これは戦争ではないのか

たなか醫院診聞 170 号
されている後藤さんが無事解放されることも望む立場です。
2015.2.1 発行
これは戦争ではないのか
太古、国家が成立以前、部族と部族が対立し、一方が他方を武力で抑え服従させる。
国家の誕生とともに国家間はその地域の覇権を求め、小国家の征服と領土拡大を目指
す。そしてローマ帝国も中国も、アラビア半島でも、巨大国家の成立と他民族へ侵略、
強制的な従属。近代国家成立以後も、戦争と殺戮の繰り返し。そして 19 世紀末から
20 世紀初頭、帝国主義と化した列強のアフリカを含めた世界分割、制圧のための戦
争。この第一次世界大戦以後も、新たな再分割、世界地図を塗り替えるための戦争、
第二次世界大戦の勃発。ここまでは、国家と国家、正規軍と正規軍の戦い。この第二
次世界大戦の途中から、国家間の争いとは別に、正規の軍隊ではなく時に市民、住民
として暮し、時に武器を持つ集団の出現が、スペイン、フランスでのレジスタンス運
動に見て取れる。それは、中国政府の樹立前でも、朝鮮戦争時の半島の戦いの時も、
そしてキューバや南米でのゲリラや、ベトナム戦争時の「ベトコン」と呼ばれた人々
の戦いにもその系譜は受け継がれる。そんな過程では、個人による敵の襲撃殺人もあ
っただろうし、爆弾による建物の破壊もあった。しかしこれらは、決してテロとは呼
ばなかったし、今当時の映画を見るとき(例えば『誰がために鐘は鳴る』。余談にな
りますが、この映画を高校生の映画少年である私は、何度イングレットバーグマンに
会いに映画館に足を運んだことか)そのヒーロー達は、美化されこそすれ決して絶対
年末の真冬のような寒さが過ぎた後、ようやく1月半ば雪が降り積み、「やっと冬
悪としては、描かれていないし、今でもそう人々の心に刻まれている。いつから、他
と変な安心をした後、大寒に入っても気温6度。暖冬です。それでも「今週半ばには
国あるいは自国の政府に自らの正規軍を建て、刃向うのでなく、ゲリラ的に攻撃を仕
ロシアの寒気団が息を吹き返し」、また北日本を雪が覆うらしい。どうも落ち着かな
掛けることを「テロ」と呼ぶようになったのか。2000 年前後のアフガニスタン、イ
い。地球規模で天候の狂いが生じている。
スラム集団タリバンの襲撃のころからか。決定的だったのはアルカイダによる、ニュ
1月初め、仏紙「シャルリー・エブド」社の襲撃。犯人を含む 15 名の死亡。そし
ーヨークビル爆破事件。そしてイラク戦争以後の中東あるいはアフリカ各地での、抵
て今、日本人 2 名の拉致、うち一人の処刑の報。仏の事件のあと、ヨーロッパでは
抗するイスラム教徒たちの「自爆攻撃」。
(そういえば太平洋戦争でかの日本軍の「神
350 万の人々がデモ。
「自由を守れ」
、
「テロを許すな」と。それらの報を聞きながら、
風特攻」は、自爆覚悟の攻撃であったが、これをテロとは呼ばない)
。あるいはロシ
どこか違う、「これは戦争なのではないか」という呟き(つぶやき)が私の中に。そ
アでのチェチェンの民衆の政府への攻撃、中国ウイグル地区での漢民族共産党への攻
して今回の日本人の誘拐と殺害。今起きていることは、やはり戦争なのだと呟きが、
撃。すべてこれらは「テロ行為」と、政府国家は言い、マスコミもこれに倣う。正規
はっきりとした言葉に変化。あらかじめ誤解を招くといけないのでここで、この人質、
軍を持たない、時の強大な国家権力に抵抗する、思想はどうであれ、方法はどうであ
処刑、あるいは「テロ行為」と称されることがらに、当然ながら賛意も、同意もして
れ、集団・個人による反撃・攻撃、これはテロと呼ぶべきより、形を変えた「戦争」
いる訳でない。しかし、これら彼らの行為は、「テロ、非人道的」とひとくくりにし
ととらえることが事の本質を言い表しているのではないか。資本のグローバリズムが
て、絶対的悪のように捉えることに異を唱えることが必要と考え、これは「新しい戦
進み、アフリカの地の果てまで国際資本が、現地の資源と労働力をとことん収奪した
争」なのではないかと考えるに至ったことを伝えようとしています。もちろん今拘束
結果、貧困、疫病の万延、地域の破壊をもたらし、宗教や民族意識をもとに、絶望的
な戦いを挑む。その戦争が世界各地で広がっているのではないのか。こう考えると、
私の一工夫-カレーパン
この先は全く見通しの立たないものに思えてくる。なぜなら、これまでの戦争の終結
には、「全面降伏」があり、「講和条約」があった。しかし、この「新しい戦争」は、
国家間の戦いでない故、一つの集団が、壊滅させられてもまた似たような集団が出現
一月の初めから、体力の消耗ばかりでなく精神的に鬱々とした気分にさいなまれ、
し形を変えて戦いを挑む、「終わりのない戦争」しか先に見えてこない。どうすれば
さてどうしようと思案。ようやく老後の自分に折り合いがつき、少し明るい気分が戻
よいのか。日本人が拉致拘束されていることを知りながら、中東に出かけ「イスラム
ってきたところへ、一枚のチラシ。
「三春屋 全国うまいものいち」。
「今度の日曜は、
国との戦いを支援する」と述べ、事態が公表されるや「人道支援」と言い換えるよう
外に行くか、そう買い物に行こう」と思い立つ。当日の朝、何を買おうか、もう一度
な、何の覚悟もない、ただおろおろする失態をみせた「積極的平和主義」の看板を掲
チラシに目を。一番下の欄に「東京カレーパン本舗、カレーパン」の広告を見つけた
げる、かの首相のような態度でもない。ひたすら母の悲惨にくれた姿を TV に映し、
時のうれしさ。実は、昨秋同じところで買い求めたこのカレーパン。実に美味。表面
親子の情に訴えることでもない。戦争はいらない、世界から貧困をなくそうという叫
はパン粉がカリッとし、パン生地は柔らかく、中のカレーは、ホタテあり、野菜あり、
びが、力にならない訴えであることを感じながら、やはり戦争はいらない、というこ
豚あり。カレーの香り爽やか。ちっとも売れない様子で、5 つ買ったらにっこり笑っ
とを決してあきらめることなく叫び続けることしかないのではないか。戦場ジャーナ
て一つおまけしてくれ、その時のおいしさ忘れず、ネット検索。東京恵比寿に本店あ
リト、後藤健二さんの無事生還を祈る。(1 月 28 日朝記す)
るとのこと。何度電話しても留守。かように、恋焦がれ、朝の 10 時半過ぎに行列に
ならび、約 50 分待ってやっと手にしたカレーパン。誰にもわけません。
小学生だった頃、ロバのパン屋さんが、唄を鳴らして本当にロバ(実は馬であった
らしい、当時はロバと信じ切っていた)の馬車がパンを売りにきました。調べてみる
と、ちゃんと載っていました。浜松と京都が発症、昭和 28 年のことという。歌詞は
以下の様。そして、同じ時期、「オリエンタルカレー」の宣伝車も田舎の町に流れて
いました。この紙面をクリックすると歌が流れる仕掛けを作りたいと思いますが、今
回は無理。
ロバのおじさん チンカラリン
チンカラリンロン やってくる
ジャムパン ロールパン
できたて やきたて いかがです
なんでもあります チンカラリン