講 演 要 旨 『小惑星探査機「はやぶさ」の話』 講師 宇宙科学研究所 安全・品質保証室 室長 清 水 幸 夫 氏 今日は小惑星探査機「はやぶさ」の話をさせていただきます。できるだけゆっくりと簡単にご 説明させていただいて、最後の方にはできるだけ皆さんの方から質問をたくさん受けたいと思っ ています。 まずは「はやぶさ」の話を続けさせていただきます。ここには、1 985年に宇宙科学研究所で始 まった、「小惑星サンプルリターン計画」というサブタイトルをつけました。「はやぶさ」は、 去年20 1 0年に地球に戻ってきたわけですが、2003年に打ち上げました。当初の計画では、1 990 年代に探査機を打ち上げて、2 1世紀になる前に小惑星からサンプルリターンをしたいという意気 込みで始まりました。ターゲットになっていたのはアンテロスという小惑星でした。 ふつう宇宙用のエンジンというとロケットエンジンです。H-ⅡAロケットとか火薬で飛ばす ようなロケットエンジンが頭に思い浮かびますが、一度地球の重力を脱してしまうと、むしろ燃 費のいい長い間使えるエンジンがいいということで、今でも欧米諸国では、電気推進というエン ジンが載せられています。そのエンジンを使って小惑星へ行きたいという構想でした。これは私 たちの太陽系を上から見たところです。真ん中に太陽があって、地球の軌道がここにあります。 それから、ここの同心円状にあるのが火星の軌道です。ちょっと太くなっているのがアンテロス という小惑星の軌道で、地球と火星をまたぐような大きい楕円軌道をとっていました。ここへ地 球から出た探査機が火星の所まで行くような小惑星にたどり着くためには、それなりの推力が必 要なので、そこに電気推進を使おうとしていました。これがそもそもの小惑星サンプルリターン 計画の始まりだったんですが、日本では、どういう装置が必要かということが脈々と研究課題と して残ってきました。 いよいよ「はやぶさ」に予算がつき、計画が始まったのが1 996年でした。当初の計画から1 0年 位たちましたが、計画がだんだん実現化しました。 これは「は やぶさ」の主 な機器を描い たものです。 「はやぶさ」 はここに本体 があって、両 翼に翼があり ます。この翼 には太陽電池 パネルが貼っ てあって、端 から端まで大 ― 39 ― ― 40 ― 体6mです。本体の大きさは、1.6m×1.5m×1mですから、先ほど中央にあった演台1個 ぶん位の大きさです。それに両翼の翼があるので、もしここに「はやぶさ」をもってくると、こ のスクリーンより一回り大きいところに置くことができる、それぐらいの大きさでした。打ち上 げた時の重量は、燃料をすべて入れて5 1 0㎏でした。燃料を除くと380㎏なので、いかに小さい探 査機かということが分かります。人工衛星などを想像する時に、人が想像する大きさはそれぞれ 違いますが、例えば来週打ち上げられる宇宙ステーションに行くためのHTVという補給機があ りますが、小型のバスぐらいの大きさです。ここに置くと、この演壇にそっくり乗るくらいの大 きさですが、それと比べてもこの「はやぶさ」はかわいい探査機だったことが分かります。それ から、ここにお皿があって、地球と交信するために設けられたアンテナがありますが、これが非 常に大事で、すごく遠い距離まで通信をすることができます。ただし、すごく感度がよくて、あ る方向から少しでもずれると通信ができなくなるので、地球を見るためにはしっかりとアンテナ を地球に向けなくてはなりません。ただし重量制限があったので、このアンテナは本体に固定さ れていました。それから太陽電池パネルも動かすことができなかったので固定式です。ちゃんと 動かして、いつも太陽を見れるようにすればいいのですが、そのためのモーターだとか、それを 計算する計算機等が重くなるので、「はやぶさ」はほとんどの物が固定式になっていました。難 しい運用をするために、例えばこの両翼には「中利得アンテナ」という中程度の、そこそこの通 信レベルがとれるようなアンテナがあって、それは一つだけが上から下まで位置軸の角度を1 00 度くらい傾けることができました。太陽電池パネルは、必ず太陽を向いていないと電力を発生で きないので、この上の面は必ず太陽を向いています。それから、このお尻の下にはたくさんの観 測機器があって、観測機器も必ず小惑星を向いているところにいくつも付けてあればいいのです が、やはり重量の問題でお尻の方にまとめておきました。 「はやぶさ」が何を目的に作られた探査機なのかを説明します。当初サンプルリターン計画を やるために、日本がまだもっていなかった技術を確実に手に入れること、その技術を「はやぶ さ」を使って獲得しようとしました。技術の1つ目は、電気推進ロケット。イオンエンジンと書 かれていますが、電気を使って宇宙を動き回ることができるエンジンを、日本独自の技術として 確保しようというのが一番目の目標でした。2つ目は、自律航法。ちょっと難しい言葉ですけ ど、自分の頭で考えて、地上からの命令を待つのではなく、自律した探査機、ロボットのような 頭のいい探査機を作り上げること。地球の周りにいる人工衛星は、地球との間の連絡が簡単に取 れるのですが、「はやぶさ」は太陽の向こうにまで行ってしまうような、遠くまで行くような探 査機だったので、自分で考えて、自分で行動してくれるような自律型の探査機を作り上げること が2つ目の目標でした。3つ目は、微小重力下でのサンプル採取。小惑星に到着した時にいろん な観測をしますが、その後探査機は、小惑星からサンプルを取って、それをどうやって持ち帰る かということの技術ができていなかったし、それは世界的にもロボット型の探査機が他の天体に 行って物を取ってくるというのは、旧ソビエトが月から無人で石を持ち帰ったということはあり ますが、ほとんどの国で技術が確保されていない状態でした。かつ、旧ソビエトは月という非常 に重力のある天体だったけれども、私たちが行った小惑星というのは非常に小さな小惑星なの で、ほとんど重力がありません。そこで科学者は、どうやって重力の無いところからサンプルを 取るかということを、打ち上げ前にいろいろアイディアを出して、そのアイディアが本当に使え るかということをいろいろ試験しました。例えば、一番簡単に思いつくのは、マジックハンドの ような物を探査機から出して、表面から物をつかんで持って帰る。そういう方法を一番最初に思 い浮かべることができますが、重力がありませんので、触れた瞬間「はやぶさ」と小惑星はそれ ぞれ反発して、作用・反作用と同じように、逃げてしまうという問題がありました。それからマ ジックハンドで、もしそこが巨大な石や岩であったりすると当然つかめません。ですから、マ ― 40 ― ― 41 ― ジックハンドのようなものではできないかもしれないという危惧が あって、そのアイディアは却下されました。もう一つ思い浮かぶの が、粘着力のあるカメレオンとかハエ取り紙のような物で表面の物質 をペタっとくっつけて取ればいいというアイディアもありました。し かし、表面状態が岩であった時にくっつけてもって帰れるかどうか、 ハエ取り紙のようなものがちゃんと表面に到達して拾い上げることが できるかというところに困難さがあると予想されて、それも却下され ました。最終的には、弾丸を探査機から打ち出して、表面状態が岩で あったり石ころであったりどんな状態であっても、弾丸が弾き飛ばし てくれた物がちゃんと筒(サンプラーホーンと言いますが)を通して 取り込めるということを実験で確認した結果、最終的にサンプル採 取方法は、弾丸発射方式になりました。今から思うと、この弾丸は実はソフトウェアの失敗で発 射されませんでしたので、ハエ取り紙方式もひょっとすると有効だったかもしれません。4つ目 は、獲得した表面のサンプルを地球に持って帰る時、大気層を通る際の発熱で私たち科学者が要 望していた原始的な太陽系の物質を壊してしまうと、科学的な価値を失うことになるので、しっ かり保存できるカプセルを作る必要がありました。そこで回収カプセルが考案されました。この 場合、スペースシャトル等と比べても非常に高い温度から守ることができるカプセルが必要でし た。この4つの大きな技術的な課題が、当初探査機に与えられた使命でした。 私たちはいつもそうですが、どこまでやればこの「はやぶさ」のプロジェクトは成功したか、 計画を行う前に目標を策定します。ミニマムサクセス、フルサクセス、エクストラサクセスとい う3つの成功基準があります。1つ目は、ミニマムですから、「ここまでできれば、まあ成功し たことになるでしょう。」という基準です。フルサクセスは、当面はできることをすべて確認し たいという標準的な成功基準です。エクストラサクセスは、十分いろんなことが技術的に確保で きて、科学的にも世界に誇っていい成果があり、予想以上の成果が得られたレベルです。それら が成功したか失敗したかを書きました。「はやぶさ」は行って帰ってくるまでにたくさんの困難 があって、最終的には運もよく無事にこの成功基準を満たすことができました。ここに小惑星か らのサンプルの採取に成功と書いていますが、この「成功」には実は私たちの自戒が込められて います。どういうことかというと、サンプル採取をするための弾丸が発射されませんでした。で も不時着したので、結果オーライというか最終的にはサンプルの採取が運よくできました。だか ら成功したけれども、それは偶然の産物であったということです。それから、地球に持ち帰った サンプルを科学的にどういうサンプルがあったのか、これはなかなか紹介されない部分ですが、 私の仕事の関係でもあったので、せっかくの機会ですから皆さんにご紹介したいと思います。タ イトルは「はやぶさ打ち上げ前の安全検証」です。どの探査機、人工衛星、ロケットの打ち上げ でも、飛ばした時に私たちの暮らしを危険に陥らせるようなことがあってはいけないので、その 打ち上げられるものは安全かどうかという審査があります。私たちは、最初「はやぶさ」特有の 安全面というところに気をつけました。それは、地球に戻ってくるので、安全に戻れる場所が確 保できているかということです。そこでいろいろな国と交渉し、オーストラリア政府と打ち上げ 前に再突入とカプセルの着陸の安全について確認をして許可を得たので、オーストラリアの領土 内(陸地)への着陸ということで開発を進めました。「はやぶさ」が地球に戻ってきた時に、地 球の面積の7割を占める海に落とすということもあり得ましたが、そうするとたくさんの余計な 物、例えばカプセルを回収するまでの間ちゃんと居場所が分かるような発信器、あるいは船が到 着するまでちゃんと海上に浮いてくれているような構造のカプセルなどを作らなければなりませ ん。幸い陸地に落としていいということだったので、そういう余計な重量を考える必要はありま ― 41 ― ― 42 ― せんでした。これが「はやぶさ」成功の一つの大きな理由といってもよいと思います。それから 打ち上げの安全、これはすべてのロケットがそうなんですが、ロケットが変なところに飛んで 行って、例えばアメリカに飛んで行ってアメリカに落ちてしまうようなことがないように、ちゃ んとロケットの安全性が保たれているか、あるいはロケットを狂わせるような探査機になってい ないか、ということを審査します。それから、これは皆さんには非常になじみがないかもしれま せんが、惑星保護という観点から探査機を打ち上げています。この惑星保護というのは、大きく 分けると2つのことがあって、1つは「はやぶさ」から変なもの(ウィルスや病原体)を持って 行って、到着した惑星や小惑星にいるかもしれない宇宙生命体を絶滅させるような地球上の悪い ものを持ち込む恐れはないかという点。もう1つはその逆で、私たちが知らない未知の物質や生 命体を地球に持ち込んで、地球上にいる生命の生存を脅かす、そういうものをもちこむ恐れはな いかという点。この2つの点の安全が確保されているかということを、国際的に(国連の下にあ るコスパーという機関によって)審査にかけてもらって、私たちが行ったイトカワからは持って 帰ってもいいし、「はやぶさ」はそこに着陸してもいいということを、科学的な根拠をもとに許 可を得ていました。そういういろいろな準備をして打ち上げられました。 これは日本が持っている4つの技術的課題のうちの1つ目です。私の専門に近い部分ではあり ますが、ここにイオンエンジンというのが(この板の上に4台のイオンエンジンのヘッドが)積 まれています。このエンジンの出 力(推力)は非常に小さなもので す。3台いっぺんに吹かしても、 20ミリニュートンという力の単 位しか出せません。20ミリニュー トンという、1円玉(1g)でい うと2つぶんしか出ないような力 です。でもこのエンジンは非常に 特徴があって、比推力(宇宙用の エンジンの特殊な言葉で車のエン ジンでいうと燃費のようなもので)が高いので、宇宙用の人工衛星のエンジンには、一番マッチ しています。こういうエンジンができたことによって、非常の遠い天体にも行くことができまし た。もしこのエンジンがなくて、普通のロケットエンジンン(化学エンジン、物を燃して推力を 得るようなエンジン)を使うと、重さたった500㎏の「はやぶさ」は、たぶん1.5tぐらいの衛 星になっていました。すなわち1tぐらいの燃料が必要だったのです。そしてそれを打ち上げる ためのロケットはもっともっと大きくなって、「はやぶさ」計画そのものができなかったと思わ れます。だから、このイオンエンジンを日本がうまく働かせたというのが、世界で最初に小惑星 に行って物を持って帰れる原動力になりました。 2つ目が自律航法。ロボットのような探査機になってほしかったという例です。ここでは左側 に星のカタログがあります。これは海図と呼ばれているものに匹敵するもので、星座表がありま す。私たち地上では、「はやぶさ」が持っていた星のカタログと同じものを持っていました。そ れから、これは星のセンサーです。星を見て、その星がどれくらいの強さで輝いているか、星が いくつ、どの方向に見えるかという、星を見るためのカメラが載っていました。右側が「はやぶ さ」が見た星の位置と星の明るさです。ここに1番と書いていますが、星がセンサーに映り込ん だもので、「はやぶさ」が見ているはずだと予測した星のカタログと、実際に「はやぶさ」が見 ていたものを見比べると、確かに一致していました。「はやぶさ」は1秒間に一度こういう星の チェックをしていました。もしどこにいるか分からないという時には、地球から「今、君はここ ― 42 ― ― 43 ― を見ているはずだよ」ともう一度「はやぶさ」に教え込んで、星の位置と現在位置をリセットす ることになっていましたが、「はやぶさ」は地上からの助けがなくても常に自分の位置が分かっ ている状態でした。 3つ目は、サンプル採取のために「はやぶさ」を試験した時の写真です。「はやぶさ」の探査 機自身はここにあるのですが、この探査機からサンプラーホーンというものを伸ばして試験をし ている写真です。このサンプラーホーンは、くにゃくにゃと曲がる柔らかい構造になっていま す。「はやぶさ」は実際は秒速4㎝の速度でずっと小惑星の表面に向かって行って、ここでタッ チダウンをします。タッチダウンすると、サンプラーホーンは柔らかい構造になっているので、 ぐにゃっと曲がりかけます。曲がりかけるといつも発射されているレーザー光線が戻ってこない ので、着陸したと判断し、激突しないように上昇し、1秒間だけ着地(設置)した状態で弾丸を 発射し、そこでまき散らされたものをサンプラーホーンを通してカプセルの中に収納するという 仕組みでした。くどいようですが、この弾丸はソフトウェアのミスで発射されませんでした。着 陸する時にこのサンプラーホーンの端が表面にぶつかったことで、小さな塵のようなものがまき 込まれてカプセルの中に残っていた、というのが今回地球に戻ってきた運のよかったところだと 思っています。 4つ目は、それを地球に持って帰るためのカプセルですが、下を地球 の大気に向けて落として、上の中にはパラシュートがついています。こ のパラシュートが高度5㎞のところで開いて、ゆっくりと降りてくると いう方法をとりました。この直径が40㎝、重さが1 7㎏もあります。「は やぶさ」の重さは、全体で380㎏だったので、このカプセルの1 7㎏という のは1つの装置としては非常に重いものでしたが、惑星のサンプルを持 ち帰るためにこの重さはしかたなかったと思っています。 次は、地上の設備の紹介をします。このアンテナは長野県の臼田というところにある深宇宙と 通信するためのアンテナです。直径は64mありますので、たぶんこの会場いっぱいくらいです。 ここに三階建の小学校くらいの建物があります。こういう大きなお皿(パラボラアンテナ)を使 わないと「はやぶさ」との通信は確保できませんでした。これは非常に古いアンテナですが、今 でも遠い所の探査機等と通信するのに使っています。「はやぶさ」と地球とを通信していると、 向こうの3億㎞離れた先の数㎝の動きがよく分かるということから、私たちはアンテナの威力を 経験しました。 「はやぶさ」の打ち上げがうまくいって、2年半後イトカワというところに到着できました。 それは2005年9月でしたが、2年間イオンエンジンをずっと吹かした結果、太陽の向こう側の 3億㎞離れたところで「はやぶさ」はイトカワに到着しました。一番最初1000㎞離れたところ でイトカワを撮影することができましたが、ここからは私たち工学者の手から「はやぶさ」を科 学者に引き渡して、9月から1 2月までの3ヶ月間、科学者が「はやぶさ」の運用に携わることに なりました。これは、一番最初イトカワというところに到着した時の1週間の写真を重ねたもの ですが、初日1 000㎞だったものが2日目に700㎞、450㎞とどんどん近づいていって、最初は点 だったものが「えっ、こんな格好してたんだ」というのがやっと分かるようになりました。 科学者はイトカワへ行って何をしたかったのかということがここに書かれています。ちょっ と読んでみます。「『はやぶさ』の科学的な目的。太陽系がどのように形成されたかを理解す る。」太陽も私たちが住んでいるこの地球も、一番最初46億年前に宇宙の塵という同じ物質から できたわけですが、太陽は熱く輝いているし、私たちの地球や火星もいったんすべてどろどろに 溶けて球形になっています。惑星ができる時には、微惑星と呼ばれている小さな惑星がどんどん 降り積もって溶けていって、宇宙の物質を集めて惑星になっていくのですが、その惑星ができる ― 43 ― ― 44 ― 過程で宇宙の物質というのはすべて溶けて熱的に変化しています。ですから、46億年前に私たち の太陽系ができた時の物質は残っていないと考えられています。科学者は、46億年前の物質は どこに行けば取れるかと考えた時に、できるだけ太陽から遠い所に行った方が、何も熱的な変形 がされていない物質が残っているので、できるだけ遠くの物質を取りに行きたいと思っていまし た。 これから隕石の説明をしたいと思います。ここには2つ隕石を並べました。1つはアエンデ隕 石、もう1つはミルビリリ隕石。この2つの隕石は名が通った隕石です。今日会場で回している 隕石の1つがアエンデ隕石です。先ほど受付の後ろのところでお話を聞いていたら「42,000円、 高いですね。」という声も少しありました。この隕石が非常に有名になったのは、成分を分析す るとこの中に46億年前の物質が入っていたからです。これが私たち太陽系が46億年前と話して いる根拠です。人類は、このアエンデ隕石の中に含まれている46億年前の物質より古い物質をま だ手に入れていません。だから、このアエンデ隕石の中に含まれている物質が、私たちの太陽系 紀元0年になっているのです。 目的地の小惑星イトカワは、選ばれた小惑星でした。「なぜイトカワなのか。」という質問を よく受けますが、次のような理由からです。まず、私たちが持っているロケットで行って戻って くるには時間がかかるので、向こうから地球の近くに来てくれる小惑星を探しました。そうする と約350個ぐらいあったのですが、できるだけ小さくて、石ころでできた宇宙風化が進んでいな いところへ行きたかったとので、Sタイプという小惑星を探すと25個ありました。その25個の中 から、その時打ち上げて行けるところを3個にしぼって、さらに大きさとか自転の回転数とか着 陸する場所があるかどうかを検討して、最後は2つにしぼりこみました。このうちの1つがイト カワだったわけです。イトカワというは非常に小さく、行ってみて、精密な計測をしてみると端 から端まで540mでした。大館市の上空から見た時にこのイトカワというのは、ちょうど桂城公 園を真ん中に置くとちょうどこの辺に置けるくら いの大きさです。 最後には、「はやぶさ」の軌道上でいくつもの 試練があったのですが、それについてお話をした いと思います。1つ目は打ち上げてすぐに、私た ち人類が今まで経験しなかったような太陽の大 きな爆発が2度ありました。しかし「はやぶさ」 は、磁気嵐、太陽の爆発の影響を受けず宇宙を進 むことができました。それから2つ目、これは非 常に大きなトラブルでした。「はやぶさ」にはリ アクションホイールという姿勢制御をするという 装置が3台載せられていましたが、そのうちの2 台がイトカワに到着する前に壊れてしまい、姿勢 制御をする道具を失ってしまいました。姿勢制御 ができなくなると、例えば太陽を見ていないと電 力を確保できないのですが、それすら難しくなってしまって「はやぶさ」の生き死ににかかわっ てきます。それを解決する方法として、ガスジェットと呼ばれる、エンジンを吹かして、その力 で姿勢制御をしたのですが、それでとにかくイトカワへの着陸まで成功させました。ところがイ トカワに着陸して、そろそろ地球に帰らないとたどり着けないというぎりぎりになって、軟着陸 をした時に燃料パイプにひびが入っていて、そのひびから燃料が漏れてしまいました。そういう ことがあって、実は「はやぶさ」は姿勢を崩してしまいました。それでも「はやぶさ」は太陽を ― 45 ― ― 44 ― 見ながらくるくる回転して姿勢を安定させていたのですが、ここから通信がストーンと弱くなっ ていって、1 2月8日についに通信が途絶えてしまいました。それでも毎日毎日、「はやぶさ」に 「地球と通信をしなさい。」というコマンドを送り、「はやぶさ」から応答がくるのをずっと 待っていたところ、翌年1月23日に「はやぶさ」が答えを返してくれました。ここで「はやぶ さ」がちゃんと生きているということが分かり、「はやぶさ」に「いろんな情報をください。」 と伝え、一つずつこなしながら、「はやぶさ」のどこが悪くてどこが正常かということを見極 め、地球に戻ってくるための相談をしたわけです。この時点では、はずみ車(リアクションホ イール)が2つ壊れていて、それをバックアップするための宇宙用のガスジェットというエンジ ンも壊れているので、私たちが使える道具というのは、太陽を向いているZ軸という軸まわりの はずみ車と、宇宙を旅するためのイオンエンジンしかありませんでした。最終的にはイオンエン ジンと太陽の光と角度調整によって気長にゆっくりと姿勢制御を行い、地球にやっと戻すことが できました。また、イオンエンジンは、2台をそれぞれ独立してイオンと電子を別々に出して 使っていましたが、故障して使えなくなりました。そこで壊れているもの同士のイオンを出す物 と、電子を出す物を1つのエンジンとして使うことができました。イオンエンジン自身はほとん ど3月いっぱいまでがんばってくれて、その後最終的にイオンエンジンは、オーストラリアに落 とす姿勢制御のために4月から使い始めました。 いよいよオーストラリアに「はやぶさ」を落とす日、日本時間の夜の8時頃にカプセルを分離 して、「はやぶさ」が燃え尽きたのは夜の1 1時半頃でした。その間の3時間ちょっと、地球に到 着して燃え尽きるまで時間がありました。その時間を使って私たちは、「はやぶさ」の最後の仕 事に何を選ぶか考え、いろんな人がいろんな提案をしました。その中で川口先生が選んだのが、 「最後に、はやぶさに地球を見せてあげたい」とい うことでした。 これが「はやぶさ」が地球を見た最後の写真で す。このカメラはいろんな写真を撮ってきましたけ れども、「はやぶさ」がやっと地球を振り向いて写 真をとったのですが、ここでデータ伝送が切れてい るんですね。「はやぶさ」自身は、写真を撮ってそ のデータを持っていたけれども、地球に全部のデー タを伝送する前に燃え尽きてしまったので、ここで 伝送が切れてしまったということです。 これが最後になりますが、今朝こちらのホテル で朝のニュースを見ていて、「えっ」と思って、 急きょ作ったスライドです。今朝のNHKニュース で、今年の7月に秋田の能代実験場でカプセルの一 般公開がありますと流れていました。宇宙科学研究 所のホームページで確かめたのですが、日付とか場所についてはまだ載っていませんでした。た ぶんNHKで流れているので一般公開はされると思います。ちょっと能代まで時間はかかります が、もし興味があれば見に行ってください。JAXAがもっている能代実験場で、夏休みちょっ と前ですが、「はやぶさ」カプセルのうち4つがセットで公開されるということでした。以上長 くなりましたが、おしまいです。どうもありがとうございました。 ※講演後、4名(内、子供2名)から質問があり、具体例を挙げながら答えてくださいました。 ― 46 ― ― 45 ―
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