1970年代 フランスにおけるダ ンス政策 提 示 した。(1)で は, ダ ン ス ・ク ラ シ ッ ク の み だ っ た 国 の ダ ン ス 領 域 に ダ ン ス ・コ ン タ ン ポ レ ン ヌ を お茶の水女子大学大学院生 壽 田 裕子 導 入。 身 体 訓 練 法 に は ア メ リ カ の モ ダ ン ダ ン ス を 選 定, 1. 研 究 目的 フラ ンス にお け る ダ ンス. コ ンタ ンポ レンヌiは, 1980年 代 に社 会 党 政 権 下 で文 化 大 臣 ジ ャ ック ・ラ ン グが 提 唱 した 「現 代 の 芸 術 表 現 に 対 す る優 先権 」 の 対 象 と な り発 展, 国 立 振 付 セ ン ター ('84), ダ ン ス 部 門 の 国 家 教 員 資 格 ('89)が 制 度 化 さ れ た。 これ ら ダ ン ス ・コ ン タ ンポ レ ンヌ の政 策 的 な受 入 れ は, 国 立 パ リ ・オペ ラ座 舞 台 芸 術 研 究 グ ル ー プ の 創 設 ('75), 国 立 現 代 舞 踊 セ ン ター の 開 設 ('78) とい った 史実 を み る と, 70年 代 に政 策 の基 礎 が 築 か れ た こ とが 推 測 さ れ る。 そ こ で本 研 究 は, 1970 年代 フ ラ ン ス に お け る ダ ンス政 策 の動 向 を踏 ま え, ダ ンス ・コ ンタ ンポ レ ンヌ の発 展 の背 景 を読 み 解 くこ と を 目的 とす る。 講 師 に マ ー ス ・カ ニ ン グ ハ ム と ア ル ヴ ィ ン ・ニ コ ラ イ を 招 聰 し た。(2)で は, を 設 け, 専 門 の担 当官 ア ン ジ ェ に ダ ン ス ・コ ン タ ン ポ レ ン ヌ の 教 育 機 関, ナ ン シ ー に バ レ エ 団, レ ン ヌ に振 付 カ ンパ ニ ー を 創 設 した。 国 の 文 化 予 算 が 低 迷 す る 中 で 文 化 支 援 の 役 割 は 国 か ら 地 方 自 治 体 へ 移 り, パ リ ・オ ペ ラ 座 を 優 先 と し た 政 策 は 「教 育 」 「創 作 」 「カ ン パ ニ ー の 援 助 」 「普 及 」 と い う 方 向 性 を 見 出 し, ダ ン ス ・ク ラ シ ッ ク と ダ ン ス. コ ン タ ンポ レ ン ヌ に お い て 若 手 の 育 成 を優 先 す る よ う に な る。 (4)地方 に お け る ダ ン ス の 文 化 活 動 (1) バニ ョ レ 振 付 コ ン ク ー ル コ ン ク ー ル の 創 始 者 ジ ャ ッ ク ・シ ョ ー ラ ン が 振 付 セ ン タ ー の 開 設 計 画 を提 案, れ に 応 じ た こ と に 始 ま る。'69年 バ ニ ョレ市 が受 入 コ ン ク ー ル 「明 日 の た め の バ レ エ 」 を 開 催 し た 後, 市 は振 付 の活 2. 研 究 方 法 動 が 国 の 政 策 に 結 び 付 く よ う 「振 付 の 実 践 と 研 究 」 先 行 研 究 (Filloux-Vigreux 2001)iiを基 に, 2002 年9∼11月 国立 パ リ ・オペ ラ座 図書 館 を 中心 に収 集 した 関 連 資 料 を用 い て考 察 を行 う。 「 若 手 振 付 家 の 活 動 に 対 す る 理 解 と促 進 」 「 不足す る 財 政 と 設 備 の 充 実 化 」 を働 き掛 け た。 さ ら に ダ ン ス 教 育 に お け る ダ ン ス ・コ ン タ ン ポ レ ン ヌ の 必 要 性 を 問 題 に し, 3. 考 察 結 果 (1)ダンス 政 策 前 史 さ せ, コ ン ク ー ル に 国 の 代 表 者 を派 遣 若 手 振 付 家 の 育 成 を 助 長 し た。 (2) ダン ス ・フ ェ ス テ ィ ヴ ァ ル 70年 代 後 半 ∼80年 代 初 め に 地 方 で 開 催 さ れ た ダ '59年文 化 省 発 足 後, 文 化 大 臣 ア ン ドレ ・マ ル ロー が 民 衆 教 育 を 目的 に文 化 の家 の 創 設 を通 して ン ス ・フ ェ ス テ ィ ヴ ァ ル ー 「ダ ン ス ・ア ・エ ク ス 」 文 化 普 及 政 策 に 重 点 を置 い た こ と に遡 る。 「振 付 の 発 展 計 画 」 と し て, '68年 ア ミア ン文 化 の 家 に バ レエ ・テ ア トル. コ ンタ ンポ ラ ンが 創 設 され た ('78), こ とが ダ ンス 政 策 の 始 ま り と な る。'70年 文 化 省 (5) 結論 シ ャ トー ヴ ァ ロ ン ・ダ ン ス ・フ ェ ス テ ィ ヴ ァ ル ('80), モ ン ペ リ エ 国 際 ダ ン ス ・フ ェ ス テ ィ ヴ ァ ル ('81)等 は 若 手 振 付 家 の 活 動 の 場 と な っ た。 内 に音 楽 ・オペ ラ ・ダ ンス局 が 創 設 され, 政 策 を 展 開 す る。 (2) ラン ド ゥス キ ー計 画 正 式 名 称 は 「フ ラ ンス の音 楽 構 造 を組 織 化 す る た め の10年 計 画 」。音 楽 ・オペ ラ ・ダ ンス 局 局 長 マ ル セ ル ・ラ ン ドゥス キ ーが 作 成 した 計 画 は, (1) 教 育(2)普及(3)推進 と監 督 の3つ の 観 点 か ら成 る地 方 育 成 型 の 芸 術 推 進 計 画 で, 実 際 に は, (1)プロ養 成機 関 で あ る国 立 高 等 音 楽 院 や 地 方 音 楽 院, 国 立 音 楽 学 校 の 創 設, (2)プロ が 活 動 す る劇 場 の 建 設, 劇 場 で 活 動 す る プ ロの 歌 劇 団 と振付 カ ンパ ニ ー の 創 設, (3)計画 を監 督 し推 進 す る担 当 官 の 設 置 が 行 わ れ た。 ダ ンス 部 門 の 計 画 は音 楽 部 門 に比 べ て極 1970年 代 フ ラ ン ス に お け る ダ ン ス 政 策 は, 文 化 省 内 に ダ ン ス 部 門 が 認 知 さ れ た こ と に よ り専 門 の 担 当 官 を 設 置 し, 国 の ダ ン ス 領 域 を ダ ン ス ・ク ラ シ ッ ク か ら ダ ン ス ・コ ン タ ン ポ レ ン ヌ へ と そ の 枠 組 み を 広 げ, ダ ン ス ・コ ン タ ン ポ レ ン ヌ の 教 育 機 関 と カ ン パ ニ ー を創 設 す る ま で に 至 っ た。 以 上 か ら, 70年 代 は ダ ン ス・ コ ン タ ン ポ レ ン ヌ の 素 地 を 作 っ た 時 代 で あ り, 換 言 す れ ば, 80年 代 に 隆 盛 す る ダ ン ス ・コ ン タ ン ポ レ ン ヌ の 萌 芽 期 で あ っ た と い え る。 i ダ ン ス ・ コ ン タ ン ポ レ ン ヌ danse contemporaine と い う名 称 は英 語 表 記 コ ンテ ン ポ ラ リー ダ ン ス contemporary dance の 同 義 に 相 当 し 「20世 紀 中 に 出 現 した 様 々 な テ ク ニ ッ ク と美 学 を包 含 す る 総 称 表 現 」(Le Moal l999: 754-755) と定 義 さ れ る。 フ ラ ン ス に お い て は70年 代 後 半∼'80年 代 初 め に 出 現 し た 僅 か だ っ た が, (1)では, 専 門の 担 当 官 を設 け, 地 方 音 楽 院 や 国 立 音 楽 学 校 の ダ ンス授 業 の視 察 が 開 始 され た。(2)で は, グ ル ノ ー ブ ル, マ ル セ イ ユ, ミユ ル ー ズ の3市 に振付 カ ンパ ニ ー が 設置 され た。 ド ミ ニ ク ・バ グ エ, マ ギ ー ・マ ラ ン, ジ ャ ン=ク ロ ー ド ・ガ ロ ッ タ ら ヌ ー ヴ ェ ル ダ ン ス 世 代 に 適 合 す る。 (3) ジ ャ ン ・マ ゥ局 長 時代 の ダ ンス 政 策 後 任 マ ゥ局 長 は, 政 策 と して(1)ダンス教 育 内容 の改 正, (2)振付 カ ンパ ニ ー と政 策 の 関係 の 強化 を ii -68- Filloux-Vigreux, Marianne. 2001, La Dause et t'institutioa-Geuese et premiers pas dune politique de to da, tse em F, uoce 1970-1990, L'Harmattan, Paris.
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