【新】伊藤穰一 人工知能、遺伝子工学の未来予想図

日本構想フォーラムリポート
Part1
【新】伊藤穰一
人工知能、遺伝子工学の未来予想図
2016/5/16
各分野の第一人者が集まり、成熟化社会において目指すべき社会ビジョンとそ
れを実現するための新しい方法論について、骨太な提言をする「日本構想フォ
ーラム」
幹事を務める波頭亮氏をはじめ、NewsPicks でもお馴染みの南場智子氏、山崎
元氏、などがメンバーに名を連ねる。
今回は、MIT メディアラボ所長の伊藤穰一氏による「デザインと科学」の未来
をテーマとするキーノートスピーチを収録。
間もなくやってくる人工知能、遺伝子工学の驚くべき未来像をお届けする。
科学は進歩し、複雑化している
今回は、大きく分けると、科学技術の未来、人工知能、バイオと、3 つの話をし
たいと思っています。まず科学技術の未来についてですが、今、科学が動く速
度と、その動きが実際に社会でインパクトする速度が相当速くなってきていま
す。
下のチャートを見てください。これは私が一緒に研究をしている MIT メディア
ラボのネリ・オックスマン教授による「創造性のクレブスサイクル」です。
いわゆる技術(テクノロジー)を整理したものだけど、チャートの上半分がパ
ーセプション(認知)で、下半分がプロダクション(モノづくり)。左半分は
文化、社会。右半分は自然となっています。
©Neri Oxman、http://jods.mitpress.mit.edu/pub/designandscience/
そうすると、科学というのは自然を認知してナレッジ(知識)に変える。エン
ジニアリング(工学)は、科学から出てきたナレッジをユーティリティ(役に
立つもの)に変える。
また、デザインはユーティリティを社会のビヘイビアや社会に影響を与えられ
るものに変える。そして、アートがその社会の行動やビヘイビアを情報に変え
ていく。基本的には、このように循環しています。
この循環で考えると、上半分のアートとサイエンスの中間にあるのが哲学で、
下半分のデザインとエンジニアリングの中間にあるのがエコノミー(経済)と
なります。
伊藤穰一(いとう・じょういち)
MIT メディアラボ所長
株式会社デジタルガレージ共同創業者で取締役。ソニー株式会社社外取締役。PureTech Health 取締役会
議長。エンジェル投資家としてもこれまでに Twitter, Wikia, Flickr, Kickstarter, Path, littleBits,
Formlabs 等をはじめとする有望ネットベンチャー企業を支援している。
循環速度のスピードアップ
それで、最近なにが起きているかというと、この科学の循環する速度がどんど
ん速くなってきているのが一点。
もう一点は、環境問題、バイオ、人工知能などの分野が加わったことで、めち
ゃくちゃ複雑になってきたことです。
昔だったら、なにかの製品をつくろうと思ったら、ユーザーがどう使うかを考
えて、エンジニアリングとデザインをコントロールして社会に出せばよかった。
しかし、環境問題、人工知能、バイオテクノロジー、インターネットなども入
ってくると、製品を一生懸命デザインしても、複雑だからもう世に出した後の
結果がまったく読めなくなってしまう。
英語では、「Self-adaptive Complex Systems」というのだけれど、自分で勝手
に変わってしまう複雑なシステムとなっているのです。
それは、人間の身体でも、自然環境でも同じ。自然環境を意図的にいじってし
まったら、なにが起きるか正確には予想できない。天気予報で明日は雪と言っ
ているけど、本当に降るかどうかはわからない。
こういう複雑なシステムの中でのデザインは、従来とはずいぶん違ってきます。
実は、建築や都市開発は、昔から結果が読めない世界です。都市開発は、思い
通りにはいかないけれど、やらなくてはいけない。つまり、複雑な状況の中で、
結果を理解する方法(サイエンス)がいまはまだないのです。
修正しながら考える
歴史を振り返ると、
1950 年代に、サイバネティクスという技術が出てきました。
これは何かというと、ミサイルの制御技術のこと。
標的があって、ミサイルが飛んでいく。それ以前は真っすぐに飛んで、当たる
か当たらないかだけだった。でも、サイバネティクスでは、軌道経路を、ちょ
っと右、ちょっと左と微修正しながら標的に当てる。要するに、いじりながら
当てる技術です。
実は、このサイバネティクスと同じことを同じ時期にやっていた学者がハーバ
ードの医学部にいました。彼は、人が手を握ってモノがうまく拾えるだろうか
と考えた。なぜ、拾えるかというと、頭の中の神経回路が筋肉をコントロール
し、手が右へ行ったり、左へ行ったりするからです。
このように、フィードバックがループすることで、軌道修正していくのがサイ
バネティクス。たとえば、エアコンの送風も、自動車のクルーズコントロール
も、目的に向かって軌道修正するというループを繰り返しています。
あまり流行らなかったけれど、セカンドオーダーサイバネティクスというもの
もあります。これは、目的がまだ決まっていないことに対して、目的そのもの
が修正されるシステム。
たとえば、子育てがその例です。子どもができたら、いろいろ子どもに教えた
りして、なんとなく相手をコントロールしている気になっているけど、実際は
あまりコントロールできていません。
子どもは、思ったようには成長しませんよね。ただ、良い親が教育をすれば、
比較的良い大人になる確率は高い。
だからコントロールする意義はあります。都市開発も同じです。
自分が知事だったら、やったらどうなるかわからないけれども、なんとなく良
くなるだろう、とやはり再開発をします。
ただし、科学的にわかることはたくさんあっても、子育ても、都市開発も、経
済政策も、けっこう間違っていることが多いのが実態です。では、なぜ間違う
のか?
僕もいろいろ考えてきたのですが、ある種「テイスト」という言葉に近いもの
があります。直感もそうですが、子の母だとなんとなくわかることがある。こ
の子はいま怒っているから、ここで怒り返したら、悪いことになりそうだから、
優しくしておこうとか。
このように、人が物事を決めるときは、理屈ではありません。ある種の勘があ
って、その勘が磨かれている人は、良いお母さんになったり、良いお百姓さん
になったりします。
人間中心のデザインは時代遅れ
デザインの分野も、こういう複雑なシステムになってきて、いままでのルール
でデザインするデザイナーとはちょっと違う動きがでてきています。
デザインの基本は、英語で「form follows function(形態は機能に従う)」と長
く言われてきました。
たとえば、コップをデザインするためにはコップの機能を考えて、この機能に
一番適切な形にするのがトラディショナルなデザインルールです。
ただし、iPhone はこのルールとは違っていて面白い。
iPhone の機能は何かと考えると、電話をかけること。でも、電話をするのに一
番適した形にはなっていません。なぜなら、アートが入ってきたからです。
iPhone は、ユーザー(ヒューマン)セントリックデザイン(人間中心のデザイ
ン)となっています。
つまり、まずアートに飛んでデザインに戻り、次にエンジニアリングへ行く形
です。
いまはアートが入っていないと、いいデザインだとは言われない時代です。だ
から、デザインの世界もアートやパーセプションと絡んで、やはりテイストが
大事なのです。
科学メインのデザインに
NTT は、昔は製品に開発したエンジニアの名前を付けていました。まったくユ
ーザーのことが考慮されていませんでした。でも、「i モード」になると、ユー
ザーは何を欲しいかというユーザーセントリックデザインでつくられています。
ただし、人間中心のデザインといっても、ほとんどのデザイナーは国か企業の
社員としてサラリーをもらっています。
だから、真にユーザーのためというのではなく、たくさん売るためにデザイン
をしているのですが……。
とはいえ、最近の製品の傾向は、人間中心のデザインです。だが、最近わかっ
てきたことは、世の中は「人間だけではない」ということです。
つまり、人間といえど自然の一部であり、むしろ人間のせいで環境が悪くなる
こともある。デザイナーも人間ばかりを考えてやっているけれど、環境を破壊
してしまうと、結果人間も不幸になってしまいます。
また、ある人はいま眠りたくないからコーヒーを飲んだりしますが、人間の生
理システムを考えると、ちゃんと寝たほうがよいからコーヒーは飲まないほう
がよい場合もある。
その人が欲しがるものと、世の中のためになるものでは、ちょっとしたズレが
あったりします。
従来は、一人の人間かひとつの会社が得をするために、環境から無料でエネル
ギーやリソースを獲得するような技術は看過されてきました。
デザインも、無料でエネルギーを取ってきて、余ったものをゴミにして捨てる
ことがコンセプトになっていた。しかし、それでは環境も含めて、持続性があ
りません。
それで、最近は人間中心のデザインや開発は全部ダメになってしまった。そこ
で、僕はいま儲けることに向いているデザインを、科学に向けたほうがいいと
いう提案をしています。
デザインを科学に向ける──。これは自然全体を対象に良くする意味だから、
とても複雑で、ルール化はできません。
だから、何となく良いものをつくるという感覚や勘を磨いて、モノを単体で見
るのではなく、全体のシステムとして捉えていかないといけない。
今や、そういう時代になってきたのです。
(構成・栗原昇、撮影:大隅智洋)