聖書箇所:民数記11:18~20 説教日

聖書箇所:民数記11:18~20
説教日:2010年5月16日
説教場所:日曜主日礼拝(第二部)
神様の風、愛の風
〈聖書朗読〉
あなたはまた民にいいなさい、『あなたがたは身を清めて、あすを待ちなさい。あなたがたは肉を食べること
ができるであろう。あなたがたが泣いて主の耳に、わたしたちは肉が食べたい。エジプトにいた時はよかった
と言ったからである。それゆえ、主はあなたがたに肉を与えて食べさせられるであろう。あなたがたがそれを
食べるのは、一日や二日や五日や十日や二十日ではなく、一ヶ月に及び、ついにあなたがたの鼻から出るよ
うになり、あなたがたは、それに飽き果てるであろう。それはあなたがたのうちにおられる主を軽んじて、その
前に泣き、なぜ、わたしたちはエジプトから出てきたのだろうと言ったからである』。
〈登壇後のコメント〉
ハレルヤ。主がおられるこの日に私たちが力を合わせてイエス様の愛を実践しなければなりませんね。
国内で『サランクゥア ヘンボクナノム』が、また海外では『Good people』が神様の尊い愛の実践をなしている
ことを感謝いたします。
私たちの左右にいらっしゃる方とこのようにご挨拶をいたしましょう。「愛を実践しましょう!」もう一度ご挨拶い
たしましょう。「イエス様はあなたを愛しておられます!」
今日は私どもの教会が創立されて52年が経ち、主の御前に感謝をしつつ礼拝をささげる日であります。今か
ら52年前、1958年5月18日にチョー・ヨンギ牧師先生が5人の聖徒から教会を開拓なさり、52年もの間、
神様が大きなリバイバルの歴史を成し遂げられ、今日の日にこのような世界最大の教会として成長させてく
ださったことを神様に感謝いたします。
このすべてのことは神様の恵みであり、聖霊様の導かれたことであります。聖霊様が52年の間この教会を通
して歴史をつくってくださり、今日も驚くべきリバイバルの歴史を継続されているのであります。私たち韓国教
会の歴史の中で私たちの敬愛するチョー・ヨンギ牧師先生ほど聖霊様の歴史を強調された牧師先生はおら
れません。教会のリバイバルの秘訣は第一に聖霊充満、第二に聖霊充満、そして最後も聖霊充満でありま
す。わたしたちは集まるたびごとに聖霊様の恵みを慕わなければならないということです。
主よ、私たちを聖霊で満たしてください、聖霊で満たしてください、聖霊で満たしてください。
聖霊の満たしを受けると聖霊の恵みですべての問題が解決し、神様の恵みが現れます。昨日も、今日も、明
日も私たちの人生を聖霊様で満たしていただかなければなりません。
そしてこの時間も、主よ、聖霊を私たちの中心にくだし、この礼拝の中心にくだし、この地へくだし、神様の貴
い歴史をなし、聖霊の驚くべき力ですべての教会にリバイバルを起こし、南北の統一をさせてくださいますよう
に。
私たちが祈らなければなりません。
ご一緒に賛美をいたしましょう。
(福音聖歌280番)
1 성령님 내게 오소서 기도 드립니다
권능과 능력으로써 나에게 채우소서
2 예수님 내게 오소서 기도 드립니다
자비와 사랑으로써 나에게 채우소서
1 성령님 내게 오소서 기도 드립니다
권능과 능력으로써 나에게 채우소서
성령께서 임하시도록 통성으로 기도하겠습니다.
(통성기도)
1 성령님 내게 오소서 기도 드립니다
권능과 능력으로써 나에게 채우소서
〈祈祷〉
愛と恵みと慈しみが無限でおられる父なる神様、この地に聖霊を注いで教会を誕生させてくださってから200
0年の教会の歴史の中で、聖霊の働きを通して驚くべき神様の歴史を成し遂げてくださり感謝いたします。こ
の地でヨイド純福音教会を立ててくださり、52年の歴史の中で聖霊によって働いてくださり、世界で最大の教
会に成長させてくださり、神様の栄光のために用いてくださっていることを感謝いたします。私たちの敬愛する
チョー・ヨンギ牧師先生を通して全世界に五旬節の聖霊充満のメッセージを伝えてくださり、この驚くべき福音
を証拠とした多くの教会を立ててくださり、神様の驚くべき歴史が現されていることを感謝いたします。今日こ
の時間、私どもが聖霊の驚くべき恵みをうけることができますように。聖霊を注いでください、聖霊を注いでく
ださい、聖霊を注いでください。私たちが長い間、聖霊について話し、証拠を提示してきました。しかし、聖霊
についてよく知っていても聖霊の力を体験できていない人々へこの時間ふれてくださり、形式的な、習慣的な、
無気力な信仰から抜け出して生きることができる神様の働き手として使われるものとなることができるようにし
てください。感謝してイエス様のお名前によってお祈り致します。アーメン
ハレルヤ。私は今日民数記11章にあります箇所をもとに『神様の風、聖霊の風』と題しまして、ともに神の言
葉の恵みを分かち合いたいと思います。ご一緒に言ってくださいますか?「神様の風、聖霊の風」
私たちがイエス様を信じて信仰生活をするとき一番重要なことは聖霊の充満を受けることであります。聖霊充
満になることで、私たちが力ある信仰生活を送ることができます。罪の勢力と戦って勝利を得ることができま
す。聖霊の充満を受けられなければ、私たちの信仰は無気力で問題や困難の中で簡単に挫折するようにな
ってしまいます。ですから私たちはどんなときでも聖霊の充満を受けていなければならないのです。イエス様
の弟子たちが3年半の間イエス様をしたってこの御言葉を聞き、学び、奇跡の現場で目撃者となっていたの
にもかかわらず聖霊を受ける前の彼らは無気力でありました。イエス様が十字架にかかられるときときでさえ
弟子たちは逃げ出してしまいました。弟子たちの中でヨハネだけが十字架の下に座っていました。復活したイ
エス様にお会いした後でさえ彼らはまた過去の姿に戻ってガリラヤに帰り、網を打って魚を取ろうとしたので
あります。
ところが、彼らは聖霊を受けてから変わったのです。聖霊を受けて彼らは生き方が完全に新しく変化したので
す。
聖霊を受けて彼らが外へ出で御言葉を伝えたとき、一日に3000人、5000人もの人が悔い改め、改心する
という驚くべき歴史が現れたのです。今日私たちに必要なことはすぐに政令に満たしていただくことであります。
主よ、私たちを聖霊で充満にしてください。聖霊の風を吹かせてください。聖霊の導きを受け、神様の素晴らし
い歴史をことごとく生きることを主がお導きください。私たちが主の導きによって聖霊による充満を受けたのに、
知らず知らずのうちに私たちの心にある聖霊の火が消えてしまっています。主よ、もう一度回復を与えてくだ
さい。もう一度聖霊様の火が私たちの内にごうごうと燃え上がるようにしてください。今この時間わたしたちが
聖霊の恵みを求めるとき驚くべき恵みが私たちに注がれ、再び私たちが新しく変化して、神様の栄光のため
に用いられる主の働き手となるでしょう。
民数記11章に出てくるモーセに対して神様が奇跡をなされた記事を通して聖霊の歴史についてご一緒に学
んでいきたいと思います。
1. 人間の考え
最初に、人間の考え方についてお話したいと思います。
イスラエルの国民は430年間エジプトで僕として生活しました。あまりにもこの奴隷生活が苦しく辛かったの
で神様に叫び求めました。そして神様は80歳になったモーセを立て上げ、モーセを通して出エジプトの驚くべ
き歴史を成してくださいました。ところが彼らがカナンへ行く道は荒野の道でありました。この荒野の道を行く
間、神様は、昼間は雲の柱で暑い太陽の光をさえぎり、夜は火の柱を送って彼らを暖かく守ってくださり、彼ら
の足取りを導いてくださいました。
彼らののどが渇くときには岩から流れる水を与えてくださり、また朝ごとにマナを送ってくださり、彼らが日用
の糧を得るようにしてくださいました。
しかし、彼らは荒野の道を旅しながら過去の奴隷生活の習慣を捨てることができず、何かにつけて不満を漏
らしました。口を開けば不満を言っているようでした。この与えられた恵みがこんなにも多く、感謝することがこ
んなに多いのにもかかわらず、彼らはまた不満を言い、また不満を言い、また不満を言いました。
あるとき彼らは肉が食べたいと文句を言いました。彼らは尐しの間辛抱すれば荒野の生活が終わって乳と蜜
の流れるカナンの地へ入ることができるのに文句を言っていたのであります。
私たちがイエス様を信じていても感謝ができず、ささいなことに恨みや不満を言うことがどれだけ多いかわか
りません。出エジプトをしたイスラエルの民とたいした差がないのではないでしょうか。度々過去の人の姿に
戻り、簡単に恨みを持ち、不平をいう姿があります。民数記11章4節を見てみると、
『イスラエルの人々もまた再び泣いて言った、「ああ、肉が食べたい。』
なぜ彼らは不満を言ったのでしょうか?それは彼らの中で混ざって住んでいた異邦人たちが最初に貪欲にな
り、不満を言ったためであります。民数記11章4節の前半を見ると、『また彼らのうちにいた多くの寄り集まりび
とは欲心を起し、』 そうです。これはイスラエル人と混ざって住んでいたほかの人種も出エジプトの時ともに
追って出てきたのですが、この人々のことです。ところで彼らは真っ先に不満を言い始めました。彼らが貪欲
に陥りささいなことに始めに真っ先に文句を言い出すと、イスラエルの民が影響を受けて、ともに文句を言っ
たのであります。貪欲とはなんでしょうか?過度の欲であります。自分に与えられているすべてのもので満足
し感謝することができず、もっと大きな欲を出すことを貪欲といいます。イスラエルの民が与えられた恵みはど
んなに大きく豊かなものだったでしょうか?朝ごとにマナを与え、必要ごとに水を供給し、不足が何一つありま
せんでした。それにもかかわらず、彼らは不満を言っていたのであります。
テモテ第一の手紙6章6節から8節で使徒パウロがこう言っています。
『しかし、信心があって足ることを知るのは、大きな利得である。 わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世に
きた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである。』
イエス様はこのようにおっしゃっています。マタイによる福音書6章31節、32節、
『だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、
異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要
であることをご存じである。』
イスラエルの民がこの貪欲な彼らの願望や不満の影響を受け、同時に神様の恵みを忘れてしまったため願
望や不平不満がでてきたのです。430年間エジプトで奴隷となっていたときの苦痛、そしてこのとき神様が救
いの道を開いてくださり奇跡的に開放され救いにあずからせてくださったこの驚くべき恵みを、ただすっかり忘
れてしまったのです。この大きな恵みを忘れて不平をいい出したのです。
私たちがイエス様を信じる前は罪を犯し、不義をなし、放蕩の人生を歩んでいました。罪の中で生まれて、罪
の中で生き、罪の中で死んでゆく運命であったのです。それがなんということなのか、なんという恵みなのか、
神様の大きな恵みによって救いを受け神様の子どもとさせていただいたのです。イエス様を信じて私たちが
受けた祝福はどんなに大きく、この私たちが体験した奇跡はどんなに大きいものかわかりません。それにも
かかわらず、この恵みを忘れて些細なことに恨みを持ち不平をいい、人のせいにして、自分自身にある難し
い現実を隠して生きていくのは私たちの弱い姿です。
神様の恵みを忘れてはいけないのであります。詩篇103編2節の御言葉です。
『わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。』
救いの恵みに私たちは常に感謝をささげ生きていかなければなりません。
さて、何人かの人々が最初に不平を言い出したため、この不平が伝染してすべての人々の心に不平が満ち
て泣き叫びとなりました。民数記11章10節をみると、
『モーセは、民が家ごとに、おのおのその天幕の入口で泣くのを聞いた。そこで主は激しく怒られ、またモーセ
は不快に思った。』とあります。
恨み、不平は神様がもっとも嫌っておられることです。恨み、不平は悪魔の道具であります。
私たちがこのような古い姿を脱ぎ捨てて、感謝する人とならなければいけないのです。これが真実の幸せの
秘訣です。神様の恵みを受ける近道なのです。主の中で常に喜び、感謝を捧げなければなりません。
テサロニケ人への第一の手紙 5章16節から18節
『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスに
あって、神があなたがたに求めておられることである。』
私たちは主の中にあっていつも喜び、祈り、感謝をささげるべきなのです。
アメリカのカンザスシティで職務をしておられるウィル・ポーウェン牧師先生がいらっしゃいます。2006年7月に
「夏読書クラブ」を運営された中で不幸の原因は不幸にあると気づかれたそうです。
そして『不幸なしで暮らしてみること』という本を執筆されました。この不平を理解するために信徒たちに紫色
のゴムバンドをつくり、これを片腕につけ、腕につけてから自分が不平を言ったとき外して他の腕に移動させ
るようにしました。ですからこれをつけている間は不平を言いません。不平が起こるときこのバンドを見て「あ、
不平を言ったらダメなんだ!」と思い出すからです。不平を言う習慣を直すために実際に紫色のバンドを作って
分配したのです。九老(Guro)純福音教会へ行った際にキム・ポンジュン牧師先生がこれをすべてわかちあっ
てくださいました。ところでどこでこのことを知ったのですかと尋ねるとこの人物からヒントを得たのだとおっし
ゃいました。ですからこのバンドをぴったりと手につけて21日間不平をいわず、不平がでてきたらじっとバンド
をみて「不平を言ってはダメだ!」恨みがでてきたら「あぁ恨んではいけない!」気に障ることがあったり苦しい
ことがあったり人を恨んでしまうことがあったり不平が出てきてしまうことがあるとこのバンドをみてもう一度心
を元に戻して感謝するのです。このようすると人生に変化が起こってきました。ですからこの運動に参加した
人々が変化を体験して病気の改善、人間関係の回復、家庭が新たに変化して神様の祝福があふれるように
なりました。この200名あまりの小さな教会で始まった『不平のない世界をつくる』キャンペーンが全米に知ら
れるようになり、オフラ・ウィンフリーショー、トゥデイ ショー、トゥナイト ショーに紹介されながら米国だけでな
く全世界に広まるようになりました。
ウィル・ポーエン牧師先生は本の中で『否定的な言葉が否定的な考えを呼んで、これがまた否定的な結果を
持ってくる。 私たちの社会が皆一緒に幸せで成功的な人生を生きるために不平を止めなければならない。
履くものがないと不平を言うのは両足がない人を見ることができないためだ。 自身を変えることができる人が
世の中を変える。』といっています。また、『今日のあなたはあなたの考えが導くところにあり、明日のあなたは
あなたの考えが導くところにあるだろう。』といっています。ですからいつも健全で正しい考え、正しい言葉、正
しい行動をするべきだということを教えてくださいました。私たちがイエス様を信じ、イエス様の前で正しい考え
をし、肯定的で、創造的で、生産的で、そのような考えと夢をもって信じて進み信仰の告白をするときに、この
くちびるの告白を通して人生が変わるのです。人が何を考えるかによってその人の人生の姿が決定されるの
です。ですから私たちは常に主の前で喜び、感謝をささげなければなりません。主の前に賛美をささげるべき
なのです。
チャールズ・スポルジョン牧師先生は『受けた祝福について神様に感謝を捧げると祝福が増し加わり、不幸に
ついて神様に感謝をすると不幸が終わる』といわれました。
そうなのです!私たちが祝福を受けるとき感謝をすれば祝福が継続され、困難が来るときに感謝をするとこ
の困難が解決されて神様の祝福が臨むのです。ですから、私たちが生きている間、主の前で常に感謝があ
ふれる人生を皆さんが歩めるよう主の御名で祝福します。
2. 問題解決者、神様
二番目に、問題解決者であられる神様についてお話ししたいと思います。
イスラエルの民の願望と不満にモーセは忍耐することができなくなってしまいました。このように多くの人々が
みなやってきて泣きながら肉を食べたいとモーセに抗議をしたので、モーセは我慢ができなくなってしまった
のです。指導者としてあまりにも孤独で大変で、「いっそのこと私がここで一生を終わらせたらいいだろう。」と
いうほど心の苦痛が迫っていました。民数記11章13節から15節、
『わたしはどこから肉を獲て、このすべての民に与えることができましょうか。彼らは泣いて、『肉を食べさせ
よ』とわたしに言っているのです。わたしひとりでは、このすべての民を負うことができません。それはわたしに
は重過ぎます。もしわたしがあなたの前に恵みを得ますならば、わたしにこのような仕打ちをされるよりは、む
しろ、ひと思いに殺し、このうえ苦しみに会わせないでください」。』
いっそのこと私の命を取り去りください。大変すぎます。苦痛が大きすぎます。この多くの民がすべて私に向
かって肉をくれと泣き叫ぶのに対して、どうしたらいいのでしょうか?
このとき神様がこのモーセの心にある言葉にならない心的な負担と苦痛をご存知でこの大きな重荷を分ける
ことのできる協力者をお与えになりました。イスラエルの民の中で代表である長老70名を選び抜き、モーセを
助けすべての難しい問題をともに担当するように神様が命令しました。民数記11章16節、17節、
『主はモーセに言われた、「イスラエルの長老たちのうち、民の長老となり、つかさとなるべきことを、あなたが
知っている者七十人をわたしのもとに集め、会見の幕屋に連れてきて、そこにあなたと共に立たせなさい。わ
たしは下って、その所で、あなたと語り、またわたしはあなたの上にある霊を、彼らにも分け与えるであろう。
彼らはあなたと共に、民の重荷を負い、あなたが、ただひとりで、それを負うことのないようにするであろう。」
ハレルヤ、私たちには信仰の協力者が必要であります。私たちがお互いのために祈りあい助け合えるような
信仰の協力者になり、主の栄光のために献身するものでありたいと思います。伝道の書4章9節と10節、
『ふたりはひとりにまさる。彼らはその労苦によって良い報いを得るからである。すなわち彼らが倒れる時には、
そのひとりがその友を助け起す。しかしひとりであって、その倒れる時、これを助け起す者のない者はわざわ
いである。』
いつもそばに一緒にいながら励まし、勇気を与え、倒れるときに支え祈ってくれる、祈りの仲間が必要なので
す。モーセがあまりにも大変で困難が大きく、男性だけで60万人、女性と子どもを合わせると200万人を超え
るこの多くの人々を導くことで、言葉にできないようなストレスや心の負担が限界に近づいたときに神様が70
名の長老様たちをたてこの重荷をともに分けられるようにしたのであります。
そこで彼らに聖霊様によって神様が充満にしてくださいました。教会の指導者たちは聖霊の充満によって任さ
れた使命に耐えることができる主の働き手となることができるのです。教会の働き手として使われるのに一番
重要なことは聖霊充満なのです。
私たちが今年もまた長老様、按手執事様、勧士様、代理執事様を職務に任命いたしますが、このときに最初
の条件となるのが聖霊の充満であります。聖霊充満の指導者を立てて主の僕としての心を持ち、ともに力を
合わせて祈りをなし献身するときに驚くべきリバイバルの歴史が現れるのであります。
神様が70名の長老を立てて彼ら全員を使命のために聖霊充満にして貴い使命に耐えられるようにしてくださ
ったように、私たちの教会の指導者たちを主聖霊で満たしてその驚くべき歴史をともに成し遂げるのに不足が
ないように恵みを注いでください。神様、指導者をたてて聖霊様の油注ぎを与え、五旬節の日に屋根裏部屋
に聖霊を注がれたように、今日私たちも聖霊様の油注ぎを与え、聖霊様の充満の歴史を与え、神様の驚くべ
き歴史をつくりあげてくださいますように。聖霊様で充満にしてください、聖霊様で充満にしてください、聖霊充
満を慕い求めなければなりません。
神様が指導者を立てられた後に、この次に彼らの叫びに答えてくださいました。11章18節に『あなたはまた
民に言いなさい、『あなたがたは身を清めて、あすを待ちなさい。あなたがたは肉を食べることができるであろ
う。』神様の前では私たちはどんなときも私たち自身を高潔にしなければならないのです。『あなたがたが泣い
て主の耳に、わたしたちは肉が食べたい。エジプトにいた時は良かったと言ったからである。それゆえ、主は
あなたがたに肉を与えて食べさせられるであろう。』
神様が彼らの祈りを聞かれ、『あなたがたの要求を私はきいた。』民数記11章19節を見ると、『あなたがたが
それを食べるのは、一日や二日や五日や十日や二十日ではなく、』一ヶ月もの間肉を食べるだろうと言われ
たのです。
神様がすべての問題の答えであり、解決であられるということです。主だけが答えであります。ハレルヤ。
ピリピ人への手紙 4章6節と7節にはこう書いてあります。
『何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところ
を神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの
心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。』
エレミヤ記33章3節には、
『わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事
を、あなたに示す。』
ハレルヤ!問題があるとき、困難を極めるとき、解決者であられる神様の前にひれ伏して叫び祈りましょう。
慶南(キョンナム)大層(コチャン)へ行くと大層高等学校という学校があります。この田舎にある学校がとても
有名な学校なのです。なぜなら、世界的な指揮者のチョン・ミョンフンさんが息子2人ともこの学校に送ったた
めです。ですからこの学校がどんな学校なのか見てみると、全校生徒の88%がすべて大学へ進学している
のですが、そのなかの180名、4分の1がソウル大学、ヨン、コウ大学へ進学しているのです。どうしたらこの
ような田舎にある学校がこのような名門学校になれるのでしょうか?
この学校のために献身されたチョン・ヨンチャン校長先生がいらっしゃいます。アメリカで学位を受けられてか
ら戻り韓国で神学大学の副校長の席が保障されていたにもかかわらず、神様の使命をうけて田舎へ行ってこ
の学校の運営を始められたのです。
1958年4月のことです。わたしどもの教会と出発した時期がほとんどおなじです。校長就任式のとき生徒は
8名、それに加えてこの学校は借金が多く門を閉める直前です。そこで聖書、賛美歌、毛布をひとつもってコ
チャンウプで40里下った場所にある山岳へ行き、洞窟に入り席を敷き、一週間の間断食をして祈ったのです。
「父なる神様、私アメリカでの留学から帰りこの国で新しい教育をしなさいと言われたのに、この学校ひとつす
ぐに立てることはできないのですか?神様どうか助けてください。この借金をすべて解決してこの学校がすぐ
に建つようにしてください。」
切なる祈りをして、神様の前に訴えました。1日が経ち、2日経ち、3日が経って、断食をしながら祈っているの
に何も答えはありませんでした。とてももどかしくなりました。
そしてこのようにお祈りしました。
「神様、本当にこのようにされるのでしたら私にも考えがあります。私が1週間の間断食祈祷を終えて返事が
なければ、ソウルへ上京して東亜日報に“神様はおられない”と広告を載せます」
切実に1週間の間、意地を張って祈り、この方の記録に残るくらいでした。
それから1週間後に帰ってきたとき、学校に一通の手紙が来ていたのです。アメリカのある信徒がこの学校宛
に小切手を送ってくれていたのですが、小切手には2050ドルが含まれていました。
その当時絶対に返済しなければならなかった借金の金額と同じ金額が入っていたのです!ハレルヤ!神様
に栄光をお返しいたします。
そして借金を返し祈りの答えを受け取った後、学校を発展させていくために1971年にもう一度神様のみ前に
ひれ伏して祈りました。
「父なる神様、助けを与えてください。どうせ助けてくださろうと思うのなら学校の条件がもっとよくなり、発展す
るように助けてください。」
切実に祈り、学校に本館建物を作るためのこの祈りにまた応答をくださり、クリスタルチャーチのロバート・シ
ューラー牧師先生が22万ドルを送ってくださり、この学校がとても名門の学校として建つこととなりました。
ハレルヤ!祈るとき応答があるのです。みなさん、みなさんの力や能力でできるのではありません。神様の
前でひれ伏して祈るとき神様がそのことを成し遂げてくださるのです。
3. 神様の風
今日最後の3番目は、神様の風についてお話したいと思います。
神様はどのようにして歴史を作られたのでしょうか?民数記11章31節に、
『さて、主のもとから風が起り、海の向こうから、うずらを運んできて、これを宿営の近くに落した。その落ちた
範囲は、宿営の周囲で、こちら側も、おおよそ一日の行程、あちら側も、おおよそ一日の行程、地面から高さ
おおよそ二キュビトであった。』
この2百万人にものぼる人、この多くの人々にどのようにしたらすべての人が肉を食べられるようにすること
ができるでしょうか?ところが神様が天の方法で風を吹くようにされ、海辺からウズラを追い立てられ、イスラ
エルの宿営落ちるようにしました。一日でいける道のりは普通32kmくらいで、32km程の大きな面積に90c
m程度のウズラが落ちるようにしてくださいました。それから彼らが目にしたのはやってくるウズラの群れでし
た。これをただ外に出て捕まえるだけでいいのです。焼いて食べ、煮て食べ、炒めて食べ、1ヶ月の間食べ続
けても余るような肉を与えてくださいました。これ以上は「あぁ、おいおい、もう肉はこれ以上嫌気がさす、食べ
たくない!」というほど注いでくださいました。
これと同じ風が今日ここに吹かなければなりません。この風は普通の風とは違います。神様の風です。聖書
に風と書いてある言葉は旧約聖書には“ルアフ”、新約聖書には“プニュマ”とあるのですが、これは風、聖霊、
神様の息、命、呼吸、という意味であります。神様が風を吹かされ、このウズラの群れがあふれるほどイスラ
エルの陣営にやってきたのです。1日、2日、1ヶ月ずっとウズラの群れがあふれたのです。2百万人にのぼ
る多くの人々がみんなお腹いっぱいになるほど食べ、残ったウズラの群れがあふれるほどでした。
神様は彼らが困難の中に置かれているとき、問題の中にいるとき、このように返答を与えて驚くべき歴史を起
こしてくださるのです。
出エジプトのときに彼らの前に紅海が広がり行き詰ったとき神様が風を送って紅海を分けてくださり海に陸地
のような道を作ってくださいました。出エジプト記14章21節に、『モーセが手を海の上にさし伸べたので、主
は夜もすがら強い東風をもって海を退かせ、海を陸地とされ、水は分かれた。』
私たちはどのように創られたのでしょうか?人間が土で創りだされたあと、その鼻へ“フーッ”と神様の生気、
風を吹き込んでくださったのです。創世記2章7節、『主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹き
いれられた。そこで人は生きた者となった。』生きて動くようになったのはこの生気が入ったからだといってい
ます。
神様の風が吹くとき、神様の息が吹いてくるとき、私たちの人生の中に素晴らしい奇跡と祝福をもたらすので
あります。
エゼキエルが幻のなかで乾いた骨の谷へ行きました。死んだ人の死体がとても多くて古くなっていたので、す
べて乾いた骨になっていたのですが、この乾いた骨に神様が神様の風を吹き込まれ、この骨から軍隊をつく
られたのです。エゼキエル書37章1節に、
『主の手がわたしに臨み、主はわたしを主の霊に満たして出て行かせ、谷の中にわたしを置かれた。そこに
は骨が満ちていた。』
神様の命令に従って宣言するときに神様の霊が吹き入れられて、この骨たちが生きて動く軍隊となったので
あります。エゼキエル書37章9節、10節に、
『時に彼はわたしに言われた、「人の子よ、息に預言せよ、息に預言して言え。主なる神はこう言われる、息よ、
四方から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き、彼らを生かせ」。そこでわたしが命じられたように預言
すると、息はこれにはいった。すると彼らは生き、その足で立ち、はなはだ大いなる群衆となった。』
乾いた骨が大きな軍隊へと変化したのです。
今日この世界は乾いた骨の谷のようです。乾いた骨の谷に多くの魂たちが絶望の中で、苦痛の中で生き、死
人のような姿で生きていっているのです。
これは聖霊の風が吹かなければいけないのであります!聖霊の風が吹かなければならないのであります!
聖霊の風が吹かなければならないのであります!聖霊の風が吹いてくるとき、乾いた骨が生きるように死ん
だ魂が生き返るのです。
医師としてアフリカへの宣教任務をしていたデイビット・リピンストン宣教師の任務で驚くべき聖霊の歴史が臨
みました。この記録をみると、この医師の友人がベネット博士にこのような手紙を送りました。
「ここの女性たちは手術をするとき座って全く動くことがありません。私は今一度この人々の静かさにとても驚
きました。この女性たちは直径1センチメートルにもなる傷をナイフで裂いても全く感じることができないように
座って話しをしているのです。彼らはこのように言います。“私のような大人は全く泣きません。子どもたちは
なきますけど。”しかし、彼らも聖霊の歴史の前でだけは耐えることができませんでした。時々彼らは教会で泣
いている姿を見られまいと説教者の視線を避けて隠れたり、泣くことに勝つことができなければ教会の外に飛
び出して逃げるように泣きながら疾走したりします。しかしながら不思議なことにまた来ることが無いように逃
げた人々がまた次の礼拝に出席しているのです。」
彼らは絶対に人々の前で涙を見せることはありません。麻酔薬がなくてそのまま肉を裂いて手術をしてもじっ
とがまんしているのです。絶対に大人が泣く姿を見せたらいけないのに、しかし礼拝のとき聖霊が臨在される
ので、聖霊の風が吹くので、彼らが涙を流し始めるのです。どんなに強く聖霊の歴史が臨んだのか、彼らが
涙をこらえきれないほどで、その涙を人に見せることができないので泣きながら飛び出して家まで走りながら
ずっと泣いていたというのです。
聖霊の風が吹いてくると私たちの心にある罪を悟らされるのです。罪を吐露し、悔い改め、告白して、主の前
に涙を流して、人生の変化をもたらすようにさせて下さるのです。
私たちの教会の52年の歴史はこのような聖霊の歴史でありました。仏光洞(プルクァンドン)の小さな貧民村
のテント教会に聖霊様の風が吹き、そこにやってきた人々が泣いて泣いて神様の恵みと奇跡を体験し、病気
が癒され、問題が解決され、呪いから開放されて、神様の奇跡を経験したのです。
この風が今日も吹かなければならないのです。今日も吹かなければならないのです!52年間私たちの主は
変化なさることはありません。聖霊の歴史は変わることがありません。
変わるべきものは私たちの心がけであります。私たちの心であります。生活を豊かにし、なんでも、すべての
ものがよくなり感謝することより不平を先に言って、喜ぶことより些細なことで私たちが恨めしい思いで生きて
いる私たちの姿を私たちが変えなければならないのです。
父なる神様の許しを与えてください。今日この時間、聖霊様の風がこの場所に吹いてください。悔い改めの例
を注いでください。私たちの最初の愛をもう一度回復させてください。聖霊による充満を与えて、聖霊の恵み
による変化で神様の貴い働き手としてお用いください。私たちの心の中に聖霊の風を吹かせ、私たちの家庭
に聖霊の風を吹かせ、この教会に聖霊の風を吹かせて、この大韓民国に聖霊の風をふかせてください。
聖霊の風を吹かせて、すべての教会にリバイバルを来させ、すべての人々が変化し、それを通して南北に統
一の貴い歴史をつくりあげてくださいますように。
すべての方々が聖霊の恵みで充満になるときにこのような驚くべき歴史が私たちの人生の中におこるのです。
お祈りいたします。
〈祈祷〉
愛と恵みと慈しみが無限でおられる父なる神様。私どもはなにものでもありません。
わたしどもはまるで生命をなくし、すべてのことを忘れた枯れた骨のような存在であります。
どういうことなのか、どういう恵みなのか、イエス様を信じて救いを受け神様の子どもとなったのに、この大き
な神の恵みに感謝できず、些細なことに恨み、不平をいって生きてきた私どもの姿を悔い改めます。
イスラエルの民が貪欲に駆られ肉を求めて泣きながら不平を言った姿が私たちの姿であることを悟らせてく
ださり感謝いたします。私どもの心の中心に、今この時間、聖霊の風を吹かせて、このような否定的な姿、恨
み、不平、些細なことに落胆し挫折する昔の人の姿を脱ぎ捨てさせもう一度新しく作り変えて、回復させ、神
様の栄光のために用いられるように私どもすべてが変われるようにお助けください。
イエス様のお名前によってお祈りいたします。アーメン