第一章

目 次
まえがき ………………………………………………………………
第 一 章 国語科授業分析の方法(蠢)
第1節 講座内容の概要(Ⅰ)
(吉田 裕久)
─やってみよう、授業分析─
…………………………………………………………
第2節 研究史の概略と国語科授業分析の要件 ……………
3
(塚田 泰彦)
……
4
(田中 耕司)
……
11
……
21
1.授業研究と授業分析の関係
2.国語科授業分析研究の概要
3.国語科授業分析の実際と課題
第3節 国語科授業分析の方法と研究の実際①
─量的・質的方法を組み合わせた授業分析法─ …
1.授業分析の目的と方法
2.目的に応じた研究方法の選択
3.目的によって決定されるデータ収集の範囲と深さ
4.量的と質的とは何か?
5.量的・質的方法を組み合わせた授業分析の実際
6.授業研究の方法としての本研究の意義
第4節 国語科授業分析の方法と研究の実際②
─国語科グループディスカッションにおける社会的相互作用─
…………………………………………………………
1.実験授業のねらいと概要
2.実験授業の分析
3.教室を対象とした調査の課題
(長田 友紀)
第5節 国語科授業分析の方法と研究の実際③
─教師役の大学院生に対するナラティブ・インタビュー─
……
31
…………………………………………………………
45
…………………………………………………………
(石田 喜美)
1.研究の意義と研究方法
2.実施授業の概要と研究結果
第 二 章 国語科授業分析の方法(蠡)
第1節 講座内容の概要(Ⅱ)
─深めよう、授業分析─
第2節 分析事例(1)─問題場面観察法─ …………………
(有澤俊太郎)
……
46
……
56
1.問題場面観察法について
2.授業の概要
3.問題場面観察法の実施
4.国語科授業研究と分析的手法(5箇条の DO と DON’T)
第3節 分析事例(2)─刺激回想法による事例分析と内省法の性質─
………………………………………
(渡部洋一郎)
1.本節の目的
2.刺激回想法(Stimulated Recall Method)の要因とそのバージョン
3.Stimulated Recall Method による国語の授業分析
4.Stimulated Recall Method の特性─効果と制約─
5.内省法としての Stimulated Recall Method ─内省報告における意識化と合理化─
6.語るという行為と回想の二重性思考
第4節 分析事例(3)─予測不可能事象の分析から─ …
(藤森 裕治)
1.予測不可能事象とは何か
2.予測不可能事象に着目した授業研究の実際と成果
あとがき ………………………………………………………………
執筆者一覧
(塚田 泰彦)
……
67
ま え が き
全国大学国語教育学会理事長
吉 田 裕 久
1.学会の実態
全国大学国語教育学会は、1950年、大学の国語教育講座を担当する教員を中心に、国語教
育研究の充実と発展を期して結成されました。以後、本学会は学会員の弛まぬ努力と地道な
研鑽によって着実に成長し、現在会員数が1000名を超える質・実ともに充実した研究団体に
なっています。会員の層も、国語教育学を専攻する大学・附属学校の教員、大学院生から、
小・中・高等学校等の教員へと広がっています。さらには、国語教育に関心を持つ人なら誰
でも入会できる、開かれた学会になってきています。こうして全国大学国語教育学会は、文
字通りわが国を代表する国語教育学会として広く認知され、不動の地位を築いてまいりまし
た。
2.学会の活動
学会の事業・活動として、大きく次の三つのことに取り組んでいます。
(1)学会の開催
1年に2回(春と秋)、定例で学会を開催しています。学会では、自由研究発表、課題研
究発表、シンポジウム、パネル・ディスカッションなどが行われます。研究発表は、歴史研
究、授業研究、比較研究、実践研究など、広い視野から最新の研究成果が発表されます。
(2)学会誌の刊行
1年に2回、学会誌「国語科教育」を発行しています。現在69集が刊行されています。こ
こには、編集委員によって厳正に審査(査読)された優れた学術論文が掲載されます。本学
会誌に掲載された論文は、論文の中でももっともステータスの高い論文として評価されてい
ます。大学等の高等教育機関への就職の際の業績としても、最重要論文として扱われていま
す。
(3)研究情報の発信・交流
国語教育の理論と実践に関する基本図書の刊行、国語教育研究を啓発・リードする公開講
座の開催、学会理解を広め、深めるホームページの充実など国語教育研究の情報発信の基地
として広報活動にも努めています。
刊行図書としては、学会員の総力を結集して、国語教育学研究の発展に寄与する基本図書
を刊行してきました。
『国語教育学研究の成果と展望』
(2002)、
『国語科教育実践・研究必携』
(2009)など、学会ならではの優れた研究成果を刊行してまいりました。
公開講座は、会員外にも広く開かれ、無料で参加できます。「国語科授業分析の方法」、
「国語教科書研究の方法」、「文学教材研究の方法」など、魅力的な話題が取り上げられてい
ます。
(全国大学国語教育学会ホームページ「全国大学国語教育学会にようこそ(会長挨拶)」
より)
こうして、公開講座は、本学会の言わばエクステンション活動として、また本学会と社会
(学校・地域等)とを積極的に架橋する社会連携として、さらには本学会の広報活動の一環
として新たにスタートしたものである。
本ブックレットは、その第1回目の企画(それぞれの企画は、2回のセットとして開催予
定)として、「国語科授業分析の方法(1)(2)」をまとめたものである。それぞれの開催
日程、会場等は、次の通りである。
第1回 国語科授業分析の方法(1)―やってみよう、授業分析―
2008(平成20)年11月21日(金)
14:00∼17:00
北九州国際会議場
世話人:塚田泰彦 登壇者:塚田泰彦・田中耕司・長田友紀・石田喜美
第2回 国語科授業分析の方法(2)―深めよう、授業分析―
2009(平成21)年5月29日(金)
15:00∼18:00
秋田大学
世話人:塚田泰彦 登壇者:有澤俊太郎・渡部洋一郎・藤森裕治
国語科授業はまさに本学会と小・中・高等学校とを緊密に結ぶ要諦であり、そのあり方を
究明することは学会としても最重要の関心事である。のみならず、授業の分析・考察を通し
てその向上を図ることは、最大の責務であり、使命である。まず公開講座第1回目の主題と
して「国語科授業分析の方法」に取り組んだ背景にも、こうした問題意識が存在していた。
本公開講座企画責任者(世話人)として塚田泰彦氏(筑波大学)にその多くの労を執って
いただいた。公開講座の企画から実施、そして本ブックレットの編集・完成に至るまでのご
苦労に深く感謝申し上げる。
学会の企画・事業は、その多くを学会誌「国語科教育」に掲載してきた。本公開講座は学
会財産の広報活動の側面も持っているので、こうして学会のホームページにも掲げ、学会活
動の一部として広く社会にも発信することにした。本学会理解の一助となることを切に希望
している。なお部数としては限られるが、記録・保存用として、冊子体のブックレットも作
成したことを付記しておきたい。
ご一覧・ご一読いただき、ご助言・ご指導等を賜ることができるならば幸甚である。
2011(平成23)年3月31日
第一章
国語科授業分析の方法(蠢)
─やってみよう、授業分析─
第1節 講座内容の概要(Ⅰ)
全国大学国語教育学会編『国語科教育研究 第115回福岡大会発表要旨集』2008年、p. 103
−3−
第2節 研究史の概略と国語科授業分析の要件
塚田 泰彦
ここでは、2回にわたる本講座全体を展望しつつ、その核となる「授業研究」や「国語科
授業分析」の考え方を概説する。前半は、わが国における関連の先行研究をレビューして、
授業分析一般および国語科の授業分析について入門的な把握をおこない、後半でこの種の研
究の実際の手順や方法と課題について確認する。説明の柱は次の3つである。
1)授業研究と授業分析の関係
2)国語科授業分析研究の概要
3)国語科授業分析の実際と課題
1.授業研究と授業分析の関係
1.1.定義および実績
授業研究の定義:[授業研究は特定の授業・単元・教科の目標を注意深く考え、可能な範
囲でよりよい授業へと研究改善し、自らの教材や教科の専門的知識への理解を深め、生徒の
長期的な学習や発達への目を培い、学校での協働関係を形成するものである。」(秋田, 2008,
p. 26)
授業研究は、「学校を基盤とした教職専門性開発のあり方、教師が共に学び合う共同研究
の対象領域として」(同, p. 25)伝統的に形成されてきており、「授業が探究の窓口になるが、
その特定の授業で終わるのではなく、そこからカリキュラムや教材、長期的な子どもや教師
の変容までの広がりを持った議論がなされる可能性をもった場」(同, p. 29)ある。
日本では、1960年代から大学での授業研究(「授業の科学」)の多角的展開が実績をあげ、
これにリードされるかたちで、学校現場で教員の自主研究などを支えてきた。(たとえば、
名古屋大学・重松鷹泰研究室や東京大学・稲垣忠彦研究室などの先導的な実績を参照。)ま
た、この「日本の教師たちによって長年にわたり実施されてきた教師の専門的見識と技能の
学習方法である」
(同, p. 24)授業研究は、1990年代後半から、日本の教師文化として広く海
外に発信され、国際的に「レッスンスタディ(lesson study)」の名称で評価され、普及しは
じめている。
この方面の簡明で行き届いた整理については、秋田(2007)による次のまとめを参照のこ
と(これは公開講座当日、別紙配布資料として提示された。)
−4−
明治期初期∼20年代 学校における授業研究の制度化と普及
明治4年 学制の制定
一斉授業方式が師範講習所、師範学校を通して伝習
明治13年 改正教育令制定
明治14年 小学校教則綱領、学校教員品行検定規則、師範学校大綱制定
明治10∼20年代 授業研究が普及し授業批評会の隆盛
発問法や板書、授業様式研究等、教師の手による研究の浸透
明治30年代 授業方法の定型化・制度化による閉塞化
明治30年 教科書の国定
大正期∼昭和初期 大正自由教育による授業と授業研究の展開
新教育を標榜する私立学校や付属学校での授業や授業研究の誕生
及川平治等による新たな授業法や木下竹次による学習法の検討
昭和10年代 戦時体制下 国家による規制の強化 授業研究の困難
戦後∼30年代 新たな教育改革と教育学としての授業研究の展開
昭和22年 学習指導要領 一般篇(試案)
1950年代∼60年代 自主的な実践の展開
生活綴り方実践 コア・カリキュラム
1960年代 教育学研究としての授業研究の隆盛
木原健太郎、重松康鷹等による研究者と実践者の共同での授業分析の開発
昭和40年代∼50年代 受動的研修と行動主義による授業研究の科学化
昭和33年8月学習指導要領における基準の強化、研修の制度化
各県や市町村での教育センターが整備され、伝達的な義務的・受動的研修の性格強化
工学アプローチによるシステマティックな授業研究の展開
行動主義心理学により、研究授業の定型化、教科教育内容の個別的検討
昭和50年代∼60年代 高度経済成長と学校の危機による授業研究の衰退
校内暴力やいじめ、不登校等の問題の噴出
問題対処による教師の多忙化
認知心理学による学習者の知識や学習過程への着目
平成元年 新しい学力観 個性化への転換
平成初期 グローバル化での学力論争と校内研修を中核とした学校づくり
平成9年 新たな時代にむけた教員養成の改善の方策の提示
平成10年 学習指導要領の大幅改訂
国際学力テスト、学び離れや学力低下
佐藤学他による学びの共同体としての学校改革
図2−2 日本における授業研究の歴史的展開(稲垣,1995;稲垣・佐藤,1996をもとに作成)
−5−
図2−5 研究者と学校との共同での授業研究における研究方法の課題と実践的課題
(名古屋大学・東海市教育委員会教育実践問題支援プロジェクト,2004)
−6−
1.2.授業研究の意義・目的・方法・成果・課題
授業研究の目的は、吉崎(1991)によれば「授業の改善」「教師の授業力量形成」「授業に
ついての学問的研究の発展」の3つが考えられ、最近は、このうちとくに、新しい授業観・
学習観に即した「教師の授業力量形成」が注目されている。この点では、日本の学校を中核
として行われる校内研修という教師文化(教師による自律的な授業研究)が海外から注目さ
れはじめたことも刺激となって、授業研究の遺産の再評価の機運が高まっている。
授業研究の方法には、歴史的視座、学校経営、教育工学、教科教育などからの多様なアプ
ローチが開拓されてきている。その方法や成果は広範囲に及ぶため、本講座では、「国語科
の授業研究」、とくに「国語科の授業分析」を中心に取り扱う。
授業分析という研究について基本的な枠組みと方法を解説する。
まず、本講座では、日本の授業研究史をふまえて、かつ国語科の固有性も考慮して、垣内
松三の〈国語教育誌学〉の枠組みから再出発する。垣内のこのアプローチは、日本の教育研
究史において教育学者が発想し、開拓した「教育科学」の一環としての「授業分析研究」と
開拓の時期を同じくしている。その研究の趣旨や方法についても重なる点が多く、垣内の
「国語教育科学」の構想の基盤となるアプローチでもある。
そこで、ここでは、垣内の定義に即して、授業分析研究を、{授業での学習者の学習事象
の理解を主目的にして、これを取り巻く教育事象(事象状態(教室の姿)・事象論理(教授
の筋)・事象連関(陶冶の力))の記述・分析・解明を行うこと}と定義する。この研究活動
が研究者・実践家・教員志望学生等によって、どのような構成や役割分担でまたどのような
意図や方法で行われるかによって、その研究の趣旨も結果的に多様化する。
1.3.本講座内容の位置づけ
以上の概要をもとに、本講座で入門講座として取り上げる内容を位置づけておく。
○〈教育事象の記録・分析による授業論・教育論追究の機能〉と〈教職開発ための教師の学
習システムとしての機能〉との一体的な視座を一旦、解除して、前者に焦点化したときに
実施可能な研究を、本講座では「授業分析研究」と位置付けて、事例報告を中心とする。
具体的な先行研究としては、古くは垣内松三の国語教育誌学の構想・実施を、近年では、
重松鷹泰やその流れを汲む田島薫などの研究を、基本的な点で重なるアプローチと考えて
いる。
○田島(2001)によれば、「授業分析は、実際に行われた授業のありのままを記録し、それ
を資料にして、さまざまなレベルでの教育のあり方を反省し、そこから、教育的な教育・
授業の理論及び実践を創造しようとする方法である。」(同, p, 3)「授業分析は、もともと
理論及び実践の行き詰まりを打開する方法として生まれたので、(略)授業を分析するこ
とにより、より人間が人間として育つにふさわしい原理追求に迫っていく方法」(同, pp.
24−5)である。
○どんなによい授業をしても、学習者の個性的な知的内容に変化が及ばない限り、本当の授
業が実現したとは言えないため、授業分析研究では、とくに学習者の個性的な知的(情的)
−7−
内容の変化(国語科の場合は「言語認識の変容」)に注目する。このため、当該の授業を
実施する教師の「授業技術」の(記述・分析は行っても)評価には力点を置かない。教
師・研究者個人の自己省察のために行われるものである。
2.国語科授業分析研究の概要
国語科授業分析研究の概要を簡略に述べる。
○授業研究一般と国語科授業分析研究の関係
国語科授業分析研究は、国語科という「教科」の目標・内容が実質的に組み込まれてい
─────────
る点が特徴であるが、その目的は、(国語科授業を事例にして)一般的な授業論・学習論
の知見を抽出することが主眼ではない。国語教育の本質や事実、方法を追究することが目
的であり、そこでは国語教師の職能開発も重要な柱になる。
なお、国語科授業研究全般(教材研究の段階や指導法研究の段階)を構成する夥しい要
素が、分析の内容や方法を選択し決定するための前提になる。
○国語科授業分析研究の意義目的
この研究の意義と目的は、次の三つの柱に沿って、具体的な取り組みの事例を見るとわ
かりやすいであろう。
*国語教育誌学の構想から
(国語教育事象の記述研究による国語教育の事実・本質・規範の追究のために)
*教室談話分析やエスノグラフィーの視点から
(授業という教育事象の記録方法および分析手法の開拓のために)
*授業のデザインの研究の視点から
(知識観・学習観の変化に対応した新たな授業を創造するために)
○国語科授業分析の遺産と方法的展望
戦後は、1960年代以降の「授業の科学」に準拠した「国語科授業」の研究は散見されるが、
今日まとまった成果としては、20年以上続く上越教育大学の「国語科実践場面分析演習」の
成果(1987年度以降ほぼ毎年報告書を刊行)があり、本学会でも注目された。
最近の国語教育研究者の実績でも、授業カンファレンスやリフレクション、アクション・
リサーチ、ライフストーリーの手法などによる分析はあるが、教師の職能開発に力点を置く
ものが主流である。最近になって、新たな授業観・学習観に基づく授業研究の方法が開拓さ
れてきているが、国語科に特化した研究はこれからの課題である。
(※なお、量的研究および質的研究の視点と方法と成果については、後半の「国語科授業
分析の方法と研究の実際漓∼澆(事例1∼3)」で検討する。)
−8−
3.国語科授業分析の実際と課題
本講座の趣旨と提供される話題はつぎのとおりである。
漓 筑波大学大学院の授業科目「国語科授業分析演習」について
この第一回は、筑波大学大学院修士課程教育研究科の授業(科目名「国語科授業分析演習」)
として実施した成果の一部を事例として取り上げる。この授業は、国語科の授業を「授業分
析研究」として研究することを目的としている。隔年開講で、例年10名前後の受講生によっ
て、1年間を通じて行われる。指導者は、今回の講座の代表者(塚田泰彦)である。授業の実
際については、逐一、年度ごとに研究成果報告書が刊行されているので詳細はこちらに譲る
(なお、公開講座当日は、これらの報告書が参会者に回覧された。また、以下で、いくつかの
年度から事例報告のかたちで3名が発表するが、この3名もこの授業の受講者として実際に
参加し、報告書の執筆を分担しており、各自が分担した部分を中心に今回の報告が行われた。)
○対象とした資料は、次のものである。
〈平成9年度∼平成19年度研究成果報告書〉 塚田泰彦編『国語科授業分析研究』蠢(1998)
∼蠻(2008)、筑波大学教育学系人文科教育学研究室
なお、実際に事例報告に使用されたものは、このうちの同報告書ⅣとⅤの一部である。
○授業分析の実施内容
蠶)主な研究内容・方法:
{内容}意見文指導を中心にして、書くことにおける思考の深化を図る有効な手段を探る
こと。{方法}一連の指導過程に「話し合い」と「紙上討論」を位置付け、これらの活動
が有効に作用するよう「助言者」を配置した。{分析ポイント}意図的な諸手段が適切に
授業として構想できているかを学習者の反応から分析する。→(事例2「相互作用分析に
よる話し合いプロセスの分析」)
Ⅴ)主な研究内容・方法:
{内容}多様な読みが受容される過程での生徒の思考の変化と支援者としてのTTのその読
みの変化への影響を分析すること。{方法}初発と読後の話し合い後の感想文の比較デー
タと話し合い活動での支援者の支援方法の記録データなどの分析。{分析のポイント}ビ
デオカメラ7台・デジタルカメラ1台・カセットレコーダー6台を使用して、班ごとの話
し合い活動の様子を集中的に記録したこと。→(事例1「相互交流型授業が読みに与える
影響についてのKJ法および質問紙調査に基づく因子分析」)(事例3「教師役の大学院生に
対するライフストーリー・インタビュー」)
Ⅳ・Ⅴともに、研究対象としては「学習者の言語認識の変容と教室のコミュニケーション
との関係」を掲げ、その授業について構想し、記録・分析・解釈した。
滷 今回報告される事例の位置付け
〈教育事象の記録・分析による授業論・教育論追究の機能〉と〈教職開発ための教師の
学習システムとしての機能〉との一体的な視座は維持しつつも、授業技術の評価は避け、
前者の事象の精緻なデータ収集によって学習者の言語認識の変容の事実分析に、事例1∼
−9−
3がどのような貢献ができたのかを考える。本講座の目的である「授業分析の方法」につ
いての理解も期待される。
③ 次回の公開講座の内容
第2回は、次の内容が予定されている。
(「国語科授業実践場面分析研究」(上越教育大)報告者:有澤俊太郎・渡部洋一郎、「国
語科授業実践場面における予測不可能事象の研究」(信州大)報告者:藤森裕治)
4.総括
日本の授業研究の流れを整理し、最近の国際的な「レッスンスタディ」の動向と重ね、新
しい知識観・学習観・授業観に応じる形で、現在の日本の国語科授業分析研究の意義と課題
を焦点化する。〈焦点〉は次の点である。
1)〈教育事象の記録・分析による授業論・教育論追究の機能〉と〈教職開発ための学習
システムとしての機能〉との一体的な視座を一旦、解除して、前者に焦点化する。
2)学習者の学習事象を中心化し、授業での〈事象状態(教室の姿)・事象論理(教授の
筋)・事象連関(陶冶の力)
〉を分析・解釈する。
3)記録・分析の方法について意図的・批判的な改善を行う。
4)国語科教育学研究や実施者(組織)の教職開発との関係を再考する。
5)授業のデザインの研究など、最近の多角的な授業研究の考え方による再定位を行う。
ただし、これまでのところ、教職開発の視座が主軸になり、多様な教師の反省的実践のメ
タ・ストーリーが記録されることが多いが、国語科の授業分析としては前者の〈教育事象の
記録・分析による授業論・教育論追究〉が引き続き中心化されることが期待され、この方面
がいまだ未成熟である点が問題視されるべきである。
参考文献
秋田喜代美(2007)『授業研究と談話(改訂版)』財団法人放送大学教育振興会
秋田喜代美/キャサリン・ルイス編著(2008)『授業の研究 教師の学習』明石書店
安西迪夫編(1995)『教育実践場面の研究―国語科教育実践知の開拓―』大空社
稲垣忠彦(1995)『授業研究の歩み 1960−1995年』評論社
井上敏夫・野地潤家編集(1983)『国語科教育学8 国語科授業研究の課題と方法』明治図書
垣内松三(1934)『国語教育科学概説』文学社
田島薫(2001)『授業改善のための授業分析の手順と考え方』黎明書房
塚田泰彦編(1998∼2010)『国語科授業分析研究』蠢(平成9年度)∼衄(平成21年度)、筑
波大学教育学系人文科教育学研究室
帝塚山学園授業研究所(1978)『授業分析の理論』明治図書
日比裕・的場正美編(1999)『授業研究の方法と課題』黎明書房
平山満義編(1997)『質的研究法による授業研究』北大路書房
− 10 −
第3節 国語科授業分析の方法と研究の実際①
─量的・質的方法を組み合わせた授業分析法─
田中 耕司
0.はじめに
本公開講座は、これから授業分析・研究の方法を学ぶ研究者や現場の教員のために、国語
科における授業研究の実例を示しながら、研究にあたっての基本的な観点、アプローチおよ
び具体的方法ついて学習することを目的としている。本節でもこれらの点について著者らが
行った研究(田中・小田・山口・石田・生駒,2005;田中・小田・山口・生駒・石田,2005)
の実例を踏まえながら述べる。
1.授業分析の目的と方法
授業とは、ある目的の実現をめざして実施される組織化された学習の営みのことである。
授業を分析する目的は、漓その営みを何らかの方法で切り取って記述し、対象化させること
で、結果として授業を受ける子どもたちの学びの質の向上や授業を実施する教員の力量形成
に貢献することである。また、滷現象的な側面からとらえると、実施したその授業の目的が
達成されているかどうかについて分析し、明らかにすることである。
授業分析にあたっては、例えば、「授業内容の定着の程度」を見るのか、「授業における子
どもたちの思考のプロセス」を探るのか、「授業を通した教員としての成長」を知るのか、
いずれにせよ授業を実施することによって、対象者(子ども、教員など)がどのように変化
したのか(あるいはしなかったのか)を知ることが必要である。このために用いる広い意味
での現象の切り取り方が「授業分析の方法」であるといえる。それには、時間的にも空間的
にもその場や状況を共有していない人たち(時には当事者の内省的な意味においても)がわ
かる「様式化された共通のことば」を用いなければならない。これが「研究方法を学ぶ」と
いうこと、「研究のことば」を用いるということの意味である。
2.目的に応じた研究方法の選択
「様式化された共通のことば」は大きく「量的なことば」と「質的なことば」に括ること
ができる。「量的なことば」が量的方法、「質的なことば」が質的方法である。
ところで、佐藤(1996)は、授業研究の様式を、技術的実践の授業分析、反省的実践の授
業研究の大きく二つに区分している(表1)。これを、目的、対象、基礎、方法、特徴、結
果、表現という観点から見てみると、表1に示されるように内容が異なってくる。
この表を量的方法と質的方法との対応関係から見てみると、「技術的実践の授業分析」が
量的方法と対応され、「反省的実践の授業研究」が質的方法に対応されていることがわかる。
− 11 −
表1 授業研究の二つの様式
─────────────────────────────────────
技術的実践の授業分析
反省的実践の授業研究
─────────────────────────────────────
プログラムの開発と評価
教育的経験の実践的認識の形成
目的
文脈を超えた普遍的な認識
文脈に繊細な個人的な認識
対象 多数の授業サンプル
特定の一つの授業
教授学、心理学、行動科学
人文社会科学と実践的認識論
基礎
実証主義の哲学
ポスト実証主義の哲学
数量的研究・一般化
質的研究・特異化
方法
標本抽出法・法則定立学
事例研究法・個性記述学
特徴 効果の原因と結果(因果)の解明
経験の意味と関係(因縁)の解明
結果 授業の技術と教材の開発
教師の反省的思考と実践的見識
表現 命題(パラダイム)的認識
物語(ナラティヴ)的認識
─────────────────────────────────────
稲垣忠彦・佐藤学(1996)授業研究入門.岩波書店.p. 121より.
それぞれの目的との対応関係でいえば、「技術的実践の授業分析」は、量的方法を用いて一
般化、普遍化を目指すのに対し、「反省的実践の授業研究」は質的方法を用いて個別化を目
指すものととらえることができる。
ここで注意しなければならないことは、どちらの様式・方法が「優れているか」、「優れて
いないか」ということはいえないということである。どのような方法でも、それぞれの方法
がもつ特徴(すなわち、それぞれの方法を用いて「見られるもの」と「見られないもの」)
がある。大切なことは、目的に応じて研究の方法を選択していくということであり、その際、
この考え方のどちらの基盤に立ってものを見ようとしているのか、その理由は何か、という
ことを予め検討しておく必要がある、ということである。したがって、同じ授業を分析した
としても、観点や立場が異なれば、対象化されて記述される事象も異なるが、それはそもそ
も優劣の問題ではないのである。
3.目的によって決定されるデータ収集の範囲と深さ
目的に応じた研究方法の使い分けについて、研究方法、分析の枠組みという観点から整理
すると、図1のようになる。
図1 研究方法・分析の枠組み
− 12 −
横軸にデータの範囲、データ収集の広さ(すなわち異なる対象者からどれくらいの数のデ
ータが得られるかということ)をとり、縦軸に深さ(同一対象者に対してかける時間や同一
対象者から多くの情報を得るための時間の量、データ解釈の深さ(1)をとると、Ⅰ層、Ⅱ層、
Ⅲ層にわけることができる。Ⅰ層は、個別の対象者あるいはデータに深く関わる必要はない
が、データの範囲を非常に広く、多くとらなくてはならない方法、これに対して、Ⅱ層とⅢ
層は、データ数としては多く取る必要はないが、少数の対象者から時間をかけてたくさんの
情報を得なければならない方法、あるいは、深く解釈するために、結果的に多くの時間がか
かる方法にわけられる。なお、同じ質的方法であっても、Ⅱ層とⅢ層の区分は、Ⅱ層が外側
から見る方法であるのに対して、Ⅲ層は対象者の内面により直接的に迫る方法であるといえ
るだろう。
これらのなかに、それぞれ、質問紙法、実験法、観察法、面接法という、現象を切り取り、
把握するための具体的な手法を定位することができる。Ⅰ層に定位されている質問紙法、実
験法は、広く、浅く母集団からの抽出を行うことが前提となっている。また、用いることを
予定している統計法にかけることが可能になるまでのデータ数をサンプリングする必要があ
る。
これに対して、観察法、面接法といった手法は質的な方法といえる。ただし、質的な方法
といっても、内容はさまざまであり、大きく漓変化を見る、滷分類する、構造を知る、③解
釈する(意味を探る)、という内容に分けることができる。はじめに、漓変化を見る方法と
いうものは、臨床研究で用いられており、行動を指標とした介入による個人内の変化を記述
的に見ていく単一事例研究(応用行動分析)がこれに該当する。滷分類する、構造を知るは、
さまざまな質的分類法や KJ 法のステップの一部がこれに該当する。③の解釈する(意味を
探る)は、談話分析、会話分析、グラウンデッド・セオリー・アプローチ、臨床場面では認
知症者に対するセンター方式がこれに該当する。
量的方法・質的方法のそれぞれを実施するときのポイントは、量的方法においては、基本
的に統計処理を用いることが多いので、事前に用いる予定の統計法の背景にある考え方を理
解し、技術を習得しておくことがポイントになる。これに対し、質的方法においては、少数
の対象者やデータに向き合う時間をかけること、フィールドをよく知ることがポイントにな
る。ここで注意すべきことは、研究の目的や内容と分析を切り離して考えてはならないとい
うことである。実際これらの背景を理解しないままに調査を実施してしまい、後から「分析
でなんとかしてください」と依頼される時があるが、このような場合、研究実施者の当初の
目的を明らかにするために必要な分析を用いることはほとんどできない。これは量的方法を
用いる場合にしばしば見られることであるが、質的方法においても同様に、研究と分析を切
り離すのではなく、背景となる考え方を知ったり、フィールドそのものを通してデータをみ
(1) なお、解釈を深めるにあたってもフィールドを知る時間(すなわち情報を得る時間)や、解釈
にかける時間の量は必要である。
− 13 −
たり、深めたりしていくことが必要である。
4.量的と質的とは何か?
ここで量的・質的とはどのようなことを指すのか述べたい。量的とは「数量化できる」と
いう意味である。したがって、量的方法では、なんらかの物差し(尺度)で測って数量化で
きるデータを扱う。たとえば、身長や体重、距離などがこれにあたる。これに対し、質的の
意味は、大きく三つに分類できる。ひとつは漓数をあてはめる方法、たとえば、属性、性別
などに便宜的に数をあてはめるが、足したり割ったりすることに意味がないデータを質的と
いうときがある。また、滷行動を数量化する方法、たとえば、応用行動分析のように行動を
数量化して臨床的変化を把握するが、質的と考えるケースがある。さらに、③数を用いない
方法がある。これは、分類する、構造化する、解釈する、意味を探るというタイプのもので
ある。たとえば、会話の中から、その人がもっている意味や解釈がどういったものなのか
(内的世界がどのようになっているのか)を深く追求していくことはこれに該当する。
5.量的・質的方法を組み合わせた授業分析の実際
5.1.研究目的
今回取り上げる研究を行った当時の学習指導要領(文部省,1998)における国語科の目標
には「伝え合う力を高める」ことが加えられ、伝達の方向を双方向的なものとして把握した
点が、ひとつのポイントとなっていた。研究では新たに加えられたこの目標と「読むこと」
の指導との関連づけを取り上げ、相互交流型の授業が子どもの読みに与える影響について検
討を行うことを目的としている。研究の趣旨は、「伝え合う」ことを授業の組織化と関連づ
けた上で、学級集団全員の活動を包括的に把握し、集団力学としての相互交流型の授業が子
どもにもたらす所産を可能な限り詳細に把握することにある。これにより、今後このような
学習をより効果的に組織するための基礎資料が得られると考えた。
5.2.研究方法
調査対象:茨城県の公立中学校3年生2クラス(Aクラス:男子19名、女子13名;Bクラ
ス:男子17名、女子13名)計62名である。
研究授業に使用した教材:『大きな木』(シルヴァスタイン,1976)を用いた。
研究授業の構成と時間配分:表2に示した。授業では、クラス全体での活動、個別での活
動、5∼6人からなる小集団でのグループ活動の3形態を用いた。はじめに、クラス全体で
の活動を行った後、個別で第一次感想を記入、その後、小集団でグループ活動を行った後、
第二次感想を記入して、話し合いを受けての感想の発表、まとめという構成になっている。
授業の流れとしては表2の上から下に進んでいくかたちとなっている。
測定した内容:今回測定結果として取り上げる内容と分析方法を以下に示す。
(1)授業構成が生徒の読みに与えた影響(量的方法)
− 14 −
表2 研究授業の構成
──────────────────────────────────────────
形態
授業の展開
同時に行った活動
時間
──────────────────────────────────────────
全 体
授業の目的と流れの説明
2分
全 体
授業者による本文の音読
6分
個 別
第一次感想の記述
6分
小集団
小集団に分かれての感想の回し読み 
7分
 ワークシートの記入
小集団
本文の感想について小集団での話し合い 
13分
個 別
第二次感想の記述
6分
全 体
話し合いを受けての感想の発表
7分
全 体
本時のまとめ
3分
──────────────────────────────────────────
計50分
(2)小集団における話し合い過程が読みの変容と受容に与えた影響(量的方法)
(3)感想をもとにした読みの変容の具体的内容(量的方法と質的方法)
これらのうち、(1)と(2)は、それぞれの内容を測るための尺度(物差し)を設定し、
質問紙を配布して生徒が持った感覚を量として測定したので、量的方法といえる。このよう
に、何に対してどのような感覚を持ったのかについて量的に測定するためには、予め尺度を
作成する必要がある。その尺度作成にあたっては、尋ねる内容とその回答方法を十分吟味す
る必要がある。本研究では(1)に関しては、表2に示した授業構成が読みに与えた影響に
ついて、「全く影響しなかった」∼「非常に影響した」までの5件法で問う項目を設定し、
感覚を数量化した。(2)については、小集団(グループ)活動における話し合い過程を評価
するために、倉盛(1999)における小学生を対象とした話し合い過程を測定する質問項目を
もとに、中学校学習指導要領(文部省,1998)を参考に、今回の授業に即した内容に改訂お
よび補足を行った測定項目を立て、「全くそう思わない」∼「非常にそう思う」までの5件
法で回答を求めた。さらに、授業後における読みの変容と話し合いの過程における他者の考
えの受容を問う項目を設定した。具体的には、「この物語に対するあなたの読み方は、授業
のはじめに読んだ時と、授業の終わりの時で変容(別の視点から考えられたり、あるいは、
自分の考えを深められること)しましたか。」「今回のグループ活動において、あなたは他の
人の考え方を受容することができましたか。」という項目を設け、前者に「全く変容しなか
った」∼「非常に変容した」、後者に「全くそう思わない」∼「非常にそう思う」までの5
件法で問う項目を設定し、項目の内容に対する感覚を数量化した。
(3)については、生徒が記述した第一次感想と第二次感想が、同じ形式と記述時間で記入
されたものであるため、量的観点からも扱うことが可能であった。このため、記述された文
字数の平均の変化を比較する量的方法と、記述された内容を分類・整理する質的方法を組み
合わせて分析を行っている。これらのデータの収集は、質問紙に関しては、授業を受けた後
に改めて調査を実施し、感想に関しては授業中に用いたワークシートを回収し分析している。
− 15 −
5.3.結果と考察
分析対象者は、質問紙の分析では、全項目に回答を行った53名(Aクラス25名、Bクラス
28名)とし、感想の分析では、記述した文字の判読が可能であった61名とした。このように、
一般に、調査の結果、分析に使用できるデータは、記入漏れや誤記入、判読可能性の問題か
ら実際の対象者に比べて減少する。この点も予め考慮して研究を設計する必要がある。
(1)授業構成が生徒の読みに与えた影響
表3は生徒の読みに授業構成が与えた影響を測定した結果である。生徒の読みに対する授
業構成の影響は、その授業構成の一つひとつが、生徒の読みの感覚にとってどのくらい意味
があるかということを数量化して測定することではじめて明らかになるものであった。数値
の見方として、ここでは、項目間の平均値と標準偏差(個人差の大きさ)の差に着目する。
項目を比較すると、「グループ活動での話し合い」と「グループでの話し合いの後の感想の
記述」の平均値が高いことから、これらの活動が「生徒たちにとって自らの読みをかたちづ
くる上で、相対的に意味のあるものであった」ということが考えられる。また、平均値だけ
でなく、標準偏差にも注目すれば「グループ活動での話し合い」が、平均値が高く標準偏差
(個人差)が大きい、すなわち、個人あるいはグループによって効果が異なるということが
推測できる。そこで、グループごとに平均値を算出すると、最も高いグループで平均値が
4.50、最も低いグループで2.75となり、話し合い活動がうまくいったグループとそうではな
いグループがあることが示された。この点から、生徒同士で話し合わせるだけでは効果的で
はなく、やはり教師の適切な働きかけがグループごとに必要であるということを結果は示唆
していると判断することができる。これに対し、「グループでの話し合いの後の感想の記述」
は、平均値が高く、かつ標準偏差も小さい。つまり、個人あるいはグループによる効果の違
いが比較的少ないと考えられる。この点から、教師が積極的に働きかけて指導したり、相互
交流させたりすることも必要であるが、授業の組織化にあたっては、このように生徒が一人
で取り組める時間を確保していくことも重要であると判断することができるのである。
(2)小集団における話し合い過程が読みの変容と受容に与えた影響
ある程度の項目数があるので、これらの項目の背景に共通して影響を及ぼしている要因
表3 授業構成に関わる各要素が生徒の読み方に与えた影響(平均値と標準偏差およびその順位)
─────────────────────────────────────────────
順位
順位
授業経過
授業構成に関わる要素
平均値 標準偏差
(平均値) (標準偏差)
─────────────────────────────────────────────
授業開始
全体的な進行をした先生の音読
3.26
1.20
7
7
はじめの自分の感想の記述
3.23
0.99
8
3
グループ活動での感想の読み合い
3.60
1.13
3
5
グループ活動での話し合い
3.72
1.17
1
6
グループ活動でのワークシート記入
3.34
1.00
4
4
グループでの話し合いの後の感想の記述
3.62
0.90
2
2
他のグループの意見発表
3.28
1.23
6
8
授業終了
全体的な進行をした先生の授業内容に関する発言
3.32
0.89
5
1
─────────────────────────────────────────────
− 16 −
(因子)を探ることにした。因子分析の結果、3因子を抽出した。項目から背景にある因子の
特徴を考え、それを最もよく表すことばで命名すると、因子Ⅰは、他の人の考えを聴くこと
に関連する項目でまとめられたので、「聴こうとする力」、因子Ⅱは他の人の考えを理解しよ
うとする項目に関連する項目でまとめられたので「理解しようとする力」、因子Ⅲは、自分
の考えを伝えようとすることに関連する項目であったので、
「伝えようとする力」と命名した。
次に、話し合い前後の評価を行っていたので、これらを独立変数(原因となる変数)、従
属変数(結果となる変数)の関係で規定して、モデル化すると図2のようになった。図中の
□で囲んだ変数が質問紙で直接回答させた変数、○で囲んだ変数が因子分析の結果から得ら
れた変数である。これらの変数について因果関係を前提とした回帰分析を用いて検討を行っ
た。この結果から、事前に「自分の考えをもつこと」が、3因子それぞれに影響を与えてお
り、特に「理解しようとする力」に影響を与えていること、さらに、授業の結果としてもた
らされた読みの「変容」には、話し合い活動時における「聴こうとする力」と「伝えようと
する力」が、他の人の考えの「受容」には、「聴こうとする力」と「理解しようとする力」
が影響を与えていることがわかった。
図2を参照すると因果関係が、原因、結果、原因、結果の順になっているのがわかる。こ
こで、ひとつ注意しなければならないのは、因果関係の規定の方法である。関連性を検討す
る場合、相関が用いられるが、相関それ自体は因果関係(原因と結果の関係)を示すもので
はない。たとえば、小学生から高校生まで項目を等化した国語科の学力テストを実施した場
合、国語科の学力と体重との間には相関関係が示されると考えられる。しかし、ここに因果
関係を見て「国語科の学力を上げれば体重が増える」あるいは「体重を増やせば国語科の学
力が上がる」とは言ってはならない。「体重を増やすためには国語科の学力を向上させれば
よい」といえば、はっきりとこの誤りに気づかれるかと思う。今回の研究は、授業の進行に
伴い、時系列順序に従って因果関係を規定したこともあり、因果モデルの適応が妥当だと判
図2 読みの変容と受容に関するパス・ダイアグラム
− 17 −
断されたのだが、この点は十分に考慮する必要がある。
(3)感想をもとにした読みの変容の具体的内容
尺度を用いて読みの変容を測定するだけでは、得られる情報が限られてしまう。そこで、
生徒が実際に記述した第一次感想と第二次感想の記述量の違いに着目してみると、第一次感
想の平均文字数=112.00、SD=49.70、第二次感想の平均文字数=149.43、SD=59.54となっ
ていた。次にこの文字量の差に意味があるか、差があるといえるのかどうかを検討するため
に検定を用いる。この場合は対応のあるt検定を用いることが適切なので、これを用いて分
析すると有意差が示された(両側検定:t =−5.64,df =60,p<.01)。このように文字数を
指標とした場合、感想の記述量が変化しているということから、実際に何らかのかたちで話
し合いの過程で読みが変化したのではないか、ということが推察できる。しかし、実際にど
のように変化したのかという点については、記述量の側面からだけでは把握しにくいので、
研究方法を切り替える、すなわち、分析方法を質的方法に切り替えるのである。
そこで感想の内容を質的に分析して検討してみると、大まかに「事実」と「感情」と「思
考」の三つに分類することができた。これを、第一次感想、第二次感想で比較してみると、
特に、第二次感想によって、「思考」に属する内容の記述が増加していることがわかる(図
3)。つまり、話し合いによって生徒の思考が変化しているのではないか、ということが推
察できる。
;;;
;
;
;
;;
;
;
;
;;
;
;
;
;;; ;;;
さらに、その具体的様相を把握するために、「思考」に属する内容について検討してみる
と、「推測」や「象徴」に関する記述が増加している傾向が示された(図4)。
図3 一次感想と二次感想の比較
図4 一次感想と二次感想の比較(思考)
− 18 −
表4 抽出グループによる第一次感想の着眼点
対象
木
行動
感情
A
B
C
D
E
行動
男
感情
関係
成長
時間
語り
意図
呼称
結末
その
他
結末
その
他
○
○
○
○
○
○
表5 抽出グループによる第二次感想の着眼点
対象
A
B
C
D
E
木
行動
感情
○
○
○
○
○
行動
○
○
○
○
○
男
感情
○
○
○
成長
○
関係
時間
○
○
○
○
○
○
語り
意図
呼称
○
○
○
また、記述した感想の着眼点の分類、という観点からも内容を整理し、第一次感想(表4)
と第二次感想(表5)を比較してみると、着眼点の種類が増えていることがわかる。
以上のような分析を通して、物語の視点のとらえ方の拡大とその具体的な様相を把握する
ことができた。これらの内容的側面の様相は量的な切り口からだけからでは、把握すること
が困難な内容である。なお、今回の研究の場合、『大きな木』を用いた発達研究が守屋
(1994)によって行われており、この研究との関連性でも考察することができる。
※着眼点の抽出にあたっては、田中・小田・山口・生駒・石田(2005)のうちの2名で生徒
が記述した感想をもとに12項目を設定し、その後このうちの4名で各感想を項目ごとに分類
した。
6.授業研究の方法としての本研究の意義
授業研究で見られる教師の報告では、報告者としての主観をどのように扱うかという課題
がある。この点から事後テストを導入して授業効果の測定を行った研究も見られるが、事後
テストでは授業の効果を概括的に評価することはできても、授業の過程を直接評価すること
はできなかった。授業の過程を評価するために、特定の抽出児を対象に授業後に場面に応じ
て言語報告をさせるなどの方法がとられることがあるが、特定の児童生徒の結果をもって授
業過程の評価とすることができるのかという課題もある。
そこで本研究では、質問紙法やワークシートを用い、授業の過程にまで踏み込んで評価を
行った。特に今回は、対象となった全生徒から直接資料を集め、分析することによって、よ
り多角的に授業という現象を評価することを心がけた。
本研究にも課題はあるが、量的方法・質的方法ともに明確に意識して研究の手続きを進め
− 19 −
ていけば、課題を踏まえた上での新たなリサーチ・クエスチョンに確実につなげていくこと
ができる。たとえば、個人差との関連では、生徒の個人差やグループ間の差の要因は何か、
個々の生徒の中で何が意識されているのか、教材論との関連では、どのような教材で指導を
行うのが適切なのか、指導論との関連では、個人差、グループ間の差に応じた効果的な指導
方法、介入の方法は何か、あるいは、授業の目的に応じたグループ編成の方法は何か、どの
ような指導の積み上げが必要なのか、などといった新たな追究テーマやそれらのテーマに迫
るための研究の方法が自ずと浮かび上がってくるだろう。
7.おわりに
今回の報告では、内容をわかりやすくするために、単純化した記述を行っている。実際の
授業研究・分析においては、細かく詰めなければならないところがあり、それらの点につい
ては読者がそれぞれ研鑽を積んでいただきたい。授業研究にはさまざまな方法があるが、
様々な意味で現在の自分の特徴にあった方法から入るのも一つの方法である。
参考文献
倉盛美穂子(1999)「児童の話し合い過程の分析─児童の主張性・認知的共感性が話し合い
の内容・結果に与える影響」『教育心理学研究』,47,pp. 121−130.
文部省(1998)『中学校学習指導要領(平成10年12月)』大蔵省印刷局.
守屋慶子(1994)『子どもとファンタジー 絵本による子どもの「自己」の発見』新曜社.
佐藤学(1996)「授業研究の課題と様式−観察と記録と批評」(稲垣忠彦,佐藤学『授業研究
入門』岩波書店.pp. 115−139).
シェル・シルヴァスタイン,ほんだきんいちろう訳(1976)『おおきな木』篠崎書林.
田中耕司,小田真由美,山口真希枝,石田喜美,生駒忍(2005)「国語科における相互交流
型授業の組織化に関する研究─学習過程の組織化が自己の読みの変容と他者の読みの受容
に与える影響についての検討」『読書科学』,Vol. 49,No. 3,pp. 91−102.
田中耕司,小田真由美,山口真希枝,生駒忍,石田喜美(2005)「授業における相互交流の
機会は生徒の読みの変容にどのような影響を与えるのか─感想を手がかりとした読みの具
体的変容の様相」『人文科教育研究』,No. 32,pp. 63−77.
− 20 −
第4節 国語科授業分析の方法と研究の実際②
─国語科グループディスカッションにおける社会的相互作用─
長田 友紀
0.はじめに
本稿の目的は、具体的な国語科授業分析の事例を提供するとともに、その事例を通して授
業分析の基本的手法や課題について検討することである。取り上げる事例は、話し合い事中
のコミュニケーションに焦点をあてて分析したものである(1)。
1.実験授業のねらいと概要
1.1.実験授業のねらい
国語科グループディスカッションにおける「学習者間」および「学習者−指導者間」の社
会的相互作用の実態を相互作用分析(IPA)を用いて分析した。
本事例でのリサーチ・クエスチョン(RQ)は次の通りである。
(1)グループディスカッションは、作文にどのような影響をあたえるか。
(2)グループディスカッションが上手に進むグループとそうでないグループの差異はどのよ
うに表出しているか。
(3)国語科でのグループディスカッションにおいて、「学習者間」および「学習者−指導者
間」の社会的相互作用はどうなっているか。
1.2.実験授業の概要
筑波大学大学院修士課程の演習「国語科授業分析演習」において院生が企画し、中学1年
の学習者に対して院生が授業を行った。
授業実施日: 2001年11月5日
調 査 学 級: 茨城県公立中学校第1学年の一クラス
学 習 目 標: 「身近な話題(テレビ)について意見文を書くことができる」
指 導 過 程: 漓テーマ(テレビの功罪)に関して自分の考えをプリントAに書く。滷テ
ーマに関してグループディスカッションを行う(20分)。澆200字程度の作文を書く
(20分)。潺級友の作文に関して、意見質問などコメントを書く(紙上討論)。潸紙上
討論で書かれた意見をもとに、自分の作文の改善策について書く。
指導・助言者: 本授業では指導過程全体を通した授業者がいる。さらにそれだけでなく、
(1) 本調査事例の分析過程と結果については長田(2002)に詳細を示している。ただし、一部デー
タの再考察を行っている。
− 21 −
指導過程滷「グループディスカッション」および④「紙上討論」の際に各グループに
助言者(院生)がつき指導を行っている。これはグループディスカッションの観察役
でもあり、話し合いが困難に陥った際に手助けする役でもある。
分 析 対 象: 事前に担任教師によって、グループディスカッションが困難であると予想
された第4班と、うまくいくと予想された第8班を抽出した。
本稿での主たる分析の対象は指導過程漓滷澆であり、中でもグループディスカッションを
中心とする。指導過程滷のグループディスカッションは、合議による意志決定場面というよ
りは、自己の作文を書くための情報収集・アイディア探しを目的として計画され、実際にそ
の色合いが濃いものとなっている。
1.3.データ収集の困難さと、分析のための仕掛け
(1)グループディスカッションデータ収集の困難さ
リサーチ・クエスチョンに答えるためには、有効なデータを収集する必要がある。しかし、
グループディスカッションの調査では3つの困難を抱えがちである。
第一に、音声記録方法の困難さである。複数のグループが話し合う雑然とした教室という
状況ではビデオやカセットテープ1台では記録しきれない。たとえ複数の機材を各班に設置
したとしても、グループディスカッションでは各生徒の話し声も小さくなりがちであったり、
他班の声がノイズとして大きく入ったりして、その再現に困難が生じることが多い。
第二に、話し合いにおける各生徒の思考内容を記録することが難しい。発話者本人の思考
については、その一部が発言として表出されることはあるだろう。だが発話を行っていない
聞き手の思考を把握することは難しい。ただしこの困難点は、一斉指導の授業分析において
も同様に当てはまる。
第三に、話し合いが成立しない可能性がありえることである。話し合い調査において、そ
れが成立しない場合は調査ができない。教室全体での討議では、教師が討議をコントロール
するために討議はある程度の安定性をもって成立する。しかしグループディスカッションで
は同時に複数のグループが話し合うため、支援を行う教師の手が足りなくなるのである。も
ちろん、話し合い不成立の事態そのものも教室の事実として大きな意味をもつことに変わり
ない。だが、今回の調査では全くデータが取れないと困るため、討議を成立させうる仕掛け
が必要となる。
(2)話し合いデータ収集の仕掛け
そこで以下のような3つの調査上の仕掛けを設定した。
(1)テープによる音声録音と、記録係(院生)によるメモとの2段構えで発話を記録した。
ただし、記録係によるメモは4つの抽出班のみである。
(2)思考のプロセスをできるだけ収集するために、書く作業を要所で盛り込み、そのプロ
セスを記録に残せるようにした。
(3)記録係とは別に、話し合いの成立を目的とした助言者(院生)を各班に配置した。人
− 22 −
数の都合上、2班に一人の配置となった。なお、事前に話し合いがうまくできないと予
想されていた第4班には、助言者一人(現職派遣の高校教師)が完全に張り付いた。
2.実験授業の分析
2.1.分析枠組みの設定
話し合いによる相互作用をとらえるため Bales(1950)の相互作用分析(IPA)(2)を手がかり
に分析を行った。IPA の特色は二つある。
第一の特色は、人間のコミュニケーションを、社会的情緒行動(人間関係の調整)と課題
関係行動(話題そのものの議論)に明瞭に区別した点にある(ブラウン 1993)。肯定的な社
会的情緒領域のコミュニケーション行為としては、例えば「連帯性を示す」「緊張緩和を示
す」「同意する」などがある。逆に、否定的な社会的情緒領域には、「敵対心を示す」「緊張
を示す」「不同意する」といったものがある。一方、課題領域には、「意見を与える」「示唆、
方向を示す」と、対照的な「意見を求める」「示唆を求める」などがある。
第二の特色は、質問は応答を引き出すなど、どんな行為も反作用を作り出すと考えた点に
ある。そして、これらの対応関係により集団は平衡へ向かう自然の傾向を持っていることが
指摘されている。荒れた議論では、静めようという方向性が働いていく。もちろん、必ず静
められるとは限らないがそのような自然の傾向があると指摘するのである。
2.2.分析
(1)分析対象となる資料
分析対象となる資料は以下の通りである。
・プリントA‥‥話し合いを行う前の各班員の意見の表出(第4班と第8班)
・メモA‥‥話し合いの最中に各自で書いたメモ(第4班と第8班)
・作文(第4班と第8班)
・グループディスカッションのトランスクリプト(第4班と第8班)
・調査者のフィールド・ノーツ
・助言者への記述式アンケート結果
(2)分析
〈RQ1〉 話し合いは作文に影響しているか。
話し合いが作文に影響を与えているかどうかの検証を試みた。討議事前のプリントA、討
議事中のメモA(話し合いの最中の考えたことをメモ)、討議事後の作文を比較した。
その結果、作文の論点として討議事中メモAは見事に反映されていた。まずは各生徒が最
初に持っていた意見(討議事前のプリントA)を記述するが、その後には話し合いにおける
他者の意見(討議事中メモA)を記述するパターンが多かった。この点から見ればグループ
(2) Interaction Process Analysis の略。
− 23 −
ディスカッションは作文になんらかの影響を与えていることが確認できる。
〈RQ2〉 上手に進むグループとそうでないグループの差異は?
話し合いトランスクリプトのコーディングを行い、IPA による発話の流れを作成した。両
者の IPA を比較するためイメージ化したものが図1である。なお、討議の進行を論点ごとに
Ⅰ期からⅥ期に分けて示した。
第4班の特徴を簡潔にまとめれば、肯定と否定の振り幅が大きいことである。学習者同士
による他者への否定的発言「社会的情緒領域否定」行為がI期から頻発する。そのたびに、
助言者が、本筋の話題に注目させる「課題領域中立」発話を行ったり、学習者の良いところ
を指摘する「社会的情緒領域肯定」発話を行ったりして、なんとか話し合いを進めている。
司会役も主として助言者が行っているといえる。
この話し合いの結果、班員の作文においては意外にも「社会的情緒領域否定」行為ともよ
べる他者批判などはほとんどみられなくなる。自分の当初の意見と、話し合いで得た他者の
意見を書いて、最後に普段の生活に対する反省を書くパターンが多くなるのである。
第8班では基本的には「課題領域中立」「社会的情緒領域肯定」行為が多くを占めている。
「社会的情緒領域否定」行為はほとんど表れない。「課題領域中立」の具体的な中身としては
テレビの是非について互いの意見を交換し合うことが行われた。助言者もほとんど発言する
図1 第4班と第8班の IPA 分析結果の比較
− 24 −
ことなく、学習者たち自身が司会者となっていた。
このような第8班などの比較的「課題領域中立」「社会的情緒領域肯定」が多いグループ
の作文には、独自の意見や他者の意見への評価(否定的意見も含め)が書かれていることが
多かった。例えば、討議ではO女が「変な言葉をつかうと子供がまねをする」と発言したの
に対して、B男は「おれちいさくねーよ」と笑いながら「緊張緩和・冗談」行為をした。だ
が作文においては、B男は「変な言葉は聞こえないようになっている番組が多い」とO女の
意見に反論を書いていた。このように第8班の話し合いは各自の意見表明が主であり、他者
意見への否定的評価やさらに突っ込んだ議論はなされていない。しかし、作文になると他者
の意見に対する反論が書かれていたのである。その要因として三つほど考えられる。一つ目
は、話し合いの目的が合議による意志決定場面ではなく、情報収集の意味合いが強かったた
めである。話し合いにおいてそもそも反論などする必要がなかったと考えられる。二つ目は、
作文を書く時になって、はじめて他者の意見をじっくりと考えることができたためである。
作文を書く際には、それまでの討議内容を振り返らざるをえない。O女の意見に違和感を覚
えたため反論を考えてみた、ということもありうるだろう。三つ目は、グループ内の人間関
係によって批判的な発言を抑えていた可能性がある。共同作業である話し合いでは、他者へ
の否定的評価はせず黙っていた。しかし個人作業となった作文ではそれが表出した可能性も
ある。
いずれにせよ、どの要因なのかを確定することは本調査だけでは難しい。複数の要因が混
在している可能性も十分にありうる。
〈RQ3〉「学習者間」および「学習者−指導者間」の社会的相互作用はどのようなものか。
第4班の「学習者間」および「学習者−指導者間」の社会的相互作用は次の通りである。
この班では、「緊張」「敵対心」「他人の立場をおとしめる」などの強烈な「社会的情緒領域
否定」行為と、助言者の「緊張緩和」「同意」「連帯」という「社会的情緒領域肯定」行為に
よる引き上げが存在する。当初Ⅰ期で「社会的情緒領域否定」が続き、話し合いが進まない
ために助言者「順番ずつね」と統制行為することで発言の順序を指名し「課題領域中立」行
為を班員が行えるようにした。これによりⅢ期において班員は紙上討論での自分の書き込み
について情報提供するようになる。しかしⅢ期末において発言が一巡し話題が尽きると、K
男やM男は「もうねえよ!」と叫び「社会的情緒領域否定」行為がされる。これに対して助
言者から「課題領域中立」の「統制」がなされる。「社会的情緒領域肯定」の「連帯」「緊張
緩和」の発話がなされることで、学習者は「課題領域中立」行為に引き戻されている。その
成果か、Ⅴ期ではK男「おれもおもしろい」など「社会的情緒領域肯定」行為が学習者の側
からみられるようになる。これ以降も話題が尽き他者批判などの「社会的情緒領域否定」行
為が表れると、助言者によって討議の本筋の議論に引き戻され、なんとか話し合いを進めて
いる。
指導者(助言者)の介入のパターンとしては、初期のⅡ期では課題領域中立の「方向付け」
− 25 −
だけが行われていた。助言者は「じゃあ、時計回りにいきましょう」という発言の順序を示
すと、その後の混乱は起きなかった。「次はおれ?」など自主的に発言順が決められていっ
たのである。さらに話題が尽きた時には「損するのは?得をするのは?」「良いことと悪い
ことは?」など、プラス面とマイナス面を別の言葉で言い換えることによって新たな意見を
引き出し学習者の発想の幅を拡げていた。助言者は事実上の司会者の役割を担っていたとい
える。中期・後期において生徒の話題が社会的情緒領域否定「敵対心を示す」がみられたと
きには、社会的情緒領域肯定「緊張緩和」「連帯」などを巧みに用い均衡を保っていた。
このような助言者の介入時期は、Ⅱ・Ⅳ・Ⅵ期である。上述のⅠ・Ⅲ・Ⅴ期などの社会的
情緒領域否定が続く場面の後となる。生徒たちが話に行き詰まり他者への敵対心をあらわに
し始めたときにタイミング良く介入を行っている。決して怒ることなく、やさしく楽しげな
もの言いをしていたのが特徴的であった。助言者への事後のアンケートで「楽しい話し合い
の場を共有したいと思いながら授業に臨みました」と述べていたことからわかるように、雰
囲気を楽しくしようと試みていた。これが学習者たちに新たな話題を提供するとともに、否
定的話題や発言から目をそらせることにつながったと考えられる。
一方、第8班の「学習者間」および「学習者−指導者間」の社会的相互作用は次の通りで
ある。
この班では基本的には学習者たち自身で「課題領域中立」「社会的情緒領域肯定」を多く
行っている。「社会的情緒領域否定」行為はほとんど表れない。「課題領域中立」の具体的な
中身としてテレビの是非について互いの意見を交換し合うことが行われた。助言者もほとん
ど発言することなく、特にS男やB男が司会者となり「統制」行為をしている。また「社会
的情緒領域肯定」行為としては、他者意見に対する受容や賞賛をしている様子がうかがえる。
Ⅲ期からⅣ期半ばまでは、課題領域中立の「同意」も多いが、Ⅴ期では「冗談」「笑い」な
ども頻発するようになる。
助言者からの指示がなかったために学習者たちは「どっち?」などと戸惑うとともに、発
言順を確認する行為が頻発していた。しかし、これによって討議が大きく混乱するような事
態には陥っていない。唯一介入したと思われるのが、Ⅲ期末において生徒たちから「笑い」
が起こり話題が尽きた場面である。ただし、その際にも助言者は「絶対にこれを言っておき
たいということ」とさらに発言を促しただけである。
以上の両班における「学習者−指導者間」のコミュニケーションの差異は、「学習者間」
のコミュニケーションの差異に応じていたとみることができる。
3.教室を対象とした調査の課題
3.1.今回の調査の枠組み
ここまでの調査事例を踏まえて、国語教室におけるコミュニケーションに焦点をあてた授
業分析について検討していく。調査の全体イメージを示したものが図2である。
今回の調査での(a)目的は、
「グループディスカッションは作文にどう影響をあたえるか」
− 26 −
図2 調査の全体イメージ
「上手に進められるグループとそうでないグループの差異はどのように表出しているか」「学
習者間、学習者と指導者の相互作用はどのようなものか」と明瞭に決まっていた。この3つ
のリサーチ・クエスチョンに答えるために、仕掛けを3点(b)調査方法として盛り込んだ。
それは漓記録係の配置、滷思考のプロセスを記録するため要所での書く作業の導入、澆話し
合いの成立を目的とした助言者(院生)の配置、であった。
今回の調査では、後の(d)分析において何をどう分析するかが事前に想定されたうえで、
(c)データ収集(実験授業)が実施されている。もちろん、何度も教室に足を運び質的研究
を行うフィールドワークのような場合には、(a)(b)は当初は判然としていなくともよいだ
ろう。(c)教室の観察と、(d)分析とを何度も往復することで、(a)(b)が徐々に明瞭とな
り、より焦点化した調査や分析が進められていく場合もある(箕浦1999)。しかし、今回は
実際の中学校を借りて一度だけしか教室でのデータ収集が行えない状況であった。そのため
(c)データ収集の前に、
(a)目的設定と(b)調査方法をかなり綿密に計画している。
3.2.調査のポイントとその課題
(1)授業データの特質に応じたデータ収集
(d)分析にあたってはデータの特質をあらかじめ把握したうえで、(b)調査方法の決定を
行う必要がある。国語教室での事象は、その都度その都度消えていってしまうものもあれば、
学習上の記録として明確に残されていくものもある。また顕在化しているものもあれば、は
っきりと把握しにくく潜在化しているものもある。このような授業データの特質を示したの
が図3である。
Ⅰは、教室において顕在化しており、かつ記録が残るものである。例えば作文の学習では、
書いた作文が文章として顕在化しており記録としても残る。そのため後からでも分析しやす
い。ただし執筆中にどのような思考を行っていたかは、作文を見ただけでは把握することが
難しい。Ⅱは、教室の事象として顕在化しているが、そのままでは即時に消えてしまうもの
図3 国語教室における授業データの特質
− 27 −
である。例えば学習者の発言などは、発話の事実としては顕在化している。しかし音声言語
のためそのままでは消え去ってしまう。正確な発言の再生には、機器による録音や発話をメ
モするなどの必要があるだろう。Ⅲは、潜在化しているデータであり、即時的に消えるもの
である。例えば学習者の思考などである。学習者はあらゆる場面でその都度、潜在的に思考
している。しかし、外面的な観察だけでそれを把握することは困難である。そこで、思考過
程をリアルタイムに発話させながら分析するプロトコル分析などが開発されている(海保・
原田 1993)。また刺激再生法などのように学習者に改めて授業ビデオを見せながら、授業時
の思考を思い出させ記録する手法なども存在する(渡辺・吉崎 1991)。これらは、潜在化さ
れたデータを顕在化させて記録しようとしたものだといえる。Ⅳは、潜在化したデータであ
っても記録としては残るものである。例えば授業の最後の方で学習者に反省や振り返りを記
述させる場合がある。授業中の思考などはもともとは潜在化されたデータであるが、これら
を学習者自身が思い出し記録するものである。Ⅲとの違いは、Ⅳは潜在化したデータを顕在
化して記録することが授業システムの一部として組み込まれているものである。しかし、Ⅲ
に比べて、その思考の再現精度は低くなることも予想される。もちろんⅢ・Ⅳいずれにせよ、
すべての思考を完全に思い出して説明することが難しいことはいうまでもない。
このように調査にあたっては、必要とするデータが上記のⅠからⅣのどれに当てはまるの
かを考慮し、できるだけ効果的に収集するためにどのような仕掛けを設定すればよいのかを
考えておくことが重要なポイントとなる。
(2)国語教室の特質に応じた分析枠組みの措定
(d)分析にあたっては、今回は Bales(1950)の相互作用分析(IPA)の枠組みをそのまま
使って分析した。しかし、国語科の授業場面に特化するように枠組みを修正する必要がある
と思われる。その理由は二つある。
一つは、教師(助言者)の存在である。IPA では、教師のような圧倒的な地位と立場にあ
る指導者の想定は行っていない。生徒による方向付けと、教師の意見や方向付けは、その意
味合いや重みが格段に異なると思われる。指導者と学習者では異なる相互作用を行いうるの
で、これらを適切に分析するための枠組みの修正が必要となる。
もう一つは、国語科独自の指導内容の存在である。国語科においては話し合いの力をつけ
ることも教育内容として重視されている。他教科とは異なり、国語教室ではそこで使われて
いる言葉自体も学びの対象でもある。言葉を通して授業や学習を分析するだけでなく、その
言葉をどのように学んでいるかも問われる必要があるのである。今回の場合でも話題内容そ
のものの学習だけでなく、話し合いの仕方を指導する発話が教師の側から意図的になされて
いる。このような話し合いの仕方を指導する発話を浮き上がらせるコーディングカテゴリー
の設定とその分析が必要になるだろう。
(3)発話コーディング判定の問題
(d)分析にはさらなる問題がある。大量の発話記録やデータを把握して考察することはな
かなか難しい。そこで IPA は、発話を12種類の機能に分類し、この枠組みに沿ってコーディ
− 28 −
ング(コード化)を行うことで分析している。例えば「じゃあ、時計回りにいきましょう」
という司会の発話に「統制」というコードをつけるなどがそれである。大量の具体的な発話
を抽象化された少数の概念に置き換えたとみることができるだろう。データ量が減ることで
全体の事象が把握しやすくなったり、そこに潜む意味を見出しやすくなったりするのである。
しかし、このような作業には100%客観的にコーディングできないという判定の問題があ
る。判定する人によってコーディングが異なっていたり、本人自身であっても判定が揺れた
り悩んだりすることがあるのである。そこで、複数の人間によってコーディングを行い、そ
の結果を合議するなどしてコーディングの安定性を担保することがよくなされている。
コーディング作業はとかく単調となりがちであるが、判定に悩んだり揺れたりする場面に
おいて、意外な事実の発見や分析枠組みの限界に気づくことは多い。コーディング作業は苦
しくても、分析者が苦労してまずは試みることが重要であろう。
(4)差異の要因把握の困難さ
比較することは、基本的な分析手法である。今回の分析結果のように、第4班の第8班のデ
ータは大きく異なっていた。その差は事実としては明瞭である。しかしなぜ違いが生じたの
かその要因を推測し、特定するとなると実は難しい。(d)における要因の特定には、学習者
や教師へのインタビューなども別途必要となるだろう。また、対照的な調査や実験的授業も
必要となるかもしれない。いずれにせよ、要因の究明については複合的なデータ収集や考察
を続けていくことが必要となる場合が多い。
(5)調査や分析は現実を本当にとらえているか
(3)のような発話をコーディングカテゴリーによって分類する作業は、いわば現実の国語
教室を抽象化する作業である。(a)∼(e)における一連の調査作業は、生の国語教室から
データとしてその一部を切り取り、抽象化し、分析していることになる。これを模式的に示
したものが図4である。国語教室の事実を解明するために調査を始めても、実際には現実の
複雑な国語教室を直接的に分析することはできない。たとえ生の教室に入り観察していたと
しても、その時に生じている学習者一人一人の思考過程や現象などを、すべて一度にしかも
正確に捉えることはできないのである。あくまでも自分が知り得た範囲内のものについて、
論じることができるのみである。
われわれがアクセスしうるのが、あくまでもデータであることを意識することは極めて重
図4 現実の国語教室と授業分析
− 29 −
要だと思われる。授業分析に取り組んだ当初は、このデータこそ教室の事実そのものである
と思えてしまうことが少なくない。逆に、何度か調査を重ねるにしたがって、自分が教室や
学習者ではなく、「データ」と向き合っていることに愕然としてしまう一瞬があるかもしれ
ない。われわれは現実の国語教室ではなく、切り取られ抽象化された国語教室(仮想現実?)
と向き合わざるをえないのである。これらのデータがより現実の教室に近いものとなるよう
にデータ収集法や分析方法の精度を高めるか、できうる限り多くの教室や調査事例を積み重
ねることで分析結果の安定性を求めていくか、あるいは割り切って一定の目的下での限定的
なデータだと理解するか、などを迷いながら進めていくしかないと思われる。ただし、その
際にもやはり重要なことは、授業分析はデータを分析し考察することが目的ではない点であ
る。あくまでもデータの分析を通して、国語教室の事実の究明を願い続けることが必要とな
るだろう。
参考文献
長田友紀(2002)「国語科グループディスカッションにおける社会的相互作用─相互作用分
析(IPA)による話し合いプロセスの分析─」,『国語科授業分析研究』第蠶巻、pp. 114−
123、筑波大学教育学系人文科教育学研究室編.
海保博之・原田悦子(1993)『プロトコル分析入門─発話データから何を読むか─』、新曜社.
箕浦康子(1999)『フィールドワークの技法と実際─マイクロ・エスノグラフィー入門─』、
ミネルヴァ書房.
ブラウン,R. (1993)『グループ・プロセス─集団内行動と集団間行動─』、北大路書房.黒
川正流訳.
渡辺和志・吉崎静夫(1991)「授業における児童の認知・情意過程の自己報告に関する研究」
『日本教育工学雑誌』Vol. 15(2)、pp. 73−83、日本教育工学会編.
− 30 −
第5節 国語科授業分析の方法と研究の実際③
─教師役の大学院生に対するナラティブ・インタビュー─
石田 喜美
1.研究の意義と研究方法
1.1.研究の意義
1.1.1.学習活動システムとしての授業
本研究では、ナラティブ・インタビューの方法を用い、「教師役」として教壇に立ったひ
とりの大学院生の語りを分析する。「授業分析」と聞くとおそらく多くの人は、授業が行わ
れる現場において何が生じているのかを明らかにしようとする研究を想像するだろう。第3
節の田中論文は質問紙調査によって得られた数量的・言語的データを組み合わせることによ
って、第4節の長田論文は授業での社会的相互作用を分析することによって、授業という現
場で生じている事実を明らかにしようとしている。
これら授業の現場で生じている事実を明らかにしようとする研究のみを「授業分析」と呼
ぶのであれば、本研究のような研究を「授業分析」に位置づけることは難しい。しかし、授
業とはそのような具体的な現場──授業開始のチャイムがなってから、授業終了のチャイム
が鳴るまでの教室──を示すのだろうか。本研究では、授業を、様々な要素の組み合わせに
よって成り立つ学習活動のシステムとして捉え、そのシステムを構成する要素について、こ
れまでとは別の側面から焦点を当てる。
秋田(2006)はエンゲストローム(1999)の活動理論を援用しながら、授業を構成する要
素を以下の6点に整理している(1)。
(1)主体…誰が主体なのか。
(2)対象…学ぶ内容としての対象は何であり、結果としてどのようなことが生じるのか。
(3)道具…そこでどのような道具を使用しているのか。
(4)ルール…そこではどのようなルールが働いているのか。
(5)仕事の分割…授業の参加者によって授業の課題がどのように分割分担されているのか。
(6)共同体…その学びはどのような集団(共同体)で担われているのか。
(1) 秋田(2006)に基づき、引用者が整理。本文は以下のとおり。「1>誰が主体であり、2>学ぶ内容
としての対象は何であり、結果としてどのようなことが生じるのか、3>そこでどのような道具
を使用しているのか、4>そこではどのようなルールが働き、5>授業の参加者によって授業の課
題がどのように分割分担され、6>その学びはどのような集団(共同体)で担われているのかと
いう点である。」(p. 13)
− 31 −
この整理に従えば、本研究は、ある教師役の大学院生を「主体」と位置づけ、学習活動シ
ステムとしての授業をめぐる一連の過程で、「主体」がいかに変容したかを明らかにする研
究だと言えるだろう。
このような研究は、生涯発達的視点から教師を捉える場合に有効である。本研究が焦点を
当てるのは、教師役の大学院生であるが、未だ教師でない大学院生という存在に焦点を当て
ることによって、「教師になる」プロセスにともなって生じる様々な現象を明らかにするこ
とができる(2)。
1.1.2.協同的実践における理論の役割
では、このような研究はいったいどのようなかたちで、現実に行われる授業に寄与するこ
とができるのか。田中論文や長田論文のように、児童・生徒に焦点を当てた研究は、児童・
生徒に生じている学びの実態を明らかにすることで、より豊かな学びを実現するための方策
を導くことに貢献する。しかし、教師に焦点を当てた研究はどのように、授業という実践に
貢献することができるか。
この問いは、そもそも、研究はいかにして実践へと貢献することができるのか、というよ
り一般的な問いへと結びつく。授業分析はどのようなかたちにせよ、授業の現場に関わる
「当時者」と「研究者」との協同的な実践である。研究者が授業の現場に参入する場合はも
ちろんのこと、授業を行った教師が後から研究的なスタンスで自らの授業を分析するという
場合でも、「当事者」的なスタンスと「研究者」的なスタンスの協同的な実践が生じなけれ
ば、授業分析は成立しない。それでは、このような協同的実践を行う意味とは何か。さらに
言えば、このような協同的実践において「研究者」はどのような役割を果たすのか。
これについて、杉万(2006)は、「研究者」と「当事者」との協同的実践において、研究
者は何よりも「理論に基づく貢献」(p. 42)をなすべきであると述べ、協同的実践における
理論の役割を以下の2つに大別している。
(1)「一次モード」と「二次モード」の交代運動を促す。
ローカルな現状、過去、将来を把握し、その把握に基づいて問題解決に取り組む段
階(「一次モード」)での協同的実践を進行することによって、それまで実践の根底に
あった「気づかざる前提」に気づく段階(「二次モード」)へ、さらに新たな「一字モ
ード」の展開へという微視的・巨視的な運動を促す。(杉万, 2006, pp. 35-40)
(2)ローカルな協同的実践からインターローカルな実践への進展を促す。
特定のローカリティ(人物・場所・時代)に密着した生々しい実践のメッセージを
(2) 秋田(2006)は生涯発達的視点から教師を捉える場合の視座として「授業における熟達化」「獲
得と喪失の両義性」「人生の危機的移行とライフコース」「共同体への参加モデルと教師のアイ
デンティティ形成」の5つを挙げている。
− 32 −
少しだけ抽象化することによって、直接の当事者でない人にも理解できるようにする。
これによって他のローカルな人物・場所・時代への伝播を促す。(杉万, 2006, pp. 40-43)
「研究者」によってなされる貢献、すなわち理論に基づく貢献を、このように整理してみ
ると、協同的実践としての授業分析を、(1)授業における「一次モード」と「二次モード」
の交代運動を促し、「気づかざる前提」への気づきを導き出すこと、(2)特定の授業実践から
見出されるメッセージを少しだけ抽象化し、他の現場へと伝播させていくことと意義づける
ことができる。
以上を踏まえて、教師役の大学院生に対してナラティブ・インタビューを行った、本研究
の意義を考察するならば、それは何よりもまず(1)[気づかざる前提」への気づきを促すこ
とにあると言える。これについては、本研究の考察においてさらに詳しく議論してみたい。
1.2.研究方法:ナラティブ・インタビュー
本研究では、教師役の大学院生の語りにアプローチするための方法論として「ナラティ
ブ・インタビュー」(narrative interview)を用いている。ナラティブ・インタビューとは、
研究者によって用意されたインタビュー・ガイドに基づく質問−回答式のインタビューでは
なく、調査協力者が自身の経験の中から語るべき出来事を選び、一貫した展開の中でそれら
の出来事を語っていくプロセスを重視する方法論である(フリック, 2002など)。
本研究では、ある大学院の演習授業において中学校での研究授業が行われることが決定し、
それが実践されるまでの比較的短い期間に焦点を当て、この期間に教師役の大学院生が経験
したことについての語りを分析した。
2.実施授業の概要と研究結果
2.1.計画・実施された授業の概要と背景
本研究が対象とする大学院の演習授業「国語科授業分析演習」において、計画・実施され
た授業の概要は以下のとおりである。同演習授業では、受講者全員で一つの研究授業を計
画・実施し、その研究授業に対する分析を行い、最後にそれらの分析をまとめて報告書を作
成する。
(1)授業実施日:2003年11月10日
(2)対象:茨城県公立中学校の3年3クラスと4クラスでそれぞれ1時間ずつの授業
(3)教材:『おおきな木』(シェル・シルヴァスタイン)のテキスト。その他、ワークシー
ト、参考資料。
(4)学習目標:
①物語を読み、話し合いを通して自分の読みを広げ、豊かな感想を持つことができる。
②他者の感想を知り、自己の感想と照らし合わせることで、多様な読みを受容する
− 33 −
態度を養う。
(5)授業の展開:
①授業者による『おおきな木』の範読
②第一次感想の記入
③グループ別にわかれて、感想の回し読みをし、その後、グループでの話し合い
④グループでの感想をもとに、第二次感想の記入
⑤全体での感想の発表
(6)授業者・支援者:
今回の授業では、授業全体の進行を行う「授業者」の他に、グループ活動の際に
グループでの指導・助言を行う「支援者」を設定した。
この演習授業では、そこに参加する大学院生約20名が計画・実施する授業やその分析方法
について様々な議論を行った。本研究において特に焦点を当てるのは、それらの議論の中で
も特に、本研究の調査協力者が問題とした、教材化をめぐる議論である。
この演習授業の参加者の中には、現職派遣教員と、教職経験のない大学院生が混在してい
たが、『おおきな木』をどのように教材化するか、という問題について彼らの意見が真っ向
から対立した。現職派遣教員を中心とした人々は、もともとすべてひらがなで書かれていた
絵本『おおきな木』から、絵を削除し、テキストも漢字かな交じり文に書き直して「教材」
とすべきだと主張した。これに対して、本研究の調査協力者を中心とした、教職経験のない
大学院生たちは「できるだけ、絵本の世界をそのままにしておきたい」「絵も作者(シェ
ル・シルヴァスタイン)自身が描いたものなので削除すべきではない」と主張した。
結果的には、現職派遣教員を中心とした人々が主張したとおり、漢字かな交じり文で絵の
ないテキストが教材として採用され、対象となる授業の中で用いられることになった。
2.2.研究結果
2.2.1.分析枠組み
「教材」とは、「教育目標を達成するために編成された具体的内容や文化的素材」(中村,
1995)と定義されている。ここから「教材化」を定義するとすれば以下のようになろう。
「教材化」とは教育目標の達成を意図して、ある文化的資源(cultural resource)(文化的内
容や文化的素材)を編成していくプロセスである。
教材化をこのように捉えたときに問題となるのは、ある文化的資源──国語科であれば、
それは文学作品などの物語や言語などがそれにあたる──を、いかにして「教育目標を達成
するために編成」するかという点である。「教育目標を達成するために」編成するというプ
ロセスが存在する以上、「教育」という意図のもとに編成される以前と以後との断絶は避け
ることができない。ここで「断絶」とは、家庭や職場など学校以外のコミュニティから学校
コミュニティへの移行にともなう断絶を意味する。教材化プロセスにおいて文化的資源は、
− 34 −
学校以外のコミュニティにおける意味(文化的資源としての意味)を一旦喪失し、学校コミ
ュニティの中で教育目標を達成するための素材としての意味(教材としての意味)を獲得す
る。
本研究では、このような教材化プロセスにおける意味の喪失と獲得の中で、そこに関わる
主体がどのように変容するかを分析する。
2.2.2.調査方法・分析方法
本研究では、所要時間約1時間程度のナラティブ・インタビューを実施した。調査時期は、
2003年11月9日である。この日には、次の日の授業に向けた最終的な打ち合わせなどが行わ
れた。インタビューは、最終打ち合わせが始まる前に行われた。インタビュー内容はすべて
録音した。なお、調査協力者には、事前に調査の目的や方法などを説明し、了解を得ている。
今回、インタビュイーとして調査に協力したのは、T大学大学院修士課程で開講されてい
る演習授業「国語科授業分析演習」の受講者、高野まり(仮名)(20代・女性)である。彼
女は、同演習授業で企画された研究授業において「授業者」役(演習授業内では「メイン・
ティーチャー」と呼ばれていた)を担っていた(2.1>参照)。高野は、調査当時、T大学大
学院修士課程の1年に所属する教員志望の学生であり、すでに国語科の教員資格を有してい
た。しかし、高野は教員としての経験がなく、いまだ「教師」というアイデンティティを確
立していない。
録音されたインタビュー・データは、すべて文字化(transcribe)し、これを分析のため
のデータとして用いた。
分析方法はエスノメソドロジーの成員カテゴリー分析(山崎,2004)を用いた。成員カテ
ゴリー分析とは,社会成員を分類しカテゴリー化する言葉がいくつかの自然な集まりを作る
という「成員カテゴリー化装置」(membership categorization device)という概念を分析の
ための基本概念とし、語りや会話など日常的な相互行為の中でどのようなカテゴリー化実践
が行われているかを明らかにする分析方法である。成員カテゴリー化装置とは、「性別」や
「家族」など、社会成員を分類しカテゴリー化するための言葉(カテゴリー)の自然な集合
体である。我々は、単にあるカテゴリーを用いて人間を分類するのではなく、カテゴリーの
集合を用いて人間の集団を分類する。そしてその分類に基づいて、個々の人間をカテゴリー
化している。このような人間の集団の分類を可能にし、個々の人間のカテゴリー化の基準と
なるものが成員カテゴリー化装置である。
本研究では特に、語り手自身のアイデンティティに注目するため、語り手が自分自身をい
かにカテゴリー化していくか、そして、そのカテゴリー化は語りの展開にともなってどのよ
うに変化していくか、という観点から分析を行った。
2.2.3.分析結果
ここではインタビュー調査で得られた高野の語りを分析することによって、語りの中でど
− 35 −
のようなカテゴリー化実践が行われ、それによって語り手の自己がどのように移行するかを
明らかにする。なお、本研究では、高野の語りにおける成員カテゴリーに注目するため、事
例中、成員カテゴリーを示す言葉には囲みを施した。
(1)「オーディエンス」としての自己
以下の事例(事例1・事例2)では、研究授業のための教材についてインタビュアー(筆
者)が高野に質問をしている。ここで問題となっているのは、2.1>で示したような教材化に
関する議論である。具体的には、①原作の絵本に描かれた挿絵を教材として提示するかどう
か、という点と、②絵本の表記(ひらがなの分かち書き)をそのまま教材として採用するか
どうか、という点が問題となっている。挿絵を削除すること、および、テキストを漢字かな
交じり文に書き換えることについて、高野は違和感を表明している。
【事例1】
(3)
1-1
インタビュアー(以下、I):あの、このまえーー。そのーー絵本でぇ。絵がなくなってて
1-2
そういうことがいやだったっていう話をしていたじゃないで
1-3
すか。それぃでなんかぁ、あのぉそのー、いやだったってこ
1-4
とをもうちょっと詳しく…
1-5
高野(以下、T):あーーー。そう。うーーん…。あの絵本はぁ
1-6
I:うん。
1-7 (・・)
1-8
T:文だけがはじめにあってぇ。
1-9
I:うん
1-10 T:挿絵を他の=挿絵は他の人が描いたわけではないのでぇ。(I:うん)うん。作者が作
1-11
り上げてるぅものなのでぇ。(I:うん)あの絵とぉ、あの文がいったいとなってひと
1-12
つの世界をぉ、(I:うん)うん。作者が作り上げてるぅものなのでぇ。(I:うん)う
1-13
んで、そこをぉ。ええ…。(・)一冊の本としてそれで、とりだして、そこで みんな
1-14
が感銘を受けている本…っていうものが、あってそこ…(・)の、本の文だけをぉ、
1-15
抽出して、与える、っていうことにぃ…。ちょっと…。疑問 が…。あった…。
インタビュアーは1-1で、高野が教材化にあたって感じた違和感について質問を行ってい
る。「作者」(1-10, 1-12)と「みんな」(1-13)というカテゴリーは、この質問に対応する形
で、高野が自分自身の感じた違和感を説明しようとするために用いられる。「作者」ではな
(3) 本稿では、以下のトランスクリプト記号を用いている。
TorI発話者。T=高野まり、I=インタビ
ュアー(筆者)
(・) 休止・ポーズ。カッコ内のドットは秒
数を示す。1ドットは約1秒。
。
発話の終わり(ピッチ)
、
発話の休止(ピッチ)
…
余韻のある発話の休止(ピッチ)
− 36 −
!
?
↑
ー
hhhh
=
勢いのある発話終わり(ピッチ)
疑問
上昇イントネーション
長音・のばしている音
呼気音・笑い
言いかけの休止、急な休止
い人々を「他の人」(1-10)と示していることからも明らかなように、ここでは「作者」と
の関係の中ですべての人々がカテゴリー化されている。「みんな」という言葉も「みんなが
感銘を受けている本」(1-13, 1-14)というように、「オーディエンス」(ここでは読者)を示
すカテゴリーとして用いられている。つまり、事例1では「作者」-「オーディエンス」とい
う成員カテゴリー化装置を利用することによって、カテゴリー化実践が行われている。
そして、このようなカテゴリー化実践の中で高野自身は自己を「みんな」、すなわち、「オ
ーディエンス」の一部としてカテゴリー化する。1-13から1-15の語りは、「オーディエンス」
が、「オーディエンス」でない何者か(以下、「非-オーディエンス」)に対して疑問を投げか
ける、という構造を持つ。このような構造の中で「疑問が…。あった…。」(1-15)と述べ、
疑問を投げかける主体としての自己を示すことによって、「みんな」すなわち「オーディエ
ンス」の一部である自己が構築される。
(2)対立する二つのカテゴリー:
「現職の先生」と「学生」
事例2は事例1の続きにあたる部分である。
【事例2】
2-1
I:中三に対してひらがなっていうことに関して高野さんはどう思います?
2-2
T:うーーーーん。(・)あの本自体でこうしっかり配れば、ひらがなでも、いいと思う
2-3
し、うーーん。はじめのテキストがひらがなだけで、(・)イヤだとも私は感じない
2-4
んですけどぉ…(I:うん。うーーん。)うん、み、うーん。特に現職の先生は国
2-5
語の授業ってこと、とかが一番頭にあると思うのでぇ…。うーーん、やっぱり学生
2-6
…全然教えてきてない学生とは違う、かなぁ…って。(・)思う、んですけどぉ…。
2-7
うー…ん…
2-8
I:でもぉ、高野さんも一応なんかそのこく=こ=くか=その現職の先生が考えるよう
2-9
なぁ、(T:うん)かっきりぃとした形ぃ、ではないにせよなんらかしかのこう…ま
2-10
ぁ、ある読み物なりぃ…なんなりをその場に、持ち込んでぇ、「国語…の授業」とい
2-11
う、まあ。そういうふうに名前がついた、授業の中でぇ、やりたいってことは考えて
2-12
いたわけですよねぇはじめから、
2-16 T:そう
2-17 I:それとぉ、その現職の先生が考えるの、との違いっていったいなんなんでしょうね。
2-18 T:うーーん(・・)そう…ねぇ(・・)なん…だろぅ。その…(・・)場ぁの想定
2-19
ですかねぇ…いぇ、じゃも、ひらがなでぇ、わたしてつくりあげられる世界もあ
2-20
ると思うんですけどぉ、(I:うん。うーーん。)やはりそういうのを国語の授業とし
2-21
てやったこともないし見たこともないしっていうところで、それはちょっと無理なん
2-22
じゃないかっていうのが、たぶん出てくると思う…んですよね、
事例2でインタビュアーは、より具体的な教育場面に焦点を当てた質問を行っている(21)。このような質問の焦点の移行、すなわち、学校外の実践コミュニティから学校コミュニ
ティへの焦点の移行にともなって、高野は事例1とは異なる成員カテゴリー化装置を利用し、
事例1とは異なる自己を構築する。
事例1において「作者」-「オーディエンス」という成員カテゴリー化装置が利用されて
− 37 −
いたのに対し、事例2では「現職の先生」-「学生」という成員カテゴリー化装置が利用さ
れている。「作者」-「オーディエンス」が学校外の実践コミュニティの中で優位に用いられ
る成員カテゴリー化装置であるのに対し、「現職の先生」-「学生」は学校コミュニティの中
で優位に用いられる成員カテゴリー化装置である。このようにして、高野の語りは学校外の
実践コミュニティに依拠した語りから、学校コミュニティに依拠した語りへの移行を達成す
る。
また、このような移行が達成されることによって、事例1(1-13から1-15)での語りの構
造、すなわち、「オーディエンス」である高野が「非-オーディエンス」に疑問を投げかける
という構造も変化する。まず、事例1で実体のわからなかった「非-オーディエンス」が
「現職の先生」としてカテゴリー化される(2-4)。さらに、「学生」というカテゴリーが登場
し、「現職の先生」-「学生」という成員カテゴリー化装置が利用されることによって、「非オーディエンス」と対応したカテゴリーである「オーディエンス」が、「学生」として再カ
テゴリー化される(2-6)。もちろん、「オーディエンス」と「学生」とはまったく異なる意
味を持つカテゴリーである。しかし、事例1とは別の成員化カテゴリー化装置が利用される
ことによって、まったく別のカテゴリー化が行われる。そしてこのことによって、高野の自
己は「オーディエンス」から「学生」へとその立場を移行させる。
(3)新たなカテゴリーの生成
事例2の直後、インタビュアーは研究授業における高野自身の役割について質問を行う。
事例3はその質問についての一連の会話を終えた後、再び教材についての質問が行われた場
面である。ここでは、インタビュアーによる質問の焦点の移行を踏まえて、高野自身の自己
の位置づけに焦点をあてた語りがなされる。
事例3では成員カテゴリーが用いられていない。しかし、カテゴリーとして明確に示され
てはいないものの、事例3での高野の語りの中で新たなカテゴリーが生成されようとする様
子を見ることができる。ここではそのようなカテゴリーの生成を、語りの中で引用される
「声」(メイナード, 1997)に注目することで記述する。なお事例3において、「学生」として
の「声」(事例2)を示す部分には波線を、事例1や事例2に見られない、新たに生成され
た「声」が示されている部分には二重下線を施している。
事例3では、「じゃぁどうしよう」(3-9)「じゃ=どうすればいいか」(3-16)という、高
野自身による再考を示す言葉を媒介として、新たな「声」が生成される様子を見ることがで
きる。新たな「声」とは、「範読でぇ、しっかり伝えよう」(3-9, 3-10)「そう物語世界をつ
か=伝えるためにぃ」
(3-11, 3-12)
「声から、
(・)生徒にぃ、与えられるようにぃ、しよう」
(3-19, 3-20)といった、「範読」の役割に自分自身の位置を見出す「声」である。高野は「範
読」という役割に注目することによって(3-9)、「学生」としての自己から別の自己への移
行を果たしたと考えられる。別の自己とは、「範読者」としての自己である。高野は新たな
「声」を生成することによって、「範読者」という新たなカテゴリーを作り出し、自己を「範
− 38 −
【事例3】
3-1
3-2
3-3
3-4
3-5
3-6
3-7
3-8
3-9
3-10
3-11
3-12
3-13
3-14
3-15
3-16
3-17
3-18
3-19
3-20
3-21
I:まあでも、あのぉーー。そうですね。当初、の、(T:うーん)hhhhh 絵本の状態
から変わってきちゃってると思うんですけれどもぉ、
T:はい。そうですね。
I:そこでなんかなくなっちゃったものっていったいなんだと思います?
T:そうーーなくなっちゃったもの。
I:うん…失われたものというか。
T:あーん(・)そうですね…(・・・)あ、それはぁ…(・・・・・)変わった
ことによって失われるというか(I:うん)(・・)昨日それで、(・・)自分の中
でじゃぁどうしようって考えたときにぃ、(・・)やっぱり、(・・)範読でぇ、
しっかり伝えようというふうに。むしろ。うん、失われたものもぉ、あるんだけ
れどぉ、(・・)うーーん(・・)そうもっとぉ。そう物語世界をつか=伝えるた
めにぃ、じゃあ。(・)声でぇ、しっかりぃ。(・)興味をひきつけてぇ、しっか
りしないといけないっていうふうにぃ…(・・)うーーーん(・・)なんだろ。
むしろ。考え直したっていうかぁ・・・、うーん。その、(・・)時間の推移、と
蟆蟆蟆蟆蟆蟆蟆
かがぁその絵からしか見えないっ。ていうような。気持ちも、あったけれども、
蟆蟆蟆蟆蟆蟆蟆蟆蟆蟆蟆蟆蟆蟆蟆
じゃあ。じゃ=どうすればいいかっていうと、その推移の部分のまをあけるとか、
けっこう何回か(・)うん、読み直して聞いてもらったりもして。(・)その地の
文。見ながら。(・)そうすると。まぁどうにかぁ。その。推移だとかぁ、うしな
われまぁ=見えない部分↑ですよね。その。を、(・・)うーん。声から、(・)
生徒にぃ、与えられるようにぃ、しようって気持ちが、起こってきたっていうか。
(・)うーん・・・
読者」としてカテゴリー化している。
ここで注目すべきは「範読者」という役割である。「範読者」とは、授業の導入段階で生
徒全員に対して物語を朗読する役割を意味する。ここで重要なのは「範読」という行為その
ものは、社会における物語の伝え手(「ストーリーテラー」)の行為とほとんど変わらないの
に対し、「範読」という言葉は学校コミュニティにおいて利用されている人工物(artifact)
であるという点である。「範読者」という役割の持つこのような性質のため、この役割に焦
点化することで、「ストーリーテラー」という社会的な役割を媒介としつつ、「教師」へとそ
の役割を移行させることが可能となる。
つまり、「範読者」のカテゴリーとは、「ストーリーテラーとしての教師」というカテゴリ
ーとも言いかえられる。この「ストーリーテラーとしての教師」というカテゴリーが生成さ
れ、「ストーリーテラーとしての教師」として自己をカテゴリー化することによって、高野
は「オーディエンス」から「教師」へと自己の立場を移行させることができた。
2.2.4.考察:授業分析におけるナラティブ・インタビューの意義
以上の分析から、授業分析におけるナラティブ・インタビューの意義について考察してみ
ると、それは次のようにまとめられるだろう。
− 39 −
(1)ナラティブを語る当事者が自らの「気づかざる前提」を捉え直すことができる。
(2)ナラティブ・データの分析により、複数の「気づかざる前提」が相対化される。
(3)ナラティブ・データの分析によって導き出された知見が、インターローカルな実践へ
の展開を促す。
ひとつめは、ナラティブ・インタビューを実施することそのものの意義である。ナラティ
ブ・インタビューを実施することにより、授業の当事者に自分自身の経験を語ってもらうと
いう局面が否応なく発生する。当事者は、このように自分自身の経験を語るという場面を設
定されることによって、あらためて、自身の経験の意味について振り返ることができる。も
ちろん、このような当事者による振り返りそのものが、授業分析の成果に直接結びつくわけ
ではない。しかし、当事者が自身の経験を振り返り、意味づけること、またそれによって自
身の「気づかざる前提」に気づくきっかけを提供することは、ナラティブ・インタビューと
いう手法の持つひとつの意義であるといえるだろう((1))。
もうひとつは、より授業分析としての本来的な意義である。収集したナラティブを分析す
ることによって、これまで「前提」「当たり前」として焦点を当てられることすらなかった
認識枠組みを、相対化することである((2))。これは、授業というシステムを明らかにし
ていくうえで重要である。今回の事例では「教材化」という、なんの疑いもなく学校コミュ
ニティ内で用いられている言葉を相対的に捉えることができた。このような知見が重ねられ
ることによって、例えばある教師が教材化のプロセスに対してなんらかの抵抗感を感じた場
合、その原因を相対的に捉えることが可能となる。このような意味で、「気づかざる前提」
を明らかにしようとする理論は、ローカルな実践をインターローカルな実践へと進展させて
いく機会をも提供するものへとつながっていく((3))。
以上、本研究では授業分析の事例を具体的に紹介することによって、ナラティブ・インタ
ビューという研究方法の意義を明らかにしてきた。ナラティブ・インタビューは、研究者が
知りたい内容だけを聞き出そうとする、アンケートや構造化インタビュー等と異なり、研究
協力者の意味世界にそのまま迫ろうとする研究方法である。この方法論が今後どのような授
業分析の可能性をひらいていくのかはまだ未知数であり、本研究でもその一端を述べたに過
ぎない。今後、ナラティブ・インタビューによる研究が蓄積されることで、その可能性がさ
らに明らかにされることを期待したい。
参考文献
秋田喜代美(2006)『授業研究と談話分析(改訂版)』放送大学教育振興会.
石田喜美(2006)「物語の教材化プロセスにおけるアイデンティティの移行─ある教員志望
学生の語りを事例として─」
,
『筑波教育学研究』
,第4号,pp. 141-157.筑波大学教育学会.
ウヴェ・フリック(2002)『質的研究入門─〈人間の科学〉のための方法論』春秋社.
杉万俊夫(2006)『コミュニティのグループ・ダイナミックス』京都大学学術出版会.
− 40 −
泉子・K・メイナード(1997)『談話分析の可能性─理論・方法・日本語の表現性─』くろ
しお出版.
中村次郎(1995)「教材・教具」岩村亮一ら(編)『教育学用語辞典(第3版)
』学文社.p. 75.
山崎敬一(2004)「エスノメソドロジーの方法(1)」 山崎敬一(編)『実践エスノメソドロ
ジー入門』有斐閣.pp. 15-35.
ユーリア・エンゲストローム(1999)『拡張による学習─活動理論からのアプローチ』新曜社.
− 41 −
第二章
国語科授業分析の方法(蠡)
─深めよう、授業分析─
第1節 講座内容の概要(Ⅱ)
− 45 −
第2節 分析事例(1)
─問題場面観察法─
有澤 俊太郎
0.研究の経緯
上越教育大学大学院には、創立以来「教育実践場面分析演習」という科目があり、この科
目を通して授業研究・分析が行われてきた。その成果は20冊の報告書にまとめられている。
研究は大きく三期に分けられる。
第一期:『国語科実践場面の研究』蠢∼衄(代表・安西迪夫、1988、1990∼1995、1988は無
ナンバー、1990は2冊刊行)
『教育実践場面の研究―国語科教育実践知の開拓』(上越教育大学実践研究会、大空
社、1995)
第二期:『教育実践場面分析演習「国語」の研究』蠢∼蠹(代表・有澤俊太郎、1996∼2000)
第三期:『国語科実践学の研究』蠢∼蠧(有澤研究室、2001、2003∼2005、2007、2009)
この大学院は現職教育を目的としているので、「授業力の向上を通した国語教師の成長」
という目標はどの期においても変わらなかった。また、研究代表者は変わっているが、教員
と院生の共同研究という研究形態は変わらなかった。
次に報告するのは、最近の成果である第三期蠧(2009)の報告書からである。
これには、
問題場面観察法の改善による「ちいちゃんのかげおくり」の「色彩語」の取扱い
という副題が付いている。
1.問題場面観察法について
1.1.背景
この方法は2003年の報告書に初出、以来改善を加えて2009年まで一貫して採用した。この
方法は2000年ごろに、Y・エンゲストローム(Engeström, Y.)の描いた次頁の二つのモデ
ルを見たことがきっかけとなって考案された。
エンゲストロームは「拡張(充実)学習の実現」という文脈で二つのモデルを作成してい
るのであるが、それはすなわち、観察者が国語科授業を見て「自らの技量を高め、自らを成
長させる」という前記目標に重なるところがある。
「拡張サイクル」
(The expansive cycle)モデルからは、学習活動が進展・深化する(回る)
につれて、外側から「内的な力」(求心力)が加わり、内側からは「外的な力」(遠心力)が
加わって、活動自体が成長(充実)していくことが読み取れる。ちょうどこのころ UKRA 年
次大会(2000年夏)において、このモデルを「良書選択活動」に応用している研究発表に接
− 46 −
した。そこではこのモデルを「スネークモデル」と名付けていた(1)。それはいくつかの点に
留意すれば「国語科授業の改善活動」のモデルともなりうる可能性を秘めていた。
「内的な力」と「外的な力」がせめぎ合い、観察事象を太らせ展開させていくという現象
は、「国語科授業を観察する」という経験に照らしても実感として認められるところである。
国語の授業は、教師・児童生徒・教材・環境を媒介関数として成立する有機的な複雑事象で
あり、それは、時間の経過とともに、そこに参入した観察者に様々な問いかけの機会
(opportunity)を与えている。その範囲は研究授業の「協議題」の枠内に収まり切るもので
はない。観察者は授業を見て、自分ならばあそこはどうするか、といった当事者(エージェ
ンシー)の立場で授業実践に入り込み、授業を批評することができる(2)。これが内的な力の
行使である。あるいはさらに観察者は、いつか見た同じ教材の授業、あるいは授業記録、ま
た誰かが書いた教材研究の成果を思い出して授業を見るかもしれない。眼前に展開する授業
をそれらと比較して立ち止まり、しばし考えるかもしれない。これは授業を外側から見てい
るのである。外的な文献などが持つ力を投影させているのである。外的な力は、後ほどあら
ためて、文献や資料に戻って確認されることもある。
後ほど確認する資料には、文献などのほか、直接授業観察に関係した観察者が作成する、
「授業者」「児童生徒」に対するインタビュー記録、アンケートなどがある。これらは「内的
な資料」「外的な資料」のどちらに属するものか。かつてそれらを「外的な証言(資料)」と
(1) Davidson, S. and Cox, H. (2000), Why Don’t They Ever Ask Teachers What They Think? UKRA
2000 Conference, Paralell Session, (St. Catherine’s College, Oxford)
(2) 山元隆春(2001)「国語科教育研究におけるアプローチの方法を問い直す」全国大学国語教育学
会『国語科教育研究』第100回大会研究発表要旨集
− 47 −
して位置付けて研究発表をしたところ、
「教師(児童生徒)自身が学習指導(学習活動)をしつつ、同時に観察者になっている場
合がある。その場合は授業観察者の内的な力の行使にも関係するのではないか」
という質問があった(3)。授業中、自らの学習指導(学習)に入り込んだ教師(学習者)自身
が、事後のインタビューなどに対して、反省的言説や推論的言説などを駆使することはしば
しば経験することである。アクションリサーチはこの部分を活用した方法である。それなら
ば、このような言説は、「外的な証言」の一部として存在するだけではなく、むしろ観察者
内部の考えを補強したり、あるいは再考を促す証言として機能するものかもしれない。教師
の言説よりもさらに「揺らぎ」の多い児童生徒の言説は、根拠としての信憑性・妥当性を慎
重に評価する必要性があろう。
1.2.具体的な操作手順
(1)みえる段階
問題場面観察法の出発点である。「つかみ」の段階である。
エンゲストロームでは「問い」
「歴史的分析」
「現実的・経験的分析」である。授業を見て、
「何
か違うな、おかしいな。」
「あんなこと、こんなことがあった。」
「自分ならこうしただろう。」
「こ
れなら自分もやってみたい。
」などの「素直な感想、思い出し」は経験の多寡にかかわらず国語
を教えた者なら誰でも持つものであろう。それらを参観者が持ち寄り、問題場面に整理する。
ただこの段階で難しいのは、問題場面の抽出は「自由(ほしいまま)でよいか」というこ
とである。「素直な感想、思い出し」にレールを敷くことに違和感はあるが、逆に様々なレ
ベルの違うものが出すぎて、収拾困難に陥るということがあった。「みえる」ことの自由さ
を失わない程度の「緩い枠」は必要である。初期のころは「授業者の意図とは違うように見
えた問題場面を取り出そう」という申し合わせ的な文言で進めていたが、授業によっては曖
昧になり、「ちいちゃんのかげおくり」の授業では、
(1)授業の流れ(2)教師の働きかけ(3)児童生徒の反応(4)その他
というように枠組化して実施した。
(2)みる段階
前段階が「草稿的な段階」なら、ここは「修正的な段階」である。問題場面観察法の心臓
部である。この段階でなすべきことは、前段階で整理された問題を対象に、
A・内部探索:(ア)教師について、(イ)教材、資料などについて (ウ)児童生徒について、
参観者自身が当事者として自分の立場を明確にする。
AB・内外探索:教師、児童生徒についてのインタビュー、アンケート資料等による。内部
探索、外部探索との整合性、逸脱性を明らかにする。
B・外部探索:ア教師・学習者研究 イ教材研究 ウ実践記録 エ授業記録 の文献、資料
(3) 野村眞木夫(2002)、上越教育大学国語教育学会第42回例会にて
− 48 −
の収集。調査研究を行い、問題を深くとらえつつ授業改善への展望を持つ。
これらの活動は「みえる段階」で出た問題に栄養を与えて太らせ、ひねりを与えるところ
である。A・B 内外探索資料には、A、B が交じり合い境界が判然としない場合がある。
そのような場合には、談話分析法(言語学的方法)、数量的分析法(教育工学的方法)、刺
激回想法(教育心理学的方法)、場面回想法・聞き取り法(教育学的方法)などの分析的方
法が選択され、集中的に用いられる。
「ちいちゃんのかげおくり」では、一児童はじめくんに対する「聞き取り」事項について
考えている。
(3)なす段階
エンゲストロームの「拡張学習」では、6から7の段階である。この段階で参観者(現職
院生が多い)は当事者感覚を生かして「代替案を作る」(なす)ことが求められる。「みる」
ことは、徹底的に自己を見つめることである。それは外的な知識を消化しながら考えること
であるが、そのままでは自己(主体)は煮詰まってしまう。「なす」ことには、そんな自己
を再び他者との関係で解体させ、分散化させて、「代替案の提案」という出口に向かって働
く「淡い主体」がある。そこには表現活動一般が持つ、特有の明るさがある。
「ちいちゃんのかげおくり」では、花房授業を基本にしながら、はじめくんのような子ど
もを意識したワークシートを開発した。
2.授業の概要
教 材:「ちいちゃんのかげおくり」第2場面(空襲下、お母さん、お兄ちゃんと逃げる場面)
日 時:平成19年10月16日(火)3限
場 所:糸魚川市立下早川小学校第3学年
授業者:花房磨紀
2.1.学習指導案
本時の授業
(1)本時のねらい
お母さん、お兄ちゃんとはぐれてしまい、一人ぼっちになったちいちゃんの心情を想像す
ることができる。
(2)本時展開の構想(略)
(3)本時の展開(4時/11時間)
− 49 −
2.2.授業記録(3限の一部)
− 50 −
− 51 −
3.問題場面観察法の実施
3.1.みえる段階
みえる段階での思い出しの一部を掲げる。
・教師が、児童が決めた心情の色をまとめるのに17分を要している。児童が選択する色の予
想が難しかったようだ。→(1)
・教師と児童の色の捉え方に関するギャップの処理をどうするのか。→(2)(3)
・色分けについて、教師と児童の考えの違いを考慮したり、児童が納得のいく形になるまで
熟考したりするのはよいと思うが、授業の展開における重きを置く部分のことを考えると、
すっきりとシンプルに終わらせるところが必要だったのではないか。→(1)(2)(3)
・どこに重きを置くか、作業が多くて分かりづらい部分があるように思う。→(1)
3.2.みる段階―はじめくんの色彩感覚
はじめくんは「逃げる場面」「橋の下の場面」の色調について6回発言している。
1.「黒、黒」(逃げる場面)
2.だから、暗い橋の下に入ったばかりは空襲が続いていたから。(橋の下の場面)
3.明るいときってこない。
4.橋は安全だから…。橋の下は明るいときでも暗いから…うん。ただそのとき空襲が続い
ていたから…。
5.うん。
6.橋の下は暗いけど、外は空襲が続いている。
彼は「逃げる場面」=「赤」、「橋の下の場面」=「黒」という図式に疑いを持っている(4)。
それは、色彩感覚が状況によって変わるということへの子どもなりの気づきである。必死に
逃げた街、その時に見た「赤」は、「赤」というよりも「灼熱の黄色」に近いものであろう。
その赤は、ゆうさくくんが言った「血」の赤とも違う。血は薄暗いところでは黒く見える。
明暗の激しい暗闇ではどす黒く見える。そんな壮絶な経験をして、やっとたどり付いた「安
全な」橋の下。そこから見た、炎上する街の遠くの「赤」は、自分自身との関係性を失って
しまう。「黄色」でも「黒」でもなく、他人事のように「赤」そのものの色素を取り戻すの
(4) 内山和也(1999)「色彩語の表現性について」日本文体論学会第76回全国大会発表資料
− 52 −
である。こうした認識によって彼は簡単に「逃げる場面」=「赤」、「橋の下の場面」=「黒」
とすることができないのではないか。
ここで場面回想法・聞き取り法の出番が来る。
1.逃げる場面は「黒」と2回繰り返したよね。何が黒いから「黒」と言ったのだろう。
2.ほかにどんな色が考えられるだろうか?
3.「(橋の下)に「明るいときはこない」の「明るい」から何色を想像する?
4.「橋の下は明るいときでも暗いから。」と言って、「ただそのときに空襲がつづいていたか
ら…。」と言いさしているよね。続けて何を言いたかったのだろうか?
5.橋の下は真っ黒ではないよね。白をどのくらい混ぜたらいいのだろうか?
質問4の言いさしはどのくらいの時間があったのだろうか。この時間はもう一度ビデオで
確かめる必要がある。このような箇所こそ「談話分析法」の助けを必要とするところである。
3.3.なす段階
ワークシートの例を次に掲げる。2つの場面の色調はちいちゃんのこころの在りよう、そ
してそこで発せられた言葉、例えば2回の「お母ちゃん。」という「さけび」の性格に結び
ついている。このワークシートはそれをうまく可視化している。代替案とともに示す。
代替授業案としては他にちいちゃんの心の在りようまで色彩で表そうという考え方があっ
− 53 −
た。ワークシートの吹き出しに言葉だけではなく色を付けるというものである。「心の色」
とは面白い試みであるが、国語科授業ということを考えると異論も出るところであろう。ま
た、このワークシートと同類であるが、色彩を対象別に分けず、自由に描きこませるという
ものもあった。はじめくんには、この自由形式の方がかえってよかったかもしれない。しか
し一方で色鉛筆が止まる子どもの多く出るような恐れがある。
4.国語科授業研究と分析的手法(5箇条の DO と DON’T)
この公開講座の趣旨は「国語科授業分析の方法―深めよう授業分析」であるが、以上の記
述からも分かるように、分析は何らかの目的のために行われるものである。分析の方法もま
たある目的を達成するためもっとも有効な手立てとして採用されるものである。ここでは分
析法は場面回想法・聞き取り法であるが、その方法は「問題場面観察法」という上位の授業
研究法(枠組み)に条件づけられるものである。
以上を次の5つに箇条書きして示す。それらの一部は、当日の質問(Q1、2)にかかわっ
ている。またそれは今後の課題ともなるものである。
(1)分析法(聞き取り法)は授業研究の枠組み(問題場面観察法)との関係で考えなければ
ならない。
(2)枠組みは分析法を縛るものであってはいけない。方法は方法のための方法であってはならな
い。
(3)分析法の法は技術(テクニック)ではなく、聞き手や相手の世界を射程にとらえた思想
である(5)。
(4)国語資料(テクスト)の勘所を外した分析であってはならない。
− 54 −
(5)枠組み(方法)を改善するためには、ある程度の時間(継続性)が必要である。
Q1A
学習者の学習経験への配慮について
ここでは、学習者の既有の学習経験、経験について特に配慮はしていない。戦争を扱った
2年生の教材とのつながりを意識させたり、あるいは戦争体験について家の人から聞き取る
というような活動をしているわけではない。しかしこの授業は色彩語が切り口となっている
のであるから、色についての経験を掘り起こすことは重要である。赤い炎の、炎さえ日常生
活では見ることが少ない昨今である。また橋の下の暗さについてもまず経験することはない。
できるだけ近似の経験を思い出させ、あるいは与えて、極限状態における異常な色調を想像
する手がかりとすることは大切である。「聞き取り」は単なる技術的なものではなく、子ど
もであっても、彼・彼女の世界観や思想と向きあう方法である。→(1)(3)
Q1B
年間指導計画における位置づけ
この授業は、年間という長期的なスパンを意識して特別に展開された授業ではない。また、
参観者の方でも、参与観察法のように、長期間にわたって実践に巻き込まれ内側から授業を
描き出したものではない。観察法にとって継続的な研究は大切であるが、必要とされる期間
はカリキュラムの改善のような場合と一授業の改善とでは違うのではなかろうか。→(5)
Q2 「みえる段階」では、観察者それぞれに共通にみえたことが整理されやすいが、そこで
はむしろ「みえないもの」が大切なのではないか。そこをどのように考えているか。
観察法そのものの問題点であると思う。最近の国語科授業という事象は、むしろ根茎的な
部分が多くなっており、可視的な部分だけに限定すると、いくら精緻な分析法を用いても有
効な成果を得られない恐れもある。「みえる」「みる」ことの多様な意味をとらえ、3つの視
点と交わらせることが必要である→(1)
参考文献
Y. Engeström (1999), Perspectives on Activity Theory, Cambridge University Press
有澤俊太郎(2001)「国語科授業研究の一方法としての「聞き取り法」について」、井上一郎
編、浜本純逸先生退官記念論集『国語科の実践構想』東洋館出版
J. ギブソン、古崎敬他訳(1985)
『生態学的視覚論―ヒトの視覚世界を探る』サイエンス社
国語教育実践学研究グループ(2009)『国語科実践学の研究 蠧―問題場面観察法の改善に
よる「ちいちゃんのかげおくり」の「色彩語」の取扱い』有澤研究室
三島博之他(1997)『アフォーダンス』青土社
(5) 加賀乙彦(1978)「相手の世界を聞く」、『仮構の現代』講談社、加賀(1980)『死刑囚の記録』
中公新書
− 55 −
第3節 分析事例(2)
─刺激回想法による事例分析と内省法の性質─
渡部洋一郎
1.本節の目的
授業分析を行う上で、授業者及び学習者の思考過程を把握することは重要な意味を持つ。
一般的に、相互作用分析法などに代表される量的な分析は客観性を保持し、内省法などによ
る聞くことを主とした質的な分析は主観に支配されると捉えられがちであるが、本稿ではそ
うした点も含め、質的な分析法の一つである刺激回想法に焦点を当て、その特徴や利点を具
体的な資料に基づき略述することに目的がある。また、併せて回想時の二重性思考と内省行
為の二面性が質的分析を行うに際し、どのような問題を含んでいるかも指摘したい。
すなわち、刺激回想法を用いることは、量的な分析だけでは把握しきれない、いかなる部
分に光を当てることにつながるのか、そして、バイアスや恣意性を押さえるためには、聞く
という行為に潜むいかなるメカニズムに顧慮すべきなのかを述べることが本稿の目的である。
2.刺激回想法(Stimulated Recall Method)の要因とそのバージョン
行為者の意図を把握する方法としては、現在、発話思考法(Thinking Aloud Method)と刺
激回想法(Stimulated Recall Method)の2つが考えられる。前者は、発話者が授業に関わる
様々な発言を行うことに加え、同時並行的にその行為の意図についてできる範囲で発話する
ことが求められるため、リアルタイムで偏りの少ない生のデータが得られる反面、ある程度
の修練を積む必要があることと、適用できる授業場面や話者に限界があるという問題があ
る(1)。そのため、実際に発話思考法を場面の分析に用いているのは、極めて限定的である。
一方で、刺激回想法はデータ収集の基本的な手順さえ踏まえれば、比較的初歩の話者にも適
用できるため、これまでも多くの授業場面の分析に用いられてきた。
刺激回想法を最初に考案したのは、Bloom, B. S. (1954) であるといわれるが、その構成要
素は、記録の再生制御者・記録の再生場面とその内容・回想の事項とその程度という主とし
て3つの因子から成り立つ。これらを相互に組み合わせ、基本的な8バージョンを導き出す
のである(2)。
(1) 発話思考法は、複雑で高度な思考を要する場面には不向きなことと、同時発話をこなすだけの
レベルを有する話者に適用が限定される傾向がある。
(2) 詳細は、渡部(1999)参照
− 56 −
3.Stimulated Recall Method による国語の授業分析
では、刺激回想法を適用し授業の分析を行うと、どのような点が明らかになるのであろう
か。ここでは、小学校5年生の詩の授業を対象にその概要を説明する。用いる資料は、教
材・当該場面の授業記録・刺激回想記録の3種である。
3/1 詩教材「ぼくの家だけあかりがともらない」
おかの畑から ながめていると どこの家にも でんきがついた
それなのに どうしてだろう ぼくの家だけ、あかりがともらない
みわよ ゆうこよ
おかあさんは ぐあいでもわるいのか それとも、お使いにいってまだかえらないのか
そんなときはふたりで、えっさ、えっさ、台所のこしかけをもってくるんだよ
ちゃぶ台の上にのっかって ぱちんと、スイッチをひねってもいいんだよ
おかの畑から ながめていると きいろい月見草の花がひらくように
谷間の村の あちこちに ぽっ、ぽっ、ぽっと、でんきがついた
それなのに どうしてだろう ぼくの小さな家だけ、あかりがともらない
それが気になって気になって あとひとうねをのこしたまま
だんだん畑をかけおりた。
3/2 授業記録(一部抜粋)
T8 想像するポイントっていうのをこれからいくつか黒板に書きますから、グループで話
し合うときに、どういう風な想像をしたか話し合って下さい。まず、ぼくの年、何歳くら
いか。どこにいるのか、何をしているのか、それから、出てくるみわっていう人の名前で
すよね、「みわよ、ゆうこよ」の年。いくつくらいか。それから、電気がついてない、電
気のことが、あかりのことがあったね、どんなあかりか。それから、ちゃぶ台。ちゃぶ台
ってどんなのか。…というようなことを、想像したことを話し合ってみて下さい。今度は
絵でなくて言葉で話し合って下さいね。その話し合ったことを発表してもらいます。では
グループになって。
C8 (グループでの話し合い)
T9 はいごめんなさい。顔上げて。もう少し先生時間をあげようと思ったんだけど、いま
ぼくの年のところをずっと見てたら、ね、出てきたんだけど、ぼくの年って何歳ぐらいに
なったか聞いてみるからね。ぼくの年だけね。一班は?まだ。二班は?
C9 5∼6歳。
T10
5∼6歳ね。ぼくだよ。三班は?まだ。四班。
C10
9歳くらい。
− 57 −
T11
(五班を指して)ここ。
C11
13歳。
T12 ちょっと静かにしてね。そこなんだっけ、じゅう…。9歳。13歳。(六班を指して)そ
こは?13歳。(七班を指して)ここは?
C12
12歳。
T13
(八班を指す)
C13
12歳。
T14
12歳。ということは…。ちょっと話やめて。誰も、ぼくとみわとゆうこだっけ、は兄
妹だと思ってますね。兄妹っていう関係じゃないと想像した人はいない?みんな兄妹だっ
ていう関係を想像しました?はい伊藤君は?
C14
お父さんだと思う。
T15
お父さんだと思う。みわという子のお父さんだと思う。お父さんだと思う人いない?
ああいるね。いるね。はい、本当かどうかは知りませんが、兄妹ではないですね。これも
う、みわという子とぼくが兄妹だと思うのと、お父さんだと思うのでは、これはちょっと
違う、これはお父さんなんだよ。はいじゃあ続けて。
3/3 刺激回想記録
(C7について−2)
T それから、この画面では見えないんですが、一番前の端の男の子が、「ぼくは、ぼくと
みわとゆうこは兄妹である」っていうように、1行書いたんですね。そのことを見て、私
この授業を2年前に同じ学年を持ちましたので、それでやったときに、やっぱり兄妹であ
るっていう想像をした子が多かったっていうことを思い出したんです。それでこのクラス
の場合はどうかなというということで、それから文で書いてある子どもには、年齢を聞き
ながら、小さな声でやりとりをしていったんですが、やっぱり相変わらず兄妹であると思
っている子が圧倒的に多くて、じゃあこれはグループで話し合ったら何とかなるかなとも
思いまして、まだそれは放っておいたんですが…。
(C7について−4)
T 今質問をしている子も、読み取りは深い方の子なんですが、やっぱりぼくのことは兄妹
だと思ってたことがノートに文で書いてありましたので、尋ねてみるとあれっ?ていう感
じで、考えを新たにしてくれるかと思ったんですが…、そういう場面です。
(C8について−1)
T 想像と言っても、文章に即さない、合わない想像では単なる想像ですので、国語の時間
ですから、文章のどの辺から想像したのか、どういうことを想像したのかっていうことが
わかるように、グループになったときに、もし想像が食い違ったときには、その詩のどこ
の表現からそう思ったのかがわかるように話し合いをさせようと思いまして、グループを
歩きながら、どこからわかるのかっていうことを、言うように、指導するように尋ねて、
− 58 −
質問しながら行きました。
(C8について−2)
T どこのグループを回っても、やっぱりぼくは兄妹に近い年代なんですね。やっぱり親子
っていう関係を捉えているグループはどこにもないですね。だからきっと、もう少したっ
たら、これはこちらから親子であるっていうことを言っておかないと、これからの先がち
ょっと思いやられるなあって、思っていると思います。
(C8について−3)
T このグループもやっぱりぼくを兄妹だと捉えていて、あの水色の男の子などは、畑仕事
は9歳でできるって言うんですよ。したことあるのって聞いたら、ぼくはしたって言うん
ですよね。
(T15について)
T 親子と思っていたのは3人だけでしたね。
3/4 場面の考察
本事例は、詩教材「ぼくの家だけあかりがともらない」の解釈をめぐる第一次の授業場面
である。予定では、「ぼくのいる場所、仕事」・「みわ、ゆうこは何歳くらいか」・「台所のこ
しかけとは」・「ちゃぶ台とは」・「どんな電気なのだろう」・「何時頃だろう」・「ぼくはどんな
生活をしているのだろう」・「ぼくはどんな気持ちか」等の項目について教師が机間巡視しな
がら想像させ、詩のどの表現から想像したのか、根拠を明らかにしておくように援助するこ
とを指導の目標とした場面であった(学習指導案による)
。
ところが、机間指導中に一人の男の子が示した理解をきっかけとして、教師は2年前の授
業でも「ぼく」と「みわ、ゆうこ」は兄妹であると想像した子どもが多かったことを思い出
すのである。そこで、「ぼく」の年齢や「みわ、ゆうこ」との関係に着目しながら小声でや
りとりをしていくが、このクラスの場合もほとんどの子どもが「ぼくとみわ、ゆうこ」は兄
妹であると考えていることを知る。しかし、教師にとって「ぼく」がみわとゆうこの父親で
あることはどうしても出して欲しいことであった。そのため、もともと指導案にはなかった
「ぼくの年齢」をも含め、クラス全体に想像するポイントを再呈示し、グループ別の話し合
いへと授業形態を移行するのである。
刺激回想記録によれば、個別作業を切り上げグループ学習へと授業形態を移行させた背景
には、「もし想像が食い違ったときには、その詩のどこの表現からそう思ったのかがわかる
ように話し合いをさせよう」と思ったこと、すなわち、グループになれば他の児童の考えに
触発されて「ぼく」と「みわ、ゆうこ」に関する誤った解釈が是正されるのではないかとい
う教師の意図と期待があったことがうかがえる。しかし、実際には、授業形態の変更によっ
ても「ぼく」は依然として「みわとゆうこ」の兄であった。つまり、「どこのグループを回
っても、やっぱりぼくは兄妹に近い年代」であり、「親子っていう関係を捉えているグルー
プはどこにも」なかったのである。そこで教師は「これはこちらから親子であるっていうこ
− 59 −
とを言っておかないと、これからの先がちょっと思いやられるなあ」と思い、一旦子どもた
ちの話し合いを中断させて、先ず「ぼくの年」だけをクラス全体の問題として取り上げるの
である。だが、応答を繰り返すなかでも、「ぼく」が父親に近い年齢であることを答えるグ
ループはどこにもなかった。後に教師はこの場面を振り返り、次のように述べている。
やっぱりグループになっても、相変わらずぼくが10歳だとか、13歳だとか、これでこ
のまま行っては、今後の読み取りって言いますか、想像、詩から読み取るっていうイメ
ージが違ってくるなと思いましたから、あの時はここではっきりさせておかないと、こ
れからに関わってくることだからと思いまして、一斉に、実は、実はって言うのはおか
しいんですけど、親子なんだよっていうことを言いました。(刺激回想記録による)
この教師は、同じ刺激回想記録のなかで、「想像と言っても、文章に即さない、合わない
想像では単なる想像ですので、国語の時間ですから、文章のどの辺から想像したのか、どう
いうことを想像したのかっていうことがわかる」ことが必要だと述べている。けれども、実
際の授業場面では、「これでこのまま行っては、……詩から読み取るっていうことがイメー
ジが違ってくる」、
「ここではっきりさせておかないと、これからに関わってくることだから」
と思うだけで、「ぼく」がお父さんであることの具体的な理由はなにも説明していない。す
なわち、一人ひとりに改めて聞くなかで、ようやく「お父さんだと思う。(C14)」と答える
子どもが出てくると一気に「これはお父さんなんだよ。」と結論づけてしまうのである(3)。
4.Stimulated Recall Method の特性─効果と制約─
前項において考察したように、刺激回想法による授業解釈は、外観による行動分析だけで
は把握することのできない教師の即時的な思考、すなわち、授業中、教師が何を思い巡らし
どのような判断の下にある対応行動を選択したのか、を検討する手段になりえる。一般に、
授業は経験的、常識的に想定される何らかの原理によって展開するにしても、その授業が個
性ある授業者によって営まれる以上、授業展開そのものはその個性的な教師の判断と経験と
によって導かれざるを得ない。しかし、こうした手法を授業の分析に用いれば、個々の場面
における一回的な教師の思考の背景に存在する「授業者側の論理」(当該場面において、な
ぜ授業者はそうした意思決定を行ったのか)を第三者ができるだけ客観的な形で推測し得る
という利点が生まれる。加えて、学級全体を対象とした授業記録の採取方法では欠落しがち
な個別指導やグループ学習時における授業者の意思決定の内実や、机間巡視などの非言語行
動中の情報及び判断をも検討の範囲に含めることが可能となる。
一方で、刺激回想法は、現時点(回想を行っている現在思考時)における相互作用中の教
(3) 本時における授業者の教材解釈に関わる背景及びその理由については、渡部(1995)参照
− 60 −
師の思考(授業時の思考)を直接の対象とはするが、方法論上、長考が可能であるという性
格を併せ持つため、相互作用中の即時的な教師の思考の抽出のみならず、時として授業計画
や学級経営に関する思考の一部も回想に反映されることがある。例えば、
I 時々作業やっている時に、机間巡視を先生がされるような場面があったかと思うんで
すけど、机間巡視をされるような時に、例えば順番誰から見ていこうかとか、何かそう
いうのってありますでしょうか?
T 机間巡視はありますねえ。……手のかからない子ってやっぱりいるわけですよね。ま
あ学習の内容なんかによるんですけど、すごく時間のかかったりする子だとかあるから、
この子から見ていこうってとかっていうのはあります。あるいはこの子とこの子は欠か
さず見ていこうとか。例えば、ここの列の左側の一番後ろにいるK君、今日は全然見も
しなかったんですが、算数の授業なんかをすると、ちょっと計算が苦手だったりするん
ですよね。なので、彼は必ず見ようとか、真ん中の前の方にSさんっていう子がいるん
ですけど、そういうふうな技能的に能力のまあ、やや低い子っていうか、まだその達し
てないような子は見ようかなあとかっていうのはありますね。
I そうするとやっぱり、どちらかというと能力的に上の子よりは、ちょっとどうだろう
かと、心配だなあという子の所に机間巡視っていう場面では目が行きますか。
T そうですね、最初はもうそうですね。ただ、その活動が何をしているかにもよると思
うんですよね。例えば、ある問題を解いているとなればそうですし、でも何かこう自分
のアイディアを書き出しているというのであれば、そこで書いたものが次の発言ってい
うか授業につながっていくわけですよね。そうなると、誰が何書いたかなっていうのを
こっちがどれぐらい把握するかが大事になってくるんで、まあそういう時はできるだけ
万遍なくさっと見て、で、ああいうI君みたいに次につながるような発言をしてくれる
子なんかもいますから、そういう子なんかは意識して今なに書いてるかなってちょっと
見たり、するのはあります。あと、言葉にはなるんだけど文章にはならない子もいます
よね。そういう子なんかの場合にはこう、まあA君なんか正にそうなんだけど、脇でち
ょっと聞いててあげると、あっそうかってこう書けたりしますからわかりますけど。た
だ、限界がありますよね、どう考えても。今日だって、ああやってたって目が行き届い
てない子っていっぱいいるわけですよ、正直な話。難しいなとは思います。……なんで、
そういうのも考えて今座席は僕が決めてるんですね。で、時々自由に動くときはあるん
ですけど、それは意識して席は決めます。こういう子はちょっと前に置いておこうとか。
上記の記録は、物語文学習中の机間巡視に関わる場面回想の一部である。この事例におい
て、教師が机間支援中に観察や助言を行った際の意思決定について考察すると、次の2点を
挙げることができよう。第一は、性格的あるいは能力的にやや不安のある子たちが、学習に
うまく参加できるよう配慮を怠らないことである。そうした教師の意識は、「ちょっと計算
− 61 −
が苦手」「技能的に能力がやや低い子」といった児童に対する行動に端的に示されている。
教師のこのような児童把握が、机間支援中における特定の児童の観察や理解促進のための援
助という行動に結びつくのである。
第二は、課題内容に応じた机間支援中の教師の情報収集のあり方である。事例において教
師は、能力的に不安がある子どもの観察を行うだけではなく、場合によっては児童全員の考
えを把握しようと努めている。また、それと同時に児童の優れた考えを収集しようともして
いる。それは、「自分のアイディアを書き出しているというのであれば……誰が何書いたか
なっていうのをこっちがどれぐらい把握するかが大事……そういう時はできるだけ万遍なく
さっと見て」「I君みたいに次につながるような発言をしてくれる子……そういう子なんか
は意識して」という発言からも明らかである。このような優れた考えを把握しようとする意
思決定は、児童全員への目配りや積極的な評価を与えられる児童の観察という行動をもたら
す。同時に、そういった意思決定のありようは、その後の授業展開や教授行動へも影響を及
ぼす。すなわち、児童の意見分布や傾向の把握による指名、発問の組み立てなど授業時間内
における即時的な意思決定がそれである。
刺激回想法による授業解釈は、これらの他にも様々な状況や場面で応用が可能である反面、
聞き手が自ら必要とする情報を話し手から質問によって引き出すというインタビューの手法
とは性質を異にするため、収集するデータが必ずしも授業に関する即時的な意思決定とは限
らない、という制約も一方には存在する(例えば、児童特性を考慮した座席順の決定などに
関する上記の回想内容は、日常的な学級経営に関する思考の一部であり、当該場面における
意思決定の再現とは次元を異にしている)。次項において言及する、内省報告における意識
化と合理化の問題、語るという行為と回想の二重性思考のメカニズムもまた、この手法を授
業研究に用いる場合には十二分に顧慮しなければならない課題であろう。
5.内省法としての Stimulated Recall Method ─内省報告における意識化と合理化─
一般に、授業分析を行うに際して、個人の内的過程を外化させるため授業記録と併せて授
業者や学習者の内省報告を資料として用いることがあるが、本項以降では刺激回想法を含む
広い意味での内省法が内包する問題について2つの点から検討する。内省報告自体は、授業
の現象的記述を量的に分析するだけでは解き明かすことができない内面化された思考を明ら
かにする上で重要な意味を持つが、しばしば意識化(4)と合理化という2つのことで問題を指
摘されてきた。例えば、佐藤他(1990)が Stimulated Recall Method の限界として指摘した
「授業後に既に反省され概括された観念にもとづいて思考活動が想起されるため、データの
(4) 本稿では、意識化というタームを次の2つの意味で用いる。第1は意識できることしか答えら
れないという判断の確実性に関わることで、第2は思い出せることしか答えられないという思
考の再現性に関することである。
− 62 −
記録自体に忘却と合理化のバイアスが入るほか、未知の不確定な状況で行われる選択や判断
の実践的な思考をそのままでは反映しない」という言説や藤川(2002)の以下の指摘は、そう
した問題を端的に言い表している。
人の瞬時の判断は、言葉にそのまま置き換えられるようなものではない。いろいろな
思いが同時並行で浮かんでくるものであり、一つ一つの根拠を意識することなく、半ば
直感的に意思決定するものであろう。しかも、授業中の各場面で何を考えていたかを、
教師が正確に記憶しているとは考えにくい。記憶は、時間とともに整理されていくもの
であるので、授業後に聞けるにはすでに整理された記憶ということになる。
そのため、これまでも記憶の加工や回想の不確実性に関するバイアスを減ずるための工夫
は種々講じられてきた。渡邊(1991)は、場面の回想範囲・回想行為の自由度・音声映像記録
の再生制御者という構成要素から成る8バージョンの Stimulated Recall Method に関して、
反省的思考に基づく述懐を減ずる様式選択を次のように述べている。
教師が音声映像記録内容全部の再生を制御して自らその再生内容について自由に話を
すると、教師は再生された自らの行為時の思考を思い返すよりもその行為の弁明をしが
ちになる。それに対し、研究者が音声映像記録内容全部の再生を制御してその再生内容
に関する研究者の質問について教師が答えるようにすると、教師は再生された自らの行
為時の思考を思い返して話すようになる。
上記の指摘は、VTR 再生と授業者の回想自由度を研究者が統御し、かつ、場面の回想範
囲を特定の箇所に限定しないことによって、回想者の自己防衛的な恣意性を低め、出来る限
り授業時の即時的な思考を授業全体の回想に反映させようという意図による。
また、一方で、授業中の教師は目前の事態に臨機に対応することを必然的に求められるた
め、限られた時間の中で判断をしなければならないという特性を持つ。したがって、授業後
に自らの思考を振り返って、場面に関わる即時的な意思決定を再現しようと思っても、瞬時
に判断した直感的な選択を整合性のある論理でいつも説明できるわけではない。しかし、例
えば、必ずしも論理的に説明できるとは限らない瞬時の直感的選択であっても、あるいは、
教師に明確に自覚化されず、それゆえ言葉でその判断を具体的に説明できない場合があった
としても、その行動が特定の状況下で繰り返し現れるのならば、それはその状況と当該行動
の組み合わせを是認する性向が当の教師の内面に存在するからに他ならない。実際、山田
(1993)は、こうしたある意味ルーティン的な行動自体が「教師自身による言明と同様に、教
師の内なる思考の表現の一形態」なのだと述べ、「教師各人の判断をぬきにしてはルーティ
ンを形成することも形成されたルーティンを保持し続けることも不可能」であることを指摘
している。そうした意味で、ある行動が特定の状況下で反復されるという背景には、当事者
− 63 −
の意識がどうであれ当該行動の選択と実行に関わる授業者の潜在的で能動的な関与があるの
であり、授業研究では、それを授業の文脈に位置付けて吟味することによって、不確定な状
況下における曖昧な思考や必ずしも明確に言表しかねる判断のあぶり出しを行なうことも分
析の対象に含めてきたのである。
6.語るという行為と回想の二重性思考
上述したように、内省報告の実施に当たっては、これまでも自己防衛的な恣意性の低減の
他、回想内容を授業評価のために用いない等の措置を講ずることによって合理化のバイアス
を減ずるなど、様々な配慮がなされてきた。また、それに加えて、状況と行動の関係性を授
業という文脈の中に位置付けて考察することで不確定な状況下における曖昧な思考を顕在化
させるなどの手法も工夫されてきた。しかし、内省報告にはさらに聞くという行為がもたら
すもう一つの問題が存在する。それは、聞き手がどのようなスタンスで回想者に接し、どの
ように回想を引き出すのかという問題である。有澤(2001)は、「いわゆる科学的な分析や分
類を目指す観察者の質問は、勢い厳しい追求型になりがち」で、「すべての項目について曖
昧さを出来るだけ排除しようとしがちである」と述べ、問いのあり方に関する問題提起を行
っている。こうしたことは、授業者や学習者に内省報告を求める場合にしばしば起こりがち
であるが、回想者から具体的な答えを引き出し、なるべく詳しくその背景を探り出したいと
いうスタンスが形成される理由の一つは、観察者が現象をどのように解釈し理解しようとし
ているのかという点に関わる推測の確実性にあると言ってよい。例えば、「事実を切り取る
ためにはつねに主観が必要であり、また、何かを伝えるということは、裏返せば何かを伝え
ないということでもある」というメディア・リテラシーについての菅谷(2000)の指摘同様、
観察者が現象をどのように捉え、その場面をいかに解釈するのかという問題は、基本的には
授業観察者の主観による。眼前の事象のどの面に着目し、そこにどんな意味を見出すのかの
結果は、すべての観察者にとって同じであるとは限らない。すなわち、授業事象の捉えその
ものがこのような観察者のフィルターを通したものであるがゆえに、観察者自ら場面の解釈
や行為の推測に確実性を与えようとすると、どうしても回想者に物事の因果関係や行為の意
図を語らせたくなるのだと思われる。二杉(2002)の「意味のある事実と見なすかどうかは、
記録者によって異なる。記録者の見ようとすることだけが見える」という言及も、本質的に
は観察者や記録者が自らの主観という縛りからは免れ得ないことを示したものだと言えよ
う。
さて、その一方で、回想者が授業後に自らの思考を振り返って授業時の意図や判断を話す
という行為は、過去に遡って思考を再現するという点でメタ的な思考であるが、渡邊(1991)
は、そのメカニズムについて次のように述べている。
原則的には、過去の思考(過去思考)の展開を現在の思考(現在思考)で再展開する
− 64 −
ことになり、そこでは、思考者自身が、メタ思考レベルで現在思考と過去思考を区分し、
現在思考の原点を、メタ思考現在時(=現在思考時)ではなく、区分された過去思考時
に置く、という、かなり微妙で複雑な思考の枠組みを構成することになる。メタ思考レ
ベルにおけるこの枠組みの構成は、自らの思考作用だけで上手にバランスをとりながら
行うきわめて不安定な事象となる。そこでは、思考者は、メタ思考現在時のその不安定
な枠組み構成のなかで過去の思考展開を抽出しなければならない、という高度な(しか
し不安定な)二重性思考をめぐらすことになる。
つまり、回想で展開される思考は、過去思考の再現もしくは抽出という点で基本的にメタ
的でなければならず、本来、授業時の行為をきっかけとした現在思考であってはならない。
授業時の思考を振り返る時、その行為を過去思考の再現として現在発話で語るという行為と、
現在思考としてその行為の意味を考え発話するという行為は次元が異なる。にもかかわらず、
しばしば回想者の二重性思考が授業時の過去思考の再現や抽出から離れ、現在という時間の
文脈の中で行為の意味にひたすら思考をめぐらし、その解釈を行いがちになるのは、メタ思
考の枠組み自体の不安定さと、回想者に対し聞き手が過去思考の展開に関する論理や因果関
係を問おうとする、その姿勢に原因があると考えられる。はっきりさせるために聞く、ある
いは、わかろうとするために聞くという行為は、回想者が授業時の過去思考の再現や抽出を
行う行為とほぼ等しい場合もあれば、授業後の現在思考で授業中の判断や行為の意味を考え
るという回想者の行為と等価である場合もある(5)。実は、そうした点で、聞くという行為は、
観察者が捉えた授業の輪郭を明確にし、場面の解釈や行為の推測に確実性を与えるという働
きと、反対に回想者の過去思考の再現を妨げ現在思考で当該行為の意味の表出を促しやすい
という逆の作用を内在させているのである。
※内省報告における聞き手のスタンスと話者のメタ認知、内省報告の二面性と内省条件に関
わる詳しい記述は、渡部(2009)をご参照下さい。
引用文献
Bloom, B. S. (1954) The thought processes of students in discussion. In S. J. French (Ed.),
Accent on Teaching : Experiments in General Education, Harper Bros, New York
有澤俊太郎(2001)「国語科授業研究の一方法としての『聞き取り法』について」,『国語科の
実践構想─授業研究の方法と可能性─』,pp. 85−92.
藤川大祐(2002)「授業分析の方法」,『授業分析の基礎技術』,pp. 31−109, 学事出版
二杉孝司(2002)「授業分析の教育学」,『授業分析の基礎技術』,pp. 9−29, 学事出版
佐藤学・岩川直樹・秋田喜代美(1990)「教師の実践的思考様式に関する研究(1)─熟練教師
(5) このような意味で、内省報告における回想は二面性を有している。
− 65 −
と新任教師のモニタリングの比較を中心に─」,『東京大学教育学部紀要』第30巻,pp.
177−198
菅谷明子(2000)『メディア・リテラシー─世界の現場から─』岩波新書
山田雅彦(1993)「教師の信念の論理構造」,『授業における教師の意思決定に関する実証的研
究』(その2),pp. 61−72,筑波大学教育学系
渡邊光雄(1991)「教師の意思決定に関する研究方法について」,『授業における教師の意思決
定に関する予備的考察─付・授業における「問い」に関する総合的研究蠶─』,pp. 61−65,
筑波大学教育学系
渡部洋一郎(1995)「教材解釈と教師の意思決定─『ぼくの家だけあかりがともらない』:授
業の事例分析と教材解釈の背景─」,『授業における教師の意思決定に関する実証的研究
(その4)』,pp. 31−43,筑波大学教育学系
渡部洋一郎(1999)「教師の心理─刺激回想法による授業時の意思決定解釈─」,『月刊国語教
育研究』No. 323,pp. 54−59,日本国語教育学会
渡部洋一郎(2009)「授業における状況描写と内省報告─記録者の視点と回想行為の二面
性─」,『上越教育大学 国語研究』第23号,pp. 1−14,上越教育大学国語教育学会
− 66 −
第4節 分析事例(3)
─予測不可能事象の分析から─
藤森 裕治
0.はじめに
日々の授業は、予期せぬ出来事に満ちている。対話や話し合いを重視した授業が、教師の
シナリオ通りに進行することはまずない。このことは、経験を積んだ教師であれば誰もが認
めるところであろう(1)。
とはいえ、一部の教師は、予期せぬ出来事に遭遇しても、その後の授業のコミュニケーシ
ョンをねらい通りに展開させることができるという感覚をもっている。授業の進め方につい
て豊富なレパートリーを持っており、似たような過去の出来事を参照しながら、予測とは異
なる展開になっても臨機応変に対応することができるからである(Shulman, 2004)。それら
の知識やレパートリーが利用可能な状態で豊富に蓄えられている教師を、我々はベテランと
呼ぶ。「授業」という予期せぬ出来事に満ちた海に漂いながら、所期の目的地に到達するた
めの航路を見失わない力量。そのような実践的力量を備えたベテラン教師として充実するこ
とが、授業研究における目的の一つであることに、さしあたり異論はない。
しかしながら、どれほど経験を積んだ教師であっても、参加者の主体的な活動を重視した
授業を目指す限り、予期せぬ出来事との遭遇から解放されることはない。むしろ、授業展開
に対する教師の予測能力や対応能力が上がれば、それだけ発生する予期せぬ出来事から受け
る衝撃は大きくなり、当事者に強い葛藤をもたらすことになる。そしてそのうちのあるもの
は、主体がこれまで当然のことと認識していた教材解釈に揺さぶりをかけ、時には授業観や
学習者観までも見直させる事態をもたらす。
このような出来事は、教育学研究の世界では「ずれ・ズレ」、「予想外反応」、「事件」など
と呼ばれ、長く研究課題として取り上げられてきた。そこにおける基本的な問題関心は、教
師がそれらの出来事を通して何を学んでいるか、あるいは学ぶべきかにある。本節で示す事
例の1は、これら先行する教育学研究の延長線にある。すなわち、授業組織者としての役割
と責任をもった教師が経験する予期せぬ出来事を取り上げる。
一方、事例の2は、これまでの先行研究では言及されなかった出来事を取り上げている。
それは、授業のコミュニケーションにかかわるもう一つの主体、すなわち学習者にとっての
予期せぬ出来事である。授業が「学びの共同体(community of learners)」としての性格を
帯び、授業参加者の対話を重視して進む状況下では、学習者も授業コミュニケーションの主
(1) ルーマン(2004)は対人コミュニケーションには二重の不確定性(double contingency)がある
ためと説明している。
− 67 −
体として自立した面を有する。その際、学び手である彼らがどのような出来事に遭遇し、動
揺し、葛藤し、それを機に自らの学びを省察しているかを観察することは、授業のコミュニ
ケーションをより生態的に把握するために重要な作業である。我々が授業をいかなる行為と
して把握すればよいかという問いに、有効な示唆を与えることが期待されるのである。
1.予測不可能事象とは何か
教育実践場面において、教師や学習者の予期・予想・期待等の範囲を超えて生起した事実
のうち、当人に葛藤をもたらし、教材解釈や授業展開のあり方等に対する省察や見直しを促
す事象を、本節では「予測不可能事象(2)」と呼ぶ。
予測不可能事象が発生する過程は、以下のように説明される。
1)
ある話題に基づくコミュニケーションが行われる。
2)
主体は、心内にその話題に基
づくコミュニケーションとして
予測可能な枠組み(schema)
を形成しており、今、ここで行
われているコミュニケーション
がこの後も期待通りに維持され
るだろうという見通しをもって
コミュニケーションを続ける。
3)
主体が形成した予測可能な枠
組みから逸脱したコミュニケー
fig. 1.予測不可能事象の発生
ション行為が観察され、主体に
認知的葛藤を与える(fig. 1)。
4)
主体は認知的葛藤を通してこ
れまでのコミュニケーションを
省察し、予測可能な枠組みとし
ていた従来の認識を吟味する。
5)
上の過程を通して、当初は逸
脱したと思われていたコミュニ
ケーション行為の意味が問い直
され、所期の話題に関連した新
fig. 2.予測不可能事象の認知効果
たな枠組みを形成する(fig. 2)。
以上の過程は授業の進行と並行して即興的になされる場合もあれば、授業後にじっくりと
時間をかけてなされる場合もある。これらはいくたびも経験され、主体の対象理解を更新し
(2) 詳細は藤森(2009)参照
− 68 −
てゆく。
本節が採用する研究方法論は事例研究法(Shulman, 2004)である。事例研究法では個別
で具体的な実践事例を取り上げ、そこにおける予測不可能事象の実相を詳細に分析する。実
践データは談話分析(ザトラウスキー, 1993;メイナード, 1997)及びエスノグラフィ(平
山, 1997;マーネン, 1999;茂呂, 2001;デンジン・リンカン, 2006他)の手法を用いて収集・
分析し、予期せぬ出来事が授業のコミュニケーションにどのような影響を与え、主体にどの
ような葛藤と省察をもたらしていたかを解釈する。
2.予測不可能事象に着目した授業研究の実際と成果
2.1.事例研究(3)
(1)事例の概要
平成16年5月25日に行われたN県N市立J小学校5年生(21名)における詩の学習指導で
ある。担任のO先生は教員経験年数25年を超え、N県の国語教育研究会理事やN市の国語教
育研究会幹事などを歴任し、J小学校の研究主任として同僚教員のリーダー的存在である。
教員の長期大学院派遣研修(上越教育大学大学院)も経験し、所属校の校長によれば、実
践・研究共に厚みのある小学校教員として高く評価されている。
授業研究として参加した5年生は、4年の春にクラス替えをしてそのまま持ち上がり、卒
業までこのままである。O先生は当該学級の担任であり、学年代表を兼務している。この日
の教材は三木露風の「晴れ間」という文語詩で、平成14年度版光村図書の教科書に採録され
ているものである。以下に教材文を掲載する。
│
│
O先生の学習指導案によれば、授業は、以下のように構想されている。
① 前時の学習課題(この詩はなぜ三つの連をなしているか)の確認
② 本時の学習課題(三つの連の違いは何か)の確認
③ 音読と個人追究
④ 三つの連における違いの考察
潸 『晴間』という題でなぜ雨のことが書いてあるかについての考察
⑥ まとめ
− 69 −
実際に観察された授業は以下のような流れであった(3)(table. 1)。第6分節までは当初の
計画通りに展開しているが、第7分節以降は計画外の活動が採用され、事実上当初計画のう
ちの潸に該当する活動は行われていない。
(2)予測不可能事象の生成される場面
授業では、まず、複数の種類の音読活動を行っている。続いて前時の学習内容として、な
ぜこの詩は三つの連をなしているかが問い直され、「一連の天候の変化が、『ハリー・ポッタ
ー』のような物語(オムニバス形式)で描かれているから」という趣旨の回答が、8人の子
どもたちから示されている。次に、教師から本時の課題として「三つの連の違いは何か」と
いう問いが示され、子どもたちにしばらく考える時間が与えられた後、前提として三つの連
の共通点は何かが問いかけられる。この時点で共通理解されたのは次の二点である。
・いずれも8月の山を舞台としていること。
・昼間の出来事であること。
これらは板書され、子どもたちはこの共通点を踏まえた上でそれぞれの相違点を示すこと
が条件付けられた。
table. 1:授業の流れ
時間経過 分節 活動内容
0分35秒
1
教材詩の斉読
1分38秒
2
前時の学習内容(この詩はなぜ三つの連をなしているか)の確認
3分07秒
3
本時の学習課題の確認のための話し合い
8分59秒
4
教材詩の個人音読
12分00秒
5
教材詩の斉読
12分55秒
6
本時の学習課題(三つの連の違いは何か)の提示
14分17秒
6-1
三つの連の共通点に関する意見交換
18分59秒
6-2
三つの連の相違点に関する意見交換。
26分42秒
6-2-1
三つの連の違いについての意見交換
26分42秒
6-2-2
教材詩の時間経過についての意見交換
32分17秒
6-2-3
時間経過に関する意見の集約
32分55秒
6-2-4
本文の一斉音読
33分58秒
6-2-5
時間経過について対立する見解をめぐっての議論
37分16秒
7 土曜日に雷雨があった話題
37分32秒
7-1
子どもたちによる体験談の紹介
39分45秒
7-2
遠雷を聞いたかという問い
40分10秒
7-3
詩の解釈への適用
40分29秒
8 本時のまとめ
40分51秒
8-1
学習成果の発表
40分58秒
8-2
次時の予告
(3) 重松(1975)の分節化による授業記述法を用いた。
− 70 −
予測不可能事象は、6-2-1分節で発生している。この分節で、当初、子どもたちは三つの
連の違いとして次のような内容を指摘していた。
・雷の音と雨の降り方で変化している。
・第一連「明るみに」/第二連「草は鳴り」/第三連「空青み」
・第一連「小雨」/第二連雨がたくさん降っている/第三連で雨がやむ。
・雷の音が近づく描写から雨がだんだん強くなっていることがわかる。
これらは教師が予測し、かつ指摘されることを求めていた内容である。ところがこの直後
に、教室の廊下側最前列にいた男子児童Aが次のように発言する。
「天気の変化はみんなの言うとおりだが、第二連は違う日にちだと思う。」
教師は、この発言を受けた瞬間、眉をひそめ、「どうですか?みなさん」と子どもたちに
問いかけている。これを受け、直ちに4人の子どもが反対意見を述べる。
ところが、教室の窓側最後尾にいた男子児童Bは、5人目の発言として次のように述べて
いる。
「僕も三木露風が体験した二日間の出来事だと思う。第一連は一日目の昼で、第二連は二
日目の昼で、第三連は『をりからに(ちょうどそのとき)』という語句があるので同じ日。」
この発言を契機に、教室では「晴れ間」の詩を同日の出来事とする子どもと二日間の出来
事とする子どもとが交互に自分の意見を主張し合い、紛糾した。そこで、教師は第6-2-3分
節で発言を制止し、子どもたちに挙手を求める形で全体傾向を把握する。すると、子どもた
ちの意見は次のような結果となった。
・第一連と第二連は同日:8名
・第一連と第二連は別の日:7名
・挙手せず:6名
この結果を見て、教師は、
「困ったなあ……。どうしようかなあ」
とつぶやきながら、考え込んでいる。
(3)葛藤と省察
授業直後の教師インタビューによると、上の事象がもたらした葛藤は次のように説明され
ている。
8月の山の昼の出来事だという共通認識に基づいて三つの連の違いを指摘させていたの
で、A児がこれを二日間にわたる出来事だと指摘しても、他の子どもによって直ちに修正さ
れるはずだと思っていた。ところが、B児がA児に賛同するという予想外の事態が起きてし
まった。A児もB児もこの学級のリーダー格であり、いつもなら相手の意見に反対すること
が多いのだが、二人が同意見になってしまうと、これに同調する子どもが増えるだろうと思
われた。案の定、子どもたちに意見を問うと、二日間の出来事とする子どもが学級の半数に
及んでしまい、これを無視して計画の潸に進むことはできないと判断した。しかし、このま
− 71 −
ま話し合いを続けても彼らの誤読が修正されることは難しいと思われ、どのように立て直す
かで当惑してしまった。
この葛藤の中で、O先生は第6分節の展開を中止し、新たな活動として第7分節に移行す
る。第7分節では先週の土曜日に落雷があった話題を出している。この話題に該当する当日、
子どもたちの一部は特別活動で登校しており、体育館にいた。また、一部は自宅にいた。授
業ではそれぞれの体験談が紹介され、その中で、A児からも「はじめ遠くで雷がなっていて、
そのうちにすごい雨が降って雷も落ちた。けれどすぐにやんだ」という発言が出ている。
この発言を確認すると、教師は、再び詩の解釈にもどり、
「…ということは、この詩でも、最初は遠くに聞こえていた雷が、近くに来て、まもなく
通り過ぎていった。つまり同じ日の出来事だと考えていいかい?」
と述べて授業のまとめへと進んでゆく。
(4)示唆される知見
以上の経過をみると、A児の発言に端を発した予測不可能事象は、潸への展開を破棄する
という選択を教師にもたらしつつも、教材詩の設定について実体験をもとにより的確に理解
するという流れをもって一応の収束をみている。比喩的に言えば、予測不可能事象という氷
山が授業計画の航路に出現し、一時航行不能に陥ったが、教師の機転によって別の航路が見
出され、元の進路に復帰したということである。20年以上の経験年数を重ねた教師が、いか
に豊富なレパートリーをもって授業に対応しているかが示唆されよう。
しかしながら、本時の予測不可能事象がもたらした授業展開の変更は、単に教師の実践的
力量における「即興性」の意義を再確認するにとどまらない。見方を変えれば、A児の発言
で攪乱されることなく計画潸の段階に進んでいたら、詩の理解にとって重要な過程が見落と
されていたとさえ言うことができるからである。この点について、以下に述べる。
本時の教材詩は、夏山でみられる日中の雷雨を描写した文語詩であり、教材としての価値
は、短時間で著しく変化する山の気候が簡潔で清澄な文語表現によって捉えられているとこ
ろにある。読者がその味わいを理解するためには、該当の雷雨がどのようなものであるかを
想像できることが、必須の条件となる。この条件を満たすためには、読者自らの生活で類似
の経験を出力する作業が重要な活動となる。それなしにこの詩を理解することは、小学校5
年の国語科における教科内容として適切とは言えず、叙景詩を味わう意味が成り立たない。
A児らの誤読は、自己の類似経験を参照することなく、詩の言語表現を手がかりに観念的な
読みを試みた結果であったと思われる。幸いにもそれが表面化したことで、教師は子どもた
ちが日常生活で体験した日中の雷雨の話題を出すに至っている。
この意味で、当該の予測不可能事象は、叙景詩を解釈する際に当然経るべき過程、すなわ
ち読者の生活経験に対応させてテクストの情景を想像するという過程を学習活動の中に取り
入れさせたことになる。
− 72 −
2.2.事例研究2
(1)事例の概要
平成17年12月5日に行われたN県S市立N小学校6年生(38名)における詩の学習指導で
ある。授業者は担任のK先生ではなく、外部講師の招待授業として筆者が行った。K先生は
4年生から同学級の担任であり、この間学級編成は変わっていない。子どもたちは3年間に
わたってK先生の授業を受けており、そこで設定されているルールや学習活動の様式が基本
的な授業の姿であると認めている。ここに外部講師として筆者が参加することにより、子ど
もたちは通常の授業とは異なるルールや学習活動を経験することになる。もとより授業者が
異なるわけであるから、子どもたちは、筆者とのコミュニケーションによって経験される授
業のルールや学習活動がK先生のそれとは異なっているという前提で臨むはずであり、随所
に違和感を覚えることは当然ながら予測される。ここでは、そうした違いについての認識は
取り上げない。問題とするのは、通常とは異なる環境設定で行われることを前提としてもな
お、子どもたちに強い認知的葛藤をもたらす事象である。そしてその事象の発生と省察の様
相を、小学生は語り得るかという点である。
以下に教材詩を示す。
授業の展開過程は以下の通りである(table. 2)。
(2)予測不可能事象の生成される場面
授業終了から10日後、4人の児童の協力を得て「振り返り調査」を行った。方法は、刺激
回想法とストップ・モーション法を併用した。筆者と協力児童とで授業の記録 VTR を視聴
し、児童に当時感じたことを自由に述べさせるのと同時に、筆者が随時 VTR を一時停止さ
せて該当場面での状況を尋ねた。所要時間は3時間である。
その中で把捉された予測不可能事象として典型的なものは、以下の事例である。
協力者のC(男児)は、個別学習と机間巡視の場面について、次のように述べている。
藤森先生の場合だと、個別の学習の時に{机間巡視で}見に回ってきて、いいやつを
見つけて紹介したりする。K先生の場合だと、机の前に自分たちが持って行って、その
中でいいものを選ぶ方法をとる。藤森先生の場合だと、{机間巡視で}見ていないとこ
ろのいいものは分からないが、K先生の場合だと全部見ることができる。それに、自分
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table. 2:授業の流れ
凡例:[分節番号:時間枠:トピック](「分節」は重松, 1975による)
活動構造 活動の流れを構造化して記述する。同じ構造のコミュニケーションが
繰り返して産出される場合はA’、B’のように quotation mark を記す
活動内容 活動によって産出された意味を中心に記述する
第1分節:授業開始−0:06:07:導入としてのクイズ
活動構造 A:教師の発問→B:個別に思考→C:解答と解説
活動内容 パズル問題をもとに、意外な答えに到達するときの感覚が詩を読む体験に似て
いることを示唆する。
第2分節:0:06:07−0:07:49:作者に関する情報
活動構造 A:教師の発問→B:挙手による指名と応答→C:解説
活動内容 金子みすゞについて知っていることを確認する。
第3分節:0:07:49−0:18:30:第一連の読みとり
活動構造 A:教師の説明と板書→B:個別学習と机間巡視→{C:挙手による指名と応
答→D:解答と解説}×3
活動内容 テクスト第一連における5W1Hのうち、季節(春)、時間(昼)
、場所(庭先)、
人物(子ども)、対象(子すずめ)、行動(つかまえた)を確認し、すずめの生
態について補説する。
第4分節:0:18:30−0:27:11:第二連の読みとり
活動構造 A:教師の説明と板書→B:個別学習と机間巡視→{C:挙手による指名と応
答→D:解答と解説}×3
活動内容 テクスト第二連における5W1Hのうち、人物(その子のかあさん)、対象
(子すずめ・子ども・子すずめと子ども)、行動(わらってた)を確認し、書か
れていない「対象」については許容範囲内で多様性のあることを解説する。
第5分節:0:27:11−0:31:32:第一連、二連の人物の思いをセリフにする
活動構造 A:教師の発問→{B:個別学習と机間巡視→C:教師が抽出して紹介発表}×
3→D:解説
活動内容 テクスト第一・二連における子どもと母親の会話を想像し、ここまでの展開が
いかにも穏和で温かなものを感じさせるかについて共通理解する。
第6分節:0:31:32−0:35:05:第三連の読み取り
活動構造 A:教師の発問→B:挙手による指名と応答→C:解説
活動内容 テクスト第三連における5W1Hのうち、人物(すずめのかあさん)、対象
(それ=子すずめ・子子すずめと子ども・子すずめと子どもと人間の母親)、行
動(みてた)を確認し第二連までのイメージが大きく転換する場面であること
を了解する。
第7分節:0:35:05−0:48:38:第四連の読み取り
活動構造 A:教師の発問→{B:個別学習と机間巡視→C:教師が抽出して紹介発表}×
4→A’教師の発問→{E:挙手による指名と応答→F:評価と解説}×7→A’
教師の発問→{E’:挙手による指名と応答→F’:評価と解説}×4→G:解答
と解説
活動内容 テクスト第四連の二行目を空欄にし、そこに入るべき様子の表現を考える。の
べ14名から「悲しく、おこって、泣いて、恋しく、おろおろ、しっかり、わら
って、ぞくぞく、静かに、じっと、こっそり、しんみり、そっと、だまって」
が出された後、洸稀が「鳴かずに」であることを指摘し、これが正解であるこ
とを解説する。
第8分節:0:48:38−授業終了:作者についての補説とまとめ
活動構造 教師の解説
活動内容 金子みすゞの生涯とこの作品についての補説、第一・二連と第三・四連とでイ
メージが大転換するところに詩の味わいがあることの解説をする。
− 74 −
たちが持って行くやりかただと、その間に自分のやりやすい{ペースで}学習ができる
からいい。
第6時の授業において、個別の学習を指示した場面はのべ5回である。このうち、導入を
除く4回は机間巡視を行っている。「いいやつを見つけて紹介した」のは第四連の空欄補充
問題のみで、他は全体での口頭発表を採用している。机間巡視の問題点に対するCのふり返
りによると、Cは机間巡視よりも自ら教師のところに持って行くやり方のほうが望ましいと
考えている。その理由は、後者なら「自分のやりやすい{ペースで}学習ができる」からで
ある。そしてそのペースをとることができない筆者の授業は、Cに強い葛藤を与えることに
なる。
まだこの時点(この詩の5W1Hを考える学習)では自分は「いつどこで」を書いてい
なかった。そこで、Dさんの発表を参考にして自分の考えをまとめようとしていた。と
ころが藤森先生は、Dさんの答えでも18.何%足りないと言う。これでもちょっとまだ足
りないのか……と考えていた。
個別学習に取り組む際、Cは指名や挙手によって授業の場に提供された級友の考えや感じ
方を観察して、自らの思考をまとめる参考情報とする。また、級友の考えや感じ方を教師が
どのように扱うか観察しながら、より適切な答えを導き出そうとしている。第一連で詩の季
節と場所を特定するように指示されたCは、個別学習の時間が終わってもワークシートに答
えを書いていなかったため、Dの発表内容を参考にまとめようとする。ところが、教師はD
の発表でもまだ足りないところがあると言うので、「これでもちょっとまだ足りないのか」
と「考えていた」折しも、教師からスズメの生態に関する説明が示される(table. 2>第3分
節参照)。Cは自分の考えを練り上げている中途だったことがわかる。教師の説明はそれを
遮り、解答を与えてしまったことになる。
その後、授業は第二連の5W1Hを特定する学習に接続し、「子ども」の母親が何を「わら
っていた」のか、該当する部分をワークシートに記入する個別学習へと展開する。このとき、
筆者の授業は担任のそれと異なり、学習者が教師のところに持って行くことも数名の学習者
に答えを板書させることもしない。そのためCは自力で答えを探していると、個別学習の指
示から1分程度経過した時点で、できた者は挙手をするように言われる。その際、最初に指
名されたEは「つかまえた」と答え、「子すずめ」は入るかという教師の問いに「入らない」
としている。この時点でCは「子すずめつかまえた」が該当部分だと思っていたので、教師
がEの答えをどう扱うか注目する。すると、教師は次のように説明する。
「子すずめ」は入らないね。はい。ちょっとじゃあ分かりやすくするために、えーっと
えーっと、先生、赤いチョークで囲みなおしてみます。子すずめを「つかまえた」のを
笑っている。これもまあ、ありでしょう。(0:22:43)
以下は、この場面におけるCのふり返り記録である。
自分で「何を」に当たる部分を見つけて○をしていたら、授業では違うところに○を
していた人の答えを先生が板書していた。だから、自分の答えは違うと思って訂正しよ
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うとした。そうしたら、別の答えも取り上げて先生は板書していた。そのため、どう学
習を進めていけばいいのか迷ってしまった。(筆者:Cさんはどれだと思ったか?)最
初は「子すずめつかまえた」だと思っていた。そのあと、Fさんが「子どもが」を指摘
し、先生がこれを正しいように言っていた。だから「子どもが」が正解なのだろうと思
って、自分の最初の答えを消してしまった。
教師の説明によって、Cは自分が選んだ部分から「子すずめ」を削除しようとする。第3
分節と同様、級友の解答に対する教師の評価を聞いて正解を導こうとしているのである。と
ころが、次に指名されたFが「子ども」だと答えると、教師はこれもまた「何が」にあたる
部分として読むことが可能であることを示唆し次のように補説する。
これが詩というやつの面白いところで、基本的にこのいずれでもいいと思いますけれど
も、ただ、どれを「わらってた」か選ぶことによって、このお母さんがどんな気持ちで
笑っていたかは変わっちゃいますね。(0:23:15)
ここに至って、Cは「どう学習を進めていけばいいのか迷ってしまった」とあり、授業後
に提出されたワークシートは「子ども」に修正されている。
(3)示唆される知見
Cにとって望ましい授業とは、自己の関心を自己に合ったペースで探究できる場であるこ
とが示唆される。K先生の学級では教師の説明時間は圧縮され、学習者が自ら学ぶ場が重視
されている。個別学習の成果を学習者が自ら教師のところに持参し、正否にかかわらず教師
から激励の赤丸をもらうコミュニケーションもその一環であり、Cにとってはこれが級友の
考えに触れつつ自己のペースで学習する場として機能している。
学習者のこうした学び方とK先生の学級で観察される授業コミュニケーションとは、おそ
らく相互規定の関係にある。担任のK先生と38名の学習者は、3年間にわたって授業のコミ
ュニケーションを産出し続けている。この授業経験がこれまで述べたような学び方を醸成し、
同時にそのスタイルが授業の枠組みを構成していると考えられるのである。そのことを証す
る事実として一例を挙げるなら、筆者の授業における改善すべき点として、協力児童が異口
同音に指摘した次の批評が注目されよう。
「先生の説明はもっと短く詳しく。」
上の批評こそ、K学級において教師と学習者が共同構築している授業の枠組みを一言で言
い表していると考えられる。授業コミュニケーションにおける教師の説明は可能な限り凝縮
され、残余の時間を用いて学習者はゆるやかに連結しながら自律的な学習を作動させる。そ
して、級友の言葉を資源にしながら共同体としての言葉の学習を展開する。これが、3年の
歳月をかけて構築されてきたK学級の授業システムである。そこには、外部講師の訪問にも
萎縮することのない、12歳の主体感覚と誇りが窺われる。
− 76 −
参考文献
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San Francisco: Jossey -Bass.
ザトラウスキー, P. (1993)『日本語の談話の構造分析』くろしお出版
デンジン, N. K.・リンカン, Y. S. 編(2006)『質的研究資料の収集と解釈(質的研究ハンドブ
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平山満義 編(1997)『質的研究法による授業研究』北大路書房
藤森裕治(2009)『国語科授業研究の深層 予測不可能事象と授業システム』(東洋館出版
社)
マーネン, J. V. (1999)『フィールドワークの物語』森川渉訳、現代書館
茂呂雄二(2001)『実践のエスノグラフィ 状況論的アプローチ』金子書房
ルーマン, N. (2004)『社会の教育システム』村上淳一訳、東京大学出版会
− 77 −
あ と が き
全国大学国語教育学会研究部門の主催で第1回目の公開講座のテーマを「国語科授業分析
の方法」で実施することが決まり、同時に、このテーマで2回にわたって実施する計画も了
承された。学会員以外にも広く国語教育へのアプローチについて入門から応用までの情報提
供を行い、それぞれの立場で教育実践研究の実があがるよう公開講座はその後も継続して企
画されている。今回取り上げた「授業研究(lesson study)」は、現在、日本の教育遺産とし
て国際的にも高い関心を集めており、こうした動向も念頭に置いて選ばれたものである。戦
前から戦後へそして現在も一貫して教育実践研究の中心テーマとなっているこの「授業研究」
の「方法」に焦点をあて、「国語科」の実際について、一人でも多くの方に理解を深めてい
ただくことが目的である。実施の経過などについては、本編中に概要が記されているが、幸
いに一貫してこの研究に実績を積んで来られた関係者に発表者として協力していただいた。
そのため、限られた時間ではあったが、基本的な情報提供とバランスの取れた発表内容を提
供できたのではないかと自負している。
この度、ブックレットとして、改めて公開の機会をいただいたことを幸いに思うとともに、
ひとりでも多くの方が関係の文献などを参考にされて、ご自身でも、「国語科の授業分析」
に取り組んでいただければと願っている。
最後になりましたが、発表者として本講座の実施にご協力いただき、またブックレットの
作成のために改めてご寄稿いただきました皆様にお礼を申し上げます。
公開講座「国語科授業分析の方法」世話人
塚田 泰彦
執筆者一覧
有澤俊太郎(上越教育大学)
第2章第2節
石田 喜美(東京都歴史文化財団 東京 第1章第5節
文化発信プロジェクト室)
長田 友紀(筑波大学)
第1章第4節
田中 耕司(筑波大学大学院)
第1章第3節
塚田 泰彦(筑波大学)
第1章第2節、あとがき
藤森 裕治(信州大学)
第2章第4節
吉田 裕久(広島大学)
まえがき
渡部洋一郎(上越教育大学)
第2章第3節
全国大学国語教育学会・公開講座ブックレット漓
国語科授業分析研究の方法
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平成23年(2011)3月 発行
発 行 全 国 大 学 国 語 教 育 学 会
印刷所 株 式 会 社 い な も と 印 刷
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