて耐え難かったのだ││もしそうだと
男ばかりの教室にいて聴く値打ちのない授業をじっと聴かされてい
室には蔓延していた。その、現役高校生らに蔑まれていることよりも、
らはどこかで蔑まれているようでもあった。そういう空気が薄く教
聴こうとしていても、やはりひと回り以上も年下のクラスメイトか
したら、私は初めて一連の夢の中で、真面目に自分の時間と向き合
を看過するために神経を磨り減らす理不尽を生きて来たのだ。コン
着ていたような紺の詰襟の背を猫背で丸め、年下の、自分を嘲る目
がって椅子か棒のようなものを振り回し、教室と廊下のすべての窓
ったのかもしれない。気がつけば授業時間中にも拘わらず、立ち上
クリートの灰色が頭上に重くのしかかる学び舎で、中国残留孤児が
を持つ生徒らに混じって、ひょっとすると自分より若く幼いかもし
想世界の他人事風に世界人類の平和を祈る││だが、本心から
︿世
界人類の平和﹀を願うのであれば、第一に、その利権争いが世界中
れぬ、 顔の見えない教 師の聞こえない話を聞かずに済ませるべく、
ように﹀などと手前らの我欲に根ざした利己的行動を棚に上げ、仮
プラスチック製の杭への疑念が湧くべきではないのか││他人事と
で戦争の種を産み落とし続けている石油、化石燃料を資源とした、
した教室をそのままにして去ってゆく。校舎を背景にしながら、し
じたが、もう教室に留まる理由もなかった。私は運動場にいて、壊
ガラスを粉 々に砕いて回っていた。一気に風 通しがよくなったと感
自分は、靄の中にいるような人生二度目の高校生活で、大学入試
報われない時間を机の上に身を屈めてやり過ごしている。
に失敗しかかっているか、或いは、一〇年一五年以上も前に出てせ
分の腕のイメージばかりを覚えている。十数年来、昼間の人生にも
かしその背後を振り返らなかったと思う。学生服を腕まくりした自
いうのは、こういうことだ。
学の編集者にとって、職業上最も無難な常套句として、暗黙裡に選
︿出版社関係﹀者ら、しかもおそらくは地元作家と関わりもある文
とも、その生まれ変っても二度と戻りたくない母校に入学するため
いせいしたはずの高校の、二年から三年に上がれずにいるか、それ
陰気な影を落として来た学校物の夢で、初の校舎の外だった。味わ
ぶことが望ましいとされてきたのかもしれぬ
︿ 文 運 隆 盛 ﹀を、 神 事
に、なぜか同じ高校で試験の答案用紙に縛られているかで、ともか
の場で手書きながらも複製する行為が、個々の氏子の、言葉への責
任の放棄でないのならば、これも
︿四文字熟語﹀的標語の呪縛と脅
しまったと感じた。いつ終わるのかもわからない、 長い一冊の本を
ったことのない奇妙な爽快感で目覚めて、なぜか、とうとうやって
読み終えた時のようでもあった。その日を最後に、不思議なことだ
く、高校に入り直し、かつて現実に合格したはずの大学を受験し直
勤め人の暮らしを知らぬわけでもない自分が。それでも、夢の中で
が、もう二度と学校の夢を見ることはなかった。
そうと、また懲りずに、陰惨な人生行路を再び辿る気でいるのだ、
現 実 界に、 穴 埋め試 験 問 題の
︿ 四 文 字 熟 語 ﹀ 的 世 界 を 現 出せし
真面目に勉強をしている様子は見られない。ずっと、嫌だ嫌だと腐
迫なのだろうか。
めているのは、存在しない架空の出題者などではなく、自由を担っ
りながら椅子を温めている。苦しさの余り勉強などが出来る状況に
る、贋の開放された一〇分間を彼に連想させた。すると、たちまち
予備校の休み時間の、学生という名の浮浪人を行儀よく骨抜きにす
ばかりを募らせて、身動きが取れなくなっている。
敗であるというのに、近い将来の、失敗が確約された受験への不安
ないのは、本物の高校生活みたいで、その状況こそがひとつの大失
惨敗した理事長一族の長男が、南海電車に身投げしたことも併せて
転用されるとのニュースが流れた。かつて知事選挙にも立候補して
経営難のために学校経営を廃業し、空いた校舎がそのまま養鶏場に
そして昨夜、テレビを見ていると、私の出身高校が少子化による
る一見自由な言葉の表出に基づき益々不自由になる現実が、まるで
ているはずの回答者たちである。そうして、模範的回答者たちによ
ひとつの疑念が膨らんだ。いつも管理された場所から落ちこぼれた
無駄に歳と苛立ちばかりを重ねた彼こそが半端な劣等生特有の皮肉
実際の生活そのものにあることは疑うべくもなかった。結局は、実
に就く度にレコードの針 飛びみたく延 々と繰り返す夢 見の滋 養が、
直す悪夢に起源を持つ、二回目三回目の高校での受験生活を、眠り
て殴り合いも厭わず山を駆け下ったものだが、ここ何年か、子供が
祭りの晩、神倉山頂で出会った若い子連れの男は、昔は先を争っ
が、照れ臭そうに笑った。
§ MOB Norio
年、 奈良県生。 大阪芸術大学卒、 同専攻科除籍。
モブ・ノリオ
よく見れば、若い頃は喧嘩っ早かったのではないかと思わせる眼
とめどなく、嬉し涙が私の頬を伝った。
を持て余しており、結局少年期から何も変わらぬまま、彼は、根の
生活でのやるべきことを果たせずにいる時、やらずにいる時、怠け
報じられていた。
深いところでは、なすすべもなく、未だに生の諦めをなぞり返して
出来てからは群集が皆降り切ってから、最後に山を降りていると語
大学生の頃から見始めた、中学、小学校を、果ては幼稚園をやり
いるつもりでいながら、しかし真相は、大昔に親や学校に期待され
ている時の反動という単純な現象であったが、それにしても三十路
﹁まあ、やっぱり、︿交通安全﹀とか、
︿家内安全﹀とか﹂
った。松明にはどんな言葉を書いたのか、と尋ねると、
気でいる癖に、しかし本当の意味ではこぼれ切れず、落ち切れずに、
た通りの優等生的な他人の人生を今でも猛烈に嫉妬し羨んでいるの
いいではないか。実働への負い目が、学歴とか、職歴、肩書きの不
の自分が未だに受験生 的 基 準に縛られているのは癪に障る。もう、
足として表される発想がどうしてこうも自分につきまとうのか、そ
りさえ、すべて卑しい妄想でしかない気がして不意に気を失いそう
になった。︵但し、それが卑しい妄想かどうかを確かめようと思うの
背負い続けるのだろうか││しかし、幾ら覚めている間に苛立とう
れとも、余程特別な社会的地位を手に入れない限りは、この悪夢を
かもしれなかった。そうすると、 松 明に記す
︿ 四 文 字 熟 語 ﹀への憤
同じ事象を再度熟考しさえすればいいのだ、ということをこの時の
が、夢の中身は一向に変わらなかった。
なら、彼が今後、お望み通りの優等生的な人生を実現し、然る後に
彼はまだ知りはしない。
︶
高 校 生になっていた。 教 室に押し込められて、 嫌 々ではあったが、
火まつりから帰って来て何日後か何週間後か、また私は夢の中で
もしかすると授業を聴こうとしていたのかもしれなかった。授業を
二度目か三度目の、中年を迎えてからの、大学教育を経験してい
奪された、砂を噛むような性質のものか。自分はもう濃密に味わい
る人間がやり直す大学受験のための高校生活が、如何に人間性を剥
無職か小説家かいまだ判断つかぬまま芥川賞受賞から
一年が過ぎる。
03
70
04
05
島田雅彦
︵出典・現代日本文學全集 ︵筑摩書房刊︶寺田寅彦・森田草平・鈴木三重吉集︶
[解説]
物理 ﹄他。
22
§ Terada Torahiko
年生。 歳でのデビュー以降、﹁文壇の貴公子﹂
島田雅彦
§ Shimada Masahiko
に 独 特 の 位 置 を 占 め る。﹃ 柿 の 種 ﹄﹃ 俳 句 と 地 球
の 語 り く ち は 人 間 味 溢 れ日本 文 学 史 の 系 譜 の 中
学 者 として 森 羅 万 象に興 味 を 示 す と と もに、 そ
一八七八│一九三五
物 理 学 者、 随 筆 家。 漱石の
門 下 生のひとり。 随 筆の名 手 として 知 ら れ、 科
寺田寅彦
思考へ誘うのが文学なら、私は即刻、文学者を辞める。
を 進 め る 自 然 科 学 の 目 は 文 学 と 何 ら 変 わ り は な い。 凡 庸 な
ら、 寺 田 寅 彦 が い た。 プ リ ミ テ ィ ブ な 好 奇 心 か ら 対 象 観 察
ナルドの手記みたいなものが近代日本にもあるかと探した
世 の 中 は 何 と 退 屈 な 思 考 で 満 ち て い る こ と か。 そ こ で レ オ
と 思 う。 左 右 一 対 の 脳 が 考 え 出 す こ と は 無 限 の は ず な の に、
面 に 関 心 が 及 ん で お り、 よ く ぞ 病 気 に な ら な か っ た も の だ
レ オ ナ ル ド・ ダ・ ヴ ィ ン チ の 脳 は ポ リ フ ォ ニ ッ ク に 多 方
44
の高い作品を書いている。
いた﹃彗星の住人﹄はじめ、問題意識と遊び心
と呼ばれること二十年余り。皇太子妃の恋を描
61
06
旧 作 異 聞
斎 藤 美 奈 子
斎藤美奈子 § Saito Minako
56 年生。文芸評論家。
『文壇アイドル論』
『誤読日記』他。
川端康成『雪国』といえば〈国境の長いトンネルを抜けると雪
国であった〉である。知らない人はいない「ザ・日本文学」だ。
弁などハナから耳に入っていなかった? 方言だと通じないから
読者のために翻訳した? しかし、この『雪国』、何か変な気がしないだろうか。駒子や
いずれにしても、失礼な話である。語り手ないし島村の耳に駒
葉子がしゃべる日本語が、私にはしっくりとこない。たとえば冒
子らの言葉は届いていなかったのだろう。テレビの音声を消した
頭近くのこんなやりとり。
状態。または字幕のない外国語映画を見ている状態。姿は目に入
っても、音声は聞こえても、彼女の言葉を彼は真剣に聞いていな
「駅長さん、私です、御機嫌よろしゅうございます。」
い。だから口パクの映像に頭の中で考えたアフレコがつく。島村
「ああ、葉子さんじゃないか。お帰りかい。また寒くなったよ。」
にとっては駒子も葉子も雪国と同じ風景のひとつ。土地の言葉は
「弟が今度こちらに勤めさせていただいておりますのですっ
邪魔なノイズだ。よって駒子は山間の温泉町の芸者というより、
てね。お世話様ですわ。」
まるで東京の跳ねっ返りの女学生のような言葉を遣うのである。
とても山出しの娘とは思えない。麹町あたりの若奥さんか何か
「よくないわ。つらいから帰って頂戴。もう着る着物がないの。
のよう。ここで話されているのは、そう、少し前の東京の山の手
あんたのとこへ来る度に、お座敷着を変えたいけれど、すっ
言葉なのである。そしてこのふたりだけではない、
『雪国』の世
かり種切れで、これお友達の借着なのよ。悪い子でしょう?」
界では土地の人たちすべてが流暢な東京言葉を話すのだ!
ご存じのように『雪国』は一種のリゾラバ(旅先でだけの恋人
「美しい日本語」だからこそだろう。
『雪国』は言葉遊びにもよ
=リゾートラバーの略です。死語だけど)小説だ。トンネルとい
く使われてきた。上のせりふを齋藤孝が名古屋弁に訳している。
う異界への通路をくぐれば、そこはもうシャングリラ。主人公の
島村は、土地のちょっといい女をナンパして疲れを癒そうとして
「いかんわ。つれゃで帰ってちょ。まあ着る着物があれせん
いる(だけの)都会の男。むろん妻子持ちである。いまは芸者の
のだわ。あんたのとこへ来る度に、お座敷着を変えてゃあん
駒子とデキてるが、若い葉子も悪くないなあ……。
「ったく、ろ
だけど、つるっと種が切れてまって、これも友達の借着なん
くでもない男だぜ」とだれしも思う。それでもこれが「ザ・日本
だわ。わるい子でしょー?」(『文豪ナビ 川端康成』所収)
文学」の座に君臨してきたのは〈大変音楽的な美しさと厳しさを
持っている〉(伊藤整/新潮文庫の解説)と解されてきたからだ。
『雪国』はストーリーではなく「美しい日本語」を味わう文学だ
ったのだ。
しかし、視覚、嗅覚、触覚を刺激する巧みな表現に秀でた『雪国』
まーおもしろくないことはないけどね。ここは雪国。名古屋
弁には何の必然性もない。同じ川端康成でも、
『古都』の登場
人物はみな京都弁で話している。必然性の高い言い回しならこ
うだろう。
は、聴覚的には信用できない。さっきの葉子と駅長さんの会話を
土地の「標準語」に直してみよう。
「ようねーて。なんぎらすけ帰ってくんなせや。へえ着る着
物がねーんらわ。なったに来る度に、お座敷着を変えたいろ
「駅長さん、私らて。なじらね。」
も、よっぱら種切れらすけ、このがん友
「やいや、葉子さんらねっか。お帰りらかね。ばっかさーめ
達んしょの借着なんらて。わーり子らろ
なったれねー。」
ー?」
「おじが今度おめさんげに勤めさしてもろてるがんらてね。
お世話様らこて。」
こんな言葉を駒子は遣わなーい! と思う
でしょ。でも、本当はこうだったはずなのさ。
はたして『雪国』の語り手は(または川端康成は)
、こうした
現地語は作品の叙情性を壊すと考えたのだろうか。それとも新潟
07
こんな駒子を島村は愛せたか。愛せないなら
たいした男ではないということである。
『雪国』岩波文庫
08
新しい読者の方々、はじめまして(そしてごく少数の、
これまで雑誌「早稲田文学」を読んできてくださっ
Back Issues of the WASEDA BUNGAKU
たみなさん、ごぶさたしました)。1891 年に創刊さ
れた文芸雑誌「早稲田文学」のフリーペーパー版、
「WB」 1 号をお届けします。 手にとってくださって
ありがとうございました。この 20 ページには、今の
中原 もっと誇りをもって書きた
古本屋も映画館も
いですよ! 書けるものなら。
ハリーを追い出しにかかっていた
モブ とつぜん真顔に(笑)
。じゃ
ずっとむかしから
日本語文化圏で言葉をめぐって活躍したり悪戦苦闘
中原 それは、誇りとは言えませ
く感じられるかもしれません。でも、電車の中で、カ
ん(笑)
。
フェで、あるいは学校や職場や家で、気になったペ
(
「ハダカノサッカ」
ージを眺めて「こんなふうに世界を見ているひともい
中原昌也+モブ・ノリオ)
雑誌「早稲田文学」 の過去の刊行物や歴史、フ
リーペーパー化の経緯などに興味を持ってくださった
方がいましたら、小誌編集室のサイトにお立ちより
ください(www.bungaku.net/wasebun)。
2005-5 現在と未来をめぐって
青山南
(
「ハリー・ボッターと二つのエレジー」
松本圭二)
2005-3 博打と文学
〈小説〉 ゲ! 向井豊昭
WASEDA bungaku
芳川泰久(Editor in Chief)
道端で泣いていたかも知れない 〈小特集〉博打と文学 2
麻雀座談誌上採録 まあじゃん放銃記
荒井晴彦 稲川方人 植島啓司 樋口泰人
Shock!! Issue vol.01
Edited by
ハリー・ボッターは途方に暮れて、
『三日間(スリーデイズ)』―感傷的博打論 山岡賴弘
2005 年11月15日発行(隔月刊)
土田健次郎
時間を潰したらいいのか、判らないまま
〈対談〉 「かろうじて」の文学 古井由吉×寺田博
〈小説〉 奇妙な入試情景 大西巨人
批評の未来 The Future of Criticism
〈評論〉 フレドリック・ジェイムソン
ハリー・ハルトゥーニアン/ W.J.T.ミッチェル
[早稲田文学]
Published by
いったいどうやって
原稿料五百円だったよな?
や声が詰まっています。ブンガクなんてタイトルは固
ガクをちょっと日常に」、それがWBの願いです
(Ic)。
もしパチンコに出会わなかったら
ざと書いてみるとか? ワセブン、
したりしている「言葉つかい」たちの、様々な試み
るんだ」くらいに思ってもらえれば幸いです。「ブン
彼にはそんな予感があった
あ、めちゃくちゃ安いところでわ
死ぬことも忘れていた 横田創/色川武大と中華屋 大久秀憲
〈文芸漫談・第一部最終回〉
「市営グラウンドの駐車場」いとうせいこう+奥泉光
絵の空 立花種久
絓 匿名批評的なレベルの批評は、
饒舌な写真というものを、このとき私
いまや「2 ちゃんねる」でじゅうぶん
ははじめて見たのだった。 饒舌なの
なんですよ。 ……たまにいいのある
にひそやかである。 ……一番心に
よ。 三行くらいで。おれなんかも反
引っかかったのはセバスチャン・サ
省しちゃったりすることあるもん。
ルガドの写真だった。好きだというの
斎藤 三行で。瞬間芸ですよね。
でも、共感を持つというのでもない。
絓 長いと威力がない。もう、それ
モノクロ写真が、見えない手を伸ば
でいいんじゃないのかな。
してきてこちら側の胸ぐらをつかむ。
(
「物語の手段として」 角田光代)
(新人賞選考座談会)
森本翔子
江中直紀
辛由美
貝澤哉
中村太一
十重田裕一
村田知嘉子
三田誠広
松田茜
山本浩司
伊藤慶祐
佐伯悠
2005-1 新人賞の現在・未来
〈新人賞選考座談会〉 いとうせいこう/斎藤美奈子/絓秀実
丹生谷貴志/渡部直己
After Theory 第一章 忘却の政治
テリー・イーグルトン 訳・解題 北野圭介
〈小特集〉左側を歩け !! 【鼎談】井土紀州・絓秀実・丹生谷貴志
【評論】上野昻志
2004-9 写真×文章
〈写真は語れない、か?〉 モブ・ノリオ/堀江敏幸/角田光代
横田創/伊藤俊治/上野昻志 〈言葉という異次元〉 ホンマタカシ/島尾伸三/北島敬三
マリオ・A/首藤幹夫
「芸術の終り」か、
「歴史の終り」か?
フレドリック・ジェイムソン
大橋洋一・河野真太郎 訳
朴文順
市川真人(Concept & Direction)
Art Direction
奥定泰之
Photograph
松蔭浩之
編集・発行
早稲田文学会/早稲田文学編集室
169-0051 東京都新宿区西早稲田 2-7-10
TEL/FAX 03-3200-7960
Mail [email protected]
印刷
(株)早稲田大学メディアミックス
169-0051 東京都新宿区西早稲田 1-1-7
TEL 03-3203-3308
FAX 03-3202-5935
われわれはこういうことも踏まえない
私は自分が日本で文学批評をやって
と、 今は小説の時代じゃないから、
きた経験からいうのですが、近代文
小説を阻害するもの、小説を潰すよ
学は 1980 年代に終ったという実感
うな新機種に流れていくと思うんです。
があります。いわゆるバブル、消費
トヨタとか日産だとかそんなものは、
社会、ポストモダンといわれた時期
小説の敵だと言いたいんです。それ
です。……小説よりも現代思想を読
をその意識のまま小説に使っちゃうと、
んだ人が多いのです。いいかえれば、
それは小説にならなくなる…… それまでのように、文学が先端的な
(
「小説を阻害するもの」 中上健次)
意味をもたなくなっていた。
(
「近代文学の終り」 柄谷行人)
2004-7 小説を阻害するもの
〈新連載〉 コピーライトについての試論 大杉重男
私をブンガクに連れてって 芳川泰久
2004-5 近代文学の終り
〈新連載〉美学・労働・イデオロギー 池田雄一
更新期の文学 大塚英志
それでも小説はここがイケてる 渡部直己
日本語による文学・哲学・芸術表現の普及をめざ
すフリーペーパー「WB」では、主旨に賛同・応援
してくださる個人や企業のみなさまからの、広告出
稿や配布場所提供などによるご助力を求めています。
〈アンケート〉
〈対談〉 わたくしは生まれてから「ひとの悪口はいうまい」と思っ
て育っている人間なのですけれども……
實重彥×渡部直己
ブンガクシャは派兵と改憲についてどう考えるのか
鶴見俊輔・飯島耕一・宮内勝典・ 實重彥・天沢退二郎
笙野頼子・いとうせいこう・星野智幸・渡部直己……
関心をお持ちくださったかたは、小誌編集室(上記)
までご一報いただければさいわいです。
次号より、読者コーナーを設置の予定です。 小誌
の感想やご意見などを、小誌編集室あてにメールま
たは郵便にてお寄せください。
09
◉各号定価 720 円、冊数分の定価のほか、送料の実費を頂戴します。
◉ご注文は、住所、氏名、電話番号、希望の号を明記のうえ、右奥付の「早稲田文学編集室」まで。
メールでの注文も可能です。[email protected]
◉ 2000 年以前の号は編集室のウェブ
(www.bungaku.net/wasebun)にて検索できます。
◉ 2004 年 11 月号は完売しました。
リテラリー・ゴシック[01]
高
原
英
高原英理 § Takahara Eiri
59 年生。主に評論家。美と憧憬
の理論『少女領域』
『無垢の力』
の後、
『ゴシックハート』を著
理
してゴスの暗黒卿となる。合言
葉は「残酷・耽美・可憐」
。
詩集『黒衣聖母』(1921)序文で自らの詩形を「ゴスィック・ロー
ていた。ここで引用する余裕はないので、原本にあたるか、自著『少
マン詩體」と呼んだ詩人日夏耿之介の文業以後、ともあれ「ゴシック
女領域』の 217 ∼ 9 ページでの引用をごらんいただきたい。またそれ
ロマンス」という暗く黒く晦渋な怪奇文学が海彼にあることは、文学
は 60 年代「異端」と呼ばれた「澁澤龍彦系」コレクションの実践で
にかかわる人々の一部に認知されていたはずだが、実際にいかなるも
もある。
のか、ゴシックロマンスそもそもの開祖であるホレス・ウォルポール
むろんそれを「ゴス」と呼ぶ意識はまだなかった。しかし歴史は過
作の “The Castle of Otranto” が平井呈一によって『オトラント城綺
去を位置づける。28 年を隔てて 2002 年、山崎まどかの「乙女カルチ
譚』として翻訳されるまで、英文学者ならぬ諸人の知る由もなかった。
ャー入門」書、
『オードリーとフランソワーズ』に再発見された倉橋
だがそれが果たされたのは 1970 年のことであり、翻訳にもせよわれ
の『聖少女』は「ゴスという乙女道」の章に語られ、ゴシックカルチ
われが「実物」に触れえたのはたかだか三十数年前に過ぎない。ちな
ャーの先駆として、あるべき位置を見出された。「ゴスロリ」という
みに “The Castle of Otranto” 原典の刊行は 1764 年、ゴシックロマ
のも、思えばそこから伸びる支流である。しかし、澁澤も読まないフ
ンスは西欧で 18 世紀半ばに興り 19 世紀半ばあたりに一旦は廃ったジ
ァッションのみのゴスを私はあまり推奨しない。
ャンルである。より詳しくは自著『ゴシックハート』の第一章に目を
きっかけは何でもよい、いくらかでもゴスに気
をとられた方は、その奥にほの見える城の暗闇を
通していただこう。
では翻訳や研究でない、日本文学へのゴシックの反映はどこからか、
彷徨っていただきたい。そしてそもそもゴシック
むろん日夏の著作がその嚆矢ではあるが後を継ぐ作家がおらず、なら
とは文学によって意味づけられてきたものである
ばそれとは切れたところで敗戦後日本文学の創作から捜すなら、どう
ことを忘れないでいただきたい。
さて、ここまでは前提である。以後、ゴシッ
も倉橋由美子の『聖少女』(1965)あたりではないかと私は考える。
ここに記された「モンク」という喫茶店の描写はもはや知識の移入で
クなものに関して、文学限定で言及してゆこう
なく、当人たちの自主的な趣味の展開としてゴシックな空間を構築し
と思う。
『聖少女』新潮文庫
Watanabe Naomi
ソシュールはここが出る
陽 気 で 利 発 な 初 心 者 の た め の 現 代 思 想 入 門 ①
渡 部 直 己
たとえば、信号機の﹁青﹂は実際には緑色。オーソドックスな三色信号でも、
押しボタン式のランプでも、あれはほとんど緑なのに何故﹁青﹂信号と呼ばれる
のか? 変だと思う人は大勢いるらしく、以前、NHK の番組だったか、そんな
質問にどこかのマヌケな学者がしたり顔で答えていわく。日本語では古来、
﹁青﹂
は幅広い色彩をふくむ言葉としてあるのだ、と。野菜一般を﹁青物﹂
、白馬のこ
とを﹁青馬﹂
、
﹁青い山脈﹂なんて歌もありますとか、だいたいそんな説明がなさ
れていたわけだけれど、ならば、英語のblue にも同程度の幅があるのか、あ
っちの信号もほとんど緑色だけど、と、反射的にそう考えた人は筋が良い、とい
うのが今回の話。その筋を、﹁言語の中には差異しかない﹂という命題のもとに
見事に理論化し言語学を一新、さらに、戦後の﹁構造主義﹂全般に多大な影響を
与えた人が、フェルディナン・ソシュール︵一八五七∼一九一三年︶である。
言語を典型とする﹁記号﹂は﹁記号表現﹂と﹁記号内容﹂の両面をもつ。大雑
把に言えば、
﹁意味する形﹂と﹁意味される概念﹂の結びつきがひとつの﹁記号﹂
を構成するわけで、日本語という記号体系内では、[neko ]という音の連な
りがシニフィアン︵以下SA ︶、これによって喚起される[猫]の概念がシニフ
ィエ︵以下SE ︶ということになる。このとき、①SA とSE の結合には何ら必
、
然性がないこと︵あったら、世界中の人間がその生き物を[neko ]と呼ぶ︶
②にもかかわらず一体系内で結合は必然化され、③その必然化を支えるものこそ、
SA 相互の示差性である、というのがソシュールのミソとなるのだけれど、これ
を、やはり一個の意味体系としてある三色信号機にあてはめてみると、
﹁青﹂
﹁黄﹂
﹁注意﹂
﹁ 止 ま れ ﹂ と い うS E を、
﹁ 赤 ﹂ の 三 色 がS A と な り、 そ れ ぞ れ﹁ 進 め ﹂
上記①②をみたしてもつことになる。そこで、先のマヌケ学者にはたぶん生涯無
縁な③がポイントとなってくるわけで、かりに、赤信号で立ち止まったあなたが
頃合いと思う次の瞬間、
﹁青﹂信号のガラスが壊れていて、そこに白色光が点っ
たとすればどうするか? 当然、渡るだろう。このとき、その当然の意味を生み
その色が﹁黄﹂
出しているSA の本質は﹁青﹂という色そのものではなく、じつは、
10
①
女 の 子 の 文 学 ①
横
田
横田創 § Yokota Hajime
70 年生。三島賞候補作『裸のカ
フェ』を筆頭に、クールな小説
を書いている。小説や映画を愛
創
しつつ、音楽やファッションも
忘れない 35 歳。
レースやフリルでふわふわなのに腰のあたりはシャープなシルエット
あのころはいつもお祭りだった。家を出て通りを横切れば、もう夢
中になれたし、何もかも美しくて、とくに夜はそうだったから、死ぬ
の、もとはと言えばアントワープ系の Veronique Branquinho が 90
ほど疲れて帰ってきてもまだ何か起こらないかしら、火事にでもなら
年代から打ち出していた修道院か寄宿舎みたいなブラウスをより古風
ないかしら、家に赤ん坊でも生まれないかしらと願っていた、あるい
にして、より punk で rock な革パンやデニムに合わせたりしたら最
はいっそのこといきなり夜が明けて人びとがみな通りに出てくればよ
高じゃない? だからその服を着るために Party をしよう。結婚式と
いのに、そしてそのまま歩きに歩きつづけて牧場まで、丘の向こうに
か卒業式とか歓迎会とか、式とか会とかお祝い事におんぶに抱っこに
まで、行ければいいのに。
なるんじゃなくて、用もないのに「用」を作るために Party をしよう。
ていうか Party だけが用であると、他にすることなんてないと思って、
(チェーザレ・パヴェーゼ『美しい夏』訳・河島英昭/集英社版 世界の文学 14)
とりあえず、ねえ、身近なところで Party をしよう、イタリア人のよ
日々の生活の、仕事の、勉強の、気晴らしでも骨休めでも気休めで
うに? 小説のように? 『美しい夏』のアメーリアとジーニアのよ
もなく Party をしよう。jamiroquai の“dynamite”を RECOfan で試
うに。きのうは友だちと居酒屋でプチ・パーティーをしたから今日は
聴して迷うことなく税込み 1,554 円で、soul で hip で cute な音楽を
一人で卵かけごはんを食べるんじゃなくて、わざわざ別の場所で別の
手に入れ、高校生または中学生のころから使っているぼろぼろのCD
友だちと別のかたちで会う約束なんてしないで、だいすきだったら同
ウォークマンで回して、FRESHNESS BURGER でWサイズ、バケツ
じカフェで同じメニューを同じ友だちと食べてもかまわないどころか、
みたいなマグカップでコーヒーを飲みながら友だちをメールで誘って
なんだったら一緒の部屋にみんなで住んでしまっ
Party をしよう。今年の夏は punk で rock なTシャツにフレアの花柄
て、仕事から、学校から、帰ってくるたび Party
スカート、ごついウエスタン・ブーツかぺったんこなミュールを履く
を し よ う。 誰 か に 会 う こ と が い つ も そ う し て
ベッキーやカエラちゃんみたいなハーフ系? カラフルな古着ファッ
“Party” になるなら、その緊張感が、距離が、言
ションが流行っていたけど、この秋はもっとぐぐっと根本的に古着で
葉があなたをいまよりずっとおしゃれにするはず。
ヴィクトリアン調、Louis Vuitton のデザイナーもしている Marc
だから、明日といわず今日、今晩? 朝まで?
Jacobs がいつか雑誌で言っていたけど、ブラウスって言葉、なんか
Party をしよう。
いいよね? レトロでてろてろな感じがして、しかも柔らかそうで、
でも﹁赤﹂でもないことを示している点にある。もうお分かりでしょう?
だか
ら、
﹁青﹂信号の実際の色が緑でも構わぬという話になるわけで、
﹁黄﹂や﹁赤﹂
についても事情は同じ。日本語における[neko ]という音の連なりもしかり。
これらが示しているのもやはり、他のすべてのSA とは異なることなのだ。この
点を、チェスの駒の形︵SA ︶とその動き︵SE ︶で説明するソシュールを日本
風に応用すれば、
﹁香車﹂の駒が一枚なくなった状態で将棋を指すに、何も、
﹁香
車﹂駒に似せた厚紙など作る必要はない。死んだゴキブリの子供を使っても、ち
ゃんと用が足りるというのが、ソシュールの鮮かな教えとなるのだった。
さて、こうした教えが﹁何処に出るか?﹂というと、もちろん﹁人生に出る﹂
わけで、右を、
︿現象A と、これがふくむ価値a ﹀と捕らえ直して思い切り敷衍
すると、あれこれ有益な覚悟を手に入れることが出来る。現象Aと価値aとを結
びつけるのは、現象A そのものではなく、じつは、現象Aと現象B ︵その他、C 、
E ⋮⋮︶との間の差異にほかならぬこと︵上記では、
D、
価値a ﹁進
現象A ﹁青﹂、
め﹂と敷衍しうる︶。たとえば、
あなたという現象にともなう価値︵個性、同一性︶
は、他の人々︵現象B 、C 、D ⋮︶との関係から生ずるのだとすれば?
同様に
して、現象A に、﹁女﹂
﹁子供﹂
﹁日本﹂などを代入してみるとよい。この世に、﹁男﹂
﹁大人﹂
﹁他国﹂が存在しなかったら、
﹁女らしさ﹂
﹁子供らしさ﹂
﹁日本的なもの﹂
などが、それぞれの価値としてどうして問題になりえようか、と、そう考える一
瞬、少なくとも、あなたは他愛ないナルシシズムからスッキリ解放されるだろう。
あるいは、
﹁自分探し﹂などという甘ったれた苦しみからも。﹁自分﹂など、他人
た ち と の 関 係︵ そ れ が 差 異 で あ る ︶ の な か で 勝 手 に い く ら で も 作 り 替 え ら れ
る!
そんな風通しの良い覚悟のうちにソシュールを読み替えれば、グッと元気
になるはずだ。
ちなみに、我が国の全共闘時代のバイブルと謳われた吉本隆明﹃言語にとって
!!
美とはなにか﹄
︵一九六五年︶の冒頭、初めて海をみた原始狩猟人が﹁う﹂と声
を立て、それが﹁海﹂という言葉になった︵ ︶と記されている。これがバイブ
11
ルなのだから、あの運動がコケて、愚にもつかぬ感傷家ばかりをゴロゴロいまに
『一般言語学講義』岩波書店
生み残してしまったことも、まあ、仕方ない成り行きではあるのだけれど⋮⋮。
§ Watanabe Naomi
年 生。 小 説 や 現 代 思 想はも ち ろん、
渡部直己
﹃がきデカ﹄からサッカーまでを鋭く斬
九通の手紙 ﹄が近刊予定。
る批評家。﹃メルトダウンする文学への
52
『世界の文学 パヴェーゼ』集英社
photo by Hiroyuki Matsukage
12
福永信の京風対談
三十三歳初めての筆談編 [ゲスト]長嶋有(小説家)
福永'きみとはいずれ筆談すると思っていた。/長嶋'フフフ。そうなん
ですか。/福永'そうさ。/長嶋'二泊三日の大阪京都行は若干ハード
にはびっくりしたけど。
だったナァ。/福永'そう? 「プールサイドの死」
をそんなに
あれは読み終えると言葉を失う。/長嶋'「プールサイドの死」
云々されるとは僕もオドロキだよ。
これから先も、多分ないことだろうね。/
きっと
福永'そう? 小学生のときのきみには是非会ってみたいものだ。
あれは小学生の時の作品な
たいそうかわいいだろう。/長嶋'そうそう、
んですよ。
ってことを断り書きしなかったんだけど。
しかしさっきから怪人
二十面相みたいな言葉づかいだね。/福永'小学生のとき読んでたから
かな。
まいったな。僕は早熟じゃなくてね。
しかし周囲には沢山いるわけ、
「プールサイドの死」
を書きそうな連中が。
そういう友人達がうらやましくて
シットしたものです。早熟じゃないことには早く気づいたんだけど。/長嶋
4
4
4
っぽくなってきた。沢山はいないんだナ
(笑)。早熟というのかな
'筆「談」
ちがうかな。/長嶋'ねえ。
(プールサイド)
は。/福永'ちがうね。いや、
←同意の。
アレ
(プール)の話もいいけどマッチ箱も話そうよ。
アレ
(マッチ)
は本以上にモノっぽいですね。/福永'本を燃やすものだしね。つまり、
4
4
4
4
4
4
ないページに書かれた内
ないページは燃えないということを思ったんだ。
容はマッチ箱の表面に印刷されているんだけど、考えてみたらマッチ箱は
4
4
燃えるわけで、
ないページの内容なんて、
どこにも書けないことに気づいた
(←とりあ
よ。
まったく情けない。早熟じゃないからかな。/長嶋'なるほど
4
えず)
。
いきなり半ページ以上書いたね。
それでいて怪人二十面相ぽさもブ
4
レない。早熟でないとしたら晩成型なのだろうね。
なんか語尾がひきずら
カツオと同じだ。僕
れてきた。
(あと十分くらいか?)/福永'そのとおり。
はね、
自分の三十代、四十代、五十代には全く興味ないんだけど、
それ以
降の年齢の自分が何を思うか、気になって仕方ない。
自分がいったいどん
な作物を書くか、
ね。八十九で
『死霊』
十章を書くことは決めている。
九十で
柴崎さんと
『別れる理由』
について対談することのしょうだくも得ている。
し
かし、
カツオはおじいさんにはなれないだろうから、
かわいそうだ。
ところで
って君も同
柴崎さんとは大阪で会ったんだろう?/長嶋'あったあった。
席したじゃないか。
柴崎さんに車内で貸していた
『別れる理由』
三冊の重そ
うな感じは、
今回一番の思い出さ。
さて、
そろそろホームに行かなくてはね。
そうだ、
そうだ。
とうとうホームに来た。
お別れだ。左手が
/福永'そうだ、
ではお別れの握手は右手で行うとしよ
赤いな。/長嶋'ハハハ。本当だ。
うか。/福永'本当にギリギリまでありがとう。一九時四六分東京行のぞ
なんでアラーム※を
み28だ。/長嶋'ではサラバサラバ!! さっきの店、
誰もとめなかったんだろう……。※ずっと鳴ってた。
§ Nagashima Yu
年生。作家。
﹁サイドカーに犬﹂で文學界新人賞受賞﹁
、猛
長嶋有
スピードで 母は﹂ で 芥川賞 受 賞。コラムニスト﹁ ブルボン
けんこう ︶﹂ としても執筆活動中。﹃ ジャージの二人 ﹄﹃パ
小林 ︵ぶるぼん・こばやし︶﹂、 俳人﹁長嶋肩甲︵ながしま・
ラレル﹄他。
13
72
筆談を終えて
長嶋有氏が関西方面に来る機会があり、帰りに京都に(もう一度)途中下車しても
らい、筆談した。一時間ほどしかなく、プラットホームで続きを書き、乗車直前まで続
けられた。 文中の「プールサイドの死」 は、彼の最新著作『いろんな気持ちが本当
の気持ち』収録の短編(?)のこと、マッチとは岡山県立美術館の企画で僕がデザイ
ンした小さなマッチ箱のことで、僕には『あっぷあっぷ』という小さな本があるのだが、
その九七頁と九八頁のあいだのエピソードを書き込んだのである
(十個ほど余ってるの
であげます。ハガキにあっぷっぷ! と大きく書いて、早稲田文学宛てに送ってください)。
また「柴崎さん」とは、 柴崎友香氏である。 前述の「機会」とは、 彼女と長嶋氏
の対談のことで、これは http://www.log-osaka.jp で全文読める。なお、長嶋氏の
福永信 § Fukunaga Shin
左手が赤いのは、その日大阪で行われたサイン本作りの際、手形を求められたためで
72 年生。 作家。
「読み終えて」でリトルモア‐ストリ
ある。筆談は京都駅地下で飯を食いながら行われたが、原稿用紙を前に終始無言で
ートノベル大賞受賞。『あっぷあっぷ』は画家村瀬恭
文字を書き、交換し、ときおり写真を撮り合う男二人に、周囲の客は首をかしげていた。
子との往復書簡的なコラボレーションを経てまとめあげ
られた。
『アクロバット前夜』他。
ィッ
ハイブリッド
・クリテ
ク
斬
首
の
去年イラクで日本人旅行者がテロリストに人質にされた挙句に斬首さ
1
れ、その映像がネットを通じて全世界に配信されたというニュースを聞
景
いた時、私が真っ先に想起したのも、このヨカナーンの首を抱いたサロ
Osugi Shigeo
も私はその斬首映像を見ていない。それはテロリストのウェブサイトか
光
大 杉 重 男
日本も文化国家として成熟したと言えるのかもしれない。
メの姿だった。両者の間に何か共通点があるというのではない。そもそ
ら容易にダウンロードできたが、見る気になれなかった。テロリストの
私がこれまでに見た最も印象的な斬首の光景は、2001 年に見たリヒ
宣伝に荷担することになるから? 死者に対する冒涜だから? グロテ
ャルト・シュトラウス作曲の楽劇『サロメ』の舞台である(ドイツ・
スクな映像に関心がないから? いずれにしろこのニュースは私の中の
ザクセン=アンハルト歌劇場来日公演、オーチャードホール)
。サロ
『サロメ』の夢を打ち破り、私たちが斬首が去勢にも浄化にもつながら
メ役のラッパライネンというソプラノは元ミス・カリフォルニアとい
ない世界に生きていることを実感させた。三島由紀夫の首はまだ辛うじ
う美貌とプロポーション(後者は特にオペラでは貴重なのだが)を生
て美学的言説の対象でありえたかもしれないが、
「酒鬼薔薇聖斗」の突
かして、終幕に一糸纏わぬ全裸となり、ヨカナーンの首(もちろん人形)
きつけた首に対して私たちは「どうして人を殺してはいけないのか」と
を汗の光る豊満な胸にかき抱いて野獣のように絶叫咆哮した。通常オ
いうあまりにもベタなテーマ設定で無償の饒舌を戦わせることしかでき
ペラでは舞台と観客の間にオーケストラがあるのだが、この上演では
なかったし、イラクの斬首映像には発する言葉もなかった。クリステヴ
オーケストラが舞台の背後に回り、歌手と観客の距離を縮めたことで
ァは「ラカンを敷衍するならば、想像界と象徴界から消し去られたもの
効果を上げていた。かなり間近な席に座っていた私は、予期せぬその
は、現実のなかにふたたび現れる恐れがあ」り、
「その逆に、象徴的、
迫力に圧倒され、鳥肌が立つような戦慄すら覚えたが、会場は上品な
想像的な横溢こそが、現実の行為への移行の誘惑をうち砕くチャンスを
客が多かったのか、カーテンコールもあまり盛り上がらず(近くにい
もつことができる」と、ギロチンに罪悪感と自尊心を持つフランス人に
た白髪の老夫婦などは明らかに不快そうであった)、なんとなくラッ
対し斬首を表象する芸術が果たす政治的な役割を私たちに教えてくれる。
パライネンの熱演に気の毒な気がした。とはいえ見ている人はいるも
日本は斬首の伝統ではフランスに引けをとらな
ので、この舞台については音楽評論家の許光俊が賞賛しているのを後
いはずだが、斬首の表象は「横溢」どころか枯
渇の感がある。フランスと違って日本では「王」
の首を斬っていないからかもしれない。日本で
首の表象は去勢と浄化の象徴的・想像的表現であると言う。とするな
は「クビキリ」はあくまで「ハラキリ」の付随
らラッパライネンの演じた『サロメ』はその伝統に忠実な正統的「芸術」
物であり、斬られるのは家来ばかりである。と
表現だったということになるが、あまりに正統的であるために単なる
すれば、せめて象徴的・想像的にでももっと我々
﹃ 斬首の光景 ﹄みすず書房
で読んで我が意を得た気がした。最近翻訳されたジュリア・クリステ
ヴァの『斬首の光景』によれば、ギリシア・ユダヤ文化圏において斬
は「王」の首を斬るべきではないか。
「エロ」や「ストリップ」と区別がつかなくなっているところが面白
かったように思う。それを喜ぶことはアイロニカルな楽しみ方なのか
大杉重男 § Osugi Shigeo
もしれないが、しかしこうしたものが当たり前に上演されるようにな
65 年生。文芸批評家、のつもりだが、あちこちで喧
嘩しすぎて書くところがなくなりつつある。しかし
れば(許氏によれば今年もラッパライネンは来日して『サロメ』を演
妥協しないで書きたいことを書くつもりだ。
じたが、規制があったのか(?)トップレスにとどまっていたらしい)
、
塚 英 志 翼賛下の批評
大
Otsuka Eiji
﹁戦時下﹂をとうに越えて﹁翼賛下﹂である現在の﹁文学﹂について
書こうと思って、一度は別の原稿を渡したが、考えてみれば文学が翼
賛化するという自明のことについて記すことは全くの無駄だと思えて
きた。文学がいかに翼賛化しようとも、もはや文学に人々を動員する
力が絶望的なまでにない以上、それを批評する意味さえない。何年ぶ
りかの人事異動で文芸出版に関わることになった知人の編集者は﹁文
芸誌はもはや尖閣諸島である﹂という、ぼくの﹁不良債権としての文
学﹂というフレーズより更に身も蓋もない感想を述べたが、それはこ
の数年で耳にしたうちでは最も正確に﹁文学﹂の現在を批評している。
やされる徒労の質と、しかも﹁ない﹂ものを﹁ある﹂ということでそ
つまり、既にそこに﹁ない﹂ものを﹁ある﹂と言い張るためにただ費
こに﹁ある﹂ことになってしまうのは﹁島﹂や﹁文学﹂ではなく、ひ
どくさもしくいじましい﹁日本﹂であるという点に於いて、なるほど
﹁文学﹂は﹁尖閣諸島﹂でしかない。そう考えると、石原慎太郎都知
事が尖閣諸島に執着する理由もひどくわかり易い。存在しない﹁文学﹂
と存在しない﹁尖閣諸島﹂の双方によって﹁石原慎太郎的なるもの﹂
は自らの存在証明をしているのであって、それがニヒリズムでも何で
もないところが、更にこの国の﹁文学﹂及び﹁政治﹂と正確に呼応し
ている。
しかし必要なのは動員力のない翼賛下の文学について何事かを語る
ことではない。﹁動員﹂の装置としては﹁文学﹂よりも﹁映画﹂や﹁ア
ニメ﹂や﹁まんが﹂や﹁写真﹂が有効だという判断は先の戦時下/翼
賛下にとうになされたことだ。なるほど、翼賛下のライトノベルズ作
家、太宰治のような﹁活躍﹂はあるが、転向した作家が国策映画の脚
本の仕事を恵んでもらう様を描いた中野重治﹁空想家とシナリオ﹂の
モデルではないかとさえ思えてくる、翼賛下にプロレタリア詩人から
1
14
い
し
の
た
①
命
革
絓 秀 実
もあろうが、それならそれで別の対応があったはずだ。
ところで、この集会には、実は私も出演交渉を受けていた。それも、
集会の第一の当事者である K 君からである。私は、この種の集会に要
請を受ければ基本的にはすべて応諾することにしている。ところが、
集会の直前になって、K 君からキャンセルの連絡があったのだ。後に
K 君に質してみると、集会のパネリストの一人である酒井隆史(社会
学者)と「その仲間たち」に対して、私があるところで「社民」と批
判しているので、パネリストとしてふさわしくないという意見が、集
emi
Suga Hid
会実行委員会であったためだという(
「社民」というのは、今日の思
「日々是革命」を銘としたいと思うが、もちろんうまくはいかない。
「趣
想的文脈で言えば「ラディカル・デモクラシー派」ということだ)。私
味=革命」程度である。しかし、革命のきっかけは日常ゴロゴロころが
は、この話を聞いて呆れてしまった。民主主義を標榜し「スパイ」に
っている。毛沢東が言ったように、
「革命無罪」は普遍的な真理だろう。
さえ傍聴を許すほど「民主的」である者たちが、批判されたというだ
この連載では、革命などかつてなかったし、これからもないだろうと安
けで私をパネリストから排除してしまうほど「非民主的」だからであ
心しきっている馬鹿な輩を少しでも威嚇すべく、誰もが決起できる「楽
る。私は民主主義者ではないから「スパイ」の傍聴は許さないが、反
しい」革命の端緒を見出すレポートをしてみたい。
対意見の者と討論してもよいと思うくらいには民主的ではある。
いささか旧聞に属するが、大事な問題だと思うので記しておく。今
現代の大学ではカルスタだポスコロだデリダだと「左派的」と称す
年の 4 月 14 日、早稲田の小野講堂で 5、60 人ほどを集めた集会が開
る退屈な言説が隆盛である。しかし彼らは「靖国」や「憲法九条」に
かれた。直接には、昨年の或るつまらぬ出来事から無期停学処分を受
ついては(大学の外で)云々しているものの、大学の監視/管理体制
けた学生 K 君(当時はすでに処分解除)の問題をめぐっているが、よ
には全く沈黙している。沈黙しているだけならまだマシで、最先頭で
担っていることもあると仄聞する。
「大学独法
化」問題など今や(もともと)なきに等しい。
/管理型の大学のありかたに対する抗議を企図した討論集会である。
その理由は以上のことからも明らかだろう、そ
の「左派」性が、大学当局とのコンセンサスの
なかで存在しているからである。問題は、左派
して潜入(傍聴?)していて、それを知った花咲ともう一人が「スパ
を装うかどうかではない。大学における「コン
イは出て行け」と外に出そうとした。それに対して、主催者でパネリ
センサス・システム」
(ランシエール)に対す
ストの一人(早大教員)が制止し、「そういう考えは古い。彼にも聞
る闘いなのだ。
﹄明石書店
LEFT ALONE
その集会で奇怪な光景があったと、『LEFT ALONE』の出演者でも
ある花咲政之輔から聞いた。その集会には、学校職員が「スパイ」と
﹃
り一般的には、映画『LEFT ALONE』(井土紀州監督)の背景にもあ
る 2001 年の早大サークル部室移転阻止闘争以降、露骨になった監視
く権利がある」と言ったのだという。しかし確かに、この教員の考え
絓秀実 § Suga Hidemi
は「新らしい」。果たして、「スパイ」に聞く権利はあるのか。もしそ
49 年生。批評家として革命の思想に精根を傾けつつ
「そんなもの来ませんよ」と笑い飛ばしもする男。主
うだとしたら、この集会は抗議先の学校当局との暗黙のコンセンサス
の上でなされた集会ということになるだろう。もちろん「スパイ」を
演のドキュメンタリー映画『LEFT ALONE』が各地
を巡回上映中。
排除してしまったら、後々、学校当局と面倒なことになるという配慮
転向し、内務省の斡旋で﹁まんが原作者﹂となった小熊秀雄を思い起
こせば、
﹁転向文学﹂は﹁映画﹂や﹁まんが﹂といった動員力のある
と誰も頼んでいないにも拘わらず、自ら文学者はまんが原作者たるべ
メディアの下働きとしての役割をむしろ担わされている。そう考える
きだと発言してやまない島田雅彦は翼賛下の文学者として時局を正確
かつ自発的に読んでいることになるが、しかしこの新しい﹁翼賛﹂は
もはや﹁文学﹂の助力、ないしは下働きさえ不要だ。
それは劇場で﹁国民﹂の一割、TV では三割が必ず観てしまう﹁国
民アニメ﹂たる宮崎アニメの存在を見れば明らかだ。ある場所で上野
昻志との雑談でたまたまそういう話になり、記録の残るイベントでは
なかったのでその主旨を記すが、宮崎アニメの本質は、幼女や少女の
スカートの下に執着してやまない彼の映像の性的嗜好のみならず、全
体として翼賛下の表現として良く出来ているという点にあることで一
致した。幼女/少女フェティシズムとファシズムとの感受性的一致に
ついて論じるにはスペースがないので別の機会とするが、それとセッ
ト に な る 兵 器 フ ェ テ ィ シ ズ ム、
﹁ 幼 女 ﹂ に 仮 託 さ れ る﹁ イ ノ セ ン ト ﹂
さ︵ナチズム下の﹁文学﹂の重要な主題である︶に加えて、﹁働くこと﹂
の賛美が宮崎アニメに常に含まれることはプロパガンダにいつでも転
用できる重要な要素である。海外メディアから児童虐待ではと懸念が
示される程、宮崎アニメでは共同体のために労働することが実は最大
の美徳である。加えて、名古屋万博の﹁サツキとメイの家﹂やカレー
のCM の映像のように﹁故郷としての日常﹂を想像するところも戦時
下の﹁まんが﹂や﹁映画﹂がかつて行ったことの正確な反復である。
この国では結局、ポストモダンなどやってこないどころか、サブカル
チャーによってより始末の悪い再﹁国民国家﹂化が進行中であり、﹁文
学﹂が今更、皇族のロマンスを描いたところで、国民を動員しようも
なく、文学が時局に乗る切符を振りかざす健気さにしか見えないのは
それ故だ。
§ Otsuka Eiji
年 生。 まんが原 作 者。﹃ 多 重 人 格 探 偵サイコ﹄、﹃ オ
大塚英志
クタゴニアン﹄他。
15
58
連載
奇妙な入試情 景
①
大西巨人
例 実 物 は、 か な り 知 っ て い る け れ ど も、 尋 常 小 学 五 年 修
了 か ら 中 学 生 に な っ た 実 例 実 物 は、 一 つ も 知 ら な い︵ 話
に 聞 い た こ と が、 あ る だ け ︶。 そ の よ う な 実 例 実 物 の こ
と を、 あ の 先 生 に 話 し て い た だ い て 貰 い た い。﹂ と い う
こた
旨 の 通 信 が、 来 ま し た。 そ こ で、 お 願 い で す が、 た と え
君
ば﹁ 続・ 年 齢 雑 話 ﹂ の 題 目 で、 聴 取 者 た ち の 願 望 に 応 え
る よ う な 話 を し て く だ さ い ま せ ん か、 ││ こ れ が、
の用件でした。
あらまし以上が、この﹁続・年齢雑話﹂の﹁来歴﹂︵?︶
で す。 私 の 親 し く 知 っ て い る 実 例 実 物 は、 一 つ︵ 東 山 太
郎 の こ と ︶ だ け で し て、 そ れ が、 果 た し て﹁ 聴 取 者 た ち
はし書き
本 作 は、 む ろ ん 独 立 の 短 篇 仮 構 作 品 で あ り、 同 時
の 願 望 に 応 え る よ う な 話 ﹂ で あ り 得 る か ど う か、 ⋮⋮ と
せいねん き ぶん
︹光文社二〇〇〇
に往年の小作短篇小説﹃ある生年奇聞﹄
にかく、やってみましょう。
年 奇 聞 ﹄ の﹁ 姉 妹 篇 ﹂ と 明 記 し た こ と が、 な お さ ら﹁ あ
る﹁姉妹篇﹂である。作者は、このことを冒頭に明記する。
︽ あ る 小 説 家 の 二 夜 連 続 放 送 講 演﹁ 続・ 年 齢 雑 話 ﹂︵ 録
らかじめの、お断わり﹂の必要を増大しました︶。
て 旧 制 の 学 校 で す、 ⋮⋮ 中 学 ︹ 五年制 ︺に 進 み、 さ ら に 中
年 制 ︺ 五 年 修 了 か ら 六 年 を 飛 び 越 し て ⋮⋮ 以 下 も、 す べ
る 男 は、 い わ ゆ る﹃ 早 生 ま れ ﹄ で あ っ て、 尋 常 小 学︹ 六
︵二十歳前後︶には中肉中背の男子になったこと﹂なら
に も 同 学 年 生 中 最 低 体 格 生 の 一 人 で あ っ た の に、 後 年
主 人 公 大 岩 則 雄 に つ い て、︿﹁ 小 学 生 時 代 に も 中 学 生 時 代
生 年 月 日 に ず い ぶ ん 先 立 っ て い る 希 有 の 事 例 ﹂ の 話 で す。
う
学 四 年 修 了 で 五 年 に 行 か ず に 高 等 学 校 ︹三年制︺へ 上 が っ
びに﹁精神的︵頭脳的︶にたいそう早熟な人間だったこと﹂
け
││﹃ あ る 生 年 奇 聞 ﹄ は、﹁ 戸 籍 上 生 年 月 日 が 実 際 上
た の で、 数 え 年 十 九 で 官 立 大 学 学 部 に 入 り ま し た。 戦 前
が、﹁ こ の﹃ 希 有 の 事 例 ﹄ を 順 調 に 成 り 立 た せ た の で し
お お い わ のり お
に は、 そ う い う こ と が、 学 制 上 可 能 で し た。 そ れ だ か ら、
ょ う。﹂﹀ と い う よ う な 叙 述 が 為 さ れ て い て、 そ れ ら は、
な
成 績 優 秀 の 者 は、 尋 常 小 学 な い し 中 学 の 最 終 学 年 を 経 由
本作の主人公東山太郎にまるでぴったりです。
そ れ で、 私 は、 大 岩 則 雄 と 東 山 太 郎 と は、 同 一 人 物 で
は な く て、 別 人 物 で あ る こ と を、 前 も っ て 判 然 と 皆 さ ん
君 が、 こ の ほ ど 小 宅 に 来 訪 し
ま し た。 複 数 の 聴 取 者 か ら、﹁ 年 齢 雑 話 ﹂ に お け る﹁ 飛
に 明 ら か に し て お く べ き で あ る、 と 考 え ま し た。 万 一 も
その際のディレクター
することなく進学することができました。﹂と言いました。
先 ご ろ、 私 は、﹁ 年 齢 雑 話 ﹂ の 中 で、﹁ 私 と 同 年 配 の あ
音より採取︶。活字化の際、作者加筆若干︾
て お き ま す︵ 冒 頭 の﹁ は し 書 き ﹂ に、﹁ 本 作 は、﹃ あ る 生
こ こ で、 私 は、 あ ら か じ め 次 ぎ の こ と を、 お 断 わ り し
年 刊 短 篇 小 説 集﹃ 二 十 一 世 紀 前 夜 祭 ﹄ 所 収 ︺ の、 い わ ゆ
ワーク・オヴ・フイクシヨン
N
び 級 ﹂ 談 に つ い て、﹁ 中 学 四 修 で 高 等 学 校 へ 進 学 し た 実
N
16
し も 大 岩 則 雄 と 東 山 太 郎 と が、 同 一 人 物 だ っ た ら、 た と
の 諸 様 相 を 知 っ た の は、 東 山 太 郎 本 人 か ら か、 他 の 誰 彼
は、﹁ 一 見 し て わ か る こ と ﹂ で は あ り ま せ ん。 私 が そ れ
ウルトラ
え ば 下 の よ う な 超 異 常 事 ││ あ る 人 が、 満 五 歳 そ こ そ こ
からか、聞いてのことだったはずです。
しも
で 尋 常 小 学 一 年 生 に な り、 満 十 歳 そ こ そ こ で 中 学 一 年 生
デ ィ レ ク タ ー の 言 っ た﹁ 聴 取 者 た ち の 願 望 に 応 え る
ぼ 相 当 ︺一 年 生 に な り、 満 十 六 歳 そ こ そ こ で 官 立 大 学 ︹現
十 分 に は わ か っ て い ま せ ん で し た。
よ う な 話 ﹂ が、 ど ん な 話 を 意 味 す る の か を、 私 は、 実 は
になり、満十三歳そこそこで高等学校 ︹現在の大学学部にほ
在 の 大 学 大 学 院 に ほ ぼ 相 当 ︺生、と い う よ う な 破 天 荒 ││ が、
私 と 同 様 に、 そ の こ と を、 実 は 十 分 に は わ か っ て い な か
デ ィ レ ク タ ー も、
そ こ に 具 現 し た こ と に な り ま す。 ど う い う 意 味 に お い て
っ た の で し ょ う。 尋 常 小 学 五 年 修 了 か ら 中 学 受 験 を 敢 行
彼に尋常小学五年修了からの中学受験を熱心に勧めたの
こ と で す。 し た が っ て、 そ の 種 の 話 は、﹁ 言 う も お ろ か ﹂
脳 的 ︶ に た い そ う 早 熟 な 人 間 だ っ た ﹂ の は、 明 々 白 々 な
も っ と も、﹁ 聴 取 者 た ち の 願 望 ﹂ は、﹁ そ の 当 人 が﹃ 精
も、 彼 の 両 親 に そ の こ と を 根 気 強 く 説 得 し た の も、 尋 常
訓 導 ︹ 現 在 の 小 学 校 教 諭 ︺で し た。
か ほく
神 的︵ 頭 脳 的 ︶ に た い そ う 早 熟 な 人 間 だ っ た こ と︵ そ う
き
く
とよくに
町││現在の北西海市豊国
尋
応えるような話﹂でありましょう。
▼﹁ 奇 妙 な 入 試 情 景 ﹂ は、 雑 誌﹁ 早 稲 田 文 学 ﹂
れています。
号に
月号に前半が
§ Onishi Kyojin
年 生。 太 平 洋 戦 争 での徴 兵 経 験 を も とに描い
大西巨人
初 出 時 の 誤 字 脱 字 を 修 正 の う え、 著 者 に よ る 若 干 の 加 筆 訂 正 が な さ
分 け て 再 録 の う え、 以 降 連 載 の 予 定 で す。 な お、 再 録 に あ た っ て は
発 表 さ れ ま し た。 フ リ ー ペ ー パ ー﹁ 早 稲 田 文 学 ﹂ で は 同 作 を
年
次 ぎ の よ う な 事 例 談 は、 ま さ し く﹁ 聴 取 者 た ち の 願 望 に
様 相 を ひ た す ら 指 示 し た の か も し れ ま せ ん。 そ れ な ら ば、
脳 的 ︶ に た い そ う 早 熟 な 人 間 だ っ た こ と ﹄﹂ の 具 体 的 な
私 は、 ほ ぼ 同 年 の 東 山 太 郎 と、 か な り 親 し い 仲 だ っ た。
ました。
かがみ や ま
東 山 太 郎 も 私 も、 各 自 の 尋 常 小 学 時 代 な ら び に 中 学 時
さいかい
代、西海地方 鏡 山県企救郡
なか
北 区 ││ に 住 ん で い た。 東 山 太 郎 の 尋 常 小 学 は、 中
尋 常 小 学 校︵ 尋 常 科 六 年 の み の 編 制。 高 等
﹁小学生時代にも中学生時代にも同学年生中最低体格生
じ小学校に在籍したことは、ありませんでした。
ど ち ら も 小 学 校 高 等 科 と は 無 関 係 で し た か ら、 結 局 お な
科へ進む者は、尋常高等小学校への転入が必要︶。二人は、
そ れ は、 下
しも
常 高 等 小 学 校︵ 尋 常 科 六 年・ 高 等 科 二 年 の 編 制 ︶。 私 の
S
の 一 人 で あ っ た の に、 後 年︵ 二 十 歳 前 後 ︶ に は 中 肉 中 背
5
S
の 男 子 に な っ た ﹂ は、﹁ 一 見 し て わ か る こ と ﹂ で す。 け
2
05
*
い う 抽 象 的 な 話 ︶﹄﹂ を で は な く、﹁ 当 人 が﹃ 精 神 的︵ 頭
豊国男子師範学校出の
ほうこく
ではありますまいか。
し た の で す か ら、 そ の 当 人︵ 東 山 太 郎 ︶ が﹁ 精 神 的︵ 頭
N
小 学 三 年 か ら 同 五 年 ま で の 組 担 当︵ 持 ち 上 が り ︶ 教 師・
すす
こ の 東 山 太 郎︵ の プ ロ ト タ イ プ ︶ は、 私 の 遠 縁 で し て、
は てんこう
も、断じて、それは、作者の意図ではありません。
N
太 平 洋 戦 争 中 の 一 九 四 三 年、 東 山 太 郎 は、 華 北 で 戦 死 し
Q
れども、﹁精神的︵頭脳的︶にたいそう早熟な人間だった﹂
塔と称される。傘寿を過ぎてもみずからHPを持
た 長 篇 小 説﹃ 神 聖 喜 劇 ﹄ は現 代日本 文 学の金 字
って新作小説を発表し続けている。
17
19
S
て思う?
んなのですか?
、いま振り返っ
し
た演劇って、ど
社」も見たし、
なかったんだと
。 最初は応募
眠
け
遊
い
の
が
夢
に
「
当時お好きだっ
な
松]
の
[重
ん
かったことかな
、 野田秀樹さ
の世界を知らな
か
、
と
説
ら
台
小
か
舞
女
だ
三
少
ん
第
は
た
て
い鳥とか
と、あと
も知って応募し
[角田] 劇団青
[角田] 自意識
作家が出てるか
…
う
…
賞
い
う
か
、
ど
と
て
、
)
っ
で
を
行
説に
んぶ読ん
(高橋いさ
なのに少女小
劇団ショーマ
た文芸誌をぜ
ですよね。それ
?
ればよかったん
ックスなんかは
す
ボ
ジ
ル
ン
メ
レ
ラ
ャ
ャ
チ
キ
松]
[重
もう一回
って。
ですよ。
て、「あれ?」
ろ」 の先輩なん
少女小説を見
かれたら?
メルは 「てあと
らってはじめて
[角田] キャラ
が多かったと聞
も
ち
を
っ
ど
劇
演
と
養として本
(笑)
潔癖さと偏屈さ
気付かないでよ
、学生時代の栄
20 歳ぐらいの
[重松] じゃあ
[重松] 後から
れないけれど、
し
も
か
た
れ
寄
かいから、ど
ね。
ったら歩み
?
ても自意識がた
[角田] 本です
[角田] いまだ
たものはなにか
のころってどうし
っ
あ
残
。
ま
で
と
ね
げ
ひ
よ
か
を
す
お
で
かったん
……演劇の
自分がセリフ
[重松] そうか
で、 変えられな
(笑)。なんで
かしさかな
でひとが演
すね……恥ず
前
で
の
い
がちだし。
目
み
、
どな
悩
も
ん
く
て
と
行っ
[角田] ほ
うしても暗
お芝居を見に
。
す
で
ん
う
思
て言うんです
ろう、って
ん。
ロマンスを」っ
[重松] うんう
えで言えたんだ
高校生活とか
って。
い
る
しま
明
て
「
じ
も
感
度
を
んで、 書けな
恥ずかしさ
が何度も何
」 って思ってた
[角田] 編集者
技してることの
のどこにある?
中
の
立
世
本
て
三
ん
で
てたから、
り
生 活な
どうでした?
なおさずに書い
くために、 ひと
「 明るい高 校
[重松] 映画は
けど、
して、それでも
それこそ追いつ
り
、
だ
で
ん
ん
悩
た
り
っ
た
か
め
何度も揉
映画にも詳し
[角田] みんな
いんですよね。
げが下がって。
ろう?
た。
だ
し
ん
ま
まりにも売り上
た
り
あ
て
回
っ
に
ち
な
ち
どう
るう
、
や
ら
年
た
二
てとかあちこ
っ
か
な
くるからね。
の連中に会わ
がシビアに出て
く数字が
がよくて推
そういう耳年増
の世界は数字
で、 みんなすご
高校のとき成績
ま
た
[重松] 大学で
[重松] あそこ
ま
た
。
よ
売れしてる時期
カ
です
バ
ん
る
が
う
え
ル
思
考
と
く
ャン
よ
た
っ
の悲劇として
そのときそのジ
が見いだせなか
[角田] ひとつ
[角田] しかも
きでも書く回路
たら、小説は好
年間が残
て
っ
(笑)。
行
に
大
分だけ
自
短
しれないその二
高いのに、
薦で地元の
抹消したいかも
は
に
的
ア
リ
ャ
りかえって、キ
か?
[重松] いまふ
んです。
てたと思います
すね。 実
ら、いまどうし
た
い
て
っ
ります?
な
う
あ
になったことで
[重松] もしそ
したものって
いて稼げるよう
で。
働
浜
で
横
分
、
自
ね
、
う
ど
ょ
イトしてたでし
どないんですけ
[角田] アルバ
[角田] ほとん
です。
めた、それだけ
思います?
と
早いよね、
た
い
て
り暮らしをはじ
け
づ
れでも開国から
[重松] 書きつ
から引越して独
家
け
けだ れど、そ
わ
た
し
、
ー
ら
ュ
た
ビ
っ
なか
「 海燕 」 でデ
いですね。
と
のかな。
さんが、書いて
[角田] 思わな
[重松] そのあ
、すんなりいった
うを選んだ角田
えずに来たから
手だから書くほ
書き出す
覚
苦
を
が
型
の
な
る
変
喋
。
、
)
好きだったら、
(笑
[重松] だけど
ほんとに
健三郎がすごく
江
大
、
ば
え
と
だ」って
いですか?
思いますね。た
ットで……。
「これでいいん
[角田] それは
非常にキツくな
バイトしながらネ
全然ないから、
ル
が
ア
れ
、
そ
が
。
の
す
る
で
う
かると思うん
。 いちばん考え
[角田] すごく
までに時間がか
(笑)。
ね。
なって
はその逆
に
か
と
王
かったんでしょう
女
多
の
けど、 角田さん
[重松] ブログ
思える部分が
ていうのもある
っ
。
く」
)
書
笑
を
。
(
説
ね
か
う
小
た
夢見てたでしょ
どんな感じでし
さん読んだから
[角田] それを
[重松] 「たく
瞬間って、いつ
小説
るんだ」と思った
の
け
と
書
ひ
も
の
に
年
分
学
自
が
労しましたよ。
上の
[重松] 「小説
だったんだ。
ことですごく苦
秦恒平さんが、
理が
、 読んでいない
は
生
業で先生だった
ら
「
授
で
か
の
体
て
し
初
語
ー
最
口
ュ
の
ビ
いますよね。
ルの、
[角田] 2 年生
[角田] でもデ
気と信頼を得て
」というタイト
き手としても人
き方で
書
んまるお月さま
だか?」
書
ま
の
う
「
評
い
。
書
と
す
は
で
」
ま
ん
だ
い
ん
、「あれは読ん
[重松] でも、
を読んでくれた
て 「あたし∼な
んな年上だから
い
み
聞
は
を
り
れ
わ
そ
ま
。
、
も知ら
とき
すごく短い話で
聞くと、「それ
でデビューした
[角田] 23 才
こない」と語る
ですか?」って
誰
「
。
ね
よ
す
て
で
ん
やっ
いる」 っ
ったときかな。
か?」って聞く
ジュニア小説で
知の最 底 辺に
いいんだって思
「これは読んだ
素子さんたちが
「 私いま、 無
井
の
き
新
と
ら
た
か
っ
り
入
わ
に
終
引き受
」 って。 大 学
て、 70 年代の
頼まれたら全部
[重松] それっ
ないのかあっ!
書評の仕事を
、
き
と
の
そ
、
ら
回やり直したか
ね。
たスタイルだよ
て感じをもう一
。
よ
す
。
で
す
ん
で
た
ん
た
かっ
[角田] 知らな
けようって決め
すもんね(笑)。
ね。 小
嫌い?
鎖国してたんで
がないんですよ
[重松] だって
[重松] 負けず
開き直る根 性
て
っ
」
や
い
「 最 底 辺でい
より、
[角田] という
[重松]
§ Shigematsu Kiyoshi
年 生。﹃ ビタ ミンF﹄︵ 直 木 賞 ︶ をはじめ、 泣かせたり勇 気づけ たり、 様々な
重松清
作風が魅力の小説家。
﹁早稲田文学﹂ の学生スタッフおよびデスクだった過去アリ。
63
貧しくてつらいもの
︵笑︶
︵角田︶
心者(笑)。
しょう?
家
作家」 扱いで
。
したんだっけ?
までは「読める
ないヤツがよく作
いてたんですよ
い
書
、
を
も
説
角田さんは就職
で
松]
小
[重
女
少
んだけ本を知ら
す
大学 3、 4 年で
年前はね、「こ
で
緯で
、
15
謎
経
私
う
。
。
。
)
い
う
す
笑
う
ろ
で
ど
だ
(
あ
い
。
ね
るん
てな
いな
[角田] 就職し
[角田] おかし
読む側に入って
学生作家ですよ
、どうしていま
していた、と。
に
の
ュー
た
ビ
て
デ
れ
に
わ
で
言
、す
[重松] つまり
になった」って
。そ
募したんですよ
んですか?
応
た
に
れ
さ
誌
ー
芸
ュ
文
。
ビ
ね
デ
すぐに
業がはじまって
い?
とき、 小説の授
[角田] 19 の
[重松] 感慨深
ますけどね。
でないって思い
チ
残って。
はやっぱり読ん
たいな話だな。
に
と
み
考
ん
、
ほ
選
た
も
終
っ
で
田]
最
ゃ
ら
ち
[角
した
に勝っ
きなり日清戦争
その後
化が始まってい
言ってたヤツの
[重松] 文明開
「 武 田 」 って
か
と
」
江
「大
で
期に
前
の
ん
さ
田
角
。でも、 成 長
(笑)
」 ですね
ョンマゲ時 代の
うな。
背骨のないひと
…口惜しいだろ
子
にな
「
…
い
は
メ
た
若
で
ダ
っ
、
ま
が
ゃ
ら
代
ち
膝
か
っ
と
時
い
る
くな
高校
[重松] 本当に
うさぎ跳びをや
いしもったいな
の人生、 知りた
年 齢がすごく若
かっちゃうとか、
か
読
「
、
で、
に
が
ど
の
症
け
子
た
す
曲
の
き
で
歪
て
代
ん
椎
い
と脊
んつ
落ちた
書く、 10
[角田] 最 終で
無理な運動する
に背筋がどんど
「10 代の子が
。それで、
んは逆に、 先
て
さ
っ
田
」
角
ら
。
た
ね
み
よ
ます
書いて
よ。
向けの雑誌で
っちゃうってあり
なと。
て書いたんです
ったひとなのか
ろう」と想像し
できあがってい
だ
が
ん
骨
る
背
あ
で
が
い
誌
後追
む雑
歴
に数々の受賞
、 別の名前で?
なぁ。
[重松] それは
[角田] そうか
たし、 若いうち
はすごく早かっ
)。
ー
く、
コ
ュ
笑
い
の
ビ
て
(
社
ど
デ
っ
け
英
に
育
ん
集
か
ら
せ
なが
とえば
言いま
んって確
[角田] はい。
[重松] 角田さ
ています。 書き
くる女性は、た
彼女 』に出て
だと、 僕は思っ
ん
品
の
ん
た
な
作
岸
っ
テ
の
対
あ
ク
ん
『
、
が
オ
さ
は
ジ
は
田
は角
イメー
根っこ
……じつ
[重松] そうか
なんだな、って
いか、と。それ
もあるけれど、
かったんじゃな
んでいたふたり
つ
いくところが多
少女小説を読
のが、30 代の
て
な
がらなにかを見
う
け
なも
な
よ
ん
つ
き
の
ろ
見
歩
庫
い
ら
、
か
文
が
り
識と
った
書きな
バルト
た子たちの自意
にかを得たり失
っ
さ
は
な
だ
、
ら
代
者
が
は
光
読
な
先
田
き
ト
ら
角
ル
生
こか
うに
にコバ
ちが、
るのですが、こ
から、偶然のよ
の登場人物た
です。 80 年代
りそうな気もす
したんです。だ
が
が
な
の
女
じ
つ
カ
少
感
も
ス
に
る
と
カ
と
当
い
ス
で
本
ルで
けど、
たりするこ
もにじん
、あえてユルユ
と思ってたんだ
行動や心理に
けたり捨て去っ
。というわけで
)
を描いたんだな
』
営
」
笑
花
、
後
(
風
い
は
の
『
な
分
は
そ
え
き
自
の
づ
ご
女の子
はうかが
説作家としての
、 角田さん、 つ
すがに雑談で
「コバルト的な
にして……ねえ
でした。 少女小
と
ん
こ
せ
う
ま
ら
い
も
て
思
し
は
ったと
を構成
小説の書き手だ
ままインタビュー
しませんか?
うでした?
ど
も飲みながらに
、
で
て
ル
め
ー
含
ビ
も
業成績
あたりで
す。
[角田] 最低で
[重松]
18
︵重松︶
§ Kakuta Mitsuyo
年 生 れ。 作 家。 小 泉 今日子 主 演 で 上 映 中の
﹃ 空 中 庭 園 ﹄ はじめ、 せつない
たし。
ってるひともい
ブームをまだや
生
学
大
、
し
た
なひともい
[角田] まじめ
したか。
ちに刺激されま
女子学生、どっ
と
す。
生
学
子
男
松]
[重
ルにあったんで
お芝居のサーク
スにはなくて、
ラ
ク
は
激
刺
田]
[角
出?
望だった? 演
って。
[重松] 女優志
いうところに入
あとろ 50'」と
て
「
。
ね
す
で
う
ほ
の
者
役
[角田]
な。
ど、そこは授
こを選んだのか
はすごく怖いけ
[重松] なぜそ
たんです。よそ
っ
うだ
そ
し
優
ん雰囲気が
[角田] いちば
のバックボ
……。
た
…… 角田さん
業優先だっ し
( 笑 )。じゃあ
ってる
漂
が
」
感
ウ
行きましたか?
ごく「フツ
時代にあちこち
[重松] ものす
ですよね。 学生
」
旅
「
は
の
る
ですね。
知られてい
帰ってきただけ
ーンとして最も
というか、行って
った
か
な
く
し
楽
り
。でも、あま
[角田] 何回か
外? 海
は
[重松] それ
回ぐらいかな。
三
は
外
[角田] 海
ったんですか?
[重松] どこだ
パンと……。
には、な
の
とは?
た
っ
行
エジプトとサイ
に
は
田
稲
(笑) ……あ
生
[角田] 海外
ざわざ東京の早
ル時代の大学
わ
、
に
の
た
っ
い
だ
、 かにもバブ
き
て
好
っ
浜
」
横
ン
け
パ
だ
イ
[重松] それ
[重松] 「サ
か?
いいかわか
があったんです
ークです。
だったとか?
ど、どうやって
け
だ
[角田] ニューヨ
ん
にか強烈な理由
た
っ
か
ま。でも一人旅
りた
す。 でも
子大生そのまん
っと小説家にな
で
女
ず
ん
ら
の
た
か
半
っ
ろ
後
あ
こ
代
が
の
[角田] 子供
[重松] 80 年
科のある大学
に(笑)。
、
ふたつだけ創作
旅は……金沢
の成績で
( 笑 )。 結 局
たら、 東京に
友達と。 一人
っちゃった
面談で 「あなた
者
三
[角田] いえ、
、
らないから調べ
ら
た
っ
、 わかんなくな
思
ら
と
か
う
だ
こ
、
行
て
で
く
薦
たので、 推
ごくわかりやす
[重松] ものす
勉強が嫌いだっ
」って。
あ……」
ん
せ
ま
き
で
たんですか?
薦
来
田( 泰 淳 ) がさ
(笑)。
いつ黒船が
はどこにも推
、たぶん
らみんなが「 武
よ
た
い
っ
な
行
き
に
で
パ
薦
嫌いだったら推
も、クラスコン
、と。
[重松] 勉強が
[角田] あ、 で
る道は開けない
話していて。
いと小説家にな
しな
さあ……」とか
験
受
で
れ
そ
(健三郎)が
江
大
[角田] そう、
「
か
と
?
てどんなでした
(笑)。
作家のイメージっ
つらだね(笑)
?」って
[重松] 当時、
[重松] ヤなや
、「どこの友達
)
笑 。
もしらないので
い知らさ
(
」
江
の
大
も
も
い
田
ら
武
つ
養
は
く
教 の差を思
[角田] 「貧し
[角田] わたし
れってある面で
そ
、
も
で
。
じ
。
…
)
説
…
笑
が
な小
信玄?」とか(
そんなイメージ
らしが大変そう
[重松] どこで
[重松] 「 武田
ないけれど、 暮
た?
太宰は貧乏じゃ
想 像す
っ
いもある
。
と
か
ね
」
な
す
う
け
で
ろ
負
か
だ
、
と
乏
じゃなかったせ
貧
[角田] 太宰治
れたわけだけど
あんまり魅力的
くる女 生 徒が「
が
て
ち
出
た
に
と
ひ
」
の
徒
そ
にいくひ
「女生
爆 笑 )。
かったですね。
はたぶん国文科
[角田] 負けな
ゃないですか(
ういうひとたち
こ
「
ら
か
た
っ
教養の時期だ
けど、まだ一般
るような。
たの?
て
っ
思
と
い
て。
い
っ
も
67
[重松] 貧乏で
とたちなんだ」
は?
きたいって意識
らっしゃ
い
て
し
ジ
ー
連
メ
う 中に追いつ
イ
[角田] はい。
[重松] そうい
う小説を書くと
。
い
た
う
し
ど
ま
ら
い
た
思
なっ
は
んと
家に
ろ、自分が作
かしなきゃいか
[重松] そのこ
[角田] なんと
だり、
移した?
本を買って読ん
[重松] 行動に
いました?
い名前のひとの
よね。
す
らな
で
知
ん
て
た
っ
っ
行
か
らな
街に
、まったくわか
したね。 古本
[角田] それが
[角田] 移しま
い、と。
んだり。
か?
ら書
、 作家になりた
な
名前を買って読
が
章
る
だ
文
い
ん
も
て
い
で
っ
な
き
残
。
ものはなんです
に
よ
ジで
す
耳
で
で
ん
話
た
会
[重松] イメー
っ
の
だ
ん影響を与えた
皆
手
ちば
苦
い
が
、
の
で
る
品
喋
作
く
。
や
です
にすご
作家
も小学校時代
よって出会った
ちが 続いてたん
[角田] そもそ
[重松] それに
校までその気 持
わか
ごくあって、 高
てどこ
か
す
い
が
い
」
。
ら
感
た
ね
い
す
快
で
書
ちばんの違いっ
「 書く
[角田] 尾崎翠
けるという
い、でもなにを
た作家との、い
た
っ
き
い
書
て
だ
し
た
り
、
通
て
素
作家像じゃなく
と、そのほかの
[重松] 尾崎翠
だから具体的な
い
違
の
家
作
と
ト
。
ナリス
だったんだろう
らない。
うんです。ジャー
つく
方向があると思
虚 構の世 界を
ないかなあ。
ゃ
「
、
きに、 二つの
じ
と
性
求
相
田]
欲
う
[重松] そのと
[角
い
と
?
い
で表 現したい」
た
と、どんな感じ
葉
き
言
描
を
を
界
会
世
社
性を言葉で言う
ックに
「 現 実の
[重松] その相
というか、
ャーナリスティ
。
ジ
て
、
っ
は
」
合
?
の
場
んの
でいい
欲求。 角田さ
いいの? これ
[角田] 「あ、
りたい」という
思ってたんだ?
か
と
」
だ
き
べ
ある
は「小説はこう
なかった?
で
は
ま
。
で
れ
す
じ
そ
松]
で
感
た
う
[重
っ
い
と
ととか。
らなか
の
か」 みたいなこ
をあまりにも知
いまの角田さん
べきか死ぬべき
たですね。 社会
る
き
生
田]
「
[角田] なかっ
[角
という発見は、
?
ないほうだった
れでいいの?」
ら
こ
知
「
も
の
て
き
べ
と
比
の
友達と
ど。そ
[重松] 周りの
[重松] なるほ
婆
えば子供からお
響してますか?
影
う
ど
に
[角田] はい。
すいこと―たと
作品
うより、 読みや
。
と。
い
し
な
と
た
い
界
。
っ
た
世
う
か
き
ょ
な
品
書
し
が
作
を
で
もの
奇心
たん
すね。
[重松] なぜだっ
[角田] そうで
外の世界に好
、自分もこういう
ったからかな。
めるという点で
す。
か
読
で
な
で
ん
が
ま
た
ち
後
だっ
持
最
き
く
気
は好
やす
という
[角田] 知ろう
となりを書くの
さんまでが読み
いてきて見たこ
したことなり、歩
験
経
が
分
自
、
でも
セ
く日常的なエッ
ートル以内を描
日記ですよね。
どうでした?
の、 半径50メ
か
と
ん
光代の才能は
さ
誠
名
ろだと椎
で女優・角田
[重松] あのこ
[重松] ところ
は読みました?
の
も
う
い
う
そ
代には
からでしたし。
よね。 高校時
すね。
[角田] ないで
も大学生になって
イが人気でした
さんを読んだの
誠
て
名
椎
。
ね
す
で
くとも表面的に
ごく抑揚をつけ
な
った
めだった?
少
か
だ
、
な
が
て
ま
こ
っ
読
ど
松]
田]
ん
[角
[重
いんですね。す
田さ
域がすごくせま
さんといまの角
音
田
。
、
角
し
で
い
の
題
な
代
問
出
時
声も
、 高校
んは声の
[重松] なんか
[角田] いちば
ちゃう。 大きい
…。
みみたいになっ
えるんですが…
を言っても棒読
思
に
に
な
い
、
。
た
ら
な
み
か
い
対
だ
た
航み
は正反
も平淡
(笑)。 黒船来
でした
た。
は?
ね、 私の開国
[角田] 大学が
[重松] 演技力
評価されなかっ
けど、あんまり
んばってました
が
は
で
分
自
田]
[角
うとは?
じたいという思
び上手 」 のイメ
シナリオに回ろ
きで、それを演
[重松] 演出や
生といえば「 遊
学
大
、
で
残
脚本がすごく好
名
の
の
輩
ム
先
ー
る
ブ
あ
生
たですね。
だと女子大
[重松] 85 年
[角田] なかっ
生がいました?
う。どんな同級
ょ
し
で
ろ
から。
こ
た
た
っ
っ
か
いが強
ージがあ
角田光代
けれどやわらかい作品たちが人気沸騰中。 ほとんど冒険の旅エッセイもオススメ。
作家のイメージってどんなでした?
場所かな。
繁に行われてる
、イベントが頻
しろ
に
ト
ー
サ
しろコン
[角田] 芝居に
け
しました?
いとどこにも行
町歩きとかって
と
あ
の
そ
松]
[重
しても、知らな
にしても新宿に
谷
出
渋
を
。
口
ね
東
よ
宿だと
ったんです
[角田] しなか
ってるのに、新
にいろいろ固ま
所
」
カ
ぁ
一
な
だ
は
ろ
浜
すか。 横
にもないとこ
ないじゃないで
「 新 宿ってなん
から、
だ
。
で
い
ら
ぐ
あるな」
ても「 伊 勢 丹が
ね。それ以外
。
)
定してたんだよ
(笑
って
マークを先に設
ド
ン
ラ
に
き
と
く
とは町を歩
[重松] ってこ
になっちゃう?
じ
感
は平坦な
(笑)。
ゃない?
見えません
とぜんぜん逆じ
[角田] はい、
するときの視線
を
旅
が
さん
田
……。
、いまの角
るんだろうけど
[重松] それって
もたぶん関係あ
と
と
こ
た
っ
か
だったんだ。
はっきりしな
うではない少女
[角田] 趣味が
かもいるけど、そ
と
女
少
劇
演
か
文学少女と
[重松] 早熟な
ね。
す
で
[角田] そう
19
部屋①
ー 重松清の
連載インタヴュ
夜
前
国
開
の
角田光代
品を
愛読者や、 作
角田光代さんの
てもらいます。
と肩
せ
い
さ
を
が
ー
ん
ュ
あ
ビ
も、
インタ
[重松] ユルい
ユルさです。で
訳ないぐらいの
し
覗い
申
が
は
に
」
と
骨
ひ
背
の「
でいる
批評的に読ん
えにこそ、 作家
タビューへの答
そも
イン
、
の
が
ャ
す
ニ
で
たの
ニャフ
ここにうかがっ
の力を抜いたフ
と期待を持って
望
18
希
が
な
ん
ん
さ
そ
田
。
いか
う。 角
てくれるんじゃな
になったんだろ
いつ「 作 家 」
、
は
家
作
う
代とい
そも、 角田 光
年ですか?
西暦でいうと何
、
て
っ
き
歳のと
くらいです。
[角田] 85 年
いてました?
ろどんな音楽聞
[重松] そのこ
たね。
にハマってまし
[角田] サザン
それとも曲?
?
の
きだった
[重松] 詩が好
(笑)。
かな
ょう……ぜんぶ
よかったんでし
[角田] なにが
ましたね。
以前は?
を借りたりして
[重松] サザン
達が聞いてるの
友
、
て
く
な
が
りした好み
[角田] はっき
て文学でも?
たんだ。それっ
かが流
るものがなかっ
す
ンだとハマトラと
愛
[重松] 偏
ときのファッショ
の
い
ら
く
る
が
上
に
。
校
た
えなかっ
ても。高
[角田] 文学にし
まりないから買
お小遣いもあん
すんですけど、
指
目
。
を
だ
ん
それ
た
、
行ってて
だりはしなかっ
にお金突っ込ん
トをしてオシャレ
すね(笑)。
[重松] バイ
ら
、つ かったで
禁止の学校で
が
ト
イ
バ
。
い
[角田] は
でしたよね。
は、 東京近郊
しいですけど。
[重松] ご出身
筑区っていうら
…
す… いまは都
で
区
緑
の
浜
[角田] 横
山の手系?
て感じじゃなくて
(笑)。
ことは、 港町っ
の繁華街だった
[重松] という
辺
周 が世界一
駅
浜
横
ろ
こ
の
長渕剛的な
ですね。そ
的な、あるいは
[角田] 田舎系
京は矢沢永吉
東
、
は
て
っ
と
ら見た東京って
にいたぼくに
浜の高校生か
[重松] 山口県
んですが、 横
た
っ
だ
ジ
ー
メ
東京 」 のイ
「花の都。 大
?
どんなだったの
20