文芸春秋12月号に「日本人のための宗教・・・死の床の医師と

文芸春秋12月号に「日本人のための宗教・・・死の床の医師と宗教学者<感動の対話
>」と題して、岡部健とカール・ベッカーとの対談が掲載された。これは私にとって諸般
グッドタイミングな内容のものであって、ここにその要点と読後の感想を書いておきた
い。
1、文言春秋6月号には「緩和ケア医師<余命十ヶ月の決断>」、同7月号に「死の床に
見える<お迎え現象>調査報告」で紹介された岡部健医師が、去る9月27日、逝去され
た。享年62。がん再発後も、分指標的薬などで症状をコントロールしながら、自身が築
き上げた在宅ケアグループ「爽秋会」の将来などに関して身辺整理を終えた岡部医師が、
「もうやるべきことはすべてやった。あとは判りあえる人とだけ話していたい」と語り、
最後に対話を望んだのが、京都大学教授のカール・ベッカー氏だった。ベッカー教授は、
ハワイ大学在籍時に、日本古来の「往生伝(臨終に際した人が何を見て何を感じているの
かを聞き取り、極楽往生したと思われる人の伝記を集めた書)を原文で読み、感銘を受け
て1973年に来日。以降、「お迎え」現象(臨終に際した人が先に死んだ家族や友人な
どを目撃する現象)をはじめ、日本的死生観について研究を重ねる中で、やはり「お迎
え」現象について独自に調査を行っていた岡部医師と出会い、交流を深めてきた。この対
談は、病床の岡部医師をベッカー氏が訪ねる形で実現した。それには文芸春秋社の力に負
うところが大きかったと思うので、ここに文芸春秋社に対し深甚なる敬意を表しておきた
い。
2、日本人の死生観
岡部:(お迎えという死生観は)宗教以前から、日本人のもっとも深いところにあった。
ベッカー:そうですよね。1000年も前から日本にずーっとありました。私が来日した
40年前には、まだ自宅で亡くなる人もいたから、少しはそういう話を聞くこともできた
真下が、それからほどなく、みんな病院で死ぬようになって、皮肉なことに、どんどんそ
ういう話は消えていったのです。
岡部:日本人の死生観では、この世とあの世が地続きで繋がっている。
3、先祖崇拝
岡部:「あの世この世観」があって、カミを共有した人たちが定期的に儀式をやるために
集まって都市をつくり、やがてそれが国家になったんです。
ベッカー:先祖崇拝は病めようというのが、プロテスタントであり、宗教改革だった訳で
す。つまり、もともとはキリスト教文化にも、先祖崇拝は深く根付いていたんです。
岡部:ヨーロッパでも、森の妖精だとか伝説が沢山ありますが、あれもアニミズムとか先
祖崇拝の一種でしょう。
ベッカー:まさしく。前世代と今世代と次世代が、肉体だけでなく精神で繋がっているか
ら、人が亡くなっても、心の中で生きているという感覚をもてる。
岡部:私は医者で、観察者として、自分が死んでいくのを見ていると、まるで闇なんだ。
死んでいく者への道しるべは、どこにもない。(岩井國臣の感想:だから「お迎え」が救
いになるのだと思う。)
ベッカー:闘病する中で、岡部先生ご自身の死生観というのは変わってきたのでしょう
か。
岡部:かわったね。 特に、3・11で、すべてがひっくり返った。(私のように)がん
で死ねるなんて幸せですよ。
ベッカー:それは、時間があるからですか。
岡部:いろんな準備もできるし、やり残したことにも手を付ける時間がある。けれど、あ
の震災で2万人もの人が、何も準備することもできず、訳が分からないうちに逝ってし
まった。
ベッカー:さっきまで隣で生きていた大事な人が、震災や事故で、急にいなくなってしま
うと、生き残ってしまった人びとは到底それを信じられないし、いなくなった人がまだそ
こにいるような強い感じを受けます。(岩井國臣の感想:いなくなった人がまだそこにい
るように感じるのは、いなくなった人の魂がまだそこにいるからだと思う。)
岡部:今、被災地で幽霊が沢山出ているんだ。窓の外から子供が三人覗いているとか、そ
ういう話がごろごろある。これはいったい、何なのか。きちんと調べておかないと。
ベッカー:まさに今、そのデーターを取って調査する計画を立ています。
岡部:昭和24年に、柳田国男と折口信夫の大議論があったでしょう。
ベッカー:はい。太平洋戦争で戦死した魂の行方について、柳田は「家々に個々の神が宿
る」としたのに対して、折口は「死者の魂は常世で集合体となり個性を失う」と主張しま
した。(岩井國臣の感想:両者とも正しいと思う。この対談でも岡部が「イワシの群れに
は、一匹一匹のイワシの意思とは別に、群れとしての意思があって動いているように見え
る。人間も同じだと思う。」と言っているが、「リズム人類学」という私の立場から言え
ば、要するに波動現象だから、合成された波動というのがある。一方、個別の波動が当然
ある訳で、私は私で個別に自分お先祖と響きあっている。個別があってこそ合成があ
る。)
岡部:今、日本人の魂の在処を調べている人間がどれだけいるか。学問として民俗学は
もっとやるべきだよ。
ベッカー:東北大学の鈴木岩弓先生(宗教学)や、岡部先生のところの相澤出(いずる)
君(社会学)が結構真面目に研究しているんじゃないですか。
4、臨床宗教師こそ
ベッカー:3・11の後で、亡くなった方への感覚も変わりましたでしょうか?
岡部:変わった。魂は遠くにいるんじゃなくて、近くにいる。それが、儀式をするたびに
みんな落ち着いてくる。
ベッカー:宗教的な儀式ですか。
岡部:そう。今回の被災地ケアをみていると、儀式や儀礼が大事だということが改めてわ
かった。幽霊が見えるという人も、お坊さんがお経を唱えると心が穏やかになる。
ベッカー:病院死が増えるにつれて、まるで死が悪者になった。死とは克服すべき敵とな
り、死そのものについて語ることがタブーになってしまった。
岡部:今、(終末期患者の)スピリチュアルケアという観点からすると、臨床宗教師が必
要だ。患者が「あの世はどうなっているの?」と聞かれても医師や看護師には答えられな
い。臨床宗教師がうまく定着するかどうかが、いちばんの気がかりだ。
ベッカー:欧米では宗派によってかなり教えが決まっているから、なかなかその壁が超え
づらい。でも、日本では浄土宗とか曹洞宗とかいう宗派の壁を超えた共通の「あの世観」
があるように見えます。
岡部:あるんです。
ベッカー:臨床宗教師であれば、患者さんの宗教が仏教だろうとキリスト教だろうと、宗
派の壁を超えて、もっと根源的な心のケアができるでしょう。
ただ、日本の宗教系の学会で語られるのは、例えば蓮如上人の言葉をどう解釈するかとい
うようなことばかりです。学問としてはそれで良いのかもしれませんが、ベッドサイトの
臨床ではあまり使えそうにない。
岡部:日本の宗教は、自分たちの救済がいちばんの目的だから。臨床宗教師が定着しない
と、緩和ケアなんてできないよ。
5、倫理の問題
岡部:死者やご先祖様に見られているという感覚こそが、日本人の倫理なんです。
ベッカー:それは鋭いご指摘ですね。
岡部:ご先祖様をなくした瞬間に、日本人は倫理をなくした。お天道さまに申し訳ない、
ご先祖様に申し訳ないという感覚をなくしたら、残るのは我欲だけですよ。だからバカな
政治家が跋扈するし、相手が死ぬまでいじめる子供も出てくる。
ベッカー:そのとおりでしょう。だが不思議なのは、将来の医療制度のあり方を語るとき
に、財政的な側面ばかり語られるんですが、本当は倫理の問題なんです。残念ながら、ほ
とんどの倫理学者は、医療制度の存続については語りません。
岡部:いい加減、目を覚まして、これまで避けてきた、宗教と向き合えと言いたいね。
ベッカー:今日は、凄いことを教わった気がします。倫理を死者の目から考えると、自然
の倫理、原発の倫理、戦争の倫理、すべてがこれまでとは違った観点で見えてきます。
岡部:本来、倫理というのはそういうものでしょう。