世界都市と外国人労働者 大阪のコリアン労働者の場合

『人権問題研究』 大阪市立大学人権問題研究センター
2007 年
7号
5-21 頁
世界都市と外国人労働者━━大阪のコリアン労働者の場合
青木
1節
秀男
課題の設定
世界都市化
経済のグローバル化は、労働力の国際移動を加速させた
1)。 そ れ は 、 世 界 単
一の労働市場を形成し、
「 先 進 国 」と 発 展 途 上 国 双 方 の 都 市 階 層 の 新 た な 二 極 分
化、すなわち新中間層と新労務層
2)を 出 現 さ せ た 。 サ ッ セ ン は 、 ニ ュ ー ヨ ー ク
とロサンゼルスを事例に、資本と労働力の国際移動について論じ、次のような
命 題 を 導 き 出 し た 。一 つ 、途 上 国 へ の 資 本 移 転 は 、
「 先 進 国 」へ の 海 外 移 民 を 抑
制 す る ど こ ろ か そ れ を 促 進 す る[ Sassen,1988=1992:48]、二 つ 、途 上 国 か ら の
移 民 は 、 資 本 を 送 出 す る 当 の 国 に 向 っ て 逆 流 す る [ Sassen,1988=1992:49
-50]、三 つ 、途 上 国 か ら の 移 民 は 、
「 先 進 国 」経 済 の サ ー ビ ス 化 に よ っ て 生 じ た
下 層 職 種 に 参 入 す る[ Sassen,1988=1992:72]、四 つ 、労 働 力 の 国 際 移 動 の 方 向
と 規 模 は 、 移 民 の 送 出 国 と 受 入 国 双 方 の 政 治 権 力 に 規 制 さ れ る [ Sassen,1996
=1999:147]。
経済のグローバル化は、
「 先 進 国 」と 途 上 国 を 貫 き 、世 界 都 市 を 頂 点 と す る 都
市序列の再編を促した。ここで世界都市とは、国境を越えた資本と労働力の移
動において、主導的な位置(中心性)と機能(媒介性)を担う結節空間 をなす
よ う な 都 市 を い う 。 フ リ ー ド マ ン [Friedmann,1986a=1997]を は じ め 一 連 の 世
界都市(化)仮説は、次のような命題を導き出した。一つ、世界都市化は都市
の形成自体をグローバル化した。二つ、世界都市化は都市労働市場に 、経営管
理の中枢を担う新中間層と苦汗労働を担う新労務/新貧困層を生み出した
3)。
三つ、この苦汗労働部分に、途上国からの出稼ぎ者が参入した。四つ、世界都
市 化 は 、 都 市 の 歴 史 的 ・ 構 造 的 な 諸 条 件 を 介 し て 進 行 し た [ 町 村 ,1994:32-34]
[Hill & Fujita,2003 ] 4 ) 。 五 つ 、 世 界 都 市 は 、 都 市 が 世 界 経 済 に 参 入 し て 世 界 都
市になる<世界都市化>の過程でもある。諸都市は参入の度合に応じてたがい
に序列化される
5)。
本稿の目的
本稿はこれらの知見を念頭に、大阪
6)の 外 国 人 労 働 者 像 に つ い て 記 述 す る 。
1
もって、経済のグローバル化・世界都市(化)仮説の一部を検証する。具体的
に、大阪の在日・新来コリアン
2000 年 頃 ま で の 状 況 に 限 り
7)に 対 象 を 絞 り 、 入 手 で き た 情 報 に 限 り 、 ま た
8 ) 、そ の 人 口 動 態 、空 間 分 布 、就 労 状 態 に つ い て 記
述し、そこに大阪の世界都市化の徴表を読みとる。その際、コリアンの対照的
な就労・居住空間である釜ヶ崎・猪飼野・ミナミに、記述の場を設定する。記
述 に 用 い る デ ー タ は 、数 年 に ま た が る 聞 き 取 り・参 与 観 察 と 、行 政・団 体 資 料 、
先行文献・論文、ウエブサイト情報などの二次資料から成る。
2節
大阪の外国人
大阪の世界都市化
フ リ ー ド マ ン は 、 空 間 的 な 分 節 と 階 層 に 編 成 さ れ た 30 の 世 界 都 市 の リ ス ト
の内、
「 国 家 内 / 地 域 的 分 節 」に 位 置 す る 都 市 の 一 つ に「 大 阪・神 戸( 関 西 地 区 )」
を挙げ、その国際的な管理機能の中核都市への発展可能性を指摘した
[Friedmann,1986b=1997:25,40]。 じ っ さ い 大 阪 は 、「 管 理 中 枢 機 能 は 対 東 京 の
関 係 で は 低 下 し つ つ あ る も の の 、近 畿 圏 の 中 で の ウ エ イ ト は 高 ま っ て 」[大 阪 市
経 済 局 ,2000:7]お り 、外 に 向 け た 世 界 都 市 化 の 度 を 進 め て き た 。大 阪 の 人 口 は 、
1999 年 に 259 万 3501 人 で 、そ れ は 91 年 の 0.8 パ ー セ ン ト 減 で あ っ た [大 阪 市
計 画 調 整 局 , 2000a:17]。 人 口 の 微 減 傾 向 は 、 東 京 と 同 じ で あ る 。 他 方 、 就 労 人
口 は 1996 年 に 272 万 8539 人 で 、そ れ は 81 年 の 10.3 パ ー セ ン ト 増 で あ っ た [大
阪 市 計 画 調 整 局 ,1999:436]。 こ こ に 、 人 口 の 郊 外 化 を 窺 う こ と が で き る 。 大 阪
も 、経 済 の サ ー ビ ス 化 が い ち じ る し い 。第 二 次 産 業 の 就 労 人 口 は 、1981 年 に 全
就 労 人 口 の 28.1 パ ー セ ン ト で あ っ た が 、96 年 に は 23.9 パ ー セ ン ト で あ っ た [大
阪 市 計 画 調 整 局 ,1999a:436]。第 三 次 産 業 の 就 労 人 口 は 、1981 年 に 71.8 パ ー セ
ン ト で あ っ た が 、 96 年 に は 76.1 パ ー セ ン ト で あ っ た 。
以下、本稿の目的に照らし、大阪の世界都市機能の一傍証として、行政資料
か ら 大 阪 と 外 国 ( 人 ) の 関 わ り を 示 す 数 字 を 掲 げ る 。 関 西 国 際 空 港 は 30 ヶ 国
の 66 都 市 と 交 通 し 、 そ の 輸 出 額 は 1999 年 に 2 兆 8300 億 円 余 で 、 そ れ は 開 港
時 ( 94 年 ) の 2.26 倍 で あ っ た [大 阪 市 経 済 局 , 2000:100]。 関 西 国 際 空 港 ・ 大 阪
国 際 空 港 ・ 大 阪 港 か ら 入 国 し た 外 国 人 は 1999 年 に 109 万 人 余 で 、 そ れ は 関 西
国 際 空 港 が な か っ た 85 年 の 155.0 パ ー セ ン ト 増 で あ っ た [ 大 阪 市 計 画 調 整
局 ,2000b:79]。 1997~ 98 年 に 渡 日 し た 外 国 人 の 20.8 パ ー セ ン ト が 、 大 阪 を 訪
ね た 。大 阪 で 1998 年 に 、224 の 国 際 会 議 と 86 の 国 際 見 本 市 が 開 催 さ れ た [大 阪
市 経 済 局 ,2000:24-25] 9 ) 。大 阪 は 、
( 東 )ア ジ ア と の 関 係 が 緊 密 で あ る 。
「近畿地
域 は 、 80 年 代 か ら 90 年 代 に か け て 他 の ど の 地 域 よ り も ア ジ ア そ の 他 へ の 直 接
投資に積極的であった。またアジアからの製品輸入の拡大もこの地域が先鞭を
つ け た 」 [大 阪 経 済 局 ,2000:9]。 関 西 国 際 空 港 と ア ジ ア の 航 空 便 数 は 、 東 京 国 際
空 港 を 凌 い で い る [大 阪 経 済 局 ,2000:24]。 1999 年 に 関 西 国 際 空 港 ・ 大 阪 国 際 空
港 ・ 大 阪 港 か ら 入 国 し た 外 国 人 の 内 、 ア ジ ア 人 は 67.9 パ ー セ ン ト を 占 め た [大
阪 市 計 画 調 整 局 ,2000b:79]。
2
大阪の外国人労働者
大 阪 ( 市 ) の 外 国 人 登 録 人 口 は 、 2000 年 に 11 万 7919 人 で 、 内 コ リ ア ン が
82.2 パ ー セ ン ト 、 中 国 人 が 10.9 パ ー セ ン ト で あ っ た [大 阪 市 計 画 調 整 局 ,2000c
:55]。 登 録 人 口 は 、 1988~ 2000 年 に 1.3 パ ー セ ン ト 減 少 し た [大 阪 市 計 画 調 整
局 ,2001:20]。 内 、 コ リ ア ン は 12.1 パ ー セ ン ト 減 少 し 、 中 国 人 は 89.9 パ ー セ ン
ト増加した。中国人の増加率がいちじるしい。登録コリアンとは、大半は在日
コリアンを指す。コリアン人口の減少は、在日コリアンが帰化したことや高齢
で死亡したことによる。後に見るように、新来コリアンの方は増加している。
自主入国(密入国)したが法務大臣の特別在留許可のないコリアンは、登録人
口に含まれない。また、未登録(超過滞日)の新来コリアンもいる。この人び
ともコリアン人口に加わる。
大阪労働局は、厚生労働省職業安定局による全国の事業所調査の内、大阪管
.......
内の事業所について、直接・間接(派遣)雇用の新来外国人(合法就労の外国
.
人 ) の 就 労 実 態 を 調 査 し て い る 1 0 ) 。 同 調 査 に よ れ ば 、 2000 年 に 大 阪 管 内 で 外
国 人 を 雇 用 し た 事 業 所 は 1304 で 、雇 用 外 国 人 は 6742 人 で あ っ た 。そ れ は 、1993
年 に 比 べ そ れ ぞ れ 42.5 パ ー セ ン ト 、 4.9 パ ー セ ン ト の 増 加 で あ っ た 。 1 事 業 所
当 り の 外 国 人 数 は 、 7.0 人 か ら 5.2 人 に 減 少 し た 。 す な わ ち 、 雇 用 外 国 人 は 、
小規模の事業所へいっそう拡散した。外国人を雇用する事業所の業種は、製造
業 48.7 パ ー セ ン ト 、サ ー ビ ス 業 22.4 パ ー セ ン ト 、卸 ・ 小 売 ・ 飲 食 業 19.5 パ ー
セ ン ト な ど で あ っ た 。ま た 、雇 用 外 国 人 の 就 労 先 業 種 は 、製 造 業 42.0 パ ー セ ン
ト 、 サ ー ビ ス 業 38.7 パ ー セ ン ト 、 卸 ・ 小 売 ・ 飲 食 業 12.6 パ ー セ ン ト な ど で あ
った。外国人はおもに製造業とサービス業に就労している。次に、雇用外国人
の 内 、間 接 雇 用 者 は 12.6 パ ー セ ン ト で あ っ た 。ま た 直 接 雇 用 者 の 内 、期 間 雇 用
( 臨 時 、派 遣 な ど )の 労 働 者 は 68.3 パ ー セ ン ト で あ っ た 。す な わ ち 、直 接 ・ 間
接 雇 用 で 期 間 雇 用 の 雇 用 者 は 、72.3 パ ー セ ン ト に 及 ん だ 。外 国 人 労 働 者 の 雇 用
は 不 安 定 で あ る 。直 接 雇 用 者 に つ い て 国 籍 を み る と 、東 ア ジ ア 42.2 パ ー セ ン ト 、
東 南 ア ジ ア 10.3 パ ー セ ン ト 、中 南 米 16.2 パ ー セ ン ト 、欧 米 22.5 パ ー セ ン ト な
ど で あ っ た 。 こ れ を 1993 年 と 比 べ る と 、 東 ア ジ ア 105.1 パ ー セ ン ト 増 、 東 南
ア ジ ア 110.4 パ ー セ ン ト 増 、 中 南 米 66.1 パ ー セ ン ト 減 、 欧 米 12.2 パ ー セ ン ト
増であった。外国人労働者のアジアへの傾斜がいちじるしい。労働者の在留資
格 で は 、 特 定 在 留 資 格 保 持 者 46.2 パ ー セ ン ト 、 配 偶 者 永 住 定 住 者 34.4 パ ー セ
ン ト 、 留 学 生 ・ 就 学 生 8.4 パ ー セ ン ト 、 技 能 実 習 生 8.2 パ ー セ ン ト な ど で あ っ
た 。 職 業 構 成 で は 、 専 門 ・ 技 術 30.2 パ ー セ ン ト 、 営 業 ・ 事 務 8.5 パ ー セ ン ト 、
販 売 ・ 調 理 ・ 給 仕 7.7 パ ー セ ン ト 、生 産 工 程 31.6 パ ー セ ン ト 、建 設 土 木 1.5 パ
ー セ ン ト 、運 輸・労 務 1.4 パ ー セ ン ト な ど で あ っ た 。こ れ を ま と め る と 、事 務 ・
技 術 系 38.7 パ ー セ ン ト 、 労 務 系 61.3 パ ー セ ン ト と な る 。 以 上 の 数 字 か ら 、 大
阪の外国人労働者像が浮かび上がる。すなわち彼(女)らは、アジア出身者を
中心に、一部事務・技術職を含み、全体に製造業・サービス業の小規模な事業
3
所で期間雇用される人びとが中心をなす。これに(アジア出身者に多い)資格
外 就 労 者 を 加 え る と( そ の 大 阪 の 人 口 は 不 明 で あ る )、こ の よ う な 外 国 人 労 働 者
像はいっそう明瞭になる。ここに、外国人労働者が受入れ国都市の下位職種部
分に参入するという、サッセンの命題が確認される
3節
11 ) 。
大阪のコリアン
大阪とコリアン
大 阪 府 の コ リ ア ン 人 口 は 1998 年 に 16 万 2990 人 で 、 そ れ は 外 国 人 登 録 人 口
の 78.6 パ ー セ ン ト を 占 め た [大 阪 労 働 協 会 ,2000:166]。 同 年 に 、 全 国 の コ リ ア
ン 人 口 は 63 万 8828 人 で [総 務 庁 統 計 局 ,2001a]、大 阪 府 の コ リ ア ン は そ の 25.5
パ ー セ ン ト を 占 め た 。 次 に 、 同 年 の 大 阪 ( 市 ) の コ リ ア ン 人 口 は 9 万 6901 人
で 、 そ れ は 大 阪 府 の 59.5 パ ー セ ン ト を 占 め た [大 阪 市 計 画 調 整 局 ,2000a:20]。
大 阪 府 で 、 人 口 10 万 人 当 り の コ リ ア ン 数 は 1995 年 に 1693.8 人 で 、 そ れ は 東
京 都 の 640.5 人 、 全 国 平 均 の 446.3 人 を は る か に 凌 い で い る [総 務 庁 統 計 局 ,
2001b] 1 2 ) 。
大阪と在日コリアンの間には、深い史的経緯がある。かつてコリアンは、大
阪のアジア化の原動力であった。今、在日コリアンは大阪の世界都市化の基底
をなしている。すなわち、後に見るように、在日コリアンは、新来コリアンの
動 向 を 決 し て い る 。大 阪 の コ リ ア ン は 、1920 年 代 に 増 加 し 始 め 、35 年 に 20 万
2311 人 、 42 年 に 41 万 2748 人 を 数 え た [杉 原 ,1998:54]。 大 阪 が 工 業 都 市 ( 東
洋 の マ ン チ ェ ス タ ー )で あ っ た こ と 、済 州 島 と の 定 期 航 路 が あ っ た こ と な ど が 、
コリアンの大阪流入を促す条件となった
13)。 戦 前 の コ リ ア ン の お も な 仕 事 は 、
土 工 、 坑 夫 、 職 人 ( 手 元 )、 女 工 な ど で あ っ た
14)。 コ リ ア ン は 、 は じ め 日 本 人
の募集人によって、次に先に渡日した縁者を頼って、最後に強制連行 によって
渡日した。滞日が長引くにつれ、出稼ぎ型移民から家族の呼び寄せや挙家型移
民に移行した。コリアンはほとんど、不熟練労働者で、低位な就労状態(不安
定 な 雇 用 、劣 悪 な 労 働 条 件 、低 位 な 賃 金 )に あ っ た 。1945 年 の 朝 鮮 解 放 後 、多
くのコリアンが帰国した。日本に残留したコリアンは、新たな生計の途を求め
た。建設労働者や坑夫になる者、工場で働く者、物売りになる者、小事業を始
める者。それから半世紀余、在日コリアンは階層分化し、事業主も雇用者もい
る。一家のおもな稼ぎ手は、一世から二・三世へ交代してきた。
大 阪 府 の 在 日 コ リ ア ン の 職 業 構 成 は 、 1990 年 に 専 門 ・ 技 術 5.8 パ ー セ ン ト 、
経 営 ・ 管 理 5.1 パ ー セ ン ト 、 事 務 13.3 パ ー セ ン ト 、 販 売 18.2 パ ー セ ン ト 、 サ
ー ビ ス 10.4 パ ー セ ン ト 、運 輸 ・ 通 信 4.7 パ ー セ ン ト 、技 能 ・ 製 造 ・ 建 設 、労 務
40.9 パ ー セ ン ト で あ っ た[ 石 川 ,1996:209]。同 じ く 1998 年 に 、専 門・技 術 7.3
パ ー セ ン ト 、 経 営 ・ 管 理 8.3 パ ー セ ン ト 、 事 務 30.4 パ ー セ ン ト 、 販 売 18.6 パ
ー セ ン ト 、サ ー ビ ス 4.9 パ ー セ ン ト 、運 輸・通 信 4.6 パ ー セ ン ト 、技 能・製 造 ・
建 設 ・ 労 務 25.6 パ ー セ ン ト で あ っ た
1 5 ) 。 デ ー タ は 、 1990
年は総務庁の国勢調
査 に 、 98 年 は 法 務 省 の 外 国 人 登 録 に 依 っ て い る た め 、 厳 密 な 比 較 は で き な い 。
4
しかしそれでも、在日コリアンの職業的地位の分化と上昇の傾向を窺うことが
できる。とはいえ、次の点は留意されなければならない。すなわち、職業的地
位がどうであれ、在日コリアンの多くは自営業や、同胞経営の小規模な事業体
で働く人びとである。職業的な地位上昇とは、その範囲内での話である。金融
機関の融資を受けにくい、公共事業の元請になれない、偏見や国籍条項のため
雇用で差別されるなど、起業や就労の機会が制約されている。その分、在日コ
リ ア ン の 階 層 分 化 は 制 約 さ れ る 。1990 年 の 大 阪 府 の 在 日 コ リ ア ン の 業 種 は 、製
造 業 34.9 パ ー セ ン ト 、卸 ・ 小 売 ・ 飲 食 業 26.0 パ ー セ ン ト 、サ ー ビ ス 業 13.5 パ
ー セ ン ト 、 建 設 業 11.5 パ ー セ ン ト 、 運 輸 ・ 通 信 業 4.8 パ ー セ ン ト 、 不 動 産 業
4.0 パ ー セ ン ト 、 金 融 ・ 保 険 業 3.5 パ ー セ ン ト で あ っ た [石 川 ,1996:209]。 そ れ
らの中身は、製造業は金属・ビニール・プラスティック製造などの経営と雇用
が 、卸・小 売・飲 食 業 は 製 品 の 卸・衣 服 や 食 品 の 小 売・焼 肉 店 の 経 営 と 雇 用 が 、
サービス業はレジャー施設などの経営と雇用が、建設業は工務店や飯場の経営
と雇用が中心をなす。いずれも、在日ネットワーク内の経営と雇用である。不
動産業や金融・保険業の場合も同様である。
コリアンの集住地
大 阪 の コ リ ア ン は 、 生 野 区 3 万 5088 人 、 東 成 区 7755 人 、 西 成 区 6743 人 、
平 野 区 6175 人 と 、市 東 部 に 集 住 す る
1 6 ) 。ち な み に 在 日 中 国 人 は 、平 野 区
1251
人 、中 央 区 1055 人 、北 区 960 人 、淀 川 区 914 人 で 、市 南 部 と 中 央 以 北 に 多 い 。
1990 年 の 国 勢 調 査 か ら も 、ほ ぼ 同 様 の 居 住 分 布 が 描 か れ て い る [石 川 ,1996:205]。
在日コリアンの居住分布は、地域ごとの史的経緯や生業構造に規定される。杉
原 は 、 戦 前 の コ リ ア ン の 地 域 分 布 を 分 析 し 、 そ の 集 住 史 を 詳 細 に 跡 づ け た [杉
原 ,1996:99-108]。そ れ ら の 史 的 経 緯 が 、今 日 の 在 日 コ リ ア ン の 地 域 分 布 の 基 底
をなし、後に見るように、新来コリアンの居住をも決している。
1980 年 に 入 り 、こ れ ら の 地 域 に 新 来 コ リ ア ン が 流 入 し た 。渡 日 の 方 法 は 次 第
に多様化した。渡日には、周旋人を介する場合と介さない場合がある 。前者に
は、周旋人が韓国へ出向く場合、日本の周旋人が韓国の周旋人から労働者を引
き取る場合がある。後者には、雇主が直接雇用する場合、コリアン労働者が各
種のビザを携えて渡日し、直接雇用される場合がある。はじめは親族訪問のか
たちで渡日するコリアンが多かった。次いで周旋人を介して、最後に滞日経験
者とのつてで渡日するコリアンが増加した。渡日の資格も、労働ビザ、訪問ビ
ザ、短期滞在ビザ、定住者ビザと多様であ る。しかし渡日の経緯はともかく、
新来コリアンは直接・間接に在日コリアンに関わってきた。また、彼(女)ら
の流入は、在日コリアン社会に大きな変動を生じた。大阪の場合、とくにそう
であった。
以 下 、在 日・新 来 コ リ ア ン が 対 照 的 な 関 わ り を な す 3 つ の 地 域 を 選 び 、彼( 女 )
らの就労と居住を中心に、各地域のコリアン像(の断片)を記述する。そして
そのコリアン像の変容のなかに、大阪の世界都市化の徴表を読みとる。3つの
地 域 と は 、新 来 コ リ ア ン 男 性 の 就 労 の 街・釜 ケ 崎 、在 日 コ リ ア ン の 街・猪 飼 野 、
5
新 来 コ リ ア ン 女 性 の 就 労 の 街・ミ ナ ミ で あ る
1 7 ) 。い ず れ の 地 名 も 、行 政 呼 称 で
はなく通称である。
釜ケ崎
釜ケ崎は西成区の花園北、萩之茶屋、太子、天下茶屋北、山王の各町(の一
部)を含む日雇労働者の街である。そこに寄せ場(西成労働センター)とドヤ
( 簡 易 宿 泊 所 ) 190 軒 が あ り 、 3 万 人 余 の 現 役 ・ 元 の 日 雇 労 働 者 ( お よ び 野 宿
者)が住む。在日コリアンは戦後、釜ケ崎に深く関わってきた。その人口を算
出する術とてないが、今日も多くの在日コリアンが親方、手配師・人夫出し、
日雇労働者、さらに商店主として釜ケ崎に関わっている。釜ケ崎は、建設業を
生業とする在日コリアン抜きに成立しない
18)。
韓国の人たちはオールドカマーの人たちが手配師なんですよね。で、手配
師であり、雇主であり、そこへニューカマーが入る。それとフィリピン人と
かタイ人の人と日系の人とか入り方のルートがぜんぜん違いますよね。
(釜ケ
崎 の 外 国 人 支 援 団 体 B さ ん の 話 )[ 加 藤 他 ,1997:20]
在日の人(手配師・人夫出し)には通名を名乗る人が多いので、実際の数
は分かりません。でも、手配師・人夫出しのほとんどが在日だという話はよ
く 聞 き ま す ね 。( 労 働 者 C さ ん の 話 。 1999 年 7 月 19 日 。 括 弧 内 は 筆 者 の 補
足。以下同じ)
そもそも、建設日雇に就労する在日・新来の外国人労働者は少なくない。建
設 業 の 臨 時 ・ 日 雇 人 口 は 全 国 に 60 万 人 で 、そ の 内 11 万 人 余 が 外 国 人 労 働 者 と
い わ れ る[ 駒 井 ,1993:125-138]。1980~ 90 年 代 、東 京 の 寄 せ 場( 山 谷 、高 田 馬
場、上野)や横浜の寄せ場(寿町)に、多くの新来外国人が現われた。これに
対して釜ケ崎では、雇用主や手配師・人夫出しが、外国人労働者を寄せ場を経
ず に 市 内 一 円 の 飯 場 に 囲 い 込 む 傾 向 に あ っ た 。ま た 釜 ケ 崎 で は 、ド ヤ が 大 型 化・
ビジネスホテル化し、ドヤ代が高騰した。それは、外国人労働者にとって高す
ぎ る 。部 屋 も す べ て 個 室( 1 間 2~ 3 畳 )で 、共 同 生 活 が 必 要 な 外 国 人 労 働 者 に
馴 染 ま な い 。 こ う し て 1990 年 代 後 半 ま で 、 釜 ケ 崎 に 多 く の 外 国 人 労 働 者 が 現
われることはなかった。他方、釜ケ崎の外では、在日コリアンの親方による外
国 人 労 働 者 、と く に 新 来 コ リ ア ン の 雇 用 が 増 加 し た 。1990 年 代 前 半 、景 気 後 退
とともに建設の日雇仕事が激減した。それとともに、外国人労働者に対する日
本人労働者の反感が表面化した。差別的な言辞の表出や落書が頻発した。日本
人の垂れ込みで、資格外就労のコリアン労働者が摘発されることも相次いだ。
京都や尼崎で、コリアン労働者を囲い込む大型飯場が、次つぎと入国管理局の
摘発を受けた。雇主や親方は、トラブルや摘発を恐れ、日本人労働者とコリア
ン労働者の仕事場を分離し、また、コリアン労働者の飯場を分散するようにな
った。
6
昔は飯場や現場で韓国人を見ることが多かった。連中は韓国で在日に手配
されて飯場に入って、そこからそのまま現場に通ういうかたちやった。飯場
でも現場でもハングルを話すんで、日本語が話せる人は少なかった。出歩く
ことも少のうて、固まって黙もく働くいう感じやった。日本人といっしょい
う こ と は あ ま り な か っ た 。( 労 働 者 D さ ん の 話 。 1999 年 7 月 18 日 21)
し か し 1990 年 代 半 ば 過 ぎ て よ り 、 周 旋 人 の 賃 金 ピ ン ハ ネ を 嫌 い 、 ま た 、 親
方の労働管理を嫌って、コリアン労働者が、自前で仕事を得るために釜ケ崎へ
現われた。彼らは日本語は不自由でも、若くて労働意欲が旺盛である。稼ぎを
きちんと母国の妻子に送る。容貌は日本人と似ていて、資格外就労がばれにく
い。匿名社会・釜ケ崎で日本人労働者に混じって、手配師・人夫出しから仕事
を得る。それは、簡単で便利な現金獲得の方法である。とはいえ、不況が長引
くなか、建設業が縮小し、日雇仕事が激減した。コリアン労働者は、賃金が安
く と も 仕 事 が あ る 現 場 で 我 慢 す る か 、地 方 の 現 場 飯 場
1 9 ) へ 入 る か 、帰 国 す る か
の選択をよぎなくされた。しかしそれでも、コリアン労働者には仕事を融通し
あうエスニック・ネットワークがある。多くの日本人労働者が仕事にあぶれる
なか、コリアン労働者は仕事を融通しあって苦境を凌いだ。その後も釜ヶ崎に
コ リ ア ン 労 働 者 が 増 加 し 続 け た 。 そ し て 1990 年 代 末 、 釜 ヶ 崎 の 一 角 に 、 彼 ら
を顧客とする在日コリアン経営の飲み屋や食堂が現われた。街路には、コリア
ン商品を売る露店が並ぶようになった。建設仕事が減少するにともない、日雇
から露天商に転業するコリアン労働者も現われた。その転職は、在日コリアン
の助力によって可能となった。
仕事がないんで、日雇いから露店商に移る韓国人が増加してます。露店が
並ぶ光景はちょっとしたもんです。彼らの露店は、在日(コリアン)のグル
ープが仕切る一等地を占めるんで、日本人で露店をやる人から不満が出てま
す 。商 品 は 裏 ビ デ オ や 酒 、煙 草 な ん か や ね 。み ん な 闇 手 配 の ブ ツ( 物 )や ね 。
なかには韓国人の労働者相手に、韓国から直接取り寄せた新聞、雑誌、乾物
な ん か 売 っ て る 者 も い ま す 。今 は 偽 ブ ラ ン ド も の の 鞄 や 財 布 が 多 い で す ね( 前
掲 B さ ん の 話 。 1999 年 8 月 13 日 ) 2 0 )
コ リ ア ン 労 働 者 は 釜 ケ 崎 の ド ヤ に 住 み 、仲 間 の ネ ッ ト ワ ー ク を も ち 、手 配 師・
人夫出しを通さずに仕事を探し、融通しあい、建設現場や工場に直行する
21)。
彼らは携帯電話をもち、たえず連絡を取りあい、仕事や生活の情報を逐一交換
しあう
2 2 ) 。そ の た め 、釜 ケ 崎 で 野 宿 に な る ほ ど 孤 立 し た コ リ ア ン 労 働 者 は 現 わ
れていない。コリアン労働者のなかから世話焼きや、日本人と結婚して飯場の
親方になる者も現われた
2 3 ) 。彼 ら は 、閉 じ た ネ ッ ト ワ ー ク の な か で 仕 事 を 融 通
しあうため、世話焼きや親方になる機会は、日本人労働者より多くなる。そし
て、コリアン労働者相手の小ビジネスへ転身する者、郷里から妻を呼び寄せる
7
者、日本人と結婚する者など、釜ケ崎の新来コリアンは、確実に定住化の途を
歩んでいる。
釜 ( ケ 崎 ) に 300 人 く ら い ( 新 来 ) 韓 国 人 が い る よ 。 釜 山 や 済 州 島 か ら 来
た者が多いよ。僕は縫製工場の経営を失敗して、軍人になったんだけど、そ
れ を ク ビ に な っ て 、 訴 訟 を 起 こ し た ん だ け ど 埒 が あ か な い ん で 、 1990 年 に 、
船 で 神 戸 に 渡 っ て き た よ 。 観 光 ビ ザ と 日 本 の 金 10 万 円 も っ て 、 夜 中 に 子 ど
もの寝顔みてさよなら言って、妻が港まで送ってきて。神戸から釜へ直行し
たよ。というのは、前にも日本に来たことがあったから、釜のことは知って
いたよ。はじめの 2 年は言葉も分からず、仕事も分からず、不法滞在の不安
もあってきつかったよ。親方もきつかったけど、心が通じて、金払いはよか
ったよ。ラッキーだったよ。今は月に 8 万円、奥さんに仕送りしてるよ。仕
事がないから、これは少ない方だよ。奥さんも韓国で働いて、アパート買っ
て、息子は大学に入ったよ。僕は日本人としか仕事しないよ。韓国人だと利
害 が 絡 ん で 面 倒 だ か ら ね 。釜 で の つ き あ い は あ る け ど 、ド ヤ は 教 え て な い よ 。
いずれ韓国に帰るつもりだから。でも釜に住み込む韓国人が増加したなあ。
親 方 に な る 人 も い る し 、 結 婚 す る 人 も い る よ 。( コ リ ア ン 労 働 者 E さ ん の 話 。
1998 年 8 月 15 日 ) 2 4 )
猪飼野
在日コリアンが集住する生野区は、サンダル・シューズ製造・ゴム製品・金
属 加 工 な ど の 製 造 業 の 街 で あ る 。そ こ に は 零 細 な 事 業 所 が 多 い 。1988 年 に 、5424
の事業所があった。生野区のヘップサンダル生産は、全国の過半のシェアを占
め た [庄 谷 ・ 中 山 1992]。 1996 年 に 、 生 野 区 の 就 労 人 口 の 43.4 パ ー セ ン ト が 第
二 次 産 業 に 属 し た( 全 市 平 均 は 23.9 パ ー セ ン ト )[大 阪 市 計 画 調 整 局 ,1999a:450]。
事 業 所 の 従 業 員 は 平 均 5.9 人 と 、 事 業 所 の 規 模 は 小 さ か っ た [大 阪 市 計 画 調 整
局 ,1999b:27]。 生 野 区 に 2000 年 12 月 、 3 万 6329 人 の 外 国 人 登 録 が あ り 、 そ
の 96.6 パ ー セ ン ト が コ リ ア ン で あ っ た [生 野 区 役 所 戸 籍 登 録 課 ,2001]。そ れ は 、
大 阪 の コ リ ア ン 人 口 の 3 分 の 1 を 超 え た 。生 野 区 の 外 国 人 の 純 入 国 者 数( 入 国
者 数 ― 出 国 者 数 )は 、同 年 に 314 人 で あ っ た 。そ の 数 は 毎 年 増 加 し て い る [大 阪
市 市 民 局 ,1994-2000]。そ れ は 、新 来 外 国 人 の 増 加 分 を 示 す 。生 野 区 の コ リ ア ン
は 2000 年 3 月 に 3 万 5607 人 で 、永 住 許 可・特 別 永 住 許 可( 前 者 は 一 代 限 り の 、
後 者 は 子 孫 を 含 め た 永 住 許 可 ) を 受 け た コ リ ア ン が 3 万 2792 人 で あ っ た 。 そ
の 差 2815 人 が 、 ほ ぼ 新 来 コ リ ア ン に 当 た る 。 生 野 区 で 新 来 者 が も っ と も 増 加
し た の は 1985 年 で 、そ の 年 に 4000 人 程 の 新 規 登 録 者 が あ っ た( 生 野 区 役 所 職
員 F さ ん の 話 。2001 年 3 月 14 日 )。さ ら に 死 亡 者 は 2000 年 に 252 人 で 、そ の
数 は 毎 年 微 増 し て い る [大 阪 市 市 民 局 ,1994-2000]。 こ れ は 在 日 一 世 の 死 亡 者 で
あ る 。ま た 2000 年 に 、373 人 の 帰 化 者 が あ っ た 。帰 化 者 は 、減 少 傾 向 に あ る [大
阪 市 市 民 局 ,1994-2000]。
8
帰化の審査は昔と違い、今は緩くなってます。でも帰化者の数は減ってま
す。帰化の手続きが面倒やし、生野に住む限り差別はないし、というわけで
すね。帰化には金がかかるという話もあるけど、手続き自体には金はかから
な い は ず な ん で す が ね 。( 前 掲 F さ ん の 話 。 20001 年 3 月 14 日 )
生野区には、これら登録人口のほかに、特別在留許可のない自主入国者や未
登録の新来コリアンがいる。その数は未知ながら、少なくないといわれる。そ
の人びとを含め、多くのコリアンが小工場に就労し、居住する。これが生野区
である。その特徴は、そのまま猪飼野の特徴となる。猪飼野とは、生野区の鶴
橋・桃谷・勝山北・勝山南・中川・中川西・田島の各町から成る一帯 を指す。
それは、生野区のコリアン集住の中核をなす。大阪には戦前から、朝鮮半島、
と く に 済 州 島 か ら の 移 住 者 が 多 か っ た 。1920 年 代 に 、生 野 区・東 成 区・平 野 区 ・
東大阪市に化学・金属機械・繊維などの仕事が集積した。それは工業都市大阪
の 中 核 を な し 、猪 飼 野 は そ の 一 画 に 位 置 し た
2 5 ) 。大 阪 ~ 済 州 島 の 定 期 航 路 が あ
り 、大 阪 の コ リ ア ン に は 済 州 島 出 身 者 が 増 加 し た
2 6 ) 。そ の 人 び と を 頼 っ て 、戦
後 も 済 州 島 か ら の 移 住 が 続 い た 。1990 年 代 に 地 場 産 業 が 停 滞 し 、仕 事 を 見 限 っ
た日本人が猪飼野を離れた。他方、済州島出身者の流入は続いた。こうして、
猪 飼 野 の コ リ ア ン 化 が い っ そ う 進 ん だ 。 猪 飼 野 の コ リ ア ン の 85 パ ー セ ン ト 以
上 を 、 済 州 島 出 身 者 が 占 め て い る [ 金 徳 煥 ,1989:63] 2 7 ) 。
僕んとこも、最初におじいちゃんが来て、おばあちゃんを結婚で呼んで、
それからきょうだいたちが来て。親戚が次々に大阪へやって来た。それから
子どもが生まれたりして、一族が増加してった。大阪と済州島は離れてるけ
ど 、お じ い ち ゃ ん ら に し て み れ ば 、済 州 島 は 隣 村 み た い な 感 じ と ち が う か な 。
こ の 前 、先 祖 の 墓 参 り に 行 っ て き た よ 。向 こ う に 親 戚 も 多 い し ね 。
(コリアン
G さ ん の 話 。 2001 年 3 月 14 日 )
在日コリアンに、高度経済成長期に済州島から自主入国し、特別在留許可を
得たコリアンが加わった
2 8 ) 。 そ の う え 、 1980
年代後半に、新来のコリアン出
稼ぎ者が加わった。このように、猪飼野には、戦前のコリアンの渡日→戦後の
コリアンの残留→自主入国コリアンの渡日→新来コリアンの渡日と、戦前から
今日に至る韓国、とくに済州島からのコリアン流入の大きなうねりがある。そ
の意味で、猪飼野にとって、近年の新来コリアンの流入は、特段新しい現象で
はない
2 9 ) 。金 徳 煥 は 、在 日 コ リ ア ン 一 世 と 区 別 し て 、自 主 入 国 の コ リ ア ン を「 新
一 世 」、新 来 コ リ ア ン を「 新 々 一 世 」と 呼 ん で い る [金 徳 煥 ,1989:64,66]。移 住 の
中間世代である新一世が、在日コリアンと新々一世の世代間トラブルを仲介す
る 立 場 に あ る と い う [ 杉 原 ,1993:132] [杉 原 ,1998:31] 。 な お 、 新 々 一 世 に は 、
朝鮮半島出身者も増加した。
猪飼野の在日韓国人にはたしかに済州島出身の人が多いけど、全部やない
9
ですね。それに最近の人たちはソウルやその周辺、それに韓国全体から来て
ま す 。も っ と も 現 住 所 が ソ ウ ル で あ っ て も 、本 籍 が 済 州 島 い う 人 も お る か ら 、
実 際 は ど っ か ら 来 た と い え る か 分 か ら ん で す が ね 。( 前 掲 F さ ん の 話 。 2001
年 3 月 14 日 )
猪飼野には、在日コリアンが経営するゴムや金属、プラスティック、ビニー
ル、ガラス、キムチなどの小工場が集中する。これらの業種の多くは、出来高
払いの家内工業で、不況のため、元請による製品の発注 単価の切り下げ、発注
量の落ち込みなどで窮状に陥った。経営者は、事業の生き残りのため人員削減
や人件費削減を行なった。そのため、日本人や在日コリアンの従業員が賃金カ
ットを忌避して辞めていった。その労働力の空洞部分に、新来コリアンが補填
さ れ て い っ た 。1990 年 代 に 入 る と 、エ ス ニ ッ ク・ブ ー ム で 、猪 飼 野 が 注 目 さ れ
るようになった。衣類・鞄・食品(キムチ)などのエスニック・グッズが人気
を呼び、
「 コ リ ア ン ・ タ ウ ン 」や 鶴 橋 市 場 が 賑 わ っ た 。そ し て 、コ リ ア ン ・ グ ッ
ズの製造や販売に新来コリアンが携わっていった。若い女性のみならず、中年
女性も渡日するようになった。片付け、皿洗い、清掃、キムチ製造。彼女たち
は、工場の二階やアパートに住み、狭い仕事場や店頭で働く。屋内で働く彼女
た ち の 数 は 確 認 し に く く 、 不 明 で あ る ( 在 日 コ リ ア ン I さ ん の 話 。 1994 年 1
月 6 日 )。さ ら に 、猪 飼 野 に 住 み な が ら 新 今 里 一 帯 の パ ブ や ス ナ ッ ク で 働 く 、新 々
一世のコリアン女性も増加した。猪飼野に、それら新来コリアンの信徒が集う
教会が現われた
3 0 ) 。そ の た め 、在 日 コ リ ア ン の 教 会 は 揺 れ 動 い て い る 。新 来 コ
リアンの流入は、猪飼野の社会構造に亀裂を生じつつある。
猪飼野に小さな教会がいくつかできているようです。本当は私たちといっ
しょに礼拝できるといいんですがね。同じ祖国の同胞なんですから。残念で
す が 、ま だ 交 流 は で き て い ま せ ん 。気 に は な っ て ま す 。
(在日コリアンで教会
役 員 J さ ん の 話 。 1999 年 8 月 13 日 )
新しい人が増加してますね。とくに女の人が増加してますね。中年の人は
在日の親族を訪ねて来る、若い人はブローカーを通して来るという人が多い
です。また商売の仕入れなんかで、大阪と韓国をしょっちゅう往復する人も
います。昔に比べて、人間の移動が随分激しくなりました。大阪と韓国の距
離がぐんと近くなりました。猪飼野も新しい人びとを迎えてどんどん変わっ
て い き ま す ね 。( 前 掲 F さ ん の 話 。 2000 年 3 月 14 日 )
ミナミ
中 央 区 は 商 業 の 街 で あ る 。 1996 年 に 、 中 央 区 の 就 労 人 口 の 88.6 パ ー セ ン ト
が 、 第 三 次 産 業 に 属 し た ( 全 市 平 均 は 76.1 パ ー セ ン ト ) [ 大 阪 市 計 画 調 整
局 ,1999a:441]。2000 年 12 月 、中 央 区 に 4104 人 の 外 国 人 登 録 が あ り 、そ の 55.7
パ ー セ ン ト を コ リ ア ン 、 27.9 パ ー セ ン ト を 中 国 人 が 占 め た [生 野 区 役 所 戸 籍 登
10
録 課 ,2001] 3 1 ) 。2000 年 に 、中 央 区 の 外 国 人 の 純 入 区 者 数 は 197 人 で 、そ の 数 は
増 加 し て い る [大 阪 市 市 民 局 ,1994-2000]。 そ れ は 、 新 来 外 国 人 の 増 加 を 示 す 。
ま た 2000 年 に 、 39 人 の 帰 化 者 が あ っ た 。 こ の 数 も 微 増 し て い る [大 阪 市 市 民
局 ,1994-2000] 。 こ れ ら の 人 口 増 加 は 、 ほ ぼ 新 来 の コ リ ア ン と 中 国 人 の 増 加 分
とみていい。これに、在留許可のない自主入国者(コリアンと中国人が多いと
みられる)や未登録(超過滞在)の新来外国人が加わる。その数は、未知なが
ら 少 な い と 思 わ れ る 。中 央 区 は 、大 阪 き っ て の 歓 楽 街 ミ ナ ミ を 抱 え る 。そ こ で 、
多 く の コ リ ア ン( や 中 国 人 )が 飲 食 業( 水 商 売 )に 就 労 す る 。1999 年 の 国 勢 調
査 で 、 中 央 区 に 1597 人 の 在 日 ・ 新 来 コ リ ア ン が い た 。 そ れ は 、 外 国 人 全 体 の
60.4 パ ー セ ン ト を 占 め た
3 2 ) 。ま た そ れ は 、1995
年 調 査 の 35.1 パ ー セ ン ト 増 で
あ っ た [総 務 庁 統 計 局 ,1996:805]。 他 方 、 大 阪 ( 市 ) の コ リ ア ン 人 口 は 減 少 傾 向
に あ る 。1999 年 に 8 万 2032 人 で 、そ れ は 95 年 の 8.2 パ ー セ ン ト 減 で あ っ た [総
務 庁 統 計 局 ,2000:804]。 ま た 1999 年 に 、 中 央 区 の コ リ ア ン の 69.0 パ ー セ ン ト
が女性であった。このように中央区で、市全体の動向に反し、女性を中心にコ
リアンが増加している。
このような中央区の特徴は、そのままミナミの特徴となる。ミナミは、中央
区の難波・心斎橋筋・道頓堀・千日前に跨る 歓楽街である。今そこに、コリア
ン ( や 中 国 人 ) が 増 加 し て い る 。 2001 年 に 、 ミ ナ ミ の 南 東 部 に 33 の 韓 国 人 ク
ラ ブ や バ ー ( ス ナ ッ ク 、 ラ ウ ン ジ ) が あ り 、 そ こ に 200 人 以 上 の コ リ ア ン 従 業
員 が 働 い て い た ( 男 17 パ ー セ ン ト 、 女 83 パ ー セ ン ト ) [Chung,2002:43] 3 3 ) 。
こ の ほ か 、 ミ ナ ミ に 少 な く と も 120 を 超 え る 韓 国 人 の 店 が あ っ た (レ ス ト ラ ン
53、 教 会 14、 ブ テ ィ ッ ク 13、 美 容 院 13、 レ ン タ ル ビ デ オ 店 12、 白 タ ク 営 業
10 な ど )[Chung,2002:43] 3 4 ) 。
朝鮮人や中国人がどんどん入ってきて、日本人がどんどん郊外へ逃げ出し
て、この辺りが外国人に占領されて、日本人が住めんようなるのも時間の問
題ですわ。ほんま、寂しいことですわ。私らもその内商売を畳まんといかん
ようになるんとちがいますか。
( ホ テ ル 業 を 営 む 日 本 人 女 性 K さ ん の 話 。1994
年 1 月 6 日 ) 35)
アパートやらマンションやら入るだけでおまへん。建物ごと買うてしまう
ねん、あの人ら。ミナミで稼いで、お金溜めて、そら強いですわ。日本人負
けてますわ。そこへもってどんどん新しい人が入ってくる。あの勢いにはよ
う 勝 て ま へ ん 。( 前 掲 K さ ん の 話 。 1998 年 8 月 10 日 ) 3 6 )
チ ュ ン は 2001 年 、み ず か ら コ リ ア ン・ク ラ ブ で 働 き な が ら 33 人 の ホ ス テ ス
に面接を行なった。ホステスたちは、親族訪問・商用、興行、家族員、永住、
短 期 滞 在 、 学 生 、 就 学 生 な ど の ビ ザ で 渡 日 し 、 平 均 2.7 年 日 本 で 働 い て い た
[Chung,2002:42,44]。 ミ ナ ミ に 入 る 新 来 コ リ ア ン に は 、 周 旋 人 を 介 す る 人 が 多
い と い う ( 前 掲 B さ ん の 話 。1999 年 8 月 13 日 ) 3 7 ) 。 ホ ス テ ス は 、 島 之 内 ・ 下
11
寺 町 ・ 西 長 堀 ・ 日 本 橋 ・ 大 国 町 な ど の 徒 歩 可 能 な 距 離 、 又 は タ ク シ ー で 1000
円 以 内 の 距 離 、少 し 離 れ て 今 里 や 巽 の ワ ン ル ー ム マ ン シ ョ ン や ア パ ー ト に 住 み 、
そ こ か ら 職 場 へ 通 勤 す る [Chung,2002:50] 。 新 来 の コ リ ア ン 女 性 が 在 日 コ リ ア
ンの店で働き、在日コリアン所有のマンションやアパートに居住する。ミナミ
の一角にコリアンの店が集中し、その隣接地域にコリアンのマンション・アパ
ートが集中する。ミナミには、新来の中国人やフィリピン人、タイ人も多い。
しかし、新来外国人のドミナントはコリアンである。そこで、新来コリアンの
在日コリアンとの繋がりは決定的である。
ある晩、韓国人ホステスとタイ人のホスト・クラブに遊びに行っ てね。そ
んとき、帰りに勘定のことでトラブルになってね。そんとき、韓国人ホステ
ス が 片 言 の 日 本 語 で 、ミ ナ ミ で 仕 事 で き ん よ う に し て や る い う て 息 巻 い て ね 。
そしたら、タイ人ホストがみんな黙って俯いちゃった。韓国人は在日との絆
が あ る か ら 、や は り 強 い で す ね 。
( 前 掲 B さ ん の 話 。1999 年 8 月 13 日 )3 8 ) 。
ミナミの新来コリアンに、在日コリアンや日本人と結婚する人がいる。結婚
して結婚ビザを取得する。すると、就労が自由になる。最後に、永住ビザを取
得 す る 。こ の よ う な コ ー ス を 歩 む コ リ ア ン 女 性 が 増 加 し た
3 9 ) 。歓 楽 街 ミ ナ ミ で
も、新来コリアンの定住化が進んでいる。ミナミに、彼女らを信徒とするキリ
スト教会が現われた。教会は、新来コリアン女性のネットワーキングの重要な
場 と な る 。以 下 は 、筆 者 が 訪 れ た コ リ ア ン 教 会 で の 話 で あ る
4 0 ) 。教 会 で は 、ミ
サはすべてハングルで行なわれる。ミサが終り、信徒一同が机を囲んで食事を
する。そして、仕事や生活、家庭の話が交される。信徒には日本人と結婚した
女性が多い。彼女たちはミサに子どもを同伴する。日曜ミサの後、子どもにお
話会が開かれる。教会は、信徒の情報収集の場であり、生活学校であり、避難
所である。牧師や信徒の話にも、そのような空間の様子が窺うことができる。
教 会 を 開 い た 頃( 10 年 前 )は 信 徒 さ ん が 100 人 以 上 い ま し た が 、数 年 前 は 、
20 人 程 に 減 り ま し た 。不 況 の せ い で 、4 分 の 3 は 帰 国 し ま し た 。 で も 信 徒 さ
んの子どもは増え続けました。帰る人は帰って、日本人と結婚した人だけが
残 っ た の で す 。 最 近 は 、 信 徒 さ ん は 50 人 に 盛 り 返 し ま し た 。 信 徒 さ ん は す
べて女性です。日本人や在日の人と結婚した人も増加しています。子どもの
年齢は、3 歳から 6 歳位です。日曜学校では信仰心とハングルを教えていま
す。母親が夜働いているので、子どもはいつも留守番です。面倒をみない父
親が多いので、子供たちは日頃寂しいのです。だから日曜学校で友だちと遊
ぶのが愉しみなのです。父親のところへは、なにか問題があれば訪ねていく
程 度 で す 。( 前 掲 N さ ん の 話 。 2000 年 1 月 4 日 )
昔は貧乏のため日本に来ました。今は遊ぶ金を稼ぐために来る人が 増えま
した。その人たちは一種の観光気分です。韓国人にとって、日本は働きやす
12
い所です。韓国では肉体労働をする男は軽蔑されます。日本ならばだれの目
もありません。女性もそうです。水商売で働いてもなにも言われません。だ
か ら 韓 国 人 は こ こ( ミ ナ ミ )に 引 き 寄 せ ら れ る ん で す 。
( 前 掲 N さ ん の 話 。2001
年 3 月 13 日 )
女性が働いても、実家へ仕送りする人はむしろ少ないです。日本人の夫で
働かない人が多いからです。ですから、生活費を稼ぐ必要があるのです。結
婚 し て る か ら お 前 は 日 本 に お れ る 、離 婚 し た ら 韓 国 に 帰 ら な い か ん と 言 っ て 、
離婚しても実家に帰れない妻の立場につけ入って脅す夫もいます。韓国人は
プライドが高いので、そんな夫の仕打ちに我慢ができません。ですから離婚
す る ん で す 。夫 が 暴 力 団 と い う 人 も い ま す
4 1 ) 。そ れ で 、困 っ た 女 性 が 私 の と
ころに助けを求めて来ます。夫に話をつけに行ったり、入管にビザ手続きの
手伝いに行ったりします。私の話に耳を貸さない夫が少なくありません。入
管では、そんなことをしてると、資格外活動でお前のビザも失格になるぞっ
て脅されました。でも、私はもっと奉仕をしたいので、今は帰化のことを考
え て い ま す 。( 前 掲 N さ ん の 話 。 2001 年 3 月 13 日 )
4節
世界都市化とコリアン
コリアン労働者
1980 年 代 、 建 設 業 ( 釜 ケ 崎 ) や 製 造 業 ( 猪 飼 野 )、 飲 食 業 ( ミ ナ ミ ) の 在 日
コリアン経営者は、韓国に広がる親族や同郷人のネットワークをつてに、コリ
ア ン 労 働 者 を 直 接 雇 用 し た 。コ リ ア ン 労 働 者 は 、親 族 訪 問 ビ ザ で 渡 日 し た 。1989
年、韓国の海外渡航制限が廃止されると、親族訪問による渡日が減り、観光ビ
ザのコリアンが増加した。周旋人を介して渡日するコリアンも増加した。しか
し 、周 旋 人 に は 斡 旋 料 を 払 わ な け れ ば な ら な い 。そ れ を 忌 避 し て 周 旋 人 と 切 れ 、
滞日経験のある親族や友人をつてに渡日するコリアンが増加した。釜ケ崎にコ
リアン労働者が増加したのも、その表われである
42)。 ア ジ ア 系 外 国 人 の 場 合 、
入 国 管 理 局 は 、資 格 外 就 労 を 疑 っ て 観 光 ビ ザ の 更 新 を 許 可 し な い
4 3 ) 。そ の 結 果 、
超過滞在の外国人が増加することになる。他方、韓国の不況も深刻で、海外へ
出稼ぎに出る人は多い(ただし女性について、韓国政府は「性の輸出」を恐れ
て 神 経 質 と い わ れ る ) 44)。 海 外 旅 行 の 自 由 化 に と も な い 、 出 稼 ぎ コ リ ア ン の 流
れは、政情不安・景気後退の中近東から日本へ、さらに現在、日本から中国へ
出 稼 ぎ 先 を 転 じ た( と く に 男 性 )。そ の 日 本 の 大 阪 で 、在 日 コ リ ア ン が 一 世 ~ 三
世へと世代分化し、釜ケ崎の建設業、猪飼野の製造業、ミナミの 飲食業と、異
なる仕事世界に分節化した。そして今、それに新一世コリアン、新々一世コリ
アンと、新たなコリアンが重なりつつある。大阪で、一つのエスニック・グル
ープが地域・仕事・来住世代ごとに分節化し、たがいに重層する下位集団から
成る、複雑なコリアン社会が形成されつつある。
13
釜ケ崎・猪飼野・ミナミのコリアンの相互関係は、一様ではない。多くのコ
リアンは仕事と住居を決めたうえで渡日し、渡日後もそこを動かない。しかし
ミナミのコックを辞めて、釜ケ崎の日雇労働者になるという様に、仕事と住居
を移動する人(とくに男性)もいる。しかしその実態は不明である。
ミナミにいた頃スナックの店長までなって、3 年前、店の帰りに強盗にや
られてな。大怪我をしてな。入院して退院したら、なんかもう気力がのうな
っ て し も う て 、店 に 戻 る 気 の う な っ て 。そ ん で 釜( ケ 崎 )へ 流 れ て 来 た ん や 。
ミナミは今は遊びに行くくらいや。そやけど、ミナミのことやったらなんで
も 知 っ て る で 。( 前 掲 L さ ん の 話 。 1999 年 8 月 13 日 )
かつて、猪飼野から釜ケ崎へ労働者の募集に出向く在日コリアンがいた。し
かし、釜ケ崎に仕事がなくなり、また労働者をプールする人夫出し飯場のない
猪飼野から釜ヶ崎へ出向く人はいなくなった。
生野から土建業の親方で西成(釜ケ崎)へ出たり、仕事探しに出たりいう
話は、近頃はあまり聞かんです。今はむしろ大正や住之江の沿岸区の飯場か
ら 西 成 へ 出 る 親 方 が 多 い よ う で す 。そ の 人 た ち も 在 日 で す 。
(コリアンOさん
の 話 。 2001 年 3 月 14 日 )
こ れ に 対 し て 、猪 飼 野 と ミ ナ ミ の 関 係 は 密 接 で あ る 。1929 年 、猪 飼 野 に 隣 接
して今里新地が開拓された。その後、今里一帯は歓楽街として栄えた。今、そ
こに新来コリアンが増加している。そして今里一帯が変貌しつつある。
新地のみならず大阪各地の韓国料理店やスナックに勤めたり、あるいは各
種のサービス業に従事する彼(彼女)らは、手軽で新しいマンションに共同
で部屋を借り、夕方頃から活動を始めるのである。彼(彼女)らの増大にあ
わせるかのように、この地域でもワンルーム風マンションが林立した。そし
て韓国ビデオ・ショップや、看板がハングルのパーマ屋が相次いで誕生し、
さら には 二四 時間 営 業を うた った 韓国 居 酒屋 もオ ープ ンし て いる [杉
原 ,1998:25]。
猪飼野とミナミのコリアンは、歴史的に繋がっている。
猪飼野の在日がまず新今里へ出て、その後、近鉄線に沿って進出し、終着
地のミナミへ出た。その人たちが韓国に紹介網を広げて、女性を呼んだ。女
性たちが新今里のワンルームマンションに入って、そこからミナミへ通う。
こんな具合ですね。地下鉄の鶴橋線が延長されてからは、巽(猪飼野の隣接
地 域 ) に も マ ン シ ョ ン が 増 え ま し た ね 。( 前 掲 F さ ん の 話 。 2001 年 3 月 14
日)
14
新来コリアンは、在日コリアンが開拓した仕事と生活の場に導かれて流入す
る。彼(女)らをそこへ誘う周旋人にも、在日コリアンが多い。自前のつてで
渡日するコリアンも多い。しかし、彼(女)らの渡日後の仕事や居所も、在日
コリアンの存在と関わりをもつ。釜ケ崎・猪飼野・ミナミの在日・新来コリア
ンは、たがいに繋がったり切れたりして、大阪のコリアン社会を作り上げてい
る。
世界都市化と外国人
本 稿 で 、大 阪 の 在 日・新 来 コ リ ア ン に 対 象 を 絞 り 、入 手 で き た 情 報 を 限 り に 、
釜ケ崎・猪飼野・ミナミのコリアンの就労と居住の断片を記述した。新来外国
人は、受入れ国の世界都市の底辺に参入するだけではない。彼(女)らは、都
市の歴史と地域の個性に刻まれた社会の溝に沿って参入する。大阪に新来コリ
アンが流入し、建設業・製造業・飲食業に参入した。その先導役は、いつも在
日コリアンであった。在日/新来コリアンの関係は、地域ごとに異なる。雇用
関係も多様である。在日コリアンと雇用関係をもつ新来コリアン、もたない新
来 コ リ ア ン 。し か し 全 体 に 、在 日 コ リ ア ン は 新 来 コ リ ア ン の 動 向 を 決 し て い る 。
大 阪 で は 、新 来 外 国 人 の 全 体 の 動 向 さ え 決 し て い る 。こ れ が 、釜 ヶ 崎・猪 飼 野 ・
ミナミに見た、大阪の在日・新来外国人の最大の特徴であり、大阪の世界都市
化の一断面である。とはいえ情報はまだ乏しい。大阪のコリアンの実像は、は
るかに多面的で、はるかに流動的である。
注
1)経 済 の グ ロ ー バ ル 化 と は 、ポ ス ト 冷 戦 、情 報 革 命 、金 融 経 済 の 膨 張 を も っ て
特 徴 づ け ら れ る 戦 後 世 界 資 本 主 義 の 一 段 階 を い う [ヨ ハ イ ム ,1999:訳 24-25]
[Fröbel,1980:34-36]。 経 済 の グ ロ ー バ ル 化 は 、 国 境 を 越 え た 労 働 市 場 を 形 成
し、そのなかで労働力を配置する。
2)カ ス テ ル は 、大 都 市 の「 新 労 働 市 場 」の 底 辺 に「 新 し い 貧 困 」の 蓄 積 を み た
[Castells,1999:236]。 筆 者 は 、 経 済 の グ ロ ー バ ル 化 と サ ー ビ ス 化 が 創 出 す る
下層の労務職種に就労する人びとを<新労務層>と呼び、安価な賃金のため
低位な生活に置かれる人びとを<新貧困層>と呼んだ。それらは、現代都市
の労働階層と生活階層の変容を捉える仮説的枠組である。それらは、新中間
層 ・ 新 中 流 階 級 と 対 を な す 概 念 と し て あ る [青 木 ,2001; 2003]。
3)カ ス テ ル は 、 こ れ を 「 双 対 的 に 二 元 化 し た 巨 大 都 市 」 (dual city) と 呼 ん だ
[Castells,1999:214]。 伊 豫 谷 は 、 都 市 の 新 た な 下 層 職 種 と し て 、 次 の も の を
掲 げ た [伊 豫 谷 ,1996:195-106]。 ① ビ ル 管 理 、 警 備 、 デ ー タ 入 力 な ど の 単 純 サ
ービス職種、②高級レストラン、ブティックなどの都市サービス職種、③家
事労働などの家庭内労働、④ファッション産業などの下請の都市製造業、⑤
コンビニ、レストランなどの対低賃金労働者のためのサービス職種。
15
4)労 働 者 の 企 業 内 統 合 を 梃 と す る 日 本 型 労 働 編 成( ト ヨ テ ィ ズ ム )が ポ ス ト ・
フォーディズムの日本資本主義を延命させたとする議論も、この脈絡にある
[山 田 ,1991:xii,xiv][石 塚 ,1999:24][伊 藤 ,1999:102]。ま た 駒 井 は 、 資 本 や 労 働
力 の 国 際 移 動 に お け る 国 家 の 役 割 を 説 き[ 駒 井 ,1989:40]、サ ッ セ ン は 、経 済
のグローバル化にともなう、経済の脱国家化と政治の再国家化について説い
て い る [ Sassen,1996:訳 132]。
5)世 界 都 市( 化 )仮 説 の 焦 点 の 一 つ は 、世 界 の 諸 都 市 の 階 層 化 の 指 標 を 操 作 化
し 、 諸 都 市 を 序 列 化 す る こ と に あ っ た [ Friedmann,1986a ]。 次 の 論 文 に 、
世 界 都 市 ( 化 ) 仮 説 の 研 究 レ ビ ュ ー が あ る [Hall,1996]。 ち な み に 、 世 界 都 市
化 の 議 論 は 、 都 市 化 ( urbanization) に 関 わ る 問 題 群 ( 人 口 の 量 と 異 質 性 、
生 活 様 式 )を 内 包 す る 。世 界 都 市 化 と は 、都 市 化 の グ ロ ー バ ル な 展 開 を い う 。
6)以 下「 大 阪 市 」を「 大 阪 」、大 阪 府 を「 大 阪 府 」と 表 記 す る 。大 阪 都 市 圏 は 、
大 阪 府 の 近 隣 諸 県 を 含 む 半 径 50km、人 口 1700 万 人 に 及 ぶ 経 済 社 会 圏 を い う
[大 阪 市 経 済 局 ,2000,p.16]。
7)以 下 「 韓 国 ・ 朝 鮮 人 」「 韓 国 人 」 を 、「 コ リ ア ン 」 と 表 記 す る 。
8)外 国 人 労 働 者 の 状 況 は ど ん ど ん 変 わ る 。 本 稿 の 対 象 に つ い て も 同 様 で あ る 。
調 査 は 進 行 中 で あ る 。 2000 年 以 降 の 状 況 に つ い て は 稿 を 改 め る 。
9)警 察 の 犯 罪 統 計 も 、世 界 都 市 化 の 一 指 標 に な る 。大 阪 府 警 は 、1997 年 に 2098
件 の 新 来 外 国 人 の 犯 罪 を 摘 発 し 、940 人 を 検 挙 ・ 留 置 所 送 致 と し た [大 阪 府 警
察 本 部 ,1998:62]。 外 国 人 犯 罪 ( の 摘 発 ) は 1980 年 代 に 増 加 し 、90 年 代 に や
や減り、以後同水準のペースできている。それは、新来外国人の人口動向に
ほぼ照応する。ただし犯罪統計は、警察力や社会情勢、マスコミなどの諸要
因に影響されたものであり、犯罪の実態をそのまま表わすものではない。
10)調 査 は 、 外 国 人 雇 用 情 況 報 告 制 度 に 基 づ き 、 2000 年 6 月 1 日 、 管 轄 内 の 従
業 員 50 人 以 上 規 模 の 全 事 業 所 、一 部 選 定 さ れ た 49 人 以 下 事 業 所 の 事 業 主 に
対 し て 行 な わ れ た [労 働 省 職 業 安 定 局 ,2000:1,22]。ゆ え に 、そ れ は 全 数 調 査 で
はない。また、外国人労働者に関わる施策は、厚生労働省と大阪府労働部に
よって行われる。このため、大阪(市)の外国人労働者の就労実態を示す行
政資料は乏しい。
11)厚 生 労 働 省 の 機 関・大 阪 外 国 人 雇 用 サ ー ビ ス セ ン タ ー は 、外 国 人 に 常 雇 い の
仕事を斡旋している。センターに求職登録する外国人は、ほとんど日本の大
学 ・ 大 学 院 の 修 了 者 で あ る 。 セ ン タ ー に 出 さ れ た 企 業 求 人 は 1999 年 に 846
人 で 、 職 種 の 内 訳 は 営 業 職 110 人 、 情 報 関 係 職 354 人 、 設 計 82 人 、 貿 易 事
務 96 人 、 通 訳 21 人 、 語 学 教 師 47 人 な ど で あ っ た [同 セ ン タ ー ,1999]。 求 人
の中心はこの数年、貿易関連事務職から情報関連職に移行した。また、直接
雇用でなく間接雇用が増加した。求職登録者が増加した。登録者に占める中
国 人 の 割 合 が 増 加 し た( 登 録 者 の 約 8 割 )。こ の よ う に 、エ リ ー ト 外 国 人 に も
「 サ ー ビ ス 職 種 」 化 、「 期 間 雇 用 」 化 、「 中 国 人 」 化 と い う 、 外 国 人 労 働 者 全
体 の 動 向 を 窺 う こ と が で き る ( 同 セ ン タ ー 職 員 A さ ん の 話 。 2001 年 3 月 13
日 )。
16
12)同 じ く 、 京 都 府 は 1466.5 人 、 兵 庫 県 は 1084.9 人 で あ っ た 。 コ リ ア ン は 関
西圏に集中している。
13) 大 阪 の コ リ ア ン 史 に 関 す る 書 は 多 い 。 た と え ば [ 金 賛 汀 ,1982][ 金 賛
汀 ,1985][杉 原 ・ 玉 井 ,1986][杉 原 ,1998]な ど 。
14)1940 年 の 国 勢 調 査 で 、コ リ ア ン( 70 万 人 余 )の 職 業 構 成 は ①「 工 業 一 般 」
66.5 パ ー セ ン ト(「 鉄 精 錬 、造 船 、銃 弾 製 造 」34.3 パ ー セ ン ト 、
「土建業人夫」
19.1 パ ー セ ン ト 、
「 鉱 業 」13.1 パ ー セ ン ト )、②「 販 売・通 信・サ ー ビ ス 」21.9
パ ー セ ン ト (「 古 物 商 」 7.3 パ ー セ ン ト 、「 運 輸 業 」 7.0 パ ー セ ン ト 、「 商 業 一
般 」6.3 パ ー セ ン ト 、
「 料 飲 サ ー ビ ス 」1.3 パ ー セ ン ト )、③「 日 傭 労 務 者 」2.7
パ ー セ ン ト 、な ど で あ っ た[ 呉 ,1992:28]。戦 前 の コ リ ア ン の 3 大 職 業 は「 土
工 ・ 職 工 ・ 坑 夫 」 で あ っ た [杉 原 ,1996:96]。
15)以 上 は 、コ リ ア ン の 在 留 目 的 別 登 録 か ら 有 職 者 の 職 業 別 比 率 を 、筆 者 が 算 出
し た も の で あ る [法 務 省 入 国 管 理 局 ,2000:124-129]。
16)2001 年 3 月 14 日 に 生 野 区 役 所 で 入 手 し た 資 料 [大 阪 府 ,2001]に 拠 る 。
17)以 下 、デ ー タ 引 用 な ど の 注 記 は 最 小 限 に 留 め る 。中 国 人 や フ ィ リ ピ ン 人 、タ
イ人などの動向の分析は割愛する。
18)確 認 の 術 は な い が 、釜 ケ 崎 の 手 配 師・人 夫 出 し の ほ と ん ど は 、在 日 コ リ ア ン
といわれる。大正区や住之江区、港区一帯に飯場をもつ在日コリアンが、労
働者募集のため釜ケ崎に出向く。また、企業に労働者の調達を依頼された手
配師が釜ヶ崎に出向く。こうした現象は、東京・山谷でも見られる。
19)現 場 飯 場 と は 、工 事 現 場 近 く に 作 ら れ る 飯 場 で 、労 働 者 は そ こ に 起 居 し な が
ら仕事に就労する。これとは別に、人夫出し飯場がある。それは、人夫出し
が労働者をいったんそこへ囲い込み、そこから工事現場へ送り出すための飯
場をいう。
20)「 自 由 労 働 者 の 街 『 あ い り ん 地 区 』( 大 阪 市 西 成 区 ) の 路 上 で 古 着 な ど の 露
店を出している野宿者らから場所代を取っていたとして、大阪府警暴力団対
策 課 と 西 成 署 は 18 日 、 山 口 組 系 暴 力 団 の 組 員 ら 5 人 に 対 し 、 暴 力 団 対 策 法
に 基 づ く 計 120 件 の 中 止 命 令 を 出 し た と 発 表 し た 。 集 金 額 は 、 1 年 3 ヶ 月 で
計 約 90 万 円 に 上 る 」 [毎 日 新 聞 大 阪 版 ,2000.8.19]。 た だ し 、 こ れ は コ リ ア ン
だけの話ではない。日本人の露天商や組員も同様である。
21)前 掲 D さ ん は 日 本 人 で あ る が 、仕 事 が な く 、新 来 コ リ ア ン の 世 話 焼 き( 親 方
の手元)に頼んで在日コリアンの親方の飯場へ入った。その飯場は、コリア
ン 15 人 、 朝 鮮 族 中 国 人 5 人 で 、 日 本 人 は 彼 だ け で あ っ た 。 コ リ ア ン や 朝 鮮
族 中 国 人 は 、 彼 に 親 切 に 接 し た と い う ( D さ ん の 話 。 1999 年 7 月 18 日 )。
22)新 来 コ リ ア ン は 、日 本 人 や 在 日 コ リ ア ン の 親 方・友 人 の 名 義 を 借 り て 携 帯 電
話 を 購 入 す る 。前 掲 B さ ん に よ れ ば 、彼 ら の 滞 日 が 長 引 く に と も な い 、仕 事
や生活の問題を自前のネットワークのなかで解決するようになった。外国人
支援団体に助けを求めるのは、ビザの申請など、日本人の助力が必要な場合
だ け と な っ た ( 前 掲 B さ ん の 話 。 1999 年 8 月 13 日 )。
23)雇 用 関 係・労 働 現 場 に お け る 在 日 コ リ ア ン と 新 来 コ リ ア ン の 地 位 関 係 に つ い
17
て は 、 次 を 見 ら れ た い 。 [青 木 ,2000:130-133]
24)E さ ん は 、釜 ケ 崎 で も っ と も 多 い の は 済 州 島 出 身 者 で 、こ れ に 釜 山 出 身 者 が
続 く と い う( E さ ん の 話 。1999 年 8 月 13 日 )。コ リ ア ン と の 交 際 が 煩 わ し い
というEさんの言葉に、エスニック・ネットワークの緊密さを窺うことがで
き る 。 そ の 後 仕 事 が 少 な く 、 E さ ん は 2000 年 8 月 に 韓 国 へ 帰 っ た 。 そ し て
韓国から筆者に電話を寄こし、
「 日 本 に 仕 事 が な い こ と を 皆 知 っ て る か ら 、日
本 に 行 く 人 は 少 な い よ 。今 は 中 国 の 北 京 や 上 海 へ 行 く 人 が 多 い よ 。2002 年 に
ワールドカップがあるから、日本でも仕事が増加すると思う。そん時はまた
そ っ ち へ 行 き た い よ 」 と 語 っ た ( E さ ん の 話 。 2001 年 2 月 26 日 )。
25)金 賛 汀 は 、 猪 飼 野 の 形 成 史 を 説 き 起 こ し た [金 賛 汀 ,1985]。 彼 は 、 猪 飼 野 の
平 野 運 河 の 工 事 終 了 (1923 年 )後 に 入 っ た 済 州 島 出 身 の 職 工 が 、コ リ ア ン の 猪
飼 野 集 住 の 始 ま り と い う [金 賛 汀 ,1985:21]。 こ れ に 対 し て 金 徳 煥 は 、 や は り
平 野 運 河 の 改 修 抜 き に コ リ ア ン の 猪 飼 野 集 住 は 語 れ な い と い う [金 徳 煥 ,
1989:63]。
26)高 は 、 済 州 島 ま で 行 き 、 日 本 へ の 移 住 者 の 遡 及 調 査 を 行 な っ た [高 ,1996]。
27)と は い え 、猪 飼 野 の ド ミ ナ ン ト 集 団 は 日 本 人 で あ る 。猪 飼 野 の 日 本 人 と 在 日
コ リ ア ン の 民 族 関 係 に つ い て は 、 次 を 見 ら れ た い [ 谷 ,1993] [谷 ,2000]。 猪
飼野育ちの金徳煥は、地域活動の取り組みのなかで日本人の拒絶にあい、活
動が頓挫しかかった体験を語り、猪飼野におけるマイノリティとしての在日
の 立 場 を 思 い 知 っ た と い う [ 金 徳 煥 ,1992.5:84 ]。「 在 日 同 胞 は 地 域 住 民 で は
な い と い う こ と で あ る 。」 [同 :84]
28)高 は 、自 主 入 国 し て 特 別 在 留 許 可 を 受 け た 6 人 の 済 州 島 人 男 性 の 生 活 史 を 紹
介 し た [高 ,2000:31]。 彼 ら は 1960 年 代 後 半 か ら 70 年 代 前 半 に 渡 日 し た 、 現
在 40~ 50 歳 代 の 世 代 で あ る 。 妻 も 自 主 入 国 者 と い う ケ ー ス が 多 い 。 庄 谷 ・
中山の報告書にも、サンダル・シューズ業に就労する自主入国者の事例が紹
介 さ れ て い る [庄 谷 ・ 中 山 ,1992]。
29)猪 飼 野 に「 ク ッ 」と い う 韓 国 式 の 運 命 鑑 定 を 商 う 者 が 現 わ れ て 久 し い( コ リ
ア ン 団 体 役 員 H さ ん の 話 。 1994 年 3 月 14 日 )。 そ の 後 も 美 容 「 ア カ ス リ 」
を始め、韓国の風俗習慣の猪飼野への浸透はいちじるしい。
30)そ れ ら の 教 会 は 、既 存 の キ リ ス ト 教 会 で は な く 、韓 国 か ら 派 遣 さ れ た 牧 師 が
ハングルでミサを行なう新たな教会である。
31)中 央 区 は 、 大 阪 で 中 国 人 が も っ と も 多 い 地 域 で あ る 。
32)中 央 区 役 所 で 入 手 し た 資 料 に 拠 る 。 2002 年 1 月 8 日 。 集 計 年 に 1 年 の ず れ
は あ る も の の 、こ の 数 は 2000 年 の コ リ ア ン 登 録 人 口 2024 人 よ り か な り 少 な
い。すなわち、多くの人が中央区で外国人登録をして、区外に居住する。そ
れは、歓楽街中央区の特徴である。
33)こ れ ら の 数 字 の 算 定 根 拠 は 不 明 で あ る 。残 念 に も 、ミ ナ ミ で 働 く コ リ ア ン ・
ホステス(およびホスト)全体数は不明である。しかし、その数はチュンが
算 定 し た 200 人 を は る か に 超 え る も の と 思 わ れ る 。
34)こ れ は 、 チ ュ ン が 電 話 帳 や 雑 誌 広 告 に よ っ て 調 べ た 数 で あ る 。
18
35)こ う 嘆 く K さ ん の 言 葉 に は 、外 国 人 に 対 す る 反 感 に 増 幅 さ れ た 悲 壮 感 が 漂 う 。
36)事 態 は K さ ん が 「 危 惧 」 し た 通 り に な っ た 。 1990 年 代 後 半 、 ミ ナ ミ に 近 接
するマンション・ホテル街にコリアン(や中国人)が激増した。筆者が入っ
た ス ナ ッ ク で も 、日 本 人 ホ ス テ ス 3 人 が 口 を 揃 え て 、
「韓国の人たちはしっか
りしてる。あの人たち、お客つかむのうまいし、お金もしっかりとるし」と
語った。この言葉に、コリアン・ホステスの勢いに対する驚きと妬みが滲み
出ている。
37)釜 ケ 崎 の コ リ ア ン 労 働 者 L さ ん は 、ミ ナ ミ の 元 コ ッ ク で あ っ た 。8 年 前 、日
本で働こうと観光ビザで飛行機に乗り、偶然、隣席の在日コリアン女性に誘
われて、彼女が経営するミナミのコリアン・クラブに入った(Lさんの話。
1999 年 8 月 13 日 )。
38)歓 楽 街 ミ ナ ミ に は 裏 世 界 も あ る 。麻 薬 や 売 春 や 暴 力 団 の 世 界 で あ る 。そ こ に
関わる新来コリアンもいる。いずれ裏世界の実態解明を期したい。
39)結 婚 に 関 わ る 裏 話 で あ る 。 次 は 、 釜 ケ 崎 の 日 本 人 労 働 者 M さ ん の 話 で あ る
( 2001 年 3 月 15 日 )。「 暴 力 団 が 西 成 ( 釜 ケ 崎 ) の 男 の 戸 籍 を 使 っ て 、 韓 国
人 の 女 と 結 婚 さ せ る 。も ち ろ ん 金 払 っ て 。1 件 20 万 円 な ん て 話 も あ る 。次 つ
ぎに結婚と離婚をさせて、男の戸籍がいっぱいになったら本籍を移す。1 年
に 10 人 の 女 と 結 婚 し た 男 も い る そ う や 。」 区 役 所 へ の 婚 姻 届 は 、 代 理 人 で も
可能である。前掲Fさんによれば、斡旋人(すべてが暴力団組員というわけ
で は な い ) が 届 け を す る こ と は 少 な く な い ( 2001 年 3 月 14 日 )。 ち な み に
暴 力 団 の 研 究 は 、都 市 研 究 の 重 要 な 課 題 で あ る 。
「 警 察 庁 に よ る と 、韓 国 の 警
察当局からは不況や暴力団対策法の影響で資金繰りが悪化した日本の暴力団
が進出しているとの情報が寄せられている。また近年は、来日した韓国人の
スリグループが、催涙スプレーや刃物などを使って警察官などにけがを負わ
せるといった悪質な事件が目立つほか、韓国ルートの集団密入国も増加して
い る と い う 」 [朝 日 新 聞 社 ,2000.1.9]。 表 世 界 の 世 界 都 市 化 に 、 裏 世 界 の そ れ
が随伴し、両者は繋がっている。いずれその研究を期したい。
40)筆 者 は 、こ の 教 会 を 1999 年 8 月 15 日 、2000 年 1 月 4 日 、2001 年 3 月 11・
13 日 、 2002 年 1 月 6 日 に 訪 ね た 。 そ し て 、 コ リ ア ン 牧 師 の N さ ん と 数 名 の
コリアン女性信徒に話を聞いた。
41)こ こ で の「 日 本 人 」の 夫 に は 、在 日 コ リ ア ン も 含 ま れ る と 思 わ れ る 。フ ィ リ
ピン女性やタイ人女性と同様、コリアン女性にも日本人の夫に虐待される人
がいる。彼女たちの境遇は、男性優位の儒教文化のなかでいっそう厳しいと
思われる。
42)高 も 、横 浜・寿 町 の 新 来 コ リ ア ン を 事 例 に 、新 来 コ リ ア ン は 在 日 コ リ ア ン よ
り も 滞 日 経 験 の あ る 親 戚 や 友 人 に 頼 る 傾 向 に あ る と い う [ 高 ,1991:114]
[高 ,1996:35]。 た だ し 猪 飼 野 の 場 合 は 、 新 来 コ リ ア ン が 在 日 コ リ ア ン を 介 さ
ないで渡日・就労することは不可能である。
43)2005 年 の 愛 知 万 博 ( 愛 ・ 地 球 博 ) を 機 に 、 韓 国 人 の 入 国 ビ ザ が 不 要 に な っ
た。韓国人は 3 ヶ月を最長に渡日が自由化された。その結果、渡日する韓国
19
人が急増しつつある。
43)1999 年 、 韓 国 の 不 況 は く ぐ り 抜 け た も の の 雇 用 は な お 厳 し く 、 韓 国 に 帰 っ
て も 仕 事 が な い 。 土 方 仕 事 も や り づ ら い 。( 前 掲 E さ ん の 話 。 1999 年 12 月
30 日 )。 E さ ん は 帰 国 後 、 失 業 が 続 い た 。 と こ ろ が 、 2005 年 に 韓 国 人 の 渡 日
ビザが廃止され、渡日が容易になったため、ふたたび釜ヶ崎で働くようにな
った。E さんは、対日許可 3 ヶ月いっぱい働くと入管に不法就労を疑われる
の で 、2 ヶ 月 ほ ど 働 い て い っ た ん 帰 国 し 、ま た 日 本 に 来 る と い う 。( E さ ん の
話 。 2006 年 3 月 15 日 )
引用文献
青 木 秀 男 ,2000『 現 代 日 本 の 都 市 下 層 ─ 寄 せ 場 と 野 宿 者 と 外 国 人 労 働 者 』明 石 書
店
青 木 秀 男 ,2001「 都 市 貧 困 層 の 変 容 ─ 労 働 、居 住 、政 治 」大 阪 市 立 大 学 経 済 研 究
所『アジアの大都市
[4]マ ニ ラ 』 日 本 評 論 社
93-115 頁
青 木 秀 男 ,2003「 新 労 務 層 と 新 貧 困 層 ─ マ ニ ラ を 事 例 と し て 」日 本 寄 せ 場 学 会『 寄
せ 場 』 16 号
れんが書房新社
朝 日 新 聞( 大 阪 版 ),2000.1.9「 暴 力 団 進 出
韓国で探れ
W 杯を控えて警察庁
が派遣へ」
生 野 区 役 所 戸 籍 登 録 課 ,2001『 大 阪 府 市 町 村 別( 支 会 別 )主 要 国 籍 外 国 人 登 録 者
数』
石 川 義 孝 ,1996「 人 の 流 れ か ら み た ア ジ ア と 大 阪 」大 阪 市 大 地 理 学 研 究 室『 ア ジ
アと大阪』古今書院
石 塚 良 治 ,1999「 日 本 資 本 主 義 の 現 在 」季 刊 ア ソ シ エ 編 集 委 員 会『 季 刊 ア ソ シ エ 』
1号
御茶の水書房
19-31 頁
伊 藤 誠 ,1999「 グ ロ ー バ リ ゼ ー シ ョ ン と 日 本・ア ジ ア の 経 済 危 機 」情 況 出 版 編 集
部『グローバリゼーションを読む』情況出版
92-111 頁
伊 豫 谷 登 士 郎 ,1999「 訳 者 解 題 」 ,Sassen, S.,1996, Losing Ground ?:
Sovereignty in an Age of Globalization , 伊 豫 谷 訳 『 グ ロ ー バ リ ゼ ー シ ョ ン
の時代─国家主権のゆくえ』平凡社
178-203 頁
大 阪 外 国 人 雇 用 サ ー ビ ス セ ン タ ー ,1999『 業 務 報 告
平 成 11 年 度 』
大 阪 府 ,2001『 大 阪 府 市 町 村 別 ( 支 会 別 ) 主 要 国 籍 外 国 人 登 録 者 数 』
大 阪 府 警 察 本 部 ,1998『 統 計 か ら み た 大 阪 の 事 件 ・ 事 故
平成 9 年』
大 阪 市 計 画 調 整 局 ,1999a『 大 阪 市 時 系 列 統 計 表 』
大 阪 市 計 画 調 整 局 ,1999b『 統 計 時 報
446 号 』
大 阪 市 計 画 調 整 局 ,2000a『 第 87 回 大 阪 市 統 計 書
大 阪 市 計 画 調 整 局 ,2000b 『 大 阪 市 の 現 況
平 成 11 年 版 』
データでみる大阪のすがた
12 年 度 版 』
大 阪 市 計 画 調 整 局 ,2000c『 統 計 時 報
452 号 』
大 阪 市 計 画 調 整 局 ,2001『 第 88 回 大 阪 市 統 計 書
20
平 成 12 年 版 』
平成
大 阪 市 経 済 局 ,2000『 大 阪 の 経 済
2000 年 版 』
大 阪 市 市 民 局 ,1994-2000『 区 政 概 容 』( 平 成 6~ 12 年 版 )
大 阪 労 働 協 会 ,2000『 大 阪 労 働 白 書
加 藤 晴 康 他 ,1996「 座 談 会
平 成 12 年 度 』
寄 せ 場 と 寄 せ 場 学 会 の 10 年 ─ 変 貌 す る 現 実 を ど う
捉 え る か 」 日 本 寄 せ 場 学 会 『 寄 せ 場 』 10 号
5-32 頁
金 徳 煥 ,1989「 新 ・ 猪 飼 野 事 情 」 耽 羅 研 究 会 『 済 州 島 』 1 号 新 幹 社 60-67 頁
金 徳 煥 ,1992「 生 野 民 族 文 化 祭
そ の 1」 耽 羅 研 究 会 『 済 州 島 』 5 号 , 新 幹 社
金 賛 汀 ,1982『 朝 鮮 人 女 工 の う た ─ 1930 年 ・ 岸 和 田 紡 績 争 議 』 岩 波 書 店
金 賛 汀 ,1985『 異 邦 人 は 君 ヶ 代 丸 に 乗 っ て ─ 朝 鮮 人 街 猪 飼 野 の 形 成 史 』岩 波 書 店
高 鮮 徽 ,1991「 韓 国 済 州 島 出 身 の 出 稼 ぎ 労 働 者 の 就 労 と 生 活 」ほ る も ん 文 化 編 集
委員会『ほるもん文化』新幹社
112-120 頁
高 鮮 徽 ,1996「 横 浜 市 寿 町 へ 出 稼 ぎ 労 働 者 を 送 る 村 ─ 済 州 島 K 邑 B 村 を 事 例 と し
て」日本寄せ場学会『寄せ場』9 号
25-41 頁
高 鮮 徽 ,2000「『 出 稼 ぎ 目 的 』の『 密 航 』者 と 在 留 特 別 許 可 ─ 済 州 島 人 を 事 例 に 」
駒井洋・渡戸一郎・山脇啓造『超過滞在外国人と在留特別許可─岐路に立つ
出入国管理政策』明石書店
26-35 頁
駒 井 洋 ,1989『 国 際 社 会 学 研 究 』 日 本 評 論 社
駒 井 洋 ,1993『 外 国 人 労 働 者 定 住 へ の 道 』 明 石 書 店
呉 圭 祥 ,1992『 在 日 朝 鮮 人 企 業 活 動 形 成 史 』 雄 山 閣 出 版
庄 谷 怜 子・中 山 徹 ゼ ミ ナ ー ル ,1992『 大 阪 生 野 に お け る 在 日 韓 国・朝 鮮 人 の 労 働
と生活
第1集
1991 年 度 調 査 報 告 』 大 阪 府 立 大 学 社 会 福 祉 学 部
杉 原 薫 ・ 玉 井 金 五 ,1986『 大 正 / 大 阪 / ス ラ ム 』 新 評 論
杉 原 達 ,1993「 大 阪 ・ 今 里 か ら の 世 界 史 」 板 垣 雄 三 『 地 域 か ら の 世 界 史 』 21 巻
朝日新聞社
杉 原 達 ,1996「 朝 鮮 人 を め ぐ る 対 面 = 言 説 空 間 の 形 成 と そ の 位 相 ─ 1930 年 代 の
大阪を中心に」駒井洋・伊豫谷登士郎・杉原達『日本社会と移民』明石書店
91-128 頁
杉 原 達 ,1998『 越 境 す る 民
近代大阪の朝鮮人史研究』新幹社
総 務 庁 統 計 局 ,2000『 平 成 11 年
国勢調査報告
総 務 庁 統 計 局 ,2001a『 日 本 の 統 計
第 2巻
27 大 阪 府 』
2001』( 総 務 庁 ウ エ ブ サ イ ト )
総 務 庁 統 計 局 ,2001b『 社 会 ・ 人 口 統 計 体 系 』( 総 務 庁 ウ エ ブ サ イ ト )
谷 富 夫 ,1993「 国 際 都 市 化 と 『 民 族 関 係 』」 中 野 秀 一 郎 ・ 今 津 孝 次 郎 『 エ ス ニ シ
ティの社会学』世界思想社
2-25 頁
谷 富 夫 ,2000『 民 族 関 係 に お け る 結 合 と 分 離 の 社 会 的 メ カ ニ ズ ム 』 平 成 8~ 10
年 度 科 学 研 究 費 補 助 金 ( 基 礎 研 究 A -1 )
法 務 省 入 国 管 理 局 ,2000『 平 成 12 年 版
在留外国人統計』
毎 日 新 聞 ( 大 阪 版 ) ,2000.8.19「 < あ い り ん 地 区 > 野 宿 者 の 露 店 か ら 場 所 代 ─
組員らに中止命令」
町 村 敬 志 ,1994『「 世 界 都 市 」 東 京 の 構 造 転 換 ─ 都 市 リ ス ト ラ ク チ ュ ア リ ン グ の
社会学』東大出版会
21
山 田 鋭 夫 ,1991『 レ ギ ュ ラ シ オ ン ・ ア プ ロ ー チ ─ 21 世 紀 の 経 済 学 』 藤 原 書 店
ヨ ハ イ ム ・ ヒ ル シ ュ ,1999「 グ ロ ー バ リ ゼ ー シ ョ ン と は な に か 」古 賀 進 訳 , 情 況
出版編集部『グローバリゼーションを読む』情況出版
21-32 頁
労 働 省 職 業 安 定 局 ,2000『 外 国 人 雇 用 情 況 報 告 ( 平 成 12 年 6 月 1 日 現 在 )』
Castells, Manuel,1999, Global Economy, Information Society, Cities and
Regions , 大 澤 善 信 訳 ,1999『 都 市 ・ 情 報 ・ グ ロ ー バ ル 経 済 』 青 木 書 店
Chung, Haeng-ja,2002,“ Korean Hostesses Clubs in Minami, Osaka:
Preliminary Findings on Workers, Activities, and Income, ” 大 阪 市 立 大 学
『人権問題研究』2 号
41-58 頁
Friedmann, John,1986a, 訳「 世 界 都 市 仮 説 」Knox,Paul L. and Peter J.Taylor,
1995, World Cities in a World -system , Cambridge University Press, 大 六
野 耕 作 他 訳 1997 年 『 世 界 の 大 都 市 』 鹿 島 出 版 会
191-201 頁
Friedmann, John,1986b, 訳 「 世 界 都 市 研 究 の 到 達 点 ─ こ の 10 年 間 」 Knox,
Paul L. and Peter J.Taylor,1995, World Cities in a World-system ,
Cambridge University Press, 大 六 野 耕 作 他 訳 , 1997『 世 界 の 大 都 市 』 鹿 島
出 版 会 , 23-47 頁
Fröbel,Folker,1980, The New International Division of Labour , Cambridge
University Press.
Hall,Thomas D.,1996,“ The World-System Perspectives:A Small Sample from
a Large Universe,” International Sociology , vol.66, no.4, pp.440-454.
Hill,Richard Child and Kuniko Fujita ,2003,“ The Nested City:Introduction, ”
Urban Studies: An International Journal for Research in Urban and
Regional Studies , University of Glasgow, vol.40, no.2, pp.207-217.
Sassen, Saskia,1988, The Mobility of Labor and Capital: A Study in
International Investment and Labor Flow , Cambridge University Press,
森 田 桐 郎 他 訳 ,1992『 労 働 と 資 本 の 国 際 移 動 ─ 世 界 都 市 と 移 民 労 働 者 』岩 波 書
店
Sassen,Saskia,1996, Losing Ground ?: Sovereignty in an Age of
Globalization , Columbia University Press, 伊 豫 谷 登 士 翁 訳 ,1999『 グ ロ ー バ
リゼーションの時代─国家主権のゆくえ』平凡社
22
23