神奈川県立鎌倉高校同窓会会報

神奈川県立鎌倉高校同窓会会報
第 35 号
特 集 話 題 の 人
鎌倉高校からの江ノ島
夕鐘 “テスト週間の放課後誰も残っていない校舎に響くチャイムの音”
丸 山 晶 子(昭和 63 年卒業)
第 35 号
う し お
目
会長ご挨拶
……………………………… 3
平成 28 年5月 30 日 (2)
次
「鎌高」での高校3年間の思い出 ……… 22
この一年間(校長)……………………… 4
鎌高のたたら製鉄
特集:話題の人「相原圀彦」…………… 5
鎌高卒、優れたアーティスト …………… 27
私のお店紹介
部活動報告
…………………………… 10
……………………………… 32
わくわく キッズ コンサート ……………… 12
大学別合格者数
同窓会・クラス会
会計報告
……………………… 14
〝古稀の会〟開催事前案内 ……………… 18
在職中の鎌高の思い出
……………………… 23
………………………… 40
………………………………… 41
協賛金納入者
…………………………… 42
………………… 19
総会案内
………………………………… 46
…………………………… 19
役員名簿
………………………………… 47
中村好太郎 遺作展 ……………………… 20
編集後記
………………………………… 47
職員人事異動
題字 : 増 田 隆 子(旧姓/小島 昭和 41 年卒業)
表紙 : 作 者 略 歴
丸 山 晶 子【まるやま あきこ】(昭和 63 年卒業)
神奈川県藤沢市出身 藤沢市在住
小さな頃から絵を描くことが大好きで水彩
画、油彩画、パステル画を趣味で描き続けてき
た。その後京都で染織を学び、型染めや藍染め
を中心に制作。
自ら名付けた“型絵染画”とは型染めの技法
を取り入れつつ、彩色では単に色を染めるとい
うよりは描くという絵画的な表現方法を使って
いる。湘南の四季の風景を主に制作。
2008 年鵠沼桜が岡にアトリエ兼ギャラリー
“あとりえ梅庵”をたちあげ、個展やグループ展、
イベント、ワークショップも企画開催している。
協賛のお願い
鈴木 勝貴
ます。
る思いです。ありがとうござい
戴しています。本当に頭が下が
して百人力を得たものと喜んで
手がけていましたので同窓会と
簿の管理から会報の発行までを
います。
今後も皆様方のご協力を賜り
さて、現執行部も長期になり
マンネリ化もしてきました。来
会長
︵昭和 年卒︶
若葉に風薫る
ながら会の発展に臨んでいく所
伝統ある、そして愛する鎌校
会に新役員を承認いただき 周
たいと考えています。来年の総
うしお会の発展のため皆様方の
結びに当たり、鎌校と同窓会
ますので、新執行部に移行をし
の 周年を迎えるに当たり、母
存でございます。
年 年度は役員改選の年であり
ととお慶び申し
上げます。
周年を迎える
校の発展を期して、更なる多く
年に向けた活動を進められるよ
そして会員皆様方のご多幸を心
御 協 賛 を 再 度 お 願 い 申 し 上 げ、
鎌校は卒業生約2万5千人をも
戴 し た い も の と 願 っ て い ま す。
また野球部顧問として活躍され
う準備をしたいと考えています。
排出しています。住所が判明し
かつての学舎を誇れるものにし
の同窓生の皆様からご厚意を頂
ています約1万7千名に会報を
ま し た 渡 邉 晃 さ ん︵ 昭 和
年
たく切にお願いをするものでご
金澤明氏には、うしお会主催と
フィ、参加者への記念品、手伝
い に 来 ら れ たO B 等 へ の 礼 金、
参加者全員の昼食代など全て金
毎年うしお会へ多額の寄付を頂
繕、体育館裏のランニングコー
せていただきました。
47
鎌校教師時代には、同窓会名
いただくこととなりました。
送付していますが、その中で約
生の入会金も含め約800万円
して第7回鎌倉高等学校剣道部
年卒の
の予算で運営をしている同窓会
選手権大会を3月 日に開催し
そのような中、昭和
です。役員の皆様には、役員会
年 度 は、 部 室 等 の 修
19
澤氏の自費で賄わられ、そして
平成
だいています。
ていただきました。賞状・トロ
45
等すべて手弁当で頑張っていた
協賛金を頂戴しています。卒業
卒︶が同窓会事務局を応援して
からお祈りし挨拶といたします。
90
ざいます。
さて2年後に
29
同 窓 生 で 元 鎌 校 教 師 と し て、
90
益々ご健勝のこ
頃、 皆 様 に は
45
1300人ほどの方から貴重な
90
ス整備等に貴重な浄財を使用さ
27
第 35 号
う し お
(3) 平成 28 年5月 30 日
分教室の生徒の皆さんの協力も
コートですが、藤沢養護学校の
れていたかつてのバレーボール
になりました。また、草に覆わ
が塗られ、海側の部室がきれい
の修理を行っていただきペンキ
同窓会のご支援により、部室棟
ます。
ついて、お知らせしたいと思い
この一年間の学校の様子に
おります。まず
お世話になって
ら 様 々 な 形 で、
方には日ごろか
同窓会の皆様
環境はそのままです。鎌倉高校
を見せてくれる自然に恵まれた
し、四季折々に素晴らしい景色
校で二番目に大きな敷地を所有
多少変化いたしました。県立高
そのようなことで学校の景観が
タ ン ド の 除 去 も 行 わ れ ま し た。
併せて、老朽化したプールのス
と も に 真 ん 中 に 残 っ て い ま す。
る中庭の桜が池といぶきの木と
ました。鎌高祭のステージにな
き出しになり、広い空間ができ
されました。北側の崖が直接む
かけて校舎が取り除かれ、整地
ともあるかと思いますが、半年
だ皆様には寂しく感じられるこ
行われました。この教室で学ん
なっていた旧C棟の除却工事が
でに耐震性の問題で使われなく
た。この一年間のなかでは、す
コースをつくっていただきまし
整備し、体育館の裏側まで走る
オーストリアとの国際交流。こ
祭 を 通 じ て の 生 徒 同 士 の 交 流、
と発表、合唱コンクールと鎌高
﹁かまくら学﹂を通じての探求
き 生 き と 自 主 的 に 行 う 部 活 動、
動、九割ほどの生徒が加入し生
で す。 日 ご ろ の 真 摯 な 学 習 活
できた土台の上に立っての指定
ずれも本校がこれまで取り組ん
の二つの指定を受けました。い
校、グローバル教育研究推進校
向上進学重点校のエントリー
のなかで、教育委員会より学力
高い教育を目指す県立高校改革
今年度から始まる、より質の
工事が予定されております。
ては、半年かけて体育館の耐震
おきます。なお、今年度につい
らなくなったことも付け加えて
て、校門の修理をしなければな
た。校門を使う頻度が高くなっ
閉じておくことにいたしまし
のためということで校門を常時
います。
だけ大きく伸ばしたいと考えて
性を秘めた生徒たちを、できる
紹介していました。大きな可能
葉を使い、充実した高校生活を
﹁青春偏差値日本一﹂という言
た。説明のなかで、生徒会長が
中学生と保護者が来校しまし
で以上に広範な地域から大勢の
会では、開催するたびにこれま
人気は高く、昨年度の学校説明
と考えています。本校に対する
いく取組みを進めてまいりたい
入しながらさらに磨きをかけて
ま ず、 学 校 の 施 設 関 係 で す。
最初に感謝を申し上げます。
真壁 広道
仰ぎながら、同窓会のご尽力で
を一目見たいと訪れ、つい学校
うしたことを生かしながら、必
校長
きれいに整備され、小さなグラ
に迷い込んでくる外国人の観光
要に応じて新たな取り組みを導
ウンドとして使用できるように
客の数が増えたことから、安全
いします。
今年度もどうぞよろしくお願
なるとともに、山沿いに小道を
この一年間
平成 28 年5月 30 日 (4)
う し お
第 35 号
相原圀彦
年卒ですね。私は 年卒
申します。相原さんは私の二期
しおの編集をしています森田と
もありがとうございました。う
︱ 今日はお忙しいところどう
︱ かなり校舎も古くなって壊
相原
最近は行っていないで
すね。
たか?
ころで、最近鎌高に行かれまし
︱ ︵笑︶
ぎましたね。
相原
海を眺めながら授業聞い
ていました。自然の環境が良す
︱ 相原
笑
相原
そうみたいですね。
︱ あと体育館も新しく建てた
したりしています。
︱ ええ、ありました。
したね。
上の
です。
りして。多少うしお会で援助し
相原
畑っていうか、隅っこの
方に豚小屋みたいなのがありま
相原
そうですか、宜しくお願
いします。
した。
ホールが出来たんです。
︱ 私 が 入 学 し た 時 に、 相 原 さ
かった時ですね︵笑︶
相原 それは何よりです。
︱ と こ ろ で、 部 活 は 何 か さ れ
今回は、江島神社の宮司をさ
相原
鎌高に怖い人はいなかっ
たですよ︵笑︶
ていましたか?
て、部室もやっと綺麗になりま
41
学に励んで⋮
では、もっぱら鎌高三年間は勉
場かなんかだったと思いま す ね。
相原
それは知りませんでした。
︱ あ そこは 確 か、テニスコート
︱ 校舎の奥の方に国際会議
︱ 応援団の人に色々厳しくや
はどなたでしたか?
られて。ところで、担任の先生
ん は ち ょ う ど 三 年 生。 一 番 怖
トを当てました。
江島神社及び江ノ島の歴史を
年卒
森田豊文
熱く語ってもらいました。
聞き手 S
相原
担任は、英語の今井先生
でしたけど。
先生でした。
ですか?
︱ そ う で す か、 中 学 は ど ち ら
は湘南海岸公園駅で、江ノ電で
相原
も う の ど か な も の で。
ちょうど私は片瀬ですから、駅
笑
︱ 相原
相原
中 学 の 時 に は、 三 年 間
テニスをやっていましたけれ
担任は二年三年が神川先生で
相原 私は片瀬小学校、片瀬中
学です。
︱ 私 は、 今 井 先 生 に は 英 語 を
し た。 一 年 が 漢 文 の 中 島 先 生
一本ですけどね。だから藤沢と
相原
いや、そんなことはない
ですよ、反省しています。
でした。
︱ あ、片瀬中学ですか。
し ょ う け れ ど も、 そ ち ら か ら
ど⋮。
相原さんの時も二年三年は一緒
通ってくる人達は、まあ他の学
か茅ヶ崎とか鎌倉の方もそうで
相原
鎌高の生活もみんな穏や
かな人ばかりで、授業中ちょう
相原
ずっと今井先生でしたね。
︱ あ あ、 そ う な ん で す か 。 と
でしたか?
ど外を見ますと海が見えるし。
習っていないですね。私は稲垣
笑
︱ 相原
相原
部活は、ほとんどやって
ないと同然ですね。
そんな印象をまだ覚えて
相原
いますね。
41
江島神社宮司
特 集
れています相原圀彦氏にスポッ
39
=話題の卒業 生 =




竜 宮 城のよう な 門
第 35 号
う し お
(5) 平成 28 年5月 30 日
︱ ああそうですか。
かったですからね。
と思いますけど、それが全くな
れ違ったりする機会が多かった
校の学生とも、藤沢駅辺りです
けです。
ども、一社に一人宮司がいるわ
相原
宮 司 と い う の は、 大 き
い、小さい神社がありますけれ
か?
︱ 同じようなことなのです
︱ ありますね、神社が。
に諏訪神社という⋮
相原
自宅は片瀬にありまし
て、片瀬の私の実家のすぐ近く
︱ あ、そうなんですか。
﹁の﹂ではないですが、
しまじんじゃ〟です。ですから
神社名は﹁江島神社﹂で〝えの
相原
地名は〝の〟が入ります
けどね。
︱ そうなんですか。
神主神職とか、神主さんと⋮。
ありまして。諸々ひっくるめて
的に宮司も含めて、色々階位が
ど。まあ神主さんというと一般
相原
その宮司は、会社でいえ
ば代表役員になるわけですけ
から明治6年から江島神社とい
様が分かれたわけですね。です
相原
明 治 6 年 に な り ま し て、
神仏分離ということで神様と仏
ば神主さんもいる。
︱ あ、そうなんですか。
だったのです。お坊さんもいれ
昔は明治6年までは、神仏習合
け ど。 こ の 江 島 神 社 の 場 合 は、
わけですか。
代々、相原さんに繋がっている
︱ す ご い、 そ れ か ら ず う っ と
相原
そうです。ですからもう
千四百五十数年。
を建てたのが始まりですね。
と こ ろ で、 江 島 神 社 は 5 5 2
︱ なるほど、そうなんですね。
て〝 つ る が お か
はちまんぐ
う〟が正しい呼び名です。
鎌倉でも﹁鶴岡八幡宮﹂と書い
かのんびり過ごしてしまったっ
出てから即そちらへ⋮。
う名称となりました。それまで
相原
ええ、それまでは色々お
坊さんですとか、そういう方が
︱ そうですか。
相原
そこも兼務しておりまし
て、そちらの方が昔から長いで
特に藤沢駅へ出てワイワ
相原
イ遊ぶとか、そういうこともし
ていうか⋮。そういう感じです
相原
高校出まして、国学院大
学の史学科に入りました。卒業
は違った名称だったのです。金
ずっとやっていましてね。
すね。代々ずっと続いています
ね、いや刺激がないと、そうい
後、神職の資格を取得しなけれ
亀山与願寺とか江島寺の名称で
ませんでしたから。だからなん
う意味では競争心がないとダメ
ばいけないものですから。大学
した。
年、欽明天皇の勅命で岩屋に宮
ですね。
を出まして、神道学専攻科に一
︱ じゃあ相当古いですね。
︱ あ あ そ う で す か、 で は 高 校
︱ 相原
笑
と こ ろ で、 江 島 神 社 の 仕 事 は、
年通いまして、それで資格を取
その時は全然まだ関係なかった
相原
ええ、私の家が、代々社
家として仕え、片瀬諏訪神社は
のですか?
代目の
︱ あ の、 江 の 島 の﹁ の ﹂ が 付
相原 そうですね。
︱ そ れ で は、 昔 の 古 文 書 み た
代、江島神社は
宮司に当たります。
り、神職の道へ入りました。
いてないです
私で
︱ あ、そうなんですか。
ね。あれは、付かなくても江島
いですか?
︱ そうですか。
相原
それで私も家職を継ぐ事
となりました。
のですか?
相原
いやあ、それがなかなか
ね、残っている物はありますけ
いな物がいっぱいあるのではな
宮です。足掛け 年ですね。
それで父も年を取りましたもの
︱ と こ ろ で、 宮 司 と 神 主 の 区
別がよく分からないです。
︵笑︶
ですから、こちらの江島神社の
方に。
12
相原
色んな言い方がありま
すね。
相原
江島神社で﹁えのしま神
社﹂が正しい読み方ですね。
神社を〝えのしま神社〟と言う
11
相原
最初は、鎌倉の鶴岡八幡
36
平成 28 年5月 30 日 (6)
う し お
第 35 号
がヨットの練習をしているのを
に行って、外国のいろんな選手
場になりまして、よくあの岸壁
月でしたね、東京オリ
相原
ンピックが。江ノ島がヨット会
その年に東京オリンピックがあ
相原 そうですね。昭和 年鎌
高卒業で、4月に大学に入って
は?
︱ 勿 体 な い で す ね。 大 学 生 活
まったものですから。
いうものが全部取り壊されてし
いくつもあったのですが、そう
ええ、当時は境内にも仏
相原
教的な建物が、小さいながらも
︱ ああそうですか。
まったんです。
ら、 そ れ で 大 分 無 く な っ て し
ように神仏分離がありましたか
れども、結局先ほど申しました
︱ じゃあ今スポーツはヨット、
事ばかりやっていました。︵笑︶
ちらへ移ったんです。そういう
ノ島が空いたものですから。こ
トでなんとかやりくりして。江
らね、小遣いも︵笑︶アルバイ
すけどね、ましてや学生ですか
くて、葉山で。あそこは高いで
相原
い や、 最 初 ヨ ッ ト ハ ー
バーは、もういっぱいで入れな
トハーバーで⋮
︱ そ の 当 時 は、 江 ノ 島 の ヨ ッ
が。それで始めましてね。
て、二人乗りの小さなものです
イトをしてヨットを買いまし
ろうよ﹂という感じで、アルバ
相原
仕 方 が 無 い の で、 友 達
4、5 人 集 め ま し て﹁ ヨ ッ ト や
︱ そうなんですか。
すよ︵笑︶
なんか気の利いたのはないんで
に入ろうと思ったら、ヨット部
て。大学に入ってからヨット部
と。それからやりたくなりまし
れは素晴らしいスポーツだな
り知らなかったわけですが、こ
相原 もう一社、西鎌倉にある
んですけれども、そこも兼務し
相原
はい。
︱ それは大変ですね。
ているのですか?
︱ 今は諏訪神社とも兼務され
相原 年を重ねる毎に忙しくな
る感じです。
忙しいんじゃないですか?
最近は多いですね。
相原
︱ 大 体 こ の 様 な 感 じ で、 毎 日
したね。
多いですね。
相原
え∼
︱ 外国人の方もいっぱいいま
人でいっぱいですね。
︱ と こ ろ で、 今 日 も 江 ノ 島 は
すから。
のですが。いなくなったもので
だったので、いい運動になった
ちゅう歩いていました。大型犬
犬 を 飼 っ て い た 時 は、 し ょ っ
ですけれども。︵笑︶
しは運動しなければいけないの
から、少しやりましたけど。少
でテニスを、昔やっていました
相原
いやと言う程やりました
か ら。︵ 笑 ︶ そ れ で ま あ、 遊 び
ションを見に何回か行きまし
綺麗になって、あのイルミネー
︱ 相原
笑
︱ と こ ろ で、 江 ノ 島 の 灯 台 が
です。
す ね。︵ 笑 ︶ 休 ん だ 気 が し な い
てしまいますけど。半日の休み
も、そういう時は午後休みにし
があったり、大体お昼で終わっ
相原
ただ、外へ出る機会も結
構あるものですから、まあ会合
︱ 相原
笑
たけれど、
相原 なかなかないですね、決
まってないんですよ。慣れまし
しょうね。
︱ もう休む暇なんかないんで
相原 行事のある時はまいりま
す。
︱ じ ゃ あ、 曜 日 毎 に 行 っ た り
ずっと見ていましてね。これは
まだヨットやられているんです
ていましてね。
︱ ええ。
︱ 相原
笑
相原
大学一年は、遊んでいる
ようなものですから。
39
相原 そうですね。関東三大イ
ネーションも奇麗ですね。
相原 そうですか。
︱ 灯台の下にある庭のイルミ
たね。
というのは、休みにならないで
たりする場合がありますけれど
しているんですか?
いいスポーツだなと思って。そ
か?
りましたよね。
れまでヨットというのは、あま
10
第 35 号
う し お
(7) 平成 28 年5月 30 日
平成 28 年5月 30 日 (8)
う し お
第 35 号
ますとね、もの凄い強い風なの
たんです。そこの発掘現場にい
ど、ものすごい風の強い日だっ
相原
それで、発掘していた時
に何回か見に行ったのですけ
︱ あ、そうなんですか。
なと思うんですけどね。
民族が持って来たんじゃないか
すから西の方から移住して来た
には黒曜石はないんですよ。で
曜石が付いていまして、江ノ島
てきて。鏃︵やじり︶の先に黒
とか、そういうものが出土され
れ で 今、 土 器 と か 鏃︵ や じ り ︶
時代の住居跡ですとかね⋮。そ
りましてね。そうしたら、縄文
をしたんです。発掘の調査があ
あの灯台を建て替える時に発掘
ど、逆三角形で。
︵笑︶
そ う で す ね。 最 初 は
相原
ちょっと違和感がありましたけ
遠くから見ると綺麗ですよね。
やはり凄いですね。あの灯台も
︱ あ れ は び っ く り し ま し た。
す。
ルミネーションに選ばれていま
︱ 波のエネルギーですかね。
もう凄いパワーですね。
寄せてまた引いていく、あれは
てね。波の凄さですかね、押し
てくる時に洞窟の方に行きまし
ありましたけど、台風が近づい
ですから、あの東日本の津波が
しょうね。
道なき道を洞窟の方まで
相原
行ったという、そういう感じで
︱ そうですね。
ようなそういう感じでした。
けども、原生林に覆われている
ども⋮。昔はまあ小さい島です
相原
え え、 引 き 潮 の 時 に は
歩いて行けたんでしょうけれ
たんでしょうね。
︱ 昔は江ノ島まで歩いて行け
じでした。
う縄文人の知識を思い知った感
に住居をここに構えた、そうい
んですね。ですから、縄文時代
ですけど、そういう感じだった
まあ無風状態というとオーバー
そ こ の 所 は 穏 や か な 風 の な い、
下 か ら 吹 き 上 が っ て 来 る の で、
ど、江ノ島の場合はぶつかって
︱ そういうのがあるんですか。
あちらこちらでありますので。
相原
そうですね、仲間の会合
ですとかね、そういうのが全国
︱ じゃあ旅行に行くとか。
らいですから。︵笑︶
相原
もう腰が痛かったりし
て、整体に行ったりしているく
︱ そうですか。
相原
ので。
たまにテニスをやる位ですか?
︱ 相原 笑
︱ 話 し を 運 動 に 戻 し ま す が、
相原
そうですね。海蝕洞窟で
すからね。
う浸食して⋮
︱ あの洞窟でも多分昔からこ
すよね。
いうのを思い知らされた感じで
すかね、自然の力の偉大さって
いう作用が加わるんじゃないで
相原
釘をさして、前後に動か
していると抜けますよね。そう
︱ そんなに凄いんですか。
も抜けてしまいますからね。
あったんですけども、もうそれ
ね、 岩 場 に こ う 鉄 骨 が 何 本 も
なのです。ですから、ちょっと
局、維持管理していくのが大変
ているものばかりですから。結
相原
大きいのが、もう江戸時
代の建物ですとか、年数が経っ
︱ ありますね。
すけれども、
相原
そうですね、うちの場合
は三社、お社の建物があるんで
いや、夢ですか?
相原
︱ 又は、やりたい事とか。
ものはありますか?
︱ 相原 笑
︱ 何かこれからの夢みたいな
う到底無理ですね。
出られないんですね。
いと駄目ですからね。ですから
ら、留守番で人を置いておかな
相原
結局、旅行をするにして
も、神社は365日無休ですか
︱ 相原
笑
︱ 仕事一筋で。
殆どないですね。今まで結婚し
相原
ですから家内と一緒に旅
行するとか、2人でというのは
神社関係の、なるほど⋮。
︱ で は、 多 分 長 期 の 旅 行 は も
てから⋮
か な と 思 う と、 そ う で は な く
相原
エネルギーというかです
いやあ、暇があまり無い
て。 普 通 横 か ら 風 が 来 ま す け
か、例えば修学旅行で鎌倉行き
感 じ だ っ た の で す。 こ こ に 何
のかないのか分からないような
を見ても森だけで、神社がある
て、鳥居があるんですけど、上
通りをずっと上がって行きまし
江ノ島の場合は土産物屋さんの
ど も、 そ の 頃 帰 っ て 来 ま し て、
年、あの時はまだ
相原
昭和
私の父が宮司だったのですけれ
︱ ええありますね。
のような門がありますよね。
とか一段落。境内入口に竜宮城
して、やっと改築、修復もなん
か、そういう事がずっと続きま
復を加えなければいけないと
でもまだ横揺れがしていまして
いものですね。外へ出て、それ
歩いている人は意外と分からな
光客がいました。
ど。すぐ境内へ出て、結構、観
相原
ああ。ところがかなり揺
れている時間が長かったですけ
なに気がつかなかったですね。
︱ 私 は 家 に い ま し た が、 そ ん
相原
揺れましたね。大きな木
などはもうガサガサガサ⋮。
︱ だいぶ揺れました?
なと。
相原
この前の地震の時は揺れ
ましたね。いや、どうなるのか
本大震災の時は如何でしたか?
︱ あ、 そ う な ん で す か 。 東 日
相原
態々お出かけいただき有
難うございました。今後共宜し
に気を付けて頑張って下さい。
ございました。これからもお体
︱ ど う も、 今 日 は 色 々 お 時 間
相原 そうですね。自然体に過
ごしてまいります。
営致しました。
ま す と、 長 谷 の 大 仏 さ ん と か、
ね。気持ち悪くなるような、そ
修繕しても、また数年後には修
それから八幡様の大銀杏ですと
んな感じでした。
て、まあ島はあったというのは
う ん で す よ ね。 で 江 ノ 島 に 来
大人になっても覚えていると思
が⋮。
相原
あれ程の大震災になる
とは思いも致しませんでした
︱ あ、そうですか。
くお願いいたします。
年1月
日
相 原
[ プロフィール ]
昭和
年3月
年3月
國學院大学文学部史学科
昭和
神奈川県立鎌倉高校卒業
昭和
卒業
片 瀬 小 学 校、 片 瀬 中 学 校
藤沢市片瀬にて出生
圀 彦
を取っていただき、ありがとう
か、小学校の時に行った遠足を
記憶に残るでしょうけど、それ
卒業
國學院大学神道学専攻科
︱ そろそろ終わる時間ですの
卒業
以 外 に 何 か な い か な と 思 っ て。
だ け 時 間 を 取 っ て、 の ん び り
年3月
と⋮。
昭和
宮城のような門が相応しいので
で、 最 後 に こ れ か ら も 出 来 る
はないかという事で、新たに造
年4月
年2月
年6月
平成 年4月
江島神社宮司
兼ねて諏訪
神社 龍口明神宮社司就任
昭和
江島神社権宮司
昭和
鶴岡八幡宮奉職
昭和
44
56
62
年4月
年8月
年3月
会評議員
國學院大学
皇
學館大学協議員
等に就任
事
社団福祉法人上村鵠生
社団法人藤沢市観光協会理
現在
就任
神奈川県神社庁協議会議長
平成
を持参しローマ法王に謁見
同理事長として県知事親書
平成
就任
神奈川県宗教連盟理事長
平成
神奈川県神社庁副庁長就任
16
61
海に囲まれた神社ですから、竜
18
17
19
22
21
39
43
44
第 35 号
う し お
(9) 平成 28 年5月 30 日


私
のお店紹介
回生︵S
叢
年卒︶
秀樹
51
す。その他にも多くの鎌高出身
渡り面倒を見て頂いておりま
が鈴木会長でした。以来公私に
気さくに声をかけて下さったの
﹁ お 前 さ ん、 鎌 高 だ ろ う ? ﹂ と
まで気づかなかった多くの面
に役立ちました。自分でもそれ
の﹁学び﹂を受け自我の目覚め
個性溢れる先生方からたくさん
鎌倉高校では、多くの友人や
と思います。今でも一年のクラ
を、 見 出 す こ と が 出 来 ま し た。
さて、私の店は現在皆様にも
スメイトの悪友たちとは、毎年
の 諸 先 輩 に ご 厚 情 を 賜 り 続 け、
懐 か し い、﹁ 古 久 家 ﹂ で お 馴 染
欠かさず正月・お盆には交友を
自己の﹁個﹂を形成できたのは
みの駅前ダイヤモンドビル1
深めさせて頂いております。
現在に至っています。ありがた
からの天の声で今回の投稿が決
階、地下にてお茶と煙草販売を
この校風と仲間、恩師のお陰だ
年前家業
生業として営業を続けておりま
きことです。
継承の為、勤め先を退社し、右
まりました。今から
も左も分からない中、藤沢の青
す。もともとこの駅前にて五代
に及ぶ紙巻煙草、葉巻き、パイ
出来ました。現在約800種類
れ、事業を拡大し続けることが
売制度下の規制開放の時流に乗
ばこ産業の民営化が始まり、専
たい ﹂初心者の方から玄人志
﹁自身の嗜好の時間を楽しみ
もご愛顧頂いております。
ん客や近隣の飲食店の方々から
り揃え、古くからのおなじみさ
茶を中心に中国茶、健康茶を取
茶業の方も、静岡掛川、本山
識の深掘りから、シガーメート
プ煙草、煙管等の他、各種喫煙
向 の 方 々 の 為、 色 々 な 商 品 紹
ルエの各種認定も受けるまでに
具を取り揃え、扱い品目を誇る
介、情報、ご相談に答えられる
中立地の関係から煙草の配給業
専 門 店 と し て、 湘 南 地 区 ナ ン
店を日々目指しております。
務を受け賜り、今に至っており
バー1を目指し日々孤軍奮闘し
成りました。
ております。煙草に関しての知
ます。家業継承の年に、日本た
に渡って茶業を営んでおり、戦
年 経 済 人 の 集 い に 参 加 し た 際、
紹介頼むな﹂鈴木同窓会会長会
﹁ オ ー い い、 叢、 次 号 の お 店
27
良質な嗜好の時の
提供を目指して
平成 28 年5月 30 日 (10)
う し お
第 35 号
28
最後になりますが、卒業して
ー〇〇五五
有限会社 立 花 屋
〒二五一
ー二二 ー二三七三
ー二二 ー二三七三
昨年の会報﹁うしお﹂の発行
部 数 は、 約 17,0 0 0 部 で し
た。と言うことは、うしおの会
員 が 全 国 に 約 17,0 0 0 名 い
ると言うことです。
当然の事ですが、年々会員は
増 え て い き ま す。 こ の 中 に は、
地方で生活をされている会員の
方が多くおられます。同じ鎌高
卒業生として、その地域でうし
お会を育てて頂くこともできる
のではないでしょうか。うしお
会事務局は、各地域での開催を
応援いたします。同窓会開催計
画を事務局に連絡頂き、打合せ
後、事務局にて案内を発送いた
します。個人情報に充分な注意
を し た 対 応 を さ せ て 頂 き ま す。
先ずはご相談を。
うしお会地方開催
ご案内することが可能ですの
で、ご相談ください。

う
しお会では皆様の同窓会を応援します
参加者100名を超えると思
わ れ る 学 年 同 窓 会、 ま た は 部
活 動 O B・ O G 会 の 開 催 に つ
きましては、応援金として20,
000円、 名 か ら100名 の
場合は10,
000円を寄付致し
ます。
幹 事 の 方 は、 予 め 開 催 す る
旨、 日 時 会 場 な ど を う し お 会
ホームページに掲載申し込みし
てください。
尚、開催報告として数枚の写
真とコメントを後日お送りくだ
さい。ホームページまたは会報
誌﹁うしお﹂に掲載させていた
だくことをご了承ください。
お 申 込 み ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
うしお会ホームページから
メールフォームでお申し込み
ください。
受 取 方 法 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
開催日前日までに幹事さんが
来校していただきます。
※また、名簿、会場︵うしお会
会員が経営する店舗︶なども
50
からも母校愛が強い皆様と共に
TEL 〇四六六
ダイヤモンドビル
FAX 〇四六六
神奈川県藤沢市南藤沢二 ー 一 ー 三
﹂
。
﹁うしお﹂をさらに支えられる
難う﹁鎌高
一助が出来ればと思います。有
第 35 号
う し お
(11) 平成 28 年5月 30 日
第 35 号
う し お
平成 28 年5月 30 日 (12)
(13) 平成 28 年5月 30 日
う し お
第 35 号
年卒︶
年9月
晃
年︶し
歳の人を合わ
年の歳月が経ち
が出席され、まさに大盛会とな
りました
卒業以来、
ましたが、初めて会った人、数
十年ぶりに会えた人も多く暫く
ぶりの再会に話が弾み、皆さん
とても喜んでおりました。
私たちが在校の頃は組替えが
無 く、 3 年 間 同 じ ク ラ ス で し
た。 生 徒 数 は 3 0 0 人 で し た
が、6クラスを担当された先生
20
を目標に同学年会を実施する予
定です。皆さん、その時を目標
に健康に留意し元気で過ごして
年卒︶
1989年卒同窓会
回生︵H
町野 英介
日、わたく
たち1989年︵平成元年︶卒
かったです。
次 回 は、 喜 寿 の
歳
真も良く撮れていて良
た出席者全員の記念写
校 歌 を 歌 い ま し た。 ま
員で大きな声で鎌高の
な 事 だ と 思 い ま す。 全
席が出来ることは幸せ
して元気に同窓会に出
て 頂 き ま し た が、 こ う
一人ずつ自己紹介をし
会 で は、 各 ク ラ ス、
ません。
しい風景は今も変わり
ま す。 海 を の ぞ む 懐 か
応を頂き感謝しており
が、 学 校 側 の 親 切 な 対
見学会も実施しました
当 日 の 朝 は、 鎌 高 の
ま し た。 謹 ん で 哀 悼 の
いきたいとの事でした。
1
の学年同窓会を行いました。
2015年7月
40
意を表します。
も多くの方が亡くなり
に逝去され、またクラスメイト
同
窓会・クラス会を開催しています

迎えた人、まだ
今回は、年齢がすでに古希を
施しました。
て以来、2度目の同学年会を実
2015年
平成
日、鎌高を卒業︵昭和
27
39
19
1964年卒同窓会
回生︵S
39
植竹
幹事代表
15
せて、なんと100名以上の方
69
52
方も稲垣憲一先生を除いてすで
77
平成 28 年5月 30 日 (14)
う し お
第 35 号
究 に 勤 し む 者、 子 育 て す る 者、
結婚した者、転職した者、研
﹁ 銀 座 ア ス タ ー﹂ に て 同 窓 会 本
仕事に邁進する者、 歳、まさ
そこから江ノ電で移動。藤沢
番です。先生を含め180名も
﹁あの人誰⋮ ?﹂とその変貌
上がりました。
ちらで久しぶりの再会に歓声が
の同窓生が会し会場のあちらこ
まで盛会で終えることができ
1 1 5 名 が 集 ま り、 お か げ さ
全国各地から、5名の恩師含む
に人生を全速力で進む仲間が
しながらじっくり歩いてまわり
チリと同窓会を行いました。
で、少し早い気もしながらカッ
再認識したのでした。
名の
改めて鎌倉高校の絆の深さを
参加。
いましたがこちらも約
二次会は藤沢の居酒屋で行
ました。
28
ぶりに息を呑まれてしまう人
ました。
60
もいました。ほかでもない私で
すが。
次回は還暦でしょうか。いや
いやこんなに楽しいならその前
にもう一回集まりますか。そん
な言葉で次回の再会を約束して
終会となりました。
年卒︶
2006年卒同窓会
回生︵S
塩飽 圭亮
日に鎌倉プ
リンスホテルで、2006年卒
2016年3月
でした。天候にも恵まれ潮の香
業生は卒業
周年ということ
りのする﹁鎌高の夏﹂を思い出
集合場所はあの懐かしい鎌高
57
20
18
10
第 35 号
う し お
(15) 平成 28 年5月 30 日
アメ リ カンフット ボ ー ル 部
テーマは〝つなぐ〟としました。
ファイブ︵握手のハイタッチ版︶
作って、現役選手を拍手とハイ・
KERS︵フェイカーズ︶です。
ボール部のニックネームはFA
両名で進行されました。
ナウンサーの永田まりなさんの
躍した現鎌倉市議会議員で元ア
岡さんとマネージャーとして活
われました。
けた創設期メンバーの紹介が行
で始まり、今回初めてお越し頂
第二部は援会長の乾杯の挨拶
年 前 の 練 習 場 所 の 話 で は、
いてヘルメットのマークにも
なっています。
かつては、強大な大学附属高
校チームに対して真っ向からの
ら お 言 葉 を い た だ き、 現 役 選
して9年目を迎える宮田先生か
た 苦 労 話 を 伺 い ま し た。 ま た、
だらけの空き地で練習されてい
現在の国際理解ホール前の雑草
ていないのに持っていると見せ
点を、代わりに、ボールを持っ
パワーやスピードで劣っている
な チ ー ム で あ っ た 鎌 倉 高 校 は、
力勝負を挑んでも分が悪い小さ
私たちFAKERSは5年ご
手、マネージャーの紹介、主将
大学や社会人チームで現在活躍
かけるFAKEプレーに代表さ
第一部ではまず、部の顧問と
辞書には詐欺師とも書かれて
当日の司会は当時の関東大会
創部
フットボール部FAKERSは
とに記念パーティーを開催し
挨 拶、 コ ー チ 陣 の 紹 介 ・ 挨 拶 、
中のOBたちが紹介され、部の
周年を迎えました。
仲間たちと旧交を温め続けて
とプログラムは続き、幹事が連
れるような細かいプレーを丁寧
います。
活動を支えてもらったマネー
今回の 周年記念パーティー
デオを参加した現役高校生とO
ジャーたちの﹁FAKERS
日
︵ 月・ 祝 ︶
周年マネコレ映像﹂が上映され
年7 月
B & O G、 現 役 選 手 の 父 母、
大盛況でした。
は平成
藤沢市民会館第一展示集会ホー
OB & OG の父母で鑑賞しま
名のOBマネー
鎌倉高校アメリカンフット
な記念式典でした。
総勢260名の参加者で盛大
了となりました。
拶、そして中村監督の挨拶で終
最後は町野ヘッドコーチの挨
だきました。
ジャーのみなさまにご参加いた
今回も
ルを会場として開催されました。
ビデオを見て涙する者も多数
した。
年︶の関東大会で唯一公立高校
おり、会場の全員を感動の渦に
今 回 は 1 9 8 9 年︵ 平 成 元
が初優勝したチームのメンバー
巻き込みました。
年卒︶が集合写真を撮
影しました。
田氏︵
されているプロカメラマンの任
その後は、グラビア等で活躍
が幹事となり記念式典を企画し
ました。
最近は現役部員数が少ない
ためOBから現役選手へ﹃人数
は少ないけどもガンバレ﹄と熱
最 後 はO B & O G が 花 道 を
として報われる事が少なくても、
FAKEプレーのように、時
を信条としていました。
ける真摯なFAKERである事
までボールを持った振りをし続
倉高校のフェイクバックは最後
にボールを持たずに飛び込む鎌
所に相手選手を引き付けるため
ブロッカーの付いていない場
うとするしかできませんでした。
念にプレーの準備する事で補お
に、大切にやり続ける事と、入
日徹夜で編集した 周年記念ビ
創部
で送り出して終了しました。
で最優秀ライン賞を受賞した吉
年卒︶
周年
記念パーティー
回生︵S
佐々 義也
57
昨 年、 鎌 倉 高 校 ア メ リ カ ン
33
いメッセージを伝えたいために
99
25
20
40
40
40
40
40
40
27
平成 28 年5月 30 日 (16)
う し お
第 35 号
ひろさんが編集したビデオが秀
ジャー岡林︵旧姓 宇田津︶ち
ようにとFAKERSといつし
持ちを相手に悟られない詐欺師
れないように⋮、でもそんな気
決して手を抜かない気持ちを忘
で は 常 に ひ た む き に プ レ ー し、
小さな事でも、フィールドの上
て試合ができるギリギリの人数。
RSは存続の危機を経験するこ
しかし、2000年。FAKE
大いなる栄誉だ。
だけ。
時も、今に至っても、鎌倉高校
公立高校による関東制覇は、当
悲願の関東初優勝。
そして1989年春。
場する。
1985年FAKERSは創部
平坦ではなかった。
しかし、その道のりはけっして
h
F AK E R S
t それは僕ら
にとって、か け が えのない誇 り。
から。
FAKERS魂をつないできた
続しているのは、僕らが全員で
出し、今なお、こうして部が存
多くの戦績とプレーヤーを生み
強さが、FAKERSの誇りな
何度でも、一から這い上がれる
FAKERS魂。
る僕らだからいえる。
栄光も、どん底も、経験してい
こと。
何 度 で も、 一 か ら 這 い 上 が る
とではない。
大切なのは、栄光に執着するこ
技だ。
強 く あ り 続 け る の は、 至 難 の
数近くが入れ替わる。
も、1年たてば、メンバーの半
どんなに強いチームを作って
しい。
公立高校の部活動の実情は厳
いるのも、また鎌倉高校だけ。
で、公式戦に単独出場し続けて
続を選ぶ中、神奈川の公立高校
悩み廃部や、合同チームでの存
多くの公立高校が、部員不足に
ずに済んだのだ。
FAKERSは、その火を消さ
そ ん な 時 代 を 乗 り 越 え た か ら、
だった。
ケガに悩まされて、チームのサ
一番 近 くで支 えてくれる、仲 間。
仲間の大切さを心から感じた。
な時もあった。
プレッシャーに押し潰されそう
なった。
信頼に応えたいと思うように
人がいた。
いつも遠くから見守ってくれた
でくれた人がいた。
どんな時も、情熱と愛情を注い
あった。
思い切りうちのめされた日も
勝利に歓喜した日もあった。
ら、真剣になっていた。
も、 走 り 回 っ た。 気 が 付 い た
暑 い 日 も、 寒 い 日 も、 雨 の 日
仲間と、夢を語りあった。
わかってきた。
少しずつ、アメフトの面白さが
無我夢中でぶつかった。
うまくいかないことばかりだった。
初めは誰もが初心者だった。
る者なら、わかるだろう。
このグランドに立ったことがあ
てくる。
鎌倉 高 校
アメ リ カ ン フ ッ ト ボ ー ル 部
周年に寄せて
年卒マネー
周年記念ビデオ編集者コ
ピーライター
で寄稿します。
年目にして、関東大会へ初出
部 員 数 3 年 生 1 人、 2 年 生
とになる。
鎌倉高校。
1975年
こ の グ ラ ウ ン ド で、 数 人 の 1.
勝敗以前に、試合出場が精一杯
人、1年 生1人、3学 年 あ わせ
ルを始めた。
FAKERS。
それから 年。
40
12
40
2年生がアメリカンフットボー
90
10
か呼ばれるようになりました。
逸でそのコピーも素敵だったの
ほぼ全員が、両面を強いられた。
のだ。あの坂道を上ると、見え
40
40
第 35 号
う し お
(17) 平成 28 年5月 30 日
ポートに徹する仲間。
ライバルとして切磋琢磨しあえ
る仲間。
共に栄光をつかんだ仲間。
共に、一から 這い上 がった 仲 間。
年卒業生︵ 回
組︵矢部正先生︶
鎌
倉高校S 年卒業


〝
古稀の会
〟 開催事前案内

今年は昭和
生︶が古稀を迎えます。
そこで、懐かしい仲間と再会
し思い出話で楽しい一時を過ご
す機会を今秋に開催する事を計
詳細は9月頃案内状を送付致
します。
組︵金指隆先生︶
各クラス幹事
小原芳行、増田隆之、
森川雅光、城之尾礼子
組︵稲垣隆先生︶
石山
晃、鎌田郁子
組︵四ッ谷新一先生︶
後藤田昌男、鷹
幸子、
清水早苗
北岡崇宏、小山直彦
組︵金田平先生︶
34
上山眞照、進藤圭子、
武井和子
組︵石井寿雄先生︶
35
FAKERSに出会えたからそ
んな仲間たちに出会えた。
どんなトロフィーよりもこの仲
画中です。多くの皆様のご参加
16
間たちが僕らの宝だ。
∼
日︵土︶
をお待ちしています。
日時
年 月
13 22
誰もが同じ想いをしたのではな
いだろうか。
年前のメンバーも、いま現役
平成
10
藤沢商工会館︵ミナパーク︶
場所
28
公平伸夫、近藤とし江
組︵山本正治先生︶
36
水津啓子
37
16
00
40
40
00
のメンバーも。
きっと誰もが同じ、熱い想いを
経験している。
だから僕らは時を超えて同じ思
いでつながり合える。
あの坂を上ると見えてくる、こ
のグランドはぼくらの原点。い
ままでも。
これからも。
FAKERSそれは、僕らをつ
なぐもの。
そ して僕 らがつないでいく もの。
31
32
33
40
平成 28 年5月 30 日 (18)
う し お
第 35 号
がないように感じます。
鎌 倉 高 校 の 古 き よ き 伝 統 は、
冒頭に述べた、他校からうらや
まれるような恵まれた自然環境
の中で生徒と先生ががおおらか
に学校生活を楽しむ姿ではない
でしょうか。
剣道部では毎年3月に鈴木会
年から9年間お世話に
なりました。日頃からの卒業生
感謝しています。お蔭様で4年
長にも参加していただき部内選
初めて門をくぐったとき、進
前にに関東大会に出場させてい
の皆様の多大なるご支援とご協
学と部活動、鎌高祭を生徒が自
そのときの生徒は﹁先生、絶
ただきました。
余裕を感じ、学園ドラマの一場
対に関東大会に行く﹂と常に
が、教員に指導される前に積極
でまじめな生徒は増えました
し か し、 こ こ 2,3 年 は 素 直
生徒達に上限を設けずに高い
まりわれわれ教員や卒業生が
分対抗できると感じました。つ
ば、ここの学校でも強豪校に十
言 っ て い ま し た。 本 気 で 望 め
的にリーダーシップをとって動
今後の鎌倉高校の発展を期待
意識を持たせることだと思い
進学重点校として上位大学を
し、影ながら応援していきたい
く生徒が減ってきているように
目指し学習することは当たり前
と思います。
ました。
で、部活動や行事を楽しむ余裕
感じます。
ました。
面をみているような感動を覚え
主的に活動して、全て満喫する
手権を行っております。ご協力
19
力感謝しております。
平成
中 田 圭 介 ︵元保健体育科︶

在
職中の鎌高の思い出


鎌倉高校の思い出
第 35 号
う し お
(19) 平成 28 年5月 30 日
職員人事異動
前
田
有
子 先生 ︵国語︶
内
容
子 先生 ︵英語︶
山
❖ 新採用
︵国語︶
守
屋
翔
平 先生
福
田
友
彦 先生 ︵保体︶
渡
邉
正
悟 先生 ︵英語︶
厚木高校より
白
石
晶
子 先生 ︵養護︶
星槎高校より
一
木
佐季子 先生 ︵英語︶
横浜創学館高校より
髙
橋
志
多 先生 ︵英語︶
横浜南陵高校より
良
田
直
優 先生 ︵保体︶
平塚商業高校より
積
田
侑
弥 先生 ︵数学︶
島
田
まり子 先生 ︵保体︶
平塚工科高校より
細
江
美
郷 先生 ︵数学︶
大師高校より
石
山
喜
章 先生 ︵社会︶
湘南高校より
宮
崎
裕
爾 先生 ︵国語︶
栗田谷中高校より
平塚江南高校より
馬
場
達
朗 先生 ︵国語︶
柏陽高校より
○大変お世話になりました。
❖ 退任者
関
︵養護︶
口
育
美
緑園総合高校へ
❖ 離任者
岩
崎
幸
代 先生 ︵教頭︶
氷取沢高校へ
矢
島
俊
也 先生 ︵保体︶
大船高校へ
中
田
圭
介 先生 ︵保体︶
加賀美
浩一郎 先生 ︵国語︶
横浜緑ヶ丘高校へ
小
口
映
雨 先生 ︵保体︶
藤沢清流高校へ
平塚湘風高校へ
飛
田
護 先生 ︵国語︶
秦野高校へ
和
泉
尚 先生 ︵社会︶
希望ヶ丘高校へ
田
中
栄一郎 先生 ︵国語︶
湘南台中高校へ
仲
嶺
初
美 先生 ︵英語︶
平塚江南高校より
○よろしくおねがいします。
❖ 転入者
︵教頭︶
田
中
和
也 先生
ても約1000点、これが一番
時間を要した作業でした。
分間の
主に大船のアトリエ時代に描
か れ た も の で す が、
ポーズに合わせて一日4枚描い
る 困 難 が 伴 い ま し た。 唯 我 独
尊、我が道を行った中村の面目
亡くなり、夫人から大船の鎌倉
ります。大酒飲みでもあった弘
芸術館で遺作展をやるという話
太郎の知られざる努力家の一面
たとしても、1200枚を描く
準備段階で再認識したことの
躍如を感じた2ヶ月半でもあり
一つに膨大な裸婦の素描を行っ
を垣間みた気がしました。
を聞いたのは昨年の2月になっ
小 学 校︵ 鎌 倉 市 立 小 坂 小 学
ていたことがあります。アトリ
労多くして会期短く、連休中
には300日を要することにな
校 ︶、 中 学 校︵ 同 第 二 中 学 校 ︶、
エから出て︵発掘されて︶きた
の5月3日から5日のたった三
ました。
高 校 と も 同 期 で、 ま た 鎌 高 で
冊の古い画帖に、主にコンテ
て私も準備を手伝うことにな
一緒の同門だったこともあっ
く、定着液も施さずに遺されて
程、用紙の裏表に余すところな
で描かれた裸婦が1200 点
る方々が集まり、開いてみれば
ために日を追って協力して下さ
日間の遺作展でしたが、準備の
りました。
素描帖の陳列六冊に、弘太郎
彫 刻 作 品 四 十 四 点、 油 絵 四 点、
が遺した最大の作品である綾瀬
素描二十点を展示する立派な展
のための絵画として描いたので
市庁舎前に置かれている実物大
いました。そのためお互いに色
はなく、ひたすらデッサン力を
写りしていて鑑賞するには障害
芸大入学直後に入った山岳部
の、 三 つ 峠 で の 登 攀 訓 練 で
つけるための鍛錬としてこれら
の﹁ 高 座 豚 の モ ニ ュ マ ン ﹂ の
少期からの各時代の写真パネル
の素描を行っていたということ
覧会となりました。
メートル落下して一命をとりと
めたとか、写生に赴いた西伊豆
安良里港で浅蜊採りをしてい
たとか、武勇伝や逸話には困ら
な い 男 で し た が、 葉 山 町 に 作
も花を添えて、往時を思い出し
ブロンズ像制作過程も展示、幼
これを発表するには練りゴム
られたチェーンブロックを具え
で可能な限り色写りしていると
た 坪のアトリエは重量物や雑
物︵ 漁 労 採 集 の 道 具 類 を 含 む ︶
て涙を浮かべる来客も居られま
回生の高島和
ころを消し、あらためて定着液
受付は同じ
で 雑 然・ 混 沌 と し た 状 態 だ し 、
やインクで描かれたものを除い
した。
品の選別や広報活動には大いな
住所録は古くて未整理だし、作
をかける作業が必要でした。墨
です。
があります。つまり中村は鑑賞
半くらいしかない頃でした。
は美術部も一緒で絵の師匠も
てからで、会期まであと2ヶ月
20



年卒︶
菊地 洋二
回生︵S
中 村 好 太 郎︵ 本 名・ 弘 太 郎 ︶
と云っても今は知らない人が殆
どでしょうが、鎌校に5年間在
籍した男と聞けば思い出す方も
年に入学した弘太郎は
居られるかと思います。
昭和
美術部と山岳部に所属し、山行
に熱中するあまり高三になるべ
き筈が数学の単位を取れずに進
級差し止めとなりました。
本来高2をもう一年経験する
の が 常 識 で す が 彼 は 違 い ま す。
時の校長城所先生にもう一度高
1からやり直したいと直訴して
かくして前代未聞の鎌高五年
それが認められたのです。
在 籍 の 記 録 を 作 っ た 訳 で す が、
早稲田の建築へ行くという当初
の約束は見事に覆されて芸大の
彫刻科に進んでしまい、それが
あってか以後同様のケースはな
その中村が一昨年の5月末に
11
いと聞いています。
21
35
が
行
わ
れ
ま
し
た
15
11
中
村
好
太
郎
32
遺
作
展
13
平成 28 年5月 30 日 (20)
う し お
第 35 号
子︵旧・太田︶さん、豊嶋直子
ています。
ロンズの地が出てピカピカ光っ
降りたりしていて、耳も鼻もプ
り、滑り台代わりに背中を滑り
り︵豚乗り?︶になって遊んだ
は、学校帰りの子供たちが馬乗
今その原寸大のモニュマン
えれば嬉しく思います。
のモニュマン﹂を見学してもら
併せて綾瀬市庁舎前の﹁高座豚
家 が い た こ と を 知 っ て も ら い、
中村好太郎という破天荒な彫刻
現 役 の 鎌 校 生 の 皆 さ ん に は、
ではないかと思います。
も、戸惑いながら喜んでいたの
品を発表してこなかった弘太郎
来場され、展覧会嫌いで殆ど作
めた300名を超える皆さんが
いたのですが、鎌高関係者を含
に行えなかったことで心配して
とと、懸念した広報活動が十分
僅かな期間の展覧会だったこ
申し出られたのです。
で一緒だったので手伝いたいと
いました。二人とも中学と高校
︵ 旧・ 大 木 ︶ さ ん が 座 っ て 下 さ
第 35 号
う し お
(21) 平成 28 年5月 30 日
館があった。そして実際の授業
の ク ラ ス 編 成 は、 1,2 年 は 同
じクラスでの持ち上がり、3年
になると、科目の取り方により
クラスが変わって、私は確か同
じ1組だったと記憶している。
またこの3年間で、生物の実
習で日光中禅寺湖での早朝プラ
ンクトンの標本を作った事、春
はヤビツ峠へのハイキング、体
育祭での﹁仮装行列﹂等懐かし
い思い出である。また先生方も
城所校長先生、生物の矢橋先生、
漢文の松林先生、担任の金指先
生、更に加えて、私の関係した
一 つ の﹁ エ ピ ソ ー ド ﹂ が あ り、
それを今でも忘れられない。
それは、ある日の昼休み時間
での出来事である。
その当時、男子学生は、帽子
︵学帽︶を被っており、その日も
2階に男子生徒が集まっていた。
その様な中で︵今でもどうし
てやったのか分からないが︶私
が冗談半分で傍にいた生徒の帽
子 を 取 り、 階 下 に 投 げ 落 と し
「鎌高」での高校3年間の思い出
年卒︶
の環境に恵まれ、加えて男女が
ほぼ半々の﹁男女共学﹂の﹁鎌
倉高校﹂があった。
そこでこの様な背景の中、中
学の担任の先生やまわりの﹁人
達﹂
﹁ 親 族 ﹂ 等 と よ く 相 談 し、
熟慮した結果、﹁伝統﹂﹁歴史﹂﹁社
会評価﹂もあるとは言え無理し
て且つ、背伸びして、湘南高校
へ 進 学 し て 行 く よ り は、﹁ 総 合
的﹂に考えてより好ましいと思
えた﹁鎌高﹂に決めた。
そして実際の﹁通学路﹂は辻
堂駅から隣の﹁藤沢駅﹂に行き
南 口 の︵ 当 時 駅 ビ ル は な か っ
た︶ロータリーの地上部分から
﹁江ノ電﹂に乗るルートであっ
た。周囲の風景も今と違い丘も
あり緑も多かった。乗る事20
分程で﹁鎌高前﹂駅に着き、日
坂の坂を上って、左手の病院の
建物を見て学校に着いた。
校舎は左側から木造モルタル
造りのニ階建ての建物、中央に
平屋の﹁理科﹂生物﹂等の教室
があり、右手少し高い所に体育



安藤 昌夫
9回生︵S
33
私達の﹁公立高校﹂への進学
は、現在の様に、いわゆる﹁入
試﹂と言われる﹁試験﹂により、
その結果で﹁希望校﹂への入学
が決まるのと違い、当時﹁中学
校﹂で全国一斉に行われた〝通
称〟
﹁ア・テスト﹂と言われたテ
スト結果及び中学校側から高校
側へ提出される〝内申書〟等に
より﹁合否﹂が決まった最後の
学年だった。また当時は﹁学区
制﹂があり、その当時私の一家
は、﹁藤沢﹂に住んでおり﹁湘南・
鎌倉学区﹂に所属していた。
その学区内には﹁東大﹂を初
めとして﹁国立・公立大学﹂へ
の﹁ 進 学 実 績 ﹂ が あ り、 又 歴
史 も あ る﹁ 湘 南 高 校 ﹂
、茅ヶ崎
の旧東海道の道路沿いにある
﹁茅ヶ崎高校﹂また同じ茅ヶ崎
で少し内陸に入った場所に位置
していた比較的新しい﹁茅ヶ崎
北陵高校﹂それに私達が入学し
た〝鎌倉七里ガ浜〟と言う絶好
た。するとまわりの生徒もそれ
にならって一斉にお互いの﹁帽
子﹂を取り、下に投げ落とし始
め た。 す る と、 た ま た ま 一 階
にいた普段真面目な石渡先生
が、それこそ血相を変え、駆け
上がってきて﹁誰がやった﹂と
一渇、これを見て私は先生の前
に進み出て、実際は私自身が首
謀者なのに、臆面もなく﹁私も
帽子を投げられた被害者の一人
です﹂と発言。すると、先生は
私の日頃の﹁言動﹂等から﹁そ
う か ﹂ と 一 言。 そ れ に 引 き か
え、結局この件については、日
頃悪戯好きで、いつも先生方か
ら叱られたり、注意されたりし
ていた一人の生徒が首謀者と見
做され、先生からこんこんとお
説教。またその生徒も反論すれ
ば良いのに、反論する事もなく
黙って立って聞いていた。
あれから、ほぼ 年近くが過
ぎたが、今でも当時の事を思い
出す時、必ずこの事が私の脳裏
を横切り、﹁自分と言う人間は、
何 と 卑 怯 な 情 け な い〝 偽 善 者 〟
の最たる者ではないか﹂との思
いに悩まされる⋮。
50
平成 28 年5月 30 日 (22)
う し お
第 35 号


鎌
高のたたら製鉄
木浪 信之
継続が困難となり、研究を断念
せざるを得ない状況になりまし
た。そのとき、同窓会から研究
を支援していただき、継続する
ことができました。本研究はそ
の成果です。私の知る限り、過
第 59 回 日本学生科学賞中央表彰式 高等学校の部
科学研 究 会 顧 問
私たち科学研究会は発足して
3年目になり、昨年度は 人の
部員で鎌倉たたら製鉄の研究に
取り組んできました。本研究は
2011年に開始したのです
が、科学研究会が発足する前は
生徒が自由に参加できる科学系
任意団体として活動していまし
た。このように、生徒が自由に
科学研究に取り組みながらも研
究成果は毎年科学コンテストで
発表し、表彰を受けていました
が、論文発表などの関係で、生
徒会に所属する団体となる必要
があり、新しく科学研究会が誕
生しました。本研究会になって
からは2年連続で神奈川県知事
賞、さらに、鎌倉ユネスコ最優
秀賞、昨年度は日本学生科学賞
入選1等を受賞することができ
ました。この結果について、部
員たちの取り組みはもちろんで
すが、同窓会の皆さまのご理解
の賜物と思っています。昨年度
の 活 動 は 研 究 費 の 不 足 に よ り、
平成 27 年 12 月 24 日
(木)日本科学未来館 読売新聞社
第 35 号
う し お
(23) 平成 28 年5月 30 日
11
去に日本学生科学賞入選1等を
受賞した学校は神奈川県では本
校が初めてです。私たちは、こ
の受賞を﹁オール鎌高﹂の成果
と思い、これからもよい研究に
取り組んでいく所存です。この
場を借りて、同窓会の皆さまに
ご報告するとともに、心より感
謝申し上げます。
⒈ たたら製鉄とその歴史
たたら製鉄は大陸から伝搬し
た製鉄技術を日本独自に発展さ
せた製鉄法です。具体的な方法
は 材 料 に 砂 鉄 と 木 炭 を 用 い て、
鉄の融点︵約1500 ℃︶より
低 い 1 2 0 0 ∼ 1 3 0 0 ℃の
低 温 で 砂 鉄 を 還 元 し て 鉄︵ 鋼 ︶
を 得 る 製 鉄 法 で す。 化 学 的 に
は、 岩 石 成 分︵ 二 酸 化 ケ イ 素 ︶
を含む砂鉄をたたら炉内で発生
させた一酸化炭素や材料の木炭
に よ っ て 還 元 す る 工 程 を 経 て、
不純物と純度の高い鉄に分離し
ます。その結果、たたら炉内に
できた不純物をノロ︵鉄滓、ス
ラ グ ︶、 純 度 の 高 い 鉄 の 塊 を ケ
ラ︵鉧︶と言います。両者は比
重と融点が異なるため、半溶融
状態のケラは完全に溶融したノ
ロの中に沈んだようになって炉
内で分離していると考えられま
す。したがって、このときに炉
底に穴を開ければ、溶けたノロ
は炉外に流れ出て、ケラを分離
することができるのです。
ノロ出しによって炉内にケラ
が残るので、炉を解体すればケ
ラ を 取 り 出 す こ と が で き ま す。
ケラの中でも特に品質の良いも
の を 玉 鋼︵ た ま は が ね ︶ と い
い、これが日本刀の材料になる
のです。
明治時代になって、海外から
近代製鉄法が導入されました
が、たたら製鉄のように純度の
高い鉄を得ることができないの
で、近代製鉄では日本刀をつく
平成 28 年5月 30 日 (24)
う し お
第 35 号
ることはできません。近代製鉄
法では鉄鉱石や石灰石、コーク
スを材料として使用し、高炉内
を2000 ℃程度の高温にして
すべてを溶融させたあとに、転
炉に移して不純物を取り除くと
いう工程を経て鉄をつくるの
で、玉鋼のように鉄の純度を高
められないのです。しかし、近
代製鉄の高炉は停止することは
なく、連続して稼働をするため
に効率に優れ、生産性は高く大
量生産に適しており、コストも
低いのが特徴です。それに対し
て、 た た ら 製 鉄 で は 収 率 は 悪
く、さらに、ケラを取り出すた
めに毎回たたら炉を壊さなけれ
ばなりません。それでも、奥出
雲地方では明治時代になっても
操業を続けていましたが、大正
時代になって、日本のたたら製
鉄は完全に姿を消してしまいま
した。
つぎに、日本の製鉄の歴史を
さかのぼってみましょう。鉄器
は縄文時代晩期に稲作とともに
大陸から伝搬しましたが、製鉄
技術は少し遅れて、弥生時代に
伝わり、全国に広まったと考え
られています。そして、古墳時
代になった頃には全国で製鉄が
行われるようになったことが遺
跡調査で明らかになっています。
製鉄技術が伝えられた頃は、原
料には大陸と同じように鉄鉱石
が使われていたのですが、日本
は鉄鉱石をほとんど産出しない
ため、各地で採集できる砂鉄が
使われるようになったと考えら
れ て い ま す。 こ の よ う に し て、
大陸から伝わった製鉄技術は各
地の砂鉄を使うことにより、そ
れ ぞ れ の 地 域 で 独 自 に 発 展 し、
日本独特のたたら製鉄ができあ
が っ た の で す。 後 述 し ま す が、
各地で産出する砂鉄を使用した
ことで、古代鉄には各地域の差
が残されているのです。
鉄は同時期に伝わった青銅器
に比べて強度があるので、農耕
具や武具をはじめ、用途が豊富
なため、私たちの生活に欠かす
ことのできないものとなってい
きました。時代が下り、武家社
会が始まると武器としての鉄の
需要はさらに高まり、製鉄や鍛
冶が盛んに行われるようになり
ました。鎌倉には鑪ヶ谷︵たた
らがやつ︶遺跡があり、古代鎌
倉たたら製鉄と関わりがあると
考えられていることはご存じの
ことと思います。近隣の横浜市
栄区には深田製鉄遺跡があるほ
か、鍛冶ヶ谷︵かじがや︶や釜
利谷︵かまりや︶のように、製
鉄や鍛冶に関係した地名が残っ
ていることから、鎌倉周辺でも
鉄の需要とともに、製鉄が盛ん
に行われていたことが想像に難
くありません。
さらに時代が下ると鉄の需要
はこれまで以上に高まり、南蛮
鉄 の 輸 入 も 増 加 し ま す。 そ し
て、室町時代中期には奥出雲を
中心とした中国地方のたたら製
鉄は画期的な発展を遂げたので
す。 安 定 し た 鉄 の 生 産 の た め
に、たたら炉の大型化と地下構
造の充実に加えて、集約的な操
業が行われるようになりまし
た。製鉄は雨や湿気に弱く、特
に地中の湿気が多いと質の良い
鉄がつくれません。そこで、地
中からの湿気を遮断するために
地下構造に様々な工夫が施され
るようになり、近世たたら製鉄
の炉形に近づいてきました。こ
のようにして、品質と生産量の
確保が可能になりました。しか
しその一方で、それ他の地域の
たたら製鉄は衰退がはじまり
ま し た。 そ の 原 因 は 諸 説 あ り、
はっきりしたことは分かってい
ませんが、江戸時代以降は、安
定した生産が可能になった奥出
雲を中心とした中国地方と東北
地方の一部地域で操業されるだ
けで、他の地域のたたら製鉄は
歴史から消えてしまいました。
⒉ 研究の着想と研究目的
稲村ガ崎海岸は古くから砂鉄
の産地として知られており、奈
良時代以降の深田製鉄遺跡で
は、元素分析の結果からこの周
辺の砂鉄を使った製鉄が行われ
ていたと考えられています。ま
た、鎌倉時代末期から南北朝時
代にかけて、刀工正宗は鎌倉で
相州伝︵そうしゅうでん︶を確
立しました。現存する作品は国
宝または重要文化財に指定され
ており、歴史に残る最も著名な
刀工と評価されていますが、そ
の作風は長く伝えられることは
なく途絶えてしまいました。こ
のように、鎌倉は古代から優れ
た鉄を生産する歴史のある場所
であったにもかかわらず、鎌倉
たたら製鉄は衰退してしまった
第 35 号
う し お
(25) 平成 28 年5月 30 日
のです。良質の砂鉄を産出する
稲村ガ崎海岸が目の前にあるの
に、衰退した理由が私たちには
理 解 で き ま せ ん で し た。 そ こ
で、2011年と2012年に
京 都 大 学 に た た ら 炉 を つ く り、
奥出雲砂鉄と鎌倉砂鉄を使っ
て、 た た ら 製 鉄 を 同 じ 条 件 で
実施してみたところ、 ㎏ の奥
出雲砂鉄からは純度の高い鉧
が ㎏ 得 ら れ た の で す が、 同
じ ㎏ の 鎌 倉 砂 鉄 か ら は 1g
の ケ ラ も 得 ら れ ま せ ん で し た。
まったく鉄ができなかったので
す。この結果が鎌倉たたら製鉄
を研究する着想となり、私たち
の研究が始まりました。鎌倉砂
鉄から鉄が得られなかった原因
を科学的に解明し、古代製鉄と
同様の方法で鎌倉砂鉄から良質
の鉄をつくり、古代製鉄法を再
現することが科学研究会の研究
目的となったのです。
たたら製鉄には大量の木炭と
良質の砂鉄が必要です。そのた
め、木炭の調達が困難であった
り、良質の砂鉄が得られない場
合にはたたら製鉄は存続できま
せん。鎌倉たたら製鉄衰退につ
いては、奥出雲地方の集約的な
30 5.5
30
操業によって安定した国内生産
量が確保されたことや、輸入す
る南蛮鉄の増加によって小規模
操業だった各地のたたら製鉄と
同様に衰退したと考えられてい
ます。しかし、京都大学での操
業結果から、鎌倉たたら製鉄の
衰退は鎌倉砂鉄自体にもその要
因があるのではないかと考える
ようになりました。
⒊ これまでの経緯と研究結果
2011年と2012年の操
業で使用した砂鉄の元素分析
︵蛍光X線分析XRF︶の結果、
私たちの採集した砂鉄は選鉱が
不十分なため岩石成分が多く鉄
の含有量が奥出雲砂鉄に比べて
少なかったのです。さらに、稲
村ガ崎海岸の砂鉄はチタン含有
量 の 多 い 赤 目︵ あ こ め ︶ 砂 鉄、
奥出雲の砂鉄はチタンの少ない
真砂︵まさ︶砂鉄であることが
分かりました。
真砂砂鉄は赤目砂鉄に比べて
融点が高く、鉄を分離しやすい
特徴がありますが、赤目砂鉄は
融点が低いため、炉内温度の調整
だけではケラとノロとの分離が困
難なのです。そこで、2013年
の操業では奥出雲の砂鉄を超え
る鉄の含有量になるまで選鉱し
た砂鉄を使用したところ、得ら
れたケラはひとつの塊にはなら
ず、ゴルフボール程度の大きさ
にしかなりませんでした。
断面を観察すると、不純物の
中に鉄が点在または筋状に分布
していました。砂鉄の密度や鉄
の含有量は鎌倉砂鉄の方が奥出
雲砂鉄より大きいのに鉄ができ
ないということは、砂鉄自体に
原因があるとした私たちの仮説
が間違いではないと確信したの
はこの結果を得たときです。
再度、元素分析を行ったとこ
ろ、両者の砂鉄に共通して含ま
れ る 元 素 は6 種 類 あ り ま し た。
鉄、ケイ素、チタン、カルシウ
ム、バナジウム、そして酸素で
す。その他の元素は非常に微量
で、検出されない場合もあった
ので、酸素を除く5種類の元素
がケラの生成に関わっていると
判断し、詳細に調べました。す
ると、両者の含有量で大きな違
いがあるのはカルシウムとチタ
ンであり、チタンについては既
述のとおりでした。また、カル
シウムの違いは、鎌倉砂鉄は海
から採集した砂鉄︵浜砂鉄︶で
あるのに対し、奥出雲砂鉄は山
から採集した砂鉄︵山砂鉄︶で
あることによります。砂鉄選鉱
ではチタンは除去できません
が、海水の影響によるカルシウ
ムならば可能であると考え、十
分な洗浄を行い奥出雲砂鉄と同
程度まで低くした砂鉄を準備す
ることにしました。
2014年はこれまでの結果
を 修 正 し て 操 業 し た の で す が、
炉内温度測定用の熱電対による
炉内温度制御が不十分でノロ出
しがうまくできず、炉内でノロ
を固化させてしまい、ケラとの
分離が不十分になってしまいま
した。しかし、取り出したケラ
平成 28 年5月 30 日 (26)
う し お
第 35 号
の上部は非常に高い純度の鉄が
まとまってできていたので、炉
内温度制御がしっかりできれば
十分に大きなケラができること
を確信しました。
2015年の操業はこれまで
の結果を活かし、万全の態勢で
臨みました。砂鉄の選鉱も十分
に行い、最後に 分間の熱湯洗
浄も行いました。この熱湯洗浄
は決して思い付きではなく、あ
る研究報告を参考にして行いま
した。さらに、炉の形状や温度
制御など、これまでの操業結果
を見直して、質の良いケラが得
られるような設定を行ったので
す。そして、私たちの予想した
とおり、良質のケラを得ること
ができたのです。
砂鉄の種類を分類する根拠は
チタン含有量で、5%以上を赤
目砂鉄、それ以下を真砂砂鉄に
分類します。稲村ガ崎で採集さ
れ る 鎌 倉 砂 鉄 に は7 ∼ 8 % が
含まれていますが、奥出雲砂鉄
には1%程度しかチタンが含ま
れていません。そのため、稲村
ガ崎の砂鉄の中には磁石に吸着
しにくい砂鉄が存在していたの
です。また、チタンを含む赤目
30
砂鉄︵チタン鉄鉱︶は真砂砂鉄
︵磁鉄鉱︶に比べて自らのチタ
ンの分だけ密度が小さくなって
いました。
これまで、赤目砂鉄からは高
純度の鉄をつくることは困難と
言われていましたが、私たちは
高純度の鉄をつくることに成功
しました。しかし、私たちの操
業 は 熱 電 対 や マ ル チ メ ー タ ー、
そして、送風機などの現代の機
器を使用し、炉内温度の制御を
徹底した結果です。古代製鉄は
勘と経験に頼っていた困難な操
業であり、その伝承は難しいこ
とが想像できます。さらに、奥
出雲地方での安定した生産と南
蛮鉄の輸入、材料となる木炭の
確保などが鎌倉たたら製鉄衰退
の要因の一つではないかと考え
るに至りました。
4.今後の研究課題
昨年度に得られたケラはひと
塊の純度の高い鉄でできていま
す が、 と こ ろ ど こ ろ に 鬆
︵す︶が入っています。今後
の目的は、赤目砂鉄である
鎌倉砂鉄を使った鎌倉たた
ら製鉄工程を確立するとと
もに、鬆のないケラをつく
ることを課題としています。
さ ら に、 中 世︵ 慶 長 時
代︶になると、各地のたた
ら 製 鉄 が 衰 退 し た た め に、
国内を流通する鉄の品質が
一定になったと言われてい
ます。そこで、慶長時代以
前に建立された古代建造物
に使用されている鉄釘など
の分析を行い、その鉄に残
さ れ て い る 微 量 元 素 か ら、
材料となった砂鉄の種類やその
砂鉄の産地を辿る研究を行って
み た い と 思 い ま す。 そ れ に よ
り、古代人の交易や人の流入な
どを知ることができるのではな
いでしょうか。
鎌倉の古代建造物に使用され
ている鉄釘が鎌倉の砂鉄を使っ
たものではなく、想像もしない
別の地域の砂鉄からつくられて
いることが分かったら、この研
究はどのように進んでいくのか
考えるだけでも楽しみです。
あれ﹂
。1 年生の担任だった藤
﹁ 己 に 厳 し く、 他 人 に 寛 容 で
きだった英語と国語の勉強は頑
たこともしばしば。それでも好
いた下敷きの上で眠ってしまっ
の教授だと分かったとき、先生
言
ともありました。ただ先生に一
に判ったので、とても困ったこ

﹃﹃
鎌 高 卒 、優 れ た ア ー テ ィ ス ト﹄ 画 家・・絵 本 作 家
よ し ざ わ よ う こ

と 授 業 中 に お っ し ゃ り、 そ れ
弁当箱は空っぽに。そのあとの
いくつもの転機を重ねて
楽しいことも苦いことも
経験した鎌高時代
が私のことであることは皆すぐ
授業は﹁打倒睡魔﹂と大きく書
絵を描くことに
美術学校へ行っていない私
定先生のこの一言は、ずっと私
張りました。
てしまいました。優等生だった
さった堀田先生は大変失望させ
理学で、私は父に一度も英語を
したね。でも父の専門は音声生
できるのだね﹂とおっしゃいま
は﹁そうか、だから君は英語が
私の父が東京外国語大学
が、なぜ百貨店で個展を開催し
の心の片隅にあります。
はずの私が、様々な人間関係を
教えてもらったことはないので
2 年、 3 年 を 担 任 し て く だ
て い た だ く よ う に な っ た の か。
いただくことになって自分の半
経験して、ちょっとワルに憧れ
すよ
僭越ながらこの記事を書かせて
生を振り返ってみました。
てしまったのです。と言っても
部活はテニス部。1年生は部
が今でも目に浮かびます。
しゃった先生の残念そうなお顔
か っ た の に ね ぇ ⋮﹂ そ う お っ
年生のときはこんな子じゃな
乗っていた経験談もしてくださ
家よりも高い波にもまれた船に
が、時には戦時中に二階建ての
ス全体に緊張が走る授業でした
ても厳しい方でした。毎回クラ
英語リーダーの安村先生はと
そんな選択肢もあったのだと気
描 く こ と が 大 好 き だ っ た 私 は、
始めました。子供の頃から絵を
美大受験のための研究所に通い
ました。ところが他校の親友が
か国文科に進むものと考えてい
だったため、私は漠然と英文科
こ と で す。 英 語 と 国 語 が 好 き
さてさて三年生になり、受験
活時間に打たせてもらえなかっ
い ま し た。 ま た、﹁ 暗 く な る ま
付き、夏休み前に堀田先生と家
鎌校のこと。たいして悪いこと
たので、一時限目が始まる前に
でテニスボールを追いかけて
族に美大を受けたいと申し出ま
校を決める時期になったときの
1年生同士でストロークの練習
真っ黒に日焼けしながらも、英
はしていません︵???︶。﹁1
時にはお
をしました。だから
語の成績が優秀な生徒がいる﹂
腹が空いて、その休み時間にお
10
第 35 号
う し お
(27) 平成 28 年5月 30 日
平成 28 年5月 30 日 (28)
う し お
第 35 号
でしょ。
﹂
﹁絵で食べていくのは
あなたはデッサンをしていない
受 験 に は デ ッ サ ン が 必 要 な の。
﹁ 今 頃 何 を 言 っ て る の。 美 大
した。
ら、学科の授業が終わると国際
は留学すると決めていましたか
学が叶わなかったので、大学で
受けなさいという親の反対で留
のに、高校までは日本で教育を
ないかというお話をいただいた
ありません。カルチャーショッ
うだけで尊敬されるシステムも
値観は通用しないし、先輩とい
じらいが美徳だった日本での価
い?﹂と言われてしまうし、恥
歳のおじいちゃんだったのか
ゆっくりと進んでいくことにし
のかけらと別れて、元のように
のです。そこで﹁ぼく﹂は、そ
こともできなくなってしまった
ことも、チョウチョと話をする
なくなりました。空の色を見る
この絵本を読んで涙が止まり
大変。まずは英文科を出て、そ
ませんでした。絵本がこんなに
たのです。
隣室の住人であるアンが一冊の
人の心を動かすなんて
クに打ちひしがれる私に、寮の
絵本をプレゼントしてくれまし
学部で勉強しました。
その甲斐あって、三年生に進
た。今思えば、この絵本との出
れでも絵がやりたかったら美大
に行きなおせばいい。
﹂
学 し た と き、﹁ 貴 女 は 政 府 奨 学
がありましたが、ここでは割愛
院を受験しなおすという一騒動
ス女学院に進み、翌年、青山学
み ま し た。
︵鎌高からはフェリ
青山学院大学の英米文学科へ進
が、この後に、日本中から推薦
に手を取り合って喜んだのです
きると早とちりして、父と一緒
の私は、これで奨学金で留学で
の通知が
を探してと旅に出ます。一部が
い﹁ぼく﹂が、体の欠けた一部
作﹁ ぼ く を 探 し に ﹂ で す。 丸
れたシェル・シルヴァスタイン
子さん翻訳の日本語版が出版さ
十数年後に日本でも倉橋由美
分の絵本を日本に送りました。
ときには大きな段ボール箱二つ
みあさりました。留学を終えた
け、大きな本屋さんで絵本を読
ほどのサンフランシスコに出か
機会のあるごとにバスで一時間
うと決意しました。それからは
この
金留学生に推薦されました﹂と
とき私は、絵本の翻訳家になろ
します。
︶
された学生の間で選考が行われ
欠けているので上手く転がるこ
先 生 と 家 族 に そ う 諭 さ れ て、
会いが最初の転機です。
英語か絵か、両方が好きだっ
たのです。全ての教科の成績に
とができませんから、休み休み
ができました。ここで良い成績
同じレベルの授業を受けること
が併設されており、アメリカと
青山学院には当時、国際学部
めてだった私には大きな試練が
らすのも、海外で過ごすのも初
女共学の寮に。親元を離れて暮
トックトンにある姉妹校では男
カリフォルニア州北部のス
私費で留学させてくれました。
と転がり始め、休むことができ
になった﹁ぼく﹂は、ころころ
いました。ところが、完全な丸
﹁ぼく﹂の一部にぴったりと合
す。 最 後 に 出 会 っ た か け ら は、
逢 う の で す が、 ど れ も 違 い ま
部と思われるいろいろな形に出
進んでいきます。途中、体の一
おっちょこちょい
たとはいえ、この中途半端な選
落選しました。それでも両親が
ばらつきのある私は、もちろん
を収めれば姉妹校に留学できる
待 っ て い ま し た。﹁ 君 の 英 語 は
英文科を卒業したからといっ
択が私の原点のようです。
制 度 が あ り ま し た。 高 校 時 代
古 い ね え。 英 語 の 先 生 は 八 十
転機の始まり
に、政府交換留学制度で留学し
るわけではありません。どうす
て、すぐに絵本の翻訳家になれ
旦 帰 国 し た の で す が、 ヒ ス テ
いと要請され、準備のために一
小学校から、もう一年いてほし
筋症のため、
り知られていなかった拡張性心
い﹂とのこと。当時はまだあま
歳で他界した父
れば良いのか分からなかった私
アメリカに戻れなかった私
だ、アフリカの水を飲んだ者は
た ち の 塾 に も 通 い ま し た。 た
う、プロの絵本作家を目指す者
に戻りました。あとさき塾とい
た。私も実務翻訳と絵本の創作
でした。残された家族はしばら
は、実務翻訳の仕事はもう一年
またアフリカの地を踏むと言わ
リックなアメリカ大使館の女性
した。そうするうちに自分でお
休むことを申し入れていました
れている通り、その後も数回ア
は、仕事としての実務翻訳をす
話を書き、絵を描くことが楽し
から、東アフリカはケニヤの星
フリカに行きました。
くは何も手につきませんでし
くなり、自分の絵本の創作を始
野スクールで半年間アフリカに
ない日もあれば、ライオンの群
父がいなくなって数年後、不
職員に﹁独身女性にワークビザ
めたのです。
ついて学ぶことにしました。半
に 出 く わ す 日 も あ り ま す。 朝、
思議なことに、父と何らかの関
る傍ら、絵本作りの教室や童話
大学卒業後3年目で、ある出
年 間 の 学 生 生 活 を 終 え た と き、
テントから出ると、周囲はゾウ
係がある出版社から次々と絵本
た。それでも母には幼稚園の経
版社の公募展で大賞をいただ
ナイロビ在住のコーディネー
の足跡だらけです。間近に動物
は出せない﹂と言われ、アメリ
き、 そ の 絵 本 が 出 版 さ れ ま し
ターから、ナミビアで野生動物
たちを見られて、動物たちの表
作りのカルチャースクールに通
た。
﹁おおかみと七ひきのこや
の撮影をしているテレビ取材班
営という仕事がありましたか
ぎ﹂の絵本でした。
が通訳を探しているから行って
のお話をいただいたのです。父
カに戻れなくなってしまいまし
その後、実務翻訳の仕事が異
情や仕草を私は心に描き留めま
が 以 前 に 仕 事 を し て い た 学 研、
いました。そこで翻訳の前に絵
常なほど忙しくなりました。睡
くれないかというお話が。子供
した。動物園では見ることの叶
外語大が所在する巣鴨にある
ら、 日 常 生 活 は 動 き 始 め ま し
眠時間が3∼4時間という日が
のときから動物が大好きな私は
わない貴重な経験でした。
た。これが第二の転機です。
半 年 間 続 き、
﹁忙しいという漢
快諾しました。
が、ナミビアでのテント生活を
家 に 電 話 す る と、﹁ 父 が 危 篤 だ
だったのですが、2ヶ月ぶりに
撮影隊の滞在は3ヶ月の予定
した。
書き、絵を描かせていただきま
出 版 社。 何 冊 か 自 分 で お 話 を
室を構えていた乃木坂にあった
福音館書店。後には、父が編集
出 し ま し た。 そ こ で 心 機 一 転、
大いに楽しみました。朝6時に
から直ぐに帰っていらっしゃ
歳になっていた私です
カリフォルニアの小学校で派遣
動物を探してキャンプを出るの
既に
教師として日本文化の紹介をし
ぞ﹂と言った友人の言葉を思い
字 は、 心 を 亡 く す と 書 く ん だ
本の構成や文章について学びま
58
ですが、ハイエナ一頭見つから
33
て ヶ月を過ごしました。その
10
第 35 号
う し お
(29) 平成 28 年5月 30 日
平成 28 年5月 30 日 (30)
ジア・アフリカの国々では、必
それまでに旅をし滞在したア
ンパンジーが私の足下をすり抜
プにお邪魔させていただき、チ
究しているマハレ山塊のキャン
が で き ま せ ん で し た。 す る と、
その頃の日本では見つけること
く れ る 学 校 を 探 し た の で す が、
のです。すると思いもよらぬ展
す。そう、彼は画商さんだった
をやってあげる﹂と言ったので
んが声をかけてくださり、上野
ず本屋さんに行ってその国の絵
松坂屋、横浜三越、藤沢小田急
開に。予想以上に売れてしまっ
学校にモノタイプのコースがあ
などで個展をしてくれるように
留学時代の親友、あの絵本をく
るというのです。その上、アン
なりました。また、都内や地方
けて行くという貴重な体験もし
さて日本に帰って出版社に売
の家の客間を使って良いと申し
の画廊でも個展を主催してくだ
本や昔話を探しました。ところ
り込まなくては⋮ と帰国の途
出てくれました。彼女の言葉に
たのです。すると数人の画商さ
る考え方の違い、あるいは口承
についたのですが、成田に着い
甘えて三ヶ月間、モノタイプと
れたアンが住んでいる町の美術
文学が主流であるがゆえに、絵
度の高熱が。マラ
ました。
本がない国がとても多かったの
たとたんに
が経済状況や子供の文化に対す
です。あっても、とても粗野な
描 き さ ん で、 絵 本 を 作 ろ う
﹂
﹁ こ の 国 の お 話 で、 こ の 国 の 絵
に、 と て も 残 念 に 思 っ た 私 は、
や、 ユ ニ ー ク な 芸 術 が あ る の
紙 の も の で し た。 面 白 い お 話
本の出版は大いに遅れてしまい
目に。おかげで、アフリカの絵
れ、1ヶ月の入院生活を送る羽
の で す。 そ し て 救 急 車 で 運 ば
性マラリアを発症してしまった
リア、それも死亡率の高い熱帯
版画も始めました。自分の力の
なったのですが、主流である銅
帰国して版画工房の会員に
した。
コラグラフの版画技法を学びま
個展のための版画制作と絵本の
さるようになりました。数年は
帰国する海外協力隊員の家をお
スサラームへ飛び、日本に一時
さっそくタンザニアのダルエ
科の講師にランナー王朝時代の
滞在し、チェンマイ大学美術学
タイのチェンマイにも2ヶ月
テ ー マ に、 次 々 と 制 作 し ま し
リカで出逢った動物たちをモ
り取る銅版画に魅了され、アフ
及ばぬ腐食という過程を経て刷
友人が言ってくれたのです。油
ら、貴女も油絵にしたら?﹂と
で す。﹁ 油 絵 な ら 家 で 描 け る か
ことができなくなった3 年前
いて長時間を版画工房で過ごす
最後の転機が、高齢の母を置
なかった色を自由に使えること
た。海外展にも積極的に出品し
銅版画を始めて一年足らずの
が楽しく、家族が寝静まったあ
画法で絵本の挿し絵を描いてい
時に、工房の先生に勧められて
と、未明まで夢中になって描き
借りし、図書館へ通い詰めて絵
四つ目の転機は、サンフラン
鎌倉の小さな画廊で三人展を
ました。描き始めたばかりの油
彩画を始めたら、版画では使え
し、ティンガティンガ派の絵描
シ ス コ に 旅 し た 時 に。 ア ー ト
し ま し た。 こ こ で 五 つ 目 の 転
彩画など個展に出品するつもり
ました。
きさんが集まる村に2ヶ月通っ
フェアで目にしたモノタイプと
機。その時の作品を観た鎌校の
はなかったのですが、画商さん
ただき、のちに素敵な絵本にな
て 原 画 を 描 い て も ら い ま し た。
いう版画に一目惚れし、ぜひ習
同 級 生 が、﹁ 渋 谷 東 急 で 展 覧 会
本に向いたお話を探し出し、コ
帰国前には、京大の霊長類研究
いたいと思ったのです。教えて
りました。
所の研究者がチンパンジーを研
ピー機がないので手書きで写
に結婚しました。
制作に追われましたが、その間
と思い立ちます。これが三つめ
ました。
40
の転機です。
う し お
第 35 号
第 35 号
う し お
(31) 平成 28 年5月 30 日
が 出 品 を 強 く 勧 め て く だ さ り、
好評を得ました。それからは仙
台三越、名古屋松坂屋、星ヶ丘
三越、博多大丸などで、作品展
を毎年のように開催してくださ
います。
美大をあきらめて英文科に進
んだ私ですが、振り返れば多く
の転機を重ねて原点に還ってき
ました。今、大好きな動物たち
の絵を、素直な気持ちで大切に
描かせていただいています。
[ プロフィール ]
よしざわ ようこ
︵ 現姓 登那木葉子︶
イ ソ ッ プ 物 語 挿 絵、﹁ サ ム リ ま
めをとりかえす﹂︵再話︶
︵福音館
こどものとも︶
、
﹁こどものとも﹂
年 中 向 け 折 込み冊 子にて、﹁せ
かいの どうぶつ ことわざ リレー﹂
を 連 載、 朝 日 ウ ィ ー ク リ ー に
1955年 月 日生まれ
東京都渋谷区で生まれすぐに
校︵ 2 年 生 ま で ︶、 湘 洋 中 学 校
卒業。鎌倉高校卒業後、青山学
院大学文学部英米文学科へ。在
︵第
際版画ビエンナーレ、 Sarajevo
ミ ニ プ リ ン ト 展、 Cluj国 際 版
書 館 に 収 蔵 さ れ る ︶、 Bitola
国
︵ Stockton, California
︶
Pacific
に交換留学。フリーランスの翻
およぐ﹂/﹁やっぱりともだち﹂
﹁いたずらビンバ﹂/﹁ノモノモ
きのこやぎ﹂︵絵︶︵コーキ出版︶、
主な著書に﹁おおかみと七ひ
ビ エ ン ナ ー レ、 恵 比 寿
レ、イタリア国際ミニプリント
ンブール国際版画ビエンナー
カーズ国際版画交流展、イスタ
越、博多大丸
Atelier 、
K 到 津 の 森 公 園、 東
急 百 貨 店 渋 谷 本 店、 名 古 屋 三
Galerie
︵ 学 研 月 刊 誌 プ リ ン ︶、﹁ お お
志 茂 田 影 樹 著 ︶、
︵ KIBA Books
東京書籍中学2年英語教科書
ン オ オ カ ミ と き め き 編 ﹂︵ 挿 絵 ︶
館こどものとも︶、﹁最後のニホ
ぐ い ひ ょ う た ん︵ 再 話 ︶︵ 福 音
、 小 田 急 百 貨 店、 上 野 松
Malle
坂 屋、 横 浜 三 越、 仙 台 三 越、
画家に。
訳者・通訳を経て、絵本作家・
University of the
50
画 ト リ エ ン ナ ー レ、 Varna国
際版画展、新横浜プリントメー
学中に姉妹校
主 な 展 覧 会 に CWAJ
版画展
回入選作品が米国議会図
鎌倉へ。御成小学校、御成中学
29
"Animal Idioms & Sayings"を
隔週で連載。
10
0
00000000
0誌0
0
会
報
﹁0
うし
お0
﹂ 00
00000000
0
0000000
編集者からのお願い
00000000
0
0000000
年に一度発行しています
会報誌﹁うしお﹂の戻りが
約500部あります。これ
は事務局に登録されている
住所が古い事に起因してい
ます。また、住所が事務局
に登録されていない為、会
報誌﹁うしお﹂自体が届い
ていないケースも あ り ま す。
ここで、うしお会の皆様
にお願いがあります。鎌高
のクラス会や同窓会等に出
席 さ れ た 時、 一 度 会 報 誌
﹁うしお﹂が届いているか
を出席されている方々に確
認して下さい。
もし届いていない方がお
り ま し た ら 氏 名、 郵 便 番
号、 住 所 を 書 い て も ら い、
そ れ を 同 窓 会﹁ う し お 会 ﹂
事務局までファックスを
送って下さい。
皆さんのご協力をお願い
致します。
ル部は﹁挨拶﹂
・
﹁時間厳守﹂
・
私たちアメリカンフットボー
アメリカンフットボール部
た。今年は最後の一年となり
同合宿などにも参加しまし
Sと韓国で行われた日韓の合
で選抜されて、東京のJ IS
した。また、高体連外の試合
東新人戦が2位というもので
合成績は、関東大会3位、関
がとうございました。主な試
去年は、たくさんの応援あり
カヌー部
ばっていきたいと思います。
大会を目指して練習をがん
を果たしました。今年は関東
団体ベスト8、個人3位入賞
す。昨年度は女子が県大会で
入部員が多く集まりそうで
で活動しています。今年も新
部活動報告
﹁清掃﹂など誰でもできるこ
ますが、フォームの修正など
●●
とを徹底して行うことを今年
●運 動 部 ●
度の目標にしています。また
漕力をアップして、さらなる
泰弘(昭和30年卒)
代表取締役会長 山本
●●
日頃支えていただいている保
〒 251- 0032 藤沢市片瀬4−14−21
TEL:0466−22−4324 FAX:0466−22−4324
〒220- 6213 横浜市西区みなとみらい2−3−5 クイーンズタワーC13F
TEL:045−227−5711 FAX:045−227−5747
江島神社
株式会社 ワイエスシー
圀彦(昭和39年卒)
宮司 相原
代表取締役 小泉 稔(昭和40年卒)
〒101- 0025 東京都千代田区神田佐久間町1−7−3
TEL:03−3253−6483 FAX:03−3253−9080
〒251- 0052 藤沢市藤沢973番地 相模プラザ第3ビル6階
TEL:0466−23−3012 FAX:0466−26−6509
好成績を目指し
ド権獲得、女子は関東ベスト
34
ミマツ音響株式会社
株式会社 ミルスペース
護者・コーチ・先生方に感謝
8という目標を掲げて、日々
剣道部
当たり前だと思わず精進しま
格技場で稽古に励んでいま
全力で頑張りた
す。鎌倉高校FAKERSは
す。昨年度、女子が県ベスト
をし、自分たちがやりたいこ
今までの自分を変えることが
私たち剣道部は、男子はシー
でき、逞しく成長できる素晴
8 を 獲 得 し ま し た が、 さ ら
いと思います。
らしい部活です。応援よろし
に 上 を 目 指 し て い ま す。 ま
22
正明(昭和36年卒)
代表取締役 田中
とを不自由なく行えることを
くお願いいたします。
た、高校から始めた初心者が
多いチームは鎌倉高校しかな
指すのは大変厳しいことなの
弓道部
係なく仲が良く、和気あいあ
です。今年は関東大会が神奈
く、本来であれば県上位を目
いとした部活です。現在3年
川県で開催される特別な年で
弓道部は先輩、後輩、男女関
人
生 人、2年生 人の計
12
平成 28 年5月 30 日 (32)
う し お
第 35 号
株式会社 林塗装店
有限会社 東昭産業
代表取締役 林 澄雄(昭和40年卒)
代表 松中 芳治(昭和40年卒)
〒251- 0052 藤沢市藤沢576
TEL:0466−27−1761 TEL:0466−22−3043
〒248- 0006 鎌 倉 市 小 町1−3−5
TEL:0467−22−1908 FAX:0467−25−3411
思います。応援よろしくお願
す。一丸となって戦いたいと
します。
ますので応援よろしくお願い
チーム一丸となり励んでいき
筋力トレーニングなどをして
に 週 4 日、 海 岸 を 走 っ た り、
体 力 づ く り に 励 ん で い ま す。
いします
鳳凰三山︵薬師岳 2780
年の夏合宿では南アルプスの
丹沢で登山をしています。昨
そして、月に1回程度、主に
水泳部は現在3年生9人、2
水泳部
人で夏は水
人の計
m 、観音岳 2841m 、地
年生
中、冬は陸上を中心に活動し
り組んでいます。現在、部員
サッカー部
磋琢磨して練習に励んでいま
総数が2名と少数なため、今
蔵岳 2764m ︶に登頂し
す。昨年度は鎌倉市民大会に
年は新入部員獲得に向け勧誘
ました。冬期はスキーにも取
て好成績をおさめました。ま
活動に全力を注ぎたいと思い
ています。男女や学年の壁は
た、湘南地区大会では、男子
ます。
年度も1人ひとりが自らの目
標を超えられること、関東大
会に出場することを目標に頑
張ります。応援よろしくお願
果を残しました。練習環境も
いします。
で活動しています。未経験者
私たちソフトボール部は 名
ソフトボール部
総合3位を獲得しました。本
なく、お互いに教え合い、切
86
こ ん に ち は、 鎌 倉 高 校 サ ッ
カー部です。現在、部員数
名で活動しています。去年の
活動実績は、トーナメントで
は思うような結果を残すこと
はできませんでしたが、リー
グ戦では7勝2分のグループ
2位の結果を残すことができ
ました。そして、僕達の代に
なり、今まで先輩たちが培っ
てきた伝統を守り、新たな歴
史を作っていく為に努力を惜
しまず、仲間を信じ、
自分を信じて
も多いなか、湘南地区大会で
は2年連続優勝し、県大会で
は3年連続ベスト という結
スキー山岳部
〒251- 0037 藤沢市鵠沼海岸3−1−7
TEL:0466−36−3188 FAX:0466−33−3380
〒251- 0047 藤沢市辻堂1−8−29
TEL:0466−34−7072 FAX:0466−34−7072
株式会社 齋藤商店
株式会社 イシイフーヅ
光久(昭和42年卒)
代表取締役 齋藤
英樹(昭和43年卒)
代表取締役 石井
〒248- 0005 鎌倉市雪ノ下3−8−29
TEL:0467−22−0338 FAX:0467−24−8497
MAIL:mail @ kamakura-yamadaya. jp
〒251- 0052 藤沢市藤沢3−2−14
TEL:0466−22−2225 FAX:0466−22−3119
22
整い、OGの方々や保護者の
鎌倉市大船 4−21−1 TEL:0467−46−1071 FAX:0467−46−1070
治男(昭和41年卒)
綜合建設 大沢組
〒251- 0052 藤沢市藤沢559 角若松ビル
TEL:0466−25−3005 FAX:0466−25−3006
プレップ おおぞら保育園(定員:0歳9名 1歳12名 2歳24名)
隆之(昭和40年卒)
鎌倉市大船 5−10−35 TEL:0467−46−2932 FAX:0467−46−2948
代表取締役 増田
誠一(昭和41年卒)
学校法人 北鎌倉学園 おおぞら幼稚園
鎌倉 山田屋 岡本
廣和(昭和41年卒)
代表 大沢
14
株式会社 ウエルカム
理事長・園長 山田
13
僕たちスキー山岳部は基本的
16
第 35 号
う し お
(33) 平成 28 年5月 30 日
ダンス部は現在
ダンス部
人で活動し
ています。昨年度はチアダン
後も部員全員の手で守り続け
す。今年は神奈川県上位を目
スや県新人コンクールへの参
ていきたいと思います。
指し、チーム一丸となって頑
加といった従来の活動に加え
方々などの多くの方に支えら
張りますので、応援よろしく
て、様々なダンスコンテスト
れて、日々練習に励んでいま
お願いします。
現場の作業員をモチーフにし
新人戦東日本大会では、工事
た。3月のダンススタジアム
にも積極的に挑戦してきまし
体操部
人で
体操部は、3年3人、2年生
度の目標である﹁県大会への
階の専用卓球場を使い、今年
鎌倉高校卓球部は、体育館2
卓球部
張っていきます。
それぞれの目標に向かって頑
さん表彰されました。今年も
ます。去年は大会に出てたく
ろいろな技を教えてください
の先輩方が来てくださり、い
んでいます。よくOB,OG
く時には厳しく練習に取り組
活動しています。みんな仲良
援よろしくお願いします。
きるよう頑張りますので、応
年度もよりよい作品を発表で
イル賞をいただきました。今
た作品を発表し、ベストスマ
6人、1年生2人の計
出場﹂を目指して、日々練習
11
に 励 ん で い ま す。 昨 年 度 は、
部員1名という危機的な状況
男子硬式テニス部
男子硬式テニス部の活動日は
〒251- 0056 藤沢市羽鳥4−13−33
TEL:0466−34−1118 FAX:0466−34−1119
E-mail : katutaka@szki-ex. co. jp http : //www. szki-ex. co. jp
〒251- 0035 藤沢市片瀬海岸3−19−20
TEL:0466−21−8150 FAX:0466−21−8151
鈴木運輸株式会社
勝貴(昭和45年卒)
渡辺啓二税理士事務所
代表取締役 鈴木
啓二(昭和46年卒)
税理士 渡辺
もありましたが、コーチの方
のご協力もあり、現在では部
員6名と、団体戦に出場でき
るチームを創り上げることが
月、火、木、土です。平日は
から2時間半、土曜日
http : //www. shonanfujisawa. com/ mm. fujisawaminami/
〒251- 0004 藤沢市藤が岡2−9−5
TEL:0466−22−5550 FAX:0466−24−4295
〒251- 0056 藤沢市羽鳥4−12−33 フリーダイヤル:0120−460−770
一彦(昭和45年卒)
代表取締役 小池
鈴木 勝貴(昭和45年卒)
株式会社 小 池 造 園
ダスキン メリーメイド藤沢南店
〒222- 0033 横浜市港北区新横浜3−6−1
TEL:045−470−0330 FAX:045−474−3768
〒251- 0025 藤沢市鵠沼石上2−1−17
TEL:0466−26−3336 FAX:0466−26−6723
フライスター株式会社
株式会社 湘南薬品
代表取締役社長 関 全男(昭和43年卒)
壽裕(昭和44年卒)
代表取締役 曽我
45
は4時間と時間を決めて集
00
できました。先輩方や顧問の
先生、保護者の方々に感謝し
つつ、強く楽しい卓球部を今
16
平成 28 年5月 30 日 (34)
う し お
第 35 号
も応援よろしくお願いします。
日々努力しています。これから
ように、 先 輩 方 を 目 標にして
いま す。 大 会で結 果 を出せる
中 して練 習 し、 試 合に臨んで
連続となる関東大会出場を果
動しています。女子は、2年
互いに競い合いながら日々活
私 た ち は、 男 女 計 4 0 人 で、
バドミントン部
張りたいと思います。
場ができるようチーム一同頑
く、 毎 日 笑 顔 が 絶 え な い で
みんな個性があって仲が良
女子硬式テニス部
しましたが、県大会では結果
た。個人戦も県大会に出場は
4位という結果を残しまし
会・新人戦と湘南地区で団体
たしました。男子は、夏季大
す。やるときはやると互いに
でいます。顧問の先生やコー
はベスト8を目標として頑張
地区大会では優勝、県大会で
在、選手が3年生7人、2年
ボ ー ル 部 で す。 私 た ち は 現
こんにちは
男子バレーボール部
チ、卒業生の方々など周囲の
ります。ここまでバドミント
生7人、マネージャーが2年
が残せなかったので、今年は
人々に恵まれているので、感
ン部が代々結果を残すことが
に3人、計
切磋琢磨しながら練習に励ん
謝の気持ちを忘れずに、県大
で き る の は、 チ ー ム 一 丸 と
なって切磋琢磨していること
で日々切磋琢磨し、充実した
教えを受けながら、部員全員
ます。顧問の先生、コーチに
人で活動してい
男子バレー
会に向けてよりいっそう練習
に励みたいと思います。応援
はもちろんですが、OB・O
活 動 を 行 っ て い ま す。 応 援、
Gの方が部活に来てくれた
り、試合の応援に駆けつけて
よろしくお願いします
よろしくお願いします。
くれたり、シャトルの提供を
ているお陰だと思っていま
私たち女子バレーボール部は
女子バレーボール部
してくれたりと支えてもらっ
す。たくさんの人が支えてく
3年生4人、2年生6人の計
人と新入生を迎えて、週に
5 日から6 日活動していま
〒251- 0055 藤沢市南藤沢2−1−3 ダイヤモンドビル内
TEL:0466−22−2373 FAX:0466−22−2373
〒 251- 0015 藤沢市川名801
TEL:0466−26−1601 FAX:0466−23−6019
有限会社 立花屋
株式会社 水落建設
代表取締役 叢 秀樹(昭和51年卒)
雄一(昭和51年卒)
代表取締役 水落
17
れているからこそバドミント
ン が で き る こ と に 感 謝 し て、
今年の春も団体で関東大会出
10
第 35 号
う し お
(35) 平成 28 年5月 30 日
しらすと地魚料理・旅館 かきや(腰越電車通り)
代表取締役 戸倉 孝二(昭和50年卒)
成勢 啓一(昭和48年卒)
有限会社 成勢商店
〒248- 0033 鎌倉市腰越3−7−24 http : // ishonan. com / kakiya
TEL:0467−32−4828 FAX:0467−32−4180
〒252- 0816 藤沢市遠藤2480
TEL:0466−87−0021 TEL:0466−87−0023
株式会社 湘南セールスプロモーション
櫻井 淳 青野 久美(昭和55年卒)
〒251- 0025 藤沢市鵠沼石上1−8−10−101
TEL:0466−25−1035 http : // shonansp. com
に取り組んでいます。人数は
が,みんな日々一生懸命練習
ることができませんでした
す。昨年度は県大会に出場す
よろしくお願いします。
らも頑張っていきます。応援
謝の気持ちを忘れず、これか
OB の方や保護者の方への感
す。私たちを支えてくださる
会出場を逃しましたが、チー
た。昨年度は残念ながら県大
に、練習に取り組んできまし
に出場して勝利する事を目標
6日活動しています。県大会
ム の ス ロ ー ガ ン は﹁ 臥 薪 嘗
多くないですが、新3年生は
残り少ない時間を大切に、良
く、これまでの悔しさを胸に
総体予選では目標を達成すべ
胆 ﹂、 三 年 生 の 集 大 成 と な る
私たち女子ハンドボール部
チーム一丸となって日々鍛錬
女子ハンドボール部
名、 マ ネ ー
ています。この1年は先輩や
願いします。
しています。応援よろしくお
女子バスケットボール部
重光(昭和61年卒)
代表取締役 田中
い成績を残せるよう努力して
いきますので、応援よろしく
ジャー2名の計 名で活動し
はプレーヤー
経験者がほとんどいないな
ハンドボールを楽しむことが
私たち女子バスケットボール
か、周りの方々に支えられて
できました。これからも県ベ
部は3年生5人・2年生1人・
人で活動して
県大会出場を果たし、翌春の
います。まずは秋の新人戦で
1年生8人計
を目指してチーム一同
スト
精一杯頑張りますので応援よ
ろしくお願いいたします。
人の計
男子バスケットボール部
3年生 人、2年生
代表 市島 徹(昭和62年卒)
〒251- 0037 藤沢市鵠沼海岸1−8−20
TEL:0466−37−0071 http://www.ichijima-labor.com/
〒252- 0816 藤沢市石川3−19−22
TEL:0466−88−0380 FAX:0466−88−0391
E-mail : izaiza1128@me. com http : //www. e-house. co.jp/izawa-koumuten/
日本精麦株式会社
セントラルモータープール
〒251- 0052 藤沢市藤沢1027番地2
TEL:0466−27−7505 FAX:0466−27−6966
〒252- 0816 藤沢市遠藤728番地の7
TEL:0466−87−8832 FAX:0466−87−8836
http : //www. kokubuya. com
お願いします。
年度の男子ハンドボー
男子ハンドボール部
平成
ル部は、夏の湘南地区大会で
3位、秋の県新人戦ではベス
ト 入りを果たすことができ
名の
ました。今年度から新しい顧
問の先生を迎え、現在
入りを目標に、チーム
部員で活動しています。県ベ
スト
14
司法書士法人 湘南リーガルオフィス
司 法 書 士 石 田 宏 治 ( 昭和58年卒)
有限会社 国 分 屋
代表取締役 飯田 圭太(昭和60年卒)
13 11
人と新入生を迎えて、週に
11
重光(昭和61年卒)
代表 田中
16
12
29
一丸となって努力していま
23
27
16
16
平成 28 年5月 30 日 (36)
う し お
第 35 号
〒251- 0035 藤沢市片瀬海岸1−11−13
TEL:0466−28−7311
〒 253- 0114 高座郡寒川町田端1590−5
TEL:0467−72−3620 FAX:0467−74−2002
株式会社 伊 沢 工 務 店
代表取締役 伊沢 孝次(昭和62年卒)
市島徹社会保険労務士事務所
第 35 号
う し お
(37) 平成 28 年5月 30 日
できるように日々頑張って
西支部を代表して県で活躍
関 東 大 会・ 総 体 に お い て も
な っ た 問 題 や 課 題 を も と に、
試合を行い、そこで明らかに
私たち野球部は、週末に練習
野球部
は、湘南大会において入賞し
に出場しました。また個人で
らに男女とも鎌倉市駅伝大会
県高校駅伝大会に出場し、さ
目でも県大会に出場できるよ
い き ま す。
﹁笑顔﹂を忘れず
う頑張りたいと
たり、県大会出場を果たすこ
り週2回のウェイトトレーニ
思います。
選手が自主的に練習メニュー
ングを取り入れることで、体
に﹁女バスっていいね ﹂を
力の向上にも取り組んでおり
と が で き ま し た。 来 年 度 は、
フェンシング部
考えて、平日の練習を実施し
ひとりで校外練習に通う活動
ます。昨年の大会では2回戦
モットーに文武両道の精神を
も三年目、最後の年になりま
で敗退を喫しましたが、その
団体種目だけでなく、個人種
した。昨年度は関東大会ベス
壁を乗り越えられるよう、大
ております。また、本年度よ
ト8、県新人大会優勝などの
会に向けて日々練習に精進し
俊明(平成5年卒)
代表取締役 広瀬
博章(平成元年卒)
代表取締役 重田
貫きます。
成 績 を 残 し た も の の、 イ ン
て参ります。
茶道部
●●
今年度は1年生が女子6名も
●●
● 文化部 ●
ターハイ予選では、あと一歩
のところで悔しい思いをしま
今年こそはインターハイに出
し た。 そ の 悔 し さ を ば ね に、
場し、昨年以上の成績を残し
入部してくれまして、茶道部
お手前している時にたくさん
て、有終の美を飾れるように
陸上競技部
の目で見てもらえますし、ま
はさらに賑やかになりそうで
陸上部は、一人ひとりが自分
た、人のお手前をたくさん見
頑張ります。応援よろしくお
たちの記録を更新するため
ることができるのでとてもよい
す。部員が大勢いると自分が
に、目標を持って一生懸命練
刺激になります。いろいろな
願いします。
習しています。昨年、女子は
株式会社 ヤベ自動車工業
代表取締役 矢部 康博(平成元年卒)
〒252- 0815 藤沢市石川6−1−1
TEL:0466−87−5252 FAX:0466−87−5256
E-mail : ybtokki@yabe-motors. co. jp http : //www. yabe-motors. co. jp
株式会社 重 田 工 芸
〒252- 0816 藤沢市遠藤298−6
TEL:0466−88−6880 http : //www. shigeta-kougei. com
広瀬硝子建材株式会社
〒251- 0032 藤沢市片瀬2−16−29
TEL:0466−22−6605 FAX:0466−23−6994
E-mail : hirose25@apricot. ocn. ne. jp http : //www. hirose-glass. com
平成 28 年5月 30 日 (38)
う し お
第 35 号
会︵3月予定︶に向けてがん
けています。今年も定期演奏
演 劇 同好会
●●
し て い ま す。 新 1 年 生 を 迎
1 名、 チ ェ ロ 1 名 で 演 奏 を
● 同好会 ●
お茶会にも参加させていただ
現在の演劇同好会は、平成
年7 月 に 発 足 し た ば か り の、
なく、神奈川県高等学校美術
病院文化祭﹂での展示だけで
私たちは昨年、恒例の﹁鈴木
美術部
は、地区大会への出場、そし
た り し ま し た。 今 年 度 以 降
察の方と非行防止教室を行っ
たり、中学校を訪問して、警
度は、後夜祭で殺陣を発表し
全く新しい同好会です。昨年
展にも出品参加しました。ま
て全国大会への出場を最大の
昨 年 度 は、 県 南 吹 奏 楽 コ ン
クールにて金賞を受賞し念願
動しています。福祉施設への
部門出場、その他腰越みなと
金管八重奏がフェスティバル
の県大会出場を果たしまし
訪問演奏や定期演奏会に向
まつり、テレジア病院訪問演
27
●●
きました。今年度は小文化祭
ばります。応援よろしくお願
していきたいと思っていま
で、部員一同先輩方のお越し
をお待ちしています。部員た
す。 ま ず は 目 指 せ
た、 地 区 の 交 通 安 全 の ポ ス
目標としています。随時、入
部員
ちで積極的に活動し、
タ ー に 応 募 し た り 精 力 的 に、
会受付中です。まだ発足して
名以上
た。アンサンブル県南大会で
兼部率が高い中活動していま
間もないため、卒業生の方々
茶道部を盛り上げて
室内楽部
はクラリネット四重奏・サッ
す。 ま た、 今 年 も 例 年 以 上
や顧問の先生方のご支援ご協
け、 演 奏 技 術 を 高 め る た め
奏、義経まつりパレード出演
行きたいです。
私 た ち 室 内 楽 部 は3 年 生5
クス五重奏がコンテスト部門
に、一人一人頑張って作品を
力を必要としています。よろ
吹奏楽部
名、2年生3名の計8名で活
で金賞受賞、打楽器四重奏・
制作していきます。今までよ
しくお願いします。
を し た り し て い ま す。 現 在、
など地域に根ざした活動も続
に、個人で練習をしたり合奏
フルート1名、ヴァイオリン
2名、ヴィオラ3名、ホルン
お見せしたいと思います。
りパワーアップした美術部を
いします
え、さらに多くの場で演奏を
10
第 35 号
う し お
(39) 平成 28 年5月 30 日
たたら製鉄を再現するために
していましたが、古代の鎌倉
初は奥出雲地方の砂鉄を使用
研究に取り組んでいます。当
古代製鉄法﹁たたら製鉄﹂の
科学研究会
上にも力を注いで
し、また個人の放送技術の向
もらえるような放送を企画
年はもっと鎌高生に楽しんで
泊合宿にも参加しました。今
た、放送の大会出場、冬の一
など、行事を支えました。ま
ります。
げていくことを目標に頑張
変 わり、 前 進していき ま す
の伝統を残しつつ新しく生まれ
定しました。 日歌 会は今 まで
楽 部 として活 動 することが決
私たち生徒会執行部は、今年
●●
度 ﹁move
●●
稲村ガ崎の砂鉄を材料にす
いきたいです。
● 生徒会執行部 ●
る よ う に し ま し た。 す る と、
まったく鉄ができない結果と
成果は2年連続神奈川県知事
て研究を進めています。研究
し、充実した1年間になりま
昨年同好会から部活動に昇格
合唱同好会︵g lee ︶
な っ て き ま し た。 そ ん な 中、
を多数行うなど活動が活発に
に加 え、他 校 との合同live
日歌会は近年、校内での活動
日本語の歌を歌う会︵日歌会︶
ターアクトクラブ﹂への参加
た。また、来年からは﹁イン
施の廃止なども検討しまし
携、体育祭・文化祭の隔年実
中心に、部活動予算や四校連
を行いました。行事の運営を
﹂を
なり、この原因こそが、鎌倉
テーマに去年より多くの活動
賞および日本学生科学賞入選
し た。 新 入 生 歓 迎 会 に 始 ま
大会への参加を含め今後さら
も 決 意 し、 来 年 度 は さ ら に
生徒会
たたら製鉄の衰退につながっ
1等を受賞
り、夏とクリスマスの校内コ
﹁move
たのではないかと仮説を立て
しました。
年から部 活 動へ昇 格し、 軽 音
に活動を充実させるべく、今
お昼休みの放送をはじめ、校
KBS同好会
の 拍 手 に 力 を も ら い ま し た。
くさんの方々から温かい応援
活動を増やしてきました。た
﹂していこうと思
ンサート、高齢者施設での訪
内 の 放 送 活 動 を し て い ま す。
今年はより多くの新入部員を
います。
問 演 奏、 七 里 ヶ 浜 自 治 会 の
納涼祭、横浜大桟橋﹁くじら
のおなかアフタヌーンコン
昨年の文化祭ではダンス部の
迎 え、 さ ら に 活 動 の 幅 を 広
サート﹂での発表と校外での
発表や後夜祭での音響や照明
第 35 号
学
名
合
3
現
3
東 京 造 形 大
1
東 京 電 機 大
11
東 京 都 市 大
大
学
名
鎌 倉 女 子 大
合
3
現
3
1
関 東 学 院 大
6
6
8
神 田 外 語 大
1
1
24
20
岐阜医療科学大
1
東 京 農 大
15
14
玉
大
東 京 理 大
22
11
駒沢女子大学
東 京 女 子 大
東
邦
川
平成 28 年5月 30 日 (40)
大
学
名
合
現
北 海 道 大
3
2
岩
手
大
1
1
1
筑
波
大
3
3
3
2
埼
玉
大
1
1
1
1
千
葉
大
1
国 立 大 学
大
1
1
駒
澤
大
17
16
電 気 通 信 大
3
3
東洋英和女学大
3
3
慶
応
大
11
9
東京医科歯科大
1
1
東
20
15
工 学 院 大
6
5
東 京 海 洋 大
1
1
洋
大
日 赤 看 護 大
1
1
国 学 院 大
6
5
東 京 外 大
1
1
日本獣医生命大
2
1
国際医療福祉大
2
2
東 京 芸 大
2
2
日 本 女 子 大
6
6
国 士 舘 大
3
3
横 浜 国 立 大
9
7
日 本 体 育 大
1
1
桜 美 林 大
1
1
山
梨
大
1
1
日
54
42
産 業 能 率 大
3
3
京
都
大
1
本
大
武 蔵 野 美 大
3
3
実 践 女 子 大
1
1
広
島
大
1
文
教
大
1
1
芝 浦 工 大
12
8
島
根
大
1
法
政
大
82
71
昭 和 女 子 大
1
1
鳥
取
大
1
北
里
大
17
14
昭
大
1
1
徳
島
大
1
麻
布
大
4
3
湘 南 工 科 大
2
2
東 京 工 業 大
3
和
明 治 学 院 大
43
42
上
大
8
7
九
州
大
1
明
大
62
48
神奈川工科大
6
6
宮
崎
大
1
1
明 治 薬 大
1
1
神 奈 川 大
20
17
国立大学合計
37
25
治
智
1
星
大
1
1
成
城
大
9
8
立
教
大
46
42
成
蹊
大
7
5
公 立 大 学
獨
協
大
2
2
星
薬
私立大学合計
689 585
文部省所管外
大
1
1
秋 田 県 立 大
1
1
青 山 学 院 大
33
30
首 都 大 東 京
5
4
専
大
12
11
横 浜 市 立 大
7
7
2
修
早 稲 田 大
24
19
神奈川保福大
2
海上保安学校
1
1
多 摩 美 大
2
2
静 岡 県 立 大
1
海上保安大学校
1
1
大 妻 女 子 大
1
1
都 留 文 科 大
1
公立短期大学
私立短期大学
帝 京 短 大
そ
の
1
1
他
1
大 東 文 化 大
1
1
北九州市立大
1
1
拓
殖
大
1
1
公立大学合計
18
16
中
央
大
26
23
中
京
大
1
1
私 立 大 学
帝
京
大
3
2
フェリス女大
2
2
帝 京 平 成 大
1
1
杏
大
3
3
東
大
21
16
横 浜 薬 大
2
1
海
林
専 門 学 校
6
5
東 京 音 大
1
1
岡 山 理 大
1
1
公
1
1
東 京 経 大
1
1
学習院女子大
1
1
東 京 工 科 大
7
7
学 習 院 大
12
12
務
員
※ このデータは平成28年3月31日締めのものです。今後変動する場合があります。
28
合は合計数
現は現役生の数です。
明
平成 ︵2016︶年度
大学別合格者数
大
う し お
(41) 平成 28 年5月 30 日
〈支出の部〉
決算額
b
繰 越 金
67 回入会金
3,066,432
1,400,000
3,066,432
1,395,000
0
▲ 5,000
利
協 賛
寄
合 500
3,600,000
0
8,066,932
327
3,858,416
70,000
8,390,175
▲ 173
258,416
70,000
323,243
息
金
付
計
増減額
b−a
* 協賛金のうち広告費170,
000円
* 収入 − 支出 = 平成 28(2016)年度へ繰越
8,
390,
175−6,
234,
413=2,
155,
762
* 繰越金内訳
横浜銀行
1,
519,
650
ゆうちょ銀行
636,
112
* 寄付金内訳
1.総会懇親会残金
2.S42 卒 関出氏
3.S45 卒 金澤明氏
議
費
0
0
0
会
報
費
3,000,000
3,127,307
127,307
通
信
費
250,000
276,506
26,506
部活動補助
300,000
152,000
▲ 148,000
卒業記念品
210,000
215,364
5,364
設備整備費
250,000
0
▲ 250,000
交
通
費
50,000
0
▲ 50,000
事
業
費
200,000
80,000
▲ 120,000
部室等補修費
2,800,000
2,155,268
▲ 644,732
費
30,000
27,968
▲ 2,032
周年行事積立金
200,000
200,000
0
予
776,932
0
▲ 776,932
備
費
予算額
前年度
予算額
b
予算額
増減額
項 目
a
a−b
繰 越 金
2,155,762
3,066,432
▲ 910,670
会
議
費
入 会 金
1,370,000
1,400,000
▲ 30,000
会
報
費
500
500
0
通
信
息
付
合 計
3,500,000
3,600,000
▲ 100,000
100,000
0
100,000
7,126,262
8,066,932
▲ 940,670
〈特別会計(周年行事積立金)〉
〈収入の部〉
項 目
a
前年度
予算額
b
増減額
繰 越 金
1,380,905
1,180,716
200,189
積 立 金
200,000
200,000
0
寄
付
利
息
合
計
0
200
189
11
1,581,105
1,380,905
200,200
a−b
0
0
3,200,000
3,000,000
200,000
費
300,000
250,000
50,000
300,000
300,000
0
卒業記念品
200,000
210,000
▲ 10,000
設備整備費
0
250,000
▲ 250,000
50,000
50,000
0
交
通
費
事
業
費
200,000
200,000
0
部室等補修費
2,500,000
2,800,000
▲ 300,000
費
30,000
30,000
0
周年行事積立金
200,000
200,000
0
776,932
▲ 776,932
予
a−b
増減額
部活動補助
雑
予算額
前年度
予算額
b
合
備
費
計
0
6,980,000
年度
収 支 予 算︵案︶
a
寄
27
平成
〈支出の部〉
項 目
協 賛 金
増減額
b−a
合
計
8,066,932 6,234,413 ▲ 1,832,519
1,180,716
200,000
0
会計監査の結果、
上記の通りであることをご報告します。
189
1,380,905 (平成 28 年度へ繰り越し)
会計監査 冨田 達
〈収入の部〉
利
決算額
b
会
雑
〈特別会計(周年行事積立金)
〉
繰 越 金
積 立 金
寄
付
利
息
合
計
予算額
a
項 目
年度
決算報告
予算額
a
平成
〈収入の部〉
項 目
第 35 号
う し お
28
8,066,932 ▲ 1,086,932
備 考
会 報 費:
「うしお」印刷費用、送料
通 信 費:電話代、ホームページ管理費用、OCN利用料、切手代
部 活 動 補 助:関東大会、全国大会出場祝い
交 通 費:ボランティア交通費
事 業 費:同窓会応援金
雑
費:事務所経費
※ 平成 27 年度会計決算報告及び平成 28 年度会計予算は、平成 28 年 7 月 2 日に開催されるうしお会総会において審議さ
れるものです。尚、審議の結果修正された場合は、同窓会ホームページでお知らせ致します。
内
子
浄
尾
子
橋 貢
多
女
ミ
枝
江
江
智
昌
藤 田 鶴
沼 ト
藤 俊
本 松
置 春
子
子
茜
子
子
子
子
子
子
子
子
妙
雍
枝
木 昌
野 久
山 慶
藤 八 重
嶋
屋
美
藤 節
橋 照
田 村
場 き み
熊 勢 子
川 ゆ み 子
子
出 由 美 子
藤 節 子
子 登 代 子
恵
新行内美代子
君 塚 節 子
S
清 水 久 子
荒 井 末 子
林
道 子
S
太 田 従 子
河 合 八 千 子
北 村 基 子
添 田 伊 津 子
今 井 幸 子
鈴 木 雅 子
S
関 根 智 子
塚 原 道 代
後 藤 洋 子
磯 部 幸 教
小 島 敦 子
小 山 静 子
時 山
誠
門 田 文 宏
中 里 須 美 子
清 水 延 子
武 藤 多 美 子
田久保小夜子
内 海 京 子
樋 口 朝 康
森 戸 ミ エ
菅 野 清 子
磯 野 正 子
小 野 光 子
松 葉 玲 子
山 ノ 井 弘 子
協 賛 金 納 入 者
雄
雄
一
司
英
子
三
進
博
男
猛
ト
江
夫
ノ
子
子
子
江
宗
堀
S
高
倉
S
須
柿
遠
榎
日
S
東
大
秋
斉
S
上
土
萩
S
後
高
三
堀
S
猪
細
S
小
加
金
S
林
子
り
康
子
子
子
枝
能
子
江
エ
子
枝
子
郎
隆
子
枝
造
江
子
健
武
明
子
子
一
夫
道
夫
岡 ま み
水 智 恵 子
田 絹
下 み ど
中 照
澤 寿 美
田 ツ ネ
井 英
沢 久
橋 多
田 妙
瀬 幸
島 マ ツ
原 久 美
木 佳
橋 順
山 勝
田
岡 テ ル
江 初
原 悠
粕 芳
室 弘
山
木
井 豊
木 玲
村 育
田 昭
谷 達
藤 弘
藤 敏
S日
福 田 寛
恩 田 平 八
井 上 朝
桐 生 英
中 浜 正
大 谷 正
大 井 崇
大 塚 佐 智
池 田 富
斉 藤 智
讃 井 悦
佐 藤 園
河 合 重
吉 野 嘉 久
佐 川 雄
藤 原 三 和
長 田 美 津
松 岡 忠
和 地 冨 美
金 子 純
山 本 泰
成 田 洋
森 桐 史
秋 田 美 代
S
永 田
松 原 路 美
塚 田 公
小 澤 徹
山 下 秀
河 端 勝
辻 川
中 嶋
2015 年4月1日~
2016 年3月
熊
坪
S
太
柳
田
藤
小
村
梅
高
添
村
中
河
鈴
高
金
高
吉
大
栗
甘
山
丸
青
新
青
中
林
神
工
斉
子
郎
子
雄
宣
彦
史
子
夫
子
子
子
郎
子
三
子
子
彦
子
子
弘
助
雄
子
稔
郎
子
二
夫
子
昭
守
沢 忠
ノ 口 良
山 祥
野 一
作 嘉
田 英
田
村 武
田
斉 啓
原 市
口 美 智
木
立 勝
尾 幸
山 紀 久
居 宥
尾 ト シ
子 充 乃
橋 宗 之
幸 子
田 篤 弘
上
紘
井 淳 之
田 君 子
股 一 郎
田 志 津
沢 孝 子
田 節 子
邦 彦
田 壽 太 郎
十 八 願 稔
藤 恵 以 子
男
子
子
男
孝
一
昇
彦
清
一
朗
江
豊
弘
信
男
子
子
:
髙
西
坊
石
川
高
嶋
S
河
堀
松
杉
金
石
増
森
森
杉
宮
古
菊
茶
府
堀
川
松
大
西
S
安
内
住
中
小
井
村
城
渡
口
橋
雄
明
幸
之
子
子
氏
北 川 幸
加 藤 典
廣 田
勝 又 照
西 村 治
広 田 守
伊 藤 紀
礒 部 康
松 永 隆
小 菅 大
更 級
奥 山 園
浅 井 安
石 川
岩 切 晧
近 藤 敏
舟 木 紀
富 田 鎮
加 藤 一
堀 井 乃 に
眞 壁
若 菜 勇
藤 尾 俊
恩 田 周
青 柳 祐
鈴 木 敦
仁 尾 正
小 泉 一
原 田 明
家 氏 孝
石 澤
奴 田 不 二
前 澤
水 島 規
子
平
優
寿
子
邦
子
男
子
徹
至
子
通
静
治
明
子
敬
佳
れ
勗
次
治
子
信
雄
昭
雄
夫
子
尚
夫
均
夫
小 沢 英
尾 山
井 関 み ど
大 倉
橋 爪 正
三 村 輝
木 下 荘
S
和 知 弘
菊 地 洋
脇 坂 正
久 保 寺 清
藤 井 啓
菜 木 敏
今 福 泰
林 文
森 良
福 田 信
勝 木 敏
小 沢 維
加 藤 城 隆
永 倉 嘉
高 橋 昭
S
渋 谷 孝
阿 部 康
大 塚 泰
栗 原 義
仲 村 州
浜 田 丈
田 中 正
関 根 睦
森 田 昭
雄
徳
基
夫
夫
夫
明
子
男
子
二
彦
良
子
明
夫
隆
男
子
子
大
清
男
行
光
二
瑛
り
顕
義
彦
司
納入金額 3,858,416円
ご協力ありがとうございました。
教
義
弘
教
浩
君
孝
野 安 威
越 哲 夫
中 秀 司
山 美 智 子
子 敬 子
井 靖 久
井 智 子
田 紀 子
川 洋 子
武
子
子
子
己
正
則
子
江
二
子
山
上 ミ ヤ
山 明
地 路
木 克
川
貞
辺 多 喜
本 登 志
川 健
村 那 津
忠
武
寛
田 美 久 代
藤
勝
明
彦
治
浜
泉
:
納入件数 1,230
件
野
井
梶
関
矢
竹
柴
野
柴
安
佐
川
八
足
峯
丸
松
瀬
S
金
高
森
寺
池
深
宮
猪
内
戸
高
原
藤
四
佐
35
36
33
34
幸
子
枝
キ
子
子
子
32
旧職員
浜 本 忠
鈴 木 國
吉 野 恒
荒 木 高
山 村 正
井 出 真 理
丸 谷 禮
福 井 伊 藤 小 嶋 一
福 島 佐 藤 サ
増 田 し ず
藤 定 武
S9
鈴 木 ソ
S
斉 藤 元
S
鈴 木 信
吉 野 正
S
安 藤 政
S
馬 飼 野
S
重 政 留
大 手 良
永 塚 ト
S
横 山 葉
天 都 カ ネ
徳 永 み や
29
31
30
31
26
27
28
17
18
19
20
21
22
23
24
10
12
13
14
15
16
平成 28 年5月 30 日 (42)
う し お
第 35 号
納 谷 和
島 崎 庸
脇 川 正
塚 本 は る
渡 邊 洋 一
加 藤 憲
野 尻 章
秋 林 幹
光 永 祥
三 木 村 川 新
最 上 谷 昭
宮 沢 淑
加 藤 橋 本 久
服 部 安 田 山 次 和
村 木 圭
北 野 弘
小 林 信
関 根 拓
小 林 克
佐 々 木 正
橋 本 川 口 早
外 岡 祥
岩 出 有 村 克
石 清 水
島 義
吉 村 昭
S
赤 井 喜 久
宮 原 房
菊 地 信
上 原 保
石 原 弘
男
子
暢
み
郎
一
子
子
子
哲
子
子
子
保
子
設
凖
男
子
恵
子
司
彦
明
直
苗
子
章
彦
武
明
三
枝
子
義
裕
行
若 宮 崇 令
村 田 和 代
矢 島 亮 子
原 沢 謙 司
中 村 烈 之
川 添 忠 茂
浦 田 曠 義
渡 辺 洋 一
石 井 康 子
井 上 喬 夫
湯 口 三 樹 枝
秋 元 康 男
栗 田 三 郎
泰
高 橋 丹 間 謙 二
柘 植 淳 平
吉 井 紘 一
下 里 洋 一
土 橋 文 子
湊 川 正 香
内 田 邦 夫
大 谷 忠 男
小 林 洋 一
友 野 勝 利
大 須 賀 勝 男
坂 間 範 高
高 橋 長 濶
宇佐美久美子
小 林 俊 一
田 中 賢 三
牧 野 豊
杉 沢 素 子
向 窪 美 智 子
伊 東 喜 代
S
犬 塚 謙 蔵
小 川 寿 一
根 岸 苗 子
永
勝
見
長谷川正義/和子
伊
青
石
小
森
徳
益
S
小
橘
鶴
脇
大
大
寺
新
植
川
稲
奥
浜
村
浅
高
岩
塩
奥
香
田
近
三
相
S
三
加
末
加
小
浦 煌 太
藤 国
村 藤 秀
寺 博
室 正
川 修
田 典
川 和
井 伸
谷 光
井 謙
倉 幸 四
竹 島 律
葉 庸
野 保
田 和
上 知
田 耀
子 ふ み
下 明
島 秀
冨 文
西 英
辺 和
藤 恵 津
浦 和
沢 奈 木 美 枝
川 克
池 清
岡 永 子 郎
夫
登
幸
美
明
子
子
子
子
瑞
一
郎
晃
子
之
男
夫
己
子
え
雄
則
和
史
郎
子
夫
武
忠
子
彦
一
勲
悟
滋
石 田 省 三
石 橋 矩
久 世 善
白 橋 清
水 津 敬
小 山 直
加 茂 文
森 広
金 井 邦
城 之 尾 礼
落 合 小 一
武 井 和
鈴 木 英
熊 倉 昌
佐 々 木 正
内 藤 勝
山 本 孝
福 田 幸
伊 佐 早 正
磯 田 敏
星 野 昭
菅 原 健
鷹 幸
斎 田 寿
岡 崎 淳
小 原 芳
原 田 章
増 田 隆
森 悦
森 井 隆
森 川 雅
土 江 好
関 田 秀
鎌 田 郁
上 野 節
蝦 名 建
林 澄
諸 伏 正
郎
久
雄
次
子
之
子
人
之
子
郎
子
子
子
美
之
芳
子
二
明
徳
吉
子
子
一
行
夫
之
郎
夫
光
美
一
子
子
男
雄
彦
清 水 早 苗
飯 田 幸 宏
一 ノ 瀬 倆 一
寺 尾 滋 郎
小 竹 森 睦 子
小 泉 稔
斉 藤 永 二
宮 井 誠 一 郎
進 藤 圭 子
伊 藤 み さ と
東 坊 城 明 子
藤 枝 和 子
佐 藤 三 樹 子
阿部宏/由美子
安 斉 幹 男
山 田 之 久
福 住 錦 一 郎
S
3 組
有 志
宇 佐 美 尊
小 野 浩
矢 沢 則 光
牧 山 陽 一
厚
今 泉 織 畑 曙 子
塚 谷 進 一
津 秋 郁 子
浜 野 正 明
山 田 誠 一
山 田 良 子
宗 野 恭 三
沼 野 章 子
森 島 親 雄
佐 藤 公 平
渡 辺 治 恵
山 根 公 高
高 橋 英 治 郎
加 藤 節 津 子
田 尻 明 子
川 井 康 郎
前 東 和 隆
馬 場 順 治
藤 林 明
村 田 厚 子
中 田 正 夫
勅使河原弘明
秋 葉 順 一
森 田 豊 文
橋 本 邦 久
尾 高 康 文
熊 沢 敏 一
粂 通 孝
小 室 昌 明
富 山 茂 樹
三 橋 晃
長 嶋 勢 津 子
岩 永 久 美 子
杉 山 頼 子
千 野 浩
中 出 悟
浜 田 三 郎
松 沢 裕 男
太 田 有 子
進
新 井 晃
岡 崎 正
富 塚 深 澤 隆 史
松 尾 研 二
萩 純 子
田 中 敏 男
富 田 達
宮 浦 幹 博
河原田由利子
東 山 瑠 美 子
岩 沢 晃
内 田 進
黒 沢 日 出
前 田 平 野 幸
安 宅 河 野 通
三 崎 芳
柳 本 成
山 口 幸
北 岡 正
駒 崎 慶
高 橋 健
新 居 正
馬 場 敏
相 良 英
鈴 木 康
立 川 三 橋 真
増 田 隆
三 木 栄
久 保 柴
S
高 梨 秀
小 泉 久
隈 部 和
岩 田 英
鎌 田 伏 見 利
土 佐 南 緒
蝦 名 清
飯 尾 裕
上 谷 謙
永 島 く る
渡 瀬 マ
千 早 正
渋 谷 啓
得 能 正
安 部 律
桑 本 和
男
旭
子
仁
晴
陽
生
枝
子
夫
次
雄
郎
正
博
誠
弓
子
子
乃
一
男
子
明
豪
明
子
志
子
治
み
リ
義
子
憲
子
忠
土 屋 憲 一 郎
荻 原 た か ね
清 水 朋 子
寺 田 優
皆 川 一 敏
町 田 由 紀
沖 山 ユ リ コ
宮 沢 博
黒 田 由 紀 男
小 林 和 義
中 村 瑠 木 子
西 村 友 子
庄 司 恵 子
博
池 辺 延 岡 博
S
石 井 英 樹
内 田 保 男
皆 川 敏 明
安 藤 裕 / 緑
曽 田 み ゆ き
森 田 章 文
牧 野 一 三
内 海 新 二
樽 味 美 砂 子
明
高 木 荻 原 博
小長井みどり
深 井 久 美 子
高 阪 明 子
野 口 直 樹
石 井 喜 美 恵
松 崎 研
諸 隈 和 子
久 宗 大 介
福 山 俊 郎
柳
迫 豊
山 田
明
43
富
平 井 正 太 郎
小 笠 原 麗 子
山 本 捷 雄
安 斎 久 子
岡 野 義 昭
高 橋 由 美
寺 沢 康 雄
加 藤 雍 子
中 島 清 一
大 串 益 人
桝 田 と も 子
鈴 木 一 道
進
明 楽 真 下 公 子
浦 崎 陽 子
内 田 範 子
芳 賀 ヒ ロ 子
味 村 忠 純
上田美之/佳子
竹 島 健 二
徳 永 正 和
河 辺 博 之
健
柏 田 佐 治 隆 彦
吉 野 勝 彦
中 居 厚 子
大 野 光 夫
加 藤 岩 男
臼 井 友 邦
白 井 智 子
坂 本 和 子
新 倉 義 明
古 川 孝 志
増 田 敏 彦
秋 山 敏 江
井 上 隆 之
39
40
第 35 号
う し お
(43) 平成 28 年5月 30 日
37
38
41
42
吉 田 市 郎
長 谷 暁 子
相 沢 仁 郎
伊 藤 哲 男
刀 根 吉 次
渡 辺
洋
S
根 本 洋 子
関 根 泉
村 岡 洋 一 郎
入 村 英 雄
真
刀 川 武 石 光 代
都 築 英 信
平 井 雅 明
出 口 雅 夫
高 橋 貞 江
井 上 美 佐 子
塚 本 萬 里
稲 原 康 二
山 口 哲 沖
今 井 和 子
山 口 千 景
大久保えり子
太 田 美 登 里
荒 井 幸 夫
茂
遠 藤 石 田 有 希 子
紅 露 謙 治
児 玉 文 博
鍵 渡 博 子
冨 田 明 子
安 藤 信 一
河 内 隆 一
宮 崎 安 夫
小 山 真 理 子
小 川 豊
西 村 和 美
S
鈴 木 勝
吉 永 誠
町 田 真 己
小 田 恵 理
高 橋 直
佐 川 尚
石 野 敬 太
石 川 比 企 野 和
倉 持 康
飯 塚 俊
高 橋 山 口 昭
吉 崎 和
沼 田 松
佐 藤 真 知
岩 谷 史
斎 藤 宗
酒 井 道
高 橋 豊
堀 玲
落 合 英
山 中 龍
米 澤 礼
池 田 与 志
新 保 雄
田 中 和
金 沢 S
西 澤 白 井 義
落 合 行
海 保 大
山 道 宏
新 倉 芳
小 柳 保
吉 川 敏
男
郎
二
子
明
二
治
明
子
子
喜
一
美
笠井郁彦/のぶ子
美
二
矢
飯
木
小
斉
沢
狩
飯
細
鴻
八
太
梅
石
白
細
米
岩
S
松
石
諏
有
川
根
加
増
植
横
板
中
勝
石
山
古
沢
小
足
本 耕
井 雅
訪 部 佳
山 京
村 直
本 夕
藤 俊
田 洋
田 良
山 博
倉 み ど
田 陽
俣 多 勢
井 基
田 屋 善
野 伸
野 浩
利 野 憲
田 順
下 西
田 良
野 紀 美
野 玲
田 晴
矢 八 千
池 裕
十 川 壽
田 憲
本 幸
田 英
井 夏
谷 秀
山 善
澤 弘
一
世
伸
子
子
美
一
一
明
之
り
治
子
之
鋼
啓
子
子
勇
一
子
泉
穣
治
代
子
久
代
之
郎
子
子
昭
野
樹
信
一
牧 田 三 澤 京
関 根 静
野 崎 惠
内 田 己 予
細 井 由
中 村 堀 義
S
木 元 和
田 中 桃
北 川 正
杉 本 佳
岩 﨑 清
三 觜 美
柴 田 真 紀
栗 谷 豊
島 巡 紀
竹 内 祥
高 橋 信
吉 野 隆
吉 崎 美 江
坂 根 康
S
小 林 信
下 山 恵
中 野 充
米 田 千
八 木 信
山 田 和
児 玉 貴
白 石 一
49
見 45
46
渉
子
夫
一
子
美
司
行
彦
子
人
子
人
範
恵
彦
子
子
之
明
子
治
博
子
人
織
彦
栄
之
雅
茂
疋田春利/奈緒美
50
田
木
橋
博
松
由
之
美
江
内藤俊明/真百合
伏
土
鈴
高
小 菅 儀 紀
中 村 恵 子
牧 野 英 雄
武 田 直 隆
中村順一/武子
本 間 学
住 吉 み さ 子
足 立 進
矢 住 祐 蔵
原 田 奈 々 子
高 杉 百 合 子
小 池 淳 一
元
三 浦 宮 治 秀 裕
太 田 恵 美 子
S
奥 村 砂 智 子
田 邊 潤
椎 野 正 枝
秋 葉 裕
郷 原 悟
小 森 安 晃
西 島 剛 志
大 沢 富 士 子
鈴 木 真 木 子
若林幸男/淳子
奥 村 砂 智 子
佐 藤 裕 之
水 島 淳
遠 見 享
澤 本 敦
中 尾 欣 也
竹 沢 至
水 落 雄 一
本 谷 さ お り
山 本 早 智 子
大 木 澄 子
向 山 真 澄
桑 山 眞 樹 子
鹿 喰 由 美 子
森 恭 子
押見龍児/素子
河 野 典 子
山 田 枝 美 子
石 井 澄 子
名 倉 重 明
川 嶋 恵 里 子
佐 藤 尚 之
鈴 木 勇 二
藤 巻 慎 二 郎
S
俊 之
鐵 佐 俣 早 苗
桑 原 明 夫
井 戸 川 秀 子
石 川 文 隆
近 藤 誠
藤 曲 秀 樹
弘 瀬 愛 子
青 木 聡 美
根 岸 泰 代
田 中 淑 恵
五 味 健 夫
椎野一郎/富枝
田 倉 伸 子
佐 藤 泰 現
四ノ宮喜一郎
長 尾 由 起 子
浅 場 智 彦
片岡真吾/結花
浅 場 こ の み
中 尾 和 子
S
谷 口 裕 美
日 向 隆
斉 藤 剛
佳
子
隆
美
良
行
美
郎
志
子
子
子
博
兼松稔/菜穂子/藍子
六 川 多 圭 子
佐 藤 導 直
浩
松 本 大 川 隆 央
青木健樹/悦子
佐藤繁/佳子
岩 武 博 也
熊 谷 芝 青
吉 末 直 樹
佐 藤 圭 子
伊 東 範 行
小 牧 真 由 美
竹 松 克 昌
渡 辺 葉 子
望 月 美 佳 子
野 村 誠 一 郎
小 泉 正 明
宮 治 和 冨
小 野 ひ ろ み
尾 上 裕
角 井 操
入 江 圭 子
萩野谷真紀子
井 場 令
石 井 芳
稲 田 真 理
緒 方 一
S
田 川 由
近 藤 鶴
石 井 星 野 恵
塩 川 白
森
広
澤 村 久
湖 尻 賢 一
田 辺 智
54
清
建
子
彦
子
子
広
子
子
人
江
晃
江
子
美
久
子
治
美
英
民
り
雄
52
53
坪
橋
井 道
巻 和
山 裕
東 三 恵
井 部 洋
村 み や
司 義
瀬 佳
辺 島 郁
田 恵
田 裕
野 貴
田 恵 美
友 泰
木 太 功
倉 正
田 治
松 ま
岡 幹
48
田 端 和
真 霜 典
渡 辺 啓
渥 美 紀
白 井 隆
高 橋 建
岡 崎 憲
田 口 元
三 厨 邦
山 本 真 記
中 込 國
永 井 弘
佐 野 裕
大
高
S
石
藤
奥
伊
今
渡
木
庄
長
渡
中
矢
高
星
棚
秋
青
猊
山
若
月
稲 葉 秀
永 田 渡 邊 典
今 井 厚
首 藤 陽
小 林 裕
永 田 亜 由
嶋 崎 和
堀 切 悦
八 木 下
大 橋 由 紀
S
望 月 美 奈
高 橋 由 美
今 林 千
谷 田 部 智
定 保 英
樫 野 薫
三 觜 良
須 田 美 奈
佐 藤 健
肥 後 美 砂
和 中
末 吉 文
氏 平 真 理
篠 田 昌
松 本 理
松 浦 真
大 西 畠 宏
松 浦 晴
新 倉 紀
佐 藤 小 百
嶋 田 春
水 野 真
S
大 見 川 斉
近 田 英
55
56
貴
子
枝
子
也
子
郎
貢
子
雄
幸
豊
雄
俊
江
子
朗
憲
生
子
子
雄
夫
子
雄
二
雄
明
恵
二
夫
司
美
治
生
之
47
平成 28 年5月 30 日 (44)
う し お
第 35 号
44
51
明
宏
子
生
二
美
美
典
子
滋
子
子
子
昭
世
弥
彦
江
子
一
子
健
徳
子
一
絵
弓
裕
好
美
子
合
美
紀
文
一
勇
遠 藤 酒 井 清 美
石 田 綾 乃
永 海 大 志
大 野 美 香
荻 原 規 彦
横 山 知 明
小 野 美 恵
鈴 木 俊 介
藤 本 泰 之
原 田 伴 子
目 黒 和 子
大 聖 寺 利 幸
長谷川美也子
小 池 規 子
米 倉 康 子
山 口 清
S
中 村 元
佐 々 義 也
馬 場 靖 史
菊 池 由 佳 子
森 平 正 之
内 田 純 一
遠 藤 浩 太
合 田 麻 里
安 田 由 美 子
田 村 敦 子
加 藤 道 則
岡 本 み す ず
角 田 淳
山 本 幸 之 信
青 木 二 美 子
S
古 川 も り 美
平 野 千 夏 子
正 木 滋
西 田 賢 司
也
子
子
子
健
子
弘
子
次
樹
子
子
子
彰
彦
海
進
景
子
子
子
晃
子
行
司
行
巌
子
淳
保
子
司
子
愛
恵
芹澤憲一/由希子
清 水 哲
長 谷 川 祐
田 中 由 紀
茶 谷 貴
大 塚 村 上 淳
横 田 光
高 瀬 順
飯 田 健
伊 東 良
岩 崎 美 佳
ホ ー ル 桂
水 上 多 佳
高 橋 良
藤 本 直
S
畑 克
松 澤 米 山 美
重 信 恵
船 越 瑞
手 老 孝
神 山 裕
志 賀 陽
上 中 千
岩 本 幸
S
土 田 純
坂 島 和 歌
関 根 吉
北 恵
薄 木 正
粂 晋
田 中 友
遊 佐 古 川 久 美
石 川 樋 口 敬 子
三 上 昌 之
荒 井 健 介
加 藤 淳 一
遠 藤 則 子
高 橋 孝 一
S
本 吉 剛
八 田 さ や 子
武 藤 信 之
山 田 嗣
金 丸 千 晶
石 田 知 英
伊 藤 順 子
肇
内 山 仁
奥 戸 菅 原 圭 也
松 下 浩 二
藤 谷 美 江
明 午 順 治
坂 井 佳 子
S
石 川 公 一
津 田 さ ほ
小 島 百 合
相 沢 洋 一
小 飼 直 美
内 藤 貴 子
阿 部 花 子
竹 居 正 浩
樋 口 博
角 掛 淳 子
福 迫 千 冬
栗 村 真
中 河 正 英
松 長 泰 幸
藤 原 か お り
61
62
S
桜 井 裕 子
戸 村 比 呂 子
薄 井 真 美
長 尾 誠 二
石 渡 操
田野岡亜由子
中 山 康
高 橋 潮
木 庭 雄 至
S
山 村 崇 之
小 野 史 生
服 部 と も 子
松 田 貴 美 子
室 井 美 香
堀 井 晃 夫
朽 木 左 千 子
齋 藤 武 晴
小 海 祐 資
須 藤 浩 平
蛯 子 浩 二 郎
小 川 計 介
加 藤 敬 子
柏 木 玲 子
H1
水 上 正 紀
山 本 宗 吾
近 藤 太 郎
柴 崎 智 則
安 達 由 紀 子
石 井 克 典
松 尾 隆 志
草 野 友 美
西 村 麻 理
若 井 隆 彦
三 品 る み
H2
松 下 大 山 委
H3
仲 田 暁
井 上 美
阿 部 貴
菅 沼 克
H4
樋 口 真 佐
早 川 沼 上 弦 一
H5
藤 原 由 理
長 澤 秀
江 尻 治
H6
真 坂 浜 本 暁
長 瀬 中 野 文
松 浦 啓 太
猪 原 H7
貝 谷 久 美
H8
福 室 洋
H9
澤 田 恵
井 上 紗
落 合 健
鎌 田 成
高 橋 早
H
鈴 木 重
植 木 亮
小 賀 野
齋 藤 友
聡
義
H
桜
井
健
H
甘 糟 マ
神 田 麻 理
前 島 隆
小 原 友
山 前 真
H
田 中 中 谷 H
石 井 直
角 田 武
小 池 晴
H
伊 東 聖
吉 田 崇
H
森 哲
川 口 野 澤 沙
土 肥 謙
龍 前 唯
H
萩 野 谷
小 森 啓
深 堀 夢
H
松 浦 佐 藤 裕
H
武
小 野 塚 健
大 橋 美 保
H
庄 司 有
丞
キ
子
人
利
生
翼
淳
樹
頼
美
美
大
也
基
知
仁
似
翠
太
衣
茜
作
晃
太
子
希
真 下 北 川 愛
石 神 H
小 池 佑 季
田 邊 眞 太
田 中 哲
三 浦 可 杉
H
藤 澤 美
鈴 木 貴
塩 田 将
大 鋸 雄
長 澤 應
中 山 京
窪 田 祐
H
大 谷 実
中 村 直
髙 橋 知
深 堀 景
小 澤 由
石 田 陽
山 田 H
堀 有
鈴 木 誠
竹 本 優
今 井 林 愛
古 郡 勝
中 西 H
熊 谷 北 村 美
矢 村 亜 沙
長 谷 川 万
江 口 航
純
佳
昴
子
郎
人
妃
咲
子
平
介
秀
子
樹
李
斗
夢
應
寛
子
融
希
行
志
凌
美
也
諒
繁
佐
美
里
介
望 月 彩
奥 村 洸
菅 田 一
古 川 広
峯 元 秋 山 雛
池 ノ 谷 佳
梅 木 悠
中 島 亜 希
山 田 千
渡 邉 雄
H
河 口 琢
岩 田 仁
池 田 春
田 原 幹 太
川 村 南
森 淳
田 原 花
寺 尾 南
久 留 須
髙 山 和
田 川 雅
金 子 裕
川 本 雄
北 川 大
中 萌
石 山 直
岡 田 文
26
花
太
英
大
豪
子
美
矢
子
聖
真
元
希
子
郎
海
郎
帆
美
透
也
輝
亮
太
智
美
樹
平
稲 津 結 奈
小 髙 多 与 里
岩 田 亮
柏 木 孝 太
草 場 景
早 川 瑛 利 奈
坂 本 雄 平
③
オオタ
マサハル
④ タカヤマ
カズコ
⑤
ヘグリ
ヤスノリ
① キクチ タダシ
②
マツオカ
シロ
︵卒年度を知らせて下さい︶
個人協賛者で卒年が不明な方
参考:2015 年度は 1,257 件 3,887,422 円
子
菜
行
宣
央
崇
郎
子
子
史
亮
子
徹
雄
郎
潤
子
之
子
恵
志
人
苗
雄
一
健
香
1,636,112 円
1,886,304 円
336,000 円
内訳:ゆ う ち ょ 銀 行 へ の お 振 込 み 527 件
コンビニエンスストアでのお振込み 667 件
横浜銀行へのお振込みおよび現金
36 件
63
64
11
12
13
14
21
22
23
24
25
59
60
15
16
17
18
19
20
57
58
第 35 号
う し お
(45) 平成 28 年5月 30 日
10
第 35 号
う し お
平成 28 年5月 30 日 (46)
平成 28 年度総会& 懇 親 会 の お 知 ら せ
昨年も総会、懇親会を行い、幅広い年代の多くの方にご参加いただき楽しく過ごすことが
出来ました。
本年も、以下の通り総会 & 懇親会を行います。多くの方にご参加いただき、新しいうしお
会の方向を話し合いましょう。懇親会バーべキューには、今回も、多くの方々にご参加いた
だきたくご案内申し上げます。ご家族、お子様をお連れになってのご参加も歓迎いたします。
‖‖‖ 平 成 28 年 度 総 会 ‖‖‖
以下の日程で行われます。
日 時:平成28年7月2日㈯ 11:00∼12:00
場 所:神奈川県立鎌倉高校国際理解ホール
(旧図書館の場所)
対 象:うしお会会員(鎌倉高校卒業生)
でしたらどなたでも
議 事:(1)平成27年度事業報告について
(2)平成27年度会計決算報告について
(3)平成27年度会計監査報告について
(4)平成28年度事業計画案について
(5)平成28年度会計予算案について
(6)平成28年度・平成29年度
役員について
(7)その他
写真は昨年6月の様子
う しお会 懇親バーベ キ ュ ー 大 会 の ご 案 内
今年度も、総会終了後、懇親会を開催します。晴天ならば屋外でバーベキューを行います。
年齢を超えた先輩後輩の親睦を深めましょう
日 時:平成28年7月2日㈯ 総会終了後12:30頃から
場 所:神奈川県立鎌倉高校国際理解ホール前の中庭(雨天の場合はホール内)
対 象:うしお会会員(鎌倉高校卒業生)でしたらどなたでもご出席いただきたく存じます。
また、ご家族の皆様もお連れ下さい。
参加費:1,
000円(小学生以下無料)
申込み:うしお会のホームページよりメールフォームまたはファックスにてお申し込み下さい。
昨年6月の記念撮影
編 集 後 記
☎ 0466−25−1035
http://www.ushiokai.net.
E-mail:[email protected]
Fax 〇 四 六 七 ︱三 九 ︱三 六 六 八
ホームページアドレス
メール
県 立 鎌 倉 高 校 同 窓 会﹁ う し お 会 ﹂事 務 局
い て ∼ ⋮ 等 な ど。 こ ん な 記 事 が
あったら、こんなコーナーがあっ
た ら 盛 り 上 が る よ、 と い う よ う な
事ありましたら同窓会までお知ら
せください。お待ちしています。
 pet@toretate-shonan.com

会 報 誌﹁ う し お ﹂ も 今 回 で
発 行 が 回 に な り ま す。﹁ う し
お﹂に原稿を投稿してくださっ
た 方 々 に は 感 謝 し て お り ま す。
部数も増えてより多くの方々に
読んでもらっていますが、依然
住所不明での戻りも多いのが現
状です。会報の中でも〝会報誌
﹁うしお﹂編集者からのお願い〟
で 皆 様 に 呼 び 掛 け を し ま す が、
今後は新聞にも載せて皆様の最
新の情報を入手する事を考えて
おります。
窓会ホームページをもっと沢山の
方々に利用し、楽しみ、仲間の輪
を広げていただきたいと思ってい
ます。
そこで、
﹁みんなで作ろう うし
お﹂と題して、投稿やご意見を募
集しております。同窓会でこんな
行 事 し て ほ し い。︵ 講 演 会、 合 唱
コンクール
⋮ e tc ︶活躍す
る 鎌 高 卒 業 生、 鎌 高 卒 の 有 名 人、
鎌高卒の方のお店紹介。私こんな
ことやってます。是非見て∼、聞
料 金 / 一 枠:10,
000円
お問い合わせ先:う し お 会 広 告 事 務 局
⋮
会報「うしお」の広告を募集してお
ります。厳しい経済環境ではあります
が、会員皆様のより一層のご協力とご
理解を、お願い申しあげる次第です。
役員役割分担
会
計
新 居 正 雄 ︵S 年卒︶
会計監査
︵S 年卒︶
富 田 達
顧
問
滝 沢 茂 男 ︵S 年卒︶
道
之
也
二
道

※役員役割分担は、平成 年7 月
2 日に開催されるうしお会総会
に お い て 審 議 さ れ る も の で す。
尚、審議の結果修正された場合
は、同窓会 ホームページでお
知らせ致します。
広
雅
和
慎
博
学校側役員

校 長
真 壁
副校長
石 川
教 頭
田 中
総括教諭
原 教
諭
小 暮
❖ 広 告 募 集 ❖

会
長
副会長
副会長
副会長
書
記
書
記
書
記
書
記
書
記
35
﹁ み ん な で 作 ろ う う し お ﹂ ⋮ 投 稿・ご意 見 募 集
同窓会﹁うしお会﹂は、県立鎌
倉高校を卒業した方なら、卒業と
同時にもれなく会員となっており
ます。在学中、楽しかった人も楽
しくなかった人も、卒業後は新た
に世 代 を 超 えた 先 輩・後 輩・同 輩
との交流ができることと思います。
世代は違っても、鎌高らしい自由
で ユ ー モ ア あ ふ れ る 仲 間 と、 同
窓会﹁うしお会﹂を通してリンク
︵つながって︶ していきましよ う
会では、会報誌﹁うしお﹂や同
⁉
書
記
書
記
書
記
書
記
書
記
書
記
鈴 木 勝 貴 ︵S 年卒︶
総括
増 田 隆 之 ︵S 年卒︶
総務担当
森 田 豊 文 ︵S 年卒︶
会報担当
深 澤 隆 史 ︵S 年卒︶
会計担当
高 橋 建 二︵S 年卒︶
総務
︵運営担当︶
堀 英 彦 ︵S 年卒︶
総務︵名簿担当︶
渡 辺 晃 ︵S 年卒︶
総務
峰 治 ︵S 年卒︶
総務
渡 邊 葉 子 ︵S 年卒︶
総務
新 田 尚 ︵S 年卒︶
会報
桜 井 淳 ︵S 年卒︶
ホームページ
奥 薗 千 栄 子 ︵S 年卒︶
会報
冨 田 朝 子 ︵S 年卒︶
会報
叢 秀 樹 ︵S 年卒︶
会報
石 橋 淳 ︵S 年卒︶
会報
書
記
田 川 由 佳 ︵S 年会卒報︶
書
卒︶
記
安 井 弘 子 ︵H4年会
報
書
卒︶
記
梅 津 美 葉 ︵H5年会
報
41 41 41
28
45
40
41
41
46
46
47
56
62
62
55
48
49
51
51
54
第 35 号
う し お
(47) 平成 28 年5月 30 日
第 35 号
う し お
平成 28 年5月 30 日 (48)
インターネットでどんどん拡がる「うしお会」
http://ushiokai. net うしお会 で検索
会報誌「うしお」のウェブ配信はもちろん、同窓会情報など多くの同窓生にとって、いつも新しい
情報が掲載されていて、アクセスするのが楽しいホームページです。
ポイント
⒈
⒉
⒊
⒋
⒌
⒍
会報誌「うしお」が配信されています。
住所が変わった方から簡単にご報告いただけます。
各年代で行われる、または行われた同窓会情報がご覧いただけます。
同窓会情報のページはインターネット上で情報交換が可能です。
鎌高公式サイトの最新情報も自動的に更新されます。
facebook でも「うしお会」仲間がグループを作って情報交換中です
facebook を 楽 し ん で い る 人 達 の 間 で 自 然 発 生 的 に 出 来 上 が っ た「 鎌 高 OB・OG の
facebook のグループ」には現在約 160 人超のうしお会の会員が参加しています。
ここでは日々の鎌高 OG、OG の活躍の話題などが情報交換され、そして年代を超えたソーシャ
ルネットワーク上のコミュニケーションが行われています。
「友達を検索」してみてください
うしお会事務局のボランティアを募集しています!
E-mail : [email protected] <mailto:[email protected]>
発
行/
二〇一六
︵平成
︶年
五月三〇日
発行所/
神奈川県立
鎌倉高等学校・同窓会
潮
会
鎌倉市七里ヶ浜
二 ︱ 二十一 ︱ 一
☎ 〇四六七
三二 ︱ 四八五一
事務局直通
︵TEL/FAX︶
〇四六七
三九 ︱ 三六六八
28
http://www.ushiokai.net.
E-mail:[email protected]
お名前とメールアドレスをご連絡ください。
事務局からご招待のメールをお送りいたします。