消化の学習における新しい実験法の開発 ~デンプン溶液の濃度と消化

科教研報 Vol.24 No.2
消化の学習における新しい実験法の開発
~デンプン溶液の濃度と消化時間の関係に注目して~
Development of a new experiment in learning of the digestion
― Focus on relation between the density of starch solution and digestion time―
新井 麻里
ARAI, Mari
霧島市立富隈小学校
八田 明夫
土田 理
HATTA, Akio TSUCHIDA, Satoshi
鹿児島大学教育学部 鹿児島大学教育学部
Tomikuma elementary school, Faculty of Education Kagoshima University, Faculty of Education
Kagoshima University
【要約】小学校におけるデンプンの消化実験は,昭和 40 年代から現在までさまざまな工夫がなさ
れてきた。本稿では,だ液の働きを理解しやすくするために,児童に身近で体温ほどの低温でもだ
液による分解が行われるご飯粒溶液を用いて,ヨウ素液の青紫色が無色になる色の変化が見やすい
ろ紙を用いた実験方法を紹介する。そして,授業実践の結果から,開発した実験教材に有用性があ
ることを明らかにした。
【キーワード】だ液,ろ紙,デジタルカロリーメータ
1
はじめに
3.先行研究
だ液アミラーゼがデンプンを分解する働き
大正 13 年~平成 16 年検定の小学校理科教科
は,消化の第 1 段階として重要な役割を担って
書において,デンプンの消化実験の内容を調査
いる。小学校第 6 学年で扱われる「デンプンの
し,特徴的な結果を示す。
消化実験」は,唯一採取可能な消化液であるだ
まず,素材は,デンプンのりが最も用いられ
液を用いて行われる実験であり,長い間実践や
ていた。しかし,ご飯粒は児童にとって最も身
工夫がなされている。しかし,保温時間がかか
近なデンプンであり,実験の利用価値が高いと
ることやヨウ素デンプン反応の発色が一定で
考えられる。つぎに,だ液の採取方法は,口に
ないことから実験結果に差が生じることがあ
水を含みだ液を希釈する方法が最も使用され
る。
ていた。現在では,ストローが使用されている
そこで本研究では,デンプンの消化実験にお
が,だ液への抵抗感を減らす効果があるのか調
ける新しい実験教材を開発し,授業実践の結果
査が必要である。そして,保温方法だが,どれ
から,開発した実験教材の有用性について検討
も湯を使用している。そのため,記述されてい
する。
る保温時間は「しばらく」や 10 分,30 分であり,
2.研究の目的
時間が経つと湯の温度が低下するので温度を
だ液による分解性が高いデンプンの素材と,
一定に保持する困難さがある。温度が変化する
呈色の観察に適した実験条件を明らかにする。
ということは,ヨウ素溶液による呈色の結果に
そしてこの結果をもとにして,デンプンの消化
影響を及ぼす。よって,温度を一定に保つ工夫
実験における新しい実験教材を開発する。また,
や,保温時間の短縮が必要である。このことか
それを用いた指導案を提言実践し,授業実践の
ら,観察に適した実験条件を明らかにする必要
分析から,実験教材の有用性について明らかに
があると考えられる。
する。
137
4.児童の実態調査
2)測定方法
1)対象 鹿児島県日置市立住吉小学校
デジタルカロリーメータにつないだ比色計
対象者:5,6 年生複式学級男子 3 名女子 6 名
を使用した吸光光度法を用いて,だ液により分
2)調査内容
解されなかったデンプン溶液の吸光度を算出
デンプンの消化実験における新しい実験教
材を開発するために,事前に行なった教科書に
し定量的に分析した。また,呈色変化も調べた。
3)基本条件
紹介されている実験内容について質問紙調査
1.0%の各デンプン水溶液 1.0ml を用意し,だ
を実施した。特に,ストローによるだ液の採取
液溶液(水 2.0ml を 2 分間口に含み採取した)
方法,ヨウ素溶液による呈色の観察について調
を 0.1ml 加え,38℃の湯の中で保温し,1N 塩
査を行なった。
酸 2 滴(約 0.08ml)で反応を止めヨウ素溶液(30
3)結果と考察
倍に希釈した)を 1 滴(約 0.04ml)加えること
ストローを使用しただ液の採取方法では,口
を基本条件とした。
に水を含まずにだ液を採取したため,だ液がス
4)結果と考察
トロー内を通過しにくくなり採取が困難であ
(1)デンプンのり溶液
ったという意見が挙げられた。そして,ヨウ素
まず,「だ液の温度依存性」において,40℃時
デンプン反応の呈色の観察では,青紫色の発色
に吸光度が 0%を示し,呈色は無色であった。
の濃さや色味に幅があり見にくかったという
よって,デンプンのりは,だ液によって分解さ
意見が挙げられた。
れやすいといえる。つぎに,「だ液量依存性」に
5.実験について
おいて,だ液量が 0.56ml 以上の時に吸光度が
1)目的
0%を示し,呈色はほぼ無色であった。だ液量
デンプンのり溶液,ご飯粒溶液,小麦粉溶液
0ml と比較した時,最も呈色の比較が容易であ
における「だ液の温度依存性」,「だ液量依存性」,
る。よって,デンプンのりは,尐ない量のだ液
「だ液の保温時間依存性」を調べ,だ液と反応性
で分解され,無色になるため呈色の比較が分か
が高いデンプンの素材を検討する。また,各依
りすいと示唆される。そして,「保温時間依存
存性結果より,呈色を観察するのに適した実験
性」において,15 分後に吸光度が 0%を示し,
条件を明らかにする。
呈色は 2 分後には無色になった。よって,視覚
による観察と定量的な数値から,実験に適した
表 1 小学校教科書におけるデンプンの消化実験の内容の変遷
発 行 年 度
大 正 13年 朝 鮮
素 材
だ 液 の 採 取 方
保 温 温 度
保 温 時 間
な し
な法し
な し
な し
昭 和 17年 文 部 省
な し
な し
な し
な し
昭 和 45年 東 書
ご 飯 粒
口 に 水 を 含 む
体 温
30分
オ ブ ラ ー ト
口 に 水 を 含 む
体 温
30分
デ ン プ ン の り
な し
36~ 40℃
な し
教 出
ご 飯 粒
な し
体 温
な し
大 日 本
デ ン プ ン の り
な し
約 40℃
し ば ら く し
啓 林
デ ン プ ン の り
な し
体 温
て
10分
昭 和 48年 信 濃
デ ン プ ン の り
な し
35~ 40℃
し ば ら く し
東 書
パ ン
口 に 水 を 含 む
体 温
て
30分
学 図
デ ン プ ン の り
な し
体 温
な し
啓 林
デ ン プ ン の り
な し
体 温
10分
昭 和 51年 大 日 本
デ ン プ ン の り
な し
40℃
し ば ら く し
大 日 本
デ ン プ ン の り
な し
体 温
なてし
昭 和 54年 大 日 本
デ ン プ ン の り
口 腔 内 に 含 む
体 温
な し
東 書
パ ン
口 に 水 を 含 む
体 温
10分
東 書
学 図
オ ブ ラ ー ト
な し
な し
な し
昭 和 60年 学 図
東 書
パ ン
な し
36℃
し ば ら く
平 成 11年 東 書
ご 飯 粒
脱 脂 綿
約 40℃
10分
平 成 16年 教 出
ご 飯 粒
ス ト ロ ー
体 温
10分
東 書
ご 飯 粒
ス ト ロ ー
約 40℃
10分
デンプンであると示唆される。
(2)ご飯粒溶液
まず,「だ液の温度依存性」において,最も低
い吸光度は 0.2%を示した 40℃で,呈色は薄い
紫色であった。よって,デンプンは完全に分解
されにくいといえる。しかし,デンプンのり溶
液に比べ 40℃以下の温度でも多く分解された。
つぎに,「だ液量依存性」において,だ液を 0.8ml
加えたが吸光度 0%を示さず,呈色は紫色の濃
淡の変化を示した。そして,「保温時間依存性」
において,20 分に吸光度が 0.2%を示し,呈色
は 3 分後に薄く発色した。よって,定量的な数
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値からは,ご飯のデンプンが完全に分解される
7.教材開発
ためには 20 分以上かかるが,呈色の観察では 3
実験結果から,ろ紙
分後に色の薄さを確認できるのではないかと
にご飯粒溶液を染み込
示唆される。
ませ乾燥させた「ご飯
(3)小麦粉溶液
粒溶液ろ紙」と,切手の
図 1 ろ紙同士の接触
まず,「だ液の温度依存性」において,最も低
様にろ紙にだ液を染み
い吸光度は 0.5%を示した 40℃であり,呈色は
込ませた「だ液ろ紙」を
初期色に比べて色味が変化した。よって,デン
接触させる実験教材を
プンは分解されにくく,呈色の観察において発
開発した。反応した箇
色の比較が困難であるといえる。つぎに,「だ
所を分かりやすくし,
液量依存性」において,だ液を 0. 8ml 加えると
だ液を吸収しやすくす
吸光度が 0%になり,呈色は無色を示した。そ
るために,ろ紙を曲線
して,「保温時間依存性」において,20 分後吸光
部分が尐ないカタカナ
度は 0.3%を示し,呈色は紫色のままであった。
に切った(図-1)。この
よって,定量的な数値からは,小麦粉のデンプ
方法は,児童1人1人
ンは 20 分で完全に分解されるが,呈色の観察
が自らのだ液を簡単に採取できる方法として
では色の濃淡の確認が困難であると示唆され
有効だと考える。
図 2 ろ紙を両手で挟む
図3
呈色の変化
る。また,条件によって呈色の色味に幅が生じ
つぎに,保温方法は,ろ紙をチャック付き透
るため,観察には向かないのではないかと考え
明袋に入れ両手で挟み温める方法にし,体温の
られる。
必要性を体感することで実感を伴う消化実験
6.実験のまとめ
になるよう工夫した(図-2)
。
定量的実験及び呈色の観察において適した
そして,ヨウ素デンプン反応の呈色方法は,
デンプンの素材は,デンプンのりであるといえ
色を青紫色と白色だけの変化のみに固定し,そ
る。しかし,児童にとって,身近なデンプンは
の 2 色を比較する方法を採用した。
この方法は,
白米である。また,ご飯粒溶液は,低温でも分
ご飯粒溶液ろ紙をあらかじめヨウ素溶液に浸
解されやすかったため,児童の手からの体温を
し青紫色に発色させておく。そこに,だ液を含
用いた場合でも,短時間で反応が起こるのでは
ませたろ紙を接触させ青紫色が消え,ろ紙の白
ないかと考えられる。さらに,呈色の観察にお
地が見えるというものである。これは,だ液の
いて,ご飯粒溶液は色の濃淡の変化が確認でき
はたらきにより,デンプンが分解され違うもの
た。このことから,ご飯粒溶液を使用した新し
に変化したことに気付かせるための工夫であ
い実験教材の開発を行い,有効性があるか検討
る(図-3)
。
する。
8.授業実践
1)対象 鹿児島県日置市立住吉小学校
表 2 各デンプン溶液における実験結果
デンプンの り溶 液
のまとめ
ご飯粒溶液
対象者:5,6 年生複式学級男子 3 名女子 6 名
小麦粉溶液
吸光度
1 .0 % → 0 % ( 4 0 ℃ )
0 .7 5 % → 0 .2 ( 4 0 ℃ )
1 .5 % → 0 .5 % ( 4 0 ℃ )
呈色
青色→無色
紫色→薄紫色
黒紫色→桃色
吸光度
0 % ( 0 .5 6 m l)
0 .1 ( 0 .8 m l)
0 % ( 0 .8 m l)
呈色
青色→無色
紫色→薄紫色
黒紫色→無色
0%(15分 )
0 .2 % ( 2 0 分 )
0 .3 % ( 2 0 分 )
撮影日:平成 20 年 12 月 17 日(水)(1 時間)
1 だ 液 の 温 度 依 存 性
授業者:新井
2 だ 液 量 依 存 性
吸光度
2)記録方法
2 台のビデオカメラで,授業のすべてと実験
3 だ 液 の 保 温 時 間 依 存 性
呈色
麻里
青 色 → 無 色 (2 分 後 ) 紫 色 → 薄 紫 色 ( 3 分 後 ) 色 の 変 化 な し ( 2 0 分 後 )
活動を記録し,以下の観点から分析を行なった。
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(1)だ液の採取方法に対する児童の反応と実
「教材の役立ち」については,呈色の変化が分
験結果への影響
かりやすかったという意見が多く,呈色の比較
(2)両手でろ紙を挟み保温する方法に対する
が容易にできた時に役に立つと考えているこ
児童の反応と実験結果への影響
とが分かった。
(3)呈色の変化の観察に対する児童の反応と
一方,「教材の難しさ」については,凹凸のあ
実験結果
るろ紙を口に入れる行為に嫌悪感を抱いたこ
3)プロトコル分析の結果と考察
とが分かった。以上のことから,児童は体験を
(1)小さいろ紙を口に含みだ液を採取するこ
通して学ぶろ紙を利用した実験に好意的であ
とは,児童にとって困難であり,ろ紙に十分だ
り,ヨウ素デンプン反応の呈色を比較しやすい
液が含まれだ液まみれになるので嫌悪感を抱
と考えていることが分かった。しかし,ろ紙を
きやすい。よって,ろ紙の形と摂取時間の改善
用いただ液の採取方法や,約 3 分間の保温時間
が必要である。
で結果に差が生じにくくするような工夫や検
(2)保温時間 1 分以内で袋とろ紙を通じ,体
討が必要であると考える。
温を感じたことが分かった。また,呈色の変化
表 4
相 対的に 困難な 理由( 複数回 答)
を 3 分間以上で確認できた。これは,教科書で
理 由
人 数
紹介されている 10 分間より短い。以上のこと
ピ ンセッ トでつ かむ作 業
7
凹 凸があ るろ紙 を口に 入れる 過程
4
手 で 4 分 間以上 温める 作業
3
ろ 紙に記 入した 文字が 消えた
2
凹 凸があ るろ紙 の扱い
1
から,だ液とデンプンの反応には体温が必要で
あることを体感でき,消化のスムーズな理解に
つながると示唆される。
表 3
相対的に役に立った理由(複数回答)
9.結論
理 由
人 数
色の変化
4
ご飯粒溶液ろ紙とだ液ろ紙を接触させ,呈色
だ液や水に 付けたろ紙を扱う作業
3
の変化を観察する実験教材を開発した。この実
文字をはがす作業
2
験教材を用いて,小学校において授業実践をし
だ液の働きが分かった
1
た結果,実感を通してだ液の働きを学ぶろ紙教
ろ紙にだ液を含ませる作業
1
材は,児童がだ液の働きをスムーズに理解する
手で温める
1
効果が実証された。よって,本実験教材は,ヨ
(3)事前にろ紙に染み込ませたデンプンを青
ウ素デンプン反応の呈色の変化を観察する実
紫色に呈色させ,だ液と反応させることで青紫
験教材として有用性があると考えられる。
色が消えてろ紙の白色が現れる方法は,2 色の
10.参考・引用文献
みに着目し観察できていた。これは,呈色の濃
正元和盛・木村知祐(2003)
:
「だ液アミラーゼ
さや色味に幅が出るという実験結果の差をな
の簡易比色計を用いた測定」熊本大学教育学部
くすことにつながったため,児童が観察しやす
紀要,自然科学第 52 号,pp.97-102
くなったからではないかと示唆される。
4)自由記述調査の結果と考察
授業終了後に,自作の教材の有用性を調べる
ために,「教材の役立ち」と「教材の難しさ」
の状況についての調査及びその理由について
の自由記述調査を実施した。
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